2017.07.29 Saturday

『万人祭司』になったけれども・・・

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    今年は、宗教改革500年

    今年は、宗教改革500年ということで、色々な催しがあったり、いろいろな本が出ている。そういう流れのイベントなどに参加しながら、思ったことの一つを今日は述べてみたい。

     

    宗教改革の一つの大きな役割は、従来、司祭職に限られていた礼拝への主体的参加、教会運営への参加の道を一般信徒に開いたことである。教会での祈りや賛美ですら、司祭たちのみが実際に声をだして参加が許されるものであったものが、宗教改革によって、一般信徒が参加することも可能になったし、ラテン語で、教育を受けたものしか読めなかった聖書、理解できなかった聖書が、宗教改革で、聖書が通常の庶民の言語に翻訳されることで、普通の人が聞いて、理解できることばで読まれ、理解できるものになったし、更に、普通の人が読めるものにもなった。それは、たしかに重要な意味があることだ、と思う。そして、それは、本当に画期的なことであったのだと思う。いまでは、それが標準になってしまい、そのありがたみのようなものがほとんど理解されないほどになってしまった。それはそれで、良かったのだろうか、とは思う。

     

    それとともに、『万人祭司』ということで、ひとりひとりの信徒が神を礼拝する存在になるとともに、結果として、「Me and My God」の側面が強くなり、つまり、十字架における神が上にいて、人が下にいて、それがイエスによってつながれているという縦棒の方向性と縦方向の性質が強くなってしまい、人々の間の中に神の霊がとどまるという、十字架の横棒の性質、つまり信徒におけるコミュニティの側面がいつの間にか弱くなってしまったような気がする。

     

    集落に存在した唯一のインテリと思われていた司祭
    司祭は、昔の村落社会における、唯一のインテリであることが多く、その集落の中での医師であったり、困った時の相談役であったり、法律相談を受けたり、家族の問題の仲裁役だったり、結婚相談所のような役割を果たしたり、また、日々の礼拝での司式は勿論のこと、葬儀や結婚式、新生児が生まれたと行っては祝福するのが、司祭の役割でもあったのであろうとは思う。これらの実に多様な役割が司祭に求められていたのだと思う。そして、これらについての基礎的な教育が司祭教育の一環として行われるはずであったのだが、まぁ、そういうことも向かない人が司祭候補として紛れ込んでいて、まともにラテン語も読めないような司祭も、どうも司祭の中には、いたらしい。そして、司祭職は、今のホームレスや乞食よりちょっとだけマシな職業であると言われた時期もあったらしい。

     

    臨終の場でサクラメントを行う司祭
    中世の結婚式での司祭
    いずれも http://www.gutenberg.org/files/42180/42180-h/42180-h.htm より
    そういう時期に宗教改革が起こり、さらに、カトリックの内部での改革を目指し、イエズス会などが生まれ、カトリック教会内部での改革も、宗教改革とほぼ同時に起きたと言われている。勿論、ドイツなどでの宗教改革の影響もあったという説もあるし、それとはあまり関係がない、という説もあるようだが、実際のところは、ミーちゃんはーちゃんには、よくわからない。ある面、宗教改革を始めた当時、ルター先輩はおそらく、カトリックから飛び出すつもりはなかったのかもしれないし、行きがかり上、カトリックと袂を分かつことになったような気もする。いずれにせよ、改革が必要なほど、当時の教会はよろしくない状態にあったのだと思う。ある面、カトリック教会という制度が、いろいろな面で、制度疲労を起こし、大規模修繕工事が必要な時期に来ていたのだろうと思う。

     

    万人祭司となる中で
    藤本満先生の『歴史』という宗教改革の全体像をめぐる本が出た。いま、その本を読んでいる。これについてはいずれ別記事を書きたいと思っているが、非常に良い本である。これまで、キリスト教書で、キリスト教の歴史を扱う際には、キリスト教の内部の論理にばかり着目し、教会内部の状況や、神学的な理解の系譜の発展史を書き記すタイプの本が多い中で、このような本が出たのは、実に喜ばしい限りであるし、それが、翻訳書ではなく、日本人によって、日本語で書かれたところが素晴らしい。画期的な神学や画期的な教会変化が起きた時代の社会状況にまで、かなり細かい記述がある。おすすめである。

     

    その中で、再洗礼派がドイツで生まれてきた中で、当時の格差社会の中で呻吟していた当時の農民層が、ルター派でも、カルヴァンはでもなく、身分性や、身分の格差事態に否定的な視点を向け、権威性に批判的な態度をとる再洗礼派を支持したというのが、非常に印象的であった。ある面、現状の権威大成では困る人々が、万人祭司のもと、より平等に取り扱われることを求めて、それを、教会内部でも、それこそ、権威打倒に向かって、動いていくような革命的行動に出たのである。

     

    ある面、今から見ると、そのような革命的行動に出たことの意味は理解できにくいと思う。なぜなら、今は、このような平等思想があまねく普遍化しており、人権思想が当然のこととして受け止められるほど、あるいは、現在の人権思想以外のものが受容しにくいほど、普遍的な社会の価値観、いや、世界の価値観にさえなっているからである。そして、多元的な世界を容認すべしとしたポストモダンの社会に突入していっているからではある。

     

    しかし、ポストモダンの行き過ぎがあると、中心性や中核性や基準が失われ、一種のアノミー状態を示すことがあるように、現在の教会も、このようなことが起きている部分があるかもしれない。キリスト教とキリスト教でないものを区別することが難しくなっているようにも思うのだ。

     

    万人祭司と守秘義務
    そんなことを思っていると、FBのお友達のある方が、「上に立つ人は相談された秘密を漏らしてはならない」ということに関係する投稿をしておられたが、じゃぁ、「万人祭司」となったときはどうなんだろうか、と考えてみた。上に立つ人は、この場合、神しかなくなる。そうなると、相談されたことに対する守秘義務はないのか、ということにもなりかねない。しかし、実際には、上に立ってはいないからとはいえ、守秘義務は個人的にはあるように思う。これが漏れるということは、その漏らした相談を受けた側の信頼が失墜するばかりではなく、社会自身を疑心暗鬼なアノミー状態に陥れることがあるからである。

     

    実際にこんな案件が二昔前ほどにあった。あることで、同じ教会(当時は集会と呼ばれるところにいた)にいた人から相談を受けた。その人は他の人である宣教師Aさんにも、同じ内容を相談して意見を求めた。すると、他の人の宣教師Aさんは、宣教師仲間である、宣教師Bさんに自分が相談を受けたことについて、話したらしい。そして、その宣教師Bさんから、「こんなことがあったらしいね」と相談された方に話があったらしい。そこで、、その宣教師Bさんともミーちゃんはーちゃんはつながりがあったので、相談をされた方は、ミーちゃんはーちゃんが相談内容を漏らしたと思いこんで、ものすごい抗議を受けた。個人的には一言も漏らしていなかったのだが。まぁ、ご不満を十分承ったあと、「漏らしてはいないので、宣教師Bさんに、誰からお聞き及びになられたか、聞いてご覧なされるのがよろしいのでは」と申し上げたところ、実際に宣教師Bさんにお聞きになり、上記のような事情が判明したので、その相談を受けた方の疑心暗鬼は解消したので、良かったのであるが、このようなことが、教会では、教会という社会が小さいがゆえに起きるのである。

     

    これなどが典型的な事例であるが、万人祭司とか主張されるときにこのような事が起きてしまうのである。本人にしたら、深刻な問題を相談し、祈ってもらおうと思って相談したのに、それが新興プロテスタント教会内では、教会内の噂話、ゴシップネタになってしまうという不幸なできごとは、結構起きるようだ。牧師とかそういった立場の人が漏らすのは、論外にしても、まぁ、論外とは言え、そういうことがあると、人は馬鹿ではないので、そう行った問題行動を起こす牧師といった立場のその人がを信頼されなくなるだけであり、人が離れていくだけなので、キリスト教界全体にとっては、そういう心得が足らない人のことが一般化されて、さらに話に尾ひれがつくことが多いので、実に、迷惑な存在ではあるけれども、それだけの話しである。一応、こういうことがないように、というで牧師先生型の教育がなされていることを、確信したいところではある。本当のところは、どうなっているかはよくわからない。行ったことがないので。

     

    しかし、新興プロテスタント系の教会では、万人祭司を強調するところがあり、祈るのに熱心なのはいいのだが、あるところで、ここだけでお願いします、と言った話が、その教会中どころか、よその教会の人まで周知の事実になっていることがあり、ひょんなところでよその教会の人にあったときに、「あなたのあの問題は、その後どうですか」などと聞かれて、さかなくんではないが、「ぎょぎょぎょのぎょ」、と言う感じの経験する人がときにあるようだ。これは、万人祭司と言いつつ、祭司の役割を担う人たちが持っていた守秘義務の概念までは、継承されないことによるのがもしれない。

     

    さかなくん

     

    こういうことを考えると、その意味で、「万人祭司」という概念は、色んな意味で、リスク要因を教会の中に広げたにすぎないのではなかったのか、と思うことがある。思いつく限りでも、信仰理解を、自分自身と神との関係のみにしてしまう側面、人々の中に働く霊であるべきものを、個人と霊との関係に矮小化してしまう側面、祭司であるという覚悟や、自覚も思いもない人が、祈りの課題として具体的な内容までも知ってしまうようなかたちで、現在起きているかもしれない。このような非常に好ましくないような側面が、一気に幅広い人々にひろげ、あまり覚悟や思いがない人までもが祭司としての権能を持つということで、広く教会全体にその権能を覚悟がない、思いがない人にまで、拡大させてしまった側面もないわけではないような気もする。

     

    国民がすべからく投票できることの裏にある恐ろしさ
    ちょうど、国民が等しく一票を持つということは、たしかにありがたいことであるし、重要なことではあるとは思うが、熟慮して投票することが前提となっているということを忘れて、あまり考えていず、自分にとって耳に麗しいことに聞こえ、まともに聞こえる個人に投票するという状態につながりかねない危うさをも含んでしまった気がする。その意味で、マクグラス先輩の本のタイトルでもあるChristianity's Dangerous Ideaということの意味を思う。

     

     

    マクグラス先生の本 

     

    その意味で、万人祭司にせよ、国民がすべからく選挙という政治的革命の手段を持つということにせよ、祭司としての役割や選挙権を付託されるということは、これらが付託された個人にとっては、ある面実に恐ろしいことも共に預けられてしまっているのだ、という理解と覚悟を保つ必要があるのではないかなぁ、ということを考えている。

     

     

     

     

    この記事も単発

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    評価:
    藤本 満
    日本基督教団出版局
    ¥ 2,592
    (2017-06-30)
    コメント:社会の状況と宗教との近現代史を概観する名著

    2017.07.26 Wednesday

    『黄金のアデーレ』 名画の帰還という映画を見た

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       さて、たまたま、テレビを付けたら映画をやっていたので、『黄金のアデーレ 名画の帰還』という映画を見ルトもなしに見始めた。すると、これが面白いのでたちまち引き込まれてしまった。この映画は、オーストリアでのユダヤ人迫害の仮定で起きた出来事を扱っており、映画の中心的素材として、『黄金の女』と呼ばれるクリムトの名画、作品をおき、その名画を中核として、様々な出来事が展開し、そして、そのうえで、和解を扱い、和解についても考えさせるような作品であったし、あぁ、ここまで聖書の出来事がこの人たちのメタファーとして用いられているのだなぁ、と思った。

       

      「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」 ウィキペディアから

       

      この映画について

       この映画は、基本実話をもとに多少、創作が入った作品であるらしい。史実の面に関しては、色々あるらしいが、何より、圧倒されたのは、ヨーロッパの文化と歴史の厚みであり、その歴史が個人の様々な行動で編み上げられており、作り出されていることを感じさせる映画であった。


      同映画の公式サイトは、こちらからどうぞ。


      非常に簡単に言うと、グスタフ・クリムトの作品の一つ「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」あるいは、「金の女性」という絵画をめぐり状況から、ヨーロッパとアメリカの近現代史を背景に描き出した作品である。

       

      同映画の予告編

       

       

      このクリムトの作品は、第2次世界対戦前に、あるユダヤ人家族の所有のもとで、その一族が住んでいた家にかけられていた絵画だったのだが、ナチスドイツがオーストリアに流入、あるいは、実質上オーストラリアを併合し、ナチス・ドイツがオーストリアに進駐する中で、逃げ遅れた家族が住んでいた家にかけられていた絵画の一点であるようであった。ちょうど、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の描くトランプ一家がスイスに脱出する前後に起きた事件を扱った映画であった。

       

      サウンド・オブ・ミュージックの予告編

       

      登場する関係者がすごすぎ・・・

      この映画の主人公は、この絵画が保管されていた家に住んでいた親族の一人で、クリムトの絵画のモデルのアデーレ・ブロッホ・バウワーの姪に当たる実在の女性、マリア・アルトマンである。この女性は、男性オペラ歌手と結婚し、ギリギリのところで、ウィーン(ヴィェナ)からドイツのケルンに脱出し、どういう経路を辿ったかは不明(詳しいことは映画の中では触れられていなかった)だが、アメリカにたどり着く。そして、このクリムトの作品のモデルとなった姪の老後を演じたのが、ヘレン・ミレン(ディム・ヘレン・ミレン)である。そして、このヘレン・ミレン演じる老婆であるマリア・アルトマンの代理人となった弁護士が、E.ランドル・シェーンベルグという人物だったらしく、このシェーンベルグさんは、おじいさんに当たる人が、オーストリアの近代作曲家で、12音音楽を確立したアルノルト・シェーンベルグであった。このアルノルト・シェーンベルグもナチス支配から逃れてカリフォルニアに移住する。

       

      アルノルト・シェーンベルグの作品


      もうこのへんで、なんだか、クリムトやシェーンベルグと言った19世紀から20世紀にかけての西洋絵画や音楽の有名人がかなりたくさん出てきてお腹いっぱい(おお、ヨーロッパは芸術文化の厚みが違うわい)感になった。

       

      ところで、クリムトの「黄金の女」、あるいは、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」は、ナチス占領下で、ナチス・ドイツに接収され、オーストリアの美術館に飾られることになる。ここでややこしいのが、この有名なクリムトの絵画のモデルになった人物アデーレ・ブロッホ=バウアーが、配偶者の死後、オーストリアの美術館にその作品を寄贈するという遺言を残していたことなのだが、その関係で、この所有権をオーストリア政府は自分たちにあると主張し、主人公のマリア・アルトマンは、この黄金の女性と呼ばれていた絵画は、略奪されたもので、本来の所有権者であるはずの自分に返せ、という主張をするのであり、その主張の間で法廷闘争、ありとあらゆる法廷闘争のマニューバーがこの絵画を巡って行われるのも、見どころの一つであるが、今回、この映画を見て、思ったのは、名前を奪うことの暴力性である。

       

      名前を奪ったナチス・ドイツの精神性

      どういうことかというと、第2次世界対戦後、このクリムトの絵画のタイトルとして、戦後オーストリアで展示されていたときには、そもそもこのクリムトの作品のタイトルであった「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」にかわって、無名性を持つようなタイトル「黄金の女性」というタイトルに変えてしまったところに、このマリア・アルトマンと弁護士のシェーンベルクくんが怒りまくるのである。そして、この美術作品を単なる「黄金の女」とすることは、この肖像画に描かれた一人の人物の人格を失わせる暴力行為に対する怒りをぶちまけるのである。

       

      マリア・アルトマン(2010年当時)

       

      つまり、それは何かというと、名前という人格と直結したものを奪った、ナチスドイツの暴力性と、それが極みまで発揮されたホロコースト、アウシュビッツやダッハウなどの強制収容所の暴力性にも、つながっているんだなぁ、ということが非常によくわかった。

       

      あるものを一般化して、個人として見ることなく、ラベルを貼る、ラベルを張り替えることも、ある面暴力的な行為なのであろう。そして、貼られたラベルが独り歩きし始めると、さらに暴力性を増し、理解が独り歩きするようなことが起きやすくなる。これに関しては、直前の連載のルーテル・セミナーでの信仰義認のことばにまつわるご講演と礼拝説教の要約をご覧いただきたい。まぁ、恩寵義人としたところで、このように名前をつけてしまうと失われるものがあるので、これまた問題であるように思う。

       

      その意味で、ある程度簡略化したラベルから理解するのではなく、常にオリジナルに当たり、その実像を確認するということは、面倒くさい作業ではあるが、その精神は大事だと思う。それは先人の努力に対する現代を生きる我々からの正当な評価にもつながっているのであろう、と思う。

       

      和解について考えさせられた

      詳しくはこの映画の他に、ドキュメンタリー映画が何本かあるらしいので、法廷闘争や、最終的な結論に至る過程が直接の関係者により触れられているようなので、そちらをご覧いただきたいが、この映画を見て、もう一つ面白いなぁ、と思ったのは、最終的な決定が出たあとの映画の役柄としてのマリア・アルトマンに言わせたセリフである。オーストリアの法制度に従った調停で、マリア・アルトマンに最終的にこの奪われた絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」の所有権が移ることが法的に確定する。そこで、オーストリア政府のお役人が、あわてて、「この作品をオーストリアに残すよう、そのための相当の費用も払うから」と半ば懇願するのだが、そこで、このマリア・アルトマンというおばあさんは「これまであなた方に何度も和解の申込みをしてきたのに、そのチャンスがあったのにあなた方は、ドアをぴしゃっと締めてしまい、門前払いしてきたではないか。この絵画をアメリカに連れて帰る」と言い放つのである。実にかっこいいなぁ、と思ったシーンであった。

       

      それを見ながら、和解には時があるし、和解しようとする側の態度が問われる、ということである。これは、神との和解においても同じことだろうと思ったのである。キリスト教やユダヤ教の最終的な神と人間との関係における最終的な終着点、あるいは目標は、神と人との和解である。その目標が和解である以上、我々側の態度は、やはり問題になるように思うのである。

       

