お勧めの本
ヘンリー・ナウエン著 「闇への道、光への道」原みち子訳、こぐま社、70
あまり、だれかれに薦められる本ではないけれども、この本は良かった。特にタイトルが、厳しいかも。高齢者には進めにくいが、高齢者にぜひ、読ませたい本。高齢者のお世話をする人々にも。
もちろん、ナウエンと読む福音書も、ナウエン自体の共同体、という観点がじわっと伝わってきて、良い本です。放蕩息子の帰還は確実に秀作と呼ぶべきかと思います。この2冊は、誰にも貸せない本です。貸すのであれば、買ってプレゼントするタイプの本です。
しかし、ヘンリー・ナウエン著 「闇への道、光への道」は、一部、カトリックの近年のエキュメニカルな思想性(ナウエンではなく共著者のほうのもののような気がしますが、共著なのでよく分からない)があることや、カトリック的な霊性の部分があるにせよ、歳をとる、ということは神の国に向かっていく、ということを強烈に伝えてくれる本です。そして、人生が神と出会うための準備期間であることを示してくれる。そういう類の本です。
そして、手放していくことの重要性、権力や能力、金銭などにしがみつくことの危険性をじわっとやわらかくユーモアを持って示してくれる本です。そして、自分たちの生活が、生産性という牢獄という中に、自らロックインしてしまっていることを示してくれる、そんな本です。
この本には、面白い記述があります。年老いた人の包容力とユーモアについて、こんな話が載っていました。
ローマ教皇にある人が聞いたそうです。
『バチカン市国には大勢の人がいますが、どれくらいの人が働いているのですか?』
ローマ教皇はしばらく、考えた後で、
『半分くらいじゃないかな』
と答えたそうです。
電車の中で読みながら、笑いが止まらなかったので、向かいに座っていた女子高生に不思議そうに見られてしまいました。
誰にでもお勧め、というわけには行きませんが、ケアの問題を考える人には、お勧めの一冊かも。
ナウエンの本の不思議さとキリスト者勝利主義への疑問
今、ナウエンの本を読みながら、考えている。
なぜ、ナウエンの本を読むと、どっと疲れが出る感じがすると同時に、癒される感じがするのか。彼の人格に包まれているような感覚になるのか。不思議な感覚を与える著者である。
ロイド・ジョンズも読んだ、C.S.ルイスもあらかた読んだ。レオン・モリスは好きだ。FFブルースの使徒行伝、ヘブル書、ローマ書の講解は本当にすごい、と思う。パッカーも大好きだ。マクグラスもその思想史的な体系が面白い。でも、ナウエンの本のように人格と触れ合う気がしない。どちらかというと、対決している感じがする。しかし、このナウエンの本を読んだときの人格と触れ合うような感覚、って一種独自のものがある。
ナウエンとの違いを、家内と話しながら考えた。ロイド・ジョンズ、C.S.ルイス、パッカー、レオン・モリス、ライル、ブルース、マクグラス。彼らの主張に納得できないところも時にはあるが、その主張はおおむね正しい。共感できる。理解できる。その論理構成のあり方は妥当だと思う。頭脳には楽しい本ではあり、聖書知識や聖書の理解を深めてくれる。自分が聖書を読む際に抑えるべきポイントを示してくれる。理解を深めるのに有益であるし、自分が気付かなかったことを、知らなかったことを示してくれるという意味では、これほどありがたい著者たちはいない。
ナウエンは、それとは違うものを持っている。明らかにそれを感じる。ロイド・ジョンズにしても、C.S.ルイスにしても、パッカーにしても、その他の著者にしても、聖書理解を研ぎ澄まさせてはくれる。これは重要。でも、ちょっと対決している感じ。教わっている感じ。教室で対峙している感覚。
ナウエンの本は、横長の席に座って、隣に座ってざっくりとした話をしている感じ。対決感がない。これが最大の違いかもしれない。
この中にあるのは、自分自身の信仰が、どこか勝利主義という観点がおかしいぞ、ということを感じ取っている、からかもしれない。多分、私がsecond generation(第2世代)のキリスト教徒であるからかもしれない。第1世代のキリスト者は、家族の反対を押し切り、社会全体の人間関係と対決しながら、信仰を守ってきた部分がある。まさしく、戦い、勝ち取ってきた信仰である。その経緯で作り上げられていった感性からすれば、
