2017.06.28 Wednesday

2017年の京都ユダヤ学会に行ってきた 午前中篇

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    今日は、先週末、京都ユダヤ学会に一般参加者として参加して、お話を聞いてきたことをご紹介してみたい。今回は午前中の部である。午前中の部は、基本的に、研究途上にある研究の中間報告を主に大学院生の方などが発表する場であった。

     

     以下の記述は、当日ミーちゃんはーちゃんがライブで行われている学会報告だけをもとに記録したものであり、誤りは著者にあるというよりは、ミーちゃんはーちゃんにあることをご理解いただきたい。

     

    ベルクソンとアインシュタインの

    時間に関する対論について
    第1番目の研究発表は、「ベルクソンとアインシュタイン ―哲学者と物理学者、世紀の論争を読み直す―」と題された、京都大学博士課程の吉野斉志さんという方のご発表であった。要するに相対性理論が出されたあと、光速に限りなく近い速度で移動したときに、時間短縮効果が起きた場面での時間意識をどう考えるか、浦島太郎効果をどう哲学者としてのベルクソンが理解しようとしたのか、というあたりの論文であった。このあたり、時空間の表現を扱っている仕事をしているので、ある面面白かった。


    哲学者であるベルクソがとアインシュタインである物理学者の相対性理論をどう哲学者として理解するかの問題を扱っていた。このあたりのことは、これまで、ベルクソンが相対性理論を理解する上の前提として、ベルクソンの誤解であったのではないか、という処理が研究者の間では、なされてきたのだが、実はベルクソンが時間を理解する上の前提の役割が大きい。


    ベルクソンは、ある人物の相対性理論についての講演から関心を持ったベルクソンなのだが、それで議論されている時間が、ある種人間世界にとって外部性を持った時間であり、人間本来が持つ実在的時間の問題を無視しているのではないか、というのがベルクソンの主張であった。これに関して、アレニウスという学者は、相対性理論は、物理学よりも時間の認識にかかわることの問題として取り上げている。

     

    時間とは何か
    人間にとって、ある外部性や客観性を持った時間で、すべての宇宙や世界が支配されているのか、それが、人間が認識できる時間概念とどう違うのか、ということを思考実験してということを考えている。その意味でベルクソンの時間理解に関する議論がよく現れたのが、哲学者ベルクソンと、物理学者アインシュタインとの対話である。

     

    時間の非対称性と浦島太郎パラドックス
    仮に人が高速に近い速度で移動できるとして、光速に近いスピードで移動した人が直面する人の認識できる時間と地上にいて客観的に見ているとされる人の間の時間に差が生まれるという浦島太郎のパラドックスをどう考えるのか、という問題について、思考実験を通して哲学の問題として考えたのがベルクソンであり、その哲学的思惟の議論の形成過程をおった論文である。
    Q&Aでは、時間の実在性についての質疑応答なども行われたが、ベルクソンは、基本的に時間認識が人間においてなされる以上、人間の認識と無関係な時間概念は想定していないようだ、と言った応答がなされた。

     

    感想
    この報告の直前に、信仰の問題と時間の問題を扱った、『「ヨハネの福音書」と「夕凪の街・桜の国」』というキリスト教のヨハネ福音書と旧約聖書の関連の理解をどうするのか問題を提起した議論の中で、ヘブライ的な時間をどう理解するのか問題をちらっと、斜めの方向から突っ込もうとした書籍を読んでいたので、この問題は案外面白い問題なのだろうと思っていたところにこの論文だったので、個人的には非常に知的好奇心を掻き立てられた論考ではあったが、いかんせん、まだ、発表者がお若いということもあり、ベルクソン理解の整理をするのがやっと(若いときは知識の蓄積がないのでそんなものである。自らを省みても)、という感じで、ユダヤ思想の流れのなかで、取る理由、ヘブライ語聖書テキストの中での時間理解をどう考えるか辺りのこととの関連がなかったのは残念であるが、それをベルクソン研究をしている大学院生に求めることは過酷と言わざるをえないのではあるが、今後の研究の発展を考える上においては、背景としてみていおいてほしいものであるなぁ、とはこの分野の素人として思った。

     

     

     

    また、時間に関しては、時刻と時間の厳密な区別が日本語の日常語で話されておらないなぁ、というあたりのことを思い出した。このあたり、時間駆動形のシミュレーション理論に基づくシミュレータを教えたこともあるので、結構厳密に考える習慣がついているので、そんなことも感想としてもった。

     

    レヴィナスの対話とことばの贈与と関係性

    午前の第二論文は、「レヴィナス『全体性と無限』における「顔の彼方」のエロス論」と題する講演で、これまた、中央大学博士後期課程の大学院生の高野浩之さんのご発表であった。ひとまとめにして言うと、相対関係が問題になる恋愛や性愛の関係と、第3者が存在し、ある種公共圏を形成する世界での対話関係、発話関係における人間のコミュニケーションの違いを捉えようということであり、愛の関係性をどう考えるのか問題を扱った論考であった。つまり、顔を鍵概念にしながら、レヴィナスの理解を手繰る中で、相対関係に固有のエロティックな関係をどう考えるか問題である。

     

    レヴィナスの言語行為における公共性の際の議論
    レヴィナスは、人の顔が見られるという行為、人々が見る中での対話のという行為の中にも、一種の公共性があること、さらに、対話という行為における発言は、相手に対する言葉の贈与という側面があり、そのあたりをどう考えるのか、ということに対して論考した論文であった。

     

     より具体的には、レヴィナスのエロス分析の特徴は、エロスに、ある種の融合と分離が同時に生起していることについて論じており、エロス的関係には、第三者が介入する余地のない非公共的なものであるという特徴があること、そして、エロス的関係において、エロス的関係性における他者は、公共圏にある場合の他者性においてもつ、倫理的な顔とは異なり、所有物の贈与を迫ることはないという特徴があるということを主張している、という論考の提示があった。

     

    Q&Aから

    レヴィナスの死の問題との関係は考えてないのか、と言ったテーマや、心理学との関わりとか、レオ・ベックの言い表せぬ個体についてとの関わりとかに関する質問があったが、今後の検討課題とのことであった。また、意思を持たない美しいとされる存在(花とか風景)との間のコミュニケーション論的関係の存在などの対話も少しあったように思う。


    ある面、大学院生らしい質疑応答であったとは思う。

     

    感想
    この問題は、聖書に示された神と人間とのコミュニケーションを考える上で、有賀鉄太郎先生が『キリスト教思想における存在論の問題』の中で、カハル構造と呼ぶもの(呼びかけてそれに応じる人間としての信仰形態がキリスト教の世界にあるということ)との関わりで考えると面白いだろうなぁ、と思った。また、現代のキリスト教プロテスタント派の信仰が、どちらかと言えば「神と私」という世界に陥りがちで、信仰理解の公共性の側面を失っていく中で、いかに公共と関わっていくのか、ということを失ってしまっていて、レヴィナス流の言い方をすれば、神とのエロティックな関係性だけを求めていく結果として、現代の教会の公共性を失っているというような分析なんかにもこのレヴィナスの主張は、ある種援用可能かもしれないと、妄想してしまったのである。 

    なお、『キリスト教思想における存在論の問題』は長らく絶版であり、入手困難であったが、このたび、ミーちゃんはーちゃんのお若いご友人の獅子奮迅のご尽力により、電子書籍として、近日中に復刊するらしい。実にめでたい。確かに、時代性を感じるところもあるが、同書は、名著であるので、ぜひとも、電子書籍版をお買い上げされることをおすすめする。

     

    上海のユダヤ人ゲットーの存在とその絶滅計画をめぐる論考

    午前中最後のご報告は、東京理科大学菅野賢治さんという方が、「日本軍政下の上海にユダヤ絶滅計画は存在したか?」ということについてのインタビュー調査を含め、丹念に調査され、その実情を明らかにしようとしたような研究の中間報告がなされた。これは、非常に興味深かった。

     

    上海居住地のユダヤ人と日本人の関係の歴史研究

    上海居留地にいたユダヤ人を救った人物として、海外のユダヤ人の中ではめちゃくちゃ有名な柴田貢という人物が実際にどのような行為を戦争中の上海居留地で行ったのか、ということをクロニカルに明らかにしようとした研究であり、非常に印象深かった。この分野では杉原千畝氏が有名であるが、それに近い扱いを受けている、上海駐在の海軍吏員であるものの、一種手の利敵行為の疑念をかけられ、戦時中冷や飯を食わされた柴田貢という人物に光を当てた研究であった。

     

    これまでの日本とユダヤ人との関係に関する研究では、いろいろな関連資料が少ないので、この人物の関与について、伝承にすぎないとするか、あるいは完全に無視して、逸話には触れないまま終わっている。また、上海の昭和17年のユダヤ人絶滅計画に関する資料がないため、日本の現代史は答えてこなかった事件である。西側の歴史では、日本陸軍の731部隊の議論はなされるものの、同じようなことをしたナチスドイツの人体実験を触れないなど、一種のバイアスがあり、それを日本の現代史はある種無批判に受け止めてきた部分があるようなきがする。(個人的感想 だからといって日本軍による人体実験が正当化されるとは思えないが。)

     

    柴田貢という人物の名前が、上海のユダヤ人社会の救出をした人物として、かなり、海外では史実として自由に流布されている現実がある。本論考ではそれをかなり丁寧に追った論考が1940年代から、時代と史実を追って蓄積した経緯が紹介された。

     

    上海のユダヤ人絶滅計画はあったのか

    確かに、ユダヤ人を廃船に乗せて、それを攻撃することで、絶滅を図るようなナチス的な絶滅計画が上海であったかどうかであるが、そのような話はなかったわけではなさそうではあるが、組織だったものではなかったようである。また、マイジンガーというナチスドイツの将校を介してもたらされたとされる確固たる計画が存在したとはいえないように思われる。マイジンガーが、ドイツ本国から何らかの権限を持って、日本当局に何らかのことを言う立場になかったのではないかと思われる。ナチスドイツ内部で、素行の悪さから、オットーからも煙たがられ、着任時期に起きていたゾルゲ事件で立場が悪くなっていた人物である。


    このマイジンガーという人物については、妻、カテリーネの英米側の調書が近年公開されたかたちで、残っており、その長所を見る限り、マイジンガーとナチス・ドイツについての怒りが描かれているものの、ユダヤ住民の監視について言及はないあたりのことを考えると、マイジンガーの存在が、柴田事件については関係していない。

     

    丹念で良質な研究

     丹念な関係者、家族への聞き取り調査により、柴田が何か組織的に事を起こしたというよりは、早く逃げた方がいい、という忠告が真相に近いのではないか、ということをおはなしされた。その意味で、ナチス高官の上海に関する日本政府への助言などをユダヤ人にひそかに告げたということではなさそうで、漠然と感じる危機感をユダヤ人コミュニティ関係者にやんわりと伝えたのが実情ではなかろうか、というあたりのことが話された。その背景は、ユダヤ大掃除論にちかい議論をした久保田謹という当時上海の外交筋にいた人物の発言を聞いて、柴田が、それをユダヤ人コミュニティに伝えたのが実情に近いだろう。

     

     

    Q&Aから 

    当時の上海のユダヤ人からは、上海は楽園であったが、というコメントに対して、たしかに上海ではユダヤ人ゲットーがあったりはしたし、その意味で、日本のアウシュビッツ(上海)は存在したが、ヨーロッパのアウシュビッツの過酷さと比較すれば、まさに楽園に近いものであったであろう、という応答がなされた。

     

    また、当時の反ユダヤ主義に傾倒した日本人の理解はどうだったのだろうか、という質問に対して、犬塚大佐という海軍軍人の存在がある面鍵で、反日的サスーン財閥といったユダヤ財閥の資産の接収などを含む監視と管理などの側面があり、それと同時に、ユダヤ系財閥の中でも、カドゥーリ家のような親日的なユダヤ人は歓迎していた側面が見られる。ただし、当時の反米思想と表裏一体だったことが強いであろう。とは言え、同盟国側であった共産主義に対抗したはずの反共思想のユダヤ人も敵視する、という複雑な構造を持っているように思われる、というお善知鳥がなされた。

     

    ドイツには絶滅計画があったことは間違いがないことであるとして、それが日本でどう変容したのだろうか、という質問に対しては、ドイツの政府レベルで上海ユダヤ人に対して日本に何とかしてほしい、というような政策提言はなかったのではないかと思われるが、そのあたりは今後重要になるかもしれない、という応答があった。


    最期のコメントとして、文書記録だけで実定的に決めるというのは、どうなのだろうか。その有効性があるのだろうか、というコメントに関しては、ドイツ本国における日本政府への働きかけに関する公式の記録はないようである。おそらく、上海のユダヤ人が上海での生活をしていることを、怪しからんとマイジンガーが漠然とした不満として、述べていたことは、確認ができている、との応答があった。

     

     これらの質問全体に受けるかたちで、発表者からは、ある面、日本の政府の反ユダヤ主義はブレーキがかかっていたようである。ドイツのような徹底した反ユダヤ政策を当時の日本政府としてはとらないという立場であると考えられるだろう。総体としては、新ナチスドイツの観点から、反ユダヤ的ではあったが、一定のブレーキがかかっていた状態であるといえるだろう。軍のどこが反ユダヤ敵対度をもっていたかというと、かなり組織として複雑でもあり、実態としては、よくわからない、というのが実情であろうとのコメントがあった。

     

     

    IMG_20170624_105943.jpg を表示しています

    最後のご発表の写真

     

     

    感想

    まぁ、哲学的考察は哲学的考察で面白いのだが(だいたいそういうのが嫌いではない)、そもそも、オリジナルを読んでいないものには、その趣がどの程度議論されているのかは図り難いところがあるのだが、歴史的な事実を提示されて考える、哲学的反省を行うことは、誰にも許されていることではあるので、その意味でのこの発表が一番とっつきやすかったとは思っている。

     

    上海にユダヤ人ゲットーや満州に当時のソビェト連邦共和国経由で逃れてきたロシア系ユダヤ人コミュニティがあったのは、関係情報筋からご教示いただいたこともあり、多少は知っていたので、太平洋戦争中の日本は、それほど反ユダヤ的ではなかったことを認識していたのであるが、どうも、当時の日本人のヨーロッパに対する見え方が反映されていたのかもしれないが、反ユダヤ的なものと親ユダヤ的なもの(それが、今でも時々炎上する日ユ同祖論なんかと関わりがあるので、個人的には困るのだが)が、ない混ぜになっていることもあり、それだけに非常に複雑なのかもしれない、と思っていた。今後、アメリカから輸入されるかたちで、柴田貢という人物が日本にもたらされてくる可能性は高いので、この人物に対する日本での研究は、ご発表者のおっしゃるとおり、急がねばならないのかもしれない。ご研究の成果である著書も出版されるということでもあるので、それを楽しみに待ちたいものだ、と思った。

     

     

    次回は午後の前半についてご紹介予定である。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    評価:
    有賀 鉄太郎
    創文社
    ---
    (1969)
    コメント:めっちゃ良かった。電子書籍版が近々出る模様。

    2017.07.01 Saturday

    2017年の京都ユダヤ学会に行ってきた 午後シンポジウム前半篇

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      今日も、引き続き、2017年6月24日午後に同志社大学 烏丸キャンパスで開催された京都ユダヤ思想学会のシンポジウムの内容からご紹介してみたい。

       

      シンポジウムの企画意図のご説明
      まず、今回のシンポジウム「宗教改革から500年、ルネッサンスと人文主義」の企画意図を、同志社大学の伊藤玄吾さんがお話になられた。この宗教改革は、ヨーロッパの政治文化に大きな影響をあたえ、そして、東アジアなどの非西洋世界にも影響を与えたものである。とはいえ、その宗教改革の結果作られてきた国家というもののの在り方が、現在、変化を迫られていることもあり、知の世界として、宗教改革をもう一度問い直してみるという作業をしてみたい。

       

       この中で、重要なのは、ヨーロッパ社会の内部に、あえてとどまったユダヤ人、という視点ではないだろうか。ある意味で、ヨーロッパの中の非ヨーロッパという存在としてユダヤの存在がある。我々は、宗教改革といえば、ヨーロッパ的キリスト教でおきたこととして、すぐ想起するけれども、その概念の再検討に迫る必要はないだろうか。宗教改革といえば西洋思想史、西欧キリスト教史において建てられた問題を再検討し、考える必要はあるだろう。西洋型の中世とは違う、欧州におけるユダヤ社会との違いを認めた上で、これまで語られてきた、西欧思想史とは別のかたちでの宗教改革についての定式化が必要であると言えるのではないだろうか。

       

      宗教改革が目指したものは、テクストをきちんと読み直すということであり、そして、それは、聖書以外のヘブライ文献への関心へ、とつながっており、そして、その中で、ヨーロッパ社会の内部に、キリスト教ヨーロッパに関心を持ったユダヤ人たちがいたのである。とは言え、この時期に、ユダヤ人に対するある種のバイアスがこの時期に生まれて、その偏見が、現在までも影響しているのではないかだろうか、と思われる。このあたりのことを5人のパネリストからのお話で明らかにして、そして、他分野からの発表に影響を受け、あたらしい理解につながるようなシナジー効果が生まれることが期待される。

       

      以上のような、この企画のご説明があったあと、休憩前に3人の方の30分前後のご発表があった。

       

      イベリア半島のユダヤ人 

      まず、出発点として、「中近世イベリア半島におけるユダヤ人(マラーノ)の移動」と題して、流通経済大学の関哲之さんがお話になられた。

       

      関さんは、思想史の専門家ではないことをお話しになられた上で、ムスリム支配後のスペインやポルトガルがレコンキスタでキリスト教化される中でのユダヤ人に対する視線についてお話しになられた。このイベリア半島のユダヤ人に対しては、スペインのキリスト教徒の人々は、いつかキリスト教に改宗するだろうと思っていたようであり、ある種、潜在的なキリスト教関係者だと思っていたようである。

       

      しかし、ペストが発生し、100年戦争が起き、ダラダラと戦争が続く中でユダヤ人像が歪んでくる。そして、イスラム世界のスルタンと同盟を結んでいることを指摘する声が上がり、また、悪魔と手を結んでいると言った物言いがされるなど、次第に、ペシミスティックなユダヤ人への見方がなされていくことになる。

       

      セビリアの反ユダヤ運動の中で、全ユダヤへの反感が広がり、イベリア半島南部の運動が、北部にまで広がっていった側面がある。ビゼンテ・フェレールという人物は、もともと反イスラム運動の関係者であったが、それが後には、反ユダヤ運動へとつながっていく。また、そのような状況の中、有力ユダヤ人を中心としたキリスト教への改宗がおき、社会の中での一定の階梯以上の人々がカトリックに改宗していくことになる。その中での問題は、ユダヤ人の改宗の純粋性の保証が問題になり、4世代に戻って、異国人の血が混じっていないことが問題にされた「血の純潔運動」と呼ばれることが起きた(ミハ氏的コメント ユダヤ社会では、母系が3代連続でユダヤ人であることを求められる。このユダヤ人が、中東通商ビジネスの関係で、割とユダヤ人と付き合いの深かった人びとが多いベネツィア、当時の出版拠点でもあったベネツィアに漂着することで、イタリアルネッサンスとその時期にヘブライ聖書とその読み方がキリスト教に伝わることを考えると、非常に印象的。このあたりが次のご発表とかなり関連してくる)


      この問題に当たったのが、異端審問所であり、後の魔女裁判のころのものとは性質がかなり異なるのであり、この時期の異端審問所は、コンベルソ(改宗ユダヤ人)のキリスト教への同化を確認するという側面がある。異端審問といえば、苛烈に火刑という残虐な刑罰を行ったイメージがあるが、会衆ユダヤ人をとらえて、火刑に処したのは、350年で2000人程度であろうと言われている。

       