      あと、この映画の中で、駆け出し弁護士であったシェーンベルグの孫の弁護士くんが全てをなげうって何もない状態で、この裁判に取り組んだときに、オーストリア政府の代理人の弁護士だったか、お役人だったかが、「こんな少年みたいな弁護士で勝てるのかね」とイヤミをいうシーンがあるが、「この少年みたいな弁護士がいいのだ」とヘレン・ミレン演ずるマリア・アルトマンがいうシーンがある。

       

      この台詞を見ながら、ゴリアテみたいなゴチゴチのオーストリア政府とその役人を、ほとんど何も持ってない少年ダビデが打ち倒したことになっているので、あぁ、この辺、ダビデとゴリアテをメタファーにしているんだなぁ、と見ながら、一人ニンマリして楽しんでいた。

       

      歴史について考えるということ
      しかし、この映画を見ながら、退廃芸術排斥運動と銘打ち、質実剛健、衛生思想といった自分たちの価値観に合わないものを排除していき、そして、繊細な芸術、美を求めていった芸術家を蹂躙していったに等しいナチス・ドイツの存在に代表される悪の問題、諸力としての悪の問題、そして、人びとの名を奪うこと、それは、生命を奪うことに等しいことの問題を考えさせてもらったような気がする。

       

      日本でも8月15日には、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での追悼式が毎年開かれるが、あれは、多くの人びとが市民を巻き込むタイプの近代戦の結果、なくなったことを考えると、致し方がないのである、とは思うが、本当は、一人ひとりに人生があったのであり、神の息吹として、神ご自身が吹き込まれた命と、その神の霊がおられるべきその座所が設けられていたはずであることを考えると、無名性ということと、近代の暴力性を、無名戦士の墓とかいう表現に感じてしまう。911事件のときの犠牲者が一人一人名前を呼ばれることや、映画『炎のランナー』などでは、オックスフォード大学関係者の戦没者名が読み上げられるシーンがあることなどを考えると、このあたりの感覚というのは、もう少し考える必要があるのかもしれない。

       

       

      9/11 Memorial Ceremony 18分30秒あたりから遺族による犠牲者の名前の呼び上げが始まる

       

      歴史といえば、著名人の起こした事件と時代のみを、我々は考えがちだし、わかりやすいので著名人が起こした事件とその当時の社会を中心に考えがちではあるが、それだけでは不十分で、そこには、我々が知り得ない多数の人々のその時代の多様な行動から生み出される多数の事件が、布の縦糸と横糸の交点のように積み重なり、そして、様々な織り文様を生み出すようにして、我々が見る大きな絵柄としての模様としての歴史が生み出されているのかもしれない、とこの映画を見ながら、改めて思った。

       

      なお、現在「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」は化粧品メーカー、エスティ・ローダーの当時の社長、現会長のロナルド・ローダーが買収し、ニューヨークのノイエ・ギャラリーに展示されている。

       

      今回、単発。
       

       

       

       

      評価:
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      ギャガ
      ¥ 2,827
      (2016-05-27)
      コメント:非常によろしかったと思います。

      2017.07.24 Monday

      ルターセミナー in Osaka に行ってきた (3)

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        今日ご紹介する部分は、今回のシリーズの最後である。前回までご紹介した部分に引き続き、休憩があり、バッハの曲が3曲ほど演奏され、そして、ルーテル神学校からの現状のご紹介があり、その後、聖餐式に入っていった。

         

        当日の式文(浮世絵風のルターにちょっとツボった)

         

        プラットフォームのろうそく2本に火が灯され、司式団(3つのルター派から各2名づつ6名)が入場し、祭壇の前で神への一礼があり、そして、信仰告白があり、キリエ・エレイソンの賛美が歌われ、グロリアで詠唱がなされ、開会の祈りがなされ、ルター作曲の賛美がなされ、ローマ1章17節が読まれ、さらに賛美がされ、礼拝説教へと繋がった。

         

         

        司式団 入場

         

        以下、「恩寵義認」と題された江口再起さんによる礼拝説教の要約をご紹介する。当日の速記録に基づくものなので、誤りがあるとすれば、それは全てミーちゃんはーちゃんによる。

         

        礼拝説教の要約

        この礼拝は、宗教改革500年を記念した礼拝であるが、宗教改革自体、どうも、その始まりは、かなりルターの個人的体験からの部分も大きいだろう。そして、当時の普通の人であった、外から別の人が見た時に誰も気が付けないような、ルターのこころの出来事から始まったともいえるだろう。個人的経験、当時のささやかな無名の個人の心の動きから宗教改革は出発しているとも言えるかもしれない。その意味で、ここでは、ルターの心の動きをたどっていきたい。

         

        一般的な宗教改革の理解

        95箇条とは、突き詰めて言うならば、免罪符、あるいは贖宥状をめぐる問題提起ではあった。当時は、この贖宥状(免罪符)をたくさん買うと家族や、死んだ人まで救われるという理解があった。ある面で、ありがたいシステムではあるが、よく考えてみると、変なシステムではないか、とは思う。というのは、お金の多寡によって、個人の救いが左右されることになるからである。このお金の多寡で救いが定まることに、ルターは疑問を感じ、問題提起をしたのである。そして、当時の教皇庁や当時の宗教の体制への改革に進んでいった、というのは教科書などにあるような宗教改革のまとめ方であると言えよう。

         

        とは言え、このようなまとめ方はあまりにも宗教改革を単純化した理解になっており、ルターが、一種正義のヒーローのような像として描かれてしまう。ルターは単なる改革者ではないと考えたほうが良いだろう。今考えてみると変なことではあるが、当時誰もが、免罪符というシステムにあまり疑問を感じることはなく、ありがたいことだと感じていた。

         

         ところが、ルターは、一人深くこの贖宥状の問題に疑問を抱いた。贖宥状(免罪符)という仕組みは、おかしいのではないだろうか、と。ところで、なぜ、ルター一人が当時の人の中で、疑問を感じたのであろうか。そこに、ルターのこころの旅が関係しているように思う。また、その部分が宗教改革運動を理解するうえで大事だと思っている。

         

        ルターの家族関係

         このためには、ルターの生い立ちにまでさかのぼって考えないといけない。ルターの父は鉱山労働者から出発し、最終的には鉱山の経営をする銅鉱山持ちになった人物であった。


        立身出世の意識の強い父親のもと、ルターはエルフルト大学の大学生になった。そして、大学生のルターは、畑の中で、雷に出会うことになる。この雷が落ちてくるなかで、命を助けてほしい、そうすれば修道士になる」と、神に祈る。ごく普通の若者であったルターはその時、次のように神に祈った、という。「助けてください。助かったら、私は修道院に入りますから」と祈ったのである。そして、大学をやめて修道院に入ったのが、22歳の夏であった。そして、修道士になったことを聞くと、父親は激怒する。

         

        ルターの悪戦苦闘に満ちた修道生活

         ルターにとっては、修道生活に入ってからが悪戦苦闘の連続であった。経験で献身意識を長年育んできたような多くの意識が高く見える同僚の修道士達と比べ、ひょんなことから修道士になったルターには、他者と比べ、ひときわ目立つ信仰心がなく、当時の人びとがもっていたような普通の信仰しかなかったのである。後年、ルターは回想して、自分自身は、自分の硬い決心と願いで進んで修道士になったのではなくて、なかばいやいやながら修道院に入った、と述懐している。

         

         まわりの修道士たちは修道院での信仰生活を喜んでいて、喜んで神に仕えているように見えるのに、自分は行きがかり上修道士になっているが、こういういい加減なことでいいのか、と思ったようである。そうすると、神が恐ろしいものに見えてくるようになる。そして、神は怒っているのではないか。さらに、父親も怒っている。そして、ダブルの怒りを感じた。神は怒っており、ルターにとって恐ろしい存在であった。「ではどうすればよいのであろうか。こうなれば、ただただ頑張るしかない。神に尽して、神の怒りをなだめて、神の怒りを和らげてもらうしか方法がない」と思ったようだ。先にも述べたように、父親は、努力して地位を得た人であった。こうなれば、ルターも努力を重ねて地位を得るしかないことになる。

         

         そのような悪条件の中で、断食し、祈り、寒さに耐えて生活していったのである。「普通以上に頑張らないといけない」と思い、努力し、他の人よりも、一層努力しようとした。その頃、修道院長はルターに忠告したようだ。当時のルターはノイローゼ状態に見えたであろうし、実際、精神的に追い詰められてもいた。ルターは、追い詰められた状態にあったのである。ルターは、死亡する1年前、ラテン語著作集の序文のなかで、「いかに欠点のない指導的修道士として生きたとしても、神が満足されるとは、どうしても感じられなかった。神を憎んでさえ感じていた。」という趣旨のことを述懐している。

         

         模範的な修道士になろうとして生きていても、こころの中は不安でいっぱいだったようである。ある意味、ルター自身は自分の心がわかっていなかったかもしれないようにも思う。

         

        ルターが気になって仕方がなかった「神の義」

         当時のルターにとって気になる言葉があり、その概念が、ルターを苦しめていた。それは、「神は正しい。神は、義の神である」という理解である。あるいは、神は正義である、という理解に苦しめられていた。その結果、神は正しいのだけれども、正しくない自分は罰せられるのではないか、とかなり強く感じていたようである。その結果心の底では神を憎んでさえいたようである。神の義ということばが、ルターの中で、引っかかっていて、神を憎み呪ってさえいたようである。

         

         そのような中で、聖書を一心不乱に読み、そして祈っていた。その時に、ある聖書の言葉が引っかかってくることになる。それが、ローマ1:17である。

         

        【口語訳聖書】ローマ人への手紙
         1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。 

         

         福音には神の義が啓示されている、というルターの理解のきっかけになった言葉でもある。福音とは、神からの幸福の音信であり、そこに、神の義が表されているということに気がついた。そして、神の幸福が人に啓示されるということは幸福の訪れであり、そして、人に神の義が表されていることは幸福なことだ。福音には、神の義が啓示されていることがわかったのである。これまで一生懸命、善い行い、正しい行い、正しい生き方をしてやっと天国に行けると思っていたが、神の正しさに比べるなら、自分の行いなどは取るに足らないし、みじめなものでしかなく、自分自身を正しいと考えられなかったという経験をしていったようである。ところが聖書には逆のことが書いてあったのである。そして、聖書の文字を見つめたときにルターは、自分自身の中に何か明かりがともったような印象を持った。

         

        信仰とは神からの恵みを受け取ること

         いかに人間が不甲斐なかろうとも、神から認められて、ありあまる神の義を、正しさを神がくださる。だから、人間が頑張るのではなくて、人間に神から神の義を、神が一方的にプレゼントしてくださるのではないか、人間が頑張るのではなくて、人間が努力して得るのではなくて、無償で与えられるものを、ただ、受け取ることである、とルターはその時に理解したと思われる。そして、受動的な神の義の再発見をしたのである。当時の理解を描いてみれば、いわば、天国に行くのに、最低でも60点くらいはいる、とされたようであり、その最低水準の60点に達しようとなんとか、努力してきた。しかし、0点でも天国の約束をしようとする神がおられることに気がついた。ただ、その神の約束を受け取ることの大事さを見出したのである。

         

         受け止めることが信仰であり、信仰義認とは、そういうことであると理解したとき、ルターは、心の中がパーっと明るくなるような経験をしたと思われる。それまで、霧の中をよろよろと歩んでいた状態に変わり、このとき、ルターはまっすぐな道を力強く歩いているように感じたようなのである。

         

         天国に入るための費用を、まとめてすでに神が代金を支払ってくださったから、ということに気がついたのである。これが、ギッテンベルグの塔の中での経験であり、一般に塔の体験と呼ばれているものである。おそらくこのときルターは30歳代前半出会ったであろうと思われる。

         

         修道院の不安な日々の中で、ローマ書1章17節で覚醒した。当時のルターは、免罪符でもやもやしていたことに対して、もはや、行いによる義認でもないことを理解し、そして、救いに関して善行の必要が前提ではない、と理解したのである。


        その意味で、95箇条の発表は、宗教改革の始まりではあるが、宗教改革は、ここで述べたようなルターの悪戦苦闘の心の旅から始まった、ともいえるだろう。

         

        まとめ
        1517年10月31日 教会改革が始まり、近代の始まりであった。それがルターの苦闘に満ちた心の旅路に端を発したものであることを、ここまでご説明してきたが、ルターの心の旅のキーワードは、神の義という理解であり、そして、ただただ、神の恵みを受けとること、それが信仰であることを見出したのである。

         

         ところで、ルターの言った信仰義認とはどういうことだろうか。人は信仰によって義とされるのでは、十分な理解とはいえないだろう。人が、神を信仰するから救われるのではなくて、神の恵みによって人は救われるという表現がより正確な表現ではないだろうか。人間が神の恵みよって救われるということであり、そのような趣旨であるなら、恩寵義認という方が神の主権性がよりはっきりするのではないだろうか。神の恩寵によって人間が救われる、というのが、ルターの信仰義認の主張であるといえるだろう。
         

         

        以上が、説教の要約である。

         

        聖餐式の概要

         このあと、共同懺悔があり、平和の挨拶が行われ、聖餐式へと入っていく。

         

         賛美歌としてサンクトゥスが歌われ、設定辞(なんで聖餐式をするのかの理由をコンパクトに纏めたもの)が述べられ、主の祈りが述べられ、聖餐の祈りが述べられ、アグヌスディの賛美歌が歌われ、聖餐への招きが行われた。会堂の前方に司祭団がふたり一組になり、三つの場所にわかれて、聖餐を陪餐することになった。

         

         

        アグヌスディとして歌われた曲(もちろん日本語で) 賛美歌21の86の模様である。 

         

        聖餐のパン

         

        聖餐の盃

         

         

        聖餐式の陪餐の様子

         

         

        そして、執り成しの祈りがあり、祝福の祈りがあり、派遣の賛美歌があり、オルガンによる後奏のうちに、司式団が退場し、というかたちで閉会があった。

         

         

        個人的感想

         礼拝説教は、最初にあったご講演の別の側面からのお話のような印象があったが、個人の信仰生活の歴史が大きく影響するということの重要性が指摘されていた。

         

         しかし、聖餐式マニアである、ミーちゃんはーちゃんにとっては、聖餐式に参加できたのが非常に嬉しかった。毎週これなら、ルター派もいいかなぁ、とは思った。しかし、今回エキュメニカルな礼拝という触れ込みがあちこちでなされたようであったが、カトリックの司祭や聖公会の司祭や、他の教派の牧師さんの出席者が少なかったのは、ちょっと残念であった。正木先生とか、うらら先生とかルター派の知り合いは何人かおられたが、他の知り合い(と言ってもそうたくさんいるわけではないが)はあまり居られず、日本基督教団の先生ご夫妻にお会いしたくらいであったのが、ちょっと残念であった。

         

        また、入り口ホールのところでは、様々な物販もあり、宗教改革500年記念のお菓子とか、大阪キリスト教書店さんの展示販売コーナなどもあり、かなり大盛況であったように思った。

         

        あと、賛美の時に、リードしていた司祭のかたが、あまり賛美がお得意でない方のようで、そして、マイクも切らずに賛美して居られたので、隣りに座った女子中学生がその音が外れていたり、リズムが違っている度に、おかしそうにしていたのが、なんとも言えず味わい深かった。

         

        後、福音派で長く過ごしたものとしては、英国風の賛美歌に慣れており、ルター作曲によるドイツ風の賛美歌には慣れていないので、歌いにくかった。

         

         

         

         

        このシリーズ今回で終わりである。

         

        2017.07.22 Saturday

        ルターセミナー in Osaka に行ってきた (2)

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          前回に引き続き、宗教改革500年のルーテルセミナー in Osaka 2017の「ルターが今日の日本に生きていたら」〜神のすばらしき創造の世界と共生〜という講演への参加記録を書いて述べてみたい。今日は現代をどう見るか、ということと、もしルターが生きていたらどうしたであろうか、という部分についてである。

           

          現代社会と3つのE

          宗教改革によって、西洋は近代化に向けて歩を進めたというものの、現代では、その近代が賞味期限切れになりつつあり、様々な難しい部分を抱えている。

           

          現代の危機を特徴づける3つのEがあり、この3つのEが危機にひんしているといえるのではないだろうか。その3つのEとは、Ecology Economy EcumenismのEであり、これらはいずれも、ギリシア語の住むという単語のオイケオーから出てきたことばであり、それぞれが関連する親戚関係にある語である。

           

          まず、Ecologyあるいは、環境の側面から考えてみると、原子力の問題が挙げられるであろう。原子力は、本来人間がコントロールできない物に手を出してしまったといえるのではないか。

           

          次に、Economyあるいは経済であるが、グローバル経済という、貪欲な経済システムが支配しており、その結果、日本においても、格差社会と呼ばれるほどの経済格差が生まれてる。そして、貧困が固定化される傾向が見られ、貧困から脱出できない人びとが生まれた社会でもあり、現在の若者にとって実に深刻な問題となっている。

           

          第三のEcumenismについてであるが、今回ルター派の3つのグループが初めて一緒に礼拝を守ることになる。本来一つであるべき教会が、実にたくさん分かれて存在しているのは確かである。すぐに一つの組織とはいかないけれども、お互いに喧嘩している状態であるのは問題ではないだろうか。人間的な努力によって、無理やりくっつけるようなエキュメニズムではなく、教会再一致運動としてのエキュメニズムであり、かなり大きい視点から言えばみんなで一つになっていこうというのがエキュメニズムであろう。

          このような現代的課題にルターはどのように貢献するかを考えてみたいが、このための多くのヒントがルターの著作の中にある、と思われる。

           

          Ecologyを巡る現代的課題 2つの世界 二王国論
          ルターは、神の前、人の前と分けて考えており、人が神の前でどういうことを言うのか、ということと、人が人間の前でどういうか、ということがどのように違うのかは自ずと違っていると考えている。。その意味で、この世界には、神の支配する領域世界(神の王国)と人の支配する人間の領域世界(人の王国)があると考えており、ある種の二王国論的な立場に立っている。

           

