2016.05.01 Sunday

2016年4月のアクセス記録とご清覧感謝

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     皆様、いつものように先月のご清覧感謝申し上げます。
    ハリストス復活!
    実に復活!!
    さっきまで、神戸のハリストス正教会のペサハ(復活祭)に行ってきました。

     先月は結構面倒な内容を扱ったにもかかわらず、21,922 アクセス、平均で、日に730.7 アクセスとなりました。ご清覧ありがとうございました。

     2014年第2四半期(4〜6月)   58171アクセス(639.2)  
     2014年第3四半期(7〜9月)   39349アクセス(479.9)
     2014年第4四半期(10〜12月)   42559アクセス(462.6)
     2015年第1四半期(1〜3月)   48073アクセス(534.1)
     2015年第2四半期(4〜6月)   48073アクセス(631.7)
     2015年第3四半期(7〜9月)   59999アクセス(651.0)
     2015年第4四半期(10〜12月)   87926アクセス(955.7)
     2016年第1四半期(1〜3月)    61902アクセス(687.8)

     2016年4月      21,922 アクセス (730.7)   
     
    今月の単品人気記事ベストファイブは以下の通りです。
    アクセス数 448
    松谷信司『キリスト教のリアル』を読んだ(6)

    でした。しかし、今月も、トップファイブ常連さんの現代の日本の若いキリスト者が教会に行きたくなくなる5つの理由 がトップに返り咲き、そして、今月も松谷信司著 『キリスト教のリアル』の話題で盛り上がりました。あとは久しぶりに復帰し、今月で完結を見せた仏教徒の対話シリーズの魚川さんの仏教思想のゼロポイントの記事が上位入りしました。


     ということで、今月もご清覧をばよろしければ、と。
    2016.05.02 Monday

    教会とゲーム理論(3)

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      今回は、サンク・コストあるいは埋没費用の概念に基づき、カルト化していても、その教会からなかなか離れがたい人々やある教理がおかしいことが判明しても、その教理から離れがたくなる背景を取り扱ってみたい。

      埋没費用とは何か?
       今回の話は、ゲーム理論的なアプローチではないが、自分があることにつぎ込んで費用(おカネだけではなく、人生の貴重な機関、時間や人間関係なども含めることができる)があまりに大きすぎると、そのつぎこんだ費用の大きさの余り、正常な判断ができなくなるということである。

       つまり人があることに必要以上の資源をつぎ込んでしまうと、引き返しが付かなくなり(損切ができなくなり)、正常な判断がつかなくなるということである。よくあるのは、ギャンブル依存症などにもこの理論は応用可能である。繰り返し少額であっても資源(お金とか時間)をつぎ込むと、今度こそ、なにかいいことがあるのではないか、と思い込み、さらなる追加投資(というよりは追加の投資をすることによっても一向に回収率の低いままであり、改善しない環境での資金投下)をしてしまい、これまでのやり方を変えられない、という現象のことが埋没費用が生じさせる認識の誤り(Sunk Cost Fallacy)を生むのである。たとえば、いつも裏切られている友人にも、今度こそ更生するかもしれないと思って信用してしまうことや、お金を貸す(実質的には与える)こと、あるいは、「今度こそ、本当にいい投資話だ」といつもの様に失敗する投資話を持ってくる投資関係のセールスマンに、資金運用を任すようなことでも起きる。FX運用での追証とか追い銭と呼ばれる現象がこの例ともいえるようである。


      「なぜ、今変化させなければならないのか?これまでだっておカネをつぎ込んだ分があるのではないか?」というイラスト
      http://investorji.in/sunk-cost-fallacy-makes-investors-stupid.html から

       前回ご紹介した悪徳業者の例で言えば、安い商品を異様に低価格で買うということで、個人の中に、営業員への一種の負い目のような心理的夫妻ができてしまい、それがサンクコストのようになり、認識のひずみが生まれやすいように思うのだ。悪徳業者はそれを利用して、最終的に高額の商品を売りつけることになる。

      教会生活と埋没費用
       教会生活でも、この種の埋没費用(サンク・コスト)による認識の誤りが生まれることがある。それは、ある面、教会生活が一種の信念システムとしての信仰生活のプロセスの中で、聖書が言う神を中心にした生き方に変更するということを自己選択的に選んでいくという部分があるからではある。ある面の自己犠牲とか、自己の意思に基づく選択を迫られ、それに伴うコスト(本当はそれほど大きなものではなくてよいはずなのであるが)を負担することがあるからである。特に過剰な献金や奉仕を求めるキリスト者集団では、この種の埋没費用はそうでない集団と比べ、非常に大きなものとして認識される傾向があるのではないか、と思う。

      カルト集団と埋没費用
       しかし、カルト化した集団では、この埋没費用が大きいあまり、その集団への投資した時間や人間関係、また献金したことに対する利益を取り返そうとして、客観的な判断ができず、その集団にしがみつくという形の非常に困った判断をする人々が出てくるのである。

       オウム真理教の場合が典型的であるが、金銭に対する渇愛を断絶する修行と称して、自己所有する資産(中には資産と呼べないものまで)のすべてをささげさせる修行が求められたことがあったし、修行と称して関係企業体であるマハーポーシャでのパソコン制作にほぼ睡眠なしの状況で従事させられた挙句、その労働の対価までオウム真理教のグルへのお布施として取り上げられた事例などがあったようである(余談になるが、1980年代末IBMPCコンパチPC市場でマハーポーシャのIBMコンパチマシンは群を抜いて安かったが、余りに安いので不安になり、手を出すのをやめた経験があるが、手を出していなくてよかった、と思っている) 。

       このオウム真理教の事例にもみられるように、現在のブラック企業も真っ青になるような勤労環境を強いられた当時の若者(今では40代中期位かと思われる)は、その青春と家族関係、友人関係を含む人間関係、また、本人の持つ能力に応じた就業機会ということまでをオウム真理教に奪われ、その上に、もともとないに等しい可能性があるとはいえ当時持っていた資産までも、オウム真理教に取り上げられ、残ったのは、オウム真理教というカルト化した集団にかかわったという苦い黒歴史だけ、ということも少なくない。

       こうなると、残っているものはオウム真理教での人間関係、あるいはその集団しかないわけで、そうなると、オウム真理教にしがみつくしかなくなるのである。残念なことであるけれども。

      カルト化した教会と埋没費用(献金の例)
       このブログをお読みの皆様には、ほぼご推測かつご理解いただけることかとは思うが、キリスト教会でも、この種のことを悪用しようと思えば悪用できる道具立てはそろっている。例えば、レプタ銅貨2つを投げ込んだやもめの話をして、「限界までかみさまにおささげましょう」とか、使徒言行録の最初に出て来る、皆のものがすべてを売り払い共同生活をしていたという話を取り上げ、「みなさんも、全ての家財を売り払い、教会に献金しましょう」(でも、教会での共同生活への言及はなく、終末が近いという概念が当時のキリスト者で相当広く共有されてた話は抜き、ってねぇとかで…)とか、災害被害者がいるような状況では、「パウロ時代の時には災害とか飢饉の時には献金をささげて、助け合いをして、愛の交わりをしました。皆さん皆さんも限度いっぱいまで全力でささげてください」(当時は自衛隊も日本政府のような政府もなかったのであるが、それは言及されることはない)とか、いうことが今でも行われる。まぁ、当時の場合、現金が全銀手順に従って、金融機関から金融機関に電子的に決済されるとかいうことがないために、信頼できる人におカネを託し、手紙を託して、現地に行ってもらい、現地からの現状報告とどういう形で使われたか、ということは報告されたはずであるが、現代のカルト化した教会では、どういう関係か、こういう報告が聞かれることが案外少ないのはどうしたことなのだろうか、とも思う。献金受け取りっぱなし、現地からの現状報告なしというような一種Fellowshipといいつつも、一方向的な形でのFellowshipが多いのは、実に残念ではないか、と思う。

      レプタ硬貨はこんなコインだったかも (売りモノらしいです)。
      http://www.widowsmite.com/Prutah-Widow-s-Mite-Jannaeus-WP001-p/wp001.htm

      カルト化してない教会での埋没費用(聖書理解の例)
       まぁ、金銭的なことでの埋没費用は、大きな影響と黒歴史を残しかねず、時に家族との関係を壊しかねないのではあるが、それ以上に問題なのが、ある教会群で長く重要であるとされてきた聖書理解が長年変えられないという事例である。この種の問題にも、このサンクコストによる行動変容することに対する認識のひずみの発生という理解は応用可能であると思う。

       ある教会群で長く正統的とされてきた聖書理解があるとする。例えばの例で言えば、旧約聖書のイスラエルと、世俗国家としてのイスラエルの同一視という聖書理解があったとしよう。本来、旧約聖書のイスラエルは、神権国家あるいは宗教国家としてのイスラエルであり、現在の民主国家としての世俗国家としてのイスラエル国とはかなり異質であるのではないか、と思う。しかし、イスラエルと聖書に書いてあるということで、このあたりの本来適切に評価されるべき政治的文脈が無視され、旧約聖書のある節の表現から、現在の世俗国家としてのイスラエルをキリスト者は何が何でも支持すべきだ(ミーちゃんはーちゃんは、個人的には、イスラエル民族の通ってきた歴史に関しては、イサクの様なささげものとなるかのような経験をした民族だ、と思いながら同情は禁じ得ないが、だからといって現在の世俗国家としてのイスラエルのしておられることを全面的には支持しがたいと思っている)、という理解が長年保持されてき、それが伝道の中での主要な主張の一つとして採用され続けてきたキリスト者集団があったとしよう。

       それをある日突然、そのキリスト者集団の代表的人物が「あれは間違いだったかもしれない」と公式に言いだしたとしても、その代表的人物の発言は受け入れられないばかりか無視あるいは黙殺されることがある。なぜこうなるかというと、もともとの世俗国家としてのイスラエルを何が何でも支持すべきだ、という主張が、伝道の中でも主要な主張として採用され続けてきた結果、これをきっかけの一つとして信仰を持った人々が存在する場合、「その人の信仰理解や気づきあげてきた聖書理解が無意味でした」という宣言することに等しい(本当はそんなことは絶対にないのだが)と誤解する人々が出てきかねないからである。

       つまり最初に信仰のきっかけになった主張が間違いであったかもしれない可能性ということは、その人自身の信仰生活すべてが間違っていた(くどく言うが、神と共に生きてきたのであれば、そういうことは絶対にない)というメッセージになりかねないために、「あれは間違っていたかもしれない」ということを認めかねる教会群は、これまでの信者さんのそれこそが聖書のメインの主張であるとされてきた理解や信念の存在が、一種の埋没費用になっていて、本当は正しくない可能性があるものであっても、その聖書理解や信念が変えられない、という場面があるだろう。そして、聖書理解を少しづつでも変えられない、という現実に直面する場合もありうるのではないか、と思う。

       新しい聖書理解に対して閉鎖的な態度をとる、そのような事例に関して、相当以前の記事(2013年6月所収)で
      でも触れたとおり、「そんな話はこれまで聞いたことがない」という対応がみられるのは、聖書理解における一種の埋没費用による認識のひずみの存在を示しているようにも思われる。

       ある意味で言うと、聖書理解における慣性(慣性 inertia の法則の慣性)が非常に強く効くあまり、聖書理解の見直し(絶えざる改革)が有効でない例があるということなのではないか、とは思う。

       聖書理解は、この2000年以上の間、絶えず見直され、読み替えられ、現実との対応と聖書テキストとのバランスをとる行為が行われてきた。それが神学的な営為ではないか、と思う。それは無意味な行為ではないと思っている。

       なぜならば、2000年前には、エレベータや冷蔵庫はなかったし、ファックスや電子メイルやフェースブックやツィッターを含む電子的データ送信技術はなかったのである。パウロの書いた手紙を持参人が持参し、読み上げ、時にパウロが伝えようとした補足的な内容を口頭で伝えたという時代の聖書の読まれ方と、聖書そのものが電子化され、複数の邦訳聖書を比較参照しながら読める時代、あるいは聖書の単語がデータベースに収録され、あるギリシア語やヘブライ語の単語(語根を共有する単語)が使われている場所はどこか、ということが一瞬にして、パソコンとインターネットがあれば検索可能である時代(それこそ、教会で説教の最中でもそういう作業が可能となった時代に我々は生きている、ということは信徒にとっては、実にありがたいことである。司牧に取ってはある面非常に厳しい環境ではないか、とは思うが)において、「聖書を読むこと」という一つの行為が指し示すことの意味もおのずと違っているはずであるとはおもうのだが。

       本来、宗教改革の時代に聖書が庶民が 聖書を読める (といっても宗教改革時代は文盲率がまだかなり高いので、普通の庶民が読めたわけではなく、一部の知識層と社会での文字操作が必要な社会的役割を担う人々に限られたはずであるが)様にして、聖書と個人がある程度個人として向き合うことが可能になった時代があった。それまでの時代では、聖書と個人が向き合う、そのようなことはかなわないことであった時代が存在したのである。聖書を読む(正確には聖書を聞く、といった方が正確だとは思うが)と書かれている内容が指し示していることと、今の環境で聖書を読むということでは、だいぶん違うような気がする。
       その意味で、我々は我々が生きている間の30年から60年くらいの常識を前提に聖書の読み替えを集団としてであれ、個人としてであれ、していることにならないだろうか。それを、過去これまで30年や60年くらい標準として受け入れられてきた、あるいは長い教会の歴史の中で、必ずしも標準的でなかったにもかかわらず、標準的であるとこの30年から60年くらいで語られてきたことにこだわり続け、新しい概念や必ずしも自分になじみが薄い聖書理解の体系を他者の主張の一部のみを取り上げ、否定的な言辞を弄することは、正当といえるか、と我々は問うた方がいいかもしれない、と自分自身で自問している。

       それは、これまでそのように語ってきた結果としての埋没費用による認識のひずみ、あるいはそのように語られてきたことをキリスト者人生の中で当たり前として受け止めてきたことによる埋没費用による認識のひずみが生まれていないか、ということを最近自分自身に問うている。

       次回、このシリーズの今回の最終回として、キリスト教会とレモン市場となることがある程度回避可能となる状況に触れて、この連載シリーズを終わりたいと思う。





       
      2016.05.03 Tuesday

      教会とゲーム理論(4)

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        本日で一応、この連載シリーズは終わりにします。

        これまでのまとめ
         さて、これまで、ゲーム論とその関連分野を用いれば、教会で起きる困りごとの一部もある程度単純化して説明あるいは理解可能となる(モデル化のメリット)のではないか、ということをお示ししてきました。日本においてキリスト教が理解されていない情報が非対称な環境がレモン市場なっているかもしれないこと、それに関するシグナリングとシグナリングの正当性を評価することが困難なことと不適切なシグナリングを生み出す様な場合、認識が歪む可能性があり、それを防ぐために、システムがオープンであるかどうかを考えることが重要であること、更にサンク・コスト(埋没費用)の存在によって認識が歪む場合があり、それがある教理を捨てられなくなるような原因になる場合があることをこれまでお示しした。

        レモン市場への対応策
         本日のテーマは、レモン市場への対応策である。1回の取引の場合、レモン市場が発生することは避けられない。というのは、ワンショット(1回のみの取引)の場合、将来のことは考えなくてよいので、一種、相手の評価を考えずに行動できることとなる。つまり、レモン市場となっている場合、将来にわたる取引相手からのネガティブな評価を気にしなくてよくなるので、取引の一方の側に不当な利益が発生するような取引が生まれやすい。その意味で、取引相手の間で情報が対称に共有されていない場合には、この種の一種不誠実な取引が生まれやすい、ということなのである。中古車市場などでは、事故車かどうかが書いてが判断がつかない、ということが起きるので、不良品の中古車のことをレモンと呼ぶこともある。


        http://www.economind.org/#!The-Health-Insurance-Sector-Asymmetric-Information-and-The-Lemon-Problem/cqic/9CBE94C5-CF63-4AAE-9C95-140F854EC6BF から


         以前にも説明したと思うのであるが、訪問販売や飛び込みセールス、店頭販売などでは、基本、再度の取引が発生しにくいこと、その場での比較可能性が失われることと、外部情報との遮断が取引の場で発生するために、悪徳業者がまっとうなことを言ってないにもかかわらず、相手の発言を信じ込むというようなことが起きる場合がある。例えば、相手が業界最安値であるという主張をしていても、スマートフォンが普及するまでは、それを確認することはできなかった。

        交渉による回避
         関西では、家電量販店でも店員との交渉が日常的に行われる。さすがに百貨店で店員との価格交渉をしている例は見られないが(食品売り場では、もうちょっと乗せてくれという形での交渉がある百貨店もあるようであるが)、関西では消費文化として、大手家電量販店でも、店頭の表示価格で買う人はほぼおらず、「兄ちゃん、もうちょっと何とかならんの?色つけてぇなぁ」というような表現で、価格交渉する例は案外普通にみられる。情報が非対称となりかねない相対取引の場(大型家電量販店での取引も、実態的には外部情報を仕入れるわけにいかないので)では、バーゲニング・パワー(交渉能力)を売り手の側が持っているのか、買い手の側が持っているのかにより、その利益がどちらに帰属するかが変わってくる。

        http://www.bwint.org/default.asp?index=1766から

         情報が非対称な場合、1回の取引では相対取引となるので、実はこの種の価格交渉というのは案外重要になるのである。それは、相手に不当な利益が発生していない、ということを確認する手段でもあるのである。ただ、この交渉というのは非常に面倒なことでもあるので、その面倒を避けるなら、相手の申し立て価格を受け入れることしかないことになる。その結果、売り手には利益が発生し、買い手はその分だけ損失することになりかねない。

         その意味で、情報が非対称な場合、交渉をどうするか、ということにかかっているともいえよう。交渉するというのは、相手との情報交換であり、相手が持つ情報を聞きだすことで、相手が提示するシグナリングの真正性を確認しようとする作業でもあり、取引相手との間の情報の非対称性を下げようとする努力であるといえよう。

        繰り返し取引や取引履歴の参照による回避
         相手の持つ情報を引き出すためには、この情報を引き出す機会を増やすという方法がある。つまり、繰り返し取引し、情報交換の回数を増やすことがかなり効果的である。取引回数が増えれば、それだけ、相手から引き出される情報量は増える。しかし、日用品を買うのなら、取引での金額が少ないこともあり、そこまで気にすることもないし、社会全体での取引回数もかなり多いので、不当な利益が生じているとしても、そういう業者は取引回数が減るので、市場から自主的に退出(閉店)を迫られることになる。その結果、消費者への被害は軽微である。ところが、自動車や住宅といった耐久消費財を買う場合、何度も取引することがないことが多いので、情報の非対称性がもたらす問題は案外大きいし、そのような問題が発生する場面は多い。

         その意味で、住宅や不動産を購入する場合、外見ではわかりにくい床下、住宅の下部構造、従前の土地利用(ため池の後ではないとか、もともと谷を埋めた場所ではないとか)を確認した方がよい場合がある。なお、過去の土地の状況に関しては、国土地理院のサービスでもある、地図・空中写真閲覧サービス( http://mapps.gsi.go.jp/ )を利用することで、明治のころの地形図や戦後からの空中写真が確認できるので、これらを利用することで、比較的容易に確認できる。
         
         余談に行ったので、元に戻すと、ただ、教会では、繰り返し取引ができるのか、といわれれば、案外難しいかもしれない。何度かその教会に行ってみて、様子を見る、その教会の主要な人物から少しづつ情報を提供してもらう、という方法はある種繰り返し取引の類似関係を生み出すものとしては、重要であろうと思う。

         少なくとも、ある教会に所属する前に、かなり繰り返しその教会に参加して情報収集するということは、基本的なこととして大事なことであると思う。最初に出会った教会で、「あなたが本日この教会に来られたのは、神様がそうされたのです。ですから、この神様の導きを信じて早く洗礼(バプテスマ)を受けて、この教会の信者になりましょう」とかいわれても(こういうことを主張する教会がある模様)、あまり焦らずに、じっくりその教会の主張を聞きだし、その教会の牧師や司祭、また、その場にいる信者から提示される聖書理解を聞きだし、落ちついて考えつつ、その人々の主張をきちんと見極めよう(受容しよう)とする態度(批判的な態度)が重要ではないか、と思うのである。

         また、教会が個人情報の開示あるいは提示を求めてきたら、適当に対応しながら、相手が聞いてきたとしても、全部のことを回答する必要はない。問われたからといって、こちらからの一方的な個人情報の開示をするのではなく、その質問をきっかけに相手方からの情報開示をより多く求めることがあってもよいはずだと思う。基本的にそれがフェアな態度だと思うし、事故情報を開示せず、他者の情報の開示を求めるのはアンフェアである。ただ、教会は自分のことは知られているという前提(そんなことはないのだが)に立っていることがあり、自己情報の開示をしない例が時に見られるようである。

         ところで、教会側から良く提示される質問としては、「どこに住んでいるのか」、「どんな仕事や学校にいるのか」というNG質問が多い。会話のきっかけを作ろうとして、このようなNG質問をしてくる教会は案外多いが、それを聞かれたところで、全ての情報を初回にすべて開示する必要はないとは思う。こういう質問をする方は、ほぼ完全に善意でしていることが多いのだが、その結果が最善であるとは限らない。しかし、相手が聞いてきた、ということであれば、当方からより多く質問すればよいのである。

         もし、こういう質問攻めを経験するのが嫌で、回避するためには、はやめに教会から立ち去るほうが便利なことが多い。教会では、内部向け通知が始まった段階で、一応公式には終わったことになっているはずなので、はじめての教会では立ち去っても問題ないが(それを問題にするのであれば少し、気を付けた方がよい場合が多いと思う)、この段階では全員着席のことが多いので、衆人環視の元たちさることになる。それが嫌ならば、教会員が周囲の人と話し始めたのを見極めて、緊張が緩和している瞬間に手早く立ち去ればよいと思う。