      スペインのコンベルソの大半はカトリックに同化していった。それは、スペイン社会からの追放というかたちで脅しをかけ、それにより、真の改宗に導こうとした、その結果、ポルトガルやオスマン帝国に逃げ出したユダヤ人も多かった。なお、ポルトガルでは、強制的な改宗政策がとられ、マラーノの比率が高い。スペインのユダヤ人のなかでは、20万人くらいがコンベルソ、マラーノとなった。

       

      その中の有名な人物で、日本と関わりの深い人物としては、日本ではじめて西洋医学に基づく病院を大分で開院したイエズス会士ルイス・ダ・アルメイダがいるが、彼は、コンベルソである。(ミハ氏的コメント ルイス・ダ・アルメイダは豪商の家のでのスペイン人だとは聞いていたが改宗ユダヤ人だったのね・・・)

       

      この時期、ユダヤ人の間で、終末思想が流行り、聖地奪還を図ろうとする動きもあり、アシュルのメシア待望論、メシア思想が流布されていくことになる。スペイン帝国とは言え、改宗したイスラムなどを含むモザイク国家出会ったが、その中で、カルヴァン派がピレネー北部に存在するなどの状況もあり、異端審問としては、それの対応も求められた。

       

      さまよえるユダヤ系オランダ人(Flying Jewish Dutchman)

      そして、日本とスペインの関わりで言えば、1609年にオランダ独立戦争が起きるが、その結果、オランダにいたスペイン系ユダヤ人の人々の中から、長崎に来た人たちがいて、彼らは、ユダヤ系の貿易商であった。他には、サトウキビ生産の気候要件として、南米が適合的であったので、南米に出ていったり、あるいは、オランダ人のユダヤ系のコミュニティがあり、それが大西洋の新大陸貿易に関与していく結果、現在のニュー・ヨークにオランダ系ユダヤ人が移住し、そして、現地でコミュニティを作ったのが、ニューアムステルダムと呼ばれたのである。(ミハ氏的感想 ニュー・ヨークは、米国の中でも、現在もユダヤ人密度の濃い地区ではあるが、その背景に、こんな歴史があったとは知らなかった。一つ賢くなった。こう考えると、映画Gang of New Yorkの背景ももう少し見直す必要があるかもしれない)

       

      オスマン帝国内にはユダヤ人がおり、その帝都イスタンブールには、かなり以前からイスタンブールにいた先住ユダヤ人がいたのである。ところで、ヨーロッパのディアスポラのユダヤ人には、セファルディーム(イベリア半島系のユダヤ人)とアシュケナジーム(東欧系ユダヤ人)があるが、両者の間に通婚関係はない状態であった。

       

       そして、スペインを追われたユダヤ人たちは北東アフリカ地域のマグリブ地域の諸都市に定着していくことになる。その意味で、当時の地中海世界の中でのユダヤ人は、どこに言っても、マイノリティであり、カトリックでもないし、プロテスタントでもないし、ムスリムでもない存在として、当時の多くの国々の社会の中でマイノリティとして生きることを強いられた。

       

      そのような肩身の狭い生き方をする中で、ユダヤ人の中にメシア思想との関係を持つ人々が現れ、当時の社会の中でのユダヤ人の迫害は、メシアの到来の一種のサインであり、ユダヤ人の救済を提唱する人物が出てくることになるという雰囲気が醸成されており、終末論的ユダヤ思想と深い関係が生まれていく。

       

      (ミハ氏的感想 知らないことが多かったので面白かったが、結構同じ話の別表現が散見されるとか、かなり時間の使い方がまずかったご発表であったようには思う。30分の時間制約に1時間分詰め込んだ感じだったので、ちょっときつかったなぁ、というのが感想)

       

      ルネッサンスとユダヤ人

       次のご発表者の学習院女子大学の根占献一さんは「ルネサンスにおけるユダヤ思想――その展開と特質」というタイトルで、キリスト教とユダヤとの出会いの場としてのイタリアということをお話しになられた。ある意味で、ルネッサンスにおけるユダヤ思想の影響をお話しになられたのである。根占さんのご専門は、イタリアルネッサンスの研究である。


       

      人文主義はどこから来たのか

      ルネッサンスといえば、文芸ばかりに着目が集まっており、思想的な側面のルネッサンスはあまり注目されていないように思われる。その意味で、1300-1700年に関わるかなり長期的な期間に渡る重要なテーマではある。

       

      当時、人文主義 Humanismという語は長い間忘れられていた語であった。フマニタースということばは、キケロが Studia Humanitatis として用いているものの、しかしその後長らく使われて居らず忘れられた語であった。文法、レトリック、詩学、道徳哲学などを含む語であるとして、1300年頃から再び使われ始めるが、その中には、論理学が含まれていなかった。

       

      人文主義者とヒューマニスト

       15世紀の終わりに 人文学を教える大学の教員のことを、一種の総称として、フマニスタといいだしている。現在の人道主義者のヒューマニストという意味とは関連している語であるが、相当違う意味合いを持つ用語として使われている。

       

      トレント事件というできごとがあるが、ユダヤ人たちがいいがかかりをつけられて、司教から死を宣告されたが、それに、猛然と反対運動をおこした人文主義者がいたことも、ヒューマニストという語のイメージに影響があるかもしれない。

       

      イタリアでは、パウロ書簡、ローマ書のルネッサンス期に歴史解釈学的研究が出てきていて、その意味で、ルネッサンスと宗教改革は地続きであり、ある種、カトリックからは、異端者と呼ばれる人が出ている。例えば、パレアリオという人物は、パウロは古代のプロテスタントであり、ペテロが教皇首位権をもっていることに対して異論を唱えているとか言い出した人びともいるらしい。このような視点から、ローマ書簡の読まれ方が代わっていった。

       

      愛の視点から見た宗教改革
      ニーグレンのアガペーとエロースという本があるが、ルターがアガペーを強調するのに対して、フィッチーノは、エロースに重点があり、フィッチーノに関しては、エロースがその特徴にあるとしているが、このフィッチーノの愛について、愛に関する書物が登場しており、カステリオーネの「宮廷人の書」という書籍である。これは、ルネッサンス文学の一つであるが、日本人とルネッサンス人の身体性の違いがあり、わかりにくいところがあるように思われる。ところで、このルネッサンス人独特の身体性や感覚をめぐるの議論が、愛をめぐっての議論の背景にあるように思われるので、これらのことを理解することが大事かもしれない。

       

      イタリアとスペインを行き来していたユダヤ人の存在

       なお、イタリアの大学には、神学部がなかったという特徴があり、神学のためにアリストテレスがないという状態の中で、イタリアにおいて、ヘブライ学の伝統をもたらしたのではないだろうか。蔵書家としてヘブライ語の文献を集めた人々がおり、その中のひとりとして、へプタプルスという人は、当時のバカラ学の研究成果を集めている。

       

      また、レオーネ・エブラオはイベリア半島とを往復しながら、最終的にナポリ・フィレンツェ定着した人々もいるし、ナポリのエジオディダヴィテルポなどと言った人物も出ている。

       

      (ミハ氏的感想 ここで、ユダヤ人の存在がイタリアルネッサンスの人文主義に影響を与えたことはある程度はわかったが、どうも、この、人文学や文学という分野がそもそも論としてミハ氏はかなり苦手なので、まさに猫に小判状態であったのであろう。)

       

       

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      ルターのユダヤ人理解と宗教改革と社会の変容

      休憩前最後の講演として、同志社大学の村上みか氏は、「ルターのユダヤ人理解―近年の研究における新しい視点より―」と題してお話になられた。

       

      ホロコーストとルターの関わり

      その中で、ホロコースト以降、ドイツでのユダヤ人迫害の根拠とされた、ルターのユダヤ人理解に関心が集まっており、その背景を探ってみたいということで、お話を始められた。

       

       中世末期のヨーロッパ、その中にあるドイツに於いて、ユダヤ人に対する敵対的態度が民衆から生まれ、そしてユダヤ人殺害に至るケースも見られた。ドイツでも改宗ユダヤで有名な人物が知られており、エックという、カトリックの人物は、元ユダヤ人であり、プフェファーコルンも、同様に、改宗カトリックであった。当時の社会のユダヤ人への対応は、改宗を目的としたもので、経済的なものというよりは、宗教的なものである。95箇条の提題をルターは出すわけであるが、教会関係の対応により、それに影響されるかたちでユダヤ人理解が変わっている。例えば、初期のルターは、ユダヤ人に対して友好的であるものの、後期になるとルターはユダヤ人たちに対して、非常に厳しい批判をするようになる。そのようなユダヤ人との関わりとの視点から、ルターの宗教改革のレビューをしてみたい。


      ルターの95箇条の提題は、行為義認論への反対、信仰義認論の強調であり、1520年 改革3文書と呼ばれる文書を出版されることになるのだが、それが教皇権への挑戦ととられたことで、ルター派カトリック教会から破門され、帝国追放令を受けることになる。その中で、説教改革がなされ、讃美歌改革がなされていき、そして、ラディカルな宗教改革を主張するカールシュタット、ミュンツァーなども出てくる。

       

      世俗国家にある種の正統性を与えたルターの二王国論

       このような状況の中で二統治論、あるいはに王国論と呼ばれる理解が主張されるようになり、霊的な統治と世俗的な統治があるとされ、両側面から協力してよりよく統治することが望ましいということが主張されることになった。この二王国論は、ある面で、無批判に世俗的統治に正統性を与えてしまったとも考えられ、この二統治論から、後にルターは農民戦争を圧迫することになる。

       

      ルターのユダヤ人理解の変容

      初期のルターの記述の中に、イエス・キリストはユダヤ人として生まれたということから、ユダヤ人に開かれた態度を示しており、ユダヤ人はキリスト教徒になることを通して、本来の姿に戻る、という記述もある。ユダヤ人の行為義認論的理解への批判的言辞がないのだが、後期になると領邦教会制度の確立もあり、ロスハイムが調停をルターに願うころから、ルターのユダヤ人理解が変容する。特に、モラビア地方で、キリスト教徒をユダヤ人へ改宗させようとする動きをしる中で、ルターのユダヤ人理解は大きく変わり、「ユダヤ人とその偽りについて」という文章をルターが出すにいたるが、それとても、当時のインテリ層や体制的な指導者層では、もっと厳しい理解が一般的であったように思われる。

       

      結局プロテスタントも領邦国家と一体化? 
      国家と宗教の一致の社会体制が確立されてきた社会の中で生まれてきた運動であったこともあり、その意味で、宗教改革は中世の中での運動と捉えたほうが良いだろう。なぜならば、結果として、カトリックも国と一体、福音主義(プロテスタント)も、結果としては、国(領邦国家)と一体化していたからである。

       

      ところで、バルマンという人物は、ルターのユダヤ人理解に関する理解は影響力はなかったと指摘しているように、今、交換に言われることが多い、ルターとホロコーストやユダヤ人迫害の問題は、もうちょっと相対化する必要があるかもしれない。ナチに利用された表現などについても、再検討が必要で、もう少し、批判的に取り扱われても良いかもしれない。

       

      (ミハ氏的感想 一般向けの公開シンポジウムということもあったのであろうけれども、もうちょっと、かなりつっこんだ話の片鱗くらいはあっても良かったかなぁ、という感じであった。まぁ、眠かったので、聞き漏らしたところもあるかもしれないが・・・)

       

      IMG_20170624_141735.jpg を表示しています

       

       

       

       

       

       

      2017.07.03 Monday

      2017年の京都ユダヤ学会に行ってきた 午後シンポジウム後半及び全体討議篇

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        今日も、京都ユダヤ思想学会に参加したときの当日記録をとったメモからおこした、参加記録を書いてみたい。今回が最終回であり、シンポジウムと全体討議の部分をご紹介したい。

         

        ラビ聖書という存在

        まず、手島勲矢さんは、「宗教改革とラビ聖書:16世紀ユダヤ文献学の意義」として、イベリア半島でのユダヤ人への迫害の結果、スペインからイタリアに到着したユダヤ人の存在が、その後の聖書に大きく影響したことを、当時のラビ聖書の貴重な初版本の写真などをお示しになりながら、話を始められた。スクロール(巻物)として伝統的にユダヤ社会で読まれてきた聖書が冊子体の形態になることになると、それは、ユダヤ教の聖書と呼べるのか、というあたりのことから始められ、そこに大きな発想の転換がみられること、また、ポリグロット聖書と呼ばれる聖書は、ラテン語が中心に配置され、その両脇にヘブライ語、ギリシア語(70人訳)が配置されており、それぞれがヘブライ語がユダヤ教、ラテン語がカトリック、そしてギリシア語が正教会に対応しているということなどをご説明になった。

         

        スクロールの例  https://hoshanarabbah.org/blog/2016/01/30/the-ten-commandments/torah-scroll-open-2-5/ から

         

        ポリグロット聖書の例 http://designblog.rietveldacademie.nl/?p=24017

         

        スクロールが分割された形での冊子携帯聖書 
        一つ一つの巻物(トーラーやネビームで一つの巻物)として単位ができているのに、一冊の本として出版しようとしたのが、この時期のユダヤにおける聖書に関する理解の転換であり、ある意味、本来の巻物としての聖書の姿を捨てるという形で、ユダヤ人の側がキリスト教側に寄り添った形となっている。そして、ユダヤの伝統の世界の中では、きちんと巻物としての聖書の本文の周囲に、数字が付されており、それを冊子本のスタイルでも再現しようとしてラビ聖書では、編纂がなされている。この数を数えるということが重要であり、ヘブライ語の律法学者とは、数を数える人、という意味である。そのような、ラビ聖書が宗教改革時に印刷されていることの意義を考えてみたい。


        現在、聖書に関して察したいを前提とするかのようなあるステレオタイプな理解が幅を利かせており、残念である。

         

        ところで、宗教改革には二種類あり、現在の宗教改革の系譜は、ギリシア語、ラテン語から考える宗教改革であるが、それと同時に、ヘブライ語から考える宗教改革も考えるべきであろう。この時代、ヘブライ語とギリシア語(ラテン語)の世界観の違いがあり、両者の間に、ある種の緊張関係が存在していることは確かであろう。

         

        聖書を巡る様々なユダヤ人達

        ヘブライ語のタルムードを、カトリックのキリスト教世界に持ち込んだ人物に、ヨセフ・フェファコーン(元ユダヤ人)がいるし、ロイヒリンという人物は、ヘブライ語の文字そのものに神秘の知恵があると考えた人びともいた。

         

        ヤコブ・フォン・フォッフシュタルテン、エリア・レビータや セバスチャン・ミュンスターなどドイツでの迫害を逃れてイタリアに来た人びとにより、ドイツのタルムードとその理解が、イタリアに持ち込まれ、それが、ヴェネツィアで出版されることになるラビ聖書にも影響している。また、ダニエル・ボンベル(キリスト教徒 アントワープ出身)が、ベネツィアでラビ聖書の印刷をしたことなども、特に、ラビ聖書の第2版は 宗教改革に影響したものと考えられ、ある種のカルチャーショックを人びとにあたえた。

         

         ラビ聖書に関して言えば、初版のラビ聖書では、アクセント記号などもきちんと含まれており、スクロール聖書の全てを丹念に網羅し、携帯が察し形態に変わってもそれを再現しようとしている。


        とは言え、ラビ聖書は、ラテン語聖書の影響を受けており、すでに聖書を巻物と違う形で分割しており、「出版に当たって」にあたる部分で、分けてまとめているのに驚いてはならない、とわざわざ注意喚起をしている。その意味で、ヘブライ語聖書のテキストを校閲済みで提示したのであり、マソラの意義は、アクセントと母音記号を乗せたことに意味がある。

         

        宗教改革の聖書のみをどう考えるのか

        宗教改革の「聖書のみ」は、聖伝をどう考えるかということから出てきており、東方教会の伝統では、使徒からの伝承として、聖書をも含むということで、聖なる伝承の一部として聖書が入っているのであるが、このあたりが実は重要ではないか。

         

        ルネッサンス期のイタリアでは、キリスト教徒の知識人の間で、ユダヤ的伝承に対する高い関心があり、そこにドイツやスペインでの迫害の結果、流れ着いてきたユダヤ人たちがキリスト教徒が庇護する関係の中から、様々な本が生まれている。

         

        デロッシの指摘によれば、アクセントに関するラビの伝承とマソラの伝承は必ずしも一致しない、ということがあるのだが、これについて、宗教改革の視点からみれば、カトリックとプロテスタントでどちらの伝承にしたがうのか、というので混乱、紛糾した部分があり、最終的には、マソラの判断が優先されている。

         

        エラスムスの再評価を巡って
        伊藤玄吾さんは、「エラスムスからラブレーへと至る人文主義者の一潮流とユダヤ」ということでご講演になられた。

         

        人文主義の大家、知の巨人として見られているエラスムスは、実は、ヘブライ語が読めなかったと言われている。彼は、公的な機関に所属しなかったために、既存社会の様々な制約から自由であった知識人である。

         

        神学者に、ハンス・ヤンセンという人物がいるが、エラスムスの反ユダヤ主義的著作に対して、フマニストからの反論を述べている。確かに、エラスムスの神格化には反対であるが、現在の定着したイメージを崩すことは、かなり厳しい状況にあり、正面切っての論究に挑んでいるものはかなり少ないと言える。

         

        シモン・マルキッシュという人物は、エラスムスは、必ずしも、反ユダヤ主義ではないという指摘をしているが、当時のルネッサンスの代表的な人文主義者としてのエラスムスについて、反ユダヤ的な思想が残ってないのか、を検討すべきなのではないか、というご低減をなされた。時間的制約があるため、ご自身の発表をかなり短くされたのが印象的でああった。

         

        全体討議の時間から

        全体討議の時間では、若干の補足と質疑応答が行われた。

         

        補足と討議

        関さんからは、当時の社会では、終末感の高まりとともに、メシア思想や、メシア待望論の再評価はなされるべきであろうという補足がなされ、イタリアとイベリアなどで読まれた、「ディアルギ・ダモーレ」というユダヤ人が書いた愛の本があり、愛の理論化の系譜に入れづらいものであるが、フィロンとソフィアを対話させる形をとっており、当時のイタリア人の愛の理解とユダヤ人が考える愛との間に違いがあるかもしれないという指摘や、根占さんからは、今回のこのシンポジウムで、クリスチャン・ヒューマニスト、クリスチャン・プラトニストという理解に新しい光が入ってきたこと、我々の宗教改革は、ラテン的世界の中の伝統のことについて、言ってきたのではないかという補足がなされ、村上さんからは、ヘブライ的なルネッサンスと宗教改革の必然性をかんがえること、また、エラスムスのギリシア語聖書とヘブライ的ルネッサンスとの関係を考えることの必要性を感じたことが提示され、手島さんからは、ユダヤとキリスト教世界が出会う場所としてのルネッサンス期のベネツィアという存在の重要性があること、難民が出版に携わった聖書の背景には、難民としてのユダヤ人を庇護したクリスチャンであったからこそ、ラビ聖書を始めとする、出版物が生まれた、ということの強調があった。伊藤先生からは、当時の出版文化がどういいう意味だったかをもう一度、宗教改革とのコンテキストで見直す必要があるような気がした。

         

        全体討議の時間

         

        質疑応答の部分は、記録が正確でないので省略するが、かなり突っ込んだ専門的な議論が行われたことだけは確かである。
         

         

        ミハ氏的感想

        今回、聖書というものをミーちゃんはーちゃんは、割と簡単に単純化して、現在の理解で過去から続いてきたものとして、あるいは、これまで聞かされてきた範囲の世界でのみ理解してきたが、そう単純ではなく、かなり真面目に考えなければいけない部分を含んでおり、特にスクロールであったそもそものヘブライ語聖書から、冊子体への展開、別言語や展開していく段階で、大きくその意味合いがデザインや形態の面でも変化することが、聖書に対する態度に大きく変容するのだろうなぁ、と思った。

         

