2015.01.01 Thursday

明けましておめでとうございまする。 2014年12月のアクセス記録。ご清覧御礼

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       今月も長いうっとうしい記事も多かったのですが、それにもかかわらず、アクセスいただきありがとうございます。

     2014年3月  20499アクセス。
     2014年4月  24200アクセス。
     2014年5月  22690アクセス。
     2014年6月  11281アクセス。
     2014年7月  13883アクセス。
     2014年8月  12202アクセス。
     2014年9月  13264アクセス。
     2014年10月  15282アクセス。
     2014年11月  12853アクセス。
     2014年12月  14424アクセス。

     今月のピークは、861アクセスの12月2日。キリスト教メディアとメディア論を公開した翌日。


    それでは、以下、今月の上位5位まで。


    キリスト教メディアとメディア論  800

    こころの時代視聴記 「“小さきたね”をまく」 坂岡隆司さん
       608

    キリスト教界を巡る第1種から第5種の過誤 (その1)
     694

    現代の日本の若いキリスト者が教会に行きたくなくなる5つの理由
    306

    小平照夫著「燃えて輝く灯台」を読んだ
    279



    リンク元アドレスでは、
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    が上位に出ている感じでした。


     また、本年も、ご清覧、ご笑覧いただければ、うれしく存じます。

    2015.01.01 Thursday

    経済学・ゲーム理論・意思決定論・心理学 その1

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       敬愛するのらくら者の日記この記事にお応えして、というか、突き動かされて連載してたら、昨年末には、ご丁寧に、拙ブログ記事をご紹介いただき、誠に恐縮しております。

       あの、のらくら者の日記のブログ主様、「先生」は、ご辞退申し上げます。できたら、○○さんでお願いできたら、と。

       恐れ多くって。このブログ、与太話として書いているブログでもあるんで。

       で、今日はお正月特集ということで。次回からは、イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (1)の続きに戻るってことで。

       のらくら者の日記の記事で、

      物理学を突き詰めると「宗教(学)」に行き着き、経済学を突き詰めると「心理学」に行き着く・・。これが私の印象です。経済学と心理学の関係、「ゲーム理論」で感じてみて下さい。併せて(しつこいですが)、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』(邦訳 上巻・下巻)もお薦めしておきます。
      ということで、経済学を突き詰めると、どうなったか話があったので、何で、経済学と心理学が接近してしまったのか、というあたりの与太話のきっかけのあたりのお話をしてみようかと。

       正月のひまつぶしに、お節もいいけど、カレーもね。の感覚でお読みいただけたら、と思います。


      キャンディースの出ていたククレカレーのCF


      経済学ってどんな学問だっけ?

       経済学ってのは、基本的に、モノの値段がどう決まるかとか、国家としてのお金のめぐりがどうなるかとか、資本ってなんだ、働き方がどうなっているのか、人が幸福にするには、えらい人は何をしない解けないのか、人が飢えないために偉い人がどうお金と付き合うのか、ということを考える学問なんですね。

      学問の世界での若輩者としての経済学
       昔は、こういう分野のことをPolitical Economyといい、アメリカの大学などでは、神学部の最終学年で、神学の一単元として、神学部長先生が教える科目を出自にしております。その意味で、経済学部っていうのは、神学なんかに比べたら、ぽっと出の新参者の学問で、大きな顔を大学ではできない学問なのです。ヨーロッパでの経済学の起こりは、不勉強で分かりませんが、神学、法学、医学と比べると、まぁ、若輩者もいいとこ若輩者の学問なのです。その意味で、ひよっこの学問ですし、西洋の学の体系から見れば神学、法学などから比べると、はなたれ小僧の学問なのです(経済学部関係者の皆様には申し訳ないですが)。なお、情報工学などは、もっともっとはなたれ小僧なので…。高々この70年ほどの学問です。

      神の家としてのこの地上を運営する学
      だったはずの経済学

       このEconomyという言葉は、経済学部でちゃんと習った人なら、ご存じのことと思いますが、ギリシア語のoikos(家)という言葉から生まれており、恐らくですが、神様から人間がこの地球を家として与えらているものを、どのように人々と一緒に生きる場所として美しく保つか、ということを考える学問として設定されていたはずなのです。

       しかし、現実の経済の発展に伴って、人間は神様から家として与えられたこの地(神が人と共に生きる場としての神殿、として神と人が共に生きるべき場)を強盗の巣にしてしまった、ってイエス様から怒られてしまってもしょうがないほど、神殿であるべきこの地に関して誤用された状況について考えるような学問になってしまったのです。

       「経済学が悪いから、ろくでもない資本主義経済が生まれた」のではなく、「資本主義経済のような残忍なというか貪欲な人間の姿を解析しようとした結果、経済学が指し示す分析対象としては、ろくでもない結果が出てくる」というのが、経済学に関してミーちゃんはーちゃんとしては、ちょっぴり擁護しておきたいです。この辺、誤解されていることも多いので。

       資本主義のカウンターパートである共産主義も、今の中国の官僚の不正やスターリン政権下でのロシアというかソビエト連邦にみられるように、ろくでもないことは同じだ、と思っております。資本主義も、共産主義も、人間が神から離れた結果の不幸な現実の表れだと思っております。

      昔々の経済学

       アダム・スミスあたりの国富論(この本の英文原典が大学院のミクロ経済学のテキストだった)でも、基本的なミクロ経済学の基礎概念が数学をあまり使わずに説明されておりましたが、この時代の想定は、同じような中小零細企業や農家などの生産者がやたらとたくさんあって、また、その中小零細企業や農家の生産物を欲しがる消費者もやたらとたくさんあったとき、同質的なものがたくさん提供される中(以上の同質的な多数の生産者同質的な多数の消費者同質的な取引対象(財)の取引が、全員が一堂に会して、相互にそれぞれの動きを監視しているような状態 これを完全市場といいます)で、提供される商品や農産物と価格の関係がどうなるのか、その時に、だれがどんな風に利益を得て、だれがどれだけの費用を払うことになるのか、それは公正と言えるのか、ということを議論する学問がそもそも経済学の起こり頃の学問(古典派)でした。ある面で言うと、記録メディアのDVD-Rなどのようなありふれたもの(コモディティ)がネット販売されている状態だったといってもよいでしょう。

      派遣労働者の経済学と制度

       あるいは、派遣労働法が改正されたのちの現在のように、単純労働に関する作業者が派遣されるようになり、その個人の能力や特性があまり大きく影響しない単純労働作業に短期雇用者が導入されるようになると、企業の仕事の具合によって人を増やしたり、減らしたりすることができるようになります。人手が余る状況では、安い賃金でも人は何もないよりましですから、賃金は減ります。人手が不足の状況では、賃金は高くなります。自分自身の努力や能力や才能に関係ないコモディティ化した働き方の世界では、どれだけ似たような作業をしたい人がいるのか、によって賃金が決まってしまうのです。これが以前の派遣労働法制で、単純労働の派遣雇用の禁止が定められていた理由です。昔は、単純労働者を雇いたい場合、特別の例(建設業など)を除いて原則社員として雇わなければならなかったのです。

      日本の大学1年生の経済学
       基本的に、大学の入門クラスでやる経済学(英国では、高校生がこれ以上のことを高校生でしている。もちろん受講科目数が少ないからできる話であのですが)ってのは、こういう一般的な財(特に特徴がなく、市場で取引される量だけが問題になるもの)についての価格と供給量の議論と、なぜ、違うコモディティ(ミカンやリンゴ)を持っている人同士で交換すると社会全体がハッピーになるのか(市場を介した交換により豊かな社会になるのか)の議論などをして、あと国全体の経済の動きとして、不況って何か、不況から脱出するためにどうすればいいのか、なぜ、国全体の貯金額が増えると経済が拡大しやすいのか、といったことを考えるマクロ経済学をやって終わりになる感じですかねぇ。半期週1コマだとここまでいかない。時間数にもよるけれども、教えている感覚で言うと、通年で週1コマだと、もうちょっと行ける感覚はあるのですけれども。

      経済学におけるメタ思考

       こういう入門クラスの経済学理解だと、問題があるのですね。

       なぜかっていうと、世の中数量だけじゃあないんです。味とか、手触りとか、色とか、品質ってのが大事なんです。お米でも、コシヒカリもあれば、ササニシキ、キヌヒカリ、ヒノヒカリ、ミズカガミ、ドマンナカ、モリノクマサン、ミルキーウェイ・・・と非常にたくさんの品種があり、それぞれに食味が違います。もうお米でも数で勝負の時代ではなくなっているようです。いわゆる経済学者と呼ばれる方々には、この辺の事情があまりお分かりでない方もおられ、農地のなんたら、とか言っておられますが、どこでも、モリノクマサンやらミルキーウェイ、ニコマルなんかはできないのです。稲の生育に関する気象特性があるのです。品種改良すればいいではないか、と言いますが、品種改良は数十年の年月を要する気の遠くなるような作業が必要なのです。

       数量だけが大事であれば、皆さん、国民服や人民服を着ていればよろしい。しかし、今の日本で、よほど変わっている人以外、国民服も人民服も着てないでしょう。まぁ、ユニクロは、「現代日本の人民服説」はそうかもしれないけど。でも、ユニクロだって、服の色は一色ではないですよね。赤もあれば、黄色もあるし、グレーもあれば…の状態なわけですよ。


      赤い人民服をお召のYMOの皆さん(左)と1970年代ごろの人民服をお召の毛主席(右)


      勅令(天皇陛下直々の思し召し)による国民服だそうで

      「奸臣による偽勅じゃね?」などと言ったら非国民だったそうだ。

       大体、国民服であれ、人民服であれ、素材も、デザインも同じな服を着て面白いはずがない。中学生や高校生の不良が言うことは正しいといえましょう。みんな同じじゃ、人間は基本的につまらないのだろうと思います。

       したがって、不良の女子学生はスカートの丈やソックスの設定、髪の毛の色やパーマ、不良の男子学生は、ズボンのタックの数、詰襟のカラーの長さや、上着の丈の長さ、ズボンのはき方、靴のはき方、服地の裏の刺繍などで実に微妙な差異をもたらそうと必死で努力するような一種の職人技をしてくれるので、文化的に観察している分には面白い。今は、男子学生は、ズボンをできるだけ、腰から低い位置に下着が見えるように、下げてはくのがおしゃれらしい。なお、これは、アメリカの刑務所や少年施設(ジュビーって呼ぶ)で、自殺防止のためにベルト着用が禁じられているため、パンツ(ズボン)がずり下がらざるを得ないことに由来しているらしい。こういうパンツ(ズボンは古いらしい)のはき方をすることで、「オイラは少年施設に入るような不良だから」って見せているようです(いらない無駄知識w)。

