更新ができない
最近、忙しくって、更新ができていません。
日曜日、お話した内容を挙げたいのだけれども。
詩篇の87編から、異邦人の救いについて。 面白い預言なんです。
生まれること、門という表現、登録されること。そして泉。
面白いテーマなので、ぜひ、お読みいただければ。
詩篇に見る神・人・教会
今回は、詩篇87篇から詩篇に見る神・人・教会というテーマでお話しました。
詩篇の研究にあたっての前提として、私個人としには、聖書の中で、一番研究
しにくい書物であることをお話しました。聖書のなかで、私があまり公に取り上げ
たくないのは、詩篇・哀歌・雅歌・箴言です。
もちろん、詩篇を読まないわけではないのですが、今一つ取り上げにくい理由は、
感性に訴えかけることが詩篇には多いからです。本日の予定としては、詩篇を通し
て、神と人との関係についての問題提起となるような素材の提供ができればとお
もいます。今回は、皆さんに考えていただくための糸口、または素材の提供にとど
めたいと思います。
そして、最後の15分くらいを、理解を深めるためのディスカッションにしたいとおも
います。自由に思いついたことを発言してください。そして、考えを広げていただける
とうれしいのですが。
詩篇の解説に入る前に、本日の私のスタンスをお話します。詩篇全体の解説的な
学びはしません。旧約聖書の中での位置づけもありますが、それよりも、聖書の
中から特定の詩篇を読み解いていくことの探検をしてみたい。5部からなっているの
は、モーセ5書とパラレルとなっています。詩篇における構造論もあります。
ヘブル語で読むと見えてくる構造論もあり、一種言葉遊びみたいな詩篇もあります
が)もしません。構造を通して、示そうとする神のメッセージの調和性などの議論はあ
りますが、それはしません。
その種の研究のためには、註解書をご覧くださるとうれしいです。最近は、ウェブで
もいくつか解説されているサイトもありますので、それもごらんいただければ、と思いま
す。
今日のお話、その前にお話しておきたいことがあります。旧約と新約はつながって
いるようです。イエスは旧約についての複数の言及があり、詩篇と関係の深い部分
もあります。
使徒たちの旧約についての言及・引用もかなりあり、使徒たちの時代、聖書といえば
旧約聖書でした。そして使徒たちは、ユダヤ人会堂に入っていって伝道していったこと
は忘れるべきではないでしょう。
ところでイエスが言ったことは、何だったでしょう?イエスが言ったこと、イエスが当時
の人々に伝えようとしたことは何だったでしょうか?神の愛でしょうか?人々の間の平
和でしょうか?イスラエルの回復でしょうか?イエスが伝えようとしたことを一言で言う
と?と参加者の方にお聞きしたところ、福音とか、神の愛とか言う意見が出ました。
それもそうですが、イエスの主張は、神の国(天の御国、神の御国・御国、神の王
国)がその中心です。このことは重要だと思います。「国」という「例え、象徴」は重要
だとおもいます。この当時は、王政、または帝政が一般的な国家のスタイルでした。
今は民主主義・国民主権が一般的な国家意識ですが、これは、この200年くらいの
出来事でしかなく、国といえば、王国または帝国が基本的なイメージです。
詩篇の中に見る神の国について、詩篇87篇の中から考えたいと思います。詩篇87
篇に見る「神の国」ですが、王国では、主権は一つで、それは王にあります。
権威者(王)は、国民を保護する義務を持ちます。国民は、国家の一部を形成し、
保護の代わりにその代償としての軍役ないしは税金の負担が求められることに
なります。
神の国という象徴の面白さをかんがえてみると、国家は、王と国民一人だけでは成
立しないのです。複数の人々からなる国民の存在が前提となっているわけです。
国家は、国民を幅広く覆う存在ですが、保護者としての国家・共通したサービスを提供
する存在なわけです。神という主権者が必要、神と自分以外の他者が必要ですが、
コイノニアとしての神の国ということ、つまりキリスト者にあってひとつであるということ
と神の国ということを考えることは面白いかもしれません。
詩篇87篇の中の神の国をみてみると、聖なる山に基を置かれるということは、聖なる
山が鍵になるということを意味します。神の存在する場所としての聖なる山としてのシオ
ンがあり、それは、現在のエルサレムと考えることができます。
ヤコブのすべての住まいにまさってという表現は面白いです。ヤコブのすべての住ま
い(イスラエル人の国)ということですが、住まいというのは、もともと、ヤコブのテントと
いう意味です。
詩篇87篇の中の神の国として、門を愛される、という表現があります。この表現はちょ
っと変だと、私は思います。門を、普通の人は愛さないですよねぇ。この愛されるという
