2017.10.31 Tuesday

『福音と世界』2017年11月号を読んでみた (3)

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    今日は第2論文の「ユダヤ教とシオニズムのもつれた関係」と題された赤尾光春論文について考えてみたい。この論文は、ユダヤ社会とシオニズムの歴史的展開を負いながら、日本人が想像するようなシオニズムの関する単純な構造がユダヤ社会の中にあるのではなく、さまざまな社会潮流や社会環境、そして、思想的な影響を概観した論文であり、その意味で、日本におけるキリスト教徒、とりわけ福音派と呼ばれるキリスト教徒の一部が想定する単純な見方では、当然のことながら現在のイスラエルとユダヤ社会について、かなり理解しがたいような多様な動きがあることを明らかにしている。

     

     

    シオニズムに対するユダヤ社会の中での抵抗

     多くの日本人、そして多くの日本人キリスト者は、シオニズムというときにヨーロッパ系ユダヤ人のイスラエルの移住(あえて”帰還”とは書かない。その理由は前回の記事で引用した早尾論文を参照のこと)運動を考えるかもしれない。しかし、その党のユダヤ人の中にも、シオニズムに抵抗感を持つ人々がいたことを、赤尾論文は明示する。

    シオニズムに抵抗を示したユダヤ人は、リベラル派、「同化主義者」、社会主義者、共産主義者など多岐にわたるが、中でも最も呵責なき闘争を展開してきたのは、改革派と(超)正統派を双璧とするユダヤ教の信奉者に他ならなかった。本稿では、改革派と(超)正統派の半シオニズム闘争をめぐる思想的背景とともにその変遷の過程を辿り、ユダヤ教とシオニズムの間で展開されてきた一筋縄ではいかないもつれた関係について概観してみたい。(『福音と世界』 2017年11月号 p.12)

     

    少なくない人々が、この記述に驚くかもしれない。ユダヤ人なのにシオニズムに抵抗する人々がいたという記述であり、それが、改革派ユダヤ人とユダヤ教のトーラーを重視する人々であるウルトラ保守派の皆さんであるという。個人的には、ウルトラ保守派の皆さんこそ、父祖ダビデの地、父祖アブラハムの地にこだわっているのかと思いきや、そうではなかったらしい。この辺の事情は同論文でおいおい明らかになる。

     

     

    改革派ユダヤ人の皆さんと ルーベン・リブリン 大統領

    https://www.jta.org/2015/12/21/news-opinion/politics/how-israels-president-won-over-reform-jews-and-vice-versa

     

    正統派ユダヤ人の皆さん

    http://religionnews.com/2015/03/23/brooklyn-hot-plate-fire-leads-orthodox-jews-re-evaluate-sabbath-safety/

     

     

    ウルトラ正統派のユダヤ人の子供さん(髪の毛のびんを切らない習慣から おさげに見える)

    http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/london-orthodox-jewish-schools-removing-images-of-women-and-the-mention-of-christmas-a6877941.html

     

    まぁ、よその国のことだからほっとくのが当然だが、これらのユダヤ系の人々の中での緊張関係があり、この写真のように並べておいてみると、イスラエル社会の中で、かなり必死で聖書の言葉通り守ろうとする正統派、ウルトラ正統派の皆さんと、世間の動きと一定の関係を維持しようとうとする改革派の皆さんとの違いが服装や髪の毛のお手入れの仕方からわかるのが面白い。

     

    改革派という存在とその特徴

    この改革派についてであるが、次のように赤尾論文では書かれている。

     

    ドイツの改革派ラビたちは、プロテスタンティズムの影響も受けながら、「家では良きユダヤ教徒たれ、表では良き市民たれ」というモットーの下、ユダヤ教信仰を徹底的に合理化すると同時に、その普遍的要素を強調した。ヘブライ語聖書に代わるドイツ語訳聖書の導入、戒律の細目や食事規定の廃止など、その改革は多岐にわたるが、思想的に最もラディカルだったのはメシア信仰の否定、すなわちシオンへの帰還待望そのものを放棄したことだった。この決定は、居住国家から「二重忠誠」の嫌疑をかけられることに対する懸念にも端を発していたが、半永久的に先送りにされた救済への期待は今や、居住国家におけるユダヤ人開放を通してこそ真に達成されるると合理的かつ世俗的に再解釈されたわけである。

     19世紀末になってアメリカへと中心を移していた改革派は、1885年にピッツバーグ綱領を採択し「我々は自分たちをもはや民族とみなさず、(中略)パレスティナへの帰還も・・・ユダヤ人国家に関するいかなる律法の回復も期待しない」と謳い、伝統的なユダヤ教の核ともいえる信仰箇条すら否定した。(同誌 p.13)

     

    このような記述を見ると、キリスト教における改革派がキリスト教の儀式や様々な祭具などを否定し、時に十字架を掲げることを含めて否定し、そして、キリスト教信仰を「徹底的に合理化すると同時に、その普遍的要素を強調した」を目指して徹底的に改革し続けようとするのが改革派の姿なのだろうなぁ、とみると、確かに、プロテスタントの宗教改革の影響を受けた運動が、ユダヤ教の改革派であることがよくわかる。キーワードは、合理化普遍性への強調である。まさに、このことばは、科学性と普遍性友置き換えがある程度可能で、科学性と普遍性と言うか、単一的な物事の味方を重視した近代社会に適合的な集団がユダヤ教改革派であり、キリスト教における改革派であったと思うと、確かに親類関係にあるというのはよくわかる。

     

    そして、この文章の中でのもう一つの重要なキーワードは、 「二重忠誠」 の問題である。ルター先輩の二王国論(おそらく、神の国としての教会、世俗政治国家としての王国の並立とその関係のある程度の断絶 )ではないが、極限では、この二王国論が世俗国家の側から疑われることがある。日本の戦争中に起きた一部の福音派(ホーリネスやキリスト集会派)にたいする政府からの圧迫は、彼らがこの問題を理屈で説明して、自分自身において、そもそも回避しきれなかったがゆえに、起きたという側面が強いだろう。つまり、世俗国家は世俗国家、キリストはキリストと そこまで割り切れるほど、複雑なのか単純なのかは知らないけれども、その辺の割り切りができなかった不器用な人たちが、あるいは素朴な人たちが、この世俗国家と自らの信仰におけるキリストの王権との関係におおいてうまく乗り切れなかった、ということなのだろうと思う。おそらくその朴訥さが、うまく乗り切れない原因なのではないか、と思う。この問題は案外重要な気がする。平和憲法を擁護するための議論することよりも、自分たちとして、この「二重忠誠」の問題をどう神学的に処理可能なのか、ということの研究のほうがよほど重要だと個人的には思うが。

     

    そして、挙句の果てに、ユダヤ教改革派は、「 パレスティナへの帰還も・・・ユダヤ人国家に関するいかなる律法の回復も期待しない」 、そして、「メシア信仰すら放棄する」に近いことと言ってしまったので、そうなると、基本的に現地の世俗政府に帰属、恭順する同化の道しかなかったのだ。とはいえ、ユダヤ教に祭儀や習慣、あるいは、名前に残るユダヤ系の形跡や痕跡までは消し去れない場合、完全に同化することができず、ナチズムのドイツでは、ゲルマン系市民に狙われ、ホロコーストの犠牲者となっていく。こちらは恭順、同化しようと努力したけれども、それは相手の都合によって、こちらの態度が理解されず、先方の態度がガラッと変えられてしまうという世界史によくある悲劇の一つであったように思う。

     

    そして、アメリカのユダヤ人の間でシオニスト的な理解が広まり、その支持者が拡大していく。そして、米国がイスラエルの独立の事後的に承認する中で、アメリカの改革派ユダヤ人の中でのシオニズム反対運動は下火になっていくことが書かれている。

     

    超正統派(ハレディーム)のユダヤ人の対応

    超正統派ユダヤ人と我々が聞くと、旧約聖書の約束に従い、イスラエルに帰還することが重要だ、ということを強調した人々という印象があるかもしれないが、どうも現実は違うらしい。彼らの神学的理解が、人間の力によるイスラエル帰還ということにNo、否、ニェット、Nonを突き付けたようなのだ。そのあたりの背景に関して、同論文は次のように書く。

     

    ドイツや東欧・ロシアの正統派がパレスティナへの移住を推進したシオニズムに反対したのは、第1に、シオニズムの企てに見られた世俗的かつ政治的な性格が彼らが報じた伝統的なメシア待望論と真っ向から対立したことに起因する。(中略)

    伝統主義的なユダヤ人にとってユダヤの民とは第1に神の選民であり、したがって神やトーラーとの関係を描いたユダヤ人などありえず、ましてや戒律を遵守しないユダヤ人による聖地の支配などもってのほかであった。(中略)

    超正統派の多数派が「ユダヤ人国家」に対する非本質的アプローチをとることによって、伝統的な反シオニスト・イデオロギーを著しく弱めることになったとすれば、少数派はイスラエルに対して本質主義的なアプローチをとることにより、イデオロギー的な一貫性を保ってきた。すなわち異教徒にも等しいユダヤ人が政治的ヘゲモニーを握る国家とは、神に対する反逆以外のないものでもなく、したがって「真のユダヤ人」たるものはその解体に向けた努力を惜しんではならない、という戦闘的な立場である。(同誌 p.14)

     

     

    ウルトラ正統派であるがゆえに、旧約聖書にある記述通り、神の主権により、イスラエルの民が神に率いられて、神権国家を建設するという立場にウルトラ正統派の人々は立つので、タナッハ(旧約聖書)の権威性を認めないような「異教徒にも等しいユダヤ人が政治的ヘゲモニーを握る(イスラエル)国家とは、神に対する反逆以外のなにものでもなく、したがって「真のユダヤ人」たるものはその解体に向けた努力を惜しんではならない 」ということになるらしい。その意味で、彼らにとって、現イスラエル国は、由緒正しく、紙に認められた国家ではない、ということになるらしい。

     

    ところで、「聖書にある記述通り」という表現は、どこかで聞いたようなセリフだが、キリスト教にもこれに対応する言葉があって、それが、現在あちこちで、キリスト教、ムスリム世界、あるいは日本型新宗教の世界でも、宗教にかかわらず、便利なラベルとして用いられる原理主義である。本来のキリスト教コンテキストとしては、原典原理主義、聖典原理主義とすべきではないかと思うが、そんなまどろっこしい表現を使うのはマスコミの皆さんは洋の東西を問わずお嫌いのようなので、簡単に原理主義と何でもまとめて読んでしまい、それが一般に広がるからかなわない。ただし、どうも何らかの権威性、とりわけ、神とか聖書とかの権威性を異様に重視する、この系統の人々はどうも現実の問題等のはあまり関係しないとか、あまり考えずに済む関係だと思われるが、一般に過激化しやすいようで、すぐ、次の記述のような行動に出る人々が少なくないようである。その神とか、聖書とかを持ち出して、正義を神ならぬ人間が振り回す行為というのが、ひょっとすると、神の主権性を侵害することになるとは、このタイプの方々は、神に近しい方々であるためか、あまりお考えにならないように思えてならない。パリサイ人と取税人の祈りのたとえ話ところで、イエスが言われたことを考えると、イエスは正義を人間が振り回して良い、とはお考えになっておられないように思えるが。

     

    そして、捕囚に関する次のような印象的な記述もあった

    すなわち、世俗的な民族国家の再興を神による救済という文脈から切り離し、イスラエルの建国が宣言されようとも、またイスラエルの地に居住していようとも、依然として捕囚は続いていると解釈したのであろう。(p.16)

     

    この捕囚問題は、人間を、そして、ユダヤ人を神との関係で考えるときに重要な概念である。人間を捕囚から解放しうるのは神のみであるという立場に立つのか、それは人間にも可能であるという立場に立つのか、という問題ともつながる。N.T.ライトの『クリスチャンであるとは』の中で、すべての人間は「諸力としての罪」に捕囚されていて、そこからの開放が必要だという主張の記述があり、その諸悪からの開放が実現できるのは、紙だけであるということが書いてあるが、それと同じ構造で、人間的な力による多民族からなる地域の中でとどまるような捕囚からの開放ができるのは、人間ではなく、神だけであるというのがウルトラ正統派のご主張であり、政治的ヘゲモニーの結果、人間的な努力によって存続させているような世俗国家としてのイスラエルなど、世俗国家としてのイスラエルが仮に建国を主張したところで、それは、トーラーにおける神ご自身が約束されたとおりの世界の実現につながってない、という立場なのだろう。

     

    ところで、ウルトラ保守派の人々の生き方について、次のような記述も実に印象的である。つまり、秦のイスラエルは世俗国家としてのイスラエルを認めないということになるらしい。

    彼らはまた、多数派とは違い、アメリカなどに住む裕福な同胞たちによる寄付金にほぼ全面的に依存することで、イスラエルの公共サービスや、宗教施設に関する政府の補助金といった恩恵を一切拒み続けている。(中略)ネトゥレイ・カルタ(引用者註 イスラエルの保守強硬派の一つ 詳しくは赤尾論文参照)は、イスラエル国旗を燃やすなどして、ことあるごとにイスラエル国家への反対を表明し、海外でパレスティナ人による反イスラエルデモがあれば連帯を表明するなど、イスラエルの占領政策に対する抗議運動を今なお継続している。(同誌 p.16-17)

     

    イスラエル国家政策への反対デモをすることが、反イスラエル行為をすることやパレスティナ人への支援を表明することが「あなた方の中の在留異国人に辛く当たってはならない」という律法尾を守ることで、極めて聖書的な行動であり、ユダヤ的な理念の実現にもなるという、一種のパラドックスがここで生じているようである。このウルトラ正統派の皆さんは、現イスラエルの国家の正当性を認めておられないので、もちろん上記のように公共サービスを受けたり補助金を受けることもない代わりに、現世俗国家としてのイスラエル政府の法律に従って納税することもなく、軍役につくこともないそうである。これがまた、税金も払うし軍役にも就く(軍役につくことを本来血税というのであって、重税であるために血を絞られるように感じるから、血税ではない)普通のユダヤ人、すなわち非正統派である世俗派や改革派系のユダヤ人からは、わしらの税金と血税によって守られていて、それでいて、守ってもらっている我々やイスラエル政府にたてつくとは、不逞の輩以外の何物でもない、という立場になるらしい。

     

    今回引用しなかった部分には、イスラエルの内省的、政治的な動向を含めて、非常に印象的な部分があるし、その部分は現在のイスラエルの政治情勢を考える際に重要な記述であるので、ご関心のある方は、ぜひとも、書店に在庫があるうち日本号を手に入れてお読みいただきたい。

     

    まとめの部分から

    イスラエル建国の歴史とそれ以前のシオニズムの歴史について、同論文では、次のようにまとめる。本来、反シオニスト運動であった改革派と正統派ユダヤ人たちが、現実のイスラエル国誕生において、どのような対応をとったかの違いにより、現在の環境が生まれているという。

    改革派と(超)正統派を双璧とするユダヤ教内部における反シオニズム闘争はその体制において、ナチス政権の誕生を境に大きく方向転換し、イスラエルの建国をもって「ユダヤ人国家」の樹立を事後承認する格好となった。第2次世界大戦中から戦後にかけて、アメリカ改革派の主流は親シオニストになり、超正統派は政教分離の原則を確立してイスラエルに対して非シオニスト的アプローチをとった(同誌 p.17)

    結局、現実世界との調和を図る方向に聖書解釈の面でも重きがある改革派のユダヤ人の皆さんは、現実世界として、イスラエルという国家が建国してしまった以上、それをあえて無視することもできず、また、現実的合理的な対応として、それを改革はユダヤ人の皆さんは承認するしかなく、もともと国家との適切な関係をとろうとする改革派であるが故に、現実的かつ合理的な対応をしようとして現実にあるイスラエル国家を認めるしかなく、おまけに、自分が国籍を置き、市民である自国アメリカの国家が事後承認とはいえ、承認してしまった以上、その存在にあえて反対したり、抵抗したりする意味がないので、アメリカの改革は軽ユダヤ人の皆様は、どうしても親シオニスト的な立場にならざるをえず、神のものではない世俗の国家に覚めた目を向ける超正統派は、そんな怪しげな国家なんぞは、ユダヤ人国家と呼ぶに値しない、と冷ややかな視線を向け、非シオニスト的な立場を取ることになったのであろう。ここでも、ユダヤ社会の分断が置きている。ただ、それがおかしいというふうにはおそらくユダヤ人は考えないように思う。違った立場の人がいるほうが、自民族の生存の可能性を増すということを歴史上、何度もユダヤ人は経験しているため、内部に多様性を容認しながら、生存を図ってきた歴史があるからである。日本みたいに、一億総玉砕とか、一億火の玉になって、なんてできない民族性がユダヤ人の世界には、あるらしいのだ。

