2014.11.01 Saturday

2014年10月のアクセス記録。ご清覧御礼

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      今月も長い記事も多かったのですが、それにもかかわらず、アクセスいただきありがとうございます。

     2014年3月  20499アクセス。
     2014年4月  24200アクセス。
     2014年5月  22690アクセス。
     2014年6月  11281アクセス。
     2014年7月  13883アクセス。
     2014年8月  12202アクセス。
     2014年9月  13264アクセス。
     2014年10月  15282アクセス。

     今月のピークは、902アクセスの10月6日。教会やめたい その2 を公開した日。


    それでは、以下、今月の上位5位まで。

    教会やめたい?(その1) 問題の着想 
    623 アクセス

    教会やめたい?(その2) 教会のやめ方
      525 アクセス

    教会やめたい?(その4) 教会外迫害?教会内迫害?  467 アクセス

    在留日系ブラジル人の2重の悲劇  358 アクセス

    現代の日本の若いキリスト者が教会に行きたくなくなる5つの理由  334 アクセス


    教会やめたいシリーズが、トップっ中のも、このブログらしいといえばらしいし。今回嬉しかったのは、日系ブラジル人について書いた、昔(5年前)の記事が、顔を出したことである。理由はよくわからないけど。


     また、来月もご清覧いただければ、幸甚。


    2014.11.01 Saturday

    深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

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      これまでの記事をまとめると、こんな感じであろう。

      深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
        神学と科学の原型としての自然神学

      深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
        ドイツ神学とナショナリズム

       今回は、場面を英国に移し、キャラ弁教会の出発点となった国教会とピューリタンの出発点、その違いはどのようなもので、そこから生まれた千年王国説、そして(カトリック及び国教会に対する)教会批判として出てきた聖書中心主義や聖書を中心とした新興について述べていきたい。

      国教会とピューリタン

       今日はイギリスの宗教史、特に国教会とピューリタンに関する部分から紹介する。実はピューリタンを定義するのは難しいので、まず、議論の抽象化のために、以下で紹介するものもそうであるが、深井智朗著 神学の起源 社会における機能におけるピューリタンをいかのように定義しておられる。ご自身のピューリタン理解と違うという向きもおられるとは思うが、それは、本記事が、深井先生の本によっているという前提を置くのでご容赦願いたい。

       ピューリタンと呼ばれるキリスト教のグループはこの17世紀のイングランドを考える場合に重要である。ピューリタンの定義は難しく、ここでは以下の議論の展開のためにごく類型化して、アングリカンという、バチカンから独立したいわばイギリスにだけにあるカトリック教会に対する宗教改革と考えていただきたい。その点では、大陸に起こったルターたちの宗教改革やその次の世代のジャン・カルヴァンたちの改革なども知っていた人々である。(pp.157-58)
      どの時代をとるか、ということにも依存するのだが、ピューリタンはイギリス国教会の分離派の一種でもあり、従来の教会運営(国家と一体化した国教会の運営)に辟易していた人々だとは言えるだろう。その意味で、当時の社会のあり方や、教会のあり方、政治と宗教の一体化した状態、宗教が不用意に政治に不必要で不当な介入をするようなことに耐えきれない、批判精神旺盛だった人たちではないかと思うのだ。何、ミーちゃんはーちゃんは、キリスト教会は世俗のことをがん無視していいとは思ってない。むしろ積極的に関与すべきだし、どんどん発言したらいい、くらいには思っている。だって、与えられた選挙権や社会をよりよくするために与えられた言論の自由(人を不愉快にするために言論の自由を振りかざすのはどうかと思っている)をガン無視するのはもったいないと思っている。

      国教会という制度

       日本には、幸いにして国教会という制度がないから、その事情が分かりにくいのであるけれども、ちょうど、テレビの難視聴地域で、NHKしか映らず、いわゆる民間放送が全くない状態というのか、お近くの国みたいに○○中央テレビ1局しかない状態とお考えいただけるとよいかと思う。あるいは、町中のレストランが、みんなマクドナルドとか。チャンネルやレストラン(教会)はいっぱいあっても、結局どのチャンネルを見ても同じ、どの店に行っても、出されるメニューは同じという状態である。それについて、次のような意味があったことを深井先生はご指摘である。

       しかしここで注目したいのは、(中略)このようにして生まれたイングランドの国教会制度の意味である。国教会制度というものには様々なヴァリエーションがあり、すべての時代すべての地域に同じ制度が存在していたわけではない。しかし国が一つの宗派だけを保護するという点は共通する。この時代のイングランドの場合には国王が教会の首長者であることが明確で、議会もエリザベス女王を「信仰の擁護者」とする決議を行うのであるから、宗教は国営化する。その点が重要である。
       それは宗教という名の市場の国による独占状態といってよいと思う。(pp.139-140)


       なお、イングランド(というよりは、連合王国)における国教会の主教は、議会に議席をもつ議員でもあり、その意味で、国家に信仰的な概念から物申すことができる態勢は整っているところは、過去の遺産であると同時に、キリスト者的な概念からバイプレーヤーとして、という限定つきであるものの国家運営に影響を多少なりともの影響を与えられる。

       知り合いの聖公会司祭の方にお伺いしたら、英国国教会の大主教は、どうも国家における序列は、下手をすると王室に次ぐ序列(名誉職としての序列としては、世俗の権力者である英国首相よりは偉い)らしい。

      キャラ弁的教会の起こり
      としてのピューリタン

       ところで、今、日本では、前々回の連載記事(キャラ弁的教会は、いつ、どこで始まったか )でふれたとおり、キャラ弁と言っていいほど、多様化したキリスト教会の集合体に触れることができる。地方部では、まだ教会が少ないところもあるので、選択の余地の少ないところも無論多い。その意味で、空間的独占は現実の地域、とりわけ、地方部の地域という空間においては起きている(本来、このへんがミーちゃんはーちゃんの専門領域)。しかし、空間的な条件を無視してしまえば、実に多様なキリスト教会のありようが存在していて、これしかだめ、平氏にあらずんば人にあらず、国教会にあらずんば人にあらず、みたいな状況には現在ない。しかし、昔は、どこに行っても国教会しかない、国教会にあらずん場人にあらず、みたいな歴史状況のところに坂東武者のように、「オラオラオラ、平家だけが武士だと思うなぁ」といったかどうかは定かではないが、「ょっと言わしてもらっていいですか?」みたいなことを言ったのが、ピューリタンの皆さんだったのですね。

       一言でいうと、国教会の人々がピューリタンの皆さんに対していろいろ嫌がらせのようなことがあり、ピューリタンの皆様には不利益が生じていたようである。例えば、官職につけない、とか。そういう状況に対して、

       ピューリタンの教会は、アングリカンという国教会によっていわば宗教の市場が独占されていた状態に、民間企業としてこの独占市場に挑戦したようなものである。(p.144)


       17世紀のイングランドに登場したこのピューリタンと呼ばれる人たちがしたことは、いわば宗教という市場の民営化、自由化、市場化の始まりであった。それは自由な競争のことであるが、キリスト教の言葉でいえばそれを『伝道』という。(p.145-6)
      とお書きである。ある面、(教派ごとにどの程度引き継いでいるかは別として)ピューリタンの遺伝子を引き継ぐ日本の福音派、アメリカの福音派、また、アメリカのリベラル派を含む相当数のキリスト教会は、この歴史的経緯からいって、「伝道してナンボ」、「改心させてナンボ」という性質をもつようになったのである。前回の議論を思い起こしてもらえるとありがたいが、中世という時代、いや、19世紀になるまでは、個人が信仰(その結果としての宗教)を選択するのではなく、あてがい扶持みたいに、そこで生まれたからカトリックとか、ここで生まれたからルター派、イングランドで生まれたから英国国教会みたいに、選択の余地のない社会が西洋では延々と続いたのである。近世とはそういう時代でもあったようなのだ。その意味で、近世にあって、近代にいたる概念というかそのためのエンジンというか、そのための神学に取り組んだのが、イングランドにおいては、ルターの宗教改革ではなく、啓蒙主義とともにこのイギリス生まれのピューリタンと言えるかもしれない。啓蒙主義については、次回フランスのところで、触れる。

      国教会分離派・革命分子としての
      ピューリタン
       このように、国教会、前近代国家、近世国家と、教会を分離する方向での思想性をもち、ドイツでは、国家と結びつき、ナショナリズムと急接近したキリスト教が、イングランドでは社会を改革していく方向に、ピューリタンとして、既存社会を批判していくことになる。ミーちゃんはーちゃんは、改革派的伝統を緩く間接的に引き受ける教派というよりは、国教会制度にあえて対立的に向かっていったアイルランドの宗教思想を背景とするグループにいるので、深井先生が以下でご指摘の革命の理論と結びついたというのは、肌感覚としてなじみがある。そして、ミーちゃんはーちゃんが生息させてもらっているキリスト者グループでは、革命の理論を通り越して、世の中を一段低いものとしていく傾向につながっていると思う。
       このような社会の変化の中で「神学」の性格もまた新しい側面を得ることになる。ここでは神学は、西ヨーロッパ全体、キリスト教社会全体、あるいはイングランド全体を基礎づけたり、その社会の道徳的基盤や正統性の基盤であったりすることをやめて、むしろそのような社会の正当性を批判し、社会を変革するための理論になっている。大陸の神学はナショナリズムと結びついたが、ピューリタンの神学は革命の理論と結びつくことになる。(p.149)
       この記述を見て思い出したのだが、下記に示す、日本語名「戦場のアリア」という映画の中で、クリスマスの祈祷(正確には、たぶんミサ)を英国軍の英国国教会(多分)のチャプレンが敵見方関係なく上げるシーンがあるが、そこで使われている言語がラテン語であるのである(英語版でしか確認してない)。そのチャプレンが仕切るミサに、戦闘中のフランス、ドイツ、英国(スコットランド?)の士官連中が参加し、ラテン語での祈りをささげるのである。

       その意味で、ラテン語は第1次世界大戦当時、インテリの共通語であり、ラテン語であれば、どの国の兵士も宗教的傾向(宗派)を越えて参加可能な儀式を実施できる言語であり、さらに言えば、インターナショナルを志向した中世の神学言語は生きていたことが、この映画のそのシーンを見ればわかる。


      戦場のアリアの予告編


      千年王国理論とピューリタン

       国教会と近世的国家システムに異議を唱え、より革命的な動きをする背景になったのが、以下で紹介しておられる終末論とか、再臨論とか、千年王国理論らしいのである。

       千年王国と言うのは、キリスト教会の公式のドグマではなく、聖書の解釈として生み出された終末のイメージの様々なバリエーションの一つである。中世まではたいてい主流派の教会に批判的な人々、あるいは教会から見ると異端と呼ばれた人々の考えの中に多く存在していた。(p.148-9)

       ピューリタンの中でもラディカルなグループになればなるほど、この千年王国的な終末思想を政治的なヴィジョンと結びつける傾向が強くなった。いずれにしてもこれは神学が保守の理論として国家と結びつくのではなく、既存の政治システムを破壊するための革命や改革の論理と結びつく事例である。(p.150-51)

       しかし、あっさりと書かれてしまった。あーあ、「千年王国と言うのは、キリスト教会の公式のドグマではなく」だって。えぇえぇ、どーせ、公式のドグマじゃございませんぜ。教会内アングラ・グループが持っていたような物言いでござんす。

       「ピューリタンの中でもラディカルなグループになればなるほど、この千年王国的な終末思想を政治的なヴィジョンと結びつける傾向が強くなった」。はいはい。そうでござんすよ。うちは、ラディカルなのにもかかわらず、「ラディカルなのだ」ではなく、「正統的だ」って主張するから、信徒の皆さん混乱するんで。

       ミーちゃんはーちゃんは、うちのキリスト者集団については、ラディカルだ、って思ってますよ。宗教改革記念日はもちろん、イースターはおろか、一部にはクリスマスですら記念しないラディカルぶりですから。もう、フランス革命のジャコバン派も真っ青なラディカルぶりっこですから。w

       実は、フランスを触れた後、アメリカにうつるが、ピューリタンが建国に大きな役割を果たしたアメリカ合衆国では、このラディカルな人たちである。このラディカルな人たちが吹き寄せられるように新大陸に集まって作った国家であるアメリカは、ラディカルであることが国家の理念となるので、このラディカルな志向が「保守派であること」に実はつながっているからややこしく、「大英帝国ではラディカル」であったものが、「アメリカでは保守あるいはコンサーヴァティブ」となるという事実から、同じ英語圏でありながらも、性質の異なる、かなりややこしい関係性を持つ二つの国家群が生じるのである。アメリカの福音派に福音派右派と呼ばれる人が多い(もちろん、少数ながら、福音派左派もいる)のは、実はこのラディカルさが保守イメージとつながるからであり、あの高校生による銃乱射事件で有名になったコロンバイン高校の校門に、Home of Revels(反逆者たちの巣窟)等と大書する習慣があるのだなぁ。



