さて、今日もローワン・ウィリアムズ先輩がお書きになられたものから、考えたことをたらたらと述べてみたい。本日の部分も、また、聖餐に関するエッセンスがギュギュギュっと詰められた感じの部分である。
しるしとしての聖餐を十字架のしるしを示す教会で
聖餐は洗礼を受けたいのちが受けるにたるしるしであり、それは新しい創造の物質的なしるしでもあるからです。それは新しい生命力と方向性を持って神の最終目的に向かって進んでいく、世界の歴史における新しい局面を意味します。この歴史観を土台に聖書を読み、聖書に聞くことが大切です。現代のキリスト教思想家たちが言うように、それが教会を真の姿にしているのです。あの短時間の間で、私たちが神の客人として神の食卓に集まるとき、教会は本来あるべき姿に戻ります ―共に客人となり、共に神の招きに耳を傾ける見知らぬ人々からなる共同体という姿に戻るのです。
(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』p.86)
この「しるし」ということは極めて重要なことではないか、と思う。聖餐式は、我々がキリストのうちにあり、またキリストを内に取り込むということをリアルな体験として経験するという意味での「しるし」なのである。聖なる儀式、サクラメントは、バプテスマにしても、聖餐式にしても、極論すれば「しるし」、リアルな体験なのである。
ヨーロッパ大陸あるいは、ヨーロッパの影響を受けた世界にある伝統的な教会のフロアプランは、基本的に十字架のかたちをしている。教会そのものが十字架を指し示している巨大なイコンなのであり、しるしなのである。
サグラダファミリアの平面プラン
もっとも古い形のカンタベリー大寺院のフロアプラン
サンピエトロ寺院のフロアプラン
https://etc.usf.edu/clipart/73700/73703/73703_st_peters.htm
パリのノートルダム大寺院のオリジナルのフロアプラン
十字架のかたちをしている教会の中で、イエスの十字架の死と復活に連なるものとしての象徴としてのしるしである、あの最後の晩餐の再現としてのパンとぶどう酒を受け取るのが聖餐なのである。そして、ホスティア(ウェハース)によるが、十字架の刻印が押されていたり、イエスが十字架にかかっているイコンの刻印が押されているパンを受け取るのである。まさに、十字架のうちにあって、イエスの十字架をわがこととして、わがうちに取り込む儀式、リアルな体験が聖餐式なのである。
https://twitter.com/808towns/status/1041993381830832128?lang=bg より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E4%BD%93 より
しるしと知恵
現代社会は、その歴史的展開から、知恵、理性を重視する側面に大きく舵を切ってしまった。もちろん、イエスは、ヨハネの福音書によるとことばΛόγος ではあったし、Λόγοςである。しかし、イエスはリアルでも、しるしでもあったのであり、人々の間でしるしを多数実施され、人々の間で見える形でそれを示されたのである 。それはユダヤ人が求めただけからではない。イエスが概念や知恵やコンセプトではなく、どうしようもないほどリアルであったからであり、リアルであるがゆえにその故郷でろくでもない目にあっている。理解されなかったのである。
リアルであることを示すために、復活のイエスの手の傷を見、わきの傷を見るまで信じないといった聖トマスやギリシア人みたいな理性を重視する人々にも、神がリアルな存在であることと、神の存在、神との関係の回復、復活がリアルであることを示すためにわざわざこの地に来て、復活の姿を見せたと思うのである。しかしながら、概念世界が好きなギリシア人の思想が、東ローマ帝国の崩壊に伴ってイスラム世界で冷凍保存され、それが、中世末期にヨーロッパに再移入され、ヨーロッパの社会の中で、回答されることでルネッサンスを誘発し、そして、理性の暴走が始まるまで、旧西ローマ帝国領内で、キリストを記憶するためのよすが、しるし、リアリティ、モノであること、目に見えること、例えば聖遺物信仰や聖遺物崇拝のような形で、しるしやリアリティが重視され続けてきた。あまりにもしるしやモノが重視され続けたために、理性の暴走と宗教改革の反動でしるしとしての聖餐やイコンや美術品のようなものがすっかり破壊されてしまってきたが。
聖餐と聖書に聴き、聖書を読む目的
伝統教派では、聖書を読み聞かせるということが礼拝(聖餐式)のプログラムの中に組み込まれている。この読んで聞かせもらうのは、ある面、われらが新しい生を受けたのは、神の最終目的、Telos、終着点の完成、それが終末の本来の意味だとは思うが、その終着点での完成に向かって進んでいくのだと思う。それを見失い、実際の生活に役立たせようというで、何らかの日常の生活で役立させようとして、道具的な理解で聖書を読むから様々な悲喜劇を含む間違いが起きているように思えてならない。聖書を読む目的、何を念頭に読むべきかについて、ローワン・ウィリアムズ先輩は「新しい生命力と方向性を持って神の最終目的に向かって進んでいく、世界の歴史における新しい局面を意味します。この歴史観を土台に聖書を読み、聖書に聞くことが大切です」とお書きである。
これは、極めて大事なことだと思うのだが、聖餐は神から日々新しい生命力を神から受けていること、そして、我々は神の最終目的に向かって進んでいくために必要な食糧であることであると同時に、イエスは神のことば(ヨハネ第1章)であることを合わせて考えると、その神のことばを受け止め、自分のうちに神から入れてもらうこと、すなわち神からの語りかけを受けること、聖書に聞くことをも実体を伴うパンとぶどう酒という象徴的な物質を自らのうちに取り入れるという具体的行為を通して示しているのではないか、と思うのである。
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さて、本日も、ローワン・ウィリアムズ先輩の『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』の聖餐についての記述、本書の中でクライマックスともいうべき部分を引用しつつ紹介してみたい。
まさに、この部分は、NTライト先輩の『クリスチャンであるとは』と『驚くべき希望』をググっと要約したような文章である。本当は一気に全部紹介したいが2回に分けて紹介したい。なぜなら、それだけの内容があると思うからである。
聖餐が指し示すもの
聖餐は、クリスチャンであるから、預かれるものでもない。単にパンとぶどう酒という物質を体内に入れるということでもない。また、聖餐は、イエスキリストの死と復活を記念し、覚えるよすがだけでもないし、クリスチャンである証でもない。聖餐を全員が集まって、会堂でともに預かることで、イエスキリストがなそうとしている、最終的な神の計画、復活の計画、回復の計画全体を啓示しているとローワン・ウィリアムズ先輩はお考えの様である。
偉大な思想家や詩人は繰り返しその神秘に触れ、聖餐は神の最後のみ業と目的の啓示であるといってきました。それは世界の終りの始まるといえるかもしれません。それは世界の終わりの始まりといえるかもしれません。(中略)終末への希望、つまり神がすべての人と万物に対して何を成し遂げるかという期待が生まれます。また聖餐式で起きている変容は、全体の変容のほんの一部を垣間見させてくれます ー聖餐式をキリスト教の礼拝において非常に重要で中核的な位置づけとする一つの理由はすべてここにあります。
(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』pp.85-86)
以前の連載でも書いたが、聖餐は旧約聖書から、福音書、使徒書、そしてその後約2000年にわたり、正教会からプロテスタントの様々な信徒たちによって描かれ続けた神の壮大なタピストリーのようなものであり、あるいは神が関与するすべての出来事の焦点なのである。その出発点であり、目的地であり、人間にとって、あるいは、神とともに歩む者にとって、アルファでありオメガであるものこそが聖餐なのだろうと思う。
終末というと恐ろしい日での裁きと滅びのイメージが強い。我々は、終末といえばハリウッド的なド派手な社会と地球の崩壊が生じることをおどろおどろしく描いたような終末観にあまりにも毒されたり、あるいは、逆に死んだら天国のお星になって、天国のお花畑で花を摘んでいるメルヘンの世界にも毒されているのではないだろうか。それは、本当の神が我々にご用意になろうとしておられる終末ではないように思う。
https://wallpapercave.com/rage-wallpaper
https://www.spoon-tamago.com/2019/06/17/post-apocalyptic-illustrations-of-tokyo-in-ruins/
一方で上の絵画のような、神の裁きの面だけを強調した、おどろおどろしい、人類滅亡のような終末が描かれ、社会自体が機能しなくなる状態を思い描く終末論があるかと思えば、また、他方で、以下の絵画のような、神が与えようとする幸いな面だけを強調したメルヘンチックで、ディズニーアニメの大団円のように、「そして皆さん、永遠に楽しく過ごしました」という雰囲気のイメージの両面があることも確かである。
https://theologyforum.wordpress.com/2008/06/03/on-pastoral-eschatology/ より
https://www.ac-illust.com/main/search_result.php?word=%E8%8A%B1%E5%9C%92 より
希望としての終末と完全な回復
ローワン・ウィリアムズ先輩は、非常に重要なことをこのきわめて短い文章の中で、実に的確に表現しておられる。それは、聖餐において「終末への希望、つまり神がすべての人と万物に対して何を成し遂げるかという期待が生まれます」という部分である。終末は、希望である、まさに、NTライト先輩が、『驚くべき希望』で述べておられることがこの一文に凝縮されているかのような記述である。
ところで、我々が人間だからだろうとは思うが、終末は人間にのみ起きることと考えておられるキリスト者の皆さんは少なくない。特に、福音派の皆さんには終末は人間に関する出来事と暗黙の裡に想定されておられるような方が多いようが、どうもそうではないらしい。すべての人間だけでなく、被造物、あるいは万物と神との関係が正常な状態に復帰するということだとお書きである。このような、考え方は、以前にも紹介した、正教会の聖餐論について丁寧に論考した「ユーカリスト」の中にも、記載されている。たまたま、人間は被造物の管理者、あるいは代表者として聖餐式に預かっているだけである、という理解はあるようである。
聖餐式で起きていることと、現在のCOVID19対策
聖餐式で、司祭がパンとぶどう酒を聖別して、聖なるものとするという所作があるし、伝統教派では、聖霊がそのパンとぶどう酒の望み、聖なるものとすることを祈り願うが、それは、終末に起きることのほんの一部の、その象徴をちらっと垣間見せてもらうだけのことであるということについて、ローワン・ウィリアムズ先輩は「また聖餐式で起きている変容は、全体の変容のほんの一部を垣間見させてくれます」と表現しておられるが、その聖餐式での聖別、聖なるものとなることが、神とともに生きようとする人間のみならず、全被造物において起きるということ、つまり、エデンの園の状態への回帰というか、その状態の回復、人が神と覆いも隔てもなく、制限なく親しく語り合う世界が回復するということのそのモデルが聖餐式である、ということになる。
COVID-19で我々はアクリル板越しに話すことを求められている。そして、スーパーのレジスターのところなどでもビニールの透明の膜状のもので隔てられ、口にはマスクをし、自由にしゃべることや歌うこともままならない。実に不自由な生活を強いられている。友人と食事するときでも、黙食が求められ、聖餐式もまともに執行できない日々を強いられている。ある面、その状態は、まさに今の神と我々の関係のようである。
COVID-19の感染症対策ということで、様々なものに隔てられ、不自由な中での生活を強いられているのは、神が設けられたシンポジウム(勉強会ではなく、古代ギリシア的な意味での飲み食いの楽しい会)で神と自由に親しく食事をしたり、語り合ったりできないという状態、まさに友人と気楽に食事や楽しい会食もできない状態である。
COVID-19の感染拡大が続く中、実際に、会議するのもコンピュータの画面越し、話するのも、コンピュータの画面越し、はたまた、オンライン飲み会のように、本来同じ場所にあって楽しく過ごしながら飲み食いすることすら、別々の場所で、コンピュータスクリーンを見ながらなのである。あたかも、全キリスト者が一つになって神の礼拝を一つの場所でできない状態とそっくりではないだろうか。
丁度終末が来る前の神と人との関係は、そして、イエスが去った後、連綿とキリスト者の間で続けらえてきた聖餐式はそのようなものかもしれない、と思った。別々の場所で、別々の時代に分断され、神を礼拝せざるを得ないのだ。それを考えると、神と人との間の完全な回復が起きた後の神と人との関係が、いかに希望に満ちたものか、ということは、COVID-19が大流行する前の時代を思えば、ちょっとはわかりやすいかもしれない。
次回へと続く
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聖化という考え方
もともと、クェーカーの影響を受けたキリスト者集団に40年近く、信徒として30年近くいたので、福音派の中でも、きよめ派の聖書理解との相性がそれほど悪いわけではない。その中で、強調されることの一つに聖化という概念がある。聖化大会とかいう大会をご開催になっておられる教派もある。聖化大会とは、要するに聖書に詳しい人を講師にお呼びし、講師の話を聞きながら、参加者は聖書をより深く学んで、より聖い生き方ができるようにしましょう、ということのようである。個人的にも聖化とはそういうプロセスなのだろうと、長らくそう思っていた。
さらに言えば、福音派にいたころは、カトリック教会や正教会、聖公会の聖別あるいは聖成の概念は、ちょっと違うかな、と思っていた。言い方は悪いが、元居たキリスト者集団には、宗教改革の伝統の影響もあったので、伝統的教派に敵意に近い視線を向ける方々もおられたし、またそれらの教派が大事にしてこられた聖成や聖別の概念をよく考えもせず、ある種魔術的なようなものだろう、と思っていたし、実際にそう主張される方々もおられないわけではなかった。そのせいか、今でも、時に、聖成とか聖別とかに、ちょっと違和感を感じる場合がないわけではない。しかし、よくよく考えてみれば、この概念は重要な概念でないかと思うようになった。
聖化(consecration)は、聖餐式のパンとぶどう酒を聖別する行為であり、近代人として近代的な合理思想に毒されたミーちゃんはーちゃんにとっては、今でも時には最も違和感を覚える部分であるが、おそらく多くのプロテスタントの官会社の皆様もそうかもしれない。その聖成あるいは聖化について、ローワン・ウィリアムズ先輩は次のように説明する。
私たちが聖霊に願うのは、パンとぶどう酒に奇跡的な変化が起こるようにという願いだけではありません。私たちは聖霊に、私たちの全てに奇跡的な変化をもたらし、これらの賜物を受け取ることができるようにしてくださいと願い、パンとぶどう酒を受け取るときに、「聖霊の力によって神の賛美と栄光のために生き」、世に出ていくことができるようにしてくださいとねがうのです。ですから、私たちのうちにイエスをいつも生かしている聖霊は、聖餐式の中で特別の働きを通して、人を霊的に造り変えます。『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』p.85
聖餐のパンとぶどう酒の聖変化についても触れているが、個人的には、「「聖霊の力によって神の賛美と栄光のために生き」、世に出ていくことができるようにしてくださいとねがうのです」という記述が重要な部分であろうと思う。実際、この聖別について、日本聖公会の祈祷書には、この部分の祈祷(司祭が声を出し、祈る)として2種類の祈祷が示されているが、個人的に気に入っている方の祈祷文では、次のようになっている。
父よ、私たちは今、み子、主イエス・キリストの死と復活、昇天を記念し、私たちを、み前に立たせ、祭司として仕えさせてくださることを感謝し、このパンと杯をささげます。私たちがあなたの聖なる賜物に預かるとき、聖霊を降し、世にあるものも世を去ったものも、すべての人を一つの体とし、聖霊を満たしてください。私たちの信仰が真理のうちに強められ、すべての聖徒とともにみ子イエス・キリストによって主を賛美し、ほめたたえることができますように。
ここでの「わたしたち」を司祭団と取るのか、司祭・信徒を含めた教会員と受け取るかでイメージが異なるが、死者から現在生きている信者全部、聖公会の信徒も、カトリックの信徒も、プロテスタントの各派の信徒も、正教会の信徒も、一つの体として聖霊を満たす形での聖別があるように祈っているとも理解できる。この辺、「わたしたち」とはどこまでか、ということに関して、厳密で限定的な形で意味を定義しない大人の対応をとるほうがよいとは思うが、神の被造物である人間社会いや被造物世界の中での神と被造物の和解を取り持つ祭司性を持った存在として生きる招き、とも受け取ることができるようにも思う。
ところで、何のために聖餐があるのかということを聖公会の式文から考えてみると、「私たちを、み前に立たせ、祭司として仕えさせてくださることを感謝し」といったあたりにあるのだろうと思う。結局神の民となるために、神の民として一つとなることができるよう、そして、神に仕え、地を適切にケアするという本来の神と人との姿を回復し、その中で神への栄光を帰していくところにあるのだろうと思う。それを考えると、キリスト者が神に仕えるもの、また、祭司として聖別されるために聖餐があるのかもしれない。
それに対応する2019年のthe Anglican Church in North AmericaのCommon Prayer bookでは次のようになっている。
Sanctify them by your Word and Holy Spirit to be for your people the Body and Blood of your Son Jesus Christ. Sanctify us also, that we may worthily receive this holy Sacrament, and be made one body with him, that he may dwell in us and we in him. In the fullness of time, put all things in subjection under your Christ, and bring us with all your saints into the joy of your heavenly kingdom, where we shall see our Lord face to face. All this we ask through your Son Jesus Christ: By him, and with him, and in him, in the unity of the Holy Spirit, all honor and glory is yours, Almighty Father, now and for ever. Amen.
https://bcp2019.anglicanchurch.net/wp-content/uploads/2019/08/BCP2019.pdf
個人訳してみるとすると、
これらのものを(パンとぶどう酒)をあなたの御言葉と聖霊によりきよめ、あなたの民のために与えられたみ子イエスキリストの体と血としてください。また、われらも、この聖なるサクラメントを受け取るに値するようきよめ、キリストにあって一つの体となり、キリストがわれらのうちに住み、またわれらがキリストのうちに住むことができるようにしてください。そして、時が満ちたとき、すべてのものをあなたの救い主キリストに服させ、あなたの天の王国で顔と顔を合わせてあなたを見るその時が実現するとき、すべての聖徒とともにの喜びの中に我々を導いてください。これらすべてのことをあなたのみ子、イエスキリストによって求めます。キリストによって、キリストともに、キリストの中にあって、聖霊とともに万能の父にすべての衛陶と誉とが永遠にありますように。アーメン
このあたりの式文を見ていると、私たちがきよめられるためにイエスキリストが必要で、そのキリストを受け取るものであることを覚え、キリストが内在していることを覚えるとともに、将来神の国において、神と顔と顔を合わせて礼拝するためのものであることを覚えるものとして聖餐を見ていることがわかる。何より、聖餐を受け取るキリスト者もすべて聖別されることを求めていることが印象深い。この式文を見る限り、聖餐とは、我々が聖なるものとされるために必要なことなのではないか、と思うのである。
神の神秘としての聖餐
先に過去、聖餐式の聖性とかは魔術的とか思っていたことを述べたが、聖餐とそれにまつわるもろもろは、魔術ではなく神秘なのだろうと思うようにはなった。我々には理解不能な神の霊の世界なのかもしれない、と思う。いかに聖公会の聖餐の実際のスタイルの例の一つ(実際は教区の伝統により、教会の伝統により多様であり、これは例の一つにすぎない)を挙げておいたが、こういう所作付きで聖別するのである。カトリックも割と似たような所作で行われていると認識している。正教会さんの聖別は、イコノスタシス(イコンが並んだ衝立)の後ろで行われる。それは神秘の過程なので、そもそも理解不能であるという立ち位置からかもしれない。具体的にどういう所作で、それが何を象徴しているかは、神秘の世界に属するので、理性で理解するものではないのかもしれない。
実際の聖餐の姿
以下でも紹介しておいたが、シュメーマンという正教会の方が書かれた、近代化社会を目指した帝政ロシア末期の時代の影響を受け、西方教会の象徴理解、合理主義的な理解の影響が入る前の正教会の本来の伝統に回帰しながら、正教会的、あるいは古代教会における聖餐論を考えた『ユーカリスト』という書籍があるが、聖餐がいかに大事なものとして、古代教父時代の教会以来、東方教会、正教会系の教会群でとても大事にされてきたかは、以下の『ユーカリスト』という本をお読みになられるとよろしいか、と思う。もちろん、カトリックや聖公会でも大事にされてきてはいるが、だいぶん味わいが違うことが、このシュメーマンの『ユーカリスト』を読むと理解される。
詳しい議論は、シュメーマンの『ユーカリスト』やその他の聖餐論の本に譲るが、聖餐に預かるということは、どうも言葉や論理という人間の側の世界の支配的言語や思想を超えたところにあるように思う。それは個人の救いや、キリストの死と復活と現在も生きておられること、あるいはキリストの臨在、聖霊の信徒への臨在が神秘であるように、神秘の世界に属することなのだとも思う。
神秘は神秘なので、それを人間の限られた合理性などや、言語能力で表現可能であるという思い上がった考え方の方こそがおかしいのかもしれない。
個人の聖化と聖餐
さて、パンとぶどう酒の聖変化、聖成、聖化、何と呼ぼうが構わないが、その理由とメカニズムはよくわからないことは確かであるが、神の神秘により起きるということに仮にしておくこととして、それでは、個人の聖変化はいかにして起きるのか、ということであるかを少し考え、本日のところのについて思うところを閉じることにしたい。
個人の聖変化も神秘であるが、おそらくそれは、人を介した福音(あるいは聖なるもの)という聖性(サクラメンタル、聖なるものに触れるためのよすが)に触れることによって起きるのだと思う。それは、福音書という使徒という人々を介した書かれたものに触れることかもしれない。あるいは、12年間病気を抱えていた女性にとってはイエスという聖性そのものではなく、その聖性が触れた外套の房というサクラメンタルに触れることであったかもしれない。あるいは、イエスが地上を去ったあと、パウロとシラスが収容されていた収容施設の管理者は、パウロとシラスのうちに内在した神がいかなる時でも共におられる核心による平安をパウロとシラスが持っていたサクラメンタルに触れることであったかもしれない。文字が読めない古代人や古代ゲルマンの民、文字を持たなかった古代スラブ民族にあっては、イコンそのものがサクラメンタルであったし、その地にそれらのものを持って赴いた司祭かつ宣教師司祭たち、あるいは聖人たちそのものがサクラメンタルであった。聖なるもののよすがを示す人物や物事は、サクラメントそのものではないが、聖なるものの反映、反射に過ぎない。しかし、その反射であっても、神の支配と臨在とその到来を指し示すのである。
あるいは、多くの人が文字が読めるようになった現代では、ギデオン聖書協会が絶賛配布中の聖書かもしれないし、ミッションスクールで配布される(あるいは購入させられる)聖書かもしれない。あるいはミッションスクールでのキリスト教概論とか、キリスト教入門講座かもしれない。あるいは、無名のキリスト者がこの地において存在していることそのものかもしれない。その無名のキリスト者が、キリスト教を布教しよう、伝道しようなどという大それた意図もなく、何気なく語った一言、にっこり笑う笑顔、日常人々と出会う中での丁寧なあいさつ、そういったことが、サクラメンタルになるかもしれない。何がサクラメンタルなのかは、人によってそれぞれであるが、そのサクラメンタルによって、多くの人々が非常に広い聖なるものとされる物語、聖化の物語、完全なる聖性に向かっての歩み、すなわち、聖化の物語に招かれているのだろうと思う。
聖化とは、バブテスマを受けたときに起きるものではなく、バプテスマを受けて以降、この地上の人生のドラマを去るときまでのプロセスで起き続けるものであると思う。たとえ、鼻で息するものとしての悪臭を振りまきながらも、キリストを内在させるものとして、すなわちサクラメンタルとしての性のプロセス、途上にあることを覚える意味での聖餐なのであって、『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』を読んでみた(19) でのご紹介の際でローワンウィリアムズ先輩がお書きになれれたように、我々キリスト者が、聖餐を拝領するのは、
到着したからではなく、旅の途中だからです。私達が正しいからではなく、混乱し間違っているから、神聖ではなく人間であるから、満腹しているからではなく、飢えているからです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.81)
である点は、聖化という側面と合わせて、考える必要があるようにも思うのだが。まぁ、一部のきよめ派やペンテコステ系での聖化大会を行う教派では、聖餐式をあまりしないため、聖書を読むこと、聖書の講演会、賛美歌付き後援会が聖餐式の代わりと考えられていたり、受け止められていたりするので、聖書の勉強会、聖書講演会がサクラメンタルに触れる機会として必要であり、それゆえ、そういうスタイルでの聖化大会が行われるのであろう。その意味では、賛美歌付き聖書講演会もサクラメンタルに触れる機会ではあるので、意味がないわけでもないが、個人的には、牧師が使徒継承権を有し、牧師しかできないことがあるというのであれば、面倒で時間がかかるかもしれないが、賛美歌大会付き聖書講演会ではなく、聖餐式付き聖書講演会にした方が、よほど、使徒継承権の発揮につながるとは思うのだが、それは聖餐マニアゆえの思いかもしれない。
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主の祈りについて
もともと、主の祈りをあまり祈らない教派(聖書の字義通り解釈の結果、「みくにが来ますように」という主の祈りの部分が「終末が来ますように」という祈りとも理解可能であるという要素があるためと思われるという理由と、いかに主の祈りといえども、固定化された祈りであるので良しとされていなかったこともあり、そのキリスト者集団では主の祈りはほとんど祈られなかった)にいたのだが、伝統教派の聖餐式に参加させてもらうようになって、毎回毎回の聖餐の前に主の祈りを声に出して祈るようになったとき、かなり変わったことがいくつかある。それの中で最も大きかったのは、主の祈りの中で、
Forgive us our trespasses,
as we forgive those who tresspass against us.
という部分である。日本語では、
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
という部分である。
この部分を唱えながら、罪とは、本来の主権者である神の主権の侵害(Trespass)することであるということが、よく理解できたのである。
アメリカでは敷地に以下に示す図のようなおっかない看板がかかっているところがある。銃器を所有する人間が所有する土地であるから、勝手に不法侵入するな、という警告文の看板である。実際に、許可なく敷地に入ると、銃をぶっ放されることがアメリカでは普通に発生する。もちろん、交戦警告という意味を持つ上空への警告射撃をしたうえで、というお約束であるが、中には、危険を感じた場合には、警告射撃なしの場合もある。もう10年以上前になるが、ハロウィーンの時に日本人留学生が不法侵入だと思われて、アメリカ人に射殺された事件があったのである。所有者の許可無く勝手に他人の敷地に入ったら、番犬どころか銃弾が飛んでくるのがアメリカなのである。
警告 敷地所有者は合法的な重機所有者である。不法侵入するな。という看板
https://www.amazon.co.jp/dp/B07LB17CRQ より
以下に示している映画グラントリノは、ある面でキリスト教的なメタファーに満ちた映画であるが、監督兼主演であるクリント・イーストウッドの自動車愛があふれた映画でもある。半分自動車が主役みたいな映画でもあるのだが、孤立して性格がひずんでいる元米軍人で、その後フォードで自動車組立工であった一応カトリックと思われる東欧系のアメリカ人の老人の物語であるのだが、その映画本体の中に、自宅の門前で騒ぐアジア系移民の若者に向けて、「お前らみたいな連中を朝鮮半島で殺してきたから、ここでお前ら殺すことには躊躇しないが、わしの庭の芝生から出ていけ」というシーンがある。以下の動画の1分くらいのところである。一応、この場合は、上空への威嚇射撃による警告ではなく、言葉で警告しているが、時々アメリカには警告なしにぶっ放す人が結構多いのが困るところではある。
本来、神の主権の侵害をすると、雷に打たれたり、病気になったり、地面が割れてそこに吸い込まれたりしても仕方がないことなのだろうとは思う。一応、そのための事前警告としての律法と預言者、そして祭司職がイスラエルの民には与えられたのではあるが。
映画Gran Trinoの予告編 1分くらいのところに家の前の芝生で騒ぐアジア系の若者にライフル銃を向ける部分がある
余談はさておき、聖餐式と主の祈りの関係についてのローワン・ウィリアムズ先輩のお書きになられた部分をご紹介したい。
聖餐式では、聖霊の働きを呼び起こし、祝うのです。あの中心的な瞬間、パンとぶどう酒を受け取る直前に、私達はイエスの祈りを祈ります。『私たちの父よ…』といいます ーそれは、崇高で意義深い瞬間であり、祭壇に出向く前にボソボソとつぶやくような祈りではありません。それは礼拝というドラマがクライマックスへ移行する一つの過程なのです。イエスの祈りを祈るとき、聖霊は私たちのうちに宿り、働きかけます。礼拝する中で、聖霊がイエスのことばを私たちのうちに語りかけていることを確認します。イエスが祈ったように、「アッバ、父よ」と。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.84)
ここで、ローワン・ウィリアムズ先輩は、またまた、しびれる表現を使って居られる。「それは礼拝というドラマがクライマックスへ移行する一つの過程なのです」ということは、本当にそのとおりだと思う。まず、礼拝はドラマであるという指摘は非常に印象深い。
ドラマとしての聖餐式
個人的には、カトリックの宇治の黙想の家での朝のミサ(聖餐式)に何度か見学させてもらったことがあるが、これは非常に美しかった。3人の司祭、助祭、輔祭がそれぞれの役割を果たしながら、三位一体を示していたのであり、その所作の一つ一つにキリストの福音というドラマが礼拝の形として象徴されていることがわかった。そして、罪の告白、黙想、聖書朗読があり、神への賛美と祈りがあり、平和の挨拶があり、パンとぶどう酒が聖別され、そして聖餐という伝統教派が維持してきたスタイルで礼拝が行われ、そして、イエスの死と復活、そして今もここにいるというドラマが聖餐でクライマックスに達する前に、主の祈りが唱えられるのである。まさに、これまでの礼拝を縮約したかのような「主の祈り」を全員が唱えるのである。
主の祈りの祈られ方は、グレゴリオ聖歌や、正教会の聖歌、あるいは、ワーシップソングのようなものかもしれない。その言語もスタイルは多様でありながら、共通するのは、主の祈りそのものであるところである。以下のように。
ヨハネ・パウロ2世による主の祈り
賛美ミサの際の主の祈り
近代風の主の祈り
英語による正教会の主の祈り
ロシア正教会のロシア語による主の祈り
Hillsongグループによる主の祈り
スワヒリ語による主の祈り
ペルシャ語による主の祈り
アラビア語による主の祈り
コプト教会の主の祈り
広東語による主の祈り
タガログ語による主の祈り
マオリ語による現代風の主の祈り
このように言語も文化も、節回しも、賛美歌の曲も違う主の祈りであるが、時代も民族も超えてキリスト者の多くの人々が伝統的に大事にしてきたのは、主の祈りであることには違いはない。主の祈りとは、かくも重要で大事にされてきたキリスト教にとっての遺産なのである。
礼拝と聖霊
先にも少し述べたが、クェーカーの影響を強く受けた福音派的なキリスト者集団で育ったので、礼拝に式文などなく、定型化されてない祈りが教会の中でなされる教会で30年近くを過ごした。その中で、「導かれた」信徒が祈る、あるいは聖書朗読をするという暗黙のルールがある、きわめて「聖霊の働き」と呼ばれる要素を重視する教会で長く過ごした。その後諸般の事情で、今のアングリカンの出島の外人部落に定着し、式文による毎回ほぼ同じ祈祷文で祈るようになったが、その中で式文の中でも、聖書の言葉、イエスのことばから結晶化され、成文化された祈祷書の祈祷の中に響いていることを感じるようになった。
まさに、ローワン・ウィリアムズ先輩が、「礼拝する中で、聖霊がイエスのことばを私たちのうちに語りかけていることを確認します」という経験を日々している。もちろん、導かれた信徒が祈るタイプのアドリブ的な祈り、即興の祈り、アドリブの祈りにはそれなりの強さというのか、勢いのようなものが感じられることも少なくないのだが、静かに毎度毎度同じ祈りを聞きながら、毎回違ったイメージを持つのは何なのだろうか、と思うが、それが聖霊の働きの結果だと思うのである。
そして、定められた祈祷書のことばの奥にある聖書のことばがなんとも形容もし難い自分自身のうちにある神への叫びというか、神への思いというか、神への賛美というか、神への祈りにシンクロしていくという経験をするようになった。神秘主義者といわれても仕方がないのかもしれない。しかし、おそらく、その経験は、「聖霊がイエスのことばを私たちのうちに語りかけて」いるということであろうし、言ひ難き歎のような神の語りかけが聖霊を通して、礼拝の中で信徒に作用し、礼拝として信徒の集団により捧げられる祈りとなり、神に賛美と栄光帰されることになるということなのだろうと思われる。
まさに、パウロが、「斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎をもて執成し給ふ。(文語訳聖書ロマ書8章26節)」と書く如くではある。
次回へと続く
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教もまた、タラタラと、ローワン・ウィリアムズ先輩のおかきになられたものを読みながら書いていきたい。
教会のフォーカルポイントイベントとしての聖餐式
フォーカル・ポイントという概念がある。あるいはその概念の提唱者に敬意を評してシェリングポイントとも呼ばれる。特に明確な合意がなくても、その辺だろうと思う場所や時間のことである。たとえば、東京駅で明日午後2時にとか言えば、東京駅の銀の鈴の辺りで午後2時に集まることを想定するだろう。渋谷で、と言えば、ハチ公前、梅田でと言えば、ビッグマン前ということになる。
東京駅の銀の鈴
https://news.mynavi.jp/article/20150918-a282/
ハチ公前
https://www.shibuyabunka.com/blog.php?id=1157
梅田のビッグマン前
https://osaka-info.jp/page/umeda-bigman
その意味でいうと、本来教会のフォーカルポイントとなる出来事は、聖餐式であろう。なぜかというと、これまで説明してきたように聖餐は、系図なき大祭司のメルキゼデクがアブラハムにパンとぶどう酒を差し出した出来事、出エジプトの過ぎ越しの夜の出来事、その後行われてきた過ぎ越しの祭のパン、イエスの最後の晩餐、十字架の死、復活、復活の朝、イエスが弟子たちに差し出したパン、エマオのと上で出会った弟子たちの聖餐、その後、延々とキリスト教会で続けられてきた聖餐(それが宗教改革時代に、みことばの聖餐としての説教に転換するのであるが)につながっており、まさに教会にとってのフォーカルポイントとしてのイベントなのである。
そのあたりのことについて、ローワン・ウィリアムズ先輩は次のように書く。
聖餐式は、福音の物語全体が私達の内側で再現される習わしです。以前、聖書について考えたとき、私達は遠い過去の聖書の登場人物を家族の一員として認識するという話をしたのを覚えているでしょうか、このことは聖餐式では非常に直接的であり、また非常に身体的な実感のあるものです。私達は同じ家族の一員であり、今ここで、同じ食卓を囲む客人でもあります。イエスが歓迎することによって共同体が作り上げられていることを体験し、しかし同時に、私達は族長たちや使徒たちのように、忘れっぽくって、裏切り者で、逃げ去る人々でもあります。私達は死の中でも、裏切りや見放し、否認の中でも、再び共同体の創造を経験するために、復活の日に呼び戻され、あたらに招かれた存在です。そして、私達は今、聖餐を受けるときに、地の面を新しくするように使命を与えられている存在なのです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p82)
今回の引用部分で、まず、印象的であったのは、「聖餐式は、福音の物語全体が私達の内側で再現される習わしです」という部分である。聖餐式は、先にも述べたように、メルキゼデクから、パンとぶどう酒を受け取った故事、出エジプトの故事、最後の晩餐の故事、エマオの途上で起きた故事、そして、パウロがそこの信者を問い詰めたコリントでの故事、その聖書の編集が終わった後、教会で様々起きた故事、すべての福音の物語全体が、パンとぶどう酒を受け取る瞬間に重なり重層的に再現されているのである。聖餐に預かるのは、その場にいる人々だけかもしれないが、それは世界中の各地の教会、世界の様々な言語で実施されている聖餐式がそこに重なるという構造を持っているように思う。神の前に人が集まり、頭を垂れ、キリストの代理としての司祭や牧師から、「これは私の体である」と言われ弟子たちに手渡された最後の晩餐のシーンの再現を通して、参加者一人一人のなかで福音の物語を再現する中で、聖書全体が主張する「神がこの地に来た、そして、神が人とともに生きようとされて居られる」という福音の物語を再現し、パンとぶどう酒を受け取ることで、「すべての人の中において神がその人ともに居られる」という福音の物語の全体像が再現され、そして、聖餐式から祝祷を受け、この世界に神の言葉、福音を内在させたものとして、いわゆる大派遣命令の再現として派遣されていくという構造を持っているはずであると思うのである。無論、「みことばの聖餐」でも、もちろん、説教を聞くことで、神がこの世界に来たという福音の物語の再現にはなっているとは思うが、どうしても、その一部に限られているようにも思うのだが、そのへんは多くのキリスト者の意識は、どうなのだろうかとも思う。牧師先生から、「よい聖書の話をお聞きした」となっていないだろうか。精一杯、語る牧師は聖書全体から伝えようとするものの、限られた時間で旧約聖書から、福音書、使徒書という聖書全体と、その後書き続けられてきた聖徒の諸歴史を含めた福音の物語の全体像を重ねることには限界があるようにも思う。しかし、パンとぶどう酒という物体と儀式に象徴しておくことで、旧約聖書から新約聖書、そして新約聖書を超えてなされてきた「神の言葉がこの地に来た」という記憶を重ねることができるようには思うのである。その意味で、聖餐は極めて重要だと思うのである。
Focal Pointとしての聖餐での聖別
聖餐に招かれる意味
今いるチャペルで、聖餐の際に、Comeと呼ばれることがある。あるいは、Draw near with faithと聖餐の場に呼ばれることがある。あの言葉を聞くたびに、司祭が招いているようにも聞こえるが、神の代役として、ある種の役者として、イエスの代理として司祭がこの聖餐の場に招いているという印象がある。
そのことを、「私達は死の中でも、裏切りや見放し、否認の中でも、再び共同体の創造を経験するために、復活の日に呼び戻され、あたらに招かれた存在です」という部分を読みながら思ったのである。アブラハムが、サラは親戚だといいはり、モーセが、神からもらった契約の板をぶち壊し、ペテロは、イエスを知らないといい、トマスは自分の指をイエスの傷に差し込むまでイエスの復活を信じないと否認をしても、それでも、神のもとに招かれており、イエスの復活のイースターの日に戻されると同時に、将来起こる我々の復活の日に、神とともに、イエスとともに、神の国での祝祭の場である聖餐が象徴してきたその場に参加するように招かれたことを思い出す機会になっているように思われる。
どうしても、人間は過去ばかり、自分が知っていることに引きずられる部分があるが、聖餐が象徴しているのは、将来の我々の復活したあとの髪の最終的な目的、人と神の関係が完全に修復され、関係が回復されたことを祝う祝宴、まさにシンポジオン(シンポジウムの語源)への招きなのではないか、と思う。
札幌市で開かれたらしい冬季オリンピックのシンポジウム
https://en.wikipedia.org/wiki/Symposium#/media/File:Symposium_scene_Nicias_Painter_MAN.jpg
そうであるからこそ、イエスのたとえ話の中には、飲み食いの話が出てくるし、コリントの一部の人々も、聖餐式を飲み食いのことと誤解したように思うのである。だから、パウロから、以下のように怒られているが。
なんぢら一處に集るとき、主の晩餐を食すること能はず。食する時おのおの人に先だちて己の晩餐を食するにより、饑うる者あり、醉ひ飽ける者あればなり。汝ら飮食すべき家なきか、神の教會を輕んじ、また乏しき者を辱しめんとするか、我なにを言ふべきか、汝らを譽むべきか、之に就きては譽めぬなり。
(中略)
されば宣しきに適はずして主のパンを食し、主の酒杯を飮む者は、主の體と血とを犯すなり。人みづから省みて後、そのパンを食し、その酒杯を飮むべし。御體を辨へずして飮食する者は、その飮食によりて自ら審判を招くべければなり。この故に汝等のうちに弱きもの病めるもの多くあり、また眠に就きたる者も少からず。我等もし自ら己を辨へなば審かるる事なからん。されど審かるる事のあるは、我らを世の人とともに罪に定めじとて、主の懲しめ給ふなり。この故に、わが兄弟よ、食せんとて集るときは互に待ち合せよ。もし飢うる者あらば、汝らの集會の審判を招くこと無からん爲に、己が家にて食すべし。その他のことは我いたらん時これを定めん。(文語訳聖書 コリント人への前の書 11章18節ー34節)
聖餐後に祝祷を受け、我々は、この世界に神の言葉を伝え、我が身をもって実現すべく派遣されていくのであるが、そのあたりのことを、ローワン・ウィリアムズ先輩は、「私達は今、聖餐を受けるときに、地の面を新しくするように使命を与えられている存在なのです」と表現されて居られるように思う。
この概念は、非常に大事であると思う。福音派の一部では、第2ペテロ3章の「天地」が焼け滅ぶという以下のような記述
されど主の日は盜人のごとく來らん、その日には天とどろきて去り、もろもろの天體は燒け崩れ、地とその中にある工とは燒け盡きん。かく此等のものはみな崩るべければ、汝等いかに潔き行状と敬虔とをもて、神の日の來るを待ち之を速かにせんことを勉むべきにあらずや、その日には天燃え崩れ、もろもろの天體燒け溶けん。されど我らは神の約束によりて、義の住むところの新しき天と新しき地とを待つ。(文語訳聖書 ペテロの後の書 11章18節ー34節)
やヨハネ黙示録21章の記述
我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。(文語訳聖書 ヨハネの黙示録 21章1節)
を根拠に、現在の天地が燃え尽くされるという字義通り解釈による理解をお持ちの方々もおられる。まぁ、その理解はその理解で良いかもしれないが、だからといって、この地の適切なケアの任務を与えられたアダムの末裔として、デタラメにこの地を陵辱したり、破壊したり、自分のいいようにしていいというわけではないように思う。神との関係が回復され、修復されたものであるからこそ、本来の神と人との関係が回復せられたものとして、この地にイエスが与えようとする神の約束、神の思いで地を満たし、地の面を新しくするような生に、キリスト者一人ひとりが招かれているのではないか、と思う。まぁ、ひとりひとりの信者は、有名人であれ、セレブであれ、無名人であれ、そのできるところは限られているのではあるが。
次回へと続く。
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本日もひたすらタラタラと、ローワン・ウィリアムズ先輩の『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』から、印象的な部分を拾いながら、思うところを述べてみたい。
聖餐に預かる理由
クリスチャンになったら、もう完全だ、という理解がある。福音派風のキリスト者集団にいた頃は、とにかく、聖書と、その解説のことばでとにかく説得して、「私はイエス・キリストを個人的な救い主として受け入れる」と言わせ、バプテスマを受けさせたら、クリスチャンのいっちょ上がり、みたいな感覚でいた。同じような話を他の福音派の牧師先生から、直接お聞きしたことがあり、そのような教会のあり方や、現状の教会の姿やその理解にイライラしつつ、ものすごいフラストレーションが溜まっておられる牧師先生のお言葉を聞いたことがある。バプテスマ受けさせたら、それで、もう完成、完璧で敬虔なクリスチャンのでき上がり、とかいう理解は、本当にそれでよいのだろうか、とは思う。
しかし、ローワン・ウィリアムズ先輩がおかきになられた、聖餐がなぜ必要なのか、なぜ、キリスト者が聖餐に預かるのか、いや聖餐にキリスト者が預かるべきなのか、という理由を見ていると、キリスト者にはそれが必要だから、ということがよく分かる。
聖餐に預かるのは、私たちの行いが良いからからではなく、うまくいっていないからです。到着したからではなく、旅の途中だからです。私達が正しいからではなく、混乱し間違っているから、神聖ではなく人間であるから、満腹しているからではなく、飢えているからです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.81)
上記の引用の記述で、一番しびれたのは、聖餐は、我々が「うまくいっていないから」「旅の途中だから」聖餐が必要である、という指摘である。一見、世間的にうまく言っているように見えたり、自分自身で自分自身の生活が「うまくいっている」と思うことは少なくない。特に問題もなく、誰かから変なことを言われることもなく、誰かから悪霊に憑かれていると言われることもなく、食するに困ることもなく、夜枕するところがあり、という生活を送っているとしても、実は、聖餐を必要とするのである。聖書には、畑が豊作であったため、蔵を立てようとした金持ちの話がルカによる福音書12章に出てくる。実に印象的なたとえ話である。
また譬を語りて言ひ給ふ『ある富める人、その畑豐に實りたれば、心の中に議りて言ふ「われ如何にせん、我が作物を藏めおく處なし」遂に言ふ「われ斯く爲さん、わが倉を毀ち、更に大なるものを建てて、其處にわが穀物および善き物をことごとく藏めん。かくてわが靈魂に言はん、靈魂よ、多年を過すに足る多くの善き物を貯へたれば、安んぜよ、飮食せよ、樂しめよ」然るに神かれに「愚なる者よ、今宵なんぢの靈魂とらるべし、さらば汝の備へたる物は、誰がものとなるべきぞ」と言ひ給へり。己のために財を貯へ、神に對して富まぬ者は斯くのごとし』ルカ傅福音書12章16から21節
我らは鼻で息するもの、神に息吹を、神からの風、神の霊を継続的に吹き込まれねば、生きたものにならない人間であるのであり、例え、多少の富を有するとしてもその富とするところすら、放蕩する神からすれば、ゴミ同然、靴の裏につく土埃同然に過ぎないものである。ビル・ゲイツがいくら金持ちでも、アマゾンのベソスがいくら金持ちでも、あるいはテスラのイーロン・マスクがいくら金持ちでも、神の前には、所詮人間にとってのウィルスサイズなのであり、そもそも、神の存在を保ち得ない人間にとっては、定期的に神の臨在を求め、神の臨在を求めている姿勢を示す聖餐が必要なのではないか、と思うのである。
教会は旅の仲間の集結点かも
ところで、個人的には、ロード・オブ・ザ・リングの『旅の仲間』が一番好きな部分が多い。もちろん、冒険物語も面白いのだが、ロード・オブ・ザ・リングの中で、一番ほのぼのしたシーンが多いのも、この『指輪物語』の最初の部分である。
ロード・オブ・ザ・リングの予告編
The Simpsonsのロード・オブ・ザ・リング、ホビットへのオマージュ
ロード・オブ・ザ・リングでは、結構食事シーンが出てくる。また、ホビットやエルフ、ドワーフやレンジャーなどの旅の仲間は、いろいろな事情で分離するが、また所々で再集結する話が出てくる。あの『指輪物語』で描かれている様々な出来事を思い出すと、すぐに怯え、すぐに隠れようとする小心者の不甲斐ないホビット共が、右往左往しながら様々な事柄が展開する物語である。あの物語の中のホビットは、まさに、キリスト者のようである。弱きものであるからこそ、ときに集い、時に食事をし、時に旅の途中の困難な旅程の中で、レンバス(ランバス)と呼ばれる神秘の食物(まるで、聖餐式のパン、ウェハース、ホスティア)を食することで勇気づけられ、そしてまた歩み始めるのである。
二つの塔で炎の山に向かう途中でレンバス(ランバス)を食するサムくんとフロド
カトリックのJ.R.R.トールキンは、C.S.ルイスをキリスト者になるよう熱心に勧めた熱心なキリスト者ではあったというのは、15年くらい前にC.S.ルイスの生涯を少し調査した時に少し知った。昔40年ほど前に、瀬田貞二訳の文庫版の指輪物語を貪るように読んだときには、そう思わなかったが、あれは、実にキリスト教的な物語だなぁ、と思うようになった。そして、『指輪物語』は、実にキリスト教の象徴に満ちている事に気がついた。それが、象徴の世界に生きる、と言うことでもあるのであろう。
キリスト者は、ロード・オブ・ザ・リングスの登場人物宜しく、日々、別々の世俗の日々を過ごし、それぞれ異なった挑戦と困難(それは大きかったり、時に重たかったり、時にそれほど出ないこともあるが)な道や、時に判断に悩む日々の生活を歩む。一般人として。そして、小さなことに驚き、右往左往する。まるでホビットが過ごした旅の日々のような旅を日常的に続けている存在であるように思う。そして、時に、仲間が集まり、レンバスをともに食し、力を得て、そして、右往左往する珍道中のような、この世界での日々を続けるのであろう。
なんのための祝祷か?