     

    そのあたりのことをまず抑えていただいて、以下の部分を読んでいただきたい。

     

    ボヤーリン兄弟が提唱した「ディアスポラ主義」のように、排他的なユダヤ人国家としてのイスラエルの現状に対するラディカルな批判を含んだ言説が広く受容されてきた。こうした批判的言説はリアル・ポリティクスの現場では往々にして無力だが、イスラエルの建国をもってユダヤ史のクライマックスとするようなシオニスト史観の批判や、イスラエルに暮らしてこそ「真のユダヤ人」足りうるといったイスラエル中心主義の相対化を通して、「ユダヤ人国家」をめぐる現状に対して論争的な介入を促すポテンシャルを備えていることも確かである。(同誌 p.17)

    ここで触れられている、ボヤーリン兄弟の「ディアスポラ主義」のような、ユダヤ社会としての一体化と言った動きや、ユダヤ人は一つになろう、とか言ったような動きに反対するような動き、ある種預言者的な存在も含めようとするのがユダヤ的な世界観になるらしい。そういえば、東日本大震災のときには、「一つになろう」ということが言われたが、東日本大震災以降について、日本社会は一つにはなり得なかったのではないか、と思う。

     

    東日本大震災の際の「一つになろう」と言うスローガンで思い出したが、先日、仙台市のはずれの大学で学会が開かれたのだが、今なお震災の被災地の現実を抱え、原発事故の処理が一応にしても終わっていない現実を見ると、日本は、福島の被害を含め「一つになった」といえるのか、ということを考えると、どうもなっていないようにしか思えていない。被災地の痛みを、被災地以外は忘れ、次の新たな九州などの直近の災害の被災地の痛みは覚えるものの、とても、日本として東日本大震災後に一つになった、とはいえない状況が現実にはあるのではないか、と紅葉が美しい、そしてハローウィンの浮かれた気分のディスプレイがされている仙台の街を歩き、翌朝には、仙台市内の聖堂付属のチャペルでの早朝礼拝のときに配られた週報の代祷のなかに、福島原発関係被害者についての記述があるのを見ながら、自分自身がこの代祷のように祈っていないことを反省させられた。

     

    仙台の町外れの学校で出会った金属製のワンちゃんたちの群れ

     

    美しかった池 翌日は雨がざぁざぁ

     

    この雨の中(後に台風接近で結構な雨になった)大学女子駅伝をやったらしい

     

     

     

    次回へと続く

     

     

     

     

    2017.10.30 Monday

    『福音と世界』2017年11月号を読んでみた (2)

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      今回も前回に引き続き、福音と世界の第一論文である早尾論文「人種差別としての反ユダヤ主義とイスラエル国家」から紹介してみたい。前回の論文では、レコンキスタがイベリア半島に生活していたムスリムの皆さんに対する影響をもたらしたばかりでなく、ユダヤ人の中にもコンベルソ(いわゆるキリスト教に改宗したユダヤ人)と呼ばれるユダヤ人と、ユダヤ人にとって実に屈辱的な故障である豚、ないしムラーノと呼ばれるユダヤ人というかたちの差別が生まれたことをご紹介した。ユダヤ人に対する差別と、さらにそのユダヤ人の中での差別が生まれたことをご紹介した。

       

       

       

      1492年という記念すべき年号とレコンキスタ

      我々は、レコンキスタがあったことくらいは、ミーちゃんはーちゃんでも、高等学校時代の世界史の教科書で学んだことはあるが(昔は工学部死亡者であったので、このあたりで知識は留まっている)、世界史を大学受験の科目とし、その中でも記述問題として取り組んだ人でないと、レコンキスタの終了年というか完結した年号をあまり正確には言えないのではないだろうか。

       

      この1492年は、コロンブスがアメリカに向けて出港した年号であることは我々は案外良く知っているように思う。なお、アメリカの子供向け番組では、ギャグとして、本来はインドを目指して出帆したにもかかわらず、事前にコロンブスがアメリカに行けると思って出港したかのような描き方になっているところが、アメリカ人の精神性というか諧謔を含んでいるようで面白い。
       

       

      セサミストリートでのカーミットがニュース速報としてコロンブスの出航を伝える模様

       

      レコンキスタの完成は、しかし実はその外部にもう一つ別の人種差別を生み出すことになった。1492年という年号が世界史で持つ決定的な意味は、コロンブス船団によるアメリカ「新大陸」の「発見」(到達)にあることは言うまでもないだろう。ただ、このコロンブス船団が、レコンキスタを完成させたスペインから、ユダヤ人追放令の期限を迎えた日に、多くのユダヤ教徒船員によって出発したということは十分広く認識されていない。じつはいわゆる『大航海時代』は、追放されたユダヤ教徒たちが避難移住先を持たないために、新世界に安住の地を探し求めたことによって始まったのだ。(p.8)

       

      上の記述にあるように、このコロンブスがインドに向けて出向した日付こそ、イベリア半島からムスリムとユダヤ人がイベリア半島からでていく最終期限として設定された日付であった。そして、上に紹介するようにこのコロンブスの船団の中に、ユダヤ人の乗組員がいたらしいということが本論文で触れられていた。実際、どの程度の数がユダヤ系の乗組員であったのかは、調べられたら調べてみると面白いと思う。その能力は、ミーちゃんはーちゃんにはないけれども。

       

      その意味で、レコンキスタのときも、第2次世界大戦中のホロコーストのときのように、庇護してくれるユダヤ人国民国家はなく、戸惑い、逃げ惑う中で、まさに最後の希望(The last resort)としてコロンボ(コロンブスのイタリア語風の読み)の船に乗って新大陸に逃げ出した人々もいたのかもしれない。

       

      コロンボ警部(コロンブスのイタリア語名から来ているらしい(なお、コロンブスはイタリア人)
      http://www.tvguide.com/tvshows/columbo/tv-listings/100092/ より

       

       

      ヨーロッパとその延長世界で現在までも続く2つの差別
      ユダヤ人差別とアフリカ系住民差別
      コロンブスのアメリカ新大陸の発見というよりは、ヨーロッパ人とカリブ海諸国の人々との遭遇により、スペインとポルトガルは、その支配する植民地の領域を相争っていく。その結果、「西経46度37分から東経142度あたりまではポルトガルの領土と言うか植民地と言うか支配して良い領域、それ以外のところはスペインの領土というか植民地にしてよい領域にしようねぇ」とローマ教皇の仲介によって定められることになった。その植民地化してよい領域としては日本は、ポルトガルの支配下に入る可能性がある土地であった。それが故に、鉄砲を持ち込んだのは、スペイン系ではなくポルトガル系の商人であった。これは案外重要な世界史的現実だと思うのだが、日本史の世界ではあまりそのあたりのことをまともに聞いたことが無い。

       

      〈世界史〉の展開に目を向けると、「1492年」という年号が決定的な意味を持ってくる。この年号に象徴される二つの世界史的出来事は、外形的には異なる様相を持つ二つの別々の人種主義を生み出しつつ、しかしその二つの人種主義は必然的な相互関連を持っていた。
      第一の出来事は、長くイスラーム統治下にありつつ、ムスリムとユダヤ教徒イスラム教徒が共存していたイベリア半島「アル=アンダルス」において、1492年、キリスト教が再征服(レコンキスタ)を果たすとともに、ムスリムとユダヤ教徒に対して「追放令」を出したことに端を発する。(中略)しかし、ユダヤ教徒の場合、大量のユダヤ教徒移民を歓迎するような「ユダヤ教国」は存在しなかった。(同誌 pp.6−7)

       

      ところで、このレコンキスタの結果、イベリア半島から去るように求められたムスリムたちは、北アフリカ、中東のムスリム帝国の各地へと移動していく。しかしながら、ユダヤ人はキリスト教に改宗するか、あまりそのようなことをうるさく言わない地域にほそぼそと展開していくことになる。というのは、「ユダヤ教徒の場合、大量のユダヤ教徒移民を歓迎するような「ユダヤ教国」は存在しなかった」からである。改宗しないことを、あまりうるさく言わない地域とは、ローマから見て辺境であったり、その他の理由のためにローマの教皇庁のいうことをあまり気にしなくてすむ都市国家の国々であった。

       

       ところで、イタリア半島の付け根にベネツィアという都市国家がある。今ではイタリアの主要都市の一つだと思われるかたがおおいであろうが、当時のベネツィアは地中海貿易での成功を背景に、地中海世界の国際決済通貨(今で言うドルとかEUROとか、昔ならポンド)として利用された通貨であるデュカードを発行していた国である。そのベネツィアという海洋国家は、ローマ法王がベネツィアに言うことを聞かそうとして、度々破門宣言がだされた。あんまり何回も出したら、そもそも「破門」の価値が下がるのだが、実際にベネツィアには破門宣言が何度も出され、その度に、破門宣言の価値はやはり案の定下がったようだ。破門宣言が出ても、ベネツィアでは一定程度の市民生活が過ごすことは可能であったようである。

       

       そして、ベネツィアには、当時の出版センターのような側面が有り、当時アルド社を始めとした出版社により、ルネッサンス文化の基礎となるような書籍がベネツィアでは量産体制にあり、新しい文化を形作るような書籍が出版され続けたようである。そうなると、このあたりも、亡命ユダヤ人の流れ着く先になる。

       

      ベネツィアあたりに流れ着いたユダヤ教徒が、文化的なことをしたいと考えるキリスト教徒の求めに応じて、トーラーやネビーム等のヘブライ語テキストを持ち込み、家庭教師のようなかたちでの教育(昔は教育とは、家庭教師というかチューターでするのが当然であった。未だに、英国などの古い大学では、このあたりの精度が行きている)や、ヘブライ語テキストの印刷をできるだけスクロールに近い形でやろうとしていたらしい。このあたりは、昨年のユダヤ思想学会でのご発表があったし、そのときにも手島イザヤ先生がご公演しておられたし、関西凸凹神学会でもお話をお伺いしたことがある。ヘブライテキストに関しては、コデックス版とスクロール版に考え方の相違があり、スクロール版の旧約聖書がヨーロッパに持ち込まれた意味というのは、どうも、宗教改革を考える際に念頭に置いておいたほうが良いようである。

       

      このルネッサンス前期あたりのテキストへの関心の深さなども、テキスト中心主義を採用することになる宗教改革の遠景なのか、背景なのかはよくは知らないが、宗教改革に対してかなり影響していることを考慮しなければならないのではないか、ということのようである。

       

      余談になってしまったが、ユダヤ人差別の問題は、このレコンキスタの完成、すなわち非キリスト教徒のイベリア半島からの追い出しによって、定位されていくことになる。

       

      レコンキスタの結果生まれたユダヤ人という存在

      それで、早尾論文の話に戻したい。レコンキスタの結果生まれたのは、勿論、イベリア半島でのキリスト教国ではあったが、それだけではなかったと早尾論文は指摘する。そのあたりのことについて、同論文では次のように指摘する。

       

      アメリカ大陸の植民地のプランテーションや鉱山で不足した労働力を補うために導入されたのが、アフリカ大陸からの奴隷労働者であった。アフリカ先住民は、一目瞭然なその肌の黒さによって、プランテーションや鉱山労働者として管理するのに便利な存在であった。すなわち「ブラック=黒人」と言う呼称は、単に肌の黒さを示すだけではなく、奴隷であることを指示するものであったのだ。(同誌 pp.8-9) 

       

      このレコンキスタの結果、早尾論文が指摘するように、大航海時代が実質的に始まり(この部分は省略した)、そして、この大航海時代には、ポルトガルは、ラテンアメリカ諸国で、ブラジルのあたりでその拠点支配をする一方、スペインは先にも述べたトルデシリャス協定を根拠に、カリブ海諸国を始めとする、ラテンアメリカの大部分の領域に進出する。両国とも、そこで、現地のインディオを労働力としていくとともに、それだけでは労働力が不足するため、アフリカから一応は銃との交換で入手した一種の交易の形を取りながら、当時の極めて安価な労働力であるアフリカからの人々を強制移民させることになる。

       

      つまり、レコンキスタによって、単純労働力としてのアフリカ人がイベリア半島の両国の支配する植民地を中心とした社会の中に組み入れられ、単純労働力であるがゆえにその能力とは関わりなく、社会の中で差別される存在として定位された。また、イベリア半島内では、その改宗を疑われ続けたマラーノと呼ばれるユダヤ系市民が差別され、ゲットーなどに押し込まれることになったのである。つまり、かなり簡略化(高単純化してよいかどうかは議論があるが、わかりやすくまとめると)、以下の2つの人種主義が生まれたのではないか、というのが、早尾論文の主張である。

       

      ヨーロッパの外なる人種主義 (アフリカ系奴隷)
      ヨーロッパの内なる人種主義 (ユダヤ人問題)

       

      この「ブラック=奴隷」という概念は、英国でも、また、もともとその植民地であった、アメリカでも継続される。特に黒人の場合は肌の色が記号となり、わかりやすい記号であったため、現在もなおそのような固定概念で割りと単純に物を語る人々がおられ、特にアメリカの極端な白人至上主義者の皆さんとかは、白人は優等民族で、黒人は奴隷の身分であるべきだ、とかろくでもないことを公式に発言してはばかられない方は、現在でもおられるように思う。実に残念なことだが。

       

      開放のはずが一周回って排斥に

      フランス革命は、自由、平等、博愛を謳い上げ、すべての人々が平等であるという希望を人々に抱かせたし、その理想は今でも「レ・ミゼラブル」が映画化されるほど、当時の人々の精神を鼓舞するものであった。いわゆるアンシャン・レジームからの開放を、本来は国民国家の成立とともに、ユダヤ人を含むはずのすべての人々に約束するはずであった。そして、この際に、ユダヤ人も普通の市民扱いされるかと思いきや、どうもそうでなく、かえって、自分たちが排斥される状況に直面する。そのあたりについて、早尾論文では次のように記述する。

       

      「血」の思想、「血の純血規約」によって人種化され区別=差別されたキリスト教徒ヨーロッパ人とユダヤ人とは、フランス革命による市民社会・国民国家の展開の中で、人種主義としては第二弾会へと進んでいった。(中略)身分性が廃止されすべての国民が平等な市民権を持つという国民国家の思想は、ユダヤ教徒もキリスト教徒と同様に、その信仰に関わらず同じ市民権を有する国民とすべく、ユダヤ教徒専用居住区「ゲットー」から開放しようという方向に動いたはずだった。しかし、これはユダヤ人差別を根強く残す勢力による強い反発を生み、19世紀ヨーロッパ各地の市民革命の展開とともに「ユダヤ教徒開放論争」をへて、最終的にはユダヤ教徒を非国民として排斥する主張が優勢となり、それを正当化する人種主義が発達した。(同誌 p9)

       

      ここで書かれている状況以外にも、似たような事例としてドレフュス事件というフランス史上有名な事件があるが、フランス陸軍将校であったドレイファス大尉が出自がユダヤ人であることを根拠にスパイ活動に関与したという冤罪で、収監されてしまうという事件である。そして、その余波としてフランス各地で、ユダヤ人排斥運動がおきたらしい。

       

      ここでは、フランス革命がアンシャン・レジームの打倒という以上、本来ユダヤ人をゲットーから開放するはずのものであったし、当然のごとくユダヤ人はゲットーからの開放を期待したフランス革命の結果、結果として、ユダヤ人は非国民扱いされることになったと言う。まぁ、この種のことはヨーロッパでは度々起こってきたので、ユダヤ人の人々のかなりの部分にとっては、またか、ということだったかもしれないが、人間とは期待するとうまく言って当たり前、期待を裏切られたときの落胆は大きいものなので、中には絶望的な気持ちになったユダヤ人もいただろうとは思う。

       

      まぁ、似たようなことは、隠れキリシタン迫害とか、1942年から始まる対英米戦争中のキリスト教に対する様々な圧迫というか、一部には迫害と称するのがふさわしいような状態も、人種主義ではないものの我が国でも発生した。個人的には、そのような圧迫とか迫害に合うことは、無いほうが無論良いが、それでもまたか、というくらいの数百年単位で物事を見る生き方がしたいなぁ、と思っている。

       

      反ユダヤ主義の頂点としてのホロコーストとエセ科学主義

      科学的根拠も妥当性がかなりいい加減でも、エセ科学というのは人々の間からなくならない。現代のエセ科学の代表例は、毎朝テレビで放送される星占いであったり、血液型性格判断であったり、中華系では風水だったり、友引とかの特定日に関する理解だったりする。まぁ、色々あることはある。知識の限界、データ処理能力の低さなど、様々な条件のため、ある時代には非常に合理的かつ科学的と思えたことも、時代の変化によって、その客観性、合理性に疑問が向けられているものが多いというのが実情であろう。ただ、すべてのものが非科学的と一刀のもとに切り捨てることはできない部分がないわけではないが。

