2009.10.27 Tuesday

教会音楽論争

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     教会では、音楽論争がかなり盛んらしい。もちろん、現在

    所属するキリスト集会でも、時折話題にはなる。というより

    は意識的に話題にしている。

    コンテンポラリー系音楽の影響や、アフリカン・アメリカン・

    ゴスペル・ミュージック(簡単に言うと「天使にラブソングを」

    風のラップやヒップホップ系音楽などの影響を受けた音楽)

    影響を受けた音楽の賛美歌にするのか、歌詞が現代人には、

    通訳無しに意味不明なヨーロッパ系のフォークソングのメロ

    ディに乗せた伝統的な賛美歌・聖歌路線で行くのか、

    で結構議論があるらしい。この前、日本発の賛美歌「まぶねの

    なかに」を歌詞解説をして紹介したら、「現代語の対訳がない

    とほとんど意味が分からんかった」とうちの子供に言われてし

    まった。中学生には、「まぶねの中に うぶごえあげ たくみ

    のいえに」 あたりは、現代語による対訳がないと意味不明ら

    しい。この100年足らずの間に、現代日本語がそれだけ変わっ

    たようだ。無論、私の母には、「意味ふー」は意味不明だとは

    推測がつくが、「そうである」という確信がないらしいが。

    賛美について、ここのところのMinistryが3号連続で取り上げ

    ている。賛美歌の本質的な議論、というよりかは礼拝論、リタ

    ジーをどう考えるかが先であって、その後に賛美歌論争が来

    るべきだ、という指摘は正しい、と思う。

     賛美歌の本質、リタジー論は、それはそれ、各個人が通ってき

    た音楽環境や、価値観を含め、様々な文化的な影響を受け、形成

    されているので、実はかなりこの解体をし、その上で議論しなけ

    ればならないのではないか、と個人的には思う。その意味で、実

    は大変な作業を含んだ、検討作業であり、現代的・伝統的のうち

    どちらがよい、と単純化した2項対立の構造でとらえるのは、

    絶対にまずい。

     これまで、このブログで、たらたらと書いてきたように、もともと

    日本では、都市の中産階級が信者の中核を締めたということも

    あり、その精神性が反映された賛美のための歌が選ばれてきた。

    しかし、そもそも、賛美とは何か。『喜び』の表現である。『礼拝』

    とは何か。『喜び』の表現である。それが表現できているかどうか、

    居眠りするような賛美歌であるかどうかが、問題なのではないか。

    喜びの表現は人一人異なる。この前は、某力士が土俵上でガッツ

    ポーズをしたのが問題視されていたが、某皇族の方が運動会で

    ガッツポーズすることは問題視されておらず、ほほえましい表現と

    して捉えられていた。昔なら、そんな映像を流したテレビ局の編集

    局長は、始末書物だろうが、今は気にもされない。受け取る側も、

    違和感なく見ている。

     現在の社会は、年齢層ごとにそして様々な個人属性ごとに非常に

    多様化している。喜びの表現もそれぞれによって違うだろう。それを

    無理やり一つの表現法にするところに、あるいは一つの表現法でとり

    まとめてしまわなければならないところに根源的な問題があるのだろ

    うと思う。であるとするならば、聖歌だ、賛美歌だ、プレイズだ、と

    2項対立の図式でとらえ、矮小化して議論する前に、自分たちの礼拝

    においての喜びの表現とは何か、どのようなものであるのか、そして、

    それをキリストのからだとして、全体としてどう表現するのか、とい

    うことを根源に戻って、聖書を参照しつつ、故人の考えを深めた上で、

    話し合ったほうが良くはないか。そのことで信者間の相互理解を深め、

    キリストの体としての相互認識をするほうが、年長者の信仰の成長に

    とっても若年者の信仰の成長にとっても、よほど有益だと思うのだが。

    個人的には、Be Thou My Vision などは、好きなのだけど。
    2009.10.30 Friday

    パンくずを拾って 様 コメント、ありがとうございました。

    0
       パンくずを拾って 様

      貴ブログを通してのコメントありがとうございました。

      >問題意識を持っているのか単なるへそ曲がりなのか分
      >かりません。

      私は、へそ曲がりですが、へそ曲がりにも、発言する

      ことで、現状でいいの、という問題意識に気づかれる

      方を増やしていければ、と思っております。

      >ただ小渕さんが書いている教会の姿は集会だと思います。