         もう少し様子を見たい、とかもう少し情報の先方から提供を受けたいときには、その場に残って話をしてみればよいが、初回からそれをしなくてもいいと思う。但し、頻繁に同じ教会に行き始めると、それだけ関係も深くなるので、その点での配慮も必要かもしれない。地方部では、教会は少ないかもしれないが、世の中には教会はたくさん存在する。最初に出会った教会だけが教会でなく、多様な教会群があって、教会群の大半は、まともであるからである。

         繰り返し取引が困難な場合でも、過去の自分以外の第3者の取引履歴を参照することができる。これが、いわゆる暖簾やブランドの価値や、意味である。高評価のブランドは、変なものを作らない、ある程度信頼できるものを作っている業者である、という社会的評価を受けた存在であるといえよう。つまり、多くの人々の取引の結果の反映が、ブランドに反映されたり、社会的評価に反映されているといえよう。継続的な良好な取引の積み重ねこそが暖簾の価値であり、ブランドの価値である。その意味で、企業に取って、一つ一つの取引が重要なのである。

         その意味で、最近の三菱自動車の燃費不正によるブランド毀損問題というのは、実は非常に厳しい問題なのである。つまり、これまで築いた社会的信頼を毀損してしまったのであり、さらに、取引量が減ることで、取引における直近の情報量の発生自身が減るので、信頼を回復する機会そのものが減ってしまうからである。

        公的機関による認証
         情報が非対称な場合、取引相手として、公的機関による認証が行われている場合、あるいは、取引相手に公的機関による取引が発生しており、情報の収集がなされている場合、それは一定の保証を与えることになる。公的機関による認証の例としては、陸運局による認証を受けた自動車整備工場などがその例であり、その認証を受けているということはある種の安心感というか、その事業者を利用しても大丈夫である、ということが公的に認証されていることになる。

         また、公的機関や有名企業と取引しているということが、会社の説明用パンフレットや会社のウェブサイトにあげられることがあるが、それは、その企業が公的機関も取引可能である程度の能力を持っているということを示しており、その能力から生まれれる安心感が、その企業と取引しようとする企業や個人にも生まれるからではある。とはいえ、その情報をまるままうのみにしない方がよい。如何に法執行能力をもつ政府、自治体、行政といえども、完全に調査し切れないからである。

         であるからこそ、政府や自治体、行政による取引停止処分が起きることがある。なお、行政や政府による取引停止処分は、その企業が何らかの意味で不都合があったということが公的に認証されたということでもあり、そのような情報の開示は企業に大きな影響を及ぼすのである。

         教会で言えば、例えば宗教法人として認証を受けているという例は、一種の安心感を与えることになる。宗教法人法は基本申請主義で認証をしているに過ぎないし、都道府県にもよるが、オウム真理教が事件を起こすまで、その認証はある程度制限的ではなかったことがある。オウム真理教が事件を起こしたことで、認証が一気に制限的になり、宗教法人の取得はかなり厳しいものになっている様である。

         とはいえ、この認証にしても、基本的には申請者が善意で善良である前提のもとで運用されてきた事例が多いので、基本、それを悪用してしまったオウム真理教のようなものを防ぐ手段は、認証を行う側の行政には限られていたのである。

        善意で始められた存在でも善ではないかも
         時々、善意で始められたのだから、問題を起こすはずがない、といわれる方が時におありではあるが、善意で始まってきても結果の善良性や問題がないことは保証できない。善意で始まっていても、始まって時間が経過する中で、その組織がそもそもの方法とは別の方向に進むことまでは完全に防止できない。例えば、国と国の争いが典型的にそうである。多くの戦争は戦争開始時には、自国民保護とか、善意で始まる。しかし、その結果は、非常に大きな悪を生み出す。 たとえ善意で始められたものでも、悪を生むのである。それは教会でもそうである。誠実なビジネスのため創られた組織であっても、不誠実なことをなす組織に変質することは比較的簡単に起きるのである。そして不正が発生することは避けられない。それはそもそも人間が、弱く愚かな者だからかもしれない。

         多くの教会は、人々にキリストを伝えようとして始まる。あるいはカルト化しやすい教会の牧師たちも、よほど悪質な例を除き、神の福音を伝えようとして献身するのであるが、その後のプロセスにおいて、変質していき、カルト化し、多くの被害を生み出すということが起きるのである。それは、人間が鼻で息するものであり、神そのものではないからである。人間がそもそも不完全で不確実なものだからではないか、と思う。その意味でたとえ善意で始められたから、といっても結論は善ではない、ということは心しておくべきかと思う。

        プロセスと自己批判の重要性
         その意味でも、一般企業や組織がそうであるように、その組織が行い続けていること、即ちプロセスそのものが重要なのであり、どのような行動をとるのか、どのような聖書理解を述べるのか、ということに関して、重要な責任を負っているといえる。その意味で、教会には自己批判的であってほしいし、ある単一の意見で塗りつぶし、それ以外を否定するような運用をして、自己に対して批判的な言動を一切許さないような組織ではなく、多様な聖書理解を包摂し、その多様な聖書理解が対話をするような組織であってほしいと願っている。その多様な聖書理解間の対話は、カルト化を防ぎ、より豊かなものを生み出すのではないか、と思っている。

         時に「完成された信仰」といわれることがある。それは個人的には、死したものではないかと思う。信仰とは、日々動き続け、揺られ、揺り戻りを経験しつつ、日々微妙に異なる動的(ダイナミック)な環境の中で、神と共に生み出されるのが、信仰の姿ではないかと思う。そう考えるときに、完成された信仰を持つことを目指すというよりは、神と共に生きる、そして、自分自身の聖書に対する考え方、あるいは聖書理解が常に適切なものかを他者の聖書理解に照らしながら生きていくことが重要なのではないか、と思う。

         さらに教会に関して言えば、教会は司牧(牧師や司祭)だけのものではない。教会員のものでもある。その意味で、教会で行われている説教に関しても、司牧(牧師や司祭)からの一方的なものではなく、双方向的なものである方がよいのではないか、と考える。もちろん、教会の代表者としての司牧の側にその責任は重いが、その教会の参加者にも、その教会が適切である運用がなされる責任の一端はあるのであり、自己の信仰の見直しが、あるいは教会の聖書理解の自己批判的な検証が日々求められているのではないか、と思っている。

         日々の教会の存在に対する自己批判的な検証とそのための多様な聖書理解との対話の存在が、教会がある程度、まともな組織として機能し、鼻で息する不完全なものに、神のことばが託されていることの重要性を考えた場合、心して考えるべきことではないか、と思う。他者に何でもいいからと白紙委任状を与えるかたちで、べったりと頼り、依存するのではなく、聖書理解を自分たちの問題として考え、教会内でも対話することの重要性は大きいと思う。そもそもその自分たちが教会を形成し、そして自分たちの聖書理解と自分たちの信仰生活というプロセスに大きく影響するのだから。

         

        http://csiconsultancy.com/process-redesign--lean.html より
         
         
        2016.05.07 Saturday

        『現代文化とキリスト教』を読んだ(1)

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           ご恵贈いただいた本である『現代文化とキリスト教」(キリスト新聞社発行)は、なかなか魅力的で面白い本である。まぁ、個人的には、キリスト教と文化なんて本が大変好物だから、そうなるのだと思うが。同書は、キリスト教と現代の日本における文化とどうかかわっているのかを現象学的に考えた論文集的な本であるといっていいだろう、と思う。とりわけ、この本でよかったのは、漫画、音楽、映画、消費などの現代文化の中で、キリスト教がどう再解釈され、そのメタファーやコンテンツが社会に提示されているのかを表しているのみならず、日本の米国とのかかわりがキリスト教的観点から解釈されているのかの一種の考現学として非常に面白い指摘がいくつも見られる点である。

          間テキスト的理解の方法論
           第1論文の水野論文「イスカリオテのユダはどのように描かれているか」では、旧約ヘブライ語テキストの研究者である著者が、配信者としてのイスカリオテのユダが現代文化の中でどのよう様に解釈されて、再表現されるか、あるいは引用されるか、ということを描いた論文である。このオリジナルテキストの福音書などにおけるイスカリオテのユダに関する表現と、現代の音楽や、映像、あるいはマンガなどでのに時々顔を出す再解釈されたイスカリオテのユダに関する表現をどのように考えるのか、つまり、それらの間の「間テキスト性」あるいはintertextualityという観点から考察したものである。

           つまり、(聖書テキスト) → (理解者・制作者) → (作品) という関係にあるものを、(聖書テキスト)と(作品)の関係で見直すことで、この両者の関係がどのような関係にあり、どのような立場から描かれているのかを考えようとするものである。

           実は、この種の研究はある面、聖書研究の一つの方法論でもある。例えば、新約聖書にはイザヤ書預言が引用されていたり、創世記預言などがどのように解釈されているのか、ということを考えることでもある。その概念を、聖書テキストと現代文化のコンテキストの中で書かれたテキスト(音楽や漫画、映画・・・)などとの関係を考えてみる研究手法である。その部分に関して、水野先輩は次のように書いて居られる。

           映画、音楽、漫画など、聖書の物語を解釈した作品に触れると、聖書そのものの読み方も影響される。作品に触れ、それを鑑賞するのも、聖書を読むのも、一人の人間が行うのだから、それらは切り離された別の作業として行われるのではなく、一人の人間のなかで結びつけられていく。「間テキスト的」という言葉で行われている作用が、そこには起きているのであり、新しい読みが生まれてくる。生まれてくるだけでなく、同様の読みの手法を、異なるジャンルの作品に対して意識的に行うことが有効だと考えている。それらの読みを適切な言葉で語れば、そこには新しい批評の生まれることが期待される。(『現代文化とキリスト教』p.12)

           個人的にはある面、非常に有効な方法ではないか、と思う。同じような方法は、森本あんり先輩の「反知性主義」の中で、ドナルド・レーガンの演説に引用された以前の政治家のスピーチのテキスト、そして、聖書テキストとの関係をの考えた事例などにもみられる。

           多くのキリスト者のご発言を聞いていると、もうちょっと真面目に研究しないといけないのは、賛美歌と聖書テキストとの間の間テキスト性ではないか、と思う。というのは、聖書テキストの理解が案外、特定の讃美歌と結びついており(実際にある教会で終末に関して讃美歌テキストをもとに聖書が再解釈された事例を実際に拝聴したことがある)、その讃美歌と信徒への聖書理解との関係はもう少しきちんと考えた方がよいかもしれないなぁ、と思っている。

           (聖書) → (讃美歌) の間テキスト性も大事であるが、現代では、(聖書) → (讃美歌)のみならず、(讃美歌) → (聖書)までを含む、(聖書) ⇔ (讃美歌)という循環論的な間テキスト性を考えた方がよいかもしれない。

          『聖☆お兄さん』での再解釈
           『聖(セイント)☆お兄さん』というマンガがあるらしい。東京の西郊でブッダとイエスがアパートでルームシェアしている設定という奇抜な状況を考えて、そこで交わされるブッダとイエスと周辺の住民との会話で、微妙な理解のずれが巻き起こすいろいろを描いたような漫画らしい。ミーちゃんはーちゃんはまだ読んだことがない。


          セイントお兄さん 公式サイト http://morning.moae.jp/lineup/25 より

           第2論文である、東論文「『聖☆おにいさん』に見るキリスト教の受容と解釈」では、新約聖書に描かれたイエスの基本的な性格を継承しつつ、あくまで漫画であるので、相当デフォルメされていることを次に引用するように示している。

          イエスがこれほどまでにこころを動かされたのは、ラッコが自ら犠牲となって他者を救うというストーリーに理由があることが、子のエピソードのさまざまなディテールから示唆される。無論このストーリーは、福音書で描かれる。自ら死を選んで他者を救うというイエスのストーリーと重なる。
           ここで注目したいのは、このエピソードでは、人々の悲しみに共感して涙を流したというラザロの物語におけるイエスの姿と共鳴するような、自らの感情を動かして涙を流すイエスの姿が描かれているということなのである。ただ、ここでは、イエスの共感力の強さは極度の強調され、涙もろくて感情に流されやすい、やや困った、それでいてほほえましい性格へと変容されているのである。(同書 pp.54−55)

           多くの教会の重鎮の皆様方は、漫画やマンガやMANGAというと子供のものであり、「子供だまし」でしかない、といわれるかもしれない。しかし、間テキスト性に着目すれば、この漫画やマンガやMANGAだけではなく(めんどくさいので以下は漫画に統一する)、他の漫画においても、実に多様な文化受容の研究に用いることができるのであり、近年では、その観点から国際文化研究といった学問の研究対象あるいは分析対象として取り上げることが可能になりつつあるのである。なお、漫画の世界は2次創作というオリジナルテキストをリスペクトしながら、オリジナルテキストのメタファーを用いながら、独自に造り変えていくということがなされることが多い。映画でもオマージュという表現でこのことが広くなされる。これは、古来から本歌取りと称されるように日本の短歌などで行われてきた手法でもある。

           本論文で扱っている間テキスト性とは、つまり、聖書テキストから生み出されたイエス理解が、間接的に伝播して、それが漫画としてあらたにどう再解釈され、オリジナルの新約テキストからはある程度独立に現代人の理解として組み替えられ、漫画として表現されたものが、『聖☆お兄さん』にどう表れているのかを検証したものである。まぁ、本論文を読み限り、 『聖☆お兄さん』 では、デフォルメが激しすぎて、まぁ、普通のキリスト者から見ると、ここまでするとまずいだろうなぁ、と思いそうだし、これを読むと怒りはじめる真面目なキリスト者たちとかなりおられるかもかもしれない。普段は、たかが漫画とバカにしておられるにもかかわらず、こういう取り扱いがあると真顔で起こり始めるのって、大人げないのではないか、と思うのだが…。

          アメリカ文化と一体化して描かれるキリスト教のイメージ
           また、この論文で重要だなぁ、と思った指摘は、次のような指摘である。

          『聖☆おにいさん』のイエス像に反映されているキリスト教に対するイメージは、過去の日本にあったような、下から上へと見上げるようなものではなく、よりフラットで対等な親しみを感じさせるものである。なお、キリスト教のイメージが、この作品ではヨーロッパではなくアメリカと関連付けられていることは興味深い。イエスが、アメリカ人俳優のジョニー・デップを多いに意識して、時折英語を話すこと、また、明るくて楽観的でノリがよく、弟子たちとフラットな関係を築いていることも、アメリカ文化を背景としたキリスト教のイメージになじむものである。西欧諸国でキリストの教勢が後退する中、今なおキリスト教が比較的盛んであるアメリカが、作中でキリスト教のイメージと強く結びつけられていることは、偶然とは思われない。(同書 p.62)

          つまり、日本でのキリスト教とイエスの理解は、東論文でも西廻り、アメリカ経由の文化と一体化したキリスト教として日本では受け取られている、として語られている。キリスト教と英語、とりわけ、キリスト教と米国発であるとするような、この種の誤解の例は、ミーちゃんはーちゃんの周りでもいくつも経験してきた。例えば、「イエスさまは英語でしゃべっていたはずだから、英語で聖書を読みたい」とのたまって教会に来られる方とかもおられる。まぁ、美しい誤解は美しい誤解のままにして、英語版聖書を読んだこともある。あるいは、有名なところで言うと、イエスの霊言を語ったはずの大川総裁が「I am Jesus Christ!」と英語で発言した例とかもその例としてあげられると思う。
          歴史上の人物から神や悪魔、はては宇宙人の霊や教祖の嫁、敵対する週刊誌の編集長や記者の霊も降ろしてしまう幸福の科学の「霊言」は、これまでも信者では ない人々の爆笑を誘発してきました。イエス・キリストの霊が降りてきたとたん、大川隆法総裁の口を借りて「I am Jesus Christ!」と口走ったシーンは、いまや伝説です(2000年以上前のイスラエルで生まれたイエスが英語はねえだろ、という意味で)。2ちゃんねるなどでは、幸福の科学ネタにはとりあえず「アイ アム ジーザス クライストゥ!」と書き込んどくという風習まで生まれてしまいました。 (やや日々カルト新聞 幸福の科学がバラエティ化宣言! 大霊界より丹波哲郎を召喚 http://dailycult.blogspot.jp/2012/05/blog-post_06.html より)

           ここでは、キリスト教のイメージとしてアメリカ文化との関係で引用される背景には、著者が指摘するように、キリスト教が比較的盛んであることもあるだろうが、日本に来たキリスト教、特に戦後の日本のキリスト教ブームを起こした主役がアメリカ経由のキリスト教であり、日本に来ているキリスト教系の外国人にアメリカ人が多いこと、いわゆる伝道大会でキリスト者であることをいわゆる証しするような野球選手なども大半はアメリカ経由で日本に来ており、それらの人々の精神世界の背景にアメリカのキリスト教があること、また、日本で世間的に目立つイベントを実施するのが、いい悪いは別として、Billy Graham( William Franklin Graham William Franklin Graham II)やBilly Graham3世(William Franklin GrahamIII) でもある フランクリン・グラハム先輩などや彼らのアメリカ系の伝道団体ということもあると思われる。なお、フランクリン・グラハム先輩は個人的にはあまり好きなタイプ ではない (はっきり言って好きになれないタイプ)。

          宗教に対する軽い対応
           現代の若者の宗教に対する対応の態度は、一言で言うと、「軽さ」である。そのあたりの事を、東論文では、『聖☆お兄さん』を参照テキストとしながら、その宗教全般に対する「軽さ」を次のように指摘している。

           ここには、作者、そして多くの若者が共有していると思われるキリスト教、更には宗教全般に対する驚くほどに「軽い」イメージが浮かび上がってくる。作者や多くの若者にとって宗教は、畏怖の対象を示すものではなく、日常的な1コマに存在する文化的現象の一つであるに過ぎないと思われる。この作品の極端までの軽さ、緩さを特徴にしているが、作者が持つキリスト教、宗教へのイメージも「軽い」ものであり、童謡のイメージは多くの若者にも共有されると思われる。この「軽さ」は、聖なるものへのおそれを知らない故の軽さともいえるであろうが、同時にそれが示すのは、キリスト教と宗教全般に対する構えのなさ、屈託のなさであもある。キリスト教と宗教全般はネガティブにとらえられず、そのイメージは驚くほど、軽い。(同書 p.63)

           実際、若者と付き合っていると、これは宗教のみに対しての「軽さ」だけではなく、多くのことに対して非常に軽く、簡単に出会って、簡単に卒業していくことが多いのである。ある程度距離をとりながら、カジュアルな関係を多くのものに対してとるのである。友達関係であっても人生に対する悩みを真剣に語り合うよりは、楽しく食事をしたり遊園地(ネズミ―ランドとか)に一緒に遊びに行き楽しい時間を過ごす、というような関係を重視するのである。それは、学問に対してもそうであり、広範な知識を求めようとしたり、真理追求などを求めるよりは、必要最小限の単位を、いかに楽に集めてギリギリ卒業することに喜びを見出す学生の方々も少なくない。むしろ、それらの人が多数派である。まぁ、昔から基本はそうであったのだが、昔は、苦学生してたり、小難しい本を抱えて、わかってないのに小難しい議論する方がかっこいいと思われていたし、みんなそう思っていただけだからこそ、意味なく小難しい哲学書(たとえばカントの批判シリーズとか)を読んだふりをして頂けのことである。あれを本当に昔の学生が読みこなせていたとしたら、現代の日本は生まれていないように思うのだが。

           それに対して1950年以前にお生まれの昭和な雰囲気の方は、「そんな軽いことで・・・」と怒りを禁じえないかもしれないが、しかし、如何に昭和な雰囲気の方が怒ったところで、若い人々は変わらないし、変えることはできないのである。「親はどうしているのか」といったところで、もうそういう若者が主流になっているので、現実は変わらないし、変えられない。 「それでいいのか」と相手を責めたら、その段階で向き合うべき相手でもある若者は、我々のところから、逃げ出してしまうのである。

           教会はそういう人々に向かい合うことが求められるのだ、ということを覚え、相手の基本的態度は変えられない、しかし、キリスト者として神と共に生きる信仰生活というプロセスを経ることで変容が導かれるはずである、ということを前提に、教会はそれでもキリストを伝えるしかないのではないかと思う。

           本論文を読みながら、この軽さは、日本的な古代以来続く日本教的な軽さを背景としているのかもしれない。仏教の本質的な理解をするのではなく、日本のそもそもの信仰である多神教の世界と仏教を習合させてみたり、儒教をその世界を理解することなく、武家に都合の良い習慣の理論的根拠として用いてみたり、陰陽五行思想と暦法を併せ乍ら、日本の中世以降の社会を支配してみたり、多様な占いを引き受け、朝のバラエティ放送(あれは、報道番組とは言えないだろう)で、今日のラッキーナンバーとかラッキーカラー、そして、星座別の占いと暦法が流されるという文化の中で、若者たちは育ってきたのである。それらに対する軽さと同じように、キリスト教にも均等につき合い、ファッションとしてのキリスト教、マドンナ(この名前も、マリアを意味する場合もあるが)やレディガガなど、アメリカ文化に表象された信仰の表象(記号)をファッションとしてカジュアルに(「軽く」)受け入れているのであろう。

          若者特有でなく日本自体が「軽い」対応してきた反映では?
           さらに、東論文は次のように書いている。

           以上述べたように、『聖☆おにいさん』のイエス像には、作者並びに若者や日本人全般が持つキリスト教のイメージと、キリスト教に対する姿勢が示唆されている。この作品から浮かび上がるキリスト教のイメージは、第1に、アメリカ西海岸のフレッシュで明るい文化と結びつくものであり、それはあこがれの対象というよりは、親しみを感じさせるものである。次に、隣の「おにいさん」としてのイエスの人物造形は、若者がキリスト教、宗教全般に対して持つ非常に軽いイメージにもとづいている。最後に、日本の宗教文化全般になじむイエスの姿は、キリスト教も他の日本の宗教と仲よく共存してほしいという理想や願望を映し出すものではないか、と推測される。(同書 p.64)


