2009.06.02 Tuesday

決まっているじゃないですか。もちろん。

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    icon 今週のお題

    日本の良いところは何ですか?



    日本語が使えるところ。

    白ごはんがおいしいところ。カリフォルニア米の「田牧」もおいしかったですが。

    生魚がほぼ安心して食べられるところ。

    魚のバラエティが多く、おいしい魚が食べられるところ。
    2009.06.02 Tuesday

    エッ?スティーブン・ジョブズって、望まれなかった子だったの?

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      あー、いいたい。いいたい。

       

      こんなすごい記事があるぞぉ。

       

      HATTORI先生の晴耕雨読の日々のブログの記事

       

      スティーブン・ジョブズ(アップルコンピュータ(マックとかiPhoneとか

       

      iPodとか作っている会社ね。)は望まれなかった子供で、養子に出

       

      された子供であったことが、書かれていました。

       

      もし、彼の命が奪われていたら、Macは世の中には無かったかもし

       

      れないし、25年以上前からDOSだのIBMコンパチだのにハマッテい

       

      たあっしにはあまり関係もない(とはいいながら、マックをまねた

       

      擬似WYSWYG環境(あまり聞かなくなりましたねぇ)やらWindows

       

      3.0(あったんですよ。日本では売り出してませんでしたが)から

       

      始まって今のWindows Vistaに至るIBM-PCコンパチの世界で

       

      うっすらとは関係があったりします)世界とはいえ、彼はPixarの

       

      創業者でもあるので、彼がいなければ、Toy StoryだのMonsters

       

       Incだの(私は好きだが、あまり子供のウケはよくない)が生まれな

       

      かったかも知れない。

       

      人の命は、本当に大切。子どもの命は、とっても大切。

       

      この記事の中で紹介されているスタンフォード大学での

       

      ジョブズのYouTubeで公開されている講演

       

      内容がいい。英語がちょっと早いが、全部聞いた。

       

      本当に感動した。

       

      途中のところで、スティーブン・ジョブズが彼の死生観について、語

       

      っているところがありますが、感動もの。

       

      若いということ、老いるという事、死ぬということ。Looks Nouwen!

       

      (ナウエンみたい!)と思わずつぶやいてしまったほどのノリです。

       

       

      途中で、Faithを失ってはいけない、という表現が出てきますが、

       

      多分、これは、自信といったほどの意味だとおもう。『聖書で言う信

       

      仰』では無いんじゃないかろうか。ただ、ほとんどいっていることは、

       

      「叩きなさい、そうすれば開かれます。求めなさい、そうすれば、与

       

      えられます。」という聖書の表現に通じるものがある。ちょっと、自己

       

      中心的なのは、アメリカのスタンフォード大学の卒業式なんでしょう

       

      がないかなぁ、と思う。しかし、多分に聖書の表現を意識してしゃべ

       

      っていると思う。(多分、いいたいことは、彼が考えたことばだけれど

       

      も、スピーチ・ライターの手が入っていそうな気がする。)

       

       

      詳しくは、

       

      HATTORIさんのブログ、晴耕雨読の日々 

      2009年5月29日 (金)タイトル 『いい話だ!』

       

      をお読みください。 

       

      ぜひ。ぜひ。(ダイハツの、仲間 由紀恵のCM風で)

      2009.06.02 Tuesday

      エッ?スティーブン・ジョブズって、望まれなかった子だったの?