       

      ユダヤ人差別の問題を考える際に科学的とされたことに関して、同論文では次のように書かれている。
       

      なお、19世紀に始まるこの科学的人種主義のピークは、周知のように20世紀ドイツにおけるナチス政権によるユダヤ人の大量虐殺、いわゆるホロコースト(ショアー)となる。ドイツの文脈においても「ユダヤ人」は、キリスト教徒対ユダヤ教徒よりも、ゲルマン民族対ユダヤ民族のニュアンスを色濃く帯びるようになり、そこに優等民族による劣等民族の支配・追放・迫害を正当化する優生思想も重なり、最終的に大虐殺が置きた。(同誌 p.10)

       

      ラウシェンブッシュという人の『キリスト教と社会的危機』という本があるが、その本の記述の中に、この人種主義の問題につながる優生学の話が出てきて、ちょっとびっくりしたことをこの記述を読みながら思いだした。そして、優生学とか科学的人種主義(どこが科学的ぢゃと、21世紀に生きる我々から、見たらおかしくてしょうがないのだが)は、100年ほど前までは、優生学にしても人種主義にしても大真面目に科学であったのである。そして、日本では、ハンセン氏病患者において、この優生学的概念に基づ着、断種術とも呼ばれる出生制限や英字殺害などに関連する対処が行われたし、ナチスドイツでは、障害者に対しても、劣勢を持つ存在として、ユダヤ人と同様のことが行われたことが知られている。本来人間の世界を豊かにしようとして、そして、その世界を理解しようとするはずであった科学の名を借りた、大虐殺がおきたことの意味を考えざるを得ないなぁ、とこの部分を読みながら思った。

       

      現代の近代国家としてのイスラエルの持つ複雑性とその成立過程

      アメリカのキリスト教関係者でイスラエルをガチ推しする人々がいる。また、アメリカのキリスト教世界からの影響だ、とは思うのだが、日本のキリスト教徒野中の一部にも、イスラエルをガチ推しし、贔屓の引き倒しをするような発言をする方がたもおられる。何度も繰り返すが、言論は自由であるから、何を発言することも自由であるが、現実の実情を知らずに、勝手なことを言うと、恥ずかしい思いを後にするのは、発言者その人であり、その発言のしっぺ返しも発言者に返ってくるだけである。

       

      この手の恥ずかしい発言あるあるの一つは、「イスラエルはユダヤ人のみでできている純血型ユダヤ人による単一民族国家である」という理解がある。しかし、現実のイスラエルはどうもそうではないらしい。これは、本論文以外にも、現地在住でイスラエルの大学で日本語と日本文化を教えておられる先生から直接お聞きし、様々な本「乳と蜜の流れる地から」などに書いてある。

       

      1948年に建国され現在にいたるイスラエル国家は「ユダヤ人国家」であると自らを規定している。しかしこの規定は、国家が実現してもなお揺れ動く不確かなものたらざるをえない。第1に、建国時に追放してもなお先住パレスティナ人(ムスリムとキリスト教徒)が人口の約2割を占めており、規定の外となるアラブ人が「国民」であるという矛盾をはらむ。(中略)第2に、戦時中そして休戦前後にヨーロッパ(欧米籍)からパレスティナに移民してきたユダヤ教徒だけでは、先住パレスティナ人を圧倒する多数派となることができず、1950年代に入ってすぐに中東世界全域からユダヤ教徒の移民を政策的に強行したことが、国家規定を揺るがしている。というのも、中東出身のユダヤ教徒いわゆるミズラヒームの大半は、アラビア語を母語とするアラブ人である以上(東はイラクから西はモロッコに至る)、イスラエルのユダヤ人口を増やすという目的が、しかし同時にアラブ人口を増やす結果にもつながっているからだ。

      (中略)第3に、ムスリム・キリスト教徒のパレスティナ人をそれでも少数派に押さえ込むために、1980年台からは、旧ソ連とエチオピアの政変に乗じた経済移民をそれぞれ約120万人と15万人受け入れたが(当時の総人口を二割も増やした)、旧ソ連からの移民のうちユダヤ教徒は約半数で、残り半数は親類にユダヤ教徒がおりかつ後で改宗するという名目で移民を認められた実質キリスト教徒である。また、エチオピア移民の殆どがエチオピア正教のキリスト教徒である。(p.11)

       

      読者の皆さんはもうお気づきであると思うが、イスラエルではアラビア語が確実に現役であるし、公的な道路標識などや公的機関の表記の大半も、ヘブライ文字とアラビア文字が併記されているようである。ミーちゃんはーちゃんはイスラエルに行ったことがないのでよくわからないが、最下部で紹介した山森みか先生の「ヘブライ語の世界」で、アラビア語も併用されていることを初めて知った。つまり、10年ほど前までは、そんなことも知らなかったのだ。このアラビア語が併用される背景には、もともとアラビア語を喋る現地の人が存在することに加え、上で紹介した引用部分にあるように、アラビア世界からの移民を大量に抱えこまざるをえなかった、近代イスラエルの政治的現実があるというのは、今回はじめて知った。


       

      イスラエルの道路の標識(ヘブライ文字、アラビア文字、英語)

      https://972mag.com/how-israel-is-erasing-arabic-from-its-public-landscape/114067/ から 

       

      イスラエルの移民関係の役所の表記(ヘブライ文字、アラビア文字、英語、ロシア語表記)

      このあたりのロシア語表記が見られることを考えると、それだけ近年のロシア移民の多さとイスラエルは多言語社会ということが感じられる)

      https://en.wikipedia.org/wiki/Languages_of_Israel から(ここにはなかなか面白いことが書いてある)

      ロシアからユダヤ人を大量受け入れしたことは、日本でもある程度知られているところだろうが、本論文で先にも触れられているわかりやすい記号としての肌の色が浅黒い人々が多いエチオピアから、経済移民としてエチオピア系ユダヤ人を大量に受け入れていることをご存じの方は、日本のキリスト教徒にどの程度おられるだろうか。その意味でも、本論文は読まれるべき論考の一つだと思ったりもする。

       

      エチオピア正教の聖母子像のイコン (おそらくエチオピア人にとって身近な肌の色として、マリアとイエスが描かれている)

      https://johnbelovedhabib.wordpress.com/2017/03/22/my-intriguing-visit-to-an-ethiopian-orthodox-church-a-first-time-coptic-visitors-perspective/ から

       

      同じ画像でもロシアで制作されるとこのような聖母子像になるらしい

      https://www.pinterest.jp/pin/505951339369247681/

       

       

      本論文のこのような記述を見ると、現実のイスラエル国家は、高邁な理想を掲げながら、そして、現実的なユダヤ民族、ないしユダヤ人のための国家であろうとしつつ、ユダヤ人がとりあえず逃げ込める場所を作るという一種の避難地の建設を目指したとは言えるだろう。とは言え、それを実現するために、結果的にはなし崩し的に、ユダヤ人と思われる人々を世界中からかき集め、無理矢理に近代国家としての体裁を整えた、キメイラ的な国家形成がなされているように思えてならない。ある種の美しく素晴らしく見える理想がこの現実世界で実現されたときの同しようもない醜さというものをここにも感じる。

       

      理想世界には摩擦がないという世界が想定され、ニュートン物理学で想定されるような理想世界である。しかし、現実はそうは行かない。そんな都合の良い世界ではないので、どうしても、現実に合わせて対応していくうちに、一個一個は美しい部品であるとはいえ、その美しい部品を現実対応するためにガムテープで貼り合わせるようなかたちにならざるをえないのかもしれない。その結果、美しいものを寄せ集めた結果は、どうしても、ある種の醜さを持つものになってしまう。

       

      なお、なぜエチオピアなのか、ということであるが、それは、本論文を実際に読んでみてのお楽しみとしたい。案外、とんでもないお話(個人的には荒唐無稽な話あるいはナラティブ)に基づいているが、案外、現実世界が動いている世界の中には、こういうお話(ナラティブ)のほうが説得力を持つ世界もあるということの証左と思えてならない。すべての世界が、とは言わないけれども

       

      本論のまとめ

      純粋なユダヤ人国家という幻想

       

      まず、四の五というまえに、この早尾論文の結論をまず、お読みいただきたい。

       

      この3つの要素を直視すると、イスラエルはその建国時から現在に至るまで、「純粋なユダヤ人国家」という不可能な幻影を追いながら、ますます矛盾を抱え込んでいるといえる。その矛盾を覆い隠す唯一の手段が「ユダヤ人種が存在する」というイデオロギーであるが、いつまでこの人種主義は効力を持つのだろうか。アラブ圏いついてだけみても、アブラハムの一神教の中で、キリスト教徒とムスリムだけはアラブ人だが、ユダヤ教徒はユダヤ人種であるなどという説明にもならない破綻した線引など、シオニスト以外にはそもそも通用しない。あるいは、ロシア人とエチオピア人が(どちらもユダヤ教徒であれキリスト教徒であれ)同じユダヤ人種(の縁)であり、それ故イスラエルに住む権利がある」としつつ、パレスティナの先住民はキリスト教徒かムスリムである限り本来の国民ではない、などという非論理もシオニスト以外には通用しない。

      最後に付言すれば、こうした破綻をもたらした根源であるヨーロッパの人種主義であれ、その影響下で作られた現代イスラエルの人種主義であれ、「アブラハムの一神教」の観点から見直せば、どれも非論理的かつ非倫理的なものであることは、これまでの整理で明らかになった。(同誌 p.11)

       

      ここでの引用部分の3つの要素とは、ご紹介した、現地にアラビア語話者が一定数いた事、ただただ数合わせのために1950年代にアラブ世界からのユダヤ人のかき集めたこと、近年の政治的混乱に乗じた経済移民としてのロシア系、エチオピア系ユダヤ人の大量流入の容認ということになろうが、先にも述べたように、結局高邁な理念を掲げつつもどうしても、美しいものでありえない現実世界の如何ともしがたい醜さのようなものを生み出してしまう。

       

      そして、個人的にはキリスト教徒であるので、キリスト教が好きだし、キリストが勿論好きだし、キリスト教がいいとは思っているが、キリスト教が何においても一番であるとは現実世界のキリスト教の姿を見ると到底言えないし、案外キリスト教徒が見失いがちな視点として、キリスト教も客観的に外部の目から見れば、あるいは、ものすごい広角レンズで世界を捉えるように見た場合には、「アブラハムの一神教」というその幅広い世界の中の一部であるという側面があることは、忘れてはならないように思うし、そレを忘れた結果起きた事件であるのが、レコンキスタであり、ホロコーストであった、という、この早尾論文でのご指摘も忘れてはならないだろう。

       

      レコンキスタにせよ、ホロコーストにせよ、当時の能力で最大限考えて、合理的と思える理想を実現しようとした結果、多くの悲惨と直視しがたい醜い現実を高邁な理想を語りながら起こしてきたのである。

       

      また、現在のイスラエルも、高邁な理想を語りながら、世界各地からユダヤ人に近いと思われる人々を寄せ集めるようにして、結果として多民族国家風の国家を形成せざるを得なかった現実があるのである。理想とは、そもそも不可能な幻影似すぎず、それを追い回し、それに振り回されるのは、どう考えても無意味なように思う。

       

      高邁な理想を語る人々の理想はたしかに美しいが、それが現実化したときには、いとも無残に醜いものを生み出していく。これは、キリスト教界とて無縁ではない。これが鼻で息する人間の姿なのだと思う。だからこそ、我々は神の憐れみを希うことしかできないのかもしれない。その意味で極端に理想化された理念に振り回されるということは、もうやめたほうが良いのかもしれない。

       

      そんなことを思いながら、本論文を読んだ。

       

      次は、そのシオニズム運動との関連である赤尾論文を読んでみたい。

       

       

       

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      コメント:社会はキリスト教会の理論的基礎となった本。当時の世界に一大ブームを巻き起こしたらしい。

      評価:
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      コメント:大変良い

      評価:
      山森 みか
      白水社
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      コメント:イスラエルの現地事情も面白い

      2017.10.28 Saturday

      『福音と世界』2017年11月号を読んでみた (1)

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        今日は福音と世界の最新号’2017年11月号)を読んでみたところ、大変面白かったので、その中から一部を紹介してみたい。この号は、実に面白かった。今月号の特集は、どれをとっても、めちゃくちゃ面白い。ぜひ、旧約聖書とユダヤ人とに関心を持つ人々に読んでもらいたいし、特に、イスラエルベタ押しのキリスト教福音派の人々には、ぜひお読みいただきたい特集号である。特に、現代ユダヤ人、現代イスラエル人を勝手に騙るのは構わないが(なぜなら、言論は自由だから。でもその責任は問われるけど)、実情はある程度アップデートした上で、語って欲しいと思うなぁ。ガチガチの日ユ同祖論は、論外であるにせよ。

         

        第1論文から

        反ユダヤ主義と現代国家としてのイスラエル国

        ということで、今回は第1論文の早尾貴紀論文『人種差別としての反ユダヤ主義とイスラエル国家』からご紹介してみたい。今ではその情熱が全く薄らいだが、1948年のイスラエル国(王国としてのイスラエル国ではない。この混乱がアメリカ福音派には時々みられる)建国、1970年台前半までの中東戦争にイスラエルが勝利し、その生存基盤というか、存在感を大きくした頃には、当時のオイルショック(これまた中東戦争の余波の一つではあるが)による不況(というよりは経済減速)が全世界中でおきて、イスラエルに対する関心が急速にキリスト者と、そうでない人々の間にまで広まって、キリスト者の中には、「いざ再臨か」とかと言った切迫感をもって一部の人々が生きた時代があった。ミーちゃんはーちゃんもやんごとなきおこちゃまであった頃、そのようなある種の切迫感の中で過ごした一人ではある。

         

         

        やんごとなきみやびなお子ちゃま おじゃる丸

        https://news.biglobe.ne.jp/trend/0330/cin_160330_4588405573.html から

         

        このイスラエル建国には、反ユダヤ主義の反作用としてのシオニズムが濃厚に関わっており、また、ナチス・ドイツ支配下でのユダヤ人迫害に手をこまねいて 拱手傍観するのみであったり、あるいは、それに積極的に、また、消極的にせよホロコーストに加担してしまったことになる、連合国側の人々の第2次世界大戦後の良心の呵責も影響しているようにしか思えない。事実かどうかは、知らないが、思想の自由がある以上、ミーちゃんはーちゃんがそう思っているだけの話である。したがって、ヨーロッパ人の良心の呵責云々のミーちゃんはーちゃんの印象は、与太話の可能性が大であるので、読者は眉に唾きして、ミーちゃんはーちゃんの書いた部分をお読みいただきたい。ミーちゃんはーちゃんが書いた部分は別として、今回の論文からの引用部分は、精度の高いはなしであると思っていることは、付言しておく。

         

        この早尾論文では、『ユダヤ人』と呼ばれる人々がヨーロッパ社会でどのような人種的まとまりを持つ人々として認識され、さらに同定されていくその過程と、その中での血縁関係でのユダヤ人の区別というか差別が存在したこと、それが、非ヨーロッパ人としてのいわゆるブラックと呼ばれるアフリカ系諸国民への定位に果たした役割を明らかにする。本論文は、ヨーロッパでの半ば中途半端なかたちで定着した流浪の民としてのユダヤ教の人々、ユダヤ人がヨーロッパ社会の中で位置づけられていく中で、彼らは、ボグロムやホロコーストといった悲劇に巻き込まれていく。そして、ゲットーに押し込まれ、事あるごとに反感の対象にされる。漸くパレスティナ(ペリシテ人の地と言うくらいの意味)に第2次世界大戦後、定着しかけることができたと思ったら、北から南から軍隊がやってくるわ、警備を過剰にしたら、パレスティナ人の一部過激派からは、爆弾投げ込まれるわ、ミサイル打ち込まれるわ、みたいな状況になっている。この背景には、イスラエル国という近代国民国家自体が、ユダヤ人国家といえるわけでもなく、そうなったのは、過去のわずか70年未満に取った政治的経緯の結果であることを示す。イスラエル国の国民の一定の割合は、ユダヤ教からの影響を受けているとはいえ、純粋にユダヤ教的な宗教国家でもないという、一種キメイラ的な国家であることを明らかにするのである。さて、その記述を見ながら、なぜ、このユダヤ問題が、人種問題として提起されるのか、というあたりのことの導入部を少し以下で紹介してみよう。

         