           この部分で、若者がキリスト教に対して軽いイメージを持っており、キリスト教も他の日本の宗教と共存させたいという思いは、若者特有のものではなく、日本型信仰、あるいは遠藤周作先輩が、沼の様だと呼んだ日本教の世界の反映かもしれない。この問題は確かに「聖☆おにいさん」に現われた間テキスト性における若者のキリスト教の受容というよりは、より根源的な日本教が他の宗教に対してとり続けてきた軽さであるかもしれない。確かに古代の日本人たちは密教的な仏教に対する畏怖は持ちつつも、どちらかというと実用性を持った魔術、魔法、奇術の類として平安期に伝わった密教的仏教を民間では受容したという同じ態度を、現代においては、キリスト教に対してとっているということであろう。

           キリスト教の実用性は、ヨーロッパ文化、ディズニー文化(ネズミ―ランドを生み出したウォルトディズニー作品が生み出した文化)と抜き差しならない関係にあるプリンセス志向の行きついた先にある結婚式の舞台としてのキリスト教会(したがって、結婚式場教会における司牧の多くがアルバイトや派遣社員でも、いわゆるヨーロッパ系の背景を持つパッと見でわかる外見があれば、その信仰の本質は気にしないし、教会堂の平面プランが十字型でないなどキリスト教的な建築文法を全く無視しても気にもされない)やウェディングドレスを着ることに対するこだわりとしてあるのではないだろうか。

           それは、神道式結婚式の舞台として用いられる神社においても、同じようなことが起きているのかもしれない。そもそも、日本の地方の古いしきたりの結婚式は、建物としての生活の場であったそれぞれの家で行われるのが標準であった(なぜならば、そこに古代の日本以来の結婚概念を支配した母系文化のもとでの通い婚であった事実が残っているからではある。なお、儒教文化によりこの通い婚が逆転させられたかたちになり、男性系優位の通い婚概念として武士層では儀式が執り行われるようになっていく)はずなのだが、いつの間にか、神社という公的空間で行われることになってしまっているあたりにも、このあたりの日本教の支配下にある日本人の軽さの反映であるかもしれない。その意味でも、神道にも軽く、カジュアルにお付き合いするという日本の基層文化、精神世界に関する基層OSの特徴が表れているのかもしれない。

          朝日新聞.com http://www.asahi.com/culture/news_entertainment/OSK200702170042.html より

           その意味で、本書で示されている宗教への軽さは若者だけの問題ではなく、日本の社会ないし、日本人の世界観全般における一種の軽さの反映かもしれない。

           まだまだ続く


           
          評価:
          H.リチャード・ニーバー
          日本キリスト教団出版局
          ---
          (2006-02)
          コメント:あぁ、もうこれ翻訳書として販売されてないんだ。いい本だったのに。

          評価:
          ---
          キリスト新聞社
          ¥ 1,944
          (2016-04)
          コメント:大変面白かった論文集

          2016.05.09 Monday

          『現代文化とキリスト教』を読んだ(2)

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             今日は、第3論文の打樋論文「映画におけるクライスト・フィギュア」取り上げ乍ら、思うことを書いてみたい。

            映画とキリスト教
             個人的には、もったいない症の人であるので、シネフィルの人というほど映画館で映画は見ないが、映画を見るのは嫌いではないし、衛星放送で見ていることが多い。特に米国のハリウッド映画を中心に見るが、時にはボリウッド映画もみたり、フランス映画を見たり、イラン映画を見たりはする。

             確かに、米国のハリウッド映画には同論文のタイトルにもなっているクライスト・フィギュアはいろいろなところで出現している。最近見た映画では、フューリーという残酷な戦車戦を描いた映画でも、クライスト・フィギュアは見え隠れしていたし(大体イザヤ書6章が引用される戦車戦の映画であるということが面白かったが)、まぁ、スターウォーズにしても、表面的にはオリエンタリズムの影響(フォースとか、ジェダイとかの概念)を強く感じるにしても、救済あるいは回復へのプロセスが描かれている点で、ある種聖書のメタファーの影響を見ることもできる。大体言語的にも、文化的にもキリスト教の影響が強いアメリカ文化背景の中で、そもそも論として聖書と無縁の映画作品はつくれないだろうと思う。まぁ、友人の友人は、初期のころのトランスフォーマ(個人的にはロボットのどつき合い映画の趣があるが…)にも聖書メタファーを感じるということがあったらしい。


            映画『フューリー』予告編

            さて、打樋論文は冒頭の早い段階で次のように示す。

            直接的であれ間接的であれ、映画製作のモチーフとして聖書を用いられることが定着していく中で、特に英語圏の国々において、「聖書と映画の研究」(The study of Bible and film)が学問領域として成立し、発展してきた。「聖書と映画の研究」は、多くの場合、聖書学のサブフィールドとして、つまり現代における聖書受容史または解釈史にかかわる研究として位置づけられる。映画製作者は、その時代の諸関心(社会的、政治的、倫理的、実存的関心など)をさk品によって表現する際に、聖書を一つのモチーフとして用いる。そこで聖書が「どのように」用いられるのかを解読することが、現代における聖書需要と解釈の一側面を明らかにし、聖書理解そのものに新しい光を投げかけることになる。これがこの研究分野の基本的視点である。( 『現代文化とキリスト教』 pp.69−70)

             この種のことを数多くの映画作品をもとに検証している連載が、キリスト新聞の服部弘一郎さんの連載 「映画(スクリーン)の中のキリスト教」 である。個人的には、最近攻めているキリスト新聞の中でも、「ピューリたん」「キョウカイジャー」に次いで注目している連載である。

            教派擬人化マンガ ピューリたん

            伝道宣隊 キョウカイジャー

             余談はさておき、つまり、映画の中で、キリスト教や聖書のモティーフがどう再解釈されているのかを考えるのが、 The study of Bible and film という聖書学の一研究テーマの領域である、ということであろう。しかし、福音派の多くの人々は、映画と聖書といった場合、聖書通りの記述に映画が従っていることを期待し、聖書の記述通りの表現と感じられない場合、『聖書の物語そのものを映画化した作品でないため、映画としては適切ではない』という立場に立つことが多い(こういう理解は、基本的に映画を勅諭的なメタファーとしか見ていない、ということになるのかもしれない)。確かに、ちょうど、1950年代から1960年代にはやった『十戒』とかの映画は福音派的な聖書理解には適合的であった。また、こういう映画の一つとして、福音派の皆様は、イエスがこの地上で奇跡を起こしておられたころの時代を描いたベン・ハーあたりお好きなようである。『ノア 約束の舟』はリベラルでありながらもヘブライ的な解釈論において行われた作品であるという点は、聖書通りに展開していない、という点で、Iのちのことば社がガン押ししておられたけど、見た福音派の信徒さんたちは、良く理解で来ていなかったというコメントが、FacebookやTwitterのコメントに寄せられた。

             逆に、ディスペンセイション主義にお立ちになる方がたからは、個人的には、パニック映画と理解した方がよいかもしれないと思えなかった『レフト・ビハインド』は、実に聖書的映画という高い評価が寄せられていたのは「ふ〜〜〜〜ん」を思わずにはおられなかった。まぁ、個人のお考えだから、それはそれで尊重いたしたいが。
            『十戒』 でモーセを演じるチャールトン・ヘストン http://8mada.at.webry.info/201209/article_12.html から


            National Rifle Association(全米ライフル協会)で演説するチャールトン・ヘストン(銃はモーセ先輩の杖ではありませんけど…)


            個人的には楽しんだ『ノア 約束の船』


            個人的には、単なるパニック映画ではないかと思った『レフト・ビハインド』

             聖書解釈史という観点からは、もちろん、キリスト教が伝統的に教会内で保持されてきた解釈論を考え、時代と共にその変容が発生することをどう考えるか、ということは扱わないわけにいかない。こういうキリスト教が伝統的に保持してきた解釈論のみを扱うべきだという福音派的なマインドセットも理解できなくはないが、学問という観点からは、広くキリスト教の外部にも目を広げておかざるを得ないし、それが、キリスト教が社会との対話を行うという意味でも、この種の学問的集積は基本的に重要であろうと思う。ヨブ記等が典型的にもそうであるが、基本対話をすることを前提としてかかれている部分があるように思うからである。

            映画と隠喩的解釈
             この種の研究者らしいボーという人の考えを打樋論文は次のように指摘する。
             まず、ボーはクライスト・フィギュア映画をイエスの譬え話に類するものとして位置付ける。それは譬え話と同じく、字義的レベルと隠喩的レベルにおいて、神学的またキリスト論的な意味を見出すことができるというのである。ボーによれば、映画の中でキリストが描かれることは、今日における受肉の一つの形であり、受肉の継続という視点からとらえるべきものである(Baugh 1997:109)。(同書 p.79)
             映画の隠喩としてイエス・キリストのメタファーがあるからといって、キリストの受肉の継続といえるとまで断言する気はないが、少なくとも、教会で日常的に行われる説教にしても、イエス・キリストのその言葉の意図と完全に同じものが語られることが人間がすることゆえに保証できないという意味で、どこまで教会の説教と映画でクライスト・フィギュアを示すことがどこまで違うといいきれるのか、といわれれば案外難しいかもしれないかも、と思う。

             ただ、言語的な設定で語られる譬え話は、映像がない分、抽象度と聞き手の想像する領域が広いのではあるが、映画など映像がある場合、確かに抽象的なレベルでの制約は受けるがゆえに、それを暗喩で示すことにより、抽象度を上げているのではないか、と思う。

             シックス・センスにおけるクライスト・フィギュアとこの映画がコミュニケーションの回復が同映画のテーマであるという説明があったあと、打樋論文では、次のように続ける。
             それら一連のコミュニケーションと関係の回復の中心にいるのが、クライスト・フィギュアとして死者に耳を傾けるコールである。即ち、本作を通して暗示されるキリストとは、「コミュニケーションの回復をもたらす主」としてのキリストである。それは、コールがポケットに入れる赤いキリスト像が象徴するように、生者と死者の境界を超えて、両者をつなぐ救い主としてのキリストである。また同時に、「死者」を隠喩的レベルで「周縁化された人々」「小さくされた声なき人々」として理解するならば、貧しい人や病気の人によりそい、共感する、福音書のイエスをそこに重ねることができるだろう。(同書 pp.83−84)
             つまり、自ら破れある存在となり、神と人との間のコミュニケーションや関係を回復した存在であるナザレのイエスという存在は、その意味で生きるものと死したものをつなぐ存在であり、ハリストス正教会の讃美歌で歌われる「死をもて死を打ち破り、墓にあるものにいのちを与える」存在でもあり、死という境界を超越する存在となられたのである。それは、へブル人への手紙で大祭司としてのイエスは、まさにそのような存在であることを示しているのである。

             さらに、黒澤明監督の『生きる』にあるクライスト・フィギュアが取り上げられていた。その中の登場人物の作家の主人公の登場人物にEcce homoといわせていることを取り上げつつ、次のように書く。
             ラテン語で、「この人を見よ」をいみする”Ecce homo”は、福音書の中で、逮捕されて荊の冠をかぶされたイエスをローマ総督ピラトが指さして言う言葉であり(ヨハネ19:5)、西洋絵画においては、十字架刑に赴くキリストを描いた作品のタイトルとして定着している。 この場面では、受難のキリストに結びついたこの句を持って、渡邊(主人公)が「胃がんという十字架を背負ったキリスト」として指差され、更に彼が胃癌を宣告された「その瞬間から生き始めた」ことが強調される。(同書 p.88)


            黒澤明監督 『生きる』予告編

             ここでも紹介されるように、イエスは「死して死を打ち破った」し、十字架にかかって一粒の麦として死ぬことは、多くの実を結び生きることでもあったのということを示しているし、打樋論文でこの後示されるように、この主人公の渡邊が癌による死に向かって生きていく中でなしていく公園の建設は「苦しむ他者にいのちを注ぐ愛の人」というクライスト・フィギュアが子供たちや老人たちの居場所を作るという形で、多くの実を結ぶことにつながっていくことを暗示しており、キリストの暗喩を形成して居るということでもあろう。

            キリスト教的視点から
            映画を読み解く意味
             現代に生きるキリスト教の意味として、打樋論文では、次のような実に印象的な視点を提供している。
             特に先進諸国においては世俗化が進み、キリスト教や宗教の影響力が弱まっている今日でも、文化作品の中で、社会の具体的関心を表現する際のモチーフとして、キリスト教がなお大きな役割を果たしていることには注目すべきであろう。ここで取り上げたのは、1950年代と1990年代の作品であるが、それ以降今日に至るまで、西洋だけでなくキリスト教圏ではない日本においても、何らかの形で聖書やキリスト教をモチーフとした映画の製作は続けられている。それらの新しい作品を宗教的視点から読み解いていくことは、今日におけるキリスト教の存在意義を見出していくうえで、極めて重要な作業となるだろう。(同書 p.95) 

             ここで、様々な映像作品の中に込められたクライスト・フィギュアが存在することが指し示されている。

             以前、教会で説教をさせていただくときには、これらの映像作品の中にある聖書的メタファーを利用しながら、具体的なイメージに示されたその背後にあるキリスト教概念を説明し、そして、それがどのような聖書箇所からこのような表現になるのか、といった説教をしていたこともあるが、映画を見るのは長らくNGとしてきたキリスト者グループの中の教会であったためか、世俗映画を用いることがよしとされないこともあり(世俗映画の中でも利用していいのは、「ベン・ハー」とか「塩狩峠」とか「十戒」とかだけとお考えの方もおられたようらしいし、そのキリスト者グループの映画会と称する会には、ほとんど外部の人は来なかったがこの3本を延々と大いなるマンネリのように繰り返しておられた)、かなりご年配の信徒さんからの受けはやたらと悪かったようであるが、若い方からはおおむね、「あぁ、なるほど」とご理解いただけたりはした。要は用い方にもよるかもしれない。
             教会の中で世俗の作品( 「ベン・ハー」とか「塩狩峠」とか「十戒」 とかも世俗の作品であるが、歴史を経て検証されているのでいいのかもしれないが)を利用することの妥当性に関する議論はあるとは思うが、ある程度うまく世俗作品中に見られるクライスト・フィギュア、聖書人物の投影がされていると思われる部分を利用しながら、それの解説を行いながら、とりあえず敷居の高い教会が、世俗作品を見せっぱなしにして終わらず、その映像作品のクリップの中にちらっと現われた聖書理解をどう考えているのかを、どう見ているのかを提示することは(プログラミングの世界におけるマシン語変換され、別物として提供されるプログラミングから、もともとの高等言語デコード化された、プログラミングコードを推測していく逆アセンブル手法と似ている)、映像時代における一つの入り口を提供するのではないかなぁ、と思っている。まぁ、注意しないと、映像を見せることに熱心にあるあまり、本来的な説教の質が下がるとすればそれは意味のないことではないか、と思っているが。
             まだまだ、続く。




             
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            2016.05.11 Wednesday

            『現代文化とキリスト教』を読んだ(3)

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              今日も、『現代文化とキリスト教』のなかから、第4論文の白波瀬論文「多文化共生の担い手としてのカトリック 移民支援の重層性に着目して」からご紹介してみたい。

              多文化共生のためのプラットフォームとしての教会
               白浪瀬論文では、まず、日本が移民を多数受け入れている社会になっていることを指摘した後、次のように書いている。いや、日本は原則単純労働力としての移民は受け入れていないので、それほど多くはないはずだ、という理解はあるかもしれないが、実は案外多いのではないか、と思う。もともと、日本から南米に移民したその第3世代、第4世代の人々が、現在は、日系人であるということから、日本に滞在しておられるとはいえ、日本語での意思疎通も困難で、外見からはほぼ日系人には見えない人々て形成されている社会もある。あるいは、もともとベトナム難民の皆さんが集住している地域があったり、その能力ゆえに日本で働くインド系の皆さんが集住している西葛西駅周辺や和光市などが集住している地域があったりする。あるいは、フィリピン系の人々が大きい地域もある。そのような地域では、公式組織である行政が適切に支援できていない中、それぞれの出身国の国籍をキーにした自助組織が形成されたりもしている。そのような中で、なかば公式組織、なかば非公式組織あるいはボランタリー組織の側面を持つ教会がソーシャルキャピタルとして、一定の役割を果たしている事例があるのではないか、ということが述べられた論文であり、日本に居住するニューカマーとしての外国人に対するソーシャル・キャピタルの役割を果たしている教会の例として、カトリック教会があげられている。

               こうしたなか(引用者註 移民が社会に増加する中)、地方行政、町内会、集合住宅、学校、職場などが多文化共生のフィールドとして注目を集めている。一方、移民の信仰は特定のエスニシティ(民族性)で内閉する場合があり、概して日本人との接触機会は乏しい。こうしたことから、教会や寺院といった宗教組織が多文化共生という観点から論じられることは少ない。
               しかし、中には多文化共生がダイナミックに展開されている宗教組織もある。その典型例がカトリックである。近年の日本のカトリックは、信者のおよそ半数が外国籍の人々で占められるようになり、他文化状況が著しい。こうした特徴に加え、カトリックは、難民や移民に対する政府・地方政府の社会的包摂施策の不備を補うような働きをしてきた。
              (『現代文化とキリスト教』 pp.99−100)

               そして、入管法改正とそれに伴う新しい移民の皆様の増加が経団連を中心とした経済団体などの参加企業の利益に資するために用いられることなどが紹介されている。これは、無論企業だけでなく、農業や漁業など、劣悪で厳しい労働を強いられる産業で、研修生とは名ばかりの実質的な労働力として利用されている場合も少なくない。時折、この研修生が犯罪を中心とした事件や問題を引き起こすたびに申し訳程度言及されることはあるものの、その抜本的対策にかんして、法制度を構想する国会でも、それの運用規則を作る政府も、そしてマスコミも、そして社会の成員であるべき市民も正面切ってこの問題に取り組んでいる状況にないように思う。
               ところで、多文化共生の問題を正面切って先駆けて引き受けることになった大学では、これまで否応なく対応を迫られてきた、とはいえ、多文化共生のためのハラル食の大学生協をはじめとした食堂での提供や留学生センターの設置など、まともな対応がとられ始めたのは、この10年余りであるといってよく、まだまだその対応は端緒についたばかりであるようにも、思う。
               
              オールドカマーとの多文化共生が従来から政策課題の一つとして取り組まれてきた大阪市のポスターの入選作品の一つ
              http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000185169.html から

               こういう多文化共生という意味では、公共圏をどう考えるのか、ということと関わっているように思う。1945年以降の日本社会では、日本に定着しようとした新参者である外国からの移民が少なかったこと、日本語が言語のバリアの形成に重要な役割を果たしたこと、その新参者が日本社会とある種分断されたコミュニティを形成して居られたこともあり、多文化共生、留学生10万人計画(後に30万人計画)ということが言われながらも、それが現実の社会に定着はしてこなかった。

               近年まで、新着移民が到着し続けてきたアメリカでは、新着移民、あるいは、社会適応が困難な移民たち、ないし、社会自体が自由放任主義を是とする社会であったため、どうしても社会の制度から抜け落ちてしまったり、社会のセーフティネットから脱落してしまう人々が出てしまう。

               そういう人々に対して、一種のセーフティネットとか、ちょっとした戸惑いや、行政が介入していない領域での問題解決を提供し、社会への定着を援助する組織、あるいはヒューマン・ネットワークが提供する社会生活を順調に進めるための資源である社会的資本を提供し続けてきたことがロバート・パットナムの『孤独なボウリング』で紹介されている。また、そういう人々にソーシャル・キャピタルを提供する存在としての教会があるのではないか、と提案したのが、いわゆる社会派と呼ばれる教会群への神学的基礎を提供したラウシェンブッシュ先輩といえるだろう。

              自己に都合の良いことのみを想定する多文化共生概念
               多文化共生といえば、言葉としては非常に麗しいものとして聞こえるが、その実態はかなり厳しいものである。現在の大学では、留学生30万人計画が政府や文部科学省が提唱していることもあり、様々な国や文化、宗教の異なる人々が共生する社会が生まれている。また、企業でも、日本企業が国内市場の縮小を予想し海外展開を前提とし、多国籍企業化を志向しているため、就業者の多国籍化が図られ、極端な例として、社内の共通語を英語にするような楽天などの様な企業もみられている。しかし、そうはいっても、実態的に日本の企業は日本の企業としてあるのではないか、というあたりを揶揄している側面が、以下の日清食品のカップヌードルなどのCFに現われている。


              日清カップヌードル グローバリゼーション

              そのような背景の中、現在の日本のグローバリゼーションに関して起きている側面を、白波瀬論文では、岩渕の所説を紹介しながら、次のように書いている。

               また、社会学者の岩渕 功一は、「中心にいる不可避のマジョリティが自らを根本的に変革することなく、自分たちに有益な他文化性を許容するものであり、社会の一員として共に社会を構成してより包括的な社会へと変革してく共生の発想とは根本的に異なるだけでなく、それを抑圧するのでさえある」(岩渕、2010年 「他文化社会・日本における<文化>の問い」岩渕功一編『多文化社会の<文化>を問うー共生/コミュニティ/メディア』青弓社,16−17ページ)と述べ、多文化共生概念が現実の構造的な不平等を覆い隠してしまうことを強調している。(同書 pp.102-103)

               最近のベルギーやフランスでのテロ、米国や英国でのホーム・グロウン・テロリズムに関する日本のマスコミで取り上げられる発言を見ている限り、郷に入れば郷に従え、という形での議論の展開がなされ、確固たる日本の文化的基盤を維持し続けながら、多文化共生を日本及び日本人が都合の良い部分だけを享受するような形のグローバリゼーションとして、語られることがある。

               ところで、シリア難民のヨーロッパの受け入れが難航していることに見られるように、本来移民、移住者というのはどの国にとっても、既存文化と摩擦を起こしかねない問題をはらんだ存在であるが、地続きのヨーロッパでは、ゲルマン民族の大移動やフン族の流入のみならず、地中海を渡って、イスラム海賊がヨーロッパ(スペインやイタリアあるいはフランス)の海岸べりに押し寄せるなどといった経験をしてきた社会であり、多様な人々が流動し続けていく中で形成された文化でもある。その意味で、ある場合においては、戦争という形や他国民による支配で、物理的なむき出しの暴力や戦闘という形でのコミュニケーションをしながら多文化共生の歴史を経験してきたのがヨーロッパ型の多文化共生社会であったといえるかもしれない。

