2015.10.01 Thursday

2015年9月のアクセス記録とご清覧御礼

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     今月は、やや話題がとっ散らかった感じでした(指摘されてしまった)が、アクセス・ご清覧いただきありがとうございます。今月は16346となり、平均で、日に544.9アクセスでした。


     2014年第2四半期(4〜6月)  58171アクセス(639.2)
     2014年第3四半期(7〜9月)  39349アクセス(479.9)
     2014年第4四半期(10〜12月)  42559アクセス(462.6)
     2015年第1四半期(1〜3月)  48073アクセス(534.1)
     2015年第2四半期(4〜6月)  48073アクセス(631.7)
     2015年第3四半期(7〜9月)  59999アクセス(651.0)

    今月の単品人気記事ベストファイブは以下の通り

    現代の日本の若いキリスト者が教会に行きたくなくなる5つの理由

        アクセス数 449

    仏教思想のゼロポイント」を面白く読んだ(8)
       アクセス数 319

    「仏教思想のゼロポイント」を面白く読んだ(9)
       アクセス数 280

    今年の夏のある修養会で…
       アクセス数 276

    情報の非対称性と認知の非対称性 教会を巡る見えないカベ(1)

       アクセス数 239

    で した。しかし、今月も、トップが相当以前のブログ記事で、それ以外は今月公開の記事である。とはいえ、今月の記事でトップファイブの中に2本も入ったのが、仏教との対話の記事。仏教者の数の多さもあるのだろうが、キリスト教系ブログで あるにもかかわらず、仏教との対話をしている記事が先月に続きベスト5入り、それも2位及び3位というのが、実に微妙ではあるような気もするけど、これはある意味重要だと思っております。一応、護教的な意味で。

     まあ 木原活信 著 「弱さ」の向こうにあるもの シリーズもなかなか健闘したが、そこまで伸びなかった。一応、今月内で終結。このシリーズは

     先月のご清覧感謝。今月もまた、よろしくお願いいたします。


    2015.10.03 Saturday

    若い人しかいない教会参加記

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      老年層の多くなってしまった教会

       このブログの人気記事の常連記事の一つは、教会になぜ若いクリスチャンがいないのか、という記事である。なぜ、若い人がキリスト教会から離れていくのか、ということにも触れてきたし、それに関する『福音の再発見』という本まで、ミーちゃんはーちゃんは企画して、出版した。

       そして、このブログの検索語でも、『若い人 教会行かない』で当ブログにたどり着く方は案外多い。

       いくつかの地元の教会をご訪問させていただいた限られた経験でしかないが、その大半は、40人から50人規模の教会が多かったのだが、若者が2〜3名ちらほらと、という感じであった。7〜8人程度若い人が教会にいれば、あぁ、この教会は、礼拝に非常に若者が多い教会だなぁ、という印象を持つ、という感じであった。

       教会の構成員の約半数以上は退職者と思しき方が多い教会、中には、退職者しかいないのではないか、と思う教会もあったが、どの教会も、60歳以上の皆様が半数を占め、場合によっては後期高齢者の皆様が半数以上を占めているのではないか、という状態がご訪問した教会の大半であった。

      あったよ、若い人しかいない教会が

       しかし、である。世の中には、若い人しかいない、全員30代という教会があったのである。これには驚いた。そして、主軸がハイティーンの大学生の10代、20代の若い勤労者の方が大半で、全てが信徒ではないにせよ20代以下の若い男性が、少ない時で、5-6名、時には15名前後いる結構いる元気な教会があったのである。男女比は、ざっと、男性1に対し女性3という感じであった。つまり、30人から40人の教会の全参加者のうち、確実に10人程度の若い男性がいたのである。いやぁ、世の中実に判らんもんだし、自分の蒙が啓かれる、とはこのことか、と思った。実に得難い体験をした。

       この教会に参加しようと思って、この教会を訪ねていったわけではなくて、世俗の仕事の打ち合わせに、この若者しかいない教会で熱心に奉仕している卒業生との業務上で依頼を受けた開発案件(今年の3月まで、この若者しかいない教会の熱心な参加者が開発に関与していた案件)の技術情報の提供の打ち合わせの時間を持つためにお伺いしたのであるが、まぁ、礼儀として、彼らの教会活動に合計3回ほど参加させてもらった。若者が実に生き生きと賛美をし、礼拝に参加している姿を見て、正直驚いた。

      かつての教会の若者の熱気が

       日本の現在70歳以上の牧師の方がよくおっしゃる、「私が最初に教会に行ったころは・・・・」と懐かしそうな口ぶりでお話になる50年前とか60年前の状況とは、さぞやこのような年齢分布ではなかったか、と言う印象を持った。若者が教会に満ち溢れ、活気にあふれ、どんどんと若者たちがキリストに出会っていった戦後すぐの一時代があったように思う。このような昔の状況に関しては、かぜのうわさ程度には聞いているが、この夏、若い人しかいない教会の現物にお初にお目にかかったのであるが、当時のキリスト教会の熱気とは斯くの如きものであろう、と思うような教会であった。

      アイドルコンサートのような教会
       とはいえ、昔みたいに眉間にしわ寄せて、「人生とは何ぞや」という高尚なことを考えているような若者がいたわけではない。現代を楽しく生きようとする若者がいたのである。ヒップホップ風のスタイルの衣服を纏ったり、大岡山スタイル、東工大スタイルと揶揄されるようなひょろっと背の高い学生風の人が、チェックのシャツにチノパンや、ジーンズ姿の方もおられ、一方でラッパー風の若者など、いろんなタイプがおられたが、結論から言えば、若者ばかりがおられた教会があったのである。


      ある、ロックフェスティバルの写真 暗くしてこんな感じだった

       一番の驚きは、礼拝が、嵐やジャニーズ系のグループか、ももいろクローバーZやなんか J Soul Brothersなどのアイドルコンサート(参加したことはないが、テレビの藝能コーナーが8時台までの民法の朝のニュース番組と称するバラエティ番組でその一部をちらっと時々拝見している限り、ではあるが)と見まごうばかりに、聖餐式の開始時間のカウントダウンから始まるのである。そのあとは、司会者が、「イエス様最高!」「神様メッチャ最高!」(英語のAwesome Jesusとか Awesome Godとかの訳語だろうか)と、ノリノリのWorship音楽でノリノリのWorshipチームが賛美をし、会衆もその賛美をコンサート会場のノリで、大声で歌い踊るのである。まかり間違っても、以下に紹介するようなPraise Him Praise Himのような讃美歌ではない。


      このコンサートシーンのようなノリで、賛美歌が賛美される





       決して、上の伝統的な讃美歌(昔は画期的であった)になった讃美歌ではない。


      まさに、これ。

       こんな感じの讃美歌であるが、それを極めて大声で、早いテンポで歌詞の一部を日英交互に歌うので、何をうたっているのか、歌詞のどこを歌っているかわからなくなることがある。英語の歌詞だけの方が個人的にはうれしいのだが、そうもいかない。

       野球場で阪神タイガースファンがタイガースのの選手の応援歌や、六甲おろしを歌う感覚で賛美歌歌っている感じが一番近いかも。この教会では、ほぼ、ダンスしながら歌っていたから、歌詞の細かいところを味わったりするものではない、というご認識なのだろう、と思ったりもした。それよりも、一応、みんなが同じ歌を歌っている、ということに意味があるのだろう、と思う。

      若者ばかり教会の基本フォーマット

       オープニングの讃美歌の直前のカウントダウンの後、飛び跳ねたりしながら、まさに法悦(Exstasia)の状態でワーシップ・ソングと呼ばれるノリノリの讃美歌を5分くらい歌うのである。そのあと、その日の説教者が前に立ち、参加者にたいして、自分にはこんなことがあったが、先週一週間起きたことをみんなで振り返り、神様がどんなにすごいことをしてくださったか、考えよう、と呼びかけるのである。

       その後、個人的に、信徒さんが感謝なことのシェアとしてお話しされている個人的な体験談のお話(お証し〔おあかし〕と呼ぶこのグループ以外のキリスト者集団もある)をお聞きすると、あぁ、この人たちには、繁栄の神学結構入っているよなぁ、とまずミーちゃんはーちゃんは思ってしまうのである。そして個人的にはその段階で腰が引けて半身の構えになる。ただし、神との一週間の関係を振り返るというのは、案外大事なのかもしれない。まぁ、どう振り返るかの振り返り方と何を振り返るか、にもよるけれども。

       そのあと、1名から2名、若い人が「今週、こんなすごいことがあった(バイトが見つかった、バイトの時給が上がった、学校の教員から褒められた)。そして、お金が増えて献金ができた。感謝なことである。」というたぐいの話が出ることが多いようであるその後、「すごいことへの感謝」について祈って、説教者にバトンタッチ。大体15分から20分、英語でのメッセージ、日本語での一文単位の交互翻訳がくりかえされて、最後に説教者が祈る。あとは、アメリカの大衆伝道家がやるように、祈ってやるから今信じた人、イエスを受け入れた人は、その場で手を挙げて…、と呼びかけがあり、大衆動員型の伝道大会での祈りような祈りがあり、そして、最後にバンド演奏付きでノリノリのワーシップと呼ばれる、若者向きの讃美歌を歌って終わりである。

       説教は一度、神様は我々を活気づけるために火を送られた(これこれ、これは聖書のコンテキストガン無視の読みでしょ?、と突っ込み入れたくなったが)とかいう変わった解釈をお伺いしたが、それ以外はまぁ、福音派でよく聞く説教をかなり圧縮して要らない部分をへずった感じの説教が15分から20分、という感じであった。

       まぁ、恐らくリバイバル運動のころのアメリカの教会や、大衆動員型の伝道集会ってのは、こういう一種の独特のノリがあったのではないか、と思うのだ。もちろん、ここの教会のようなノリノリの音楽を大音響で、というのは無かったろうが。

      外資系教会・・・
       そういう経験をしたもので、「こんな教会と出会ったんですけど・・・」と、お付き合いのある、非常に穏当にお話ができるペンテコステ系の教会のある牧師さんにお話したら、「あぁ、それ、もうChurchすら名前から外した外資系ペンテコステ教会ですね」と言っておられた。外資系教会とは、まぁ、うまいこと言うなぁ、と思った。説教者は外国人ばかりで、貧乏な若者が大半である以上、会場費などを海外からの援助によらないとできないのではないか、と思ったのである。

       次回「この教会で気づいたこと」へと続く




      2015.10.04 Sunday

      いのちのことば視聴記(下稲葉さん篇) 再掲

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         いつものようにNHK教育(Eーテレ)の「こころの時代」を見ていたのだが、そこで、下稲葉康之さんという日本でもごく初期に福岡県でホスピスを立ち上げた医師であり牧師である方のインタビューが再放送された。