        キリスト教世界の中に反ユダヤ主義の生成の歴史を詳細に見ることは容易なことではない。というのも、キリスト教徒ユダヤ教の差異の中に原因を探し求めることは、あくまで宗教解釈の次元の議論になるが、反ユダヤ主義は人種差別のイデオロギーだからである。「血の思想」に基づく人種差別を、宗教解釈によって説明することはできない。
        またその点に関連して最初に確認しておかなければならない基本的な問題として、しばしば聞かれる俗説にイエスの十二使徒の一人「イスカリオテのユダ」がイエスを裏切って売り渡したことが反ユダヤ主義の原因であるという聖書由来の物語があるが、これは何の説明にもなっていない。というのも、イエスは古代ユダヤ教の改革者としてはなおユダヤ教徒なのであり(初期キリスト教の成立の目安となる新約聖書の編纂は2世紀頃とされる)、この時点でキリスト教対ユダヤ教の対立図式を持ち込むことは決定的に無理がある。(福音と世界2017年11月号 p.6)

        まず、ここで、早尾論文では、ユダヤ問題という一種の人種差別について、「「血の思想」に基づく人種差別」であり、「宗教解釈によって説明することはできない」と自身のご主張の主要論点を述べておられる。日本でこの問題を考えたり発言したりすることがお好きな皆さんは、割とキリスト教関係者に多く(それはアブラハムの信仰に由来する宗教であるということがキリスト教にはあるからと言うのは、新約聖書のヘブル書に出てくるからだが)、たいていは、ユダのイエスの裏切りがユダヤ人否定の根拠として用いられるが、それを「これは何の説明にもなっていない」と、実にすがすがしく、そして、明快に否定しておられる。

         

        もし、裏切ったユダがユダヤ人だったからユダヤ人は迫害されるべき、というのなら、実際に手をかけたのはローマ人であったし、パウロに至っては、自分がユダヤ人であることを誇っていいなら、自分はガマリエル門下生で、パリサイ派だ、といっている。確かにローマ市民権は持っていたが、彼は母親がユダヤ人女性であったようである。ちなみに、ユダヤ人は母親がユダヤ人であることが重視される。この辺を勘違いしている日本のキリスト者はかなり多いように思う。ユダヤ人であるかどうかに関して言うと、不確実性の強い父系より確実性の強い母系なのである。

         

        そんなことを言ってしまえば初期の弟子たちは、ユダヤ人ばかりであるが、ペテロにいっては、最終的には悔い改めたとはいえ、鶏がなく前に三回「イエスなんてやつはオレっち知らないもんねぇ」とか否定して、裏切りまくっているのである。たしかにイエスを当時の官憲や有力者に売り渡しはしなかったが、裏切りという点では、あまり大差がないように思うのは、ミーちゃんはーちゃんの理解力が不充分であるからであろう。

         

        エル グレコ作 ペテロの改心

        https://commons.wikimedia.org/wiki/File:El_Greco_-_The_Repentant_St._Peter_-_Google_Art_Project.jpg

         

        そして、そもそも、初期キリスト教は、当時のユダヤ教のシナゴーグで人々が集まっているところにちょこちょこっと、弟子たちが参加して、現地のユダヤ教教会(シナゴーグ)に参加している異邦人(外国人)相手に、「チミたちが読んでいる聖書で預言されていた人と思われる人が、イスラエルでちょっと前まで存在しておられて、そして(十字架にかかって死んで)、死者の中から復活したのだなぁ。チミら知らんだろう」と言い放ったかどうかは定かではないが、異邦人の改宗ユダヤ教徒相手にイエスのことを話したのであって、ある面、使徒時代くらいまでは、ユダヤ教の世界での存在のなかで、なんか、「キリスト、キリスト」というので、どうもこいつら、純正ユダヤ教徒とかなり違っていることを言っている人々ぢゃないか?といった感覚で、当時の人々からキリスト基地外(キリストキリストと狂った様に言う奴ら)とラベルがキリストという人々に貼られたようであり、これが、クリスチャンという語の出発点である。

         

        ところでプロテスタント派の教会の礼拝で、ユダヤ教の名残を見つけるのは、砂漠の中から特定の成分の砂を見つけるようなものなので、その共通性というか名残を見つけるのは、たしかに困難であるが、正教会系の教会に行けば、そのユダヤ教時代の象徴は、少し注意深く見れば、教会のあちこちに見受けられる。カトリックの中での独自の展開の中で、その後の宗教改革のときや、そういうった象徴をとっとと捨ててしまったことにより、今のプロテスタント教会では、それを見出すのができないほどお掃除されている教会が多いし、そういう教会しか見たことがないと、確かに、ユダヤ教とキリスト教は別物と言いたくなり、自分たちは違うのだと言いたくなる気分になる人がいたり、ユダヤ教からの進化系とか発展系だから偉い、とか思いたくなる人が出てくるのは避けられないことだとは思う。進化系が必ずしも良くならないことは、Windowsの短い歴史でも、MacOSの短い歴史でも、まま起きてきたことである。

         

        アブラハム宗教と改心

        ところで、地中海世界における、ユダヤ教、キリスト教、イスラームという一神教の間での改宗問題は、仏教や日本型宗教、あるいは、神道といった異教世界からキリスト教への改宗とは、かなり違う意味を持っていることについて、次のような記載が早尾論文にはある。本来はもっとあとにあるのだが、ここで先出ししておく。

         

        そもそも改宗は、同じ「唯一神」を抱くこれらの一神教の間では特に珍しいものではない。というのも、『旧約聖書/タナハ』を聖典として共有する「啓典の民」としては、ユダヤ教であれ、キリスト教であれ、イスラームであれ、異なる宗教というよりもむしろ、同じ「アブラハムの一神教」内部での改革運動の結果として分派した「宗派の違い」とさえ言えるからだ。(同誌 p.6)

         

        N.T.ライトは『クリスチャンであるとは』という書籍で、ユダヤ教徒キリスト教を兄弟関係で捉え、イスラームをいとこかあるいは親戚か何かのように記述している部分がある。案外、この3者は非共有部分より、共有部分が大きいようには思う。たしかにクォラーンの叙述と、ヘブライ語版聖書とその翻訳聖書では、創世記伝承に違いは生じているが、基本構造はそのまま維持されている。その意味で、アブラハム宗教という大きなくくりで見ると、宗教のOSは共通で、乗っているアプリやOSのチューニングがかなり違う3台のPCを見ている感じと理解するほうが近いように思う。ただ、OSをいじりすぎて、プロテスタントの側では、共通性が見いだせなくなっているのは、先ほど紹介したとおりである。ただ、ムスリムは絶対帰依を言うので、ムスリムから他の宗派と言うか宗教に移籍すると、あとは死が待っていることになるらしいが。それもまぁ、キリスト教徒やユダヤ教徒で宗祖にいらんことしたやつがいた結果であるらしいけど。

         

        レコンキスタという現象

        もうちょっと、早尾論文の前後をずらして話をしてみたい。それは、レコンキスタというスペインでおきたことで何がユダヤ人たちに置きたのか、ということである。レコンキスタは、イスラム帝国の一部がスペインに北アフリカとスペインの間のダーダネルズ海峡を渡ってイベリア半島に流入した。そのイスラム教徒の皆さんがイベリア半島で定着していたのを、キリスト教側が追い落とし、と言うか、この日までにこの地域から出て行け、と期限付きでキリスト教側が、ムスリムとユダヤ人に対して宣言し、これらの人々をイベリア半島の一部から追放したのである。つまり、イベリア半島のキリスト教国、すなわちキリスト教純化思想を持った王制国家が、ムスリムなどの異教徒、そして、なぜだか当時のユダヤ教徒も、非キリスト教徒であると判定したため(まぁ、十字軍や当時の海賊行為との関わりもあったのだろうが)、イベリア半島から追放されることを選ぶか、改宗を迫られるというの憂き目にあったのである。

         

        ところで、先にも述べたように、ムスリムの場合、キリスト教への改宗は、死を意味した。従って改宗ということはなかったようである。しかしイスラム教徒には、アフリカやアラビアにイスラム帝国があったので、ダーダネルズ海峡を渡って、アフリカに帰るとか地中海を浸かって、アラビアに行くという選択はムスリムの皆さんにはまだあったが、ユダヤ教徒あるいはユダヤ人には行くところがない放浪の民状態になり、半ば強制的に強いられるかたちで所払いされてしまったのである。

         

        その辺の事情について、次のような記述がある。

         

        ところが、強制的かつ集団的な改宗となると、事情は一変する。改宗によってキリスト教徒になったものは、スペイン語で改宗者を意味するコンベルソと呼ばれてきたが、数十万人に達するイベリア半島のユダヤ教徒たちが強制的かつ集団的にキリスト教に改宗させられたとなると、まずは、その改宗そのものに、すなわちキリスト教への信仰心に疑念が差し向けられる。(中略)結果、表向きだけは改宗した「隠れユダヤ教徒」を実際に生み出すことになった。彼らは、キリスト教社会からは、侮蔑的な『豚』という意味で「マラーノ」と呼ばれた。

         

        (中略)

         

        ここに(コンベルソとマラーノの両者の見分けのつかなさ)初めて、信仰に基づく「ユダヤ教徒」ではなく、「血の純血」思想に基づく「ユダヤ人」と言う概念が発生する。もちろんここで言う「血」は、生物学的な血液のことでなく、あくまで「イデオロギーとしての血」であるは強調しておきたい。(中略)改宗がユダヤ教徒集団全員に強いられたことによって、血が変わらない「元ユダヤ教徒集団」が作り出された。個人的な回収であれば生じなかったはずの「血の異なる人種集団」がここに生じたのだ。これによって、仮に祖先の代で改宗していたとても「あのユダヤ人コミュニティ出身のユダヤ人」と言う人種的規定がその子孫にまでつきまとうことになった。
        すなわち、レコンキスタがもたらしたものは、イベリア半島のキリスト教支配だけでなく、その内部に潜む人種的マイノリティ集団としての「ユダヤ人」でもあったのだ。(同誌 p.7−8)

        ここで、早尾論文では、隠れユダヤ教徒という言葉を使っておられるが、これは、実に適切な表現ではなかろうか、と思う。隠れユダヤ教徒の場合は、意図的にユダヤ教徒であることを選択するということであるから、まぁ、下手をしてバレたら、ろくでもない目にあうことになる。その覚悟の上での選択だったのだろう、と思う。ところが、仮にコンベルソの皆さんのように、誠心誠意転向しても、まぁ、宗教とは個人の信念システムとかなり強く結びついているので、「改宗した」と表明したとしても、なかなか信じてもらえず、ギクシャクはする事が多いとは思う。さらに、誠心誠意、真性の改心をしたとしても、キリスト教徒の側から、なかなか、信用してもらえないことは、冤罪事件の被害者というか、加害者と間違えられた冤罪で訴えられた人が、法廷で無罪が確定しても、なかなか信じてもらえないこととよく似ている。いずれにしてもろくでもない目が待っていたのではないか、と思うのだ。冤罪との類似性で言えば、まさにオウム真理教事件のときの河野さんという方がそのような被害に合われた方である。世間だけでなく、マスコミの一部が率先して、河野さんについてのかなり詳細な追っかけをしていたように思う。このように、人がすることは、どこの国でも同じであるし、日本では同様のことが第2次世界大戦中にキリスト者に向けて、発生したように思う。

         

        ムラーノ(豚)とユダヤ人を呼ぶこと
        ところで、ここで、ムラーノという言葉について考えてみたい。最近でこそ、イスラム教徒の生活規定として、ムスリムと食事規定との関係についての理解が広まってきたが(本来ハラールは、個人が信仰によって決めれば良いことであるらしいので、政府による規制を一律で包括的に定めるのは、イスラム法的にいかがかという意見があることは記憶されるべきである)、ユダヤ教でも、食事規定(コシェルとかコーシェルとか呼ばれる)は律法(トーラー)にも記載があり、豚は食べないし、汚れた動物として指定されている。放蕩息子が豚の世話をしているということは、ユダヤ人としてはありえないことであり、豚の世話をさせられているということは、本来ありえないことなのであり、彼は異邦人同様に落ちぶれたものとして描かれているのである。

         

        放蕩息子の息子くんのように、世話をすることすら汚らわしくあり得ないはずの豚(マラーノ)という名前を付されたユダヤ人の心境は想像するにあまりがある。マラーノと呼ばれながらも、それでも生きていくことを選んだユダヤ人たちの思いを考えると、非常に複雑な気持ちがする。ちょうど、キリシタンと呼ばれ、揶揄されながらも極東の島国で行きようとした人達の姿と重なる。しかし、こういう記述を見ると、結局日本型宗教であろうと、ユダヤ教であろうと、人は自分とちょっとでも違うと思えば、いとも容易に他者に対してシンジられないくらい苛烈になれるのであり、洋の東西、宗教の違いは関係ない。東洋的な仏教だと平和かというと、まさにその東洋的な仏教徒が、ロヒンギャと呼ばれるムスリムたちをアジアの南の方の国では迫害しているのである。実に残念なことであるが。仏教だから平和、キリスト教徒だから平和、ムスリムだから平和、ということにはならないことを、我々はもう少し冷静に見つめたほうが良いかもしれない。

         

        それで、レコンキスタが何を生み出したか、というと、早尾論文は次のように書く。「レコンキスタがもたらしたものは、イベリア半島のキリスト教支配だけでなく、その内部に潜む人種的マイノリティ集団としての「ユダヤ人」でもあったのだ」。つまり、レコンキスタによって、ヨーロッパ(少なくともイベリア半島)での被差別対象集団として位置づけられた民族がユダヤ教徒ないしユダヤ人であったし、それはヨーロッパ社会の中での人がしたがらない仕事をするしかないマイノリティの人々として、社会的に位置づけられた、ということができよう。
         

        ((((次回へと続く)))))

         

         

         

         

         

         

         

         

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        2017.10.25 Wednesday

        キリスト者のゴールは何だろう・・・

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          先日のN.T.ライト・セミナーの後の雑談で

          先日開催されていた「復活と罪の中にあること」をテーマとした、N.T.ライト・セミナーが終わった後、関係者で隣のビルの喫茶店で、いつものように雑談していた。そのときにちょっこし話題になったのが、「なぜ、十字架、十字架と強調されているんだろう」とか「なぜ、自分が決心をして、自分が救われたかどうかをやたらと気にするキリスト教徒が多いのだろう」とか、「キリスト教系のカルトでは、個人の決心を大事にしている」とか、こういうったことにまつわる大変面白いよもやま話(とは言いながら、実は大事な話)が繰り広げられていた。一番面白かったのは、その中の参加者のお一人の牧師の方が、「プロテスタントは、サクラメントをあまり重視しなくなった結果、なんか、サクラメントに変わるものとして、「救われた」とか、自分自身が「信じて救われる」ということを言わなければならなくなったんじゃないかなぁ」というような趣旨(細かな表現は忘れた)のご発言をされた。

           

          Anglican Communionの教会であんまり聞かない「ことば」

          それで、夜遅く、そのセミナーが終わって、隣のビルでの喫茶店での茶話会が終わって、自宅に戻って、家人と「いやね、今日、セミナーが終わった後、こんなおもしろい話をきいたんだ」とかいう話をしている時に、家人が、突然「そういえば、今のAnglican Communionの英語部教会に行ってから、救われる必要がある、とか、救われた、とか言わなくなったねぇ」といいはじめ、その話になった。

           

           福音派にいた頃は、これが大問題であるかのように、「救われた」ということについて、ことあるごとに聞かされていた部分があったことに、家人の発言から気がついた。(なお、それは、英語部の教会に行っているから、日本語での「救われた」とかを聞かなくなったではない、と思う。)アメリカでは、福音派のCommunity Churchとか、Evangelical Free Churchを自称しておらるところにいっていたが、結構”Save”とか ”be saved”とか、Jesus saves you とかは結構頻繁に飛び交っていたように思う。イギリス系の教会だから言わないのか、アメリカ系の教会だから言うのかどうか、伝統教派だと言わないのか、プロテスタントだから言うのか、とか、色々家人と話をしていたのだが、おそらく、教派的な聖書理解の基本的な設計思想がかなり違うから「救われる」とかは、今の教会ではあまりいわないのではないか、ということになった。

           

           

          http://zackhunt.net/2015/02/05/10-reasons-jesus-probably-outcast-todays-church/ から

           

           

          https://www.circleofhope.net/blog/convert-american-christianity/patriotic-jesus-saves-billboard/から

           

          なぜ、福音派の教会では、「救われる」とか「信仰告白」が重大事になるのだろうか。それは、聖書の中の表現に根拠があるように思う。確かに、聖書の中のローマ人の手紙の中では、

