2018年12月のアクセス記録
皆様、いつものようにご清覧感謝申し上げます。そして、さて、いつものようにこれまでの記録の要約と、これまでのアクセス記録のご紹介と参りましょう。
ほとんど書籍紹介の記事ばかりでしたが、ご清覧頂きありがとうございました。
2014年第2四半期(4〜6月) 58171アクセス(639.2 アクセス/日)
2014年第3四半期(7〜9月) 39349アクセス(479.9 アクセス/日)
2014年第4四半期(10〜12月) 42559アクセス(462.6 アクセス/日)
2015年第1四半期(1〜3月) 48073アクセス(534.1 アクセス/日)
2015年第2四半期(4〜6月) 48073アクセス(631.7 アクセス/日)
2015年第3四半期(7〜9月) 59999アクセス(651.0 アクセス/日)
2015年第4四半期(10〜12月) 87926アクセス(955.7 アクセス/日)
2016年第1四半期(1〜3月) 61902アクセス(687.8 アクセス/日)
2016年第2四半期(4〜6月) 66709アクセス(733.1 アクセス/日)
2016年第3四半期(7〜9月) 65916アクセス(716.5 アクセス/日)
2016年第4四半期(10〜12月) 76394アクセス(830.4 アクセス/日)
2017年第1四半期(1〜3月) 56858アクセス(631.8 アクセス/日)
2017年第2四半期(4〜6月) 76117アクセス(836.5 アクセス/日)
2017年第3四半期(7〜9月) 55225アクセス(600.3 アクセス/日)
2018年第2四半期(4〜6月) 43880アクセス(482.2 アクセス/日)
2018年第3四半期(7〜9月) 55404アクセス(602.2 アクセス/日)
2018年10月 17,291アクセス(576.4 アクセス/日)
2018年11月 15,238アクセス(507.9 アクセス/日)
2018年12月 16,686アクセス(538.3 アクセス/日)
でした。
ところで、12月の単品人気記事ベストファイブは以下の通りです。先月もご清覧ありがとうございました。
現代の日本の若いキリスト者が教会に行きたくなくなる5つの理由 477 アクセス
キリスト教教育とキリスト教の宣教に関する本をたらたらと読んでみた(1) 221 アクセス
教会の公同性(小文字のカトリック教会であること)について(正教会の視点から)(2) 155 アクセス
日ユ同祖論というトンデモ理論について その1 148 アクセス
キリスト教教育とキリスト教の宣教に関する本をたらたらと読んでみた(3) 142アクセス
でした。
また、今月も、当ブログのいつもの鉄板ネタ、現代の日本の若いキリスト者が教会に行きたくなくなる5つの理由が堂々の2位、相かわらずこの問題への関心の高さを示しているように思いました。あとは、あたらしい記事はあまりアクセスがなかったひと月でした。
皆様の先月の御清覧、ありがとうございました。よろしければ、今月もまた、ご清覧をお願い申し上げます。
2019年のエピファニーの説教黙想
昨日はエピファニーでした。、昨日の礼拝では、聖書を読む前には、式文の合間に以下の二曲を歌いました。
We three kings of Orient are
Gradual: Brightest and best
そして、
Old Testament Isaiah 60:1-6 (信徒が読む)
Epistle Ephesians 3:1-12 (信徒が読む)
Gospel Mathew 2:1-12 (司祭が読む)
の部分が読まれ、説教となりました。
3人は何だったのか…
昨日は、エピファニー(クリスマスの最後の日)で、東方の3博士なのか、3人の王なのか、3人の魔法使い(Magi ギリシア語では、magoiと書いてあるはず)なのか、3人の天文学者なのか、3人の占星術師なのか、3人の占い師と呼ぶのかは、いろいろあるのだけれども、その辺は習慣というか伝統が入り込んでいて、なんというべきかいろいろあるのだが、その三人の少なくとも星を見た人がイエスのもとに来たことを記念する日、ということで、それに即する讃美歌などを歌い、それにかかわる以下のような聖書記事を読みました。冒頭の讃美歌(We three kings of Orient are)で歌ったように、なんとなく私たちは、東方から来たのは、王だと思っているけれども実はそうではないかもしれなくて、といった理解や、羊飼いとこれらの三人の博士があたかも同席しているような絵画が描かれたりと、クリスマスやイエスが生まれたときの理解については、いろいろ聖書が成立して以降に持ち込まれた絵画とか、理解とかから持ち込まれた後世の文化的な蓄積があり、その結果から多くの誤解に近い思い込みをしている部分があるよねぇ、というお話になりました。
3人が持ってきたプレゼントについて
福音書の解説として、3人の王としてが、黄金、没薬(myrrh)、乳香( frankincense)を持ってきたことになっていて、それは、神の子の誕生の際のプレゼントだけれども、普通子供が生まれたら、何を持っていくだろうか、という話になりました。このことの問いかけがあったので、何人かの参加者から、紙おむつとか、粉ミルクとか、バスタオルとか、というアイディアが出ました。それを受けて、司祭は、いろいろ普通は実用的なものを持っていくけど、この3人のMagiのみなさんは、よりにもよって、あまりにも実用的じゃないものと思えるものを持ってきているよねぇ、という話がありました。