        下稲葉先生 近影


         この放送で、エリコさんという高校生で、神経細胞と いう病気で17歳になった直後に、なくなった女子高校生への病気の告知の際、そして、告知後の診察、ケアの中で、どのように死の問題を彼女が受け取れるか を模索する中で、「忘れないで」という讃美歌が、エリコさんに対して死を語る際にあった壁のようなものを取り去ったという経験を語っておられた。

         讃美歌集「友よ歌おう」の中から、「忘れないで」という一時期福音派の中で流行ったゴスペル・フォークの讃美歌である。一番驚いたのは、その「忘れないで」を下稲葉先生が歌っておられたことである。それも無伴奏で。


         讃美歌 忘れないで

         この讃美歌は下稲葉先生にとって、よほど忘れがたい歌なのだろう。エリコさんという方と出会いとその逝去のこともあって。

          そして、生きるとは何か、死とは何か、ということを日常的な患者さんの病気の痛みと死と対面し続けるホスピスという現場の中で、その痛みの問題をどう向き 合うかということを問われておられる人の語ることばは、非常に参考になった。特に讃美歌の持つ独特の力ということを考えた。死するものとして、神に見続け られている、というそのキリスト者の生において。

         皆様にも一度御視聴をお勧めいたしたい。詳細はこちらから。

         同番組の再再放送予定
          2015年10月10日 土曜日 午後1時から

        こころの時代〜宗教・人生〜「“人生最後のおもてなし”を」

        「私の努めは死と直面した人たちに“最後のおもてなし”を施すこと」と語るホスピス医で牧師の下稲葉康之さん。これまで見つめてきた「人が死と向き合う姿」について聞く。

        「私の努めは、天国への旅支度に訪れた患者さんたちに、“最後のおもてなし”をして差し上げること」と語るのは、福岡でホスピス医と教会の牧師を努 める下稲葉康之(しもいなば・やすゆき)さん(75歳)。「弱さの極みにあるはずの末期ガンの患者さんたちが、素朴な輝きを見せてくれる」という。30年 余りのホスピスへの取り組みで見つめてきた「人が死と向き合う姿」について聞く。

        【出演】ホスピス医・牧師…下稲葉康之,【きき手】杉浦圭子



        評価:
        下稲葉 康之,下稲葉 かおり
        いのちのことば社フォレストブックス
        ¥ 1,404
        (2003-12)
        コメント:エリコさんの写真が出ている模様

        2015.10.05 Monday

        若い人しかいない教会で気づいたこと

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           前回の記事 若い人しかいない教会参加記 で、若い人しかいない教会(3回ほど)に参加した時の現場での観測した記録と、その時の素朴な驚きをご紹介した。今日は、そこに参加して思ったことを記してみたい。

           前回も少し書いたのだが、今の教会のご老人となられた皆様方と、この教会の若者の姿は、ある面よく似ているのである。

           集まっている多くの人々は、貧乏な学生や働き始めて間がない人々、説教者が、外国人である。それも若い外国人(20代後半から30代前半)という構造は、明治維新のころの教会に若者が集まり、熊本バンド、札幌バンド、横浜バンドといったように若者が集まった1870〜1880年代、あるいは、戦後すぐの1950〜1960年代の若者が教会にあふれた時代の日本の教会と”構造としては”よく似ているのである。中身はだいぶん違う、とは思うが。

           そして、当時の時代背景の中で社会や教会では、なんとなく物足りない、なんとなく居心地が悪い人々が寄せ集まるようにしてできたのが、教会であったようにも思うのだ。仕事上の野暮用とは言いながら、この夏何度かお邪魔させていただいた教会も、ある面その様な人々がキリストの名の下に集まったのではないか、と思ったのだ。

          既存教会文化から弾き飛ばされた人々の教会
           この教会に集まっている若者(普段自分が相手している年齢層の人々)の何人かと話していると、あぁ、この人たちは既存の教会というよりは、既存の教会に付属している(こびりついている、あるいは、それに凝り固まっている)教会文化に、ある面、弾き飛ばされた教会なのだろうなぁ、と思った。

           自分たちが好きなように好きな讃美歌で賛美しようとしたら、眉をひそめられ、ひどい場合には校庭の裏(ではなくて)、教会のキッチンか給湯室に拉致されて、ちょっとおっかないおばさま方から、事情聴取、尋問されたり、「あなた方は何を考えているのですか」と御小言を頂戴したりして、暗に教会文化を乱さないように、と言われたりするのかもしれない。

           若者しかいない教会にお集まりの皆様は何も考えていなくて、現代に生きる若者らしく、若者であることのその姿を、自分自身の賛美で表現したいだけあるかもしれないのに、このように尋問されたり、御小言を有難くもご拝聴させていただけたりするのである。

           個人的には、アイドルのコンサートに通い詰め、同じCDを大量購入し、コンサートでノリノリでヲタ芸を披露しまくり、給与のほぼ全部をアイドルに突っ込む人生よりは、普通の伝統的でない教会であっても、教会に献金してくれる方がよほどキリスト教のためではないか、とは思ったのである。

           まぁ、時に極めて斬新で、神学的ウルトラジャンプのような聖書コンテキストからあるテキストを取り出して無理やりこじつけしたかのような、面白い聖書のお話をお聞かせくださるが、まぁ、似たようなことは、福音派の教会でも起きる。ある福音派の教会では、説教テキストとごくわずかに重なる家族との事柄を25分中15分ほどお聞かせくださった牧師先生もおられたので、それから考えると、福音派のその教会とは、あまり変わらない様な気もする。

           ぴょんこぴょんこウサギのように会衆が飛び跳ねる教会(その勢いに腰痛持ちでジジイであるミーちゃんはーちゃんはついていきかねたが)で出会ったある方は、牧師家庭のお子さんであった方もいた。まぁ、親御さんの牧師先生も、自分の教会でぴょんこぴょんこ飛び跳ねられたり、「イェス様、マジ最高!イェ〜〜〜〜イ。カモ〜〜〜〜〜ン」とやられた日には、吉本新喜劇の山田花子嬢のモノマネか、と思われた信徒代表からのご相談を牧師先生は受けざるを得ない様な気もする。この辺、カルチャーの違いとしてお子様が別な方向に行かれることを、ある面喜んでおられる、ということではないか、と思うのだ。


          右側の女性が山田花子嬢

           このことを記しながら、内村鑑三先輩が既存教会からすれば、内村鑑三先輩の行動があまりに奇矯に見えたため、教会にいずらくなって、結果として無教会派になってしまったころを思い出したのである。

           内村先輩は、別に無教会をわざわざ作りたくは無かったろうけれども、結局勝手に聖餐した、とか勝手に洗礼授けた、教会としてふさわしくないことをした、教会とは違うことを言っている、とか言って、既存教会から追い出されてしまい、個人で考え込んでいたら、まとまって内村先輩のところにご相談があり、なんとはなく無教会運動みたいな形になっちゃったのであろう。


          内村鑑三先輩

           内村先輩は自分自身の人生を『失敗者の人生』とお書きであるが(新政府の役人として、学者として、教育者として、新聞記者として全部途中辞めさせられている)、まぁ、自分から辞めたというよりは、追い出された、という感じが強いのである。その意味で、内村先生も、既存文化から弾き飛ばされたし、また、既存文化から圧力かけられて本田司祭のことばを借りれば、「小さくされた人々」のお一人であり、おまけに、教会からも「小さくされた人々」の仲間入りをされてしまったのである。その挙句の果ての無教会であったのではないだろうか。

          腰痛持ちや老人にはつらい教会
           このぴょんこぴょんこ跳ねまわる若者だらけの教会で、初老の仲間入りをしてからだいぶん経過し、散髪屋に行くとシルバー割引を提供しましょうかと言われるほどの爺のなりをしたミーちゃんはーちゃんは、自慢するほどの事ではないが、自転車から落車して以来の腰痛持ち(といっても経験値は1年ほどでしかないが)であり、ホーマー・シンプソンと見まごうばかりの身体的特性をもつ身には、飛んだり跳ねたりは実に厳しいものがある。息が上がってしまうのである。

           ある面、お若いのが飛んだり跳ねたりしていると、「あぁ、青春よ再び」となるよりは、「若いなぁ」とブランコに乗る幼稚園児を見ながら小学校高学年男子がつぶやくような印象を持ってしまったのである。はっきり言って、「無理ゲー」であったのである。

           初回や、第2回目くらいは、声をかけてくれる人はいたが、3回目になると、さすがにこの教会自体に興味がない、とわかるのか、と放置していただいた。技術的な打ち合わせの事前作業が進んだから、ありがたいことではあったのだが。そういうあしらいを受けながら、ある面、初老に達したミーちゃんはーちゃんには「排除され観」が強い教会でもあった。まぁ、そらしょうがない。趣味が違うんだから。また、目的がこの教会そのものにはないのだから。だからと言って、この教会の取り組みを軽々しく考えているわけでもない。

           とはいいつつも、あまりにある特定の文化的サブグループ、あるいはサブカル層のなかでも、ヒップホップ文化やアイドルオッカケ文化とはちがった、ストイックなボディービルダー系の皆さんや、いわゆる2次元アニメをこよなく愛するヲタク、その中でもキモヲタにはつらい教会でもあるだろう。



          まぁ、この教会の半数以上が占めるうら若いお姉さんたちからすれば、上の漫画ではないが、ムリムリ ということになるのだろう。なお、お姉さんたち、と言っても下の画像のようなお姉さん方ではない。

          よくある食堂の「お姉さん」方

           まぁ、若い人に老人ははじかれ、老人は若い方々からはじかれるとすれば、もう、これは水と油なのだから、仕方がないか、とも思う。

           お互いにいらいらしながら、必死になって「愛さねば〜〜〜」とねばーる君のように「ねばねばよぉ〜〜」と言い続けながら、本心をひた隠しにしながらも猫被って一緒に集うよりは、若者らしい自然なエネルギーの発露がみられて、「実に天然」と実に清々しい気持ちになれたのは非常に印象的であった。

           この教会をご訪問した目的である、去年まで学生であったこの教会の元留学生の信徒さんと、技術的なサーバーサイドの設定と環境情報をご提供していただいた後、「なんか、僕みたいなじいさんにはようついていけなくて、なんかはみ出し者のように感じるわ」といったら、元学生の彼「そうかもしれませんねぇ」としみじみ言ってくれたので、彼らも分かっていても、こうならざるを得なかったのかなぁ、ということを感じた。

          頻発するレベルという語
           このお若い方しかおられない教会に参加させていただいて、一つ気がついた語がある。それは、レベルという語である。レベルが上がるとか、より高いレベルへ、とかいう語が「シェアリング」なのか「お証の時間」なのかは知らないが、個人の信仰生活の体験談で語られる話の中で頻発するのである。