          【口語訳聖書】ローマ人への手紙
          10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
           10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
          とは書いてある。これをこの部分だけそのまま読めば、人間が自分の口で、「イエスが主であると告白し、神が死人の中からイエスをよみがえらせたとしんじるなら、救われる」とは、書いてある。しかし、この中には、重要視されている贖罪の十字架は、なぜだか書かれていない。そう考えると、死者からの復活が如何にローマ人の手紙のの著者とその同時代人にとって、極めて重大事であったことが、ここの部分の記述に現れているのかもしれない。そのあたりが、ライト・セミナーのメインテーマではあったのだけれども。
          ところで、この「口で信じて告白する…」の記述の前には、実は次のような部分がある。
          【口語訳聖書】ローマ人への手紙
           10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。
           10:5 モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。
           10:6 しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。
           10:7 また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。
           10:8 では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
          ここで問題となるのは、「信じる者」という時に、信じると言う個人の行為が問題なのか問題ということと関わっている感じがする。この部分主語がキリストであることを考えると、この部分で重要なのは、信じる私達でもなく、信じるという行為でもなく、キリストないしは神の主権性であり、キリストがこの地において言葉となり、我々の近くに(イエスは、神の国はあなた方の中にある、と言っておられるが・・・)おられる、ということではないか、とあらためて思ったのだ。よくは知らんけど…と関西人らしく行っておこう。
          【口語訳聖書】ルカによる福音書
           17:20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
           17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
          神が先に救いを提示しておられるという意味では、どちらかというと、個人の信仰とか個人の決心とかは、神が主権者であることに比べると、神の行動に付随するべきものでは、ないかと、個人的には思っている。そんなことを言ったら、それはおかしいとか言い出しそうな人がおられるかもしれないが、信じると神の前でちょっとくらい言えたところで、その理解も、神からくるものであることを考えると、我々は、そもそも鼻で息するものであり、神に比肩することもできないし、「口で告白して…」と書かれている部分の前段階で、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。と書いてあることからも、勝手に神の聖座を人間ごときものが簒奪するな、と言っているようである。おそらく、この部分は「キリストが復活したのか、復活しなかったのか論争」で、大論争が当時のこの手紙の宛先になった教会などで起きたのではないだろうか。それほどのこととして、復活と神の主権性の問題が重要であったかも知れない、ということを考えると、口で告白し、というのは、人間の行為の重要性よりは、神の主権性に従う敬虔のことではないか、と思うのだが、多分、それはミーちゃんはーちゃんの聖書の読みが足らない、ということなのだろうと思う。なお、このあたりのことは、「救い派」ということで、『福音の再発見』という本の中で触れられている。
          「救われる」に類似した表現って…
          さて、アングリカン・コミュニオンの教会では、救われた、とは言わない代わりになんと言っているか、という事を家人に問われるがままに考えてみた。個人的に至った思い結論としては、ReconcileとかHealedとか、ReturnとかPeace とか freedom いう言葉のような気がする。個人的に好きな祈祷書の表現に次のようなものがある。細字の部分は司祭が読み、太字の部分を信徒が全員でいっている。

          Again and again, you called us to return. Through prophets and sages you revealed your righteous Law. And in the fullness of time you sent your only Son, born of a woman, to fulfill your Law, to open for us the way of freedom and peace.

           

          By his blood, he reconciled us.
          By his wounds, we are healed.

          とか

          Again and again, you called us to return. Through prophets and sages you revealed your righteous Law. And in the fullness of time you sent your only Son, born of a woman, to fulfill your Law, to open for us the way of freedom and peace.

          とか

          By his blood, he reconciled us.
          By his wounds, we are healed.

          Lord Jesus Christ, only Son of the Father,
          Lord God, Lamb of God,
          you take away the sin of the world:
          have mercy on us;
          you are seated at the right hand of the Father:
          receive our prayer.

          というような祈祷書の文言にも現れているようなきがする。その辺を美しい賛美で歌ってい賛美歌が、以下で紹介している動画の賛美歌である。

           

           

          Christ be our lightという賛美歌

          あくまで、キリストが光であり、自分が光になる歌ではないのである。その意味で、自分自身が告白するとか、何かしたからではなく、あくまで神の主権性の世界、つまり、神の国に生きることが重要なのではないか、と最近は思い始めている。
          人間のゴールはなんだろうか
           福音派で長く過ごしたので、福音派的な精神性と言うか、その理解はよく分かるが、割りと福音派的な世界では、口で告白して、(十字架でイエスがワタシの身代わりで死んだことを信じて)、バプテスマを受けたらいっちょ上がり、という部分はある。でも、聖書のローマ書によると()内の部分は(キリストが死者の中から復活したことを信じて)義と[神によって]認められる、ということだと思う
           ところが、本来[神によって]義と認められの部分が、実態的には、[牧師によって]とか、[信徒代表によって]とか、[会衆によって]とか[宣教師によって]とか[スモールグループのリーダーによって]とか言うような部分もあるが、そうなると、カルト化しやすくなってしまう。確かに、人間の世界でもある教会では、誰かが実際には、決めないといけないので、どうしても、[牧師によって]とか、[信徒代表によって]とか、[スモールグループのリーダーによって]信じたと認められ、となってしまう部分も人間社会の中で生きざるを得ない人間にとっての限界として存在してしまわざるをえない部分もある。しかし、本来は、「義と認められる」ということは人間には計り知ることのできない神の領分ではあるようには思う。

          さて、もし、信じてバプテスマを受けて、天国に入れるようになることがゴールであるとしたら、人間としてこの地上で生きる意味がほとんどないような状態となりかねない。「キリスト者になった、天国にいきる権利を得た、そして、義人となってしまった」場合、人として地上に生きることに関する意味合いは薄くなる。そして、そうなってしまうと、もう人生のほとんど目標を達成したことになる。個人的には、「天国に入ることが究極のゴールである」という理解は、おそらく誤解であって、「神がこの地で我々とともに生きておられる」あるいは、「神がこの地上に来られた」その理由は、「天国に人間を入れることか」と言われたらかならずしもそうではないような気がするのだけれども…。このあたりのことを考えて見られたい方には、ポール・マーシャルの『わが故郷、天にあらず』をお読みいただくのがよいのではないか、と思う。

           

          話を元に戻すと、もし仮に、キリスト者になることが人間にとっての最高のゴールであるとすると、イエスをキリストと認め、キリスト者になった瞬間にゴールに到着するのである、としたら、もはや、この地上で何かをする必要がなくなったような気になるような人びとが出てくるのかもしれない。

           

           そうであるからか、そのゴールに到達した人は、ゴールの到達後には、そのゴールに到達できる人ができるだけ増えるよう努力をすること、つまり、伝道すること、人が救われるようにすることが、目的になってしまうのかもしれない。そして、とにかくゴールに達したからには、先にゴールに達した者のある種の責任として、(ちょっと、あるいは、かなりの上から目線で)他の人がゴールに達するための努力、つまり、伝道することが目的になってしまうのかもしれない。あるいは、神の再臨を早めるために、ユダヤ人伝道してみたりとかする人びとが出てくるのかもしれない。ことに、再臨の切迫感の中で生きているキリスト者であればあるほど、身近な知人が滅びてしまう(地獄に行ってしまう)のは耐えられないからと、妙に伝道に熱心になってしまって、親族や友人から嫌がられたり、疎まれたりする人びとも出てきてしまう。そして、自分自身は、神の義のために迫害を受けているような気になったりする方もおられるのではないだろうか。

           

          しかし、伝道だけが、我々がこの地において、神とともに生きる目的なのだろうか。伝道だけが教会がこの地に存在する目的なのだろうか。確かに日本が宣教地である以上、伝道は教会にとっても、キリスト者にとっても大きな目的であるとは言えるかもしれないが、しかし、それはキリスト者とか、教会のゴールなんだろうか、と思ってしまう。いつも行っている教会では、聖餐式(毎週の礼拝と呼ばれる内容が聖餐式なのであるが)の最後に、司祭は、

           

          Go in Peace to love and serve the Lord

           

          といい、会衆は、

           

          in the name of Christ

           

          と応答する。つまり、我らがこの地で生きる目的は、「人を救うため」でもなく、「伝道するため」でもなく、「神を愛し、神に仕えるため」であるということを、毎週声に出して言ううちに、キリスト者のゴールは、神とともに生きる中で、なるほど「必死になってことばで説得し、伝道することだけでもなく」と思うようになった。確かに、神の存在を自分たちの民族のことばで、自分の周りの人々に伝えることは、神のみ思いを告げ知らせることではあるので、神に仕えることの一つであることは確かであるけれども、ことばで伝えるだけが、本当に神に仕えることなのだろうか、とも思ってしまう。

           

          黙すること、祈ること、黙想すること、神について、キリストについての観想的な生き方をすることも、ある面、外から、あるいは第3者、あるいは他人から見たら、実際には何もしていないようで、それは、神を愛し、神に仕えることになるように思うし、何よりもそういう一見何もしていない生き方は、神を愛するという事をしているようにも思う。

           

          我々は、何かしていること、Doing、何かすること、何かできること、髪のことを、ことばで他者に語ることにあまりに価値をおいてしまっているのかもしれない。そのような時代において、イエスがマルタに対していわれたことばを、もう少し考えた方が良いのかもしれないなぁ、とは思う。

           

          【口語訳聖書】ルカによる福音書
           10:38 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
           10:39 この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
           10:40 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
           10:41 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
           10:42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

           

          その意味で、この聖書の箇所から、「まず神を愛し、そして、仕える」という順番を、自分たちの都合で、「神に仕える、そして、神を愛する」という本来とは真逆の順番に何処かで変更してしまっているのではないか、ということを時々は考えてみたほうがいいのかもしれない。

           

           

          この記事、単発ものである。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

          評価:
          スコット・マクナイト
          キリスト新聞社
          ---
          (2013-06-25)
          コメント:おすすめしております。

          2017.10.23 Monday

          本日のN.T.ライトセミナーの音源のリンク集

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            本日のN.T.セミナーのツィキャスライブのコンテンツです。全体に声が小さめです。現地レンタルの機材からの直接音源が取れなかったので、ちょっと残念な結果に。都内なのに、3G海戦という、プアな回線状態でもありましたし。

             

            前半

             

            ■■■N.T.ライト・セミナー Opening 6分20秒あたりから 前半 冒頭 開会挨拶など
            https://ssl.twitcasting.tv/miha_kobe/movie/413532469#

             

            6分あたりから。音小さめです。

             冒頭にミは氏がおバカなことを大声で喋っているかなり恥ずい発言がかなりでかい声で入ります。

             

            ■■■N.T.ライト・セミナー 前半2
            シンポジウム 岩本エノクさん
            https://ssl.twitcasting.tv/miha_kobe/movie/413535292

             

            ■■■N.T.ライト・セミナー前半3 
            小嶋先生による小山論文 真鍋論文の紹介のあたりから

            https://ssl.twitcasting.tv/miha_kobe/movie/413539002#

             

            後半

            ■■■N.T.ライト・セミナー後半1 休憩明けから
            https://ssl.twitcasting.tv/miha_kobe/movie/413543400#

             

            ■■■N.T.ライト・セミナー後半2
            https://ssl.twitcasting.tv/miha_kobe/movie/413547224#

             

            ■■■N.T.ライト・セミナー後半3
            https://ssl.twitcasting.tv/miha_kobe/movie/413552359#

             

            ■■■N.T.ライト・セミナー後半4 Closing
            https://ssl.twitcasting.tv/miha_kobe/movie/413557050#


            よろしければどうぞ
             

            以上N.T.ライト・セミナー 実行委員会広報担当からのご連絡でした。

             

             

             

             

            2017.10.23 Monday

            ふるさと納税ならぬふるさと教会献金(2)

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              前回の記事では、国の制度としてのふるさと納税という制度とその問題として、地方財政学上の原理原則等にかんがみて、かなり疑問の残る制度であることをお話したし、本来ふるさと納税に伴わないはずの返礼品と、特に、その返礼品目当てのふるさと納税の問題を少し触れた。

               

              今日は、その教会編についてである。

               

              発想の発端となった雑談

              神戸にある異人館の写真を取りに来た方を、カトリックの鷹取教会(阪神大震災後、紙管工法で作られた教会の後に新しい協会ができた教会)に行ってみたいとおっしゃったんで、ご案内した。「ご聖堂に行かれたら面白いと思いますよ、でも自分の教会でないので、どんどんお御堂(聖堂)に侵入して、ご案内するわけには行かないけど…」とか言いつつ、とりあえず、内部にはいってみたいとおっしゃったので、入り口までご案内した。

               

              その後、神戸以外の方をご案内するいつもの和食レストランにご案内する途中、地方の小さな教会の話になり、それらの教会の存続の話になった。地方部は厳しくて、都会の教会に信者さんを送り込み続け、そして、自分たちは、高齢化が進み、教会の建物とかの維持も困難になっているし、牧師は、2教会、3教会、4教会掛け持ちしている人は少なくなくて、その中で、どのように教会活動を維持していくのか、地域自体の高齢化と人口減少があるし、その中でのサバイバルってのはけっこう大変になるんじゃないか、ということを考えていた。

               

              すると、ふるさとの教会から、東京などの都市部の教会に大学とか就職をきっかけに東京に言ってしまい、昔なら、交通不便とかもあったので、ある程度の地域に企業も人材を配置したけれども、飛行機もあり、新幹線もある中で、東京からの日帰り権がどんどん拡大する中で、企業が地方都市とかに人を貼り付けておく意味があまりなくなっているという側面があって、地域の産業構造も昔とは変わってきた結果、東京では、多様な教会があり、様々なタイプの人々に適応する教会があり、割と年齢段階やその人の聖書理解に合うような教会が見つけやすいかもしれないけれども、地方に行くと絶望的だし、教会と呼ばれるものがあるだけマシの地域もあったりするんですよねぇ、とかいうようなお話をしていた。結果として、都市部の教会は、あくまで地方部に比べてであるが、どんどん人も増え豊かになり、教会財政に各教会を見ればそれほど余裕がないにしても、地方に比べればよほどマシな経済的状況にあるところは少なくない。また、東京とかだと、ふるさとの教会に教会籍をおいたまま、盆暮れ正月のときには故郷の教会にちょこっと顔を出し、都会では、特に都会の教会に教会籍を移さず、客員のまま過ごす信徒さんも信仰生活のあり方としては、少なくないかもしれませんねぇ、とか言う話になった。現代の日本の教会ではドイツの中世都市に関する俚諺である「都市の空気は自由にする」が、ほぼそのまま当てはまるのではないか、ということもお話しながら、頭の片隅には、ちょっこし浮かんでいた。

               

              イエスは人々に開放を告げたようなのだが・・・

              イエスの教えは当時のユダヤ人が、妙な律法主義に凝り固まり、人々の生活が様々な制約でがんじがらめに縛られ、本来の神との関係の中にないような状態に近い状態になっていた人々に、その開放の日がいよいよ来た、ということをイザヤ書預言を引用しながら、告げたので、人々はその部分を読み、解き明かしをしたヨセフの息子をまじまじと見たのだろうし、パリサイ人は、このどこの馬の骨ともわからない中年に入りかけのイエスを違う意味でまじまじと見つめていたのかもしれない。

              【口語訳聖書】 ルカによる福音書 4章 16−22節
              それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
              すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
              「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
              主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
              イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
              そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。

              すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。

               

              しかし、その直後、イエスが重篤な皮膚病患者で、預言者時代に癒やされたのは「シリアのナアマンだけ」とか言い出したら、人々は殺気立ち、イエスを崖から突き落とそうさんばかりのような勢いになったのである。

               

              歌謡に人々に開放を告げたはずの教会が、がんじがらめに人々をしているとしたら、どうなのだろう。それって、イエスが実現されようとしたことの真反対とは言えないまでも、かなり方向が違ってしまっているのではないだろうか。そして、地方の教会の若者が自由にされるのが、「都市の空気」だとしたら、それは一体どういうことなのだろうか、とも思う。

               

              特に、都会に出てくると、地方には、教会の選択肢が殆どないとは言わないまでも、行く候補になる教会が限られる状況に比し、交通費をそんなに掛けなくても、様々な教会に出没できるし、キリスト教書にしても、出版されたその日に手に入るし、キリスト教書店の在庫にしたって、バラエティが非常に豊かであるし、都市部のキリスト教書店は、めちゃくちゃおしゃれとまでは言わないけれども、書店の雰囲気もかなり明るい。また、キリスト教書を扱う書店の候補も多くないし、また、様々なキリスト教書店に行く経費だって、ヘタをすると1000円以下で、移動時間として2時間もあれば数軒回れたりもする。その意味で、Facebook友達のMさんがFacebookでコメントしてくれたように、キリスト教は、基本的に都会向きの宗教というか信仰形態である、という側面はあるとは思う。地方では、キリスト教(耶蘇教という地域は、さすがに減ったと思うが)関係者であるということは、都会以上に少数者であり、生活が困難になる場合が存在するようである。

               