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        あー、いいたい。いいたい。

         

        こんなすごい記事があるぞぉ。

         

        HATTORI先生の晴耕雨読の日々のブログの記事

         

        スティーブン・ジョブズ(アップルコンピュータ(マックとかiPhoneとか

         

        iPodとか作っている会社ね。)は望まれなかった子供で、養子に出

         

        された子供であったことが、書かれていました。

         

        もし、彼の命が奪われていたら、Macは世の中には無かったかもし

         

        れないし、25年以上前からDOSだのIBMコンパチだのにハマッテい

         

        たあっしにはあまり関係もない(とはいいながら、マックをまねた

         

        擬似WYSWYG環境(あまり聞かなくなりましたねぇ)やらWindows

         

        3.0(あったんですよ。日本では売り出してませんでしたが)から

         

        始まって今のWindows Vistaに至るIBM-PCコンパチの世界で

         

        うっすらとは関係があったりします)世界とはいえ、彼はPixarの

         

        創業者でもあるので、彼がいなければ、Toy StoryだのMonsters

         

         Incだの(私は好きだが、あまり子供のウケはよくない)が生まれな

         

        かったかも知れない。

         

        人の命は、本当に大切。子どもの命は、とっても大切。

         

        この記事の中で紹介されているスタンフォード大学での

         

        ジョブズのYouTubeで公開されている講演

         

        内容がいい。英語がちょっと早いが、全部聞いた。

         

        本当に感動した。

         

        途中のところで、スティーブン・ジョブズが彼の死生観について、語

         

        っているところがありますが、感動もの。

         

        若いということ、老いるという事、死ぬということ。Looks Nouwen!

         

        (ナウエンみたい!)と思わずつぶやいてしまったほどのノリです。

         

         

        途中で、Faithを失ってはいけない、という表現が出てきますが、

         

        多分、これは、自信といったほどの意味だとおもう。『聖書で言う信

         

        仰』では無いんじゃないかろうか。ただ、ほとんどいっていることは、

         

        「叩きなさい、そうすれば開かれます。求めなさい、そうすれば、与

         

        えられます。」という聖書の表現に通じるものがある。ちょっと、自己

         

        中心的なのは、アメリカのスタンフォード大学の卒業式なんでしょう

         

        がないかなぁ、と思う。しかし、多分に聖書の表現を意識してしゃべ

         

        っていると思う。(多分、いいたいことは、彼が考えたことばだけれど

         

        も、スピーチ・ライターの手が入っていそうな気がする。)

         

         

        詳しくは、

         

        HATTORIさんのブログ、晴耕雨読の日々 

        2009年5月29日 (金)タイトル 『いい話だ!』

         

        をお読みください。 

        2009.06.04 Thursday

        Hattoriさんに大賛成一票。

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          いつも読んでいるブログ

           

           晴耕雨読の日々 

           

          にHATTORIさんという方が、書いていたバルトのビリー・グラハム評。

           

          そうか、違和感がそこにあったんだ、ということをミョウに得心。

           

          バルトは、ビリー・グラハムについて、露骨に

           

          「あれは、脅迫 です。」 

           

          と見抜いているようです。なるほど。脅迫ねぇ。そうだわなぁ。恐怖心を

           

          煽って、救いに導くというのは、救われれば、それでよしとする人たちは

           

          それを伝道と呼ぶかもしれないが、世間様では、そう、それを 脅迫

           

          と呼ぶというのは、通常の健康な批判精神を持った人のバランスの取

           

          れた感覚ではなかろーか。

           

          福音を語る と称して、脅迫となっていないかどうか、自分自身

           

          チェックしないと。脅迫と化した福音を語ることは、カルトへの

           

          道だと思う。

           

          気をつけないと。

          2009.06.05 Friday

          ビリー・グラハムへの違和感の原因が分かった!