           ところが、近代が産んだ、近代科学の立場では、人間の世界だけである(あるいは、人間が認知できる世界が世界だ)けだと主張する人びとも近代の末期には出てきた。しかし、厳然として、人間が感染に支配、管理、運用できない世界がある。例えば、原子力は、作ったはいいが制御できない技術であることが、福島原発事故でわかったのではないだろうか。確かに。多くの機械類は制御できるが、原子力のエネルギーは、いったん開放されてしまうと元に戻らないという性質を持つのではないだろうか。このように、人間が制御できないということは、本来神の領域があることを指し示しているし、そこに人間が手を付けたことを意味にしているのではないだろうか。

           

          原子爆弾の実験が行われた地名は、聖なる儀式を示す言葉(サクラメント)という言葉が地名として用いられているし、日本の高速増殖炉は、「もんじゅ」という名前が与えられているが、それは、人間を超えた世界の中の対象の名前である。これらは、これらの技術が人間を超えた範囲のことを扱う技術であり、ある種、神の領域に踏み込んだ、という意識の反映であったかもしれない。(ミハ氏註 サクラメントに関する云々は、本当かなぁ、とは思った。)

           

           このような近代の末に、ある面、人間は、神の領域まで踏み込んでしまった人間として、どう生きるのか、が問われているのかもしれない。

           

          Economyを巡る現在的課題 格差社会
          格差社会に対応するためには、貧しく弱い人に対応するための方策として、現代社会に存在するのは、福祉国家という概念であるが、この分野で有名なのは、北欧諸国であり、これらの国家では、比較的福祉制度が整っているといわれているが、これらの国では、ルター派のプレゼンスが大きい国である。これらの国では、税金が高い国家であるが、これは、もてるものから税金をとることで成立しており、ある種の均等化、平準化が図られている国である。マックスウェーバーの主張によれば、「ルター派とカルヴァン派を比較してみたとき、両者の間には、違いがあり、それは、ルター派では人間を神の恵みを受け止める神の器としての性格を持っており、カルバン派は神の道具という人間理解をもっている」とされている。その意味で、ルター派では、神の器として神の恵みを受け止める存在という人間理解があり、カルヴァン派は自分達自身が神の道具になって働くという傾向が強いということではないだろうか。


          ルター派は神の恵みを受けるということを重視しているので、自分自身が神の恵みを無条件に受け取っていると理解しているため、恵みを受け取る人の気持ちがわかるということに関して理解しているし、さらに、神から恵みを受け取っていることから、税金をたくさん払うときに、改めて神から受け取っているものの大きさを感じるという部分があるのかもしれない。この、自分自身を恵みの器と感じる感受性はルター派の特徴であると言えよう。

           

           ルターの最後の言葉は、「私は神の乞食である」であったという。この言葉に示されているように、神からの恵みを我々が受け取りっぱなしだという感受性は、我々が現代において生き延びていくために必要かもしれない。

           

          Ecumenismを巡る現代的課題 分断を超えて 
          エキュメニズムはある教派と他の教派が、相互に仲良くしていこう、という側面を語っている。ある面で、ルター派として、他の教派とも仲良くして行こう、ということでもある。カトリックとも一緒に、あるいは、時に、他宗教の人とであっても一緒にやっていこうとする社会を目指そうというものであり、他宗教、他の民族、他の言語の人々とも、一緒に共生する社会を目指していこうとする立場であり、現在は、それぞれのグループごとで分断していて、閉鎖的になっているが、宗教間対話を進めていこうという立場である。その意味で、エキュメニズムは大切なことではないか、と考える。

           

           現在、日本において意識することはあまりないが、ヨーロッパにとっての大きな課題は、難民問題であり、現在、欧米諸国は、この問題で苦しんでいる。日本では災害、特に、自然災害の場面で、この分断を超える動きが見られる。阪神淡路大震災以降、一緒に生きていき、他者に仕える、ボランティアとしての動きや概念が日本においても定着してきた。何でもかんでもルターといわれるかもしれないが、キリスト者が神から与えられた自由の中で、自分の神から与えられた豊かさや自由ということを捨てる自由もあり、その大切さを主張している。その意味で、今こそルターが言っていることを学ぶことが重要になってくるのではないか、と思う。

           

          現代日本の中で何を求めていくのか
          もう少し、日本というコンテキストで考えてみると、日本のルーテル教会をどう考えるかということを考えてみたい。戦争に敗れて、その悲惨さを経験した結果、日本人の多くの人々は、もうどんなことがあっても戦争はしないと誓ってきたが、。戦後の平和国家として歩んできたとは言うものの、世代が変わり社会が変化する中で、そのような社会としての耐用年数が切れかけているように思う。戦争はどんなことがあっても嫌だ、ということを身にしみて感じていた、戦争を直接経験した世代、あるいは、その子供の世代までは平和を希求する精神を生きていたものの、孫の世代になるとその悲惨さを忘れ始めている状況にあるのではないか、と思う。何がなくても、貧しくても平和を中心に社会が進んでいくことを目指していたのが、変わり始めている感じがする。

           

           具体的には、憲法9条をどうするかという問題などに現れるが、それは、我々が、神がどういう世界を望むかというところにかかっており、現在は、戦後社会の岐路をむかえているようないんしょうがある。もう少しいうならば、すでにその社会としての曲がり角を少し曲がってしまったかもしれない。

           

          経済中心主義への疑念
          貪欲に豊かさを追求する人々がいる中で、お金だけが重要なのか、という側面を考える必要があるだろう。人間はお金のみで生きていくものだろうか。経済第一主義で良いのであろうか、という反省はあるものの、やはりお金が大事であるというような雰囲気が漂ってはいないだろうか。

           

           3.11東日本大震災は、ある面、日本社会の転換点であったように思う。それは、福島原発事故と津波に象徴されるだろう。現在でも8万人以上の方が、困難な避難生活や仮設住宅での生活を送っておられるが、このような問題も、しっかり考えておかないといけない問題であるだろう。

           

          現代日本における教会やクリスチャン
          このような日本社会の中で、どう考えるか、こういう難しい状況の中で、教会やクリスチャンは、どのような存在であろうとするのか、ということが問われているように思う。

           

           確かに、個々の教会や個々の信徒は、もう精いっぱいに頑張っているし、小さな教会はこれ以上できないぐらい頑張っている。とはいえ、必ずしも思い描いている教会形成ができていないのも事実であり、オウム真理教事件が典型的に示すように、若者たちは、既成の宗教団体に厳しい目を向けはじめたことを、示す事件であるものの、それと同時に、なにか宗教的なものへの関心が高まっているということを示しているのではないだろうか。そして、あの事件は、科学への絶望と、霊的な何かへの関心が高まっていることを示しているといえるだろう。

           

           

          重ねた年輪の厚みがなくなっている教会
          では、ルター派を振り返ってみれば、おおざっぱに言ってしまえば、現在、ふるっているとは言えない状態にあるだろう。無論、教会員が充実している教会もあるが、頑張っても、頑張っても、会員数をとっても縮小傾向にあり、教会員の中に、高齢者が多い教会も少なくない。その意味で、教会の将来に関して、リアルな不安を抱えているのではないだろうか。そして、10年後が恐ろしいと感じている教会は、多いのではないか。もちろん、量的な面だけではなく、質的な面でも、どうなのか、ということを感じる部分もあるように思う。

           

           現在、伝道50年 100年とかと歴史を振り返っている教会も多いだろう。その時、昔の写真などを見れば、非常に教会は大きく大判フィルムを使って、プロの写真家にお願いして撮影しなければならないほどの会員が多い教会であったのに、今はスナップ写真かと思われるほどの人数の教会もないわけではないだろう。昔は修養会とかが盛んに開催され、ルターの「キリストの自由」をみんなで読むというような充実感や雰囲気があったが、今はそれどころではないじょうたいであり、時間的には、100年経ったけれども、それに対応する100年分の厚みを増した状況であるとは、言えない教会も少なくないのではないか。

           

          空回りする教会のことば

           自戒を込めて言うと、教会の中で使われる言葉が空回りしているような感じがする。ことばが氾濫する社会の中で、社会一般の「ことば」が軽くなるように、内実が伴わないことばだけが教会の中でも語られているのではないだろうか。

           

           教会の中でも、一応、これだけ言っておけばOKみたいな状況が存在していないだろうか。からっぽのことば。すなわち空語が教会の中で、交わされているのではないだろうか。キリストの愛という内実を伴ってないことばだけがかわされているようにも思う。そして、祈りましょうというと、全て一件落着してしまうようなことになっていないだろうか。

           

           「みんなで一致団結して、この状態に対応しましょう」などが語られ、終わってしまう決まり文句だけが教会の中でも、増えているのではないだろうか。総主張するところの意味は、本当の意味は何だったのだろうか、ということを問い詰めていかないといけないのではないだろうか。ある意味で、教会内用語が幅を利かせている状態にあり、教会の外の人にも通じる言葉で話す必要があるのではないか。それがルターがしたことだったのではないだろうか。そして、もう一度、教会の外の人と教会の言葉が通じる社会へと教会を再構築しないといけないのではないか、ということを思う。

           

           ルターは言葉の人であった。そして、社会的な働きが弱いといわれてきたルーテル教会の存在がある。しかし、実態としてはルーテル教会は、様々なことをしているのではある。しかし、あまり、自己宣伝しないという伝統があり、それが知られておらず、その結果社会への対応をあまり行ってこなかった印象に繋がった部分もあるようには思う。そして、社会的な問題に対する意識が薄いといわれてきた側面もあった。

           

           

          ルターという人物の光と影
          今日ルターに触れるときに、正直に影の部分もある、ということを認めないとならないだろう。ルターの光の部分もあるが、陰の部分もあることを正直に認めないといけないように思う。

           

          社会の治安への態度
          例えば、中世の農民の中に、奴隷のような状態に置かれた農民達がいて、その状況に農民も立ち上がった。どうしても、このような反対運動は、過激化する傾向を持つ。ルターは、時にすぐに怒り出すような過激な発言をする人でもあり、ルターが書いたあるパンフレットでは、農民を撃ち殺せというような発言をしている。

           

          他の宗教者への態度
          また、ユダヤ人問題についても、同様な発言をしているため、ナチスの時代にルターなかなり人気があった人物であるが、このは異型には、ユダヤ人に関する問題発言を含む本が出ている。ルターは、宗教改革がなされたら、ユダヤ人は、キリスト教に改宗すると思っていたようであるが、実際には、多くのユダヤ人は、改宗しなかった。「ユダヤ人と彼らの嘘について」というような本では、シナゴーグを焼け、という言葉が含まれており、そのような記述がナチス時代にもてはやされた。

           

           また、トルコ人についても問題発言があるが、それは当時はトルコ帝国とイスラムがヨーロッパに侵入してきたり、イスラム世界がヨーロッパを包囲していた時代であった。ルターは、宗教改革の結果、イスラム教徒も、イエスはメシアである、と言うはずだと思っていたようだが、実際には、イスラム教徒は、メシアであるとは、言わなかった(ミーちゃんはーちゃん駐 イエスの記述がクルアーンの中にはあることは確かであり、イスラム教徒は、イエスは、預言者であるとは認めているの)で、ので、イスラム教徒を攻めるような発言もしている。

           

          https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Japanese-Ottoman1683.PNG より

           

           

          政治への態度
          ある面、改革運動は当時のドイツの政治権力との二人三脚で進められた。そのこともあり、ルターには、政治権力の批判意識の薄さという側面がある。さらに言えば、キリスト教中心主義は確実にあり、他者である相手の立場への配慮のなさという面もみられる。現代社会の中では、自分たちとは様々な側面で違う人たち、とりわけ、違う宗教の人とどこで一致できるか、という問題が問われている中で、ルターに限界があることも確かである。

           

           

          会場で展示されていたルターに関するポスター


          結論
          それでは、ルターという人は、これまで見てきた現在の世界の状況、日本の状況のなかで、ど言うことをするだろうか、すなわち、本日のテーマである「もし、今日日本のルターが生きていたら何をしたか」ということを考えてみたい。

           

           結論から言えば、ルーテル教会の牧師になったであろうし、少なくとも、ルーテル教会の牧師になった可能性が高いのではないか、と思う。

           

           ルターの95箇条の提題に戻って、考えてみたい。ルターの提題そのものを全部読んだ人はあまりおられないとは思う。そこで、4つの重要だと思われるポイントに絞って述べてみたい。

           

           その前に、当時の状況について考えてみたいのであるが、それは当時、罪の悔い改めは、1年に1度のもので良いとされていた。しかし、主が「悔い改めよ」というとき、それは人の全生涯が悔い改めであることを望希ており、その時だけ、悔い改めたのでは不十分だと主張したといえる。むしろ、一刻一刻ごとに悔い改め、毎日悔い改めることを主張したのである。

           

           27条では、免罪符問題をあつかっているが、現在は免罪符そのものがないので、あまり問題にならないかもしれないが、この問題は、罪がお金で解決されるという問題や、罪そのものの扱いが、軽く扱われるということに対応したものであろう。 

           

           43条では、貧しいものや困窮するものに支援するものは、免罪符を買うよりは意味があると主張しているが、これを実現していくことが重要なのではないだろうか。し

           

           93条では、キリストの民に十字架を伝えるものは幸いであると指摘しているが、これは、ある面、キリストのことをいつも考えよ、ということであるだろう。。


          先に、ルターが今の日本にいたなら、ルター派の牧師になっているといったが、神の恵みの主張の意義を考えることは重要であろう。宗教改革にあたって、よく、聖書のみ、キリストのみ、恵みのみと言われることがあるが、これらのことをよくわかっているというときに、これらのことばは実に空虚なものになるのではないだろうか。

           

          信仰義認を巡る問題
          人間は、そもそもが不十分なものであって、それゆえに恵みとしての贈与が神から豊かに与えられる用、神の側で準備されていることを考える時に、その神の恵みを求めていくということの大切さを伝えているように思う。そして、ルターは特に恵みを強調したのであるが、この概念が信仰義認を理解する上で重要な意味を持っていると考える。現在、信仰義認はそもそものルターが言いたかった意味を超えて、微妙なニュアンスが与えられていることばである。

           

          アウグスブルグ信仰告白の第4条
          恵みによって信仰を通して、罪の赦しを得、神の前に救われる。

          とあるが、これは、救いや義認の問題の根拠が人間の側にはない、ということである。私自身の信仰の多寡という部分や、本人がどのように信仰をもっているかどうか、ということは、本来、神の義人とは、あまり関係がないはなしである。これまで、広く普及していることもあり信仰義認という語を使ってきたのだが、現在、その語が表す内容は、問われているように思う。

           

           ルターが言いたかったのは、神の恩寵によって救われるということであり、その意味では、ひょっとすると、恩寵義認の方が信仰義認の中身をより良く表しているのかもしれない。

           

           我々人間に信仰がないからこそ、イエスは十字架にかかったのであり、われわれはどうにもならないことを神がご存知であるから、神の側から人間の側に救いが来たという理解である。その意味で、神の恵みのみであるが故に、我々は、信仰を与えられ、その結果として信仰義認が成立するということを思い出していかないといけないのではないだろうか。

           

           すべての人と共に生きていくことを目指すこと、それがエキュメニズムというものだろう。そのような信仰を我々がもっていきたいと思う。

           

          以上が、当日現場で取った速記録に基づき書き起こしたものであり、誤りがあるとすれば、ミーちゃんはーちゃんによることを再度ここで触れておきたい。


          感想
          この2時間弱のご講演では、ミーちゃんはーちゃんの関心領域がかなり現代というか、現在に偏っているので、本日紹介した、ルターの現代的意義を考えようとした後半部分のほうが、格段に面白かったように思う。とくに、エキュメニズムにプロテスタントの中で熱心に取り組んでおられるルター派ならではの視点とその背景がかなり理解が進んだ。

           

          おそらく、このエキュメニズムの部分には、ルターにおける人間理解が現在的な状況とも深く関わっていることと、これまでのドイツで歴史的経験、血で血を洗うかのようなフランスとの戦争経験、第2次ヨーロッパ大戦、ここ数十年のトルコ移民のドイツへの流入の問題、また、純血主義的なドイツ人の思想の背景などへの反省が込められているからこそのエキュメニズムの主張へとつながっていたり、カトリックとの対話へとつながっていたりするのだろうと思った。本来のエキュメニズムが達成されたと言うためには、やはり、oikosとして行われるごく普通のこと、聖餐(食事でもある)がともになされることが大事であるとおもった。津た〜はのみなさんが、カトリックでの教会一致の会議をしている際にいまだにカトリックの聖餐に一緒に参加できない状況では、エキュメニズムが達成されるためには、道なお通しという印象があるように思ったのだなぁ。

           

           そもそも、日本で今回、日本福音ルーテル教会・近畿福音ルーテル教会・西日本福音ルーテル教会の3つのグループの信徒が集まってする初めての聖餐式であった、という。それを思う時に、他の教会、他の宗教などとの、外部とのエキュメニズムも大事にはしてほしいけど、まずもって、同じルーテル教会を標榜し、接頭辞が異なる教会同士のエキュメニズムとかも、もっとお取り組みになられればいいのに、とは思ったが、それぞれ式文や、式文の順序も異なるので、そのへんの調整にずいぶんと苦労されたんだろうなぁ、と当日配布された、この合同礼拝のだけのために構成された式文と式次第を見ながら思った。

           

           式文の順序は、ほとんど毎週参加させてもらっている聖公会の式文の順序とは共通である。ただ、用語やその用法とは微妙に違っている感じは受けた。とはいえ、基本的な線ではかなり共通であるという意味では、ルーテル派は伝統教派に近い部分があるので、エキュメニズムということは考えやすい、という側面はあると思う。その観点からすれば、式文を用いない教会などとは、聖書のみや、十字架のみという側面では共通部分があるとはいえ、かなり違う部分も大きく、これらのキリスト教のグループとの共通理解の確認作業とそれを巡る対話は、イエスを預言者としか見ないムスリムの皆さんとの対話並みに、過去のいきさつや相互にキリスト教という枠組みの中で自分たちの主張の妥当性と正統性と、『正しさ」とについて相争ってきた分だけに、対話は難しいだろうなあ、そうとう大人になっての、あるいは大人としての対話能力が求められるよなぁ、という部分があるようには思った。

           