           おそらく、「レベル」とは「霊的状態」の事を示し、「レベルアップ」とか「レベルが上がる」は「霊的成熟」位の意味であろう。そういうキリスト者としての変容が、ウェスレー先輩のアルダスゲート事案ように一気に起きるのか、じわじわと起きるのかは分からない。それは属人的なものも多いとは思うからである。
           
           ただ、彼らに「幸あれかし」と思いながら、老爺心から思ったことは、結構、このレベルとかステージとかいう語は、霊的な世界を語る際に安易に語られ過ぎで、カルト化した宗教団体(たとえば、オウ△真理教の皆さん、とか、〒一協会の皆さん、紅ホバたんとか)でよくみられる構造なので、そっち側行かなきゃいいけどなぁ、ということであった。またまた、目が離せない人たちに出会ってしまった。
           なお、レベルという語やステージという語が頻繁に出るからと言って、カルトと即断しないほうがよく、その語が持つ意味を深く思いめぐらす方がよろしかろうか、と思う。


          将来どうされるんですかねぇ
           残念ながら、若者はいつまでも若者ではない。紅顔の美少年もいずれ土気色の老人となる。アイドルで一世を風靡したフックンこと布川君もいい感じにじいさんに向かって突進中である。あれほどかわいらしかった斎藤こずえ嬢も、残念、というほどではないが、だいぶんご変容になっておられる。まさに、
          少年易老學難成
          一寸光陰不可輕
          である。



          上下2枚は同一人物とは思えないが同一人物である。

          バラ色の人生をお過ごしでいらしたのなら、よかったですね、と申し上げたい

           ここ数年はいいかもしれない。しかし、15年後、25年後のこの外資系教会はどうなるかを少し見てみたい気がする。頭の髪の毛がホーマー・シンプソン状態に残念な状態になり、顔が今のジャック・ニコルソンのようになり、体型がハーレー・ダビッドソンを乗り回す、一種のお祀り騒ぎに集まるプロレスラーまがいのオジサンたちのようにスキニージーンズが似合わなくなった時の彼らの所謂外資系教会の姿を見てみたい気持ちがある。

          アメリカンアイドル ホーマー・シンプソンズ氏

          ジャック・ニコルソン氏

          巨人ファン関係者と使用される色味がよく似ている
          ハーレー・ダビッドソンファンの皆さま
          (この人たちを見ると、なぜかプロレスを思い出してしまう)

           まぁ、いつまでたっても松田聖子のファンやキャンディーズファンがいなくならないように、彼らは集まりつづけるのであろうし、その中で、教会運営も変容していくと思っている。いつまでも今のままのノリを彼らの身体的な変化(充実ともいう)が、現在の在り方を容認できなくなるだろう。中で、それを続けることに、疑問に持つ人々も出てくるだろう。

           そうなったとき、受け止めてくれる教会や、彼らお若い方々自身が「自分たちこそがキリスト教だ」と思い込んでいることからの呪縛が解けることを今は願わずにはおられないし、そういう人たちを受け止められるミーちゃんはーちゃんでありたい、と思っている。まぁ、日本の福音派の一部の皆さんも、福音派が「これがキリスト教です、自派以外はキリスト教ではありません」と思い込んでいる、いや、思い込まされてきたキリスト教概念からも、ちょっこしでもいいから解放されるといいですね。そうはならないような気もすることが多いとは思っているけど。





          2015.10.05 Monday

          第4回 N.T.ライトセミナー参加記

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             先日、東京で開催されたN.T.ライトのセミナーに参加してきたときのメモを。

             完全な記録(動画と音声)は、近日中に予約販売する予定らしい(詳細未定、決定次第ご報告予定)ので、そちらをご参照賜りますように。今回は録画やフロア周りの要員(要するにRunner 使いっ走り)もしていたので、メモの精度は極端に落ちます。

             当日の配布資料は、現在のところ在庫僅少。近日中に再入荷予定。当日配布の印刷物は、あめんどうさんのところでの軒先価格(送料なし価格)400円、送料込500円。

            Uさんのオープニングセッション

            (最初部分、メモ取れず)
             ヨーロッパでのホロコーストとN.T.ライトはかなり影響があるだろう。それ以降、ヨーロッパでのキリスト教に現実的な意味づけを見つけるのは結構厳しいものと思われる。

             ライト自身が願っている事(キリスト教が現代において意味があることの主張)と、外から見ている人の温度差の様なものがあると思われる。イスラエル・ユダヤ問題をどうとらえるのか?ということにペンテコステ系の方々は非常に深い関心をお持ちのためであるかもしれないが、N.T.ライトに関しては、ペンテコステ系の人が関心をもっている。

             なぜ、西洋のキリスト教は、行き詰ったのであろうか。それは、聖書理解に深く関係しているように思われるが、信じて天国に行くことがキリスト教の中心となってしまっていて。かなり極端に間違った方向に向かったのではないか、と思う。

            プラトンの二元論とギリシア哲学とキリスト教

             とりわけ、天と地の問題はプラトンの二元論に由来する。この結果、美の世界はイデアであり、プラトン的な世界では、グノーシス(智恵)はそれを探す為に必要であった。ニーチェは、民衆のためのプラトニズムとしてのキリスト教と主張している。 

             N.T.ライトは、19世紀を触れるときには、カール・マルクスとニーチェ、フロイトがセットで出てくるが、これらの人物は、啓蒙思想後期の人物であり、モダニズムの終焉期でもあり、新しい思想、ポストモダンへの移行の糸口をとらえた人であった。

             16世紀の宗教改革では、信仰義認論が重視されたが、律法と恵みの二元論であり、律法とイスラエル(ユダヤ)が密接に結び付けられてしまったために、イスラエルへの否定的視点へとつながった。また、反ユダヤ主義は、西洋では、キリスト教形成期の割と初期から見られる思想である。

            ポストモダンの視点から見ているN.T.ライトと
            モダニズムと聖書無誤論
             N.T.ライトは、モダンとポストモダンを明確に比較対照している。その背景には、近代が行きついた先がホロコーストであり、その限界を感じていることがあるだろう。

             ものがたりは人を取り込むが、神学は排除原則が働くようだ。聖書無誤性で大分議論してきたが、そのことの議論時代が、モダニズム的な背景で行われたものであり、聖書そのものでなく、聖書から離れた神学の世界での聖書の無誤性を論じてきたようにも思う。

             モダニズムが持つ、傲慢さ、欺瞞さ、遠慮なしにN.T.ライトは批判している。近代のキリスト教と暴力とが結び付いたのが、ホロコーストであり、異分子を排除しようとした側面がある。なお、過去聖書無謬論に関して、中澤先生と議論して、ずいぶん傷つけてしまった。


            応答者から
             反ユダヤ主義の事が、海外の神学校の先生から何度も何度言われたのだが、その当時応答者自身、として、問題意識がないこともあり、さっぱり何を言っているかわからない状態であった。

             1世紀の視点で、21世紀の問題意識で聖書を読むべき、という理念はよくわかる。聖書こそ最終的な権威であるのはそうであるが、とは言え、我々は、まっさらな立場で聖書を読んでいない。どこかしら、教派的神学的影響を受けているのではないか。理性や、経験、歴史を尊重している。普遍的な神学に言えるかもしれない。

             ノイラートの舟のキリスト教のたとえでいえば、キリスト教は、2000年前に出港し、後戻りしながら進んでいる。その船の中で使えるものといえば、船内にあるものしかない。つまりは、神学的伝統を利用しながら、これまでの伝統の中から探して組み合わせることで対応するしかない。残すべきよいものを発展させる。

             また、プラトン主義の再評価も慎重かもしれない。トマス・マートンは、神秘主義的なところがあり、キリスト教バージョンのプラトン主義であり、ヘンリ・ナウエンの師匠筋にもあたるので、この辺りの検証もした方がよいだろう。
            この対論へのUさんの反応

            Uさんからの再応答と質疑応答
             ライトはライト派を作るつもりはない。これは明らかだ(まぁ、Via Mediaを標榜しBridge Churchを自認しておられる英国国教会にライト先輩は居られるので、そうでしょう)。

             プラトニズムは、グノーシスを通してのみできるのであり、本当のプラトニズムが目指せるのは、哲学者だけであり、哲学の世界の中では、イデアの社会に行けるのは哲学者だけであるというこである。

             今できることは、1世紀の新約聖書のキリスト教世界に立ち返ること。これまでに付いたものをはずす。そのあとどうするかは私たちの責任ではないだろうか。

             権威あるのものとしての聖書論と聖書無謬論について、1980年代には、権威の強調はあったが、ライトが現在言っている形での権威ある神からの言葉としての聖書の権威性ということまでは、行っていなかったであろう。しかし、完全に聖書を歴史の産物と理解する立場もあるわけで、その様な理解にしてしまうと相対主義となるのではないだろうか。歴史を動かしている神のものがたり、神からの権威ある伝達としての聖書があるのではないか。

             ほとんどの注解書は二元論的であるように思う。先ほど出た、聖書の無誤性についても論理性だけが問題になる傾向がある。聖書の無誤性は10年で終わるべきだ、といった神学者がいたが、あの議論は、聖書について、聖書的とはいいながらも、必ずしも聖書的でなかった。人間側の理論の世界で出来た神学の議論としては成り立つが、聖書そのものではない、と今では思う。

            休憩の間に
             実は、休憩(10分間)のときに、見てはいけない様な、歴史的ワンシーンに立ちあってしまったのだ。一番後部におられた聖書無誤論での論争相手であった現在『クリスチャン新聞』にN.T.ライトがらみで連載をお持ちのNさんのところに、Uさんがつかつかと寄ってきたと思ったら、握手のための手を差し伸べられ、がっちり握手をされていたのだ。それを見た瞬間、『うわぁ。すんごいもの見てしまった』という印象をもったのだ。

            Iさんの呪いと祝福について
             IさんもN.T.ライトの論文をもとにお話し下さったのだが、この時、将にRunner状態(状態としてそうではないか、という突っ込みに対しては、素直にそうです、とお答えしておこう)であったので、ほとんどメモが取れなかった。どうも、録画している、と思うと安心してしまいメモをほとんど取れなかった。ただし、いくつか拾ったご発言を残しておきたい。

            捕囚という呪いの新約聖書理解での重要性

             捕囚状態(律法の呪い)は、新約聖書を読むうえで重要な概念である。N.T.ライトは共同体性を強調しているが、日本の福音派の信徒は、個人主義の影響をうけているだろう。つまり、キリスト教が、罪人である私が個人的な救い主としてイエスを受け入れる話になってしまっているだろう。しかし、1世紀のユダヤ教の世界では、イスラエル人は神の国民でありながら、神の民とは言い難い状態にあったし、さらに、神殿から神の栄光が離れている状態にあった。神殿は再建されているが、神の栄光がイスラエルに戻ってきた、という記述は古代ユダヤ第2神殿期前後の文書にはない。この辺りの事は案外重要ではないだろうか。そして、熱心党等、勝手に始めてしまうユダヤ人もいた。