そのために、教会で司祭は、
Let us go in peace
to love and serve the Lord,
主を愛し、主に仕えるために平安のうちにこの場から平和のうちにこの世界に派遣してください
と言って、教会から、送り出してくれるのである。
多くの福音派の教会でも、この祝祷は牧師により行われているが、この祝祷は、「この一週間が神によって守られ、祝福され、平安があるように」と思っているキリスト者は少なくないように思われるが、それは、どうも違うみたいなのである。強調点は、後半の部分 to love and serve the Lord(主を愛し、主に仕えるために)にあるように思うのだ。主を愛し、主に仕える、そのために平安のうちにこの世界の神が求める場所、人々のところに派遣されているはずなのに、あぁ、それなのに、『「自分たちにいいことがあるように」と牧師が祈ってくれていると思いこんでいるキリスト者がいかに多いことでしょう』と、「チコちゃんに叱られる」に出てくる森田アナウンサーのナレーションのように思ってしまう。
次回へと続く。
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本日も、ローワン・ウィリアムズ先輩の名著『キリスト者として生きる』を読みながら思ったことをたらたらと述べてみたい。
聖餐に集う多様な人々
オープン聖餐とか、フリー聖餐とかいうことが時々話題になるが、具体的なパンとぶどう酒をまだバプテスマを受けていない参加者に与えるかどうかは別として、神がすべての人をご自身との関係の回復に招いて居られるという意味においては、究極的には、すべての人が究極的には聖餐に参加されることを望んで居られるような気がする。もちろん、聖餐はサクラメント、聖なる儀式であることから、誰彼なくパンとぶどう酒を与えて良いとは思っていない。ある面、かつての正教会のように、聖餐式が始める直前に『啓蒙者いでよ』と、正教会の洗礼を受けいる関係者以外を追い出す必要もないとは思う。なお、正教会さんでは、今は正教会のバプテスマを受けていない人々を追い出されることはない。そのへんは、まぁ、聖餐に与ろうとするものが自主的な判断により、パンをくれろ、ということを自粛するのが、適切なのではないか、とは思っている。
聖餐は事物、また人間への見方を変えます。それは私たちの世界の見方を変え、先に示唆していたように、たがいに対する見方も変えます(隣人を神の招待客としてみるようになるにつれてです)。信徒が困っている人たちに示したい歓迎の念は、聖餐を通して強められ、保たれます。また、他のキリスト者を見まわし、彼ら、彼女らも招かれているということを真剣に受け止めなければなりません。聖餐の中で最も変化をもたらす、驚くべきことの一つは、あなたの隣にいる人を神が求めていると認めざるを得ないということです。 (『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』p.78)
しかし、聖餐がいかに聖なる儀式、サクラメントであったとしても、その参与に関して身分の差も、年齢の差も、民族的背景の差も、所得の差も、性別の差も、どういう生き方をしているのかの差も、どのような自己認識を持っているかも関係なく、教会が人々を招いているのではなく、教会が礼拝への参与者を勝手に決めて良いとはならないのではないか、とは思う。その意味で、以下のThe United Church of ChristのテレビCMは重要だと思うのだが、現実には、教会内の安定を求めて、「すべての人を歓迎しています」とは言いつつも、『その教会の基準に合う』という条件付きで、すべての人を歓迎しています、ということになっている教会群が多いような気がする。まぁ、多様な教会群が現実には形成されており、高速移動手段が利用できるような都会では、個人の趣味に合う教会を、信徒が選択できる、あるいは教会ショッピングができるようになっている以上、こうなるのは仕方がないのかもしれないが、それはどこか違うのではないかなぁ、ということを改めて上のローワン・ウィリアムズ先輩のおかきになられた部分を読みながら、思った。
アメリカのThe United Church of ChristのBouncerと呼ばれるCM
イエスの直接の弟子たちには、元売春婦、病人、元重篤な皮膚病患者、元暴力団まがいの反社会的行為者、元高利貸し、元精神病患者、元障害者、元新左翼の活動家のような人々、元漁師といった雑多な人々からなっていたのであり、更にイエスを取り巻く人々には、騒ぎまくる子供、ホームレスまがいの人々が大量にいたのである。
それを考えると、現代社会の中の教会に集まる人々も本来的にはイエスを取り巻いていたような雑多な人々で形成されているはずで、ということを考えると、「あの人が教会に行くなんて考えられない」と人々から言われるような人も、神が招かれているのではないか、とは思うのである。
聖餐を介した共同体
個人的には、建物ではない教会は、聖餐共同体であり、それ以外ではありえないくらいには思っているが、実際には説教共同体だったり、賛美共同体だったりする面もあるようであるが、何よりも、教会とは聖餐共同体であってほしいとは思っている。その聖餐共同体としての特徴について、ローワン・ウィリアムズ先輩は、次のように書く。
周りのキリスト者を見るときに、「この人は神を説得して、愛してもらおうとしている(けれどもうまくかない)」と思うことと、「この人は神の方から共にいたいと求められている」と思うことの間に違いがあると理解することが役に立つのは確かです。聖餐はものの見方を変えます。聖餐式で受ける贈り物の一つは、新たな視点という贈り物です。おこがましく聞こえるかもしれませんが、あえて言えば、神からの視点で物事を見るという贈り物です。(同書 p.79)
現在、Zoom上で、ボンフェファーの月一回の読書会に参加させてもらっているのだが、なかなか印象深いエピソードをお伺いすることがあり、大変参考になる。今その読書会で読んでいる本も、ボンフェファーの名著『共に生きる生活』であるのであるが、時々、いかにもルター派っぽいなぁ、という記述も見るのだが、良書であると思う。その本の中に、まさにこの部分と共振するかのような表現があったのでいくつかご紹介したい。
キリスト者は、彼に御言葉を語ってくれるキリスト者を必要とする。(『共に生きる生活』 ハンディ版 p.19)
これは、教会で神の言葉を読んでくれる人や、神のことについての説教をする牧師を必要とする意味ではないとおもう。むしろ、神(あるいは聖神、聖霊なる神、聖霊)が臨在する他者として生きている信仰者とその姿を必要とする、という意味なのである。自分だけでは気が付かなかった神理解、神との共同体理解をもたらしてくれる存在としての他の信徒を必要とする、あるいは、キリストを内在させる他者のうちにいるキリストと出会うために、他のキリスト者を必要とするのである。
もともとのローワン・ウィリアムズ先輩の記述に戻るなら、「周りのキリスト者を見るときに、(中略)「この人は神の方から共にいたいと求められている」と思う」ということは重要ではないか、と思うのだ。
イエスは、聖餐のモデルとなった最後の晩餐の最後で、
われ新しき誡命を汝らに與ふ、なんぢら相愛すべし。わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし。互に相愛する事をせば、之によりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん (文語訳 ヨハネ傳福音書 13章34~35節)
とのたまっておられるのである。我々が、聖餐を共にする人々、キリスト者、過去のキリスト者、現在のキリスト者、将来のキリスト者を愛するのは、その人がどういう人であろうと、「この人は神の方から共にいたいと求められている」からではないか、と思う。神が聖餐に、最後の晩餐の場面(最後の晩餐の場面の再現の場)に招いておられるからこそ、我々は、他者である他のキリスト者を必要とするし、他のキリスト者が、個人の好き嫌いとは関係なく、存在として尊いとするし、愛する対象として必要とするのではないか、と思うのである。
ビンチ村のレオナルド君画 最後の晩餐 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Supper_(Leonardo) より
イエスは相愛すべしἀγαπᾶτε ἀλλήλους といっておられるが、相愛するためには、相愛する対象を必要とするのである。その意味で、キリスト教は共同体を形成せざるを得ない構造になっているように思う。この信徒間の水平的な相互関係を重視する辺が、個人の悟り(涅槃ないしニルヴァーナの発見)を追求するそれが上座部仏教的な方法論であれ、大乗系仏教的な方法であれ、仏教系の信仰や、個人の潔斎を希求したり、地域や国家にとっての凶事の回避を希うタイプの神道とは、わけが違うように思うのである。
現在紹介しているローワン・ウィリアムズ先輩の文章は、『キリスト者として生きる』という書籍の中の聖餐に関してであるが、聖餐とはなんであるかを、サクラメントとはなんであるかについて、先に紹介したボンフェファーの中では、次のように触れられている。
一つの信仰共同体(ゲマインデ)が、この世において神の言葉と聖礼典(サクラメント)にあずかるために目に見える形であずかれるわけではない。とらわれ人、病人、散らされて孤独の中にいる人、異教の国にいる福音の宣教者などは、ただひとりでいる。彼らは、〈目に見える交じりが恵みである〉ということを知っている。(『共に生きる生活』 ハンディ版 p.14 下線部はミーちゃんはーちゃんによる)
聖餐は、一人で孤立人には経験できないことなのである。ここで、ボンフェファーが神の言葉と書いていることは、教会の中で聖書朗読が行われ、聖書に基づいた祈祷が捧げられることなはないか、と思うのである。説教そのものだけのことを指してはいないと思う。聖書朗読だけではわかりにくいから(ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語などの場合、他民族の人々にとっては異言とほぼ同様であるから、昔は読み上げられる聖書がギリシア語かラテン語(西方教会)ないしヘブライ語であったはずであるので庶民にとっては何のことかわからん異言であったという部分もあろう)解き明かしが必要であろう、という配慮の結果、聖餐の前か聖餐後に行うかどうかのタイミングの問題は別として、説教が礼拝の中に組み入れられたのだと思う。そして、宗教改革の奏で、プロテスタント教会の多くでは式文を忌避し、典礼などの象徴性と儀式性を忌避し、排除した結果、結果として説教が肥大したのである。しかし、このボンフェファーの「神の言葉と聖礼典(サクラメント)」という記述の部分を読みながら、いつもの聖餐式で祈る祈祷文(The Episcopal ChurchのCommon prayer book)の他者のために祈る次のような祈祷文を思い返していた。
Prayer for intersession
Father, we pray for your holy catholic Church;
That we all may be one.
Grant that every member of the Church may truly and humbly serve you;
That your Name may be glorified by all people.
We pray for all bishops, priests, and deacons;
That there may be faithful ministers of your Word and Sacraments.
We pray for all who govern and hold authority in the nations of the world;
That there may be justice and peace on the earth.
Give us grace to do your will and allthat we undertake;
That our works may find favor in your sight.
Have compassion on those who suffer from any grief or trouble;
That they may be delivered from their distress.
Give to the departed eternal rest;
Let light perpeptual shine upon them.
We praise you for your saints who have entered into joy;
May we also come to share in your heavenly kingdom.
中でも、聖職者や教会関係での奉仕者のために祈る部分を思い出していたのである。
We pray for all bishops, priests, and deacons;
That there may be faithful ministers of your Word and Sacraments.
訳していうなら、
我々は、すべての主教、司祭、そして助祭(輔祭・執事)のためにいのる
それは、これらの役割を担っておられる人々が、神のみ言葉と聖礼典を忠実に執行できるますように
とでもなるであろう。
この祈祷文には、牧師(Pastor)という語は含まれていないが、まぁ、司祭か助祭のうちどちらかだろう。そのためにも、ミーちゃんはーちゃんは日々祈っている。
ところで、かつて、どこぞの教会で、そこの信徒対策ではあろうが、コプト正教会の主教を捕まえて、コプト正教会の主教が日本語が直接ご理解されない(英語ないしアラビア語しか)わからないことをいいことに、そのコプト正教会の主教を含め、コプト正教会の皆様に対して聖書からメッセージを陳べ、教えを垂れたかのような放言したどこぞの極めて残念な牧師がおられたが、まぁ、上のThat there may be faithful ministers of your Word and Sacraments.と祈るときには、キリストのゆえに、キリストの愛を持って、そういう残念な放言をなさる牧師先生方を含め、上のように祈っているし、そういう残念な牧師先生のお世話を受けておられる信徒の皆様も、様々な教会の信徒の方々についてもキリスト者の仲間として、ミーちゃんはーちゃんはキリスト者のはしくれとして、
Grant that every member of the Church may truly and humbly serve you;
That your Name may be glorified by all people.
と祈ることにしている。
次回へと続く
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さて、今日もまた、ローワン・ウィリアムズ先輩の『キリスト者として生きる』から、考えて見たことを、かなり短くして、たらたらと述べてみたいと思う。知り合いから、長い(それはよく知っている)というご意見をいただいたので、今日からは、さらに短くしてみたい。
聖餐と悔い改め 聖餐は何のためか
聖餐について、聖い人たちだけが参加するという誤解をしている方々がおられるように思う。以前のミーちゃんはーちゃんも「聖くない以上聖餐には預かるべきではない」とそう思っていた。ある意味で誤解していたのである。というのは、聖餐式自体に罪の悔い改めが内包されていなかったからである。しかし、ローワン・ウィリアムズ先輩は次のように書く。
聖餐は誠実な悔い改めの必要性を思い出させてくれます ー与えられた贈り物を蔑ろにし、裏切る可能性に立ち向かう必要性を。ですから、聖餐は、キリスト教の実践においては、善い行いに対する報酬ではありません。それは、閉鎖的自己、自己陶酔、傲慢、怠惰の結果からくる飢えを防ぐために必要な食物なのです。(『キリスト者として生きる』p.80)
この中で、大事であると思ったのは、「聖餐は、(中略)善い行いに対する報酬ではありません」という部分である。日本では、「教会そのものがよい行いをする人々が集まるところである」と一般にも、またキリスト者のかなりの部分にも誤解されているが、そこに招かれているのは、善い行いをする人々ではないのである。ことに、聖餐は、悔い改めを求める必要性の象徴であるということは、重要だと思う。
プロテスタント諸派の多数の教会と、正教会系の教会、カトリック教会、聖公会とルーテル派の古い教会の一部との違いは、礼拝冒頭での罪の悔い改めが求められるかどうかだと思う。伝統的なキリスト教の教派の教会では、そのスタイルは違えども、確実に罪を悔い改め、神のもとに変えることについての何らかの行為(それは司祭のところに行って告白することであったり、礼拝参加者が全体としての告白としての罪の告白と悔い改めの必要に思いを巡らすことであったり)が行われる。
アメリカ合衆国での司祭に罪の告白をする正教徒
日本聖公会の式文の朝の礼拝の祈祷文では、以下のような祈祷が記載されている。
憐みぶかい父なる神よ、私たちは、してはならないことをし、しなければならないことをせず、思いと、言葉と、行いによって、多くの罪を犯しています。どうか罪深い私たちをお赦しください。新しい命に歩み、み心に従い、み栄えを表すことができますように、救い主イエスキリストによってお願いいたします。
ほぼ毎日、毎朝、また毎晩、こういう祈りをするのである。日本聖公会のすべてのみなさまが、この式文で日々全員祈っているかどうかは存じ上げないが、これは重要な祈りであると思う。というのは、我々は弱いからである。弱いからこそ、つい、しなければならないことをしなかったり、してはならないことをするように思うのである。最初に、この祈祷文に触れ、しなければならないことをしなかった、という祈祷を見た、自ら声を出して告白したとき、これは案外大事なことだなぁ、とは思った。してはならないことをすることが罪と理解することばかりであったからである。しなければならないことができないこと、これまた罪なのだ、と言う事実を突きつけられ、本当に左様であるという感想を持ったからである。
聖餐前の弱さの告白
日本聖公会の式文から引用しながら、聖餐が悔い改めの象徴であることを少し述べてみたい。
憐み深い主よ、私たちは自分のいさおに頼らず、ただ主の憐みを信じてみ机のもとに参りました。私たちは、み机から落ちるくずを拾うにも足りないものですが、主は変わることなく常に養ってくださいます。恵み深い主よ、どうか私たちが、御子イエス・キリストの肉を食し、その血を飲み、罪ある私たちの体と魂が、キリストの尊い体と地によって清められ、私たちは常にキリストにおり、キリストは常に私たちにおられますように
と、このように祈る。「私たちは、み机から落ちるくずを拾うにも足りない」という告白にせよ、「罪ある私たちの体と魂」という表現にせよ、聖餐が、本当に自分たちの弱さや、罪の問題と直結していることがわかる。普段参加させてもらっているチャペルだと、
Lord, I am not worthy to recieve you,
but only say the word I shall be healed.
とほぼ毎回同様の内容を祈るのであるが、毎度毎度、このようなことを言うたびに、自己の罪ある性質が思い出されると同時に、その罪があっても、この聖餐をとりて食べよ、取りて飲め、と言われたイエスの御言葉において、そこに回復Healが神の言葉故にある、ということを思い出し、まさに、この聖餐は神から一方的に与えられたものであり、聖餐とは神の一方的な恵みと憐みであるということを思い起こす。
飢えと聖餐
有名な山上の説教では、飢えや貧しさを持つ人々に対して幸いであると、実に逆説的なことを述べておられる。
『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。 (文語訳聖書マタイによる福音書5章3節から6節)
このことは、聖餐に招かれているものの性質を述べていると思われる。それを、ローワン・ウィリアムズ先輩の表現を借りるとすれば、「閉鎖的自己、自己陶酔、傲慢、怠惰の結果からくる飢えを防ぐために必要な食物」であり、であるからこそ、イエスを自身のうちに受け止めることの象徴である聖餐がその理由がどのようなものであるにせよ、必要なのだ、ということになるのであろう。
われら、鼻で息するもの、あるいは土から生まれ、土にかえるアダムの末裔の内部から生み出すべき神の義はない。神の義は、神からくるので、外からくるものである。神との関係を閉じてしまう、神に背を向ける閉鎖的自己である以上、飢えざるを得ない。また、自己陶酔し、自己を神のごときものとをするならば、イエスが言うように「しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。」(マタイ 15章18節)が実現してしまう。傲慢もまた、神の権威を認めず、自らを神と等しいものとすることであるので、本来の食物であるはずの『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイ 4章4節)となる神の言葉を必要としないことになり、飢えざるを得ない。最後に怠惰であるが、これも、神の姿を見ていないという意味では、本来の神の口から出る一つ一つの言葉を仰ぎ見ておらず、飢えることになる。
特に、近代社会において、聖書がかなりの数の言語、様々な国語で読めるようになり、各国語聖書が多数出る中で、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』から発送し、聖書を読まねばならない、という神経症的な方もおられるが、神の言葉とは、紙に印刷された聖書だけであろうか。パウロは我々の存在が、神の言葉であるべきであるということを、次のように書いているように思えてならない。
そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。(二コリント 3章3節)
その意味で、日々神のみ体の象徴であるパンとぶどう酒を聖餐式の中で受け取る中で、自らのふがいなさと罪を認識しつつも神がそこに内在されようとしていることを覚えたいものであると、今回もこの部分を読みながら改めて思った。
次回へと続く。 短くしたつもりだが長いなぁ。しょうがない。
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関係の回復の象徴としての聖餐
旧約聖書には、神との食事としての羊や山鳩など、人が食べてよいとされた様々な動物が全焼のいけにえとしてささげられた記述が多数存在する。旧約聖書の記述を見ていると、まるで、神と人がバーベキューを共にするかのような印象がある。無論、神が突然地上に現れて人と食事するのではなく、神の方は、捧げられた肉の薫りを受けられるだけであるが。
何かをともに物質的な食事をしたいと神はお考えの訳ではなく、人が神との関係を回復、人が神に語りかけ、祈り、賛美し、神に栄光を帰すことで神と人が関係を築こうとしようとする姿勢、あるいは、神のもとに帰ろうとする姿勢ををお喜びになっているのではないか、と思うのである。そのあたりのことを、サクラメンタル(聖なるものとされたものであること)との関わりで、ローワン・ウィリアムズ先輩は次のように書く。
私たちがパンとぶどう酒を通して主の前で感謝をささげるとき、私たちは ーイエスとともに、またイエスの中でー 世界と神との間に、そして人間の経験と与え主なる永遠の神との間に繋がりを築こうとします。この繋がりを通して私たちは、周りの世界を違う視点で見始めるようになります。あらゆる経験の隅々にまで当て主なる神が働いているなら、私たちが見て扱うすべてのもの、遭遇するすべての状況から、聖餐で起こっていることを真剣に受け止めることは世界の物質的秩序全体を真剣に受け止めることです。すべてをある意味で聖奠的(サクラメンタル)に見ることです。もしイエスが死の前後にパンとぶどう酒で感謝をささげるなら、もしイエスが神から最も離れたところである苦難と死をみ父から与えられ注がれるものと結びつけるなら、もしイエスがこれらを融合させるなら、私たちがどこにいても神との繋がりは可能になります。あらゆる場所、人、事物には、その内部に思いがけないサクラメンタルな深みがあり、与え主なる神に通じています。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 pp.75-76)
ここで述べられているサクラメンタルという概念は、プロテスタント教会が発展させてきた神学的思惟や理解の中では極めて薄いことが多いように思うが、これは実は重要なことなのである。サクラメンタルとは、神と人との関係や関連の象徴、あるいは神と人との関係を象徴する対象そのものなのである。そもそも、我々が生きているこの世界は、創世記1章から6章あたりを見る限り、神が想像され、神が人に委ねられたという関係性を表しているので、本来サクラメンタルなものであるのであるはずなのである。パウロが被造物を見れば神がわかると述べたように、この世界そのものはサクラメンタルであったはずなのである。
それ神の見るべからざる永遠の能力と神性とは、造られたる物により世の創より悟りえて明かに見るべければ、彼ら言ひ遁るる術なし。 文語訳聖書 ロマ書1章20節
しかし、近代という社会の中で、人間中心の世界になってからこのかた、人間は、この世界をサクラメンタルなものとして見ることを忘れ、人間が勝手にして良いと思い込んだあたりに人間の不幸があると思うのである。
ところで、以下に紹介しておいたアレクサンドル・シュメーマンの『ユーカリスト』には、聖餐は、神と人が和解していることを形を通して示すと同時に、人が神とともに過ごし、人と人が共に過ごし、被造物全体が神への賛美を返すという正教会的な聖餐理解が非常によく描かれているが、まさに、聖餐とは神とこの世界の和解の象徴という意味で、サクラメンタルとしての現れがそこに極まる儀式なのであると言えるのではないだろうか。
その意味で、「あらゆる場所、人、事物には、その内部に思いがけないサクラメンタルな深みがあり、与え主なる神に通じています」という部分は、極めて重要であり、この地のすべての場所を想像したのも神であり、人間が作ったものですら、それは、神が与えられた知恵や知識によって、この地の資源を造って造っている以上、それは、神が与え給うたものであると考え方は非常に重要なのではないか、と思うのである。
近代の思想になれきった現代人は、人が観察可能な要素、すなわち表面的理解や表面的観察にこだわるがあまり、割と単純にモノや対象を見た目やぱっと見で割り切ってしまうところがあるが、その奥底、表面に見える事柄の奥底、その先にあることを考えることは、もう少しされてみても良いと思う。
地球環境と聖餐
さて、上で紹介した部分の直後に、次のようにローワン・ウィリアムズ先輩は書く。
そのため、多くのキリスト者は聖餐について振り返るとき、地球環境に対するキリスト教的態度がどのようなものであるかを知るようになりました。与え主なる神がすべての瞬間と物質世界の中に、背後に、そして奥底にいるかのように、私たちはこの世を生きているでしょうか。(中略)この世界全体は、神の与えるという恵みが、あらゆる瞬間、目に見えないところで脈動しています。この世界への畏敬の念は、聖餐のパンとぶどう酒を畏れることから始まるのです。(同書 pp.75-76)
何より驚いたのは、「聖餐について振り返るとき、地球環境に対するキリスト教的態度がどのようなものであるかを知る」と、聖餐と地球環境問題をぶつけるような形で、療法を関連付けてきたローワン・ウィリアムズ先輩の発想には驚いてしまった。たしかに、アレクサンドル・シュメーマンの『ユーカリスト』で描かれた世界観からすれば、確かに聖餐と被造物世界はつながっている。福音派的な世界にいたときには、全く考えたことがなかった発想であるが、実は、人間が何のために存在するのか、この地に置かれているのか、ということを考えれば、神と人との関係が本来の姿に回復し、神とともに生きる中で、本来美しかったはず之この世界、神が創造されたこの世界を、神の代理人としてケアするための関係が回復したことの象徴(サクラメンタル)と考えるとすると、聖餐の意味合いは大きく変わってこよう。この神との関係の回復を象徴するのが聖餐なのである。
しかしながら、これまで触れてきたように、プロテスタント諸派では、サクラメントとしての聖餐は重視されているとおっしゃる協会ばかりであるが、実際に協会に行くと実際の聖餐があまり重視されているようには感じられない。人間自身が、司祭のみならず、本来全てのキリスト者が至聖なる方、つまり神の存在を現実にこの地の生を通して指し示すというサクラメンタルな存在である以上、その生き方、背後に神がおられることを意識して生きているかどうか、この地のすべてのものが、広い意味では神の被造物である以上、その被造物の世界の奥底に神の息吹を感じるような生き方をということをしているかということは、もう少し理解されるべきであろうと思う。
ここでは、聖餐への畏敬の念が語られているが、それは、神がこの地に来られたことへの畏敬の念でもあり、また、神そのもののへの畏敬の念であろう。まさに、
智慧ある者は之を聞て學にすすみ 哲者は智略をうべし
人これによりて箴言と譬喩と智慧ある者の言とその隠語とを悟らん
ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず(文語訳聖書 箴言 1章より)
とあるとおりであり、この箴言で示されているような神への畏敬の念を以て、神が想像されたという事実に畏敬の念を以て、神とともに日々歩む世界に招かれつつも、それができないことを振り返り、そして神に赦しを希うのが、キリスト者としての生き方なのかもしれない。そして、そのために、我々にこれお行え、とイエスは曰われたのであるし、初代教会以来紆余曲折を経ながらもキリスト者は、これを守り行ってきた、ということと、そのサクラメンタルな存在としてのパンとぶどう酒をもう少し大事にしたいものであると思うところではある。
次回へと続く
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連帯の信仰としてのキリスト教
さて、最近、日本の基層文化とや宗教とキリスト教徒は何が違うのか、ということを考えている。それは、実は主体的な連帯への希求にあるのではないか、ということを思っている。
先日、ある講演会で、社会という漢語の成り立ちについて、お伺いすることがあった。社(村落や集落の氏子にあたる人々が共同で用いる礼拝施設)が一堂に会するように集まるから「社」が「会」するので多様な村落の人々が多様に集まっており一つの人々の集まりを形成しているから、「社会」であるということらしい。なるほどなぁ、と思った。
そもそも、東アジア的な社会では、基本村落や集落、あるいは都市にしてもそうだが、そういう割と小規模な空間により定義される共同体の入れ物というか枠が先にあって、その小さな共同体の大きな集まりとして社会を考えるのかもしれない、とは思った。その意味で、割と狭い境域の空間により定義される人間関係の束の象徴である「社」が先にあって、その先にある社が象徴する地域が人々に影響しているのかもしれないと思った。これはもうそうかもしれない。多分、きっとそうだろう。
しかし、次のローワン・ウィリアムズ先輩のお書きになったものを読んだとき、キリスト教の聖餐共同体というのは、いわゆる地縁とは違う共同体とそこでの新しい交わりと連帯を求めるものなのかもしれない、と思った。
復活を信じなければ聖餐は一切意味を成しません。復活がなければ、それは二階の広間で起きた最後の晩餐という悲しく印象深い出来事が思い出される、単なる記念の食事になってしまいます。(中略)しかし、聖餐そのものの始まりは、使徒たち自身の始まりに求められねばなりません。すなわち、イエスが死から甦られた後、使徒たちと一緒に食事をしたり飲んだりし、彼らが復活したイエスと再び新しい次元の生活を共にし、新しい交わりと連帯が始まったことです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』pp.71-72)
日本は、永遠の伝道地であるから、キリスト者となるということは、多くの場合、従来の生き方や周辺の生き方とは異なる生き方を自ら選択的に選んでいくという部分がある。その意味で、「新しい次元の生活を共にし」ということはよく理解されるのではないだろうか。最近は、キリスト者2世や3世もかなり増えてきてはいるので、「復活したイエスと再び新しい次元の生活を共にし」という「新しい次元の」というところが希薄な人々も多いかもしれない。特に日本では、教派間移動をしない人々がおおい。あるいは教派間移動する障害がかなり大きく、コストが大きいために移動しがたい人々が多いので、なかなか2世さんや3世さんについては、子供のころからなじんでいる共同体で過ごすため、「新しい次元の」という部分が理解しがたいと思われる人々も多いのではないだろうか、とも思う。
様々なキリスト教の教派を見回ってみた経験から言えば、どの教派もキリストを中心としているという意味では、そうは変わらない。ある教派でずっと過ごし続けた人から見れば、かなり細かいところや文化や献金の仕方、聖餐式の年間の回数、開始時間、週に何回礼拝をするか、説教の長さに違いはある。また、信徒が、お酒を飲む飲まない、タバコを吸う吸わないでも違いはある。これは歴史的な経緯によって違いがあるだけである。また、礼拝が説教中心なのか、式文中心なのかでかなり違うようには思える。また、教派内比較をしても、教会内の装飾とか、賛美歌とか、そこに集まっている人々の雰囲気の点で多少は違うところはある。しかし、もう少し全体的に見てみると、信じている内容であるはずのキリストの神秘、「キリストは死んで、甦ったし、いずれやってくる」という点ではそう違うわけではない。そして、イエスが生き、死に、今も生きていて、われらとの関係を持とうとしておられることを覚える連帯を身体性を通して神を礼拝している共同体、連帯するものであることを表現し、相互に確認し、認証し、相互に平和を保っていることを確認するために、教会に集まっているのではないだろうか、と思うようにはなった。
連帯は、神との和解、それに基づく人々との和解と相互の受容、平和の結果であるし、平和を維持するためでもあると思う。そこを見失い些末な違いそのものに目を向けてしまうと、本来神がわれらに招いておられる、神と人との「新しい交わりと連帯」の姿を見失うような気がする。
セレブレーション、祝祭としての聖餐
最初に聖餐が祝祭、祝宴であることを知ったのは、ヘンリー・ナウエンの著書であったと思う。伝統教派をいろいろ訪問して見学させてもらうまでは、その祝祭の意味がよくわからなかった。それは、かつて長らく参加したキリスト者集団の聖餐式が、比較的重々しく執り行われるきらいがあったからかもしれない。
ローワン・ウィリアムズ先輩は、ここで、「聖餐を祝う」という表現で、そもそも、キリスト教の礼拝は、祝祭であることを示しておられると同時に、それが、神と人との関係と人と人との間の関係の回復の行為であることを次のようにお書きである。
聖餐を祝うことは、私たちが客人として招待されていることを思い出させてくれるだけではありません。他の人を客人として招待する自由をも与えられていることを思い出さえてくれます。(中略)洗礼について考えたとき、キリスト者のいのちとはいかに人間の貧しさ、飢えと苦しみの近くに連れていかれることだったことを覚えているでしょう。聖餐について考えてみると、もう少し詳しい説明を補うことができます。イエスの近くにいることは、イエスの招く自由を分かち合うことですー連帯や交わりを最も欲している人々のために、私たちの生や共同体を歓迎する場として作り直します。ともに聖餐にあずかる人々として、イエスご自身が行い続けた御業、人と人の間の溝に橋をかけ、ともに分かちある生に人々を引き込もうとします。私たちの利己心、忘れっぽさ、そしてどうしようもなく悪い習慣は神と人間の間に溝を作ってしまいますが、その溝を埋めるイエスの重要な任務を成し遂げる力と光の中で、私たちはともに歩みます。(pp.72-73)
ここで、「聖餐を祝うことは、(中略)他の人を客人として招待する自由をも与えられていることを思い出さえてくれます。」と書いてある部分は意外と重要だと思う。我々は、聖餐に参加することにより、そこに他の人々をも客人、ゲストとして招いている、という側面である。聖餐式という祝祭に参加するのは、われわれが聖餐式に招かれるから、でもあると同時に、我々が他の人々を我々との関係に招くためでもあるということは重要であると思う。孤独な人々や孤立する人々を神との関係性の中に招き、共同体の中に招くための機械となっているという指摘は重要であると思う。
世俗の仕事のソーシャルキャピタルに関する研究の必要上、『孤独なボウリング』という書籍を読んだのだが、その割と最初の方に、教会の存在が出てきたことは印象的であった。ソーシャル・キャピタルというのは、ごくごく簡略化していってしまえば、仕事として業者を頼むほどや行政などを動かす必要がことや、話して住む悩み事や京都謡として課題などを解決する人間の共同体があることで、小さな社会的に様々な課題についての解決が付き、社会全体が効率的に運用できるようになるという理解であるが、アメリカ社会において、その形成の基礎を教会が担っていた、という指摘があるのだが、それは、教会がここで、ローワン・ウィリアムズ先輩が、「連帯や交わりを最も欲している人々のために、私たちの生や共同体を歓迎する場として作り直します」と指摘しているように、共同体を作り直す場であるからなのだろう。こういう側面を、近代国家が成立した後に成立したキリスト教会群で、聖書のお勉強中心型の教会群では、そのような立場に否定的な視点を向け、「社会派」というラベルを張って終わりにしていたような気もするが、それもまた、教会の重要な側面では、あったと思う。もちろん、そうすることは、「厄介な人」を教会に内包することになる可能性も高いため、それなりの覚悟が必要であるとは思うが、よく考えてみれば、すべての人が「厄介な人たち」なのであり、特定の人々を厄介な人とすることにどの程度の意味があるのだろうか、とも思う。
そもそも、罪とは、神と個人の間の溝あるいは分離なのだろうと思うし、また、人と人との間の溝、あるいは分離なのだと思う。そして、この溝あるいは分離が、孤独を生み、孤立を生み、そして、絶望を生むのだと思う。その絶望の原因を、人間は自ら作り出してしまう部分があると思う。
普段参加させてっもらっているチャペルの聖餐式(礼拝)の冒頭で、毎週、大体週に2回次のような罪の告白を司祭も、回収も行うのだが、「私たちの利己心、忘れっぽさ、そしてどうしようもなく悪い習慣は神と人間の間に溝を作ってしまいます」という部分を読んだとき、あぁこの罪の告白のことを思い出したのである。
Almighty God, our heavenly Father,
we have sinned against you and against our neighbour,
in thought and word and deed,
through negligence, through weakness,
through our own deliberate fault.