               それに加えて、現在では、より広範囲な形でのグローバル・サウスからの移民を迎えてもいる。フランスは、北アフリカに植民地を持っていたし、イギリスは、イギリスで、中東やインドそして南アフリカを植民地として支配した。ベルギーは、ルワンダやコンゴを植民地にしていた時代があり、この時代の結果、現在、これらの国には、旧宗主国を目指して、元植民地だった国家から豊かさを求めて人が流入することになり、一見しただけでは、ヨーロッパの建物や街角を背景にアフリカ諸国からの市民が市民として闊歩するという状況がヨーロッパでは生まれている。ある面、植民地支配をしたことで、多文化社会が自動的に植民地支配終了後に一人でに出来上がってしまって、現在その他文化・他民族共生現象に対する対応が迫られているのではないか、という感覚は否めない。現在、ヨーロッパ諸国に行くと、コーカシア系の人々(いわゆる日本人が白人と呼ぶ人々)より、アフリカ系、アジア系の方を多く見かける地域もヨーロッパの都市部には相当数存在する。

               日本では、アジアや太平洋の諸群島を植民地にした経験(最近はこの種のことをご存じない日本人の学生さんが多いので、ちょっとびっくりすることが多いが)しかないため、ヨーロッパとは違った多文化共生社会であることが求められていることが多いが、昔は植民地支配という形で無理やり日本人にする、あるいは日本人であるから日本文化を共有させられる形での移民が発生したし、先述したように現在は研修生という名の一種の労働力の搾取制度に則って、農業分野、漁業分野や工業分野での労働力としての期間限定の移民が発生している。日本国内での看護職や介護職の業務に対する給与の低さの問題から離職率が高いなど、看護、介護分野での期間限定の移民(ただし資格試験の合格が前提であり、この試験対策が大変なので実際には大量に流入することまでには至っていないが)が構想されたりはしている。更には日系南米人の入国条件は他の南米人の入国要件に関して大幅に緩和されているため、ブラジル人コミュニティが生まれ、そこでの無国籍者問題、あるいは基礎教育が与えられない問題など、様々な問題も存在している。また、留学生に関して言えば、時間給で働く労働者としてのその数の多さや言語障壁のため、深夜など条件の悪いアルバイトなどの機会しか就労機会がない場合も存在する。

               これらの事例に見られるように、法律に基づく制度を設けながら、一種労働搾取を可能にし、日本側に経済的な利益が生まれるかたちでの実体としての多文化共生が実現しており、そしてそれを多文化共生という語で美しく飾るという様な状況が日本で発生していることを岩渕は批判的に述べているように思う。まぁ、この手の本音と建前の使い分け、というか、本音を美しい表現で隠すことは、日本ではよく行われることが、現代の経済社会において起きているだけのことであろう。


              表現と実際のずれをついた たかまつなな嬢

              場の存在の重要性
               地理学や地面で起きていることや空間上の人間活動を世俗の仕事の対象としていることもあるからかもしれないが、同書で紹介されているいくつかの指摘の大事さを強く感じる。

               文化人類学者の岡田浩樹は、多文化共生が「『他者と共有された居場所』における『共生』の実践を意味し、他文化的状況にある『場』というローカルな『公共空間』の存在が前提になっている」(岡田 2014 「多文化共生」山下晋司編『公共人類学』p.41)と述べている。このように多文化共生を検討する際、具体的な空間を想定することは極めて重要だ。なぜなら、日常での他者の邂逅に目を向けることは、文化差異や共生を単に抽象的な次元で理論的に理解するのではなく、矛盾を抱えながらも他者と共に暮らすことを受け入れていくことにつながるからだ(岩渕、2010年)。多文化共生は必ずしも、十全で調和的な文化的差異の受け入れや共存とは限らない。むしろ、「反発や疑念を含みながらも、それでも同じ社会空間を生き、構成していくという必要に駆られて、あるいはそうした意思を持つことで生み出されていくもの」(岩渕 2010年 p.18))だといえるだろう。(同書 pp.104-104)

              とこの部分を読みながら、 「反発や疑念を含みながらも、それでも同じ社会空間を生き、構成していくという必要に駆られて、あるいはそうした意思を持つことで生み出されていくもの」という岩渕の指摘は非常に面白いと思った。というのは、旧約聖書自体が、この他者である異邦人、外国人との関係性の中で記述されることが多く、多文化共生を図るように仕向けられているのではないか、と思うほど、外国人と共生するなかでの記述が多い(たとえば、アブラムももともと多文化共生をしているし、エジプトでも、定着後のイスラエルでも、バビロン捕囚でも、また、捕囚からの期間後でも)。最近、家人がペルシャ語を勉強し始め、ペルシャ文化や遊牧民文化などが話題に上がることが多く、そのような背景から遊牧民文化などについて考えていると、そもそも、遊牧民に取って同じ社会空間で多文化共生が行われる期間は短く、限られた経験となったことが多いとは想定されるものの、遊牧という産業自体が、基本的に多文化共生を求められる、あるいは他者性を持つ存在との共存を図らざるをえない産業であると思う。

               ところが、定住産業である耕作による農業や果樹中心の農業が中心になってくると、定住して、その定住した社会の中での関係が重要になり、他者性を持つ人々の異文化交流や多文化共生というは寄り数が限られたものにならざるを得ない。さらに言えば、移動手段が限られる社会(馬などによる移動が通常の場合に行われえない社会)では、そもそも他者性を持った存在との邂逅なども滅多に起こりえないため、多文化共生の概念が普遍的な社会概念とはなりにくい。

               日本列島付近では、大化の改新のころや、鎌倉期以降や安土桃山から江戸初期の時期、江戸期の後期から明治期の初期、明治末期から昭和初期、昭和20年代から昭和30年代までにかけては、非常に多文化のとの共存がその時々の必要に応じるかたちで図られてきた時期があり、その時代には積極的に接触が行われる(共生とまではいかないことが多いのであるが)ことがあった。

               先日、お伺いした教会でツロ・フェニキアの女の話が出てきたときに思ったことであるが、定住後のイスラエル民族にとって、異民族(とりわけ遊牧民や海洋民族(ツロ・フェニキアは海洋民族)というのは、敢えてリスクを引き受けざるを得ない空間で活躍しているという意味で非常に理解しがたい存在ではなかったろうか、とおもった。定住化したイスラエル人にとっては理解しがたい人々であったことが、そもそもその父祖が遊牧民族であったイスラエル人ではあるが、定住した結果のイスラエル人からのこれらの人々への差別意識の背景にもつながっているような気がする。基本的に定住住民には漂流民は異人であり、好ましくない存在なのかもしれない。この辺に関しては、日本文化と漂流する民に関する『中世の非人と遊女』や『 無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和 』や『漂泊と定着―定住社会への道』といったあたりの網野氏の民俗学の研究成果が参考になろう(個人的には一見解に過ぎないと思っているが、大変参考になる見解であるとは思う)。

               詳細は後述するが、カトリックは明確に多文化共生の価値を内面化している。また、その価値を共有するために、教団・教区という組織の中央のみならず、末端の小教区(教会)レベルにまで広がるネットワークを有しており、それぞれの現場で具体的な取り組みが行われている。それらの点が、他の宗教組織にはない特徴といえよう。(同書 p.105)

               ところで、確かに、こういう多重的なネットワークを介した困難者へ対する対策、というのは、カトリック教会の総合能力の高さ、ということに関して敬服するしかない。アドホックコミュニティ型で運用されることの多いプロテスタントにはできない芸当であると思う。あるプロテスタント系の信徒の方がツィッターで、「カトリックが自衛隊型で能力発揮するとすれば、プロテスタントが個人ボランティア型で、個人としての能力に限られる(大意)」と書いて居られるのを見ながら、「そうだよなぁ」としか言えないプロテスタント側の悲しさのようなものを感じた。組織を動かし、その中にある様々な組織をアドホック的につなぎながら、一定の限界があるとはいえ、効果的に動かしていくカトリック教会の姿を見ながら、ある面うらやましいと思うことがある。

              カトリックでの多文化共生が
              なぜ目立つのか
               カトリック教会での多文化共生に関して、白波瀬論文では次のように紹介している。

              では、なぜカトリックは他宗教に比べ、多文化共生にかかわる取り組みが目立つのだろうか。そのことを読み解くヒントは、近年のカトリックの信者後世の変化にある。急激なグローバル化に伴い、今日の日本のカトリックは、信者の約半数が外国人で占められ、多文化状況が激しい(谷ほか 『移住者と共に生きる教会』 女子パウロ会2008年)。2014年末の国籍別在留外国人で上位5位が中国、韓国・朝鮮。フィリピン、ブラジル、ベトナムとなっているが、このうちフィリピンとブラジルはカトリック信者が国民の多数を占める国である。また、ベトナムでは大乗仏教が最大規模の宗教だが、カトリックはそれに次ぐ規模を持っている。つまり、日本における移民の増加は、いわゆるグローバル・サウスからのカトリック信者の増加をもたらすことにもなっているのだ。その結果、今日、外国人信者の数が日本人信者の数を上回る教区・小教区(教会)も珍しくなくなっている。日本のカトリック信者が近年、著しく高齢化していることも指摘しておく必要があるだろう。こうした状況において、移民の増加はカトリック教会に新たなコンフリクトを持ち込むことがある一方で、その維持・存続においてなくてはならない存在にもなっている。(同書 p.107)

               そもそも、古代ローマ帝国とも密接に関係のあったローマ・カトリック教会は、ローマ帝国の敗者を含めつつ包摂し帝国経営を実施する包摂型の政治体制をローマ帝国からも継承していることがあることに加え、第2バチカン公会議以降の他宗教に対しても基本的に対話を試みる態度などにもみられるように、現代では包摂的な態度をとっていることなども多文化共生に資しているのではないか、と思われる。

               また、カトリックや聖公会などのキリスト教会が包摂がある程度容易なのは、彼らの教会運営が、固定されたフォーマットである世界で広く共有されている様式性を重視していること、また、 イコンや聖像や教会同祖のものをはじめ非言語的な装置でも聖書理解が表現されており、言語を超え、特定の言語に依存しない形での礼拝を可能にする部分を大きく持っていることなどで、多文化の包摂可能性がより高い部分もあると思う。

               ところで、ベトナム移民は、ベトナム戦争当時、ベトナム難民として、黒潮に乗って、ボートピープルで日本に到着したの人々にカトリック信者が多かったという側面もあるのではないかと思われる。

              1989年8月23日 撮影された沖縄沖を航行するベトナム難民の方が乗った船舶
              http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160124000205.htmlから

               さらに、ブラジル籍や南米籍の信徒が多いのは、日本からの移民となってブラジルをはじめとする南米にわたっていった旧日系移民の子孫たちが2世、3世、4世と世代が下るごとに現地化していき、現地の文化的基盤となっているカトリック信仰に触れるようになり、さらに、現地の人々との姻戚関係が構成されることにより、カトリック信者となっている人々が現在日本に多く流入しているのではないかと思われる。


              日系ブラジル人アイドルグループ リンダ3世
              http://www.asahi.com/topics/word/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E4%BA%BA.html 元記事は公開されてない模様。
               
               しかし、上の指摘で案外大事だと思ったのは、「 日本のカトリック信者が近年、著しく高齢化していることも指摘しておく必要があるだろう。こうした状況において、移民の増加はカトリック教会に新たなコンフリクトを持ち込むことがある一方で、その維持・存続においてなくてはならない存在にもなっている。」という指摘である。

               数年前、Facebookでお友達になっているカトリックの司祭が壮年会での写真としてあげた写真を見ながら、「これはどう見ても、「老人会」ではないか」と思ったが、「老人会」入りするにはまだ若いので、「壮年会」ということなのかもしれない。

               プロテスタント教会でも、高齢者が多くて、行事が結構大変といった、似たような話は時折お聞きする。例年通り、9月に「高齢者祝賀会」をしようとしたら、祝賀される対象の高齢者の数より、祝賀する方の人の数が極端に少ないため、祝賀される側の年齢基準を引き上げ、祝賀する側の非高齢者に回ってもらうなどの措置がとられる、という状況の中で、「本来は祝賀される方なのだが」といいながら、今年の高齢者祝賀会の実施をアナウンスする教会役員などのお姿を拝見することにもなる。

               斯様な状況では、ニューカマーである移民が教会に集まるカトリック教会では、存続の可能性が極めて高いが、移民受け入れの可能性が極めて低い、他民族の包摂の方策をあまりお持ちでないキリスト教、とりわけプロテスタント系諸派では、今後の存続は非常に厳しいのではないか、とも思った。 

              今後の多文化共生とソーシャル・キャピタル
               カトリック教会での多文化共生、他民族共生とニューカマーとしての移民の支援に関しては本書の詳細な記述をご参考になっていただきたい。それらに向けての具体的取り組みが紹介された後、では、これからの日本のカトリック教会がどのような形で、多文化共生、他民族共生に現在の我が国の法制度のもとで関与できるかについて、先に『孤独なボウリング』の著者としてご紹介したロバート・パットナムの議論を引用しつつ、以下のような具体的な方策に対する視座を本書では提供している。
               日本において公的機関と宗教組織との協働が進みにくい大きな理由の一つに、政教分離の原則がある。筆者は、こうした障壁を乗り越える手段として、宗教組織が宗教法人以外の法人格で、移民支援を目的とするアソシエーションを結成することが戦略上、有意義だと考えている。なぜなら、主教組織を土台としつつ、宗教組織とは異なるアソシエーションを併設させることで、性質の異なるソーシャル・キャピタルを同時に形成することができるからだ。ロバート・パットナムのソーシャル・キャピタル論を援用するならば、宗教組織は、同質性を媒介にして集団内の信頼や互酬生を促し、結束を強める「結束型ソーシャル・キャピタル」を形成しやすく、宗教組織内<多文化共生>を推進する原動力になりうる。一方、宗教組織に併設されたアソシエーションは、異質性を媒介にしてたようなメンバーを結びつける外向的な性質を持つ「橋渡し型ソーシャル・キャピタル」を形成しやすく、宗教集団外<多文化共生>を促進すると考えられる(Putnum 1993=2001 河田潤一訳 『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』NTT出版)。これらの特徴を考慮した上で、カトリックが自らの組織を再編させていくとき、「社会が宗教組織を多文化ソーシャルワークの担い手と認知すること」は極めて現実味を帯びたものになるだろう。(同書 pp.119-120)
               多文化共生社会と教会ということを考えるうえで、引用部分は極めて重要な指摘を白波瀬論文では、しておられると思う。まず、社会ないし社会の一部の人々が共通資源として利用できるソーシャル・キャピタルを生まれるためには、何らかの共通性ないし同質性が必要である、というご指摘であり、それがキリストに対する信仰があるのではないか、という指摘である。

               例えば、海外における日本人会や日本国内における県人会などのソーシャル・キャピタルを生成する装置の場合、日本人会の場合は、日本国籍を有する人々が海外で生活するうえで必要となるちょっとした知識(日本製のお菓子や食品類がどの店で手に入るとか、といった実に下らないことから、帰国する際に車を手放すためにはどうしたらよいのか、死亡した際に日本に遺体を運ぶのにどうしたらよいのか、誰と交渉すべきかといった知識など)や衣類や家電製品のあげます、もらいますといった情報交換といったことだけでなく、さらには、孤独を感じたときに日本語で気軽に会話できることによる精神安定といったことに至るまで、政府が提供しえないようなちょっとしたことではあるけれども、あると非常に生活が楽になるということを互酬制に基づき実施される。日本にいると、あまり気が付かないが、こういうことが案外海外にいると非常にありがたいのである。日本にいると、日本での同窓会や、所属組織、同業関係者、出入り業者などがこのような無形のサービスというか無形の資本を提供してくれるし、日本では長期にわたる人間関係のネットワークが自然に機能するので、このようなことを考えなくてよくなるのである。ところが、海外にいると、海外での受け入れ組織や所属組織がこのような人間関係やサービスを必ずしも提供しない(そもそも、所属組織がそのようなサービスを目的としないことが多い上に、海外の組織はアドホック型組織であることが多いため、長期にわたる人間関係のネットワークが形成されない)ことが前提とされることが多いため、生活で戸惑うことが多い。また、時には孤独にさいなまれることになりかねない。

               しかし、北米の教会では、パットナムが『孤独なボウリング』で指摘するように、これらのサービスを教会員に提供してきた長い歴史があるし、ロドニー・ストークが『キリスト教とローマ帝国』で指摘した、劣悪な医療環境下でもあったローマ帝国の最盛期におけるキリスト教会の関係者の病者のケアによる生存率の高さがあったことも、教会という組織がソーシャル・キャピタルとして機能したと見ることもできよう。まぁ、仏教も奈良時代において、この種のソーシャル・キャピタルは、悲田院という組織を介して提供はされているので、ソーシャル・キャピタルの社会への提供をキリスト教の専売特許の様に考えることは、ナンセンスであるけれども。

               また、現代の日本人の海外渡航した留学生が、海外の教会の持つ有形無形のソーシャル・キャピタルからのサービスを受け、それを契機に信仰を持つことがかなり多いように思われる。しかしながら、これらの人々が日本に戻ってくると、日本で同種のサービスを提供する、地域、友人、会社や学校という組織での人間ネットワークがソーシャル・キャピタルとして既に存在するため、キリスト教会の提供するソーシャル・キャピタルが相対的に小さいこと、更には、彼らが海外(とりわけ北米)で触れた教会理解や教会文化と日本で独自に発展した教会理解や教会文化に大きなギャップがあり、それにカルチャー・ショックを起こして、教会に来なくなる例も少なくないと聞く。残念なことであるが、これは致し方ないことなのかもしれないと思う。

               近年キリスト教の中でも福音派と呼ばれる教会群の間でも、社会へのサービスを提供することを重視する日本基督教団社会派の教会群が以前行っていたようなことと類似するサービスも志向する傾向も近年はみられる。それはそれで、個人的には否定的にはとらえていないが、まずもって、福音派は多様な背景を持つキリスト教の集合体というか、百家争鳴状態というか、群雄割拠状態であり、案外、横の連携をとるのが困難な集団であるので、まずもって共同体としての共通部分というか同質性をどうやって担保できるのか、ということを十分考慮したうえで、取り組むことが重要ではないか、と思う。

               なかでも、どう論文の指摘で非常に重要なのは、「異質性を媒介にしてたようなメンバーを結びつける外向的な性質を持つ「橋渡し型ソーシャル・キャピタル」を形成しやすく、宗教集団外<多文化共生>を促進する 」という部分であろう。つまり、異質性を受容する一種の包摂性をこれらの組織が持ち得るかどうか、ということが重要であるといえよう。これまで、自己の聖書理解を重視するが故に包摂性よりも同質性を重視して教会が形成されてきた経緯を持つ、プロテスタント諸派、とりわけ福音派が自分たちが受け入れ可能でないような人々(たとえば、同性愛的傾向を持つセクシャルマイノリティの人々やアルコール中毒患者ないし依存症的傾向を持つ人々や無神論的な傾向を持つ人々)などを含め、どこまで包摂できるのか、包摂しようとするのか、ということが現在国内的にも問われているし、更により多様な外国籍の人々とどう向き合おうとしていくのか、ということが問われることにもなりかねないのではないか、と考えている。

               ある意味で、もともと、包摂的な傾向を持ちながら、更に包摂可能性を広げる方向に一足先に聖書理解の側面でも舵を切ってきたカトリック教会では多文化共生への対応が、プロテスタント諸派よりもより有利であったということでもあろう。

               報道されている限りにおいては、家事労働者としての外国人の就労可能性の拡大、その他日本の少子高齢化、高齢化対策、産業の縮小への対策として、外国人の共生社会を迎えていくことが構成されている。そのような中で、キリスト者としてどのようにこのような多文化との共生を図っていくのか、従来型の欧米の宣教師たちを中心にするような多文化共生を図るのではなく、グローバル・サウスからの労働力としてニューカマーとして到来する人々にたいして、キリスト教会としてどう向かい合っていくのか、ということがそうお遠く未来に来る現代において、多様性を持ち、多様な文化を持つ人々に対してどう考えるのか、ということが教会に問われているのかもしれない。従来のように、我々は日本の教会だ、という態度をとり続けるのか、我々は多様性を持つ人々を、神のかたちを持つ多様な人々からなる教会を目指すのだ、という態度へ家事を切るのか、ということは考えはじめた方がよいのかもしれない。

               まだまだ、続く。




               
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              ¥ 1,944
              (2016-04)
              コメント:非常に面白い論文集

              評価:
              ロバート・D. パットナム
              柏書房
              ¥ 7,344
              (2006-04)
              コメント:この種のことを考える際に非常に参考になる名著

              評価:
              網野 善彦
              講談社
              ¥ 1,037
              (2005-02-11)
              コメント:非常に印象的でありました。

              2016.05.14 Saturday

              『現代文化とキリスト教』を読んだ(4)

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                今日は現代アフリカでの世俗文化とキリスト教の影響を示した三阪論文「現代アフリカ社会における都市文化の生成 ー キリスト教的文化との融合」からナイロビというアフリカ文化の背景の中でのキリスト教の受容と変容に関しての記載をご紹介しながら、考えていきたい。

                アフリカ・ナイロビでの霊性
                 三阪論文では、ケニアのナイロビの フィールド 調査結果から導き出した結論を語る前に、ナイロビの市内の宗教的な状況を次のように語る。

                 このような大都市(引用者註 ナイロビ)の中で、宗教も大きな存在感を示している。ストリートを歩くと、ビルの中に入ったいくつもの教会から、大音量のゴスペル音楽や祈祷する人々の声が聞こえ、モスクからは導師イマーム(引用者註 より正確には、イスラム法学者、新約聖書の律法学者が存在としては近い)の説教がスピーカーを通して聞こえ、建物の壁や電柱には、妖術師たちによる妖術・呪術のビラがいたるところに張られている様子がみられる。その中でも、この都市におけるキリスト教の影響の大きさは計り知れない。それは、数メートルおきに建てられた教会、町の中心部やマーケット内で屋外説教を行う牧師、日曜日になると普段よりおしゃれをして教会に向かう人々の様子から垣間見ることもできる。但し、信仰活動だけがこの都市の宗教の盛り上がりを示しているわけではない。(中略)そして、若者たちのお気に入りのヒップホップやダンスホール音楽には、ところどころにキリスト教的なメッセージが含まれ、庶民の足である乗り合いバスや路上に連なる商店には、聖母子、イエス・キリストのイラストや著名な牧師の写真などが飾られており、この都市においてキリスト教的文化が散在している様子が見られるのである。(『現代文化とキリスト教』p.135)