      高校生による銃撃戦が起きたコロンバイン高校の表札

      聖書主義と教会批判

       そして、その後のピューリタンの精神世界について、次のようにお書きである。

       ピューリタン革命のような、教会による教会制度の批判や既存の宗教システムの破壊という動きが起こると、これまでの教会という制度は腐敗堕落したものだということが言われるようになり、そのことと千年王国説とが結びついたのである。従って千年王国説の主張者たちは、既存の教会の教えであるドグマや信条、神学には疑問を感じるようになり、それらは後世の教会が作り出した都合のよいシステムであり、本当の教えを知るためには教会という制度を飛び越して、直接イエスの教えに帰らなければならないと主張するようになった。(中略)この時代の神学の特徴は、教会の教えを飛び越えて、イエスの教えに直接立ち返ろうとして、聖書そのものに言及する聖書主義という立場の神学が誕生したことであろう。聖書は主として神の国の到来を間近かに感じている原始キリスト教会の人々の言葉であるから、聖書主義の神学は現世との妥協やこの世の生き方を含まない、逆に現世への批判を率直に語る神学になったのである。こうして神学の性格は中世から大きく変化した。(p.152)
       この「これまでの教会という制度は腐敗堕落したものだ」ということは、我がキリスト者集団ではあまりにいわれすぎてきたので、我がキリスト者集団では、幅広いキリスト教を信仰する皆さんと交流することはおろか、超教派運動などにかかわろうとするなら、いろいろと蔭口・悪口の類を言われることを覚悟せねばならないほどであった(いまでも一部にそういう傾向はある)。また、千年王国の特殊な理解と自分たちの聖書理解が抜き差しならないほど結びついているので、「本当の教えを知るためには教会という制度を飛び越して、直接イエスの教えに帰らなければならない」という主張をさらに極端にしており、聖書以外の過去の神学的思惟や過去の聖書理解の宝を、ゴミ箱に突っ込んでしまっている部分もある。我がキリスト者集団では、つい最近までは神学や教会的伝統にまともに取り組む人は少なかったし、聖書主義に立ち、聖書をのものを対象にした聖書神学であっても、「神学」と名がつけられた瞬間に、聖書に立脚する神学にまともに取り組んだ人にすら、蔭口やら、悪口を投げようとした節がある。そして、大概の場合、そういう学としても信仰に立って聖書やキリスト教そのものに取り組もうとした人々は、我々のキリスト者集団での居心地が悪くなって、別のキリスト者集団で、大きな花を咲かせた方もおられる。その方の書籍を最下部のリンクにあげておく。

       どうもうちだけの傾向ではないようなのだが、「聖書主義の神学は現世との妥協やこの世の生き方を含まない、逆に現世への批判を率直に語る神学になった」結果、この世を軽く見るだけならまだしも、様々なことを「世」とラベルを張って見下し、つまらないことのようにしてしまう人々もおられるようだ。世間様や世と呼ぶものに、手はおろか指一本触れることをせず、そのくせ、世間様からのメリット(たとえば給料をもらうためだけに仕事はする)だけは享受しつつも、精神的には、この世から分離して生きる傾向が福音派の一部にかなりみられるのは、実に残念な傾向だと思うのだが違うかなぁ。しかし、そうではないかも、ちゃんと世の中に生きることが大切だ、ってことを聖書を中心とした信仰を重視する福音派的視点から示したのが、下記リンクで紹介する「わが故郷、天にあらず」という福音派を代表するキリスト教出版社であるいのちのことば社から出ていた。いまは絶版だけど。

       こんなことを書くから、リベラルだ、って言われるのかもしれないけど。
       

       次回から、現代の社会と神学、あるいは神学を大きく変えたフランス革命と神学の関係を述べていく。




      評価:
      価格: ¥1,944
      ショップ: 楽天ブックス
      コメント:ヨーロッパ社会や日本社会の基盤となったキリスト教神学と社会の関係史の超入門書

      評価:
      ポール マーシャル
      いのちのことば社
      ---
      (2004-12)
      コメント:この地に生かされたキリスト者として、神の豊かさをこの地で味わいつつ、創造的に生きることの大切さを示した本。絶賛。

      2014.11.03 Monday

      深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4 フランス編前篇

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         今回はフランスの社会と神学とのかかわりとのご紹介いたしたい。今日は祭日なので、かなり長め。なお、これまでの記事は以下の通り。


        深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
          神学と科学の原型としての自然神学

        深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
          ドイツ神学とナショナリズム

        深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

          英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解


        ビクトル・ユーゴーの祈りと現代日本

         「教会的ではないが、宗教的なキリスト教の登場」の節で、ビクトル・ユーゴーの名前と彼の宗教間というか世界観、あるいは人生哲学が出てくる。少し長くなるが紹介したい。

         この政治的作家の考え(ユーゴー)は彼の遺書によく表れい出ている。それは彼自身の考え方であると同時に、この時代の人々の宗教についての考え方を代弁している。こういう言葉がある。「私は五万フランを貧しき者たちに送ると遺言する。私は貧しき人たちの霊柩車によって墓所に運ばれることを望む。私は如何なる教会の祈祷をも拒絶するが、すべての人に祈りをささげてもらいたいと願う」。ここに出てくるのは、フランス革命以降の典型的な啓蒙主義者の姿であるが、彼は葬儀や伝統的な埋葬、また人間が祈ることを否定してはいない。しかしこう書くのだ。「私は如何なる教会の祈祷をも拒絶するが、すべての人に祈りをささげてもらいたいと願う」。彼は何を考えていたのであろうか。それは要するに、宗教は否定しないが、教会という制度は否定するという考えである。これがフランス革命以降、キリスト教の中で起こったことなのだ。それは教会とい言う制度を否定するキリスト教の登場である。18世紀の啓蒙主義は宗教を否定したりしていない。ドイツの啓蒙思想もそうだが、そこには豊かな宗教性がある。批判されたのは宗教ではなく、制度としての教会、あるいは大学神学部という権威であった。(pp.155-156)
         ここで、「すべての人に祈りをささげてもらいたいと願う」というユーゴーの言葉が引用されているが、これ、近代人にとって案外大事な概念ではないかと思うのだ。実は、日本の墓石の前における通常の日本人の祈り(学問僧の祈りではなく)、靖国神社への参拝や千鳥ヶ淵戦没者墓苑での祈り、あるいは、8月15日の全国戦没者追悼式での祈り、あるいは、様々な事件後における祈念式典、あるいは学校で事件や災害を記念してささげられる祈りや黙とうは、要するに、啓蒙主義的なものであり、どちらかというとキリスト教や伝統的な仏教や神道などの諸宗教から宗教観をごっそり抜いた祈りなのだろうと思う。

         その意味で、日本の社会、とりあえず公立学校や政府などの公的な組織ではポストモダンな宗教的多元性の容認ではなく、啓蒙主義的な近代的宗教観に支配されていると言えるような気がする。

        批判し合った教会(大学)と学生

         あと、ここで面白かったのは、「批判されたのは・・・・、制度としての教会、あるいは大学神学部という権威」という指摘である。実は、啓蒙主義の主要登場人物は、劇とか、共産党の皆様が非常に美化して語られる無学なプロレタリアートではなく、当時の大学というところに巣くっていた高等遊民(今でいうと、ニートやヒッキー)であった大学生でもあったようにも思う。その意味でフランス革命は、一種の学生運動でもあり、日本の大学紛争は、フランス革命の劣化コピーと言ったら失礼だが、今から見れば、どうもその劣化コピーでしか(あるいは、ですら)なかったような気がする。こう考えると、啓蒙主義思想が流行した後に英国国教会などから分離し、独立に活動を始めたわがキリスト者集団が、権威の否定に走りがちな批判意識をもちやすい集団であることや、さらには、大学と大学神学部、そして、神学そのものを非常に否定的に扱う理由もわからなくもない(まぁ、いわゆる文献学的成果が聖書を切り刻もうとするかのような神学的思惟に耐えきれない人々であったということなどもあるのだが)。

         以下に最近制作されたLes Miserableの予告編を紹介する。


        Les Miserableの公式予告編


        ユーゴーの墓所

        個人の精神世界に矮小化された信仰

         大江健三郎の発言「神秘主義的なものにひかれる」との関連で次のような記載があった。

         「神秘主義的なものにひかれる」というのは、宗教的なものには関心があるが、制度としての宗教団体には興味がないということであろう。いわばそれは「教会嫌いのキリスト教」なのである。そして信仰の場所や担い手は教会ではなく、個人のこころの問題になるのである。日本でも最近そういう傾向をスピリチュアリティという言葉で説明しようとしている。(pp.157-58)
        とお書きであるが、この指摘は重要だと思った。じつは、この近代というか、啓蒙主義の宗教理解の結果、宗教は、「個人のこころの問題に」されてしまい、集団性というか、共同体制が失われてしまい、個人の問題、個人の精神世界の問題に矮小化して理解しようとする傾向があると思うのだ。しかし、そういる理解をしている限りにおいては、オウム真理教という社会集団が生まれた背景や、人々がカルト教団にひかれていく理由が分からなくなるように思うのだ。

        宗教共同体とカルトとの
        微妙な関係
         近代啓蒙主義は、個人の主権の確立をも果たしたが、それと同時に共同体、それがたとえ幻想であったとしてもそれを徹底的に破壊し、従来の教会共同体であれ、地域共同体であれ、宗教共同体であれ、それらに破壊的なダメージを与えてしまったのだ。その結果、個人は一人ですべてのことに立ち向かわなければならない、「考える一本の」あるいは、「考えることを強いられた一本の」になってしまったように思う。すべての人間が「考える葦」として生きられるわけでないので、非常に生き難い社会を生み出してしまったように思う。そこに、神秘性をもった科学を超越したものが存在する(あるいは将来を予言するものが実存する)、そして、それをもとに共同体を形成するという形での共同体形成がなされていくとき、「考えることを強いられた一本の」に疲れ、そのことに辟易している近代人は、ころっと引っかかり、そっちにあれよあれよと流されていくことになる。

         それが、アメリカで起きると人民寺院事件やブランチ・ダヴィディアン事件、日本で起きるとオカルトブームやオウム真理教、昭和以降に生まれていった新宗教や新新宗教ではないかと思うのだ。確証はないけど。そういえば、イエスの方舟事件として世を騒がせた千石イエスという人が始めた運動は、カルトではないとは思うものの、まさに、この「考えることを強いられた一本の」であり続けることに疲れ、大衆社会に疲れ、その波にのりそびれた人たちが、共同体を取り戻そうとした動きであった、とでも言えるのではないだろうか。

        オウム真理教と共同体性

         オウム真理教は、ある面でいうと、「考えることを強いられた一本の」であることに疲れた若者、大学生が、当時流行であったチベット思想やチベット仏教の正統な後継者であり、最終解脱者を自称する麻原彰晃こと松本智津男被告をグル(導師)として中心性をもたせ、若者としても身体性に基づく、直観性に基づく共同体を自ら再生しようとした運動であると理解できるかもしれない。それは、麻原彰晃こと松本智津男被告自身の存在は契機というか、真珠を構成するような核というか小石の役割を果たしたものの、若者がそこに乗り込み、勝手に共同体への関与をしていくうちに、麻原彰晃こと松本智津男被告の役割も変質し、さらに、彼の発言が共同体構成者の中で理解され、拡散され、独り歩きしていく中で、さらに変質して理解されていった非常にダイナミックな過程があったのではないか、と推測する(ミーちゃんはーちゃんに当事者性がないので推測の域を出ない)

        現代の日本社会における共同体
         日本における共同体は、15年戦争期の国家総動員法で構成された町内会は、緩い共同体性を残すものの、それも、新興住宅地やマンション、団地の登場により、共同体とは言えないほど弱体化しており、個人にとっての共同体は、学校共同体か、勤務先共同体、家族共同体しかないのであり、そこから「社畜」と呼ばれることを拒否し、スピンアウトしてしまった、ニートの皆さんやヒッキーの皆さんには所属すべき共同体すら自分で探して加盟したり、参加したり、あるいは自分たちで作らないと存在しないし、年金未納やら、国保未納をすると、地方自治体や国の制度は非常に手痛いしっぺ返しというよりは肘鉄(たとえば、障害者年金が支給されない、公営住宅に入居できない等など)を食らわしてくれるのである。以下は、その悲哀を味わう直前の共同体を失った人たちの哀歌を二つ紹介いたしたく。


        残酷なニートのテーゼ
        (動画)


        ニート自宅の警備隊(動画)