We are truly sorry,
and repent of all our sins.
For the sake of your Son Jesus Christ, who died for us,
forgive us all that is past;
and grant that we may serve you in newness of life
to the glory of your name.Amen.
罪の問題とは、神と人との間にトレンチ、塹壕あるいは壁を作ることであるように思う。こういうような罪理解というのは、意外と認識されていないと思うので、もう少し知られてもよいかなぁ、と今参加させてもらっているチャペルに行き、上に引用した罪の告白に関する祈祷文を読む中で思うようになった。
次回へと続く。
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神と人との相互的で動的な関係
仏教徒でもないし、神道の徒ではないので、詳しいことはよくわからないが、日本的霊性における信仰は、割と一方向的で、比較的スタティックなものというイメージがある。しかし、キリスト教の礼拝というか信仰というのは、実はダイナミックなものである。現代で、そのダイナミックさが外見的にも確認できる形で表現されるのは、コプト正教会などの正教会系と、福音派のアフリカ系アメリカ人の多いバプティスト系教会とアメリカ系のペンテコステ系の教会である。その味わいはだいぶん違うが。
ケニアのコプト正教会
アメリカ合衆国Ohio州のペンテコステ系教会
アフリカ系アメリカ人が多い南バプティスト系教会の模様
個人的には、コプト正教会風の礼拝は比較的好きな礼拝スタイルである。利用されている言語がアラビア語でわかりにくいのがつらいが。コプトのイコンは昔の日本製アニメみたいなものも多く、個人的には親和性が高いので割と好きである。ところが、ローマカトリックとその分離派の西側のキリスト教会では、だいぶん静かになっていて、もはや本来キリスト教が持っていたダイナミックなその姿を思い起こすことはそれほど容易ではない教会群も少なくない。特にメインラインと呼ばれる、改革派などのアメリカの主流派神学系の神学の影響を受けた教会群リベラル教会では、賛美歌付き講演会と揶揄されるほどであり、まぁ、説教中心となっているので、ダイナミズムが感じられるのは、賛美歌部分だけ、ということも少なくないようである。
仏教も、密教系や禅宗系の一部で、結構派手な礼拝もないわけではないが、基本、涅槃の世界、悟りの世界を目指すので、静謐さを求める傾向が強いようには思う。神社や神道に関しては、祭礼の際には神輿が出たり、山車が出たり、歌舞音曲があったりとはするが、そういう祭礼以外の日時に境内地で騒いだら、白い目を向けられるか注意されるかのいずれかであり、神が人に憑依するとか、神と人との関係がダイナミックな表現で示されるのは、特定の場合を除き、忌避される傾向にあるように思われる。
まぁ、日本に定着している宗教間がダイナミックな(動的な)ものよりも、不動心のようなスタティック(静的な)ものを求める傾向があることに加え、最初の伝道先になった佐幕藩を中心とした失業武士、従来のお仕事を失ったお武家の皆さんが、動的なものよりも静的なものを志向し、文字文化の継承者であり学問的なものを求めたからこそ、日本の今のスタイルのキリスト教と相性が良いのかもしれない。その意味で、ぱっと見、ダイナミックでにぎやかな礼拝は、若者を中心とする一部の方々を除いて、積極的に求められないというのがあるのかもしれない。とはいえ、きわめて、一見静的な決まりきったルーチンに則って礼拝が行われる伝統教派でも、そこには隠れた動的側面が表現されていることは少なくない。気づきにくいだけではあるとは思うが。
神と人が招きあう場としての聖餐
しかし、本来のキリスト教の礼拝とは、日本の多くのキリスト教会では、説教が妙に幅を利かせ、説教が礼拝のクライマックスと化してしまったために、本来は祈祷文であったものにメロディを付けた賛美の時にしか、そのダイナミックな神との交流が多くのキリスト者の間にみられない、認知されにくいのは、実に残念なことであると思っている。
しかし、本来は、聖餐が礼拝のクライマックスであり、そこでは、イエスがわれらを招き、また、われらはイエスと聖霊を招き、生産者のコミュニティがわれらを受け入れ、われらもそのコミュニティに受け入れられていることを示すのが聖餐なのである。丁度ルブリョフの至聖三者のイコンがコミュニティを表すように、われらもその至聖三者のコミュニティに招かれているのである。
ルブリョフの至聖三者のイコン
そのあたりのことについて、ローワン・ウィリアムズ先輩は次のように書く。
同時に私たちの生活の中にイエスを招待しそして聖餐を通して文字通り私たちの体にイエスを招き入れる自由が与えられています。イエスに迎え入れられることにより、勇気が与えられ、私たちの心が開かれます。ですから、与え、受け取り、招かれ、受け入れられ、その流れは途切れることなく続きます。私たちは歓迎を受け、歓迎を行います。私たちは神を歓迎し、予期せぬ隣人を歓迎するのです。それは確かに聖餐の特有で素晴らしい事柄です。私たちはイエスと聖霊に祈り、私たちと共にいてくださいと呼びかけます。私たちにこのような呼びかけができるのは初めにイエスご自身が私たちに共にいるようにと呼び掛けていたからです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.67)
ここで、ローワン・ウィリアムズ先輩は、そのダイナミックな関係性があることを「与え、受け取り、招かれ、受け入れられ、その流れは途切れることなく続きます。私たちは歓迎を受け、歓迎を行います。私たちは神を歓迎し、予期せぬ隣人を歓迎するのです」として示しておられるが、まさに生産の場は、そういう実にダイナミックな関係が、神と人との間で起きる場であると個人的に思う。
予期せぬ隣人との聖餐を共にする場としての教会
さて、ここで、ローワン・ウィリアムズ先輩は実に重要なことをサラッと書いておられる。「(聖餐では、)予期せぬ隣人を歓迎する」というご指摘である。この予期せぬ隣人、今風の言葉を使えば、にわか、一見さん、通りすがりの人、ちょっと行きかう人々、見慣れぬ奇妙な人々を歓迎するのが、また、歓迎できる場であるのが聖餐であるという。この指摘は重要であると思う。
日本のキリスト教会の多くは、ほぼ固定的なメンバーによる礼拝あるいは説教付き讃美歌大会、説教付きカラオケハウスとか揶揄されるイベント中心になっているが、そこに予期せぬ隣人として訪れた場合、妙になれなれしく歓迎される(若者の多いペンテコステ系教会)か、やたらと個人情報を聞き出そうとされるか、全く無視されるか、黙殺される(カトリック教会等)か、礼拝終了後牧師先生ががぶりよりよろしく近づいてくださる(メソディスト系に多い)かのいずれかのことが多い。まぁ、予期せぬ隣人として歓迎され方は、各派それぞれ特徴があって面白い。
しかし、多くの教会で、革ジャンにモヒカン頭とか、といった毛色の変わった人は、歓迎されにくいのである。しかし、そういう人たちをイエスは招いたし、今もなお教会に、いや聖餐に毛色の変わった人を含め招いておられるのだ。そのあたりをSister Act(日本語では天使にラブソングを)の以下で紹介するワンシーンの2分15秒くらいで司祭が、明らかにガラの悪い少女たちを招くシーンはよく描き出している。イエスの初期の弟子たちは、革命を目指す熱心党員、漁師、律法学者、取税人、元盲人、元狂人、病人といったそういう毛色の変わった人たちによって形成されていたことはもう少し思い出されてよいかもしれない。まぁ、天使にラブソングをはハリウッド映画なので、聖餐のシーンは出てこず、賛美歌のシーンしか出てこないが、カトリック教会である以上、これらの賛美の後に聖餐が待っているはずであり、それへの招きとしての賛美であるのだが、ここでも聖餐式のシーンは諸事情によりカットされているのは実に残念ではある。
天使にラブソングを、で不良っぽい少女が教会堂に入ってくるシーンを含むOh Mariaの部分
アブラハムと予期せぬの隣人との食事と聖餐
ところで、聖餐というと、新約聖書のイメージが強いが、古くはマムレのテレビンの木のそばでおそらくはシエスタをしていたアブラハムのところにやってきた三人の旅の人を招いて食事をしたことともつながっているはずである。
主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、言った、「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。わたしは一口のパンを取ってきます。元気をつけて、それからお出かけください。せっかくしもべの所においでになったのですから」。彼らは言った、「お言葉どおりにしてください」。そこでアブラハムは急いで天幕に入り、サラの所に行って言った、「急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい」。アブラハムは牛の群れに走って行き、柔らかな良い子牛を取って若者に渡したので、急いで調理した。そしてアブラハムは凝乳と牛乳および子牛の調理したものを取って、彼らの前に供え、木の下で彼らのかたわらに立って給仕し、彼らは食事した。(口語訳 創世記18章1-8節)
イエスと食事と聖餐と
イエスは出歩いては飯ばかりあっちの人、こっちの人、取税人も律法学者も、民の指導者たちとも飲み食いをして歩き回っていていたのである。COVID-19の緊急事態宣言下でなくても、当時のカナンの地の人々はその姿にまゆをひそめて、変な人と思っていた。十字架上で死して、さらに復活した後も、ペテロなどのように漁師に戻りかけていた弟子たちに焼き魚を出している。まるで、早朝働く水産業関係者相手の築地市場、今は移転して、豊洲市場にある食堂のおやじのように、漁師相手に営業しておられる定食屋のおやじようなことをなさったのである。
福音書の復活物語の偉大なテーマの一つは、イエスと私たちが互いに歓迎しあう関係にあることが言えるの十字架上の死の後にも再び繰り返されるということです。復活を巡る重要な真理の一つは、復活後のイエスが、死の前にしていたことを変わらずに続けているということです。そのうちの一つこそが、歓迎し、歓迎されるということです。(同書 p.69)
そうかと思えば、前回紹介したエマオに行く途中は、いわゆるヘブライ語聖書、あるいは旧約聖書、あるいはトーラー・ネィビーム・ケトビームから縦横無尽に引用をし、イエスが実現したことが、トーラーから始まるタナッハに基礎を置くものであり、既に予告されていたことを弟子たちに示してのである。そして、弟子たちがとりあえず、もうちょっと話を聞かせてほしいから、飯でもご一緒にといって二人が誘ったら、当時の居酒屋兼宿屋でも、パンを咲き葡萄酒を渡し、飯を食べ始めたのである。そして、そのパンを割く姿で、弟子たちが、「おお、これはわしらの親分さま、イエス様ぢゃぁございませんでしょうかぁ」と気が付いた瞬間に姿をくらませておられるのである。
それほど、食事をすることを、ごく普通のこととして行われたのである。先に紹介したマムレのテレビンの期のそばでは、きっと葡萄酒を飲んでいたのであるし、氏素性はよくわからないが、祭祀を行うものであったサレムの王(平和の王)メルキゼデクは、やってきたアブラハムにミルクを出したのではなく、ワインを差し出したと書いてある。モルモン教会で、ご利用のヘブライ語聖書のこの部分の翻訳はどうなっているかはよく存じ上げないので、知らないが。
https://en.wikipedia.org/wiki/Melchizedek
しかし、上の絵画でのアブラハムは、どうもすいませんねぇ、と故三平師匠のように言っているとしか思えない姿ではある。
懐かしの林家三平師匠の落語
食事をすることの意味
先ほど、イエスは、様々な人々と食事をしたことを話した。アブラハムの時代から現代まで、食事をすることは、人々の交流にとって重要なのであり、COVID-19の罹患者が急増して、緊急事態宣言が出されていようが、まん延防止等重点措置が出ていようが、政治家から、知事や市町から、中央官庁のお役人から、県庁のお役人から、庶民までが食事をして交流を深めようとしたのだ。交流や親睦を深めるためには、昔も今も食事が一番効果的なのである。
弟子たちも、ともに集まり飲食を共にしたし、ワインも飲んでいたし、カナの結婚式の時には、母マリアに向かって、「まだその時ではないのだが」とか言っときなっがら、石甕にいっぱいにさせた水をワインに変えたりもしたのである。
振り返って考えてみれば、聖餐式でパンとワイン(ないし教会によってはブドウジュース)を共にするとき、イエスが、取りて食せ、取りて飲め、と言われたことを再現し、最後の晩餐の再現をするときに、あの、使徒的な瞬間を再現し、その経験を、分かち合っているのである。
復活したキリストが弟子たちと一緒に食事をするのは、キリストがそこに「本当に」いることを証明するためだけではありません。この食事は、イエスが地上にいたとき、新しい共同体を創造するためにしたことですが、復活した後の生においてもなお、イエスが使徒たちと共にすることであるといいたいのです。私たちは、洗礼を通して使徒たちとともにいるところへ招き入れられます。(中略)私たちは、イエスとともに飲み食いするために集まり、あの「使徒的」な瞬間を分かち合うのです。だからこそ、何世紀にもわたり、キリスト者は使徒たちの語ることを同じように語り続けることができたのです。キリスト者たちとは、イエスが死者の中から復活されたのち、食事を共にした人々なのです。(同書 p.70-71)
ここで、やや読み込みすぎなことかもしれないが、ローワン・アダムズ先輩は、「キリスト」と「イエス」を使い分けておられることが印象的である。王であり、メシアであり、メルキゼデクに等しい王である祭司としての存在としてはキリストを使っており、実在の人間となった具体的な人物としてイエスを使っているように思われるのだ。この違いは、重要ではないか、と思う。イエスがファーストネームないし個人名で、キリストが家族名、あるいは姓であると思っている人々は、このブログの読者にはおられないと思うが、イエスの父は、ヨセフ・キリストではないし、イエスの母は、マリア・キリストではない。イエスは、ベン・ヨセフ・イエス(ヨセフの子イエス)ないし、ベン・ヨセフ・ヨシュア(ヨセフの子ヨシュア)と呼ばれていたかもしれないが。なお、イエスをヘブライ語で書くとするとヨシュアであり、その辺にたくさんいた人物の名前ではあった。
いろいろな祈祷文のバージョンがあるのだが、先週は、聖餐式の主の祈りの前に司祭が次の引用部分の細字のように祈り、会衆は太字の部分を祈るのであるが、まさに、イエスの最後の晩餐の再現であり、それにつながるものとして、その聖餐の場にいるのだなぁ、という印象を、ほぼ毎回この部分の祈祷を聞き、応答するたびに思うのである。
Among friends, gathered round a table, Jesus took bread, and broke it and said,'This is my body, broken for you;'Later he took a cup of wine and said,'This is the new relationship with God made possible because of my death,take it, all of you, to remeber me.'Holy God, maker of all,Have mercy upon us.Jesus Christ, Son of Mary,Have mercy upon us.Holy Spirit, brath of life,Have mercy upon us.
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多様な人々の交流の場としての聖餐
社会ができると同質化する傾向は、日本でも、海外でもそう変わらないのかもしれない。Birds of a feather flock together. ということわざもあるし、類は友を呼ぶということわざもある。まぁ、似た者同士は集まるのは非常に楽しい。また、同質性を強化する方向に、社会は進みがちであるし、それが政治的なものとなると、全体主義となり、異分子を排除することにつながる。しかし、イエスはそうではなかった。多様な人々に囲まれていたのである。ローワン・ウィリアムズ先輩は、次のように書く。
イエスはどこへ行っても人々と進んで交流しました。それは福音書の中で最も特徴的な行為の一つとして覚えられています。なぜなら、イエスと仲良くしていた人々もそのことを気恥しいと感じたからです。人を分け隔てしない寛大さとよそ者と付き合う積極性ーこれらの型破りな行動を記録した初代教会の福音書の著者たちにとって、それは頭を抱えるほど描きにくいことでした。しかし、このようなイエスの姿を否定し、隠すことはしませんでした。むしろ、そのようなイエスの姿はあまりにも鮮明に覚えられていました。イエスは人々とともにいることを求めました。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 pp.66-67)
福音書を読んでいると、イエスの周りに登場する人物は実に多様である。律法学者や祭司といった宗教関係者、インテリゲンちゃんだけでなく、漁師、取税人、子供、人々から忌み嫌われた重篤な皮膚業を抱えた人々、視覚障碍者、聴覚障碍者、言語障碍者、精神病患者と思われる人々、女性、今風に言えばセックスワーカーの皆さん、乞食、普通の人々が、イエスの行くところ行くところに近傍の町や村から、三々五々食事の心配や宿泊の心配などもすることなく集まっていた。今でいえば、プロ野球選手やサッカー選手、ジャニーズか、AKBなどの追っかけのように人々がイエスの追っかけとして集まっていたのである。よほど暇で人々が退屈しきっていた時代であったのであろうとは思うが、それほど社会が混迷と苦難の中にあったのかもしれない。福音書には、当時のパレスティナの人々について、『野犬の群れ(正確には、飼うもののない羊の群れ)のようであった』という記述があるが、社会がそれほど安定せず、荒廃していたのであり、その中で、イエスのように、その周りに群衆が集まっている人物というのは、人々が現政権(ヘロデ王朝と帝政初期ローマ)に対する蜂起の原因になりやすい。おまけにイエスが、神の支配とか神の王国とか言い出したことを聞けば、ヘロデ王やローマの執政官ピラトなどの人々が、放棄を起こすのではないか、という不安や恐怖心にとらわれて、イエスという人物を物理的に排除したくなる気持ちもわからなくはない。
ローマ皇帝の神格化の初期段階であったとはいえ、初期帝政ローマ帝国にとって、そもそもいうことを聞かないユダヤ王国は、難支配地域であり、ローマ帝国より聖四文字なる方の方が偉大であり、ローマ帝国なんぞは風にそよぐ枯葉の如しと、ことあるごとに言い募るめんどくさい人々がいた地域であったわけで、最終的にローマ帝国は、我慢しきれず、Divide and Conquerということで、対ユダヤ戦争で、イスラエルを完膚なきまでに崩壊させ、イスラエルの民は各地に分散して住む流浪の民と化したのである。
http://www.preteristarchive.com/ARTchive/1850_roberts_destruction-jerusalem.html
そういう時代に、イエスはいて、そもそも社会の中で冷遇されている人々に囲まれていたし、そういう社会の中で冷遇されている人々とともにいることを望み、あえて、そういう人々がいるところにあえて寄って行っている部分がある。そして、マタイ5章などに採録されているΜακάριοι(幸いなるかな)で始まる一連の神から弱った人々、困っている人々、苦しんでいる人々、泣いている人々に回復を約束する神のメッセージを述べるのである。
https://i.pinimg.com/564x/11/be/15/11be15c9ff22b63984daf6170ef22ad5.jpg
福音派では、使徒書と呼ばれるパウロの手紙などの解説を中心として、説教という形で聖書の解釈や解説、説明が述べられることがあるが、正教会、カトリック教会、聖公会などの伝統を重視する教派では、パウロの手紙より弱った人々、困っている人々、苦しんでいる人々、泣いている人々に引き寄せられるように寄っていったイエスの直接の言葉である福音書がかなり重視されている側面がある。そして、説教の後はそのイエスの命に従って、イエスを具体的な形としてのパン(ウェファースやホスティア)とぶどう酒という象徴を介して、自らのうちに取り込み、イエスと一つであることを、イエスの弟子であることを表明し、多くの人々を分け隔てなく招き共に生きたイエスの弟子としての生き方を自らに問う聖餐が毎週行われるのである。
おもてなしとしての聖餐
イエスは、おもてなしをし、また、おもてなしを受けた人であり、パリサイ人たちから「大酒のみの食いしん坊」と揶揄されるほどであった。罪びとと食事をしていると嫌味を言われ、セックスワーカーと思われる女性が涙で足を濡らしその髪の毛で拭ったら、この人はこの女性がどういう存在なのかも気が付かないのかと揶揄するような民の指導者たちの思いを受けて、あなた方は招きながら、当時の人々にとっての通常のもてなしである足を洗う水すら出さなかったではないか、と公然と批判したのがイエスであった。
イエスは、人々に招くだけではなく、人々に招かれていたのである。そしてホスピタリティを持って疎外されている人、阻害する側の人々を含め他者を受け入れていったのがイエスであった。そのあたりのことについて、ローワン・ウィリアムズ先輩は、次のように書く。
イエスはもてなしを行うだけでなく、他の人のもてなしをも引き出します。イエスが招いてくださるので、人々もまた他の人々を招くことができるようになります。福音書の中でイエスと人々の間でもてなしあったことは聖餐についての最も大切な要素を示しています。私たちはイエスの招待客です。私たちがそこにいるのは、イエスが私たちを求め、ともにいることを望んでいるからです。(同書 pp.67-68)
先にも述べたが、聖餐式で、イエスの死と十字架といのちの象徴であるパンを受け取り、自らのうちに取り入れることは、イエスを招き、イエスとともにいることを示すのである。イエスに招かれ、イエスを相互に招き、ともにおられることを聖餐があらわしていることは極めて重要である。
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本日は閲覧注意の記事である。同性婚とかの種の話題がお嫌いな方には、以下の閲覧をお勧めしない。事前にお断りしておく。そういう方々には、こちらをご覧いただきたい。
福音主義神学会東部でのご発題の立ち見
さて、先般行われた福音主義神学会「東部」2021年の研究会で藤本満氏がお話になられたご発表とその後の討論を拝見させてもらった。ここのところ、世俗の仕事の通常業務以外の仕事が6つくらい割り込みで入ったので、その対応に追われているうちに、福音主義神学会東部の公式窓口での締め切りを過ぎていたらしく、まぁ、終わってから見ればいいか、と思っていたら、当日、お友達がZoomの参加リンクを送ってくださり、拝見することができ、ほぼ、主要部分を拝見することができたと思う。実にありがたかった。
印象が薄れないうちに少し思ったことなどを書いておきたいと思う。
ちょうど、事前録画の動画が始まってから1/3くらいのところから拝見できたと思う。その意味で、枕の部分は聞きそびれたが、主要なご発表の部分は拝聴できたと思う。「LGBTQ、同性愛・同性婚」を教会の問題として、聖書からどう考えるのかがテーマであったが、この問題への過去の教会の対応を整理と信仰共同体の形成の問題としてどう考えるのか、ということを考えたよく練られ、俯瞰的、網羅的な調査された結果についてのご紹介された後、一つのご提言をなされたように思う。
学問的アプローチによるご発表
印象としては、藤本満氏のお話をお伺いしながら、藤本満氏の「聖書信仰」という本を読んでから、藤本氏は、本当に学者向きの方だなぁ、学ということをよくお分かりの方だなぁ、という印象を持っていた。ところで、福音主義神学会は東部と西部でだいぶ味わいが違い、東部には学者肌の方が割と多く、西部には学者肌の方と感じさせるご発表が比較的少ないという印象があるのだが(あくまで、ミーちゃんはーちゃん個人の感想であり、統計に基づき客観的事実として申し上げているのではない)、その中でも、ご自身の教会の立場とか、教派的伝統をある程度離れ、可能な限り客観的にかつ冷静なご発表であった。福音主義神学会東部の発表は学問的なアプローチのご発表が多いが、今回のご発題はひときわ包括的・網羅的・俯瞰的なご整理をご提示になったのであり、非常に学問的なアプローチで取り組まれたご発表とご対論であったという印象を持った。
つまり、LGBTQ関係者を容認ないし受容しようとする人々(すなわち同性婚の賛成者や推進者を直ちに意味するわけではない)のご意見から、旧来の福音派が保持してきた保守的、伝統的な聖書理解からLGBTQ関係者の異常や感情に対する方向性を修正、矯正、強制的に変更を迫るようなご意見までがある種のスペクトルのような形で存在することをお示しになられたうえで、教会として、従来、黙殺、圧殺、あるいは放逐、無視、見て見ぬふり、押し入れに押し込める、座敷牢に押し込める、なかったことにする、気が付かなかったことにするという対応でその場限りのごまかしをするか、折伏よろしくそのような傾向を持つ人々を説得する、祈りの課題としてさらし者にする(公開処刑の一種)、食らえ御言葉攻撃をする、悔い改めを迫る、正論でねじ伏せる、祈りの言葉で攻め立てる(え〜〜〜、まるで、真言密教の護摩供みたいじゃないですか?護摩はさすがりたいたりしないかもしれないけど…)という対応をとってきた経緯のある福音派の関係者にとって、一定の概念整理のご提示をされた非常に優れた研究発表であったと、別の学術世界をメインの活動フィールドとする関係者としては、思った。
原住地の近くの須磨寺での護摩供(知らんかった…須磨寺って、直実首をぞかいてんげる由来の寺で、青葉の笛がある寺だとばかり思っていた)
17分59秒あたりから、首をぞかいてんげる、の名シーン
野球選手も護摩行はやるらしい
さらに、LGBTQ容認ないし受容するお立場の人々が立脚している聖書箇所とその理解および釈義、LGBTQを断固受け入れかねるということを支持するお立場の人々が立脚している聖書箇所とその理解と釈義にも触れられ、ある意味で、対論の土台と基礎を今回のご講演でご提示なさったように思う。印象的であったのは、Sodomyという語のもととなった、ソドムとゴモラの際に来訪者に対する発生事案として聖書内に記載されている出来事の背景に、当時の近東世界における異様な暴力敵性行為による征服欲の発露の側面があることと力の誇示の側面があることなどもご指摘であった。重要なご指摘であったと思う。また、教会の対応にとって重要だと思ったのは、ミーちゃんはーちゃんのお友達のパスター・オーズのように、突然降ってわいたように、教会は愛の共同体だし、神は愛なんだ、と教会はこの問題を時々わけわからない形で、うやむやにしてきた部分が多いのだが、そういう安易な解決策に流されず、容認側についても、否認側についても、よく配慮されたご講演であり、その意味で、非常に良いご整理を、ミーちゃんはーちゃんをはじめとする当日参加された皆様にお与えいただいたように思う。
科学だって物語じゃないの?
また、確か、対話の物語の神学としての聖書の読みとのかかわりのコメントへの応答の中で出てきた話だと思うが、「科学もまた物語ではなかろうか」という応答を通しての藤本先生のご指摘は極めて重要であろうと思った。ある面でいうと、技術の人間側の理解ではあるが、科学についてもまた、基本的なアプローチは、文学などでとられる主観的なアプローチではなく、間主観的なアプローチをとるという宣言(これから科学的な議論をするというマントラを唱えている)している段階で、基本的なストーリーラインがあらかじめ定められているという部分
藤本満氏は、大学でも教えておられると聞き及んでいるが、インマヌエル伝道団の代表(以前)をお願いし雑事に忙殺されたり、牧師をなさったりされるよりは、研究者としてご活躍される方がよいのではないか、と正直思った。とはいえ、ご本人の召命理解、どこに召しを感じられるのか、というのは、これまた別の問題なので、ミーちゃんはーちゃんのようなキリスト教界隈の流民で愚民であるものが申しあげるべきことではないとは思うが。
詳細で細密な概念整理をしたうえでの議論の重要性
詳細なご発言の趣旨は省略するが、今回のご発表で、とにかく、何よりも重要だなぁ、と思ったのは、既婚者の婚外性交渉のような性的奔放さと性的放縦、あるいは一般に受容されている性的なガイドラインからの乖離の問題と、同性同士の健全な強い精神的結びつきを希求する人々を同列に扱ってよいのか、ということを正面からとらえたご発題であったとは思った。同性同士の共同体の形成、交流の問題をどうとらえ、あるいは、男女間で形成されることが多い家族に代わる社会的ユニットの形成をどう考えるのか、それに伴う法的理解の問題の整理もなしに、聖書の表面的な記載を基準に、多様性がある対象に浮いて、罪という語で一緒たくれに議論してしまうのは、あまりに乱暴な議論であり、本来、どのような人であっても神に愛される存在たるべき壊れた神のかたち(像)である人間であること、教会もまた鼻で息するものの集まりであり、その神のかたちの回復を援助する存在として招かれているキリスト者、あるいは教会として、多くの人々と違う人々との関係性を求める人々に対する対応方法として、これまでの福音派の対応方法は、いささかながら(実際には非常に、だとミーちゃんはーちゃんとしては個人的には思っているが)課題があるのではないか、とやんわりご指摘になったような印象を持っている。
ことに、ご講演の中でも、ただいま絶賛紹介中の『キリスト者として生きる』をお書きになられたローワン・ウィリアムズ先輩のご講演やThe Church of EnglandでLGBTの司祭就任を認めた後のその後の分裂騒動、ランベスでの大激論など、英国国教会の分裂騒動や司祭の分離などについての、思いや悩みなどを含めご紹介されたりもしたが、そうであっても、ローワン・ウィリアムズ先輩がそのことに踏み切ったことについても一定のご評価をされていたように思う。ミーちゃんはーちゃんの理解が十分ではなかったかもしれないが。まぁ、とにかく何でもありのブロードチャーチで、差はあっても一つであることを目指してきたアングリカン・コミュニオン(英国国教会の影響を強く受けた教会連合体、と理解するのが各国聖公会の連合体というよりは、多少はよろしいかとは思う)としては、ここ十年くらいのごたごたは、一つであることにこだわりを持ってきたアングリカンコミュニオンの関係者にとって、つらいことのようには思う。まぁ、そのごたごたの時期に、アングリカン・コミュニオンの船員教会、日本聖公会の出島教会にたどり着いたのも神の導きであったのかもしれない。
Canterbery CathedralのEvening Prayerに登場する女性司祭(この方は、イギリス人らしくDog Peopleの司祭らしい 動画にコンパニオンなのかお犬様がたびたび登場する)
アングリカンコミュニオンでは、女性司祭の就任(今では英国では当たり前になっていて、Evening Prayerなんかにも女性司祭はご登場だし、今年になって、The Episcopal Churchでは、オレゴンで日系アメリカ人の女性主教が誕生したのである。詳しくはこちらhttps://diocese-oregon.org/the-rt-rev-dr-diana-d-akiyama-ordained-and-consecrated-as-the-11th-bishop-of-the-episcopal-diocese-of-oregon/(英語)をご参照いただきたい。
Diana D. Akiyama 第11代オレゴン司教区司教
なお、アングリカンコミュニオンにおいて女性司祭が最初に任命されたのは、日本の占領統治下で、男性聖職不在になった香港でのFlorence Li Tim-Oi司祭であった。非常事態の回避措置としてではあった。
写真はWikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Florence_Li_Tim-Oi から
まぁ、女性司祭の問題にしても、LGBTQの問題にしても、それが原因で、アングリカンコミュニオンを離れられた司祭もいるし、アングリカンコミュニオンの中でランベス会議に来ない地域もあったりするという話をお伺いしたりと、まぁ、いろいろややこしいことがあるようである。従来の考えを改めるということは、事程左様に非常に難しいことなのである。実は、この間のブルティン、日本語では週報の最終ページについている漫画(毎週、これがなかなかできがよいのだが)伝統についての漫画であった。
先週のブルティンの一部
なお、日本では、女性司祭は、つい十数年前までは、認められていなかったし、教区によっては、いまだに司祭は男性だけであり続けたい、と思っておられる教区もあるようではある。
同性同士の恋愛傾向 ∋ 同性婚
同性同士の愛的恋愛傾向のことというと、すぐ同性婚、同性間における性交渉のこととを短絡的に思い浮かべる方々もおられるが、それは物事を単純化しすぎ、物事の解像度があまりに悪すぎという批判は免れないように思う。要するに、恋愛に関する傾向として、性交渉抜きに同性の他者と共同体で生きる生き方を模索し、他者をそのままで受け止め、受け止め、大切にし合う生き方を模索したいのにもかかわらず、そのことを問答無用で認めないという社会の在り方に対して、疑問があるのではないかなぁ、と思ったのである。
個々の見出しで ∋ という集合論の要素に関する数学記号を用いたのは、同性同士の恋愛傾向をお持ちの人々の中の一部の人々が、同性婚を求めるのであり、すべての同性同士の恋愛傾向をお持ちの方が同性間の性交渉に関与しているのではないし、関与することを望んでいるわけではないことはもう少し知られてもよい、とは思ったからである。ある部分の方がそうだというだけであり、それを乱暴に一つのラベルで扱うことは問題ではないかと思う。非常に広いグラデーションの中で、それぞれ個々の特性、属性、方向性、オリエンテーション、方向性がある存在なのではないか、と思うのである。
https://unsplash.com/backgrounds/colors/gradient より
何が問題なのか
同性同士の恋愛に関する傾向をお持ちの方々がご発言になっておられるのを報道番組などで見ていると、一番の課題は、権利関係、親族関係に関する制約に関する問題なのである。財産整理の問題については遺言で処理できたとしても、生命保険や損害保険関係、医療に関する家族としての同意の問題、あるいは、養子や里子の受け入れに伴う法的関係での制約があまりに多く、不自由がある、というご主張であって、何が何でも同性婚を認めよ、という一部の強烈な声だけが目立つものの、サイレントマジョリティとしては、普通の人間ができることが可能でありそうなのに、従来の常識とか従来の法的関係の理解の制約の問題ゆえに、それが実現できないのがお辛い、ということなのではないだろうか、と思うのである。要するにLGBYQの方々にとって、現在の社会制度が自分たちにとっては使い勝手があまりに悪く、不十分であるがゆえに何とかしてくれ、とおっしゃっておられる問題なのであって、それに利用できる現代の家族法に関する法的制度が結婚しかないから、それを使わしてくれ、ということなのではないか、と思う。
例えば、同性同士の恋愛傾向をお持ちであるがゆえに教会に参加することはおろか、教会に参加することが大きく制限され、入信前に性的な放縦、不倫しまくり、離婚しまくっていても、悔い改めてキリストを信じれば、問題なく教会に参加できるというのは、あるいは、信じた後も性的な放縦をしていたり、異性間の結婚をしていても不倫やDVしまくっていても、そのことを関係者が黙っていれば、問題なく教会に参加できたりするというのは、バランスを欠いた措置のようには思うが、その辺はどうなんだろうか、とは思う。
社会からも教会からも排除される人々とキリスト
今回のご講演でローワン・ウィリアムズの講演などもご紹介になっていたが、先にも紹介したように、今「キリスト者として生きる」の紹介記事を絶賛連載中であるが、その中にもあるように、キリストは社会から排除されたマイノリティのところに行ったのであり、そうであるならば、現在の社会の中でマイノリティとして取り扱われているLGBTQの人々を教会がどういう迎え入れ方をするのか、という理解は改めて大事であることだなぁ、とは思った。本来、キリスト者はマイノリティの方々がいるところに行くように、そういう裂け目の間を結ぶよう、すべての人が聖餐に招かれているのがキリストだったのではないか、と思うし、そのような人々と神との間にこれらのマイノリティの人々とともに連帯して立つのがキリスト者だと個人的には思っている。
そして、洗礼を受けた人はどこにいますかという問いをもし抱いたとしたら、「混沌の近くにいます」という一つの答えが返ってきます。人々が最も危険にさらされている場所、人々が最も混乱し、傷つけられ、貧しくされたところに、キリスト者の姿をきっと見いだせるのです。(中略)もし洗礼を受けることがイエスのいるところに導かれることであれば、洗礼を受けた人は目的を見失った人々のその混沌と貧しさへと導かれます。(『キリスト者として生きる』 pp.15−16)
また、藤本氏の講演を聞きながら、最近絶賛紹介中のローワン・ウィリアムズ先輩の聖書に関する以下の記述を思い出していた。
人々の聖書理解における大きな悲劇と過ちの一つは、「聖書の中に書いてあるから」と、旧約聖書の中で人々がしたことを正しいと決めつける想定です。こうした想定は暴力、奴隷制度、女性に対する虐待と抑圧、そして同性愛者に対する残酷な偏見を正当化してきました。この想定は、私たちがキリスト者として今では悪と考えているというようなことを正当化してきたのです。しかし、こうした出来事が聖書の中に記されているのは、神が「それが良かった」と伝えたかったからではなく、「こうした出来事が一部の人々の反応であることを知る必要がある。私が人間に語りかけるとき、物事がうまくいかないこともあれば、素晴らしいこともある」と私たちに伝えたいからです。神は私たちにいます。「私の語り掛けは、聞いて簡単にわかるとは限らない。なぜなら人間とはそういうものだから」と。すなわち、私たちは物語全体のほんの一部を取り上げ、その一部を行動の規範にする誘惑から身を守らなければなりません。キリスト者はしばしばその悲劇の道を通って来たのであり、それはひどい有様でした。私たちはむしろ、聖書がイエスのたとえ話であるかのように読んでいく必要があります。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 pp.48-49)
最後は場外乱闘気味だったかも
若干、最後の部分、この種のことに対応してきた牧師先生や、大学関係者に応答を求めるという、ミーちゃんはーちゃんがやるような場外乱闘のことをなされたのは、やや意外ではあったけれども、リアルな場を持つ方々からの応答を求められたのは、実は重要だったと思う。時間的に十分とは言えなかったかもしれないが。
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本日も、『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』の本の中の第2章、聖書の中の、「キリストが中心」という小見出しが付いた部分と「共に読む」という小見出しが付いた部分についてたらたらと考えてみたことをいつものように述べてみたい。
一生かける価値がある聖書の読み
キリスト者なら、聖書の中心はキリスト、すなわちメシアあるいは世界の救い主であることに異論はないであろう。新約聖書はそれを見出すのはそう難しい話ではない。ところが、旧約聖書に入った瞬間、あれ、と思うことが多く、人はそこでけつまずいて、こけたりはすることが多い。特に旧約聖書の中には、キリストが巧妙に隠れているので、それを見出そうとしながら読むのだが、つい脱線して目の前に繰り広げられている記述に惑わされてしまう。
それ(聖書を読むこと)は、一生をかけた作業です。キリストを中心とする聖書の読みは、人が一生かけても完成できるようなものではありません。というのは、聖書が持つおびただしい数の事柄が、中心であるキリストとどのように関係しているかを完璧に理解することができないからです。逆に誠意をもって読んでいくと、その中心的な現実の周りを行き来し、毎回なにか新しいものが見えるようになるかもしれません。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.57)
聖書を読む、読み聞かせられることは、本当に「一生かけた作業」だとは思う。とりあえず、表面上の文字を追うだけなら、数日もあれば読み通せる。かなり忍耐を要請されることは確かだが。そのような読み方をすると、手がかりなどを見失うので、とりあえず読んだという満足感は得られるかもしれないが、聖書、それは、いったい何だったんだという感想を持つのが終わりだと思う。実際、新約聖書だけであるが、中学高校の倫理の教科書を読むようなスタイルで速読された元同僚が、「新約聖書って、訳が分からんなぁ」というような感想を述べておられた。それで、たぶんお分かりになられるのは「最低10年かかるかも」とは申し上げたのだが、そこまでは耐えられないし簡便というので、お断りになられた。
キリスト者の中に、速読で、今年は、聖書通読を何回やった、ということをお話になられる方もおられるが、それでは、聖書の味わいも何もないのではないか、とも思う。なに、速読が悪いというのではない。聖書の速読では得られないし一度や二度通読したくらいでは見えないものがあるということを言いたいのである。
というのは、人間の側が変わるし、人間として生きる経験で培われていくものが変わるので、毎度毎度見え方が変わってくるからなのである。そのことを、「逆に誠意をもって読んでいくと、その中心的な現実の周りを行き来し、毎回なにか新しいものが見えるようになるかもしれません」とウィリアムズ先輩は表現しておられるのだと思う。
同じことは式文についてもいえる。式文も全く同じ文書を毎週、読む。あるいは毎日それで祈る。最初は飽きるだろうなぁ、と福音派から今のチャペルに移ったすぐの頃はそう思っていた。しかし、定着して半年を過ぎるころから、毎週ほぼ同じ式文を読み、基本的に同じルーチンの礼拝であっても、誠実に取り組んでいく時、同じ式文から読んでも、印象が変わるのだ。もちろん、聖書箇所は変わるし、短めの説教も変わる。しかし、礼拝の70%の時間は全く変わらない。そうであっても、新しい印象があるのだ。ちょうど聖書がそうであるように。ただし、そのためには、「誠意をもって」礼拝に取り組んでいくことが必要かもしれない。そこに深い理解がかいま見せられることがあるように思う。それは表面的に礼拝に参加して時間が過ぎるのをただ待つような礼拝をしている限りにおいては、式文による礼拝では、毎週新たなる理解が得られるということはないのかもしれない。毎週変わる礼拝であっても、ただただ時間が過ぎるのを待つような参加では、そこに何かを感じるということはないのかもしれない。
時代、空間を超えて共感される聖書とその理解
では、続いて「共に読む」の部分から紹介してみたい。音楽や美術が典型的であるが、時間や空間や文化を超えて、共感や共同理解されるものがある。そして、時間や空間や文化を超えて、いろいろな人々が多様に考え、取り組もうとする対象はある。様々なメタファーが再解釈されなおされて、様々な作品が生まれている。あるいは、パロディが造られたり、様々な変奏曲が生まれたり、様々なアプローチで別の表現が試みられる場合がある。
まずは、ダースベーダーのテーマで見てみよう。
原曲
やる気のないダースベーダのテーマ(栗コーダーカルテット)
やる気以前の状態のダースベーダのテーマ
絵画に見る聖書解の多様さ
次に絵画で見てみよう。以下はエマオの途上でイエスであると弟子たちがわかったというシーンを描いた絵画である。
ケンタッキー・フライド・チキンでの現代アメリカ風エマオでの夕食
スペインの画家によるメキシコのフォルクアート風のエマオの夕食
Maximino Cerezo Barredo (Spanish, 1932–), Emmaus, 2002. Painted mural, 200 × 190 cm. Dining room of the Centro de Formación de Animadores, Gatun Lake, Panama.