          ことばの空虚さを巡る諸問題
          今回のご講演でも改めて思ったのは、現代の言葉が氾濫する社会の中での「ことば」が空虚であることと、そして、教会の中のことばがうわ滑ったものになっており、実のある、中身のある、内実のある言葉であるはずの聖書の言葉を語る教会のことばが空虚という指摘とそのことに対する反省である。決まり文句が繰り返されるのなら、それはたしかに実に無意味であり、盤面に傷が入り、同じ部分を繰り返していくような傷ついたレコード盤を延々回し続け、そこで流され、語られるのが、同じことばであり、それが、延々繰り返すようなものでしかないのかもしれないである。

           

          本日のご講演者によれば、ルターは「ことばの人」であったという。それなのに、ご講演者がご指摘のように、ことばが現実に力を持ちえない、今日の教会を見れば、どうルターは思うだろうか、とは思う。邦訳はされてないが、このブログでも何度か取り上げた、ナウエンの正教会系の砂漠の師父を扱った作品にThe way of the heartという小著(内容的には非常に深いものがあると思っている)があるが、その本の中でも、ことばが氾濫する現代社会の中でのことばの軽さ、空虚さが指摘されているが、今回はからずも、ご講演者からも触れられたのが非常に印象深かった。

           

          まぁ、教会のことばが空虚なのは、現代だけではなく、パウロの時代にもあったようで、パウロは、

           

          【口語訳聖書】 コリント人への手紙 第1
          2:4 そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。

          あるいは

          【口語訳聖書】 コリント人への手紙 第1
           4:19 しかし主のみこころであれば、わたしはすぐにでもあなたがたの所に行って、高ぶっている者たちの言葉ではなく、その力を見せてもらおう。

           4:20 神の国は言葉ではなく、力である。

          とか、結構繰り返していっている。

           

          ルターは、塔の経験と呼ばれる経験をしたという。彼自身が自分自身の不甲斐なさを繰り返し繰り返し経験する中で、自分自身を見つめ、そして、神にすがる他ない、神の憐れみにすがるしかない、神の恩寵にすがるしかない、という結論に達したのだと思う。まさにキリストの祈りとよばれる「主よ、罪人である我を憐れみ給え」(Lord have mercy on me, a sinner.) ということを実際の生涯を通して、経験することを通して、砂漠の師父たちの黙想の静謐の中から生み出されることばと同じような、内実をもったのかもしれないなぁ、と思う。そうであるが故に、ルターは「ことばの人」と呼ばれるようになったのであり、実際に、そのことばに力があり、内実があるものであったのであろうと思う。

           

          恩寵義認と信仰義認
          ところで、今回講演者の方は、恩寵義認ということをおっしゃったが、これは、案外大事なのだと思う。現在、信仰義認という概念がプロテスタント界隈でめちゃくちゃ幅を利かせていて、自分たちの理解と違うことを言い出したかに見えるものに対して、すぐ攻撃的になる方々がおられるのが実にかなわないのである。そして、その理解が、正しくないとか、正しいキリスト教徒は言えないとか言い出すのである。それって、ひょっとして、自分を神の聖座につけていませんか、神の聖座を簒奪しておられるのではないか、とも思うこともすくなくないのであるけれども。

           

           その意味で、信仰義認というと、今回のご講演でも出てきていたのだが、自分自身の側の信仰の問題に引き寄せる原因になりやすく、神の側の最初の人間への関与(恩寵と言ってもいいと思うが)がかなり薄くなってしまうように思う。

           

           特に、ルターは、その恩寵を金儲けの手段にする人びとを口汚く罵ったというよりは、呪ったに近い部分はあった人であるとはおもうが、ルターにしてみると、本来神の主権に属する恩寵を、その扱い方も十分に知らないような人間が、金儲けの道具にすることに耐えられなかった人なのではないだろうか、と今回のご講演を聞きながら思った。この問題は、現代の教会にとっても同じような側面はあるとおもう。本来、神の恩寵である、とすべきものも、人間の道具のようにしてしまっている部分は、本当にないだろうか、ということはプロテスタント界隈でもう少し振り返って考えてもいいのではないか、と思った。

           

          二王国論について

           個人的に、二王国論というと、十分に思いを巡らし、深く考えないと、ともすれば、二値的な判断、01型の判断や聖俗二元論的な立場に行きやすい。しかし、現在の状況や教会というものを考えるとき、それはびっちりと区別、弁別される二元論的な立場での理解というよりは、それが相互に入り混じっている状況にこの現代の世界でも実現しているはずではある(このことを、N.T.ライトさんはインターロッキング 噛み合っていると呼んでいる)ようにおもう。個人的には、インターロッキングというと、異なる2つのものが噛み合っている印象があるが、もうちょっと、グラデーション的な形というかスタイルというか、かたちでつながっているので、ところどころ融合していて、異なるものが溶接されている感じであると思う。その意味で、神の世界、あるいは、神の王国とこの地の世界、あるいは人間の世界、人間の王国との関係は、部分的にやや融合されているような部分があり、その2つの王国が融合されているぶぶんでは、かなりグラデーション的な存在を持つのではないか、と思っている。

           

           その意味で、この二王国論というのは、曲者かもしれないと思うし、そんなに簡単に扱えるものでもないのかもしれない、とは思った。

           

          最後に一言、今回、ルターの言葉は多く取り上げられていたが、聖書のみとおっしゃる教会での講演としては、聖書の言及があまりなかったのは、ちょっと残念だったかもしれない。

           

          以上で、今回のご報告は終わりである。


          次回へともう少し続く。

           

           

           

           

           

          2017.07.19 Wednesday

          ルターセミナー in Osaka に行ってきた (1)

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            今日は、2017年7月17日(月曜日 海の日)に日本福音ルーテル 大阪教会で開催されたルーテルセミナー in Osaka 2017に参加してきたときの記録をご紹介してみたい。今回は、「ルターが今日の日本に生きていたら」〜神のすばらしき創造の世界と共生〜  に参加した時の筆記録をもとにご報告してみたい。

             

            ルターセミナーの写真

            その日の状況


            公演されたのは、江口再起氏であった。同氏は、元東京女子大学教授で、現在は、ルーテル学院大学、神学校の教授で、付設ルター研究所 副所長 をしておられることなどが紹介された。

             

            ご講演の内容

            今年は、ルターが95か条の提題を出してから500年目の年に当たる。 400年記念の100年前にも今回のようなイベントは開かれたが、その時は、宗教改革があったということ、原点を覚えるということが主なテーマであったが、500年の今年に当たり、このセミナーでは、原点を見るとともに、未来に向けても考えてみたい。少し未来志向を持って展望してみたい、と思う。ルターの言葉ではないという説もあるが、「たとえ明日世界が終わるとしても、私は、リンゴの木を植える」といったとされるように、ルターは未来志向の人でもあったようである。そして、ルターがドイツ国会で審問を受けた時、ルターは、「我ここに立つ」といったとされるが、ここに立って、さらに明日に向かって進む、ということを考えてみたい。

             

             今日いただいたテーマは、「ルターが今日の日本に生きていたら」というテーマであるので、ルターという人物と今日的状況、そしてなかでも日本ということを考えながら、この500年を考えてみたい。

             

            ご公演中の江口氏

             

             

            ルターとはどういう人か

            ルターについてであるが、ルターといえば、宗教改革者 (牧師であり宗教家)と理解されるのである。確かに、ルターは説教に力を入れた人であり、み言葉に立った説教をした人であった。当時は毎日礼拝があり、毎日説教をした。ルター直筆の原稿は残っていないが弟子たちの手による筆記は残っていて、おおむね2300くらいの口述筆記録が残っている。

             

            そして、ルターは礼拝改革をした人であった。当時の礼拝は、聖職者だけでする礼拝というようなものであり、聖職者が実施している礼拝を、会衆は見学をしているという状態であり、賛美歌にしても、会衆は歌わなかった。賛美歌がラテン語であるため歌えなかった。さらに、説教もラテン語であり、勉強しないと分からない言語でなされていた。こうなると、普通の人は、聞いていても、何もわからない状態となる。説教も賛美もラテン語で行われるので、当時のドイツの庶民派ある種、教会の中で置き去りにされていた状態であった。

             

            そこで、ルターは、ドイツ人にはドイツ語で説教をし、ドイツ語の聖書、ドイツ語の讃美歌を用いるという礼拝改革に取り組んだ人である。

             

            また、ルターは、牧会者でもある。非常にたくさんの手紙を書いた人でもある。そして、教会から寄せられる様々な問題に対して、丁寧に答えた人であり、正に教会の人でもあった。

             

            また、教育改革にも取り組んだ人で、児童労働が普通の社会で、当時学校に行かないことが普通の社会で、文字を教える学校の重要性を説き、現在の初等教育から始まる国民教育の原型もルターの提言の中にあったものであり、ルターの提言の中には、子供を学校に行かせること、という提言がある。

             

            また、ある種の社会改革者でもあった。教会に共同金庫という箱を置いた。ここに集められたものは、多少は教会の維持にも使われた側面もあるが、貧しい人たちへの配給をした。実際にはあまりうまく機能しないこともあったようであるけれども。

             

            また、大学の教員でもあり、著述家でもあり、数多くの著作を残した。ドイツ語のワイマール版ルター全集は全百冊からなるものであり、さらに、旧約、新約を全巻ドイツ語訳した人物であった。当時は、ラテン語聖書を用いていたので、それぞれの各国語に訳していく起点になった動きを方向づけたものは、ルターによるドイツ語翻訳聖書であった。さらに、賛美歌作家でもあった。作曲し、作詞もしている。笛を片手に作曲したというようなことも言われている。

             

             従来の修道士は独身であったが、同じく修道女であった女性と結婚をし、良き家庭人でもあった。手紙などを見ると、かなり子煩悩な人でもあった。良き友人でもあり、メランヒトンなどと交流もしている。ルターはどちらかというと大局的に物事を見る、おおざっぱな人であったが、メランヒトンはどちらかというと、割と緻密な作業をする人で、 後付けで一定のかたちにしていく人であったので、ルターは、メランヒトンに、「大胆に罪を犯せ、そして、もっと大胆に悔い改めよ」といって励ましたりもしている。

             

            現代の世界について

            では、第2番目の現代という時代について触れてみたい。ルターは教会改革をしたが、それが引き金になり中世が終わり、近世に移行していったのである。キリスト教2000年の歴史のうちの約半分は中世であった。その中世の終わりにルターが表れて、宗教改革をなしたのである。

             

            そして、信仰世界の改革を通して、当時の社会を変質させたのである。式文を変えたら、今は世界が変わったりはしないが、ルターの時代にルターが礼拝改革をして、式文を変えたら、当時の世の中は変わったのである。その意味で、中世から近代への転換点が、宗教改革であるとはいえ、その意味で、近代という時代が始まって500年に当たるのが子としてあるが、ぼちぼち、この近代という時代が賞味期限切れになり、あちこち破たんを見せており、現代は、近代が終わりを迎えた時代である。そのため、ポストモダンということが言われるようになっている。
             

            近代はどういう時代であったか

            ルターが幕あけをした近代という時代はどういう時代であるか、ということを考えてみたい。大雑把に言うと、人間が大事にされる社会である。ルターが生きた中世の封建制度が支配した時代であるから、当時は、身分社会であり、身分が高く価値の高い人とみなされる人と身分が低く社会にとって価値が低いとみなされる人、という区別が当時の社会にはあった。その意味で、人間としての価値は同じではなかったが、それはおかしいのではないか、人としての価値の差があるのかという疑問が生まれ、人権という理解が生まれた時代である。人間は誰かの奴隷ではなく、自由に生きていっていいという、人権の一つの柱が生まれた時代であり、これらの感覚が近代という時代においてはぐくまれたのである。もう少しコンパクトに言うと、人は、自由であり平等であるという時代である。これが、デモクラシー(民主主義)の基本であり、社会のことに、自由に平等に参加できる社会という理解が生まれたのである。これはルターが、一生懸命主張してきたことであった。

             

            良心と自由の概念とルター

            ところで、当時のドイツの神聖ローマ帝国皇帝が審問して、ルターの提題や教会への批判を取り消せといったのだが、自分は聖書に基づいた言葉なので取り消さないと主張し、そのうえで、「我ここに立つ」と議会の中で、ルターは主張したのであり、自分の良心に基づいて自由に生きていくといった人でもあった。ある面で、自分の良心に従うことを大事にした人である。

             

            良心の自由という言葉があるが、良心と自由を結びつけたのは、世界市場、ルターが初めての人物であった。教会の中だけの人としてのルターというよりも、教会の中でのルターの思想が社会に広がっていき、近代が成立したとはいえるだろう。

             

            当時のカトリック教会で行われていたような、司教団の礼拝を庶民はただただ見るだけでなく、信徒も一緒にみんなで礼拝しよう、礼拝に参加しよう、というのが万人祭司の精神であり、これこそ、人間の平等の原点であり、西洋における自由と平等についてもルターが大きく貢献したといえるだろう。

             

            この段階までの感想

             確かにルターは、マルチな活動をした人物であるということは、なんとなくは分かっていたつもりではあったが、改めて、今回のように整理されてみると、ルターの活躍の幅は非常に多岐にわたり、非常に大きかったと言わざるをえない。

             

            しかし、今回挙げられたことをすべてルター一人でなしたわけではなく、ルターは当時の変化し始めている社会を、近代に向かった方向へのベクトルを与えたような人のような気がする。

             

            市民的自由の問題にしたって、ヴェネツィアという身分制度がやや緩めの都市国家が存在したこと、ヨーロッパの中で、中世的な社会制度や支配体制がほころび始めたこともあり、先日のユダヤ思想学会でも報告があったように、人口や人材の流動化、ユダヤ人の難民化及び龍民化があり、地中海航路での人口流、物流を含めた交易流の活発化、ムスリム支配する地域の中で保存されてきたギリシア思想や哲学が、ルネッサンスで流れ込んできており、ヴェネツィアとオランダのアントワープで印刷工場ができ、多数の印刷物が印刷され、アルドというヴェネツィアの書籍出版業者がフォントの改良をし、また、小型の廉価本が大量に出版され、文字技術を使う中産階級の人々の間で、これらの本が回覧されて読まれ、と言う状況の中での宗教改革であり、ご講演では、ルターの宗教改革500年ということでもあるのかもしれないし、ご自身がルター研究者で非れるということもあるとは思うが、やや、ルターに花を持たせ過ぎであるようなきがした。

             

            当時のヨーロッパでは、ある程度明確な地殻変動の前兆現象は確認されていたものの、それが本振動という化、本格的な地殻変動になるまで、ウィクリフやフスなどがやろうとしたことが空間的、時代的には散発的に発生していたのである。そのような時代の転換点に現れたのがルターという人物であり、ある意味で、時代の状況のお膳立てがあったからこそ、宗教改革が起きたとも言えるような気がする。

             

            ドイツの当時の政治状況あっての宗教改革

            さらに言えば、今回のご講演では、ドイツの歴史的政治状況が殆ど触れられておらず、ドイツの歴史状況があったがゆえにこのルターの宗教改革が起きたという側面、神聖ローマ帝国という意識が一方ではありながら、多数の領主が実際的には相互牽制の動きの中で支配する文献的構造が残っていたドイツであるからこそ起きたのが宗教改革であり、同時代のフランスでは絶対帝政に向かう時期でもあるし、フランスでのカトリックの強大さと聖職者への政治の強力な介入状況を考えると、とても、ルターがいかに優秀であったとはいえ、起きなかったであろうとは思う。さらに言えば、ローマ帝国最盛期であっても、当時のドイツの領域内のローマを首都とするローマ帝国支配がかなり遅れこんだこともあり、ドイツでの支配的な民衆言語が、ラテン語の影響をほとんど受けておらず、それゆえに、民衆には、ラテン語説教がわかりにくいものであったという側面もあったのではないかなぁ、とご講演を拝聴しながら思った。

             

            しかし、説教を毎日とはいっても、リタージカルな教会運営でもあったであろうから、いまのように30分から1時間もかかるような説教ではなかったようにも思う。せいぜい、10分から15分位であったであろうけれども。それでも、毎日というのは、大変だとは思うが。子供向けとは言え、聖書キャンプなどで、子供向けの説教を1日3回していた経験を持つものとしては、あのキャンプでの日々は、結構大変だった、という思いはいまでもある。

             

            良き家庭人であった」、とはご講演の中では言及されているが、修道士でありながら、結婚してみたり、「罪を大胆におかせ、そのうえで、さらにもっと大胆に悔改めよ」と行ってみたり、ルターとは、結構な破戒坊主ぶりでもあったように思う。

             

             

            次回は現代的な意義について。

             

             

             

            次回へと続く

             

             

             

             

             

            2017.07.17 Monday

            テロについて再び・・・

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              引きずり込まれるようなかたちで、ナザレンの大阪桃谷教会にお邪魔して、『焚き火を囲んで聴く神の物語』出版記念イベント、鼎談『テロと聖書と神』へと出ていったのだが、個人的にこの回に出て喋り残したことを少し書いておきたい。

               

              テロリスト∈イスラム教徒

              それは、前回のイベントで、「イスラム教徒=テロリスト」というマスコミがダダ流しにしている安易な図式が我々にはあまりにも吹き込まれているのかもしれない、ということを思ったということである。宗教的な過激派は、何もイスラム教徒だけではない。所謂キリスト教の福音派(この福音派という語は、多重性のある語であるので、注意が必要な語であり、特にカトリックの古い文書にいうときの福音派は、プロテスタント全体を指す事が多い。マクグラス先生が『福音派』という語を使うときには、そのような意味で使うことがあるので、要注意である)のなかのアメリカにおけるコンテキストの中での福音派、あるいは狭義の福音派は、いわゆるプロテスタントの中でも、福音主義(これもまた、必ず明確な定義が成立しているといえるかどうかはかなり怪しい語であり、人によって使われ方が異なるので注意が必要な語であるが)に立つ人々だと理解されるが、その中にもコーランを焼くテロリストもどきの牧師もおられる。確かに、自爆テロをしているわけではないが、行為そのものは、自己の過激な行動で自己の主張を表現しようという意味においては、明らかに過激派である。自爆テロしているテロリストではないにせよ。