      コモディティ化を脱することが重要

       話をもとに戻すと、人はコモディティ化(みんなと同じようなもの)した商品ではすでに満足しない社会になってしまったようです。社会自体の豊かさが出てくると、人間は他人と同じもので満足しないのである。ミーちゃんはーちゃんは、寒さ熱さがしのげればいい人なので、服にあんまりこだわりがないから、女性の方が同じ服を被って慌てるシーンなんかを見ても、何で?と思ってしまうが、それはどうもおしゃれな人にとっては、「あってはならない」ことらしく、モーセの十戒なみに重視しないといけない規則らしい。

       最近の小学生は、妖怪ウォッチでほかの人が持ってない妖怪を持たないといけないらしいので、小学生ですらすでに、コモディティとしての財では不満足になっているという何とも贅沢な社会に今住んでいることになる。個人的には、チロルチョコやベビースターラーメンのようなB級グルメをこよなく愛している。

      品質が重要になる豊かな社会で

       ところで、社会が豊かになって、品質が重要になってくれなってくるほど、価格での競争は意味を持たなくなるわけです。そして、企業は品質で競争しようとするようになります。少々高かろうが、他人と違うものを持っていることに価値が生まれてくるわけですから。そうして、高級品は記号として消費されることになります。どこかの国では、大きな教会の牧師さんは、アメリカではメルゥシィーディースと呼ばれるいかついドイツ車に乗ることがお約束のようですが、そういうお約束は記号としての消費ではないかと思うのです。

       関西では新地(通路として通過したことはある)のおねぇさん方や、関東での銀座(教文館に行ったことはある)のおねぇさん方だけではなくて、いろんなところのおねぇさん方がグ●チ(昔はっちぽっちステーションに出ていた料理と歌がうまいオジサンではない)やプ●ダ(これを切ると悪魔になるという伝承があるのかもしれない)やシ○ネル(黒塗りをして、R&Bを歌う人たちではない)を持つことが流行っているらしいが、これも、ある意味で、富の象徴としての消費なのだろうと思うのです。



      エリックかけブトンとして歌うグ●チさん(こういうの大好き)


      悪魔が着る服だという噂のもとになった映画のTrailer


      シ○ネルズという似た名前の服屋と関係のあまりないR&Bバンド

       実は、この脱コモディテイ化社会というのが、経済学の発展を大きく変えました。そして、経済の構造も変えているわけですから、経済学としては、これを探求の対象にします。その結果として、次第に、心理学とかの学問分野に近づいていきます。なぜ、神の家であるこの地を運営するための学であったはずの経済学が心理学に近づくのか、ということはわかりにくいと思います。それに関しては、次回触れてみたいと思います。



      2015.01.02 Friday

      経済学・ゲーム理論・意思決定論・心理学 その2

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         お年玉第2弾です。

         前回の記事

           経済学・ゲーム理論・意思決定論・心理学 その1

        では、クラッシックな経済学は、完全市場(市場参加者が多数で、市場への影響力が少ない、完全情報で、みんなが価格などの情報を瞬時に共有できる、同質的なコモディティ化が進んだ取引対象)といったかなり現実的な仮定を置いた対象に関しての分析を進めてきたことなどについてご説明いたしました。

        車は車ですけど、完全市場ってどこまで?
         しかし、現実は、そうは問屋が卸してくれないのですね。世の中に完全市場なるものはほぼ存在しないようです。メルゥシーディスと呼ばれる車も、大八車も車は車であるが、だいぶん違うだろう。下記の車も車という点では車ではある。

         

        今まで見た中で一番かっこよかったクラフトマンシップが光輝く
        手作り感満載のトヨタ車

        なお、この特殊車両のエンジンは、1驢馬力

         前回の記事では、ブランドや、商品の品質などの差別化で企業が競争始めたことについて触れました。しかし、企業をとりまく環境は、それだけではないのですね。

        完全市場は少ない企業の競争環境

         企業の競争環境は、純粋の完全市場ではなく、寡占市場、複占市場、独占市場など、一人の市場での行動が大きく他者に影響を及ぼす状態が生まれてきたし、さらに技術的な特徴、品質や規格などでも他社と差別化を図り、競争市場でありながら、一種の独占市場を形成することができるようになったのです。

         スーパーで買うことが多くなってきたポリエチレンバッグ(白い買い物袋)も、グッチやシャネルのバッグも、モノを運ぶという機能では同じなのだ。その意味で袋物市場という意味では完全競争市場に近い市場なのだ。クサヤを入れようが鮒ずしを入れようがドリアンをいれて運ぼうが、袋は袋であるのです。

         しかし、そこに、グッチやシャネルのデザインやロゴを入れるだけで、その袋は単なるモノを運ぶという機能は同じであっても、そこに価値の違いが出てきて、独占的にグッチやシャネルの店でしか提供されないから、購買者にとっては独占市場になっちゃうのですね。ブランドや意匠権などの知的所有権が発生する場合、知的所有権を確保することで、独占市場にできちゃうんですね。これが。

         グッチやシャネルのマークの付いたクサヤを入れるポリエステルバッグなんかがあったら面白いけれども、それをやると、商標法違反で立件はまず確実です。なぜならば、ポリエステルバッグにそんなものをつけたら、これらのマークに安物のイメージがつくので、ブランドの価値がかなり下がってしまうからです。

        知的所有権を使った競争市場からの脱却

         商標権など知的所有権の発生で、独占市場になってしまえば、しめたものになっちゃうのです。独占市場の場合、実質上相対(あいたい)取引になるので、通常の競争市場での価格を無視できるか、意識するにしてもあまり意識しなくてもよいことにできるのです。つまり、グッチは、ポリエステルバッグの価格を意識せずに自社製品の価格をつけることができることになります。

         こういう独占市場や寡占市場、複占市場の分析は、もちろん従来の市場における生産物の供給量と、市場の需要量、そこで決まる価格の観点からも分析できなくはないのですが、それ以上に、ゲーム理論で理解する方がよいことになります。世の中、市場で何らかの形で競争する場合にしたって、相手はそんなに数は多くないのですから。


        寡占だからこそできること
         
         数が少ないと何が起きるか。お互いに話し合いで解決しようという雰囲気が生まれることになります。つまり、協調行動の可能性が大となります。つまり、Head to Head Competitionというか、頭と頭をぶつけるような競争関係は、事前に合意形成ができれば避けられることになり、無益な競争を避けることができるのですね。

         つまり、談合とかができれば、より高い利益〔利得〕を企業は得られることになるので、談合やオープン市場での価格品質競争よりも、密室での調整が重要になってくるばあいもあるようです。

         こういう合意形成に関して、前回ご紹介したRaiffa先生は研究しておられ、どのようにして相互に有利な価値状態に達するのか、ということを研究しておられるようです。

         つまり、相手がどう動くのが相手にとってどういう意味を持つのか、という戦略的行動とその分析が非常に重要になるようです。

        情報と行動
         その意味で、相手の動きを予測しながら、自らの行動を変えてくことになります。つまり、海戦ゲームのように限られたデータから、相手の動きがどのようなものか、ということを想定しながら、自らの行動を決めていくことになるのですね。


        海戦ゲーム 

         まだ、海戦ゲームの場合まだ簡単です。というのは、艦船の位置は動かないから楽なのだが、実際の潜水艦などの場合、相手は移動しながらであるから、どこにどのような手を打つのか、ということで結構悩まなければならなくなるのですね。

         実際の潜水艦では、ソナー手という音響機器で相手の艦種と移動方向、作戦行動の状態の動きを確認し、相手の位置を確認するという手段があるのですが、それとても、なかなか難しい、らしい。ステレオで聞けないので、位置精度が悪いらしいので。

         そういう意味で、行動するうえでどの情報を使うのか、そのうえでどう行動するのか、ということが生存のためにも重要、というか、命にかかわることになります。その意味で、集められる情報のうち、それをもとに判断する必要に迫られるということだそうです。


        潜水艦のソナー室

         映画The Thirteen Daysというので、コミュニケーションに関する面白い記述があったのでご紹介。言わずと知れたキューバ危機の際に、実際のロシアの商業輸送船とアメリカの海上封鎖体制の戦闘艦との間の位置関係で、コミュニケーションをとろうとしているのだ、と海軍提督にと喧嘩しているマクナマラとの怒鳴り合いのシーンがあるのですが、そこで、これまで見たことのない言語と文法でソ連と対話しているのだというシーンがあります。これなどはまさに、血を流す直前の外交という戦争ギリギリのところでのコミュニケーションをうまく描いているようにおもいます。



        13 Daysのキューバ危機のワンシーンで戦闘艦を使ったコミュニケーション

        情報の利用・相手の動きを読む心理戦

         情報を使うと同時に、相手の行動がどうなるかを読むというのは、キューバ危機の時もそうだし、企業の競争の場合でも相手の行動を読む心理戦になっていくように思います。

         さて、ここまで触れたように、実際の企業活動は、商標権を利用する、特定の技術を採用する、といった方法で、ちょっと条件を変えるだけで、完全競争市場から抜け出し、独占ないし寡占構造に市場を移行させることができるのです。寡占構造になれば、これまで指摘したとおり、相手の動きを読む心理戦になりかねないのです。

        不完全市場と心理戦

         自分が直面する市場を、不完全競争市場にかえられるからこそ、企業にとっての利益が増えるという側面が出てくることになります。この不完全市場の中での完全市場との行動の違いを説明しようとする試みが、70年代以降研究が進められ多と言えようかと思います。

         そののち、その研究成果が産業組織論、特に新しい産業組織論と呼ばれる分野で熟成していくことになったといえようかと思います。また、服部先生ご紹介のKahneman & Tverskyでは、本来人間の記憶や行動そのものが合理的であろうはずがなく、それを経済モデルに取り込んで、現実の行動できたのが、Kahneman & Tverskyの貢献といえましょう。

         そして、従来の合理的な経済行動をとる古典的モデルや新古典派的モデルを想定し、その行動を数学の一種の微分方程式体系として構成し、そこで解を求めるような研究には限界があることを示したのは最大の貢献だろうと思います。そのように、一種のゲーム理論によるモデル化が持ち込まれることで、実際の不完全市場での企業の行動が経済モデルとして表現可能になったと思うのですね。

         意思決定論では、意思は一種の心理的要素を多分に含むので、結構心理学の研究成果が生かされていることが多いです。最下部で紹介するMitroffを読んだ時も、そんな感じだったです。

        経済学は心理学となるか?