                雑多な宗教が交差しながらも、伝統的な呪術的な世界観もいまなお顔を逃させていることを見事に描いている。この部分を読みながら、神戸の元町の商店街付近のことを思いだした。神戸の元町付近の雑居ビルの中で運営されている教会がいくつかあり、そのいくつかはエスニシティに依存した教会のように見える。その少し先では、手相占い、タロットカードによる占いなどをはじめとしたさまざまな占いがあったり、割と昔からある神社もあれば、結婚式場教会もある。レストランのビラ配りの呼び声やチャイナタウンの客引きの声は聞こえることはあるが、牧師の説教やイマームの説教は聞かれること、仏教の読経の声や神道の神官の祝詞が聞こえるわけでもない。まぁ、時にキリスト教関係団体の関係者の聖書箇所をひたすら読み上げる軽自動車に搭載されたスピーカーからの音を聞くことはあるけれども。


                割と有名らしい観光客も来る占い専業の雑居ビル

                神戸の中心商業地の元町付近にある占いのお店

                神戸市元町にある結婚式場教会 Kobe Saint Morgan Churchの夜景

                 ケニアのポップスにキリスト教的な発想に基づくメタファーが込められているようであるが、日本のポップスではキリスト教のメタファーが濃厚に含まれることはごくまれであるし、キリスト教の画像や有名牧師の画像が街のあちこちに見られることがケニアではままあるようには、日本の商店街でそのような経験することはない。クリスマス(最近出は、 ハローウィンやイースターも)等の時期を除き、キリスト教のメタファーが商店街にあふれることはない。まぁ、ハローウィンにしても、クリスマスにしても、キリスト教の精神が反映されたイラストではなく、アメリカ文化を経由した外国風のキリスト教のメタファーからは少し離れたメタファーが用いられることが多い。


                デコトラや痛車も真っ青なケニアのマタトゥと呼ばれる乗り合いバス 
                ジョージ・ワシントン、マルチン・ルーサー・キングIII世・おそらくオバマ大統領と思しきデコレーションが付されている
                https://www.yahoo.com/news/suffocating-security-ahead-obamas-kenya-visit-035802233.html?ref=gs から


                ケニアにおけるキリスト教事情
                三阪論文では、ケニアにおけるキリスト教の状況が以下のようにまとめられている。
                ケニアにおけるキリスト教徒は、2009年の人口センサスによると、全人口の8割以上(プロテスタント48%、カトリック23%、その他のキリスト教12%)である。そのうち、総人口の(約4000万人)の60%以上は、ペンテコステ系の影響を受けたキリスト教徒というデータがある(The Pew Forum,2006)。しかし、「ペンテコステ系教会と主流派教会(著者注:カトリック、英国国教会、長老派、メソジストなど)の間には必ずしも明瞭な区別は存在せず、ペンテコステ派とか主流派とか言った累計はかなり流動的なものである。主流派に属するクリスチャンでもペンテコステ派の世界観を有していることもある」(Gifford, 2009, ,Africa's New Pentecostal Christianity(=落合雄彦訳「アフリカのペンテコステ的キリスト教」落合 雄彦 編、『スピリチュアル・アフリカー多様なる宗教的実践の世界』晃洋書房、pp.57-80),p.65)という指摘もあるように、その境界はあいまいである。(同書 p.136)
                ここにもあるように、既存の伝統教派の枠はありつつも、ケニアの教会群では、大なり小なり、ペンテコステ派の影響を受けていることが指摘されている。このことは案外重要ではないか、と思う。

                 もともと、アズサ・ストリートでの経験は、アメリカのロサンゼルスの劣悪な社会環境にあったアジアからの新規移民やアフリカ系アメリカ人社会の人々の中で生まれ、大きく成長していった運動体に端を発している。ある面、日本でも、より暖かい地方であり国内的にも経済環境の厳しい沖縄、九州での広がりや、関西でも社会的に困窮する人々が多い地域の人々の中で活動しているペンテコステ派そのような傾向がみられるようにも思う。その面で、ペンテコステ派の教会の現実的な救済の約束が、これらの困窮する人々や、医療や社会的な豊かさの分配に十分あずかれない人々の一種の救済となっているようにも思う。それだけ、当時のアメリカでのアフリカ系、アジア系の強制移民された人々、新規に経済移民として到着した人々は、生活状況、勤労状況を含めた劣悪な社会環境に直面せざるを得なかった、ということでもあると思う。

                 こういうことを書くと日本では、下品だ、差別的だ、と言って怒りだされるキリスト教会の方もおられるが、これは案外重要なポイントとして押さえておくほうがよいのではないか、と思う。アメリカなどの宗教社会学などの研究では、こういう切り口の研究はあるのではなかろうか、と思う。金融研究で、このような地域住民の特性と金融業の業態別分析をLos Angelsを対象に実施した例は以前世俗の業務の一環で読んだことがある。

                古いケニアの文化とキリスト教への変容
                もともと東アフリカの部族地域民族地域では、Witch Doctorと呼ばれる呪術師もどきの民間療法をする医療と呼んでよいのかどうかわからないような医療を提供する人々も多数おり、基本呪術的な自然宗教が広く一般に広がっていたと思われる。そこに植民地行政とともにキリスト教が流入していく経緯を三阪論文では次のように紹介する。
                 改宗前の東アフリカの人々は、主に民族によって異なるが、「自然宗教」なる土着の宗教を信仰していた。そこにキリスト諸教会はいち早く西洋医学や教育を導入し、イギリス植民地行政と結びつきながら、キリスト教への改宗を促したのである(小泉、2009年、「グローバリゼーションとしてのペンテコステ主義運動ータンザニアのキリスト教徒たち」阿部年晴・小田亮・近藤英俊編,『呪術化するモダニティー現代アフリカの宗教的実践から』風響社, p.265)。ケニアでは1844年、英国聖公宣教協会(Church Mission Society)の宣教師がモンバサで布教をはじめたことを嚆矢として、聖霊司祭修道会(カトリック)、長老派、メソジスト、フレンドは、ペンテコステ派など、西欧諸国から様々な教派の宣教活動が進んだ。その後、20世紀初頭から独立期(1963年)にかけてはキリスト教のアフリカ化が進んだ時期で、欧米ミッション系キリスト教会から分離独立して、アフリカ人によって形成された「独立教会」が多く設立された。その最大の特徴は、聖霊の表委、異言、悪霊払い、信仰による治癒などである。その後、1990年代から現在にかけて、ミッション系主流派教会や独立教会とは異なるペンテコステ系の教会が拡大している。それらは独立教会に見られる特徴を共有しており、霊的な力の重視、聖書の再現、異言の重視、成功や繁栄の重視、伝統の否定などの特徴がみられる。アメリカで盛んなメガチャーチを踏襲した形態の教会も多く、巨大なドーム、公園、広場などでクルセードを頻繁に開催し、テレビ、ラジオ、インターネットなどのマスメディアを多用した伝道活動を行っている。(同書 pp.137-138)
                 この部分を読みながら、思ったのは、実は日本の第2次キリスト教ブームと理解してよいと思われる、明治の文明開化の直後のキリスト教ブームが起きた時期と、ケニアへのキリスト教の伝来が時代的に、そう時代が変わらないという点である。1859年10月にヘボンことJames Curtis Hepburnが横浜到着し、1863年(文久3年)、横浜に男女共学のヘボン塾(後の明治学院とフェリス女学院の前身)を開設している。ケニアに遅れること10数年である。もちろん、この時期の海外宣教の背景には、リビングストン博士をはじめとする英国や米国での一種海外宣教熱と呼んでもよいような関心の広がりなどを指摘することができよう。また、この海外宣教熱を支えた技術的な背景として、蒸気船の発明や、大型船舶の設計技術の開発、リベット鋼板接合による船体の鋼鉄化による強度の増加、海図の整備をあげることもできよう。また、マスメディアの原型となる新聞など一般庶民のレベルまでへの普及と世界地誌に関する理解の普及も上げてもよいかもしれない。これらに伴いこれまでアクセスができなかったサブサハラのアフリカ諸国や極東アジアにも英国人や米国人が進出する中、これらの諸地域がヨーロッパ人やアメリカ人の一定の人数の人々に認識された。さらには、キリスト教の宣教地として、植民地支配と並行して、とまでは言い切れないまでも、ケニアと日本のキリスト教は、ある面、同時代的な環境の中で伝道が起きたことを多少は意識したほうがよいかもしれない。

                 しかし、ここで指摘されているように、教育と医療というのは、どのような地域の伝道でも、伝道の入り口として用いられるのは、明治初期ないし江戸末期の日本でも同じフォーマットであったことが分かる。

                 ただ、ケニアと我が国を比較したとき、キリスト教の日本化、日本での土着化は散発的にしか発生はしていないし、日本独自の聖書理解や現地文化に適応した聖書理解が広く普及しているわけではない。1940年ごろのABCD包囲網が、現在の国連の前身組織によって形成され、日本と米国が戦争状態直前に至るころまでには、司祭・牧師・神学教育者の日本人化は相当進んだとはいうものの、これらの日本の教会群のかなりの部分は、米国キリスト教会との密接な関係にあった。そして日本のキリスト教会は日米開戦がいよいよ近くなると、当然当時の国内政治事情があったとはいえ、それまでと手のひらを返したように日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」という喧嘩売っているんか、と言いたくなるような文書を出してみたり、様々な文書が量産されることになる。このあたりに関しては、ここら

                歴史に学ぶことの大切さ
                『富士山とシナイ山』に学ぶ、日本のキリスト教と歴史(1)
                『富士山とシナイ山』に学ぶ、日本のキリスト教と歴史(4)

                で少しふれた。

                 しかし、4年足らずの戦争の結果、敗戦を迎え(終戦ではなく、連合軍に国土が占領されたため、世界史的な基準では連合軍に負けたという認識を持ったほうがよいと思うが)、その後、連合軍により日本は占領、各地の施設は連合軍に接収されることになり、連合軍司令本部マッカーサー元帥は、占領政策に有効そうだからと、準備も何もしてないようなアメリカの教会にもっと日本に伝道者をよこせ、と書簡を送り、その結果として大量のアメリカ人宣教師が、米国から到着する。確かに、これらの宣教師たちは、輸送などの面での多少は連合軍からの便宜を図ってもらいながら、日本で宣教活動を始めることになる。また、大日本帝国陸軍の中国本土での潰走と、中国共産党に支援された中国人民解放軍によって中国本土が共産党支配下にはいり、国民党政権と国民党軍は本土から台湾島に移る中で、中国内地伝道をしていた宣教師の一部は、中国本土の共産党支配に伴うキリスト教への生存の困窮の問題を回避するため、次の宣教地の候補地として日本に到来する。こうして、現在の多くの日本の福音派の教会の原型が形成されることになる。1970年代までの時代ほどではないとはいえ、いまだに海外の宣教師たちに依存しているとは言わないまでも、海外からの宣教師たちの見解が強く影響している教会群は日本では、少なくないのではないか、と思う。その意味で、まだ外来宗教としての理解が、多くの日本人にとって、標準的なものではないか、と思う。

                 ところでケニアなどのアフリカ諸国では、1960年代に民族独立運動やAA諸国が独立していく経験をする。民族独立、あるいは民族自決がスローガンに抱えられてはいるが、旧宗主国の植民地として設定されたそれぞれの国家と民族の支配領域問題をあいまいにしたまま、当時の植民地の領域を前提に独立を無理やりしてしまった。個のあいまいさを抱えた独立がなされたために、民族問題、あるいは部族問題を抱えるアフリカ諸国は多い。そもそも、近代国家という概念が幅広く普及していない人々や、国境という概念があまりない遊牧民といった人々が生活している地域(アッパーサハラ諸国とか)もいまだにあるのである。

                 そして、アフリカの諸国の独立が各国独自にでありながら、時期的には短期間になされる中で、相当数の部分の海外宣教団のキリスト教関係者の大半は母国に帰国する。中に一部現地化していった宣教師の方々がおられることは認識しているが、それは極めて少数であったのではないか、と思う。まぁ、そこまでして現地化していこうとした先人たちの情熱には、この冷めたミーちゃんはーちゃんでも、ある面、感じるものがある。

                 ケニアでは旧宗主国イギリスからの独立によって、キリスト教の現地化、家に赤、ケニア独自のキリスト教の宗教空間ができ始めているようであるが、日本では同様なことは起きているのだろうか。日本は、経済、政治風土的には、独立したかもしれないが、まだまだ占領地であったころにに近い宗教的精神風土を維持しているのかもしれない。だからといって、キリスト教徒が神社で賛美を奉納するのが、日本のキリスト教の現地化の表れだと決して思わないが。日本のキリスト者が、日本語で語り、日本人に伝わるキリスト教が聖書テキストに基づいて、あるぶれの範囲で特徴があるものとして語れるようになった時、日本ならではのキリスト教が生まれ、現地化したといえるようになったのではないか、と思う。

                近代と呪術は対立か?
                近代と併存する呪術もあるかも

                 宗教社会学でマックス・ウェーバー殿がその方の時代の社会の変容を見て、社会進化論的に、近代化したら呪術はなくなる、ということを言い出した。このお方があまりに有名人であった、あり続けたため、ごく最近まではそれが定説(定説お爺さんいましたよね)となってきたが、最近ではこのような近代社会と霊性、ポストモダン社会における霊性、ポスト植民地時代における霊性についての研究が進み、現代社会と宗教の関係の見直しがされてきたようである。実に喜ばしい傾向であるし、このような知見というか理解はもっと広く知られてよいと思う。
                呪術は近代の対概念として捉えられており、互いに対称的な要素を持っていると見なされてきたのである。(近藤 2007年 p.22)。しかし近年、多くの研究者が指摘しているように、近代は呪術から合理への変容であるという図式は見直さなければならない。むしろ、呪術・儀礼的実践は近代の一部として捉える必要がある。宗教的なもの・呪術的なものは、近代化と共に消え去るものでも、単なる「伝統」や「未開」の名残りでもなく、現代アフリカの重要な構成要素であり、人々の生活と密接にかかわっているものなのである。それは、必ずしも信仰や活動として現れるものではなく、文化的側面が強く表れているといえる。(同書 p.138)
                そういえば、N.T.ライト殿が(Surprised by Hopeだったと思うが)、日本の例などを取り上げながら、近代化した先進国であっても霊性というもの(それがキリスト教的なものであるかどうかは別として)は残る、というご指摘をしておられたように記憶しているが、ことは非常に重要な指摘であろうと思う。どの本だったか正確には特定できないでいるのだが。

                宗教的なもの・呪術的なものは、近代化と共に消え去るものでも、単なる「伝統」や「未開」の名残りでもなく、現代アフリカの重要な構成要素であり、人々の生活と密接にかかわっているものなのである」という指摘は、極めて重要なものでもあろう。このことは現代日本を考える際に念頭に置いておいたほうがいいかもしれない。自然信仰的な世界観や、古代の知者の世界の概念、古代神道的な世界観や輪廻的な世界観は、いまなお現代日本の重要な構成要素であり、確かに日本人の生活と密接にかかわっている。そうでなければ、貞子とか呪怨とかいった、べったりとまとわりついてくる日本の映画に表出した幽霊の世界観は理解できないのである。おおむね、アメリカや海外のお化けはミイラやゾンビやドラキュラやフランケンシュタインをはじめ、埃っぽくて、乾燥している雰囲気があるが、日本のお化けは全体にコエンザイムQ10が死後も効いているかどうかはわからないが、結構湿潤でまとわりつきの雰囲気が漂う。なお、個人的にはこういうまとわりつき系、粘膜系、粘着質系の化け物と化けモノ映画は嫌いである。

                 映画好きの方ならご存知であろうが、日本はこういうべったりとしたまとわりつき系のホラー映画の聖地ともなっていて、日本初のこの朱のホラー映画の脚本がハリウッド映画の台本として輸出され、リメイクされているものもある。そのうち、日本の最大の輸出産業はこの種のまとわりつき系のホラー映画、ってことになるかもしれない。

                 邪悪な余談はさておき、なぜ、日本でこのまとわりつき系のホラー映画の台本が構想されるかといえば、日本人が古代から持つ霊性が、粘着質系の霊性であり(大体、日本の神様は祟り神であり、粘着質でまとわりつかれたら困るので、神社でお祀りしてもらって関係が切ろうとするし、毎年お参りして、神様からの祟りを受けたり、神様から悪いことをされないようにお祀りすることを示すために、お祭りをしなければならないことになっているはずなのである)、現在、日本における基本の神理解は多くの主祭神においては、公式には祝福を与える神として語られるが、その裏側は、古代以来の祟り神のようである。


                3D版貞子(気色悪いので、ホラーがお嫌いの方は見ないほうが…)


                呪怨 劇場版予告編 (めちゃ気色悪いので、クリックして再生することはお勧めしません)

                ポップスに反映されたキリスト教
                 一般のケニアのポップス(アフロポップス)の歌詞(原歌詞はスワヒリ語の模様 クリコ ジャナというタイトルの意味は、昨日より明日の方がちょっと良い、程度の意味らしい)を次のように紹介し、そこに現れたキリストのイメージを紹介している。
                知っているだろう 人間は不思議なものだってこと
                彼らは鶏がなく前に 三度もイエスを裏切ったんだ
                知っているだろう 人間は不思議なものだってこと
                彼らは神の子であるイエスを ためらうことなく貼り付けにしたんだ

                牧師はあんたの家と共に去っちまった おかしいだろ
                彼らは俺たちに種をまけというんだ
                彼らはもう畑を耕し始めたんだろうか おれはしらない
                こんなの全部彼らが金持ちになるためのいいわけに過ぎない

                 なお、以前、このブログでも、日本のキリスト教会のイメージをポップスというよりは歌謡曲を手がかりに考えた記事

                日本人とキリスト教会

                をずいぶん前に書いたことがある。
                 
                 余談はさておき、クリコ ジャナ はこんな感じらしい。さすがにスワヒリ語は存在は知っていても理解不能なので、歌詞の意味はミーちゃんはーちゃんにはわからない。上記の訳を信じるしかないと思う。


                クリコ ジャナ

                 クリコ ジャナの歌詞の背景を、三阪論文では次のように内容を解説する。
                ケニアでは、教会や牧師に関する話題は、日常的に交わされる会話や、テレビ、ラジオ、新聞、タブロイド紙、雑誌に至るまで、あらゆるところに出てくる。特に、ペンテコステ系の教会で頻繁に見られる「献金をすればするほど金持ちになれる」や「病気を治したいなら献金しなさい」といった説教をする牧師に対して、「教会はもはやビジネス」、「人々から金を搾取している 」 といった批判が多くなされている。(中略)おそらく、この歌詞で念頭におかれている「牧師」は、信者を多く抱える大きな教会の牧師のことであろう。実際に、信者から献金を集めるために、ヤラセで「奇跡」を起こしたり、献金を新たなビジネスの元手にしたりして、派手な生活をする牧師は後を絶たず、教会や牧師に対する国民の不信感は強い。(同書 pp.151-152)
                 この話を見ながら思いだしたことがある。それが韓国のキリスト教の内実を描いた『市民K教会を出る』という新教出版社の本である。まさにここで描かれている様な金銭を集めて回るような一部の韓国のキリスト教会のビジネス化した教会と重なるものもないわけではない。韓国でもアメリカ由来であるにせよ、この種の激しい霊性を持つキリスト教のグループが世界には存在し、韓国で起きている傾向が、ケニアでもかなり類似した傾向がみられる、ということをどう考えたらよいのか、ということを感じてしまう。まぁ、それを言ったら、アメリカのテレビ伝道師たちや、イベントに大きく依拠して伝道と称することを行っている人々もおられるので、まぁ、どこでも同じことか、とも思う。確かに、ミーちゃんはーちゃんを含め、鼻で息するもののふがいなさ、というのか情けなさ、どうしようもなさ、というのを強く感じる。

                 一応、あと2回の予定。次回は、現代キリスト教会の中での一つの霊性表現としてのテゼとテゼの賛美の部分をまとめてご紹介いたしたい。







                 
                評価:
                ---
                キリスト新聞社
                ¥ 1,944
                (2016-04)
                コメント:非常に参考になる論文集

                評価:
                金 鎮虎
                新教出版社
                ¥ 2,592
                (2015-02-20)
                コメント:内側から見た韓国プロテスタント教会の内実

                2016.05.16 Monday

                『現代文化とキリスト教』を読んだ(5)

                0




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                   今回は、『現代文化とキリスト教』の中から、岡本論文「ポスト世俗化の宗教技法 テゼ共同体とその祈り」からご紹介してみたい。

                  フランスの宗教事情
                   テゼ共同体は、プロテスタント、カトリック、聖公会、正教会のどれかに依存することなくフランスの地方部であるフランスのブルゴーニュ地域圏 ソーヌ=エ=ロワール県のテゼ村で活動する一種の修道会である。しかし、このテゼ共同体が形成されているフランスの宗教状態に関して、次のように記述している。
                   フランスといえば、かつては「カトリックの長女」とされたが、現在、毎週日曜の礼拝に通うのは10%未満と推定されている。その内訳もほとんどが高齢世代だ。2,30代に限れば、2〜3%と考えられている。クリスマスが宗教行事だと考えているのは1割強で、ほとんどの人にとっては家族と過ごす時間であり、プレゼントを買う機会だと認識されている。(『現代文化とキリスト教』pp.159-160)
                   まぁ、これを見ると、キリスト教国と思われて得いるフランスでも、ほぼ日本よりほんの少しまし、という状態と思えてしまう。確かに、いのりフェスティバルに出展しているカトリック教会の皆様(たとえば、カトラジのみなさんとか)を見ていると、かなり若い熱心でアクティブな信徒さんはおられるものの、全体で見れば、日本のカトリック教会でも、若い信者さんは少ないし、高齢化が進んでいる。

