2009.03.08 Sunday

持っている人と持っていない人

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    今回は、持っている人と持っていない人というテーマで話しました。

     今回は、持っている人と持っていない人、というテーマでお話しました。

     

    このことを考えたのは、最近出た本の紹介を見たからです。まだ買ってな

     

    いのですが、こんな本があります。教会を必要としない人への福音という

     

    タイトルの本です。この本の英文のオリジナルのタイトルは、「すべてを持

     

    っている人たちへの福音」というもので、The Gospel for the Person Who

     

    Has Everythingがオリジナルのタイトルです。
     この本のタイトルから思ったことですが、すべてのものをもっていると思っ

     

    ている人は、確かに「神」の必要を認めないかも知れません。

     物質的に豊かであること、肉体的に健康であること、幸せな生活を過ご

     

    している人、充実した毎日を送っている人は、ある面、全てを持った人で、

     

    そういう状況の人は、完全に見える生活といって良いでしょうし、そのよう

     

    な完全に見える生活を送っている人は、確かに、神の存在は必要ないよ

     

    うにみえるとおもいます。

     

     日本や欧米の現代社会は全てを持っている人が少なくない社会といっ

     

    て良いと思います。確かに今は、世界同時不況・失業者があふれ、派遣

     

    社員の解雇の問題もありますが、経済的には、ちょっと前までは非常に

     

    豊かさを教授した社会でもあります。

     また、今は非常に便利になった社会で、外国に行くこともそんなに大変

     

    ではありませんし、いろんな情報が自宅煮ながら手に入るなど、以前では

     

    考えられないほど、便利になりました。そんな環境を享受している人は、

     

    神は必要ないと思い込んでしまうことが多いかもしれません。そして、神

     

    を意識する機会も少ないかも知れません。

     聖書には、イエスや神を必要とした多くの人が多いのですが、しかし、イ

     

    エスや神を必要としなかった人の話もでてきます。このような事例はいくつ

     

    かありますが、今日は、そのお話の一つからお話したいと思います。その

     

    場所は、ルカ12章13-21節です。

     この部分は、遺産分けの問題を出発点とした、たとえ話の部分です。遺

     

    産の分割は昔から重大な問題でもありました。当時のユダヤ人社会の判

     

    断基準は、旧約聖書の出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の記述が

     

    原則ですが、その原則の細分化した文書が律法(タルムード)とよばれる

     

    もので、ラビと呼ばれる祭司や律法学者が裁判というか調停をタルムード

     

    にしたがってしていたのでした。おそらく、ここに出てくる人は、律法学者

     

    による判定に不満だったので、すぐれたラビと思われていたイエスにセカ

     

    ンドオピニオンをもとめ、再判定を依頼したように思います。

     次に、その話を受けて、ある金持ちの例え話がでてきます。このお話に

     

    出てくる裕福な金持ちは、経済的に豊かさ(16節)を享受している人であ

     

    り、全てを持っている人の姿(19節)でもあります。このひとは、安心して

     

    生きているひとだったようです。丁度、現代の豊かな人のうち、神を必要

     

    としない人間の姿もあらわしていると思います。

     この人に対して、神から突きつけられた質問は『おまえが用意した物は、

     

    いったいだれのものになるのか。』という質問でした。命を失うとしたら、物

     

    質的なものと分離させられてしまうのは、当たり前のことです。

     物質世界だけであれば、それ死亡したら終わりでしょう。そうであるなら

     

    ば死を恐れる必要はないことになりますし、現代哲学の一つの立場でもあ

     

    ります。しかし、直感的に物質世界に還元しきれないことを知っているので

     

    はないでしょうか。例えば、美術・芸術・音楽は、物質で説明できる部分と

     

    できない部分があります。また、非物質的部分があることは、私達も日常

     

    の中で感じられると思います。科学時代の限界があると思います。もとも

     

    と、科学は神学の侍女であったのですが、科学が飛び跳ねた結果、測定

     

    可能性の限界を超えて、測定しようとしているけれども、全ては測定でき

     

    ないことも確かです。

     イエスのポイントは、「いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にある

     

    のではないからです。」(15節)です。ここで言っているいのちとは、非物質

     

    的ないのちのことです。私達が、なんとなく死後に存在すると漠然と意識し

     