      そのようでございます。反省するための糸口をたくさん

      もらっております。小渕さんのブログの最近の記事では、

      牧会ジャーナルではしょられていた部分も、採録されて

      いるようです。

      >良くても悪くても歴史と伝統があるものを変えるとい
      >うことは難しい。それが信仰が絡んだらさらに難しい。

      本当にそうだと思います。

      >関西の諸集会を見てもお分かりでしょう。新しく集会
      >を興したほうがはるかに楽だと思います。

      とはいっても、集会の枠を出てしまったのでは、伝統

      的な集会からは、ダービー以来の伝統に従って、「交

      わりを絶つ」と言われたする事実上の除名宣言をうけ

      たり、すぐ「あそこは、集会じゃないからうちとは…」

      と言われてしまいます。この件に関しては、吉祥寺の

      グループの影響があまりうれしくない意味で出ています。


      幸いにして、今いるところは、すでに、「あそこは、集

      会とはすこしちがうから」と言われかけていることは認

      識していますが、かろうじて集会の枠内に入れてもらっ

      ているので、その中で、じっくりとした改革をしていこ

      うと思います。もう年齢的にも、1日を24時間とすると、

      午後3時前、日の落ち始める時間ですので。

      軽井沢のシニアキャンプよかったようですね。イニシャ

      ルでのお名前を見る限り、リトリートの側面もあったよ

      うですが、本当は、50代の方に参加してほしいですね。

      本当の意味でのリトリートの会で、集会を客観的に見つ

      めなおす時間を持っていただく機会として。個人的に、

      交流機会のなかった浦和以外の方は、ほとんど、たぶん、

      あの方かなぁ、と思いました。


      コメント、本当にありがとうございました。しっかりと

      受け止めました。
      2009.11.01 Sunday

      教会と家庭について

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         水谷さんという方のブログの中に、「牧師家庭は金魚鉢?信徒家庭はブラック

        ボックス?」という記事がある。

         これは、日本のキリスト教会特有の現象ではなく、欧米のキリスト教会でも

        経験される問題である。昔から、Preacher's Childという言葉もあるくらい

        である。ひょっとして、この種の問題を避けるために、カトリックは、聖職者

        の独身主義を貫いているのかもしれない、と思ってしまう。

         ここでは、教会・牧師家庭・信徒家庭という3つの要素が完全に分離して

        しまっている姿を示しているように思う。本来、この3つというよりは、

        教会・家庭(牧師家庭及び信徒家庭をともに含む)は一元的なもののはずで

        ある。しかし、欧米でも日本でも両者がずれている教会が多い。

         しかし、基本的には、聖書全体としては、家庭 − 教会 − 神の国

        は一体としてつながっているもののような気がする。そのことを、山田耕

        太さんは 『ダラム便り』 (すぐ書房)の中で、家庭が神の国のモデルとして

        英国の信者の中では、自然にとらえられていることを書いていた。

         教会は、神の国であり、神の家族である。神の家族は、個々の神の家族

        からなる。個々の神の家族は、個々の神との関係を持つ信者からなる。

        その意味で、教会の延長線上、というよりは教会の手前に神の家族からな

        る家族生活があり、その延長線上に教会があるというのが、たぶん、キリ

        スト教と1500年付き合ってきた国の文化として、日常生活の中に織り

        込まれているのだろうと思う。

         日本のキリスト教関係者のなかでは、家庭というものを介した個人的な

        交流の深まりによる霊性の深化という概念が十分ではないように思う。

        ぼちぼち、そのことを考える時期に来ていると個人的には、思う。個人的

        には、そのことを少し実践しながらとりくんでみようかなぁ、と思っている。

        それは、私自身にとっても、有効なことだろうと思う。他者の視点を得る、

        という意味において。
        2009.11.02 Monday

        パンくずを拾って 様 コメント、ありがとうございました。(続)