         しかし、青画面、最近は分かんないだろうなぁ。Windows98やNTなどではしょっちゅう経験したものであった。

        教会による支配としての暦法と
        フランス革命による否定

         今のカレンダーでも、イースターを書いてある日本の市販カレンダーはほとんどないが(英国でもお情け程度に書いていある程度らしい)、日本の市販カレンダーは、教会歴無視で構成されている。Good FridayやAsh Wednesdayはおろか、宗教改革記念日なども書いてない。ただ、日本では、アメリカの文化を引用して変形して、お祭り騒ぎだけ輸入するので、教会歴そのもので生きている人はいない割に、ハロウィーンとクリスマスだけが輸入され、妙に大人だけが騒いでいるらしい。東京の渋谷はカオスになるらしい。今年もすごかったらしいけど。


        2014年の渋谷でのハロウィーンのコスプレ祭りを伝えるニュース
        (動画)
           今年は逮捕者も出ているようで

         中世、そして、現在でも、ヨーロッパ社会に緩やかながら影響を与え、その生活パターンに影響を与えているのはキリスト教暦である。

        フランス革命と暦法

         しかし、フランス革命時には、とんでもない変更が行われたことを次のように紹介している。
         具体的に、中世の間、人間が権威に従って生きてゆくことを可能にしていたものは何であろうか。それは教会によって支配されていた時間であり、暦などによる生活習慣のキリスト教化であった。革命政府は1793年に革命歴を導入しているが、それは一面で合理的である10進法に基づいた暦の制定とも言えるが、教会の暦を禁止して、その習慣のもとに生きていた人々からキリスト教会的な生活習慣を除くという面も持っていたと言ってよいであろう。(p.160)

        と書かれていた。高校生だったか大学生だったか、以前一時期、ジョセフ・フーシェについての作品を読んだり、フランス革命期に関する文章をあさるようにして読んだが、その時、暦法が変わったということは印象に残っていたのだが、その背景は、今回深井先生の本を読んで、「アァ、なるほどそういう意味だったのか」ということを思った。


        革命歴 曜日は、第1曜日、第2曜日…第10曜日といったらしい。


        Happy Holidaysというものいい

         その意味で、日本のカレンダーの暦法は、フランス革命時ほどラディカルではないけれども、キリスト教色を抜いたものになっている。なお、米国でもその傾向はあるが、まだキリスト教の影響は強い。しかし、ディズニーがThanksGivingからCFを流す時Happy Holidaysというのは、アメリカにおけるユダヤ社会あるいは、多元化した宗教社会への対応というよりは、ユダヤ社会で行われるハヌカへのビジネス対応でもあるのである。


        Happy Holidaysと表現しているDisney ChannelのCF(動画)

        出生・婚姻・死亡の教会管理から
        行政管理への移行とフランス革命
         以前、教会の役割のところ、教会の名簿に関連する記事として触れたが、もともと市区町村役場みたいであったことをご紹介したが、実は、市民の出生・死亡を管理していたのを教会から取り上げたのは、フランス革命であったということを、この本を読んで意識を新たにした。英国国教会が、結婚許可証を出しているのは、知り合いの英国人が結婚した時、司教からの許可状をFacebookにあげていたので認知したのであるが、日本が個人の出生死亡を管理するようになったのはフランス革命由来であり、フランスからこの制度をもちこんだのはこの本を読んで過去の知識と初めてつながった。
         革命政府がキリスト教を教会の権威から解放するためにしたことがもう一つある。それは教会からの死の解放であった。死の支配も、中世の初めに教会がヨーロッパをキリスト教化をするためにしたことの一つである。死を教会が支配するのである。(p.161)
        近世日本社会と仏教寺院に委託された
        死亡情報の管理と戒名

         日本では、出生は記録はしなかったものの、仏教寺院が徳川政権期の江戸初期に過去帳ということで管理していくことで、社会管理の制度として脂肪は管理していたのであり、そのため、家庭というか家族制度がどこかの仏教寺院に檀家寺の檀家として登録されることで、日本では仏教という制度が個人を管理する制度になっていった。当時の識字率を考えると、曲りなりに文字が扱える人が末寺を含めて仏教寺院にしかなく、もともと用心棒であった武家集団が改易と呼ばれる幕府による左遷などもあるため、地域住民の個人管理をする気も伝統もないので、文字が使える便利な存在である仏教寺院の僧侶にさせておけ、ということだっただろうし、仏教寺院には、公的に認証され、寺の建築物の建て替えなどを含め、無理にでも支援を要請できる檀家集団ができるというメリットがあったものと思われる。その意味で戒名という名前をつける習慣は、檀家集団としての個人への認証事業と、死亡者管理という側面の裏返しだったような気がする。

        日本ではイオンさんがつい最近
        革命を起こしたかも

         わが国では、明治維新期に廃仏毀釈運動が起きたものの、個人の長期居住がよしとされてきたこと、地域との紐帯が強かったこともあり、さすがに300年近く続いた死亡認証管理システムには手がつかなかったらしく、つい最近になるまで、フランス革命時代以前の状態が日本の多くの人々と寺院との間にあったのだと思う。
         しかし、下の図に示すように、日本人の人口学に言う社会的移動のボリュームが戦後急速に増加し、地域と個人の紐帯が断絶していく中で、旧来の檀家システムが崩壊し、それに伴い現在では、石造墓の管理システムが崩壊し、イオンが戒名までくれるお寺を紹介してくれる時代になって初めて、ようやくフランス革命期の宗教的環境が日本で生まれたのだと言えよう。なんと、200年遅れであるが。


        日本国内の都道府県単位の社会的移動量(絶対値)の総和を示したグラフ


         イオンの葬儀サービスとの関連で思い出したが、同書にはフランスの葬儀社に関して次のような記載があった。

         革命政府は、この仕組みにくさびを打つために一つのアイディアを思いついた。それは教会に依存しない死ということであった。つまり教会の権威に従わなくても死ぬことができ、この世と天国をつなぐ方法である。その具体的な方法として、革命政府は葬儀会社のようなものを設立する。(pp.162-3)

        ですって。 日本ではお寺の権威に従わなくても死ぬ(成仏)ができるようになったのは、イオンさんが葬儀サービスに参入してから、というのが面白い。 まぁ、それ以前から流通産業による葬儀産業への参入が行われたのではあるが、しかし、戒名料込、最小費用45,000円からの紹介料を謳った業者はイオンライフ株式会社さんが最初かもしれない。

         その意味で、イオンライフ株式会社さんは、フランス革命並みの影響力を日本仏教界にもたらしたのではないか、と思う。

         すいません。フランス革命の影響は膨大なので、あともう2回あります。次回はフランスの中編としてご紹介致し度。





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        コメント:ヨーロッパの社会の成立と神学の関係を示す名著、だと思う。

        2014.11.05 Wednesday

        深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その5 フランス編中篇

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           予想外にこの連載が長くなったので、過去記事を追加しておきたい。
           


           今回はフランスの社会と神学とのかかわりとのご紹介いたしたい。今日は平日なので、やや短めだと思う。なお、これまでの記事は以下の通り。


          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
            神学と科学の原型としての自然神学

          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
            ドイツ神学とナショナリズム

          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

            英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解

          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4

            フランス革命と啓蒙思想と共同体性の喪失、暦法の持つ意味


           前回は啓蒙主義時代以前のフランスで、教会が暦法と出生、婚姻記録の管理をしていたこと、日本では仏教寺院がそれに近いことをしていたが、最近の消費社会の結果それが変質してきたことを触れた。

          フランス啓蒙主義とお一人様クリスチャン

           ところで、フランスでの啓蒙主義の結果何が起きたのか、に関して、次のように深井先生はお書きである。典型的には、もともと教会という場所が信仰と結び付いていたのであるが、啓蒙時代を経ると、それが個人の空間、というよりは、個人のこころの問題になっていくことが指摘されていた。

           宗教の場所が変わったのである。宗教は教会という場所から、人間のこころへと場所を移すことになった。これは近代の典型的な宗教の場所である。それまで宗教がになっていた責任が、西ヨーロッパ全体とか、キリスト教世界、あるいは国家や社会の道徳性という全体性や公共性ではなく、個人のこころの中へと移動してゆくのである。(p.164)


           前回の記事でも書いたが、宗教が個人と絶対者の問題に矮小化されてしまったために、信仰共同体という側面が薄れてしまい、以前「大和郷にある教会」でご指摘があった、お一人様クリスチャンの記事や、このブログ記事でもお一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(1)お一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(2)お一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(3)お一人様クリスチャンと元クリスチャン問題とブラック教会を考える(4)、という記事を書いてきたが、その根源は、近代という信仰とそれを実空間で表明、表現する場所が、どうであれ教会を根拠にした共同体から個人の問題にフランス啓蒙主義とフランス革命を通じて移ったというのはこの本を読んで初めて強く意識した。このことは、教会解体を生み出す根拠になっていくというのは非常によくわかるような気がする。そして、それが行きついた先は、現代の日本社会において、職場や学校という役割が与えられる社会組織以外に所属組織をもちにくいことから派生した、新興宗教や新新宗教(仏教系、キリスト教系、神道系を含め)の集団に関与していき、そして、社会に対して、どのような形で影響するかは別として、新しいダイナミズムがそこで生まれていることは、前回の記事でご紹介した。

          啓蒙時代における
          聖書との向き合い方の変容

           同書では、神学の啓蒙時代における変容を3つあげておられるが、そのうち第1と第2のものが影響を持つと思うので、それについて紹介して行きながら、思うところを述べていきたい(第3のものは、本をお買い上げいただいて、ご覧いただきたい)。

           第1に、神学はその時代のキリスト教と同じように公共や、社会というものではなく、人間の心の中にその場所をもつようになるため、神学の心理学化が始まった。(中略)それは、教会やその伝統にも依存しない神学が登場する。まさにそれは神秘主義である。(中略)ここでいう神秘主義とは、制度をはじめとする何らかの仲介物に媒介されていない宗教性のことである。そこでは「直接性」ということが重要になる。教会や伝統や他人がどういおうと、
          なのである。(pp.164-5)


           第2に、神学は宗教学へと解体されていく。(中略)内容は神学であっても、キリスト教の研究であっても、大学では神学部ではなく宗教学部として、あるいは神学ではなく世界宗教の一つの宗教としてのキリスト教の研究という位置づけが神学研究に与えられるようになる。(pp.165-6)


           要するに神学、というよりは聖書理解の心理学化、聖書理解の個人主義化と(伝統というブレーキを失ったことで加速される)心理学化・個人主義化に伴う神秘主義的解釈の台頭ということらしい。我がキリスト者集団を形成した最初のころの人に、この神秘主義的解釈が大好きなJ.N.Dという頭文字の方がいたので、その伝統はいまだに受け継がれているように思う。その意味で、我がキリスト者集団は、いまだに、「制度をはじめとする何らかの仲介物に媒介されていない宗教性」を聖霊の働きと称して極めて重視する。別にそのことを問題視するつもりもないし、そういう方も尊敬しているが、伝統や他人の意見や過去の聖書理解の遺産をガン無視して、「私がこう導かれたから、こうなのだ」と突っ走られるときに、いやはやなんと申しあげるべきか、と悩ましく思うことがある。つまり、「聖霊に私が直接語られたから、こうなのだ」というご意見はご意見として尊重したいが、歴史的にも、共同体的にも尊重されてきたことをガン無視して、左様にご主張なされても、とは思うのですね。

          「私が示された」ことが重要に
           このような信仰形態の場合、直接性が重要になるので、要するに過去の伝統は過去のものになってしまう、とは思うのですが。過去のものとして放置しておいておいてくださったらありがたいのだが、その価値を否定し、伝統を否定するあまり過去と過去のキリスト者から切り取られた、キリスト者集団を生み出していくというような気がする。

           直接性が重要視されすぎると、以下で批判されているようなことが起きるようだ。

           「霊的なことがわかる」と言うクリスチャンのわからなさ

           「霊的なことがわかる」と言うクリスチャンのわからなさ・その2

           「霊的なことがわかる」と言うクリスチャンのわからなさ・その3

           ところで、最近、お友達になっていただいている奇特な牧師先生が、日本のキリスト教大学やミッション系大学での神学部の衰退とキリスト教学や宗教学への転換を嘆いておられたが、その嘆きの原因が実は啓蒙主義とフランス革命とにあり、信仰や聖書などをあまりに客観化しようとするあまり、信仰というか聖書理解についての対話、あるいは、啓蒙主義思想の影響で「護教(キリスト教をわかる言葉で説明する)」という側面が薄くなってしまっているという側面は確かにあるだろう。なお、啓蒙思想は、英国にも影響したし、アメリカの独立戦争にも影響し、特にアメリカの人文関連の研究思想に影響する。したがって、アメリカのアイコン(あるいはイコン)でもあるStatue of Freedomは啓蒙思想にあふれかえった時代のフランスからアメリカに、寄贈されたものである。