    ているいのちです。豊作の畑を持った金持ちは神を意識しなかった人です。

     

    その意味で、「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとお

     

    りです。」(21節)ポイントは、金持ちであることが悪ではないですが、貪欲

     

    は悪(15節)といっているようにおもいます。


     人間には、「不足・欠乏」があるからどうしても貪欲になりがちです。自分

     

    の欠乏を知っているからこそ、他のいろんなもの、例えば、アルコール、薬

     

    物、ギャンブル、さまざまなもので満たそうとするのです。聖書の言う「不足・

     

    欠乏」とは、神との関係の欠乏です。

     人間には、この神との関係の欠乏がある結果、人間はどうしても貪欲にな

     

    りが地になるのだろうと思います。

     ところで、この貧しさは回復可能なのでしょうか?


     聖書は、神との関係の欠乏は回復可能といっています。例えば、「心の貧

     

    しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5章3節)

     

    といっています。古い聖書の翻訳では、「幸福(さいはひ)なるかな、心(ここ

     

    ろ)の貧(まづ)しき者(もの)。天國はその人(ひと)のものなり。」と翻訳して

     

    いますが、オリジナルの聖書の雰囲気はこの翻訳がぴったりだと思います。

     

    私達に、神との関係の欠乏があることの認識さえあれば、その神との関係

     

    (天の御国・天国)の回復が可能であることを示しています。他にも、「求め

     

    なさい。そうすれば与えられます。たたきなさい、そうすれば開かれます。」

     

    という表現があります。その意味で、神は、私たちのありようと関係なく私達

     

    に関係を与えようとしておられます。

     さて、皆さんは、神との関係を求めておられるでしょうか?

     神との関係の重要性を伝えるためにイエスは、この地上に何もよいことも

     

    求めることなくこの地上に存在した人物です。このイエスについて、皆さんは

     

    どう思われますか?この人のことを歌った歌がありますので、最後に、その

     

    歌をご一緒に賛美したいと思います。お若い方のために、現代語訳をつけて

     

    あります。

     

    まぶねのなかに うぶごえあげ
    木工(たくみ)の家に人となりて
    貧しきうれい 生くるなやみ
    つぶさになめし この人を見よ

     

    食するひまも うちわすれて
    しいたげられし ひとをたずね
    友なきものの 友となりて
    こころくだきし この人を見よ

     

    すべてのものを あたえしすえ
    死のほかなにも むくいられで
    十字架のうえに あげられつつ
    敵をゆるしし この人を見よ

     

    この人を見よ この人にぞ
    こよなき愛は あらわれたる
    この人を見よ この人こそ
    人となりたる 活ける神なれ

     

     

    (((((現代語訳))))

    えさばこのなかで、うまれてすぐおかれて
    大工さんのおうちに生れて、人として生きて
    貧しいことによる悲しさ、生きることのつらさ
    しっかりとあじわった この人を見てください

     

     

    食事の時間も忘れて
    世間から相手にされない人と会ったり
    友達のいない人の友達となったりする
    心遣いをした、この人を見てください

     

     

    全部のものを与えたあと
    死ぬこと以外何もなく
    十字架の上で殺されながらも
    敵を許したこの人の姿を見てください

     

    この人を見てください。この人の中にこそ
    限りない愛が、表現されているのです
    この人を見てください。この人の中にこそ
    人となった、現在も生きている神を見るこ

    とができるのです。

     

     

    2009.04.19 Sunday

    詩篇に見る神・人・教会

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      今回は、詩篇87篇から詩篇に見る神・人・教会というテーマでお話しました。

       

       詩篇の研究にあたっての前提として、私個人としには、聖書の中で、一番研究

       

      しにくい書物であることをお話しました。聖書のなかで、私があまり公に取り上げ

       

      たくないのは、詩篇・哀歌・雅歌・箴言です。

       

       もちろん、詩篇を読まないわけではないのですが、今一つ取り上げにくい理由は、

       

      感性に訴えかけることが詩篇には多いからです。本日の予定としては、詩篇を通し

       

      て、神と人との関係についての問題提起となるような素材の提供ができればとお

       

      もいます。今回は、皆さんに考えていただくための糸口、または素材の提供にとど

       