『信仰は勝利、信仰は勝利』(聖歌の光の高地に)なんてことになるのかもしれないし、
あるいは、
『われらは常に勝利、勝利』なんてことにもなるのかも。
この辺の勝利主義的な信仰って、どこか歪んでいるようなちょっとした気持ち悪さが最近の私にはあったりする。
時々、宣教大会やキリスト教徒の集りなどで、『決起集会』とか書いてあるのを見ると、動労とか、国労が元気だったころの在りし日の姿を遠く思い出すとともに、この感覚、何とかならないかなぁ、と思ったりする。
イエスの救いは、悪魔に対しての勝利や『死のとげ』に対しての勝利かもしれないが、人間の誰か、に対して勝利するものではない。ましてや、他の人々への優越感を与えるようなものではあってはならないと思ったりしている。
ナウエンは、そこをきちんと示しているところ、それも頭ごなしにではなく、それを示しているところが気に入っている。
秋の味覚 ねぇ。
今週のお題
“秋の味覚”と聞いて、思い浮かべるものは何ですか?
なし、りんご、ぶどう、かき ですかねぇ。 なんか小学校の算数の教科書みたい。
ワシントン州にいたときは、基本、秋になると、りんごだったですねぇ。異様にやすかった。1キロで1ドルしなかったもの。食べた、食べた。
カリフォルニア州にいたときは、やはりブドウでしたねぇ。オレンジが出始めて、秋かなぁ、と感じましたねぇ。あまり季節感のない土地でしたが、果物だけは、自然のバロメータでしたねぇ。
あなたは誰と逃げますか?
今回のお話は、ホテル・ルワンダのラストシーンを使いながら、逃げることというのか、私たちが守るべき永遠のいのちへの対応をどう考えるのか、ということをお話しました。
私たちは、ホテル・ルワンダが取り扱っているような銃撃戦や100万人以上が死んだような虐殺の中で生きているわけではないものの、ストレスという銃撃戦や、対人関係の問題、家族内の問題というな困難の中で、精神をすり減らし、たましいをすり減らしながら生きているのでは、というようなお話をしました。
ホテル・ルワンダの総支配人になったポールさんは、国連に守られながら逃げることで命からがら逃げ出しましたが、それと同じように、われわれもさまざまな困難や苦しみに中にあるときに、誰の元に誰と一緒に逃げるのか、それが重要ではないかと問題提起した後、聖書の中から、マルコの福音書8章34−35節で神の元に逃げることをイエスご自身が勧めていること、ヨハネ14章18−20節で神とともに、イエスとともに逃げることができること、をお話しました。
また、クリスチャンになったら不幸な状況に陥らないのではなく、不幸な状況の中にあっても神がともに居られるところが重要なのであり、不幸の中でも神とともに歩むことの重要性、絶望の中を神がともに歩んでくださる、ということを聖書は教えている、このことが重要なのだ、ということをお話しました。
まだ、信じる決心をしておられない方が、6人来て下さったのでよかったなぁ、と思います。聞いていただいた方々の反応を見ている限り、割とわかっていただけたのではないか、と思います。
昨日は、PCをサブ機を含め3台持っていっていたのですが、1台は、電源ケーブルを持っていき忘れ、使えなかったし、1台は、DVD画像が出なかったので、来週予定されている婚約式の式次第の用紙を印刷していたマシンを一時止めて、対応するなんかをしたので、結構準備がぎりぎりであせりました。朝10時からはじめて、印刷が終わったのが、3時40分(途中1時間はパワーポイントでのプレゼンのために利用したけれども)。Illustratorで印刷すると65部といっても結構かかりました。何せ、両面なので。
ナウエンを読みながら
ヘンリ・ナウエンをよみながら
もうかれこれ、10冊近くナウエンを読んだであろうか。面白い。霊的に大変刺激的。自分の信仰を見直すための参考になる。とはいえ、5冊目を超えたあたりから、どこかで読んだ話がチョコチョコ出てくる。これは仕方ない。ナウエンが書いたものを通して、ナウエンと話しているのだから、彼が面白いと思った話にお付き合いするか、軽く聞き流す。
