孤独なボーリングを読みながら
最近、仕事の関係で、アメリカ人の社会学者のロバートパットナムの孤独なボーリングを読んでいる。
教会のあり方を考え、なぜ、今教会などでの参加が進まないのか、アメリカでも進んでいないというようなことが書かれている。非常に参考になる視点がえられる。聖書からの学びではないけれども、教会のあり方や今の社会におけるさまざまな組織への参加意識が下がってきたのかを示した名著だと思います。
直接、聖書のお話とは関係ありませんが、とりあえずご紹介。
あなたがほしいもの
今週のおはなしは、あなたがほしいもの、というテーマでお話しました。
まず、何人かの方に、皆さんがほしいものは何ですか?とお話をお聞きしました。
答えとしては、本とか、遊戯王カードとか、ほっとした時間とか、特に何もない、というようなお話を伺ったあと、どうも、私たちは、自分たちが理想としているとは言うものの、自分自身持っていないものをほしがっているようだ、というお話をしました。
赤ちゃんなんかはほしいものはすぐわかりますよね。眠いとき、お腹が好いたときには泣いてその必要を叫びますし、ほしいものはそんなにないので、わかりやすいですが、大人はいろんな形で、ごまかしてしまうので、必要なものはわかりにくいですよね。ごまかしてみたり、他の代わりのもので妥協してあきらめてしまうとか、自分たち自身の本当の問題に目をつぶって本当の問題点、ほしいものをごまかしている場合が多いですよね。
聖書が与えようとしているものをお話します、という事でマタイ5章3節『心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人たちのものだから。』という部分を読んでお話しました。
ここの貧しいという意味は、単に現代の意味である、欠乏感があるとか、不満、不安があるとか、満足感がない、あるいは裕福でないという現代の貧しさではなく、絶望的な生きることすらできない貧しさ、という意味で、ルカ16章に出てくるラザロという貧しい人に使われているのと同じことばであることを説明し、絶望的に貧しいということであることを説明しました。
さらに心が貧しいというのは、精神的に貧しい、というのではなく、霊の意味で、貧しいという意味であることを絶望的な欠乏があることを示していることをお話しました。さらに、神様との関係が欠乏していること、自分自身ではどうにもならない、何も解決できないという絶望感であることをお話し、ここで言う心の貧しさとは、神様との関係が絶望的に不足しているということを素直に認められることです。
もし、このことを認めれば、天の国、神との関係は私たちのものであるというのが、天の御国はあなた方のものです、というのが聖書の約束です。それは、普通の場面であるように、誰かがそれを持つと他の人の取り分が減ったりするというのではなく、みんながともに受け取りながら、それを味わうと同時に、みんなが一緒に楽しむことができるものです。
そして、神の国とは、圧倒的な豊かさであり、どんな欠乏でも満たすことができるものです。もちろん、人間は生きている間は、その豊かさを全て味わうことはできませんが、人間が点の国に言って神様との関係を純粋に味わうようになってから、完全にその豊かさを味わうことができるのだと思います。
さて、皆さんは、欠乏感というのか、漠然とした不安感をお感じになったことがあるのでしょうか。もし、この豊かさについて、味わいたいと思われるのなら、自らの状況をよくお考えください。もし私たちが欠乏があると素直に認めることができるのであれば、神はその欠乏を埋めてくださるとともに、考えることのできない豊かさを私たちに提供しようとされているのですが、みなさんはどうされますか。ぜひお考えください。
という形でお話しました。若い方がこられなかったのは残念でしたが、年配のご夫妻が聞いてくださったので、本当にこの豊かさを味わうようになられれればいいのに、と祈っております。