        また、ルネッサンスは文芸復興ということで、ギリシア、ローマの世界で、芸術や文芸で戻ろうとしたというその原点回帰の性質と、宗教改革で教会で歴史的に形成されてきた伝統(聖伝)を排除し、その聖書理解の根源である「5つのソラ」(聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神の栄光のみ  における、”のみ” の部分がSolaであるので、5つのソラと総称されるが、個人的には、5つもあったら、ソラでも何でもないじゃないか、と思うのだが・・・)で対応しようとしてきたのであるが、その背景には、ルネッサンス的な、原点回帰の意味が相当強く、その背景の中で、聖書の原点であるヘブライ語聖書までに手を出そうとしていたヨーロッパの人びとがいて、出版社がこれまた都合よく存在し、そして、そこから出される本を集めようとする社会上層の人々が資金的余裕があり、ルネッサンスの直前に印刷技術が普及して、さらに都合よく、ヨーロッパ諸国でのユダヤ人迫害があり、吹き寄せられるようにイタリアに集まってきたという、実に機が熟したかのような世界があったからこそ、宗教改革もあったのかもしれない、と思うようになった。

         

         

        京の銘菓、吹き寄せ http://www.kyowagashi.jp/?pid=107123413 から

         

        宗教改革が起きたのも、基本的に蔵書マニアのような人びと、書籍を需要する人々がいたからこそ、ある面で起きたのだし、また、一定の量的ボリュームとして、文字を読む人びとが存在し、文字を読むという習慣が存在したからこそ、宗教改革は起きたし、それがさらに出版物への需要が高まり、出版社がうるおい、そして、社会に多様性がもたらされた、ということを感じる。

         

        となると、文字は読むけど、本を買う人が少なくなった、あるいは書籍マニアが極端にいなくなった現状のキリスト教書業界の現状を考えると、需要がないところに供給をやたらとしている現状というのは、いつまでも続かないのではないか、と思うし、宗教改革500年後の日本という状況の中では、ある種別の宗教改革、あるいは、宗教改革の理解の修正に向かうのではないか、と思う。

         

        それにつけても、信仰のみという約500年前の結果、信仰義認ということは、確かに、聖なる伝統を排したプロテスタントの皆さんとしては多分とても大事なのかもしれないが、信仰義認でなければ、「キリスト教に非ず」あるいは「プロテスタントに非ず」というようなご見解もチラチラ見聞きするに連れ、幅広くキリスト教の多様な総体を見た時に、それは、行き過ぎた宗教改革の結果のような気もしないでもない。そして、そこに、本来我々が心から服し、信仰しているはずの、神の座に神ならぬ信仰義認という概念がどっかりと座り込ませている人びともおられるかのような現状の状況を思うと、かなり残念だなぁ、と思うのである。ところで、原点回帰というならば、ヘブライ語聖書を維持してきたヘブライの民にも、我々は倣うべきかもしれない、とふと、いらんことを帰りの電車の中で、考えたりもしてみた。とはいえ、聖書翻訳がなされていくことになるのは、ヘブライ語からギリシア語に翻訳された70人訳の存在をどう考えるのか、ヘブライ人たちがどう理解してきたのか、ということをもうちょっと考えたほうがいいかもしれない、とも思った。

         

        今回のこの学会は、様々な分野の人々が集まってきて、それぞれの立場からご発言があったし、それが書かわ割り合う部分もあり、シンポジウムらしい、シナジー効果が非常によく出た学会シンポジウムであったように思う。

         

        以上で終わりである。

         

         

         

         

         

         

        2017.07.10 Monday

        神戸改革派神学校第41回 信徒夏期講座に行ってきた(1)

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          2017年7月8日に阪急六甲近くの神港教会で、第41回信徒夏期講座が開催されていたので、参加してきた。朝一番、9時から鎌野直人さんによる「ウェスレーの今日的意義」というタイトルのもとでの講演会の参加記録の前半部分である。この参加記録は、当日その場でメモを取ったものを基本にしているために、もし誤謬があるとすれば、全て記録者のミーちゃんはーちゃんに帰されるものであることを最初にお断りしておく。

           

          ウェスレーという存在

          ウェスレーについて表現しようとしてみると、18世紀のイングランドで、ルターからの影響を強く受け、カルバンとの対話をした人であるといえるのではないだろうか。今日は、ジョン・ウェスレーをあまり御存じない方向けに基本的なことをお話していきたい。

           

           

          青山学院大学の入り口のビルにくっついているウェスレーの銅像

           

          ジョン・ウェスレーは知らなくても、賛美歌作家として知られた、チャールズ・ウェスレーの讃美歌を通して皆さんはご存じであろうし、その意味で、皆さんのキリスト教の理解にも、ジョン・ウェスレーとメソディストは、何らかの影響を与えている。

           

           

           

           

          ウェスレーの背景

          ウェスレーの両親、サミュエルとスザンナは、非国教会派(当時、英国で、国教会関係者でないことで冷や飯を食わされていたNon Conformistと呼ばれる)からの国教会への転向組であり、弟のチャールズと兄のチャールズウェスレーがOxford大学でのホーリークラブと呼ばれる小グループに参加し、その後、父親と一緒に宣教師として、当時の植民地の北米のジョージア(グルジア)で伝道誌に行ったのだが、原住民伝道を試みたがいろいろなことがあり、2年くらいで挫折して撤退する。モラビア派から影響を受けるのであるが、モラビア派の人々と出会ったのがジョージアへ行く途中であった。帰国後、ピーター・ベーラ(モラビア派の指導者)とあった後、アルダスゲート事件(ウェスレーの信仰覚醒事件)が起きる。その後、炭鉱町であったブリストルで伝道(信仰復興運動)をはじめ、生涯に36万キロの伝道旅行(主に乗馬で)と4万回以上の説教をしたといわれる。

           

           

          PeterBoehler.jpg

          ピーター・ベーラ Peter Boehler 

           

           

          馬の背に乗り説教するウェスレー

          https://www.pinterest.jp/pin/520517669403776920/ から

           

          最初の段階では、信徒の組織化を行っている。信徒の組織であるソサエティを整備、後にソサエティが大規模化(大きいものでは1000人規模に達した)する中で、12人の小グループからなる組会制度をつくりあげた。そして、モラビア派との分離し、カルヴァン主義との分離が予定論論争のかたちで起き、また、当初は行動を共にしていた、大衆説教者として有名なジョージ・ホィットフィールドとの分離をすることになる。クリスチャン・ライブラリの執筆を行い、その後、『キリスト者の完全』という書籍を出版し、それをめぐって、『キリスト者の完全』論争をしていく中で、標準教理の成立へとつながっている。

           

          そして、当時植民地であった、北アメリカに説教者を送り出し、18世紀を生き抜いた人出もあり、イングランドの宗教改革後の安定に向かって言った時代、名誉革命後の時代の人である。ウェスレーは、国教会の中で生きた人であるが、英国国教会は、中道VIA MEDIAの教会であり、39宗教箇条の順守が強く求められるという正当教理を重んじる社会の中で生きた人である。

           

          その意味で、国教会のリバイバル運動を行ったといえるし、ソサイェティとか、現在も英国でキリスト教書にかかわる出版事業を行っているSPCKが生まれたのがウェスレーの時期の直前であった。ジョン・ウェスレーの直前の時代には、ウェスレーにも思想的に影響を与えた、ジョン・ロックやニュートンの時代の直後の時代であり、産業革命が動いている時代であった哲学者のヒュームと同時代人である。

           

          ヒューム(スコットランド常識哲学の哲学者の一人)

           

           

          先に産業革命ということに触れたが、その産業革命の中で、特に炭鉱労働者を中心とした、劣悪な民衆に説教をする中で、彼らの悲惨なの生活をみて、その困窮や、それらの人々の霊的なニーズに、対応しようと考えている。ジョン・ウェスレーの人生の後半では、ウィルバーフォースの奴隷解放運動が始まっていたころ、ウェスレーは奴隷解放運動を支援していた。その時代の北米では、ジョナサン・エドワーズのリバイバル運動の最中であったし、時期的にはアメリカの独立戦争につながる、ボストン・ティー・パーティ事件のころであった。どんなことをしていたのだろうか。

           

           

          関連画像

          当時の炭鉱での児童労働者の様子

          http://medievalchildren.blogspot.jp/2013/10/children-in-18th-century.html より

           

           

          Boston Tea Partyを歌に乗せて説明する動画

           

           

          アラスカのティーパーティだと思ってたら、Tea Party(紅茶党)から大統領選挙に出たサラ・ペイリン氏

          http://edition.cnn.com/2011/09/12/living/don-lemon-sarah-palin-transformation/index.html から

           

           

           

          ウェスレーが力を入れた3つのこと

           ウェスレーが力を入れたことに3つのことがある。伝道、組織化(組会)、社会福祉であるといえよう。


          伝道

           まず、伝道の側面でいば、ウェスレーはハイチャーチ派であったが、アルダスゲートは、体験を重んじたため、当時の国教会からは、熱狂主義と批判され追い出されていくことになる。1739年にウェスレーは、有名な、「世界は自分の教区」という表現をしているが、それは、当時の国教会の牧師が、教区でしか説教してはいけない規則担っていたことの反映でもあり、ウェスレーは、大学にいたことを口実に、あちこちへと伝道していた。


          特に、野外伝道をすることで、国教会から反発をすることになる。ブリストルという炭鉱の町で説教した時、3000人の前で野外説教をしたのであるが、そこで、人が救われる経験である回心が多くの人々に起き、リバイバルが起きたのを目の前で見てしまった。

           

           

          関連画像

          Bristolで宣教するジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレー

          http://www.alamy.com/stock-photo/john-wesley-preaching.html から

           

           

           ウェスレーが派遣した神と伝道者たちは、礼拝堂でない建物で、説教した。そして、その信徒説教者の養成にこころ砕いた人でもあった。1761年に、サザンクロスビーという女性説教者を任職しているが、男性と同じ説教者として登用していった。

           巡回伝道者と牧会者は違うとして、当時の国教会が、手を出さなかった人々、手がとどなかった人々に対応する形で、伝道活動を広げていったといえるだろう。牧師や司祭を祭司的存在と考えれば、信徒伝道者は、預言者的存在であり、制度的な仕事などに携わらないものである。


          ウェスレーのことで問題になったのは、職制の問題と信仰の確証をどう見るのか、という問題になる(アングリカンでは、信仰の確証は、主教の確認が必要であることになっているらしい。堅信礼を受けるための必須の要素らしいが、神戸教区の主教選挙が何だかだったということもあり、将来どうするか、まだ未定なので、ミーちゃんはーちゃんは個人的な状況としては、ほっぽっている状態のまま、現在の教会に出没している)。

           

          この信徒伝道者を育てるために、年会を開き、メソディストとは何か、を共有するために、議事録を作り、また、ある程度の人数で、4半期に一度集まって情報交換や相互の支援をした。

           

          信徒伝道者を育てるために、標準説教を作成し、新約聖書の略註を書き、賛美歌集を作り、これらから学んで説教ができるようにした。

           

           

          組会
          ソサイエティというのは、国教会の中の小教会という位置付けであったが、後にソサエティの巨大化が起こり、それでは、信徒の相互支援もうまくいかないので、12人単位の組会に切り替えた。

           ソサエティの加入条件は、4つあり、(1)すべての罪(害)を避けること、(2)あらゆる種類の善を行うこと(3)神の定められた恵みの手段をすべての活用すること(4)入会時の「救われたい」という願望が真実であることが証され続けなければならないという条件であった。

           

           組会が形成されたのは、霊的成長には共同体性が必要であるということを分かっていたからであろう。このソサエティに対して指導的な支援をする選抜ソサエティというものもつくられていった。

           

           ここで、昨年神戸で開かれたJCE6では、インマヌエルの岩上Srさんがウェスレーの影響もあってか、その組織構造をまねたサーバント制度を持ち込んでいたのである。(楽屋話だった…w)


          社会福祉
          もともと、ウェスレー自身は、あまり興味はなかった野であるが、オックスフォードでホーリークラブをやる中で、刑務所伝道、病人伝道等をはじめとしたことがなされることに参加し、これがのちに持ち込まれ、さらに、婦人失業者のための労働機会の提供、貧困者子弟への教育、無料診療所を作り、電気式治療、正しいダイエット等へと拡張されていくことになる。

           

           

          「Oxford Holy Club」の画像検索結果

          Oxford Holy Clubでのジョンウェスレー

          http://addpastor.blogspot.jp/2012/09/sermon-series-going-back-to-camp.html から

           


          特に、炭鉱伝道する中で、その貧しさをみるなかで、それを助けたいという思いに至った。それは、初代教会の復興をしたいという中から生まれたもので、使徒行伝のあの時代、相互愛、持ち物の共有 国教会の伝統とペンテコステの時代に戻牢とする中から出てきたものである。病人訪問にしても、訪問者の徳の成長にもつながり、信者が同情と愛に満ちあふれたものになることから、生まれたものである。また、教育を行うなら、人間が原初の神のかたちに状態に戻ることに寄与できるという概念から教育に力を入れ、教育を通して、悪しきものから善きものに変容を助けるという概念からであった。

           

           ところで、国教会の司祭は、当時の村(教区 パリッシュ)でのインテリであり、司祭は医療者としての役割りも求められ、当時の司祭教育には、薬学なども含まれた。ウェスレーにとっては、霊的健康にも肉体的原因が影響すると考え、霊的健康も重要であるとして、社会的なものにも邁進していったという側面があるだろう。

           

           

          あまりにも長くなりそうなので、いったんここまでにします。

          次回 ウェスレーの神学的特徴 へと続く

           

          2017.07.12 Wednesday

          神戸改革派神学校第41回 信徒夏期講座に行ってきた(2)

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            前回に引き続き、神戸神港教会で開催された神戸改革派神学校第41回信徒夏期講座で行われたウェスレーについての鎌野直人さんのご講演の内容を要約してご紹介してみたい。当日取得した現場で入力したメモに基づいているので、記述に関する間違いは、すべてミーちゃんはーちゃんにある。なお、この時の内容は、9月くらいには、改革派神学校の出版物として出版されるようであるので、より正確なそちらの出版物を詳しくはご覧いただきたい。

             

            ジョン・ウェスレーの神学

            ウェスレーの信仰をまとめると、聖書を重視していたし、古典的キリスト教の枠組みである三位一体を重視していたという意味で、正統的なキリスト教であるといえるだろう。その中で特徴的なことを言えば、彼の経験と彼の働きが、当時放置されがちであった大衆を、どうキリスト教の物語と関与させるか。救いとその経験を体験させるのか、ということの体系化というか方法論を提起したところにあるといえるだろう。ウェスレーは、救いを神のかたちの回復と捉えている(ミーちゃんはーちゃんの注記 このあたりは、ギリシア正教会、ロシア正教会の影響かも知れない)。

             

            義認と聖化、聖化と成長 救済論がウェスレー神学の中心であるといえようが、聖化理解を重んじたのは、どうしたら、そこに行くのかという方法論が重要であると思ったからであるといえるだろう。

             

            ご講演中の鎌野さん

             

            ウェスレーの信仰義認と信仰の確証

            信仰義認に関しては、聖マリア教会において、信仰による救いを述べている。標準説教という書籍の中で、いちばん最初の説教として記録されているものである。その意味で、神の恵みによる救いの大原則を述べているのである。その意味で、宗教改革のレガシーを受け継いで、それを18世紀のイングランドで示したのが、ウェスレーだといえるだろう。義認とは赦免であり、罪の赦しであるといっている。

             

            信仰とは何かについて、藤本満によると、「義認の信仰は神が義としてくださることに対する信頼」であるといっている。


            ウェスレーへの批判 
             ウェスレーは18世紀のイングランドという中で、論争(対話)をしながら神学をつくりあげていった人であるので、静思主義であったモラビア派からも批判されている。カルバン派からも、二重予定説ではないといわれている。なぜならば、人間側の応答の部分が入っているからであり、その意味で、人間側に関する条件付き予定説(ミーちゃんはーちゃん的注記 この辺がスコットランド常識哲学の影響)であるといえるだろう。

             
            プロテスタント内の戦い

            ある面で、英国の18世紀のプロテスタント内の論争という感じがある中で、それにこたえる中でのウェスレーの考えは、圧倒的な先行的めぐみが存在し、この拒絶することができないような恵みが先行するが、人間側に自由意思があるということを考えたようだ。神の側からの強制的に恵みがあるがゆえに人間は目覚めることがある。不信仰な状態とは、霊的な感覚が覚めておらず、魂が眠っているような状態とりかいしている。そして、圧倒的な力を持った神のみ言葉が語られるときに眠りから目覚めるのだ、という理解である。つまり、神のことばによって、神に対して目覚め、神を知り、罪人であることを確信するようになる。そして、悔い改めが神のことばによって起きる、と理解していたようである。

             

            悔い改めと信仰は違うものとして理解しており、悔い改めにふさわしい実を結ぶ瞬間に関する記載が聖書にはない。悔い改めの実を結ぶことに関しては、信仰は間接的に必要であるものの、信仰そのものではないとしている。ただし、義認は信仰による者とされており、悔い改めには寄らないとしている。その意味で、最も中心にあるものは信仰であるが、悔い改めは重要である。

             

            義認に至る信仰について

            では、義認に至る信仰はどうすれば与えられるか、ということを考える必要が出て来る。 プラグマティズム的な(ミーちゃんはーちゃん的注記 というよりはスコットランド常識哲学学派的な)態度から、考えられるようになった。その義認に至る信仰に至るためには、神が定めた外的な行為(メソディストの語源になったメソッド)として、祈れ、聖書の探求をせよ、黙想をせよ、聖餐式に与れとしているが、しかしながら、これらの恵みの手段は罪を贖わないことは明言している。

             

            「Scotland Common Philosophy」の画像検索結果

            スコットランド常識哲学が大事にしたこと これを見ると、ウェスレーがなぜそうなったかは何となくわかるかも。

             

             恵みの手段を行う中で、神が先行的に人間のところにやってこられるということになり、そこで、あなたの信仰があなたを救ったと神が語られると理解されている。その意味で、人間と神との接点の最期のところでは一方的な神の語りかけを待つことになっている。そして、後継者たちに、信徒を育てること、できることをしなさい、といい続けた人である。

             

            ウェスレーの後期はカルヴァン派との対話に中心が移っており、人間の行動を重視することは不可避であった時代的背景もあるが、いわゆるカトリック的な功績や功徳による救いということについては反論している。 


            信仰の確証の話の話に関しては、オックスフォードのホーリークラブでの経験に基づいており、義認は聖化に基づいて将来与えられる者としており、聖化があって義認があるという理解である。この背景には、モラビア派と出会った経験の中で、ルター派の理解と出会ったことがあると思われる。特に、モラビア派の指導者からは、説教しろといわれている。そして、死刑囚などにウェスレーは説教していくことになる。

             

            自分自身に起きる前に改心を語ったウェスレー

             ウェスレーは、改心経験を経験する前に語り、それが目の前で起きたのである。それがアルダスゲートの1ヶ月前のことであり、この回心経験は弟のチャールズが先に経験している。回心経験は、信仰の確信が与えられる経験出もあった。神への確信と信仰を経験し、その回心による信仰の確証を求めたといえるだろう。その意味で、信仰の確証の教理を考えたのが。ウェスレーであったといえるだろう。

             

            「Aldersgate Church London Wesley」の画像検索結果

            ウェスレーに関する銘板

            https://jamespedlar.wordpress.com/2011/05/21/four-john-wesley-quotes-everyone-should-know/ から

             

             モラビア派の影響としては、ルターの神の恵みの理解と自分の内に確証があるか、と聞くようなドイツ敬虔主義の伝統からの問いがあり、その結果として、信仰の確証の教理へとつながっているようである。信仰の確証があるのか、ということの問いかけが重要であると考えた。その結果として、そもそも御霊の実を証しすることが重要であると考えるようになったが、それは、特異な感情体験でも神秘体験でもない御霊の証しが必要であるとしている。それは、信仰を通して神の証しであるとしている。そして、御霊の実なしに与えられた確証は消えていくことがあるので、御霊が与えられて、御霊の実が生まれるという理解することができるだろう。