             基本は1世紀のユダヤ人の意識をどう考えるか、というあたりが重要ではないだろうか。聖書を、紀元1世紀の文化的社会的歴史的コンテキストで読めるという利点がライトにはあるように思う。ガラテヤ書理解に関しても、アブラハムへの約束が実現していないことをどう考えるか問題として考えることができるであろう。

            レスポンデント
             メモ、ほとんど取れず。

            フロアでの総合討議
             ビデオ撮りに集中し始めたので、ほぼノートは取れず。ただ、一番面白いのは、このノートが取れてない質疑応答と、フロアとの総合討議と、その前説(大変失礼)みたいなKさんのN.T.ライトをどう見るか、という部分だったりしたが、そこは、印刷物の資料にもないし、録画でしか見れない部分ではある。


             すいません。ざっとした記録で。ないよりマシと思ったんで、速報性のため、あげました。



            2015.10.07 Wednesday

            ペンテコステ派の皆さんとN.T.ライト先輩

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               この前のN.T.ライトセミナーに参加した時に、Uさんのお話しの中で、この夏、あちこちでご講演になられた時に、案外福音派のなかでも、ペンテコステ系の皆さんが、N.T.ライトに関心が深い、というお話しがあって、なぜなのだろうか、当いことのお話しがあったが、それについて思うところを書いてみたい。

              ペンテコステ派の教会

               ペンテコステ派が生まれたあたりの事は、福音派が生まれたころの世界むかし話(9)で書いているので、その記事をご覧いただきたいが、ようするに米国のメソジスト(ウェスレー派)や、きよめ派と呼ばれる人々の一部で、ペンテコステの日に起きた様な聖霊の働きを強調する人々の群れだ、と認識している。その中には極めて穏健なお立場の人々から、異言、癒し、さらには祈ると金粉が降ったりするとご主張になられる方やJesus Campにご登場なさっている様な皆様方までを含まれるらしい。その意味で、ペンテコステ派という言葉は、実に幅広いキリスト教の総体を指す言葉であるが、聖霊の働きの強調の点ではある面、一致しているものと思われる。先日ご紹介した、若い人しかいない教会も、系譜論的には、このペンテコステ派に含まれ、一種の外資系ペンテコステ派教会となるらしい。

               しかし、その元までたどって、メソジスト派としてくくった場合、Jesus Campと関西学院大学の創始者が元々は同じとは・・・・ねぇ、という感じは、どう見てもする様な気がする。時代の経過の中で、様々な事が起きて、ここまで違いが出るとは、時代とは「実に恐ろしげなるものである」とは感じる。同じウェスレー派というのかメソジスト系のグループから分かれたとはいえ、ここまで違う、というのが、なんともはや。

               なお、ミーちゃんはーちゃんの個人的な聖書理解の親近感は、関西学院系の聖書理解の系譜にどちらかというと近い。


              映画 Jesus Campの予告編

               無論、ペンテコステ派の教会群の中には、尊敬する牧師の方もおられるし、ミーちゃんはーちゃんにとって、Body of Christではあるが、ミーちゃんはーちゃんは異言は話せないし、金粉も降らせるほど熱心ではない。違う、というだけである。

              ペンテコステ派とエスニシティと世俗的困難
               ところで、ペンテコステ派は、ロスアンゼルスのリトル・トーキョーの裏にあるAzusa Streetで始まったのであるが、その出発点においては、社会の中での要するに困難に直面する経済的に小さくされた人々、その人のエスニシティとしてはアフリカ系アメリカ人の皆さん、ヒスパニック系アメリカ人の皆さん、アジア系アメリカ人の皆さん(概ね、標準的なアメリカの持つステレオタイプな人種的な社会階層の評価はほぼこの通りだし、アジア系とヒスパニック系は地域と環境によって入れ替わることがあるが、エスニシティ別の主要な仕事の状況を見ていると大体こんな感じ)を中心とした皆さんから出発した。


              Azusa Street の Apostolic Faith Missionの皆さん

               アフリカ系アメリカ人の皆さんは、一応1960年代の公民権運動(その立役者は宗教改革の言い出しっぺのマルチン・ルターの名前をかぶせてある、マーチン・ルーサー・キング牧師)以降しばらくして、法律上の人種差別からは解放されたが、貧困の問題とそれに伴う教育水準に関しては現在もなお、解放されていない状態にある方々もかなり多くおられ、現在もなお困窮を極めて居られる方が多く、ヒスパニック系、アジア系(ヴィエトナム系も含む)においては何をかいわんや、状態である。

              世俗的困難からの解放としての終末

               要するに社会的な困窮状態に追い込まれた人々のなかで生み出されたキリストに対する信仰の一形態としてペンテコステ派が歴史的には生まれてきたのであり、この世の苦難に直面するが故に、その苦難からの解放をも神に強く求めた方々がペンテコステ派であり、それゆえに、この地上の苦難から解放されるに違いないという意味で、神の終末への待望がペンテコステ派が成立した当初は、非常に強い方々であったのである。アフリカン・アメリカン・スピリチュアル(日本語では、黒人霊歌といわれることが多い)では、こんな歌があり、解放を求めて居られる歌詞そのもののようである。


              アフリカのソウルあふれる、ソウルフルなアフリカン・アメリカン・スピリチュアル・ソング

               なお、終末とは、本来の神との関係の回復を告げる目標点であはないか、ということを、アメリカの神学者のスコット・マクナイトは、『福音の再発見』という本(キリスト新聞社から絶賛販売中)で明確に聖書のギリシア語に基づきながら、述べているところであり、地球にエイリアンが来るか、核戦争で爆発するのか、マントル爆発起きるのか、様々なご議論や御想像は様々おありになるようである。どのような想定を終末に関して皆様が想定されておられるかはよく存じ上げないが、終末とは必ずしも、この地球が滅びるという意味ではないかもしれないようにも思う。

              戦争で傷ついた人々とペンテコステ派

               ところで、これらの方々は、非常に熱心なアメリカ型キリスト教であった。反知性主義と揶揄されることもある大衆動員型のキリスト教のグループが熱心に活動しはじめ、1940年から1945年の戦争で、また、Korean Warと呼ばれる朝鮮半島の戦役で、欧州大陸やアジア各地での戦闘で体と心に傷を負った人々、PTSD(当時はそんな言葉はなかった)を負った人々が1945年以降中西部などに戻る中で、その心の傷やPTSDからの回復は、人々がこのペンテコステ派の皆さんへ向かっていく大きな契機となって、中西部で急速に広がった可能性もあるのではないか、とも思われる。そのための方法論として、大衆動員型の伝道や、ラジオ伝道、後にテレビ伝道がメディアとして活用されたこと等の影響もあるのではないか、と考えている。

               現在、大衆動員型伝道の説教者として、日本では、フ▽ンクリン・グ▽ハ△さんなどが代表的存在として認識されている模様であるが、その様な類似のスタイルの伝道方法をペンテコステ派の皆様方の一部の皆様方は、現在も行っておられようである。無論、ペンテコステは急伸の背景の一つとして、1940年以降に確立された量産技術による自動車の低価格販売と、ベビーブーマのモータリゼイションなども、中西部でのペンテコステ派の人数の急増に、大きな役割を果たしたものしてあげることができようし、下記で紹介した青木著「アメリカ福音派の歴史」でもその側面は指摘されていたと記憶する。このような、アメリカ本土での人口構造の変化に伴い、ペンテコステ派は、1900年ごろに明らかにグループとして認識されたようであるが、ある程度若い人たちがそもそも論的に多い教会という側面があったように思う。また、ペンテコステ派出身のテレビ伝道師の方が多くみられ、これらの方は中西部では、交通が不便なこともあり、教会に行きたくても行けない信徒向けに放送してくれるありがたい存在であったであろう。このような面もあり、1945年以降に、中西部で急速に増加したものと思われる。

              苦難の解放としての終末とユダヤ人
               さて、このペンテコステ派の皆さんは、社会から苦しめられていた人々が多く含まれていたことから、その出発点において苦難の解放としての終末理解がかなり重要な役割を果たした、と思われるのである。その意味で、現状からの解放としてのキリスト教理解や、終末理解という理解は重要であったと思われる。

               この方々にとって、終末の近さをどこで判定するかというと、ユダヤ人の動きと理解されていると思われる。この終末理解はどこから、ペンテコステに流入したかというと、おそらくではあるが、これまた大量動員イベント型伝統大会の原型を作ってしまった、ムーディ(中田重治先輩によると、ムーデー)先輩なのであると考えている。そのムーディー先輩は、これがまた困ったことに、スコフィールド版聖書という注解付き聖書をご出版にならrたスコフィールド先輩からの影響を強くお受けなのである。なお、このスコフィールド版聖書は、ジョン・ネルソン・ダービー先輩のディスペンセイション説(これに関しては、このブログの 人生いろいろ、ディスペンセイション説いろいろ(1) という記事とその関連記事を参照)というアイディアの影響を受けた欄外註を、欽定訳と呼ばれるKing James Versionにたくさん付された一種の短めの注解付きの聖書であり、1900年以降、中西部の農村地帯では、この一冊の聖書で聖書本文から注解書まで全部そろった気分になれるという意味で、スイス・アーミー・ナイフのようなを聖書という印象があったようである。その意味で、アメリカの中西部の農業地帯(隣の家まで10キロくらいある家庭はざらであった)のキリスト教徒の家庭では、一家に一冊という雰囲気で普及した聖書であったらしい。


              スイス・アーミー・ナイフ

              日本のキリスト教とユダヤ問題
               日本のきよめ派及びウェスレー派のかなりの部分に影響を及ぼした人物として中田重治先輩がおられるが、彼は、ムーデー先輩から多大なる影響を受けて、ユダヤ問題に関心をもった挙句、日ユ同祖論に走った可能性があることは、このブログの 日ユ同祖論というトンデモ理論について その3 に代表される日ユ同祖論シリーズとかでも書いたが、それほど、ユダヤ問題は、苦難からの解放としてこれらの方々にとっては、極めて重要なのである。

               ところで、Facebookの中でも、現世俗国家のイスラエル国をべた押ししているサイトとかのご紹介をしていただくことも多いが、このご紹介いただく方の一定の割合(かなりの部分)は、ウェスレー派やペンテコステ系のお友達の皆さんである。

               個人的には、パレスチナ人にも多くのキリスト者の方がおられることを知っている以上、世俗国家としての現在の世俗政体のイスラエル国をべた押しも出来ないし、パレスチナ自治政府のべた押しもする気がない。