孤独なボーリングを読みながら 続き
この本については、いろんな人がいろんなことを書いているので、(ソーシャル・キャピタルで検索するといろいろでてきます)教会関係のことだけについて、絞って書きます。
この本は、ある意味で、アメリカ社会の文脈というのか社会背景の中で書かれた本だといえます。アメリカ社会は、何もないところから限られた人間との密接な関係、あるいは、コミュニティを作ること、結構近場での引越しを頻繁にする社会であることから、地縁型組織というもの自体が成立しないので、いろんな社会活動の基礎となるのが教会という宗教組織だったり、ロータリークラブやフリーメーソン、エルククラブといったさまざまな組織やボランティア組織だったりするので、社会集団の区別が明確でないという批判なんかもありますが、アメリカでは、教会という外見から見た場合の宗教組織すら、地縁組織ではなかったりするので、この辺アメリカの教会に通っていないと雰囲気分からないかな、という感じがしました。
で、なぜ、教会の参加率が下がってきたのか、という理由ですが、基本的に社会が個人主義化してしまったこと、(その背景には、アメリカ人の独立意識というのか、一匹狼精神というのかが大きく聞いてきているように思います。この辺は、心の習慣という本が、かなり綿密に書いています。)要するに、アメリカ人の心性が、隣の人々への関心が個性重視や個人重視の結果、近くの人々との関連を深めるよりも、テレビと個や、テレビのような中心性のあるもの(教祖でもよい)と自分という形の1対多の関係を思考したことにあるようです。まぁ、言い代わるかは別として、教会とまったく関係を持たなくても、生きていけるような社会になってしまったということでしょう。結婚式も教会で挙げなくてもよいし(市役所で挙げられる)、墓地に入るのも、教会の信徒でなくてもよくなったし、生まれたときの登録も教会でなくてよくなったこともあるのだろうと思います。18世紀までのヨーロッパ社会あるいはアメリカ社会は、出生、結婚、死亡まで、社会のさまざまなところで教会の関与なしに生きることは事実上不可能だったので、教会が個人の生活に必要以上に関与するのがいいかどうかは別として、教会なしに生きることを可能にしてしまったことが、アメリカ社会のコミュニティを衰えさせたのかもしれません。
あと、ベビーブーマーはコミュニティを作ろうとしたところがあるという指摘もありますが、これは、既存勢力や既存の社会システムに対抗する為に一人ではできないので、コミュニティができたという可能性があるのでは、と思ったりしました。
ところで、テレビといえば、オウム真理教(現アレフ)にしても、麻原対一人一人の信徒という関係が思考された、という意味で、個人主義の行き着いた形を示しているのかもしれません。麻原がテレビ時代の宗教家であることとも、深い関係があるようです。どこかの対談で、お坊ちゃまんくんと麻原は呼ばれて、まんざらでもなかったようですから。
で、余談に行ってしまいましたが、このPutnamというおじさんの主張によれば、Webはリアルのコミュニティ(社会集団)を支援・補完するものの、コミュニティとはなりえないし、コミュニティというには関係性が脆弱だ、という主張のようです。まぁ、そうかな、と思います。
リアルな関係性、家族関係なんかは、抜き差しなりませんし、これは、関係性がかなり強いものですね。
あと、自動車や鉄道で移動能力が高くなったことにより、人間の関係性が広がると同時によわくなってしまったということも、Putnamは指摘していました。そりゃ、アーミッシュのようにロバの引く馬車で移動する範囲がすべて、という人にとっては、住んでいる社会とコミュニティは一致せざるを得ないし、動力を使わない以上、コミュニティなしに生活が成り立たないですから。