          0
            ビリーグラハムへの違和感の原因が分かった。確かに

            多くの人を救いに導いた、ということは評価されて

            しかるべきだが、やや違和感があった人物に、あの

            雰囲気を持つ説教に違和感があったのだが、何だろ

            うと思っていた。晴耕雨読の日々というブログを読

            んでわかった。

            毎日読んでいるブログ

             

             晴耕雨読の日々 

             

            にHATTORIさんという方が、書いていたバルトのビリー・グラハム評。

             

            そうか、違和感がそこにあったんだ、ということをミョウに得心。

             

            バルトは、ビリー・グラハムについて、露骨に

             

            「あれは、脅迫 です。」 

             

            と見抜いているようです。なるほど。脅迫ねぇ。そうだわなぁ。恐怖心を

             

            煽って、救いに導くというのは、救われれば、それでよしとする人たちは

             

            それを伝道と呼ぶかもしれないが、世間様では、そう、それを 脅迫

             

            と呼ぶというのは、通常の健康な批判精神を持った人のバランスの取

             

            れた感覚ではなかろーか。

             

            福音を語る と称して、脅迫となっていないかどうか、自分自身

             

            チェックしないと。脅迫と化した福音を語ることは、カルトへの

             

            道だと思う。天国をえさに福音を語るのは、目的の手段化だとおもいます。


            目的の手段化同様、恐ろしい。

             

            気をつけないと。

            2009.06.06 Saturday

            この本は素晴らしい

            0
               この本はとても素晴らしい。

              アメリカにおける神の国 H・リチャード・ニーバー 聖学院大学出版会 柴田文子訳

              あるブログ、というよりは、あめんどうさんのブログ「本を枕に―スピリチュアルな日々」で紹介されていたクリスチャニティ・トゥデイ誌が選んだ20世紀の神学書ベスト100の中に出ていた「キリストと文化」(日本基督教団出版局 現在在庫切れか絶版で注文不能・中古で13,000円以上する)が入手ができなかったので、その代わりと言っては何だが、この本を注文して読んだ。なお、キリストと文化は英文で読む予定。

              アメリカ人が、アメリカを神の国と思い込んでいる理由、アメリカ人がGod bless Americaと叫ぶときに私が感じる違和感の理由がよくわかる。アメリカ文化を研究する人たち、現在の日本の中のキリスト信仰の中からアメリカ文化の影響を除くためには、この本を読んでおいたほうがよいかもしれない。

              一部記述を紹介。
              「選ばれた民、約束の地というテーマのすべての変種が、後世 ―特に危機の時代― に賛美されたとき、人は再び、アメリカ人はキリスト教の中に社会的信仰を見出し、またそれを形成したと主張する誘惑に駆られる。」(アメリカにおける神の国 H・リチャード・ニーバー 聖学院大学出版会 柴田文子訳 p27
              「このようにしてアメリカにおける神の国は、アメリカこそ神の国であるととらえられることになる。普遍的概念が個別化されるのではなく、特殊が普遍化されるのである。」(同p28)

              え、これ、ジョージ君(ダボヤの方のブッシュ君)のことじゃん。と思ってしまった。恐るべし、ニーバー。ちなみに、このニーバーは、社会的福音で知られたラインホールド・ニーバーではありません。この本を書いたのは弟のほう。1937年の作品です。

              また、教会論を考える上でも、この本は参考になる。ちなみに教会論で有名なボンフェッファーは、兄のニーバーの方の弟子らしい。

              ダボヤことジョージ君は、この本を読んだのかしらん。読むわけないか。
              2009.06.08 Monday

              雅歌についてのお勧め本

              0
                評価:
                上沼 昌雄
                いのちのことば社
                ¥ 1,050
                (2006-09)
                コメント:夫婦関係を雅歌から考える本。キリスト者夫婦のより深い霊的成長のためにお勧めの1冊。

                この本がいい。

                 何がよいかというと、聖書からみた夫婦の関係を雅歌を中心にもう一度考え、見直しをさせてくれるところである。

                 日本人夫婦は、クリスチャンカップルとはいえ、ともすれば気恥ずかしくなり、霊的な夫婦関係を深まりをすることが難しいのであるが、そのことを日本人としてきちんと理解したうえで、夫婦関係がクリスチャンホームにとって、そして、健全な信仰者としての基礎として重要であることを示してくれる。(結婚が神の祝福であることも)