         経済学が、神から与えられた地をどのような運営をするのか、の学問から発展していくうちに、近代経済学は、金銭というものの交換とそれからもたらされる社会がどうなっているのかに関しての分析するのを中心とする学問になってしまった。もちろん、厚生経済学のような、社会全体における幸せをどう評価するのか、より公正な社会は、どうすれば実現できるか、というような学問分野もございますが。

         こういうあたりのことを考えおりますと、経済学のすべての分野は心理学にならないけど、経済学の交換に関する部分に関しては、本来人間の効用(嬉しさ)を扱うので、本来的には、心理学的要素とは切り離せないはずのものだったにもかかわらず、人間の心理を切り離して、経済学という枠組みの中で扱えるもののみを扱うようになったと思います。経済学の交換と金銭の枠組みにこだわることを、経済学としてきた、というようなところはないと言い切れないと思います。まぁ、それだけ、経済現象が複雑であるし、どんどん、現実が変わってきたというのもまた事実だと思います。

        これからの本命は公共圏とコミュニケーションかも

         先ほどの映画13Daysではないですが、戦闘艦や潜水艦を使ったコミュニケーションもあれば、金銭と財やサービスの交換も公共の場所としての市場を介してのコミュニケーションでもあるとはいえるとおもうのです。

         その意味で、実は、これらのものがコミュニケーション理論で扱えるのではないか、それもゲーム理論を使って、ということを言い出したのが、ドイツの哲学者のユルゲン・ハーバマスというおじさんであるといっていいとおもいます。

         彼の言いだしたのが、公共圏とそこで繰り広げられるコミュニケーションに関する理論という概念だとおもいます。なお、この公共圏という概念は、政治学の分野では、新しい公共という概念に移り、稲垣和久先生らのグループでのキリスト教と公共圏への広がりもあるようです。その意味で、近代社会後の社会(ポストモダン社会)を考えるうえで、この概念は欠かせないように思うのです。

         その意味で、のらくら者の日記での予想は半分正解という感じもしますが、ちょっとずれているかもしれないなぁ、と思っています。これからしばらくの経済学は、公共圏とコミュニケーションという形での展開として進んでいくのではないか、と個人的には思っております。

         一応、ハーバーマスの日本語版の本をご紹介しておきますが、日本語はお世辞にもスラスラ読めるとは言いにくいので、英語版かドイツ語版をお勧めいたしたいとおもいます。ちなみに、ミーちゃんはーちゃんはドイツ語は、読めませんがオリジナルはドイツ語らしいです。




        評価:
        Ian I. Mitroff
        Berrett-Koehler Pub
        ---
        (1998-01-15)
        コメント:ずいぶん前に読んだのですが、非常によかったと思います。

        2015.01.03 Saturday

        イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (2)

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           前回の記事

          イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (1)

          では、ゲーム理論について説明し、何かもめごととか、企業間や企業と政府、政府間での競争など、社会でおきていることをモデル化して、どういう状況が生まれるのか、ということについて考えるための手法であることを御説明しました。

          マジョリティ・ルールズとゲーム理論

           それで、本論の突然変異とゲーム理論のお話しに行く前に、マジョリティ・ルールズをゲーム理論で考えてみたいのです。これ、いくつかの表現の仕方(リーダーとフォロワー あるいは 対決型)がありますし、ゲーム理論の一つだけのフレームに納めるのはちょっと無理なのだけれども、それを承知の上でやってみたいと思います。多分対決型で考えるのが一番わかりやすいと思いますので、それで考えます。

          キリスト教界の15年戦争期の
          ゲーム論的表現の一例

           正月早々ちょっと香ばしい話題で申し訳ないのですが、15年戦争期のキリスト教徒と天皇遙拝問題で考えてみたいと思います。ゲーム理論のモデルにおける参加者として、まずキリスト教界を考えます。このキリスト教界にとっての選択肢(戦略)としては、戦争中、

          A)天皇遙拝するという選があります。

           この選択をすれば、政府をはじめ国民全体からの非国民扱いから外れ、キリスト教界も日本国民だと立派に言えるとしましょう。しかし、もう一方で、

          B)天皇遙拝しないという選択もあります。

          このBの選択をすれば、政府も国民も皆が口をそろえて、非国民扱いするとしましょう。キリスト教界にとっての選択肢は、おそらくこの二つしかなかったでしょうし、なかったと仮定します。なお、非国民扱いになれば、キリスト者への配給は激減し、非国民扱いでなければ、通常と同じような配給があると仮定します。これが利得(ペイオフ)です。

           もう一方の参加者として、当時の日本の国家というか、日本国民を考えます。当時の日本国民としての選択肢(戦略)は、キリスト教界の人々を

          a)非国民扱いする



          b)非国民扱いしない

          という選択肢のみであると仮定します。大正デモクラシーの反動で、明治初年と似たような、国粋化に向かってまっしぐらの状態です。なにせ、美濃ミッション排撃の歌まで歌われたそうですから。その意味で、ゲームの一方の参加者である日本国民の大半にとって、選択肢はキリスト者の宮城遙拝に関係なく、キリスト者を非国民扱いしないという選択もあったでしょう。ただし、この時、キリスト教徒を非国民扱いすれば、ごくわずかであっても、一人当たりの配給が増え、非国民扱い扱いしなければ、配給は同じと考えます。まぁ、妥当な過程だと思いますが。

           こういう問題設定の結果、キリスト者の側にとってみれば、配給や社会的な非難ということを考える時(もちろん単純化しすぎだ、ということは認めます。神以外のものを神とするという点での航海などがありませんから、現実は確かにそんなに簡単ではなかったでしょう)、天皇陛下は素晴らしいお方だ、現人神だといい、宮城遙拝をして、という選択が、信仰という面を除けば、キリスト教徒にとってもドミナント戦略です。物質的な面だけを考えれば、少しでも悲劇は回避できますから。国民にとってはキリスト者を非国民扱いにする、というのがドミナント戦略になります。つまり、日本のキリスト教とは、宮城遙拝をし、国民はキリスト教徒を非国民扱いするという状況で安定均衡となります。まぁ、これが、15年戦争の時に起きたことかもしれません。おそらく、マジョリティ・ルールズの社会が日本国民にも、日本のキリスト教徒の中でもできていたのではないかと思います。


          Wikipediaから借用した皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会 の写真

           なお、ゼロ戦は、後期2600年に帝国海軍に正式採用されたので、零式艦上戦闘機と呼ばれた。

          戦争当時のキリスト教指導者の葛藤も

           となると、キリスト教との指導者としては、多くの関係者に苦難の道を選ばせるか、あるいは、聖書の言うことに反しても、それは礼拝ではない、尊敬の念だといいながら、戦争中の苛烈な環境の中、まだましな生き方をキリスト者が与えられる可能性のある道を選ばせる方のどちらかを選べ、と言われたことになります。つまり、宮城遙拝をするというマジョリティと同じ行動をするという選択をすると、それなりのメリットというか、利得として通常の配給が得られる(配給が減らない)という地代が得られます。しかし、あえて宮城遙拝を拒否するというマイノリティを選択すると、メリットはないどころか、利得として、通常の配給から配給の量が減らされるというろくでもないこと、あるいは地代の消滅というか大幅な毀損が降りかかってくるので、デメリットしか存在しない、という状況が生まれるわけです。この中で、デメリットしかない道を選ぶのは、信仰者とはいえ、常識人には厳しいと思います。

          キリスト教と徳治政治

           なお、ミーちゃんはーちゃんは、現時点では、教会で「テレビに映されている天皇陛下が人格者のご様子であるから素晴らしい」というご発言を聞くたびに鼻白む思いを持ち(キリスト教会人が言わない限りは、関係ないので、あぁ、そうなんですか。よかったですね、と思います)、そういうご発言をする方のお話しを当面聞く気がなくなることだけは申し上げておきます。

           それは、もちろん、ミーちゃんはーちゃんは一部の論者からは、リベラル扱いされているほどに、左巻きだからかもしれません。しかし、それ以上に、教会で「人格的に優れているように見える天皇陛下は素晴らしい」というのであれば、人格的によければ、キリスト教徒としてのあり方とは無関係に教会で評価されるということを意味するからです。それなら儒教的な世界観、陽明学的な世界観、あるいは徳治主義ではないか、と思うからです。それはキリスト教と似ていますが似て非なるものではないか、と思います。日本では、この種の人格と信仰が区別されない、あるいは意図的に混同される事例が少なくないように思います。

           その点、英国人は、Rowan Atkinson氏を含め、王室に一定の愛着を示しつつも、きわどいことをして見せます。そのあたりの付き合い方は、我が国においても見習ってほしいものだと思います。


          Mr. Beanから
           4分30秒から4分42秒あたりがイギリス人の王室意識が表れていて面白い。


           話を元に戻しますが、15年戦争当時のキリスト教界の指導者は相当悩んだと思います。その判断の当否については、何も言うことはできません。自分がその立場だったら、当時のキリスト教界の指導者と同じことをしなかったとは言い切れないからです。

          ミーちゃんはーちゃんと
          15年戦争時代の関係者

           とは言いますが、まぁ、うちのキリスト者グループでも、アイルランド人宣教師の一人は、まともに日本語も話せない中、逮捕投獄され、都立松沢病院(当時から精神科が有名)に強制的に収容され、松沢病院での赤痢による死亡が確認されています。アイルランドの赤いユリにその辺のことは乗っています。

           また、私も直接お世話になったちょっと変わった方だった石濱義則という方は、まぁ、そもそも不適切発言が原因とはいえ、逮捕投獄され、広島刑務所に収監中、広島で被爆し、それでも生き残り、戦後しばらくして、名誉回復措置を受けています。『あの戦争の中にぼくもいた』をご参照ください。

           同じグループのキリスト者の中にも、必ずしもそのような被害を受けなかったかたも、我がキリスト者グループにはおられます。ほぼ全員の責任者が神の国理解に関して思想犯の可能性を含め事情聴取を受けていますが、逮捕投獄はなかった集団もあります。だからと言って、当時の社会風潮に対し、徹底抗戦して、逮捕投獄となるべきだった、とも思いません。それはその当時のそれぞれのご判断はご判断として、尊重されるべきだと思います。教義は個別の教会(集会)ことに異なるというのが我がキリスト者集団の伝統ですから。こういう個別教会の独自性の追求が必ずしも良い、とも思いませんが。

          マジョリティ・ルールズと
          預言者的性質

           ところで、マジョリティ・ルールズの世界の中で、一人、預言者的に荒野で叫ぶことは、精神病院へGo!になるか、非国民として社会から排除されるかです。要するにつぶされる運命が待っているのです。これは、マジョリティが数量的にも内実的にも安定している場合に発生します。内村鑑三の不敬事件も、マジョリティが数量的にも内実的にも安定的に存在した状況で、起きた事件であったと言えるのではないでしょうか。

           まぁ、個人的には、内村鑑三の不敬事件とその余波は、戊辰戦役で、それぞれのキリスト者の所属する藩が討幕側(政府側)についていたか、佐幕側(幕府側)についていたかの背景があるように思えてなりません。明治期に活躍したキリスト者にとっては、基本、明治維新は自らの精神構造に大きな影響を与えていたことは想像に難くありません。

           次回へと続きます。なぜ、手のひらを返すようなことが起こるのか、また起ききたのか、ということをゲーム理論を念頭に置きながらご紹介したいと思います。




          評価:
          井上浩
          伝道出版社
          ---
          (2006-09)
          コメント:歴史の一資料としてご参照ください。

          評価:
          価格: ¥0
          ショップ: ---
          コメント:少年向け小説にしてありますが、石濱義則さんの御親族がお書きになられた歴史小説。

          評価:
          価格: ¥0
          ショップ: ---
          コメント:入門書としてはお勧めではないかと。

          2015.01.05 Monday

          イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (3)