Putnamはコミュニオン(聖餐式・礼拝)とコミュニティ、コミュニケーションとの関係で、議論を展開しようとしていて中途半端に終わっている感じがしますが(多分、Putnamは教会との関係が薄い人かもしれません)、実は、聖餐式(コミュニオン)というのは、人間関係の関係の強さと深さを考える上で非常に重要なのだと思います。
あと、仮想社会で真実の個が成立するか、ということですが、個人的には、真実の個(人格としての個人)がサイバーコミュニティで本当に成立しているのかな、と思います。Takachanさんのアノニマスな個(真実ではない個、あるいは個を形成するの一部だけを含む個)は成立するのかもしれませんが、いろいろしていて思うのは、Webであれ、どこであれクリスチャンとして活動しているときの個における不思議さです。
Foceさんや、サトさん、リハビリコアラさん、Takachanさんとのお付き合いが成立しているのは、真実の個がリアルワールドで成立していて、キリストを信じるコミュニティという枠組みがあるからこそ、サイバーコミュニティの中でも、それらの深い関係が成立できるのかなぁ、と思います。Foceさんについても、コアラさんにしても、サトさんにしても、お会いしたことはありませんが、表裏があるようには思えないのは、キリストの体、あるいはキリストを信じるコミュニティという確固とした裏づけがあるからだと思います。だからこそ、サイバー空間という弱い関係性しか作りえない空間で、キリスト者としてのお話ができるのかな、と思います。
いずれにせよ、コミュニオンは、みんながキリストのゆえに集まらないとコミュニオンにならない。信者がいろいろな現実の差を乗り越えて、仮にさまざまな対立があったとしても、それについて神の前の信者同士が、お互いに愛し合い、キリストにあって赦されたことを覚えながら、さまざまの対立を超えて神との和解が成立している事を覚えながら、ユダヤ人やギリシア人も日本人も含め、ひとつの体として集められるところに聖書やキリスト者の集まり(コミュニティ)の不思議さがあるようです。ただ、信者に仕えるのではなく、信者に使えられようとしたり、信者を不当に厚かったり、虐待するような教会の指導者やカルトの指導者は、教会の代表者をしていようが、牧師を自称しようが、神学校をでていようが、按手礼を受けていようが、キリストの体の一部ではない、と思います。
Putnamは政策的に人々が集まり、いろんなことができるような仕掛け作り、政策の必要性を説いていますが、これは、政策でできるものなのだろうか、日本社会、とりわけ、宗教的な背景のない日本社会で、マンションとか団地でコミュニティというものが成立するのかどうかというのは、個人的には疑問かなぁ、と思います。特に、最近は社会の多様化が進んでいるので。
まだまだ、考えていることはありますが、また、これについてはまた改めて。
リーダシップってなんだろう。
一昨日TBSのNews23を見ていたら、トニー・ブレアが出ていた。
彼の発言の中で、一つ面白いことがあった。対談者の筑紫哲也さんは、重要ではないかと思ったのか、きっちり省いていたが、彼がリーダーシップに聞かれた時に開口一番言ったこと。
リーダーシップとは、人の重荷を取り去って、引き受けてあげること。
ブレア君の本音、本当にしたかったことが出たことかもしれない。公僕としてトニー・ブレアはそれが十分出来たかどうかは別として。公共の福祉のために奉仕する首相の立場を表しているヒントになることばであった様に思う。もと、彼は労働党出身だし、このことが頭にあったのかなぁ。
イエスキリストは、確かに人の重荷を取り去って、引き受けた。
教会の牧師、指導者は、本来人の重荷を取り去って、引き受けるべき存在。
教会のリーダーシップって何なのかな。
受難週だけに、考え込んでしまう。
くせねぇ。
今週のお題
どうしても直せない!あなたの癖はなんですか?