                 この本の著書に、「夫たちよ、妻の話を聞こう」という本があるが、それもよいが、こちらの方は、より円満な信仰者同士の夫婦関係のためには、互いのよさをもう一度再発見、表現、定義しなおすことで、より深めることができるということを雅歌を通して明らかにしてくれている。

                 この本の中でも触れられているが、雅歌の読み方には2種類あるとはいうものの、プロテスタント諸派では、神という言葉や主という言葉が出ないので、雅歌は無視されがちな旧約聖書の中でも、最も無視されている書物の一つだと思う。それをきちんと掘り起こし、雅歌の中から、夫婦関係の大切さをわかりやすく説き起こしていることは、非常に良いと思う。

                 特に、結婚してしばらくたったキリスト者カップル、とくに、子育てが終わる頃のカップルにお勧めしたい。そして、結婚という神の祝福をもう一度見直す、ということを改めて考え直すことができる本である。

                2009.06.08 Monday

                ゲノム研究者がみた聖書に基づいた創造論

                0
                   ゲノムと聖書 科学者、<神>について考える

                  フランシス・コリンズ著 NTT出版 中村昇・中村佐知訳 2,600円

                  アメリカのゲノム解読計画のセンターの責任者だった、お医者さんで遺伝医学研究者のフランシス・コリンズさんが書いたゲノム研究者から見た聖書と進化との関係を扱った本です。

                  聖書逐語霊感説にたち、聖書の文字通りの解釈をすることが多い福音派では、本書でも触れられている通り若い創造(創造から6000年ほどしか歴史が無い) という立場の方が多いのですが、本書は、ゲノム研究の立場、物理学の立場から、神による宇宙や地球の創造は認めるもののいわゆる福音派で幅を利かせている 若い地球論には無理があるのではないか、という主張をしておられる本です。

                  若い創造説をとるのか、もっと時間がかかったという説を採るのかは、もう、その人の聖書理解の世界、信仰の世界なので、なんともいいがたい部分があるので すが、この本のポイントは、神が地球上の生物を創造し、人間を創造したのは、ゲノム研究の立場から言って、間違いないし、リベラル派の新聞やマスメディア が流布している「キリスト教信仰と科学」という2項対立は、全くナンセンスだ、ということが本書の主張です。あと、面白かったのは、バイオロゴス論という 立場で、これは、情報学からの創造論のアプローチをしているヴェルナー・ギッテ博士と似た立場ですが、ゲノムを見ている限り、神の創造の不思議さを確認で きるとする本でした。

                  創造論は、聖書があまり詳しく書いていないこともあり、信者一人ひとりの理解に任されている部分(推定で埋めている部分)が多いのですが、非常にインスパイアリングな本であることに間違いはありません。値段がもうちょっとやすけりゃぁねぇ、と思いました。

                  日経新聞の書評でも載っていたので、クリスチャンで創造論を語る方は、著者の主張に同意するかどうかは別として、一通り目を通しておいたほうが良いかもしれません。
                  2009.06.16 Tuesday