               旧約聖書におけるイスラエルと、現世俗国家のイスラエルとは明らかに別物であるし、現イスラエル国がダビデ王権を引くイスラエル王国でもないので、旧約聖書に基づき「現在の世俗国家としてのイスラエルを祝福するものは、神からの祝福を受ける」とか「現在の世俗国家におけるユダヤ人であるイスラエルを祝福するものは、神からの祝福を受ける」とは言えないように思うのだ。

               現在の世俗国家の中には、税金を治めることなく、軍役につくこともない、超保守派のユダヤ人の方からコシェルをほとんど気にしないリベラル派のユダヤ人まで、多様なお考えの人々から現在の世俗国家としてのイスラエルの国民であるイスラエル国のお姿を垣間見ているものとしては、一部のキリスト者の皆さんが、ユダヤ人や世俗国家としてのイスラエルをべた押しして居られるように、「単純にそういっていいのかなぁ」とも思ってしまうのである。

              なぜ、N.T.ライト先輩に引かれるのか
               N.T.ライト先輩の「クリスチャンであるとは」もそうであるし、スコット・マクナイト先輩の「福音の再発見」でもそうであるが、イスラエルの物語の中で、ナザレのイエスとその行為の意味の位置付けをしていこうとするところが、ペンテコステ系のキリスト者の皆さんの終末理解やイスラエル(と言っても多くの場合、現在の世俗国家としてのイスラエルであるが)と深いかかわりがあるように見えているのではないだろうか。外形的に、ライト先輩もマクナイト先輩も、イスラエル理解を強調し、イスラエルへの関心が深いように見えるので、この種の本の受けがよいのではないか、と思う。

               まぁ、ある本をどう読むかは、本人のご勝手の部分はあるので、どうお読みになられてもミーちゃんはーちゃんの関知するところではないが、N.T.ライト先輩やスコット・マクナイト先輩は、イスラエルのひいきの引き倒しをするかのようにイスラエルを扱ってはおられないように思うし、「イスラエルを見れば、終末がわかる」「ユダヤを見れば、世界がわかる」という理解ではないように思うのであるが、それは、ミーちゃんはーちゃんの読解力と理解力が不足しているからかもしれない、と思うのである。

              霊性での福音派と伝統教派の結びつき
               近代は、科学性・論理性が重視された時代であったため、霊性は無視されないまでも、軽視されたり、その扱いは極めて小さいものとしてきたきらいはあったように思われる。しかし、カトリックや東方正教会(ギリシア正教会、ロシア正教会)、そしてN.T.ライト先輩のおられる英国国教会の一部では、この霊性が重要なものとされ、一定の評価をされてきた。なお、英国国教会は、Via Mediaを標榜するブリッジ教会でもあられるので(アングリカン・コミュニオンとは言いながら、日本聖公会の事はあまり存じ上げないので、何とも申し上げかねるが)、現代の福音派と、古代教会由来のカトリックや東方正教会とを結ぶ存在ともなりえるのではないか、と思う。

               まぁ、霊性における福音派(というかプロテスタント派、中でもペンテコステ派などの霊性重視する派)とカトリックや東方正教会系の伝統教派との結びつきの可能性は、アリスター・マクグラス先輩もポスト・モダン世界のキリスト教―21世紀における福音の役割 でご指摘の通りであり、その様な事象がライト先輩の本を通しても、起きているだけかもしれない。









              評価:
              N・T・ライト
              あめんどう
              ¥ 2,700
              (2015-05-30)

              評価:
              青木 保憲
              明石書店
              ¥ 5,184
              (2012-06-14)
              コメント:高いけど、欧州とのつながりが分かりにくい等、いくつか欠点はあるけど、今のところ日本語で読めるものとしては最高。

              評価:
              森本 あんり
              新潮社
              ---
              (2015-02-20)
              コメント:相当売れたようで、おめでとうございます。概観するには非常にいいかも。

              2015.10.10 Saturday

              若い人しかいない教会で気付いたこと、再訪

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                ぽん様 という方が、以下のようなありがたいコメントいただいたので、もう少し考えてみた。そのコメントをもとにしながら、少し考えたことを述べてみたい。

                居心地の悪い伝統的な教会?
                 まず、教会の居心地について、このようなコメントをいただいた。
                 みーちゃんはーちゃんさんが行かれた教会ほど極端なところではないですが、平均年齢が割りと低い教会いくつかに昔から通っている者としては、たまに日本の伝統的な教会に行くと居心地が悪いような気がしますね。
                でもこれは良し悪しではなくて、好みの問題だと思います。
                本当は老若男女みんな居心地がいい教会が一番いんでしょうけど、なかなか難しいですよね。

                 伝統的な教会には、その教会特有のにおいというか雰囲気みたいなものがある。とりわけ、戦前から続いているような教会には、一種独特の雰囲気があり、また、結構そういう教会は御高齢者の方が多い。大都市部の教会で会衆が100人規模であれば、人数が多く、また、一時的な訪問者も多いから、このような雰囲気を感じなくてもよいが、大都市の郊外や地方部でメンバー数30人前後のところに行くと、結構居心地が悪い感じがするところが案外多い様な気がする。全てがすべてとは言わないが。

                 教会員の間で密接な関係が組まれているために、一種の取り付く島のなさがあったり、新規の来会者に関する一種の好奇の目を感じる場合もあるように思われる。まぁ、新来会者にはたいていつきものの、そこの会員の方による、職務質問および事情聴取を経験する教会もある。戦前の警察官のようなオイコラ式ではないが、どこに住んでいるだの、仕事は何しているだの、子供はいるのかいないのかだの、かなり細かい事情聴取を受ける。
                 
                 一度は、大人の皆さまからの御質問を受けた後、その教会のキャンパスを去り際に、日曜学校参加者の幼稚園児か小学校の低学年くらいの子供さんから、事情聴取も受けたことがある。直接「だれなん?」という実に直截な質問であった。

                讃美歌の感性
                 居心地が悪くなる、その要因として、讃美歌が挙げられていた。
                私は賛美歌はメロディは綺麗だなと思いますが言葉が難しくて苦手で、ワーシップのほうが好きですし、歌ってて楽しいです。
                 この讃美歌への違和感、慣れた讃美歌でないこと、好みの讃美歌でないことによる違和感、賛美した感のなさの問題は、案外多いようである。確かに伝統的な讃美歌は、メロディーは美しくはあるものの、スローでメローなものが多く、曲展開の予想はある程度つきやすいものの、歌うとなり、言葉に意識を向けた瞬間に案外違和感を覚えることがあるらしい。おまけに古い讃美歌では、「汝」だの「げに」だの、古語が多用されているので、「言葉が難しくて…」というのはわからないではない。外国人の留学生の信徒から過去に、困っている旨のお話しをお聞きしたこともある。個人的には、アメリカ滞在中、英語の古語による讃美歌にはどうもしっくりとこなかったことはある。

                 以下の上下二つの讃美歌を比べて見れば、その違いは明らかである。


                山路超えて


                初音ミク様による御手の中で

                 まぁ、最近の讃美歌の中でも、メロディラインがきれいなのが、御手の中で ではある。

                 ところで、お年寄りに以下の様なラップ音楽やヒップホップ音楽のような讃美歌はほぼ無理であるし、ワーシップでも、個人の音楽的な経験や伝統(これまでの生涯で聞きなれてきた音楽系統)にない讃美歌は、結構つらいのである。


                Virtueさんによるヒップホップ風の讃美歌

                 その意味で、日本人のある程度高齢の方には、以下の様なゴスペル演歌の様な取り組みは一定の評価を受けるかもしれないし、演歌とはいかないまでも、教会で、唱歌をうたう会等の取り組みをされておられるところもあるが、個人的に唱歌というスタイルの音楽にはあまり関心がないので、個人的には、そういう場に置かれると「つらいなぁ」と思ってしまう。


                演歌版 You Raise Me Up by Zou Azarashiさん(FB友達なんで・・)



                ケルティック・ウーマンさんたちによる、You Raise Me Up

                 なお、一応触れておくと、現在讃美歌関係の研究も進められており、讃美歌の歌詞改定もすすめられているものの、最初古語の古いスタイルの歌詞で覚えてしまったご高齢の方からは、別の現代風歌詞で賛美をお願いしたら、なんか違和感があると苦情がつくのはまず間違いない。となると、その世代の方が地上の人生を終えられるのを待つしかなく、そのころには、それを繰り返ししたことで、変えたいと思っていたほうが古い古語調に慣れてしまい、讃美歌の歌詞を変えにくい、などという現象が生まれかねないようである。

                説教について
                 説教メッセージは、日基教団系のキリスト教会が典型的にそうであるが、かなり厳密な釈義が説教の中で出てくる。ギリシア語の釈義や、その日の聖書か所の歴史的背景などもきちんと説明していただけることが多い。しかし、これはまどろっこしいこと、隔靴搔痒の感がある人もおられるようである。確かにそれはそうであるのだが、ミーちゃんはーちゃんとしては、個人的にはこういう説教の方が楽しかったりする。
                 あと私は伝統的なメッセージ(聖書の解き明かしとか)も苦手で、「じゃあ明日から私はどうすればいいのかどう考えればいいのか」って教えてほしい、励ましてほしいタイプなんです。
                若者向けの教会は、解き明かしより適用に力入ってるところも多いですよね。
                 ぽん様のお話しの問題はよく理解できる。「どうすればいい」というハウツーがほしい、というのは非常に現代的な若者では、非常に根強い様に思うのである。現代社会、とくに現代の企業組織では、なぜ、こうなるのか、という理由の解析をしていては日が暮れてしまうので、手っ取り早いハウツーが重要である。そして、センター試験等をはじめ、入試でそれに慣らされてしまっているのである。大人たちによって。学生と応対していも、ハウツーが求められることは極めて多い。

                 それが証拠に、今の書店のビジネス書売り場に行けば、ハウツー本であふれかえっている。そして、ハウツー本と話題本、とりわけ芸能人本だけが書籍販売不振の中で、出版社の売り上げの上位を占めるのである。そんな中にいる人々に向かって、このギリシア語の意味はなんたらかんたらで、このギリシア語の動詞が○△形であるから従って、ここはこのように釈義できると言われても、それは、馬耳東風とならざるを得ないような気がする。

                 ただ、ハウツーが怖いのは、ハウツーだけが独り歩きすることである。あるいは独り歩きさせてしまう人々が出てきかねない、という問題である。ある面、ハウツーと聖書全体のつながりはある面切り離されても仕方がない部分がある。本当は、ハウツーと聖書全体のつながり、そこが重要なのだけど。