The Supper at Emmaus, Filippo Tarchiani
The Road to Emmaus by Sr. Marie-Paul Farran, OSB https://artandtheology.org/2017/04/28/the-unnamed-emmaus-disciple-mary-wife-of-cleopas/ より
さて、いくつかの変奏、異なる表現方法の違いの味わいを感じていただいたところで、ウィリアムズ先輩の著作の記述内容に目を向けてみたい。以下の引用部分から少し考えたことを述べてみたい。
私たちは聖書を共に読みます。私たちが読む聖書は、過去の大勢のキリスト者によって既に読まれ、今日も多くの人々によって読まれています。ですから、聖書が自分に語りかけていることだけではなく、自分の周りや過去の人々に対して語りかけていることにも耳を傾ける必要があります。それは教会における「伝統」が意味することの一つです。あなたは人々が聖書をどのように読んできたかに耳を傾けます。それは今、教会にとって最も重要なことの一つです。私たちが聖書を読み、互いに聞きあうこと。これは思いのほか驚きを与えることがあります。(同書 pp.60-61)
この部分で、聖書はともに読む、同じテキストを過去の人々とともに読む中で、それぞれに語りかけられていることを聞いてきたのである。様々な神学があり、神学書がある。同じ聖書テキストを読みながら、実に多様な聖書理解が、様々な教派的伝統を受けながら、構成されてきたのである。ちょうど、同じ曲が、時代と文化と様々な地域で、再解釈され、それぞれの理解を変容させながら、さまざまなバリエーションを生み、変形しながら演奏されていくように。それを、アフリカンアメリカンが歌い継いできたゴスペルミュージックの名曲Swing Low Sweet Chariotで比較してみよう。調べてみれば、あるはあるは、様々出てきたが、以下にその一部を紹介して、お聞き比べいただければ幸甚である。
これぞ、南部のSwing Low Sweet Chariot
BBKingによるSwing Low Sweet Chariot
piano演奏によるSwing Low Sweet Chariot
刑務所でビヨンセがSwing Low Sweet Chariot歌うシーン
Big Band風Swing Low Sweet Chariot
このSwing Low Sweet Chariotはもともと、旧約聖書の預言者エリヤが天に挙げられるときに火の戦車がやっていたという旧約聖書の記述を基にしたアフリカ系アメリカ人の間に伝わる労働の時に歌われた歌である。過酷な環境の中で、休むことも許されず、単純労働力として、機械のようになく、無償労働力として酷使され、人間扱いもされない中で労働を強いられた中、エリヤのように天に挙げられるように神の戦車がおりてきてほしいということを希求する歌ではある。それが、現在に至っては、様々な人々、様々な文化、様々な状況下でかなり自由に曲の解釈と再解釈がなされ、相互に影響をあたえながら、変奏され、様々に表現、演奏されているのである。
ぶどうの木で考える聖書解釈の多様さと相互関係
まだ、今の日本聖公会の離れ、出島のようなアングリカンの海員向け教会に定期的に聖餐式にあずかり始める前、聖書解釈にかなりこだわりを持っていて、根拠なく「自分たちの教会は、最も正しい聖書解釈をするキリスト者集団であり、ほかの教会群とは違う」というかなり無茶な思い込みを持っていた(今なら、その根拠は何か、とかなり厳しく問うたであろうし、当時からそれを少しづつ問うていたので、煙たがられたが)頃の話である。聖書の連続公開説教をやっていたのであるが、その時「ブドウの木のたとえ」から説教することになった。その時、昔からなじんだ聖書の箇所を読みながら、はたと気が付いたのである。我々は、直接イエスというブドウの木につながっていると思い込んでいるが、実は、その幹であるイエスに直接つながっていることばかりを考えるが、そうではなく、同じイエスというブドウの木の幹につながっているほかの枝である他の教派群、そして、過去にその木を生きさせるために貢献した多くの他の教会群の人々からの影響を受けているのであり、そして現在もなお他のキリスト教会群が生み出している神学的な理解の影響を受けているということを、そして、その恩恵を受けているということに気が付いてしまったのである。
まさに、ここで、ローワン・ウィリアムズ先輩が「聖書が自分に語りかけていることだけではなく、自分の周りや過去の人々に対して語りかけていることにも耳を傾ける必要があります。それは教会における「伝統」が意味することの一つです」という姿を見てしまったのである。自分たちは、自分たちだけが根拠なく最も正しいと思い込んではいるが、それはそうではなく、たとえ反面教師としてであったとしても、他の人々に聖書が語りかけたことの影響を受けて今の自分たちがあるのだ、という理解に達した瞬間、自分だけが正しいといい募ることの無益を感じたのである。
その意味で、正教会の様々な聖人たち、西側のローマカトリックの伝承と伝統、そして、そこから分離していったプロテスタントと呼ばれる教会群が生み出した様々な神学的思惟、聖書理解との関係の中で、現在のキリスト者の個々人の今の聖書理解ができているのであり、その大きなシンフォニーの一音符を形成することで、現代のキリスト教、聖書をライブで演奏しているといえるのではないか、と思ったのである。それからである。過去の様々なキリスト者の理解、現在のキリスト者の聖書理解を知ろうとし、様々なキリスト教会に行き、そこで様々なキリスト者の皆さんがなしておられることを味わえるようになったのである。おかげで、20年以上いた元居たキリスト者集団にいた一部の声の大きな方からは変人扱いされ、今の船員向け教会に定着することにはなったが、今の教会に定着する以前、様々な教会群を事前予告なく突然訪問したことは、実に面白い経験であった。
ある意味で、ローワン・ウィリアムズ先輩が「それは今、教会にとって最も重要なことの一つです。私たちが聖書を読み、互いに聞きあうこと。これは思いのほか驚きを与えることがあります。」とお書きのことを、実地に様々な教会を訪問する中でやってみたのである。そしてやってみると、ほかの人々の持つ聖書解釈に聞きあう、そしてそれぞれの解釈を響かせあるという姿が重要なのではないか、と思うし、そして、そこに予想もしない驚きを感じることがあるのである。まぁ、実地に訪問しなくても、書籍を読むことで同様の経験はできるが、ただ、ある種のフィールドワークとして、現地に赴き、実地に行って調査しないと見えてこないものがあるのも確かである。だからこそ文化人類学者はフィールドワークを重視するのである。神に印刷された文字だけでは、見えないもの、認識されないもの、認識がひずむものもあるからではある。
実際、聖書の解釈は多様である。したがって、神学もまた多様である。これは、様々なキリスト教の書籍を読み、実際に様々な教会に足を運び、そこでのキリスト者の皆さんの行動を拝見したり、牧師先生の説教を聞いたり、あるいはそこでの式文を賛美として聞いたり、祈りの読み上げとして聞いたり、聖書を聞かされたり、様々な聖書箇所やキリスト者としての先輩の姿や業績を示すイコンを見たり、香炉で炊かれた香の香りをかいだり、多様な讃美歌を共に歌う中で、驚くことは多かったし、これだけ多数の神学書が出されていながら、あるいは聖書講解書、聖書の註解書が出されていても、一つとして同じものはないのである。共通する部分もあれば、異なる部分もあり、新たな視点が生み出されるのである。たとえ、古典的な聖書註解であれ。
ふと、そんなことを思い出していると、Facebookで元居たキリスト者集団のあるお若い方からご紹介された印象的なブログ記事「組織神学/教義学の本を読んで感じたこと」という記事があった。まさに、同じように「私たちが聖書を読み、互いに聞きあうこと。」の重要性をお感じになられた方がおられたのを拝見し、ふと懐かしく自分の姿を思い返した。ちょうど、本日引用したローワン・ウィリアムズ先輩がお書きの内容と重なるような印象があったので、ご紹介することにした。
さて、次回からは、いよいよ本著作のハイライト、本書でも最も重要であり、読まれるべき部分であるとミーちゃんはーちゃんが感じた部分の「聖餐」についてのご紹介に移りたい。
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さて、本日もローワン・ウィリアムズ先輩の『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』を読んでみた(11)から、ご紹介しながらいろいろと思うところを述べてみたい。
適切な問いを適切に問うこと
世の中で生きていると、面白い経験にであうことがたくさんある。意外と、人は、適切な問いを問うことができる人は少なく、なんらかの問を抱えているのだが、適切に問えないために混乱している場合が案外多いようである。適切な問いを立てるためには、ある程度の知識とある程度のセンスが必要なことは間違いない。
いまは、Google先生に問いを投げると、まぁ、それらしい答えを瞬間で返してくれるが、それはあくまでそれらしい答えであって、自分自身が求めているそのものの答えを返してくれないので、フラストレーションがたまってしまう人も結構いるのではないだろうか。Google先生が付き返してくるいらないサイトを見ながら、ため息をついた経験をお持ちの方も少なくないだろう。
意外と適切な問いを適切な語により立てるというのは、難しいのである。問であればなんでも意味がある、とされる方々も中にはおられるようであるが、適切に問いが立てられない場合、問から生まれる結果もろくでもない結果に終わることが多い。設計が出鱈目な建物は、たとえ見た目がよくても使い勝手がよくないのと同じである。適切な問いを立てるためにはそれなりの知識の背景がいるのである。たぶん、それを教養と呼ぶのが良いのではないだろうか。教養が豊かであることが望ましいと一般にされるのは、どんな問いに答えられることではなく、適切な問いを適切な語により問うため能力が必要であるからではないか、と思う。
さて、ウィリアムズ先輩の記述に戻ろう。聖書について、次のようにお書きである。
聖書を読むにあたって一定の常識を保つ必要があります。歴史の詳細にこだわるよりも、「神は私達に何を伝えたいのか」という問いに戻り続けなければなりません。もし聖書の歴史の絶対的な正確さを固く信じるのであれば、的外れの質問に正しい答えを出してくれる、一種の「魔法」の本とみなす危険にさらされます。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.53)
前回に、ウィリアムズ先輩の所論として、聖書は古代バビロニア史の正確な記述された書籍としてみるのではなく、その中で、様々な信仰者がどう信仰を保とうとし、神がそこにその状況の中で、信仰者の生きる世界にどう介在されたかの大きなグランドストーリーをみた方がよいのではないか、ということをご紹介した。
ゴブラン織りのタピストリーのような聖書
個人的にはその通りであると思う。ちょうどゴブラン織りで作られるタピストリーのようなものだと思う。様々なより糸が合わされながら、表現しようとする絵柄が書かれたものなのである。以下の画像は、The Devonshire Hunting Tapestries として知られるタピストリーの一枚であるが、多様なより糸で、当時の貴族の猟の風景を描いて見せている。ある一部は大きく描かれ、ある一部は小さく描かれているが、それはごくごく小さなより糸で構成される。
様々な細かなより糸が、寄せ集められて一枚のタピストリーの全体を構成するように、当時の人々の様々な様子の部分部分のごく一部(例えば、モルデカイの存在やモーセの存在など)はデフォルメされ、拡大され大きく描かれ、それ以外の人々の様々な様子は捨象されつつも、その大きく描かれた人物は、より多くのより糸により構成されて描かれるように、大きく描かれた人物は同じような多数の人物というより糸で構成されているのかもしれない。つまり、デフォルメされて大きく描かれた人が多くのより糸で構成されているように、その大きく描かれた人物と共通する部分を持つ多くの人々が、その人物を描く際に用いられるより糸のようにその大きく描かれた人物に投影されているのではないか、と思うのである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tapestry#/media/File:The_Devonshire_Hunting_Tapestries;_Boar_and_Bear_Hunt_-_Google_Art_Project.jpg
正しく問うことの重要性
さて、ウィリアムズ先輩は、「もし聖書の歴史の絶対的な正確さを固く信じるのであれば、的外れの質問に正しい答えを出してくれる、一種の「魔法」の本とみなす危険にさらされます。」とお書きであるが、この指摘は極めて重要なのではないか、と思う。これは歴史についてもしかりであり、将来来るべき出来事として描かれている黙示文学の預言の理解についても、誠に左様であると思うのである。
聖書無誤説だろうが、聖書無謬説であろうが、聖書が絶対的な正確さ、文字通りの正確さを持つとあまりに強く主張することは、たとえ、的外れな質問をしても、それに正しい答えを出してくれる変な存在として聖書を見ることになりかねない、というウィリアムズ先輩の指摘は重要だと思う。的外れな質問をしても、それに正しい答えを出してくれるという部分について、もうちょっとわかりやすい言い方をすれば、メニューにカレーライスがない江戸時代のそば屋でカレーライスを頼むようなことをしても、魔法のようにカレーライスが出てくるようなことは、ほぼあり得ない。また、パン屋でカレーください、と言ったら、ナンが出てくるか、カレーパンが出てくるかのいずれかである。カレーライスは出てこないし、インドカレーも和風カレーも、海軍カレーも出てこないのである。横須賀あたりだと、カレーパンの中身のカレーあんは、海軍カレーかもしれないが。いくら、それが私が欲しているカレーライスではない、といっても、そもそもないものは出せないのである。聖書の正しさを歴史記述の正確さに求めるのは、そのようなことをしているのではないだろうか。だからこそ、「聖書を読むにあたって一定の常識を保つ必要があります」というウィリアムズ先輩の冒頭の表現になるのだろう。中庸を良しとするVia Mediaという世界観を持つ実にアングリカンらしいご意見であり、ミーちゃんはーちゃんはこのような考え方が好きである。
ナン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3 より
カレーパン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Deep_fried_curry_bread.jpg より
使用上の注意をよくお読みください、ピンポ〜ン
あるいは、コンピュータ屋やシステム理論屋の物言いに、「Garbage In, Garbage Out」という語があるが、コンピュータがいくら正確に計算をするからといって、計算機にごみのようなデータを入れてしまったら、計算機は、ウルトラ正確に計算して、ウルトラ正確なごみのようなデータをはいてくれるだけなのである。これは、コンピュータに何を入れるかに注意しないとダメな結果しか得られない、という技術者の知恵、理論家の知恵である。それと同じように、聖書はカノンであるけれども、私の将来はどうなりますか?というようなごみのような問いを立てて、聖書にぶち込んだとしたら、ごみのような答えしか得られないのと同じである。薬と同じである。用法容量を間違えて使ったら、本来人を生かす栗でも、人を死に至らしめてしまうのである。その意味で、表面的な聖書の文字による表記の正しさに必要以上にこだわる聖書無誤節にしても、聖書無謬説にしても、用法、用量を間違うと、信仰者を殺し、信仰者の中に芽生えた信仰を壊滅的に破壊させることにつながりかねない。以下のCMに出てくるようにこれらの理解をご利用される信仰者の皆様方には、「使用上の注意をよく読んでお使いください」、とお願いしたいところである。
CMの最後にピンポンという音が入り、使用上の注意が出る風邪薬のCM
なお、聖書無誤説とか、無謬説とかが一部の皆さんの中で話題になっているようであり、お友達のパスターオーズから、それについてなんか書いて、と言ってきたので、そんなものは、20年ほど前に終わった話だし、個人的にその差は、Nestleさんのネスカフェゴールドブレンドと、味の素AGFのブレンディほどの違いであると思うと書いて送ったら、この話は立ち消えになった。書籍に執筆する話は立ち消えにした(狙っていた)が、このインスタントコーヒーの違いのたとえは、いのちのことば社の編集者の方にはえらい受けた。
少しメタな概念、より高次の概念、あるいはかなり遠いところにに立ってパンした画像で考えてしまえば、両者は誤差の範囲程度の違いであり、ネスカフェゴールドブレンドであれ、AGFのブレンデイであれ、両方とも申し訳ないが所詮インスタントコーヒーに違いはなく、やれ、ブルーマウンティンだの、やれジャワコーヒーだのとコーヒーにうるさい向きから言わせれば、所詮インスタントコーヒーでしょ、っていうことになる。その意味で、基本、重箱の隅を顕微鏡を使って、プローブ針の針先でつつくような話なのである。真剣にご議論なさりたい向きには大変失礼で申し訳ない話であるが、その程度のものであると思う。
なお、ミーちゃんはーちゃんが常飲するのは、たっぷり飲んでも気にならないブレンディ派である。だからといって、ネスカフェゴールドブレンドが出されたとしても、「なんだこれは、コーヒーではない」とか激高したりはしない。どちらもインスタントコーヒーに過ぎないのである。まぁ、それはインスタントコーヒーよりは、コーヒー豆をひいたコーヒーの方が無論おいしいが、あまり飲むと眠れなくなるので、考え物である。
ブレンディのCM
お花畑の住民も困りもの
落語は、もともと、仏教の説法を人が聞かないから、それを利かせる手段として始まったという部分がある。その意味で、ある種の倫理性を教えるような落語も少なくはない。その意味で、よりよく生きるということはどういうことかを考えさせる良い話というのもないわけではない。
桂米朝師匠による不精の代参 仏教的な輪廻転生の話も出てくる話ではある。
常軌の武将の代参のような話は、落語の世界であるからこそ、笑って過ごせるが、リアルでこういう人ばかりであると、本当に困ってしまう。とはいえ、まぁ、働きアリの8割は、ほぼどうでもよいことしかしておらず、1-2割だけが懸命に働くものらしい。そして、そのまともに働く働きアリの1〜2割を取り去ると、今度は、どうでもよいことしかしていないアリさんたちの中から、1〜2割の懸命に働くアリが出てくるらしい。まことに世の中とは面白い。
不精ものではないが、歴史的な事実について、じゃまくさい、ということでいろいろなことについて無頓着な人々もいる。それも個性であるといえば個性ではある。聖書について病的に細かな細部にまでこだわり、正確さを追求する、神経症的な人々もいる。それもまた個性ではある。逆に細部や歴史的な正確さやリアリティについては無関心で、自分にとってどういう意味を持つのかだけ関心を寄せる人々もいる。歴史的な背景で書かれたコンテキストは無視して、たとえ話のようなものとして聖書を読む読み方、聖書の読み聞かせをお聞きになる方もある。それもまた個性ではあるが、バランス欠いているという意味では、字義通りの正確さにこだわる読みと大差はない。
そのあたりについて、ウィリアムズ先輩は次のようにお書きである。
聖書の真価は、歴史的な正確さだけでは十分に測れないにも関わらず、このことに執着する傾向があります。他方では「正直にいうと、何が起きたかは大した問題ではない。重要なのは良い話であるかどうかだ」というような歴史へのむとんちゃくな態度との間にバランスを取りながら、慎重に事を運ぶ必要があります。なぜなら、私達は歴史的存在であり、時間の経過とともに学習し過去を振り返るからです。(同書 p.54)
この中で、需要だと思ったのは、私たちは歴史的存在である、という人間認識だと思う。以前の投稿でもキケロ(英語風発音でシセロ)の引用でもふれたが、歴史が我々に意味を持つのは、「別の時代において小賢しくなるためではなく、時代にかかわらず知恵あるものとなるためである」という側面があるからである。あるいは、以下のジョージ・バーナード・ショーの警句ではないが、我々人類が歴史から全く何も学んでいなかったということを学ぶために歴史を学ぶという皮肉な側面もあるとは思う。それほど、我々は自分たちが歴史的な存在であることを忘れやすく、ファンシーな世界に住みたいと思う存在であることを示しているかもしれない。
聖書の正確な細部にこだわりすぎることなく、また、自らが歴史的な存在であることを忘れ、以下のぐでたまのようなあたまも世界観もお花畑の世界に住み続けるものではないということ覚えながら、ファンシーなおとぎ話の世界や常軌を超え、正しいことにこだわるでもなく全体像を適切に見て、自己のあり方を反省するための、神のカノン、あるいは、カノン、基準となる主旋律と聖書に求め、その変奏曲Variationsをいかに奏でるのか、ということを考えることが求められているのではないだろうか。
ぐでたま 公式ツィッターから
その意味で、我々は、神から与えられた聖書というフルスコア譜の一音一音にこだわりすぎる(聖書の歴史記述の正確性のみにこだわる)ことなく、子供がおもちゃのピアノで主旋律を演奏するよう(聖書の話を単純化して、単なる良い話として理解するにとどまる)でもなく、聖書の主旋律を捉え、時にソリストとしての役割を神に任せられながらも、また、時にソリストをサポートする役割の演奏家になりながら、その変奏曲を演奏していくのことが重要なのであはないだろうか。以下のバッハのゴールドベルグ変奏曲のように。それが、我々にこの地上で、神の変奏曲を奏でる演奏家としての役割が、神から我々居託されている役割なのかもしれないとは思う。
バッハのゴールドベルグ変奏曲
次回へと続く
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お友達のパスター・オーズからご案内があったので、約束の虹ミニストリーの方がお出ましになるZoomの読書会のような解説会のような会の様子を拝見していた。いくつか、印象的なことがあった。
紹介されたブックレット
なお、なんで教会がツライのか考えたら出来た性理解のためのブックレットはなかなかできがよいので、一見をお勧めする。ご購入は、エメル出版まで。エメル出版は、最近立ち上がったユニークな書店なので、ごひいきに。
(秘密漏示)第百三十四条 医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。
2 宗教、祈 祷 若しくは祭 祀 の職にある者又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときも、前項と同様とする。
United Church of Christ のBouncerと呼ばれるCM
United Church of Christ のEjectorと呼ばれるCM
2値的な判断になれすぎた近代人
ルカ君のお話を聞きながら思ったのだが、これまでの教会は、近代社会の中で形成されてきた結果、本来、連続的な事象、対象として受け止められるべきものに対して、2値的判断(バイナリ処理、ないしBoolean対応、真または偽のいずれかしかないような対応、AでなければBとする対応)が不適切なものである性認識や自己認識、正邪判断についても暴力的に、2値的判断を当てはめてきて、男性でなければ、女性である、あるいは女性でなければ、男性であるとし、どちらかをせんたくさせるような対応で処理を進めてきた部分がある。本来、アナログ的な処理が必要なものにも、無理やりかBかといったタイプの選択を迫るような問題処理をしてしまったのではないか、と思ったのである。そう思ったのでそのことを素直に述べた。いきなり、例によってパスターオーズがガブリ寄ってきたからである。あと、聖書の言葉を短絡的に使って、人を裁き、教会の中や日本社会でそういう人々をなかったことにするために座敷牢や見えないところに押し込んできたのだ、という話をした。
この話をするとパスタ−・オーズは、いつもの調子で「馬鹿な・・・がどうのこうの」とまた、普段からの口癖を連発し始めた。しかし、途中で流石に「あ、これも2値的判断だ」と気がついたのか、その後はルカ君に発言を求めたのである。
愛という文字の多義性
ところで、ミーちゃんはーちゃんのコメントに対するルカ君の応答で、神を愛し、人を愛するという話が出てきたのだが、この愛するという日本語が、実は曲者なのだ。もともと、この愛するという語には、日本の中世の頃、ザビエル君が日本にやってきたころの『愛』には、中澤のエッセイ https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=24727&file_id=22&file_no=1 によると、仏教が嫌うところの性愛的な概念、煩悩そのものの根源を指す意味としての理解がほぼ100%であったらしい。天地人という大河ドラマで、直江兼続という武将がこの文字を鍬形の文様としたいたことをもてはやした歴史や思想史に学ぶことの少ないキリスト者の一部に調子くれて直江兼続が愛の文字を兜の全面に置いたことを持ち上げた人々もいた(実際にそういう言説を教会内で聞いたことがある)が、それはそもそも、中世と近代で語のイメージが大きく違っているので、近代の語の理解で中世を騙ったためにおかしな話となっているのである。
そう思ったので、ルカ君がお話になった、「キリスト者が互いに愛し合う」という理解についても、適切な注釈を入れないと誤解された形で理解されかねない、と思ったので、コメントしようとしたが、次の話に大頭さんが持って行ってしまった。
仕方なく、当日は参加死者全員あてのコメントで以下の趣旨を書いておいた。「愛」の文字は、ザビエル君の当時、煩悩を表す語であり、セクシュアルな意味しかなく、煩悩の世界の語であったので、ザビエル君たちは神の愛とか、隣人を愛するとは日本語聖書の翻訳、キリシタン版での翻訳では、使うことができなかったため、神の愛を示すために、「愛」に変わって「大切」という語を当てている。
ところで、この辺の事情、すなわち聖書の神の愛という概念に対して、ザビエルくんの時代にあっては「愛」の文字が煩悩を示すために、神の御大切と翻訳した経緯の詳細は、下記の鈴木先生の聖書の日本語 翻訳の歴史 岩波オンデマンドブックス 三省堂書店オンデマンドを参照されたい。
さらに、当日コメントの内容としては、LGBTであろうが何であろうが、その人の存在を神から与えられた大切なものとして認めるということ、そのためには、その人の存在を知ることそのものが聖書でいう神の愛であるということであるし、神を愛するということは、神を知ろうとするということであり、その人に関心を持つということであるということを、コメントでは流しておいたつもりである。どの程度理解されたかは別として。なお、神を愛することが神を知ることそのものであることは、J.I.パッカーの「神を知ることについて」という名著でかなり良く描かれているので、そちらを参照されたい。
罪の告白をしない教会、罪の悔い改めを毎週する教会
対話部分で面白いなぁ、と思ったのは、ある方が、「伝統的に教会はLGBTQの方々に対して、差別であるが、差別をしてきたことに対して教会が悔い改めをし、伝統的な方法ではなく、LGBTQの方を教会が受け入れてきたとしたら、現状のように混乱が起きなかったのではなかったか」というご自身の問いに関連する発言として、「罪の告白を普通しない」と公言なさったことである。確かに、福音派の教会にいたときには、罪の告白はしなかった。
しかし、今のチャペルに移ってからというもの、ほぼ週2で聖餐式に参加するたびに罪の告白は式文の中に組み込まれているので、今は、週2で人前で罪の告白をしている。
その罪の告白の式文が以下のとおりである。
Almighty God, our heavenly Father,
we have sinned against you and against our neighbour
in thought and word and deed, through negligence,
through weakness, through our own deliberate fault.We are truly sorry and repent of all our sins.
For the sake of your Son Jesus Christ, who died for us,
forgive us all that is past
and grant that we may serve you in newness of life
to the glory of your name.Amen.
これも、信徒はもちろん、司祭も一緒に声に出して読み、唱え、神の前に罪の告白し、神の許しを請い、信者間でともに許しを求めあうのが習いとなっている。
上記の式分を一応私訳しておくと以下のようなものになろう。
全能の神にしてわれらの天の父よ
われらはあなたに対して、われらの隣人に対して、思いにおいて、言葉において、行いにおいてまたわれらの無知、弱さ、どうしようもない欠陥ゆえに罪を犯しました。われらはここに真に反省し、われらのすべての罪を悔い改めます。われらのために死んだあなたの御子イエスのゆえにわれらの過去のすべての罪を許しまた、われらが新しい命においてあなたに仕えることをお許しください。あなたの栄光のためにも。アーメン
「正しさ」に捕囚されやすい我ら
Agree to Disagreeという立場
海援隊 「思えば遠くへ来たもんだ」
そして、洗礼を受けた人はどこにいますかという問いをもし抱いたとしたら、「混沌の近くにいます」という一つの答えが返ってきます。人々が最も危険にさらされている場所、人々が最も混乱し、傷つけられ、貧しくされたところに、キリスト者の姿をきっと見いだせるのです。(中略)もし洗礼を受けることがイエスのいるところに導かれることであれば、洗礼を受けた人は目的を見失った人々のその混沌と貧しさへと導かれます。(『キリスト者として生きる』 pp.15−16)
なお、パスタ−・オーズから、ごーという、オーズシンイチ語録の再録の許可が出たので、このときの語録を追記した。()内は、ミーちゃんハーちゃんによるツッコミである。
おーずしんいち語録(ミは氏のツッコミ)
■概念と概念は戦争になるけど、目の前にお腹が空いた人とは、戦争にならない。
(概念と概念でも戦争にならない人達もいる。しかし、本当に飢えた人は逆に怖いよ。後先考えないから。これ、自分が飢えてないのが前提。ところで、レント期間とか、大斎とか守ってる?)
■NVCより境界線のほうが即効性がある
相手が馬鹿なやつが馬鹿なことを行った時に境界線のほうが役に立つんじゃないか。
(クボキングに悪いやろ。即効性だけ求めてどうする。NVCは漢方薬。劇薬求めてどうする)
■ことば社が3人も雁首並べて、来てるけどキリ新なんて、そんなのたり前でしょ、って感じじゃないかと思うけど、俺って嫌なこと言ってるな、俺って嫌なやつだな。
(嫌なこと言ってるなぁ、と思うんだったら言わないほうが良いのでは。下は小さな器官であるが…。考えてから喋ろうね。口から生まれた、って言われるよ。)
■コンじいが、この世界に火をつけた本を企画した。
コンじいは曲者ですね。こうやって炎上させて本を売る悪党ですね。世の中の奴らはわかってないんだから。
(こういう他者を見下げた感覚はいかがなものであろうか、とは思ったよ。)
■ちょっとフィリピンの話にふって、バラけたな。俺が悪かったよ。
(考えて喋ろう)
■神学もそうだし。保留の感覚は当たり前で、全部わかっているわけでないんで、子供にちゃんと歩けるようになるまで歩くなとは言わないわけで。赤ん坊捕まえてそれはあるてないじゃないか、人は一生よろよろ歩いていくもんなんでね。
(そもそも、人間が一人で歩けると思うほうがどうかと思うが…神との二人三脚ではないか、と思うけど。)
■まぁねぇ、東北が新しい神学の拠点に成りつつある。震災とは無縁ではない、廃墟の中に種がまかれて、芽が出て生えてくる。神学は現場で興ってくる。
(あたり前田のクラッカー。ボンフェファーにしても、バルトにしても、教団の富田満にしても、ナウエンにしても、ラウシェンブッシュにしても、アウグスティヌスにしても、みんなそんな気がするが、あえて言うことか?)
■LGBTQは神学のフレームワークをひっくり返すような豊かな土壌がある。神学の周辺にある問題ではなく、これは全くセントラルテーマで、人間とは何か、罪とは何か、神の恵みとは何か、ここから鮮やかに開かれていく。
(神学の中心テーマってさ、これぢゃね?
Therefore we proclaim the mystery of faith:
Christ has died.
Christ is risen.
Christ will come again.
We celebrate the memorial of our redemption,
O Father, in this sacrifice of praise and thanksgiving.
Recalling his death, resurrection,
and ascension, we offer you these gifts.
Sanctify them by your Holy Spirit
to be for your people
the Body and Blood of your Son,
the holy food and drink of new and unending life
in him.
Sanctify us also that we may faithfully receive this holy Sacrament,
and serve you in unity,
constancy, and peace;
and at the last day bring us
with all your saints into the joy
of your eternal kingdom.
All this we ask through your Son Jesus Christ.
By him, and
with him, and
in him,
in the unity of the Holy Spirit
all honor and glory is yours, Almighty Father,
now and for ever.
AMEN.