      めたいと思います。


       

       そして、最後の15分くらいを、理解を深めるためのディスカッションにしたいとおも

       

      います。自由に思いついたことを発言してください。そして、考えを広げていただける

       

      とうれしいのですが。


       

       詩篇の解説に入る前に、本日の私のスタンスをお話します。詩篇全体の解説的な

       

      学びはしません。旧約聖書の中での位置づけもありますが、それよりも、聖書の


       

      中から特定の詩篇を読み解いていくことの探検をしてみたい。5部からなっているの

       

      は、モーセ5書とパラレルとなっています。詩篇における構造論もあります。


       

       ヘブル語で読むと見えてくる構造論もあり、一種言葉遊びみたいな詩篇もあります

       

      が)もしません。構造を通して、示そうとする神のメッセージの調和性などの議論はあ

       

      りますが、それはしません。


       その種の研究のためには、註解書をご覧くださるとうれしいです。最近は、ウェブで

       

      もいくつか解説されているサイトもありますので、それもごらんいただければ、と思いま

       

      す。

       

       今日のお話、その前にお話しておきたいことがあります。旧約と新約はつながって

       

      いるようです。イエスは旧約についての複数の言及があり、詩篇と関係の深い部分


       

      もあります。

       

       使徒たちの旧約についての言及・引用もかなりあり、使徒たちの時代、聖書といえば

       

      旧約聖書でした。そして使徒たちは、ユダヤ人会堂に入っていって伝道していったこと

       

      は忘れるべきではないでしょう。

       

       ところでイエスが言ったことは、何だったでしょう?イエスが言ったこと、イエスが当時

       

      の人々に伝えようとしたことは何だったでしょうか?神の愛でしょうか?人々の間の平

       

      和でしょうか?イスラエルの回復でしょうか?イエスが伝えようとしたことを一言で言う

       

      と?と参加者の方にお聞きしたところ、福音とか、神の愛とか言う意見が出ました。


       

       それもそうですが、イエスの主張は、神の国(天の御国、神の御国・御国、神の王

       

      国)がその中心です。このことは重要だと思います。「国」という「例え、象徴」は重要

       

      だとおもいます。この当時は、王政、または帝政が一般的な国家のスタイルでした。


      今は民主主義・国民主権が一般的な国家意識ですが、これは、この200年くらいの

       

      出来事でしかなく、国といえば、王国または帝国が基本的なイメージです。

       

       詩篇の中に見る神の国について、詩篇87篇の中から考えたいと思います。詩篇87

       

      篇に見る「神の国」ですが、王国では、主権は一つで、それは王にあります。


       

       権威者(王)は、国民を保護する義務を持ちます。国民は、国家の一部を形成し、

       

      保護の代わりにその代償としての軍役ないしは税金の負担が求められることに


       

      なります。

       

       神の国という象徴の面白さをかんがえてみると、国家は、王と国民一人だけでは成

       

      立しないのです。複数の人々からなる国民の存在が前提となっているわけです。


      国家は、国民を幅広く覆う存在ですが、保護者としての国家・共通したサービスを提供

       

      する存在なわけです。神という主権者が必要、神と自分以外の他者が必要ですが、

       

      コイノニアとしての神の国ということ、つまりキリスト者にあってひとつであるということ

       

      と神の国ということを考えることは面白いかもしれません。

       

       詩篇87篇の中の神の国をみてみると、聖なる山に基を置かれるということは、聖なる

       

      山が鍵になるということを意味します。神の存在する場所としての聖なる山としてのシオ

       

      ンがあり、それは、現在のエルサレムと考えることができます。

       

       ヤコブのすべての住まいにまさってという表現は面白いです。ヤコブのすべての住ま

       

      い(イスラエル人の国)ということですが、住まいというのは、もともと、ヤコブのテントと

       

      いう意味です。

       

       詩篇87篇の中の神の国として、門を愛される、という表現があります。この表現はちょ

       

      っと変だと、私は思います。門を、普通の人は愛さないですよねぇ。この愛されるという

       

      のは、もとのヘブル語を見ると、やはり、愛するとか好むとかいう表現です。どういう意味


      かとかんがえてみたのですが、大切にされると理解することができるのではないでしょう

       