                   フランスと日本の血がいといえば、同論文から見る限りは、日本では、クリスマスは恋人と過ごす時間(したがって、クリスマス前の時期に、クリスマスまでに恋人を作るぞ宣言する若者も出てくる)と理解されているが、フランスでは、家族と過ごす時間であると理解されているくらいの違いしかないように思われる。


                  カトラジの放送例

                  日本の伝統宗教との関連
                   さらに、日本の宗教事情との比較において、岡本論文では次のように述べる。
                  こうした問題は、キリスト教だけが抱えているわけではない。日本に限ってみても、仏教や神道も、社会との距離が離れつつあることへの危機感を抱いている。その結果として、信者との結びつきが弱くなり、教団や組織の存続を危ぶむ声も出ている。宗教と社会とのかい離は、古典的な世俗化論が予言したように、着実に進んでいくように思われる。(同書 p.160)
                   たしかに、日本における伝統宗教、とりわけ仏教においても、葬儀会社が主体となった葬儀の実施(いわゆる僧侶の疎外化)が増えることにより、都市部においては寺院と檀家の関係はドライなものになりつつある。そして、その危機感から、仏教者の一部には、地域との関係を取り戻そうとする動きもみられている。

                   その取り組みは、フリースタイルな僧侶たちというフリーペーパーへの取り組みとか、縁あるお寺でお葬式を や、十夜祭といった、お寺で夜開催する念仏と芸術とコラボレーションするイベントや、世界最大級の寺社フェスと銘打った向源などのイベントで、社会における寺院の意味を再構成できないかという試みをしておられる仏教者の方もおられる。
                   
                  フリースタイルな僧侶たち 最新号
                  http://www.freemonk.net/blog/archives/4520

                   たしかに、神社や寺院が、近代あるいは脱近代に生きる現代人にとって、身近な存在か、といわれれば、それはそう身近な存在ではない。とりわけ、日経ビジネスの宗教崩壊という連載にもみられるように、地方部において、寺院の消滅は現実的なものになり始めているのは、日本の都市化が、地方部への分散集中というフェーズから、東京への一極集中という人口分布の国土の偏りの結果として地方での高齢化、人口減少が進む結果、住職が常駐しない寺院、修理されることもなく、放置される寺院も増加している様である。わが国でも、人口数万人以下の自治体での無牧教会の増加や巡回牧師や巡回伝道者によりかろうじて教会活動が維持される教会も案外多いのではないか、と思う。この状況を100年のスパンで考えれば、現代の日本のプロテスタント系のキリスト教会の教会院の聖書理解が、江戸期のキリシタンと同様に、様式は守られるものの、その礼拝の対象に対する理解がかなり抜け落ちるのではないか、ということを思うのである。

                   恐らく、西洋型の”科学的”(それが間主観的批判に耐えるという意味ではなく)とされる意味での近代化しようとした日本社会における宗教に関する理解と評価の低下、ないし無理解の進展(非科学的である、呪術的である、あるいは全近代的であるといった理解の広がり)などもあり、宗教的なものが近代社会において占めるその領域は制限的なものとなっていった。

                   その中で、生活上の季節的なイベントとしての、新年、彼岸、盂蘭盆会、クリスマスといったときと、出生、結婚、成人、死亡、といった人生上のイベントの時や、何らかの死者と残された人々を結ぶ、あるいは、その関係に一定の制約を与える形での儀式を実施する場として、その演出空間として宗教空間が利用されることがある。

                  テゼ共同体の概観
                   テゼ共同体の歴史を、岡本論文では次のように示している。
                   ロジェがテゼ村に戻ったのは1944年のことだ。その後、数名がロジェと生活を共にするようになり、修道生活を送りながら、戦災孤児の支援などを行った。次第に子の生活に参加するものが増え、1949年、ロジェと彼に共鳴する修道士の7名が請願を立て、男子修道会としてのテゼ共同体が発足した。これ以降、テゼは次第に修道士を増やしてゆく。1969年には、始めてカトリック出身のベルギー人修道士が加わっている。こうしてプロテスタント初の超教派の修道院という独特の場が生まれたのである。
                  (中略)
                   1970年代からは、共同体としてより組織的に若者たちを迎え入れ始める。一週間を単位とする滞在プログラムの作成、修道士と若者の対話、共同体内での作業の割り当てなどが行われるようになった。テゼ自体は、現在に至るまで、若者に滞在を積極的に呼びかけているわけではない。「キリスト者の和解」をスローガンとしつつも、自らの立場を観想修道会と規定している。(同書 pp.162-163)
                   ここで、重要なのは、このテゼという修道会が、第2次欧州大戦末期に形成されていること、また、第2次欧州大戦で傷ついた欧州世界におけるキリスト者の和解という側面が重要であるし、実際に、それらを欧州各地を「地上における信頼の巡礼」として訪問することで、欧州世界における信頼と和解を図ろうとしている側面がみられる。

                   確かに、欧州での悲惨な体験として記憶される第1次欧州大戦では、欧州の王侯同志の領土を巡る戦争という側面があったし、近代化を巡る資源獲得のための戦争という側面があった。そして第2次世界大戦は、王侯同志の領土を巡る側面というよりは、国家制度や国民国家と国民性の優劣を武力、軍事力、軍事技術において実際に血を流しながら示そうとした側面もあり、その舞台となった欧州は、たっぷりと兵士たちの血を吸った。ちょうど米国では南北戦争が終結してもう150年以上を経ているが、いまだに南北戦争の恨みや後方乱流は続いている。それ以上の悲惨を経験した欧州で戦争による痛みからの回復を目指して、テゼ共同体が、国籍、文化、言語の枠を超えた共同体を形成しようとしている点を思えば、それだけ欧州人が経験した悲惨は、言語に絶するものであったと思われる。

                  テゼの祈りと賛美の形式
                   社会の指導的階級における欧州の共通言語としてのラテン語と近代化(というよりは宗教改革以降の世俗世界のウェイトの大きさが増す)の中でラテン世界の共通文化が壊滅的になった経験を経た欧州においては、宗教的に多様であり、何らかの共通性を生み出す必要があったのだろう。その中で、独自の礼拝形式が求められることになる。そのあたりについてはあまり詳しく触れることなく、岡本論文では、次のように整理する。
                   テゼを考えるうえで、その独特の祈りの形式に触れないわけにはいかない。テゼは、共同生活を送る修道士の様々な国籍や教派を背景とする。また、ヨーロッパだけでなく、世界中の若い巡礼者を受け入れる。さらに、地上における信頼の巡礼では、世界中の都市に出かけていくことになる。そこで問題になるのが、どのような祈りであれば共有できるのかということだ。
                    言語や教派の伝統によって、様々な祈りの形式がある。そのいずれか一つに統一すれば、それになれない人たちの礼拝はぎこちないものにならざるを得ない。さらに問題なのは、若い巡礼者たちだ。彼らの多くは、テゼには集まるが、普段は教会へ通わない。キリスト教やその例はいについて基本的な知識を持たない人たちなのである。テゼでは、多言語・多文化・他教派・多人数に加えて、伝統的信仰を持たない若者も含めて、祈りが共有されなくてはならないのである。(同書 p.164)
                    なお、ラテン語世界はヨーロッパにおいても、そのラテン語による世界が共有されるのは、一部の指導的役割を果たす人々のみであり、一般人にとっては無縁の世界であった。更にフランス革命を中心とする革命の時代を経て民主化と呼ばれる自由、平等、博愛の精神が重視されるようになった19世紀的な社会の中で、多くの異なる背景を持つ人々が共に礼拝するということは実は案外難しいことなのではないかと思う。

                   ここでは、祈りの共有と書かれているが、何度か参加させてもらった側の感想から言えば、基本的には沈黙の祈り、黙想及び音楽が伴った祈りでもある讃美歌を中心とした祈りであると感じた。より具体的には、岡本論文では、次のように書く。
                  そして、テゼの祈りの最大の特徴は、多言語で作られた簡素なフレーズを繰り返すオリジナルの歌と沈黙である。多国籍・多文化・他教派の人々が集う祈りの場では、誰もが知っているわけではない通常の讃美歌は使えない。教派や言語の違いから、礼拝をただ眺めるだけの聴衆が出てしまうのだ。そこで、カノン形式の讃美歌では、比較的多くの人が参加できることに着想を得て、4〜8小節程度の短いフレーズを繰り返すテゼの歌がつくられるようになった。(同書 p.165)
                   そして、このような賛美歌が、指導者が前に立って指揮するような形ではなく、なんとはなく賛美がはじめられ、それが数分間続き、そして、同じメロディが繰り返され、いつ終わると無く次第に終わっていく賛美の形式であり、最初テゼの集いに参加した時には、福音派的な賛美や、リバイバル讃美歌のスタイルにあまりになれ過ぎていたので、ある面、慣れるまで少し違和感を感じたが、そのような霊性に触れていくうちに、このような賛美のスタイルが与えるものが、一種レクティオ・ディヴィナの伝統に乗った祈りの伝統の中にあるのだ、と体感的にも理解することになった。

                   個人的に、きよめ派風の自由祈祷しかなかったキリスト者集団の中で長らく過ごしたものとしては、成文祈祷風の繰り返しの賛美に触れることで、ある面、これまで、偶像的、あるいは、非理性的、あるいは、不合理性を持つものとして退けてきたが、しかし、繰り返すことの意味、リズムに従って生きる意味ということを改めて考えるきっかけになった。

                  テゼの賛美 英語版


                  テゼの賛美 日本語版

                  テゼの讃美歌に対する牧師の見解
                   テゼの集会を主催する牧師たちのインタビュー結果をまとめた部分で次のように岡本論文では2人のボクシのインタビューの要旨を紹介している。
                   日本ではキリスト教信徒はなかなか増えないが、特に若い人にとっては従来の讃美歌が決してなじみやすいものではないとW牧師は語る。歌詞も文語で、キリスト教の家庭で育った人々には良いのかもしれないが、初めて教会に来る人々にとっては、時として「異質なもの」とうけとめられる。
                  そういう中でテゼの単純な歌を皆で静かに歌うスタイルは、違った意味での魅力があり、「文語の讃美歌を歌うのとは違うスピリチュアリティ」であるという。その辺を歩いている若い人を通常の礼拝に連れてくることはなかなか難しいが、テゼの祈りであれば、「しばらくここにいてみよう 」 という気にされるはずだと感じている。(同書 pp.170-171)
                   一応、賛美歌は西洋音楽、ないし西洋音楽的であるが、アメリカン・ポップスを聞き、ロックを聞いて育ち、 今のキャリーぱみゅぱみゅも聞くことがある最早若者ともいえない中年のオジサンにとっても、賛美歌は一種違和感のある讃美歌であるし、歌詞にしても、曲にしても、確かに歴史を通して検証されてきた良さはあるとはいうものの、その現代風のアレンジが許されないとすれば、以下にその曲や歌詞が非常によいものであっても、それが全くこのような音楽になじみのない人々には、岡本論文が指摘するように「異質なもの」と受け取られかねない。しかし、日本の一部の教会にあっては、年長者がなじんだアレンジ(年長者がなじんた讃美歌のリズムや節回しであっても、アレンジされたものである)以外のアレンジは許されず、それが、その教会の伝統になっているというようなことはないだろうか。次の4つの讃美歌を聞き比べてほしい。これらはアレンジが違うものの、内容もメロディも基本的には同じものである。










                  Be thou my visionのバリエーション

                  大正時代以来変わらない日本のプロテスタント教会?
                   なお、岡本論文で衝撃的であったのは次の表現である。
                  W牧師によれば、日本の教会の伝道と礼拝についての基本的な考え方は、大正時代以来、それほど変わっていない。要するに「ここには善い教え」があることが前提とされ、そのことを書いたチラシを配り、「学びたい人は来てください」という姿勢である。その結果、もともと宗教的に熱心な人々、つまり、ある種「神に選ばれた」という自覚を持った人々が集まることになるが、W牧師にはそれだけ神の選んだカテゴリーではないようにも思われるという。(同書 p.171)
                   たしかに、日本基督教団の教会でも、福音派の教会でも、「「ここには善い教え」があることが前提とされ、そのことを書いたチラシを配り、「学びたい人は来てください」という姿勢 」あるいは「 ある種「神に選ばれた」という自覚を持った人々が集まる 」という傾向は変わらないと思う。

                  基本的に

                  チラシ配り → 
                  特別集会(映画・公園・高踏的な方のコンサート) の実施 →
                  教会への継続参加のおすすめ →
                  ご入信とお受洗(あがり)

                  という教会すごろく(いい方がかなり下世話で申し訳ない)として捉えらておられる教会員の方は案外多いのではないか。

                   本当は、教会とは、小さくされた人々や小さくされている人々が、本当の人間性を取り戻す場所と時間と機会を提供し、そして、神のかたちとしての人間の姿を取り戻すプロセスに寄与する場所としての教会のはずなのだが、宣教地という性格が日本では強いのか、信徒になれば上りと思っている方は案外少なくない。

                   これを書きながら思ったが 、特別集会では、間違ってもアニソン大会とか、シャウト系のロックとか、アイドル系のコンサートや着ぐるみ大会や、ゆるキャラフェス、ウルトラマンショーやプリキュアショーはNGで許されない。そういえば、数年前のいのフェスの炎上騒ぎが懐かしい…まぁ、あの時歌ったアイドルも、その後その動性をお伺いすることはない。あのアイドルグループもキリストを超えたと豪語した人物プロデュースにしては、一生懸命ではあったが、流石に場数が足らなかったか、かなりのしょぼさ感が否めず、キリストを超えられなかった感だけが残った印象が強かった。所詮、キリストを超えられるような人間は、人間が鼻で息するものである以上超えられないのであり、キリストを超えたと豪語することの無意味さを示しただけであったと当時から思っている。企画者側の意図としては、そのための企画であったのであろう。

                   なお、この教会双六に関して言えば、他の当ブログの記事でも触れたが、ご入信・お受洗となれば、もう一人前扱いで、それまでの蝶よ花よと教会でモテモテだった人が、いきなり、「本日からはあなたは一人前の神の兵士、いろいろ奉仕してもらわなくっちゃ」とか言われてギャップに直面して、教会生活にけつまずくことになる人々もおられるようである。まぁ、こういう不幸な教会生活をする人々が一人でも減ればよいのに、と思う。

                   ところで、教会で行われている主の祈りを祈る意味、使徒信条を唱える意味、ウェストミンスター信仰告白をきちんと学ぶ意味もある場合には、丁寧に示されないことがあったりするようだ。あるいは、ディスペンセイション主義的な聖書理解のみにかなり重点を置いて、繰り返し示されるものの、祈りとは何かや、その教会群が保有してきた聖書理解についてフランクに意見交換をする機会や、批判哲学の意味での哲学的批判、あるいは哲学的反省に基づいた対話をする機会もなく、「うちはこれですんで」、あるいは「この教会の基礎を作った○○宣教師がこういっておられたので・・・」とか、そのような理由でなかば強制され、キリスト教の多様性を知ることもなくキリスト者としての一生を終わることになる日本のキリスト者は案外多いのではないだろうか。実に残念なことだと思う。

                   それでは、以下の記述にあるように、キリスト教の重要な概念で、最も基本的な理解の一つである「キリストにともに向かう」ということが欠けている教会も出てきても不思議でも何でもないのかもしれない。そして、神のかたちを取り戻す場所としての教会ではなく、お勉強するところとしての教会と化す教会群も出てくるだろう。お勉強になれば、突然競争が姿を現し、共同体性が失われ、崩壊するのが、日本の戦後教育が学校教育のみならず、現在の生涯教育にまでもたらした弊害の一つの様な気がする。
                  W牧師によると、テゼの祈りの本質は「キリストに向かう」ことであるが、その部分がややもすると既存の礼拝には欠けていることがあるのではないかという。牧師は「信徒の生活をよい方に変えてやろう」と考え、信徒は「今日は度いういう教えをいただこう」と考える。そして、「聖書から学びましょう。今日はこの部分から」といって説教すると、信徒は礼拝に「学びに来る」ようになり、「生活を改善するために勉強をする」ための礼拝になる。その結果、「一緒にキリストに向かう」というスピリチュアリティが失われてしまう。(同書 p.172)
                   以下のW牧師の今後のキリスト教が向かう方向性理解は非常に面白いし、鋭いと思う。
                  W牧師は個人的には、今後二つの方向性があると考えている。一つは、テゼの様なスピリチュアリティであり、もう一つはロック・コンサートたぐいである。そうしたコンサートのMCなどでは「夢を忘れるなよ」といったことが言われており、それは単純すぎるように感じるときもあるが、しかし、それに励まされている若い人たちがいることは大事なことであるという。テゼが若い人を騒音から引き離す「静寂のスピリチュアリティ」であるとすれば、ロックは騒音を上回る音で若い人たちを安心させるもので、アメリカのメガチャーチのスピリチュアリティに通じるものがある。両者は動的/静的と対象的ではあるが、参加者が日常生活から一時はなれて主キリストに向かう点で共通しているとW牧師は考える。(同書 p.173)
                   日本の将来の教会の向かうであろう方向は、テゼ的な「静寂のスピリチュアリティ」か外資系ペンテコステ派教会的な「ロック的スピリチュアリティ」ではないか、とご指摘である。ある面、静寂を重視するスピリチュアリティ(ミーちゃんはーちゃんは、確実にこちら)か、非日常の霊性と神経刺激を直結して、情熱的な賛美に向かうスピリチュアリティのどちらかではないか、という指摘は、ある面重要だとは思う。ただ、個人的に残念だなぁ、と思ったのは、両方が非日常としての主イエス・キリストへの向かい方をするのではないか、という指摘である。ある面、キリスト教に初めて触れる人にとっては、それは非日常空間である。しかし、本来キリスト者は、「キリストに倣いて」ではないが、キリストと共に歩むという日常空間の積み重ねの一環としての教会生活であると思うのだが、それが抜け落ちるというのであれば、それは、キリスト者としていかがなものか、と思うし、それこそ、文化人類学、あるいは民俗学に言うハレの日という非日常空間としてのキリスト教であれば、結局いわゆる『日本教』と大差ないことになる。その意味で、キリシタンはハレの日におけるキリスト教の儀式を行う、非日常のものとして儀式を行うことに意義を見出すことになっていったキリスト者の末裔という面があるのではないだろうか。

                  祈りを学ぶ契機のない福音派・・・あるある
                   ここで、 岡本論文では、福音派のN牧師という方の以下のご発言を取り上げておられる。この指摘は重要だと思うのだ。
                  また、N牧師は神学校で、福音派の伝統にはない黙想や観想の授業を持っており、学生を年に一度か2度はイグナチオ教会でのテゼの集会に連れてゆく。福音派の熱情的な賛美や祈りしか知らない学生は、沈黙を中心にするテゼのスタイルに戸惑うが、福音派にはそもそも「祈りを学ぶ」という契機が少なく、「聖書を読む」ことだけが強調され過ぎると感じている。(同書 pp.174-175)
                   とくに、「 福音派にはそもそも「祈りを学ぶ」という契機が少なく、「聖書を読む」ことだけが強調され過ぎる 」というのは案外福音派に共通した傾向ではないだろうか、と福音派の片隅にいた人間としては思う。まぁ、いまだに福音派あたりをふらふらしているが。

                   福音派では成文祈祷を用いないグループが多い。特にきよめ派やペンテコステ派においては、成文祈祷を祈りにおいて聖霊の自由な働きを妨げるとして、嫌うというか退けるというか、重視しないところも少なくないようである。しかし、成文祈祷を共同体として実施する教派と邂逅し(正教会、カトリック教会、アングリカンコミュニオンあるいは聖公会)、そこでの成文祈祷を共同体として実施する場に身を置いてみるとき、実に祈祷書はよくできていると思う。そして、我が身が反省させられることが多い。確かに「良くも考えもしないで発言したことや行ったこと、不誠実な契約を結んだこと」などを神の前に告白するとき、自分自身の内にないものを的確に示され、他者への害悪が起こることを望むような呪いと思しき思いを祈りの中で感じることは格段に減った。それにより、礼拝の人と記が自分自身の罪深さというか、神の不在に気がつく時間となったのである。

                   確かに、自由祈祷で育つ学生は、「 福音派の熱情的な賛美や祈りしか知らない学生 」となりかねないのはわかる。この1年余り、ハリストス正教会、カトリック教会、ルーテル教会、改革長老派、 改革派から、バプティスト派、メソディスト派、きよめ派、ペンテコステ派、外資系ペンテコステ派の教会をご訪問したが、いろいろ拝見すると、自由祈祷が実施されていると思しきところは概して、「 福音派の熱情的な賛美や祈り 」となっており、それがないところは、概して、人間側の思いが適度に抑制されていて、「あぁ、こういう霊性はなかったなぁ」と思う。それはテゼの集会に出ても思う。こういう福音派的状況だと、祈りを正面から学ぶのではなく、そこにいる信徒さんや牧師さんたちの祈りをまねるという一種の学びしかないことになるのではないか、要するに自由祈祷のパターンがコピーされ続け、劣化コピー状態になっている祈りがあるのではないか、と思う。劣化コピーになった瞬間、それは別の成文祈祷に近いものになっているかもしれない。

                   しかし、成文祈祷は祈祷内容をよく考えながら祈る時に、この劣化コピーを防止する効果があるのだが、そのあたりの事は自由祈祷重視のところでは、呪文的な、呪術的だといって排除される傾向にあるのではないか、と思っている。本当は、成文祈祷と自由祈祷両方とも重要なはずなのだが。自由祈祷も成文祈祷も両方大事だと思うが、自由祈祷は福音派では、成文祈祷として主の祈り以外の祈りが聞かれることはないし、主の祈りにしても自分たちが何を祈っているのか、考えながら祈っておられる信徒さんはどれくらいおられるのだろうか。実は、現在、FB上で行われている「クリスチャンであるとは」読書会でも、ちょうどディスカッションしているところが「祈り」についてであり、こういう教育機会に触れられる神学聖やこういう取り組みというのは、案外限られるのではないか、とご指摘いただいた司牧の方もおられた。