に縮約されているのだと思うのだが、違うかなぁ。これをおろそかにしているところがそもそも論として問題のような気がするが)
懐かしの毛沢東語録
毛主席語録を持って作業に励むプロレタリアート
https://www.huffingtonpost.jp/2016/05/28/these-vintage-propaganda-posters_n_10176520.html
毛主席語録で思い出したので、中華人民共和国国家
ベネズエラ人による中国国家の演奏 かたなしである。
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聖書と歴史 歴史を学ぶ意味
聖書をイスラエルの軍記物と思っておられるのではないかと思うほど、リアルな軍事史(実際、軍事史研究という分野があり、過去の作戦の経緯ともし指揮官だとしたらどう対応したか、を考える研究分野もある)として読む方々もおられる。その読みを聖書は否定はしないとは思うが、あまりに過剰にそのように読み込む必然性はあまりないと思う。なお、講談という話芸には、この種の軍記ものが多数ある。以下の動画はその例である。
講談の軍記もの (六代目 宝井馬琴さんによる三方ヶ原合戦 4分49秒あたりから)
さて、日本では、初等中等教育の歴史(世界史でも日本史でも)において、歴史的事実とその個別の内容の概要と年号は教えるものの、その後の社会形成にどのような影響を与えたのか、といった視点からの教育が行われないことが通常である。実に残念なことである。歴史を学ぶ醍醐味は、ある歴史的事実が、その後の世界にどのような影響を与えたのか、ということを学ぶ中で、我々が現在の社会の中で、愚かしい行為をしないため、そして常に英邁な決断ができるようになるために学ぶ必要があるのである。以下のローマの哲人政治家キケロ(英語読みシセロ)の引用のとおりである。
意訳すると、歴史を学ぶのは、別の時代において小賢しくなるためではなく、時代にかかわらず知恵あるものとなるためである。
それが、日本の初等中等教育の歴史教育では、大学入試共通試験だの、大学入試センター試験あるいは、各大学での個別学力試験などで高得点をとるための教育に堕しているのが、実に残念である。個別の条約がどこの国とどこの国の間で、何年に何を契機として結ばれたのか、ということよりも、その個別の条約が、後の社会と世界の形成にどのように影響したのか、それが、また別の条約や、それぞれの条約締結国とその周辺の人々のみならず、その後のかなり遠く離れた地域の人々の生活や信仰、生活理解にどう影響したのかを知るのが、歴史を学ぶことの意味ではあると思うが、この種の教育は、教育を授けるほうにも、教育を授かるほうにも能力と思考力と理解力を要求するので、なかなか難しいというのは実情である。
いろんなコロンボ
例えば、一例をあげると、クリストフォロ・コロンボ(日本語名 クリストファー・コロンブス)のころ、植民地支配競争で覇を争ったスペインとポルトガルという国家がある。これがあまりに争うので、教皇子午線が設定され、南米をスペインが支配してよい場所と、ポルトガルが支配してよい場所が経度を基準に定められた。そして、その経度より東側の領域では、ポルトガルの実効支配が認められ、その残りの部分がスペインが実効支配してよい領域として定められた。このことから、ブラジルの海岸部の都市がポルトガル支配になったため、ブラジルは、スペイン語がメジャーな南米で数少ないポルトガル語が公式言語なのであり、それ以外の南米はスペイン語が公式言語なのである。
また、日本に最初にやってきた西洋の航海船は、ポルトガル船であり、火縄銃を日本に持ち込んだ南蛮船がポルトガル船であったのは、これのアジア版のサラゴサ条約によるのである。まぁ、マカオがポルトガルの極東の拠点であったことも無論影響している。そして、その条約は、間接的には三方ヶ原での戦いにまで影響するので、日本史を日本史だけでとらえることは、もう16世紀の段階で無理なのである。このように、日本の歴史に遠くスペインとポルトガルの覇権争いが影響するのである。
クリストファー・コロンブス(Wikipediaから)
アメリカの刑事ドラマ 刑事コロンボ Wikipediaから (背の低いイタリア系がコロンボ)
信濃のコロンボ 真ん中の中村梅雀さん https://www.ch-ginga.jp/detail/shinano_columbo/episode.html?id=7388 から
しかし、アメリカの刑事ドラマであった刑事コロンボ(コロンブスのイタリア語読み)を、昭和天皇がご覧になられたようだが、それ以上に日本でも一般に普及してきたためであろうが、信濃のコロンボとか、普段は冴えない印象を与えるが、推理力、論理演繹能力の高い人々をコロンボと呼ぶようになった。当のクリストファー・コロンブスはどう思っているのだろうか。
混ぜるな危険!歴史の重要性とたとえ話の違い
余談に行き過ぎたので、本論に戻す。歴史とたとえ話の話をごちゃまぜにする危険性について、ウィリアムズ先輩は、次のように語る。
聖書の物語は、必然的に歴史と関わっています。それは、物事がどのようにして存在し、そしてそれらの成り立ちが、今なお、あなたをキリスト者として形作っているのかについて語っています。(中略)そして、(アブラハムに出会ったとしたら)、あなたが最初に直面するのは、間違いなく、彼とどのように付き合うべきなのか、戸惑うでしょう。しかし、聖書はこう言っています。「この人はあなたの家族であり、彼の物語はあなたの物語の始まりです。もし彼がいなければ、今の貴方にはなっていなかったでしょう。だから、この違和感になれましょう」と。
聖書全体において歴史が重要であるのはこのためであり、たとえ話にはそれは当てはまりません。イエスが、かつてある人に息子が二人いた、と話し始めた時、誰かが手を上げて「彼はどこに住んでいるのか。彼の名前はなにか」と訪ねたら、厄介な人とみなされるでしょう。(中略)しかし、聖書全体は、抽象的な事例だけを取り扱っているのではなく、特定の時間と場所の中で展開される物語であり、今ここに向かって進み、私達に向かってきていることが重要なのです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 pp.50-51)
聖書全体は、神が歴史とりわけイスラエルの歴史にかかわった経緯が書かれた部分が旧約聖書(というよりはヘブライ語聖書)のケトゥビーム(諸書)やネイビーム(預言者)に表れている。また、福音書では、神がリアルな人間の形をとってこの地を歩んだ話が書かれているし、使徒書(使徒言行録や書簡類)では、聖霊がリアルな人間が起こす問題や生き方について、どのように考えていけばいいのか、ということに関する記述が多数みられる。
その意味で、神は歴史的な時空に時に関与され、それの一部を人間を見ているに過ぎない。すべてのことを我々が見ているわけではない。ちょうど、海の中から、岩礁が顔を出すように、ちらちらっと神の介在がわれわれ人間に見えているに過ぎない。
荒波から岩礁が姿を見せる動画
旧約時代の人々(例えば、アブラハムが代表例)に神が関与されて、迷い、間違いを犯し、それでもなお神に立ち返り、その信仰を確立していったのと同様に、あるいは、使徒時代の人々(例えば、ペテロやパウロ)に神が関与されて、その信仰を確立していったのと同様に、我々にも神は、当時のような直接性、現物として目に見える形で姿を現す、あるいはみ使いを介して示す、幻を見せると、当時の開示方法とは違う形かもしれないが、神の民と関与されているのである。キリスト教の歴史的に慶されてきたグループごとによって、神の霊、聖神、聖霊、聖霊なる神、いろいろな読み方呼び方はあるが、神は我々に語りかけて居られるのだ。ペンテコステの日以来現在まで、聖霊ないし聖神が与えられたことになっているので、我々も、神の介在、臨在があり、神からの語りかけを受けることにはなっている。それを感じられるかどうか、どのような形、どのような行為(賛美をする、聖書を黙読する、聖書を読み聞かせられる、式文を読む)を通してその臨在を感じるか、日々それをどうとらえるのか、どう表現する(手を上げて賛美する、異言を語る、説教をする、伝道をする…)のかは、人それぞれ違うが、イエスの約束あるいは預言としては、聖霊ないし聖神が介在していることになっているのであり、それによってキリスト者になっていくのである。
この後記述するが、旧約聖書の歴史記述は、そもそもあるヘブライ人としての視点で書かれているため、現代の歴史記述のような客観性や間主観性を持たず、一人称複数形、ないし一人称単数形の語りとして記述されている。その意味で大きくデフォルメされている部分、もう少し言うならば誇張、省略、変形が加えられているのである。であるから、それは完全でないので、イエスのたとえ話と同列、同様のものとして扱うべきか、というとそれをしてはならないのだと思う。表面的な事実性が確証できなくても(モーセがエジプトから出た人口が成人男性だけで60万人とレビ記は記述するわけで、女性や子供、在留異国人を入れると200万人前後、聖書記述が事実とすれば、名古屋市や大阪市クラスの人々が難民同然に荒野をさまようホームレス状態になったことになることを考えると、それを率いて砂漠地帯を移動することは、だれしもそのような烏合の衆を引生きるということなぞは考えたくない事態ではある)、イスラエルの民がエジプトから脱出し、カナンの地に入ろうとしたことは事実なのである。
実際、現代の歴史研究でも、特に地域誌などで地域の古老からインタビュー調査をするような研究でなくても、記録とその解釈と無縁の歴史研究がないように、基本、何らかの前提、与件、presumptionなしには、歴史とその解釈を述べることはできないし、述べたところで無味乾燥なものである。
聖書とその歴史記述は何のためにあるのか
聖書の歴史記述をどう考えるのか、という問題は大きな問題だと思う。福音派の教会関係者の中には、聖書の正当性、真実性を証明しようとして、聖書記述の正確さを言いつのる方々もおられますが、そもそも、タナッハと呼ばれるヘブライ語聖書は、歴史書というよりは、律法、預言書、諸書なのであり、歴史書ではないのである。旧約聖書の中で歴史記述が多い士師記や列王記は、預言書であるが、歴代誌やダニエル書、ルツ記諸書に分類されている。ところが、日本語聖書にしても英語の聖書にしても、歴代誌や列王記が並んでいたりするので、多くの人々は混乱している部分はあるだろう。
歴史をどう考えるのかについて、ウィリアムズ先輩は次のようにおかきである。
そこで、聖書における歴史的事実に対する難問が浮かび上がってきます。聖書は正確な歴史なのか。一部の人はこの問いに対して多大な懸念を抱いてきました。(中略)神は本当に私達に古代バビロニア史を正確に詳しく知ってほしいのでしょうか。そうではないと思います。神は、強制連行され捕囚となった人々、その迫害された少数派の人々が恐怖と不安を抱えつつ、敵国家と異教的な力に対してどのように対応したのかを私達に知ってほしいのだと、私は確信しています。ダニエルはまさにこのことについて教えています。(同書 pp.51-52)
聖書は古代バビロニア歴史の正確な記述書あるいは歴史書だとか、出エジプト記を旅行記として読む人々は、海老名市立図書館の関係者にはおられるかもしれないが、まぁ、正確無比な歴史書として読むことはあまり意味がないのかもしれない。エステル記には、「神」という語が出てこないので、70人訳としてギリシア語に翻訳するかどうかの採録の段階でかなり議論があったようだが、ユダヤ人が迫害される中で、どのように信仰を保とうとし、異教的で対立的な国家の中の居留民として、実存として、そして、神への信仰のサバイバルを図ったのか、ということの重要な記録であるとして、エステル記は70人訳の聖書に再録する聖典の一部として残ったのだろうと思う。
レゴによるプリムの由来
NYでの保守派のユダヤ人のプリムの祭りのワンシーン(ハロウィンも真っ青の仮想大会である)
その意味で、我々の聖書の記述は、マイノリティであったヘブライの民と同じ道を歩む預言者性を持って生きるキリスト者への励ましであり、参考資料であり、手がかり満載な記述が記された所であって、歴史の教科書、考古学で地面を掘るときの宝の埋まったマップのようなものではないのではないか、と思うのである。
このような聖書記述の正確性を考古学ではどう考えるのか、については、中公新書から出版されている、長谷川修一さんの「聖書考古学」が読みやすくて参考になる。ただ、聖書記述が正確ではない、と受け取ることも不可能ではない記述があるので、自己の進行が揺らぎそうな人にはお読みになることはおすすめしなが、学問の誠意をもって、この辺が限界ということで、極めて誠実に書かれた本であるので、学の世界に身を置くものとして、ご一読をおすすめする
次回へと続く
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聖書は定規じゃないかも
本日ご紹介する部分は、逐語霊感説、聖書無誤説、聖書根本主義、聖書原理主義的な教会で生きてきたものとしては、実に耳が痛いはなしであったが、そういう教会から追い出されるようにして逃れて幸せに生きられるようになったのだなぁ、と思えるようになったという点で、実に良かったなぁ、と思った部分であった。
人々の聖書理解における大きな悲劇と過ちの一つは、「聖書の中に書いてあるから」と、旧約聖書の中で人々がしたことを正しいと決めつける想定です。こうした想定は暴力、奴隷制度、女性に対する虐待と抑圧、そして同性愛者に対する残酷な偏見を正当化してきました。この想定は、私たちがキリスト者として今では悪と考えているというようなことを正当化してきたのです。しかし、こうした出来事が聖書の中に記されているのは、神が「それが良かった」と伝えたかったからではなく、「こうした出来事が一部の人々の反応であることを知る必要がある。私が人間に語りかけるとき、物事がうまくいかないこともあれば、素晴らしいこともある」と私たちに伝えたいからです。神は私たちにいます。「私の語り掛けは、聞いて簡単にわかるとは限らない。なぜなら人間とはそういうものだから」と。すなわち、私たちは物語全体のほんの一部を取り上げ、その一部を行動の規範にする誘惑から身を守らなければなりません。キリスト者はしばしばその悲劇の道を通って来たのであり、それはひどい有様でした。私たちはむしろ、聖書がイエスのたとえ話であるかのように読んでいく必要があります。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 pp.48-49)
この後、重要な一文が書いてあるが、それは本書を読んで確認してほしい。
さて、この部分を読みながら、聖書をカノンとして考えるということはどういうことなのかと考えてみた。カノンとはCanonの音であるが、観音という仏教用語由来のカメラメーカー(こちらのウェブサイトにカメラメーカのキャノンについての公式な由来話が書いてある)のことではない。リンク先のカメラメーカーのサイトにもあるように、「聖典」「規範」「基準」という意味である。
観音にその名称が由来するCanonのCM
Bach(ヨハン・セバスティアン・バッハ)のカノン
ナポレオンや南北戦争時のカノン砲の発射実験
日本軍のカノン(加農)砲が出てくる資料映像(このタイプには、線条が砲身にある)
ガンダムに出てくるガンキャノン(初期ガンダムファンなので、すまん)
7分40秒位からがカデンツァ部分にあたるモーツァルトのヴァイオリンコンチェルト
ただし、ユニークで印象的なカデンツァを演奏するためには、演奏者側にも創造性や演奏技量、解釈の技量といった才能が要求される。才能のない凡百の演奏者には、先に誰かがやったカデンツァをコピーするほうが楽だし、そうするほうがまぁハズレはないわけである。そうなると、誰かがやったカデンツァが神格化されたり、誰かがやったを真似ることに必死になり、そこから全く外れずにビシッと演奏したり、その演奏が正しいものとして他者にそれからずれることを許さない教条主義的な人々が出てくることになったりする。そして、カデンツァが本来のカデンツァ、演奏者に解釈を任された自由な演奏でなくなってしまうという部分がある。実に残念なことである。
「神の物語」に生きる我ら
ところで、聖書全体を物語として考えるというのは、伝統教派ではかなり行われてきたことであるが、そういうのを失った最近のキリスト教関係者向けに提唱されていると言ってよいのが、物語神学である。この物語神学については、マイケル・ロダールの『神の物語(上・下)』が一番わかり易いかもしれない。まぁ、これから派生した『焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇 大頭眞一と焚き火を囲む仲間たち』という本には、パスター・オーズとの因縁話がきちんと書かれているので、貴重な文献資料ではあり、好事家の皆様には、ぜひともおすすめしたい本ではある。しかし、一般の皆様が、買うなら、新書判のロダールの『神の物語(上・下)』をおすすめする。益になることはろダールの著書のほうが多い。
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きょうも、ローワン・ウィリアムズ先輩の『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』の聖書の部分から引き続き読んでみたい。前回の聖書の中にあるたとえ話の理解の部分からである。
葉を見て森を見ずの愚
俚諺に「木を見て森を見ず」という語があるが、細かな部分に気を取られて、全体像を見逃し、本来理解すべき対象を見失ってしまう愚のことであるが、時々、そういう聖書解釈に出会うことがある。そのようなことに触れた聖書のたとえ話としての解釈の課題について述べてみたい。もう少し言えば、聖書のたとえ話の細部に注目しすぎることの愚である。
したがって、たとえ話については断片的にある部分の詳細に焦点を充てることは何の助けにもなりません。物語全体があなたに変化をもたらす必要があります。話の途中で結論に飛びついてはいけません。このことは、聖書全体を考えるうえでも少し役立つと思います。聖書とは、このように言い表せると思います。神は私たちにたとえ話、または一連のたとえ話を語っているのだ、と。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.47)
ここで、ウィリアムズ先輩がおかきに習っれたことで、非常に印象的であったのが、「たとえ話については断片的にある部分の詳細に焦点を充てることは何の助けにもなりません」という部分である。実は、これは、非常に重要な私的なのではないか、と思うのである。
前回も取り上げたが、ルカによる福音書15章に出てくる放蕩息子の話から取り上げたい。皆様ならご存知だと思うが、年のため、口語訳聖書から該当部分を引用しておく。
「ある人に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。 (口語訳聖書 ルカによる福音書 15章11−32節)
映画Con Airの予告編
ところで、まぁ、こういうディテイルにこだわるのは、ストーリーテラーとしては話のリアリティを増す上で極めて重要であるということも、ストーリーテラー(嘘つき男)としてのミーちゃんはーちゃんは、十分知っている。ある面、それは、リアリティ、臨場感を増すための小道具なのであって、そこにこだわって解釈し始めると、ろくでもないことが起きるのである。なお、以下の動画で紹介するJim Henson(Sesami Streetに出てくるカエルのカーミットとか、エルモとかクッキーモンスターなどのマペットの製作者にして人形遣い)のStory Tellerというビデオはなかなか良いと思うので一度ご覧になることをおすすめする。
Jim Hensonのマペットが登場するStory Teller
先程、木を見て森を見ず、という話をしたが、逐語霊感説、聖書無誤説ないし聖書無謬説、聖書の字義通り解釈をするキリスト者のグループで育ったが、そこにいると色々と面白い経験をする。極端な方の場合であるが、たとえ話にも、逐語霊感説、聖書の字義通り解釈を適用して、豚が何を表しているとか、いなご豆が何を表しているとか、兄が欲した子ヤギが悪魔の象徴であるとか、ということもお聞きした経験がないわけではない。このような話を聞いた時、「放蕩息子の話って、あれ、そんな話だったっけ?」という印象を持った放蕩息子のたとえ話の解説を過去お聞かせいただいたことがある。こうなると、字義通り解釈と言いつつ、どこが字義通り?と言いたくはなる。
話の全体像から大きくずれた聖書解説の例としては、たとえ話の細部に妙にこださりすぎたあまり、話の本質を見失ったものとして、兄が欲しがったヤギが悪魔であったという解説などが典型的な例であるが、細部の理解にあまりに拘り、なかば妄想日改正処理回を繰り広げたあまり、神の失われた人間の愛と神と人間の回復の物語として語られるべきものが、神のそばにいる人間が小さな悪を求めることがあるという物語になってしまったようなことも起きないわけではないようである。まぁ、そのような解説が完全に間違いだとは言わないし、そのような解説の生まれる余地があることは完全に否定はしないが、そのような解釈はテキストを読み込み過ぎ、というよりは妄想の広げすぎであり、話の論点がずれているようには思う。こういう連想ゲーム的な読みというのは、実は大きな危険性をはらんでいるようにも思う。まさに、「たとえ話については断片的にある部分の詳細に焦点を充てることは何の助けにもなりません」というのに適切な事例であるとは思う。
細部に拘りすぎもとの話を作り変える愚
さて、以下の動画は、先に紹介したJim Hensonのマペットの第1号であるカエルのカーミットが登場するSesami StreetのYankee Doodle went to townという南北戦争時の北軍(北部連邦側)の軍歌というか行進曲であるが、マカロニと韻を踏む語で、現代人に意味がわかる歌詞にしようとしてこだわったあまり、歌自体とその意味合いを大きく変えてしまったという例である。
もともとは、北軍の兵士が、帽子に鳥の羽根をさして、街を行進したときに、それを称し、洒落者だろ(Macaroni)、って行ったという歌詞なのであるが、最終的には北軍の兵士が、家にいて子馬(ポニー)のために、でっかいスパゲティであるマカロニを鍋で茹でた話になっている。なお、Macaroniという後は洒落者、という意味である。なお、日本では、何故かこの曲が、アルプス一万尺というスイスの歌として広まっているという謎はある。
Kermit the Flog が出てくるSesami StreetのYankee Doodle の作曲シーン
Yankee Doodleの元歌
細部や聖書の文言の細かな部分(例えば、天地創造が7日が、24時間かける7であるのかといった部分やイナゴのように見えるもの)に拘るあまり、聖書のたとえ話や聖書預言や聖書の主要な内容を現代人にわかりやすく伝えようとするがあまり、その本来の大きな主張を忘れ、聖書の全体像から考えた場合、それは言えないのではないだろうじゃ、と思われるようなかなり別物に近いものにしてしまうこともある。その意味で、上の動画のカエルのカーミットくんのようなことをしている教会や牧師先生も結構あるのではないだろうか、とも思うことがある。そういう説教に出会うと、本当にそういう説教って言うことをすることとはどうなのだろうか、と思うことが多い。
イスラエルに命じられた残虐行為の謎 〜個別の事案に惑わされないこと
旧約聖書を読むと、確かに、神が「他の民族を滅ぼせ」と命じる場面が出てくる。これは、現代人を当惑させる記述である。人権とか、人間の生命が貴重であるという広く一般に受け入れられている概念を超えた表現である。このようなことについて、同理解すべきかについて、ウィリアムズ先輩は次のようにいう。
もしこれらの物語の中に神に対するイスラエルの衝撃的な、あるいは受け入れがたい反応があったとすれば、神がそのような反応を好んでいるという前提を持つ必要はありません。例えば、旧約聖書に登場する多くの古代イスラエルの人々は、「民族浄化」を行うこと ー導かれた約束の地の先住民を容赦なく虐殺することー が神の意志であると、明確に理解していました。そして、何千年もの間、人々は「神が大量虐殺を命令したり承認したりするとはどういうことですか」という疑問を抱いていました。もし神がそのようなお方なら、聖書全体が神について言っていることとひどく矛盾してしまうでしょう。しかし、このような応答が単に物語の一断片であると理解すれば、当時の人々がその時どのように神の意志を行っていたかをうかがい知ることができます。重要なのは、神を見て、そして自分自身を見て、自分はこの物語の中のどこにいるだろうかと問うことです。あなたは聖書全体から見て、古代イスラエルよりも愛情深く、忠実に応答することができているでしょうか。(同書 pp.47-48)
ここで、ウィリアムズ先輩は、個別のイスラエルによる民族浄化事件のような記述とその現代社会への適用そのものの当否を問う前に、神と聖書全体と自分自身との関係の中で、他民族浄化のようなことがかかれていることについて、考えるべきだと述べておられる。これは、案外忘れがちな理解かもしれない。そして、現代人のなかには、短絡的に反応する人々は居られる。「そんな恐ろしげなことを命じる神は信用ならない、恐ろしい神だ」とか思割れる人々は多いのである。あるいは、ノアの洪水の時に、シロアリやゴキブリを殺すような感覚で、人類抹殺計画を行ったのではないかと考えがちな方も居られる。ウィリアムズ先輩は、悲惨な事件そのものの残虐性や残虐な行為に過剰に着目すべきではなく、その現象が起きたコンテキストをみて考えるべきだという。
確かに、イスラエルが神の意志であると理解し、虐殺行為を行ったことは間違いはないが、だからといって、人がユダヤ人抹殺を目指したホロコーストやポグロム、あるいは、ツチ族VSフツ族のような民族浄化事件や虐殺を起こして良いと勝手に解釈したり、そのような聖書箇所の行為を現代の環境で実施する論拠として短絡的に結びつけたり、勝手に神の名を騙って、自己正当化のために、こういうかなり解釈の背景を知らねばならないこと似つじても、安易に関係づけたりしてはいないか、ということを問うて居られるのだ。
聖書全体の意思は、神が人を滅ぼすことではなく、人と神との関係の回復(神を愛せ)であるし、人と人との関係の修復(隣人を愛せ)という側面をうち忘れ易いが故に、では、自己の問題として神の意志をどのように考えるのか、神のみ思いが天においてなるように地においてもならしめるために、どのように関与し、個人の行動を決めていくべきではないか、ということを、「あなたは聖書全体から見て、古代イスラエルよりも愛情深く、忠実に応答することができているでしょうか」という一文で問うておられるように思う。
つまり、他人事として聖書の記事を見たり、自己の正当化のために手軽に便利な事例として、好都合な極めて限定的な一部の事例を用いるのではなく、自分自身の問題として、聖書全体の主要な主張に目を向け、いかに神の民としての個人として応答するのか、どう生きるのか、神のみ思いの実現の一端に関わっていくのか、ということを我々個人の課題として考えるべきだ、という点は、もう少し考えたほうが良いことではないか、と思う。つい、自分は正しいものとし、他人の欠点をあげつらい、そして攻撃しやすいのが、我らである、ということをよくよく覚えながら。
次回へと続く
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さて、ここのところローワン・ウィリアムズ先輩の『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』から聖書についての部分を紹介したい。本日の部分は、聖書をどう考えるか、聖書と個人の関係をどう考えるのか、聖書を読むということはどういう意味か、という部分である。
聖書を分類しようとする愚
近代は、なにか分類できればわかった気になるものである。そういう誘惑について、ローワン・ウィリアムズ先輩は次のようにいう。
(聖書に含まれる)これら多様な書物をどれか一つにまとめたいという誘惑にかられることがしばしばあります。それはすべてが本当に律法であり、すべてが本当に歴史であり、すべてた本当に詩であるという風に。もしすべてが本当に律法であるならば、聖書は本質的に規則が中心で、端々に少し説明的な資料が付け加えられているということになります。(中略)実際のところ、聖書をわかったつもりになってページを開くなら、聖書は何か違ったものに変わってしまうのです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』p.44 下線部はオリジナルでは傍点表記)
ここでは、法律として、歴史書として、詩のようなものとして聖書を読むという話が描かれているが、まぁ、そういう読みもあるだろう。それどころか、戦争マニュアル、作戦行動ガイド、あるいは、戦史資料として読む人もいるらしい。そのあたりに関しては、以下のPreston Sprinkleという元アメリカ海兵隊上がりの福音派の牧師さんの書いたFightという本に書いてある。
また、聖書を未来についての解説本として読む人々も居られることを知っている。聖書をこれから起きる時刻表やイベントリストのように読んで、現実で起きたちょっとした出来事が聖書の中の記述のここに当たるんじゃないか、とか、このニュースは預言の実現だとか、そういう読みをなさる人々もおられことは確かである。そういう人の場合、聖書の最後のヨハネの黙示録と、聖書の中ほどのエゼキエル書と、ダニエル書といった預言と思しきところを集中的に開くので、そこが聖書の横面から飛び出すようになる。特に新改訳聖書第2版も、第3版も、両方の版とも、聖書としての装丁の綴じが甘いので特にそうなる傾向が強い。
特に印象に残ったのが、「聖書をわかったつもりになってページを開くなら、聖書は何か違ったものに変わってしまうのです」という部分である。聖書を読み慣れ、どんな事が書いてあるかの印象が強くなると、このわかったつもりになってページを開く傾向は強くなる。つい、ここはこういうことだよね、と思って読んでしまうのだ。それどころか、ちょっと気分が沈んでいるときなどは自己の気分を高揚させるためにそういう効果を持つ聖書の部分を読んだり、慰めを求めて、そういう部分を読むように成り、また、厳しい聖書の言葉を回避するようになる。あるいは腹が立つ対象がいる場合は、そういう人たちに対して滅びを告げるかのような聖書を読んだりする人もおられる。そして、その部分について、聖書を介して神の語りかけを聞く、ということが弱くなってしまう。つまり、自分の理解が先に立ち、神の語りかけを妨害することが多いのである。
白石麻衣とひょっこりはんのコラボによるひょっこりはんのギャグ
中学や高校の数学の本とは違うんです
たとえ話の世界に引き込まれ、視界を変えること
次にウィリアムズ先輩は、イエスのたとえ話の理解について、次のように語る。この部分は、次回連載の部分の前奏曲になっているので、重要な部分である。
イエスが福音書の中でたとえ話をするとき、彼は守るべき律法の宣告をしているわけではありません。イエスが語っているのは、物語です。彼はあなたに働きかけるために、うまく味わる必要がある、刺激的でドラマチックな短い物語をいくつも伝えています。そして、その物語を聞いた結果、あなた自身にどういう変化があったのかを判断しなければなりません。一つ一つの声に耳を傾けてください。物語における出来事の関係性を観察し、たとえ話の結末を読んだとき、あなたはどこにいるでしょうか。あなたは最初いたところにはもういません。物語に登場する様々な人物を見て、自分自身について何を語っているのかを探さなければなりません。多くのたとえ話を通して、イエスは一つの質問を投げかけます。「あなたはこの物語の中の誰なのか」と。(中略)
つまり、物語全体は意図的に何かの効果をもたらします。物語全体はあなたを引き込み、神との関係におけるあなた自身について考えさせることを意図しています。(同書 pp.45-46)
たとえ話といえば、イソップ物語の「うさぎとかめ」や、アンデルセンの人魚姫とそのパロディのディズニーのLittle Mermaidの話を思い浮かべる人やLord of the Ringを思い浮かべる人がいるかも知れないが、ある面、イエスのたとえ話とこれらの物語はかなり共通する部分はある。その世界の中に入っていって、その中の登場人物と自分を重ねるのである。ロード・オブ・ザ・リングなどは、そういう部分がある。ある人はフロドに思いを入れ、ある人はセオデン王に思いを入れ、あるいはサムに思いを入れ、灰色のガンダルフや、白のガンダルフに思いを重ねる人もいるだろう。広く読まれ、読みつがれた物語には、そういう構造というか余白を持っている部分があり、その物語の世界のひだの中に読み手や聞き手を引き込み、包み込むような部分があるような気がする。
うさぎとかめの読み聞かせ
DisneyのLittle Mermaid
The Lord of the ringsの The Return of the Kingの予告編
イエスのたとえ話についても、そういう部分がある。典型的には、放蕩息子の帰郷として知られる物語であり、ここでの引用はあえて避けたが、あの放蕩息子の物語は、日曜学校の生徒のためだけのものではなく、実に深くて、奥行きのあるたとえ話なのである。それを日曜学校の生徒のものだけにしておくのは、実にもったいない話だと思う。実際、今回のこの引用部分のあとで、ローワン・ウィリアムズ先輩はあの話の登場人物のどこに自分を置くのか、ということを問うて居られるが、その部分はお買い上げいただいてのお楽しみ、ということにしておきたい。
放蕩息子の帰郷のたとえ話の黙想
さて、その放蕩息子の物語についての黙想を記載したナウエンの名著、『放蕩息子の帰郷』があめんどうから出ている(お買い物はあめんどうブックスで)。ナウエンがロシア(当時のソ連)のエルミタージュ美術館でレンブラントの放蕩息子の帰郷をみながら、黙想したことが記載されていた本であり、名著だと思うので、おすすめする次第。ナウエンという人物が、聖書を読み黙想する、聖書から語られた黙想の具体的な記憶と記録を本にしたような書籍であり、聖書から語られる、あるいは、聖書から黙想するということは、なるほどこういうことか、ということを覚えた本である。ある面、ミーちゃんはーちゃんの聖書の読みを変えた本である。
https://www.amazon.co.jp/dp/4900677116 より
物語の中に引き込まれ、イエスが語った物語の声を聞き(日本語吹き替え版で)、そして、イエスが語った人々が感じたように神と人との関係を感じ、自らの身を振り返るということのために、イエスのたとえ話はあるのであって、それを表面的な文字理解の薄っぺらな世界でしか理解できない現代人のなんと多いことか。
未だに思い出すだけでも残念だなぁ、と思うのだが、その昔、軽井沢のキャンプ上で、子供相手の夏休みのキャンプで子供相手の奉仕者を長くしていたときのことである。普通の日曜学校的な話をすると、子供が耳タコになるほど聞き飽きていて退屈するので、ジャングルドクターの話をもとに創作し、新作風に仕立て直して、語ったことがある。するといくつかの苦情がついた。一つの苦情は、「聖書の話ではない、ジャングルの動物の話をせっかく聖書の話を聞きにした子どもたちにするのはいかがなものか」という苦情であり、もう一つの苦情は、「ジャングルドクターのオリジナルと違う」という苦情であった。そんな、夏季キャンプのお話を、聞き飽きたような擦り切れたレコードのようなお話にしてみたり、聖書解釈にしてみたりするのは嫌でござる、あるいは、古典演劇、歌舞伎や能ではないので、オリジナル通りやるなんて嫌でござる、といは思うたが、そこまでおっしゃるならと、これらの苦情がついた翌日から、キャンプ場に来ている子供たちがいかに退屈しようが、飽き飽きした顔、興味のなさそうな顔をしようがお構いなしに、「聖書的に正しい(?)、一点の間違いもない、死ぬほど退屈で、由緒正しく伝統的で耳にタコができるほど聞き飽きたような」福音書からのお話や使徒パウロの話や、イエスのたとえ話やに切り替えた。同伴の親や日曜学校教師からの苦情はなくなったが、前に立ってみていると子どもたちは退屈しきっていた。仕方がない、引率の大人の方がお望みなのである。子どもたちには申し訳なかったが、お付き合い頂いた。ボランティアでやっていたので、そこまで言うなら、あなた達で適当にやってよ、とは思ったが。
多分、正しいあるべき夏季キャンプ上の説話スタイルとは、かくも子どもたちを退屈させるようなお話をすることであったのであろう。個人的には、実に残念なことである。子どもたちの想像力を馬鹿にしている引率者の方がいたのだろう、としか思えなかったが。
https://note.com/qoocho_emily/n/naf9a3862161f より
イエスのたとえ話も、そういう教条主義的な表面的な理解理解、字義通り浅い解釈をすると、イエスの本来のたとえ話の醍醐味である、活き活きとしたたとえ話、物語の味わいというものが飛んでしまうように思うのだが、どうなのだろう。まぁ、キリスト者もいろいろである。
次回へと続く
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本日も、『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』の第2章 聖書 の続きの部分からである。さて、前回から本書について、聖書に関しての部分から、ご紹介しているが、本日の部分も非常に印象深い。本日も第2章の部分から、引き続きウィリアムズ先輩のお書きになられたものをご紹介したい。
神から聞く習慣と聖書
聖書は、神からの語り掛けの言葉である。これには、一部のキリスト者を除いて異論はあるまい。であるからこそ、聖書をわけわからない、と悩みながら、日本語に翻訳されたり、英語に翻訳されたり、フランス語に翻訳されたり、ドイツ語に翻訳された、冊子体の聖書を読むわけであるし、それでもなおわからんとなると、ヘブライ語のテキストにアクセスするために、ヘブライ語を覚え、ヘブライ語テキストに取り組んでみたり、ギリシア語のテキストにアクセスするために、ギリシア語を学び、ギリシア語テキストに取り組む人々もいる。牧師先生方でも、ギリシア語テキストやヘブライ語テキストまでさかのぼられる方はまれであるようには思うし、平信徒においては、よほど特殊な例を除いて、ほぼそれはないだろう。
いずれの言語であれ、何らかの聖書テキストを読む、一人で読む、あるいは、共同体で聞く、共同体の中のダイナミズムの中で聞くという行為をキリスト者なり、キリスト者集団である教会は続けてきたのである。そのあたりのことについて、ウィリアムズ先輩は次のように語る。
洗礼を受けたキリスト者は、神に対して話しかけるだけでなく、神から聞くことを習慣としています。実に聞くことにより神との会話が可能になります。キリスト者は神に耳を傾けます。また、キリスト者の共同体は初めからみ言葉を神の声を伝えるものとみなし、他の信徒たちとの交わりの中でみ言葉を聞きます。私たちが創造する聖書を読む人の姿は、おそらく、一人で部屋のなかで製本されたものを持って座っている人のイメージによって形成されているのではないでしょうか。しかし、それは非常に現代的で、歴史的に見るなら少数派の見方です。初期キリスト教の時代には、ほとんどの教会では聖書全巻を手に入れることはできなかったに違いありません。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』p.40)
聞くこと、で思い出したが、伊藤明生先輩の『新約聖書よもやま話』(これは名著なので、ご一読をお勧めする)の中に、昔の人は黙読ができなかったし、黙読する習慣がなく、声に出して読むのが習慣であった、という記載がある。これは、案外盲点なのである。小学生1年生は、とりあえず声を出して読むのが進められるが、小学1年生の途中のころから、声を出して読むことはよいとはされず、声を出さずに読むことが推奨される。なぜ黙読が推奨されるかというと、教室がうるさくなるからである。
日本でも音読してたはずだが…
しかし、古代の教育では、メソポタミアでも、エジプトでも、ギリシアでも、ローマ帝国とその配下の都市でも、声を出して読むのが、通例であった。昔は、日本でも、「子、いわく」と論語を意味もわからず音読するのが習いであったのである。
論語の音読
オバマの第1次オバマ政権成立時の大統領選での勝利演説
製本された個人所有の聖書?何だそれ?