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             これまで、ゲーム理論とそこで用いられる用語、どんな概念になっているのかについての基本概念についてご説明し、15年戦争期のキリスト教を例にとりながら、ゲーム理論の応用やそれでなぜ、日本のキリスト教が皇宮遙拝に走ったのか、キリスト教との預言者的性質などについても少しふれました。

            イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (1)

            イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (2)



            マジョリティ・ルールズが崩壊する時
            革命という突然変異がおきるとき

             では、ゲーム論的にこのマジョリティ・ルールズが崩壊する過程について、少し考えてみたいと思います。マジョリティ・ルールズが機能しなくなるのは、ゲーム理論的には、そのマジョリティにいることで、利益というか、地代とも呼ばれる、そのグループに属しているだけで発生する利得というか利益が得られなくなるからではないか、と考えられそうです。

             マジョリティ・ルールズの背景で人がマジョリティにとどまるのは、マジョリティに属することで、何もしなくてももたらされてきた利益(地代)が発生しつづけているからです。しかし、環境や社会制度が変化し、それぞれの参加者に何も利得というか何もしなくても発生する地代が減少したり、あるいは地代や利得そのものが得られなくなることが発生する場合があります。

             こういう事態が発生して初めて、マジョリティの一部が、そのマジョリティから脱出し始めます。まさしく、地滑り、雪崩などが起きはじめるときとよく似ています。

             ちょうど雪崩がそうであるように、数が多いから、量が多いから、長らく安定しているから、と言って常に安定しているわけではありません。安定均衡しているように見えても、その中に内在する不安定さ、あるいは、社会心理における移ろいやすさ、あるいはボラティリティというものがあるのだと思います。社会においては、それが突然変異に見える現象を起こすのだと思います。

             それに、環境要因も大きな影響を及ぼすとは思います。ある条件に適合しすぎた集団は、その条件が変わってくると、現状の社会党か環境に不適合を起こし、表面上は多数を占めていて、安定しているように見えたとしても、マジョリティ・ルールズを規定する表面上の多数さの基盤が実質的に大きく損なわれていることがあります。この場合、ある条件に適合しすぎた集団内に不具合、不安定な状態が生まれているのだと思います。たとえ、表面的には安定しているように見えても。

            日本歴史でのパラダイムシフト
             一番わかりやすい例で言えば、戊辰戦役の時の錦の御旗事件などが、典型的ではないかと思われます。

            錦の御旗 明治神宮崇敬会のサイトからの転載

             表面上は、幕府を中心とした社会が存在していましたが、それと同時に、幕府への不満も高まっていたのでは、と疑われる部分があるわけです。まぁ、幕府の専横(特に開港場のみとはいえ、聖地日本に異人を受け入れる)という形で下級武士などの社会的不満を抱える層では、表現されていたようですが。それが、突然、戊辰戦争での戦闘中、幕府とは別の権威性である錦の御旗が掲げられることで、突然、その不安というか幕府への不満というか、現実との不適合が表面化し、討幕運動へとなっていったわけです。無論、それまでにも、天保の大飢饉のような経済不安と不満、そしてその反映でもある「ええじゃないか」が社会の中に発生していたことも遠因として指摘できようかと思います。

             同様の事例として、近代日本で言えば、ポツダム宣言受諾に関する国家元首としての天皇の意思が示された前と後での日本のマスコミの論調や文化人の掌の返し様を指摘することができるでしょう。

            日和った現在の大新聞
             前日まで、聖戦続行!朝日新聞毎日新聞も、読売新聞も言い募ったわけですから。いま偏向報道騒ぎでバッシングされている朝日新聞も、それをたたいている読売新聞も、やや中立的とはいいながら、ちょろっとバッシングしている毎日新聞も、私個人からしたら同じ穴の狢(むじな)ではないか、と思います。その程度のものでしかない、と思うのです。マスコミというものは。それを忘れて天下の公器とか、わけわからんことを言うから…

             15年戦争期に関しては、国家元首(昭和天皇)の思いというパラメータによる環境の変化をきっかけとして、国民もマスコミはこぞって、聖戦断行を言わなくなったんですから。そのような手のひらを返すような精神が大和精神であり、美しく取り戻すべき日本精神だとしたら、個人的にはご遠慮申し上げたいかも、と思います。

             この環境の変化は、様々な要因で発生するものであり、どれか一つの原因ということはおそらくないものと思われます。

             例えば、ポツダム宣言受諾の詔勅(国家元首としての天皇による宣言)のその前に、これなどは窮乏生活による国民経済の疲弊という環境変化と、連日の空爆による倦戦気分の蔓延などの環境の変化の結果がかなり限界に来ていて、それを天皇の国家元首としてのポツダム宣言受託宣言を機に一気に吹き上がったとも言えるかもしれません。まぁ、一部には、8月15日以降にも、まだ皇国は…ということで、徹底抗戦を主張する向きもあったらしいですが。

            世界の歴史のパラダイムシフトの事例

             西洋で言えば、ナチスドイツの成立の段階(ワイマール帝国への疑問視)や、東ドイツの崩壊の例をあげることができると思いますし、中欧では、チャウシェスク支配下のルーマニアの例を引くことができるかもしれませんし、あるいは、ごく直近の例で言えば、ロシアの通貨ルーブル暴落も例に引くことができると思います。ちょっとしたきっかけで、世論というのは、動いてしまう様に思えてなりません。あるいは、第2次世界大戦後フランスで発生したドイツ人将校と付き合うことで利益を得ていたフランス人女性へのひどい仕打ちなどもこの例に入るかもしれません。

            マルセイユ解放時に髪を切られるフランス人女性


             これまで東洋でも西洋でも革命の論理とは、この表面上の数だけでは把握できない、社会に潜む渦みたいなものをどう利用するかによって、その成否が決まるというところがあると思いますし、それこそのらくら者の日記の方が大好きなMI-6とかの世界は、このために世界中に調査員をばらまいておられ、地域情報の収集に多大なコストをかけることで、国全体の崩壊を防いだり、その影響が直撃することを避けるための準備をしていると言えましょう。あるいは、革命側に資金を提供することで、国全体を崩壊させたりすることをしている面もあろうかと思います。その意味で、革命と突然変異とは深い関係にあるように思います。

            金融論でのパラダイムシフトとしての金融危機

             実は、金融論の世界を横から眺めておりますと、まさに1990年代後半あたりを突然変異が起きた時とできるのではないか、と見ております。このころに、従前から始まっていた金融自由化ということで金融業態の業態規制がなくなってきて、金融業界の垣根や立地規制が自由化されたその直後に、木津信用組合の経営破たんがおきました。この木津信組さんの経営破たん(とそれに伴う短期資本市場の機能不全)とそれに伴う金融システムの全面崩壊を防止するために、日銀特融がなされるなど、まさに革命前夜の雰囲気がございました。この破綻とその処理の結果、あるいは、旧兵庫銀行の経営不振というよりは、乱脈経営の結果の経営破たん問題など、旧相互銀行系を中心とした金融機関の軒並に近い経営不全問題が明らかになり、もともと業態間規制が緩くなっていたこともあり、2000年代には、金融界の風景が、一転したことを、銀行業を中心とした金融機関の店舗分布の研究(この辺がもともと専門)からも確認しております。

             これまでの議論をかなり粗っぽい議論でおまとめをしてしまいますと、もともとのゲームの枠組みで得られたゲームの利得構造を規定する環境が次第に変わってしまうことで、利得の発生状況がゲームの参加者間でじわじわ変わっていくことで、マジョリティにおいて得られる利得そのものが減少している状況下において、それがある現象を出発点として、あるいはある閾値(いきち)に達した時に急速に動くのだろうと思います。

            立地理論モデル研究とパラダイムシフト
             その昔、立地理論モデルを研究対象にしていたころ、商店街モデルの栄枯盛衰モデルを考える際に、同質の2地点間で店舗が自由に立地変更ができるとき(たとえば、モールと、ダウンタウンの商店街のような場合)、消費者に商店間での探索費用(見比べるために歩き回る費用)と商業施設間での移動費用(消費者がバスとか電車に乗って移動する費用)が存在する時に、不均衡な立地均衡が現れる可能性があることを示したことがございましたが、その時の研究でも、消費者が負担する探索費用と商業施設間の移動費用のパラメータの比率から計算されるある種の閾値が、二つのうちの一極に集中するかしないかの閾値となりました。

             マジョリティであったものがマジョリティであることを失い、社会があるオプションから別のオプション(突然変異)に移す時の、心理的なコストとマジョリティにとどまることによる利得(メリット)の関係で、ある閾値が存在しているのだろうと思います。その閾値を超えた時に、ちょうど摩擦でギリギリのところでとどまっていた安定均衡が雪崩のように崩れ、一種のドラスティックな変化、あるいは一種の突然変異に見えることが起きるのではないか、と思います。

             ちょうど、プラレールの上に、プラレールの電車をのせて、次第にプラレールを傾けていくと、ある角度(閾値)を超えた瞬間、急に動き始めるような状態、をお考えいただくと適切ではないかと思います。

            閾地とパラダイムシフト

             このような心理的なコストの変化というか、閾値として、状態がある値を超えるかどうかは、ある状況や環境の変化(例えば、国家元首の発言・国家元首の逝去・あるいは戦場での総指揮官の死去などで)に伴って発生し、それまでに徐々に蓄積されてきた環境の蓄積から得られたコストとしての閾値を急に下げてしまうのではないかと思います。その結果、別のオプションに移ることを防止していた、閾値が急に低下したことが表面化することで、マジョリティにとどまることの利得構造が変わる可能性が大きいようです。

             さらに、また、マジョリティの人数が減ることで、そのマジョリティに属することで得られる利得そのものが減少してしまう結果、社会全体が突然変異したように見えるだけなのだろう、と存じます。


             この辺りが、イノベーションのゲーム理論としてパラダイムシフトや、突然変異が発生する原因の一つの説明になるのではないか、と思います。

             うーん、ここまで書いてみて、説得的かどうか、いまいち自信がないですが。あと1回、プラットフォーム戦略としてみたときのエキュメニカル運動というか、聖餐問題、あるいは信徒受入れ問題に関して、ご紹介してみようと思います。もう一回だけ続きます。




            2015.01.07 Wednesday

            イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教(4)

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               これまで、ゲーム理論とそこで用いられる用語、どんな概念になっているのかについての基本概念についてご説明し、15年戦争期のキリスト教を例 にとりながら、ゲーム理論の応用やそれでなぜ、日本のキリスト教が皇宮遙拝に走ったのか、キリスト教との預言者的性質などについても少しふれました。そのうえで、3回目の連載では、閾値(限界を迎える値となるための要因が存在し、その値を超えた瞬間に、丁度斜面の上に静かにとどまっている雪がどっと落ちて雪崩になるように、社会の動きが変わることがあることをご説明しました。

               一応、本日でこの連載は終了ですが、過去記事は以下の通り。

              イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (1)

              イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (2)


              イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (3)

              共通化・互換化に伴う問題

               今回、何らかの共通性や相互共通関係ができたときに、どういうことが起きるのか、ということについて触れてみたい、と思います。

               のらくら者の日記の記事で、

              リスク支配戦略による「プラットフォーム競争」です。『プラットフォーム競争で勝つのは安くてよい商品とは限らない:技術競争は「標準化」ではなく進化的な生存競争だから、すぐれた規格が競争に勝つとは限らない。むしろ新しい「突然変異」を拡大する多数派工作が重要だ』

              という御指摘がありましたが、このあたりのことをキリスト教界を例にして、ご説明してみたいと思います。

              キリスト教界とプラットフォーム戦略

               キリスト教界にプラットフォーム競争があるか、というと、それにふさわしい例か、適切な例示かどうかは、あまり自信はないのですが、相互陪餐認証問題ということがそれに類似性が一番近いか、と思います。

               相互陪餐認証が微妙に教義が異なるキリスト教界の集団間で完全に進みますと、信徒にとっては、どこでも自分にとって、都合のよい、便利な地域にある教会の聖餐式に参加できるようになります。この時、次のような状況を考えます。

              相互陪餐の極端な事例

               一方は、ある地域(たとえば、日本全国)の中に2つしか教会がないキリスト教界の集団(これをキリスト教団Aとし、それぞれが、教会員が20人と30人)と、その地域の中に1000を超える教会(これをキリスト教団Bとし、それぞれの教会の教会員が100人平均)があるキリスト教界の集団を考えます。

               高齢化が進む中、どちらが厳しい状況の直面するか、ということを考えると、論を待たずに教団Aでしょう。しかし、この教団Aと教団Bには、聖書理解に関する大きな違いが従来あるとされ、教団Aの指導者は教団Bの教会に行くことも、教団Bの信徒の友人と話すことも、教団Bの信徒と通常の商法上の行為すらしてはならないと強硬に主張していたとしましょう。

               カトリック教会のプロテスタント教会に対する対応は、16世紀から17世紀ごろの西ヨーロッパでは、ほぼこれに近いようなものであったと言えるのではないか、と思います。現在ではかなり変わっておりますことだけは言及しておきます。

               しかし、教団Bの20人規模の教会の牧会者がなくなり、おまけにお年寄りの女性信徒しかおらず、一人欠け、二人欠けしていくことが発生し、ご年配のご婦人お一人だけの教会になったとしましょう。この教会を維持するかどうか、と考えたとき、教団Aでは、これまでの教団Bとの関係のあり方を改め、よくよく子細に検討した結果、教団Aの従来の指導者が言っていたほど、教団AとBの間に差がなく、教団Bに行ってもよい、聖餐も相互に認証する、と方針の変更がされ、同様に、少数側の教団Bの側が教壇Aとの相互倍さんが可能である、と態度を変えたとしましょう。この時、恐らく起きることは何か、というと、恐らく教団Bの消滅が待っていると言えると思います。

              相対的な数の多さの優位と
              相互陪餐がもたらす結果
               つまり、相対的な数の多さで、互換性、あるいは相互受け入れがある場合、より大きい方は、より大きくなり、より小さい方は消えていくことが多いようです。実際に18世紀の大帝国領内で、国教会分離派が多数生まれましたが、結果として、国教会分離派として残ったものは、ウェスレー派、クェーカー、ブラザレンなどごく一部であり、残ったものには残ったもの特有の背景があるようです。詳しくは、英国の教会史をご自身でお調べいただきたいと思います。このあたりの本は、Wipf & Stock の British Evangelical Identities Past and Present, Volume 1 などや Studies in Evangelical History and Thought のシリーズなどをまずお読みになることをお勧めします。

              消滅を防止するために

               相互陪餐による信徒集団として消滅することを防止するためには、より小さなものは大きいものに対立的な態度をとり、より大きなものに信徒が移るのを防止するのがドミナント戦略になります。そして、可能であれば、存続できそうなサイズのものを核となるものとして、いくつか残し、そこに資源を集中し、複数の核からなるシステムとして存続させるという方法論です。

               しかし、このドミナント戦略には副作用があります。どこか一つの大きな核がその正統性を持つかどうかは別として、偶然の結果として全体の代表的な立場を持ってしまい、本人たちの意図とは関係なく、中心性をもつ存在に祭り上げられてしまう可能性を含めて、中心と周辺という構造が生まれてしまいやすいという副作用があります。また、自派以外の集団である他者の意見を遮断し、他者の意見に耳を貸さないということは、その集団における自己正当化が進みやすく、指導者を本来の神の座につけるということが起こりやすくなるのです。指導者がなりたくてなる場合(それはかなり悪質な例ではあると思いますが)、悪質でなくても、周りが持ち上げてしまい、指導者や指導的な教会が神の座についてしまう場合もないわけではありません。こうなると、ある面、カルト化を生む素地を内包してしまうのです。

              プラットフォーム戦略とストロー効果
              地域の独自性の消滅

               このことは、地方と呼ばれる地域社会で確実に起きている話なのです。ストロー効果と呼ばれる現象です。どういうことかというと、地方と東京の間に新幹線や高速道路をつくることで、本来、地方の活性化、東京からの資本の進出や、新しく居住する住民の増加をもくろんでいたのに、東京から日帰りができるようになってしまえば、地理的空間で分断されていないたったのと同じ効果をもつために、わざわざ地方に支店を置く必要がなくなります。

               こうなると、地方での支店がなくなり、地方に東京からの資本が進出するどころか、すでに進出していた資本が消え去ってしまう、そして、それに伴って、地方経済はガタガタになるという非常に逆説的な問題が発生するのです。インターネットや電話の普及も似たような側面があると思います。

               現実に触る、触れる、身に着ける、という必要のあまりない、どこで買っても同じような製品は通信販売に伴うデータ処理と輸送の高速化、通信手段の普及と通信費用の低下によって、通信販売事業者での販売が最も望ましいという現象が生じます。これなどは、地域的な分断による発生した不労所得である地代が、通信手段の発達に伴って消滅するという事例と考えることができると思います。輸送費用問題(このあたりも、専門に近いので言いだすとうるさい)を除けば、どこかに一か所拠点を造成し、そこからすべての商品を配送するというのが日持ちのする均質的なモノに対するドミナント戦略になります。

              裁定取引と均一市場化と通信

               こういう地域的な市場の分断による不労所得というか地代の発生に基づき、価格差を使って利益を出すことを鞘取り、ないし裁定取引(Arbitrage)と言います。鞘取りに関してはこちら(Wikipedia)をご覧ください。

               この鞘取りの影響は非常に大きいので、これを防ぐ手段がどの国のどの時代の経済的活動でも試みられてきました。例えば、世界で初のコメの現物先物市場を生み出した大坂の堂島のコメ市場では、旗を振ってコメ市場の価格の上昇下落を伝える情報手段を作り出していたのです。そのための通信基地が西国(中国・四国地方)を中心に設置されていました。その一つが旗振り山です。

              旗振山(253m)山頂と旗振茶屋
              兵庫県神戸市須磨区にある旗振り山 旧摂津国と播磨国の境界にある





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              旗振山から神戸市中心部と大阪湾方面を望む (鎌野直人様 撮影)

              埋め込み画像への固定リンク
              旗振山から播州平野と淡路方面を望む (鎌野直人様 撮影)

               こういう通信手段の整備により、従来地域ごと(九州とか四国 あるいは現在の都道府県レベル程度)に存在した地方のコメ市場は堂島米市場での価格が参考市場以上の実質指標、実質価格、全国統一価格になってしまう状況を生み出しました。つまり、地域市場の分割ができなくなったのです。ある面、地理的に分断されている中で生じていた情報の非対称性が米のバイヤー間ではなくなったわけです。

               現在でも東京証券取引市場(第1部・第2部)もあり、大阪証券取引市場(第1部、第2部)もありますが、実質的には、両市場での特定の同一銘柄の株式の価格は同一になります。それは、もし漁師情感に価格差があれば、価格差がある限り裁定取引が発生して、結果的には同一価格になってしまうからです。個人的には、大証と東証が並立している意味は、通信手段が発達した現在においては、あまり意味がないんじゃないか、と思っています。

              鎖国するしか…

               つまり、鎖国をし、外部からの情報の流入を阻止しない限り、似たような相互参入可能なものの間では共通化が進んでしまい、より大きな方に吸収されてしまうという結論になるからこそ、この互換性、プラットフォームの共通化戦略を避け、自分自身のプラットフォームと同じグループに属するものを最大化し、実質的に他のものが存在しない、あるいは、それを採用することが意味のない結果となるように技術的な鎖国化政策を実現することが、現代の組織なり、ある概念なりの存続にとって重要なものになっている、と思うのです。

               つまり、鎖国をして情報の非対称性を生み出してしまえば、情報の発信源の言うことを人は聞かざるを得ない、ということになるのです。これが、革命政府が樹立した時に革命政府側がするべきことなのです。つまり、放送局と新聞の占拠と、そこからの情報の独占的発信により、情報の非対称性を生み出すことです。

              徳川幕府による政策運営の
              デファクトスタンダードの確立
               徳川幕府は、鎖国することで、統治に関する事実上のデファクト・スタンダードを実現し、大規模なサブグループの形成の傾向がみられそうなグループのところでは、天領を配置する、譜代大名など徳川親藩の小藩を配置し、スパイのように情報収集し、少しでも怪しい雰囲気があれば、改易(領土の変更)をすることで、別の地域の領主にして通信を困難にさせ討幕連合を作らせなくする、領土を細かく細分化する(現在でもやたらと飛び地の多いのは、その結果でもあります)、討幕連合を作りそうな大名は、口実をつけてお取り潰しをする、徳川御三家であっても、攻めてこないように天然の要害(大河川など)での交通を阻害するということで、敵を排除する戦略をとり、支配のプラットフォームにおける徳川家への忠誠という形でのデファクトスタンダード化を行ったといえようかと思います。それは、幕府にとって、実は最適化戦略であったといえようかと思います。

               いまだに茨城県が関東近県でありながら、工業化・住宅などでの開発が気持ち(かなり)遅れているのは、水戸徳川対策を含め、利根川が付け替えられた結果(もともと、利根川は現在の隅田川・大川であった)が影響しているようですし、尾張徳川、紀州徳川対策には、大井川、富士川に架橋をしないことで対応したのです。

               しかし、こういう地域分断化の結果として、現在の地域ごとのご当地野菜(下仁田ネギや泉州水ナス)やご当地食、ご当地の言語(方言)が生まれ、それがまた、日本の文化的多様性と複雑性を生み出し、文化の豊かさを生み出したわけでもあるわけですから、なかなか面白いものだと思っています。