              地方部の教会で若者として過ごした日々の記憶から

              地方にある大学に入学し、かなりの距離の北関東のある地方都市の教会に通いはじめた頃、その地方都市の教会で大歓迎された経験がある。その北関東の教会では、東京から数時間からの距離であるためか、高校生くらいまでは熱心にその地方教会に大勢かよっていても、進学や就職でみんな東京に出ていってしまって、その人達は、滅多に帰ってこないという経験を十数年近くされたところに、突然降ってわいたかのように大学進学にともなって高校でたてのミーちゃんはーちゃんがいったもんで、地方都市の教会のおばちゃん、おばあちゃんたちには大変喜ばれたし、そして、おおばあさんやおばさんたちから、たいそうかわいがってもらった。ちょうど、高校に海外の高校からの留学生が突然現れたという感じであったのであろう。そういう珍しい存在であったからか、かなりありがたい経験をした、と今でも思っている。

               

              そこのおばあさんたちから30年ほど前に聞かされたところでは、その地方都市の教会でキリスト教と出会い、都会に送り出すことで、「都会の教会で熱心に神とともに生きているから、それでいいのだ」という思いをおきかせいただいたものの、「それでも若い人はいないのは寂しいねぇ」ということを時折は漏らしておられた。その教会は地方都市の規模からすると、かなり珍しく、30名近くの教会員のおられる教会ではあった。大学卒業後十数年して、近くで用事があったので、ご訪問したら、ほぼ経過年数分だけ平均年齢が上がっている状態であり、これはやばいかもしれない、と思ったことがあった。まだ、人数が多い分だけ、その当時問題は明確化はしていなかったものの、あと10年後を考えると、状況はかなり厳しいだろうなぁ、というのは思った。

               

              ふるさと教会献金の原型

              ある方との神戸市内の教会を巡る雑談の中ででた話の中に、地方の教会に教会籍を残すのなら、参加者としてはカウントされなくても、教会人数には入るのだし、年に数回でも多少は献金もあるだろうから、それで、教会の存続に多少は貢献できるかもしれないねぇ、という話になった。その場での話はそこまでであった。

               

              そんなこんなことなどを思いながら、前回の連載である 『人口減少社会と地方部と教会の悩みシリーズ』に、Facebookのお友達のMさんがふるさと教会献金のようなことを言い始めた。若い神学生を地方に派遣してみたら、とか、若手のうちは、地方教会に貼り付けるとか、地方教会の教会員が作ったものを都会の教会で売って、地方の教会の維持経費に充当するとか、教会という建物をやめて、家庭巡回型での家の教会のようにするとか、まぁ、色々なアイディアを展開してくださった。

               

              しかし、アイディアとしてはあっても、いざ、それを実現するとなると、いろいろな障害が北アルプスの山々や、本家ヨーロッパアルプスや、ヒマラヤ山脈のように立ちはだかり、それを超えていくことが困難である事が多い。その山々を越えようとした段階で、アフリカから象や軍勢を率いて、ローマを目指した、かの猛将ハンニバルも結局は力尽きたように、多くの人々も力尽きてしまうと思う。特に、モノが関連した交流を素人がするのは、物流が分かってない行政マンが、それを非常時に自分達でやるということで徒労を経験するように、かなり厳しいことに直面せざるをえないのである。

               

              アフリカから象に乗ってローマに向かうハンニバル

              https://www.pinterest.co.uk/pin/150518812520249226/ から
              特攻野郎A-Teamのハンニバル

              https://forums.inxile-entertainment.com/viewtopic.php?t=18402 から

              映画『羊たちの沈黙』に出てくるハンニバル・レクター
              https://www.scoopwhoop.com/hannibal-lecter-quotes/
              羊たちの沈黙の予告編

               

              ところで、何のために貨幣があるのだろうか。それはそもそも決済や安全な資金移動のためである。安全、確実、迅速に資金移動を可能にするシステムは現在の日本社会ではあるのではないだろうか。

               

              ところで、新約聖書によると、エルサレムの地方が飢饉に襲われたとき、異邦人教会は何をしただろうか。信徒代表たちに金をもたせ、山賊、海賊が跳梁跋扈する地を旅して、資金を届けたのではないだろうか。だとしたら、現代においては、貨幣や全銀手順を利用して非カカウ的低廉な手段で、地方部への資金移動ができるのではないだろうか。

               

              非常時だけでなく平常時の人的交流を含めた支援も

              類似のことは、阪神大震災の被災地にある教会、東日本大震災、熊本地震、豪雨災害の被災地にある教会に、日本全国から支援物資や支援献金が送られた。これはこれで、日本のキリスト教会が同じキリストに従うものであること、同労者であることをかたちを通して表明し、そして、その痛みの軽重はあるにせよ、ともにあるものとして覚える機会になったとは思うが、割りと、一時的なもののような気もする。無論、継続的にそれらの被災地域の教会を支援されている教会があるのも知っている。たしかに災害などの非常時の支援も重要であるが、平常時でもいたんでいる教会を定期的に覚えること、祈りの中で、まだ直接会ったことのない教会の人々を覚えることも重要なのではないか、と思うのだ。

               

              この時期、Facebookを見ていると、各地の教会の牧師さんも地方のあちこちの教会で奉仕しているお姿をお見受けする。そういうのを見ていると、教会間の顔が見える交流が成立していることの証左だと思うのだ。その際に、都市部の教会からの支援資金として、ある種のふるさと献金とともに数名の信徒が都市部から参加し、地方の教会に参加し、交流するとかいう程度なら、まだ実現可能性はあるのではないか、また、地方の教会との定期的な講壇交換として、都市部の教会から地方部の教会に信徒を含め、参加するような交流なども意味があるかもしれない。

               

              まぁ、全国展開しているような教団がある場合、一種の教会間平衡化資金として、資源配分がされているということもあるやに聞いているが、そういうのがない単立教会では、何らかの方法で、他の単立教会との人的交流とふるさと教会献金として、教会の献金の中からの他の教会へのある教会からの資金的寄付というのは、教会の責任としてあってもいいのかもしれない。もし、それが機能不全となっていて、教会間資金へ行こうかが行われず、祈れ、頑張れ、とだけいい、個人の善意による資金移動だけになっているとしたら、教団本部とかがある意味ってなんだろう、と思い出す人たちがいても当然かもしれない。ただ、それは、帝国陸軍の前線への派遣部隊運用方針とほぼ同じなので、なんだかんだ言って、現地で鋭意奮闘努力せよ、と寅さんの詩にあるようにゆうだけかもしれない。ただ、通常の教会献金(月定献金とか)にプラスとしての献金だと、それはいかがなものかと思う。もし、個人でするよりは、教会の交流として、した方がいいかもしれないとは思うのだ。

               

              前回の記事で、ふるさと納税の一環として返礼品目当てのふるさと納税はいかがなものか、と申し上げたが、教会の場合も、返礼品目当ての協力券金とか言うのは、いかがなものかとは思うのである。「神に捧げたものは、本来神のものであるし、自分たちの教会だけの献金でもないのではないだろうか。そして、自分たちの教会だけが、教会だけでない」といったようないうような視点がもう少し、日本の教会にあってもいいように思うのだが。

               

               

              この連載終わり

               

               

               

               

              2017.10.21 Saturday

              ふるさと納税ならぬふるさと教会献金(1)

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                今日は、これまで3回にわたってご紹介してきた人口減少社会の地域とその中の教会に関する記事のスピンアウトである。今回と次回はふるさと納税制度とふるさと教会献金と題して書くことにしたい。今回は、まずふるさと納税について少し説明しながら、地方における今の現状について、少しお話してみたい。

                 

                ふるさと納税という制度

                最近はあまり新聞、雑誌、テレビやラジオで言わなくなったが、ふるさと納税すると、かなりの地域の特産物がもらえる上に、減税措置があるというので、一時期話題になったことがあった。今でも、地域の返礼品と減税を目当てに、この制度を利用している人は一定数おられるようである。

                 

                兵庫県西脇市のふるさと納税返礼品 http://www.city.nishiwaki.lg.jp/kurashi/furusatokifukin/furusato.html

                 

                ふるさと納税制度の動画(西脇市)

                 

                政府による制度の公式説明

                総務省のふるさと納税のサイト(http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_zeisei/czaisei/czaisei_seido/furusato/policy/)によるこの制度の意義として、次のようなことが書かれていた。

                 

                ふるさと納税には三つの大きな意義があります。

                • 第一に、納税者が寄附先を選択する制度であり、選択するからこそ、その使われ方を考えるきっかけとなる制度であること。
                  それは、税に対する意識が高まり、納税の大切さを自分ごととしてとらえる貴重な機会になります。
                • 第二に、生まれ故郷はもちろん、お世話になった地域に、これから応援したい地域へも力になれる制度であること。
                  それは、人を育て、自然を守る、地方の環境を育む支援になります。
                • 第三に、自治体が国民に取組をアピールすることでふるさと納税を呼びかけ、自治体間の競争が進むこと。
                  それは、選んでもらうに相応しい、地域のあり方をあらためて考えるきっかけへとつながります。

                 

                一応、まぁ、なにか制度設計の本音を隠しながら、本制度をかなり美化してお書きになっておられる様に思う。意義の一つ目として、納税者が寄付先を選択できるというのは、地方財政学の地方公共財の提供における受益者(居住者)負担の原則からみれば、地方公共財の受益とその提供コストの負担の原則からいって、おかしな制度であるように思う。まず、その意味で、この制度は、今後、国による地方交付税交付金制度をやめるつもりの前提として導入される制度なのではないか、と勘ぐりたくなったのである。地方も財政難であるが、国も財政難である。赤字国債の発行、その他の特殊会計や基金を取り崩している状態であり、景気対策、景気浮揚策ということで財政出動がこの20年前後続いており、一時的に瞬間風速的にプライマリバランス達成はしたものの、それ以降、10年以上、国の財政は、慢性的な赤字体質(所謂借金漬け)になってきていることは、下の財務省のグラフをご覧になって頂くと、おわかりいただけるであろう。糠の古漬けもあまりに古くなると食用に適さないのと同じように借金の古漬けも食えなくなる。

                 

                http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/004.htmより

                 

                どうも、このふるさと納税制度というのは、地方振興を目指して、厳しい人口減少社会に直面しつつある地方自治体にふるさと納税で金をぶち込み、さらに、それで自治体が地元の農家(1次及び6次産品を扱うようなかなり大きめの農家とか農事法人)とか、食品工場とか、地元の小規模商工業者の商品を自治体が購入することで、政府の消費を増やすことで、その自治体の企業や住民に還流する資金を増やそうというような政策としか思えない。つまり、もう、国は地域間での公平な発展を図るために設けられた、地方交付税交付金(一種の地域間均衡政策、ナショナルミニマムの達成政策)の存在を軽くすることで、国の負担を軽くするとともに、人口減社会における地域での個人や家計による消費増がおきることで、仮想的な人口増に近いふるさと納税政策を採用することで個人(家計部門)の力でちゃんと地域間の公平を図るようにしてもらえないか、と言い出したように見えて仕方がない。ある面、地方自治体の側からみたら、国の責任放棄と言われても仕方がない政策であるように思える。多分、総務省の言い分は大分違うだろうけれども。財務省と総務省の言い分がどうも微妙に温度差があるようであるが。

                 

                もし、仮に、このふるさと納税だけになり、国が、交付税交付金を全くやめてしまったら、それは、国家(財政当局)が地方を見限ったというのか、見捨てたということである。つまり、国ないし中央政府が地方の困っている自治体を見捨て、どうせ税金なんだから、交付税交付金を国民の自主的な意思に従って自分で考えて再配分してください、というようなものである。従って、交付税交付金を国が制度的に全くやめてしまう、とは思わないが、既にふるさと納税のような制度に、弱小の地方自治体の切り捨てとは言わないが、弱小地方に対する冷たい視線を感じてしまうのは、読み込み過ぎだろうか。

                 

                地方交付税の推移のグラフ

                http://www.soumu.go.jp/main_content/000399803.pdf より

                 

                町村合併で起きたこと

                それと同時に、平成の町村合併で、基礎体力の弱い弱小の自治体へは合併特例交付金や特別債権の発行ということで、町村合併が進められ、もともと3200ほどあった市町村がいまでは、1700ちょっこし程度にまで減っている。同じ地域にありながらも、かなり地域特性の違う市町村が、合併して巨大な市域を持つ自治体になっていて、それで、独自性を出せとか、地域の特殊性に応じた行政とか言われても、かなりそれは無理なのではないか、と思っている。このあたりの肌感覚は、地方部にすまないで、大都市圏の合併していない自治体あたりでずっと過ごしていると、肌感覚としてはわかりにくいのではないか、と思う。というのは、大都市圏では既に、一定数の人口があるので、あまり町村合併が発生しなかったからである。しかし、このような町村合併によって、地域の住民にとっては、そもそも、その自治体では長く続いてきたために、当然のことと思っていた行政サービスがなくなったり、あるいは、思っても見なかった行政サービスがある日突然利用できるようになったり、あるいは、従来は地元の役場で住んでいた話が遠方の合併後の本庁舎に行かなければならなくなったりと、これは案外いろいろな生活の側面においてかなり影響が及ぶ話なのである。それはそれで、合併した効果の一つとして、自分の地域の行政を考え直すきっかけになるのかもしれないが。良いか悪いかは別として。

                 

                教会合併で起きること、教会閉鎖のその後の調査

                まぁ、教会合併でも同じ教会でも、教会ごとに形成されてきた文化があり、その文化が違うと、摩擦が起きることはあるだろう。その辺の摩擦は不可避でもあるので、教会合同をあえて選ばず、教会閉鎖のようなかたちでの推移はありえるだろう。そして、閉鎖された教会の人々が、類似のキリスト教会(場合によっては、かなり毛色の違うタイプの教会の場合も少なくないようであるが)におそらく吸収されていっているという経緯があるように思う。

                 

                ところで、閉鎖や解散など、なくなった教会の信徒のその後の追跡調査(これは結構厳しいことに関する調査であるが)とかは、今後の教会の閉鎖とか廃止を考えた時に、今余裕があるうちにやっておいたほうが良い調査かもしれない。そして、今後の閉鎖とか廃止を考える際に参考にできるようにすることも大事かもしれない。

                 

                北海道地区での話から

                ところで、聞いた話によると、どうも北海道地区は、江戸幕府が蝦夷地開発を始める前には、そもそももとからそこに住んでいる人びとがアイヌと呼ばれた北海道原住民の皆さんのみで、大半の皆さんは明治以降に北海道に流れ込んで来た住民が大半であることからか、寒冷地であるため、協調できずに孤立したら、下手すると死を覚悟しないといけないためなのからかは知らないが、割りとこのような文化的な違いがあっても、対等に付き合える文化があると聞いたことがある。ただし聞きかじった話であり、直接実地調査したわけではないので、その点での限界があることはここで認めておく。

                 

                しかし、本州になると、自治体の合併でもそうだが、あそこはもともと城下町だから、あそこはもともと農村だから、一体いつ頃の話か、と思われるような江戸期以前に遡る因縁話が続々と出てきて、まとまる話がまとまらないなんてことは結構あるが、おそらく、教会の統合とかやろうとすると同じような話が、もうちょっと短い明治以降の歴史のことにかんして、わんさか出てくるのだろうなぁ、と思ったりもする。

                 

                返礼品目当てのふるさと納税って、どうよ

                もともとの話に戻れば、ふるさと納税は、自治体内に住む人々で定義される人口とそれに基づく自治体の地方税の収入が地方部にある自治体では少ないため、どうしても税収が少なく、財政力が弱い地方の自治体が国民としての地方自治体での最低限の行政サービス(水道や道路、図書館や教育…)を受けるために、国から地方自治体に提供されていた交付税交付金以外にも自治体の独自収入を増やし、自治体の財源の多様性を増やす制度である。その意味で、フルさと納税制度にとっては、返礼品は、本来二の次の話であるはずであるが、テレビや新聞、雑誌などをパラパラと見ていると、時折、その返礼品目当てにふるさと納税して税額控除を増やしましょうとかというわけわからない話や、ふるさと納税で豊かな生活をとか、どうも妙な話が出てくる。

                 

                もし、本気で地域に納税で貢献したいなら、住民票を移してしまう方がいいかもしれない。そうなると、ふるさと納税とかいう中途半端で、税の基本概念から見ても、かなり怪しそうな制度に載るよりも、住民登録すると、交付税交付金を決定する際の積算根拠になる基礎的行政需要を決定する際の住民数も増えるし、さらに、納税者として投票するために現地に行けば、それこそ、そこで色々消費もするので、地方の経済の活性化にも資することになると言うのは冗談であるが、選挙での投票は現実的ではなくなるものの、都市部に住みながら、地方部に住民票を置くということも、地方自治体にとってはありかもしれない。ただし死亡届などの問題が出たりするので、あまり簡単に非居住地以外に住民票を写すことは進められはしないが。

                 