      か。なぜ、愛されるのか、その理由を考えてみると、それは、シオンへの入り口だからか

       

      も知れません。もともとのヘブル語で詳細に検討すると、複数の門という意味として書か


       

      れています。この辺も何か考えることができるかも知れません。

       

       4節に見る神の国の姿として、ラハブとバビロンという語がありますが、ラハブとは、偉

       

      大なるもの、力強さから来た語ですが、エジプトの異称とされています。バビロンは、よく

       

      ご存知のように、イスラエル人を捕囚した国家です。両者ともイスラエルに害悪をもたし


      たものですが、それが、私を知っているものと表現されていることは、非常に面白いと思

       

      います。


       

       神の国は、神を知る(個人的・人格的に深い関係にある)ことと深い関連にあります。そ

       

      れに関しては、J.I.パッカーの「神について」(Knowing God)が非常に参考になります。

       

       4節に見る神の国の姿のもうひとつで、ペリシテとツロ・クシュがあげられていますが、ペ

       

      リシテとは、パレスティナ人のご先祖でゴリアテがおりました。また、ペリシテは、フェニ

       

      キア人であり、海上の商人でもありました。ツロは、フェニキア人の港町・レバノン杉の輸

       

      出港だったですし、クシュはエチオピアのことで、当時の金の大産地です。ペリシテとツ

       

      ロ・クシュはイスラエルの経済的な競争相手でもあったわけです。その関係がまずい相手

       

      に、(神によって)生まれた、という表現がされています。


       

       これは、血のつながりのイメージで、血のつながりは正統性・相続の正統性・正当な相

       

      続の権利を有する存在です。同一の家系をなすことの重要性は現代の日本人以上のも

       

      のがあったと思います。一種の運命共同体的存在があり、アブラハムとロトを見れば、わ

       

      かりますが、彼らは地縁、血縁でつながっていたわけです。そのことを踏まえて考えてみ

       

      たときに、ここで生まれた、という表現の持つ意味というのは非常に重要だと思います。

       

      それは、同一の社会をなす存在だからです。


       イスラエル人にとって見れば、ラハブ・バビロン・ペリシテ・ツロは異邦の民ですが、それ

       

      が生まれた、私を知っていると表現されていることは、異邦の民への救いの預言を示すも

       

      のと思います。

       

       5節には、神の国とその主権者について、誰もかれもがここで生まれた、と書かれてい

       

      ますが、こことはおそらくシオンのことで、であるとすれば、神にあって新しく生まれたもの

       

      は、シオンの正当な所属・民としての存在でもあるわけです。これは、キリストの体として

       

      の教会の姿でもあると思います。ところで、シオンでイエスが十字架上で死ぬことで、我々

       

      キリスト者は生まれたわけです。「いと高き方ご自身が」とかかれていることにも注目した

       

      いと思います。なぜなら、こうかかれていることで、神の国を建てるのは神の主権に属


       

      することで、人に属することではないからです。

       

       6節には、神によって所有される民としての表現が出てきます。民を登録するという表現

       

      が出てきますが、これは、国民としての正当性を持つ存在としての認定と深い関係にあり、

       

      神との関係にある保証があることと深く関係しています。参考として、神の子供としての特

       

      権がヨハネ1章12節に出てきます。


       この民はここで生まれたということも重要だと思います。キリスト者は、イエスによって生ま

       

      れた、神の子供として生まれたのであり、イエスが十字架上で死んだことを通して与えられ

       

      た新しい天の国、シオンが正当な所属地であることを考えることができます。ヨシュア記には、

       

      所属地と部族との対応が出てきますが、そのこととの対応を考えるとき、神に登録されること


      は、神の民としての地位を考えることができると思います。

       

       7節には神の国の姿として、踊りながら歌うという表現が出てきますが、神の国の賛美の

       

      在り方・天国での状態を現していると思います。日本人の一部は天国を静かな状態と考え

       

      がちですが、どうも、天国は静かな状態ではないようです。賛美があふれ、喜びに満ちて


       

      いる場所のようです。泉は、ことごとくあなたにあると書いてありますが、泉はこの書物が

       

      書かれた、砂漠では、生命の源泉でもあり、砂漠の地では極めて重要なものです。

       