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            パンくずを拾って 様

          貴ブログを通してのコメントありがとうございました。

          お気持ちは、伝わりました。ありがとうございました。

          謙遜なさらないでください。Webという大海の中で、

          『パンくずを拾って』様は私に話しかけてくださり、

          ディスカッションしていただける、また私にとって

          考える糸口を下さる数少ない大切な方のお一人ですの

          で。

          >>問題意識を持っているのか単なるへそ曲がりなのか分
          >>かりません。

          >私は、へそ曲がりですが、へそ曲がりにも、発言する
          >ことで、現状でいいの、という問題意識に気づかれる
          >方を増やしていければ、と思っております。

          たぶん、私はやはりへそ曲がりでしょう。集会という枠

          を抜け出せれば、かなり自由に行動できるにもかかわらず、

          いまだに、集会という枠にこだわり、面倒なことにもかか

          わらず、諸集会の方々にお考えいただきたいという立場を

          考えているのは、やはり、へそ曲がりというのか、素直で

          はないですねぇ。自分でも、とっとと出ればいいのに、と

          思いつつ、残っているのですから。

          >罪と滅びを強調するかキリストの愛を強調するか、しかし

          >愛をどのように語るか難しい所だ。

          そうですね。罪と滅びを強調すると、カルト化しやすいで

          すし、愛を強調すると、個人と神の関係がややあいまいに

          なってしまいますしね。この辺のバランスが難しいですが、

          キリスト集会と呼ばれるグループでは、イギリスや北米で

          も預言理解ともリンクしているので、伝統的に「罪と滅び」

          にやや重心があったようです。「罪と滅び」を強調すると、

          風紀委員のようなキリスト者という印象を持つ方が出てき

          ますし、「愛」を強調しすぎると、信仰生活が確立せずに、

          いつまでも愛されること、限りなく愛され、受け入れられ

          る、何でもありをそのままのわがままな姿を他者に容認する

          ことを一方的に求めるちょっとユニークな考えを持つ信者が

          出てきますし。

           このあたり、バランスの問題だと思いますし、多少、

          振り子のように触れてもいいのではないか、と思っていま

          す。どっち道、完璧な信者はいない、というのが、最近の

          私の立場でございます。

           パンくずを拾って様の意図はたぶん外して理解していな

          かったと思いますし、議論の糸口を頂戴した、と思ってお

          りますので、気になさいませんように。

           間接的なコメントでも、感謝しております。ありがとうご

          ざいました。
          2009.11.08 Sunday

          一つであることについて

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             一つであることについて、いろいろ考えている。