             

             その意味で、聖霊により自覚することが重要であり、御霊の実から自意識が生まれ、信仰の確証が客観的にも確認されることになるという理解である。では、客観敵に確認されることとは何かというと、過去の罪を悔い改めること、神性への変容があること、御霊の実が存在すること、などである。

             

            このような理解に至った背景としては、信徒説教者が背景にあることは覚えておくべきであろう。救われたかどうかというのは、神とその本人以外わからないのであるが、とは言え、何らかの形で、信仰の確証がないとまずいということになる。そこをどうするのか、ということの対応として、信仰の確証としての証という概念が出てきたのである。


            なお、当時のイングランドは階級意識(今でもかなり残っている)が明白な社会であり、その中で、神の子であることの証しは階級意識に相当衝撃を与えたのであり、社会のある種の平準化へとつながっていく側面を持った。(ミは氏注 そして、その先に信徒伝道者ということが見られたのではないだろうか。それを一層突き詰めていくのが、この約半世紀後くらいのプリマス・ブラザレンという運動体連合である)。その意味で、ある種、社会にとって、ガラテヤ書で指摘されているようなことが起きたわけで、それと同じようなインパクトを英国社会において起こしたといえるのではないだろうか。

             

            ウェスレーの現代的意義

            3つ現代的意義を考えてみたい。

            〇代の中で、議論の中で教義生み出していったウェスレー
            ウェスレーは、18世紀イングランドの人であり、現代の日本人とは相当距離があることをいつも深く覚えるところであるが、ウェスレーはその当時の議論の中で、教理や教義を生み出していったとはいえる。そして、他者と議論をすると、ある面での強調点が出てくる。これは、ある面で避けがたいことであり、その意味でも、ウェスレーにもひずみがあったのであり、現代日本の社会にとっては、限界があるとは言えるだろう。

             

            ◆(_擦離ぅ鵐僖トが全人格的であり、全社会的なものである

            福音のインパクトが、個人の生活のあすべての面でに現われるものであることを主張した。信仰とは、知的な理解でもなく感情による理解でもなく、体を使うことすらも信仰者の形成に影響するという点を指摘した。その意味で、福音の広がりは果てしない広さを持っていた理解を提示したのである。

             

            信仰を、感情的、実際的なものであると理解すると、間違てていくことにつながるのであり、福音が持つ非常に大きな幅広さとその幅広いものに対するインパクトの広がりがあることを学ぶべきであろう。

             

            信徒説教者の育成

             ある面で、野外集会での説教者が説教するということを前提とした、信徒説教者であり、彼らの必要のために、標準説教を書き印刷し、新約聖書の注解を書き、賛美歌を作成していったのである。その意味で、伝道者養成者の手段、メソッドを構築したのである。そして、連続説教などは、信徒説教者の養成の手段であったということは忘れられてはならないだろう。


            現代的意義から言えば、職制としての牧師像が求められているのであり、もっと深く、教会史、教理史を学んでいくことがもとめられているように思われる。その中で、信徒説教者と牧師が違うものなのか、これらの役割とは何かということを明らかにし、この両者の間のバランスを取っていくことが現代的な課題であろう。

             

            ウェスレーが実施しようとしたのは、牧師しかいない社会の中で信徒説教者の確立であることを考えるならば、自派の神学校に於いての神学校教育とは何か、何を目指すべきなのか、ということは考えさせられている。

             

            ミーちゃんはーちゃん的感想

            特に神の恵みに預かる手段としてのサクラメント論の話を聞いたときには、あれ、今のアングリカン/コミュニオンの教会とどう違うのだろうか、と思ったのは、正直な話である。ほとんど毎週チャペルで聞いていることや式文を読みながら思うことと、ほとんど差がないので、あぁ、やはり、アングリカンであろうとしたし、アングリカンの式文で育てられたウェスレー先輩の思いを感じた。

             

            野外伝道は当時の有効な方法論だったかも

            あと、ここでも少し言われているが、結局、社会全体にキリスト教が行き渡っている18世紀のブリテン島やある程度行き渡っているアメリカなどでは、確かに、信仰的に眠っている人々を覚醒させるタイプのリバイバル運動は有効だけど、未だ宣教地である日本で、ウェスレーがやったのと同じことをしたところで、その効果は限定的であろうという、講演者の鎌野さんが反省的におっしゃっておられることが非常に印象的であったし、個人的にはそれはそうだろうと思う。ちょうど、今の日本は、初期のウェスレーがネイティブアメリカン伝道に失敗して、失意の中に落ち込んでいく状態とよく似ているのかもしれない、と思う。まぁ、ウェスレーの神学的思惟が未熟であった部分もあるのだろうが、そもそも論として、文化背景と思想背景と、精神世界が違う世界に別の概念を持ち込むのは、非常にめんどくさいことなのである。

             

            もし、それが未だに重要なら、現代の日本においても路傍伝道や天幕伝道は有効で、人は山ほど集まっているはずだが、現実はそうは行かない。外国人タレントよろしく「なんとか・グラハ△」連れてきたところで、誰やそれである。それよりかは、ジャスティン・ビーバーやレディー・ガガ、あるいは、中国人留学生にやたらと人気があるらしいBig Bangやジャニーズのアイドルコンサートなんかなら、まだ参加者がお金を払っても人は集まるが、「なんとか・グラハ△」では、キリスト教徒のごく一部は自分でお金を払い、時間を使って集まるか知らないが、それ以外の人にとっては、もはや「誰や、それ?」の世界であろう。時代はそうなってしまっているのに、「(自分たちの間では)大変有名な、海外からの説教者の聖書の話があります」では、あまりありがたくないし、それで、自分の時間を使い、自腹を切ってそういうところに行ってみようという気になるか、といわれたら、多くの人はならないような気がする。

             

            最近、エホバたんのみなさんが、我が家がガチ勢のキリスト教関係者がいるのを知ってか知らずか、「キリスト教の聖書のお話があるので、よろしかったら…」というご案内を月に一度くらいくださるが、食指が全く動かない以上に、世間の人は、いかにエホバたんのみなさんがご尽力の限りを尽くしても、食指は動かないどころか、よほど人間関係に飢えている方でない限り、いったりはしないだろう。

             

            もともと、メソディスト派の信徒伝道者が実施してきたような、伝道とはどんなものだったか、と考えてみると、小さな田舎で変わったことが何もなくて、人々が退屈しきっているような開拓地域や農村地域、炭鉱地域の中で、非日常性を持ったイベントをすることで、信仰的には、眠っていた人々に対して、聖書を面白おかしく、インパクトを持って語るイベントを開催する形でのイベント動員型の伝道方法であったように思う。しかし、今は、田舎に行こうが、どこに行こうが、スマートフォンがあり、Wi-Fiがあり、電車の中でも、Wi-Fiがつながる時代であり、人々が退屈している暇がない時代に、プチイベント型の伝道方法はすでに無効化しているように個人的には思えるのだ。

             

            現代の人々は、退屈している暇はないのである。

             

            発展途上国時代のアメリカ合衆国に適合的だったウェスレーの神学

            ウェスレーは、標準説教というミーちゃんはーちゃんにとってみればある種の説教作成の参考書、あるいは、テンプレート集、マニュアル本、虎の巻を作り、さらに、説教に困った時に確認できる参考書として注解書、略解を作り、そして、最後に、人々の心に訴えるための最終手段としての讃美歌集を作った、ということは、とりあえず、何でも自分たちでやらざるを得ない、発展途上国的な体質を持っていたアメリカ合衆国には、向いていた方法論、実に適合的な方法論であったと思う。

             

            なんとなく人々が聖書のことやキリスト教徒であるということは知りつつも、田舎の開拓地に住み、人里離れたところに開拓農民として、てんでバラバラに居住している中で、どうすれば信仰生活を守れるか、ということを考えた場合、せめて、巡回説教者がその薄く広く居住する人々を回って、聖書に従って生きるというウェスレーのような方法は、実に適合的であったのだと思う。これは、ハイチャーチ的英国国教会的な教会(来るなら、この日に聖餐式をやっておるから来てみろ、という態度がなんとなくちょっぴり匂う)にはできないことであった。その意味で、人々の間に出ていき、神の平和を伝える、ということをやったから、リバイバルが起きたのである。今の日本とは、根本的に違うのである。まさに、アングリカンの式文をどう具体的に行動に落とすか、というモデルを提示することをやったのが、ウェスレーだったのかもしれない、と思う。しかし、その末裔の教会の一部が、人々の間に出ていくことをせず、教会からはチラシとかの形で出ていくものの、最終的には「教会に来い」というハイチャーチ系の意識というか感覚を感じるところに、なんだかなぁ、と思ってしまう。

             

            その意味で、こちらの系譜に属される皆さんは、礼拝の最後にある祝祷ないし、派遣の言葉をどのように受け止めておられるのかを、牧師先生ではなく、信徒さんに対して、全数調査をかけて聞いてみたい、という欲望がふつふつと起きてしょうがない。案外、神社の祝詞(のりと)の別物で、自分たちが幸せに生きられるようにということを願う締めの言葉くらいにしか思っておられない方も少なくはないかもしれない。但し、ガチ勢は除く。

             

            現代ならウェスレーはどうしていただろうか

            一時期WWJDという標語(イエスが現代に生きているとしたらどうしただろうか?)というのが福音派の若い信徒の間で流行したことがあるが、ウェスレーが現代に生きていたとして、どのような伝道方法をとっただろうか、と考えると、信徒伝道者を育成するということを考えただろうか、というと違ったような気もする。もうちょっと、インターネットの世界をうまく取り組んだんじゃないかなぁ、と思ったりもする。その意味で、インマヌエル総合伝道団の最近のネット関係の取り組みは、ウェスレヤンらしいなぁ、とは思う。

             

            ウェスレーが、「聖餐に与れ、それは神の恵みを味わう手段である」といっている、ということを今回のご講演で知った。しかし、この数年の間に、いくつか、ウェスレー系であると標榜しておられる教会に行っては見たのだが、聖餐を毎週しているところは行ってみた範囲(5教会だけでしかないが)では、いずれも毎週聖餐はしておられないようであった。その意味で、ウェスレー系といいつつも、やはり日本に来たウェスレー派は、そもそもウェスレーが言ったことをどこまで重視しているのか、と正直、聖餐マニアのミーちゃんはーちゃんとしては、疑問に思ってしまった。その意味で、日本かアメリカで独自に発展してきたウェスレーは、というのが正確なところなのかもしれない。

             

            N.T.ライトが、どこかの本(邦訳未刊)で、日本が西洋化、いわゆる近代化しながらも、それと相矛盾することなく、神道の神社などの独自の精神世界というか、霊性の世界を持っていることを言及しているが、日本の精神世界というか霊性の世界が確固としてある現場では、当時のハイチャーチ的な一般人には相当考えないと意味がわからないような表現しかなされなかったであろう国教会的な精神世界や霊性の理解の意味に十分気が付いていない、信仰的に眠っている状態にある人人を覚醒(リバイバル)させ、生き生きとさせるということなのであったが、リバイバルとかいうと、文化財に香わしい匂いのする油をかけて回る一部の不心得者のことがイメージされるのが、残念でならない。

             

            そして、日本のリバイバルを、というのなら、ミッションスクールの関係者とか、過去、教会に行って話を聞いた人とか、お一人様クリスチャンとか、日曜学校に通っていた人とかを対象にしてのリバイバルであって、別の精神世界を持つ人々への伝道ではないと思うし、その為であれば、ウェスレーは別のアプローチをしたんじゃないか、と思った。

             

            それと、最後に、道後公園中で、「藤本満によると」という言葉が頻発していて、ことあるたびに藤本満先生のお名前がでており、「僕が言ってるんじゃないからね」光線を出しておられたのが印象的であった。

             

             

            次回は、パネルディスカッション篇である。

             

             

             

             

             

             

             

             

             

            2017.07.15 Saturday

            神戸改革派神学校第41回 信徒夏期講座に行ってきた(3)

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               今日は、神戸改革は神学校の第41回 信徒夏期講座に行ってきた記録の公開の第3回目であり、その日の後半に行われたシンポジウムの部分からご紹介してみたい。当日のメモと記憶に基づいているので、以下の内容に関して、誤解や誤って記録した部分、誤って受け止めた部分はあるとおもう。それは、ミーちゃんはーちゃんに由来するものではある。

               

              パネルディスカッションを開くにあたって

              司会者

               マクグラスの『キリスト教の将来』という本によると、同署の中で、マクグラスは、「カトリック教会には将来があること、東方教会には将来はある、プロテスタントには将来がないものの、カリスマ派に将来があることが書いてあるが、これは、現状が変わらなかったそうなるという趣旨で、そのような趣旨の表現が記されている。

               

               この主旨の背景には、カトリックは19世紀には、ある種近代主義に背を向けたものの。第二バチカンで大胆な変化をしたことがある。そして、カトリック教会では、かなり大胆な変革したことがある。ところが、プロテスタントの主流派には、このままいくと将来がないように見える。特にヨーロッパの諸教会にに行くとそれは感じる。


              そこで、このシンポジウムでは、日本のプロテスタント教会に未来はあるか宗教改革では何を継承、なにを改革していくのか、ということについて議論していきたい。とはいうものの、ここでの合意事項は、神学論争はやめようということであり、個々個別の神学の違いについては、議論はしないことにしたい。

               

               まず、お一人5分でそれぞれのご発表に対して簡単にコメントをおねがいしたい。そして、日本のプロテスタントに未来があるのか、という視点からそれぞれご意見をお願いしたい

               

              パネルディスカッションの模様

               

              各パネラーのまとめとコメント

              正木校長(神戸ルーテル神学校)

               正教会、カトリック等の伝統教派が存続する可能性が高いのは、教会が大事にしてきた伝承が教えていることを生かしていく仕組みがあると言いう側面があるといえるだろう。その意味で、ある面、教会が大事にしてきたアウグスブルグ信仰告白の内容を伝えていくことで、十分ではないか、といえると思う。

               

               み言葉が語られ、説教があるのなら、神の民が集まってくると私たちは考えている。ルター派では、神の法が支配する世界と、この世の領域、即ち、福音が語られる世界があり、そこでは人の法が支配する世界であり、教会内の政治組織やこの世の王国がそれにあたる。

               

               とはいえ、教会内で、こうでなければならないというときに福音そのものがゆがんでくるし、いろいろな面で、一定のフレキシビリティがないと教会には将来がないのではないだろうか。

               

              吉田校長(神戸改革派神学校)
              このような企画は、二世代前なら考えられない企画である。ある種の危機意識があるということであろう。そして、現状をきちんと客観的に見ないとまずい状況になっているだろう。その意味で、現状を踏まえ、教派を超えた関係の構築をしていく必要があるのではないだろうか。

               

               これまで、相手のことを思い込みにより、知らないで批判をすることが多かったのではないだろうか。それと同じように、相手の話を聞かずに、伝道や牧会をしてきた面もないともいえない。それでは、伝道や牧会がうまくいかないことになるのではないだろうか。

               

               日本の教会に未来があるかということであるが、宗教改革そのものを考えると、宗教改革が起きたときには、カトリック内で、カウンターリフォメーションがおこり、トリエント公会議等が開かれた。現状を考えると、プロテスタント側に先んじて、第2バチカン公会議などが開かれていて、先行している印象がある。では、翻ってプロテスタントはどうするのか、というと現状、それぞれが模索していて解決策が見つからないという現状ではないだろうか。

               

               では、なぜ、カトリックと東方教会がこれからも生き延びるということに関しては、伝統をどう考えるかということに関しての問題と深くかかわっているだろう。ところで、ある意味で、キリスト教は伝統の上に成り立っている。新約聖書は、旧約聖書の延長上に乗っているし、聖書をはじめ、様々な伝統を継承している以上、伝統を切り離されたら、どこに行くかわからない危うさを持っているように思う。

               

               この2000年の伝統に立ってどうするのかを考えてい苦必要があるだろう。宗教改革以降は、このようなキリスト教の伝統が無視されてきた側面があり、歴史をどのように継承して、どのように発展させていくのか、ということが重要になるのであろう。

               

               また、このような斯くはそろっての企画は、東京では難しいというあたりも、日本全体の教会が考えるべき問題であるかもしれない。

               

              坂井さん(神戸神学館)

               プロテスタントの弱点として、歴史的な伝統の軽視があるのは、吉田校長の指摘の通りで、我々はその意味で、宗教改革の伝統を受け継ぐ、「聖書のみ」、「恵みのみ」、「万人祭司」という宗教改革の原点を大事にすべきであろう。

               

               現状の日本の教会の課題を考えるうえで、カトリックの取り組みには、重要な取り組みがあり、我々が学ぶべきことがある。それは、現代社会という世俗化、個人主義化の中での教会の対応である。とくに、個々人の自由や多様性が重視される中で、世俗化と個人主義が進んでいくことになる。これが進むと教会離れへとつながり、プロテスタント教会から人々が離れていくことになる。

               

               ところで、信仰の継承というめんでいくと、正教会、カトリック教会、プロテスタント教会の順になっていることが指摘されている。ある意味で、教会論をカトリックは大事にしていて、共同体性が強い。これに反して、個人から教会へというベクトルが改革派的な伝統であり、個々人の決心として教会が形成される構造になっている。その意味で、教会論がプロテスタントとして、今後の重要な課題になっているように思う。


              その意味で、教会とは何かということがあり、正教会的な立場は、全く教会を変える必要はないという立場であり、カトリックでは、社会の変化に対して、教会が一体として、対応するという立場である。ところが、プロテスタントはバラバラであり、多様性の中の一致を模索する感じであるといえるだろう。しかし、本来、各教派が、もうちょっと仲良くできるはずなのに、言葉尻をとらえ、その違いでもめている感じもないわけではない。もう少し、歩み寄ることができるのではないか。JCE6(日本伝道会議の神戸で開かれた会議)等はそれがよく表れていたであろう。

               

               また、教会は信徒の賜物(能力)をもう少し活用できるであろう。また、カトリックや正教会は聖伝があり核になるものがあるが、プロテスタントは実質としての何かがないと、危険になる可能性があり、いろいろ説明するものがあるが、内実がない場合もある。その面で、神への応答が重要であり、聖霊論的な強みを育てていくことが重要かもしれない。


              鎌野さん(関西聖書神学校校長)
              関西聖書神学校の背景はフリーチャーチ系の簡易信条系であるので、ある面、信仰告白がしっかりしているのはいいなぁ、と思う。なぜならば、次世代に何を伝えるのかを明確にしていることは非常に大事である。その意味で、リバイバリズムだけをやってきた教派は、個人が改心して終わってしまうというところに、ある種の弱さを感じている。

               

               現在の日本のプロテスタント教会の惨状は、次世代に何を残していくのか、という概念の部分の欠落であろう。その意味で、将来を持ちたいとしたら、自派の教会の歴史をもっと知ることが大事だろう。今回、ウェスレーが書いたものを読み直してみて、こういう問題を考えていたのだなぁ、ということがよくわかった。さらに、彼自身が悩んだことについて、ウェスレー自身が書いている一次資料にあたってみて、わかってきたこともある。そういう作業をやってみるというのは大事だと思う。そのような側面が自分たちには欠落していたように思う。さらに、教会の歴史を知り、改革者の思想を知るということは大事であろう。

               

               また、現状で、日本はミッションフィールドであるという認識は重要であり、社会の中で当たり前の様に教会があった大英帝国や北米植民地の中で、何かしようとしたウェスレーとはかなり違っているように思う。その意味で、日本ではウェスレーと同じ方法論は利用できないであろう。その意味で、どういう施策をし、思想を持ち、どのように実践することを考えていくことが大事なのではないだろうか。