                盛り上がりのない説教
                 自分自身、学校で教えているので、それも技術者教育ではあるが、ぽん様からのご指摘同様のご指摘を他の方から受けたことがある。まぁ、個人としては一応メリハリはつけ、盛り上がりは持たせていたつもりであるが、「学校で勉強しているような気分」になられた方が少なからず居られたとは思う。
                もっと年上の人から見れば「自分で考えてない」って言われるかもしれませんが、聖書を一句ずつ解説していくタイプのメッセージは、「家で読むんだけどなぁ・・・」という気分になってしまいます。
                あと牧師さんの話し方が原稿そのまま読んでるだけみたいな感じで盛り上がりがなかったり・・・。
                たまにそういうメッセージを聞くと、「いつ始まるのかな」って思ってる間に終わってしまったりしますw
                だから、聞き終わったあとに月曜への元気をもらえるようなメッセージを聞きたいです。
                確かに、聖書だけでそれは十分なのかもしれません。
                もちろん私もみことばをよりどころにしています。
                けれども、やっぱり学校で勉強してるような気分になってしまって退屈です。
                 まぁ、学会とかでも、原稿そのまま読むような学会報告をたびたび拝見するが(行き過ぎないようにするためであることはわからなくはないのだけれども)、聞いている方は、「そんなんなら、家で原稿テキスト読んでも同じだわなぁ」という気分になるのはわからなくはない。まぁ、これは司牧のテキストに向かいあうスタイルにもよるので、なんとも言いかねる分はあるのではある。この辺、司牧の方の聖書やテキスト(それは極めて重要なものである)に対するお考えの反映でもあるので、原稿通りの説教という方も確かに一つのお考えか、と思う。

                 個人的には、学会報告でも、学会活動を始めて3年後に、ミーちゃんはーちゃんには、完全原稿を作ってそれ通りにしゃべるのは、ほぼ無理ということが判明したので、基本、アウトラインに従ってしゃべるというかんじですね。まぁ、聴衆の反応見ながら、コンテンツの配列やコンテンツそのものも変えることが多いです。というか、自由にしゃべっているときの方が、聴衆の方も楽しそうだし、何より、しゃべっている本人がそのほうが楽しい、というのもあります。学会活動への敬意が足らない?そうかもしれませんねぇ。

                若い人しかいない教会の将来

                 若い人しかいない教会の将来についてですが、ぽん様は次のようにコメントくださった。
                若者ばかりの教会は将来どうなってしまうのか、ですが
                個人的には中の人は入れ替わると思いますが
                どんどん帰国者クリスチャンとか別の若者が来て
                続いていくような気がしますね。
                中の人は入れ替わりながら、若い人ばかりで続いていく、ということをお書きであるが、これはこれでいいと思う。メンバーは入れ替わりながら、教会として生き続けるというのは非常に望ましいと思うのだ。そして、教会は続けながら、教会文化を作り変え続けていけるのであれば、これは非常に望ましいことだと思う。ただ、時々、指導者層の中に、自分たちの教会文化に拘り続け、自分たちの教会文化を固執したり、手放せない方が出てくるのは、これまでのプロテスタント教会500年の歴史や、日本のプロテスタント系キリスト教界150年の歴史を見ていると、発生しそうな気がしてならない。

                 それから、帰国者クリスチャンの事に関しては、少し心配な面もある。全く人間関係のネットワークのない海外で、そのネットワークへの加入を可能にする教会に参加していた帰国者クリスチャンにとって、帰国者クリスチャンが仕事に就き始めるまでは、何とかなるのだが、仕事をし始めたり、日本での人間関係が深くなると、どうしてもそちらで形成される人間関係のネットワークというかソーシャル・キャピタルの比重が大きくなり、結果として、そっちに引きずられて行く姿を何例も見ていると、なかなか、キリスト者のネットワークにつながり続けることの日本社会では、非常に難しいのではないか、と思っている部分がある。

                若い人ばかりの教会に行くと疲れる…

                 若い人ばかりの教会は非常にテンションが高い。あるいは、熱心だったり、活動時間が長いことが多いのか、御自身の経験を踏まえ、ぽん様は次のようなコメントをくださった。
                残念ながら、若い教会に関われば関わるほど
                ある日ふっと疲れてしまう人が多くて
                もっとおだやかな楽な教会に行ってしまう人が
                多いような気がします。私もその一人です。
                 まぁ、これはあるだろうなぁ、と思っている。お若い皆さん方しかいない教会に行ってみて、それは思ったことである。若いが故に、エネルギーが余っているし、自分たちが主役になれるので、そのエネルギーをそのままぶつけている感じがして、ハイテンションでいられるのである。将に、若者がアイドルコンサートとアイドルにエネルギーの全てをつぎ込んでいけるのとよく似ているのだ。それが若さの持つ凄味、ではあるとは思うが。

                 特に教界で過ごす時間の時間の長さ、というのは一つの問題かもしれない。この前、ある修道者であったホームレス支援に携わっておられた司祭の方のお話しをお伺いする機会があって、「カトリックの司祭の方のミサでのお話しはいいですねぇ、非常に短く、それも要点だけに絞っていて」とお話ししたところ、その司祭の方は、「ホームレスのおじさんたちはよく言うのですよ。短い話は心を動かす。長い話は尻を動かす」と。うまいことを言うなぁ、と思った。

                 また、その司祭の方がお話ししてくださった方が言われたことであるが、「教会には奉仕熱心で、家庭を顧みないでされる方もおられ、自己実現のために奉仕をされておられるのか、と思うことがある。そういうのはかなわない。」とおっしゃっておられたのが印象的であった。このことに関しては、また稿を改めて紹介したい。

                若い雰囲気を残しつつ、ウェーイでない教会

                 アメリカにいると、基本的国民性が若いのか、案外普通の教会で、若い雰囲気を残しつつ、単純にウェーイでない、落ち着いた教会は案外出会うことがある。日本では、そういう教会は案外少ない。
                かといって私は伝統的な教会の雰囲気が苦手なので、
                若い雰囲気を残しつつ、ウェーイ!!なところではない教会を
                探して回ってるのですが・・・。
                 30代から50代前半くらいまでの人が安心していける、中間的な教会が極めて少ないことは確かである。この辺は国民全体の文化としてのキリスト教の定着の程度が違うからではないかとも思っている。

                 日本のかなりの部分の教会は、60代以上、70代以上が中心的で、これらの方の間での『文化』が出来上がっているというのか、化石化とまではいかないけれども、なんか、生き生きとしていない教会もあるし、生き生きした人が、たまに御訪問したりすると、なんか自分たちのお世話をしてもらえる人が来た、みたいな形でひしひしと期待感を強く感じる教会にもお伺いした。そうなると、腰が引けてしまいそうになる気持ちが出てくる。「私は、キリストを生き生きと礼拝するための教会を求めているだけで、あなたたちのお世話をするために教会に来ているのではないのですが…」といいたくなってしまうミーちゃんはーちゃんも確かにいるのである。

                 そもそも、30代後半から50代前半というビジネス界で一番忙しく、社会のバックボーンをになっている人たちがキリスト教界とか教会にそもそも少ないから、こういうことが起きるのかもしれない、と思うと、なんだかなぁ、という気持ちになる。

                 難しい問題ですねぇ。

                 英語版しかないけれども、この辺りの教会を放浪した人に、Rachel Held Evansっておばちゃんが居りまして、まぁ、いろいろ書いてはりますが、基本は伝統教会の持つサクラメント(聖なる儀式)の強み、みたいなことを書いてはりますので、下側にあげときます。

                 ぽん様、非常に印象的なコメント、ありがとうございました。良い教会とお出会いになりますように。必ずあるとは思います。







                評価:
                Rachel Held Evans
                Brilliance Corp
                ¥ 1,879
                (2015-04-14)
                コメント:サイコーに面白くて、真面目に考えさせる本Evangelical Free Churchって福音派Evangelicalがいない教会にはコヒー吹き出しそうになった。

                2015.10.12 Monday

                プレモダンとモダンと教会と新幹線(1)

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                   出張が最近多く、新幹線を利用することが多い。乗りながら思うのだが、新幹線は、高速車両の世界の中では、世界的に見ても非常に面白い存在なのだ。以前、アメリカで、アムトラックとカリフォルニアのインターステート101号線で並走して走ったことがあるが(ディズニーランドに通うため)、アメリカの鉄道は、都市間鉄道であっても、かなりゆっくり走る。日本みたいに都市間鉄道である新幹線が6分間隔、それも時速180マイル(時速300キロ近く)で走るのだ、と言ったら大概のアメリカ人は驚いてくれる。時には嘘だと言ってくれる。アメリカ人の感覚では、時速180マイルで日本のくねくねした線路を走る高速鉄道という概念自体が神秘に映るようなのである。


                  Santa Barbara 駅に入ってくる列車

                  日本とヨーロッパの鉄道の違い

                   アメリカのアムトラックや、最近では変わりつつあるとはいえ、ヨーロッパの鉄道は機関車時代以来の大出力のハイパワーエンジンの機関車を複数台、先頭に2台、最後尾に1台といった編成で高速列車の編成を実現することが多い。日本の旧国鉄の蒸気機関車時代の特急、「つばめ」とか「はと」とかはこのような動力車の高出力化、編成中の機関車の増加によって高速化を実現していた。

                   最初にこの事に気づいたのは、外国人宣教師の子供たちが持っていた列車のトレカ(各国の主要高速の諸元(エンジン数、出力数、編成車両数等が1枚のカードに写真と共に描いてある)で遊ばしてもらった時、手元のカードの中に新幹線があれば、絶対にエンジン車両数(動力車両数)をいえば、無敵であり、絶対に勝てたからである。

                   新幹線のエンジン数(動力車数)は1編成16両編成で、最低でも、先頭車両内司最後尾車両の運転指示車両と一部中間の以外の車両には、たいていの編成で、モータ付きの動力車両なのである。


                  新幹線の車台とモーター


                  なぜ、日本の高速車両にはモーター付き機関車が多いのか

                   斎藤雪乃嬢の様な鉄道ヲタクではないので、詳しくは知らないが、R(カーブの半径)の小さい線路区間の多い(要するに直線区間が少ない、また、カーブの多い)、それも山岳部もあり勾配区間の多く、災害が多いため、線路の路床を軟弱地盤の上にも設置せざるを得ない日本の鉄道路線において、日本の高速で運行する列車を走らせるのには、重量のある大出力のエンジン少数台による動力集中方式による高速化は脱線の危険性を高める。そもそも、高速で列車を走らせるということは、鉄道事業者にとって危険行為であり、事故発生の可能性は極めて高くなるので、本来はしたくないことではあるのだ。しかし、顧客が高速化を求める以上、それに対応せざるを得ない。



                  関西で有名鉄ヲタアイドル 斎藤雪乃さん(京阪電車のイベント)