悪趣味ないたずらをすること、悪趣味な冗談を時々言いたくなること。
特に、公式の席であればあるほど、Mr. Beanがするような悪趣味なことをしてみたくなる。
Mr. Beanと同じように時々5歳児みたいなところがあるので。
やめないといけないけれども、やめられない。
- ブクログ
- G
- Selected Entries
-
- 孤独なボーリングを読みながら (03/04)
- あなたがほしいもの (03/09)
- 孤独なボーリングを読みながら 続き (03/17)
- リーダシップってなんだろう。 (03/19)
- くせねぇ。 (03/22)
- Categories
-
- 聖書のメッセージ (4)
- 聖書研究 (18)
- ごあいさつとご連絡 (88)
- 本の紹介 (140)
- いろいろおもうこと (402)
- なんとなく思うこと (163)
- 聖書メッセージ (13)
- 今週のお題 (12)
- ごあいさつ (13)
- カテゴリなし (3)
- 映画・DVD (3)
- お笑いシリーズ 替え歌など (23)
- NTライト関連 (50)
- 教会にお小さい皆さんが減った理由 (11)
- ジョン・H・ヨーダー関連 (10)
- 教会やめたい?シリーズ (9)
- ゲーム理論と組織 (8)
- 日本のキリスト教 (4)
- 『富士山とシナイ山』に学ぶ (41)
- 反知性主義をめぐるもろもろ (16)
- Telos理解 (8)
- 深井智朗著 神学の起源 社会における機能 を読んだ (7)
- 仏教との対話 (12)
- 教会史研究 (8)
- 『「弱さ」の向こうにあるもの』に学ぶ (15)
- 工藤信夫さん関連 (14)
- NTライト著 クリスチャンであるとは (64)
- 『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』を読んでみた (24)
- 『福音と世界』を読んでみた (7)
- たき火を囲む物語続編 (4)
- イベント参加記録 (24)
- キリスト教とメディア (9)
- グリューンの著書を読んで思ったこと (8)
- ゲーム理論の応用問題 (4)
- フィリップ・ヤンシーに学んでみた (46)
- 環境問題とキリスト教 (8)
- 祈りについて (6)
- 後藤敏夫著 『神の秘められた計画』を読んだ (6)
- 雑誌シリーズ (6)
- 若者とキリスト教 (14)
- 人口減少社会の中の教会 (6)
- 聖書関連講演参加記 (22)
- 説教黙想 (4)
- 福音派が生まれたころのよもやま話 (15)
- Archives
-
- July 2021 (4)
- June 2021 (10)
- May 2021 (14)
- April 2021 (14)
- February 2021 (11)
- January 2021 (6)
- January 2019 (2)
- December 2018 (15)
- November 2018 (13)
- October 2018 (16)
- September 2018 (17)
- August 2018 (20)
- July 2018 (16)
- June 2018 (13)
- May 2018 (14)
- April 2018 (4)
- November 2017 (8)
- October 2017 (16)
- September 2017 (14)
- August 2017 (13)
- July 2017 (15)
- June 2017 (15)
- May 2017 (15)
- April 2017 (16)
- March 2017 (14)
- February 2017 (14)
- January 2017 (14)
- December 2016 (18)
- November 2016 (17)
- October 2016 (17)
- September 2016 (13)
- August 2016 (15)
- July 2016 (15)
- June 2016 (17)
- May 2016 (14)
- April 2016 (16)
- March 2016 (16)
- February 2016 (16)
- January 2016 (15)
- December 2015 (20)
- November 2015 (18)
- October 2015 (21)
- September 2015 (16)
- August 2015 (17)
- July 2015 (23)
- June 2015 (27)
- May 2015 (23)
- April 2015 (19)
- March 2015 (17)
- February 2015 (16)
- January 2015 (19)
- December 2014 (18)
- November 2014 (17)
- October 2014 (18)
- September 2014 (24)
- August 2014 (13)
- July 2014 (19)
- June 2014 (16)
- May 2014 (15)
- April 2014 (16)
- March 2014 (4)
- October 2013 (5)
- September 2013 (9)
- August 2013 (13)
- July 2013 (14)
- June 2013 (13)
- May 2013 (14)
- April 2013 (10)
- March 2013 (16)
- February 2013 (15)
- January 2013 (14)
- December 2012 (15)
- November 2012 (11)
- October 2012 (11)
- September 2012 (7)