              ウェスレーは、標準説教、聖書注解、賛美歌などをはじめ、次世代を育てるために一生懸命してきた人である。現在、改革派の神学校で日本人の先生方が書かれた本が出たのは、次の世代を整えるということでもあるのだろう。次世代をどう育てていくのか、というその意識を強烈に持っていくことが重要である。では何ができるか、ということを具体化していくことであろうし、その作業をしていかないと、日本のキリスト教には将来はないだろう。

               

               以上のようなことが語られた後、パネルディスカッションの本番に入っていった。

               

              パネルディスカッションの概要

               吉田氏は、教会のしるし み言葉の説教と礼典の執行ということをもう少し考えた方がよいのではないか、ということを指摘された。また、鎌野氏は、ウェスレーは、しぶしぶ行った教会で回心し、しぶしぶやった説教で人が救われるのを見て、説教の仕方を大きく変えていったことはきおくされるべきであり、その意味で、もっと自由さがあった方がいいかもしれないというして祈願された。さらに、坂井氏は、継承していくという側面と非連続な側面があるし、また、信徒の賜物を活かすという側面はもう少し考えられてもいいかもしれない、ということを指摘された。これに対して、鎌野氏は、信徒説教者という側面での活躍ということをもう少し考えてもいいかもしれない、と応答し、正木氏は、プロテスタンティズムというよりはムーブメントであり、このムーブメントがどう定着し、どうそのムーブメントが継続していくかということが重要であろう。また、これまで、仕組みがありきで、ムーブメントがあり、信徒運動があり宣教団体ができてきた経緯がある。それをどう考えるのか、ということが課題の一つであろう。

               

               他に出た意見としては、これまでは、とにかく伝道してから考えるということが取り組まれてきたといえよう。そして、伝道地において、教会が出来上がりつつある中で、神学が形成されてきた。また、信徒教育にあたるものとして、さらに、使徒職の継承者として牧師の存在があり、語るものと聞くものという構造ができてきた。さらに、万人祭司についてであるが、イスラエルは祭司の民ともいわれたけれども、職分としての祭司という存在がきちんとあったことは覚えておくべきだろう。その意味で、説教職という概念が保たれている教派ではあるけれども、信徒説教者の伝統はある。改革派でも信徒説教者を要請しようとする動きがあり、神戸改革派神学校でも、この春から2年間での養成コースをもうける。これは、ミッションフィールドを考えたときに必要性があるというところからの発想である。

               

               同じ改革派系であるとは言えども、改革派系教会の中でできにくい部分もある。その背景には、教職に対する要求度が高いという側面があり、聖書の原語で釈義でき、教会の教理を熟知した上での説教が求められていることもあるし、ある面、信徒が語ることを許さない雰囲気が教会内にある側面がある。カルヴァンは、家父長祭司ということを言っており、各家庭を導くのは家長としての父親であり、父親たちを訓練する存在として教会があり、家長が家庭を治め、語るという部分があり、そのことを通して信仰の継承をしてきた部分もある。

               たしかに、教会で、一般人が語ることは許されなかった。ジュネーブでは教会で信徒が語ることは、なかったが、当時のユグノーのフランスの信者では語った人がいたようだ。ユグノーたちの間に牧師を派遣したが、信徒たちで礼拝を守らなければ行けない環境におかれたユグノーの社会では、信徒がみことばを解き明かすことはあったようだが、それは、限定的な状況の例外的な存在であった。

               

               

              コメントと質問

              その後、参加者からの質問やコメントが出された時間も持たれた。

               

              ■老人をもっと使えば、どうだろうか、引退長老なのだが、引退長老をもっと生かしてほしい。老人伝道とか、孫伝道とかもあるのではないだろうか、という意見が出された。

              ■信仰継承の面で、幼児洗礼についてはどう考えるのだろうか。 

               ルター派の考え方としては、洗礼に力があるということで、子供と一緒の礼拝に取り組む教会もある。改革派としては、小学校4年生くらいのころに、小教理問答集のようなことを教えていて、その中に、教理と生活のすべてが込められているので、それを小教理問答集を通して教えている。

               フリーチャーチでは、拡声した人への洗礼という側面が強く、信者の洗礼を前提としており、献児式という、一種の疑似洗礼のようなこともするが、決定的な弱点としては、バプテスマではないので、そこに重さの違いがあるように思う。そして、大人になって洗礼を受けることになるので、その際の敷居の高さへとつながっている部分があるように思う。


              ■日本のプロテスタントの地方の教会では、無牧や兼牧という実態があるが、神学校の実体はどうなのだろうか。その実態をどう考えるか。そして、人口減少社会の中でのプロテスタントは残っているのだろうか、という思いもある。


              正木氏からは、個人的には、1%はチャンスだと思っている。これから増えていけるという希望がある。そもそも、み言葉の力があったのか。もちろん人口減少社会、高齢化という社会学的な要因もあるだろうが、欧米の教会が閑散としている中で、協力して成長するということは可能ではないだろうか。

               

               吉田氏は次のような趣旨のことを述べられたと主、無牧はチャンスかもしれない。牧師がすべきことのみを担当し、牧師がしなくてもよいことから牧師を開放する機械かもしれない。その意味で、牧師を支えるための教育に今取り組んでいるところである。牧師が本来業務以外のことをしているッことも多いのではないか。

               

               坂井氏からは、次のような趣旨のことが述べられた。兼牧の問題は、その教会に定住してない牧師の問題でもあり、その状況は、教職論を考えるきっかけになっている。我々は、あまりにも、社会的なものに動かされ過ぎているのかもしれないという側面がある。


              鎌野氏は、次のような趣旨のことを述べられた。昔は、100人規模で神学校に人がいたが今は10人前後で推移している。現在の変化部分のところだけを見過ぎるている傾向があるかもしれない。我々には、これまでに蓄積されたものがあることにも着目した方がいいかもしれない。微分だけで生きている。

               

              ■世俗化の中で、霊性の劣化の問題があるように思うが、これに対して、どうしたらいいのか、ということはどう考えるのか。

               
              非サクラメント化の問題があるだろう。洗礼、個人のデボーション等もあるが、告解や訓告の実質がない部分もあるし、また、それは、契約に対する警告の側面も必要だろう。また、信仰をもって、霊性の育成に向かっていくことの重要性なども指摘された。

               

               

               

              個人的感想

               日本のプロテスタント教会に将来はあるか、というかなり刺激的なテーマが掲げられたものの、将来があるという展望については、正直もてたか、というと、だめかもしれないという思いを確認して終わった感じであった。各教派、それぞれに悩みが深いのだ、ということだけはよくわかった。

               

               個人的には、信徒が相互牧会するキリスト者集団というか、キリスト教の組織の中で、信仰生活を長期間過ごしてきたものとしては、信徒が参加、関与するのは当たり前のことだと思っていた。それが普通でないことが最近分かりかけてきたところである。

               

              て、何でも、かんでも、信徒が不安だからと牧師に頼るため、信徒が、牧師の仕事を勝手に増やしてきた側面もあるだろうし、また、宣教地であるがゆえに、信徒からの好印象を得ようとか、信徒の支援を期待して、牧師や説教者の側でも必要以上に仕事を増やしてきた側面もあるのではないか、と外部者として横目で見ている。そして、過去の前例に縛られて、あるいは過去の牧師の姿に縛られて、にっちもさっちも宗教改革という本来、ムーブメントであったものが固定されたり、新しい方向に進んでいかない教会の実情が図らずも生まれたのではないか、と思ってしまった。

               

              さらに、一般参加者からの「老人や引退長老をもっと用いてほしい」という発言を聞いて、個人的には、非常に残念な思いを持ったことは正直に告白しておこう。現役でやりたい、生涯現役という理念をお持ちなのはわかるが、それは、残念な結果しか生み出さないのではないだろうか。

               

               なぜならば、高齢者の発言のプレゼンスが大きくなるなら、若い牧師は育たないし、常に高齢者のことを意識せずには牧会ができないことになる。さらに、高齢者のプレゼンスが大きくなるとすれば、若いがゆえに、経験もなく、その教会固有の伝統や知識を持ちえない、若い人たちが関与することがやりにくくなるような気がするし、現在の多くの日本の教会の現状を逆に肯定する方向を強化するだけではないだろうか。そのような自己の存在とこれまでの業績をすべて否定できるような、非常に柔軟な思考を持つ高齢者の方がどの程度あるのだろうか、という現実を思うと尚つらいように思う。

               

              パネルディスカッションで思ったこと

               今回、このパネルディスカッションを拝聴して、重要であると思ったことは、何らかの固定された枠組みと柔軟性が組み合わされることの重要性である。固定された枠組み(それはサクラメントの方法論でも、神学でも、教会歴でも、いわゆる教会の伝承でもかまわないとは思うが)は、人間に安定性と信頼できる何かがあるということの印象を与えるのであるように思う。それがなくなると、結局原点が定まらない原点すら変幻自在の状態空間の連続体、という、ある面の渦の中にいるような状態になるのではないか、とは思った。カトリックの場合、ミサと教会統治の仕組みというある程度固定された枠組みの中で、どのように現代社会に向かっていくのか、という面で自由さを確保しているところがあり、制度的にきちんと確立したものがあるからこその逸脱もありなのだとは思ったが、その辺、聴いている方々はどの程度理解されているのだろうか、という一抹の不安を覚えた。

               

              日本では、伝統教派だってきついんですけど

              あと、今回、カトリックと正教会が今後とも存続可能性がある組織としてマクグラスが言及していることから、伝統教派のことにも触れられたが、今回のパネラーの方々で、どの程度これらの伝統教派の日本での実情をご存じなのだろうなぁ、という素朴な印象を持った。両者ともある面で、必死なのである。巡回司祭のところは多いし、一人でいくつもの教会とそこの信徒さんのお世話をしておられる司祭の方は少なくない。その中で、信徒たちの信仰をどのように支えるのかがカトリックでも、正教会でも、課題となっているし、信仰の継承も非常に厳しいという現実の姿があるのも、これまた現実のようである。

               

              今行っている聖公会のチャペルというか、アングリカンのチャペルでお会いするカトリック教会の関係者の方のお話では、プロテスタントにつかれて、カトリック教会に来て、信徒になる方の中に、何でも司祭にしてもらいたがる傾向というのか、いいとこどりをしたいというような傾向が強い、という苦情とまではいかないが、愚痴のようなものを聞いたことがある。

               

              日本人全体としての宗教的関与の薄さ

               しかし、よくよく考えてみれば、これはプロテスタント崩れの問題ではなく、日本人全体としての信仰に対する対応の仕方の問題なのだろうと思う。何かは自分の人生の核となるものやメリットは与えてもらいタイ、ということはよく聞くのだけれども、主体的に共同体に関与したがることがないという。その意味で、葬式仏教と揶揄されることも多い仏教の現実の姿も日本人全体の反映なのだと思う。自ら修行し、悟りを開く、というような具体的な面倒を伴うことは避け、葬式でお経と線香をあげてもらい、それで悟りを開いたことにするために、葬式だけしてくれたらそれでよくって、現実的な定常的な関与はできれば避けたい、という歴史の中の諸断層の中で示されている現実がそこに横たわっている様な気がしてならない。そして、それは、愛隣地区のホームレスのおじ様方たちの「生きている間は、(その日生きて過ごすためのパンを配ってくれる)キリスト教で、死んだあとは(お葬式をあげて、こちらの努力とは関係なく成仏させくれる)仏教でお世話してもらいたい」という発言に現われているのかもしれない、と思う。

               

               そういう性質を持つ日本の人々に神のことばを伝える、まったく基礎ができてないところに、キリスト教の基礎を据えていくという努力をしていく必要があるという理解をしたうえで、どのように「キリストがこの地に来た」ということを伝えていくためには、イエスが行い、初代教会がやったように、具体的に貧者や病者をケアし、苦しむ人々と共にいるということを一人ではできないということを十分に認識しつつ、一人で抱えるのではなく、様々なキリスト教徒が入れ替わりたちかわりしながら、支えていくということを冒頓にするしかないのではないか、とロドニー・スタークの著作の翻訳などを読みながら思っている。

               

               我々は、直近の現実にあまりに振り回され過ぎということは事実だろうと思う。日本のキリスト教徒が本当にキリスト教に価値があると思うのなら、素朴に神を信頼しているのなら、神がなされるということを確信しているのであれば、自分たちがどうしたこうしたということに目を向けるのでなく、日本が高齢化しようが、日本の教会に若者がいなかろうが、それは関係ないのではないだろうか、とは思う。

               

               とはいえ、これまでのキリスト教が積み上げてきた資産の蓄積があるといい、そこに胡坐をかいて慢心するなら、その行く末は、従来型のビジネスにこだわり続けるあまり、結果としてシャッター通りと化した日本の少なくない商店街と同じ構造であり、そのような、慢心した商店街の商店が結局ビジネスを自主廃業して言ったのと同じ命運が待ち受けているのではないだろうか。歴史と伝承は、これまでの姿を墨守し、同じことを繰り返すことそのものに意義があるのではなく、歴史はこれからの社会をつくるために参照する対象としてあるということを、意識しておらえる神学校の先生方がおられることは、極めて心強かった。あとは、その薫陶を受ける神学生諸氏が、これから、どのように歴史とそれぞれの教派の伝承とに立ちつつ、現実社会と柔軟に向き合っていくことが重要なのだろうなぁ、とは思った。

               

               その意味で、藤本満さんが「歴史」という本を書かれ、それが出版されたことに、重要な意味があるのではないか、とは思う。

               

               あと最後にもう一つ思ったことを述べたい。どうせやるなら、福音派でくくられる人たちだけではなく、日本基督教団やら、カトリック教会や正教会の司祭やら、聖公会の関係者などをお招きしたら、もっと面白かったのに、と思った。今後やるなら、是非このタイプの企画をお考えいただいても、よいのではないか、ということを思った。それこそ、思い込みや、どこかで読んだ本をもとにして内輪で議論するのではなくまともに向き合ったらいいのに。

               

               

              以上で、連載は終わりである。

               

               

               

               

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              コメント:ホームレスのおじ様方に現われた日本の宗教への向き合い方がよく表れていたように思う。

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              コメント:キリスト教の原点という意味では忘れてはならないことが書いてあるように思う。

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              コメント:読み始めたばかりだが、面白い。

              2017.07.19 Wednesday

              ルターセミナー in Osaka に行ってきた (1)

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                今日は、2017年7月17日(月曜日 海の日)に日本福音ルーテル 大阪教会で開催されたルーテルセミナー in Osaka 2017に参加してきたときの記録をご紹介してみたい。今回は、「ルターが今日の日本に生きていたら」〜神のすばらしき創造の世界と共生〜  に参加した時の筆記録をもとにご報告してみたい。

                 

                ルターセミナーの写真

                その日の状況


                公演されたのは、江口再起氏であった。同氏は、元東京女子大学教授で、現在は、ルーテル学院大学、神学校の教授で、付設ルター研究所 副所長 をしておられることなどが紹介された。

                 

                ご講演の内容

                今年は、ルターが95か条の提題を出してから500年目の年に当たる。 400年記念の100年前にも今回のようなイベントは開かれたが、その時は、宗教改革があったということ、原点を覚えるということが主なテーマであったが、500年の今年に当たり、このセミナーでは、原点を見るとともに、未来に向けても考えてみたい。少し未来志向を持って展望してみたい、と思う。ルターの言葉ではないという説もあるが、「たとえ明日世界が終わるとしても、私は、リンゴの木を植える」といったとされるように、ルターは未来志向の人でもあったようである。そして、ルターがドイツ国会で審問を受けた時、ルターは、「我ここに立つ」といったとされるが、ここに立って、さらに明日に向かって進む、ということを考えてみたい。

                 

                 今日いただいたテーマは、「ルターが今日の日本に生きていたら」というテーマであるので、ルターという人物と今日的状況、そしてなかでも日本ということを考えながら、この500年を考えてみたい。

                 

                ご公演中の江口氏

                 

                 

                ルターとはどういう人か

                ルターについてであるが、ルターといえば、宗教改革者 (牧師であり宗教家)と理解されるのである。確かに、ルターは説教に力を入れた人であり、み言葉に立った説教をした人であった。当時は毎日礼拝があり、毎日説教をした。ルター直筆の原稿は残っていないが弟子たちの手による筆記は残っていて、おおむね2300くらいの口述筆記録が残っている。

                 

                そして、ルターは礼拝改革をした人であった。当時の礼拝は、聖職者だけでする礼拝というようなものであり、聖職者が実施している礼拝を、会衆は見学をしているという状態であり、賛美歌にしても、会衆は歌わなかった。賛美歌がラテン語であるため歌えなかった。さらに、説教もラテン語であり、勉強しないと分からない言語でなされていた。こうなると、普通の人は、聞いていても、何もわからない状態となる。説教も賛美もラテン語で行われるので、当時のドイツの庶民派ある種、教会の中で置き去りにされていた状態であった。

                 

                そこで、ルターは、ドイツ人にはドイツ語で説教をし、ドイツ語の聖書、ドイツ語の讃美歌を用いるという礼拝改革に取り組んだ人である。

                 

                また、ルターは、牧会者でもある。非常にたくさんの手紙を書いた人でもある。そして、教会から寄せられる様々な問題に対して、丁寧に答えた人であり、正に教会の人でもあった。

                 

                また、教育改革にも取り組んだ人で、児童労働が普通の社会で、当時学校に行かないことが普通の社会で、文字を教える学校の重要性を説き、現在の初等教育から始まる国民教育の原型もルターの提言の中にあったものであり、ルターの提言の中には、子供を学校に行かせること、という提言がある。

                 

                また、ある種の社会改革者でもあった。教会に共同金庫という箱を置いた。ここに集められたものは、多少は教会の維持にも使われた側面もあるが、貧しい人たちへの配給をした。実際にはあまりうまく機能しないこともあったようであるけれども。

                 

                また、大学の教員でもあり、著述家でもあり、数多くの著作を残した。ドイツ語のワイマール版ルター全集は全百冊からなるものであり、さらに、旧約、新約を全巻ドイツ語訳した人物であった。当時は、ラテン語聖書を用いていたので、それぞれの各国語に訳していく起点になった動きを方向づけたものは、ルターによるドイツ語翻訳聖書であった。さらに、賛美歌作家でもあった。作曲し、作詞もしている。笛を片手に作曲したというようなことも言われている。

                 

                 従来の修道士は独身であったが、同じく修道女であった女性と結婚をし、良き家庭人でもあった。手紙などを見ると、かなり子煩悩な人でもあった。良き友人でもあり、メランヒトンなどと交流もしている。ルターはどちらかというと大局的に物事を見る、おおざっぱな人であったが、メランヒトンはどちらかというと、割と緻密な作業をする人で、 後付けで一定のかたちにしていく人であったので、ルターは、メランヒトンに、「大胆に罪を犯せ、そして、もっと大胆に悔い改めよ」といって励ましたりもしている。

                 

                現代の世界について

                では、第2番目の現代という時代について触れてみたい。ルターは教会改革をしたが、それが引き金になり中世が終わり、近世に移行していったのである。キリスト教2000年の歴史のうちの約半分は中世であった。その中世の終わりにルターが表れて、宗教改革をなしたのである。

                 

                そして、信仰世界の改革を通して、当時の社会を変質させたのである。式文を変えたら、今は世界が変わったりはしないが、ルターの時代にルターが礼拝改革をして、式文を変えたら、当時の世の中は変わったのである。その意味で、中世から近代への転換点が、宗教改革であるとはいえ、その意味で、近代という時代が始まって500年に当たるのが子としてあるが、ぼちぼち、この近代という時代が賞味期限切れになり、あちこち破たんを見せており、現代は、近代が終わりを迎えた時代である。そのため、ポストモダンということが言われるようになっている。
                 