              国土交通省のサイトから拝借した江戸期と現在の河川変遷図

              まとめ

               この連載の最期はプラットフォーム戦略としての分断化戦略の結果生まれた藩や天領などの配置による地域分断政策と鎖国政策が、方言や小渕恵三さんの娘さんの政治資金問題で最近脚光を浴びた下仁田ネギ(下仁田ネギは、鍋物にするとおいしいです)の話を生み出した話になってしまいましたが、このことは政権の安定のためには、分断して統治せよということを誰が発言したかはよく知りませんが、ローマ時代の属州統治もこの分断統治が原則でしたし、マキャベリも君主論の中で似たようなことを言っていたと思います。

               ところで、同質的なものが大量にそれも隣接して存在するというのは、実は効率的なようでいて、ある面、滅びるときも効率的に滅びてしまうので、システムの存続を図るためには、同質的なものは分割して隣接させない、そして、イノベーションの発生を防ぐ、というのが、システム安定化のための要件かもしれません。

               個人的に、信仰者として、信仰の内容とか教義とか、聖霊の働きを大胆にかつ極端に無視ししてモデル化して、ここまでゲーム論的というか、意思決定論的に分析していいのかなぁ、という気もしましたが、まぁ、こういう意思決定論的なものの見方をすれば、過去の歴史的な動きは割とあっさりと考えることができて、表現できるかも、と思いましたので、おまとめしてみました。まぁ、限界あるけどね、と御笑覧いただいていただければ、なにより幸甚でございます。

               もちろん、個人的にはモデル化とそれに伴う省略の問題は熟知しておりますので、全能感に浸って、ふなっしーのようにヒャッハーってやっているわけではございません。御安心を。


              ロックなふなっしー


               ということで、一応、この連載は終わりでございます。お付き合いいただきまして、ありがとうございました。


              2015.01.09 Friday

              日本のキリスト教の一部の残念さ加減

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                 本日は緊急公開。

                キリスト教異物混入疑惑

                 明日、近畿圏内の某大学で開催される国際カンファレンスで日本の戦後とキリスト教とのかかわりを話す(これ、完全に専門外、アマチュアとしての仕事である。ただ、英国には学問においてもある時期までは、オリンピックと同様、アマチュアリズムが求められてたのもある程度事実)のだが、その為の参考資料として、年末に友人のところにお邪魔した際に、探していた本である『日本の神学』 古屋安雄・大木英夫著 ヨルダン社刊(下記リンク参照)が置いてあったので、借用している本を読んでいた。ほほう。なるほど、と思っていたところに、それに似た話がいつも拝見している水谷潔さんのブログで、「チキンナゲット異物混入」の類似問題としての「礼拝説教異物混入」の記事が取り上げられており、大変興味深く拝見した。水谷さんのブログ記事で一番なるほどねぇ、さもありなん、と思ったのは、以下の記述である。
                 多分、礼拝説教において、最も混入しがちな異物は、非聖書思想でありましょう。聖書の言葉でスタートながら、語られているのは聖書ではなく、思想家や学者の見解ということもなきにしもあらずです。聖書の特定のテキストが説き明かされているはずが、事実上は、別の価値観や思想の紹介となっているケースもあったりなかったりです。

                 たとえば、聖書が命じる「父母を敬いなさい」は「親孝行奨励」ではないし、「夫に従いなさい」は、「天主関白の勧め」ではありません。聖書の言葉をもって、民族や文化の伝統的価値観を、聖書的な検証もせずに、無批判に肯定して実行を勧めるなら、それは、「異物混入疑惑」の対象でありましょう。
                 こういう説教って、結構あると思う。要するに、儒教のからだ(からだとしての武士道ないし武士道精神ないし、日本精神)にキリスト教の頭をのせたようなキリスト教である。このことは、尊敬してはいるが、時にかなわないと思う内村鑑三さんでも起きていることは確かである。

                内村にも見られる国粋主義的思考

                 一例をあげると、内村さんは

                 日本国は世界の一半を他の一半と結び付けたるための偉大な天職を帯びております。日本国はアジアの門であります。日本国によらずしては、シナも朝鮮もインドもペルシャもトルコも救われません。人類の半数以上の運命は日本国の肩にかかっております(中略)日本国はシナの四億余万と、インドの二億五千万余とその他、大陸の億兆を救うために造られたものであります。かかる重大なる天職を帯びた国が、今日のように実に醜猥極まる状態にいつまでもあろうとはどうしても思われません」
                                  「失望と希望」より
                とマジですか?と聞きたくなるほどの国粋的なご発言をしておられる。転記しながら吐き気がしてきた。

                和魂洋才という日本近代化後の
                日本キリスト教会における課題

                 水谷さんのいう言う日本のキリスト教の一部における異物混入の問題は、聖書の内容の置き換えあるいは書き変え問題は、和魂漢才という語から連想された和魂洋才問題にキリスト教がどう向かっていくのか問題ということと深くかかわっていると思う。

                 あるいは、日本の伝道の現場でよく出会う、どの宗教でも根本的な原理は同じであるというとんでもない巷間に伝わる説である。古代神道は研究が不全なので、成文宗教(教義の根底となる経典文書の存在 神道には記紀があるという話があるかもしれないが、教義そのものが明示的に書かれているわけではないと理解している。違っていたら申し訳ない)と非成文宗教の点で大きく違うという印象を持っているとしかいいようがないが、仏教は生に関する精神性のベクトルが随分違うと思う。それを見逃すと、エキュメニカルな万人救済説と混同されやすいと思う。

                 いずれにしても、どちらが偉いか問題ではなく、「違う」あるいは「異なっている」ものであるということをミーちゃんはーちゃんは主張したいだけである。キリスト教が特殊だとか、優越しているとかいう主張をしたいわけではない。ただ、それぞれが固有性を持っている存在であるといいたいだけである。

                 なお、和魂洋才に関しては、日本の神学の中で、古屋は次のように書いている。

                 しかしながら「和魂洋才」には弱小者ないしは劣等感の受動的な自己保存の側面だけではないもう一つの側面もよく含まれているように思われる。心理的には劣等感に対する優越感のようないわゆる反対感情併存(ambivalence) と説明されるるのかもしれない。つまり「和魂洋才」には洋才に対する和才の劣等は認めるが、和魂に対する洋魂の優越は認めない。いや、洋魂よりも和魂の方が優れているという能動的な主張が秘められているのではないか。
                          「日本の神学」pp.80-81

                 これは案外現代に生きるキリスト者の中にあっても、キリスト者の中でもこの意識は無意識の通奏低音をなしているがゆえに水谷さんご指摘のような儒教的な聖書理解が一部のキリスト教界で時に顔を出しているように思われる。

                 なお、この「日本の神学」という図書は、若干異なる立場の二人の方が書かれた本であるが、ミーちゃんはーちゃん個人は、どちらかというと大木氏の立場に親和性が高いだろうと思う。というのは、大木氏が後半で述べていることの大半は、日本キリスト教界におけるメタ思考の必要性ということで理解可能であるからである。どちらかというと、ミーちゃんはーちゃんはメタ思考型を志向しているからでもある。


                 ところで、この水谷さんの記事を紹介したところ、Facebookで山崎ランサム和彦様から面白いコメントを頂戴した。実は聖書の中からだけ語っていても、それがいつの間にか聖書理解とは言えないものになっていることもあるのではないか、というコメントである。

                聖書デフォルメ疑惑

                 もちろん、異物混入も困りものだが、異様にデフォルメされたものもまた同様に困るように思う。要するに、プリクラで写した写真を本人だろう、と思って会ってみたら、全然本人と似ても似つかない場合などがあるだろう。最近テレビに出てくる化粧によって印象を変えるマスク芸人の方などの化粧を見ててもそう思う。


                マスク芸人の方のなりきりメイク 信じれん


                 デフォルメとは、自分の主張したいことを強調するためにその部分を強調していくと、どんどん、本物からずれていき、何を描いているか分かりにくくなることであり、現物のかたちが再現できなくなる点である。これは美術の分野で時に起きている。如何に同一人物の作品であっても印象が異なるか、ということに関するデフォルメによる極端な事例を示す。

                 
                青の時代のピカソの女性像      キュビズム時代のピカソの女性像       

                 主張、強調したいことがあるとはいえ、ピカソの作品と同じようなことがキリスト教界でも起きているかもしれない。

                 あるキリスト教関係者は、イエスが社会の困った人々に目を向けたことを異様に強調し、社会におけるキリスト者の存在意義のみを強調し、あるキリスト教関係者は終末の出来事や終末での裁きを強調しつつ聖書を語り(個人的には、神の義(神による義認ではなく)というのは神の愛とほぼ同義ではないかと思っているが、詳細な議論は字数を要するのでここでは避けたい)、それを起点にしながら福音を語るということをしている場合もあるだろう。また、ある人々は、ユダヤの神殿再建を重視しながら聖書を語り、あるグループは、神の憐れみをかなり強調して聖書を語り、あるグループは、きよめの体験や奇跡的な体験がなければキリスト者でないかのようなご発言が教会にあふれる場合もあるだろう。また、教会にある時代において定められたプログラム通りに出席していることを強調し、信徒は斯くあるべきであるとご主張になられたりするところもあるであろうし、また、あるグループでは、自分が受け入れ可能な聖書記述のみを強調して、神のことを語り、とまぁ、いろいろとおありになる。

                 これらは、どれかが正しいのではなく、どれも、バランスを欠いて特定部分を強調したために、極めて近視眼的な聖書理解(自分の強調点のみを注視してみる聖書理解)となっているのではないか、と思う。そして、その結果人を悲しませ、信徒を悲しむ思いをもたせ、神を悲しませかねない教会になっていることも少なくないように思われる。この辺りのことに関しては、夏期に紹介する工藤信夫先生の御本をご覧いただきたい。様々の事例が出てくる。痛む、悲しむ、傷ついた信徒はあなただけではないのだ。だから、我慢せよとは言わないし、言えない。これは、日本がキリスト教というものの総体が幅広く知られていないために、いまいる教会の姿がキリスト教の全てであるということになりやすいという背景の結果ではあるのではないか、と思っている。

                 なお、以上の記述は、山崎ランサム和彦様のコメントにインスパイアされてのことである。

                痛快な大木先生の記述

                 大木の表現は非常に痛快な表現を含む。それを日本の神学から紹介して、本日の記事を閉じたい。
                 私は、最近ある書店にいき、ついでに宗教書関係の棚を見たが、それはキリスト教書専門店でないためやむを得ないとはいえ、もしこれまでバルトとパネンベルグの間から聖書の巨姿を見るということが理由がありそれを手掛かりとすることが赦されるならば、そこに陳列されていた一種のキリスト教的な諸書(太字は引用者による)は、その巨姿を見ることを妨げこそすれ、それを見るのに役立つものはほとんどないと言って過言ではないと思う。(中略)確かにこれらの手引きによって、我が国の人々が、聖書の神髄に触れることは不可能であると思う。(pp.288-289)