                  読売テレビのトワイライトエクスプレスラストラン生中継で泣きだした斎藤雪乃さん

                   そうなると、鉄道の線路の地盤や鉄橋などの構造物の負荷を軽くし(大出力の機関車は、それだけ静態重量がそもそも大きくなるし、動態荷重(動いているときに線路にかかる荷重)はさらに大きくなる。その上で、小さいR(半径)に対応しつつ、高速化をするためには、1編成の動力車の数を増やし、それぞれの動力車の出力を調整しつつ運行する動力分散形式による高速化を進めていくしかない。その結果、日本の新幹線の動力車の数は大きくならざるを得ない。

                   ところが、このように動力車が編成に多い動力分散形式を採用した場合、車両下部に動力部があるため、車両内の騒音と振動が割と問題になることが多い。車両の下部に動力部がない場合、割と車内の静音対策は比較的容易である。寝台特急では、牽引の動力車(ディーゼルとか電気機関車)をおき、客車、寝台車部分は非動力車両であることが案外多いのは、この静粛性、耐振動性を考えた車両編成のためではないか、と思う。

                  キリスト教と高速鉄道
                   何故、キリスト教とまったく関係のない新幹線の話を延々しているかというと、欧米型の高速鉄道(典型的にはTGV)が、先頭の牽引車を大重量、大出力にしながら動力集中形式により高速化を図るのが、非常に欧米の中世や近世(プレモダン)から近代(モダン)の社会モデルをうまく反映しているのであり、西洋型教会もそのような構造をもっているのではないか、と思うからである。

                   ところが日本の新幹線が、全車両を動力化しながら高速化を図るのが、日本の近代社会モデルをうまく反映しているが故に、西洋型のモデルとは根本的に違っており、そこにそのまま西洋型モデルをもちこむのは無理があるのではないか、と思うのだ。

                   そして、このことが西洋型の教会論と日本のこれからの教会論を少し区別しながら考えるうえで、重要ではないか、と思うのだ。

                  プレモダン・モダンの西洋社会の構造と教会

                   ところで、プレモダン、モダンの初期時代の西洋型の社会では、数少ない文字処理能力をもつ知的階級である貴族の皆さんが教会でも、科学の面でも、政治の面でも引っ張って行く構造をもっていたのではないか、と思うのである。その意味で牧師が教会の首座を占め、そして、信徒はややこしい聖書理解は牧師に委ね(今風の言葉を使えばアウトソーシングし)、アウトソース先からの聖書解釈の結果を受け取る、という教会社会構造をもったのではないか、と思う。

                  プレモダン・モダンの日本社会の構造と教会

                   ところが、日本型の社会では、江戸期くらいには、文字処理能力を庶民(とりわけ、商業者や農業者の中でも大規模農業者)がこの種の技術を保有していたため、そもそも論として、単純に武士がエリートで、後はそれに従う大衆というような社会構造をもちえなかったであろうし、武士階級自身も、ほぼ農家に近い武士、商家に借金のため頭の上がらないお武家さまから、土に手をつけない武士まであったのである。その意味で、階級社会とは言いながら、近世の日本型の階級社会とヨーロッパの階級社会の構造はかなり違っていたのではないか、と思う。元々、日本の社会は江戸期くらいの近世には、多様な才能をもつ人々が、社会階層の一部に偏在するのではなく、社会の多様な階層にある程度存在し、それが協調しながら動くという社会が形成されていたような気もしなくもない。なお、百姓という言葉が農業従事者の実をさすのではなく、様々な業務の人々に向けられた言葉であったことを、網野先生は、そのご著書の中でご指摘であった。その意味で、新幹線型の社会モデルが日本にはある程度存在し、西洋はTGV型の大型機関車による倦人をするような社会モデルであったように思う。


                   この意味で、いまのユーラシア大陸の西側とその子孫であるアメリカ大陸とユーラシア大陸の東側では、大分違うように思うのである。



                  まだまだ続く

                  評価:
                  網野 善彦
                  筑摩書房
                  ¥ 1,296
                  (2005-07-06)
                  コメント:大変よろしいかと思う。日本のプレモダンを考えるうえでは必須の入門書

                  2015.10.14 Wednesday

                  プレモダンとモダンと教会と新幹線(2)

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                     きょうも高速鉄道の設計思想に反映された社会システムの観点から見た教会を考えてみたい。

                    天才が引っ張るアメリカ型社会

                     尊敬してやまない津の「のらくら者の日記」のH先生が、Facebookでノーベル賞関連で、アメリカ社会と日本社会の違いについて触れて居られたが、突飛な事を考える天才(たとえば、スティーブ・ジョブスだの、ちょっと昔で言えば、トーマス・エジソンだの、デール・カーネギーだのが社会を強力で個性的なエンジンで引っ張るタイプのアメリカ型社会に比べて、そういう異能の才を日本社会では、みんなで寄ってたかって、ぶっ潰す(これは事実だと思う)ので、日本では天才型が育たない、どころか、天才型を社会から追い出してしまう、ということをお書きであった。しかし、がである。

                    才人を追い出すけど
                    外部評価には弱い日本社会

                     たいていの場合は、飛び出した才能の人物を追い出すだけならまだしも、欧米の雑誌(たとえばネイチャーとか)で高く評価されたり、ノーベル賞とかいう一民間団体の評価を得て初めて、やれ、他社に乗り遅れるなとばかり、それまで見向きもしなかったマスコミが、欧米で評価された人やノーベル賞受賞者を追いかけ回し、無関係なコメントを求め、さらに政治家が突然気づいたにもかかわらず、「以前から重要であった私は知っていた」とか完全後出しじゃんけん的に言及しはじめ、挙句の果てに、政策的な予算をとてつもなく増加させるという愚が日本社会では続いてきたし、今なお続いている。その被害者が、ある面、オボちゃんであるし、自殺に追い込まれた笹井さんである。お可哀そうに、と思う。ある面、日本社会の犠牲者である。


                    ACの均質性の日本社会を示すCM

                    協調行動が求められる農業

                     農村で農作業にお携わりの方々とお付き合いしていると、農作業とは、実に集団的調整の塊であることがよくわかる。まず、水は、上流から下流に流していかざるを得ないので、下流側の人間が勝手にこの日に水利が使いたいと言っても、それぞれの圃場に蛇口でもついてない限り(農業用水が整備されていない限り)、勝手に水を圃場(田んぼ)に入れるわけにはいかないのである。あるいは、農業用水の水路は、一種公共利用されるので、その維持管理(浚渫や掃除、水路の確保)は適切に管理される必要がある。

                     いまでは、大出力のエンジン付きのコンバインがあり、100m×100mの圃場でよほどややこしい品種でなければ30分ほどで収穫できてしまうが、手作業の収穫作業では、以前は1週間ほど、家族総出でもかかったわけで、そうなると、一族郎党そろって協力しながら作業ということになり、協調行動せざるを得なかったのだ。こうなると、稲作型の農耕社会においては、協調行動が重要にならざるを得ない。

                    近代戦と協調行動

                     これに輪をかけたのが近代における大軍団型の戦闘行動の概念である。大軍団と大軍団が平野や大洋で激突するタイプの会戦型の戦闘行動では、時間の統一による協調行動と、無線通信や伝令による、通信を介した調整と協調行動が極めて重要となる。

                     近代の日本陸軍の陸上型戦闘は、フランスに対する戦争兵器のような印象があったドイツにその範をとったので、砲弾をバンバン相手陣地にぶちこんだ上で、騎兵による相手陣地への横からの奇襲攻撃とそれに伴う敵陣地の防衛線の崩壊、それに続く歩兵での突撃による相手防衛線と戦意の消失が基本作戦の構造である。

                     大日本帝国陸軍は日露戦争初期の陸軍騎兵および砲兵隊は平地型大会戦でこの作戦計画で成功した。そのためか、壮絶な山岳型陣地線でもこのような戦術発想に基づく作戦計画に加え、203高地攻防戦では、山岳戦故に兵力の逐次投入とならざるを得なかったことに加え、騎兵も使えない中で、突撃攻撃による苦戦計画であったこともあり、非常に多くの犠牲を強いた。しかし、曲がりなりにも203耕地を奪取することに成功したために、その後の山岳戦の基本モデルとして、この203高地攻防戦モデルが第2次世界大戦にも応用されることになったのではないか、と考えている。


                    日露戦争期のアメリカの新聞マンガ

                     なお、山岳戦型の作戦計画でありながらも、日露戦争当時の戦役とは、補給路が比較にならないほど長い地域でありながら、補給計画も明快でなく、海軍艦艇からの連携艦砲射撃の援助もない中、人海戦術的な作戦がインパールで繰り広げられたこともあり、戦闘行為に入る前の日本の多くの将兵に、多大なる犠牲を強いたのである。

                    大量生産と近代戦と日本

                     近代の特徴とは、このような大量の人員の動員とその協調行動に代用されるような、大量生産大量消費時代に適合した時代であり、近代戦とは、それらを前提にした戦闘の方法を用いた戦闘が行われたのである。

                     あるいは、大量生産が可能にした大量動員時代がある面近代の特徴である。戦争期に日本の国家がした小学校教育での国語の統一、基礎的な数学教育、いまの組み体操やラジオ体操、無意味で長時間の行進、制服の利用などに代表される体育教育は、ある種近代という時代に適合した、協調行動、同一行動、時間で縛られる作戦計画のためには、必須のものであり、それが現在もなお続けられている日本社会って、ある種、軍国教育はなくなったといいつつ、軍国教育が続いている様な気がしてならない。


                    第1次世界大戦期の英国の砲兵隊

                    鍋をひっくり返したかのような平たさが特徴の英国兵のヘルメットと英国の塹壕


                    近代という時代に合致的であった日本社会
                     ある面、日本は、過去の日本の歴史の中で、同一社会集団、同一社会階層内での協調行動が文化のうちに含まれているためか、そもそも、この近代に適合していたような気がしている。
                    この種の軍事近代化路線が登場し始めた直後に西洋から技術や各種制度を導入したために、あるいは、近代という大量消費、大量生産時代に適合していた国ではあったが、均質な社会での均質な行動に適した風土をもっていたが故に、近代という時代において極めて成功したモデルを日本という国は提供した、という印象があるように思う。

                     日本では、みんながちょっとづつ頑張りながら、一定の社会での貢献をもたらす社会を構築するうえで、飛び抜けた個人を作らない(飛び抜けた個人にならせない)代わりに、平均的な個人の能力のボトムアップが全体に利益をもたらす社会、悪く言えば護送船団方式(これは、大西洋を渡るアメリカの輸送船をUボートの攻撃から保護するための戦術でもあったが)は、極めて日本的で、かつ社会に利益をもたらす方式であるから、出る釘は叩き、無理やり平均値付近に押し込めるということの合理性があったのだと思う。そして、デパートで売られている吊り服やユニクロで量産されたかのような服を着て、皆さん、それで幸せになれた時代があったように思うのである。