                近代はどういう時代であったか

                ルターが幕あけをした近代という時代はどういう時代であるか、ということを考えてみたい。大雑把に言うと、人間が大事にされる社会である。ルターが生きた中世の封建制度が支配した時代であるから、当時は、身分社会であり、身分が高く価値の高い人とみなされる人と身分が低く社会にとって価値が低いとみなされる人、という区別が当時の社会にはあった。その意味で、人間としての価値は同じではなかったが、それはおかしいのではないか、人としての価値の差があるのかという疑問が生まれ、人権という理解が生まれた時代である。人間は誰かの奴隷ではなく、自由に生きていっていいという、人権の一つの柱が生まれた時代であり、これらの感覚が近代という時代においてはぐくまれたのである。もう少しコンパクトに言うと、人は、自由であり平等であるという時代である。これが、デモクラシー(民主主義)の基本であり、社会のことに、自由に平等に参加できる社会という理解が生まれたのである。これはルターが、一生懸命主張してきたことであった。

                 

                良心と自由の概念とルター

                ところで、当時のドイツの神聖ローマ帝国皇帝が審問して、ルターの提題や教会への批判を取り消せといったのだが、自分は聖書に基づいた言葉なので取り消さないと主張し、そのうえで、「我ここに立つ」と議会の中で、ルターは主張したのであり、自分の良心に基づいて自由に生きていくといった人でもあった。ある面で、自分の良心に従うことを大事にした人である。

                 

                良心の自由という言葉があるが、良心と自由を結びつけたのは、世界市場、ルターが初めての人物であった。教会の中だけの人としてのルターというよりも、教会の中でのルターの思想が社会に広がっていき、近代が成立したとはいえるだろう。

                 

                当時のカトリック教会で行われていたような、司教団の礼拝を庶民はただただ見るだけでなく、信徒も一緒にみんなで礼拝しよう、礼拝に参加しよう、というのが万人祭司の精神であり、これこそ、人間の平等の原点であり、西洋における自由と平等についてもルターが大きく貢献したといえるだろう。

                 

                この段階までの感想

                 確かにルターは、マルチな活動をした人物であるということは、なんとなくは分かっていたつもりではあったが、改めて、今回のように整理されてみると、ルターの活躍の幅は非常に多岐にわたり、非常に大きかったと言わざるをえない。

                 

                しかし、今回挙げられたことをすべてルター一人でなしたわけではなく、ルターは当時の変化し始めている社会を、近代に向かった方向へのベクトルを与えたような人のような気がする。

                 

                市民的自由の問題にしたって、ヴェネツィアという身分制度がやや緩めの都市国家が存在したこと、ヨーロッパの中で、中世的な社会制度や支配体制がほころび始めたこともあり、先日のユダヤ思想学会でも報告があったように、人口や人材の流動化、ユダヤ人の難民化及び龍民化があり、地中海航路での人口流、物流を含めた交易流の活発化、ムスリム支配する地域の中で保存されてきたギリシア思想や哲学が、ルネッサンスで流れ込んできており、ヴェネツィアとオランダのアントワープで印刷工場ができ、多数の印刷物が印刷され、アルドというヴェネツィアの書籍出版業者がフォントの改良をし、また、小型の廉価本が大量に出版され、文字技術を使う中産階級の人々の間で、これらの本が回覧されて読まれ、と言う状況の中での宗教改革であり、ご講演では、ルターの宗教改革500年ということでもあるのかもしれないし、ご自身がルター研究者で非れるということもあるとは思うが、やや、ルターに花を持たせ過ぎであるようなきがした。

                 

                当時のヨーロッパでは、ある程度明確な地殻変動の前兆現象は確認されていたものの、それが本振動という化、本格的な地殻変動になるまで、ウィクリフやフスなどがやろうとしたことが空間的、時代的には散発的に発生していたのである。そのような時代の転換点に現れたのがルターという人物であり、ある意味で、時代の状況のお膳立てがあったからこそ、宗教改革が起きたとも言えるような気がする。

                 

                ドイツの当時の政治状況あっての宗教改革

                さらに言えば、今回のご講演では、ドイツの歴史的政治状況が殆ど触れられておらず、ドイツの歴史状況があったがゆえにこのルターの宗教改革が起きたという側面、神聖ローマ帝国という意識が一方ではありながら、多数の領主が実際的には相互牽制の動きの中で支配する文献的構造が残っていたドイツであるからこそ起きたのが宗教改革であり、同時代のフランスでは絶対帝政に向かう時期でもあるし、フランスでのカトリックの強大さと聖職者への政治の強力な介入状況を考えると、とても、ルターがいかに優秀であったとはいえ、起きなかったであろうとは思う。さらに言えば、ローマ帝国最盛期であっても、当時のドイツの領域内のローマを首都とするローマ帝国支配がかなり遅れこんだこともあり、ドイツでの支配的な民衆言語が、ラテン語の影響をほとんど受けておらず、それゆえに、民衆には、ラテン語説教がわかりにくいものであったという側面もあったのではないかなぁ、とご講演を拝聴しながら思った。

                 

                しかし、説教を毎日とはいっても、リタージカルな教会運営でもあったであろうから、いまのように30分から1時間もかかるような説教ではなかったようにも思う。せいぜい、10分から15分位であったであろうけれども。それでも、毎日というのは、大変だとは思うが。子供向けとは言え、聖書キャンプなどで、子供向けの説教を1日3回していた経験を持つものとしては、あのキャンプでの日々は、結構大変だった、という思いはいまでもある。

                 

                良き家庭人であった」、とはご講演の中では言及されているが、修道士でありながら、結婚してみたり、「罪を大胆におかせ、そのうえで、さらにもっと大胆に悔改めよ」と行ってみたり、ルターとは、結構な破戒坊主ぶりでもあったように思う。

                 

                 

                次回は現代的な意義について。

                 

                 

                 

                次回へと続く

                 

                 

                 

                 

                 

                2017.07.22 Saturday

                ルターセミナー in Osaka に行ってきた (2)

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                  前回に引き続き、宗教改革500年のルーテルセミナー in Osaka 2017の「ルターが今日の日本に生きていたら」〜神のすばらしき創造の世界と共生〜という講演への参加記録を書いて述べてみたい。今日は現代をどう見るか、ということと、もしルターが生きていたらどうしたであろうか、という部分についてである。

                   

                  現代社会と3つのE

                  宗教改革によって、西洋は近代化に向けて歩を進めたというものの、現代では、その近代が賞味期限切れになりつつあり、様々な難しい部分を抱えている。

                   

                  現代の危機を特徴づける3つのEがあり、この3つのEが危機にひんしているといえるのではないだろうか。その3つのEとは、Ecology Economy EcumenismのEであり、これらはいずれも、ギリシア語の住むという単語のオイケオーから出てきたことばであり、それぞれが関連する親戚関係にある語である。

                   

                  まず、Ecologyあるいは、環境の側面から考えてみると、原子力の問題が挙げられるであろう。原子力は、本来人間がコントロールできない物に手を出してしまったといえるのではないか。

                   

                  次に、Economyあるいは経済であるが、グローバル経済という、貪欲な経済システムが支配しており、その結果、日本においても、格差社会と呼ばれるほどの経済格差が生まれてる。そして、貧困が固定化される傾向が見られ、貧困から脱出できない人びとが生まれた社会でもあり、現在の若者にとって実に深刻な問題となっている。

                   

                  第三のEcumenismについてであるが、今回ルター派の3つのグループが初めて一緒に礼拝を守ることになる。本来一つであるべき教会が、実にたくさん分かれて存在しているのは確かである。すぐに一つの組織とはいかないけれども、お互いに喧嘩している状態であるのは問題ではないだろうか。人間的な努力によって、無理やりくっつけるようなエキュメニズムではなく、教会再一致運動としてのエキュメニズムであり、かなり大きい視点から言えばみんなで一つになっていこうというのがエキュメニズムであろう。

                  このような現代的課題にルターはどのように貢献するかを考えてみたいが、このための多くのヒントがルターの著作の中にある、と思われる。

                   

                  Ecologyを巡る現代的課題 2つの世界 二王国論
                  ルターは、神の前、人の前と分けて考えており、人が神の前でどういうことを言うのか、ということと、人が人間の前でどういうか、ということがどのように違うのかは自ずと違っていると考えている。。その意味で、この世界には、神の支配する領域世界(神の王国)と人の支配する人間の領域世界(人の王国)があると考えており、ある種の二王国論的な立場に立っている。

                   

                   ところが、近代が産んだ、近代科学の立場では、人間の世界だけである(あるいは、人間が認知できる世界が世界だ)けだと主張する人びとも近代の末期には出てきた。しかし、厳然として、人間が感染に支配、管理、運用できない世界がある。例えば、原子力は、作ったはいいが制御できない技術であることが、福島原発事故でわかったのではないだろうか。確かに。多くの機械類は制御できるが、原子力のエネルギーは、いったん開放されてしまうと元に戻らないという性質を持つのではないだろうか。このように、人間が制御できないということは、本来神の領域があることを指し示しているし、そこに人間が手を付けたことを意味にしているのではないだろうか。

                   

                  原子爆弾の実験が行われた地名は、聖なる儀式を示す言葉(サクラメント)という言葉が地名として用いられているし、日本の高速増殖炉は、「もんじゅ」という名前が与えられているが、それは、人間を超えた世界の中の対象の名前である。これらは、これらの技術が人間を超えた範囲のことを扱う技術であり、ある種、神の領域に踏み込んだ、という意識の反映であったかもしれない。(ミハ氏註 サクラメントに関する云々は、本当かなぁ、とは思った。)

                   

                   このような近代の末に、ある面、人間は、神の領域まで踏み込んでしまった人間として、どう生きるのか、が問われているのかもしれない。

                   

                  Economyを巡る現在的課題 格差社会
                  格差社会に対応するためには、貧しく弱い人に対応するための方策として、現代社会に存在するのは、福祉国家という概念であるが、この分野で有名なのは、北欧諸国であり、これらの国家では、比較的福祉制度が整っているといわれているが、これらの国では、ルター派のプレゼンスが大きい国である。これらの国では、税金が高い国家であるが、これは、もてるものから税金をとることで成立しており、ある種の均等化、平準化が図られている国である。マックスウェーバーの主張によれば、「ルター派とカルヴァン派を比較してみたとき、両者の間には、違いがあり、それは、ルター派では人間を神の恵みを受け止める神の器としての性格を持っており、カルバン派は神の道具という人間理解をもっている」とされている。その意味で、ルター派では、神の器として神の恵みを受け止める存在という人間理解があり、カルヴァン派は自分達自身が神の道具になって働くという傾向が強いということではないだろうか。


                  ルター派は神の恵みを受けるということを重視しているので、自分自身が神の恵みを無条件に受け取っていると理解しているため、恵みを受け取る人の気持ちがわかるということに関して理解しているし、さらに、神から恵みを受け取っていることから、税金をたくさん払うときに、改めて神から受け取っているものの大きさを感じるという部分があるのかもしれない。この、自分自身を恵みの器と感じる感受性はルター派の特徴であると言えよう。

                   

                   ルターの最後の言葉は、「私は神の乞食である」であったという。この言葉に示されているように、神からの恵みを我々が受け取りっぱなしだという感受性は、我々が現代において生き延びていくために必要かもしれない。

                   

                  Ecumenismを巡る現代的課題 分断を超えて 
                  エキュメニズムはある教派と他の教派が、相互に仲良くしていこう、という側面を語っている。ある面で、ルター派として、他の教派とも仲良くして行こう、ということでもある。カトリックとも一緒に、あるいは、時に、他宗教の人とであっても一緒にやっていこうとする社会を目指そうというものであり、他宗教、他の民族、他の言語の人々とも、一緒に共生する社会を目指していこうとする立場であり、現在は、それぞれのグループごとで分断していて、閉鎖的になっているが、宗教間対話を進めていこうという立場である。その意味で、エキュメニズムは大切なことではないか、と考える。

                   

                   現在、日本において意識することはあまりないが、ヨーロッパにとっての大きな課題は、難民問題であり、現在、欧米諸国は、この問題で苦しんでいる。日本では災害、特に、自然災害の場面で、この分断を超える動きが見られる。阪神淡路大震災以降、一緒に生きていき、他者に仕える、ボランティアとしての動きや概念が日本においても定着してきた。何でもかんでもルターといわれるかもしれないが、キリスト者が神から与えられた自由の中で、自分の神から与えられた豊かさや自由ということを捨てる自由もあり、その大切さを主張している。その意味で、今こそルターが言っていることを学ぶことが重要になってくるのではないか、と思う。

                   

                  現代日本の中で何を求めていくのか
                  もう少し、日本というコンテキストで考えてみると、日本のルーテル教会をどう考えるかということを考えてみたい。戦争に敗れて、その悲惨さを経験した結果、日本人の多くの人々は、もうどんなことがあっても戦争はしないと誓ってきたが、。戦後の平和国家として歩んできたとは言うものの、世代が変わり社会が変化する中で、そのような社会としての耐用年数が切れかけているように思う。戦争はどんなことがあっても嫌だ、ということを身にしみて感じていた、戦争を直接経験した世代、あるいは、その子供の世代までは平和を希求する精神を生きていたものの、孫の世代になるとその悲惨さを忘れ始めている状況にあるのではないか、と思う。何がなくても、貧しくても平和を中心に社会が進んでいくことを目指していたのが、変わり始めている感じがする。

                   

                   具体的には、憲法9条をどうするかという問題などに現れるが、それは、我々が、神がどういう世界を望むかというところにかかっており、現在は、戦後社会の岐路をむかえているようないんしょうがある。もう少しいうならば、すでにその社会としての曲がり角を少し曲がってしまったかもしれない。

                   

                  経済中心主義への疑念
                  貪欲に豊かさを追求する人々がいる中で、お金だけが重要なのか、という側面を考える必要があるだろう。人間はお金のみで生きていくものだろうか。経済第一主義で良いのであろうか、という反省はあるものの、やはりお金が大事であるというような雰囲気が漂ってはいないだろうか。

                   

                   3.11東日本大震災は、ある面、日本社会の転換点であったように思う。それは、福島原発事故と津波に象徴されるだろう。現在でも8万人以上の方が、困難な避難生活や仮設住宅での生活を送っておられるが、このような問題も、しっかり考えておかないといけない問題であるだろう。

                   

                  現代日本における教会やクリスチャン
                  このような日本社会の中で、どう考えるか、こういう難しい状況の中で、教会やクリスチャンは、どのような存在であろうとするのか、ということが問われているように思う。

                   

                   確かに、個々の教会や個々の信徒は、もう精いっぱいに頑張っているし、小さな教会はこれ以上できないぐらい頑張っている。とはいえ、必ずしも思い描いている教会形成ができていないのも事実であり、オウム真理教事件が典型的に示すように、若者たちは、既成の宗教団体に厳しい目を向けはじめたことを、示す事件であるものの、それと同時に、なにか宗教的なものへの関心が高まっているということを示しているのではないだろうか。そして、あの事件は、科学への絶望と、霊的な何かへの関心が高まっていることを示しているといえるだろう。

                   

                   

                  重ねた年輪の厚みがなくなっている教会
                  では、ルター派を振り返ってみれば、おおざっぱに言ってしまえば、現在、ふるっているとは言えない状態にあるだろう。無論、教会員が充実している教会もあるが、頑張っても、頑張っても、会員数をとっても縮小傾向にあり、教会員の中に、高齢者が多い教会も少なくない。その意味で、教会の将来に関して、リアルな不安を抱えているのではないだろうか。そして、10年後が恐ろしいと感じている教会は、多いのではないか。もちろん、量的な面だけではなく、質的な面でも、どうなのか、ということを感じる部分もあるように思う。

                   

                   現在、伝道50年 100年とかと歴史を振り返っている教会も多いだろう。その時、昔の写真などを見れば、非常に教会は大きく大判フィルムを使って、プロの写真家にお願いして撮影しなければならないほどの会員が多い教会であったのに、今はスナップ写真かと思われるほどの人数の教会もないわけではないだろう。昔は修養会とかが盛んに開催され、ルターの「キリストの自由」をみんなで読むというような充実感や雰囲気があったが、今はそれどころではないじょうたいであり、時間的には、100年経ったけれども、それに対応する100年分の厚みを増した状況であるとは、言えない教会も少なくないのではないか。

                   

                  空回りする教会のことば

                   自戒を込めて言うと、教会の中で使われる言葉が空回りしているような感じがする。ことばが氾濫する社会の中で、社会一般の「ことば」が軽くなるように、内実が伴わないことばだけが教会の中でも語られているのではないだろうか。

                   

                   教会の中でも、一応、これだけ言っておけばOKみたいな状況が存在していないだろうか。からっぽのことば。すなわち空語が教会の中で、交わされているのではないだろうか。キリストの愛という内実を伴ってないことばだけがかわされているようにも思う。そして、祈りましょうというと、全て一件落着してしまうようなことになっていないだろうか。

                   

                   「みんなで一致団結して、この状態に対応しましょう」などが語られ、終わってしまう決まり文句だけが教会の中でも、増えているのではないだろうか。総主張するところの意味は、本当の意味は何だったのだろうか、ということを問い詰めていかないといけないのではないだろうか。ある意味で、教会内用語が幅を利かせている状態にあり、教会の外の人にも通じる言葉で話す必要があるのではないか。それがルターがしたことだったのではないだろうか。そして、もう一度、教会の外の人と教会の言葉が通じる社会へと教会を再構築しないといけないのではないか、ということを思う。

                   

                   ルターは言葉の人であった。そして、社会的な働きが弱いといわれてきたルーテル教会の存在がある。しかし、実態としてはルーテル教会は、様々なことをしているのではある。しかし、あまり、自己宣伝しないという伝統があり、それが知られておらず、その結果社会への対応をあまり行ってこなかった印象に繋がった部分もあるようには思う。そして、社会的な問題に対する意識が薄いといわれてきた側面もあった。

                   

                   

                  ルターという人物の光と影
                  今日ルターに触れるときに、正直に影の部分もある、ということを認めないとならないだろう。ルターの光の部分もあるが、陰の部分もあることを正直に認めないといけないように思う。

                   

                  社会の治安への態度
                  例えば、中世の農民の中に、奴隷のような状態に置かれた農民達がいて、その状況に農民も立ち上がった。どうしても、このような反対運動は、過激化する傾向を持つ。ルターは、時にすぐに怒り出すような過激な発言をする人でもあり、ルターが書いたあるパンフレットでは、農民を撃ち殺せというような発言をしている。

                   

                  他の宗教者への態度
                  また、ユダヤ人問題についても、同様な発言をしているため、ナチスの時代にルターなかなり人気があった人物であるが、このは異型には、ユダヤ人に関する問題発言を含む本が出ている。ルターは、宗教改革がなされたら、ユダヤ人は、キリスト教に改宗すると思っていたようであるが、実際には、多くのユダヤ人は、改宗しなかった。「ユダヤ人と彼らの嘘について」というような本では、シナゴーグを焼け、という言葉が含まれており、そのような記述がナチス時代にもてはやされた。

                   

                   また、トルコ人についても問題発言があるが、それは当時はトルコ帝国とイスラムがヨーロッパに侵入してきたり、イスラム世界がヨーロッパを包囲していた時代であった。ルターは、宗教改革の結果、イスラム教徒も、イエスはメシアである、と言うはずだと思っていたようだが、実際には、イスラム教徒は、メシアであるとは、言わなかった(ミーちゃんはーちゃん駐 イエスの記述がクルアーンの中にはあることは確かであり、イスラム教徒は、イエスは、預言者であるとは認めているの)で、ので、イスラム教徒を攻めるような発言もしている。

                   

                  https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Japanese-Ottoman1683.PNG より

                   

                   

                  政治への態度
                  ある面、改革運動は当時のドイツの政治権力との二人三脚で進められた。そのこともあり、ルターには、政治権力の批判意識の薄さという側面がある。さらに言えば、キリスト教中心主義は確実にあり、他者である相手の立場への配慮のなさという面もみられる。現代社会の中では、自分たちとは様々な側面で違う人たち、とりわけ、違う宗教の人とどこで一致できるか、という問題が問われている中で、ルターに限界があることも確かである。