のは、もとのヘブル語を見ると、やはり、愛するとか好むとかいう表現です。どういう意味
かとかんがえてみたのですが、大切にされると理解することができるのではないでしょう
か。なぜ、愛されるのか、その理由を考えてみると、それは、シオンへの入り口だからか
も知れません。もともとのヘブル語で詳細に検討すると、複数の門という意味として書か
れています。この辺も何か考えることができるかも知れません。
4節に見る神の国の姿として、ラハブとバビロンという語がありますが、ラハブとは、偉
大なるもの、力強さから来た語ですが、エジプトの異称とされています。バビロンは、よく
ご存知のように、イスラエル人を捕囚した国家です。両者ともイスラエルに害悪をもたし
たものですが、それが、私を知っているものと表現されていることは、非常に面白いと思
います。
神の国は、神を知る(個人的・人格的に深い関係にある)ことと深い関連にあります。そ
れに関しては、J.I.パッカーの「神について」(Knowing God)が非常に参考になります。
4節に見る神の国の姿のもうひとつで、ペリシテとツロ・クシュがあげられていますが、ペ
リシテとは、パレスティナ人のご先祖でゴリアテがおりました。また、ペリシテは、フェニ
キア人であり、海上の商人でもありました。ツロは、フェニキア人の港町・レバノン杉の輸
出港だったですし、クシュはエチオピアのことで、当時の金の大産地です。ペリシテとツ
ロ・クシュはイスラエルの経済的な競争相手でもあったわけです。その関係がまずい相手
に、(神によって)生まれた、という表現がされています。
これは、血のつながりのイメージで、血のつながりは正統性・相続の正統性・正当な相
続の権利を有する存在です。同一の家系をなすことの重要性は現代の日本人以上のも
のがあったと思います。一種の運命共同体的存在があり、アブラハムとロトを見れば、わ
かりますが、彼らは地縁、血縁でつながっていたわけです。そのことを踏まえて考えてみ
たときに、ここで生まれた、という表現の持つ意味というのは非常に重要だと思います。
それは、同一の社会をなす存在だからです。
イスラエル人にとって見れば、ラハブ・バビロン・ペリシテ・ツロは異邦の民ですが、それ
が生まれた、私を知っていると表現されていることは、異邦の民への救いの預言を示すも
のと思います。
5節には、神の国とその主権者について、誰もかれもがここで生まれた、と書かれてい
ますが、こことはおそらくシオンのことで、であるとすれば、神にあって新しく生まれたもの
は、シオンの正当な所属・民としての存在でもあるわけです。これは、キリストの体として
の教会の姿でもあると思います。ところで、シオンでイエスが十字架上で死ぬことで、我々
キリスト者は生まれたわけです。「いと高き方ご自身が」とかかれていることにも注目した
いと思います。なぜなら、こうかかれていることで、神の国を建てるのは神の主権に属
することで、人に属することではないからです。
6節には、神によって所有される民としての表現が出てきます。民を登録するという表現
が出てきますが、これは、国民としての正当性を持つ存在としての認定と深い関係にあり、
神との関係にある保証があることと深く関係しています。参考として、神の子供としての特
権がヨハネ1章12節に出てきます。
この民はここで生まれたということも重要だと思います。キリスト者は、イエスによって生ま
れた、神の子供として生まれたのであり、イエスが十字架上で死んだことを通して与えられ
た新しい天の国、シオンが正当な所属地であることを考えることができます。ヨシュア記には、
所属地と部族との対応が出てきますが、そのこととの対応を考えるとき、神に登録されること
は、神の民としての地位を考えることができると思います。
7節には神の国の姿として、踊りながら歌うという表現が出てきますが、神の国の賛美の
在り方・天国での状態を現していると思います。日本人の一部は天国を静かな状態と考え
がちですが、どうも、天国は静かな状態ではないようです。賛美があふれ、喜びに満ちて
いる場所のようです。泉は、ことごとくあなたにあると書いてありますが、泉はこの書物が
書かれた、砂漠では、生命の源泉でもあり、砂漠の地では極めて重要なものです。
というようなことを議論の頭出しだけして、他の聖書との関係についての言及は参加者の
方にお任せしました。しかし、考えたこと、思ったことをしゃべらない、ということをしたので
すが、これは、厳しかったですね。しゃべりたいのをぐっと我慢して、皆さんのお考えを
お出しいただくこと、というのはかなりつらかったです。
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