                  聖書から −神の家族であるということ

                  0
                    神の家族であるということ

                    今日は国語のクイズみたいなことをしてみましょう。


                    東の反対語は何でしょう?そう、西ですね。

                    「閉じる」の反対語は?そう、「開く」ですね。

                    「好き」の反対語は?「嫌い」ですね。

                    じゃあ、「愛」の反対語は何でしょう?このことを考えながら、

                    お話を聞いてくださるとうれしいです。


                    先日の新幹線の中での出来事をおはなしします。

                    東京であるソフトウェアベンダー企業のユーザー会に行く

                    途中の新幹線でのできごとです。

                    朝7時前の新幹線で東京へ向かいました。6時台にのると

                    1000円ほどお安いので、いつも、早めに乗っています。

                    その新幹線の中で、ブログの内容を作成したりしていたり、

                    英文の翻訳をしていたのですが、なかなか快調に仕事

                    がすすんでいました。
                    すると、前に70歳過ぎのカップルの方々が乗車して

                    おられました。最初はとても静かだったのですが、

                    1時間ほどで名古屋についたら、どうも女性のほう

                    のお姉さん夫婦と合流されたようです。すると、前の

                    2組のご夫婦がかなりにぎやかにお話しになって

                    おられました。といってもしゃべっているのは奥さん

                    たちだけで、御主人たちは、時々、あぁ、とか、うぅ

                    とか相槌を打つだけでしたけれども。声が大きい

                    ので 聞きたいわけではないが、聞こえてくるの

                    でした。中国地方の訛(たぶん、岡山西部)のあたり

                    の訛なので、それも気になった原因かもしれません。

                    新幹線は在来線に比べれば静かだが、それでも隣

                    を新幹線が通るとノイズが大きいので、新幹線が

                    行き違うたびにすると声が高くなり、お話が聞こえて

                    くることになったのでした。

                     聞きたくて、聞いていたわけではないのですが、

                    まぁ、その御親戚についてのいろいろな話が飛び込

                    んできたかんじで、その御親戚の方々の人間関係に

                    とても詳しくなってしまいました。そんなこと詳しくな

                    りたいわけではなかったのですが。

                    たとえば、親類のいとこの子供が人工授精している話

                    だとか、別のいとこの子供が中学校の先生している

                    はなしだとか、また、別の親類が、三河安城の上から

                    2番目のランクの高校の先生をしている話とか。

                    2番目のランク、ということをえらい強調しておられたの

                    で、よほど重要なことなのかなぁ、と思ってしまいました。

                    それから、おばさんが病気で入院している話で、そこの

                    先生がいい先生だとか、孫が小学校をお受験しようとし

                    ている話とか、息子のお嫁さんが勝手なことをしている

                    とかいうようなまぁ、そういった細かな話を事細かに

                    お話になっておられました。

                     名古屋から東京までの2時間弱で、そのご家族につい

                    てとても詳しくなりました。あまりに声が大きくて、翻訳作

                    業に集中できないし、話し声が大きく、眠るに眠れない

                    状態でした。

                     まぁ、そのご家族のことを知っても、私に何も関係がな

                    いのですが、勝手に大声で私のほうに向かってお話しさ

                    れるので…

                    2組のご高齢のご夫婦だったのですが、ご主人のほうが

                    ほとんどしゃべらなかったのも印象的でした。

                     そのご親族の話を聞きながら思ったことですが、まぁ、

                    ご親族には関心があるのだなぁと思いました。本当に

                    事細かに話しておられましたから。それともう一つ

                    おもったのは、ご親族以外には、関心がないんだなぁ

                    ということです。あまりに声が大きいので、私はちょっと

                    困っていたのですが、私には関心がいかなかくて、

                    名古屋から東京までずっと熱心に家族のことだけをお

                    話でした。私にも、ちょっとくらい気を使ってくださったら

                    もうちょっと幸せだったですが。

                    その方々は、ここで私が話の種にされるとも知らずに、

                    しゃべっておられました。それぐらい熱中しておられました。


                    その、ご家族についての話を聞きながら、関心の有無、と

                    いうことについても考えました。家族には関心をお持ち

                    でしたが、家族以外の私には無関心でおられたんですねぇ。

                    これが私たちの姿かもしれません。ここで、もう一度、皆さんに

                    お伺いしたいと思いますが、「愛」の反対語は何でしょう?