                それはそうと、この話のきっかけになったのは、神戸で教会をご案内したある方と、車で神戸市内の幾つかの施設を巡りながら話したときの雑談の中で出てきた話が、今回の連載の根底にある。それについては次回で述べる。

                 

                次回へと続く

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                2017.10.18 Wednesday

                人口減少社会と地方部と教会の悩み(その3)

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                  この連載は、一応、本日で、最後にしたい。お付き合いいただいた皆様に感謝申し上げたい。

                   

                  そもそも論として、日本は人口減少社会の中にある。特に、これまで2回の連載で、地方部が先行してその人口ピラミッドの形状が、人口ピラミッドが起伏に飛んだものであったものから、年齢層にかかわらず、概ね平板な状態へと変容し、さらに90歳以上の女性の高齢者が飛び抜けて大きな人口を占めるであろうと予測されていることを、厚生労働省の過去の人口統計結果と、市区町村別の人口予測結果をもとにひなたGISが勝手に作成してくれる人口ピラミッド図でお示ししてきた。

                   

                  地域の人口構成が教会にも反映するはず

                  人口ピラミッド図が多くの町村部でこのような構造になるということは、基本的に従来経験したことのないような人口構造に地方部での人口構造が変わってしまう以上、地方の町村部の中では、都市部以上に少数者である可能性が高くなる地方部(特に町村部)でのキリスト者の人口構造も、結果的には当然変わってこざるをえないように思う。

                   

                  教会の人口構成が地域の人口構成を一定程度反映するとすれば、地域の人口変化に応じて、教会の人口構成も変化するのが当然だし、変化するであろう。すると、以前は、あるイベントをやらなくても、退屈しきっていた地域に定住している人は何事か面白そうなことがあると思えば教会に集まっただろうし、イベントをやれば、教会が人であふれた(たとえ、その中で、その後も継続的に教会に訪れる人はほとんどいなかったとしても、一応、福音を伝えた、宣教ができたという自己満足はできたのではないだろうか)のに、今では、その教会の存続している市域や周辺の領域の人口構造がそもそも変化しているので、地方部で、何かイベントを打ったところで人は集まらない。

                   

                  昭和30年代の日本の姿 

                   

                  ここで上の動画で指摘されているように、1分間に3人も生まれる社会で、テレビも各家庭にない状態であれば、そのような状態の昭和30年代中期には、日曜日の朝の日曜学校はほっておいても満員になったであろう。

                   

                  関東と地方の情報感度の違い

                  今は、東京の小さな教会に転任された牧師先生は、非常にユニークな方であり、先日、東京にも行ったときに話をお聞きしにお伺いしたのだが、以前の地方の任地は、九州の地方部の工場城下町の教会であったり、四国の地方部での地場産業だけがあるような街であった。これらの地方部の副牧師をしたりと地方部を回られた経験の中で、もちろん、普段奉仕している教会での礼拝でのメッセージや、無牧になった教会に月一回程度訪問しての礼拝やらはしておられるなかで、葬儀の説教はかなりの経験があっても、結婚式の司式や、バプテスマを授ける経験がないまま過ごしたことをお話になられた。

                   

                  地方におられた時期から、ツィッターもしていたし、フェイスブックといったソーシャルメディアネットワークにも積極的に投稿しておられたのだが、「ツイッターで反応があるのは極端なことを言ったときだけ、それもその反応は、地元から帰ってくるのではなく、東京や大都市のツィッターをしている人から帰ってくるだけで、ツイッターのその方の発言を見て教会に来ることはなかったなぁ」と印象深そうにおっしゃっておられた。ところが、東京でツイッターとかで写真をあげたり、Facebookでメッセージの要約をブログとしてあげたり、説教の録音をあげたりすると、かなりの反応があるとおっしゃっておられた。ツイッターとかブログとかの反応の中には、「長年、そちらの教会の前を通勤で毎日通っていたのですが、教会があることにこのツイッターを見るまで、気が付きませんでした」とか「ツィッターで説教を流しているその牧師さんは、どんな人なのかなぁ、と思って…来てみました」とか、という人が来られる、という趣旨のことをおっしゃっておられた。「こんなツィッターなどの反応がダイレクトに帰ってきて、教会にそれをきっかけにして人がくるようになった、これは地方ではちょっとなかったことだなぁ」と感慨深げにお話されたおられたのが印象的であった。

                   

                  そもそも、地方の人は、ツイッターもあまりしないし、地方在住者で、ツイッターをしている人たちというのは案外偏った人が多くて、そこでいくら発言したとしても、それが伝道につながらない、ということをおっしゃっておられた。そのお話した時にちょっこし出た発言の中で、ツィッターで話題になっていることの大半は、地方の住民に直接あまり関係のないことが多いので、そもそもツィッターで拡散されても、地方部ではそれが大きな運動につながらない、というところはあるんじゃないかなぁ、ということをお話しておられた。

                   

                   

                  人間関係(口コミ)で情報が伝わる地方

                  人間関係が希薄だからネットで情報が伝わる都会

                  その時に話題になったのは、地方部の人々にとっては、人間関係のネットワークが密である(人間関係の紐帯の束が太い状態である)ので、必要な情報は、人間関係のネットワークからまずもって入ってくるのであって、別にツィッターでの情報をキャッチしなくてもよくなっているとか、ツィッターで流れる情報は芸能人関係の情報以外(それも、大抵は誰ぞがくっついた、別れた、痴話げんか中だの)という本来、犬も食わないはずの話なのに、なぜかテレビ局のワイドショーでは国際ニュースで流すべき話があるはずにもかかわらず、特集を組んでくれたり、雑誌ではやたらとお知らせしてくれるので、いつの間にか、国民の関心事になっていて、お天気の話程度の話題の一つになっている。そもそも、街のスーパーの特売情報は新聞折込が教えてくれるのであって、ツィッターやネットでは教えてくれないので、基本、ツィッターなるものは田舎の人にはあまり関係ないメディアらしい。まぁ、どこそこで、韓流スターのコンサートがあるだの、外国の有名オーケストラや有名演奏家のコンサートに行ったのだのというような情報を垂れ流しにされても、他人をうらやむ原因にこそなれ、自分がかえってみじめになるだけ、いけなかったことを悔しく思うその思いを深めるだけに過ぎない。

                   

                  このような東京との連動性のなさは、情報化社会の現代でも、500kmという距離で隔てられただけの、関西でも同じようなものかもしれない。首都圏、関東圏では、SEALDsの動きが起きたとしても、東京での盛りあがりはかなり盛りあがりがあっても、関西では、それに連動した動きはちらちらと見られたものの、安保闘争の時のような大騒動や大衆運動とまでにはならなかった。その背景は何か、ということを考えてみると、どうも、学生や世間の側の関心が、昔は反対運動にしても単純であり、明確な路線対立があったこと、もう二度と戦争は嫌だというそれぞれの個人の戦争での悲惨な個人的経験が社会全体に広く存在していたことなどがあり、その観点から、安保反対で、一本化できていて、学生運動や労働運動など社会のさまざまな運動体が反戦争、反安全保障条約を目指して運動が一体化しやすい状況があったようにおもうのだが、現代では、理解関係が本来の複雑さを持ったものとしてみられ、社会の各層の関心事が多元化していて、妥当すべき対象がうっすらと焦点がぼけてしまっていることに加えて、戦後すぐの貧しさを経験していない若者(60年安保反対運動に関係した人々は、戦後すぐの貧しさを個人的体験として、かなり体験していたと思われる)にとって、現状に特段の不満があるわけではない、といった側面もあって、SEALDsは大衆運動たりえなかったし、秘密保護法に関してだって、現状で仕事がない、飢えているなどの現実的な個人に関する生存の危機が起点になっていない以上、社会的な運動とはなりえなかったように思うのである。そういえば、交通ゼネストというのが年に2階はミーちゃんはーちゃんが小学生くらいの頃まではあって、先生が出勤できない、というようなことがあったのだが、そんなことも今はほとんど記憶の中にしかない。

                   

                  1969年の難波のデモの模様

                  http://www.takanoetsuko.com/sub19690615.html から

                   

                  その意味で、空間は差別で気であり、空間がある以上、それが交通手段の発達で移動の摩擦抵抗やネットの存在で、情報伝達の辞さの抵抗がかなり軽減されたとはいえ、空間ごとに特徴が生まれ、よって、地理屋と地図屋の飯の種は減らないのである。ありがたいことである。空間は一様なふりをしているものの、実は、ちょっとした地表の凸凹や空間的な距離は、社会において多様性を生み出す母であり、地図屋にとっての飯の種を生んでくれるありがたい存在だと思っている。

                   

                  対立を覆い隠しうる豊かさ

                  対立を助長する貧しさ

                  「金持ち喧嘩せず」という俚言があるが、豊かさ、というのは、社会の安定要因になるのである。ヨーロッパ生まれのムスリムが過激化する背景には、仕事がない、仕事があっても、社会の底辺の仕事しかさせてもらえない、受けた教育を活かせない、人種的な違いによる差別待遇を受ける、言葉にどうしても、鉛が残ることによる差別とか、その差別がコンプレックスを生み出すというの複雑な要因で過激化しているに過ぎないのであって、ムスリムだから過激なのではない。それが証拠にサウディアラビアのムスリムのあるグループは過激思想を持っていることで有名であるが、国内において、豊かさを享受しているので、テロ活動はあまり見られないように思う。むしろ、貧しい国、豊かさが享受できない人々がいる国の中でこそ、過激派と過激派の行動が生まれるように思う。

                   

                  日本は、昔貧しかったので、決死隊的なSuiside Mission(自爆行為)、典型的にはKamikazeと呼ばれる自殺行為的な作戦に遂行に若者は参加できたが、豊かさを享受した人々にはそのような作戦に参加する意義はほとんど見出せなくなるのではないだろうか。同じ、軍歌のメロディーでも、2010年頃の若者にとっては、こんな替え歌になってしまう。

                   

                  加藤隼戦闘隊の替え歌

                   

                  元歌の加藤隼戦闘隊

                   

                  先に、少し60年安保闘争に触れたが、それは絶望的な貧しさがあったからこそ、ある種自殺行為的に近い反政府運動ができたのであり、社会が豊かになった70年代安保では、思想的な反対運動であったが、内ゲバは見られたものの、自殺行為的な反対運動にまではならなかったのではないかと思うし、もっと豊かになった80年代には、闘争そのものが下火になり、三里塚闘争を最後に、このような闘争自体が下火になってしまったように思う。

                   

                  これまでの地方部での拠点型宣教と

                  これからのキリスト教の定着

                  ところで、明治期以来、日本では、外国人宣教師により、日本での拠点型での宣教活動が行われてきた。そして、その後日本人宣教師が、そのパターンを踏襲しながら、外国人宣教師たちと強調する形で、地方での拠点型形成型宣教が行われてきた。それは、ヴェネツィアの海軍基地戦略、イギリスの海軍基地戦略、ポルトガルの領土戦略、あるいは、15年戦争期(日中戦争期)の帝国陸軍の中国侵攻計画でもそうであった。このタイプの戦略は、投入できる資源、ことに人的資源が少ないので、どうしても橋頭保を形成し、その橋頭保となる拠点を守り、極力その勢力を保持するために耐久型、ないし持久型作戦しか取りようがないという問題がある。面的、ローラー的に広げることは、物理的に不可能なのである。となると、拠点を抑えてしまって、その後、拠点からの影響力を期待しつつ、時間をかけて浸透していくしかないように思う。それが一番無理がない(合理的)であるように思う。こういうことを考えると、日本のキリスト教も、面的に拠点間を結ぶような連携策をとって、広げていくような、急拡大を目指すのではなく、都市部の橋頭保にこもりながら、400年計画位の感じでじわじわと広がっていく戦略の方が、人的資源の面でも、物理的資源の面でも、適切なのかもしれない、と思い始めている。この拠点形成型タイプの場合、戦略拠点を抑えることで、一見支配領域が広がったように見えるものの、実は、拠点は橋頭保のような存在でしかないので、面的な広がりの面で安定性に欠けることである。日本のキリスト教は、これまでもこの橋頭保型の教会形成がなされてきたように思う。それが最も日本社会への合理的な対応戦略であったから、そうなったのかもしれない。

                   

                  あと、このタイプの問題は、ヴェネツィアにしても、ポルトガルの植民地にしても、帝国陸軍の大陸侵攻にしても、日本のキリスト教会にしても、外国や都会からの宣教師という来て帰る人達による運動と運営であって、それらの人が現地化のしないところにメリットがあったし、来る人は定住しないことが合理的であった。もし、本格的な地域や地方での定着を目指すのなら、どこかから来て帰るのではなく、定住し、定着できるかどうかが地元の人からは問われているのではないか、と前回、前々回の記事をめぐるFacebook上のやり取りをする中で思った。このような現在の宣教モデルがどのような合理性があり、どのような方向性で宣教モデルがこれまで組みあげられてきたか、というのは案外反省してみる必要があるのではないか、と思った。今後、日本でキリスト教が面的な広がりを持とうと思ったら、信徒が定住する社会での存在を大事にしたキリスト教でないと、面的な広がりを確保できないのではないか、と思った。その意味でも、これからの地方でキリスト教が広まるためには、信徒さんの人間関係の束というか、人間ネットワークに依存した伝道しかないのではないか、とも思うのだ。

                   

                  地方の地元に残る人々の特性とキリスト教会

                  あと、Facebook上での対話で面白かったのは、長崎のN先生の前回の記事へのコメントである。地元に残る若者(ないし地元にUターンしてくる若者)の特性である。地元に戻ってくる、ないし地元から元々出ていかない若者は、基本体育会系、運動部系の人々が多く、文化部系のオサレさんたちは、都会に行ったまま、基本返ってこない、というご指摘があった。これまで、キリスト教は、文化部系の文字を読んだりするのが好きなオサレさんを多く含む層への伝道を得意として、それに取り組んできたように思う。そして、地元に残るような文字を追っかけるより、ボールを追っかけたいと思うような、ちょっこしやんちゃな部分のある体育会系の人への伝道はどうも二の次、3の次になっていたのではないだろうか。とすれば、高校生や中学生のころに分化部系の人々に熱心に伝道した結果、それらの人々が大学や就職で大都市に張り付き、東京などの首都圏や大都市圏では、やたらと教会ができ、キリスト教人口が集中し、地方での教会の礼拝出席人数が一けたになるという構造はある面、当たり前の様な気がする。

                   

                  ところで、この基本大都市に出ていったままの文化部系の人々は、都会に出たら、年に盆暮れ正月だけには都会に出てきた人々は戻ってきて、その時期限定で、地元での消費を増やし、地元で活発な消費活動を行うので、地元で人口が起きるのは、盆暮れ正月だけだ、というのである。でも、これは事実だと思う。しかし、この盆暮れ正月消費にしたって、地方部の商業活動の売り上げが急増するのではないか、という指摘が出てきたのであった。これは、非常に大事なのである。要するに、地方部で都市部の住民からの消費を通じた所得移転が店や商工業者やその時期にも働く地元の人々も所得増で多少は潤うものの、その消費支出の大半は千葉の幕張メッセに本社を置くAEONさんにその大半を巻き上げられてしまうというどうしようもない構造が、現代の日本には渦巻いているように思われてならない。

                   

                  いずれにしても綴浦々にまで、キリスト教が伝わるのには、あと数百年かかるかもしれないが、そして、現状での効果は見えにくいかもしれないが、50年後、100年後にキリスト教の花が咲くように、数先年の歴史を超えて花を咲かせた大賀ハスのように神が花を咲かせて下さるものとして、今日も、明日も愚直に生きていきたい、と思っている。というのは、ミーちゃんはーちゃんには、それしかできないからであるが。w

                   

                   

                  この連載、今回で終わりにしたい。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  2017.10.16 Monday

                  人口減少社会と地方部と教会の悩み(その2)

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                     今回の連載は、地方都市、というよりは、町村部における地域社会とそこにある教会ということについての記事であるが、前回、少し、教会について触れてきたので、今回は地域社会の側について、ウェイトを置いてもう少し書いてみたいと思う。

                     

                     

                    地方都市以下の町村部の悲哀あるある

                     最近は、テレビやラジオ、インターネットがあるので、これらのメディア経由で入ってくる情報が遅れるということはないのだが、雑誌や書籍は、確実に時差というよりは、流通日差(時差)がある。例えば、東京のある雑誌販売店では、雑誌は発売日前日に入る販売店もあるのに(なぜだか、タバコ屋のようなお店であるのに発売日の夕方に売っている店があるのは知っている)、神戸あたりで当日販売であっても、兵庫県でも山陽本線沿線から外れると、発売翌日販売になるところもあるらしい。昔仕事を一緒にしていた先生の情報によると、福岡市内あたりでも、1日から3日、長崎県内では、2日から3日は確実に遅れると聞いている。