                   

                   

                  会場で展示されていたルターに関するポスター


                  結論
                  それでは、ルターという人は、これまで見てきた現在の世界の状況、日本の状況のなかで、ど言うことをするだろうか、すなわち、本日のテーマである「もし、今日日本のルターが生きていたら何をしたか」ということを考えてみたい。

                   

                   結論から言えば、ルーテル教会の牧師になったであろうし、少なくとも、ルーテル教会の牧師になった可能性が高いのではないか、と思う。

                   

                   ルターの95箇条の提題に戻って、考えてみたい。ルターの提題そのものを全部読んだ人はあまりおられないとは思う。そこで、4つの重要だと思われるポイントに絞って述べてみたい。

                   

                   その前に、当時の状況について考えてみたいのであるが、それは当時、罪の悔い改めは、1年に1度のもので良いとされていた。しかし、主が「悔い改めよ」というとき、それは人の全生涯が悔い改めであることを望希ており、その時だけ、悔い改めたのでは不十分だと主張したといえる。むしろ、一刻一刻ごとに悔い改め、毎日悔い改めることを主張したのである。

                   

                   27条では、免罪符問題をあつかっているが、現在は免罪符そのものがないので、あまり問題にならないかもしれないが、この問題は、罪がお金で解決されるという問題や、罪そのものの扱いが、軽く扱われるということに対応したものであろう。 

                   

                   43条では、貧しいものや困窮するものに支援するものは、免罪符を買うよりは意味があると主張しているが、これを実現していくことが重要なのではないだろうか。し

                   

                   93条では、キリストの民に十字架を伝えるものは幸いであると指摘しているが、これは、ある面、キリストのことをいつも考えよ、ということであるだろう。。


                  先に、ルターが今の日本にいたなら、ルター派の牧師になっているといったが、神の恵みの主張の意義を考えることは重要であろう。宗教改革にあたって、よく、聖書のみ、キリストのみ、恵みのみと言われることがあるが、これらのことをよくわかっているというときに、これらのことばは実に空虚なものになるのではないだろうか。

                   

                  信仰義認を巡る問題
                  人間は、そもそもが不十分なものであって、それゆえに恵みとしての贈与が神から豊かに与えられる用、神の側で準備されていることを考える時に、その神の恵みを求めていくということの大切さを伝えているように思う。そして、ルターは特に恵みを強調したのであるが、この概念が信仰義認を理解する上で重要な意味を持っていると考える。現在、信仰義認はそもそものルターが言いたかった意味を超えて、微妙なニュアンスが与えられていることばである。

                   

                  アウグスブルグ信仰告白の第4条
                  恵みによって信仰を通して、罪の赦しを得、神の前に救われる。

                  とあるが、これは、救いや義認の問題の根拠が人間の側にはない、ということである。私自身の信仰の多寡という部分や、本人がどのように信仰をもっているかどうか、ということは、本来、神の義人とは、あまり関係がないはなしである。これまで、広く普及していることもあり信仰義認という語を使ってきたのだが、現在、その語が表す内容は、問われているように思う。

                   

                   ルターが言いたかったのは、神の恩寵によって救われるということであり、その意味では、ひょっとすると、恩寵義認の方が信仰義認の中身をより良く表しているのかもしれない。

                   

                   我々人間に信仰がないからこそ、イエスは十字架にかかったのであり、われわれはどうにもならないことを神がご存知であるから、神の側から人間の側に救いが来たという理解である。その意味で、神の恵みのみであるが故に、我々は、信仰を与えられ、その結果として信仰義認が成立するということを思い出していかないといけないのではないだろうか。

                   

                   すべての人と共に生きていくことを目指すこと、それがエキュメニズムというものだろう。そのような信仰を我々がもっていきたいと思う。

                   

                  以上が、当日現場で取った速記録に基づき書き起こしたものであり、誤りがあるとすれば、ミーちゃんはーちゃんによることを再度ここで触れておきたい。


                  感想
                  この2時間弱のご講演では、ミーちゃんはーちゃんの関心領域がかなり現代というか、現在に偏っているので、本日紹介した、ルターの現代的意義を考えようとした後半部分のほうが、格段に面白かったように思う。とくに、エキュメニズムにプロテスタントの中で熱心に取り組んでおられるルター派ならではの視点とその背景がかなり理解が進んだ。

                   

                  おそらく、このエキュメニズムの部分には、ルターにおける人間理解が現在的な状況とも深く関わっていることと、これまでのドイツで歴史的経験、血で血を洗うかのようなフランスとの戦争経験、第2次ヨーロッパ大戦、ここ数十年のトルコ移民のドイツへの流入の問題、また、純血主義的なドイツ人の思想の背景などへの反省が込められているからこそのエキュメニズムの主張へとつながっていたり、カトリックとの対話へとつながっていたりするのだろうと思った。本来のエキュメニズムが達成されたと言うためには、やはり、oikosとして行われるごく普通のこと、聖餐(食事でもある)がともになされることが大事であるとおもった。津た〜はのみなさんが、カトリックでの教会一致の会議をしている際にいまだにカトリックの聖餐に一緒に参加できない状況では、エキュメニズムが達成されるためには、道なお通しという印象があるように思ったのだなぁ。

                   

                   そもそも、日本で今回、日本福音ルーテル教会・近畿福音ルーテル教会・西日本福音ルーテル教会の3つのグループの信徒が集まってする初めての聖餐式であった、という。それを思う時に、他の教会、他の宗教などとの、外部とのエキュメニズムも大事にはしてほしいけど、まずもって、同じルーテル教会を標榜し、接頭辞が異なる教会同士のエキュメニズムとかも、もっとお取り組みになられればいいのに、とは思ったが、それぞれ式文や、式文の順序も異なるので、そのへんの調整にずいぶんと苦労されたんだろうなぁ、と当日配布された、この合同礼拝のだけのために構成された式文と式次第を見ながら思った。

                   

                   式文の順序は、ほとんど毎週参加させてもらっている聖公会の式文の順序とは共通である。ただ、用語やその用法とは微妙に違っている感じは受けた。とはいえ、基本的な線ではかなり共通であるという意味では、ルーテル派は伝統教派に近い部分があるので、エキュメニズムということは考えやすい、という側面はあると思う。その観点からすれば、式文を用いない教会などとは、聖書のみや、十字架のみという側面では共通部分があるとはいえ、かなり違う部分も大きく、これらのキリスト教のグループとの共通理解の確認作業とそれを巡る対話は、イエスを預言者としか見ないムスリムの皆さんとの対話並みに、過去のいきさつや相互にキリスト教という枠組みの中で自分たちの主張の妥当性と正統性と、『正しさ」とについて相争ってきた分だけに、対話は難しいだろうなあ、そうとう大人になっての、あるいは大人としての対話能力が求められるよなぁ、という部分があるようには思った。

                   

                  ことばの空虚さを巡る諸問題
                  今回のご講演でも改めて思ったのは、現代の言葉が氾濫する社会の中での「ことば」が空虚であることと、そして、教会の中のことばがうわ滑ったものになっており、実のある、中身のある、内実のある言葉であるはずの聖書の言葉を語る教会のことばが空虚という指摘とそのことに対する反省である。決まり文句が繰り返されるのなら、それはたしかに実に無意味であり、盤面に傷が入り、同じ部分を繰り返していくような傷ついたレコード盤を延々回し続け、そこで流され、語られるのが、同じことばであり、それが、延々繰り返すようなものでしかないのかもしれないである。

                   

                  本日のご講演者によれば、ルターは「ことばの人」であったという。それなのに、ご講演者がご指摘のように、ことばが現実に力を持ちえない、今日の教会を見れば、どうルターは思うだろうか、とは思う。邦訳はされてないが、このブログでも何度か取り上げた、ナウエンの正教会系の砂漠の師父を扱った作品にThe way of the heartという小著(内容的には非常に深いものがあると思っている)があるが、その本の中でも、ことばが氾濫する現代社会の中でのことばの軽さ、空虚さが指摘されているが、今回はからずも、ご講演者からも触れられたのが非常に印象深かった。

                   

                  まぁ、教会のことばが空虚なのは、現代だけではなく、パウロの時代にもあったようで、パウロは、

                   

                  【口語訳聖書】 コリント人への手紙 第1
                  2:4 そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。

                  あるいは

                  【口語訳聖書】 コリント人への手紙 第1
                   4:19 しかし主のみこころであれば、わたしはすぐにでもあなたがたの所に行って、高ぶっている者たちの言葉ではなく、その力を見せてもらおう。

                   4:20 神の国は言葉ではなく、力である。

                  とか、結構繰り返していっている。

                   

                  ルターは、塔の経験と呼ばれる経験をしたという。彼自身が自分自身の不甲斐なさを繰り返し繰り返し経験する中で、自分自身を見つめ、そして、神にすがる他ない、神の憐れみにすがるしかない、神の恩寵にすがるしかない、という結論に達したのだと思う。まさにキリストの祈りとよばれる「主よ、罪人である我を憐れみ給え」(Lord have mercy on me, a sinner.) ということを実際の生涯を通して、経験することを通して、砂漠の師父たちの黙想の静謐の中から生み出されることばと同じような、内実をもったのかもしれないなぁ、と思う。そうであるが故に、ルターは「ことばの人」と呼ばれるようになったのであり、実際に、そのことばに力があり、内実があるものであったのであろうと思う。

                   

                  恩寵義認と信仰義認
                  ところで、今回講演者の方は、恩寵義認ということをおっしゃったが、これは、案外大事なのだと思う。現在、信仰義認という概念がプロテスタント界隈でめちゃくちゃ幅を利かせていて、自分たちの理解と違うことを言い出したかに見えるものに対して、すぐ攻撃的になる方々がおられるのが実にかなわないのである。そして、その理解が、正しくないとか、正しいキリスト教徒は言えないとか言い出すのである。それって、ひょっとして、自分を神の聖座につけていませんか、神の聖座を簒奪しておられるのではないか、とも思うこともすくなくないのであるけれども。

                   

                   その意味で、信仰義認というと、今回のご講演でも出てきていたのだが、自分自身の側の信仰の問題に引き寄せる原因になりやすく、神の側の最初の人間への関与(恩寵と言ってもいいと思うが)がかなり薄くなってしまうように思う。

                   

                   特に、ルターは、その恩寵を金儲けの手段にする人びとを口汚く罵ったというよりは、呪ったに近い部分はあった人であるとはおもうが、ルターにしてみると、本来神の主権に属する恩寵を、その扱い方も十分に知らないような人間が、金儲けの道具にすることに耐えられなかった人なのではないだろうか、と今回のご講演を聞きながら思った。この問題は、現代の教会にとっても同じような側面はあるとおもう。本来、神の恩寵である、とすべきものも、人間の道具のようにしてしまっている部分は、本当にないだろうか、ということはプロテスタント界隈でもう少し振り返って考えてもいいのではないか、と思った。

                   

                  二王国論について

                   個人的に、二王国論というと、十分に思いを巡らし、深く考えないと、ともすれば、二値的な判断、01型の判断や聖俗二元論的な立場に行きやすい。しかし、現在の状況や教会というものを考えるとき、それはびっちりと区別、弁別される二元論的な立場での理解というよりは、それが相互に入り混じっている状況にこの現代の世界でも実現しているはずではある(このことを、N.T.ライトさんはインターロッキング 噛み合っていると呼んでいる)ようにおもう。個人的には、インターロッキングというと、異なる2つのものが噛み合っている印象があるが、もうちょっと、グラデーション的な形というかスタイルというか、かたちでつながっているので、ところどころ融合していて、異なるものが溶接されている感じであると思う。その意味で、神の世界、あるいは、神の王国とこの地の世界、あるいは人間の世界、人間の王国との関係は、部分的にやや融合されているような部分があり、その2つの王国が融合されているぶぶんでは、かなりグラデーション的な存在を持つのではないか、と思っている。

                   

                   その意味で、この二王国論というのは、曲者かもしれないと思うし、そんなに簡単に扱えるものでもないのかもしれない、とは思った。

                   

                  最後に一言、今回、ルターの言葉は多く取り上げられていたが、聖書のみとおっしゃる教会での講演としては、聖書の言及があまりなかったのは、ちょっと残念だったかもしれない。

                   

                  以上で、今回のご報告は終わりである。


                  次回へともう少し続く。

                   

                   

                   

                   

                   

                  2017.07.24 Monday

                  ルターセミナー in Osaka に行ってきた (3)

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                    今日ご紹介する部分は、今回のシリーズの最後である。前回までご紹介した部分に引き続き、休憩があり、バッハの曲が3曲ほど演奏され、そして、ルーテル神学校からの現状のご紹介があり、その後、聖餐式に入っていった。

                     

                    当日の式文(浮世絵風のルターにちょっとツボった)

                     

                    プラットフォームのろうそく2本に火が灯され、司式団(3つのルター派から各2名づつ6名)が入場し、祭壇の前で神への一礼があり、そして、信仰告白があり、キリエ・エレイソンの賛美が歌われ、グロリアで詠唱がなされ、開会の祈りがなされ、ルター作曲の賛美がなされ、ローマ1章17節が読まれ、さらに賛美がされ、礼拝説教へと繋がった。

                     

                     

                    司式団 入場

                     

                    以下、「恩寵義認」と題された江口再起さんによる礼拝説教の要約をご紹介する。当日の速記録に基づくものなので、誤りがあるとすれば、それは全てミーちゃんはーちゃんによる。

                     

                    礼拝説教の要約

                    この礼拝は、宗教改革500年を記念した礼拝であるが、宗教改革自体、どうも、その始まりは、かなりルターの個人的体験からの部分も大きいだろう。そして、当時の普通の人であった、外から別の人が見た時に誰も気が付けないような、ルターのこころの出来事から始まったともいえるだろう。個人的経験、当時のささやかな無名の個人の心の動きから宗教改革は出発しているとも言えるかもしれない。その意味で、ここでは、ルターの心の動きをたどっていきたい。

                     

                    一般的な宗教改革の理解

                    95箇条とは、突き詰めて言うならば、免罪符、あるいは贖宥状をめぐる問題提起ではあった。当時は、この贖宥状(免罪符)をたくさん買うと家族や、死んだ人まで救われるという理解があった。ある面で、ありがたいシステムではあるが、よく考えてみると、変なシステムではないか、とは思う。というのは、お金の多寡によって、個人の救いが左右されることになるからである。このお金の多寡で救いが定まることに、ルターは疑問を感じ、問題提起をしたのである。そして、当時の教皇庁や当時の宗教の体制への改革に進んでいった、というのは教科書などにあるような宗教改革のまとめ方であると言えよう。

                     

                    とは言え、このようなまとめ方はあまりにも宗教改革を単純化した理解になっており、ルターが、一種正義のヒーローのような像として描かれてしまう。ルターは単なる改革者ではないと考えたほうが良いだろう。今考えてみると変なことではあるが、当時誰もが、免罪符というシステムにあまり疑問を感じることはなく、ありがたいことだと感じていた。

                     

                     ところが、ルターは、一人深くこの贖宥状の問題に疑問を抱いた。贖宥状(免罪符)という仕組みは、おかしいのではないだろうか、と。ところで、なぜ、ルター一人が当時の人の中で、疑問を感じたのであろうか。そこに、ルターのこころの旅が関係しているように思う。また、その部分が宗教改革運動を理解するうえで大事だと思っている。

                     

                    ルターの家族関係

                     このためには、ルターの生い立ちにまでさかのぼって考えないといけない。ルターの父は鉱山労働者から出発し、最終的には鉱山の経営をする銅鉱山持ちになった人物であった。


                    立身出世の意識の強い父親のもと、ルターはエルフルト大学の大学生になった。そして、大学生のルターは、畑の中で、雷に出会うことになる。この雷が落ちてくるなかで、命を助けてほしい、そうすれば修道士になる」と、神に祈る。ごく普通の若者であったルターはその時、次のように神に祈った、という。「助けてください。助かったら、私は修道院に入りますから」と祈ったのである。そして、大学をやめて修道院に入ったのが、22歳の夏であった。そして、修道士になったことを聞くと、父親は激怒する。

                     

                    ルターの悪戦苦闘に満ちた修道生活

                     ルターにとっては、修道生活に入ってからが悪戦苦闘の連続であった。経験で献身意識を長年育んできたような多くの意識が高く見える同僚の修道士達と比べ、ひょんなことから修道士になったルターには、他者と比べ、ひときわ目立つ信仰心がなく、当時の人びとがもっていたような普通の信仰しかなかったのである。後年、ルターは回想して、自分自身は、自分の硬い決心と願いで進んで修道士になったのではなくて、なかばいやいやながら修道院に入った、と述懐している。

                     

                     まわりの修道士たちは修道院での信仰生活を喜んでいて、喜んで神に仕えているように見えるのに、自分は行きがかり上修道士になっているが、こういういい加減なことでいいのか、と思ったようである。そうすると、神が恐ろしいものに見えてくるようになる。そして、神は怒っているのではないか。さらに、父親も怒っている。そして、ダブルの怒りを感じた。神は怒っており、ルターにとって恐ろしい存在であった。「ではどうすればよいのであろうか。こうなれば、ただただ頑張るしかない。神に尽して、神の怒りをなだめて、神の怒りを和らげてもらうしか方法がない」と思ったようだ。先にも述べたように、父親は、努力して地位を得た人であった。こうなれば、ルターも努力を重ねて地位を得るしかないことになる。

                     

                     そのような悪条件の中で、断食し、祈り、寒さに耐えて生活していったのである。「普通以上に頑張らないといけない」と思い、努力し、他の人よりも、一層努力しようとした。その頃、修道院長はルターに忠告したようだ。当時のルターはノイローゼ状態に見えたであろうし、実際、精神的に追い詰められてもいた。ルターは、追い詰められた状態にあったのである。ルターは、死亡する1年前、ラテン語著作集の序文のなかで、「いかに欠点のない指導的修道士として生きたとしても、神が満足されるとは、どうしても感じられなかった。神を憎んでさえ感じていた。」という趣旨のことを述懐している。

                     

                     模範的な修道士になろうとして生きていても、こころの中は不安でいっぱいだったようである。ある意味、ルター自身は自分の心がわかっていなかったかもしれないようにも思う。

                     

                    ルターが気になって仕方がなかった「神の義」

                     当時のルターにとって気になる言葉があり、その概念が、ルターを苦しめていた。それは、「神は正しい。神は、義の神である」という理解である。あるいは、神は正義である、という理解に苦しめられていた。その結果、神は正しいのだけれども、正しくない自分は罰せられるのではないか、とかなり強く感じていたようである。その結果心の底では神を憎んでさえいたようである。神の義ということばが、ルターの中で、引っかかっていて、神を憎み呪ってさえいたようである。

                     

                     そのような中で、聖書を一心不乱に読み、そして祈っていた。その時に、ある聖書の言葉が引っかかってくることになる。それが、ローマ1:17である。

                     

                    【口語訳聖書】ローマ人への手紙
                     1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。 

                     

                     福音には神の義が啓示されている、というルターの理解のきっかけになった言葉でもある。福音とは、神からの幸福の音信であり、そこに、神の義が表されているということに気がついた。そして、神の幸福が人に啓示されるということは幸福の訪れであり、そして、人に神の義が表されていることは幸福なことだ。福音には、神の義が啓示されていることがわかったのである。これまで一生懸命、善い行い、正しい行い、正しい生き方をしてやっと天国に行けると思っていたが、神の正しさに比べるなら、自分の行いなどは取るに足らないし、みじめなものでしかなく、自分自身を正しいと考えられなかったという経験をしていったようである。ところが聖書には逆のことが書いてあったのである。そして、聖書の文字を見つめたときにルターは、自分自身の中に何か明かりがともったような印象を持った。

                     