                    愛の反対語は、おそらく、無関心だと思います。

                     私の前の席に座った70歳過ぎのご婦人は、私には関心

                    すらなく、私への愛はなかったですねぇ。家族についての関

                    心と愛は豊かだったですが。

                     ここで、ブルース・オールマイティという映画からの1シーン

                    をご覧いただきましょう。

                     個人的にはコメディが大好きですが、とくにジム・キャリーは

                    好きなコメディ俳優の一人でもあります。

                     ブルース・オールマイティの設定ですが、主人公のブルース

                    は、お気楽とみられているアナウンサーです。キャスター役を

                    狙っているが、キャスターにはなれなくて、ちょっと変わった

                    レポートねたで、お笑い、お気楽キャラでしか使ってもらえない

                    人物という設定です。その結果、仕事上の失敗で、アナウンサ

                    ーを失職することになります。そして、恋人との関係もうまくいく

                    なり、車にいたずらをされるなど、とんでもない状況に陥ります。

                    こんな状況はいやだ、神様は何しているんだ・・・と言い出します。

                    そこに、突然電話がかかってきて、状況を変えてあげるから、あ

                    るところに来るように言われるのでした。そこに行ってみると、天

                    使が掃除をしているところに来ます。その天使からおまえは自分

                    のことばかりを言っている、俺の仕事を手伝えと言われるのでした。

                     天使であることの証拠にブルースの父親の個人的な話をし、

                    お前のことは何でも知っているとして、いろんな個人的な秘密を

                    明らかにします。

                     そこでのワンシーンですが、ブルースが過去に言ったことや行っ

                    たことがファイルに収められ、キャビネットに保存されているという

                    風に表現されています。このシーンを見ながら、神様と私たちの

                    関係って、こんな感じだろうなぁ、と改めて思いました。そして、そ

                    れをよく、こんなにわかりやすく表すなぁ、とおもいました。それ以外

                    にも、あと面白いシーンも出てくるのですが、それはまぁちょっとや

                    りすぎかなぁ、と思いましたので、お見せはしませんが。

                     なぜ、これを見てもらったかというと、神様と私たちの関係をよくあ

                    らわしている、と思ったからです。神は、全知の記憶を持って私たち

                    のことを記憶しておられるのです。つまり、関心があるのです。

                     新幹線の私の前の席に座った老夫人が親戚に抱く関心以上の関

                    心をもって私たちの姿を見ておられるのです。

                     愛は関心です。 神様は、私たちに深い関心を持っておられるのです。

                    聖書は、それを次のように表現しています。あなたの髪の毛の数さえ

                    数えているといっています。私は髪の毛の数を数えたことがありません

                    が、神はそれを知っておられるほど、我々に関心が深いわけです。その

                    場所を読んでみましょう。

                    マタイ 10章29節―31節です。

                     二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな

                    雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることは

                    ありません。

                     また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。 だから恐

                    れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた

                    者です。


                    また、詩篇  8篇4節−9節では、次のように言っています。

                    人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。

                    人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

                    あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れ

                    の冠をかぶらせました。

                    あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に

                    置かれました。 


                     なぜ、神は関心を持つのでしょうか。それは、神が私たちを特別

                    の存在 として、神と語り合う存在として創造したからこそ、一人

                    一人、異なった存在として大切にされるのです。

                    さて、このように私たちを大切にされる神に対する私たちの態度は

                    どのようなものでしょう?

                     さて、皆さんは、私たちに非常に深い関心を持っているこの神につ

                    いて、どう考えになられますか?

                     私たちの態度とは関係なく、神は、私たちに関心(愛)を持ってお

                    られるのです。ぜひ、この愛に気付いてください。そして、私たちの

                    すべてを知っておられる神との深い関係を味わってみられることをお

                    勧めいたします。
                    2009.06.29 Monday

                    詩篇19篇4-9節 から 神のことばと人間

                    0
                       詩篇19篇4-9節 から 神のことばと人間

                      前回は、詩篇19篇1-3節から、神と人間、人に語りたもう

                      神というテーマでお話ししました。そして、科学と聖書と

                      の関係をお話ししました。

                      西洋で科学がどう始まったのか、それは、神の声を聞こう

                      とした自然神学としての科学としてはじまったこと、そし

                      て、聖書から神の声を聞こうとした科学としての神学があ

                      ったということをお話ししました。


                      詩篇19篇4-5節を見てみましょう。

                      詩篇19篇4-5節は、

                       「しかし、その呼び声は全地に響き渡り、
                        そのことばは、地の果てまで届いた。
                        神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
                        太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。
                        勇士のように、その走路を喜び走る。」