                     

                    大都市住民にとってみれば、一日2回新聞が配達されるのが当たり前かもしれないが、案外そういう地域は少ないのだ。新聞が一日2回発行され、配達されるためには、それだけの需要があるということであり、それだけの需要がないところでは、長官のみのところが案外多いのではないか、と思う。また、新聞にしても、人口稠密地帯だと、自宅まで配達してもらえるが、地方部だと、その地域の住民数件分の皆さん向けの新聞受けが集落の入り口にあるのみ、というところもある。最初にそれを見たときには何のことかわからなかったが地元の人に聞いて、それが当たり前だという社会が存在しているということを数年前に知った時にちょっとびっくりした。

                     

                     

                     あるいはノーベル賞候補として話題に登る村上春樹本なんかでも、地方部は配本が遅れる。あるいは販売当日に配本がない書店も結構あるだろう。まぁ、新刊書や雑誌や新聞メディアに乗っている本を手に取るのが一日二日遅れたところで、どうってことはないのだが、そもそも、今、町村部の書店数はどんどん激減しており、地方部での書店は絶滅危惧ビジネスの一つであり地方部の町村部で書店飲みの営業で存続している書店はかなり少ないのではないだろうか。先日お伺いした兵庫県の北側の牛とカニの名産地の近くの街の公民館に「本を読みましょう」というのぼりが立っていた。帰りがけに町の新しいバイパス沿いの商店街の中心地(商工会館の近く)の書店の一つを道路上から見たら、書店という看板をかけながら、おそらく冠婚葬祭向けと思われるカタログギフトショップや喫茶店も併設して営業しておられるご様子であった。書店だけでは経営が苦しいのかなぁ、という様子が伺われた。

                     

                     

                    旧道の沿道の商店街の書店

                     

                    バイパス沿いの書店(ギフトショップと喫茶店が併設された書店)

                     

                    写真は、いずれも、Google Mapのストリートビューで見た訪問先の書店の外から見た画像である。

                     

                     

                    「本を読みましょう」という標語をみて

                    ところで、世俗の仕事(会議)があった役所近くの公民館にはその地域の住民向けの標語が掲げてあって、「挨拶をしましょう」ともう一つの標語(何だったか忘れた)と並んで「本を読みましょう」という標語が掲げてあった。

                     

                    その町には、先にも述べたが、書店は2軒あったらしいが、そのうち一つの書店は、書店と喫茶店とカタログギフトショップであることを考えると、書店で、販売されている書籍のバラエティはおそらくかなり少ないだろうし、その中から自分の趣味に合う本を選べと言われても…ということもあるかもしれない。こう考えると書店経由での書籍へのアクセスは、かなり厳しいと思わざるをえないので、「本を読みましょう」という標語を掲げておられるということは、多分、そこの町の公民館に併設されていると思われる図書館には、きっと本がたくさん置いてあるのだろう、とは思った。あえて公民館に入って確かめることはしなかったが。

                     

                    ちょっと気になったので、地方部の現状を確かめるべく、兵庫県の市区町村別図書の蔵書数を確かめて見ようと思ったが、検索で引っかかってこなかった。そこで検索した際に見つかった岡山県のデータが見つかったので、岡山県の市区町村図書館の情報を調べてみることにした。それで、人口一人当たりの市町村別蔵書数という地図を作ってみた(こういうのを作ってそれが何を表していて、このような地図から何が言えそうなのかを考えることが、本業である)。

                     

                     

                    市町村別公立図書館所蔵図書数

                     

                    まず、全体の図書館の保有数では、人口がある程度大きく、財政的に豊かだと思われる岡山市がトップで、さらに、倉敷市がそれに続いている。しかし、全体で見てしまうと、都市域が広い死には、分館などもある可能性が大きいので、都市規模が大きい年のほうが有利になる。そこで、人口一人あたりで考えてみるとどうなるのか、ということでその指標で、作ったのが以下の図である。

                     

                    一人あたりで見ると、どうも人口の少ない町部では、母数になる人口が少ないこと、どうしても最低限の図書は置かなければならないこともあり、必置図書数というものがあるので、そうなると、人口が少ないほうが一人あたりの図書数で計測した場合、有利になる。

                     

                    岡山県市町村別人口一人あたり図書冊数

                     

                    上の図でもなんとなくは分かるが、実際の一人あたりの本の数がどの市町が多いのかをわかりやすくするため、3次元化してみたのが以下の図である。こうなると、どうも人口の小さそうな市町間でも、指標値である、市町村の一人あたりと諸冊数自体にはかなりの差があることがわかるようになる。

                    岡山県市町村別人口一人あたり図書冊数(3D化) 

                     

                    では、新規の図書等の資料購入に各自治体の人口一人当たり、年間に、どれくらい費やしたかを平成27年度について、図にしてみるとこんな感じになった。こうやって見ると、最も多いのは県東部の瀬戸内市が1位890円弱であり、ついで、2位は高梁市で770円前後、図書館がない村を除けば、県東部の市町では年間一人あたりの資料購入費用が150円以下の市が2市ある。こうやって見ると、図書館の資料の整備状況まではわからなくても、同じ県で、ここまで差があるのか、ということが分かってしまう。

                     

                    平成27年度の市町村別人口一人あたりの資料購入費用
                     

                     

                     

                     

                    文化的なイベントへの限られたアクセシビリティ
                    地方部では、美術や音楽などのアクセシビリティが限られる。CDやDVDで音楽鑑賞などができるとは言うものの、会場で生み出される一種独特な雰囲気は楽しめない。また、今はネットで様々な絵画や彫刻が見られるとはいえ、2Kや4K画像フォーマットでは、かなり詳細に、確認できるとは言うものの、現物にはかなわないところがある。

                     

                    キリスト教に関しても、有名講師の講演会があり、一般に公開されているとは言うものの、それに参加するためには、大抵の信徒にとっての業務日の月曜日(牧師の休業日なので、この曜日がイベント開催日として、選ばれることが多い)が多いし、更に東京でのみ開催されることが多いので、交通費はかかるは、下手をすれば、1泊になるわ、地方在住者にとっては、参加がためらわれる感じのことが多いし、おまけに、この手のイベントは、ネットでライブ配信されないことが多い。また、後日DVDが発売されても、その情報は会場にいない人には流れてこないことが多い。このような点では、東京周辺の南関東の信徒さんは、アクセシビリティの点でかなり恵まれているようには思う。

                     

                    空間というか、距離というのは、差別的ではある。アクセシビリティ(参加しやすさ)に、距離は確実に影響するのである。そして、距離は人の間に格差を生み出し、近い人は、影響を受けやすいし、遠くの場合、影響を受けにくくなるのであり、空間は差別を生み出したり、差別を強化するためにも用いられたりする。聖書の中で、イエスの親族がイエスに向かっていった発言にも、それは現れている。イエスは周辺と呼ばれたガリラヤでその活動の大半の時期を過ごし、イスラエルの失われた羊のところを回られたように思うのだ。

                     

                    【口語訳聖書 ヨハネによる福音書】

                     7:3 そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った、「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。
                     7:4 自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世にあらわしなさい」。

                     

                     

                    話を元の話に戻し、キリスト教の世界以外の部分での様々な文化的なイベントについても目を転じると、人数が少ないゆえに集客が期待できないからと、クラッシック音楽系だと、有名音楽家のコンサートに接する機会も極めて限られる。J-ポップのコンサートはあっても、ジャズなんかでもコンサートはなかったりする。また、美術館で、展覧会の巡回先になることも限られている。映画にしても、結局劇場で見ることができない作品も地方部では多い。

                     

                    こういうことを考えてみると、先程図書館について、簡単な分析を試みてみたが、それと同様のことを文化的なイベントについてやってみると面白いかもしれない。そのためには、美術や、音楽などのイベントへの支出を各自治体の決算書から取ってきたり、その文化的行事へのイベントの参加者数のデータを入手しなければならないが、これらのデータが入手できれば、それぞれの基礎自治体(市町村)がどのような文化行政に重点を置いているのか、どのようなことに各自治体の住民の関心が高いかということが多少はわかるかもしれない。

                     

                    次回へと続く

                     

                     

                     

                     

                    2017.10.14 Saturday

                    人口減少社会と地方部と教会の悩み(その1)

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                       以前お小さい方シリーズで、教会の中に若者がいないシリーズ、教会学校が成立しないシリーズをやったが、今回は人口減少社会と教会シリーズをちょっとやってみようか、と思う。と言うのは、ここ1週間で、地方のドサ回りをすることが多かったので、そこで色々、地方に行ってみて思ったことがあったから、という単純な理由である。

                       

                      岡山の研修会で(参加者の高齢化に恐れ入りました)

                       先日、いのりフェスティバル2017 in Okayamaの前に、天満屋岡山本店のちかくの岡山教会での講演会にいのフェスの際の機材設置位置等の下見を兼ねて参加してきた。そこで参加者の皆様方のご様子を見ながら思ったことは、宣教委員会なのか、伝道委員会なのかはすっかり忘れてしまったが、全体に参加者の年齢層がかなり高い、ということであった。


                      そこで話された内容は、教会は興味があっても入りにくいし、行ってみようという気になっても、いつ、どんな格好で、何を持って、何をしに行ったらいいのか、わからない。キリスト教には、興味関心があるが、教会にはどうも、と思っている人が多いのではないか、そして、自分たちとしては、当然とおもっていることが、キリスト教界以外では案外当たり前ではなく、あるいは、自分たちが自分たちの教会環境にあまりにも慣れてしまっていて、それが持っている異彩さと言うか、世間から見たらちょっとドン引きするような状態になっている、そして、そのキリスト者にとって当たり前と思っていることが、その協会以外の人をドン引きさせてしまう、というような実例を紹介しながら、「こういうのはマズいんじゃないですかねぇ、では、もうちょっと考えて、「こんな風に変更してみたらいいんじゃないでしょうか?」といったようなことを考えるためのヒントをちょっとご紹介する、というイベントであった。

                       

                       そして、三連休の頭の土曜日で、翌日に日曜日が控えているとは言え、そこに来ておられる人達がどう見ても60歳以上の皆様方が大半で、40歳台以下は、牧師さんたちだけではないか、と思われる状況であった。こうなると、役員さんか、牧師さん以外は、役員さんから頼み込まれて動員されてきた方ばかりなのかなぁ、という印象が会った。宣教とか伝道に責任ある立場だから高齢の皆様方が多いのは致し方ないのかもしれないが、おそらく、それは、教会の人口の年齢構成の無作為サンプリングした結果とあまり変わらないのではないかなぁ、と思う。

                       

                      いのフェスでの一言が火をつけた

                       日曜日を挟んで、翌月曜日には、祈りフェスティバル2017 in Okayamaに、広島市の北側の三好という町からきてパイプ・オルガンで開始前の前奏と賛美歌と終了前の後奏をドラゴンクエストのテーマを適当に混ぜながら演奏してくださった牧師先生がふっと発言なされたご発言がなにより印象的であった。「教会のドアを開けていても、誰も入ってこないし、だいたい、人が教会の前を歩いていない」広島市に隣接する北部でもそうなのか、と思うと同時に、地方の現状は概ね、もう、道路を日中人がほぼ歩いていないし、教会のドアを開けておいても、入ってくれるのは都会だけなのだろうなぁ、と実感をもって思ってしまった。ほぼ同じ内容のことが、最新号のMinistryに書いてある。というのは、その号に乗っている方のお一人が今回パイプ・オルガンを演奏してくれたのだ。ありがとうございました。この場を借りて、御礼を申し上げます。

                       

                      そこで、ある地域の人口ピラミッドを簡単に作成してくれるアプリ(ひなたGIS )を宮崎県の職員の方がRESASデータを使って、割と簡単に動くものを作っちゃって、公開してくれているので、それを使ってオルガンを弾いてくださった先生の教会のある三次市の人口ピラミッドを1980年、2000年、2020年、2040年(2020年と2040年は、厚生労働省の人口予測データの模様)で作ってみるとこんな感じになった。今から20年後の三次市の人口は、今でも人が道を歩いていないのだとすれば、あと20年後は、もっともっと、約2/3程度へと相当減る模様である。その中で、教会を維持するということは、本当に大変だろうなぁ、と思った。

                       

                       

                       

                      図1 1980年の三次市の人口ピラミッド

                       

                      図2 2000年の三次市の人口ピラミッド

                       

                       

                      図3 2020年の三次市の人口ピラミッド

                       

                      図4 2040年の三次市の人口ピラミッド

                       

                      図5 ひなたGISのインターフェース

                       

                      結構1980年代当時はかなり凸凹していた人口ピラミッドが、かなり上手な大工さんが必死になって槍鉋で鉋をかけた感じにかなり平板になっているというのは、実は人口がめちゃくちゃ減っているということなんだと思う。これでは教会の維持が精一杯ではないか、と思う。人口減少の中での教会参加人数の地方部での拡大というのは、もともと地方部での人口がこれだけ減るのだから、教会人口も減るざるを得ないだろう。

                       

                      聞くところでは、一部で日本の教会をコンビニ数並みにという暴論もあるやに聴くが、コンビニすら、もはや、このあたりの地域では激減するのではないだろうか。コンビニは、まだ、トラック運転手さんたちや営業職の人なんかの通過交通による需要が存在するが、通過交通としての礼拝出席者というのはほぼないので、かなり存続は厳しいなぁ、と思ってしまった。

                       

                      世俗の仕事で行った某県北部地域で

                       そして、今週の木曜日には、某県の北の方の自治体職員の皆さんと企業の皆さんとの情報化に関する研究会に出てきたのだが、その中で少し話題になっていたのは、人口減少社会の中で、あと10年で、15歳から65歳までの生産年齢人口が40%減となってしまうという予測データ(図6)と人口ピラミッドにおける20歳から30歳人口の極端な減少があるという現状(図7)が示され、それに対してどのように対応しようとするのか、ということについてちらっと話になった。

                       

                      図6 某県の北部地域の人口推移

                       

                      図7 冒険北部地域の人口ピラミッド(2016年)

                       

                      ただでさえ、もともとそう多くない生産年齢人口が40%減するということは、非常に厳しい状況である。その地域には、割と全国的に有名な温泉(泉質と染料の多さで有名な温泉)があったり、冬の日本海の海産物で結構有名な産物があるのだが、どうしてもそのような観光産業の場合、シーズン依存型の産業構造であり、定住人口が安定的に存在しない状況があるようだ。定住人口が少ないために消費支出が少なくなっている部分(経済活動が減少して、人口が減ったままの部分)を、なんとか観光客の支出で不足分を旅行者などの旅行の際の支出で埋め合わせようという対応ができないか、と考えられていると聞いた。人口減少分とその速度の速さを考えると、実に厳しいし、たまたま、その地域はそういう天然資源や観光資源があるので、対応できるかもしれないが、そのようなもののない地域では、ほぼ絶望的、ということになるのだろう。

                       

                      人口が増えるのは簡単ではない地方と教会
                      その地域でも定住人口を増やすために、移住者人口を確保するために、産業振興とかして、一部移住者が増えているが全体からすると、ほぼその増加は微々たるものなので、影響がない程度、ということらしい。定住人口を増加させるために、いろいろ、スモール・オフィスやホーム・オフィスあるいは、サテライト・オフィスとかでネットで仕事を外から受託してきて・・・言う方法もあるが、どうもうまくいかないし、それが成功し、ある程度の集積ができるためには、同じ業界のそれもある程度のノウハウが有る人が一定数の人数が小さな地域に存在しないとうまくいかないらしい。

                       

                      大体、こういう目玉的なことをやったとしても、あとは、同じようなアイディアをほとんどすべての自治体が競ってやろうとするので、そうなると、こういう核になる人物と人材の取り合いになり、その結果地域の成長の産業集積と言うか核として一定の規模に達せず、おそらくは、全部が発展軸になる規模を超えられずに五月雨的に崩壊していく、各戦線でのその場限りの人的資本の逐次投入、すなわち、戦力の逐次投入になってしまい、最終雨滴にはダラダラとこのような本来核となることが期待されたものがだんだん崩壊してきそうな気がする。皆自分の地域は良い地域、と思っているから、同じようなことをやったら、自分ところには絶対に来ると希望的観測で想定しているのではないか、と思ってしまう。

                       

                      そういうことを考えると、実に地方は、もう急速な人口減少社会、個性も特徴もない地域になり、非常に無力感に苛まれそうになる状況の中に入っているのかもしれない。


                      日本の地方部の教会は、そのような人口減少社会の中にしかなく、まさか、サクラダ・ファミリア・クラスのよほどの施設でもない限り、観光客相手に教会運営もできなさそうなので、地域の人口減と同様の人口減を前提として教会運営をしていく必要に迫られているということのように思う。

                       

                       

                      次回へと続く

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

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