               

              テロリストを内包した明治維新の元勲や日本史におけるテロ

              さて、もともとの意味をだどってみると、テロリストとは、社会的な恐怖を与える行動によって自己の主張の正統性と妥当性を主張し、さらに、捕虜をとったりして、他人に被害が及ぶことを起点に政府機関や有力な組織を自分の意に従った行動(たいてい金をよこせか、仲間を釈放しろか、その両方のことが多いが)をさせると言う意味では、組織だった強盗行為なのである。

               

              昭和以前のテロリストは、要人テロが主であった。昭和維新を名乗った226事件は、要人テロであったが、昭和維新は結局実現できなかった。「話せば分かる」という首相を銃殺した515事件は要人テロ事件であったし、イギリス公使館焼き討ち事件に関与するというテロ事件に関与したテロリストだった伊藤博文(一般社団法人 日本外交協会 の  「テロリスト伊藤博文」の懺悔  参照)は、安さんという人に暗殺されたことになるし、日航機ハイジャック事件はテロであった。そういえば、蘇我入鹿を惨殺した中大兄皇子はテロリストであったとは言える。中大兄皇子は、テロ事件後政権奪取に成功したので、テロリスト扱いはされてはいないが。

               

              昭和維新の関係者の墓碑

              http://photozou.jp/photo/show/2805441/170539929

               

              昭和維新の歌(こういう歌があるのね…)

               

              中大兄皇子のテロ事件の模様

              http://kntryk.blog.fc2.com/blog-entry-322.html?sp から

               

              他には、藤原家と藤原家の支配する朝廷に反逆した源家のご一族様は、幼い安徳天皇まで入水自殺に追いやり、挙句の果てに宝剣と宝鏡の行方不明事件までもが起きてしまう。この事件を起こした源家御一統の皆様は、ある意味で天皇を自殺に追いやる逆賊で、テロリストではあったはずなのだが、この場合も政権奪取に成功したから、文句を言う人はだれもいなくなったので、挙句の果てに征夷大将軍(実際の西日本は、征夷大将軍が討伐を命じられた蝦夷の地ではなく、隼人の地だったように思うが・・・)にまで任じられてしまう。そういう意味で言えば、ご先祖の源様御一門がそうであったように、徳川家ご一門の皆さんは、豊臣政権に対してという意味では、ある種のテロリストではあったわけで、その豊臣さんだって、天下を取ったはずの明智さんに対してはテロリストであったとは言える。

               

              安徳天皇の入水自殺のもよう

              http://www.yado.co.jp/kankou/yamaguti/shimonoseki/akamajingu/akamajingu.htm

               

              薩摩琵琶でどうぞ

               

              テロリストだった一部の明治の要人や近代の革命騒ぎ

              その意味で言えば、明治政府の極初期の要人は、結構テロリストないしその関係者が少なくない。明治維新とは、江戸幕府や外国政府に対するテロであった、という側面も持つのである。ケニアのナイロビのアメリカ大使館爆破事件がテロならば、馬関戦役と呼ばれているが外国船に開戦通告なく大砲ぶっ放す行為は、テロと言われてもしかたがないのである。テヘランのサウジアラビア大使館の放火事件並みの事件に伊藤博文も、高杉晋作も、久坂玄瑞も井上馨も軒並み関与している。

               

              こう考えると「維新」という日本語には、なんとなく暴力の香ばしい香りがするような気がするが、それを好んで政党の名前に使う人びともおられる。西宮維新の会の代表のののちゃん県議は、なんちゃって維新であったけど。

               

              西宮維新の会の選挙ポスター ご存知”ののちゃん県議”

              https://matome.naver.jp/odai/2140507302654091501から

               

              先日、バスティーユ監獄襲撃事件を記念したフランスの祝祭日にトランプ大統領が招かれていたが、あのバスティーユ監獄襲撃事件だって、ルイ王朝やブルボン王朝の人にしてみたら、テロ事件と言えなくはないだろう。おまけに、王族は揃ってギロチン台の露と消えている。また、中国共産党だって、弱体化し軍閥や馬賊が跋扈していたとはいえ、当時の清朝にとってはテロリストに見えたに違いない。

               

              バスティーユ記念日にパリにいたトランプ氏

              http://en.3yonel7ds.com/Top_News/76049/President-Trump-is-guest-of-honor-at-ornate-Paris-Bastille-Day-celebrations.html より

               

               

              ソフトターゲットに移行したテロ

              その意味で、警備が厳重な要人を狙ったハードテロだったテロが、ソフトテロに代わっていくのは、1970年台のハイジャック事件以降であろう。そのことは、当日Mizotaさんといういつも重要なご指摘をくださるお友達が指摘してくれたが、それは非常に大事な指摘であったと思う。このソフトターゲットを中心としたテロに流れ込んでいく上で大きな役割をはたすのが、これがまた、日本人であり、連合赤軍の皆さんなのである。ミーちゃんはーちゃんが高校生くらいまでは、「この顔にピンときたら」のポスターの常連さんであった。

               

               もちろん、その背後には、PFLP(パレスティナ人民解放戦線)からの影響はないとはいえないが、革命を云々する人びとはどうもある段階からソフトターゲットを狙ったテロに移行していくが、それの最も成功した事例が、日航機ハイジャック事件で、仲間のテロリストや関係のない強盗犯までを開放させているのである。

               

               

              もう少しいうならば、特攻型攻撃のテルアビブ空港銃乱射事件などは、ソフトターゲットテロの走りのような気がする。このような特攻型の精神世界は、最大限の自部隊の生存を基調とする軍事攻撃としては、愚の愚の作戦計画であるが、大日本帝国陸軍は、武装が不足し、作戦が計画できなくなり、することがなくなると投降や自主解散するのではなく、無意味にこの自殺的な攻撃を始める事が少なくなかった。このタイプの自殺的な攻撃は、大日本帝国陸軍の悪い癖であり、アジアでもこの種の作戦が繰り広げられた。おそらくこの出発点は、日露戦争における203高地戦であり、薩摩仕込みの大山巌が防御を固めているロシア陸軍部隊に向かって無謀な突撃作戦を支持することになる。

               

              そして、太平洋戦争末期では、陸軍は敵陣突破を目指した無意味な突撃攻撃を繰り返し、沖縄では住民を人間の盾にした戦争をやらかす。海軍は海軍で、『桜花』という自爆型ロケット航空機と言うよりは実態的には自爆型ロケット型飛翔体や『蛟龍』や『海龍』と言った特殊潜航艇を計画するに至る。もう、戦略とかないのである。こうなると、戦略はなく、基本、戦術レベルになってしまう。Kamikazeと呼ばれた自爆テロまがいの航空機の運用はするは、自爆テロ型兵器を量産したのが日本海軍であった。まぁ、戦略を組めと言われても、ろくに空母もなく、お役御免もどきのボロ船と巨艦巨砲主義に走った結果、やたらと目立ち、攻撃目標にされやすい戦艦だらけで、戦略を立てることがもう無理だったことはかなり自明であるが…。そして、自爆テロ用の神風特攻隊とした爆撃機を飛ばした基地が鹿児島県の鹿屋基地であったという。なんともまぁ、なのである。

               

              ヨーロッパとイスラムの交流の歴史を見る限り、自爆テロ型のテロが近世史までの時代で、伝統的に存続しているか、と言われたら、あまり見当たらないような気がする。よくご存じの方があれば、ぜひとも教えて頂きたい。まぁ、やけくそになった場合、窮鼠猫を噛むというような感じの事件はいくらかは確かにあるが、麻薬を飲ませて暗殺を狙わせたグループもいたことはいた。

               

              そういう意味で言うと、短刀一つ持って暗殺や暴力行為に走った人びともいたグループ(熱心党)の関係者も、イエスの弟子たちの中にはぞんざいした、という意味では、テロリストは、何もイスラム教徒だけではないし、やけくそになり、冷静さを失った人たちが、確固たる戦略もなく取り組んでいくのが、テロであるようなきがするなぁ。

               

              そして、イスラム教自身、他者の宗教にはあまり無関心である事が多いようであるが、ことクォラーンと、預言者ムハンマドを間接的であっても、交渉の対象にしたり、からかったりすると、それは烈火のごとく起こり始めるのであって、それ以外は、別に他人が何を信じていようがあまり気にも留めない人たちのようなのである。そして、中東では、ムスリムと他の信仰を持つ人々が、共生してきた長い歴史があるのであり、ムスリムは、もともと商業ベース的な価値観を持つ人達なので、聖地奪還のついでに彼らの生存権や安全を脅かすようなことをやったり、言わない限り、本来は利害関係さえ一致して、平和的に共存できるはずなのだ。ただ、彼らはムスリムの生存権や生命や安全が脅かされると見れば、仲間意識からムスリム救済に向かって突き進むようなところはある。それとて、ロトが誘拐された時に、アブラハムがとった行動と何ら変わらない。あるいはロトのところに来た来訪者をロトが家族を犠牲にしてまでも守ろうとしたことと大して変わらない意識から、仲間の安全を守ろうとするがゆえの攻撃的な行為に発展しているような気がする。

               

              その意味で、どのような信仰の民であろうと、民族であろうと、人を自暴自棄にならないような対策を取ることが大事なのだと思う。そのためには、一定の豊かさの確保、一定の範囲での富の再分配が重要なのだと思う。なにせ、金持ちは喧嘩しないからである。ある程度、金持ちになると、よほどの守銭奴でない限り、命のほうが財産よりも大事だということに気がつくことが多いからである。ある程度豊かになると、その程度の知恵が働くほど、余裕が出てくるのであろう。そういう意味では、大阪大学経済学部の大竹文雄さんの研究グループがしておられた少年犯罪と貧困との研究(例えば、失業率と少年非行を関係づけた定量分析研究 とか)なんかで指摘されていることは、案外大事なことなのかもしれない。

               

              貧困で自暴自棄になってしまっている人たちにとっての最後の声明を発する手段として残っているのが、テロだったり、犯罪だったりするのではないだろうか。そんな気がする。であるとすれば、我々がどう考えるのか、ということは案外大事なことかもしれないとは思う。

               

              この項、単発である。

               

               

               

               

               

               

               

              2017.07.15 Saturday

              神戸改革派神学校第41回 信徒夏期講座に行ってきた(3)

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                 今日は、神戸改革は神学校の第41回 信徒夏期講座に行ってきた記録の公開の第3回目であり、その日の後半に行われたシンポジウムの部分からご紹介してみたい。当日のメモと記憶に基づいているので、以下の内容に関して、誤解や誤って記録した部分、誤って受け止めた部分はあるとおもう。それは、ミーちゃんはーちゃんに由来するものではある。

                 

                パネルディスカッションを開くにあたって

                司会者

                 マクグラスの『キリスト教の将来』という本によると、同署の中で、マクグラスは、「カトリック教会には将来があること、東方教会には将来はある、プロテスタントには将来がないものの、カリスマ派に将来があることが書いてあるが、これは、現状が変わらなかったそうなるという趣旨で、そのような趣旨の表現が記されている。

                 

                 この主旨の背景には、カトリックは19世紀には、ある種近代主義に背を向けたものの。第二バチカンで大胆な変化をしたことがある。そして、カトリック教会では、かなり大胆な変革したことがある。ところが、プロテスタントの主流派には、このままいくと将来がないように見える。特にヨーロッパの諸教会にに行くとそれは感じる。


                そこで、このシンポジウムでは、日本のプロテスタント教会に未来はあるか宗教改革では何を継承、なにを改革していくのか、ということについて議論していきたい。とはいうものの、ここでの合意事項は、神学論争はやめようということであり、個々個別の神学の違いについては、議論はしないことにしたい。

                 

                 まず、お一人5分でそれぞれのご発表に対して簡単にコメントをおねがいしたい。そして、日本のプロテスタントに未来があるのか、という視点からそれぞれご意見をお願いしたい

                 

                パネルディスカッションの模様

                 

                各パネラーのまとめとコメント

                正木校長(神戸ルーテル神学校)

                 正教会、カトリック等の伝統教派が存続する可能性が高いのは、教会が大事にしてきた伝承が教えていることを生かしていく仕組みがあると言いう側面があるといえるだろう。その意味で、ある面、教会が大事にしてきたアウグスブルグ信仰告白の内容を伝えていくことで、十分ではないか、といえると思う。

                 

                 み言葉が語られ、説教があるのなら、神の民が集まってくると私たちは考えている。ルター派では、神の法が支配する世界と、この世の領域、即ち、福音が語られる世界があり、そこでは人の法が支配する世界であり、教会内の政治組織やこの世の王国がそれにあたる。

                 

                 とはいえ、教会内で、こうでなければならないというときに福音そのものがゆがんでくるし、いろいろな面で、一定のフレキシビリティがないと教会には将来がないのではないだろうか。

                 

                吉田校長(神戸改革派神学校)
                このような企画は、二世代前なら考えられない企画である。ある種の危機意識があるということであろう。そして、現状をきちんと客観的に見ないとまずい状況になっているだろう。その意味で、現状を踏まえ、教派を超えた関係の構築をしていく必要があるのではないだろうか。

                 

                 これまで、相手のことを思い込みにより、知らないで批判をすることが多かったのではないだろうか。それと同じように、相手の話を聞かずに、伝道や牧会をしてきた面もないともいえない。それでは、伝道や牧会がうまくいかないことになるのではないだろうか。

                 

                 日本の教会に未来があるかということであるが、宗教改革そのものを考えると、宗教改革が起きたときには、カトリック内で、カウンターリフォメーションがおこり、トリエント公会議等が開かれた。現状を考えると、プロテスタント側に先んじて、第2バチカン公会議などが開かれていて、先行している印象がある。では、翻ってプロテスタントはどうするのか、というと現状、それぞれが模索していて解決策が見つからないという現状ではないだろうか。

                 

                 では、なぜ、カトリックと東方教会がこれからも生き延びるということに関しては、伝統をどう考えるかということに関しての問題と深くかかわっているだろう。ところで、ある意味で、キリスト教は伝統の上に成り立っている。新約聖書は、旧約聖書の延長上に乗っているし、聖書をはじめ、様々な伝統を継承している以上、伝統を切り離されたら、どこに行くかわからない危うさを持っているように思う。

                 

                 この2000年の伝統に立ってどうするのかを考えてい苦必要があるだろう。宗教改革以降は、このようなキリスト教の伝統が無視されてきた側面があり、歴史をどのように継承して、どのように発展させていくのか、ということが重要になるのであろう。

                 

                 また、このような斯くはそろっての企画は、東京では難しいというあたりも、日本全体の教会が考えるべき問題であるかもしれない。

                 

                坂井さん(神戸神学館)

                 プロテスタントの弱点として、歴史的な伝統の軽視があるのは、吉田校長の指摘の通りで、我々はその意味で、宗教改革の伝統を受け継ぐ、「聖書のみ」、「恵みのみ」、「万人祭司」という宗教改革の原点を大事にすべきであろう。

                 

                 現状の日本の教会の課題を考えるうえで、カトリックの取り組みには、重要な取り組みがあり、我々が学ぶべきことがある。それは、現代社会という世俗化、個人主義化の中での教会の対応である。とくに、個々人の自由や多様性が重視される中で、世俗化と個人主義が進んでいくことになる。これが進むと教会離れへとつながり、プロテスタント教会から人々が離れていくことになる。

                 

                 ところで、信仰の継承というめんでいくと、正教会、カトリック教会、プロテスタント教会の順になっていることが指摘されている。ある意味で、教会論をカトリックは大事にしていて、共同体性が強い。これに反して、個人から教会へというベクトルが改革派的な伝統であり、個々人の決心として教会が形成される構造になっている。その意味で、教会論がプロテスタントとして、今後の重要な課題になっているように思う。


                その意味で、教会とは何かということがあり、正教会的な立場は、全く教会を変える必要はないという立場であり、カトリックでは、社会の変化に対して、教会が一体として、対応するという立場である。ところが、プロテスタントはバラバラであり、多様性の中の一致を模索する感じであるといえるだろう。しかし、本来、各教派が、もうちょっと仲良くできるはずなのに、言葉尻をとらえ、その違いでもめている感じもないわけではない。もう少し、歩み寄ることができるのではないか。JCE6(日本伝道会議の神戸で開かれた会議)等はそれがよく表れていたであろう。

                 

                 また、教会は信徒の賜物(能力)をもう少し活用できるであろう。また、カトリックや正教会は聖伝があり核になるものがあるが、プロテスタントは実質としての何かがないと、危険になる可能性があり、いろいろ説明するものがあるが、内実がない場合もある。その面で、神への応答が重要であり、聖霊論的な強みを育てていくことが重要かもしれない。


                鎌野さん(関西聖書神学校校長)
                関西聖書神学校の背景はフリーチャーチ系の簡易信条系であるので、ある面、信仰告白がしっかりしているのはいいなぁ、と思う。なぜならば、次世代に何を伝えるのかを明確にしていることは非常に大事である。その意味で、リバイバリズムだけをやってきた教派は、個人が改心して終わってしまうというところに、ある種の弱さを感じている。

                 

                 現在の日本のプロテスタント教会の惨状は、次世代に何を残していくのか、という概念の部分の欠落であろう。その意味で、将来を持ちたいとしたら、自派の教会の歴史をもっと知ることが大事だろう。今回、ウェスレーが書いたものを読み直してみて、こういう問題を考えていたのだなぁ、ということがよくわかった。さらに、彼自身が悩んだことについて、ウェスレー自身が書いている一次資料にあたってみて、わかってきたこともある。そういう作業をやってみるというのは大事だと思う。そのような側面が自分たちには欠落していたように思う。さらに、教会の歴史を知り、改革者の思想を知るということは大事であろう。

                 

                 また、現状で、日本はミッションフィールドであるという認識は重要であり、社会の中で当たり前の様に教会があった大英帝国や北米植民地の中で、何かしようとしたウェスレーとはかなり違っているように思う。その意味で、日本ではウェスレーと同じ方法論は利用できないであろう。その意味で、どういう施策をし、思想を持ち、どのように実践することを考えていくことが大事なのではないだろうか。