                  テゼの会への参加を隠さねばならないボクシ・・・
                   さらに紹介されるN牧師の発言は、あぁ、福音派全体ってそうだろうなぁ、と思う半面、実に残念だなぁ、とも改めて思った。あまりにも他者との邂逅がなさすぎ、何とかのの中の何とかになっていそうな気がする。リアルなカエルはきらいだが、このカエルはキュートだと思っている。


                  カーミットによるHumpty Dumptyのパロディ
                  N牧師によれば、「自由主義神学に対する批判」を出自とする福音派においては、エキュメニズムへの懐疑が特にかつて強くあったという。現在では、「何かの対抗」としてではない、自身に固有のアイデンティティを再構築しようとする考えから、福音派の牧師も開かれつつあるが、特にある時期に教育を受けた世代は「エキュメニカル」という言葉も嫌いで、まれに「超教派」という言葉を使っても、それはあくまで「福音派内での超教派」、せいぜいが「プロテスタント内での超教派」であった。
                  N牧師が福音派がどういう位置づけであるかを知らずに教会を選んで所属したため、実際にテゼの集会などでであった人々とはかけ離れた、カトリックに対する的外れといえるような批判がされることが苦痛であったという。しばらく前に地方から牧師夫妻が訪ねてきて、N牧師の教会のテゼの祈りに参加したことがあった。その夫婦が所属するのは、N牧師の教会より保守的な教会だったので、テゼの祈りに参加すること自体を隠さなければならないような状況だったが「せめて曲だけでも使いたい」ということで、歌だけ使用するのは難しいとも思ったが、テゼの楽譜を渡したこともあった。(同書 p.175)
                   印象に残ったのは、福音派の中では、「エキュメニズムへの懐疑が特にかつて強くあった」、とりわけ「特にある時期に教育を受けた世代は「エキュメニカル」という言葉も嫌いで、まれに「超教派」という言葉を使っても、それはあくまで「福音派内での超教派」、せいぜいが「プロテスタント内での超教派」という記述である。確かに、いまだにエキュメニカルに動いていると、悪魔の手先扱い(というよりかは悪魔の手先であるカトリック教会と仲の良い悪霊につかれた人物扱い)してくださる、ありがたい信徒さんや牧師の方もおられる。そして、今も尚、特にある時期教育を受けた(恐らく70歳前後の牧師さんの一部に)「エキュメニカルは悪だ」と40年この方変わりない信念を持ってお語りの方もおられ、信徒でも、○○先生がこういっておられるというよう買ことをご教示くださったり、その方の動画をご紹介してその方のご高説をご教示くださる方々もおられる。実にありがたいことである。

                   何より驚いたのは、「その夫婦が所属するのは、N牧師の教会より保守的な教会だったので、テゼの祈りに参加すること自体を隠さなければならないような状況」があるという教会ないし教会群が存在することである。確かに、牧師はパブリック・フィギュア(公的存在)であり、信徒に動揺が走っては、という配慮からだとは思うが、「そんな1度や2度テゼの集いに参加した程度で揺らぐ信仰なのか、揺らぐ聖書理解なのか、あなたの信仰はどこにあるのでしょうか」と聞きたくなりそうになるが、そういう場に接した時にはやめておく。まぁ、嫌味を言われたら、「ご参加されたことはございますか?」と位にとどめている。

                   それと、ある面、「N牧師が福音派がどういう位置づけであるかを知らずに教会を選んで所属」という表現は少し驚いた。 というのは、よほどガチでキリスト教を勉強しているとか、西洋史(日本ではアメリカ史はまともに教えれられておらずヨーロッパ史についてもその一部をかじる程度)をほぼ網羅的に学んでいるとか、代々の牧師家庭でもない限り、日本の通常の人は、位置づけを知って教会を選んで信徒になるわけではない。信徒になってもその位置づけは定かならず、牧師教育の一環で、それも簡単にどのような位置づけかを学ぶ程度ではないだろうか。日本はクリステンドムを過去これまで一度として経験したことのない社会の一つである。その中で、位置づけを知った上で選択的に教会を選ぶなんて芸当ができる人がどの程度いるのだろうか、という意味で驚いたのである。日本では、出会った教会が自分の教会となるという不幸があるのである。
                   
                  同じ共同体でも・・・あるある
                   ある面、どの教会も、人が集まっている、たとえ牧師と信徒ひとりの教会でも人が集まって、神を礼拝している点で、共同体的ではある。確かにイエスが、「私の名において、人が二人でも三人でも…」ということがあり、そうである以上共同体性を持つものではある。しかしながら、いくつかの教会群を訪問していると、確かにその共同体性の味わいは異なるものがある。そのあたり岡本論文では次のように書いている。
                  N牧師は、テゼの祈りは共同体性が強いようにも思うと語る。テゼの祈りには、「自分の声と他人の声が溶け合うような瞬間」があり、そういった点で、祈りのかたちとしては一見、共同体的であったも、個人個人の聖霊の体験を重視するペンテコステ派とは異なるように感じている。(同書 p.176 )
                   たしかに、テゼの静謐なユニゾンを中心とした一つ一つの音や言葉を丁寧に扱うような音楽性と、「音符って何?」というような只々神に向かって感情(たとえばそれが感謝や賛美であっても)をぶつけ、音程もリズムもなく音楽性とは無関係に、飛び、叫び、絶叫するような感じになりやすい外資系ペンテコステ教会では、同じ共同体性でもだいぶん違う。それは讃美歌を知る知らないに関係なく感じられることである。

                  神官僧侶の代わりとしての牧師の祈祷・・・あるある
                   いのりといわれて、以前ある研究会に参加しておられた所謂福音派の教会に信者としてではなく参加しておられるご高齢の女性からある時、「護摩焚いて祈るのも祈りですよねぇ」といわれて何と答えてよいか、困惑した経験がある。「それは、聖書のいう祈りとは、随分違うと思いますが・・・」とお応えした記憶がある。


                  大阪の道頓堀にある相合橋(縁切り橋として有名)での護摩法要

                   このあたりの祈りの日本における精神性について、岡本論文は次のように書く。
                  日本人的な気質なのかもしれないが、福音派の中には「牧師抜きでは神との関係が持てない」という風に考える人もいて、牧師が何でもやってしまうという傾向が強い。信仰とはほとんど関係ないことも牧師に決めてほしいという人や、「自分の祈りでは聞かれないから、牧師に祈ってもらわなければだめだ」といった、祈りすらも「牧師を通して」行おうとする人も少なくないという。
                  N牧師自身は、テゼの沈黙や黙想・観想の祈りにおいては、できるだけ何も考えないようにしないようにしている。(中略)普段は考えて祈っているが、テゼの黙想においては、「考えるのとは違う仕方での祈り」がひきだされるときがある。(同書 pp.176-177)
                   似たような話は、お友達の福音派の牧師の方からも形を変えてお聞きすることがある。どうも信徒の中に、敬虔そう(このあたりの敬虔そうに見えるというのがポイント)に見える方が、牧師に祈ってもらった方が神様に聞かれる気がするとか、牧師に一緒に祈ってもらわないと気が済まない(これは実体験がある。突然あるキャンプで奉仕者をした時、祈ってくれ、どうしても祈ってくれ、といわれて、個人的には私の聖書理解とは、神学的には相いれないし、平信徒なので、と断るわけにもいかずに祈ったことはある)人々が一定程度おられることは確かだ。これでは、まるで守護聖人か呪術者か、あるいは、山伏か阿闍梨もどきではないかと思うこともある。人間の弱さ、はかなさの故とは言え。こういうのは対応に実に困ることがある。

                   テゼの祈りもそうだが、レクティオ・ディビナをやり始めてからというもの言葉を紡ぎだす祈りというよりは沈黙の祈り、観想の祈り、そして、成文祈祷の良さを感じることが多い。一つ一つの聖書のことば、成文祈祷のことばに思いを巡らしつつ(この辺、マインドフルネスと似ているが、あくまで向き合うのは聖書のことばであり、その先にある他者性を持った父、子、聖霊の神ご自身である)祈ることにおいて、あれもこれも、もれなくではなく、神の御思いとは何か、を求めるような祈りに変わっていった経験をしている。

                   こういう祈りをしはじめてから、外資系ペンテコステ派の教会だけではなく、皆が祈りの時間にてんでバラバラに祈りをはじめることにちょっとついていけなくなることがあって、今少し困っている。それはそれで、意味があることだと思うが、個人的には、悩ましい思いを持つことが増えてしまった。

                   次回最終回へと続く。

                   
                  2016.05.18 Wednesday

                  『現代文化とキリスト教』を読んだ(6)

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                     今回でこのシリーズの最終回である。今回は、『現代文化とキリスト教』の中から「テーマ・パークから考えるキリスト教の土着化」と題された舟喜論文を取り上げてみたい。

                    世界の宗教状況から
                     舟喜論文では、日本を取り巻く宗教状況と日本との落差に関して次のように示す。
                    世界の信仰者の数は、キリスト教徒が約22億人、ムスリム(イスラーム教徒)が16億人存在し、またその人数はともに増加傾向にあり、更にキリスト教徒をはるかに上回るペースでムスリムが増加しており、世界全体に両信仰者が占める割合が着実に増えていることになっている。このように日本の外に一歩足を踏み出すと、両一神教の有する文化・価値観・倫理観等々と無縁に過ごすことができない現状であることが明白である。(『現代文化とキリスト教』pp.181-182)
                     確かにキリスト教、イスラーム教は、世界のどこに行ってもその存在を無視できない存在であるし、そのことに関して、多くの日本の方々は、無関心ということはないにせよ、その理解は表層的なものにとどまっている様な気がする。

                     とはいえ、世俗化が進む米国では、教会に行く人々は減り、アジア人にしてみれば西洋の象徴とも思われるような教会が陸続と販売されているヨーロッパで増えているのではなく、キリスト教もイスラーム教が急増しているのは、人口急増地帯であるグローバル・サウス、特にアフリカ諸国と南アメリカ諸国なのである。アジア市場が飽和していく中、また中国経済のプレゼンスが相対的に小さくなる中で、日本にとって残された最後のフロンティアはアフリカ諸国や中東や近東とヨーロッパ人が呼ぶ、西アジア地域ではないか、と思うのだ。

                     また、近年のテロ事件が明らかにしたように旧植民地であった地域からの流入人口により、ヨーロッパでのムスリム人口の増加とそれに伴う文化摩擦、小競り合い、暴力事件が多発する、日本人がこれまでヨーロッパとして意識した状態とは異なるヨーロッパがうまれ、さらに、ポストモダン社会の多元主義的環境の中で、どのように共存、併存できるのか、ということが問われている時代に我々は生きている。
                    売り出される教会群

                    日本における伝道とキリスト教の定着
                     日本における伝道、あるいは宣教と日本へのキリスト教の定着に関して、舟喜論文は次のように指摘する。
                    しかしながら、日本におけるキリスト教の宣教は、信徒の獲得といった点から見れば、16世紀以降、スペインやポルトガルを中心に盛んになったキリスト教(ローマ・カトリック教会)の海外宣教において、ラテンアメリカをはじめとした地域のキリスト教化と比するとき、いまだに成功したとは言い難いのが現状である。ただ、日本におけるキリスト教の人口はいまだ全体の1%未満とはいえ、暦や服装、教育等々におけるキリスト教の影響は大きいと考えられる。(同書 pp.182-183)
                     確かに、日本での宣教は確かにいまだに成功したとは言えないだろうし、そもそも、永遠の宣教地として日本が語られ続けているという現状、内生的な神学的成果(それが海外から認められるかどうかは別の問題として)が生まれては消え、生まれては消えしているように思う詩、内生的な神学的成果を生んだものは、少数派内とどまっており(このあたりは、『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』が参考になる)、海外からの陸続と流入してくる聖書理解に未だに振り回されている感は否めないし、海外の聖書理解に対する言語の壁があるためか、それらの聖書理解の成果と対峙できるものを生み出しているかといわれれば、はなはだ心もとなく、教会員の高齢化と減少にきゅうきゅうとしている日本のキリスト教がそれができるか、といわれれば、ほぼ絶望的な気分になる。

                     ところで、スペイン・ポルトガル、特にロヨラやザビエルなどのバスク人を含む海外宣教は、一種スペイン・ポルトガルのレコンキスタと海外進出は対イスラーム世界からの失地の回復を遂げた勢いの余波をかってという側面があるのではないか、とも思う。その意味で、自分たちの国土を回復したという当時のスペイン・ポルトガル人の思いが国土回復にとどまらず、領土拡大に向かった側面もあったのではないか、と思う。さらに、同時期地中海の諸海洋国家群の中でもイタリアは都市国家間の争いが続き、アラゴン王国が一部の南部イタリアを領有する中、その領土拡大思想は広がった部分もあったのではないだろうか(この辺はいい加減)。さらには、イタリアの海洋都市国家群(ヴェネツィア・ジェノバ・ピサ)が地中海航路での対コンスタンティノープル交易・対アラビア交易での利益が確保されていたことから大西洋航路をはじめとする大航海時代への進出への対応の遅れなどもあったのではないか、と思う。

                     大航海時代に日本に進出で来たのはポルトガル船( トルデシリャス条約の境界線の内部であることもあり、スペイン船は日本に寄稿することなく、黒潮(当時の海の高速道路)に乗って、北に向かい今度アラスカ海流に乗って現在のカリフォルニア辺りまで向かうことになる。

                     さらに、舟喜論文は、本論文の目的について次のように問いを設定している様である。
                     こうしたことを改めて考えるとき、16世紀にイエズス会に属するフランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教はその後、いかなる形で「土着化」していったのか、あるいは、いまだに土着化していないのだろうか。本稿では、日本における現代の「世俗の文化」への影響からこの問題を再考することを目的とする。(同書 p.183)
                     個人的には、この問いでよいのだろうか、と思う。世俗文化にその表れがあるからといって、日本にキリスト教が土着化したといえるのかどうか、という問題である。特に、ロシア正教会、ないし東方教会の持つような、生活と信仰が切り離せない様な状態、あるいは、この連載でもすでにご紹介したようなケニアのように現地での先行文化である精霊信仰との緊張を抱えつつも、ペンテコステ的な信仰との融合が図られながらも、生活の中に信仰が密着した姿の土着化でもないものを、土着化と呼んでよいのだろうか、とも思う。その意味で、舟喜論文の立場というか方法論に対して、かなり疑問を持っていることだけは申し上げておく。個人的には、その起源とその理解は確実に怪しいと思うが、青森県にあるキリストの墓伝承(なんかこの辺は、源義経隠棲説も結構あったのでそのあたりの怪しさ)とその催事への定着(個人的には、会津、津軽キリシタンの存在の影響を考える方が適切ではないかと思うが)の方が、盆踊り(キリスト教で盆踊りというのも妙だが)までが行われるほどであるという意味では、土着化としては土着化していると思う。


                    道路看板に書かれるキリストの墓
                    http://matome.naver.jp/odai/2137670774676495901 から引用


                    キリストの墓の周りで盆踊り(キリストの墓は横穴だったはずだがなぜか土盛墓様式である所にも現地化が…)
                    http://directionzero.blomaga.jp/articles/11736.html

                     しかし、ここまで土着化が進むと、一体何が何だかわからなくなる。

                    正しい土着化?
                     さて、舟喜論文では、遠藤周作の『沈黙』から一部引用があり、その背景の説明があったと次のように示す。
                    ここから、日本が有する風土と歴史と宗教心を乗り越えるのが不可能であることを伝えようとする切実な響きが伝わってくるとともに、キリスト教という一神教が正しく土着化することは日本では不可能であるという絶望が明らかにされる。(p.188)
                     スコセッシ監督が『沈黙」を取り上げ、映画化する話が進展している様であるが(どのようにスコセッシ監督の理解において『沈黙』が再解釈され、どう間テキスト関係が生まれるかを楽しみにしているが)、キリスト教という一神教を日本が受容するのか、ということは確かに悩ましい側面を持っている。宣教師の墓場と呼ばれ続け、永遠の宣教地と呼ばれている日本という曲がりなりにも文明国家が、明治の文明開化以来どう変わったのか、ということを考えると、絶望とは言わないまでも暗澹たる気持ちにはなる。
                     
                     ところで、舟喜論文では、正しく土着化、と書かれているが、この場合、土着化における「正しさ」とは何か、という議論があるようにも思う。何を持って正しいとするのか、日本ハリストス正教会の信仰スタイルのような信仰において定着したものを正しいと呼ぶのか、あるいは、西洋のプロテスタント諸国で理解されているような信仰スタイルが再現されることを持って正しいと呼ぶのか、という問題がある。特に正しいという概念と真理概念が重視され、さらに真理概念の唯一性が強く意識される日本語の環境が色濃く残りつつも、一種のポストモダン的時代背景が色濃くなりつつある日本において、基本的に正しいとは何か、あるいは正しい現地化とは何かを定義せずに議論を進めていこうとする舟喜論文には違和感を感じた。

                     まぁ、論者の言いたいことをミーちゃんはーちゃん流に言えば、多くのキリスト教社会が共有するキリスト教として具備すべき要件、神にして人、父・子・聖霊(聖神)が一つ、聖書の聖典、という要件を維持しつつ定着できているかどうか、という程度の意味であろうけれども。

                    外形文化として残るキリスト教の影響
                     日本におけるキリスト教の受容に関して、舟喜論文は、暦(というよりはむしろ祝祭日、イベントとして現れたキリスト教の祝祭日(クリスマス、イースター、ハロウィーン(なんで宗教改革記念日ではないのか、とルター派ではないけど、ちょっとむっとした)が取り上げられている。暦法として、日本が古来から用いてきた、うるう修正のめんどくさい太陰暦から太陽暦に変わっていったのは、西洋との交易(貿易)において不都合が生じたためであるし、それは西洋化であって、キリスト教化でも何でもないと思うが、キリスト教暦の一部であるクリスマスを取り上げ、次のように論じる。
                     第二次世界大戦後、キリスト教は改めて日本国内で盛んに宣教されていくこと人ある。また時を同じくして、日本は空前の高度経済成長期を迎え、特に12月は多くの記号が、1年で最も多額のボーナスを支給する季節であり、更にもう年会シーズンとも重なり、世俗の社会でも、キリスト教会が重んじるクリスマス(降誕祭)が商業的な色合いを伴って「祝われる」ようになっていく。クリスマスを口実にして、連夜、羽目を外して飲食に興じる人々に対して、当然ながらキリスト教界からは多くの批判が出ることになる。そうした傾向の中、日本におけるクリスマスについて、極めて興味深い指摘が次のようになされている。
                     本当のクリスマスらしいクリスマスは、教会の中ではなく、町に、新聞に、キャバレーに、そして駅の夜のベンチにやってくる。なぜなら彼らこそ、クリスマスを楽しんでいるからだ。
                    (椎名鱗三 「街のクリスマス」『福音と世界』1947年12月号 (同書pp.180-190)
                     この文章を読みながら思ったのは、それは日本社会におけるキリスト教の定着、土着化の表れというよりは、占領軍の主力を占めた米軍将兵が持ち込んだ、既に消費文化が蔓延し始めていたアメリカ型の消費文化の基礎の上に立ったクリスマスであり、結局米国初の商業主義と結びついたクリスマスであるのではないか、という疑問である。米軍将兵たちが、占領下の東京の町でパーティを飲食店を借り切って、あるいはホテルを借り切ってクリスマスパーティをやることを模倣する形で、日本のクリスマスが行われていたのではないか、と思うのである。

                     ここで、『福音と世界』に記載された椎名鱗三の1947年という終戦期間もないころの文章を引用しているのが面白い。プロテスタントが、第3時キリスト教ブームとはいえ、その多くが非キリスト教徒である日本の人々が、クリスマスでバカ騒ぎをする姿に顔をしかめているのに対し、本来、クリスマスとは単純に喜んでいいのではなかったのか、その素朴な喜びを見せる姿に、顔しかめて見せるキリスト教の世界とは、一体どういうものか、と疑念を示したのが、この椎名の文章であったといえるかもしれない。

                     しかし、『福音と世界』は以前からかっとんだ雑誌であったのだなぁ、と。最近、『福音と世界』が、この種のかっとび方をしてくれているのが楽しい。こういうのは実に喜ばしいと思う。

                     椎名鱗三はマルクス主義やニーチェを経由して、キリスト教に関与することになられたお方らしい。ある面、戦前、戦中、戦後を歩いた人らしい哲学遍歴、信仰遍歴を持つ人である様だ。

                     現在ではなお、お菓子メーカーの陰謀による(これは確実)バレンタイン・デーが毎年2月に行われ、この時期売り上げが下がる(大体28日しかないし、他の業種で決算月前で売り上げが下がる)のを埋めてくれるありがたい日をうまい口実にしてしまった。ちなみに、アメリカでは、クラスメートや隣人にカードを送る日なのだそうだが、一番受けたバレンタインカードは、ノートの手でちぎったことがばればれの紙のきれっぱしに鉛筆で走り書きした娘(当時3年生)のクラスメートのJake君のカードであった。

                     母の日は、キリスト教とは関係ないし、父の日ももっと関係ないけれども、アメリカ文化や精神をそのまま移植したのではない移植のされ方がされている。しかし、その精神の根底には、うっすらとキリスト教的な何かは流れているというものの、基本は儒教文化的な概念を援用しつつ、売り上げ増加を狙う花屋やデパートの陰謀ではないか、と思っている。

                     こういうのを宣伝材料にしている(この辺は、マーケティングが関連分野なので、この主の手の内を熟知しているものが言うのも少し気がひけるが)各事業者さんのご事情もあるのはわかるが、それに影響されて浮ついている人々、特に、それを季節もののニュースとして取り上げるマスコミ各社の皆さんにはあ、もっと報道すべきことがあるんじゃないですかねぇ、と芸能人の不倫を朝っぱらから正義のお面をかぶって名がしてくれるテレビ業界を見ながら思う。