                    モダンと啓蒙時代と自由・平等・博愛
                     ところで、モダン時代は啓蒙思想が支配した時代でもあった。それは、戦争遂行のための、という部分をあまり明らかにせず、フランス型の自由・平等・博愛の精神という甘い言葉でコーティングしつつ、平民にも教育がおこなわれて行った時代でもあったのが、近代という時代であった。近代における初等教育が国家に果たすべきとして求められた役割とは、ヒエラルキー社会において、言われたことをきちんと理解でき、他者と協調行動でき、時計を見ながら、きちんと決められた時間に任務を遂行できるようにすること、であったのではないか、とは思う。

                     まぁ、おかげで貧しさから庶民は脱出できる機会を得たし、武力闘争を含む武力的革命を起こさなくても、投票による革命を起こす事に参加させてもらえるようになった。実にありがたいことである。その代わり、庶民にも税金を納める義務と、傭兵が戦闘にあたる代わりに、兵役という血税を戦闘行為において実施することで、納める義務を国民は負わせていただくことになったのである。そして、軍役につく、その結果としての選挙権なのである。我々はあまりに与件として選挙権を当然としているが、それは案外当然ではなかったものであるのだ。



                    自由平等博愛を示すフランス国旗で女性が先導するフランス革命軍


                    結構歌詞の内容がえげつないフランス国歌 「ラ・マルセイエーズ」


                     まぁ、おかげで貧しさから庶民は脱出できる機会を得たし、武力闘争を含む武力的革命を起こさなくても、投票による革命を起こす事に参加させてもらえるようになった。実にありがたいことである。その代わり、庶民にも税金を納める義務と、傭兵が戦闘にあたる代わりに、兵役という血税を戦闘行為において実施することで、納める義務を国民は負わせていただくことになったのである。そして、軍役につく、その結果としての選挙権なのである。我々はあまりに与件として選挙権を当然としているが、それは案外当然ではなかったものであるのだ。

                     その意味で、国民皆兵、あるいは、兵役に就く義務と、納税という義務を負うことで、身分による社会的階層というものが、基本的に建て前上は解消される方向には動いたのであると思うが、経済的階層というものが緩やかに日本社会で存在することになったようにも思うのである。現代社会では、個人の資産状況が公開されないし、Forbes等で報道されていない限り、一般に認識され得ないが故に、その社会階層は、階級闘争での攻撃対象とされ、攻撃が起きることもあまりなく(天候要因などで、社会階層の格差が大きくなった場合、米騒動や226事件の様な形でおきたが)、社会的には比較的安定した社会が運営されてきたし、1945年以降、とりわけ高度経済成長期とそれ以降に関しては、社会構造としては、きわめて平等的な人が多数存在するという近代の家庭に適合的であり、それゆえに極めて安定的な社会を構築しえたように思うのである。日平均的な人々を犠牲にし、社会の周縁に追いやりながら。

                    まだまだ続く




                    評価:
                    司馬 遼太郎
                    文藝春秋
                    ¥ 5,513
                    (2010-07-15)
                    コメント:明治国家の建設直後からの兄弟で帝国陸海軍で職業軍人であった秋山兄弟を例にとりながら、日露戦争を振り返った小説。

                    2015.10.17 Saturday

                    プレモダンとモダンと教会と新幹線(3)

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                      近代と税と血税と学校教育と参政権

                       モダン時代は啓蒙思想の影響をかなり受けた時代であった。それは、戦争遂行のための、という部分をあまり明らかにせず、フランス型の自由・平等・博愛の精神という甘い言葉でコーティングしつつ、平民にも教育がおこなわれて行ったのが、近代という時代であり、近代における初等教育であったとは思う。庶民は血税を払うことで投票権を持つ市民になったのである。それが起きたのが、日本では、明治維新であり、戊辰戦争で会ったように思う。

                       まぁ、おかげで貧しさからいくばくかの庶民は脱出できる機会を得たし、武力闘争を含む武力的革命を起こさなくても、投票による革命を起こす事に参加させてもらえるようになった。有りがたいことである。その代わり、庶民にも税金を納める義務と、兵役という血税を治める義務を負わせていただくことになったのである。そして、その結果としての選挙権なのである。我々はあまりに与件として選挙権を当然としているが、それは案外当然ではなかったものであるのだ。

                      現代における社会的階層

                       その意味で、日本においては、身分による社会的階層(名目的社会階層)というものが、一応は基本的に解消されたが、それに代わり、経済的階層というものが緩やかに日本社会で存在することになったように思うのである。現代社会では、個人の資産状況が公開されないし、Forbes等で報道されていない限り、一般に認識され得ないが故に、その社会階層は、階級闘争が起きることもあまりなく(天候要因や政治要因などで、社会階層の格差が大きくなった場合、米騒動や226事件の様な形でおきたが)、社会的には比較的安定した社会が運営されてきたし、1945年以降、とりわけ行動経済成長期とそれ以降に関しては、社会構造としては、きわめて平等的で、それゆえに極めて安定的な社会を構築したように思うのである。


                      米騒動で焼き打ちにあった神戸の鈴木商店


                      226事件を伝える時事新報号外

                      西洋型高速鉄道モデルの西洋型教会
                       しかしながら、日本の教会は基本となる社会モデルの前提を意識することなく、牧師が教会全体を引っ張って行く、西ヨーロッパやアメリカでよくみられる高速鉄道のモデルのような組織モデルを教会にも当てはめたように思うのである。ある面で、根本的に社会モデルが違う社会に、別のモデルを当てはめたのではないか、と思うのである。

                       その意味で、故井上洋治司祭のお話ではないが、日本人が西洋の甲冑を着ているような一種の不格好さというか不具合をいまの教会は抱えているのではないか、と思うのである。少年ダビデがサウル王の甲冑を着ているような不格好さであり、それに伴う不具合さが日本の教会の中にあるのではないか、そもそも合わないものを、着ているような感じがしている。

                       それが、いまの教会に不都合というほどではないが、日本社会の中で不具合というか、日本社会の構造との合わなさが教会という断面で出てきているのではないか、と思うのである。それが、教会の中での問題として現れることも多いのではないか、と思う。



                      西洋型甲冑(基本金属製)

                      日本型甲冑(基本、皮革の上に金属板)

                       ある面、牧師と信徒の間の差が圧倒的でなく、その差が極めて小さい新幹線型の社会構造を明治以降模索して、それに合致してきた現代の日本という社会では、18世紀、19世紀の西洋型の社会背景の中、牧師と信徒の間の差が圧倒的な環境の中で形成されてきた、西洋型教会の様式論、すなわち強力な機関車でけん引する高速鉄道列車の様な社会の中で形成された教会論を現代の我が国において続けることにどれほど意味があるのか、ということを考えると、極めて問題が大きいのではないか、と思うのである。

                      ポストモダンと情報化社会とインターネット

                       モダンな時代は、物質や実物の資源や資産に大きな価値があった時代であり、それがポストモダンの時代においては、物質より知識とか、ノウハウとか言った知的資産が重要になると思われるし、知的資本という言葉が出来ている時代である。とはいえ、ポストモダンの特徴として、公的な標準的な知識の価値は下がっているので、まぁ、知的資本といっても、大衆社会であった近代のようにみんなが知っていて、知らないことは恥ずかしいことではなく、逆にどれだけいろんなことが言われているかを知っていて、それをつなぐことができるキュレーションというか知識のマッシュアップとそれによって生み出されるものに価値がある社会となっただけのことである。

                       とっころで、インターネットが存在する以前から、国民全体の知的水準・教育水準を日本は近代化の家庭の中で、経済的発展の中で不幸にも、というべきかどうかは明確ではないが、国民全体の教育水準の平均レベルとボトムのレベルを基本的に上げてしまったのである。それは、西洋諸国よりも徹底している。識字率と平均的な日本人の数字および文字処理能力は西洋諸国に比肩するどころか、かなり高いように思う。

                       昔、ある年長の同僚(現在は故人)と話していたときに、ミーちゃんはーちゃんに「情報化時代というのはインテリがより有利になる世界ではなく、インテリがより不利になる世界である」とお話ししてくださった方があったが、それはそうであると思う。理解力・思考力は別として、インターネットの普及により、データとしての情報や、対象としての情報に触れることは極めて容易になった。知識の切り売りができなくなったのである。

                       ある社会制度関係のライターをしている方が、実は最近、本(年金関係のハウツー本)が売れなくて、困っている、とお話ししておられた。年金関係の制度がくるくる変わるたびにその解説を書いて本にすれば売れたのであるが、現在は役所が情報公開とやらで、自分である程度わかりやすく解説したサイトを出すので、本があまり売れなくなったとお嘆きであった。つまり、情報にだれでも触れるようにした結果、昔みたいに誰が、どこで、何を言っていて、どういう主張があるか、といったような情報を扱うインテリげんちゃんの価値はGoogle先生によりはく奪されてしまったといえる。


                      インテリげんちゃんの、夏やすみ というのが受けた時代があった


                       本や論文が読めるのが、文字処理能力を保有する一握りのエリート層の特権的能力であり、書籍のどの書籍の中に何が入っているとかいうことに関する知識(書誌情報)が一部のインテリげんちゃんの独占物であった時代が終わってしまうと、インテリの価値は下がってしまうのである。

                      それほど不安でないかもね

                       しかし、まぁ、安心してもいいかもしれないと思ったのが、ツタヤ図書館(ツタヤさんに図書館の運営業務を委託した公立図書館)として有名になった某市の図書分類では、旧約聖書の出埃及記(しゅつえじぷとき)が旅行記・旅行ガイド本に分類されるなど、機械翻訳(コンピュータ翻訳)とか機械分類(コンピュータによる意味コンテキストの分類)は、プログラマとして思うが、なかなかチャレンジングな分野であり、結果はかなりおバカなので、いろいろ珍妙なことが起きてしまうのは、いたしかたない。




                       しかし、2−3日の聖地巡礼旅行ならいざしらず、ツィンの荒野でウズラもマナもなしで、おまけに、徒歩での40年間サバイバル体験するなら確かに出埃及記は参考になるかも知らんが、普通の市民には参考にならないし、エジプト陸軍ラクダ部隊・騎馬部隊による追撃回避体験、紅海徒歩による横断体験、シナイ山麓でモーセに怒られる体験とか、普通の人はしないと思うけど。


                      ツィンの荒野


                      マナを食べる話が出てくる讃美歌 日本語では「けがれしこの世」


                      次回 最終回に続く






                      評価:
                      ---
                      岩波書店
                      ¥ 713
                      (1969-01-16)
                      コメント:旅行記にされてしまった出エジプト記w

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