- August 2012 (1)
- May 2012 (6)
- April 2012 (4)
- March 2012 (10)
- February 2012 (9)
- January 2012 (9)
- December 2011 (10)
- November 2011 (8)
- July 2011 (3)
- June 2011 (5)
- May 2011 (9)
- April 2011 (2)
- March 2011 (9)
- February 2011 (3)
- December 2010 (5)
- November 2010 (10)
- October 2010 (11)
- September 2010 (9)
- August 2010 (3)
- July 2010 (14)
- June 2010 (7)
- May 2010 (9)
- April 2010 (4)
- March 2010 (1)
- January 2010 (2)
- December 2009 (8)
- November 2009 (13)
- October 2009 (14)
- September 2009 (11)
- August 2009 (11)
- July 2009 (2)
- June 2009 (10)
- May 2009 (4)
- April 2009 (2)
- March 2009 (2)
- February 2009 (2)
- January 2009 (3)
- December 2008 (4)
- November 2008 (10)
- October 2008 (8)
- September 2008 (3)
- August 2008 (1)
- July 2008 (1)
- June 2008 (3)
- May 2008 (3)
- April 2008 (7)
- March 2008 (5)
- February 2008 (7)
- January 2008 (2)
- Recent Comment
-
- 日本の教会モデルについてちょっこし考えてみた(5)
⇒ アンドロポフ (07/24) - N.T.ライト著上沼昌雄訳 『クリスチャンであるとは』 その36
⇒ ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい (04/11) - N.T.ライト著上沼昌雄訳 『クリスチャンであるとは』 その36
⇒ たんさいぼう (03/13) - 日本の教会モデルについてちょっこし考えてみた(6)
⇒ ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい (02/27) - 日本の教会モデルについてちょっこし考えてみた(6)
⇒ Saori (02/27) - 日本の教会モデルについてちょっこし考えてみた(2)
⇒ ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい (02/23) - プロセスとしての信仰、決断としての信仰(3)
⇒ ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい (11/29) - プロセスとしての信仰、決断としての信仰(3)
⇒ スマイル (11/28) - 若い人しかいない教会で気づいたこと
⇒ ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかいミーちゃんはーちゃん (11/19) - 若い人しかいない教会で気づいたこと
⇒ じゅん (11/17)
- 日本の教会モデルについてちょっこし考えてみた(5)
- Links
-
- 水谷潔さんのブログ
- 本を枕に-スピリチュアルな日々
- おふぃす・ふじかけ(blog)
- [聖書的健康状態日記]
- コアラさんのサイト(カルト被害対策)
- キリスト教ネットメディア研究会
- ブラザレンの諸断章(新)
- パンくずを拾って
- のらくら者の日記
- 随想 吉祥寺の森から
- インドでの医療奉仕者のサイト
- NPO法人スイス村 [一口日記]
- 『からしだね』
- 松ちゃんの教室 ブログ
- 大都会の小さなマンション
- ベタニアホーム :甲斐小泉キリストの教会
- N.T.ライト 読書会
- 群馬県のキリスト集会の関係者の方のブログ
- 大和郷にある教会
- 伊那谷牧師の雑考
- 小海キリスト教会牧師所感
- 寝屋川福音館 キリスト伝道者のつぶやき
- Voice of wilderness
- クリスチャンの片隅で暴論を吐いてみる
- 自然神学・環境・経済
- 明石ヘンリーナウエン研究会
- 芦屋ヘンリーナウエン読書会
- よしいいくえさんの一日一モビ
- ミルトスの木かげで(旧はちことぼぼるの日記)
- JBTM.org 上沼先生
- 朝のうちにあなたの種を蒔け
- hakkol habel
- どこかに泉が湧くように
- おしゃべり子羊さんのブログ
- 10th Avenue日記
- Jesus loves me & you !
- 羽村の風
- 村上 密 Blog
- 中澤牧師のブログ
- 無料ブログ JUGEM
- 雑想
- UCS(浦和の若者たち)
- くめしゃんせんせい
- トトロに棲む牧師から
- 神々の風景 - religious scene
- 宗教と社会 小ロキアム
- I don't know who I am
- 鏡を通して ーTHROUGH A GLASSー
- 真実なクリスチャンライフを求めて
- BlueBelleさんのブログ
- 枚方マラナタ教会
- 『福音書』解読」解読の部屋 ―キリスト教関係でいろいろ調べたり、話し合ったりしたこと。
- 焚き火を囲んで聞く神の物語のBBSサイト
- 巡礼者の小道
- Profile
- Search this site.
- Mobile