      というようなことを議論の頭出しだけして、他の聖書との関係についての言及は参加者の

       

      方にお任せしました。しかし、考えたこと、思ったことをしゃべらない、ということをしたので

       

      すが、これは、厳しかったですね。しゃべりたいのをぐっと我慢して、皆さんのお考えを


      お出しいただくこと、というのはかなりつらかったです。

      2010.05.16 Sunday

      ともにいるということ

      0
         
        私たちは、さまざまな生き方ができますし、多くの人はさまざまな

        生き方をしておられます。ただ、人は人とつながっている、あるいは

        何かの時に他人の世話になることが必要な状況がありますし、

        人間には、他人を確実に必要とする場所があります。たとえ、孤独

        な生き方をしている人でもです。

        まず、そのことのイメージを理解してもらうために、「28Days」と

        いう映画の1シーン(シーン26の依存症の女性とその姉との対話のシ

        ーン)を見てもらってからお話を進めたいと思います。

         (ここで、そのワンシーンを見てもらいました。)

        この映画は、アルコール中毒の女性の回復をテーマにしたものですが、

        主役のグウェンまたはグウェニーと呼ばれている女性(サンドラ・ブ

        ロック)とその姉との対話のシーンです。彼女たちのお母さんもアル

        コール依存症で、その影響を受けたグウェンは、子供時代にお姉さん

        から離れて一人歩いていた、という対話がありましたが、私たちの

        ある人たちの生き方は、そういう生き方かもしれません。しかし、

        映画の中で、そんな独立心の強いグウェンに対して、姉は、「あなた

        も誰かに世話してもらうことが必要だったのに、私はそれを提供で

        きなかった」と言っています。たとえ、私たちは、強がって一人で生

        きていても、完全に一人で生きていけない、ということを示している

        ように思います。

        それでは、今日のテーマの関連する聖書の場所を見てみましょう。

        ヨハネ10章11節です。「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊の

        ためにいのちを捨てます。とイエスは言っていますが、羊飼いは、

        羊と一緒にいる事が重要なわけで、羊と一緒にいない羊飼いはおかし

        いですよね。9時5時のサラリーマン羊飼いというのは、当時はあり

        得ないわけです。

         また、羊自体は、近視なので、周辺の状況が見えなかったり、

        どのような場所に草があるのか、といった事はなかなか自分で

        認識できませんし、水がどこにあるのかすらも認識できないため、

        羊飼いが連れていく必要があるわけです。そのような意味で、

        人間にとっては、誰か世話してくれる人が必要なのだ、

        ということをイエスは私たちにいっているように思います。

        さらに、ヨハネ5章40節では、

        それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもと

        に来ようとはしません。

        とイエスは言っています。イエスは世話をするために、永遠の

        いのちを得るための世話をするために、私たちの周りにいるの

        ですが、人間の側で、神のもとにいかない、ということを指摘

        しているように思います。すでに永遠のいのちは神が与えようと

        していてくださっているのですが、そのすでに与えられようと

        している永遠のいのちを人間の側が取りに来ていないのではな

        いか、ということを問題提起しているように思うのです。

        さらにイエスは、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはし

        ません。
        」(ヨハネ14章18節)と言っています。イエスの

        ところに行ったばあい、一人で孤独に生きるのではなく、イエ

        スが私たちを捨てない、ということを主張しておられます。

        最後になりますが、同じような表現がへブル13章5節にあり

        ます。

        主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを

        離れず、また、あなたを捨てない。』

         このように、神のもとに行くとき、羊飼いのように私たちと

        共におられる神ご自身は、私たちと共に、私たちの状況とは

        関係なく共にいてくださることを見る事が出来るのです。

        神は、いま私たちのそばにおられます。私たちが貧しいか、

        悲しんでいるか、喜んでいるか、豊かであるかに関係なく、

        そばにいてくださるのです。ぜひ、皆さんが一人で生きる

        のではなく、私たちのそばにおられる神にお気づきになり、

        神と共に生きる、という生活をお勧めいたします。イエスは

        ヨハネ5章40節でみる事が出来るように、皆さんが、イエス

        のところに来られるのを待っておられるように思います。

         ぜひ、イエスと共に生き、孤独な生活ではなく、神と共に

        生きる生活をされることをお勧めいたします。


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