                    テーマパークに見られるキリスト教の影響
                     そして、どう論文では、この後、テーマパークという空間におけるキリスト教の「土着化」が取り上げられ、代表的なディズニーランドと大阪のUSJではクリスマスやハロウィンのイベントが行われていること、また、通称リゾート法の施行の関係で各地に雨後の筍のように生まれた地方テーマパークの中にも、案外キリスト教が明白に意識されている例などがあることが示される。

                     その代表例として、愛知県蒲郡市にあるラグーナテンボス(経営主体は現在はHIS)でのハローウィンの由来が示されることなどが紹介されている。

                    この動画の5分20秒あたりから、ハローウィンの由来が割とまともに説明されている。

                     また、続いて、パルケエスパーニャ(近鉄一押しのテーマパーク)での、「ドン・キホーテとみんなの大時計」というキャラクター・ショーで、クライスト・フィギュアとも受け取れなくはない象徴が表れることが示される。

                     そうして、本論文は次のように締めくくられる。
                     キリスト教の信徒数という観点からは、キリスト教が土着しているといい難い半面、イースター、ハロウィン、クリスマスをはじめとしたキリスト教関係のイベントが、年々、技術的な進歩や規模の拡大によって日常化していることは否めない事実である。また、日進月歩である各種情報の獲得手段の多様化により、キリスト教に対する正確な情報が、国の内外を問わず、容易に獲得できる時代となったことも相まって、より深いキリスト教的なメッセージ性を有したイベントが存在していることも、今回改めてその一端を確認することができた。
                     こうした事実を踏まえた上で、今日改めて日本におけるキリスト教の土着化の方向性と可能性に真剣に向き合う必要性が高まっているといえるのではないだろうか。また、それに不可欠なキリスト教に関する正確な知識獲得は、今日、世界が直面している宗教リテラシーの真の構築にも寄与するものであると考えられる。(同書 p.199)

                     この論文、正直紹介するかどうかは迷った。というのは、イベントに現われる祝祭的な演劇表現におけるキリスト教文化の定着という方向性で書こうとしているのはわからなくはないのだが、正直言って突っ込み不足の感は否めない。実際にも、ちょっとテーマパーク論としては、祝祭空間としてのテーマパークという側面には踏み込めていないし、そもそもテーマパークという祝祭空間、ハレの空間での出来事を取り上げ、日本の土着化というには、あまりにマニアックというか文化的なコンテキスト全体とのかかわりが薄いし、中途半端だし、論文の出発点やその視点は面白いと思ったものの、なんか違うんだよね、ということは正直思ったのだ。

                    テーマパークという非日常空間における
                    日常としての疑似宗教的祝祭

                     そもそも、ディズニーランドとか、USJは、現実空間における書き割り(映画や演劇のセット)で作りあげられた薄っぺらい祝祭空間である。その意味で、現実空間における仮想空間を現実に出現させてしまっているという怪しさを持つ空間なのである。特に建築論の観点から見たら、非常に異質な怪しさというか危うさを持った空間なのである。そこで繰り広げられる祝祭ごっこ(あくまで本物の祝祭ではない)はこの種のテーマパークビジネスが、リピーターの確保、更に新規来場者の確保をするためには、必須アイテムなのである。繰り返し飽きずに毎日実施しなければ、ビジネスとしては成り立たないテーマパークという存在を前提としたものを対象にした結果、本来年に数日、一度限りで行われる本来の宗教的祝祭の意味がどこまで確保されているのか問題というのがあるのではないか、と何でもかんでも批判的に考える習性のついたミーちゃんはーちゃんは思う。

                     本来の祝祭は、そして本来の宗教的な祝祭の意味は、同じ人々(信徒という確実なリピーターや地域住民)に対して、毎日あるいは毎週定期的に繰り返されることに意味があるように思うのだ。あるいは、毎年1回、期間を限って実施されることの中において、本来意味を発揮するのはずなのであるのではないかと思う。

                     これに対し、宗教性によらないビジネスとして実施される祝祭空間(それは演劇でも、映画でも、クラッシックからアイドルに至るまでのコンサート、レストランでも同じことだが)は、経済的な成立可能性を確保するために何度も対象を変えた形での祝祭空間を提供しているように思えてならない。その意味で、祝祭の消費文化への転換が行われているといってもよいのではないか、とミーちゃんはーちゃんは思う。

                     しかし、祝祭、宗教的な祝祭は、消費文化化された祝祭とは対極的に、その文化や信仰を共有する人々に対して、定期的に提供されるとしても同じ対象の人々に対して、祝祭間の間隔に違いはあれ、自分たちの信仰の表明として行われる祝祭であり、サービスを受けるのではなく、サービスに主体的に関与する部分に意味を見出すことができるのではないか、と思うのだ。その辺の主体性の理解に関する考察がどう論文には欠如しており、今あるデータで論文書いてみましたといったような雰囲気が漂うのである。なぜ、そう思うかというと、ミーちゃんはーちゃんが書く論文の大半も、今あるデータで論文書いてみました亭な論文がやたらと多いからである。その意味で、人のことを言えた義理ではない。なお、個人的には、聖餐式、聖典礼は神が与え給うた大事な祝祭の一つだと思っているので、これらを軽視することには、かなり抵抗がある。


                     そもそも、過ぎ越しの祭り、仮庵の祭りにしても、農事暦との関連はあるとはいえ、そもそも、神が定めた民族の歴史の記念としての祝祭の意味も強いと出エジプト記をはじめとするモーセ5書には書いてあるような気がするが。 

                     なお、この種のことを考えられたい向きには、以下で紹介しておく書籍『 儀式は何の役に立つか―ゲーム理論のレッスン 』を手がかりに考えることもできるだろう。
                     
                     ところで、祝祭の意味について考えるために、実際に宗教的な色合いの強い、あるいは歴史的な出来事の記念の色合いが強い祝祭、そして、自ら関与していく側面の強い、イタリアの祝祭を3つ、スペインの祝祭の動画を一つ上げておく。


                    イタリアのシエナのの市内各所で行われる旗を多用した伝統的な祝祭


                    イタリアのシエナの市役所前広場( カンポ )で行われる競馬


                    ベネツィアの海に関する祝祭(自らが海洋国家として生きることの表明をする祝祭)


                    バルセロナの祝祭の模様
                     
                    情報・データと宗教リテラシー
                     あと同論文でついていけない、と思ったのは、「 日進月歩である各種情報の獲得手段の多様化により、キリスト教に対する正確な情報が、国の内外を問わず、容易に獲得できる時代となったこと 」という記述である。まずもって、この発言には、Darpaネットの構造を基礎とするインターネットの存在を意味しておられるのだろう。

                     情報技術屋として思うことであるが、情報の獲得手段が高まったのではなく、生データないし2次加工データへのアクセス手段が多様化し、入手可能性が広がったのであり、キリスト教についての雑多で混乱した生データへのアクセシビリティが上がっただけであり、正確であるかどうかは保証しないのが、インターネットの世界である。正確ではないデータにも、あるいは偏ったデータにもアクセスできるようになったというだけである。正確だと思うのは、思い込みでしかない。要するに巨大な自己主張の世界が広がっているだけであり、従来は、距離や空間という堤高の結果アクセスしがたかった、自称○○という世界につながりやすくなっただけでしかない。なお、このブログ記事も、自称○○の世界で書いているだけであるので、その点はお含みおきいただきたい。したがって、舟喜論文への批判も、自称○○の世界での批判に過ぎない。情報は、データなしにはできないが、データがあれば情報があると思うのは間違いである。情報が、解釈され、発信され、受容されて情報になることは忘れない方がよいと思う。

                     それから、「 それ(キリスト教の土着化の可能性)に不可欠なキリスト教に関する正確な知識獲得は、今日、世界が直面している宗教リテラシーの真の構築にも寄与する 」とおっしゃるが、キリスト教やイスラームという一神教の世界だけが宗教ではない。宗教の世界は多様であり、例えば、一つのキリスト教とっても実に多様であり、それらを包摂するものがキリスト教リテラシーだとすると、それすら存在しない日本人にとって、イスラームへの理解やアクセスもなく、仏教(上座部仏教から、大陸系由来日本で独自に発展した多様な仏教)をも知らずして、「 宗教リテラシーの真の構築 」はよほどの鬼才でしかなしえないのではないか、と思うのである。
                     まぁ、真の構築はしなくてもいいけど、人生のある時期を仕事にせよなんにせよ、外国人と過ごすためには、宗教リテラシーを真に構築はしなくてもいいけど、基本的かつ初歩的な、宗教リテラシーは必要だと思うなぁ。まぁ、中国人の中華思想も困るし、ギリシア人のギリシア中華思想も困るし、日本人の日本中華思想も困ったもんである。相対化ができない人は、どこまで行っても自己の相対化できないので、仕方ないのかも、とか思っている。

                     繰り返すが、このブログ記事群も、自称○○の世界で書いているだけであるので、その点はお含みおきいただきたい。したがって、舟喜論文への批判も、自称○○の世界での批判に過ぎない。 データを提供しているに過ぎない。あとは皆さんがどう考えるかである。

                     この記事は少し辛口になったが、まぁ、この本は基本文献の入門的な論文集としてはお勧めできるとは思う。なお、以上で本書に関する連載は終わりである。



                     
                    評価:
                    ---
                    キリスト新聞社
                    ¥ 1,944
                    (2016-04)
                    コメント:まぁ、全体として面白かったです。

                    評価:
                    マイケル・S‐Y. チウェ
                    新曜社
                    ---
                    (2003-09-20)
                    コメント:ちょっと的外れ、と思うこともあったけど、面白かったです。あんまりゲーム論的でなかったのが残念ですが。

                    評価:
                    マーク・R. マリンズ
                    トランスビュー
                    ¥ 4,104
                    (2005-04-28)
                    コメント:日本に土着化して生まれたキリスト教に対する宗教学的考察をした本。面白かったです。

                    2016.05.21 Saturday

                    「祈り」について、たらたら考えた(1)

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                       このところ、日々「祈り」をいろいろ考え思いを巡らしている。

                       というのは、ここのところ紹介した『現代文化とキリスト教』という論文集のテゼの祈りに関する部分の記事 『現代文化とキリスト教』を読んだ(5) でもちらちらと出ていること、また、主催しているナウエン読書会で、With Open Handsを読んでいること、参加させてもらっているFacebookのN.T.ライト読書会で今読んでいる「クリスチャンであるとは」がちょうど祈りのところなので、「いのり」ということを考えている。

                       このあたりを読みながら、「祈り」そのものよりは、教会における祈りについて、どう考え、それにどう取り組んでいるのだろうか、と思う。なお、ミーちゃんはーちゃんにこれといった考えがあるわけでなし、ああでもない、こうでもないと考えてみているだけである。あくまで現在の考えを示したものに過ぎない。そうああでもない、こうでもないと考えていることに、皆様方をお付き合いしていただくのはどうか、とも思うが、祈りについて少し観察してきたことをもとに考えたことを問題提起として少し述べてみたい。

                      ミーちゃんはーちゃんと祈り
                       ミーちゃんはーちゃんが所属してきた教会では「祈りましょう」といわれることが多い。「毎日祈りましょう」「定期的に祈りましょう」とは言われる。あるいは、「熱心に祈りましょう」「力強く祈りましょう」ともいわれてきた。 しかし、その割には、具体的にどう祈るのか、祈りとは何か、具体的な祈りの文言や祈りとはどういう意味を持つものなのか、ということに関して、あまり明確に教えてこられなかったようにも思う。祈りそのものを、聖書から解き明かされた機会は極めて限られていたといっても過言ではないように思う。 信仰歴は、30年以上になるが、他の信仰者の方から祈りとは何か、祈りとはそもそも何か、どう考えるのか、ということもあまり聞いたことがなかった。ミーちゃんはーちゃんが、そういう子供のような単純な質問をしたこともなかったからではあるからではあるが。
                       教会の中の聖書研究会とか、特別な話手を招いてする機会で余り学ぶことがないため、自分で聖書テキストから考えたり、本を読んだりして、祈りについて思いを巡らせてきた。とはいっても、なかなか容易ではなかったし、今でも、そのあたりへの関心は濃いとはいえない。とはいえ、いくつか読んできた本の中で参考になったのは、ナウエンのWith Open Handsとレクティオ・ディビナに関する本である『 目からウロコ 聖書の読み方―レクチオ・ディヴィナ入門 』であった。

                      ある訪問した教会での祈り
                       ある教会にご訪問した時には、小学校の標語のように、「一日に3回祈りましょう」というような自作と思しきポスターが掲げてあって、あぁ、ここはこういうタイプの精神性を持った教会なのだ、ともおもった。メソディスト系の教会であったが。

                       そのポスターが掲げてあった教会で、礼拝の終わりごろに代表祈祷をしたあるご高齢の女性信徒の方がおられた。その代表祈祷をされた方の後ろに、たまたまミーちゃんはーちゃんは座っていた。
                       礼拝終わりの代表祈祷されたこの女性は、だいぶご高齢なので、信仰暦は相当お長いのではないかと思ったが、代表祈祷で緊張しておられたのか、祈りの文言を全部書き上げたと思われる数枚の紙を手にしながら祈っておられた。その方が祈るうちに、その神がガサガサがさと音を出し始めたのだ。まさか、神様は聖書の中で、以下の漫画のように、祈りの内容を書け、ともいっておられないように思ったのだけれども。




                       「あれ、ここクェーカー系の教会だったけ?確か、メソディスト系の教会だったはずだが・・・」と思っていたら、祈りに合わせて、リズムをとるために体を揺らしているのではなくて、明らかに声が枯れ、声が震えておられたようだ。どうも、間違いがないように祈らなければならないからか、皆さんの前で祈る機会が少ないからかはわからなかったが、ものすごく緊張しておられる御様子が伝わって生きた。緊張の結果、からだも声も震えておられるのだろうなぁ、と想像した。長い祈りであったが、よほどの緊張のためか、途中何度か詰まったりしながら、かなり長めの祈りを終えられた。

                       祈りの内容は、短めの神への感謝、賛美から始まり、 教会でのイベントがうまくいったから感謝します、 教会でのイベントがあるから祝してほしい、 ○○さんの病気がよくなったから感謝します、 病院にいる▽○さんが手術があるから、うまく行く様にしてほしい、というような、いのりであった。それこそ、こんな個人情報をたれながしにしたら、まずいんじゃないだろうか?と思われるような内容を含む祈りがかなり長い時間続き、そして、「主イエスの御名によってこの祈りをおささげします。アーメン」で終った。およそ3分以上にわたるかなり長めの祈りをしておられた。

                       そして、祈りを、アーメン、で締めくくられたとき、安心したように大きく安堵したと分かる息をしておられるのが感じられた。
                       
                       この光景に立ち合いながら、「あれ、自由祈祷というのは、ある面自由なようでいて、それほど自由ではないのかもしれない」という感想を持った。祈りの文言の中で、誰かのことを抜かしたりすると大変だから、とか妙な教会内の人間関係の力学が働いているのではないか、と思ったのだ。そして、重要なポイントや人物のことへの言及を抜かさないように紙に書いて間で祈っておられたのではないか、と思った。こういう、礼拝の最後にあるような代表祈祷だと、結構気が抜けなくて、おつらいのでしょうねぇ、というご同情を禁じざるを得なかった。

                      テンプレートに乗った自由祈祷って・・・
                       そして、この方の代表祈祷の祈りを聞きながら、フォーマットは自由祈祷のかたちをとってはいるものの、あるテンプレートがあるように感じたのだ。いくつかの他の福音派の教会でも祈祷は、ほぼ同じ形をとっている、ということに、最近気が付いた。テンプレートというか、フォーマットが基本同じなのである。まるで、マニュアル本に従っている様ではないか、と思ってしまったのだ。

                       形としては、最初に神への賛美とか感謝があって、教会行事の成功への感謝あるいは祈願があって、あとは延々個人の病気とかお悩み事のリストというか、取りなしの祈りとも呼ばれる個人情報のリストもどきの言及が続き、最後にイエスの御名によって祈る、という語で締めくくられる。まぁ、教会行事の云々と個人の病気とかお悩み事の内容の部分が差し替えられるだけで、テンプレートだけは維持されている。そうなってくると、成文祈祷とテンプレートに乗った自由祈祷って、入る文言だけが違うだけで、結局、様式としてはほぼ同じなのではないか、と思う。
                       
                       このようなテンプレートに乗った自由祈祷の原型として主の祈りがある可能性についての痕跡はごくわずかに感じられるが、これらの自由祈祷文を仮に記録したものがあるとしたとき、それを複数集めたところで、これらの自由祈祷文の文章群から主の祈りを逆構成(逆アセンブル)しようとしても、それはおそらく失敗すると思う。

                       確かに、冒頭の神への賛美は残っているが、神の御思いがなるという部分は完全に欠落している。日用の糧の部分がイベントの成功や病人のための祈りにかわり、罪の告白とその悔い改め、他者の罪の緩しもない、そして、最後の神の主権性を認めている部分が神への賛美へと変わっている形で残っている。確かに祈りにおける主の祈りの影響のごく弱い痕跡を見ることはできようが、どうも神の主権性を表明し、神とその支配への賛美をし、神の支配にゆだねるというよりは、こちらのお願い聞いてほしい、という祈りになっている様な気がする。


                      「えぇ、えぇ、神様、この祈りは私のことに関しての祈りであって、あなたのことでないことはわかっております」と祈りながら独白している姿を描いた漫画

                      お願いの祈り・・・
                       自由祈祷派のキリスト教会との親和性が高いこともあるのだが、このタイプの教会では、祈りとはいっても、より具体的には、願いの祈り、あるいは神への請願(petition)の集合体になっている方々もおられるのではないか、と感じてしまうのである。もちろん、苦しむとき、悲しむとき、ミーちゃんはーちゃんだってこの種の「何とかしてくれ」という祈りをしないわけではない。もっというと、旧約時代人などは、もっと直接的に神に対する叫びをあげている。ダビデ君なんか典型だけど。何か呪いに近い祈りも詩篇の中にはある。

                       感情が淡白にできている極東人としては、こういう暑苦しい中近東人的な祈りの文言は結構しんどい。まぁ、中近東人自体、大体日常的にマイペースらしいし、このくらいのお願をすること位は、かわいいものなのかもしれないが、淡白な生き方をしている極東人には、この種の激情というのか、暑苦しさはちょっときつい。また、中近東人を見習って、神に感情をぶつけるような激情型の祈りをしようとも思わない。その辺が、ミーちゃんはーちゃんが覚めているとか、冷淡であるという評価の一端につながりやすいのかもしれないが。

                       まぁ、淡白な祈りを日常的にするというのは、プロセスチーズを日常的に食べている人みたいなもので、そういう人が、中近東人の様な激情型の祈りを試みてみるのは、いきなり、ロックフォールとかのブルーチーズを食べるようなものかもしれない。 たしかに、ブルーチーズはうまいかもしれないが、食べ手を選ぶチーズの様な気がする。

                      ロックフォールチーズ

                      祈りをどう学んでいくのか?
                       教会で祈ることは大切だ、祈ることは神とのコミュニケーションだ、あるいは、聖書記事で祈りの記事が出たときに時折、それに関して祈りに関して言及がある程度で、漠然としたことは教わるが、体系的に祈りについて、教会で学ぶ機会がなかったことを触れた。

                       こうなると、人は祈れといわれたら、とりあえず、他人の真似、手直におられる教会の人の真似、牧師の祈りの真似をすることになる。つまり、誰かの祈りを参照にして、その様式をコピー&ペーストして、多少その中身を自分たちの関係者や関係あることに入れ替えながら、その人なりの祈りのスタイルというのか、テンプレートがつくりあげられていくことになる。

                       そして、先人からのコピペが続けられているうちに、言葉そのものが同じではないにせよ、一種の祈りのテンプレート化がされてしまうのかもしれない。そうすると用いる用語や祈りのことばのリズムというか抑揚に関しても、コピーが繰り返されるうちに定型化が発生したり、あるいは、コピーしているうちに劣化することが発生する場合もあるかもしれない。

                       ミーちゃんはーちゃんの場合も、この種のとりあえず他人の祈りの真似をするかたちで若い時代には祈りの方法を確立していったし、 また、ミーちゃんはーちゃんのキリスト者グループの関係者の場合、圧倒的にこのタイプで確立されている感じがする。キャンプなんかで、同じグループのいくつかの教会から人が集まる所では、その教会ならではの祈りのスタイル(祈りの中の声のイントネーションとか、必ず使われる表現がある場所で現れるなど)の傾向などがみられて、面白いなぁ、と思ったこともある。

                       他人のコピーでなんとなく祈るのは分かるが、祈るということはどのようなことか、どのように祈るのか、他の宗教の祈りとはどのように違うのか、人間が祈るということとは何か、といったようなことは、はたしてきちんと考えられているのだろうか、と思うことがある。なぜ、主の祈りや式文に書かれたような成文祈祷(全員で声を出して祈る祈りを書いたり、印刷したりしたものに従って祈る祈り方)でなく自由祈祷なのか、ということは果たしてきちんと理解が広く認識されているのだろうか、と思うことがある。

                       より具体的には、自由祈祷が重視される教会では、なぜ、成分祈祷をしないのか、もしそれが、成文祈祷では、聖霊は働かないと考えるのか、なぜ自由祈祷だと聖霊のお働きがあると考えるのか、というあたりの学びはきちんとそれぞれの教会ではされているのであろう、とは思うが、それがどこまで信徒の皆さんに伝わっているのだろうか、と思うこともある。そして、信徒さんはなぜ、自分が祈るように祈るのがよいと思っているのか、ということについて、どこまで真面目にお考えなのだろうか、とも思う。

                       まぁ、こういう面倒臭いことは考えなくても、という気もしなくもないが、もし、祈りがその人の信仰生活を形作り、その人の信仰生活に影響を与えるのであれば、これらのことは、まじめに考える意味もあるのではないか、と思う。

                       しばらく、このことを考えてみたい。


                       
                      評価:
                      Henri J. M. Nouwen
                      Ave Maria Pr
                      ¥ 500
                      (2006-04)
                      コメント:非常によろしいと思います。

                      評価:
                      来住 英俊
                      女子パウロ会
                      ¥ 810
                      (2007-06)
                      コメント:聖書の読みと祈りを変えた一冊

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