さて、ウィリアムズ先輩のお書きになれらた『私たちが創造する聖書を読む人の姿は、おそらく、一人で部屋のなかで製本されたものを持って座っている人のイメージ』でまず、ミーちゃんはーちゃんが浮かんだのが、以下の画像である。
https://pastorbrett.wordpress.com/2009/08/14/the-story-behind-grace/ より
我々は聖書といえば、上の画像におけるメガネの下においてある分厚い冊子体の聖書のことを思うかもしれない。しかし、それが聖書と呼ばれるようになったのは、冊子体の聖書が造られたころからであり、CODEX版と呼ばれる冊子体の聖書が登場するのは、実は、歴史的に言うと、紀元後200年から300年くらいの間であり、そもそも、イエスの直接の弟子たちが、地中海世界のシナゴーグをふらふらしていたころは、以下の画像に示すような巻物版(Scroll)が主役であったのである。そもそも、イエスが会堂(シナゴーグ)で手に取ったのは、コデックス版の冊子体の聖書ではなく、巻物であったことが、日本語の新約聖書の記述からもわかる。
イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。(口語訳聖書 ルカ4章20節)
まかり間違ってもイエスは、聖書の表紙を閉じ、係のものに冊子体のイザヤ書の部分を返したりはしてないのである。
スクロール版のヘブライ聖書 手前から奥に向かって、ヨシュア記、士師記…と並んでいる。
少なくとも、イエスが天に昇ってから200年近くは、巻物としてパウロの手紙のコピーが造られたし、タナッハは巻物であり続けた。それも、教会に備え付けのものとして。そして、冊子体といっても、筆者生(律法学者の見習い)が手作業で神経をすり減らしながら羊皮紙にコピーしたものを冊子として製本したものが各教会にすらなく、大きな司教座教会とか、学問するための組織にあるものを利用するしかなかった時代が長かったのであり、軽々しく触れることができるものではなかったのである。
アイルランドの聖人、聖コロンバ、あるいは聖コルンバは詩篇を許可なく筆写したことで、コミュニティを追われるほどであった。詳細は、木原論文「ベン・ブルベンの麓」に宿る面影 古代アイルランド修道僧論」をご覧いただきたい。下の画像は、聖コロンバのイコンであるが、聖書があまりに貴重なのか、聖書に、手が直接触れないように持っているというのが、我々の感性との違いを表しているようで印象的である。紀元後500年時代には、すでに聖書が冊子体であった可能性があることを示すイコンではある。
ケルトの聖人、聖コロンバ
聖書の中心が何かを人間が考える奇妙な現実
聖書信仰という議論がある。聖書無誤論とが聖書無謬説とか、聖書には誤りはないので、文字通りに読むべきであって、それ以外の読みはありえない、とか、まぁ、いろいろ議論がある。特に、科学が必要以上にでかい態度を見せ、科学的なものに反するかに見える聖書記述は信用できないという議論もある。そうなると、個人の考えが先にたって、そして、聖書を読み込むようになり、聖書の中に、重要な部分、無視していい部分とか扱う人々が出てきているのが、現代の聖書を持っていると称する人々の奇妙な姿なのだろうと思う。
すべてのキリスト者が、慣れ親しんだ聖書を所有し、携えていることの重要性を否定するわけではありません。しかし、私たちはしばしば聖書を読むうえで何が中心で最も重要であるかをいろいろ考えますが、それは過去何世紀にもわたってキリスト教世界の多くの地域ではある意味奇妙なことでした。また、今日でも、それは多くのキリスト者にとってはある意味奇妙なことでした。(同書 p.41)
いまは、印刷物としての聖書は、有り余っている。たとえば、神戸市内のある中学校の校門前で、ギデオン協会の皆さんが中学生に聖書を配ったところ、心優しい中学生の多くの皆さんは、高齢者の皆さんから、何かよくわからないけど、どうぞどうぞ差し出されるものだから、つい受け取ってしまったようである。その後、聖書を受け取った中学校の生徒さんの教室のごみ箱は、ギデオン聖書であふれたそうである。これが、現代日本の聖書を個人が持てる時代のある現実である。こういう聖書があふれる時代において、ギデオン聖書が屑篭にあふれ、12の屑篭どころか、30近いごみ箱をいっぱいにしてしまうのだ。
ところが、聖書はめったなことでは触れられない、世の中にそんなにないもので、価値あるものでありながら、触ることや自分のものにすることはおろか聞かせてもらうのがやっと、ちらっと垣間見る程度のもの、という人々もまだ現代社会にはおられるのだ。ちょうど、ネロがパトラッシュと一緒に死の間際に見たかどうだかというレンブラントルーベンス(松島マリア先輩、ありがとう)の絵のように貴重なもの、という印象を聖書に対してお持ちの人々が現代でもおられるのであり、ここは、重要ではないとか言わず、聖書の全てが重要なものであった時代が、西洋東洋関係なく1800年くらいは続いたのである。それが、いつでも触れられ、聖書が枕になるほど当たり前なものになった現代社会のキリスト者の中では、ある種の奇妙な習慣ができた結果、聖書そのもの、聖書全体を貴重なものとして受け取るのではなく、自分勝手に拾い読みしていい、あるいは、適当に切り刻んでいいものにしてしまったのかもしれない。
そういう意味で、いわゆる某日本キリスト教団リベラル派と福音派の人々から称される一部の人々の出発点となった聖書を理解があり、聖書をより深く理解しようとして行き着いた神学的思惟の結果、Q資料だの、P資料だの資料仮説という概念が19世紀に発生した。そして、その時期から、聖書を神の言葉と受け止一部の人々が出てしまう。そして、挙句の果てに、当時のサドカイ派の人々のように、死者の復活がないとか、おとめから、聖霊により子供が生まれるとかそんなもの信じられないので、その部分は聖書の内容としては認めがたい、とか言い出すことになる。このような聖書の読みが生まれた時代は、科学がでかい顔し始めた時期とパラレルだとおもわれる。
このような聖書の読み方に反発して、聖書の権威性へのチャレンジに対する動きの反動として形成されたのが、聖書原理主義、いわゆるファンダメンタリストと呼ばれる人たち、あるいは原理主義的な人々であったとはいえよう。
こう考えてみると、聖書というものをめぐって、本来起きてはならないような分断がキリスト教会内で起きたと考えられる。分断が起きているということはあることになるが、メタ概念に立ってみれば、聖書の読み方、聖書の使い方は、教団リベラルグループの人たちと聖書原理主義的な人たちで、そんなに違わないように思われる。結果はだいぶん違うけれども。それは、自分たちの言いたいような主張やいうべきと思っている内容が先にあって、それを言うために聖書を切り貼りして、聖書の言葉を自説の構成要素、ないし補強材として使っているという点においては、似ている感じがどうしてもしてしまう。聖書を神のことばとして絶対と受け止めているとしても、自分にとって都合の悪いところは、さらっとスルーしているという意味では、リベラル派の人たちにしても、聖書原理主義的な人たちにしても、そんなに違いがないような気もしないでもない。
これに対して、カトリックさんや聖公会さんでは、まぁ、現実的に聖書テキスト、それがギリシア語であれ、ヘブライ語テキストであれ、それに対する編纂過程を経ているのは、そうかもとは思っていても、これは神の言葉、と応答する。さらに、正教会さんにおうかがいすると、編纂説がどうの、原理主義がどうの、といったことにはほぼ関係なく、もう、問答無用に『聖書は神の言葉じゃ〜〜〜、四の五の言うんじゃない』という印象を受けている。聖書は、もう恭しくて触るのも、見るのも強烈なもの、というインパクトを持ったものとしてみておられるという印象がある。そして、こういう潔さとがんこ爺っぷりが、正教会の最も良い点であり、変に変わってほしくないなぁ、と思っている。
貴重なものの普及とその弊害
そういう意味で、印刷技術により聖書が大量生産され、普及し、また、初等中等教育が一般的になり、一般人や庶民が文字が読めるようになり、そして聖書が広く読めるようになったという革命的な出来事は、価値あるものに人々が触れる機会をも増したが、あまり価値のわからない人々や、それを読みこなすのに十分な訓練を受けていない人や、ミーちゃんはーちゃんのように人格が十分熟成していない人々にも聖書に触れる機会を与えてしまい、結果として聖書の悪用あるいは不適切な利用を試みる機会も増した、といえるのかもしれない。
最下部に紹介したトム・ニコルズの『専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義』は、Googleという情報の検索ツールが、本来訓練を受けた専門家だけが扱ったほうがいい情報にも、一般人がアクセスできるようにしたため、専門知識や専門教育の価値が暴落したり、大学の大衆化に伴い、大学自体が変質してしまっており、本来大学が果たすべき役割を十分に果たせなくなっていることを米国の社会環境を例にとりながら、非常に印象深く語っている本であるが、それと同じような雰囲気のことが、聖書の読みや、扱いにおいても起きているのではないか、と思う。
聖書の普及、聖書の一般人の半可通的な聖書の読みが、聖書の言葉に対する権威性を失わせ、聖書を軽々しく考える人々を生んだのではないかと思うし、Youtuber牧師と同様な内容の聖書理解を教会でなぜ語らないのだ、と牧師に迫るような人々を生んだのではないか、と思う。そういう意味で、Googleにしても、Youtubeにしても、情報や学問、神学的理解への一般の人々アクセスを容易にした結果、とんでもないことを生んだのではないか、と思っている。
個人的には、Googleにしても、Youtubeにしても、道具に過ぎない。道具である以上、本来的な使い方の技法と教育が重要なのであって、それが十分に行われていない現状と、その道具の利用をわきまえないまま、無批判に利用し、自らを過信する人間の愚かさはどうやっても治らないのだろうなぁ、と思っている。
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今日からは、第2章 聖書について。この章は、めちゃくちゃ面白かった。もう、聖書信仰とかの本は、この本のこの一章一つで十分じゃないか、と思うくらいであった。以下紹介する。
聖書を読むこと、聞かされること
クリスチャンは、聖書を読むものと思われていて、「聖書が読めなくなるとクリスチャンじゃなくなる」といっておびえる現代日本人がいるほどである。あまりにも、滑稽な話ではあるが、真顔で、その旨相談されたことが何度かある。そのあたりのことについて、ウィリアムズ先輩の書かれたもの見ていこう。
キリスト者の特徴の一つは、聖書を読むことですーーあるいは、多くの場合、礼拝の中で聖書のみことばが読み聞かされています。宗教改革を継承し、識字文化の一員である私達が思い出すべきことは、何世紀にも渡って大多数のキリスト者、そして今日の多くの人々は、聖書を読むのではなく読み聞かされてきたのです。これは非常に重要な事実です。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.39 太字は、原本では傍点 以下同様)
ここで、ウィリアムズ先輩は、大事なことを言っておられる。基本的に、教会とは、聖書のみ言葉を読み聞かせる場所であり、その時間を提供する存在であるということなのだ。がちがちの福音派にいたときには、本日の聖書箇所は○○からで、と言われたときには、読み上げられる前の段階から聖書をさっさと開き、聖書が読み上げられる前に、事前に目を通してその中身を読むにとどまらず、その個所から語られる伝道メッセージであれ、説教であれ、聖書の講解であれ、どういうパターンで説教が構成され、そこからどんなパターンの話がなされるのか、そして、関連する聖書箇所はかくかくしかじかであろうから、どこからこういう風に話が展開するはず、ということを事前に予想して遊ぶということをしていた。嫌な信徒である。まぁ、大体7-8割がたは説教のストーリーラインの読みが外れたことがなかった。
つまり、福音派風のキリスト者集団にいるときは、聖書を自分で読むにとどまるどころか、説教とかの先読みをしていたのである。長く日曜学校の生徒をするものではない。お亡くなりになった、Rachel held Evansさんも、以下のSearching for Sundayの中で、長らく日曜学校の生徒として過ごしたものとして、信仰歴の浅い日曜学校の教員のお話の先を読んで、こういう話をするんでしょ、って日曜学校の教員を困らせた話が出てきていたが、その部分を読んだときには、同じようなことをする人もいるのだなぁ、と思った。まぁ、ミーちゃんはーちゃんは性格があまりひどくはないので、日曜学校の教員の先読みをして困らせる、という真似をしたことはなかったし、大人になってからは、説教時間中にネタバレをお近くの方々にひそひそ話として教えて差し上げ、説教を聞く気をそぐというような荒業はしたことがない。代わりに、説教中には、Bible HubでInterlinearを読み、Strong Numbersから類例が出てくるところを調べ上げ、聖書を調べ上げ、一人にこにこしていた。
Rachel Held EvansのSearching for Sunday(教会の特徴を食事で描いて見せたりと面白い記述が多い)
何のかんのあって、今のアングリカン・コミュニオンに行き始め、正教会に出入りをし始めると、聖書を聞かしてもらう、という経験をするようになった。最初のころは、福音派の悪い癖が出て、自分の理解を中心に据え、その視点から聖書を読み込み、聖書テキストと格闘していく、聖書に挑戦していく読みをしていた時期もあるのだが、そういう行為を礼拝中にするのを、今のチャペルに行き始めてから数か月でやめてしまい、読み上げられる聖書を聞き、そこで拝聴した内容と向き合うようになった。一つには、今のチャペルで使っている聖書のバージョンがContemporary English Versionという長らく慣れ親しんだ、KJVでも、NKJVでも、NIVでも、NASVでもなく、無論、新改訳でもなければ、いまだに聖句といえば、過去覚えたバージョンの暗証聖句として出てくる口語訳でも文語訳でもない翻訳の聖書であり、頭の中の聖書の記憶の表現と、聞かされる聖書表現が時々かけ離れ、あれ、そんな聖書の場所あったっけ、と思い、それをチェックしたくなるような表現が出ている聖書翻訳でもあるContemporary English Versionで今はほぼ毎週拝聴している。
こうなると、これまで長らく慣れ親しんできた様々な翻訳聖書の表現からもたらされる意味、あるいは、その表現から組み立てられてきた聖書理解と、聖書を聞かされて頭の中で構成される意味の違いを嫌でも味わうことになる。となると、聖書という書物としては同じとはいえ、異なる言語の語となる聖書翻訳の違いからかいま見える世界の違いをかなり強烈な形で味わうことになる。そのため、自然と注意深く聞いてしまう、あるいは聞かされるようになったのである。とはいえ、今いるチャペルの司祭は、引用する権利を毎年買っているらしく、きっちり、その日読むべき聖書箇所のテキスト入りの週報(また、その週報に乗る漫画が面白い)を作ってくれている。実にありがたい司祭の方である。3年前までは、週報に書かれた文字を追っていたのだが、この2〜3年は、自分が読むとき以外は、読み聞かせてくださる方の読まれるテキストの音、声を聴き、そして、読み終わられた後、あるいは読まれている最中でも、いきなり、そこの解釈論を考え始めるという習慣はやめてしまった。読み上げられる声を聴いた後は、自分の解釈をさしはさむのではなく、素直に素朴に、Thanks be to God. といい、読まれたままを丸ごと受け取るようにしている。
普通の人々が文字を読めるようになったのは、この200年
その意味で、ブリテン島でも、文盲率がかなりあったことは、産業革命期イングランドの識字率と 労働者階級教育態様 という論文では、リーズでは1839年、明治維新の約30年前の段階で、週日制学校の半分以下しか文字の書き方を教えていなかったという記述も見られるし、英国での文盲率の減少に、日曜学校が貢献したことが書かれているが、まぁ、文字はたどたどしく、読めてもかけない人々が大半であったわけである。
多くの人が苦労なく読めるようになったのは、おそらく1880年ころだと思われるから、英国人でも、せいぜい、普通の英国人のキリスト者が英文の聖書を読むようになって、160年くらいしかたってないのである。それ以前の時代のヨーロッパ人たちはみんな聖書なぞ読みたくても能力がないか、聖書そのものが高価で手に入らなかったから、聖書を読んだことがない人々が圧倒的であったのである。最初に持ち込まれた相談ではないが、聖書が読めなくなったらキリスト者でなくなるなら、19世紀以前のヨーロッパのキリスト者は、みんなクリスチャンでなくなることになる。実に滑稽な話ではある。
神の語りかけを待つ人々
続く部分で、ウィリアムズ先輩は次のように書く。
キリスト者として生きることはみ言葉を聞くことだからです。キリスト者とは神が語りかけてくださるのを待つ人々のことです。(同 p.40)
強調は、み言葉を聞くことにある、としておられるが、個人的には、「キリスト者とは神が語りかけてくださるのを待つ人々」を強調したいと思うのである。聖書を読む人は、聖書を過剰に読み込んで、自分の思いや考え、必要以上に聖書テキストに自分の考えや自分の思い、ご自身の理解を付与してしまい、聖書が本来主張しようとしていることを超えてしまう場合があることがあるように思う。
聖書でコラージュを作るような説教者だった日々
伝統教派に行き始め、聖書日課に従うようになって、そのような癖はなくなったが、福音派的なキリスト者集団にいたころの割と初期の段階から、20年くらい、聖書日課に従って説教をするようになるまでは、自分の言いたいことがあって、それに合致する聖書箇所を証拠のように寄せ集め、聖書の言葉で固め、完全武装したような説教をしていたことがある。反省している。知らなかったとはいえ、罪深いことをしていたものであると思う。聖書の中には、自分の主張とは合わない表現も出てくることがあるので、それについても事前に調べ上げ、それに対する解釈上の対策も打ちという念を入れた説教を清と説教者としてはしていた。まぁ、その意味では、パスターオーズの言う「めちゃくちゃ正しいけど、死ぬほど退屈でつまらん説教」をしていたし、それを目指していた。
伝統教派に行く直前ごろからは、連続講解説教スタイルに切り替えた後、聖書日課(カトリックのA年・B年・C年を利用させてもらっていた)して説教するようにはしていたから、自己の主張を定め、それに合うように聖書箇所を集めてくるという無謀な説教準備行為をさすがにしなくはなったが、個人が聖書を読むということを野放図に推奨すると、中には、個人が自己中心的に聖書を読む、自分の都合に合わせるように聖書を読む、あるいは人間の分を超えて聖書を読むという傾向を持つ人々が出てくる。そして、聖書を通じて神が語りかけてくださるのを待つのではなく、聖書を自分の思い通りに語らせる、聖書を自己主張の道具にする、聖書を自己弁護の道具にする、聖書を他者断罪の道具にする人々が出てくる。そこに、神の権威の軽視、人間による神の権威の簒奪、権能の侵害が起きているのである。
聖書の言葉を蓄え、聖書の文言とその理解、知識が増えることは、必ずしも悪いことではないが、聖書も他のものと同じで、使い方を誤るとろくでもないことが起きるのである。刺身包丁は、タイやマグロの刺身に使っている分には、人々を幸福にするが、人を刺し殺すのに使う分には、人々を不幸と恐怖に陥れるのである。その意味で、語り掛けを待つ、自らの神の前の立場を受け入れ、その分を超え出過ぎた真似をしない、ということを学ぶ必要が聖書を読める、という前にあるのではないか、と思うのである。
神の語りかけと預言者
この「キリスト者とは神が語りかけてくださるのを待つ人々」とは、旧約時代のネイビームの著者たち、すなわち預言者がそうであった。神が語れ、というのを待ち、あるいは、語りたくないけど、神が語れ、とおっしゃるから、語った人々こそ、神が語りかけてくださるのを待った人々であった。これらの人々は、神を騙って、人々を扇動するのではなく、神に語られ、いやいやながら、それを民に示した人々であったことを思い出した方がよいだろう。第1章で、ウィリアムズ先輩は、キリスト者は預言者としての役割を持つ、とお書きであったが、キリスト者とは、神の語り掛けを待つ人々という意味でも、預言者としての役割を持つべきなのだとは思う。
サムエルが「主よお話しください。しもべはここにおります。」という部分をテーマにした讃美歌
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前回は、洗礼を受けた人が持つ性質あるいは役割として、預言者的性質、祭司、王としての性質ないし役割などを持つことを述べ、その中で、前回は預言者的性質について述べてきたが、今回は、祭司と王について述べていきたい。本日の連載にて、第1章洗礼に関する部分について読みながら思ったことは終わりである。
祭司としてのキリスト者 ビジュアル編
福音派の過激派の万人祭司説(男性信徒は、誰でも、公に祈れるし、信仰歴が浅くても聖書から説教のようなことができる(それを推奨されることもある)というウルトラ無茶な立場)に立つキリスト者集団の世界で育ってきたので、すべてのキリスト者が祭司としての役割をもつことについては、異論がない。
しかし、元いたキリスト者集団の一部の方の画策により、陪餐停止になってからというもの、日本コプト正教会、日本ハリストス正教会、カトリック教会、アングリカン・コミュニオン(日本だと聖公会)から、ルター派、カルヴァン派、バプティスト派、メソジスト派、ペンテコステ派まで色々教会巡りをする中で、司祭の祭司性がビジュアルに強調されているのは、なんと言っても正教会系の教会群であり、カトリックや聖公会、ルター派、メソディスト派になるとややいくつかの点で残るものの、そのビジュアルの点での祭司性の強調はかなり弱くなり、カルヴァン派、バプティスト派、ペンテコステ派、コミュニティーチャーチ、では、ほぼ、一見しただけでは、ビジュアルの点からだけでは、誰が牧師(司式者)なのかどうかがわかりにくい教会が多かった。
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祭司としての役割はどうでしょうか。再び聖書に戻ります。旧約聖書では、祭司は神と人間の相互理解のために意味を解き明かします。祭司は神と人間の関係が壊れた時、神と人間の間に橋をかけます(中略)洗礼を受けた人たちはイエスの祭司的性質に引き込まれるにつれ、キリストとその霊の力を通して、神と世界の壊れた関係の修復に自分たちがどのように召されているのかを見ることになるでしょう。洗礼を受けた人は橋を作る仕事をしています。私達は、破損、損傷、混乱がある状況を見極め、イエス・キリストにある神の力と聖霊を注ぎ込み、それらを再建しています。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』pp.29-30)
さて、ここで、ウィリアムズ先輩は修復ということ、神と人との間の修復ということを極めて強調して居られる。これは案外重要なことだと思うのだ。毎週日曜日の礼拝、聖餐式とそれに先立つ罪の告白は、神と人との関係の正常な状態への修復の機会であり、そして人々との間との関係の修復の機会であると思うのである。伝統教派(正教会やカトリック教会)に行って、フルで礼拝を参与学習するまで(彼らは聖別したパンを、洗礼論が違い相互陪餐の関係をとれない異端であるその他の教会群の信徒のミーちゃんはーちゃんには分けてくださらないので、参与学習でしかない。まぁ、それはそれで、見識と思って尊重している)は、このありがたみというのは、わからなかったが、正教会系の影響を強く残した伝統教派に行くと、この悔い改めと神のかたちとしての回復が教会の目的であるということはよく分かる。我らは、どうせ鼻で息するものに過ぎないので、神のかたちがすぐ壊れる粘土細工か土人形(アダムの起こりから考えてそうである)のようなものでしかないので、神との関係の修復、神のかたちの回復が定期的に必要であるのはよく分かる。キリスト者の持つ相互に対する預言者としての性質・役割により、自らの不甲斐なさを認め、罪を告白しあい、そして、神に赦しを希うなかで神との関係を回復させる、赦しを請い、赦しを与えることは、そもそも、祭司としての性質の現れなのであろう。
個人的に大変気に入っているNew Zealandのアングリカン・コミュニオンの礼拝用の祈祷文に次のような部分がある。太字は、会衆が声に出して祈る。
Happy are those whose sins are forgiven,
whose wrongs are pardoned.
I will confess my sins to the Lord,
I will not conceal my wrongdoings.
(((Silence)))
God forgives and heals us.
We need your healing, merciful God:
give us true repentance.
Some sins are plain to us;
some escape us,
some we cannot face.
Forgive us;
set us free to hear your word to us;
set us free to serve you.
God forgives you.
Forgive others;
forgive yourself.
(((Silence)))
ラザロと金持ちと架橋
ところで、イエスのたとえ話にラザロと金持ちの話があるが、あそこで、アブラハムは、金持ちに向かって、そちらに渡って行かせようにも淵が深く渡らせることができないということをアブラハムが語ったことになっている。しかし、その淵を越える橋となったのが大祭司であるイエスであり、我らもその架橋作業の一端を担っているのかもしれない。
その意味で、神と人の和解、人々の間の和解を神に願い祈るとともに、人々の裂け目に対して、できることは限られるとはいえ、勝利者としてではなく、苦しむ人々、悲しむ人々、痛む人々とともにあり、その回復を祈るものでありたいという願いは、以前より遥かに強くなっていることは確かである。
王としてのキリスト者
キリスト者が王であるというのは、勝利主義的なキリスト教では、かなりの強調がみられる。ミーちゃんはーちゃんもご多分にもれず、この勝利主義的なキリスト教しか知らなかった時期には、将来天と呼ばれる神が支配する世界に行ったならば、支配するものとなることにばかりに目が行っていた部分がないわけではない。しかし、「神を知る」王としての役割はそういうものでもない、ということについて、ウィリアムズ先輩は次のように述べる。
王しての役割は何でしょうか。古代イスラエルでは、王は民衆のために、神に向かって語りかけ、祭司の役割も果たしていました。さらに王は社会の法と正義を形作る権威を持っています。王は人々に神の契約を守らせることができましたーーそして、正義を実現することができました(もちろん、この任務はひどく失敗する場合もありましたが)。エレミヤ書の中では、貧しい人々に配慮し、乏しい人々のために正義を行う「神を知る」王の代表的な定義が示されています。(22:16)そして、この「王として」の使命は、私達の日々の営みと環境を神の正義の方向に向けながら、いかに自由を形作るのかという問題を扱っています。それは、互いとの関係、そして世界との関わりを通して、神ご自身の自由を、そしてその自由な癒やしと修復を示すことを意味します。(同書 pp.30-31)
この部分を読みながら大事だと思ったのは、「貧しい人々に配慮し、乏しい人々のために正義を行う「神を知る」王」という表現である。旧約聖書の最初から、神は寡婦や孤児への配慮、在留異国人に対する配慮を忘るるなかれ、とイスラエルの民に命じているが、今では、そういう神の正義に関する重要な部分はぶっ飛んで、什一献金だの、異性装の禁止だの、配慮が必要な人々への配慮に変わり、そういう人々を教会から追い出すような、なんか違う方向にだけ強調のある旧約聖書の字義的解釈も広く普及しはじめているように思えてならない。
そして、「私達の日々の営みと環境を神の正義の方向に向け(中略)神ご自身の自由を、そしてその自由な癒やしと修復を示すこと」の重要性を述べて居られる。この部分で重要なのは、「癒やしと修復を示すこと」であって、それを作り出したり、それを無理になくてもあるようなふりをすること、みんなでそういうお芝居をすることではないのではないか、と思ったのである。我々ができるのは、「示すこと」であって、癒やしと修復そのものをもたらすことではない。癒やしと修復そのものをもたらすことは、神の領域の出来事であり、我々は、神のかたち(デムート)の回復(修復)が神の霊の臨在により、起きつつあるし、最終的にはそれが実現するという約束を示すことなのだと思う。つまり、人々に神の計画を述べ伝える預言者性、神と人との間の修復に携わる祭司としての役割を持った神を知る王としての生に招かれており、どれか一つだけを強調するのは、わかりやすくてよいのかもしれないが、どうもそういうものでもないらしい。事実、ウィリアムズ先輩は、この引用部分のあとで、預言者、祭司、王のすべての性質を持ち、それらの3つの役割全てに関与していくこと、それらは、不可分であることを述べておられる。
人々を苦しめる新生の強調について
割と信仰歴の浅いキリスト者の皆さんから、罪を犯しそうだから、バプテスマに躊躇するとか、バプテスマを受けたのに罪を犯してしまうとか、そういったご相談をお受けしたことが結構ある。特に、Born Again Christianと呼ばれたり、自称されたりする方々にその傾向が強いようである。そういうことに関しても、ウィリアムズ先輩はきちんとお書きである。、
キリスト教の歴史を通して、洗礼に関しては多くの論争がありました。初期の教会では、洗礼後に罪を犯すことができるかどうかが議論されました。新しい被造物として造り変えられるとき、古い世界はもう存在しなくなると考えることは大きな誘惑でした。(同書 pp.32-33)
しかし、そういう議論は、割と古い初代教会の直後の時代から起きている議論であり、そういう教理や議論の歴史を知っていれば、昔も合ったことが今も起きているだけ、と割り切ることもできるのであろうが、そういう過去の歴史を知らないまま、同じことを繰り返しているというのを見ると、「日の下に新しきものなし」というコヘレトのような気分になってしまう。
もちろん、自分の属する個別の教派の聖書理解や信仰理解を知っていることもたしかに重要かもしれないが、それ以上に、今に至るキリスト教の歴史と、なぜそのようなことに至ったのか、という歴史的な背景、キリスト者を取り巻く環境についても、もうちょっと知っていたも良いような気がする。知っていれば、必要以上に「新生したはずなのに罪を…」などと悩まなくて済むのに。
ではキリスト者はどうすべきなのか?
福音派で長らく過ごしていた時、日々の生活で罪赦されない感が結構あったのだが、今、聖公会の教会にかなり長期的に通うようになって、この辺の感覚にさいなまれることはかなり少なくなった。とても助かっている。年寄りになったこともあるのかもしれない。
その辺りのことについて、ウィリアムズ先輩は、個人が精神疾患になりそうになるほど頑張って何が何でも罪を犯さないように神経症的な生き方で生きるのではなく、神の愛を信頼し、悔い改めの祈りの意味を考えるべきだ、ということについて、次のように述べて居られる。
もし洗礼を受けたあなたが罪を犯しているとしても、パニックになる必要はありません!神の愛という深淵があなたを包み込んでいることを忘れてはいけません。洗礼を受けた人として罪を犯す時、あなたはいわば神の愛の深淵の外側に足を踏み出しているわけではありません。(中略)ですから、あなたが扉を再び開かなければなりません。あらゆる悔い改めの祈りによって扉は開き、そしてあなたはあの洗礼の泉が自分の周りと内にふたたび湧き上がるのを見ることになるでしょう。(同書 p.33)
何が変化したかというと、成文祈祷の中で、毎週2回聖餐の前に、きっちりと罪の悔い改めをするようになったからである。罪を犯したときに、そのときに反省文を書くように祈るのではなく、自分の不甲斐なさを認め、神に祈るのである。
Lord God,
we have sinned against you;
we have done evil in your sight.
We are sorry and repent.
Have mercy on us according to your love.
Wash away our wrongdoing and cleanse us from our sin.
Renew a right spirit within us
and restore us to the joy of your salvation,
through Jesus Christ our Lord. Amen.
とか
Almighty God, our heavenly Father,
we have sinned against you
and against our neighbour
in thought and word and deed,
through negligence, through weakness,
through our own deliberate fault.
We are truly sorry
and repent of all our sins.
For the sake of your Son Jesus Christ,
who died for us,
forgive us all that is past
and grant that we may serve you in newness of life
to the glory of your name.
Amen.
とかまぁ、いくつかバリエーションはあるが、この中に意図しない罪、我々の弱さゆえの罪、我らの同しようもない欠点ゆえに避けがたい罪、気が付かない罪も含めて、とりあえず聖餐の前には解決が継いてしまうのだ。このシステムというか構造が理解でき、身に染みて感じるようになると、実にキリスト者として生きるのが自由になった。それまでは、罪を犯さないようにビクビク生きていたのだが、毎週最低1回以上、この解決がつくのであるから、安心して生きることができる。神の赦しと愛を体験し、自由になるということは、このようなことなのか、と改めて思うようになった。確かに、ウィリアムズ先輩のおかきになられたように、「あなたが罪を犯しているとしても、パニックになる必要はありません!」ということは、事実であると思う。
それを許されないとか思って、自分でなんとかしようとすることは、ある面、神の愛を信用せず、神を信用せず、自分自身が中心になってしまっているのではないか、と思う。その意味で、やはり、罪の告白、それが痛悔機密の形式であろうと、その他の形式であろうと、そういうのを整備しておくことが、聖書の詳しい説教を延々とやるよりはよほど役に立つのではないかなぁ、とは思っている。これはあくまで個人の感想に過ぎないが。
次回からは、第2章『聖書』に入る。これがまた非常に楽しいし、面白いのだ。乞うご期待。
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さて、前回までの記事で、洗礼を受ける意味、洗礼を受けた人がどこに導かれるか、そして、どのような性質をもつものとなるのか、ということ、そして、それは何のためであるのか、ということをある程度述べたが、本日のところは、イエスが持つ性質あるいは称号、あるいは役割が3つあることを指摘したうえで、それぞれの性質と、イエスのフォロワーとしてのバプテスマを受けたものが受け取るべき内容についてウィリアムズ先輩が述べておられることをご紹介してゆきたい。
イエスが持つ3つの称号ないし役割
まず、イエスの独自性を示す3つの役割、そして信徒としてキリストに倣うものとして形成されていく役割というか、性質について、ウィリアムズ先輩は次のように述べておられる。
イエスの独自性を表すためによく用いられる3つの称号から、この洗礼を受けた人の生き方、この新しい人間性が何を意味するのかについてもう少し考えたいと思います。(中略)それは預言者、祭司、そして王です。洗礼を受けた人の生き方は、イエスの独特な人格を特徴づける三通りの生き方と結びついています。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』 p.26)
ここで、ウィリアムズ先輩は、「預言者、祭司、そして、王」としての性質をキリスト者は持つはずだ、というご主張をしておらえる。まぁ、祭司としての役割については、ヘブライ人への手紙の中にも出ているし、割とわかりやすいし、王というのも、王の持つべき役割が忘れられ、王の特権だけが強調される形でキリスト者が将来持つ声質というか役割として誤解されている傾向があるようにも思うが、これらの役割、あるいは性質を持つはずであるということは、ある程度、キリスト者の中には伝わっているようには思う。しかし、問題は、預言者という性質である。将来を予見する、予測するという意味での予言者ではなく、神から言葉を託され、それも人々の耳に麗しく響く言葉ではなく、人々が聞きたくないようなことを、人々に伝える役割が与えられているという資質というか、役回りである。
預言者ヨナのIcon https://jlipel18.weebly.com/about-st-jonah.html
本日は、このキリスト者とその集合体である教会が持つべき預言者としての役割についての部分から引用してみたい。
預言者としてのキリスト者
旧約聖書の預言者には、様々な人々がいる。先に画像で紹介したヨナは個人的には大好きな預言者である。神に逆らってみたところが何よりもよい。逆らっても、結局はニネベに連れて行かれはしたのだが。そのへんが、個人の経験と合致する部分もある。また、他の人物としては、よく知られた預言者にエリヤがいる。このエリヤは預言者界でもかなりの大御所で、変貌山でも登場したことになっている。
預言者エリアのイコン https://commons.wikimedia.org/wiki/File:St_Elijah_Shkrapari.JPG
変貌山のイコン https://churchmotherofgod.org/articleschurch/about-saints-and-icons/2149-icon-of-the-transfiguration.html
左側の緑色の服を着て立っている人物がエリヤ
エリヤにしても、聞きたくない人たちに聞きたくないことを伝えたがために、イゼベルから命を狙われるし、ヨナは、ニネベなんぞに行きたくないから、と神の使命からバックレようとしてタルシシュ行きの船に乗船したら、その船が難破しそうになって海に投げ込まれ、魚に食われそうになるというろくでもない経験をしている。キリスト者の生もそのようなものかもしれない。思うような生き方を神はわれらに、そうはやすやすとは、させてくれないのかもしれない。
さて、この預言者としてのキリスト者の役割について、ウィリアムズ先輩は次のように書く。
教会内で私達は互いに対して預言者となり、あなたは何のためにここにいるのか、と問う非常に厄介な役割を果たさなければなりません。(中略)(預言者としての役割を果たすということは、)もっと静かに、けれども持続的に、いちばん大事なことがなんであるのかを互いに呼び覚ましていこうとすることなのです。(中略)教会は批判的な声を常に聞く必要があります。(中略)そして預言者として、私達はその最も必要不可欠な要素に互いを導き合います。ーー洗礼、聖書、聖餐、そして祈りへと。(同書 pp.28-29)
ここで、重要だなぁ、とミーちゃんはーちゃんが思ったのは、キリスト者は他者を必要とすること、ことに、普遍の教会という、個別の教会外を含む他のキリスト者を必要とする、というご指摘である。普遍のキリスト教会は、教会堂がなくても成立するが、我々が信仰告白で信頼している、信用しているということの普遍の教会、the holy catholic Church他の信徒を絶対に必要としあうという相互性、相補性を持つということである。
そして、預言というのは、個人的にAさんからBさんに伝えるというものでもなく、そもそも、イスラエルの民なり、ニネベの民になり、あるいは、様々な人間集団に対して、神のことばを伝える存在であると理解するのが良いのであろう。その意味で、キリスト者自体、さらに個別の地域にある教会も、普遍の教会、公同の教会 the holy catholic Churchそのものが、本来は公的な、あるいは公共的な存在であるように思うのである。
そして、キリスト者がその存在(あるいは実存)と通して問うのは、「あなたは何のためにここにいるのか」ということと、「いちばん大事なことがなんであるのか」ということになるらしい。これは、案外答えに窮する問いである。これは、「個別の教会になぜ行くのか」という問題とも関係しているように思う。人はなぜ、地域にある個別の教会に行くのであろうか。この問題は、COVID-19の感染患者の爆発的増大で、世界中の個別の教会とキリスト者が問われたことでもある。
聖書があるのに、どうして教会なのか?という問
「どうして人は教会に行くのか?」という問いは聖書が普遍的に普及した現代にとって、かなり重要な問いである。少なくとも、1500年代ごろまでは、司祭などや学者など特殊な人々以外は、教会に行かずに聖書を『聞かせて』もらうことは不可能であった。神のことばを耳にするためには、教会に行く必要があったのである。学校教育が1800年代ごろまでは、聖書が家にあっても、読むこともできず、眺めることができる飾り物に過ぎなかった。まぁ、現代でも、多くのキリスト教徒の家でも聖書が飾り物、あるいは枕替わりとしての聖書となっている事例は結構あるのではないであろうか。
現代では普通教育が普及し、聖書が家にあるし、読もうと思えば読める能力もあり、時間もあり、夜でも電灯があるのは、ごく当たり前ではある。ちょっと気が利いた人だと、スマートフォンやタブレットの中に聖書アプリが入れてあり、いつでも普通に聖書に触れられる機会もある社会にはなっている。そのように聖書にかなり自由にアクセスできる時代において、なぜ、人は教会に行くのか、ということは根源的に重要な問題であろう、と思う。
これについては、様々な答えがあるであろう。ただ、割と多くの人は、教会にはいくものだから、と習慣的に教会に行っておられる方も多いのではないだろうか。あるいは、そのように言われているから、キリスト者は教会にいくものだと教えられたから、という人もいるだろう。毎週教会に行くことが良いことだからという答えもあるだろう。なぜそれが良いことなのか、の問いは別にあるとは思う。そして、教会に行くことが良いことなのか、ということにこたえなければならなくなる。こういうことを言うから、うっとうしいと思われることは熟知しているが、個人的には、それは問うた方が良いと思ってはいる。
聖書を教えてくれる人、牧師がいるから、教会に行くというのであれば、COVID-19の感染者の急速な拡大に伴って、いまや、聖書のことを教えてくれる動画は、インターネット空間にごろごろしている。より取り見取りである。たしかに、出来不出来、内容の妥当性の問題さえ気にしなければ、もう、人は見つくすほどができないほどの動画が転がっているのである。聖書を学ぶ、説教を聞くのであれば、かならずしも教会でなくてもよい状況がここ数年は生まれた。では、何が教会にあるのか、というと、交わりと呼ばれる信徒間の精神的・霊的交流なのだろうか?それとも、ここで、ウィリアムズ先輩が言うように、お互いの存在についての根源的な問いをぶつけ合うためなのだろうか?皆様は、このウィリアムズ先輩の問いにどうこたえるであろうか?