                ウェスレーは、標準説教、聖書注解、賛美歌などをはじめ、次世代を育てるために一生懸命してきた人である。現在、改革派の神学校で日本人の先生方が書かれた本が出たのは、次の世代を整えるということでもあるのだろう。次世代をどう育てていくのか、というその意識を強烈に持っていくことが重要である。では何ができるか、ということを具体化していくことであろうし、その作業をしていかないと、日本のキリスト教には将来はないだろう。

                 

                 以上のようなことが語られた後、パネルディスカッションの本番に入っていった。

                 

                パネルディスカッションの概要

                 吉田氏は、教会のしるし み言葉の説教と礼典の執行ということをもう少し考えた方がよいのではないか、ということを指摘された。また、鎌野氏は、ウェスレーは、しぶしぶ行った教会で回心し、しぶしぶやった説教で人が救われるのを見て、説教の仕方を大きく変えていったことはきおくされるべきであり、その意味で、もっと自由さがあった方がいいかもしれないというして祈願された。さらに、坂井氏は、継承していくという側面と非連続な側面があるし、また、信徒の賜物を活かすという側面はもう少し考えられてもいいかもしれない、ということを指摘された。これに対して、鎌野氏は、信徒説教者という側面での活躍ということをもう少し考えてもいいかもしれない、と応答し、正木氏は、プロテスタンティズムというよりはムーブメントであり、このムーブメントがどう定着し、どうそのムーブメントが継続していくかということが重要であろう。また、これまで、仕組みがありきで、ムーブメントがあり、信徒運動があり宣教団体ができてきた経緯がある。それをどう考えるのか、ということが課題の一つであろう。

                 

                 他に出た意見としては、これまでは、とにかく伝道してから考えるということが取り組まれてきたといえよう。そして、伝道地において、教会が出来上がりつつある中で、神学が形成されてきた。また、信徒教育にあたるものとして、さらに、使徒職の継承者として牧師の存在があり、語るものと聞くものという構造ができてきた。さらに、万人祭司についてであるが、イスラエルは祭司の民ともいわれたけれども、職分としての祭司という存在がきちんとあったことは覚えておくべきだろう。その意味で、説教職という概念が保たれている教派ではあるけれども、信徒説教者の伝統はある。改革派でも信徒説教者を要請しようとする動きがあり、神戸改革派神学校でも、この春から2年間での養成コースをもうける。これは、ミッションフィールドを考えたときに必要性があるというところからの発想である。

                 

                 同じ改革派系であるとは言えども、改革派系教会の中でできにくい部分もある。その背景には、教職に対する要求度が高いという側面があり、聖書の原語で釈義でき、教会の教理を熟知した上での説教が求められていることもあるし、ある面、信徒が語ることを許さない雰囲気が教会内にある側面がある。カルヴァンは、家父長祭司ということを言っており、各家庭を導くのは家長としての父親であり、父親たちを訓練する存在として教会があり、家長が家庭を治め、語るという部分があり、そのことを通して信仰の継承をしてきた部分もある。

                 たしかに、教会で、一般人が語ることは許されなかった。ジュネーブでは教会で信徒が語ることは、なかったが、当時のユグノーのフランスの信者では語った人がいたようだ。ユグノーたちの間に牧師を派遣したが、信徒たちで礼拝を守らなければ行けない環境におかれたユグノーの社会では、信徒がみことばを解き明かすことはあったようだが、それは、限定的な状況の例外的な存在であった。

                 

                 

                コメントと質問

                その後、参加者からの質問やコメントが出された時間も持たれた。

                 

                ■老人をもっと使えば、どうだろうか、引退長老なのだが、引退長老をもっと生かしてほしい。老人伝道とか、孫伝道とかもあるのではないだろうか、という意見が出された。

                ■信仰継承の面で、幼児洗礼についてはどう考えるのだろうか。 

                 ルター派の考え方としては、洗礼に力があるということで、子供と一緒の礼拝に取り組む教会もある。改革派としては、小学校4年生くらいのころに、小教理問答集のようなことを教えていて、その中に、教理と生活のすべてが込められているので、それを小教理問答集を通して教えている。

                 フリーチャーチでは、拡声した人への洗礼という側面が強く、信者の洗礼を前提としており、献児式という、一種の疑似洗礼のようなこともするが、決定的な弱点としては、バプテスマではないので、そこに重さの違いがあるように思う。そして、大人になって洗礼を受けることになるので、その際の敷居の高さへとつながっている部分があるように思う。


                ■日本のプロテスタントの地方の教会では、無牧や兼牧という実態があるが、神学校の実体はどうなのだろうか。その実態をどう考えるか。そして、人口減少社会の中でのプロテスタントは残っているのだろうか、という思いもある。


                正木氏からは、個人的には、1%はチャンスだと思っている。これから増えていけるという希望がある。そもそも、み言葉の力があったのか。もちろん人口減少社会、高齢化という社会学的な要因もあるだろうが、欧米の教会が閑散としている中で、協力して成長するということは可能ではないだろうか。

                 

                 吉田氏は次のような趣旨のことを述べられたと主、無牧はチャンスかもしれない。牧師がすべきことのみを担当し、牧師がしなくてもよいことから牧師を開放する機械かもしれない。その意味で、牧師を支えるための教育に今取り組んでいるところである。牧師が本来業務以外のことをしているッことも多いのではないか。

                 

                 坂井氏からは、次のような趣旨のことが述べられた。兼牧の問題は、その教会に定住してない牧師の問題でもあり、その状況は、教職論を考えるきっかけになっている。我々は、あまりにも、社会的なものに動かされ過ぎているのかもしれないという側面がある。


                鎌野氏は、次のような趣旨のことを述べられた。昔は、100人規模で神学校に人がいたが今は10人前後で推移している。現在の変化部分のところだけを見過ぎるている傾向があるかもしれない。我々には、これまでに蓄積されたものがあることにも着目した方がいいかもしれない。微分だけで生きている。

                 

                ■世俗化の中で、霊性の劣化の問題があるように思うが、これに対して、どうしたらいいのか、ということはどう考えるのか。

                 
                非サクラメント化の問題があるだろう。洗礼、個人のデボーション等もあるが、告解や訓告の実質がない部分もあるし、また、それは、契約に対する警告の側面も必要だろう。また、信仰をもって、霊性の育成に向かっていくことの重要性なども指摘された。

                 

                 

                 

                個人的感想

                 日本のプロテスタント教会に将来はあるか、というかなり刺激的なテーマが掲げられたものの、将来があるという展望については、正直もてたか、というと、だめかもしれないという思いを確認して終わった感じであった。各教派、それぞれに悩みが深いのだ、ということだけはよくわかった。

                 

                 個人的には、信徒が相互牧会するキリスト者集団というか、キリスト教の組織の中で、信仰生活を長期間過ごしてきたものとしては、信徒が参加、関与するのは当たり前のことだと思っていた。それが普通でないことが最近分かりかけてきたところである。

                 

                て、何でも、かんでも、信徒が不安だからと牧師に頼るため、信徒が、牧師の仕事を勝手に増やしてきた側面もあるだろうし、また、宣教地であるがゆえに、信徒からの好印象を得ようとか、信徒の支援を期待して、牧師や説教者の側でも必要以上に仕事を増やしてきた側面もあるのではないか、と外部者として横目で見ている。そして、過去の前例に縛られて、あるいは過去の牧師の姿に縛られて、にっちもさっちも宗教改革という本来、ムーブメントであったものが固定されたり、新しい方向に進んでいかない教会の実情が図らずも生まれたのではないか、と思ってしまった。

                 

                さらに、一般参加者からの「老人や引退長老をもっと用いてほしい」という発言を聞いて、個人的には、非常に残念な思いを持ったことは正直に告白しておこう。現役でやりたい、生涯現役という理念をお持ちなのはわかるが、それは、残念な結果しか生み出さないのではないだろうか。

                 

                 なぜならば、高齢者の発言のプレゼンスが大きくなるなら、若い牧師は育たないし、常に高齢者のことを意識せずには牧会ができないことになる。さらに、高齢者のプレゼンスが大きくなるとすれば、若いがゆえに、経験もなく、その教会固有の伝統や知識を持ちえない、若い人たちが関与することがやりにくくなるような気がするし、現在の多くの日本の教会の現状を逆に肯定する方向を強化するだけではないだろうか。そのような自己の存在とこれまでの業績をすべて否定できるような、非常に柔軟な思考を持つ高齢者の方がどの程度あるのだろうか、という現実を思うと尚つらいように思う。

                 

                パネルディスカッションで思ったこと

                 今回、このパネルディスカッションを拝聴して、重要であると思ったことは、何らかの固定された枠組みと柔軟性が組み合わされることの重要性である。固定された枠組み(それはサクラメントの方法論でも、神学でも、教会歴でも、いわゆる教会の伝承でもかまわないとは思うが)は、人間に安定性と信頼できる何かがあるということの印象を与えるのであるように思う。それがなくなると、結局原点が定まらない原点すら変幻自在の状態空間の連続体、という、ある面の渦の中にいるような状態になるのではないか、とは思った。カトリックの場合、ミサと教会統治の仕組みというある程度固定された枠組みの中で、どのように現代社会に向かっていくのか、という面で自由さを確保しているところがあり、制度的にきちんと確立したものがあるからこその逸脱もありなのだとは思ったが、その辺、聴いている方々はどの程度理解されているのだろうか、という一抹の不安を覚えた。

                 

                日本では、伝統教派だってきついんですけど

                あと、今回、カトリックと正教会が今後とも存続可能性がある組織としてマクグラスが言及していることから、伝統教派のことにも触れられたが、今回のパネラーの方々で、どの程度これらの伝統教派の日本での実情をご存じなのだろうなぁ、という素朴な印象を持った。両者ともある面で、必死なのである。巡回司祭のところは多いし、一人でいくつもの教会とそこの信徒さんのお世話をしておられる司祭の方は少なくない。その中で、信徒たちの信仰をどのように支えるのかがカトリックでも、正教会でも、課題となっているし、信仰の継承も非常に厳しいという現実の姿があるのも、これまた現実のようである。

                 

                今行っている聖公会のチャペルというか、アングリカンのチャペルでお会いするカトリック教会の関係者の方のお話では、プロテスタントにつかれて、カトリック教会に来て、信徒になる方の中に、何でも司祭にしてもらいたがる傾向というのか、いいとこどりをしたいというような傾向が強い、という苦情とまではいかないが、愚痴のようなものを聞いたことがある。

                 

                日本人全体としての宗教的関与の薄さ

                 しかし、よくよく考えてみれば、これはプロテスタント崩れの問題ではなく、日本人全体としての信仰に対する対応の仕方の問題なのだろうと思う。何かは自分の人生の核となるものやメリットは与えてもらいタイ、ということはよく聞くのだけれども、主体的に共同体に関与したがることがないという。その意味で、葬式仏教と揶揄されることも多い仏教の現実の姿も日本人全体の反映なのだと思う。自ら修行し、悟りを開く、というような具体的な面倒を伴うことは避け、葬式でお経と線香をあげてもらい、それで悟りを開いたことにするために、葬式だけしてくれたらそれでよくって、現実的な定常的な関与はできれば避けたい、という歴史の中の諸断層の中で示されている現実がそこに横たわっている様な気がしてならない。そして、それは、愛隣地区のホームレスのおじ様方たちの「生きている間は、(その日生きて過ごすためのパンを配ってくれる)キリスト教で、死んだあとは(お葬式をあげて、こちらの努力とは関係なく成仏させくれる)仏教でお世話してもらいたい」という発言に現われているのかもしれない、と思う。

                 

                 そういう性質を持つ日本の人々に神のことばを伝える、まったく基礎ができてないところに、キリスト教の基礎を据えていくという努力をしていく必要があるという理解をしたうえで、どのように「キリストがこの地に来た」ということを伝えていくためには、イエスが行い、初代教会がやったように、具体的に貧者や病者をケアし、苦しむ人々と共にいるということを一人ではできないということを十分に認識しつつ、一人で抱えるのではなく、様々なキリスト教徒が入れ替わりたちかわりしながら、支えていくということを冒頓にするしかないのではないか、とロドニー・スタークの著作の翻訳などを読みながら思っている。

                 

                 我々は、直近の現実にあまりに振り回され過ぎということは事実だろうと思う。日本のキリスト教徒が本当にキリスト教に価値があると思うのなら、素朴に神を信頼しているのなら、神がなされるということを確信しているのであれば、自分たちがどうしたこうしたということに目を向けるのでなく、日本が高齢化しようが、日本の教会に若者がいなかろうが、それは関係ないのではないだろうか、とは思う。

                 

                 とはいえ、これまでのキリスト教が積み上げてきた資産の蓄積があるといい、そこに胡坐をかいて慢心するなら、その行く末は、従来型のビジネスにこだわり続けるあまり、結果としてシャッター通りと化した日本の少なくない商店街と同じ構造であり、そのような、慢心した商店街の商店が結局ビジネスを自主廃業して言ったのと同じ命運が待ち受けているのではないだろうか。歴史と伝承は、これまでの姿を墨守し、同じことを繰り返すことそのものに意義があるのではなく、歴史はこれからの社会をつくるために参照する対象としてあるということを、意識しておらえる神学校の先生方がおられることは、極めて心強かった。あとは、その薫陶を受ける神学生諸氏が、これから、どのように歴史とそれぞれの教派の伝承とに立ちつつ、現実社会と柔軟に向き合っていくことが重要なのだろうなぁ、とは思った。

                 

                 その意味で、藤本満さんが「歴史」という本を書かれ、それが出版されたことに、重要な意味があるのではないか、とは思う。

                 

                 あと最後にもう一つ思ったことを述べたい。どうせやるなら、福音派でくくられる人たちだけではなく、日本基督教団やら、カトリック教会や正教会の司祭やら、聖公会の関係者などをお招きしたら、もっと面白かったのに、と思った。今後やるなら、是非このタイプの企画をお考えいただいても、よいのではないか、ということを思った。それこそ、思い込みや、どこかで読んだ本をもとにして内輪で議論するのではなくまともに向き合ったらいいのに。

                 

                 

                以上で、連載は終わりである。

                 

                 

                 

                 

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                コメント:ホームレスのおじ様方に現われた日本の宗教への向き合い方がよく表れていたように思う。

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                コメント:キリスト教の原点という意味では忘れてはならないことが書いてあるように思う。

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                コメント:読み始めたばかりだが、面白い。

                2017.07.12 Wednesday

                神戸改革派神学校第41回 信徒夏期講座に行ってきた(2)

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                  音声ファイルダウンロード先

                  前回に引き続き、神戸神港教会で開催された神戸改革派神学校第41回信徒夏期講座で行われたウェスレーについての鎌野直人さんのご講演の内容を要約してご紹介してみたい。当日取得した現場で入力したメモに基づいているので、記述に関する間違いは、すべてミーちゃんはーちゃんにある。なお、この時の内容は、9月くらいには、改革派神学校の出版物として出版されるようであるので、より正確なそちらの出版物を詳しくはご覧いただきたい。

                   

                  ジョン・ウェスレーの神学

                  ウェスレーの信仰をまとめると、聖書を重視していたし、古典的キリスト教の枠組みである三位一体を重視していたという意味で、正統的なキリスト教であるといえるだろう。その中で特徴的なことを言えば、彼の経験と彼の働きが、当時放置されがちであった大衆を、どうキリスト教の物語と関与させるか。救いとその経験を体験させるのか、ということの体系化というか方法論を提起したところにあるといえるだろう。ウェスレーは、救いを神のかたちの回復と捉えている(ミーちゃんはーちゃんの注記 このあたりは、ギリシア正教会、ロシア正教会の影響かも知れない)。

                   

                  義認と聖化、聖化と成長 救済論がウェスレー神学の中心であるといえようが、聖化理解を重んじたのは、どうしたら、そこに行くのかという方法論が重要であると思ったからであるといえるだろう。

                   

                  ご講演中の鎌野さん

                   

                  ウェスレーの信仰義認と信仰の確証

                  信仰義認に関しては、聖マリア教会において、信仰による救いを述べている。標準説教という書籍の中で、いちばん最初の説教として記録されているものである。その意味で、神の恵みによる救いの大原則を述べているのである。その意味で、宗教改革のレガシーを受け継いで、それを18世紀のイングランドで示したのが、ウェスレーだといえるだろう。義認とは赦免であり、罪の赦しであるといっている。

                   

                  信仰とは何かについて、藤本満によると、「義認の信仰は神が義としてくださることに対する信頼」であるといっている。


                  ウェスレーへの批判 
                   ウェスレーは18世紀のイングランドという中で、論争(対話)をしながら神学をつくりあげていった人であるので、静思主義であったモラビア派からも批判されている。カルバン派からも、二重予定説ではないといわれている。なぜならば、人間側の応答の部分が入っているからであり、その意味で、人間側に関する条件付き予定説(ミーちゃんはーちゃん的注記 この辺がスコットランド常識哲学の影響)であるといえるだろう。

                   
                  プロテスタント内の戦い

                  ある面で、英国の18世紀のプロテスタント内の論争という感じがある中で、それにこたえる中でのウェスレーの考えは、圧倒的な先行的めぐみが存在し、この拒絶することができないような恵みが先行するが、人間側に自由意思があるということを考えたようだ。神の側からの強制的に恵みがあるがゆえに人間は目覚めることがある。不信仰な状態とは、霊的な感覚が覚めておらず、魂が眠っているような状態とりかいしている。そして、圧倒的な力を持った神のみ言葉が語られるときに眠りから目覚めるのだ、という理解である。つまり、神のことばによって、神に対して目覚め、神を知り、罪人であることを確信するようになる。そして、悔い改めが神のことばによって起きる、と理解していたようである。

                   

                  悔い改めと信仰は違うものとして理解しており、悔い改めにふさわしい実を結ぶ瞬間に関する記載が聖書にはない。悔い改めの実を結ぶことに関しては、信仰は間接的に必要であるものの、信仰そのものではないとしている。ただし、義認は信仰による者とされており、悔い改めには寄らないとしている。その意味で、最も中心にあるものは信仰であるが、悔い改めは重要である。

                   