            一つであることの中に、性質が同一のもので一つのグループを形成していること

            (Uniformity)と多様なものであるものの、一つの共通部分に焦点をあてて、

            相互に同一なものとして認識する一体性(Unity)がある。

             最近読んだ、Bassの本に、キリスト集会の創始者たちが、キリストの体が

            一つであることをめざしてキリスト集会であったが、ジョン・ネルソン・ダ

            ービーとベンジャミン・W・ニュートンとの対立の結果、このグループは、

            二つに分かれていくことになる。Bassはこの背景に、ダービー自身が、

            同一性と同質性の区別が付いていなかったこと、つまり、キリスト集会が一

            つであるためには、同質性が必要であり、その結果、同質性の確保のために、

            純化を志向し、それが、交わりを断つことや、バン裂きをともにしない、パ

            ン裂きをともにすることを受け入れない、などの行為につながっていくこと

            になっていく。

             この思想は、実は背後で純化思想とつながっている分だけに、一種のナチ

            スドイツやサラエボフェルツェゴビナの民族浄化運動など、一種の優生学的

            思想とつながっている。この背景には、エリート思想が見え隠れする。

             今、別ブログで、日本におけるキリスト集会の歴史を外国人の目から

            追った歴史の翻訳結果を示しているが、初期の時代は、キリスト集会その

            ものがキリスト集会の数でも、人数の上でも小さく、まとまらざるを得な

            かったことがあったし、その分、聖書理解や集会運営の在り方の可能性や

            展開の仕方にあまり差がない分だけ、均質性が高く、一つにみえただけだ

            ったのだろうと思う。

             同質性を強調すると、信仰のマクドナルド化につながる。どこで食べても、

            いつ行っても、同じ味(聖書理解)になってしまうことを意味する。となる

            と共に集まって、学ぶことの意味はなくなってしまう。

             多様性を強調すると、信仰の多元主義につながり、相対化が進みすぎるた

            め、一致性が失われかねない。

             現在、数多くのキリスト集会が「一つであること」が難しくなっている

            要因には、さまざまな要因があると思う。ダービーがニュートンとの間に

            もった亀裂の結果、生まれたダービー派を中心として生まれたコンネクシ

            アル・ブラザレンとして活動していた英国のキリスト集会の信者の影響が

            伝道におけるの協力や影響のある書籍が主に、コンネクシアル・ブラザレ

            ンのグループの著者の書物であったことによって生まれ、その影響がそも

            そもインディペンデント・ブラザレンとして始まった日本のキリスト集会

            に強いこと、そもそも、エクスクルーシブ・ブラザレンとインディペンデ

            ント・ブラザレンとの両者は聖書理解による分離というよりも、純化の在

            り方をめぐる方針対立という非聖書理解的な一種の政治的な対立関係によ

            る分離であるため、両者の違いは実質的にないことから、本来、エソウと

            ヤコブのような関係であるとおもう。

             ダービーは、同一性に協調のある一致性を強調したため、のちに、一つ

            の市に一つの教会ということを主張することになる。この考え方は、のち

            にかなり変わった形で、ウォッチマン・ニーとウィットネス・リーに引き

            継がれていくことになる。

             また、ある段階まで、日本でもコンネクシアル密接な関係にあったこと

            は、石濱義則著「私の歩んだ道 主イエス・キリスト」の127-128ページ

            に三浦さんのバプテスマに関して、日本に最初の伝道者としてきた、クレ

            ーグ氏の息子のパウロ・クレーグさん(エマオ聖書通信講座を担当)が東

            京でバプテスマを受けるときに、当時エクスクルーシブ(コンネクシアル)