                      と記されていますが、この詩篇の部分は、時に聖書の非

                      科学性を示すとされる表現でもあります。

                       地の果てに神は太陽の幕屋(テント・所在場所 聖なる

                      聖所)を設けたという表現は、太陽を擬人化した表現で、

                      非常に非科学的に見えます。

                       しかし、聖書における地理を考えてみると、大変面白い

                      ことがあります。詩篇103篇には、東西の方向性ほど離れ

                      ているといった表現もあり、なかなか面白い地理的な理解

                      が含まれています。旧約時代人の地理概念は、平板な地と

                      しての理解です。もちろん、人間の見える能力や考える

                      能力には限界がありますから、このような理解も当然の

                      部分もあると思います。聖書の時代の人にとっては、

                      西はエジプトかリビア、さらにいってもスペインが限界の

                      ようですし、東は、ユーフラテス川(バビロン)くらいま

                      でが旧約時代人の地理的な理解です。その限界がある時代

                      の人たちの中のある詩人の詩であることを知っておくこ

                      とは大切かもしれません。

                       この聖書の場所は、天動説の根拠とも理解されかねない

                      表現となっています。ちょうど、太陽が天空のルート状を

                      走るイメージで表現となっています。天文学には、見かけ

                      の関係という地球から見たときどう見えるか、という概念

                      がありますが、太陽が天空を走るという表現は、見かけ

                      (人間から見たとき)のイメージとしては正しいわけ

                      です。古来、それで暦を作ってきたのです。

                       この場所の理解について、どう理解するかですが、当時

                      の普通の人の天文認識の方法として、そして、天文現象の

                      詩的表現として、天文現象の表現の限界がある人たちの詩

                      的表現として理解するのが、妥当であり、この詩篇で天文

                      学を教えようとしていないように思うのですが。

                       さて、この箇所で注目すべきは6節です。しかし、その

                      呼び声は、という表現が見られますが、もともとの意味

                      は、その測量用の線は、という意味で、それで理解する

                      と、測量用の線は全地に渡り という意味となります。

                      6節の後半が、声との対比なので、呼び声と翻訳してい

                      ますが、『土地の所有の確定の測量用の線は全地に及び』

                      とも読むことができるのです。これは、要するに地は神の

                      所有物であることを示している様に思います。天が神の

                      栄光を表し、地上は神の支配のうちにあることを示して

                      いると思います。「そのことばは、地の果てまで届いた」

                      という表現も重要なことを示しています。「ことばが地の

                      果てまで届く」ということは、神の支配が地の全てに及

                      ぶ、という預言でもあり、福音が世界中に伝わるという

                      預言とも理解できるのではないでしょうか。

                       この箇所で注目すべきは、地の果てとの関係で、太陽に

                      言及されていることです。実際には地の果ては存在しない

                      のですが、地の果てという表現で、太陽が全ての世界を照

                      らすように、神が地に光を与える、と理解することができ

                      るのではないでしょうか。

                       花婿という比喩(5節)は面白いと思います。聖書の中

                      の花婿という表現は、キリストとの関係で用いられてい

                      ます。たとえば、ルカ5章34・35節もそうですし、マタイ

                      25章1-13節(再臨との関係)でも述べられています。

                      喜びの存在としての花婿があり、福音自体が喜びとして

                      の存在することを花婿というメタファー(比喩)で表現

                      しているように思うのです。

                      19篇6節では、次のような表現が出てきます。

                       「その上るのは、天の果てから、
                        行き巡るのは、天の果て果てまで。
                        その熱を、免れるものは何もない。」