教会の持つ預言者性について
教会には本来、いくつもの機能があるし、あったが、近代化、あるいは世俗化、あるいは政教分離という世の中の動きの中で、その機能のかなりの部分を行政組織に奪われていった。そのあたりのことは、そのあたりの時期を研究するとかしないと、今の日本ではわかりにくくなっているが、現在の地方自治体や政府が持っている役割は、国民国家の成立の課程の中で、国家が教会から奪っていったものである。
連合王国では、未だに、教会が国政に対して発言する預言者性を残している(大司教は、貴族院議員として貴族院に議席を持つ)が、そんな国は、数が少ない。日本に至っては、何人か、キリスト教徒である/あるいはキリスト者であろうと思われる政治家がいることは知られているが、それらの人々の発言を聞いていると、預言者性を持った発言なのかと疑わしいこともある。
ところで、世間に対する教会の預言者性についてウィリアムズ先輩は次のように書く。
人々は教会が「預言者的」であることを曖昧にし、時には教会の預言者的役割を、単に今日のあらゆる問題に対して声高に断定的な立場を表明することであるかのような誤解を与えています。しかし、本当はそれ以上のことを意味します。教会は社会の中で重要なのになおざりにされている問いを投げかけるべきです。(中略)私たちは、教会の中で互いに問いかけ、さらには社会全体が健全かつ持続するためにこのような問を必要としています。(同書 p.29)
しかし、「教会は社会の中で重要なのになおざりにされている問いを投げかけるべきです」と、ここまできっぱり言われると、これまでの生き方が間違いであったと思うようになっている。個人的には、社会の問題や政治とは無縁であり、選挙の投票も行くことがはばかられる雰囲気を持つ福音派的なキリスト者集団にいた。そして、社会に対して引きこもる、まるでヒッキーのようなキリスト者集団のひとりであった。それは、ベトナム戦争前後を経験した年長の信徒たちが、若本たちが若気の至りで、社会の問題に関わる中で、いわゆるリベラルと呼ばれる教会群の中でも社会派と呼ばれるようなキリスト教会群が形成してきた神学的影響と、それを理論的、学問的に無批判に突き詰めた結果、聖書そのものの真実性や真正性、あるいは聖書信仰に対する疑念を持たせてはならん、というような配慮からであったとは思う。まことにありがた迷惑な話である。おそらく、ミーちゃんはーちゃんの周りに居られた年長の信徒の皆さんは、そういう風に教会の人々や宣教師から教えられてきたから、ということで、ミーちゃんはーちゃんなどの世代ややそれより出生時期が遅いより若い世代にキリスト者にも、そう教えようとしておられたのだと思う。個人的にはものすごく反発を覚えたが。なぜ、そう教えようと、その前の世代に、それ以前の世代のキリスト者や宣教師が教えようとしたのか、を考えることもなしに。アメリカの福音派左派と呼ばれるキリスト者グループの代表的な人物の一人にJim Wallisという人物がいるが、実はミーちゃんはーちゃんのキリスト教的背景とこのJim Wallis先輩とは、かなり類似した背景となっている。
Jim Wallis先輩
このWallisというおじさんは、このおじさんの父親が、キリスト者として貧しい人々のケアをしているのに、それと同じことを大学生のころに政治的に実現しようとしたのである。その結果、Jim Wallisと父親がかなり厳しく対立したという話が、後藤敏夫さんの『改訂新版 終末を生きる神の民』に記載がある。ある意味、1960年代のアメリカの所謂福音派の世界観では、聖書こそがすべてであり、政治的なことはどうでもよいというノンポリ思想がはびこっていたが、1970年代末のカーター政権で福音派も政治に関与し始めた結果とは思うが、その挙句の果てに、つい最近の米国大統領選に関しては、アメリカの福音派のみならず、投票権もない日本の一部のキリスト者までが、トランプ大統領が大統領就任するよう祈り始めるという奇妙なことが起きた。長生きはするものである。
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さて、前回は水が低きを目指して流れるように、イエスが地の底までを目指されたように、洗礼を受けるものも、洗礼を受けたわれらもその低き部分へと降りていくよう導かれていること、そして、創世記の冒頭、地は形なくという状態から、神と語り合う存在としてアダマーから創造された一般名詞としてのアダム、すなわち人間の確立のプロセスと洗礼とが重複構造を持つこと、そしてイエスが洗礼を受けられたことも、その創造の再現としての新しい創造、神との関係の回復の側面を持つことへとつながることを『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』を読んだ中で思ったことを述べた。
キリスト者が招かれる混沌と貧しさ
では、次に洗礼を受けた、ある種、神によって確立された人がどのような生き方をしていくのか、ということについて、の部分から述べてみたい。この部分は、前回も紹介した本田司祭の『釜ヶ崎と福音』ともきっちり重なるテーマである。ローワン・ウィリアムズ先輩は次のように書く。
イエスを中心として作られる新たな人間性は、常に成功し主導権を握るような人間性ではなく、混沌の奥底から手を伸ばし、神のみ手に触れられるような人間性であることを示唆しています。そして、洗礼を受けた人はどこにいますかという問いをもし抱いたとしたら、「混沌の近くにいます」という一つの答えが返ってきます。人々が最も危険にさらされている場所、人々が最も混乱し、傷つけられ、貧しくされたところに、キリスト者の姿をきっと見いだせるのです。(中略)もし洗礼を受けることがイエスのいるところに導かれることであれば、洗礼を受けた人は目的を見失った人々のその混沌と貧しさへと導かれます。(『キリスト者として生きる』 pp.15−16)
前回および今回、キリスト者は混沌から脱したイエスに従い、倣うものであると同時に、低きに向かうものであることも書いたところであるが、この部分はそれがいっそう強調されている印象を持つ。単に低きを目指すのではなく、混沌と貧しさにあえて向かっていく存在であると、ウィリアムズは言う。
ここで何より驚いたのは、「イエスを中心として作られる新たな人間性は、常に成功し主導権を握るような人間性ではなく」ときちんと書いてある点である。成功者を目指し、主導権をとることを目指すようなキリスト者がちらほらと、ミーちゃんはーちゃんの周りでにはお見掛けするが、ウィリアムズ先輩によると、それは、イエスを中心として造られる新たな人間性ではないらしい。キリスト者の中でも、キリスト者になったら、常に成功し、クリスチャンになったから、主導権をとれるような人間になることができたかのような物言いをする教会におられる信徒さんもおられるし、そのようなことを仰る牧師先生と思しき方々からのお話を聞いたことがある。しかし、ウィリアムズ先輩によれば、それはどうも誤解であるらしい。そして、キリスト者はいずれ「目的を見失った人々のその混沌と貧しさへと導かれ」るらしい。
ところで、ミーちゃんはーちゃんは、そもそも移り気、飽きっぽいので、すぐに目的を見失っては、次の目的を見つけてしまうということを繰り返すことが多いのだが、過去に数度世俗の仕事関連についてではあるが、一時期仕事に関する目的を見失ったことがある。これは、実に恐ろしい経験であり、迷路に迷い込むというか、自らの立っている場所の床が抜けて落ち込むような感覚を持った経験がある。2度としたくない経験ではあったが、目的を失うという、その恐ろしさを知るという意味では、貴重な体験ではあった。
もし、あれが、世俗の仕事関連ではなく、自分の人生そのものであるとすれば、と思っただけで実に恐ろしい経験であることは類推が付く。たとえ根拠のない自信であっても、根拠の裏付けがないような目的であっても、それだけで人間は歩めるものだし、逆にそれなしだと、無限ループにはまった状態になる。下手をすると、自分から無限ループからは脱出できなくなることもあるようには思う。いずれにせよ、目的や意味を見失うのは、恐ろしい体験ではあることだけは、個人的経験から言えることである。
イエスと神の愛の深淵で過ごすこと
深淵というと、マリアナ海溝のような闇の中がイメージされるが、我々は、飢えている環境や精神的乾き、いや、霊的渇きを、イエスという同伴者とともに、体験することが必要なのかもしれない。その辺について、ウィリアムズは、著書の中で、次のように書いている。
洗礼とは、イエスと「深淵の中」でともにいることを意味します。この深淵は、私達一人ひとりの飢えや精神的乾きのある深い底です。しかし同時に、私達は、神の愛の深淵の中にいるのです。この中でこそ、人間は、聖霊の働きによって、神のみ心にかなう人生を新たに始めることができ、新たな活力を手に入れることができるのです。(同書 pp.16−17)
マリアナ海溝への潜航シーン
この部分を読みながら思ったのは、神の愛の深淵の中でこそ、神の霊の働きより、本来の神のかたちとしての回復があり、神のみ心にかなう人生を新たに始めることができるという逆説は、非常に重要であると思う。神のかたちデムートとしての回復は、神の愛の深淵の中でしか実現しないのではないか、とも思うのである。そのためには、神の愛と神の義と神の支配への絶望的なほどの飢え渇きと、霊的な渇望が必要なのかもしれない。それらのものが、われらのうちにあると思うから、この種の神の愛と神の義と神の支配への渇望を見えなくしてしまうのではないか、と思う部分もある。
イエスは、『神の支配(国)とその義とをまず第一に求めよ』と教え、さらに、主の祈りの中で、『神の支配をわれらにもたらされんことを』と祈ることを勧めておられる。このことは、かなり重要であり、それを受けたもの、当たり前のものとしてはならんことを主の祈りと呼ばれる祈りは教えているのではないだろうか。われらのうちにある、かけ、欠乏、不足を思い、それを大切なものとして受け止めることを主の祈りは教えていると思うと、主の祈りが違って見えてくるのである。
連帯としての洗礼
ミーちゃんはーちゃんは、ある面、日本というキリスト者がマイノリティである社会の中に生きているし、結構決心主義的なキリスト者の集団で長らく信仰生活を過ごしたので、いまだに決心主義的な理解の影響が強いのではあるが、バプテスマも個人の決意による決心であるという側面を強く持っていた。そして、ある面、バプテスマは社会の中での他者と自分とを区別するものであると思い込んでいたのであるが、どうもそうでもないらしいことは、なんとなく今は感じるようになってきている。そのあたりのことについて、ウィリアムズ先輩は次のように言うのである。
洗礼は私達を他の人々と区別させる特別な地位を与えるものではありません。「私は洗礼を受けた」と言えることは、特別な威厳を主張することではなく、ましてや、他の人々から選り分けられ、優越性を与えられることではありません。それは、他者との新しい次元での連帯を主張することなのです。(同書 p.17)
洗礼は、他者と自分を区別するものではないし、「ましてや、他の人々から選り分けられ、優越性を与えられることではありません」といわれてしまった。これはある種の衝撃であった。というのは、元居たキリスト教徒の集団だと、割と、キリストを信じることはよいことであり、したがって、キリストを信じる者には神の祝福があるはずであるから、社会的にも立派なことである風の言説をする人々が結構居られたからである。個人的には、その辺に昭和のよいこチャン的な世界観には反発を覚えていたのだが、やはり、それだけで、キリスト教を理解することは限界があったのかもしれないとこの部分を読みながら思いいたり、ちょっと安心した。
小学館発行の『よいこ』 絵の雰囲気が「めっちゃ昭和や」、と昭和生まれが思うほど
https://aucfan.com/search1/q-~beaeb3d8b4db20a4e8a4a4a4b3/s-mix/ より
そして、洗礼とは「他者との新しい次元での連帯を主張すること」であるらしい。この他者を、教会の人、キリスト者ととらえるか、その外側の人ととらえるかで、キリスト者の生き方は変わってくるであろうとは思う。個人的には、キリスト者というマイノリティの中でも、マイノリティを志向したキリスト者集団の中で過ごしてきたので、どうしても、この他者との連帯というと、自派のキリスト者集団の中での連帯ばかりに目が行きがちであったが、そういう狭さに嫌気がさして、自派以外のキリスト者集団の人々とつながりを求め、さらに、キリスト者以外の人々とつながりを求めて生きていくうちに、ある時期、自派のキリスト者集団からつまはじきにされるようにして追い出されてしまった部分はある。それで流れ流れて、船員という、ある種、漂泊するがゆえに、社会の枠からはみ出されざるを得ない人たち向けの教会に漂着したわけであるが、もともと、飽きっぽい性格もあるので、そういう漂泊する人々が集まるが故の流動の激しい教会が性に合っている部分もあるかもしれない。とはいえ、最近は、COVID-19対策のために、船員さんたちが自由に上陸できないので、メンバーが固定されつつあるのがつらいところ。
人間の苦しみと神の愛のはざまで生きるキリスト者
さて、洗礼を受けた人、キリスト者の生き方がどのようなものか、ということについて、実に印象深いことをウィリアムズ先輩は書いておられる。
洗礼を受けた人は、人間の苦しみと混乱の中にいるだけでなく、父、子、聖霊の愛と喜びの中にも置かれています。それはたしかにキリスト者であることの最も驚くべき神秘の一つでもあります。一方の軸には、神のみ心に生きるという現実があります。そこでは、父、子、聖霊の熱烈な喜びに満たされています。しかし、他方の軸には、この世界に生きるという現実があります。ここには、驚異、苦しみ、罪、痛みがあります。イエスがこうした2つの現実の真っ只中で生きたように、そこは私たちの生きる場所でもあるのです。(同書 pp.19-20)
実に印象深い。キリスト者は、人間の痛みや悪の部分の軸と神のみ思いの軸という二つの軸を見るだけではなく、それらを共に持つことになる、というのである。ある面、引き裂かれるような生き方を経験するらしい。そして、純粋に神のみ思いに生きるという一方だけを追求する生き方をするのではない、ということらしい。
しかしながら、世の中、どちらか一方に向けて集中し、先鋭化するのが好きな人々が多いような気がする。その研ぎ澄まされるような先鋭化はある面、大変ではあるかもしれないが一つの方向に向けていけばよいという意味で、目的は一つになり、1次元的な世界に単純化でき、その1次元的世界の中で極めていくことは多少は考えやすい、という側面はあるようにも思う。
しかし、2つの軸を生きるとういのは容易いことではないように思う。より具体的に言えば、考えるべき軸が1軸の1次元的から2次元的世界に拡大しただけで、問題はすぐさま複雑化する。例えば、同時に2人の人と、同時に話してみると、それがいかに困難なことであるかどうかはわかるであろう。あるいは、同一内容を日本語と英語を交互に話して見ようとするだけで、それがいかに困難なことかを体験することができるかもしれない(時々したことがあるが、これは結構疲れる。言語形態がそもそもとして違うので、同一内容にしようと思っても、完全に同じにはならないし)。
それと同様に、神の世界の存在でありながら、人間の世界の中で生きること、それはある意味で心が引き裂かれ、心が騒ぐ日々を神であるイエスは体験されたわけであるし、そのイエスを真似しようとするイエスのフォロワーであるキリスト者はその体験を追体験することになると思うのである。人は、神ではないし、この地上で生きる限りは、神には成り得ない、アダムの末裔、鼻で息するものでしかないように思うのではある。その意味で、神の世界をちらっと垣間見る瞬間が時々ありながらも、人生の大半はアダムの末裔として生きることになる。そして、自分の姿を顧み、反省し、自らの罪を日々悔い改め、神のもとに許しを請いながら、生きるしかないのがキリスト者なのだろうとは思う。
キリスト者同士でも辛いかもよ
同好の士、ということばはあるが、同好の士ほど、微妙な違いで対立が起き、議論が先鋭化し、対立が起きることがある。音楽などの分野では、結構あり、バンドが解散する原因となったり、コンサートで、喧嘩が起きてみたりすることはよく知られている。お互いに真剣だからこそ、起きることが多いようである。たかが音楽ごときで、というなかれ。当人同士にしてみれば、真剣にやっているからこそ対立が起きるのである。
それはキリスト者同士でもまま経験されることである。そのあたりのことに付き、ウィリアムズ先輩は、次のように書く。
洗礼についてのもう一つの重要な真理は、洗礼を通して、あなたは、父なる神に近づき、人間の世界にまつわる苦難や混乱に近づくだけでなく、そこに招かれているすべての人々にも近づき、関わることになるということです。洗礼を通して他のキリスト者たちとともに生きることになります。他のキリスト者たちと隣人のような関係を持つことができなければ、キリスト者とは言えません。多くの人にとっては耳の痛い話です。なぜなら気難しいキリスト者もいるからです。しかし、このことこそ、新約聖書が私達に対して揺るがず語っていることです。つまり、イエスと一緒にいることは、人間の苦しみと痛みに寄り添いつつ、イエスに招かれた人たちとともに生きることです。(同書 pp.23-24)
あーあ、言われてしもうた。「他のキリスト者たちと隣人のような関係を持つことができなければ、キリスト者とは言えません。多くの人にとっては耳の痛い話です。なぜなら気難しいキリスト者もいるからです。」そう、何を隠そう、ミーちゃんはーちゃんは実はかなり取り扱いの難しい、地雷や不発弾あるいは信管を抜いた手榴弾のような扱いにくいキリスト者である程度の自己認識はある。一度は教会を飛び出ているし、一度は陪餐停止を食らう形で、追い出された(なお、現在では揉め事を起こし、追い出された教会の大半の人達との、和解が成立している。話せば長いことながら、単純にいえば、ある年長者の信徒とうまく行かなかったことが表面化しただけのことではある)。
たまたま、今日の聖書箇所は、イエスが与えた新しい命令のはなしであったが、わざわざ、イエスは、ヨハネ伝15章で
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
と新しい戒めについて弟子たちに述べておられることは実に印象的であり、そのイエスのいましめを実現することがいかに困難であるのかを予感させるような表明である。
"A New Commandment"
大抵、教会堂の移転や建築をした教会では、信徒の間で揉め事が起きることは多い。そういう経験がなくても、聖書にはある。イエスが十字架で死んで蘇ってそれほど時間が経過していない段階でも、ヘブライ語やアラム語をしゃべる人々と、ギリシア語を話す信徒間で日々の配給を巡って揉め事が起きており、その結果としてステパノくんが食事の世話係として選出されたりしている。また、パウロは、教会のあり方で、同じ教会でも酔っ払っている人がいる反面、空腹の人もいるとか、わざわざ手紙を書いてまで厳重注意しなければならなかったのである。
我々は短期的な結果を気にしすぎ?
世俗の仕事の関係で、生徒さんや学生さんや、会社関係の方々とお付き合いをしていると、割と「すぐ役に立つのか?」ということを問われることがある。何か行為の短期的な結果、短期的な効果や目で見えるような効果を気にする人々が割と多いような気がする。個人的には、「すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなりますよ」、「腰を据えて、基本的な考え方や構造の理解、仕事の進め方をじっくり身につけるほうが、後々他にもそのノウハウは転用できて、役に立つかもしれませんよ」とかお話するのであるが、なかなか聞いてもらえない。
時々依頼がある、システム開発案件にしても、そのシステムを導入することでのご相談があるが、その時の話をお聞きしていると、システム導入に対して劇薬みたいな劇的な効果を期待する人々や組織が結構多いように思う。そういうのがないと、システムを入れる効果がないかのような物言いをされて、案件の設計に入る前にポシャることもある。まぁ、こっちはそれで生活を立てているわけではないので、一向に構わないのであるが。個人的には、システム開発案件にしても、静脈的なじわじわと組織の体質を改善するほうが良いのでは、とは思うのだが、今は余裕がないのか、漢方薬みたいな体質改善をする余裕がなく、痛み止めをより強いものにどんどん乗り換えるみたいに新規の案件を次から次のように追っかけている組織もないわけではない。
余談に行き過ぎたが、現代人が堪え性がないのか、単純になったのか、忍耐力がなくなったのか、ミーちゃんハーちゃんには、よくわからないが、「祈りが聞かれた、聞かれなかった」ということばかりを気にするキリスト者を結構お見かけする。そういう人に向けてではないとは思うが、ウィリアムズ先輩は、きっぱりと次のようにいう。
そして、たとえ物事が困難で、希望がなく、報われないことが合っても、勇気を持って進み続ける祈りの心を特徴とします。祈らずにはいられないのです。あなたの中で何かが生き続けています。結果を気にしてはいけません。(同書 p.25)
祈りの心というものは、目に見える報いや、希望や、目の前に広がる光景とは無縁なのではないか、ということを、ウィリアムズ先輩は、我々に問いかけている。そして、最後が強烈である。「結果を気にしてはいけません。」
古代人も因果律(原因があるから結果があるという法則性)を結構気にしていることが、イエスの前につれてこられた盲人の案件で誰が罪を犯したからこうなったのか、という問いをイエスにぶつけていることからわかるが、現代人はもっとその傾向が強いように思う。まぁ、それは、半分素朴な科学的な問の原初型ではあるとは言える。
現代の科学は、様々な事象について、ある程度その原理の説明ができるようになったとはいえ、そもそもすべてのことが科学では解明できない。すべてのことを説明できると言うのは、中途半端な半可通の人々であり、多少まともな科学者であれば、すべてのものを科学が説明できる、とは言わないし、言えない事を一番知っているのである。そもそも、人間の観察能力は限られているのであり、すべてのことを解明できるという能力は人間は持ち合わせていないのである。
時々、「我々が祈ったら、全てすぐにかなう」とか言うことを仰る方々がおられ、そういう方々のお話を拝聴することもある。その信仰の篤さは尊敬には値すると思うが、個人的な信仰経験から言えば、願い、祈りはしたものの、実現しなかったことのほうが遥かに多い。だからといって祈ることをやめたり、諦めたり、すねたりし続けているか、といえば、そうでもない。未だに不十分ではあるが、祈るし、神に叫ぶこともないわけでもない(めったに無いことではある)。ただ、最近は、自分が好む結果になるかどうかについては、あまり気にはしないようになった。若さが失せたのもあるかもしれない。その結果、落ち着いたのは、主の祈りのあの一節を覚えるくらいの心境には、たどり着いてはいる。
あなたのみ思いが、天においてなるように、地においてもなりますように
Thy will be done on earth as it is in heaven
ある意味で、結果に関して突き放したような祈りではあるが、我々アダムの末裔には、これしかないのではないか、と思っている。
祈りについては、別途章があるので、その部分については、本書のウィリアムズ先輩のおかきになられたものを直接参照されることをおすすめする。
次回へと続く。
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最近、別の本を買うついでに買った本なのだが、それがあまりに良かったので今回から、その中身を引用しながらご紹介したいと思う。この本の第2章『聖書』と、第3章『聖餐』が良かった。これから、各章から何回かにわけて、少しづつ引用しながら、面白いと思うことを述べていきたい。かなり長いシリーズになりそうな予感がすでにしている。それほど、このローワン・ウィリアムズ元カンタベリー大司教のこの本は良いのである。キリスト教とはいかなるものか、ということ洗礼、聖書、聖餐、祈りという4つの視点から、明確に示している本であると思う。ちょっと聖公会神学っぽいところは見え隠れするが、キリスト者として基本線として重要なことを述べている本だと思う。
下りゆくキリスト者の人生の象徴
最初の部分で、いきなり棍棒で殴られたような衝撃を受けた。ある程度暗闇に降りていく、下っていく、降っていくということは認識していくことは認識していたが、泥沼に溺れこむこと、泥沼にはまり込むこと、と棍棒で殴られるような言いぶりで言われてみて、そうなんだろうなぁ、と思ったのである。
先週の日曜日の聖書箇所が、エチオピアの宦官のバプテスマのところであったが、あの聖書箇所などは、まさに泥沼に入り込むことに近かったであろう、と思いながら、読み返していた。
イエスは、目の前に待ち受ける苦難と死を「洗礼」として語っています(マコ10:38)。つまり、彼は、苦難と死に向かうことを、何かに溺れていくこと、泥沼にはまり込むこと、ある種、沈み込んでいくことであるかのように語っています。イエスによれば、彼は「沈み込む」ような体験に耐えなければならず、底に沈みきるまでは、苦しみ続けなければ、その働きが成し遂げられることはありません(ルカ12:50)。そのために、キリスト者の共同体に入会する儀式としての洗礼は、はじめから、キリストの受難と死という闇の中に降(くだ)っていくという考え、イエスが耐え抜いた困難な現実に「はまり込む」という考えと結びついていたようです。(中略)キリスト者が、聖金曜日(復活日前の金曜日)や毎週のように聖餐式でパンを裂く時に記念しているのは、こうした神秘的な出来事なのです。(『キリスト者として生きる 洗礼、聖書、聖餐、祈り』p.12)
このウィリアムズ元カンタベリー大司教が書いた部分を見ながら、思ったことは、「キリストの受難と死という闇の中に降(くだ)っていくという考え」は、案外重要ではないか、と思ったのである。レント期間、受難週は、この下っていく、ということを強く感じることができる期間ではあるが、我々は、人生をかけて、このレントの期間を過ごすのかもしれない。たしかに、水は低き所に流れるというのは、物理学の法則そのものの反映ではあるが、我々の従うべき法則は、上へ、上へと、到達できないことを目指す人生ではなく、下へ、下へと向かっていくという法則、下へ下へと降られたキリストの姿をこの地において実現していくことを追い求めていくことを、バプテスマは表しているというローワン・ウィリアムズの書いたものを読んで、これは案外抜けていた視点であるかもしれない、と思っている。
雲を目指すような信仰、天を目指す信仰
多くの福音派の牧師先生方、信徒さん方のご発言に耳を傾ける限り、司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』あるいは、それをドラマ化した以下のオープニング動画の『坂の上の雲』の冒頭と同様に、ほぼ届きもしない雲とその上の空を目指して上へ上へと目指しておられる方が存外多いのではないか、と思う。
NHKドラマ 坂の上の雲 第3シーズンのオープニング動画
しかし、この本にしてもそうであるが、最近まで読書会に参加させてもらって読んでいた本田司祭の『釜ヶ崎と福音』でもそうであるが、この降りていく信仰生活、闇に勇気を持って向かっていく信仰という方向性は存外大事なのではないかと思うのである。そう言えば、上沼昌雄先生が、『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』という本を書いておられるのを思い出した。あれもいい本であった。
個人的には、聖餐式が大好きだし、Good Fridayあるいは、聖金曜日こそ、神が地の深みにまで降り給うたことを覚える日であり、そして、キリスト教徒にとって、なにより重要な意味を持っていると思っている。その意味で、キリスト教の中心は説教にあるべきではなく、聖餐にこそあるべきであるというのが、ミーちゃんはーちゃんの持論である。もちろん、聖餐があまりに尊いために、聖餐を軽々しく行わないため2年に2回とか、年に数回とか、月イチとか、色々お考えがあることは承知しているが、しかし、説教の付け足しのような形での聖餐の扱いや、聖餐のお道具がめちゃくちゃホコリまみれでも気になさらない、というような扱いはどうなのか、と聖餐マニア、聖餐フリークのミーちゃんはーちゃんとしては思いたくもなる。
イエスの洗礼物語によれば、イエスはヨルダン川の水の中に降っていき、そして、水から上がってくると、聖霊が鳩の形をして、彼に降り、「あなたは私の愛する子」(ルカ3:22)という声が点から聞こえたのでした。この物語を検討した初期のキリスト者たちは、水と聖霊が関係するもう一つの物語との関連性をすぐに見出しました。創世記によれば、創造の始まりは、混沌とした水に覆われていました。ヘブライ語をどのように読むかによりますが、混沌とした水面の上に聖霊が動いていたか、あるいは暴風が吹いていたと解釈できます(どちらにしても一種の比喩(メタファー)かもしれません)。はじめに、混沌があり、その次に神の霊の風がありました。そして混沌とした水面から世界が生まれました。神はそれを見て「よし」と言いました。水、聖霊、声、この三つから、初期キリスト者たちが、洗礼の出来事をパウロが用いるいのちの象徴ーー新たな創造ーーと結びつけるようになった理由がわかります。(同書 pp.13-14)
さて、ここで描かれている創世記の最初の部分を創世記1章から取り出してみたい。
元始に神天地を創造たまへり
地は定形なく曠空くして?暗淵の面にあり神の靈水の面を覆たりき
ニコデモとの対話とバプテスマと羊水
かれ 夜 よるイエスに 来 て 曰 けるはラビ 我儕 なんぢは 神 より 來 し 師 なりと 知 そは 神 もし 人 と 偕 ならずバ 爾 が 行 るこの 休徴 は 人 これを 行 こと 能 ざれバ 也
イエス 答 て 曰 けるは 誠 に 實 に 爾 に 告 ん 人 もし 新 に 生 ずバ 神 の 國 を 見 こと 能 はじ
ニコデモ 彼 に 曰 けるは 人 はや 老 ぬれバ 如何 で 復生 るゝ 事 を 得 んや 再 び 母 の 腹 に 入 て 生 る 可 んや
イエス 答 けるは 誠 に 實 に 爾 に 告 ん 人 は 水 と 靈 とに 由 て 生 ざれバ 神 の 國 に 入 こと 能 ざる 也肉 に 由 て 生 るゝ 者 は 肉 なり 靈 に 由 て 生 るゝ 者 は 靈 なり
我 なんぢに 新 に 生 るべき 事 を 言 しを 奇 と 爲 なかれ
風 は 己 が 任 に 吹 なんぢ 其聲 を 聞 ども 何處 より 來 り 何處 へ 往 を 知 ず 凡 て 靈 に 由 て 生 るゝ 者 も 此 の 如 し
以上は大正改訳によるその部分であるが、新しく生まれることを母の腹(胎)に入るとニコデモは関連付けているが、胎児の姿は、羊水に包まれた姿、つまり、ヘブライの伝統で言うתֹ֙הוּ֙ すなわち混沌Caosの中とリンクさせているようにも思う。どうもヘブライ語文化圏の中では、水とか海とかはかなり不安定なカオスなものとして理解されるようで、その意味で、胎児も現代風の解剖学的な意味は別として混沌の中にあるという理解に違いのではないか、と想像する。
ところで、母の腹(胎)に入るということは、この混沌の中に再度置かれるということであり、「その混沌に再度戻れとは、これ如何に?」、とニコデモはイエスに問うているのであろう。
ところで、このヨハネ3章におけるニコデモとの対話で出てくる、水と霊によって新しく生まれなければ、という理解については諸説あるのは存じ上げているが、このヨハネ3章の部分でのバプテスマについて、水のバプテスマと神の霊(聖霊、聖神)によるバプテスマの両方を受けることである、という解釈を否定するものではない。
しかし、ここでのウィリアムズの本の記述を読みながら考えてみるに、バブテスマを受けるということは、もう一度創世記1章2節の世界の地は形なく神の霊または息吹がその上を吹きまわっていた世界に戻り、そこから、アダマーから最初の人(一般名詞としての人、アダム)として創造されることをバブテスマが象徴しているのではないか、と考えれば、水と霊によりて生まれるということは、実は、もともと形もないハアレツ(大地、土地、国家)の一部であるアダマー(土)から神とともに語り合う存在としてのアダムの世界にか移るということを象徴していると考えれば、まさに、バプテスマは、神による再創造、あるいは新創造を示すサクラメント(聖なる儀式)であることを意味することになる。その意味で、ヘブライ語聖書の中には、洗礼という固有語は出てこないものの、そもそも、神とともに語り合うものとして、すなわちキリスト者としての歩みを始めるにあたって、アダムが創造された創世記1章の世界の再現を象徴するものとしてのバプテスマがあるのかもしれないと思う。
William Blakeによるアダムの創造
イエスのバプテスマと混沌の克服のメタファー
ところで、イエスは、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けているが、その時の記述について、ローワン・ウィリアムズは次のように記述する。
東方キリスト教の伝統の中では、特にイコン〔聖画像〕としてイエスの洗礼が描かれる際、多くの場合、首まで水の中に浸かるイエスの姿、そしてその波の下にいる旧世界の側の神々の姿を見ることができます。それは克服されつつある混沌を表しているのです。(同書 p.14)
そういう記述があるので、正教会系のイコンを探していたら、以下のような画像があった。これが、一番上記のローワン・ウィリアムズの記述に違いのではないか、と思う。
イエスのバプテスマ、バプテスマのヨハネが皮衣を着ているのが印象的
http://ortodoksja.pl/en/2016/04/20/the-orthodox-teaching-about-the-invalidity-of-the-latin-baptism-and-its-significance-for-the-contemporary-theological-dialogue-by-pawel-p-wroblewski-ph-d/ より
ただ、この上の画像ではわかりにくいので、もう少しほかのイコンを探していたら、以下のようなイコンもあった。大半のイコンは以下のようなものである。
同じイエスのバプテスマというモティーフのロシア正教会のイコン
http://3saints.com/theophany.html より
上側のイコンの画像ではイエスが首まで水につかっているのは明白だが、異教の神々も首まで水に浸かっているようにも見えるが、下のロシア正教のイコンでは、イエスが大きく書かれており、その足元に化けもののように見えるものが置かれており、イエスの中心性がより明確に出ている。こうやって比較してみると、なるほど、イエスがそもそも勝利者、王として理解されていることがわかる(正教会系の聖画の伝統では、イエスは勝利者として描かれることが多い)。
つあんり、これらのイコンがあらわすのは、イエスのバプテスマは、混沌からの克服であり、旧世界の側の神々、キリスト教にとっての異教の神々を足元に置く勝利者としてのイエスの公生涯が始まることで、勝利者としての地歩を固め、水という混沌の世界、流転の世界から、確実な王座に就く世界への途上にある公生涯への出発点としてバプテスマが描かれていることがわかる。
とすれば、イエスが定めたもうた聖なる儀式(サクラメント)として、東も西も、カトリックも福音派も、バプテスマと聖餐式とは共通ではあるものの、その式の執行の様態、そのサクラメントのとらえ方や回数、どのようにするのかなどは、正教会系、カトリック教会、福音派の各派、リベラル派、聖公会・・・・のそれぞれで、だいぶん違うけれども、この聖餐と洗礼の両者をサクラメントとすることでは一致している。
多くのキリスト教会が一致してサクラメントとして認めている洗礼であるが、それが、混沌からの脱出であるというメタファーは実に印象深い。つまり、洗礼を受ける前の人間の生き方、すなわちキリストともに歩むと決意するまでの人間は、壊れたもの、毀損しているもの、創世記1章の冒頭の混沌の中にあるものであることからの脱出の象徴としてのバプテスマがあり、キリストにつくバプテスマを受けたものは、次第にキリストの公生涯と同じ道、神とともに歩み、キリストともに歩み、神に愛されたものとして歩むという道へ、完成されたアダム(人)としての歩みをするようにと招かれていることを示すのが、バプテスマだということの理解は、きわめて重要なのではないか、と思うのだ。
次回へと続く。
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今日は、その2回目。一応、これで終わるつもり。
今日は、救霊という語の持つ魔力と救霊という概念と牧師との関係について、考えてみたい。
救霊という言葉と自殺的作戦に漂うもの
牧師先生や牧師婦人の方で、教会の牧会の責任をおっておられる方々のご発言の中に、この救霊という概念をひょっとして誤解されておられるのではないか、という思いを持つことがある。ことに、いわゆるエヴァンジェリカルズや福音派と呼ばれる教会群の牧師先生方や、牧師婦人の方々のご発言の中に、この救霊に関する召命があるとか、自分に任された救われた霊を失ってはならないとか、その救われた霊を預けられた牧師として、その教会で信仰を持った方々がその教会を離れるのは、本当に申し訳ないことであり、自分の力や、祈りが足らないからだ、と真剣に思いこんでおられるのではないか、と思われるような牧師先生方や、牧師婦人の方々のご発言をお聞きすることも少なくない。実に残念なことである、と思っている。それと同時に、そこには、どうしようもないほどの誤解があるのではないか、と思っている。
『救霊』という言葉は、ある面で、神が愛し給うた人々に神の霊(聖神とか、聖霊とか言うこともある、あるいは神の息吹、神の域、神からの風、ルアッハ、プニューマ)を受けるべき人々を救うこと、というイメージがあって、レスキューミッションをやるイメージがある。『救霊』という言葉に関しては、神の息吹を受けるべき本来の姿に回復する神のお手伝いをする、というイメージではなく、牧師や牧師夫人を中心として、教会関係者が頑張って、失われるべき命を救うというレスキューミッション的イメージがないわけではない。しかし、レスキューミッションには、色々あって、そもそも、レスキューミッションする側に余裕がない限りレスキューミッションの成功は危うい。なお、戦争映画ではこの救出作戦は好まれるテーマである。下に紹介したBAT★21や前回紹介したSearching Private Ryanなんかは単独行によるSuisidal Mission(自殺的作戦行為)としての救出作戦を描いている。
BAT★21 の予告編
『救霊』という言葉には、どこか、この自殺的単独行の作戦行為をそこはかとなく感じさせる悲壮感が漂うため、個人的にはあまり好きな言葉ではない。正直言って、大嫌いな表現である。我が身を捨てても、他者を救わねば、という、日本の太平洋戦争時の神風特攻隊風のカミカゼ精神というか、大義実現のためなら、個人を犠牲にするというのか、あるいは『塩狩峠』精神というか、個人の尊厳を全く無視した何かを感じるのである。
以下に紹介するDisney映画のLone Ranger風のヒロイズム、それも、救出する側は単独行為という、個人に栄光を帰す形の一種のヒロイズムみたいなものを感じるのである。死の美学というか。まぁ、個人に着目が集まりすぎる社会でのヒロイズムのような場合、ランボーや以下のLone Rangerのような妙に行き過ぎた個人主義的なヒロイズムに帰着し、メサイアコンプレックスにとりつかれたかのようなヒロイズムが描かれることもある。アメリカの場合は、その個人主義的ヒロイズムがやや行き過ぎているようには思うが。それは、米国型キリスト教、特に福音派的キリスト教、そしてその影響を強く受けている日本の福音派的なキリスト教にも大きく影響している可能性はあるように思うのである。
Lone Rangerの予告編
さて、前回、アメリカのカウボーイが、一人で牛を買うのではなく、数名で牛の群れを飼うように、新約聖書時代のカナンの地の羊飼いたちも、集団で羊を飼っており、そのうち一匹がいなくなったら、仲間の羊飼いに自分の99匹の羊を預け、そして、行方不明事案、失踪事案を起こした一匹の羊を回収に向かった可能性があることを指摘し、牧師先生も、他の牧師先生との協調関係の中で牧介したほうが良いのではないか、ということを述べた。一人で何でもかんでも抱えることが正解とは限らないし、神ご自身は、そのように一人の牧師が何でもかんでも抱えてしまうことは必ずしも望んでおられないように思うのである。一人で抱えるのであれば、弟子を12人も任命はしていないであろうし、一人で牧会できるのであれば、そもそも、テーブルに仕えるものとされたステパノくんなんかも選出するのを阻止したのではないか、と思う。
なぜ、『救霊』が問題なのか?昔の電話交換で考えてみた
さて、なぜ、ミーちゃんはーちゃんが『救霊』という語が嫌いかと考えてみると、そもそも、人間が『救霊』することはありえないからであり、『救霊』とは、ひたすらに神の領分であり、神こそが主役であり、人間は、その仲介人、昔の電話交換オペレータのような存在に過ぎないからである。
昔の電話というのは、電話をかけたいという人が、最寄りの電話局にまで電話をかけ、通話を申し込む。受けた電話局の電話交換手は、通話先の近くの別の電話局や、太い通信回線を持つ電話局に電話をかけ、回線をつなぐ(リレーする)ことを依頼し、ということを、通話先の電話局まで繰り返し、ようやく通話ができたのである。物理的・論理的に回線(電線)をつないで、ようやく通話が実現されたのである。
手動式電話交換がなくなる前後のニュース映像 昭和30年代までは手動電話であることがわかる。
居座り闘争、という労働組合用語に思わず笑ってしまった。
さて、我々は神の民とはいえ、所詮、この電話オペレータ、あるいは、電話交換機のようなものである。神様に会いたいと思われる方がおられたときに、神様にお繋ぎするだけの存在であり、救うのは、我々人間ではない。救うのは、神の量分であるからである。それに人が手出しすることはできないのであり、それを鼻で息するものに過ぎぬものが、ちょっと説教したぐらいで、人を救った気になってはならんのではないか、と思うのである。あるいは、神が働かれる場に立ち会わせていただいたことをアダマーに過ぎず、鼻で息するものに過ぎぬものは神とともに喜ぶことはできても、自分がよもや人を救ったとか、その人を救いに導いたとかと思ってはならんのではないか、と思うのである。人が、人を救ったとすることは、自らが神の御座を簒奪する行為であり、神への主権侵害であると個人的に思っている。あくまで救うのは、我々人間が電話をお繋ぎした先の神ご自身なのであって、我々は、その場でその時に、神への電話をつないでくれ、という場に立ち会ったに過ぎないだけのことである。
神と人をつなぐときに必要な存在
Wee prayer bookという楽しい祈祷書がアングリカン・コミュニオンの一部で使われているが、その中の礼拝を終わる際の定形祈祷の応答祈祷に次のようなものがある。
Leader: From where we are to where you need us,
All: CHRIST BE BESIDE US
Leader: From what we are to what you can make of us
All: CHRIST BE BEFORE US
Leader: From the mouthing of generalities to making signs of your kingdom
All: CHRIST BE BENEATH US
Leader: Through the streets of this world to the gates of heaven,
All: CHRIST BE ABOVE US
Leader: Surround us with your presence inspire us with your purpose, confirm in your love
All: THAT WE MIGHT SHARE THE GOOD NEWS WITH A WORLD IN NEED. AMEN.
この中では、ある意味で、我々の神の計画への関与が様々な形でかかれていて、「今いるところから、神が必要とされるところまで」とか、「我々の今の状態から、神が作ってくださる状態まで」、「一般的なことを口にすることから、神の国への道標となることまで」とか、「この地上の歩みから、天の門のところまで」というような伝道をイメージさせる語が述べられる祈祷に対して、あくまで、キリストが我らとともにおられ、我らがキリストに支えられることを全員が求める祈りになっており、キリストが中心となっている。最初にこの祈祷文に出会ったときには、なるほどなぁ、キリストがともにいることは何より重要なのだなぁ、と素朴に思った。
そして、最後の部分では、神の目的に沿って神の臨在が我らを包み、そして、我らを勇気づけ、我らを神の愛の中にいることを確信させるよう願う祈りに対しては、「神が来ているという知らせが必要とされる世界において、この知らせを分かち合うことが我々に許されるように」という祈りになっている。
それを、さも自分の貢献であるか、実績であるかのように言うようになるのは、実は深い背景が影響しているように思えてならない。以下では、それを述べる。
なぜ、『救霊』を人は自分の功績と考えるようになるのか?