                 この状態はほとんど変わっていない。放送法でその存続が位置付けられている公共放送機関でこどもニュースを解説していたおぢさんのキリスト教理解や「不思議なキリスト教」もこの類のようなものであるから、1989年から25年、四半世紀たっても似たような状況は改善していないという非常に残念な状況にある。 
                 いわゆる「神学的音痴」人間が出現した。確かに、国立大学には西洋古典の研究がある。しかしそれはヨーロッパの大学の神学部に代わりうるものではない。そこで、学んでこの巨大な対象と十分に取り組めるものではない。
                 今日の指導的な聖書学研究者の多くは、欧米の当該研究を学ぶべく留学せねばならなかった。しかし、その中のある者たちはこの巨大な対象と取り組むために、ただ単に神学諸学彼の学習について不備であっただけではなく、それとまったく無関係ではないが、少数のよい例を除けば、その様な対象と取り組むための心構えもできていなかった。(p.290)

                 実に耳の痛い話である。しかし、これが、日本のキリスト教の実に残念な状況なのだろうと思う。これもまた、日本のキリスト教が、まだまだ始まって、せいぜい150年前後の歴史しかない新参者であるためかもしれないが。

                 とはいえ、ミーちゃんはーちゃんにかまっていただいて、遊んでくださるキリスト者の方は、実は少数のよい例の方々ばかりなのだろうと思う。いい時代になったものだとは思う。個人的には、あれかこれかにあらずんばキリスト教にあらず、の聖書理解ではなく、無制限に何でも受け入れるというものではないが、ある程度の許容範囲(聖書を根拠とすること、神にして人のイエス、三位一体の神の枠組み)の中で、あれもこれものキリスト教聖書理解が大事ではないか、と思っている。




                評価:
                古屋安雄,大木英夫
                ヨルダン社
                ¥ 3,456
                (2001-07)
                コメント:あるうちに買っておいた方がよいかも。

                2015.01.10 Saturday

                「伝道」とは、教会に来させてナンボか?とたらたら考えた(1)

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                   年明け進行中なので、こちらも年明け進行で、過去記事のサルベージを。書いたまま2年くらい非公開扱いにしてました。丁度、フランスで事件が起きた直後なんで、ついでにあげておこうかと。



                   つい先日、ムスリム文化圏にある某国でのキリスト教系女性専門病院で奉仕者(伝道者)をしている女性信徒(ナース)の方の帰国報告会が、ご近所の関係ある教会で開催されたので行ってきた。


                  イスラム社会におけるベール ブルカ

                   現地での現地語聖書翻訳の問題、医療の問題とその必要性、キリスト者の問題、911テロとアメリカを中心とするアルカイダ掃討作戦のそのムスリム文化圏における某国でのキリスト者への影響などの話が出ていた。

                   いろいろ印象深い話が合ったのだが、ムスリム文化圏の某国における医療伝道については、2回目でもあったので、特に新しい視点ということはなかったが、ある参加者の方が、今の日本を見てどう思うか、日本のキリスト教界を見てどう思うか、についての問いは、少し考えさせられた。

                  電車で誰もしゃべらない日本

                   彼女いわく、「日本の電車は静かだ。誰も話していない。」

                   電車で話している人がほとんどいない。この前、北関東での関係者の打ち合わせを済ませて新幹線の中で同行者と打ち合わせをしてたら、隣にいたおにいちゃん(学生かフリーター風)からやかましいといわれてしまった。あまり大きな声で話していなかったのだが。

                   まぁ、関東人は電車の中で静からだから、余計そう思ったのかもしれないが、こちとら大阪のおばちゃん連中に鍛えられているので、あまり大きな声ではないと思ったのだが、彼には気に障ったようだ。彼には、大阪の昼すぎのおばちゃんがたまる喫茶店とかファミレスは耐えられんだろうなぁ。大阪は、大阪であって、日本ではないという説があるが、それはさておき。

                   余談はさておき。

                  人と向き合わない若者・スマホを介して向き合う人々

                   彼女が言うには、みんな携帯(たぶんガラケーではなくスマホ)をいじっていて、お互いに黙って何も会話していない。こんなところで、どうやって伝道(宣教)するかって、とっても疑問、という素朴な疑問であった。それから、彼女の話は発展し、我々は意外と教会に来てもらってナンボ、と思ってきたのではないか。教会にいて、教会に来てもらって、それで伝道したいと思っているのではないか、出ていく(アウトリーチする、相手のところまで手を伸ばす)という発想が薄いのではないか?ということをボソッと指摘されておられたのが、とっても印象的であった。

                   この指摘は重要ではないかと思った。つまり、現在の教会は教会立てこもり型というのか、教会に取り込み型の伝道になっているのではないのか、教会に来ることをあまりに前提としているのではないか、という問題意識を提起しておられたと理解した。

                  ムスリム文化圏における伝道

                   というのは、彼女が活動しているムスリム文化圏においては、言語やトラクトによる積極伝道はご法度(違法行為)になるらしいのである。しかし、彼女はそこに宣教師(医療宣教師)として現地にいるのである。しかし、彼女は、イスラム圏の中で肩身の狭い思いをしている人口1パーセント強のキリスト者子弟のための奉仕(伝道というよりかは日曜学校)や医療での関与、日常会話の中での伝道(相手から聞かれることを通しての伝道・宣教)しかできない。その中でも、現地に行くことにどういう意味を見いだせるのか、ということを問われてきたのかもしれない、そのことを背景にしたご発言だろうなぁ、と話を聞きながら思った。

                  次回へ続く




                  2015.01.12 Monday

                  「伝道」とは、教会に来させてナンボか?とたらたら考えた(2)

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                     前回は、ムスリム文化圏における奉仕者の報告会で、ムスリムへの伝道が禁止されているなかで伝道するということはどういうことか、ということについて、そして彼女が現代の日本を見てどう思ったのか(スマホを介して人と向き合う人々)、それと宣教(伝道)という側面で、彼女が感じたことをふれておられた。そのことについて触れた。


                      「伝道」とは、教会に来させてナンボか?とたらたら考えた(1)



                    重要な問いかけ

                     そして、その最後に、

                    「私たちは、教会か別のところに来てもらうことを目的としていないか?我々が、福音を直接、相手に届けるということを忘れていないか?家から人が出てこない、出てこれない状況の中で、家にいる人々にどう問いかけをするのか」

                    という問いかけともいえない問いかけを投げかけられていた。彼女が言うには、イエスは直接人々のところに出向いたではないか。それを我々は忘れてはいないだろうか。イエスは弟子たちを直接人々のところに遣わしたではないか、ということを忘れてはいないだろうか。ということを問いかけだろうなぁ、ということを考えていた。

                     厳格な伝統社会の一部では、女性は家にいることを求められることも多いので、この外に行くことを前提とした教会運営というのは、少し問題があるのかもしれない。

                    (1年以上前の日曜日には、これについて、マタイ福音書9章から10章の最初の部分から話をする予定。山上の説教についての説教シリーズ以降、マタイの福音書からのお話を延々とやっていて、たまたま、この場所に来ただけなので、この部分からお話した。)

                    呼び寄せ型(プル型)伝道とその原型

                     これまでのキリスト教は、人がどこかに来ることを前提に様々なプログラムが運営されてきたような気がする。日本でもこのような前提が生まれてきたそもそもの源流は、アメリカやイギリスでのリバイバル伝道集会であろう。この種の最初の事例は、テントや屋外など、また公的な施設や民間のホールのような場所、あるいはスタディアムを借りて、大伝道大会(○○○○・グ○ハム伝道大会とか…)とかをするような大量動員型の伝道大会が生まれてきた。

                     この屋外伝道の背景には、固定の石造の他のプロテスタント系教会に入ることが、17世紀とか18世紀のカトリック信徒にとっては困難というか禁止に近い扱いであったらしいので、それを回避するため、また、教会から遠隔地にいたり、諸般の事情のために、教会から縁遠くなった人たちのため、始まったことではあるだろう。


                    昔(1930-50年くらいか?)のテントでのリバイバル集会


                     とはいえ、リバイバル伝道集会は、テントとかで巡回しているわけであるから、完全にプル型とは言えないかもしれないが。

                    呼び寄せ型伝道の背景

                     この背景には、一般の人々のモビリティ(移動可能性)が向上したというのがあるだろう。それと、労働慣行の近代化(それを近代化といってよいかどうかも最近では?になってきているが)に伴って、8時間労働制やら、週40時間労働制やら、週休2日制が西洋を中心として定着してきた結果からだからではなかろうか、と。

                     産業革命時代の悲惨な児童労働、長時間労働、奴隷同然の労働慣行の時代が終焉したからこそ、いい悪いは別として、余暇時間というのが生まれ、そして、人々の生活は豊かになってきた。しかし、余暇時間ができたら何が起こったかというと、アイルランド人やアメリカ人のブルーカラーの人々のいくばくかはパブにゴーになってしまい、やたらと酔っぱらうおじさんが出てきたりもした。詳しくは、http://en.wikipedia.org/wiki/In_the_Name_of_the_Grandfatherとその放送エピソードを参照されたい。そして、禁酒法が制定されていくことになってしまう。酔っぱらった方も小人ならば、禁酒法を作った方も小人である。閑居して不善をなしてしまったのだから。禁酒法ができたおかげで、イタリア系マフィアやアイルランド系マフィアが血みどろの抗争をしたり、禁酒法のもと、マフィアは禁制品であるアルコールを扱うことで、確実に経済力をつけていく。

                    余暇活動としての側面から考えた教会活動

                     ある面、教会に行くことは、産業革命後で社会が落ち着き始めたビクトリア朝大英帝国(ちょうどシャーロックホームズが活躍した19世紀末から20世紀初頭)においてパブに行くよりはよほど高尚で倫理的な行為とみなされる行為であったので、それを最大限利用するかのように、呼び寄せ型伝道の方策がとられてきた側面はあろう。

                     つまり、余暇の過ごし方としての教会行事、キリスト者から見てよりよいと思われる余暇時間の過ごし方を提供するという意味での教会活動(殿堂集会)ということが考えられたのではないかと思うし、それが教会にとって、自然であった時期が100年余り続いたということなのだろうと思う。だからこそ、D.L.ムーディ先生の伝道大会には、Ira Sankey という歌手の存在が欠かせなかったのかもしれない。

                    I. Sankey と D.L. Moodyをイギリスの描いた風刺画

                     その意味で、伝道活動に関するエンターテイメント性というものが求められたし、それを提供してきたという側面があったようにも思うのだな。

                    その後を考えた結果の呼び寄せ型伝道

                     確かに、信仰を持った後の「牧会」を考えたときに、出歩き方牧会(出向き方の1対1牧会)には限界がある、ということはあるだろう。キリスト者と共に生活することの重要性を考えたときに、どうしても、手っ取り早い信徒コミュニティとしての教会に来てもらう、そのことに慣れてもらうという点で、呼び寄せ型伝道には、大きな利点がある。

                     しかし、伝えることだけを考えたとき、呼び寄せ型伝道にはおのずと限界があるような気がするし、その限界を信徒一人ひとりが考えておく必要があると思う。「牧師が悪い」、「代表者が悪い」と原因追及する前に。それで、それぞれがどう、この伝えるということ、Missio ということを考えておく必要があると思うのだが、違うかなぁ。

                     次回、お届け型伝道とその課題について考えてみようかと思っている。




                    2015.01.14 Wednesday

                    「伝道」とは、教会に来させてナンボか?とたらたら考えた(3)

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                       これまでの記事で、

                      「伝道」とは、教会に来させてナンボか?とたらたら考えた(1)

                      「伝道」とは、教会に来させてナンボか?とたらたら考えた(2)


                      でこの問題を考えるきっかけになった、帰国した伝道者の見た日本社会と、そこでどのように伝道するのか、という問題提起や、現在も多くの教会で行われていると思しき教会に来させるという形の伝道となっている背景ではないか、と思われることについて触れてきた。

                      なに、この背景分析は、居酒屋でのビールジョッキ片手におっさんが語る与太話程度のものであり、それを確証し、歴史的検証をしたわけではない話であるから、与太話大家であるミーちゃんはーちゃんお得意の与太話である。

                      今日はお約束通り、お届型伝道について、考えてみたい。

                      お届型伝道って?