ただ、ナウエンにはナウエンという人物が過ごした時代背景と文化コンテキストがあることを忘れてはいけないことも思う。
ナウエンは、オランダ生まれ。基本、カトリック社会の中で育てられた人物。最初から最後まで、カトリックという枠組みは外れなかった。それはそれでよいとおもう。ドイツ人によるユダヤ人虐殺の舞台の中で幼少期を過ごし、育った人。食糧難の中で豊かな家庭とはいえ、飢えるという問題に直面していること。アメリカに移ってからは、公民権運動、ヒッピー文化、その後のアメリカ文化の中に潜む拝金思想なんかにも直面したこと。これらが、ナウエンの著作に大きな影を落としていることが、彼の著作を読み漁っていると見えてくる。その点での限界も見えてくる。
2・3冊読んでいる分には、この辺はわからなかったが、今、これは確信に変わりつつある。神の前に静まることを知らないアメリカ文化、神の前に明け渡すことが十分でないアメリカ文化、神の前に悪びれずに出るアメリカ文化、In God We Trustが国是であるがゆえに自分たちはクリスチャンだと思い込んでいる人々をつむぎだしていくアメリカ文化、これに対する反論だと思う。その意味で、キリスト教徒は何か、聖書とは何か、ということを深く深く教える書物。それがナウエンの本。聖書ではない。でも聖書をより深く理解するための大きな手がかりをくれた本。それは間違いない。
もちろん、カトリック的背景の中で信仰を深めてきたのだから、エキュメニカルの思想が時に出ることが多い。カトリックだから、駄目、プロテスタントだから、まともでない。そんなことはない。神の前に出るとき、カトリックも、ルター派も、カルバン派も、ツウィングリ派も関係ない。それこそナンセンスな議論。それこそ、カトリシズムや真の教理を離れた派閥主義に過ぎない。
要は、自分たちがどのように聖書を読むか、神と交わりのひと時を持つか、そして、その上でどう世界と切り結ぶかを考えることが、重要だということがなんとなくわかった。もうちょっと、ナウエンと付き合ってみよう。年内一杯は、ナウエンかなぁ。その上で、次はボンフェッファーともう一度付き合いなおしをしてみよう、と思っている。20年たって、どう読めるか。気になるところ。
得意料理ねぇ。
今週のお題
あなたの得意な料理は何ですか?
最近は、奥さんが食事を作ってくれるので、あまり食事を作ることはありませんが、昔は自分で食事を作っていました。
得意料理は、
夏場は、刺身、冷奴、納豆。加工するのが面倒でないもの。
秋口は、秋刀魚の蒲焼、鮭のムニエル。茨城は安かったので。
冬場は、野菜のくたくた鍋。
白菜、大根、にんじん、ごぼうと鶏肉、あげで作る鍋料理。簡単で、栄養価が高く、値段が安い。
いずれも得意料理とはいえないですね。料理という名に値しない。
残念。服部先生のブログが終わった。
マクグラスのお弟子さんで東海地区で牧師をしておられる服部先生のブログ 晴耕雨読の日々
http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/
が終わってしまった。
残念。ロイドジョンズやマクグラスがまともにとり上げられる数少ないブログだったので、先輩の話を立ち聞きしている感じがしていたのに。ちょっと残念。キリスト者の中でも、この手の話ができる人は少ないので。
まぁ、お疲れになっていたのもあるのでしょう。服部先生の上に平安があるように祈りたいと思いました。
お勧めの本
『いま、ここに生きる』増刷がでた。
うれしい。
読みたくて、読みたくて仕方なくて、結局版元在庫切れ、ということで、原著に手を出した。英語でも読みやすい。
心が温まる本。多分、日本語でもそう。神の臨在を感じながら、生きていくことの大切さを教えてくれる本。そう。神は臨在する。これは、忘れがちだけれども、大きなこと。神が私たちとともにいる、ということの味わい深さを教えてくれる本。
在庫があるうちにお買い求めされることをお勧めします。
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