            ・ブラザレンで盛岡で活動していた兄弟から受けるべきであると主張し、

            議論が紛糾し、石濱さんが粘り勝ちしたのか、結果的にあきらめられたの

            かはよくわからないのですが、三浦さんは、新潟の野城さんから多摩川で

            バプテスマを受けた、という記事が、記載されていることからもわかるよ

            うに、インディペンデント・ブラザレンとコンネクシアル・ブラザレンの

            両者はかなり密接な交流関係にあったように思う。

             昔から、いろいろな考え方が、奔流のように流れているのが、キリスト

            集会の姿で、安定したスタティックな姿ではないのではないか、と思います。

            それだけ、安定したものではないのだからこそ、「一つであること」の

            意味を深く考えることもなく来たのかもしれない。夫婦は一つであるが、

            完全に同じではありえない。しかし、互いに尊重しあうのが、私は

            夫婦の姿であるとすると、その違いを尊重しつつ、共通する部分を大切に

            する思いをもつことが大事なのでは、と思う。

             それをわすれた、「一つであること」の意味は問われてしかるべきである

            ように思う。
            2009.11.17 Tuesday

            日本(中世)史の勉強

            0


               今、日本の教会を考える、という作業をしている。最初は、戦後だけを

              するつもりであった。しかし、今の日本社会の原風景が、鎌倉、室町、

              南北朝、平安朝と下がっていかないとわからない、民俗学的知識が必要、

              ということに気付き、今日本史の勉強を必死でしている。高校生以来

              である。高校生では、平安時代までは一通り習った。しかし、20年と

              いう年月のうちに、民俗学と歴史学の交流がなされていることは、網野

              さんという日本史の先生がおられることから気付いていたが、この種の

              分野に手出しをしていなかった。どちらかというと、塩野七生の世界に

              触れ、ヨーロッパ中世史をやり始め、そっちの方が面白かったという

              側面もある。

               しかし、日本社会の中でのキリスト教会という異人の世界、キリス

              ト者という90%以上の現代の日本人にとっての異人をどうとらえてい

              くのか、ということを考える上では、網野氏の異人論から見た日本史

              という視点、民俗学の成果を活用した日本中世史は非常に参考になる。

              漂泊する民や宗教者をどのように社会に位置づけていったのかの原型

              がどうも平安末期から鎌倉時代にさかのぼって理解する必要があるの

              ではないか、と思っている。

               確かに建物としての、あるいは舞台装置としての教会は、日本社会に

              徐々に受け入れられて始めている。平安期の信仰を見ていると、貴族

              階級の仏教、平民階級の神道の原型であるツングース的な地霊信仰が

              共存し、それが、破戒坊主や国家の枠組みを外れた仏教信仰者である

              出家の行動と金剛密教・天台密教のいずれもが呪術的なものを含む

              なか、ツングース的な事例信仰とシンクロしつつ、動いているように

              思われる。これで、仏教の大衆化が進む。

               このことを考えながら、日本のキリスト教における祖霊信仰や、

              霊信仰の問題を考えている。この問題と解決をつけない限り、

              日本での伝道は難しいよなぁ、と思う。ケースにあたりながら、

              体系づけていくしかないのか。個別ケースの積み上げの重要性と

              個別ケースの接近の重要性を感じる。


              2009.11.21 Saturday

              「三ツ星獲得閉店牧師」について

              0
                 小さな命を守る会の水谷さんのブログに「三ツ星獲得閉店牧師」

                という記事がある。参照先は以下の通り。

                http://blog.chiisana.org/?eid=1297899

                これを読んで反省してしまった。最近、「三ツ星獲得閉店牧師」

                ではなく、「三ツ星獲得閉店説教者」になりかけていたからである。

                聞き手があって初めて、説教や伝道は意味を持つが、聞き手を無視

                しては、ならないにもかかわらず、かなり個人的な趣味の話を

                しているような気がする。注意喚起も、徐々に、ということもある

                のだが、まだ、若いせいかそのあたりがうまくいかない。

                聞き手の良識に期待する、ということもあるが、しかし、あまり

                ソフトにやりすぎると、主張が伝わらないということもあるので、

                そのあたりが難しい。

                 検討しながら進めていきたい。


                2009.11.24 Tuesday

                日本を見つめ直す

                0
                   ここのところ、日本を見つめなおす作業をしている。

                  何の因果か、日本史の本を読み始めている。日本社会に

                  ついての自分自身の見解を見直すために、自分自身で、

                  整理をするために。

                   日本でキリスト者であるということを考えるために

                  は、何となくわかったような気になっているものを再

                  整理し、現代という断面にうっすら表れている現象を

                  手がかりに、精神世界に分け入っていく作業である。

                  面白いが、後から混じったものが単に重なっている

                  のではなく、一部は癒着し、ねじれ、変質している

                  部分があるので、それをはずして、再構築すること

                  がかなり大変。

                   ある特定訳の日本語訳聖書だけを読んでいると、

                  非常に特殊な解釈が出てくる。そんなことも感じる。

                  自由に物事をとらえ、考えることの大切さを感じる。

                   日本社会の探究を忘れて、キリスト者として伝道

                  するということも考えた。しかし、日本的なるものが、

                  教会の中に入り込み、ということを考えると、まず

                  いかなぁ、と思う反面、それもまた現地化の姿、

                  と理解するべきなのか。

                   メード・イン・ジャパンのキリスト教。これを

                  どう考えるべきか、今、少し悩ましい。



                  2009.11.26 Thursday

                  済州島滞在記(1)