          アメリカに贈られる前にフランスで展示されていた頭部

          教義学の衰退と道徳化するキリスト教信仰

           本来、キリスト教が世界に向かって、「自分たちが言おうとしていることはこういうことだ」って主張を説明しようとしたのが多分教義学だと思うのだが(この辺は正規の神学教育を受けてないのでよくわからない)、いろいろなものが啓蒙主義的な理解が幅を利かせる中で、キリスト教も個人化して、神秘主義的なものになってしまう傾向をもつ信仰理解が幅を利かせる社会になる中(その意味で、ポストモダンの根源はこの辺にもある)では、衰退せざるを得ない状況におかれるのは、当然の宿命であったような気がする。そのあたりについて、このようにお書きである。

           神学の主要な学問的な努力の結果である従来の教義学などは、その枠組み(引用者註:心理学的な領域)の中に入れなくなる。そこで神学が逃げ込んだもう一つの領域が「道徳」としての神学というものであった。これは啓蒙主義以降の神学の顕著な特徴で、フランスの神学界のみならずこののちドイツの神学に拡がり、世界中に拡大した神学の新しい姿である。(pp.167-8)


           確かに、ギリシアを出発点とする哲学との対話していくプロセスの中で結果護教の学として確立されて行った教義学は、その意味で人間の精神世界を科学として分析しようとした心理学には、どうやっても逃げ込める余地すらなく、門前払い確実なので、教義学の結果導かれる徳目としての道徳をキリスト教あるいはキリスト教精神へとなっていったのはわからなくもない。以前、組合運動に職場の親睦組織だから、と言ってだまされて加盟させられ、そこで自治会の当番みたいな形で務めるつもりが、当時の組合の委員長がガチ左の人だったので、何をどう勘違いしたかキリスト教と組合の精神には通暁(確かに賀川先生やら、尊敬するリチャード・ニーバーの兄貴、であるところのラインホルド・ニーバーとかは関連が深いが)するものがあるとか言いだして、ミーちゃんはーちゃんも書記長なぞに駆り出された時、組合委員長がガチ左翼のとしての活動に走ったので、お諫めしたがお聞きいれもされなかったので、書記長任期切れと同時に組合を脱会した。

           結局、ミーちゃんはーちゃんの退会を機に、その職域の組合から若手組合員が大量流出し、その組合が完全な任意団体化するきっかけを作ってしまったのだが、当時の組合委員長のキリスト教認識は、道徳としてのキリスト教という印象しかなかったようだ。残念ながら、ガチの福音主義の中で育ったので、ミーちゃんはーちゃんが道徳化したキリスト教という概念は持ち合わせていなかったのが、その組合の不幸の始まり。

           閑話休題。次回へと続く。




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          コメント:神学が造ったヨーロッパ社会、ヨーロッパ社会が造った神学ということが分かる地図のような本

          2014.11.08 Saturday

          深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その6 フランス編後篇

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             前回は、啓蒙主義やフランス革命がもたらしたキリスト教と教会と社会とのかかわりの変容について触れたが、今回は、その啓蒙主義がどう聖書理解に影響を与え、その思想史的展開について、触れておきたい。

             過去記事は以下の通り。


            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
              神学と科学の原型としての自然神学

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
              ドイツ神学とナショナリズム

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

              英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4

              フランス革命と啓蒙思想と共同体性の喪失、暦法の持つ意味

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その5
              神と個人の問題となったキリスト教・宗教道徳と理解されたキリスト教



            教会の学校だったのに、
            教会から離れた大学群

             しかし、教義学(と組織神学)の低迷(たぶん、現在もそうなんじゃないか、と思う)以降、最下部で紹介するアメリカの神学者・倫理学者のハワーワスの本が指摘するように、アメリカの大学は教会の大学としての位置を放棄し、神学部は、本来の神学としての営みが失われ、アメリカのもともと教会立の超有名大学(哈巴土大学耶魯大学普林斯頓大学等)では大きく失われて行っているように思う。本来、欧米の大学、巴里大学牛津大学にしても剣橋大学にしても、そもそもは教会の司祭養成所であり、過去の聖書理解(神学)の遺産(伝統)の保護とそこからの拡張(ないし革新)を充実させていく場ではあったのだ。なお、これらのヨーロッパの大学では、かろうじて神学の伝統はまだ生き残っている感じはする。印象の問題であるかもしれないけど。まぁ、輪がっ国における現在の大学での学問体系(と予算を出す方の価値観)が、啓蒙主義の一部でもある科学実証主義や実用主義に毒されているのでいた仕方のない側面があるのだが。それがいきついた先が、最近のG型大学・L型大学の話題かもしれない。

            住民組織と教会が分離した時代

             教会が住民組織としての性質を失っていったり、国家と対峙して、意見を言う存在ではなく、フランスという国家によって変質していく経緯に関して、次のように指摘しておられる。

             象徴的な出来事は1782年9月20日の立法議会での決定で、国民の民事に関する認証を教会から地方自治体に移すための決議が行われた。たとえば出生届や死亡証明書を派考するのはもはや教会ではなくなった。結婚も役所に届けることで成立することになりいわゆる民事婚というものに変ってゆく。教会が残して板洗礼証明書は役場が出す出生証明書となり、結婚証明書、死亡届もみな同じことになった。これは明らかに宗教生活の教会による管理から国家による管理への移動なのである。いまでは民事に関することを国家が行うことは当たり前であるから気がつかないが(後略)(p.171)
             現代の日本も、このフランス民法を一部範に取った(コピペではない)民法精度であるので、今ではすっかり自治体が出生、婚姻、死亡をつかさどるのが当たり前になってしまっているが、これは、フランス革命の産物であるということ、実は、この背景に国民皆兵制度があり、これがあるからこそ、召集令状(いわゆる赤紙)の発行ができたというのはあろう。


            奈良県立図書情報館のサイトで公開されていた
            1945年8月15日に大阪市法円坂町(現
            国立病院大阪医療センター)にあった
            部隊に出頭を要請する臨時召集令状


            教会外のキリスト教?

             先にフランス革命と啓蒙主義の結果生まれた個人主義化したキリスト教のことについて触れ、心理学化したキリスト教の話しを書いたが、それが一歩進むと、教会外のキリスト教になり、そして、それが社会批判とつながり、左派的な何かとの親和性を持つことに関して、このようにお書きである。

             この時代の社会的なコンテキストから言うと、一方に「教会的な神学」、あるいは伝統的に教会やキリスト教文化に責任をもつ神学がある。他方で「教会外のキリスト教」、「啓蒙主義的なキリスト教」というのは、要するに教会嫌いのキリスト教、教会の文化や権威に批判的な人たちが、あるいは教会は嫌いだけど、宗教は大事だと考えている人が営む神学であるから、彼らの神学は、神学による社会批判という側面をもつことになる。(中略)彼らはイエスと私、あるいは神と私がいれば宗教としてのキリスト教は成り立つと考えたわけである。(p.173-4)
             ミーちゃんはーちゃんがもともと国教会制度を否定し、国教会の文化や権威を否定しまくったグループの日本で独自に発展した集団にいることや、世俗の仕事上でもCritical Thinkingとのかかわりが深いことをしているため、啓蒙主義的なキリスト教の要素はかなり強いとは思うが、それではまずいと思っている。教会は共同体において、形成されると思っているし、共同体の霊性は存在すると思っているので、イエスと私、神と私だけで成り立つキリスト教はかなりまずいのではないか、とは思うが、自分自身の聖書理解や自派で語られる聖書理解に、この種の傾向が強い部分があるのは、多少は認識している。実は、このことは内村先生の無教会主義ともどこかで共通の根をもっているように思えてならない。

            聖書学と教会の不幸な関係

             この本を読んで初めて知ったことに、内村鑑三の聖書理解をフランスで再現したような雑誌があったことである。内村先生は、教会から追い出されるような形として無教会に走ったのだが、この人たちは、自主的に教会と対立的な立場をとり、その対立軸に当時最先端であった聖書学を利用しようとした、という側面はあったように思う。つまり、テキスト批評が教会批判の道具として用いられた、ということらしい。
             この雑誌(引用者註:『心の友』という雑誌、リヨンの医師によって1年2カ月で終息、同書によると詳細は不明とのこと)は、教会に行かなくなった「教会外のキリスト者」としての彼らの宗教性に応えるため、毎週末に発行され、彼らは週末に届くこの雑誌に掲載される聖書の研究やキリスト教に関する研究を読むことで、自らの宗教観を養おうとしていた。(中略)即ち、制度としての教会を批判するために聖書学の知識に援助を求めたのである。この対立図式は、今日の教会の神学と聖書学との対立図式にそのまま対応している。(p.176)
             このことは、福音派の中でも、だいぶ後になって、波紋を起こす。そのあたりの裏話をよくご存知と思われる、いまは農業従事者をしておられる方が、このような聖書学と福音派の関係について、非常に印象的な記事をお書きである。

              「聖書論論争」の頃:The answer my friend is blowin’ in the Wind(Bob Dylan)

             この時代のころについては、ミーちゃんはーちゃんはよく知らないので、何ともいい難いが、福音派の中でもラベル貼りというか、レッテル貼り競争事件というか、不幸で不毛な罵りあい合戦が行われた模様である。

             いまは昔、ラベル貼りの翁ありけり。

             そして、啓蒙時代に聖書学を用いて、教会文化を否定していった手口について、このように書かれている。

             繰り返し主張されたのは、イエスの福音とパウロの教会的キリスト教との差異、イエスの宗教的自己意識とパウロの贖罪論との差異などである。これらは、教会批判者によって聖書学の成果が利用され、聖書学者もそれに協力していた典型的な例である。そこでは聖書学は一つの歴史科学であり文献学である事を越えて、立派に教会政治上の役割を果たしているのである。それはまさに新しい神学の機能である。それは明らかに学問の「権威」を借りた教会の「権威」批判だった。(p。177)
             啓蒙時代は、科学が絶対であった。科学が絶対であるがゆえにその科学と親和性が高いがゆえに、文献学というのか、聖書学が学問、というよりは、当時非常に重視された「科学」の立場を借りて、それまでの教会文化や教会の権威を否定していくことになったと思われる。

             教会の権威にチャレンジするために用いられた聖書学というかテキスト批評は、ドイツで発展した(理解が違ってたらごめんなさい)はずだが、それがフランスや、英国、そして、米国に持ち込まれることになる。そして、この概念が、米国のエリート養成系になった教会立学校であった、哈巴土大学耶魯大学普林斯頓大学等に持ち込まれ、これらの教育機関で教育を受けた牧師が所謂メインラインと呼ばれる米国の教会に入っていくことで米国の東部の教会群に広がっていく。そして、これは、リベラル派とラベルが貼られることになる。なお、ミーちゃんはーちゃんをアメリカのメインラインの教会の影響を受けた、福音派の一部の方がリベラル派とラベルを張る方々とも対話するので、リベラル派と誤解しておられる方もおられるが、多分、そのラベルは、看板に偽りあり、になると思う。

            ニーチェについて

             フランスの啓蒙思想を受けた思想家の一人にニーチェがいるが、啓蒙思想と教会嫌いのキリスト教という観点から、ニーチェに関して、非常に含蓄のある表現を深井先生は残しておられるので、ここで紹介する。

             この事をドイツ語圏で別の文脈で、しかしほぼ同じ仕方で語ったのがニーチェだった。ニーチェはキリスト教をトータルに批判したのではなく、彼の立場は、真のキリスト教徒がいるとするならばそれはイエスだ、という逆説的な言葉に表れている。彼自身はイエスと直結した信仰については否定していないのだと思う。彼が否定したのは、その後の教会によって作り上げられて現世の道徳となった教えや神学のことであった。(p.178)


             ドイツ系哲学の基礎素養がないし、ニーチェは読んだことがないので、よくわからんが、ニーチェが否定したのは、その後の教会によって作り上げられて現世の道徳となった教えや神学のことであった、らしい。

             結局、人間ってどうしようもなく、「その時代の必要に応じる」とか、「その時代の人々に語る」とかいいながら、現在Facebook嬢の読書会でちょっと話題にもなっているが、時代依存的な聖書理解を作り上げていくので(正確に言うと、様式だけ残すと、本来の中身が分からなくなり、たとえば、江戸期の隠れキリシタンのように、御子フィーリオが、肥料になるとか、その時代の言語に合わせて再解釈していかざるを得ないので)、どうしてもいろんな余分なものが入ることにならざるを得ない。では、聖書主義に立つ、そして神学教育を否定したとしたところで、こういうことは起きてないかというと、ご本人たちはお気づきではないが、独特の聖書理解の特徴と教会における行動様式の違いは発生するので、別の余分なものが入っていることには違いがない。

             以上、異様に長くなったがフランス編終了といたします。次回(1回のみ)は、いよいよ、米国に入っていきます。




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            コメント:訳は読みにくいけど、書いてあることは非常に重要。アメリカを代表するキリスト教倫理学者のまとめた大学と教会のかかわりに関する本。