                      お届型伝道というのは、相手の居るところに行って、聖書の話しを届ける形の伝道である。本来、キリスト教の出発点においては、このお届型伝道であったはずである。使徒の働きの時代やパウロがあっちこっち行って、聖書を人々に語っているのは、お届型伝道に近いといえるであろう。また、いまのような教会堂が個人の住宅と分離する形であったわけでなし、個人の居宅(といっても、天気のいい地中海地方のことである、人数が増えたところで家の中庭(パティオ)を使って話ができたし、あるいは、早朝に町はずれに行って礼拝もできたことであろう。

                      また、キリスト教の拡大に当たっては、宣教師もよくわからない地域に出張って行って、お届型伝道している。まぁ、サビエーというか、ハビエー君というか、ザビエル君は、バスク人で、パリ大学なんかで勉強していた当時の秀才君なのに、インドまで来て、そして日本を目指して日本で伝道している。

                      上智大学100周年のポスターの小学生に大人気 ハビエー君

                        その意味で、本来お届型伝道というのは、何となく伝道の原型のような気がする。つまり、相手のところまでいってみる、相手を知りながら伝道するというのはどうも伝道の基礎のような気がしてならない。
                       
                       そういえば、先日ご紹介した小平先生のご著書にも、そういうことが書かれていた。
                       初代教会の宣教は初めパレスティナのユダヤ人キリスト者によって行われた。し かし、その働きはだんだんとディアスポラ・ユダヤ人キリスト者にバトンタッチされていった。ステパノ、サマリヤ伝道のピリポ、説教者アポロ、そして使徒パ ウロ、この人たちは皆、ディアスポラ・キリスト者であった。何故、神は彼らを世界宣教に用いられたか。多くの理由がある。その中で大切なことは、彼らが異 文化の中で生まれ、育ち、その中に住み、やがて主の御救いを受けたとき、異文化の受容すべき要素と、対決すべき要素とを、よくわきまえていたことである。
                      彼らはキリスト者が陥り易いゲットーメンタリティーの中に閉じこもらず、福音のゆえに進んで自己の殻を打ち破って進んだに違いない。真の謙遜というものは、進んで自己を他に知ってもらい、自分も他を知っていくという広い心の中にある。この信仰姿勢がパウロのこの御言葉(引用者注 直前に第1コリント9章19₋23節が引用されていた)の中に表わされている。
                      小平照夫著「燃えて輝く灯台」(p.89)

                      まさに、他人にも自己を解放し、自己と他人との共通理解というか信頼を構築して伝道していくこと、ということは案外と重要なのではないだろうか、と思うし、伝道においてきわめて重要なことではないかと思うのだ。このことはこの後紹介する、お届け型伝道の課題との深いかかわりがあると思うのだ。

                      お届け”だけ”型伝道ってひょっとしたら
                      ウミガメ型伝道かも?


                       皆さんご存じのように、ウミガメは砂地盤の海岸で産卵して、放置する。そして、孵化するまで、ウミガメの親は放置して、孵化したウミガメの赤ちゃんは勝手に海に向かっていく。


                      鹿児島県でのウミガメの産卵



                      海に向かう孵化したウミガメ

                       お届け”だけ”型伝道の場合、ウミガメのように産卵して、神の御手が働くことを期待して、聖書の言葉と神の存在を伝えるものの、現地の教会群という海岸の砂の中に卵を置いていくかのようにして、次の別のところに移っていく伝道方式である。

                       ウミガメの成獣になるまでの生存率はおおむね1/200とか1/1000という説があるが、それと同様に、日本のキリスト教会では、様々な問題から十分なケアができずに、キリスト教会に残らず、とりあえず聖書のことばという種をまくものの、それを育てるのに失敗し、その生存率が低いという場合も多いようである。この結果、教会3年卒業説ということが起きるという側面もあるだろう。
                       
                       なお、ハビエー(ザビエル)君たちは、信徒が自立できるように、ちゃんと学校も作り信徒教育もし、さらに、イタリアで当時流行っていたらしい、コンフラリアという組織を形成するよう指導していたことは、以下の記事を参照されたい。その意味で、ウミガメ型伝道だけではなく、その後生き残るための方法論もセットで、伝道する必要があるのかもしれない。定期的な訪問なども含めて。

                       この辺りに関しては、以下のリンクを参照されたい。


                      カナイノゾム研究室から
                       このことは、高等学校の後輩であり(高等学校時代、相互に交流はなかった)、また大変尊敬しているカナイノゾムさんも、カナイノゾム研究室で、「日本の伝道と教会形成について」というタイトルのもと、大変参考になる記事を書いておられた。以下その一部をご紹介する。

                      宣教師は、教会形成=牧会をしないで、伝道によって生まれた信者の群れを既存の教団か日本人の牧師に委ね、次の伝道地へ移る、というスタイルの宣教活動を行っていたのです。

                      (中略)

                      その伝道と教会形成=牧会を分離した体質が、私たちの教団のみならず、広く日本のプロテスタント教会に影響を残しているように思います。

                      (中略)
                       また、日本で活動してきたミッションには、同様のスタイル・体質を持つものが少なくないからです。

                       私たちは、日本での宣教と教会形成を進めるために、古き良き伝統に学び、それを生かして用いつつ、足りないところを補い、行き過ぎたところを切除する勇気を持たなければならない、と思うのです。


                       こう考えていく時、日本は、明治以降150年以上もたつとは言うものの、いまだに宣教地であり続け、また、キリスト教界の中でも自派中心主義が続いており、他派の教会との幅広い連携や交流が妨げられたり、協調に失敗している地域の例は多少はあるかもしれない。その意味で、キリスト教界が戦国時代と似たような状態(小藩がいっぱいあり、地侍が砦に立てこもっているような状態)がいまだに続いているのかもしれない。

                      何でも超教派じゃ御座いませんの
                       だからと言って甲子園ミッションみたいな連携のありようを目指しても、それはナンセンスしか生まないと思う。ミーちゃんはーちゃんが言いたいのは、個々個別の違いを認識し、それぞれの歴史的経緯で形成されてきたものを遺物として排除するのではなく、それらも尊敬しつつも、違いを乗り越えて、それでもなお、キリスト者としての相互の尊敬をもった地に足のついた交流のことである。他のキリスト者に心を開いた神の民としての交流がまず存在しないと、ウミガメ型伝道はうまくいかないのではないかと思うし、これまでウミガメ型伝道が人材と資源の浪費に近いことをしてきたように見えるのは、そういうことなのだろうと思う。

                      失敗ってなんでしょうね?
                       教会形成に失敗してきたかもしれない、という指摘はわからないではない。教会はうまく存続しなかった、ということはあったかもしれないとはいえ、信仰者として生きること、キリストに人が出会うこと、キリストに人が従っていくことに失敗したわけではない、と思う。キリスト者として生きて居たいと思いつつも、諸般の事情で教会に集いにくい人を作っただけのことである。その人が神に出会ったという事実は変わらないし、神に対する信仰をもったという点では、それは神の領分の話しであって、教会に来ていないから信徒ではない、あるいは、伝道(宣教)に失敗した、と判断するのは早計かもしれない。
                       
                       実は、カナイノゾムさんのおられるところの運動Faith Missionの原点の一つとなったことをはじめた人物に、影響を与えた人物の一人に、いまはほとんど忘れ去られているAnthony Norris Grovesという人物がいる。この人物は、裕福なアイルランドの歯科医であったが、国教会の伝道団体の海外伝道師になるのを断られた(非国教会員であった)ため、自給伝道者として、神が養ってくださるという確信のもと、ロシア経由でバクダッドに入り、伝道したという人物である。その地で、病気のために妻子を失い、「自分の伝道は失敗であった」と失意の中で帰国する。それでも伝道に対する思いたち切れずインドでの伝道をする。

                       確かに初回のバクダッド行きでは信徒になった現地の人はいなかったらしい。しかし、彼の冒険的行動は、Faith Missionというものを生み出した。それは失敗と言っていいかというとどうなのだろうか、と思う。なお、この忘れられたGlovesはミーちゃんはーちゃんがいまいるところのキリスト者集団の初期の人物の一人ではあり、その精神のかけらくらいはミーちゃんはーちゃんも受け継いでいるつもりである。

                      伝統を作り変えていくことの大切さ
                       ところで、カナイノゾム氏の以下の記述を読んでいた時、
                       私たちは、日本での宣教と教会形成を進めるために、古き良き伝統に学び、それを生かして用いつつ、足りないところを補い、行き過ぎたところを切除する勇気を持たなければならない、と思うのです。
                       キリスト教会は、先人から言われたことをそのまま保存する継承ではいかんと思うのだなぁ。カナイノゾムさんの文章を読みながら、次のような聖書の言葉を思い出した。
                      マタイ
                       13:52 そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。 【口語訳】
                       なんか関係しているような気がしている。
                       
                      教会の存続と神の支配
                       ミーちゃんはーちゃんは、大体物事を100年から1000年単位で考えることもあるので、10年単位で考えれば、教会がある地域からなくなることは不幸だけれども、100年から1000年単位で考えると、まぁ、なくなること、それもありかと思う。黙示録の最初の方に出てくる教会でも、結局それを継承して、その時代以来そのままの形で残っているものはない。5大司教座でも、曲りなりにその場所でそのまままともに継承されているのも少ない。個別の教会がどうなるかということは、そこの信徒にとって大問題かもしれない。しかし、それよりも、教会が、目先の存続に目を奪われ、神の栄光と御思いをたずね求めることを忘れる方がもうちょっとたちが悪い問題かなぁ、と思う。このことを覚えながら、主の祈りを最後に紹介しておこう。
                      マタイ
                       6:9 天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
                       6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。【口語訳】

                       一応、この連載は、これで終わり。次回、本の紹介を挟んで、この連載の延長線上にある教会と教会建築という建物との「かかわり」についての考察のシリーズをはじめてみようか、と思っている。


                       
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