老人とクリスマス
これは、2週間前にお話した福音のメッセージです。
クリスマスは、若い人たちのものと思われがちですが、実は、老人がいちばん活躍
しているというのは、違和感があるかもしれませんが、聖書ではクリスマスの前後に
老人が活躍するシーンがたくさんあります。
ザカリアとエリザベツ(ルカ1章)
高齢者カップルによる出産(ルカ1章5-25)
預言をするエリザベツ ルカ1章39-45
ザカリアの預言(ルカ1章67-79)
シメオンの賛美(ルカ2章25-34)
女預言者アンナの伝道(ルカ2章36-38)
が代表的ですが、エリザベツとザカリアの話では、バプテスマのヨハネの存在が
神の前に立ち返る神を準備し、神の前に整えられることの大切さをしめしていること
エリザベツの信仰は、ヘブル書の11章の信仰のあり方に関する評価にも共通する
神にあって語られたことは、必ず実現するということが信仰の基本である、という
ことを示していることは重要だというお話をしました。
ザカリアの預言では、イエスの誕生は、われらの敵(死、恐怖、悲しみ)からの救い
(71節)であり、救いとは、開放・その枠外におく といういみであること、
われらの生涯全ての日に、(中略)御前に仕えることを許される(74-75節)というこ
とはじゅうようかもしれない。とくに、神の前に使えることを求められるのではなく、
私たちの主体的な思いを認めて、許してくださるという認識に立つことの重要性を
示していることは考えた方がよいかもしれない、とお話しました。
シメオンの賛美に関しては、イエスを啓示の光と呼んでいることが重要で、神を
知るための啓示の光であることをきちんと認識することの重要性を思いました。
高齢者が活躍したことの意味としては、高齢者が闇をよく知っていること、
その中の光の価値がわかること、神を近くかんじることができること、などと
いうお話をしました。
高齢者であるがゆえに闇とその中にさす光の意味を味わうことができること、
心のうちにある闇の問題への意識と理解の深まりが若いときにはないけれども
年齢が進むにつれて、そのことを深めていくことができることの重要性を示して
いるのかも、ということをお話しました。
高齢であることは、現代社会ではあまり重視されませんが、実は豊かな恵み
であることを
クリスマス会でのお話
今年のクリスマス会でしたお話です。
15分という制約がついていて、子供たちもあまり退屈させないように、ということでお話
することとしました。
まず、クリスマスはどんな日か、という事でお話しました。
最初はクイズ形式で、クリスマスがどんな日か、という
ことを皆さんにお聞きしました。
イエスの誕生日がクリスマスと思われているけど、
クリスマスそのものは、イエスの誕生日ではないこと、
イエスの誕生日はよくわからないこと、でも、イエス
の誕生を覚える日であることは間違いないこと、という
お話をしました。
なぜ、イエスの誕生日としてうれしいのか、というと
イエスは、私たちのいつまでも続く友達になろうとした
からうれしいこと、イエスは、ジャイアンやスネオのよ
うな友人ではなく、一緒に過ごすことが楽しい友人で
あるということ、イエスは、大人ではなく、子供でもな
く、普通の赤ん坊として生まれることで、私たちと同
じ人間として生まれることで、私たちの友人であろう
とすることを示したことをお話しました。
それから、お誕生日会に行くのは、楽しいこと
なぜかというと、仲のよいともだちと一緒にいること、
そして友達と遊ぶことが楽しいからではないかなぁ、
とお話し、イエスは、みんなとそんな友達になりたく
て、この地上に来たこと。イエスは、みんなと一緒に
過ごしたいなぁ、としてこの地上に来たこと、そして
神様がともにいることを知ってもらいたい、インマヌ
エルとして、来たことをお話しました。
そのあとで、大人向けに、人間の間の友情や愛情
は時間や空間に制約されるけれども、神の愛は
制約されていないことを示すため、それを伝える
ためにこの地上にきたこと、聖書の示す永遠と永
遠の愛は人間は完全に理解することはできない
けれども、その一端を伝えるためにイエスが存在
したこと、そして、神の家族であることを紹介する
ために地上に来られたこと、イエスは今も生きて
いて、そしてイエスは神が皆さんとともに生きよう
としていることをつたえるためにこられた、という
テーマでお話しました。
全体を15分で収めたのですが、あるていど、来
ていた子供たちにも理解してもらったように思い
ます。
大人向けには、もう少し深めて話したいと思いま
したけれども。
たち(消し忘れ)
闇の季節に
冬は、闇を強く感じる時期のひとつ。
日が早く沈んでしまうこともあると思う。関西では、5時を回ると
暗くなるが、関東だと、場所にも夜が4時半くらいには、かなり暗
くなる。シアトル近郊にいたときは、4時前後には、真っ暗だった
記憶がある。
クリスマスは、この闇を意識する時期だからこそ、ふさわしいと
思った先人の感覚もわからなくも無い。
今、
闇を住みかとする私、やみを隠れ家とする神
という本を読んでいる。
キリスト者に関する誤解、キリストの弟子(信者)になれば、罪
が無くなる、という大きな誤解について触れている。基本的に、
キリストの弟子(信者)になったとしても罪はなくならない。心の
中の闇の存在はなくならない。心の中にある闇に敏感になるこ
とはある。倫理的な生き方をしたいと思う、キリストの弟子として、
そして、キリストの地上における使節としていきたいと思うが、そ
うはできない自分がいることがよくわかる。それ以上のことでは
ない。
近代という時代を経て、啓蒙思想に影響を受け、その時代を経
た私には、身体性と理性の分離がある。でも、それが本来不可
分のものであることを最近強く感じる。オウム真理教の指導者と
その信徒がなしたことは肯定できないが、身体性と理性の二元
論とその分離では捉えきれない人間の実存についての問題が
あることを彼らの存在は示したように思われる。
現代人の現代社会における違和感というのは、自分自身の身
体性と理性、合理性との分離にあるような気がする。それが、思
想的には、Wholisticsにつながったり、さまざまなポストモダン時
代の思想に影響しているような気がする。まじめにこの辺の本を
探していないので、整理ができていない。
この時代に生きているものとして、このことをどう考えるのか、少
し考えてみたい。たぶん答えを求められても、答えられないと思う
けれども。自分自身の問いとして考えていきたい。
(答えは聞かないでね。)
大爆笑したこと
昨日、わが家では中学生の長男の発言に大爆笑。
はまちの脂身でたっぷり油の乗ったはまちの刺身が食卓に出ていた。
食事を始める前に、家内と一緒に買い物に行って刺身の短冊を飼ってきた中学生の姉に向かって、
弟:「お姉ちゃん、これ、なに?」
姉:「お刺身」
弟:「何の刺身?」
姉:「はまちの刺身。見たことあるでしょ?」
弟:「ふーん。」
そして、おもむろにお刺身に向かって、片手を軽く挙げながら、
弟:「Hi. Nice to meet you 」
久しぶりに食べることをアピールされてしまった。中一の癖に、tortureということばの雰囲気をまともに英語で説明するわが子から言われると、そのジョークのきつさに笑い転げてしまった。
しばらく笑い転げていて、とりあえず、笑いが止まったので、食事の前の祈りをしたが、食事の前の祈りの最中にも思い出し笑いをしてしまって、祈りがしばらく止まってしまった。わが子には、時々笑わされてしまう。
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