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            コメント:とりあえず、手っ取り早く、社会と神学のかかわりを知るにはよいと思う。

            2014.11.10 Monday

            深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その7

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               これまで、中世、英国とピューリタンのルーツ、ドイツ、フランスと思うことを書いてきたが、今回からはアメリカにうつりたい。

               なお、これまでの連載記事は以下の通り。


               過去記事は以下の通り。


              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その1 
                神学と科学の原型としての自然神学

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その2
                ドイツ神学とナショナリズム

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その3

                英国国教会とピューリタンの出発点、革命思想と千年王国理解

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その4

                フランス革命と啓蒙思想と共同体性の喪失、暦法の持つ意味

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その5
                神と個人の問題となったキリスト教・宗教道徳と理解されたキリスト教

              深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ その6

                大学、神学とキリスト教の不幸な分離・批判の道具と化した聖書学



              ピューリタン国家として
              建国しようとしたアメリカ

               最初にだれがアメリカにユーラシア大陸から渡りついたか、ということは、現在のネイティブアメリカンのご先祖様や、バイキングの北欧人だ等と諸説あるが、現在のアメリカ合衆国という国家の建国に当たっては、プリマス植民地に居付いた元イングランド人ピューリタンが、大きな役割を果たしたことは論を待たない。そのことについて、深井先生は次のようにお書きである。

               ピューリタンはこのようなイングランドでの不徹底な改革に満足できずに、新しいキリスト教的アメリカを再建するために新大陸を目指した。もちろんアメリカを建国したのはピューリタンだけではない。ピューリタンの国アメリカというイメージもあるが、ピューリタンはアメリカのグランドデザインにかかわった一つの重要な勢力にすぎない。しかしいくつかの要素の一つであっても、決定的な影響力であった(中略)そこ(アメリカ憲法修正第1条)に記されたように国営の教会、公認教会を認めないという考え方はピューリタン神学のアメリカでの社会化といってよいと思う(もちろんすべてのピューリタンがそのように考えていたわけではないが)。 (p.183)
               シンプソンズでも、Mayflower盟約などに関するエピソードをThanks Givingに合わせてする。下記は、その時のワンシーンである。


              Thanks Giving DayとMayflowerをテーマにしたシンプソンズのシーン

               下記の動画は、Bowling for Columbineというマイケル・ムーア監督作品中に挿入された、アメリカの略史(特に銃関連)をかなりかりカルチュア化したアニメーションである。最初に自宅でこの映画見た時は、コーヒー吹きそうになった。


              ピューリタンから現代アメリカに至る略史を銃を鍵にカリカルチュア化して描いた
              Bowling for  Columbineに挿入されているアニメ


               ちなみに、この映画及びアニメでは明確に触れられていないが、アメリカでは、19世紀くらいまで、ネイティブアメリカンや、アフリカ系アメリカ人の始祖に当たるアフリカ人奴隷は動物とされていたことだけは付言しておく(従って、当時殺すことに抵抗感はなかった模様)。


              フランス革命の結果、個人化した信仰と
              アメリカの神学の傾向

               フランスは革命の結果、市民的自由が市民に与えられ、王制からの脱却すると同時に、教会の神学からも解放された。そして、理性信仰、啓蒙主義の世界における脱教会化した宗教世界が繰り広げられ、その前後に生まれたアメリカ合衆国は、ピューリタンの自治権確立という意味では市民的自由と市民による自治権を獲得したし、英国から遠いこともあり、ある程度の自由を獲得していたものの、つまり、国教会にうじゃうじゃ言われずにを聖書理解を樹立するくらいの自由を確保していたのだが、最終的に英国が戦争するための税負担問題に端を発して、武力による独立戦争の結果、確立した国家でもある。その意味で、非常に市民の自主性を重んじる文化が生まれ、個人主義的な文化へとつながり、宗教的思惟に対しても個人の考え方に対する寛容(それが憲法修正第1条に書かれている)が先に立つことになる。そして、自分(と自分たち)にとって役立つか、合うかどうかが、価値基準になる。

               「よい神学」は、いまの自分にぴったりの答えをくれる、「使える神学」なのである。そして、多くの人々がそれに賛同すると、市場もマスコミもそれを取り上げ、それがこの市場原理の中では正義になったり真理になったりしてしまう。神学の良しあし、真理性などを決定するのは、もちろん教会や教会ではないし、神学部でもなく、あるいはもちろん国家のような機関でもなく、大衆の声が市場を支配することになってしまう。
               そこに、神学にとっての一つの誘惑が生まれる。元来規範的な性格が強かった神学が、いつのまにかマーケティングを経て、人々に賛同を得られるような、時代のニーズにこたえた、時代精神に呼応する神学を生産するようになる。神学は、批判性を失い、マーケットを支配する匿名の大衆のニーズにこたえるような言葉や思想を節操もなく書き始めるようになる。(p.196)
              と、深井先生はお書きである。そして、お金持ちでインテリ層に向いたリベラル神学があり、中西部の農民層に受けた原理主義(Bible Fundamentalism)があり、そして、西部のカリフォルニアあたりの高学歴層では、聖書の霊性(スピリチュアリティ)と結びついた、ニューエイジ風のキリスト教界なども生まれるようになってくるし、被差別対象であったアフリカン・アメリカンやヒスパニック、アジア系移民の中では、ペンテコステ運動が広がることになったという歴史的経緯がある。

               それぞれがおかしいといっているのではない。それぞれを構成する方々は、ミーちゃんはーちゃんの聖書理解には合わないところがあるものの、ミーちゃんはーちゃんにとってキリストのからだ(Corps Christi)をなす方々ではある。そして、エスニシティごとに異なるキリスト教会を形成していたりする。中国系の方々は、中華系教会に集まり、ハングルを話される方々は、韓国系教会に、スラヴィック系の方々はスラヴィック系教会にお集まりになる。また、ギリシア人は、ギリシア正教教会に、ロシア系の方々は、ロシア系教会にお集まりになる。場所がない時は、時間帯を変えて、それぞれの宗教集団が他のキリスト教界から会堂をレンタルする形での非常に多様の宗教シーンが繰り広げられているのがアメリカの都市におけるキリスト教界のシーンである。

              アメリカの地方部で
              近年成立しなくなった教会
               とはいえ、ちょっと田舎に行くと、いける教会はそこしか教会がない、というところもないわけではない。田舎町では、1980年代から教会が運営できなくなったことも映画の一部にある。「この森で天使はバスを降りた」などには出てくる。下記の動画の1時間31分ごろからそのシーンが出てくる。
               この映画に描かれたアメリカの地方が非常に美しい。この映画に描かれた人間関係は結構えげつないけど。


              「この森で天使はバスを降りた」の全篇 
              1時間30分ごろからが人が集まらなくなった教会のシーン

              ファースト神学?使い捨て神学?

               そして、多様化したキリスト教界では、教会の会員数の多さが、宗教市場でより受け入れられている妥当性を示すことになり、数が正義となる傾向を持ってしまう傾向もあるように思われる。そして、それが進むと、繁栄の神学の概念で止まるならまだしも、繁栄を求めて、繁栄を神の座につけようとし始めると、それは問題ではないか、と思う。そして、それは以下の指摘につながるかもしれない。

               匿名化した大衆のニーズにこたえる使い捨て可能で賞味期限の短い神学を生み出すことになってしまう可能性が高い。(p.197)
               このことに関して、北の百姓トンちゃん様ある記事の中で、日本の福音派のキリスト教がアメリカから影響について、次のようにご指摘である。少し長くなるが引用しておきたい。

               私は高校生の時代に、アメリカ人と知り合いになりたくて宣教師の集会に行ってクリスチャンになりました。アメリカは遠い遠い夢の国でした。私たち団塊の世代にとって、新しく格好のいいものはすべてアメリカから来ました。テレビ番組や映画も、雑誌も、「コーク」も「マック」も、カレッジフォークやジャズやロックのような音楽も、アパレル(そんな言葉はありませんでしたが)や車や生活様式も、みんなひっくるめてメイド・イン・USAのファッションでした(そのすべてが私の青春です)。

               キリスト教の世界もあまり変わらないかもしれません。私が上京した1967年に2度目の「ビリー・グラハム国際大会」が行われ、英国の歌手クリフ・リチャードが歌い、引退したNYヤンキースの野球選手が証しをしました。戦後民主主義のように、福音派においては神学の世界もアメリカでの学びによって導かれて来たように思います(どちらも決して軽視したり否定したりして言うのではありません。私たちのその子です)。宣教や教会形成に関わる分野では、新しい波は、私が牧師になった70年代から80年代にかけて西海岸の神学校から来ました。日本のバブルに乗ったような右肩上がりの教会成長論や(予算計画を含んだ5年計画や10年計画が教会や牧師のビジョンと呼ばれました)、いわゆる聖霊の第3の波と呼ばれたような、その後のカリスマ運動やリバイバル運動に繋がる動きです。そういう一つひとつが、「あれはいったい何だったのか」という思いの中で自省されることもなく時代の流行のように消えて行き、ただその形跡として崩れたもの、何か大切なものを失った痕跡が残り、そこにまた彼の国の現実や文化の中で生まれたより健やかで洗練された新しい波が太平洋の向こうから来ます。成功例はあるでしょうが、生活や歴史文化に根がないアイディアなので受けとめる側にとっては新しい方法論にならざるを得ません。それらは聖書的な教会論の装いをしてはいても本質はいつも牧師がCEOであるような実利主義的な教会運営論・管理論のように私には思えます。南米や韓国に生まれた運動や人間力学の影響も少なくありませんでしたが、私の印象では基本的にはケチャップとマスタードの味をベースに、より刺激の強いチリペッパーやコチュジャンの味を加えたようなものです。実際、韓国の福音派キリスト教は、儒教的人倫体系を基盤にしていますが、非常にアメリカ的です(ある有名教会に属していた私の友人は、植民地下を生き抜き、教会活動の陰で熱心に祈っていた高齢の婦人たちが天に召されて、教会にはイベントだけが残った、と言っていました)。

               これは新しい伝道方式だと言われる教会では、 ゴスペルミュージックが歌われ、 ホットドックにコカコーラ、スターバックスが似合うような雰囲気で(これらも私の好きなものです)、実際にドリンクの自動販売機が置かれていたりします。それが今の社会のライフスタイルですし、文明的にも、文化やエンターテインメントの世界でも、アメリカ的消費社会に誘導されているのが世界の現実ですから、新しい世代への伝道のアプローチのためにはやむを得ないし、自然で必要なことかもしれません。しかし、そういう中で伝えられているメッセージが、アメリカのポップカルチャーに彩られた古いディスペンセーション神学のイデオロギーであったり、価値観や世界観におけるアメリカニズムであったりするのを見ると、日本の福音派キリスト教は、時代の流れとともに多様化はしましたが、いつも新しいものはアメリカから来るということにおいては、私の高校時代から――いや戦後の焼け跡の時代から――何も変わっていないのではないかと思わされます。時代とともに変わったものがあるとすれば、もしかしたら、(これもある種のアメリカの福音派の影響で)かつての敬虔主義的福音派が大切にして来た聖書の福音そのものの理解かもしれません。「いのちのことば社」の古い本を読んでいると(たとえば、オズワルド・チェンバーズの『いと高き方のもとに』のような)、そこに語られているような信仰と教理の言葉は、もう私たちの宣教や証しの言葉、そして賛美の歌の言葉にはなくなっていることに気づき愕然とします。時代精神ともに失われたものは、時代や流行とともに変わってはならない、十字架と復活の福音にとって大切な本質的なもののように思えますが、何をいつどう失ったのかも分からなくなっている中で、悪貨が良貨を駆逐している感じがします(たとえば、信仰生活の同じ主題についての本でも、昔書かれたものの方がずっといいのですがもう読まれず、あるいは読む信仰的資質や体力が失われ、今のものは新しい時代感覚で同じ真理が言われているというよりも、新しい感覚から出る言葉がナルシシズムの文化の中で福音の大切な本質からずれてしまっています)。

               その意味で、深井先生のお書きになったことを合わせると、日本のキリスト教も、やはり、アメリカから来る使い捨ての神学を次々と取り込み、福音の大切な本質をどっかこっかに置き忘れてきたのかもしれません。その結果、それぞれが自分自身こそ正統だといい、そして他社を一段低いものに見たり、同じキリストのからだであるものに対する否定的な意見が出てくるのではないか、と思います。

               なお、韓国のキリスト教が非常に儒教的であることに関しては、2014年ころからの「福音と世界」の連載「市民K,教会を出る」に詳しい。その紹介はこちらから。

               最近トンちゃん様がお出会いになられた、お隣の国のちょっと困ったキリスト教に関しては、こちらから。

              神学あるいは聖書理解という営為と
              プラグマティズム
               深井先生は、神学、その言葉がだめだというのなら、聖書理解とは何かを概観しながら、プラグマティズムと比較することで、聖書理解という営為について、このようにまとめておられます。