                      この表現は、地上をくまなく照らす存在としての太陽と

                      の対比で、地上をあまねく見ている存在としての神を示

                      していると思います。

                       熱もしくは、陽光は、私たちのエネルギー源です。

                      たとえば、植物の成長のエネルギーの源としての太陽

                      があり、太陽があるからこそ、作物ができることは当時

                      の時代の人にとっても、当たり前のことだったと思いま

                      す。これは、太陽が植物を成長させる源泉であるように、

                      霊的成長の源泉が神であることを対比を使って述べてい

                      るように思います。

                      19篇7節には次のような表現があります。

                        「主のみおしえは完全で、
                         たましいを生き返らせ、
                         主のあかしは確かで、
                         わきまえのない者を賢くする。」

                       みおしえという言葉は、トォラァア(要するに律法 

                      モーセ5書)のことであり、たましいと訳されている

                      のは、ネフェッシュということばです。これは、いの

                      ち、生活、自己、望みといったその個人そのものを表

                      す語です。これを考えるとき、神のみおしえ(生ける

                      神のことば ヨハネ1章)こそ、人間の霊的回復・復

                      活、神との関係回復の根源であるといえましょう。そ

                      の意味で、イエスに関する預言とも読めると思うので

                      す。

                       あかしとは、神が神であることの証拠とか証言とい

                      う意味です。その意味で、あかしとは、神の証言であ

                      り、神が神であることの理解です。神の存在を認めな

                      ければ、秩序や道徳は不要となるわけですが、道徳や

                      秩序の根源である方としての神を理解することができ

                      るのではないでしょうか。

                       ここで言っているのは、(理性を神とする)理神論

                      的や汎神論的な解釈ではないことにご注意ください。

                      19篇8節には、

                      「主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ」という表現

                      が出てきていますが、この戒めと訳されている語は

                      (ピクゥード)という語で、もともとは、法令とか、

                      勧告、行動のガイドラインという意味の語です。とす

                      ると、ここは、神が私たちに与えたガイドラインは正

                      しいということとなります。

                       すなわち、神の義なる性質について触れていると思

                      われます。心と訳されている語は、先にも触れました

                      が、もともとは、内なる人・その人をその人たらせる

                      ものですから、神にあるものとしては、神の行動の

                      ガイドラインに沿うことは、神と共に生きること、神

                      にある喜びを感じる人間の一つの生き方であることを

                      示しています。

                      19篇8節には、

                       「主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」

                      とありますが、仰せとは、ミツバァという語で神の命令

                      という意味です。目を明るくするというオゥアァという

                      語は、内から出る光を持たせる、輝かせる、きらきらと

                      輝くという意味です。これは、内面の喜び、希望の存在

                      の外形的な表現でもあるわけです。それでは、主の仰せ

                      とは何でしょうか。それは、神の国の存在、神の子とし

                      ての回復だと思います。

                       神の子供としての回復があるとき、私たちは、内なる

                      喜びを持つものとなることを示しているように思います。

                       旧約聖書を読む際のポイントを最後にお話しして終わ

                      りましょう。

                       旧約聖書は、心と目の対応関係でとらえている部分が

                      あります。こころと目が対応し、内なる人と人の外見と

                      は対応しているという理解のようです。外形的な状態と

                      心の状態がリンクしているという旧約時代人(ヘブル人)

                      の人間理解があります。この関係に注意すると理解が進

                      む部分がかなりあると思います。たとえば、創世記での

                      アダムとイブの目が開かれた表現などは、理解が進むよ

                      うに思います。

                       最後は余談となりましたが、詩篇のこの部分は、神に

                      ある人間の喜びと神の栄光について、重要なヒントを与

                      えてくれるように思います。次回は、この続きで、19篇

                      の最後までを対象にお話ししていきたいと思います。

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