https://www.pinterest.jp/pin/284993482647636368/
この3人のMagiの皆さんが持ってきたものに対して、ある聖書学者は、黄金は、イエスが王であること、没薬は、イエスの死と復活、乳香は神への礼拝、と対応っセルことで、これらの贈り物がイエスの生涯を象徴しているという解釈をする人もいて、表しているという解釈ができるとか、言っている場合もあるし、別の神学者によれば、いやいや、これは、高価に転売できるので、のちにイエスがヘロデの手を逃れるために、エジプトに逃れるための資金として、すぐに高価格で転売できたので、問題なかった、というような解釈をしている人たちもいますが・・・という紹介がされました。
神からの全ての人間へのプレゼント
ところで、この時期は、プレゼントをする時期で、特に日本では、クリスマスにお正月、誕生日プレゼントに時々はお土産も、ある種のプレゼントでもある、ということを考えると、日本というのはプレゼントが多い文化を持っているよねぇ。特にプレゼントということで考えてみると、クリスマスがなぜよろこばしいのか、という意味を考えると、人間への最大のプレゼントは、実は、神の御子が、神であるにもかかわらず、この地に自分自身をプレゼントとしてやってきたことなのではないでしょうか。それを、キリスト者として、この東方からこの三人がわざわざやってきて、神に対して捧げるもの、あるいは、神の御子、王へのプレゼントを持ってきたことを覚えるエピファニーに際して、どう考えたらよいのでしょうか、という問いかけがなされました。
人間が神に捧げることができるもの
神がご自身を人間に与えたもうたことに対して、私たちは、何をしたらよいのか、ということを考えてみると、我々は、すべてのものを神から受けているにすぎないものである以上、人間が神に何か返すことはできないですし…ということはあるのではないでしょうか、という問いかけがさらにありました。
そうはいっても、この時期は、年初なので、これからの一年を考えるというのを、日本でもよく行うようであるし、多くの文化でするけど、その時に去年と何がどう違うか、去年より生き方を少しちょっと変えてみる、を考えてみるのはいいかもしれない、ということを考えるときに、エピファニーでもあるので、東方のMagiが何かをささげたように、人間がどのように神に何かをささげうるとしたら、何か、ということを考えてほしいのですし、そして、おそらく、人間が唯一神に差し出すことができるものがあるとすれば、神の愛にこたえて、神を愛することがまず第一義的にあるでしょう、そして、これから1年の間に出会う人々、それはとりもなおさず、私たちの隣人である存在である人々に自分自身の存在を差し出すことしかないんじゃないでしょうか、という問いかけで、説教がまとめられました。
説教を聞きながらの黙想
説教を聞きながら、思っていたのは、次のようなローマ人への手紙の箇所でした。ローマ人の手紙には、確かに次のようにあります。
【口語訳聖書】ローマ人への手紙 12章 1節
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
それとともに、また、
【口語訳聖書】コリント人への第一の手紙 13章 2節から3節
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
ということも、思い出していました。これを思う時、キリスト者として生きるということは、とりもなおさず、神に対する愛に動機づけられて生きる古都であるということを思いめぐらせていました。つまり、他者から評価を受けるようなことをなすことでもなく、神を愛すること、神とともに生きることが神に対する礼拝であると同時に、旧約聖書の律法と預言者が(旧約聖書の全体)この二つにかかっていると、イエスが言ったことも思い出していました。
【口語訳聖書】マタイによる福音書 22章 35節
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
これらの言葉を、説教を聞きながら思い巡らし、この一年、どんな場面で神の愛をみることになるのだろうか、そして、どんな人々と出会い、どんな人々の隣人になり、その中で、神の愛をどのように示すことになるように導かれていくのだろうか、そして、それが、旧約聖書全体をかけて、神が私たちに示そうとしたことだし、そのことが神がこの地に命がけで来て、人類にとってこれ異常ないプレゼントであることを示し、神がこの地での命をいきるなかで、その神の愛を、神の愛の全体がこの地に突き抜けて神の御座、すなわち神が支配をなしておられる場所からこの地にやってきた、ということについて、その極みまでを示したことについて、個人的には、エピファニーの礼拝と聖餐式が終わって、帰る道すがら、思いをめぐらしていました。
余談
アメリカの映画などを見ていると、この3人の王を明らかに題材にしたと思えるタイトルの映画なんかもあります。それと、クリスマス、キャロルで出てくる3つのクリスマスのゴースト(過去のゴースト、将来のゴースト、現在のゴーストも、おそらくは、この3人の東方の博士なのか、王なのかのパロディになっているのかも知れないかもなぁ、それぞれが、エベネザー・スクルージにもたらしたものがなんだったかと対応しているのかも、とか礼拝からの帰り道、色々妄想しておりました。
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