               従来、神学という学問は既に措定されている真理を解明し、時代状況の中でどのように解釈し、言語化するかということを考えてきたので、論理的整合性と普遍性、そしてそれを操れる哲学や体系、言語を探求してきた。しかし、プラグマティズムはまず実践的にやってみるのである。(p.199)
               この中で、状況の中で、解釈し言語化するというのは、重要だと、ミーちゃんはーちゃんは思っているのだが、しかるに、わがキリスト者集団は、それは学問的だ、ということで、そのような取り組みを相当否定してきた。その意味で、よく言えば、現場立脚型であるが、半面、非常にプラグマティズム的である側面を持っている。そして、それぞれの教会の置かれた文脈とか環境とか無視して、ほかで成功した事例を安易にやってみたり、有名な巡回説教者の真似してみたりということがまま起こる。その結果、環境に合わせるのではなく、過去の説教スタイルがそのまま残ったり、時代の変化に合わせるのではない化石化が始まる教会もあるように思う。

               なお、アメリカのキリスト教史をもう少し知りたい方には、以下リンクで紹介する2冊の本を紹介する。

               森本あんり著 アメリカキリスト教史
               ジェイムズ.P.バード著 森本あんり訳 初めてのジョナサン・エドワーズ 

              全体のまとめ

               ご紹介した『神学の起源』という書籍には、もう1章ありますので、そこは是非ご自身でお読みくださり度お願い申し上げます。大事なので。ここまで、ヨーロッパに始まり、ドイツ、英国、フランス、アメリカと降れてきたが、こうやって、キリスト教のヨーロッパやアメリカにおける全体像を見せられると、やはり、キリスト教は、時代とともに、時代にある人々とともに、如何に普遍的な聖書理解を維持しつつ、時代の必要と時代の言葉に合わせて、語ってきた結果であることがわかる。だからと言って、神のことばの真実性が変わっているということを主張するつもりはない。神のことばが変わったから、教会で語られる内容や方法が変わったのではなく、教会を構成する人々とそれを取り巻く環境が変わったから、真理をもとにそれを伝えるために教会で語られる内容が変わったにすぎないと思うのだが、違うだろうか。

               またぞろ、長々とした連載になりました。お付き合いいただき、感謝いたします。次回、軽めの話題を挟んで、次々回、またややこしめのお話を。






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              コメント:アメリカキリスト教史を概観するために絶対に欠かせない本

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              コメント:アメリカキリスト教史を語る上では欠かせない、ニューイングランドのピューリタンの伝統を引き継ぎ、今なおアメリカ人に影響を与え続ける人物の評伝。

              2014.11.12 Wednesday

              日本のキリスト教界の正倉院化またはガラパゴス化

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                 今年もまた、秋になると始まる関西の恒例行事、奈良の国立博物館で正倉院展が始まっている。そして、奈良国立博物館は、正倉院御物を見ようとされる方々が黒山の人だかり、という言葉がふさわしいほど、多くの人々が集まる。参加者によるとシルクロードを介した東西交流史などへの歴史ロマンが感じられるそうだ。なお、一応今日まで正倉院展は開催中らしい。

                正倉院展2014
                2014年の正倉院展のポスター

                 奈良に帝のお住まいがあらっしゃいましたころ、当時のシルクロードと呼ばれる大陸の交流路やインド洋を回って、マラッカ海峡を越えてきたかどうかわわからないが、とにかくアジア大陸の西方から渡ってきた、当時の舶来の文物の高級品や国内の産物で貴重な高級品で宮廷にあったものが、東大寺の正倉院と呼ばれる超大型倉庫に寄付や保管されたりしたものを、年に1度だけ、奈良の国立博物館で拝見することができるらしい。人が多いのは嫌いなので、最近は、あまり行っていない。

                瑠璃ガラス
                正倉院御物の瑠璃杯

                ガラパゴス化?正倉院化?
                 最近、あるセミナーに参加した時、日本のキリスト教がアフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパや、他のアジア地区の聖書理解が伝えられないために、どこかガラパゴス化している可能性があるのではないか、という話が出た。個人的にそもそも進化論を信奉はしてないし、それについて目くじら立てて何が何でも論争しようなぞと思わないが(実質的に利益がないと思っている。論破したところでキリストの弟子となる方は増えないと思うので)、ガラパゴス化というのはあまり適切ではなくて、正倉院化だと思うのだ。

                ガラパゴス化

                 ガラパゴス化は、非スマートフォン型の携帯電話が日本独自の仕様を突き詰めてしまった結果、世界標準がスマートフォンになってしまったがために世界市場での市場支配力を失った現象をさす時に使われた言葉であると記憶する。IT辞書バイナリーでのガラパゴス化の説明が秀逸なので、一部引用する。

                ガラパゴス化とは、市場が外界から隔絶された環境下で独自の発展を遂げ、その結果として世界標準の流れからかけ離れていく状態を揶揄する表現である。
                 日本のキリスト教は、隔絶されている。世界標準からもかけ離れてきつつあるかもしれない。しかし、携帯電話におけるi-modeのような国内独自の発展は遂げていないと思うのである。(しかし、どこ行ったんでしょうね、docomoさんのi-mode)麦わら帽子と一緒に谷底に転がっているかもしれない。

                「あの麦わら帽子…」が有名になったの野生の証明の予告編

                 しかし、日本のキリスト教は、ガラケーのオサイフ携帯やi-modeの独自仕様のように、独自に発展しすぎて、世界標準の流れから離れて行ったのではなく、独自に発展しなさ過ぎて、というか、もともとの形を固守した結果、世界の動向から切り離されてしまって、化石化が進んでしまって過去に世界中のどこかであった歴史的なキリスト教様式の博物館状態になっているのではないかと思うのだ。その意味で発展もしてないので、正倉院化という方が適切ではないか、と思うのだ。どうも、ツィ友の発言によると、インドもそうらしいが。

                 まぁ、よく考えれば日本の仏教も似たようなものかもしれないが、それなりに時間を経ている分だけ、日本で独自に発展している部分はあるように思う。妻帯の問題等を含め。

                現地化せずに、伝えられたままが
                日本で残っているキリスト教文化と行動様式

                 それは、ミーちゃんはーちゃんが片隅に生息させてもらっているキリスト者集団を見て、個人的に思うところである。我がキリスト者集団は、19世紀前半にアイルランド島でのキリスト教復興運動が英国に飛び火し、中国インランドミッションを飛び石として、戦前、戦後に日本全国に広まった平信徒主義運動を母体としているが、この中国インランドミッション関係者が英国や、北米を出たころのキリスト者としての行動様式論や文化が若干日本風にアレンジされながらも、日本で定着しそれがキリスト者としての行動様式論や文化的標準となっている。

                 しかし、英国本土やアメリカ合衆国本土では、19世紀末から20世紀初頭の行動様式はすでに廃れていて見向きもされていなくとも、日本国内では、厳然とその行動様式や文化が見事に残っているので、それを標準と思って米国や英国に行ったら違和感が存在した、とか、割と若い米国や英国からの短期宣教者が日本に来たら、あまりに母国と違っていて違和感を感じたとか、軽い摩擦が起きた例を知っている。まぁ、英国や米国とのつながりは細々と、かつ断続的にあるので、『デウス』を『出臼』、『ヒィリヨ(御子)』を『肥料』と当て字をしたキリシタンほど断絶はしていない。

                結構あちこちであるのかも?

                 こういう事例は、ミーちゃんはーちゃんが所属しているキリスト者集団だけだと思っていたら、こないだ関西の牧師先生を中心とした研修会で、無謀にも講師役を務めさせていただくというありがたい経験をさせていただいた。その講演後の参加者の先生方とのディスカッションの中で、これは、我がキリスト者集団だけのことではなく、かなり広く戦後日本に宣教師によって伝えられた聖書理解に固守する傾向が相当一般的に他のキリスト者グループでも観測される、とのことが言及があったんだなぁ、これが。お話しをお聞きしながら、「え、マジッすか?」と思ってしもうた。

                 宣教師の日本定着が長くなると、母国のキリスト教文化や聖書理解の動きと切り離され、母国に帰って今浦島になる事例は多々あるのは知っていたのだが、それと同じようなことが聖書理解でも起きているらしい。

                 ディスカッション中に御教示頂いたことによれば、ある教派の神学校や聖書学校で『これが聖書的だ』と教えこまれてきた人が、いざ御本人が「さぞやその研究が進んでいるだろう」と思ってその分野で過去有名だった海外の神学校に行ってみると、日本国内で教えられた内容がガン無視されている事例に結構出会うようなのである。

                有名どころだけがおっかけられ、
                無名になるとガン無視される傾向

                 また別の例でいえば、仲よくしていただいている牧師先生は重要なことをお話しされているオランダの神学者を一生懸命個人的におっかけていらっしゃっるのだが、なにぶん、日本では、他の人が無視してたり、国内でほかの研究者が「オッカケ」していないという理由であるがためだけの理由の故に無名であり、その重要性が認知されず、何となくなんだかなぁ、という思いをしておられるような印象がある。ご本人はそうでもないかもしれないけれど。

                 そういえば、日本では、アジアの他国の聖書理解や霊性の特徴は、ほとんど知られておらず、アフリカ諸国の聖書理解や霊性の特徴はほとんど顧みもされていないのではないか。その辺がアジア圏からの宣教者が起こしてしまった最近の不幸な出来ことの一因にもあるように思うのだ。

                 東方教会もそんな感じがある。東方教会の聖書理解や霊性は、ミーちゃんはーちゃんは、最近東方教会の司祭様とヴァーチャルなお友達になっていただくまで、身近に感じることができなかったのも事実である。福音派の片隅にいたので、正直言うと、イコンは偶像か?と思うほど無知であったのである。同じ東方教会でも、アフリカの温かいところに行くと涼しさを感じる青系統の原色系が多用され、ロシアとかの寒いところに行くと温かさを感じる赤系統の原色系が多用されるような傾向があるところなどは、非常に面白かった。


                エチオピア正教のイコンとビザンチンのイコン
                図像的には似ているのに聖母子の着ている服の色に違いがあったり
                天使の顔の肌の色が、エチオピアでは褐色で、ビザンチンでは白っぽいのが面白い。

                 正倉院御物として伝来したのは東西交流がかなり盛んに行われたシルクロードとその周辺の文物ばかりで、アラビア半島やら、ヨーロッパやら、あるいはフィリピンやインドネシア、東南アジア諸国やアフリカ諸国の文物がたくさん含まれているか、というとそうではない。一部、沈香のように中国経由で入った香木はあるけど。その意味で、今の日本のプロテスタント教会では、教派間の交流が妨げられた結果、150年から40年くらい前までのアメリカとイギリスとドイツで起きた宗教思想がそのまま、動態保存されているような正倉院化が進んでいるような気がするのだが。


                何のために本を読むか

                 基本的に、ミーちゃんはーちゃんは、結構何でも読む。もちろん、あうあわないはあるので、結構好き嫌いはする方であるが、キリスト教書を読むのは自己を正当化するために読んでいるのではない。多様な概念に自己と自己の抱える概念をさらし、比較対象してみて、うーん、この人の主張と自分の考えとの違いは何かなぁ、この辺は合うけど、この辺は違うかなぁ、その違いはどこから来るのか、特に聖書的な概念の違いはどのあたりにあるのだろうか、と思いながら、自分自身を見直す為に読んでいる。

                 おそらくこの作業をやめたら、考えなくて済む。断定的に、これが真理だと言えば済んでしまうから。しかし、そんなことを言えるほど、ミーちゃんはーちゃんは偉くないことは知っているので、そういうことはいわないし、言いたくない。ただ、自分はこう思う、というのが精いっぱいである。独断的な、独尊的な生き方、その方が幸せな生き方かもしれないが、しかし、共同体という中で生きている、ということを考えた瞬間にその共同体の多様さを考えると、どうしても独尊的になれないと思う。その意味で、いろんな考え方を知りたいと思う。

                 ミーちゃんはーちゃんにかまってくださるありがたい先生方は、こういうのがいいよ、こういうことを考えているのなら、こういう本があるよ、とブログやFacebookで教えてくださる方が多いのだが、英語で書かれた本が多いのがねぇ。

                正倉院化した日本のキリスト教界の今後と
                信徒のための聖書理解の充実
                 これから、信徒が少なくなることが予想される中、司牧を経済的に支えることがどんどん困難になる中で、信徒が中心にならざるを得なくなるのではないか、そうなったときにまともな本、そして、信徒レベルが読んで意味がある本(わかりやすいとは言わないけれども、悪訳でなく、著者の主張がきちんと伝わり、自分自身の信仰が問い直されるような本)の出版が、これまで以上に大事になるのではないか、と思う。