                    信仰とは神からの恵みを受け取ること

                     いかに人間が不甲斐なかろうとも、神から認められて、ありあまる神の義を、正しさを神がくださる。だから、人間が頑張るのではなくて、人間に神から神の義を、神が一方的にプレゼントしてくださるのではないか、人間が頑張るのではなくて、人間が努力して得るのではなくて、無償で与えられるものを、ただ、受け取ることである、とルターはその時に理解したと思われる。そして、受動的な神の義の再発見をしたのである。当時の理解を描いてみれば、いわば、天国に行くのに、最低でも60点くらいはいる、とされたようであり、その最低水準の60点に達しようとなんとか、努力してきた。しかし、0点でも天国の約束をしようとする神がおられることに気がついた。ただ、その神の約束を受け取ることの大事さを見出したのである。

                     

                     受け止めることが信仰であり、信仰義認とは、そういうことであると理解したとき、ルターは、心の中がパーっと明るくなるような経験をしたと思われる。それまで、霧の中をよろよろと歩んでいた状態に変わり、このとき、ルターはまっすぐな道を力強く歩いているように感じたようなのである。

                     

                     天国に入るための費用を、まとめてすでに神が代金を支払ってくださったから、ということに気がついたのである。これが、ギッテンベルグの塔の中での経験であり、一般に塔の体験と呼ばれているものである。おそらくこのときルターは30歳代前半出会ったであろうと思われる。

                     

                     修道院の不安な日々の中で、ローマ書1章17節で覚醒した。当時のルターは、免罪符でもやもやしていたことに対して、もはや、行いによる義認でもないことを理解し、そして、救いに関して善行の必要が前提ではない、と理解したのである。


                    その意味で、95箇条の発表は、宗教改革の始まりではあるが、宗教改革は、ここで述べたようなルターの悪戦苦闘の心の旅から始まった、ともいえるだろう。

                     

                    まとめ
                    1517年10月31日 教会改革が始まり、近代の始まりであった。それがルターの苦闘に満ちた心の旅路に端を発したものであることを、ここまでご説明してきたが、ルターの心の旅のキーワードは、神の義という理解であり、そして、ただただ、神の恵みを受けとること、それが信仰であることを見出したのである。

                     

                     ところで、ルターの言った信仰義認とはどういうことだろうか。人は信仰によって義とされるのでは、十分な理解とはいえないだろう。人が、神を信仰するから救われるのではなくて、神の恵みによって人は救われるという表現がより正確な表現ではないだろうか。人間が神の恵みよって救われるということであり、そのような趣旨であるなら、恩寵義認という方が神の主権性がよりはっきりするのではないだろうか。神の恩寵によって人間が救われる、というのが、ルターの信仰義認の主張であるといえるだろう。
                     

                     

                    以上が、説教の要約である。

                     

                    聖餐式の概要

                     このあと、共同懺悔があり、平和の挨拶が行われ、聖餐式へと入っていく。

                     

                     賛美歌としてサンクトゥスが歌われ、設定辞(なんで聖餐式をするのかの理由をコンパクトに纏めたもの)が述べられ、主の祈りが述べられ、聖餐の祈りが述べられ、アグヌスディの賛美歌が歌われ、聖餐への招きが行われた。会堂の前方に司祭団がふたり一組になり、三つの場所にわかれて、聖餐を陪餐することになった。

                     

                     

                    アグヌスディとして歌われた曲(もちろん日本語で) 賛美歌21の86の模様である。 

                     

                    聖餐のパン

                     

                    聖餐の盃

                     

                     

                    聖餐式の陪餐の様子

                     

                     

                    そして、執り成しの祈りがあり、祝福の祈りがあり、派遣の賛美歌があり、オルガンによる後奏のうちに、司式団が退場し、というかたちで閉会があった。

                     

                     

                    個人的感想

                     礼拝説教は、最初にあったご講演の別の側面からのお話のような印象があったが、個人の信仰生活の歴史が大きく影響するということの重要性が指摘されていた。

                     

                     しかし、聖餐式マニアである、ミーちゃんはーちゃんにとっては、聖餐式に参加できたのが非常に嬉しかった。毎週これなら、ルター派もいいかなぁ、とは思った。しかし、今回エキュメニカルな礼拝という触れ込みがあちこちでなされたようであったが、カトリックの司祭や聖公会の司祭や、他の教派の牧師さんの出席者が少なかったのは、ちょっと残念であった。正木先生とか、うらら先生とかルター派の知り合いは何人かおられたが、他の知り合い(と言ってもそうたくさんいるわけではないが)はあまり居られず、日本基督教団の先生ご夫妻にお会いしたくらいであったのが、ちょっと残念であった。

                     

                    また、入り口ホールのところでは、様々な物販もあり、宗教改革500年記念のお菓子とか、大阪キリスト教書店さんの展示販売コーナなどもあり、かなり大盛況であったように思った。

                     

                    あと、賛美の時に、リードしていた司祭のかたが、あまり賛美がお得意でない方のようで、そして、マイクも切らずに賛美して居られたので、隣りに座った女子中学生がその音が外れていたり、リズムが違っている度に、おかしそうにしていたのが、なんとも言えず味わい深かった。

                     

                    後、福音派で長く過ごしたものとしては、英国風の賛美歌に慣れており、ルター作曲によるドイツ風の賛美歌には慣れていないので、歌いにくかった。

                     

                     

                     

                     

                    このシリーズ今回で終わりである。

                     

                    2017.09.02 Saturday

                    2017年8月の関西牧会塾に行ってきた(1)

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                      今日も最新号のミニストリーからご紹介しようかとも思ったのだが、印象が鮮烈なうちに、先日参加した関西牧会塾のセミナーの記録をちょっと載せてみようか、と。そして、今日は、講師の中村佐知さんのお話をご紹介してみたい。なお、表記の間違いや記録の間違い、記憶の間違いによる妙な記述は、ミーちゃんはーちゃんによると思ってもらえると助かる。表現はもっと優しかったが、なんせ、ミーちゃんはーちゃんが取ったメモに基づく要約なので、なにせミーちゃんはーちゃん風になっているのはお許し頂きたい。また、ミーちゃんはーちゃんの考え方が混じっている点はご容赦いただきたい。

                       

                      中村さんと霊的修練と観想的霊性
                      講師の中村さんとが霊的修練や観想的霊性という概念と出会ったのは、ダラス・ウィラードの本の翻訳を豊田さんから頼まれたのが出発点だという。そのダラス・ウィラードの翻訳をするうちに、霊的形成 Spiritual Transformationという概念に出会ったという。霊的形成というのは、キリストの姿に変えられていく、と言って良いだろうと思っている。


                      そう思っているところに、中村さんの所属教会に、霊的形成担当の牧師の方が来られたのにあわせて、中村さんは、諸事情もあり、霊的同伴などのケアを受けていくことになる。

                       

                      ところで、周期ゼミという、何十周年かで大発生するセミが発生したことが数年前におしまいのシカゴであったが、その時小学生はそのセミを捕獲し、そして、こどもなので、かなり無茶苦茶なことをしていた。しかし、大人になると、そんなことをしなくなるのだろう。なぜだろうか。それは、そんな虫を捕まえて残酷なことをすることが、自分にとって重要でなくなるからであるし、魅力的なことでなくなる殻ではないだろうか。霊的に変えられていくとはそういうことではないだろうか。

                       

                      人生の目的は、特定の業績や経験にあるのではありません。人生のいちばん大切なことは、何をするかではなく、どんな人になるか、です。 By ジョン・オートバーグ

                       

                      (出先なのでわからないが、「神が造られた最高の私になる」に似た表現があったと思う。なお、このオートバーグの本は非常に良かったと思っている。)


                      Spiritual Transformation とは、キリストに似ていない部分が、キリストに似たものへと変えられていくということである。

                       

                      クリスチャンにとっての霊的形成とは、他者のために、御霊によって、キリストのかたちににせられていく、プロセスである。
                      ロバート・マルホランド
                      Invition to a Journey A Road Map for Spiritual Formation から

                       

                      そして、この霊的変容には以下のような4つの側面があるだろう。

                       

                      1 プロセスであること
                      2 キリストに似ていく
                      3 御霊による
                      4 他者のために

                       

                      と整理することができるだろう。

                       

                      特に、霊的成熟にともなって、他者との関わりが変わってくる用になるし、そして、他者に、家族や、自分の周囲の人びとに影響することになる。とはいっても、霊的変容は、クッキーカッター(クッキーの抜き型)で型抜きしたように、同じようなものにならないはずであるし、ある理想形があってそれに当てはめていくようなものではないように思われる。

                       

                       

                      似てるけど、完全に同じじゃなくて、ちょっと違うよね。

                      https://www.td.org/Publications/Blogs/Management-Blog/2016/11/To-Grow-a-Business-Managers-Need-to-Grow-the-Talent から

                       

                      (ミーちゃんはーちゃん的コメント)

                       結構、ある理想像があって、その先験的というか、予め決めた理想像に合わせるのが成長、というある種の近代を支配した学校教育型の成長論に我々は呪縛されているのかもしれない。そして、その予め誰かが決めた一つの理想像と同じようなものになることを良しとしている部分もあると思う。それが、聖書理解や信仰理解にも含まれているのが、なんとも、と思ってしまうことが最近多いなぁ、と思ってしまう。

                       

                      霊的変容とはどう起きるのか

                      霊的変容自体を指し示すズバリの表現は聖書そのものにはないが、それを構成する要素が聖書の中に幾つもある。それらを概念として整理したものが、霊的変容といえるだろう。

                       

                      イエスは、

                      「悔い改めて(メタノイア)、福音を信じなさい」

                      と言っている。

                       

                      これも、霊的変容を表す聖書の言葉であるといえるだろう。


                      パウロは、

                      「心の一新によって自分を変えなさい」

                      と言っているが、この「変えなさい」という部分は、向きを変える、判断基準を変化させる、あるいは、考え方を変化させる、とか、考え直すということだろう。


                      偽りのものがたりから真実のものがたりへ

                      我々は、教育の中で、ある思い込みが刷り込まれていて、本来の人間が作られたときにもっていた本来のものがたり以外の、偽りのものがたりが刷り込まれているのではないだろうか。(ミーちゃんはーちゃん注 このあたりを考えたい向きには、グリューンの『従順というこころの病い』を読まれると良いだろう。)


                      行動や思いに影響している刷り込みというか、ものがたりというか、理解の体系と言うかにはいくつかのものがあるが、それらのうちに、


                      神について
                      自分について
                      被造世界(世の中)について

                       

                      ということに分けて考えることができるだろう。それぞれをどう思っているか、ということが重要なのである。

                       

                      「心の一新」とはどういうことか
                      心の一新の、心とは、Mindの一新、ということができる。Mindとは、頭脳の動き、というような意味として考えることができるであろう。 NLTによると、心の一新によって変えなさい、とは、  Let God transform you into a new person by changing the way you think.となっており、神によって変えていただく、ということを意味する。

                       

                      (ミーちゃんはーちゃん的コメント)

                       このあたり、心というのが日本語では、感情の問題に影響を与えるHeartと思索とか思想とか、哲学的な知的な作業を行うものやその人らしさや考え方の癖と言ったものを生み出す部分であるMindが明確に区別しにくいことと、近代の心理学がどちらかと言うと唯物論的な態度を持っているし、そのような考え方が普及してきたため、どうしても、日本人にとっての心は、どちらかという精神の働きでも感情に影響する部分と理解される傾向が多いように思う。そうなると、心の一新による、とかいうことには精神論的な滝行とか、護摩行とかの世界が浮かんでしまうかもしれないが、Mindとは、もう少し、知的な、思索的な世界のお話であるということは、きちんと理解しておいたほうが良いかもしれないなぁ、と思った。

                       

                      さらに、ここで紹介された翻訳がいいなぁ、と思ったのは、心の一新というときに、Let God Transformとなっていて、自分が心を変えるのではなく、神によって、心が変えられる、と言う表現になっていたのが実に印象的であった。神の主権による介入を求めていくのが、霊的変容であり、その時大きな役割をはたすのが、聖霊、ということなのだろう。

                       

                      そして、どうしても日本語で、修練とか霊的熟成とかというとどうしても以下の画像や動画のような護摩行とか、寒中の滝行とか、そういうのが思い浮かぶ人のほうが、大半であろうけれども、これは、キリスト者の修練ではないように思う。

                       

                       

                      護摩行 阪神タイガース金本監督(当時は選手)の護摩行の時の画像

                      http://2chnpb.blog.fc2.com/blog-entry-1225.html


                      真冬の滝行

                       

                      (ミーちゃんはーちゃん的コメント の続き)

                      永井荷風という人の『断腸亭日乗』という日記集に戦時中の記述だったと思うが、当時の帝国陸軍の将官か何かが、必勝祈願で、寒中の海に入って冷たい海の中で禊をして、必勝祈願をするとか言うことに対するコメントとして、そんなことをして効果があるなら、真夏にドテラを着て火鉢に当たり、汗をかいておれば、必勝祈願の効果も同様にあるんじゃないか、と揶揄している記述があったが、日本語における修練とか、修行とかには、まさしくそんな感じなのだろうとは、思う。なんかこういう自分が無理をしているところに酔ってしまう、という心象風景と言うか心の部分が東アジア人としての日本人のこころの原点の何処かにあるのかもしれないし、それが神感だけでなく、日常的な生き方にも現れてしまうのかもしれない。それはそれで、神の創造のご計画の一部なのかもしれないけれども。

                       

                      修行なんかには、そういう精神性があるかもしれない。自分はこれだけ一生懸命頑張ったし、努力したのだから、それに見合う効果がほしいとか、願掛け的な願いの実現を思いたくなってしまうのかもしれない。

                       

                      行動そのものではなくて、神への捧げものとするプロセス

                      ところで、いくら、みことばを学ぶことに熱心であったり、あるいは、聖書を暗記していたとしても、我々には、我々自身が、偽りのものがたりの中にいる、ということはありうる。これを防ぐためには、聖霊に関わってもらうということを意味するSpiritual Disciplineが重要である。それは、自分自身の中に、あるいは自分自身の生活の中に、御霊の働く場所を作る、ということであろうし、それが、 霊的修練・霊的実践ということになるだろう。

                       

                      直接的に自分の努力では生み出せない、自己の内的変化を、神によって、神の御霊の恵みによって生み出していくために、御霊に働いていただくスペースを作る、ということが重要ではないだろうか。それはある意味、自分で行うことのできる計画的で定期的な活動ということでもあり、沈黙や断食を長い時間することだけではないと理解されているといえるだろう。


                      霊的修練は、神への捧げ物として、定期的に、そして忠実にすることであって、その際に、その修練の結果受けられる効果を指定しない事が重要かもしれない。何かのためにするものや、神から何かをもらうためにするものではないと言えるだろう。霊的修練は、霊的変容を決めると、本来とは違ったものになる可能性が高いのではないだろうか。

                       

                      (ミーちゃんはーちゃん的コメント)

                      今ほぼ毎週、通っているアングリカン・コミュニオンの式文の中に非常にこの捧げ物に関する印象てきな記述がある。聖餐式の聖餐に預かった後で声に出して読む部分である。出先なので、日本聖公会の祈祷書は自宅においてきたので、日本語は今調べようがないので、ご容赦いただきたい。

                       

                      Almighty God,
                              we thank you for feeding us
                              with the body and blood of your Son Jesus Christ.
                              Through him we offer you our souls and bodies
                              to be a living sacrifice.
                              Send us out
                              in the power of your Spirit
                              to live and work
                              to your praise and glory.
                              Amen.

                       

                      まさに、聖餐とは、イエスがご自身を通して、この地に生きた捧げ物として、ご自身の魂と肉体を神に捧げられたように、自分たちの魂と体を、生きた神への捧げ物として捧げる、we offer you our soulds and bodies to be a living sacrifice つまり、霊的修練のために生きている、ということがこの式文の文言には含まれているし、さらにその後、Send us out in the power of your Spiritで例において力を受けて To live and work to your praise and glory とあるので、神の栄光を求めて生き、働くということがこの式文の表現に含まれていて、霊的変容が特に、何か世間を離れて起きるものではないことを、このアングリカン・コミュニオンの祈祷文は示しているように思った。

                       


                      霊的修練としてわたしたちが行うことを、捧げ物として神様の前に差し出し続けるとき、わたしたちのうちにあるものや、偽のものがたりで覆われていて、神のみ前には死んでしまっている部分が、聖霊によってキリストの命があるものとして、生き返らせてくださる様に思われる。聖霊なる主が、わたしたちが捧げる修練を通してそれを為してくださるということだとされているようである。

                       

                      霊的修練は、クリスチャンであればしなければならないものではない。恵みを受け取る手段の一つである。その霊的修練のためには、余裕が必要なので、いろいろな生活の場での仕事のペースを落とすことも大事な場合があるかもしれない。生活の場で色々方法はある。神との時間をとるための方法がある。家事をしながらでもいいし、仕事をしながらでも、時に神に思いを向けるための時間を取り、神に思いを向けることなども大事かもしれない。

                       

                      霊的修練とは、基本的には、活動ベースではない。神との関係を持つ時間的、空間的、思索的なスペースづくりとしてできているかどうかが案外重要かもしれない。聖書通読は大事であるが、聖書通読をいくらしても、量をこなすような方法論では、結局活動はしているかもしれないが、必ずしもそれが霊的修練につながるとは限らない。

                       

                      (ミーちゃんはーちゃん的コメント

                      The way of the heartというナウエンの日本語に翻訳されてない砂漠の師父について書いた本があるが、その本の最後に、縄をなう仕事をしている修道士(師父)の話が出てくる。その人は寝てても、食事をしていても、いつも祈っているという。どうやってそれを祈っているのか、ある人が聞くと、縄をないながら、祈ることはもちろんしているが、自分がなった縄をとりわけ、そのいくらかを、自分が寝ている間に自分に変わって祈ってくれる修道士のためにとっておき、眠ってくれる時に祈ってくれる修道士や、食事を作ってくれる修道士にその御礼として渡すというような話が出ていた。我々は、なんでも自分でしなければいけないと思い込まされているのかもしれない。霊的修練というのは、自分が何かしてもらうことによる修練も、霊的修練の一つなのではないか、と思わせるエピソードである。それと同じように、我々は自分のために関与してくれる人とともに、霊的修練をしているようにも思うのだ。)

                       

                      人によって異なる霊的変容の方法

                      神がわたしたちを変える方法は、人によって異なるのである。それに関連する文章をオートバーグの本から紹介する。

                       

                      神はアロンには祭壇を、ミリアムには歌を、ギデオンには羊毛を、ペテロには名前を、エリシャには外套をお与えになった。
                      神は誰のことも、同じ方法で成長させることはない。神は手作りされる方。
                      大量生産する方ではないのだ。


                      ジョン・オートバーグ
                      「神が造られた”最高の私”になる」より

                      この引用にあるように、霊的変容の方法は、人によって異なるのだ。

                       

                      ところで、私たちは思っている以上に祈っている。神に心が向いているときが祈っているときである。


                      ユージン・ピーターソンのことばに、人によって祈り方のパターンがある、と言うものがあるが、人それぞれの祈りの時間があるのだ。朝のデボーションの時間をとって祈る人もおられるだろうし、家事をしながら祈る人もいるだろう。人が神に心を向けているときが祈りそのものであると思う。

                       

                      霊的変容を考える上で、大事なことは、自分自身が行うことや、見るもので、形作られる、という側面である。ツィッターというソーシャルメディアではフォロワーという概念があり、フォロワーとは誰かのツイートを見ている人であるということなのだが、それと同じように、霊的変容を考える上では、神をフォローしているのか、神の言葉を考える際の参考にしているのか、という意味で、神のフォロワーになっているかどうかが案外大事なのではないか、という事が重要だと思われる。

                       

                       

                       

                      次回、後半へと続く。


                       

                       

                       

                       

                      評価:
                      ジョン・オートバーグ
                      地引網出版
                      ¥ 2,592
                      (2015-11-10)
                      コメント:超おすすめかも

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