                  義認に至る信仰について

                  では、義認に至る信仰はどうすれば与えられるか、ということを考える必要が出て来る。 プラグマティズム的な(ミーちゃんはーちゃん的注記 というよりはスコットランド常識哲学学派的な)態度から、考えられるようになった。その義認に至る信仰に至るためには、神が定めた外的な行為(メソディストの語源になったメソッド)として、祈れ、聖書の探求をせよ、黙想をせよ、聖餐式に与れとしているが、しかしながら、これらの恵みの手段は罪を贖わないことは明言している。

                   

                  「Scotland Common Philosophy」の画像検索結果

                  スコットランド常識哲学が大事にしたこと これを見ると、ウェスレーがなぜそうなったかは何となくわかるかも。

                   

                   恵みの手段を行う中で、神が先行的に人間のところにやってこられるということになり、そこで、あなたの信仰があなたを救ったと神が語られると理解されている。その意味で、人間と神との接点の最期のところでは一方的な神の語りかけを待つことになっている。そして、後継者たちに、信徒を育てること、できることをしなさい、といい続けた人である。

                   

                  ウェスレーの後期はカルヴァン派との対話に中心が移っており、人間の行動を重視することは不可避であった時代的背景もあるが、いわゆるカトリック的な功績や功徳による救いということについては反論している。 


                  信仰の確証の話の話に関しては、オックスフォードのホーリークラブでの経験に基づいており、義認は聖化に基づいて将来与えられる者としており、聖化があって義認があるという理解である。この背景には、モラビア派と出会った経験の中で、ルター派の理解と出会ったことがあると思われる。特に、モラビア派の指導者からは、説教しろといわれている。そして、死刑囚などにウェスレーは説教していくことになる。

                   

                  自分自身に起きる前に改心を語ったウェスレー

                   ウェスレーは、改心経験を経験する前に語り、それが目の前で起きたのである。それがアルダスゲートの1ヶ月前のことであり、この回心経験は弟のチャールズが先に経験している。回心経験は、信仰の確信が与えられる経験出もあった。神への確信と信仰を経験し、その回心による信仰の確証を求めたといえるだろう。その意味で、信仰の確証の教理を考えたのが。ウェスレーであったといえるだろう。

                   

                  「Aldersgate Church London Wesley」の画像検索結果

                  ウェスレーに関する銘板

                  https://jamespedlar.wordpress.com/2011/05/21/four-john-wesley-quotes-everyone-should-know/ から

                   

                   モラビア派の影響としては、ルターの神の恵みの理解と自分の内に確証があるか、と聞くようなドイツ敬虔主義の伝統からの問いがあり、その結果として、信仰の確証の教理へとつながっているようである。信仰の確証があるのか、ということの問いかけが重要であると考えた。その結果として、そもそも御霊の実を証しすることが重要であると考えるようになったが、それは、特異な感情体験でも神秘体験でもない御霊の証しが必要であるとしている。それは、信仰を通して神の証しであるとしている。そして、御霊の実なしに与えられた確証は消えていくことがあるので、御霊が与えられて、御霊の実が生まれるという理解することができるだろう。

                   

                   その意味で、聖霊により自覚することが重要であり、御霊の実から自意識が生まれ、信仰の確証が客観的にも確認されることになるという理解である。では、客観敵に確認されることとは何かというと、過去の罪を悔い改めること、神性への変容があること、御霊の実が存在すること、などである。

                   

                  このような理解に至った背景としては、信徒説教者が背景にあることは覚えておくべきであろう。救われたかどうかというのは、神とその本人以外わからないのであるが、とは言え、何らかの形で、信仰の確証がないとまずいということになる。そこをどうするのか、ということの対応として、信仰の確証としての証という概念が出てきたのである。


                  なお、当時のイングランドは階級意識(今でもかなり残っている)が明白な社会であり、その中で、神の子であることの証しは階級意識に相当衝撃を与えたのであり、社会のある種の平準化へとつながっていく側面を持った。(ミは氏注 そして、その先に信徒伝道者ということが見られたのではないだろうか。それを一層突き詰めていくのが、この約半世紀後くらいのプリマス・ブラザレンという運動体連合である)。その意味で、ある種、社会にとって、ガラテヤ書で指摘されているようなことが起きたわけで、それと同じようなインパクトを英国社会において起こしたといえるのではないだろうか。

                   

                  ウェスレーの現代的意義

                  3つ現代的意義を考えてみたい。

                  〇代の中で、議論の中で教義生み出していったウェスレー
                  ウェスレーは、18世紀イングランドの人であり、現代の日本人とは相当距離があることをいつも深く覚えるところであるが、ウェスレーはその当時の議論の中で、教理や教義を生み出していったとはいえる。そして、他者と議論をすると、ある面での強調点が出てくる。これは、ある面で避けがたいことであり、その意味でも、ウェスレーにもひずみがあったのであり、現代日本の社会にとっては、限界があるとは言えるだろう。

                   

                  ◆(_擦離ぅ鵐僖トが全人格的であり、全社会的なものである

                  福音のインパクトが、個人の生活のあすべての面でに現われるものであることを主張した。信仰とは、知的な理解でもなく感情による理解でもなく、体を使うことすらも信仰者の形成に影響するという点を指摘した。その意味で、福音の広がりは果てしない広さを持っていた理解を提示したのである。

                   

                  信仰を、感情的、実際的なものであると理解すると、間違てていくことにつながるのであり、福音が持つ非常に大きな幅広さとその幅広いものに対するインパクトの広がりがあることを学ぶべきであろう。

                   

                  信徒説教者の育成

                   ある面で、野外集会での説教者が説教するということを前提とした、信徒説教者であり、彼らの必要のために、標準説教を書き印刷し、新約聖書の注解を書き、賛美歌を作成していったのである。その意味で、伝道者養成者の手段、メソッドを構築したのである。そして、連続説教などは、信徒説教者の養成の手段であったということは忘れられてはならないだろう。


                  現代的意義から言えば、職制としての牧師像が求められているのであり、もっと深く、教会史、教理史を学んでいくことがもとめられているように思われる。その中で、信徒説教者と牧師が違うものなのか、これらの役割とは何かということを明らかにし、この両者の間のバランスを取っていくことが現代的な課題であろう。

                   

                  ウェスレーが実施しようとしたのは、牧師しかいない社会の中で信徒説教者の確立であることを考えるならば、自派の神学校に於いての神学校教育とは何か、何を目指すべきなのか、ということは考えさせられている。

                   

                  ミーちゃんはーちゃん的感想

                  特に神の恵みに預かる手段としてのサクラメント論の話を聞いたときには、あれ、今のアングリカン/コミュニオンの教会とどう違うのだろうか、と思ったのは、正直な話である。ほとんど毎週チャペルで聞いていることや式文を読みながら思うことと、ほとんど差がないので、あぁ、やはり、アングリカンであろうとしたし、アングリカンの式文で育てられたウェスレー先輩の思いを感じた。

                   

                  野外伝道は当時の有効な方法論だったかも

                  あと、ここでも少し言われているが、結局、社会全体にキリスト教が行き渡っている18世紀のブリテン島やある程度行き渡っているアメリカなどでは、確かに、信仰的に眠っている人々を覚醒させるタイプのリバイバル運動は有効だけど、未だ宣教地である日本で、ウェスレーがやったのと同じことをしたところで、その効果は限定的であろうという、講演者の鎌野さんが反省的におっしゃっておられることが非常に印象的であったし、個人的にはそれはそうだろうと思う。ちょうど、今の日本は、初期のウェスレーがネイティブアメリカン伝道に失敗して、失意の中に落ち込んでいく状態とよく似ているのかもしれない、と思う。まぁ、ウェスレーの神学的思惟が未熟であった部分もあるのだろうが、そもそも論として、文化背景と思想背景と、精神世界が違う世界に別の概念を持ち込むのは、非常にめんどくさいことなのである。

                   

                  もし、それが未だに重要なら、現代の日本においても路傍伝道や天幕伝道は有効で、人は山ほど集まっているはずだが、現実はそうは行かない。外国人タレントよろしく「なんとか・グラハ△」連れてきたところで、誰やそれである。それよりかは、ジャスティン・ビーバーやレディー・ガガ、あるいは、中国人留学生にやたらと人気があるらしいBig Bangやジャニーズのアイドルコンサートなんかなら、まだ参加者がお金を払っても人は集まるが、「なんとか・グラハ△」では、キリスト教徒のごく一部は自分でお金を払い、時間を使って集まるか知らないが、それ以外の人にとっては、もはや「誰や、それ?」の世界であろう。時代はそうなってしまっているのに、「(自分たちの間では)大変有名な、海外からの説教者の聖書の話があります」では、あまりありがたくないし、それで、自分の時間を使い、自腹を切ってそういうところに行ってみようという気になるか、といわれたら、多くの人はならないような気がする。

                   

                  最近、エホバたんのみなさんが、我が家がガチ勢のキリスト教関係者がいるのを知ってか知らずか、「キリスト教の聖書のお話があるので、よろしかったら…」というご案内を月に一度くらいくださるが、食指が全く動かない以上に、世間の人は、いかにエホバたんのみなさんがご尽力の限りを尽くしても、食指は動かないどころか、よほど人間関係に飢えている方でない限り、いったりはしないだろう。

                   

                  もともと、メソディスト派の信徒伝道者が実施してきたような、伝道とはどんなものだったか、と考えてみると、小さな田舎で変わったことが何もなくて、人々が退屈しきっているような開拓地域や農村地域、炭鉱地域の中で、非日常性を持ったイベントをすることで、信仰的には、眠っていた人々に対して、聖書を面白おかしく、インパクトを持って語るイベントを開催する形でのイベント動員型の伝道方法であったように思う。しかし、今は、田舎に行こうが、どこに行こうが、スマートフォンがあり、Wi-Fiがあり、電車の中でも、Wi-Fiがつながる時代であり、人々が退屈している暇がない時代に、プチイベント型の伝道方法はすでに無効化しているように個人的には思えるのだ。

                   

                  現代の人々は、退屈している暇はないのである。

                   

                  発展途上国時代のアメリカ合衆国に適合的だったウェスレーの神学

                  ウェスレーは、標準説教というミーちゃんはーちゃんにとってみればある種の説教作成の参考書、あるいは、テンプレート集、マニュアル本、虎の巻を作り、さらに、説教に困った時に確認できる参考書として注解書、略解を作り、そして、最後に、人々の心に訴えるための最終手段としての讃美歌集を作った、ということは、とりあえず、何でも自分たちでやらざるを得ない、発展途上国的な体質を持っていたアメリカ合衆国には、向いていた方法論、実に適合的な方法論であったと思う。

                   

                  なんとなく人々が聖書のことやキリスト教徒であるということは知りつつも、田舎の開拓地に住み、人里離れたところに開拓農民として、てんでバラバラに居住している中で、どうすれば信仰生活を守れるか、ということを考えた場合、せめて、巡回説教者がその薄く広く居住する人々を回って、聖書に従って生きるというウェスレーのような方法は、実に適合的であったのだと思う。これは、ハイチャーチ的英国国教会的な教会(来るなら、この日に聖餐式をやっておるから来てみろ、という態度がなんとなくちょっぴり匂う)にはできないことであった。その意味で、人々の間に出ていき、神の平和を伝える、ということをやったから、リバイバルが起きたのである。今の日本とは、根本的に違うのである。まさに、アングリカンの式文をどう具体的に行動に落とすか、というモデルを提示することをやったのが、ウェスレーだったのかもしれない、と思う。しかし、その末裔の教会の一部が、人々の間に出ていくことをせず、教会からはチラシとかの形で出ていくものの、最終的には「教会に来い」というハイチャーチ系の意識というか感覚を感じるところに、なんだかなぁ、と思ってしまう。

                   

                  その意味で、こちらの系譜に属される皆さんは、礼拝の最後にある祝祷ないし、派遣の言葉をどのように受け止めておられるのかを、牧師先生ではなく、信徒さんに対して、全数調査をかけて聞いてみたい、という欲望がふつふつと起きてしょうがない。案外、神社の祝詞(のりと)の別物で、自分たちが幸せに生きられるようにということを願う締めの言葉くらいにしか思っておられない方も少なくはないかもしれない。但し、ガチ勢は除く。

                   

                  現代ならウェスレーはどうしていただろうか

                  一時期WWJDという標語(イエスが現代に生きているとしたらどうしただろうか?)というのが福音派の若い信徒の間で流行したことがあるが、ウェスレーが現代に生きていたとして、どのような伝道方法をとっただろうか、と考えると、信徒伝道者を育成するということを考えただろうか、というと違ったような気もする。もうちょっと、インターネットの世界をうまく取り組んだんじゃないかなぁ、と思ったりもする。その意味で、インマヌエル総合伝道団の最近のネット関係の取り組みは、ウェスレヤンらしいなぁ、とは思う。

                   

                  ウェスレーが、「聖餐に与れ、それは神の恵みを味わう手段である」といっている、ということを今回のご講演で知った。しかし、この数年の間に、いくつか、ウェスレー系であると標榜しておられる教会に行っては見たのだが、聖餐を毎週しているところは行ってみた範囲(5教会だけでしかないが)では、いずれも毎週聖餐はしておられないようであった。その意味で、ウェスレー系といいつつも、やはり日本に来たウェスレー派は、そもそもウェスレーが言ったことをどこまで重視しているのか、と正直、聖餐マニアのミーちゃんはーちゃんとしては、疑問に思ってしまった。その意味で、日本かアメリカで独自に発展してきたウェスレーは、というのが正確なところなのかもしれない。

                   

                  N.T.ライトが、どこかの本(邦訳未刊)で、日本が西洋化、いわゆる近代化しながらも、それと相矛盾することなく、神道の神社などの独自の精神世界というか、霊性の世界を持っていることを言及しているが、日本の精神世界というか霊性の世界が確固としてある現場では、当時のハイチャーチ的な一般人には相当考えないと意味がわからないような表現しかなされなかったであろう国教会的な精神世界や霊性の理解の意味に十分気が付いていない、信仰的に眠っている状態にある人人を覚醒(リバイバル)させ、生き生きとさせるということなのであったが、リバイバルとかいうと、文化財に香わしい匂いのする油をかけて回る一部の不心得者のことがイメージされるのが、残念でならない。

                   

                  そして、日本のリバイバルを、というのなら、ミッションスクールの関係者とか、過去、教会に行って話を聞いた人とか、お一人様クリスチャンとか、日曜学校に通っていた人とかを対象にしてのリバイバルであって、別の精神世界を持つ人々への伝道ではないと思うし、その為であれば、ウェスレーは別のアプローチをしたんじゃないか、と思った。

                   

                  それと、最後に、道後公園中で、「藤本満によると」という言葉が頻発していて、ことあるたびに藤本満先生のお名前がでており、「僕が言ってるんじゃないからね」光線を出しておられたのが印象的であった。

                   

                   

                  次回は、パネルディスカッション篇である。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  2017.07.10 Monday

                  神戸改革派神学校第41回 信徒夏期講座に行ってきた(1)

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                    2017年7月8日に阪急六甲近くの神港教会で、第41回信徒夏期講座が開催されていたので、参加してきた。朝一番、9時から鎌野直人さんによる「ウェスレーの今日的意義」というタイトルのもとでの講演会の参加記録の前半部分である。この参加記録は、当日その場でメモを取ったものを基本にしているために、もし誤謬があるとすれば、全て記録者のミーちゃんはーちゃんに帰されるものであることを最初にお断りしておく。

                     

                    ウェスレーという存在

                    ウェスレーについて表現しようとしてみると、18世紀のイングランドで、ルターからの影響を強く受け、カルバンとの対話をした人であるといえるのではないだろうか。今日は、ジョン・ウェスレーをあまり御存じない方向けに基本的なことをお話していきたい。

                     

                     

                    青山学院大学の入り口のビルにくっついているウェスレーの銅像

                     

                    ジョン・ウェスレーは知らなくても、賛美歌作家として知られた、チャールズ・ウェスレーの讃美歌を通して皆さんはご存じであろうし、その意味で、皆さんのキリスト教の理解にも、ジョン・ウェスレーとメソディストは、何らかの影響を与えている。

                     

                     

                     

                     

                    ウェスレーの背景

                    ウェスレーの両親、サミュエルとスザンナは、非国教会派(当時、英国で、国教会関係者でないことで冷や飯を食わされていたNon Conformistと呼ばれる)からの国教会への転向組であり、弟のチャールズと兄のチャールズウェスレーがOxford大学でのホーリークラブと呼ばれる小グループに参加し、その後、父親と一緒に宣教師として、当時の植民地の北米のジョージア(グルジア)で伝道誌に行ったのだが、原住民伝道を試みたがいろいろなことがあり、2年くらいで挫折して撤退する。モラビア派から影響を受けるのであるが、モラビア派の人々と出会ったのがジョージアへ行く途中であった。帰国後、ピーター・ベーラ(モラビア派の指導者)とあった後、アルダスゲート事件(ウェスレーの信仰覚醒事件)が起きる。その後、炭鉱町であったブリストルで伝道(信仰復興運動)をはじめ、生涯に36万キロの伝道旅行(主に乗馬で)と4万回以上の説教をしたといわれる。

                     

                     

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                    ピーター・ベーラ Peter Boehler 

                     

                     

                    馬の背に乗り説教するウェスレー

                    https://www.pinterest.jp/pin/520517669403776920/ から

                     

                    最初の段階では、信徒の組織化を行っている。信徒の組織であるソサエティを整備、後にソサエティが大規模化(大きいものでは1000人規模に達した)する中で、12人の小グループからなる組会制度をつくりあげた。そして、モラビア派との分離し、カルヴァン主義との分離が予定論論争のかたちで起き、また、当初は行動を共にしていた、大衆説教者として有名なジョージ・ホィットフィールドとの分離をすることになる。クリスチャン・ライブラリの執筆を行い、その後、『キリスト者の完全』という書籍を出版し、それをめぐって、『キリスト者の完全』論争をしていく中で、標準教理の成立へとつながっている。

                     