                 その意味で、売れる本を出すことも大事だけど、売れるだけでなく、読む意味がある本を発見して、それを日本に持ち込む努力をキリスト教界の先生方には、定番商品化しやすい超有名人の本や読みやすい本だけでなく、いろんな本や考え方をご紹介してほしいかなぁ。と言って、キリ書業界関係者の首を絞めるような発言をしてみた。

                 そして、信徒の皆さんには、これはなんとからだから、(たとえば、リベラルな考えだから、不敬虔な考え方だから、聖書的でない考え方だから)と便利なお札(ラベル)を張って、終わりにするのではなく、もうちょっと対象そのものをちょっとは色眼鏡で見ててもいいから、批判の対象そのものと向き合う努力をする人が増えてくれたらうれしいと思う。

                 ラベルの張り合いの愚に関しては、北の百姓トンちゃん様のブログ内のこの記事をご覧いただきたい。

                千社札
                お札の例




                2014.11.13 Thursday

                日本のキリスト教会が正倉院化した原因 再考

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                   本日は例外的に緊急公開。

                   さて、昨日の記事で、日本のキリスト教会が正倉院化しているかもしれない、ということは指摘した。しかし、その原因はあまり触れていなかった。

                   お友達になっていただいているありがたい南の島のオカリナがお得意な牧師の方から、Facebook上で、異教社会の中にあって、その信仰を守り通そうとするかたくなさ(頑固さ)が多様な教派的伝統を固守した結果生まれ、結果として、非常に古い形を残したままのキリスト教が、割と保存状態のいい状態で、現在もなお残っているという、正倉院化を生んだのかもしれない、というご指摘(大意)があった。


                  橋頭堡(空挺堡)確保作戦を強いられた
                  日本のキリスト教会

                   つまり日本という伝統宗教社会の中にあって、キリスト教の教会はキリスト教の橋頭堡(空挺堡)状態におかれたために、よって頼るべき信仰を堅く守ろうとして、ある時代に伝えられたものを守るしかなかったのではないか?という御説である。

                   なお、橋頭堡(空挺堡)というのは、渡河作戦または上陸作戦、ないし空挺作戦において、一番最初に確保する陣地確保作戦であり、上陸地点で、後続の部隊の安全な渡河または安全な上陸、集結を容易にするための確保するための仮陣地のことであり、この橋頭堡(空挺堡)は、敵の激しい攻撃にさらされる一種のSuiside Mission(自殺行為的な作戦)であるため、この設置作戦においては、一種の無謀さ、野蛮さと強靭な精神力を求められることとなる。米軍では、この種の作戦は、米国海兵隊が最も得意とするところであるとされる。有名な作戦は、D−Dayやらインチョン上陸作戦やら、沖縄戦である。


                  Saving Private Ryan の予告編 橋頭堡確保作戦が非常に厳しいことがわかる


                   確かにそういう側面もあるだろう。

                  キリスト教にとって宣教地(橋頭堡設置地域)で
                  あり続けた日本社会と日本のキリスト者

                   確かに、戦国期のカトリック教会にとって、長崎は地域的にも橋頭堡であったし、京都や堺は地域的にも橋頭堡(というよりはショールーム)であったであろう。また、豊後大分は大規模な橋頭堡の一つであった模様である。しかし、川村先生のご指摘によれば、九州キリシタンベルトのように、キリシタンが帯状に、大分や別府から、中津、日田、久留米、菊池、玉名と結ぶところには、キリシタンの拠点地域が分布しており、ちょうどヴェネツィア商船や海軍船が地中海のヴェネツィア海軍基地(港)をたどって地中海を航海したように、これらを拠点としながらヴァリニャーノのような司祭がぐるぐる各地の教会を励まして回ったらしい。

                   ヨーダー本の紹介で、日本社会は、保守化と国際化をおおむね20年周期で繰り返しているという古谷先生という所説が記載されていたが、国際化の時期には、西洋のキリスト教を示すショールームの役割を教会は果たし、国粋化の時期には、キリスト者たちが日本社会からの諸批判を受けたときに一息息がつけるような前線基地(まさしく橋頭堡の役割)を果たしたと言えるのであろう。社会が国際化した時には、国際化の雰囲気を求めて訪れる人たちに、神のことばを語ったと言えよう。もちろん、その時代に来られる方々は、国際化の雰囲気を求めてきているだけの方もおられるので、社会の国際化の波が引いていくと、それと共に消えていく人々も少なくなかったように思われる。

                   その意味で、その中で、社会の中で自分に与えられた地域の中で、橋頭保を維持しようとするあまり、頑迷と見える行動を取らざるを得ず、周囲の橋頭保の様子を知ることもしにくい環境の中で、周囲から押し寄せられる異論への対応のために、戦闘的体制を取らざるを得ず、外部からの増援や連携した行動が期待できない中で、手持ちの資源である過去の聖書理解に頼るしかなく、また、ヨーロッパやアメリカ社会の中でのトップレベルでのキリスト教界の協調行動が難航したり、日本での超教派活動という連携行動での問題に直面していく中で、個別教派、個別教会という橋頭保の中にこもって、隣接橋頭保である他の教派、他の教会との協調活動ではなく、個別の教派・教会のみでの戦闘態勢を継続するという方法を取った教会も多かったのかもしれない。それはそれで、いたしかたないことかもしれない。しかし、メディアが多様化し、教派を超えた個人間関係ができていく中で、従来の制度(教派など)による枠とは少し違ったキリスト教社会が生まれていくかもしれない。

                  近代社会と日本の教会の対応

                   深井先生の神学の起源シリーズのところで紹介したが、フランス革命期には、教会は世俗の社会の近代化の動きへの対応を迫られたように、日本においてもキリスト教は、世俗社会を支配した啓蒙主義下の科学主義の影響を受け、その対応を進めていく。ある教会群は、科学主義の影響を受け、科学と矛盾しない形で聖書を受け入れようとし、ある教会群は、科学主義に社会、そして教会が支配されることに反発し、進化論に反発する形で聖書を用いようとしたりする。あるいは、それが行きつくと、創造論を科学の枠内として語ろうとして、時に聖書の主張しているような創造論を矮小化しかねないような言説がみられることもないとは言えないような気もする。

                  確認できない起源を『葵の御紋』とする傾向

                   日本では、精神世界は形式化することで保存しようとする傾向が全くないとは言えないのではないか、と思う。なぜ、こう思ったかというと、埼玉県の最近お知り合いになった牧師先生からは、次のようなコメント(大意)をいただいた。

                   日本人キリスト者「起源」という言葉に弱いので、「起源であるか否か」が「正当かどうか」になってしまう。そして、起源に暴力的なほどにこだわり、そして、宗教改革や西洋のある一時期のある地点での特定のキリスト教が置かれた社会的文化的コンテキストでの聖書理解を起源と設定し、それを”葵の御紋”のようにしてしまい、正倉院化を産んだのではないか。

                   えー、うちだけじゃなかったんですね。絶対正確に確認できない(つまり、どうとでも言える)起源の原型とそれを生み出されたコンテキストや環境とのかかわりに迫るのではなく、その起源その者のみを使いつつ、正邪論争するなんて。うちは、極端な聖書主義に立つので、パウロの書いている内容の背景をガン無視して、聖書にこう書いてあるのだから、とか、我がキリスト者集団こそ、使徒性の継承や東方諸教会の霊性はガン無視しているにもかかわらず、新約時代の使徒時代の姿を(目指すとか、再現しようとしているのではなく)継承しているのだ、とか主張する方いるからなぁ。

                  『道』化しやすい精神世界

                   上のコメントを拝見しながら思ったのだが(したがって、思い付きのレベルを超えない。いつもだ、という話はあるけど)、日本では多く精神世界が『道』化しやすいのではないか、と思ったのである。例えば、神道は神『道』であって神『教』ではない。仏教は仏『道』とも言うとも聞く。ちょっと考えてみただけでも、書や、華、茶、剣、柔、合気、修験・・・いずれも、初期の段階では、型とか「形(なり)」が大事にされる世界であり、原型あるいは起源が示されていると考えられる「形」を習得することで、その原型というか期限に迫ろうとする精神的傾向があるように思えてならないのだ。

                   その意味で、聖書理解を追求するのではなく、キリスト教の「かたち」、キリストを追及している方も少なくないのではないか、という部分もないわけではないかもしれない。大体、教会でも、わけわからん求道者([きゅうどうしゃ]と読む)という用語が用いられるし。しかし、この求道者という言葉、だれがいい始めたのだろうか。求道は[ぐどう]とも読むしね。


                  日光の修験道関連の書籍らしい(読んでない)

                   しかし、華道や、空手道や、剣道や、茶道のように形からキリスト教の世界というか聖書の世界に入ってもいいけど、本質をつかんでくれる方がなるべく増えるといいなぁ、と思っている。ある時代にある地域である環境に対応しようとしたかたち、あるいは形、伝統を守るのに頑固あるいは頑なになるのではなく、あるいは橋頭保としての教会状態がいまなお続く日本社会の中で、自己の信仰防衛、自己の信仰理解を必死で守ろうとるために伝えられた形(かたちや、なり)に頑なになるのではなくその奥にある神との関係において頑なであってほしい、と思うのではある。そう考えると、イスラエルが「うなじの強い民」であることは、両方の意味があるのかもしれない、と思ってしまう。偶像崇拝的な傾向に関しても、そちらに引き寄せられやすく、そこから抜けにくいのと同様に、神とのの関係に関しても、預言者の様に何があってもそこから一歩も退かない「うなじの強さ」があったのかもしれないかなぁ、と思うのである。仮に日本のキリスト教が、キリスト道のようなものであるとしても、「なりやかたち」は、真似しやすいけど、その奥にある「神との関係」というのは存外真似しにくいものかもしれない、と思ったりしている。







                  2014.11.15 Saturday

                  結婚式と日本のプロテスタント教会(その1) 問題の着想

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                    教会やめたい? シリーズの第1回、教会には暗黙の決まりやしきたり、多いんじゃないのと指摘した記事をいつものようにFacebookでご紹介したところいろいろやり取りがあって、ミーちゃんはーちゃんが真面目に尊敬するある方(仮にAさん)さんとのやり取りがこの問題を考えるきっかけになった。Aさん、ありがとうございます。なお、このAさんも、キリスト教会、キリスト教業界にかなりお詳しい方であることは付言申し上げる。

                    日本とアメリカの福音派系キリスト教会と信徒と結婚式

                     まず、そのやり取りを紹介して、この問題を考えるきっかけとして、ご紹介したい。

                    Aさん)
                     多分、結婚式を所属教会の許可なく、他の式場、他の牧師で挙げてしまって事後報告したら、所属先の先生は身を震わせて激怒か寝込んでしまうでしょうね。

                     アメリカなんかでは、所属教会以外の場所で結婚式をあげるのは許可されるでしょうか?
                     考えてみると、一種、親代わりですよね。日本の場合。しかもそれは決まりとして聞かされてない。
                    (下線部はミーちゃんはーちゃんによる)

                    ミーちゃんはーちゃん)
                     アメリカだと、市役所で、結婚式するという抜け穴がありまして。

                     あと、厳密にどうだこうだと、言わないかもしれませんねぇ。日本みたいに。

                     最悪、リノか、ラスベガスというところに個人の宗派に合わせてしてくれるコンビニ型教会で結婚式を挙げることもできますし。



                    Aさん)
                     
                    米国の一般人はそうでしようが、所属教会の牧師に事前に相談、了承は不要ですか?