                  0
                     仕事で済州島に行っていた。学会発表をしてきた。2本の連続

                    発表で、1発表あたり、12分なので、発表自体は、内容をかな

                    り詰めないといけなかった。トップでの発表なので、ギャラリ

                    ーが少なく、あまり緊張しなかったのはうれしかった。手元に

                    PCを置いて発表するのが習い性になっているので、スクリーン

                    の文字だけを頼りに発表するのは、結構つらかった。とはいえ、

                    参加者の皆さんもそこそこ、楽しんでもらえたのではないか、

                    と自己満足。


                     発表が終わったあたりから、体が重たくなり、座っているの

                    もつらいくらいになった。たぶん、インフルエンザだと思った。

                    何より、胃が重たいのが気になる。昼食を食べることができな

                    いくらい、食べたらはきそうなくらいだったので、バスに乗っ

                    たら、バスの揺れと荒い運転で吐きそうになるので、早めに会

                    場を出て、タクシーで、島周りをすることにした。(といって

                    も、東回りコースを希望したが、東回りコースは、タクシーの

                    メーターがオーバーするので、駄目、ということで、西回りで

                    済州島の半分を海岸沿いに走ってもらうことにした。)会場と

                    なったホテルに行くとき、バスのあまりに荒い運転で、気分が

                    かなり悪くなってしまった。

                     空港でキャッシングした資金が8000ウォン近く余っていた

                    ので、せっかくだから、それを使い尽くそうと思ったのもある。

                     ホテルを出たあたりは、ミカン畑が続く。海岸べりの温暖な

                    南斜面の気候を使ってのミカンを栽培しているらしい。西へ西

                    へと進む。西の突端の部分では、馬の放牧をしていた。たぶん、

                    アラビア種なので、野生種や体格の小さい東アジア種ではなさ

                    そうだと思った。対馬馬との類似性があるかと思ったのだが。

                     普通の農家や漁師の家の石垣を見ていると、北部九州の飯塚

                    や嘉麻郡あたりの光景そっくりである。網野義彦さんの研究で

                    はないが、北部九州を中心とした海民の歴史的な交流や、大和

                    朝廷との交流(済州島産のアワビなどが朝廷への献上品として

                    献上されている)を見ていると、かなり日本列島との交流の歴

                    史ということを考えざるを得ない。島の南側では、黄色いツワ

                    ブキがあちこちに見られた。

                     嘉麻郡との石組との違いは、のうちに関しては、穴があいて

                    いるところである。おそらく、穴をあけておくことで、風の逃

                    げ道を作ってやり、巻き込みによる風圧を抑えたり、風圧によ

                    る石組の崩壊を防止するためと思う。

                     そういえば、冬場には、低気圧からの吹き出しで済州島の高

                    い山の存在によって、衛星写真で、ジェット渦ができるのが、

                    確認できることがある。

                    http://nels.nii.ac.jp/els/110004028319.pdf?id=ART0006284786&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1259019987&cp=

                     そんなことを済州島をめぐりながら思い出していた。
                    2009.11.28 Saturday

                    済州島滞在記(2)

                    0
                        済州島をさらに西へ進むと、ミカン畑から、やや冷涼な気候でも栽培

                      可能なキャベツ畑が見える。一部では稲作もしている形跡があるが(実際

                      に植わっていた、うるち米かもしれない)、あちこちに点在する漁家は、

                      石垣に包まれるように、石造りの構造となっている。この背の低さは、

                      台風対策や冬場の低気圧による風による気温低下を意識してのものと思う。

                      西に進むと、まったくツワブキが見られなくなった。

                       代わりに、サボテンが栽培されていた。なぜサボテンなのかは、よく

                      わからない。おそらく、農業用水が取れないのだろう。済州島は、火山

                      岩質の土壌で、1mも掘れば、石がごろごろ(実際に道路工事の現場で、

                      1m以上もあるような石がごろごろしているのを見た。ということは、

                      保水力が異常に低く、土壌の乾燥が激しいのであろう。

                       島の北側では、たぶん、キャベツ畑と思われる畑類を見たが、あまり

                      農業をしていないようである。島のあちこちに、釣り鐘型の石組を見た。

                      代表的なのは、家の門の両サイド、港、目立つ場所などに、あちこちに

                      あった。角砂糖を積んだようなマヤのピラミッド状のものもあれば、釣

                      り鐘型のもの、釣り鐘の頂点部に、盆栽上の植物が配されたものなど、

                      いろいろあった。

                       おそらく、海民特有のマレ人信仰が影響していると思う。マレ人のた

                      め、以前訪れたマレ人のため、あるいは墓所なのかもしれないと思う。

                      もうちょっと調査が必要。

                       タクシーで済州島を回りながら、自分としては、歴史学か民俗学がし

                      たかったのかなぁと思う。しかし、大学で歴史学をしていると、ほとん

                      ど飯が食えないし、民俗学に至っては、いまだに傍系の学問体系におか

                      れている、と思う。しかし、宮本常一は、偉大だなぁ、と思った。自分

                      でやったんだもの。

                       今回の済州島で一番面白かったのは、やはり海民文化研究だったと思う。
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