                    そして、当時植民地であった、北アメリカに説教者を送り出し、18世紀を生き抜いた人出もあり、イングランドの宗教改革後の安定に向かって言った時代、名誉革命後の時代の人である。ウェスレーは、国教会の中で生きた人であるが、英国国教会は、中道VIA MEDIAの教会であり、39宗教箇条の順守が強く求められるという正当教理を重んじる社会の中で生きた人である。

                     

                    その意味で、国教会のリバイバル運動を行ったといえるし、ソサイェティとか、現在も英国でキリスト教書にかかわる出版事業を行っているSPCKが生まれたのがウェスレーの時期の直前であった。ジョン・ウェスレーの直前の時代には、ウェスレーにも思想的に影響を与えた、ジョン・ロックやニュートンの時代の直後の時代であり、産業革命が動いている時代であった哲学者のヒュームと同時代人である。

                     

                    ヒューム(スコットランド常識哲学の哲学者の一人)

                     

                     

                    先に産業革命ということに触れたが、その産業革命の中で、特に炭鉱労働者を中心とした、劣悪な民衆に説教をする中で、彼らの悲惨なの生活をみて、その困窮や、それらの人々の霊的なニーズに、対応しようと考えている。ジョン・ウェスレーの人生の後半では、ウィルバーフォースの奴隷解放運動が始まっていたころ、ウェスレーは奴隷解放運動を支援していた。その時代の北米では、ジョナサン・エドワーズのリバイバル運動の最中であったし、時期的にはアメリカの独立戦争につながる、ボストン・ティー・パーティ事件のころであった。どんなことをしていたのだろうか。

                     

                     

                    関連画像

                    当時の炭鉱での児童労働者の様子

                    http://medievalchildren.blogspot.jp/2013/10/children-in-18th-century.html より

                     

                     

                    Boston Tea Partyを歌に乗せて説明する動画

                     

                     

                    アラスカのティーパーティだと思ってたら、Tea Party(紅茶党)から大統領選挙に出たサラ・ペイリン氏

                    http://edition.cnn.com/2011/09/12/living/don-lemon-sarah-palin-transformation/index.html から

                     

                     

                     

                    ウェスレーが力を入れた3つのこと

                     ウェスレーが力を入れたことに3つのことがある。伝道、組織化(組会)、社会福祉であるといえよう。


                    伝道

                     まず、伝道の側面でいば、ウェスレーはハイチャーチ派であったが、アルダスゲートは、体験を重んじたため、当時の国教会からは、熱狂主義と批判され追い出されていくことになる。1739年にウェスレーは、有名な、「世界は自分の教区」という表現をしているが、それは、当時の国教会の牧師が、教区でしか説教してはいけない規則担っていたことの反映でもあり、ウェスレーは、大学にいたことを口実に、あちこちへと伝道していた。


                    特に、野外伝道をすることで、国教会から反発をすることになる。ブリストルという炭鉱の町で説教した時、3000人の前で野外説教をしたのであるが、そこで、人が救われる経験である回心が多くの人々に起き、リバイバルが起きたのを目の前で見てしまった。

                     

                     

                    関連画像

                    Bristolで宣教するジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレー

                    http://www.alamy.com/stock-photo/john-wesley-preaching.html から

                     

                     

                     ウェスレーが派遣した神と伝道者たちは、礼拝堂でない建物で、説教した。そして、その信徒説教者の養成にこころ砕いた人でもあった。1761年に、サザンクロスビーという女性説教者を任職しているが、男性と同じ説教者として登用していった。

                     巡回伝道者と牧会者は違うとして、当時の国教会が、手を出さなかった人々、手がとどなかった人々に対応する形で、伝道活動を広げていったといえるだろう。牧師や司祭を祭司的存在と考えれば、信徒伝道者は、預言者的存在であり、制度的な仕事などに携わらないものである。


                    ウェスレーのことで問題になったのは、職制の問題と信仰の確証をどう見るのか、という問題になる(アングリカンでは、信仰の確証は、主教の確認が必要であることになっているらしい。堅信礼を受けるための必須の要素らしいが、神戸教区の主教選挙が何だかだったということもあり、将来どうするか、まだ未定なので、ミーちゃんはーちゃんは個人的な状況としては、ほっぽっている状態のまま、現在の教会に出没している)。

                     

                    この信徒伝道者を育てるために、年会を開き、メソディストとは何か、を共有するために、議事録を作り、また、ある程度の人数で、4半期に一度集まって情報交換や相互の支援をした。

                     

                    信徒伝道者を育てるために、標準説教を作成し、新約聖書の略註を書き、賛美歌集を作り、これらから学んで説教ができるようにした。

                     

                     

                    組会
                    ソサイエティというのは、国教会の中の小教会という位置付けであったが、後にソサエティの巨大化が起こり、それでは、信徒の相互支援もうまくいかないので、12人単位の組会に切り替えた。

                     ソサエティの加入条件は、4つあり、(1)すべての罪(害)を避けること、(2)あらゆる種類の善を行うこと(3)神の定められた恵みの手段をすべての活用すること(4)入会時の「救われたい」という願望が真実であることが証され続けなければならないという条件であった。

                     

                     組会が形成されたのは、霊的成長には共同体性が必要であるということを分かっていたからであろう。このソサエティに対して指導的な支援をする選抜ソサエティというものもつくられていった。

                     

                     ここで、昨年神戸で開かれたJCE6では、インマヌエルの岩上Srさんがウェスレーの影響もあってか、その組織構造をまねたサーバント制度を持ち込んでいたのである。(楽屋話だった…w)


                    社会福祉
                    もともと、ウェスレー自身は、あまり興味はなかった野であるが、オックスフォードでホーリークラブをやる中で、刑務所伝道、病人伝道等をはじめとしたことがなされることに参加し、これがのちに持ち込まれ、さらに、婦人失業者のための労働機会の提供、貧困者子弟への教育、無料診療所を作り、電気式治療、正しいダイエット等へと拡張されていくことになる。

                     

                     

                    「Oxford Holy Club」の画像検索結果

                    Oxford Holy Clubでのジョンウェスレー

                    http://addpastor.blogspot.jp/2012/09/sermon-series-going-back-to-camp.html から

                     


                    特に、炭鉱伝道する中で、その貧しさをみるなかで、それを助けたいという思いに至った。それは、初代教会の復興をしたいという中から生まれたもので、使徒行伝のあの時代、相互愛、持ち物の共有 国教会の伝統とペンテコステの時代に戻牢とする中から出てきたものである。病人訪問にしても、訪問者の徳の成長にもつながり、信者が同情と愛に満ちあふれたものになることから、生まれたものである。また、教育を行うなら、人間が原初の神のかたちに状態に戻ることに寄与できるという概念から教育に力を入れ、教育を通して、悪しきものから善きものに変容を助けるという概念からであった。

                     

                     ところで、国教会の司祭は、当時の村(教区 パリッシュ)でのインテリであり、司祭は医療者としての役割りも求められ、当時の司祭教育には、薬学なども含まれた。ウェスレーにとっては、霊的健康にも肉体的原因が影響すると考え、霊的健康も重要であるとして、社会的なものにも邁進していったという側面があるだろう。

                     

                     

                    あまりにも長くなりそうなので、いったんここまでにします。

                    次回 ウェスレーの神学的特徴 へと続く

                     

                    2017.07.08 Saturday

                    朝の連続ドラマ「ひよっこ」とビートルズとN.T.ライト

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                      先月から、主催しているナウエン研究会で、N.T.Wrightという人のSimply Jesusという本を英文で読む会に切り替えて、読み始めた。先月は、Prefaceをやって、今月から、1章を読み始めたのだが、それを読み始めたときに、ふと、気がついたことを少し書いてみたい。

                       

                      ビートルズが起こした大騒ぎ

                      個人的には、見るともなく、とぎれとぎれに見ているNHKの朝の連続ドラマ「ひよっこ」では、この2週間くらい、日本にビートルズが来る騒動についてのシーンで溢れている。ちょうど、ビートルズが来日した頃に生まれたので、その熱狂はライブでは知らない。しかし、昔のニュース映像を見ていたり、朝の連続ドラマに表現された、ビートルズの来日の頃の騒ぎの描かれ方を見ていると、国民的なお祭りというか、大騒ぎだったのだろうとは、容易に想像がつく。あの頃は、結構日本でも学生運動が盛んだったり、大衆運動が盛んだったりした時代であった。

                       

                       

                      ビートルズ来日を伝える毎日ニュース

                       

                      しかし、ビートルズが乗っているキャデラックが、あの当時はやった、宇宙的な何かをイメージさせるでっかいリアフィンが特徴的な流線型デザインのキャデラックというのが時代を感じさせる。このキャデラックのようなデザインの未来イメージが以下の動画でのJetsonの自家用車にも採用されている。ビートルズが乗っていたキャデラックも、Jetsonの自家用車も、今日的な感覚で見たら、妙にノスタルジックな感じだが、当時は、この手のデザインが時代の最先端、そして未来的なデザインであったのである。

                      1960年代頃の未来社会を描いたアメリカのアニメ Jetson

                       

                      しかし、こう書きながら、思うのだが、なぜ、イギリスのアイドルであるビートルズが乗車したのが、ローバーやアストン・マーティンやジャギュア(ジャガー)やロールス・ロイスではなく、流線型デザインのキャデラックであるのかは、ちょっと謎いが。まぁ、ビートルズは、アメリカのアイドルであったのであろうし、日本人にとっては、当時から、海外といえばアメリカであると相場が決まっていたからなのかもしれない。

                       

                       

                      安田講堂事件を伝える映像(1969年)

                       

                      数年前、今70歳前後になろうとするJ Aの職員さんと共同論文の連名者になってもらったことがあって、東京大学の農学部で発表すると言ったら、その職員さんの目ががぜん輝いて、ぜひ、東京に行きたいとのたまった。そんなお忙しいですし、来られなくてもいいですよ、と申し上げたのだが、ぜひご一緒したい、とおっしゃられた。

                       

                      「えー、なんで」とは思ったのだが、結局ご一緒した。学会のお昼休みの時間に、東大の構内を案内してほしい、と言われたので、知り合いのいる工学部キャンパスが面白いか、と思ったのだが、「安田講堂に連れて行ってくれ」と言われ、安田講堂前にご案内し、三四郎池の方向から、安田講堂をバックに写真まで取るというお登さん的な行動をとらされてしまった。後で聞くと、東大と聞いた時から、若い日の熱狂の日々があそこにあった、という。大学には行かれなかった方であるが、同時代人として、いまだに記憶に焼き付いて離れないらしい。

                       

                       

                      安田講堂事件にしても、ビートルズにしても、ある種の大衆運動であった。しかし、その後、目立ったかたちでの大衆運動は日本では起きていない。多くの人々が何か一つのこと、あるグループの人々、ある種のことを国民全部がとは言わないが、時代を共有する人々のかなりの部分が、まとまって熱狂的になるということはない。まぁ、このある種の国民的な熱気が太平洋戦争に突き進ませた反省が、ある程度日本における社会に定着したからなのか、社会という集団意識が崩壊して、近代社会や、大衆社会が勝手に幕を下ろしてしまったからかどうかは、よく知らない。いま、現在の日本社会で、そのような大衆の熱気、一種の暑苦しさみたいなものがあるか、と言われたら、どうだろう。あまりそれを感じられる人は、そうたくさんは、おられないのではないだろうか。

                       

                       

                       

                      「ひよっこ」の時代

                      「ひよっこ」の時代は、「坂の上の雲」をつかもうとして、日本の人々が「坂の上の雲」を追っかけていた最後の時代なのかもしれない。1970年台にはオイルショックやらニクソンショックやらで、日本経済は大変悲惨な目に合うが、1980年台には、ぼちぼちジャパン・アズ・ナンバーワン論が台頭し始め、人々はバブル経済という怪しげな熱気に包まれていく。経済的には株や土地といった資産の買い占めに老いも若きも血道を上げることになる。とは言え、社会運動的には、1960年代的な大衆の熱気みたいなものは、あまりなかったようなきがする。
                       

                       

                      1960年当時の茨城が舞台になったひよっこ

                      https://dorama9.com/2017/02/18/post-4054/から

                       

                      あったとすれば、ジュリアナ東京のお姉さんくらいだったかもしれない。いま、それを懐かしく再現しているお笑い芸人が平野ノラ嬢である。今見れば、先程の流線型デザインのキャデラックも妙な感じがするが、聴くところによれば、当時のジュリアナ東京には、あの平野ノラさんがカリカルチュアライズしているタイプの女性が溢れていたらしく、お立ち台で踊ることが流行していたらしい。なぜだかは知らないが。


                      平野ノラさん

                       

                      当時のジュリアナ東京の様子 https://www.flickr.com/photos/jameswy_wang/2842648029

                       

                       

                      大衆文化みたいなものが本当にあるかどうかは別として、今は、人々があるできごとを巡って熱狂しなくなった社会である。しかし、1960年台は、まだそんな時代では日本もブリテン島もそんなことはなく、人々はあるときには、熱狂を見せたのである。

                       

                       

                      ビートルズを迎える当時の若きヒステリカルと形容されたブリトン人たちの模様

                       

                       

                       

                      さて、以上は伏線である。伏線が長いと言うなかれ。今の1990年台後半生まれのお若い方々には、この感覚は皆無であることは、日常生活で今の学生諸氏とお付き合いしていて、いたいほどわかる。
                      N.T.ライトのシンプリー・ジーザス と 当時のポップス
                      それで、N.T.ライトのシンプリー・クリスチャンのオープニングの章を英文で読んで気が付いたことである。この章では、ライトさんが、ジーザス・クライスト・スーパースターという音楽が当時のイギリス社会、そして、ライトさんに、イエスとは何者であるか、イエスをどう捉えるか(この辺が色濃く反映された邦訳されているライトさんの書いたものでは、『新約聖書と神の民』であるが・・・)を考えさせたということが、このオープニングのところで書かれている。

                       

                      和文で読んだときにはあまり感じなかったのだが、英文で、先日この文章を読んだときには、あぁ、これ、1960年代的なビートルズや、ジーザス・クライスト・スーパースターが持った熱狂を下に引いているかもしれない、とかなり強く感じ、気がついたのであった。なぜ、和文では感じず、英文で感じたかは謎であるが、おそらく、このあたりの文章が韻を踏み、音楽がテーマになっていることに気がついたからかもしれない。
                      The Crowd went wild as he got near.  This was the moment they'd been waiting for. All the old songs came flooding back, and they were singing, chanting, cheering, and laughing.  At last their dreams were going to come true.
                      (Simply Jesus, p.1)

                       

                      彼が近づいてくるに連れ群衆は、ますます熱狂していった。これこそ彼らが待ち望んでいた瞬間だった。人々は古くから愛誦されてきたあらゆる歌を口ずさみ、喜び祝った。とうとう彼らの夢がかなう時が来たのだ。(シンプリー・ジーザス p.17)
                      なぜ、日本語で読んだときには、ビートルズが思い浮かばなかったのかはわからないが、とにかく浮かばなかった。英語で読んだときには、1971年という語がなぜか記憶に残り、あぁ、そういえば、60年代から70年代は、ということに思いがいたり、あの時代は大衆の熱気があったし、その当時の社会を生きた人々にとって、ある種、歌を歌うということは、非常に重要だ、ということに気が付いたのだ。そういえば、ひよっこでも、今は流行らなくなって久しい、ロシア民謡をコーラスで歌う(今では信じられないことであるが)ということが流行った。

                       

                      この分野で有名なグループがいくつかあるがダーク・ダックスや、ボニー・ジャックスというグループがある。


                       

                      なんで、当時持ち込まれたコーラスの楽曲が、ロシア民謡だったのかはわからないが、当時の若者文化の中に、なんとはなく、マルクス・レーニン主義思想がなんかかっこいいというわけのわからない思い込みがあり、それとともに、ロシアのフォークソングが持ち込まれたのかもしれない。しかし、なんで以下のような美しく荘重なロシアの讃美歌が日本で知られてないのだろうか、と思う。残念でならない。

                       

                       

                       

                      1960年代という時代の風景

                      余談はさておき、NHKの朝の連続ドラマは、人々が熱狂していた時代を、いや、人々が熱狂できた時代を、ノスタルジックに美しく描いて見せている。ところで、現実はそんなに美しくはなかったことは想像がつく。大体街や人出の多いお祭りのときには、まだ白い服を着た傷痍軍人の姿が時折見かけられ、主要路線では電化が進んでいるとは言うもののまだ、ディーゼル機関車も少なく蒸気機関車が現役であった時代である。

                       

                      山梨県で撮影された傷痍軍人 https://www.mmdb.net/usr/digiken/Yamanashi-Album/page2/nkym_omuroyabusame_nua0356-png-nua03560006b.html より

                       

                      首都圏を蒸気機関車が走っていた最後のころ

                       

                      八王子機関区で最後のSLのシーン

                       

                      ところで、当時のユダヤ社会、ないし少なくとも、イエスが十字架にかかる直前のエルサレム近郊では、ビートルズを迎える以上の熱狂があったことを、改めて英文でSimply Jesusを読んだときに気が付いたのだ。もう、人々は、自分の外套を脱ぎ、イエスが乗ったロバの前に、赤じゅうたんよろしく敷き、棕櫚の葉を持ち熱狂していたのだ。そして、ダビデの子にホサナと叫んでいたのだ。ひよっこでも、当時の熱狂する若者たちの姿が多少は描かれているが、それ以上の熱狂が東京を、羽田空港を、武道館を支配していたのだと思う。その一方で、相も変わらず、イスラエルの片田舎の街のような茨城では、「ビートルズ、ってなんだっぺよ〜、それより、今年の田植えした後の肥、どうスッペよぉ〜〜」という和やかな茨城方言での会話が交わされていたようにも思うのである。この落差があることを、存在したことを、今改めてSimply Jesusを読みながら、片目で「ひよっこ」を時々見ながら思っている。

                       

                      そして、1960年代という時代の日本の状態と、当時の熱狂を思いながら、イエスのエルサレム入場とはどんなものであったのか、ということをたらたら考えている。そして、昭和は本当に遠くなってしまった、とも思っている。

                       

                       

                      この項単発

                       

                       

                       

                       

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