                    ミーちゃんはーちゃん)
                     
                    どうでしょう。一応牧師に言うのでしょうかね。
                     熱心な人だと、一応教会の牧師の了解取るでしょうね。多分。


                     教派をまたぐやつとか、ユダヤ教とキリスト教とのカップルとかは結構ありそうです。それでも、共生している(結婚生活が維持されている)例を何例かは、リアルで知っていますが。滞在中には、(結婚式を)体験しなかったので何とも。

                     別教派をまたぐと、基本的に女性の側の教会が優先かもしれませんねぇ。

                     そういえば、My Big Fat Greek Weddingでは、男性がギリシア正教に改宗するシーンがあって、子供用の空気入れるタイプの簡易プールでバプテスマするシーンがありまして、洗礼してましたねぇ。

                    My Big Fat Greek Weddingのポスター


                    その中のシーンはこちら。

                    My Big Fat Greek Wedding(ギリシア語字幕付き)からギリシア正教会でのバプテスマのシーン(かなりカリカルチュア化がされている可能性あり)


                    カリカルチュア化されていない、正教会(?)のバプティスマ 英語式文による
                    (2分くらいから動画になります)
                    Aさん)
                     何百人、何千人の教会は担当牧師が了承、認定するのでしようかね。電話一本で。
                     日本でよく聞く、「自分の葬式の司式はぜひ何々先生に」ということで、休暇先や出先から急遽、トンボ帰りで帰らねばならない牧師さん。いつも気の毒だな〜と思うのですが、その辺のウェットな関係は、外国にはあるのでしようか?
                     日本のお寺の住職も、年間100を超える葬儀で、ほとんど温泉に夫婦でも行く暇もないとか聞きました。その辺も似ています。


                    ミーちゃんはーちゃん)
                     
                    あー、メガチャーチの場合は、かなり分権的な制度があり、レイパスター(副牧師)がいるので、それで事務処理の対応がされている感じでした。(サンディエゴ近郊のいくつかの教会の場合)

                     西海岸しかいたことがないので、アメリカ全体、ってことは難しいのですが、この牧師さんじゃなきゃ、ってのはない感じでしたね。説教のうまい下手はかなり気にしてた感じはありますが。

                     西海岸だと、住民というか信徒も7−8年で、転居するし、牧師も、10年前後でどんどん場所とその人のミッション(伝道方法)を変えていくような印象を持っています。日本型の一所懸命型(石にかじりついてもこの場所で牧会するんだ、って感じ)の人は少ない感じですね。

                     そうなると、何々先生にお願いしなきゃ、ってことはないようですね。割とドライな関係が信徒と司牧の間にあるような感じでした(ただし西海岸に限る)


                     日本だと、何々先生に、って属人的なつながりを言う方多いですよね。年長の人がいい、みたいな。有名な人とかに集中する傾向。逆に日本はべたべたすぎる感じがします。これでは、若い副牧師格は育たない感じがしますねぇ。

                     あと、日本では、外国人宣教師に司式をしてもらいたがる人、意外と多い感じがします。うちの外国人宣教師を派遣してほしいというお願いがご近所のホテルからのお願いがありました。
                     そいう言えば。
                     即座にお断りしましたが。

                     本来的には、多くの(アメリカ系の)プロテスタント系キリスト教では、結婚はサクラメントからはずしているはずなのに・・・。


                    日本の福音派系教会と
                    結婚式に関して
                    ちょっこし
                    思うこと

                     この会話の中で、「
                    一種、親代わりですよね。日本の場合。しかもそれは決まりとして聞かされてない。」というAさんのご意見がかなり気になった。日本(の福音派)の教会では、結構いろいろなことに、親切心からとは言え、教会が個人の生活に口出ししてくれる(あるいは、しようとする)。その一種の暑苦しさというか、厚かましさの背景には、いまだ宣教地であり、日本では、社会の隅々まで、聖書理解に基づく生き方というのか、キリスト教の世界が十分定着していない、という側面があるからなのだろう。

                     しかし、個人的には、個人の結婚に関して、親に加えて、教会がうじゃうじゃ言いたいのであれば、ちゃんと、教会のサクラメントの中に結婚式入れといてほしい、ってのは、暴論かもしれませんが。

                     もちろん、教憲・教規に、結婚式は教会の管轄事項であるサクラメントである旨が明記されておられる教会群の皆様に関しては、それはそれで立派であると思いますので、きちんと
                    教憲・教規に従って、定められた手順に従って、粛々とご実行いただければ、とは存じます。

                     とは言え、結婚とか個人の生活に教会が関与することに関して、少なくとも、何らかの内部ルールがある場合には、文章にして渡せとは言いませんが、これからバプテスマを受けようとする人や、これから結婚を考えようかという信徒さんに対して、そのことも噛んで含めるように説明しておかないと、まずいかなぁ、と思う。

                     昔みたいに察するとか、一を聞いて十を知る、見たいなことが減っているので。以前からいる人には当然だけど、あとから来た人には当然ではなくて、事が起きてから、「聞いてないよぉ」ということにならないようにするためにも。

                     以上がこの一連の記事の端緒である。

                     次回、(その2)問題の整理 へと続く。





                    2014.11.17 Monday

                    結婚式と日本のプロテスタント教会(その2) 問題の整理

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                        前回の記事では、結婚式と日本の教会を巡ることを考える発端になったAさんとの対話を紹介し、日本のプロテスタント系キリスト教会では、結婚式というのは聖式、聖なる儀式と呼ばれるサクラメントではない、とするところが多いのではないか、ということに触れた。

                      サクラメントってなんじゃらほい

                       サクラメントとは、松山市と姉妹都市関係にあるカリフォルニアにある市のことではない。



                      サクラメント市にあるサッター砦州立記念公園の写真


                       サクラメントとは、教会法ないし教会の規則に明文として示された聖なる儀式として行うことになっている儀式のことである。日本のプロテスタント教会と呼ばれるところのかなりの部分では、サクラメントは、礼拝、礼拝説教が行われる日曜日及び聖餐式とバプテスマだけではないだろうか。その意味で、結婚式や葬儀はサクラメントではないことになる。全数調査したことがないのでよくわからないが。

                      教会法は世俗法に優先するか?

                       その意味で、本来教会は、憲法および民法典を超えて、個人の結婚式に関して口をはさめるのか問題というのはある。但し、民法は、公序良俗に反しない限り、という但し書き付ではあるが、民間における慣習を尊重はしているので、慣習はある程度の効果は持つので、教会法や教会のルールは慣習法としての一定の効力は持つ。民法だけから考えれば、まぁ、結婚しようと思ったときに、民法規定上は相談しなくてもよいはずであるとはいうものの。ただし「よいこ」のキリスト教会の皆様にはおすすめしない。ただ、民法は、個人間の慣例的な規約は、公序良俗に反しない限り、尊重するということは触れておく。個人間のことに国ないし裁判所がとやかく言わない、というのが憲法規定の国民主権から導かれる、というのがおおむねの理解だろうとは思う。

                      結婚を巡る教会との対話は、しんどいよ

                       結婚式を巡って、教会や教会を巡る組織と個人が不必要に対話するのは、疲れるし、めんどっくさいし、個人の方が弱い場合が多いので、相当な覚悟をもってやる気でない限り、そして、カルト化してたり、あまりに教理からの逸脱が見られない限り、おすすめはしない。してはならないというのではない。したらいいと思う。ただ、めんどくさいことだけは確かである。

                       ただ、絶対に教会とのバトルや話し合い、対論してはならない、信徒に説明する必要がない、とか言い出している教会は、黄色信号か赤信号点滅の教会である可能性が高いから、ご注意召された方がよい、ということだけは申し上げておく。

                      結婚式教会の神秘

                       ところで、過去の記事でもある「『愛』をめぐる一断章(3・おまけ)永遠の愛のハイパーインフレ」の記事でも紹介したが、日本の結婚式場教会は、結構いい加減なので、びっくりさせられることが多い。Wedding Parkというサイトによれば、ホーリーザイオンズパーク セント・ヴァレンタインという福山市にある、新幹線の福山駅からも見える巨大な教会型結婚式場は、

                      イギリスの文化遺産でもある「ウエストミンスター寺院」をはじめ、世界5つの教会と「ワールドワイドフェローシップ(世界祈りの提携)」を結ぶ本物の教会。
                      でいらっしゃるらしいが、同結婚式場名と牧師で検索しても、Google先生でも引っかかってこない。そんな本物の教会ってあるのかしらん。しかし、そこ行って、「ここは教派としてはどこにご所属ですか?」、「主任牧師はどなた?」「主任司牧の方は神学校はどちらを?」。あわせて、「信徒数は何人で何人くらい礼拝または聖餐式、またはミサに参加しておられますか?」、「主要な教義はどのような…?信仰告白は使徒信条で?」、「讃美歌集は何をお使いで?」って厭味ったらしく聞いてみたくもなるのがねぇ。ミーちゃんはーちゃんの悪趣味なところ。www

                       しかし、クリスチャン新聞さんかどこかで、突撃インタビューしてくださらないだろうか。「ホーリーザイオンズパーク セント・ヴァレンタインに行ってみた」とかいう特集記事、無理だろうなぁ。真面目だから。


                      Google Mapsのストリートビューによる北西側から見たホーリーザイオンズパーク セント・ヴァレンタインというタイトルの自称「本物の」教会 w

                       結婚式教会の神秘については、下記の結婚式教会の誕生、ご参照いただけるとよいと思う。一番最後の結婚式場教会の経営主体とその思想の話が、ものすごい面白いですよぉ~~。

                      教会の慣習法って?

                       しかし、Aさんのご指摘によれば、教会の慣習(法)に反して「牧師に一言もなく結婚式すると言ったら、怒りだす牧師がいそう」ということであるが、なんとなく、それはミーちゃんはーちゃんもそうだろうなぁ、と思う。

                       それは教会が、教会法や教会の規定の明文規定にないにもかかわらず、慣習法的に結婚式は教会でするもの、と思い込んでいることがあるかもしれない。あるいは、そのことを信徒が入信する時に、教会法の研修会や、教会規定の講習会をどこまでしているか、というとかなり怪しいと思う。本来は、それがあってもいいと思うのだが、意外とこういう説明会がなされてない教会が多いのではないか?と思う。

                       少なくとも、教会が公的認証を受けた法人組織であり、自発的社会(ボランタリ・ソサエティ)である以上は、それは信徒になる前に信徒になることを希望するものに公開してあるべきだし、そのことは触れておくべきことだろうとは思う。しかし、どこまでの組織が、教憲教規をウェブサイトなどで公開しているか、というとどんなもんだろう。このご時世、それくらいは公開していても罰が当たらないように思うのだが。本来は、監督官庁に行くか、その組織か、参加教会か、その組織の本部に行くと見せてもらえるものになっているはずであるから。

                      慣習法のややこしさ

                       文章として公開されていない慣習法がややこしいのは、慣習であり、明文化されてないことが多い点である。内部にいる人は、慣習として、その行為を当たり前としているものの、それが外部からその社会、あるいは集団に参加しようとする際には、説明されない、その背景を含めてきちんと説明できないことも多いのである。また、慣習そのものが個別案件に対応する中で、作り直されていくという側面もあり、成文化、明文化になじまない、という側面もある。そのあたりがあるからいやらしいのである。

                       その意味で、慣習法といっても、過去から未来永劫一定、という訳ではなくかなり流動的なモノとならざるを得ない。その意味で、聖書に基づかない、慣習法というか伝統が、その軽重は教会ごとに違うとはいえ、教会には存在する、ケースバイケースでの積み上げをしていく、という側面があることをある程度教会は信徒に説明しておいた方がいいかもしれない。

                      慣習法と前例踏襲主義

                       結婚をどう考えるのかは、この流動的な慣習法に基づく部分に由来する、前例を参照しながら考慮されるものの、かなり教会にとって本来自由度の高い対応ができる儀式ということができるのではないだろうか。その分、その教会の司牧と教会員で、よく相談しながら、進めることができるというものであるはずなのだが、長年その教会に通っている人々には、前例のデータベースから、「こうするものだ」という思い込みが発生しやすいものが現実ではないか、とは思う。

                       それが、恐らく、「かくありたい」という結婚式を挙げる側の思いと、「当教会での結婚式(それがいつの間にかプロテスタント教会での結婚式は、に一般化されることはまま観察されることではあるが)は儀式としてはかくあるべきである」という思い込みとの間にずれが生じているのではないか、と思うのだ。

                      まずは、お問い合わせから

                       それが、教会(の牧師)と信徒の間での結婚を巡る問題の根にあるのだと思う。そのためにも、教会で結婚式をする際には、どうするのか、どうなるのか、ということに関しては、そういうことを思ったときに思い込まずに、牧師や責任者と相談しておいた方がもめごとは少ないし、もめごとの解決も早い、というのは事実だろうと思う。

                       教会で結婚式をしなかったからというだけで、後ろ指をさされる原因や、教会のミーちゃんはーちゃんをより悪趣味にしたうるさがたの皆様からあーだ、こーだ言われる原因となりやすいので、それを避けるためにも、一応、事前に教会にご相談することをお勧めする。それぞれの教会で教会の慣習法が違うからである。どうでもいいことだが、ミーちゃんはーちゃんは割とさばけているので、聖書に書いてなきゃ、それはその時々のこととは思っていて、割とどーでもいいと思っているし、相談されたら相談に乗って式文を変えるくらいのことは平気でする。まぁ、それなりの理念系はないわけではないが、それに固執しているわけでもない。この辺がリベラル派とありがたいラベルを張っていただける一員となっているのかもしれない。ありがたいことではある。そのラベルを張ると、偽装表示扱いになりかねないとは思うけど。w

                      最後に、割と儀式的には、古いスタイルを守りながらも、斬新な取り組みの動画を紹介したい。どうもリアルであったアイルランドでの結婚式の事例のようである。なお、ここまでする歌唱力はミーちゃんはーちゃんにはない。ちょっとやってみたい気もするけどw。


                      結婚式で歌うえらい歌がうまい、アイルランドの司牧の方

                       次回、離婚、再婚と、教会の移籍などとの類似性などについて


                      評価:
                      五十嵐 太郎
                      春秋社
                      ---
                      (2007-08)
                      コメント:結婚式場教会を建築学的に見ると、如何におかしいかがわかる本。おすすめ。

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