これには、近代ということが深い影を落としているように思われる。なぜか、それは、近代という時代が、個人、さらに具体的に言うと鼻で息するものに過ぎぬ人を中心とする価値観の世界に神を中心とした世界から、移行した時代であったからである。ある面、世俗化の問題と読んでよいであろうと思う(世俗化については最下部で紹介する本が良い)。もちろん、近代社会は現代社会の根幹を築いたし、豊かな社会になり、病気で死ぬ人も減ったし、病気で死ぬ人を減らすことも可能にはした。人間の関与によって。
しかし、それと同時に、人間が何でも支配でき、コントロールできるかのような錯覚に陥ったのである。そもそも人間がコントロールできる範囲は限られているのに。人間は、地震はコントロールできないし、月の位置ですらコントロールできないし、台風もコントロールできない。原発事故が起きると、人間が製造した原発ですら、コントロールすることはかなり困難な作業であることは、現在の東京電力福島原子力発電所の姿を見ればわかる。また、そもそも、人間は自分自身の口ですらコントロールできないのは、政治家の失言を見ていればよく分かる。
しかし、未だに廃炉の目処も立たないのに、なにゆえUnder Controlと言えるのか、という素朴な疑問があるが。
(上の動画の30秒くらいから)
森元総理大臣の失言を取り上げたニュース
しかし、世俗化の時代でもある近代という時代は、神中心の社会から人間が中心となる社会に変化を遂げた時代でもあり、神が真の主権者であることを忘れ、人間が自然や社会でも、そして、教会でも神に替わって、人間、説教者が中心になった時代ではなかったのか、と思う。世界中の学校でも、社会でも、人間が中心になり、人間にすべての責任を帰着させる傾向が生まれてきた。それが行き着いた先が、自己責任論である。全てには原因があり、それは誰かに帰着させうるという思考法である。この傾向は、特に米国で強いような印象があり、日本社会への米国型の思考法、米国で流行してきた学問体系の普及とともに、日本にもそれらの思想背景を受けた研究成果と方法論が流入するとともに日本でも定着していった。それと時期を同じくして、日本のキリスト教会でも、米国系のキリスト教の影響を強く受けた教会でも、同様の人間の関与を必要以上に重視する傾向、個人の行為の問題に帰着する傾向は散見されるようになったように思う。
個人とその行為にすべての原因を帰着するようになるとこうなると、成功でも、失敗でも、全て人間というよりは、特定の個人に栄誉も不栄誉も帰着させられることになる。
説教、言葉による伝道中心の世界観の問題
このある意味不幸な時代に生まれた教会を特徴づける特徴は、所謂『説教』や所謂『証』の異様な拡大と不必要なほどの価値の高騰である。それは、いわゆるリベラル派でも、福音派でも変わらない。人は言語的コミュニケイション行為の一環である説教によって、神と出会い、神を知るようになると考えるようになったかのようである。たしかに、個人的経験を通して考えてみても、聖書の言葉が語られる説教により、神を次第に知るようになったし、日曜学校で語られた聖書の事績によって、養われてきた部分が皆無だとは言わない。しかし、本当にそれだけだろうか、と思う。
以前、ここで紹介したことがあると思うのだが、あるNTライトの講演で、ライト先輩の娘の友人で、信仰にあまり関心のない家庭で育ち、特定の信仰や信仰への理解を持たないオフィスワーカーの友人が、ダラム大聖堂をライト先輩に案内されたときに、そのキリスト教の象徴あふれるの世界に驚き、感動を覚えて泣き始めたというのである。確かに、ダラム大聖堂にしても、サクラダ・ファミリアにしても、火災で被害にあったノートルダム大聖堂にせよ、これらの教会空間には、神の救済に関する美しい象徴が溢れており、何らかの価値を感じる事ができる人々には、その象徴が指し示すものを見ることができる仕掛けが多数仕込まれていることは確かである。これらは、何百年もかかって、多くの人の営為の結果として表現されたものであれ、特定の個人の栄光があまり現れない形になっている。その意味で、共同体の作業として表現された神の国を指し示す装置となっている。
ダラム大聖堂の内部
関与してきた人が少ない日本のキリスト教ゆえの問題
これに対し、日本では、長崎の一部を除けば、たかだか150年ほど、多くの福音派の教会に至っては、せいぜい100年から70年程度の歴史があれば良い方で、そうなると、教会自体が共同体の作業、共同体の営為として表現された神の国を指し示す装置と理解されるのではなく、誰か特定できる個人の貢献として語られるようになる。例えば、そこで、開拓伝道を始めた宣教師とか、牧師とか、あるいは、その影響を受けながら、牧会をした牧師とか、特定の個人名付きの教会や教会で行われるなにか、にならざるをえないようには思う。そうなると、時々勘違いした人たちが、自分たちの努力や才能、尽力によって、人が救われた、人が神と出会ったと思うように思い込んでしまうのではなかろうか。さらに、その勘違いした人たちの中で、ウルトラ勘違いした人たちが、牧師や牧師婦人、伝道者や宣教師の努力によって、人が救われるように勘違いしているのかもしれない、と思うことがある。
こういうタイプの教会で、更にスーパードゥーパー勘違いした人たちや、スーパーカリフラジャリスティックエクスピアリドーシャスに勘違いされた信徒の方々が、今、教会に人が来ないことや、人が救われないことが牧師や牧師婦人、伝道者や宣教師の努力不足であるかのように言い出すのではないかと思う。
スーパーカリフラジャリスティックエクスピアリドーシャスはこれから来ている。
もちろん、人間の努力や営為が無味だとは言わない。それは大事なことだと思っている。しかし、神との共同体、神の共同体を通して初めて人の営為が意味を持ち、何かを生み出す部分もあると思っているし、そこに招かれている人は、教会で言葉を通して神の言葉と神の憐れみを語る人々だけではないだろう。多くの人々、信徒一人ひとりが招かれているのではないか、と思う。そして、近代という時代が犯した世俗化の過ちに沿って、それを個人の行為の問題として見るように仕向け、誰か一人の貢献にしたり、責任にしたり、誰か一人のものにしたりすることを神は望んでおられないのではないか、とは思う。
先程、アングリカン・コミュニオンの一部で祈られている祈祷文をご紹介したが、それにしても、ある意味、St Patrickの祈りとして知られている気筒分の影響を受けているようであるし、この式文に至るまで、何年も何年も多くの人々によって構築されてきた祈祷文による影響を受けて形成された祈祷文であり、歴史的時間での検証、検討を経た古典的祈祷文であるだけに、十分味わうに足る祈祷の文言となっている。
St Patrickの祈りの一つのバージョン 他に多数ある。
このように、歴史を経て、そして、多くの人々によって作り上げられていくone holy cathoric church(聖なる公同の教会)を我らは信じているわけであり、多くの誤差や破れを含む個別の教会、個別の一人の牧師、個別の一人の信者の物言い、伝道のみでキリストを信じているわけではないように思うのである。
たしかに最後のひと押し、決心をするきっかけになるのは、一人の牧師の説教、一人の信徒の言葉かもしれないが、ある人がキリストを信じる信仰の世界に至るのは、それまでの多くの人々の祈り、多くの人々の語りかけ、多くの人々の存在を通した編み物のような、あるいはパッチワークのような伝道のプロセスがあるのではないだろうか。それを無視して、1時間やそこら、聖書から語ったり、情熱にあふれて語ったりしたことによらないようには思うし、それらの聖書からの語りかけにしても、情熱にしても、それは聖神、聖霊、神の息吹、神のルアッハー、神のプニューマから来たものなのではないだろうか。
信徒流出と牧師の役割
Youtube礼拝やライブ配信礼拝などにより信徒流出を懸念する牧師先生が結構おられるようであるが、一人の牧師が一人の信徒屋ある教会の信徒の人生の全てに関与することは、まず基本的に無理であるということは、少し冷静になって考えたほうが良いかもしれない。人の齢は、基本、健やかであっても80年なのである。そんな人生の時間が限られているアダマーに過ぎない人間には、他人の人生をすべてを見つめることはできないし、教会員一人ひとりの細かな人生を細かく見ることはできないように思う。信徒だって、転勤命令で、1ヶ月後には外国とかということや、全く自派の教会のない国内の地域にご栄転(ないしは左遷)、という場合だってあり得るのである。
牧師もある教会から別の教会に移転することはあるし、病気になって、牧界の現場から離れなければならないことがあるし、前回の記事で触れたように、牧師は神ではないため、永遠に生きられないのである。となれば、いつまでも信者をストーカーするみたいに信徒を監視するように信徒の信仰生活に関与するような関係を持ち続けることは不可能なのであるわけだし、それは不健康な世界のではないか、と思う。それを、牧会者である以上は、なんでもできなければいけない、何でも対応できなければならん、と思い込み、疲れ切り、息も絶え絶えになりながらも、信徒を個人的に抱え込む姿というのは、ミーちゃんハーちゃんとしては不健康な姿だと思う。そもそも論として、信徒は神のものであって、教会のものでも、牧師のものでもないのである。それこそ、風はその思いのまま吹くように、神の霊も信徒にも思いのまま吹き、時々、信徒はとんでもないところに持っていかれてしまうことも多いようには思うのである。
であるとすれば、いま教会にいる信徒についても、未来永劫までその教会の教会員である人ではなく、そもそも論として、寄留者としての信徒なのではないか、と思っている。そんな事を考えていたら、知り合いの與賀田光嗣司祭がキリスト新聞の連載の中で、 『すべての民の復活日へ』と題して、たいへん印象深い面白い記事を書いておられた。その中の印象的な部分だけを引用したい。
英国サザーク教区の司祭であるアンドリュー・ラムゼイ博士はその著『Parish』(英文)の中で、イースターのエマオへの道の話を引用しながらこう語る。
「英訳聖書では、イエスに対しストレンジャー(見知らぬ人、余所者)という語句が使われており、ルカはギリシャ語で『paroikeis』を用いている。この語が後のパリッシュとなる。つまりイエスはここで『parishioner』となる。グレコローマン社会でこの語は、都市の境界線上に住む非市民を指す。近隣に住んではいるが、社会的に無所属の人々だ。教会とはこのようなストレンジャーの集まり──社会的な所属ではなく、ただキリストに自己の場を見つけた人々の集まりである。教会はこの原則を今こそ再発見しなくてはならない(抄訳)」
教会を構成する人が、見知らぬ人、社会的に所属する場のないストレンジャーの集まりであり、所詮、キリストに自己のアイデンティティにまつわる場を見つけているものの、時間の経過とともに教会を通り過ぎて(いずれははアブラハムのふところに)いく人々によって構成されている場であることを考えると、自分の教会からの流出があったとしても、見知った顔が減るというのはあるかもしれないが、それはそれで、ご自身の役割は神の前に十分果たしたものとして受け止める、というような度量というのか、余裕をお持ちになられれば良いのになぁ、とは個人的に思うのだ。
人が神とともに生きることに我らができること
そもそも、「人が神に出会い、神とともに生きる、本来の形を回復すること」を『救い』とか『救霊』というのは誤訳とまでは言わないけれども、正確な聖書の主要メッセージを伝えておらず、誤解を招きかねない日本語表現ではあるとはおもうが、その本来の形を回復せしめるのは、神ご自身のわざであり、我々ができるのは、そのことを神がすべての人に対して望んでおられるということを折りにふれ、多くの方々に、一般的なことを口にすることから初めて、生き方を通し示して、神の国に至る道を歩んでいるといういける道路案内版となることだけなのではないか、と思うのである。
その意味で、人には救霊などできないという理解に立ったところから、始めるべきかもしれない。そして、信徒でない他者を自分の力や努力で救おうと思って、逃げ出そうとする人を追いかけ、伝道と称し神の言葉を押し付け、押し売りするため、ストーカーまがいのことまでする必要はないのではないかなぁ、と思うのである。
そもそもピリポの記事を思い出してほしい。彼は、エチオピアの宦官に伝道し、バプテスマを授けたあと、エチオピアの宦官につきまとい、彼を霊的に成長させようとしただろうか。
閹人こたへてピリポに言ふ『預言者は誰に就きて斯く云へるぞ、己に就きてか、人に就きてか、請ふ示せ』ピリポ口を開き、この聖句を始としてイエスの福音を宣傳ふ。途を進むる程に水ある所に來りたれば、閹人いふ『視よ、水あり、我がバプテスマを受くるに何の障りかある』乃ち命じて馬車を止め、ピリポと閹人と二人ともに水に下りて、ピリポ閹人にバプテスマを授く。彼ら水より上りしとき、主の靈ピリポを取去りたれば、閹人ふたたび彼を見ざりしが、喜びつつ其の途に進み往けり。かくてピリポはアゾトに現れ、町々を經て福音を宣傳へつつカイザリヤに到れり。 文語訳聖書使徒行伝より
https://line.17qq.com/articles/hphmpoocv_p2.html より
その意味で、我らは、伝道とか、救霊とかをもう一度、聖書に基づき考え直したほうが良いのかもしれない。Christ be with us.と祈りながら。
以上で連載終了である。
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クリスチャンシオニズムっぽいTrump支持Youtuber牧師は今
さて、最近はアメリカ合衆国での大統領選挙も終わって、Ordinary Joe(「普通のおっさんくらい」の意味)がホワイトハウスに入っても、米国は破壊的な危機を迎えることはなかった。一部、教皇な反感を見せる人々はいるものの。
そして、Joe Bidenはクレムリンの住民を殺人者であることをTV番組で認めたり、中華人民共和国政府と裏で手を結んでいるようなそぶりも見せず(よしんば、そんなことをしていたとしても、そんなものを一般国民を見せたら、外交の失敗であり、政治家としては無能と言わざるを得ない)、結構強硬な姿勢で中華人民共和国政府とその指導部対応をしている。ある面、前大統領Trumpの業績の面もあるのかもしれないが、ワクチン接種も順調に進んでおり、Disneyland Disney Californiaは活動を再開した。
その意味で、一部キリスト者に強烈な支持者がおられるYoutuber牧師やYoutuber聖書風時事解説者と思しき人々が強硬に主張してきたような事象は起きなかったし、一部のTrump支持を熱烈に訴えた(なぜ、訴えたのかは、クリスチャンシオニズムからの発想からだとは思うが)Youtuber牧師の皆さんとその支持者の牧師先生方は、そのことについての反省の弁も明確に述べず、聖書の理解を深める方向にお引きこもりになってしまわれた。それはそれで、良いことなのかもしれない。
おかげで、TwitterやFacebookについても、穏やかな投稿が増えたので、個人的には、喜んでいる。なお、クリスチャンシオニズムに関しては、以下に示すようなFor Zion’s Sakeのような専門書も出ているので、学術用語としては成立していることだけは述べておく。
なお、予測が外れたことに対して反省の弁を述べるかどうかはYoutuber牧師先生やその支持者の方々のご本人の誠意の問題なので、まぁ、それはYoutuber牧師が個々でご判断なさるのがよかろうとは思う。なお、毎年、日本経済新聞では1月1日に今年の株価予想だの、為替予想などが代表的な金融機関から述べられているが、これについても外れたことに対する反省の弁も聞いたことがないので、そういうのは特にしなくてもいいのだろう。
人を振り回しておいて、とはみーちゃんハーちゃん個人としては、思っているが。
https://www.amazon.co.jp/dp/1842275690 より
リアルな教会からヴァーチャルな教会・ヴァーチャルなキリスト者集団への流出
さて、前回までコロナ時代に大学(神学部)と教会が何を経験したのか、についての鼎談の内容とそれを踏まえながら持ったことなどをご紹介したところであるが、教会の説教がYoutubeで流される中で、信徒による教会動画ショッピング、説教サーファーなどといった呼び方で一般化される、キリスト教の説教について信徒が主体的に選ぶということが起きた。それは、それまで空間的な地域内にある教会が単数であった小教区(パリッシュ)制度において住民と教会とが対応させられてきたという関係の中で、教会と地域住民との対応関係が崩れた。西洋社会(特にドイツやその影響下にある周辺地域)において、プロテスタント各派が多数乱立するとともに、西洋社会経済構造の変化に伴い、特に都市化の進展に伴い、市民が自由に教会を選択するという、住民による教会の市場化ともいうべき、信仰スタイルの選択主体が地域コミュニティ全体から、個人となるという『教会の市場化』の加速化が急速に進んでいった。ある特定の教会や教会群から、他のキリスト者グループへの移動はこれまでも起きてきたのである。
それが、これまで散発的に起きたので、あまり表立ってこなかっただけの話にすぎない。
それが、COVID-19の急拡大に伴い、これまでもかなりのキリスト教的なコンテンツ動画(聖書理解の場合もあろうし、讃美歌の場合もあろうし、説教の場合もあろうし、礼拝動画中継などもあろう)が提供されてきたものの、特に説教動画の供給量が一気に急拡大した。以下は、2007年以降にYoutubeにアップロードされた動画の総時間数であるが、この伸び以上の伸びで、昨年は指数的に更に動画の公開された有象無象の動画の数が伸びたに違いない。
2007年以降2019年までのYoutubeの動画の投稿動画の時間数
動画に関していえば、それは視聴時間の取り合い、奪い合いの世界である。面白い動画は視聴回数を増やし、面白く、わかりやすい動画を提供するYoutuberは視聴回数は増え、いいね、高評価の数は増し、また、視聴者がTwitterだのFacebookだので、それを拡散してくれて、さらに視聴回数を増やしていく世界なのである。
そもそも、こういうSNSやYoutubeのような下品なメディアであるとお思いの高踏派の教会の皆さんは、Youtube配信など、はしたないことはされないだろう。しかし、人はそもそも、アダムとエバが、善悪の知識の気のみを中途半端に食べてしまったために、中途半端に神のデムートとしての存在としてが毀損されてしまっている罪なる存在であり、人はお下品なものであるから、お下品な人々のために命をかけ、十字架にかかり、死をもて死を滅ぼし給うた主イエスを伝え、主イエスのフォロワー(信徒)獲得、教会の認知獲得には、この種のお下品なことも、有効なのである。なに鼻で息するものは、もともと土くれ、アダマーであり、昔も今もお下品なのであるからこそお下品なものが流行るのである。
ヴァーチャルな聖書研究会ができたから教会流出?
さて、COVID-19が市中で爆発的に感染拡大するまでは、たいていの教会がまるで一斉行動とるかのように、そろって毎週日曜日の午前10時30分くらいから12時前後まで教会活動をやっていたので、単によその教会をのぞいてみたくても、のぞくことは時間的制約から無理であったし、自分ところの教会を差し置いてよその教会に行く、というのは、日本の教会がそもそも少ないこと、行った先の教会で面倒なことになったときに、戻るに戻れず、という状況に直面しかねないことや、他を探すのはめんどくさいことになることなどから、教会を移籍する人が少なかっただけである。また、教会の転籍は、ある面教会の牧師や説教者の面子を潰す行為でもあるので、気立ての優しい日本人信徒の皆さんは、に最初にキリストと出会った教会で、その後の信仰生活を過ごす、ほとんど教会を変わらない人々が多い。その意味で、穏やかな人々が多い日本人信徒があまり他のキリスト教会やキリスト者集団に移動してこなかっただけのことである。
これが、実利にうるさい個人主義者が多い、ヨーロッパ人やアメリカ人キリスト者の場合、そんなことはお構いなしで、どんどんよそに移っていく、あるいは、牧師を変えていく、追放するだけのことであって、たまたま日本では教会一所懸命主義もあり、教会サーフィンやチャーチホッパーの存在が現実化、実体化しなかっただけのことである。
しかし、以前の連載シリーズでふれたように、教会と信徒を対応付ける紐帯である空間とその空間内移動がCOVID-19で自粛が求められ、大きく制約された結果、信徒の現実空間と教会という空間的存在の位置(位相)関係、移動関係という紐帯が断絶され、その紐帯は、サイバースペース上のものだけになってしまったといえる。それは不安げで頼りなげ見えるかもしれない。物理空間上で、直接的に会うことに、もちろん意味はあるのだが、それとても、完璧な紐帯とは言えないはずである。なぜならば、人間は鼻で息するものであり、そもそも欠け(罪)があるものだからである。
また、実際、神とわれらの紐帯、イエスとわれらの紐帯も、ある種概念的なものであることが大半であり、聖餐式が限定的で、数少ない教会では、直接的な関係が顕示的に存在することは限られる。それを考えると、イエスとわれらとの関係は、基本的には大半がヴァーチャルなものであり(ある意味カイロスのような状況においては、一部リアルな関係が出現することは否定しない)ことを考えると、ヴァーチャル集団が必ずしも悪いわけではないとは思う。
教会とは何か?それを突き付けたCOVID-19の感染拡大
ヴァーチャル教会も、あるいはサイバースペース(インターネットなど電子メディア)を介しても、キリスト教会は運営可能であることを、われわれはCOVID-19の蔓延の中で、実際に目の当たりにしたのである。そうなると、教会とは何なのか?牧師とは何者か?という根源的な問いを我々に突き付けたのである。
教会(カーク、チャーチ、 ἐκκλησία、エクレシア、ツェルケッヒ、ゲレイジャ)とは、聖書を学ぶ場所なのか?教会とは、信仰者が交流する場(コイノニア、キノニア)なのか?教会とは聖餐共同体なのか?説教共同体なのか?教会とは、礼拝共同体なのか?それぞれの読者ごとに、原段階でもその理解は違うと思うが、それは違ってよいと思う。正解はないのである。それを神との関係の中で求め続けるのが、キリスト者なのではないかと思うのである。
牧師と教会員の関係の再考を突き付けたCOVID-19
先に、Youtuber牧師の問題を述べ、COVID-19の罹患者の急増とそれに伴う政府による緊急事態宣言、蔓延防止措置等に伴い多くの教会では教会活動の自粛をすることになった。
そうなると、信徒は、牧師先生から送られてくる説教要約とか、説教原稿などといった紙資料や、テープやCDなどの音源、あるいは、Lineの動画、Facebook動画、Youtube動画、各種のメディアによる中継などを行う教会が増えた。ある意味、全員が多少なりともCOVID-19の罹患者の急増の中、Youtuber牧師ないしは、ラジオ伝道牧師、あるいは、古くからある無教会的な紙の上の教会を行う人々になったのである。
説教中心オンライン教会なら説教ザッパー、説教を倍速再生したくなる信徒
こうなると、直接物理空間を共有せず、顔を合わせない中での教会運営になり、牧会するほうも、牧会されるほうも、隔靴掻痒、どうもなんとなく、落ち着かない気分というのか、中途半端な感じというか、妙に落ち着かない日々を過ごされたかと思う。そうなると、牧師に直接聞いたり、話し合ったりしにくい中で、信徒と牧師との関係が変わり、COVID-19の感染拡大の前は空間上にある
教会に時間的にも、空間的にも結び付けられていた信徒と教会の関係が断絶され、さらに、信徒と牧師との関係も、以前ほど密接なものではなくなると、先ほど触れた、ずらっと並んだ説教オプションからテレビのチャンネルをリモコンで操作するように、説教を個人の趣味に合わせて選択していく説教ザッパーというような人が、出てきたように思う。
リモコンでテレビを選ぶように教会動画を選ぶようになったかも
https://www.mirror.co.uk/news/uk-news/brits-100-names-tv-remote-9129600
その辺のことは、すでに、
で述べたところである。
この前、何気なく、ツィッターを見ていた時に流れてきたが
めっちゃ笑ったwwwww
『対面授業に戻ったら、教授が倍速にならない…』
というツィートであったが、教会でも案外同じことが起きているかもしれない。
『対面礼拝に戻ったら、牧師が倍速にならない…』
意外とこういう感想を持つ若い信徒もあるかもしれない。
そう思っている時に、『専門知はもういらないのか 無知礼賛と民主主義』という本を読んでいたら、面白い記述に出会った。
ニュース業界の関係者なら誰でも知っていることだが、ニュースが十分美談だったり、十分ひどかったり、十分面白くなければ、気まぐれな視聴者は、マウスをクリックしたり、テレビのリモコンのボタンを押したりして、すぐにずっと面白いものを探す。
(トム・ニコルズ著 高里ひろ 訳 『専門知はもういらないのか 無知礼賛と民主主義』p.19)
その意味で、本来Good Newsである、キリストの死と復活、新しい時代の始まりも、伝え方がまずいと、あるいは余分なものが入っているとすると、まぁ、マウスをクリックされ、テレビのリモコンボタンが押されてしまい、ずっと面白いYoutuber牧師は、聖書風時事解説Youtuberのもとに走るのであろう。
なお、この『専門知はもういらないのか 無知礼賛と民主主義』という本は面白いことが書かれているので、ぜひご一読をおすすめする。
信徒が教会を選ぶ基準
そうなると、自分の趣味と会う、自分と理解の合う教会の牧師の説教を選択的に聞いていくことになる。下のChurch Timesに乗った漫画のように、以前ならば、距離や讃美歌の美しさ、行きやすさ、行った時の雰囲気や、教会で出るコーヒーの味の良しあしで決めていたのかもしれないが、オンライン化すると、カメラワークの面白さ、メッセージで気分が盛り上がるとか、顔なじみの顔がみえるとか、なじみの礼拝スタイルとか、きちんとコンテンツを出している教会が選ばれだり、マイクがオフ状態や回線が悪いだと逃げられるし、ということで、信徒が空間やそのほかのものに拘束されるのではなく、かなり自由に教会を選び、あるいは教会の礼拝を個人の信仰スタイルとは関係なく選べることになる。
Churh Times より https://www.churchtimes.co.uk/articles/2020/3-april/regulars/cartoons/dave-walker
オンライン説教と牧会と信徒との関係
さて、牧師説教が倍速になるかどうかは別として、オンライン説教がメインとなり、信徒がある意味好き勝手に説教を自由に選べるようになると牧会とはなににか、牧師と信徒との関係とは何か、という素朴な牧会上の問題が立ち現れてくる。
COVID-19の罹患者対応のため、教会がオンライン化することで、牧師と信徒との関係は、不特定の教会の牧師の集団と、不特定多数の信徒という関係になっていくのである。こうなると、従来暗黙に想定されていた、特定の教会の牧師1名ないし牧師ティーム1に対してそれにほぼ対応する特定の多数の信徒群という関係がおかしくなるのである。
おそらく、Youtuber牧師先生のもとへの一挙大量流出は、既存教会側からの信徒と教会、信徒と牧師との関係がCOVID-19の関係で崩れかけてきていたところに、トランプ再選問題で、わかりやすくもっともらしいと思える形で、聖書と世界政治問題を関係づけてお話になる何人かのYoutuber牧師とか聖書注解者風Youtuberのもとに、大挙して人々が流出したり、TwitterとかFacebookでバイラルマーケティング風に流されてきたこれらの人々の聖書の学びの装いをまとった時事解説動画を見た人たちが、もともと関係のあったそれぞれの信者さんの教会の牧師に、うちの教会でもあんな風に話してほしい、あれが聖書の解説をすることなのではないか、先生の話はおかしい、マンネリだ、とかいう苦情を寄せただけのことであろう。対応がない場合、しびれを切らした信徒が、足による投票のような形で、他の氷塊に移動しただけではないか、と思っている。
先々週の聖書箇所がたまたま、このイエスは、99匹の羊を置いて、一匹の羊を訪ねていくというたとえ話の場所であったが、その日の週報(Bulltin)の表紙は、以下のような絵であった。うちの司祭は時々意表を突いてくるブルティンの表紙絵を使うので、個人的に非常にありがたい司祭であると思っている。
我々の思い込み、キリスト教への思い込みを木っ端みじんに砕くような絵柄を持ってくるのである。
映画『プライベート・ライアン』から考える良き羊飼いの話
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前回は、旧約聖書の創世記の中でも、きわめて印象的な話が出てくるソドムとゴモラ事件のプレリュードというかカギを握る人物としてのアブラハムの存在と、固有名を持つ存在としての生き方、固有名を忘れ去れら他存在としての生き方、それらを生む環境などについて、『君の名は』などや、ミクロ ー メソ ー マクロ のレベルの概念を基に考えたことを述べた。
今日は旧約聖書の中に出てくるかなり異様なカタストロフ、それまでの時代と隔絶するような断絶的な急速で異様な変化を遂げた事件が本日紹介するソドムとゴモラの物語であり、それについての手島さんのご発題の内容を紹介しながら、いろいろ思うところを述べていきたい。本日が最終回である。本日のポイントは、トバルカインの性質を持つものとして、現代の技術を操るものとして、固有名を持つ存在をどう考え、カタストロフを生みかねない技術をいかに用いるのか、という視点である。
ソドムとゴモラの状況とその後を描いた絵画
Sodom and Gomorrah being destroyed in the background of Lucas van Leyden's 1520 painting Lot and his Daughters
https://en.wikipedia.org/wiki/Sodom_and_Gomorrah#/media/File:Lucas_van_Leyden_-_Lot_and_his_Daughters_-_WGA12932.jpg
固有名詞として神と交渉するアブラハム
このカナンの地におけるカタストロフを前にしてアブラハムが神と対話する姿は、のちにヤコブに与えられるイスラエル(創世記 32章28節の記述 )と同様、神と争うもの、神との論争をするかのようなイスラエルの姿を現しており、日本人の精神性というものとかなり違う精神性を感じる部分である。日本のキリスト者はお行儀が良すぎる気がして、仕方がない。この固有名詞の存在としてアブラハムが語った中身について、手島さんは発題として次のように述べる。
この話は、全体ではなく個別から救済の業を始め、それを徐々に国民レベルから世界全体までに拡大させていく戦略的展開に関する話にも見えなくはないが、むしろ、洪水のカタストロフの一件で神がある種全体主義的なアプローチを反省した結果という解釈もできないわけではない。洪水の是非を巡る、全体と個別の問題意識は、ギルガメッシュの神々の物語にも窺われる視点である。改めて、トーラーにおける、固有名詞の存在意義が際立つのは、神に向かって人間アブラハムが正義について意見をする場面えある。それは創世記18章17節以下にあるソドムとゴモラの滅亡に関する神の判断の是非についての神との対話の話である。
主は「私がしていることを、アブラハムから隠しておいていいだろうか?」といっているが、それは「アブラハムは大きな巨大な民になるのは確実で、全地の全ての民は、彼において祝福されるのである。私は、彼が彼の後に続く彼の家と息子らに、彼らが主の道をまもり、正義と公平を行うことを命じることを知っているからであり、それは主がアブラハムについて語ったことが成就するためでもある」という表現がみられる。ここからも、アブラハムと主の関係が、個人的な友情関係というよりも、宇宙的な目的を視野に収めた、一種の共同作業チームのような多方向性を持っているものであることが理解できよう。
そこで今から、ソドム・ゴモラから上がっている叫びが本当かどうかを見に行って確かめ、それが本当ならば、町を終わらせるという旨をアブラハムに告げると、アブラハムは一歩前に出て主に近づいて尋ねる。「あなたは義人も悪人と共に滅ぼすつもりですか?」「ウライ、多分、町の中に50人の義人がいても、それでも、あなたは、その中にいる50人の義人のために、その場所を許すということせず、終わらせるのでしょうか?義人と悪人を一緒に殺すなんて、義人を悪人ように、悪人を義人のようにみなして、そんなことをするとは、なんて汚らわしいことでしょう。全地を裁く判事が公平をおこなわないなんて穢らわしいことです(ハリラ・レハー)」。
すると、神は「ソドムに50人の義人がいるなら、彼らの故に全ての場所を許そう」と主がいいます。神の言葉に、洪水の反省が背景にあることが窺われるのは、「彼らの故に許そう」という表現は、「アダムの故に大地を重ねて呪わない」という表現と同じだからである。
そのご発題に関する部分と関連する部分を文語訳聖書から引用すると、以下のとおりである。
17 ヱホバ言ひ給けるは我爲んとする事をアブラハムに隱すべけんや
18 アブラハムは必ず大なる強き國民となりて天下の民皆彼に由て福を獲に至るべきに在ずや
19 其は我彼をして其後の兒孫と家族とに命じヱホバの道を守りて公儀と公道を行しめん爲に彼をしれり是ヱホバ、アブラハムに其曾て彼に就て言し事を行はん爲なり
20 ヱホバ又言給ふソドムとゴモラの號呼大なるに因り又其罪甚だ重に因て
21 我今下りて其號呼の我に逹れる如くかれら全く行ひたりしやを見んとす若しからずば我知るに至らんと
22 其人々其處より身を旋してソドムに赴むけりアブラハムは尚ほヱホバのまへに立り
23 アブラハム近よりて言けるは爾は義者をも惡者と倶に滅ぼしたまふや
24 若邑の中に五十人の義者あるも汝尚ほ其處を滅ぼし其中の五十人の義者のためにこれを恕したまはざるや
25 なんぢ斯の如く爲て義者と惡者と倶に殺すが如きは是あるまじき事なり又義者と惡者を均等するが如きもあるまじき事なり天下を鞫く者は公儀を行ふ可にあらずや
26 ヱホバ言たまひけるは我若ソドムに於て邑の中に五十人の義者を看ば其人々のために其處を盡く恕さん
27 アブラハム應へていひけるは我は塵と灰なれども敢て我主に言上す
28 若五十人の義者の中五人缺たらんに爾五人の缺たるために邑を盡く滅ぼしたまふやヱホバ言たまひけるは我若彼處に四十五人を看ば滅さざるべし
29 アブラハム又重ねてヱホバに言上して曰けるは若彼處に四十人看えなば如何ヱホバ言たまふ我四十人のために之をなさじ
30 アブラハム曰ひけるは請ふわが主よ怒らずして言しめたまへ若彼處に三十人看えなば如何ヱホバいひたまふ我三十人を彼處に看ば之を爲じ
31 アブラハム言ふ我あへてわが主に言上す若彼處に二十人看えなば如何ヱホバ言たまふ我二十人のためにほろぼさじ
32 アブラハム言ふ請ふわが主怒らずして今一度言しめたまへ若かしこに十人看えなば如何ヱホバ言たまふ我十人のためにほろぼさじ
33 ヱホバ、アブラハムと言ふことを終てゆきたまへりアブラハムおのれの所にかへりぬ
関西人の買い物交渉のような交渉を神とする、しつこいアブラハム
まさに、スーパーマーケットが今ほど大きな顔をして物を売り歩くようになる昭和30年代頃までは、市場で当時の関西レデーたちが、繰り広げていたような値引き交渉もどきのことをしているのである。なお、関西では、今でも、大手家電量販店でも、「高いな、勉強してんか?(値段が高価ですね、もう少し安くなりませんか?)」、「兄ちゃん、これ、たっかいなぁ。もうちょっと、なんぼかまからへんの?(そこのお店の方、これ、ものすごく高いですよね。もう少しだけでも、幾分、お値段を下げてもらえませんか?)」みたいなことを言うことは、今もなお繰り広げられることがある。
バナナのたたき売りの実演動画。こういう人を街で見かけなくなって、長い。
ディジタル型(バイナリ型)の発想とアナログ型(連続型)の発想
コンピュータやを長く続けている爺になると、いろいろいいこともあるもので、今の若者が知らないような過去の化石扱いされるような計算機の歴史も知っていたりはする。今のコンピュータの世界は、スマホからパソコンまで、二値型(バイナリ型、あるいはディジタル型)計算システムのコンピュータが標準になり、アナログに近い連続変数のシミュレーションもディジタル計算機でするようになったが、昔はアナログコンピュータというものがあり、連立微分方程式系の問題を解いたり、連続型シミュレーションのために用いられいた、という程度の記憶はある。
この数十年、計算機の能力、ICチップやLSI、CPUの性能が異様に向上したのでお役御免になった機器たちであるが、実は、こういうアナログ型にはアナログ型計算機の得意分野というものがあったのである。
さて、アメリカ人が典型的なのだが、すぐに真贋論争、あるいは、真実かそうでないか、有罪か無罪か(有罪と判断された人の中には、本当は無罪の人も含まれるし、無罪とされた人の中には本当は有罪の人も含まれる)というような、実に幼稚な二値型、より正確に言うとif関数で判定する際によく利用されるような、Boolean型の発想をする人がいる。こういう人には、幅というか、人間のひだのような部分というか、余裕というかがないので、結構お相手することがつらいことが多い。
そして、キリスト教徒の中には、とくにアメリカ型のキリスト教徒とその影響を受けた人々の中には、この種の二値型の理解をする人が多く、天国か地獄か、とかあまりに安直に判断する人々が多いので、閉口することが多い。そして、これらの人々が語る神のイメージは恐ろしく、単純化されている怒る神であるのだが、本日手島さんの発題からご紹介する神は、実に忍耐深い神の姿が浮かんでくる。これを考えると二値型の考え方には、案外問題は多いのだなぁ、という素朴な感想を持った。
さて、手島さんの発題に戻ろう。
さらにアブラハムは、「このようにご主人様と、私は塵芥であるのに話をするのはとても恐れ多いことですが、50人の義人に5人足りないかもしれないとき、その5人のために、あなたは全ての街を滅ぼされるのでしょうか?」と問いかける。これは、固有名詞アブラハムならでは、の論点だと思われる。仮に50人の義人がいたとしても、みんな集合場所に現れることは不可能かもしれない。個々人にそれぞれの固有の事情があり、指定された場所に来ない時に、街全体を50人に満たないから滅ぼすのか?という問いを主に投げかけ、交渉するのである。主はそこで45人の故に街全体を滅ぼすことはしないと答えます。この主、アドナーイ・エロヒムの発想は、洪水を引き起こして、全ての肉、全ての動物、全てのハ・アダムを消し去ろうとした時の、全部かゼロか?という発想とは違ったものとなっている。
この部分の手島さんの発題を聞きながら、ミーちゃんはーちゃんが思ったのは、日曜学校的な善か悪か、○か×かといったような単純なバイナリ型の判断をする神として見ている人がなんと多いことか、ということである。確かに神は全知全能で、人間には理解できないほど、厳格な識別をされる半面、憐れみにあふれる神であるという側面がなんと忘れられやすいことか。神の憐みの深さは、旧約聖書のあちこちに表れているのであり、それを深く深くイスラエルの歴史をたどりながら、味わうことができるのが、トーラー、とりわけベレシートであるように思えてならない。神とは、そんな鼻で息するものがやらかすような、単純な二値判断するような、単純なお方ではないように思う。
特に固有名を持つ存在を滅ぼすことは、どうも望んでおられないように思う。ミーちゃんはーちゃんはいわゆる万人救済説には立たないが、神が固有名の人々に対して思いをお持ちであることはその通りであると思っており、その人と神との関係を回復されたい、それを滅ぼすことを耐えがたい、逆らわれても、逆らわれても、「わが子らよ、わが許に戻って来い」と思っておられることだけは、確かだと思っている。
ここらで、その辺のことをイメージさせる、パスターオーズが字余りな詩で、音楽に乗せにくい歌詞を作詞し、岩渕まことさんは、おかわいそうにパスターオーズにがぶりよりされ、断るに断れずに作曲までして、音源まで作らされた。その、おかわいそうな岩渕まことさん(パスターオーズのお友達でただでやらされた、それだけでありえない対応、と思っている)作曲の名曲、『神の物語』をこの辺で聞いていただけたらと思う。
なお、岩渕まことさんは、めちゃめちゃいい人です。はい。直接何度もお会いしておりますので。
岩渕まことさん作曲の『神の物語』せめてこれくらいしないと、天罰が…
パスターオーズが宛名のような落書きをした岩渕まことさんのCD どうせなら岩渕さんのサイン入りのほうがよかった。
トーラー全体を彩る固有名を持つ存在
さて、もう一度、手島さんのご発題の結論部分に戻ろう。ここで極めて重要なことを述べておられるのだ。
このように、トーラーは、宇宙的な視点で始めた普通名詞のアダムのストーリーを、地上を蠢くアダムの子ら個々人のストーリーに発展させていくわけであるが、それは、まさに普通名詞であり固有名詞でもある神の存在の似姿で作られたからこそ、ハ・アダムの集合の要素でありながら唯一の存在であることに飢え渇く、そんな普通名詞と固有名詞の裂け目で苦しむアダムの存在の現実を描かずにはおれないからなのであり、ノアやアブラハムやサラやイサクやリベカ、ヤコブとレアとラケルの個人のストーリーにまで落とし込んでこそ、そこにある個人の存在の宇宙的な意義、つまり、その言葉と行動は世界全体の運命と無関係ではないというメッセージを伝えることができると考えられよう。旧約聖書、トーラーの巻物を順序通りに読むと、そのような視点も得られるのではないだろうか。
「持続可能な開発」を大所高所から考える人たちの思考は、普通名詞の産物でなければならないとしても、それを考えている一人一人は固有名詞の存在でもあることを忘れないでいるべきであろう、と考える。
このご発題自体、東大のサステイナビリティを考える、どちらかというと、ミーちゃんはーちゃんの専門分野に近いお仲間のTech Geek Science Geekとでもいうべき、技術を研究する人々、科学の立場から、この地球環境を考える人々向けのシンポジウムでのご発題であり、技術ヲタクの研究者や、科学ヲタクの研究者(大概の研究者が余技としての変わった趣味の分野を持っているかどうかは別として、研究をするという行為自体は極めてヲタク的な行為ではある)がはまり込んでいる、一般化の思想、あるいは、近代を支配した定量的思考、無名性のものとして個体間の差異や個体識別をかなり無理をして無視したうえで、対象をきわめて抽象化した一般化し他存在として扱うという、きわめて、手荒で暴力的な形で対象を扱う思考の癖というか、思考形態に対して、「本当にそれでいいんですかねぇ、個別性を無視しても、大乗なのかなぁ」ということを、ヘブライの伝統から語っておられるのである。
近代とプロテスタントの無名性の伝道と実存の固有性問題
これは、現代のメインライン、あるいは福音派的なキリスト教とその理解を持つ、キリスト教徒に対するヘブライストからの警告とも受け取れる。現代のプロテスタント系教会関係者のかなりの部分は、あまりに一般化して神学なり、キリスト教や、来会者を考えるあまり、人の存在を手荒に扱う傾向があるように思う。とりわけ、かなりの部分の福音派と呼ばれるキリスト教のグループでは、自分たちをキリストを信じる信仰があるため救われた人、そうでないグループの人々を伝統教派の人々を含め、救われてない人、滅びに至る人々と、ご自身型が神でもないのに勝手に決めつけていないだろうか。そうでないグループの人々は、カトリックの関係者や教会を含め、滅びに至る人々であり、そのために、自分たちが伝道の対象とすべき存在と、単純化して扱っていないだろうか。その人たちの信仰や、文化的コンテキストを無視して活動しておられないだろうか。仏壇や神棚を自主的にないし勝手に破却してキャンプファイアとかしゃれこんでおられないだろうか。あるいは、勝手に神域と人々が尊重しているところで、油をかけまくるという他者の気持ちを踏みにじる行為をしておられる人々はいないだろうか。
伝道することは悪いことではない。しかし、その際に留意すべきなのは、他者は、神が愛したもう、固有名詞の存在であり、ハ・アダムの一般名詞の十羽一絡げ、もろもろの無名性の存在として扱うのは、それは本当に、神の意にかなうことなのか、ということは、十分に再検討する必要があるように思うのである。
まさひろ君から考えるポストモダンと固有名の世界
ご発題の最後に、さすがに上のような話はあまりに無茶すぎてTech GeekやSci Geekな人々にはわかりにくかると思われたのか、カタストロフの犠牲となる人々が固有名の存在であることをわかりやすく述べるために、手島さんは、天王寺動物園の奇跡の鶏「まさひろ君」のお話をされ、発題を終えられた。手島さんの結論部分のエピソードとして次のようなエピソードをご紹介になった。
以下の画像の鶏は天王寺動物園にいる「まさひろ君」の写真である。彼は、一般名詞でいう「生き餌(いきえ)」の無名のひよこでしかなかったのであるが、様々な経緯を経て、大きな鶏になり、3回肉食獣の餌とされる機会がありながらも、不思議に食べられることなく生き延びた鶏である。そのことが世上の噂となり、飼育員も「まさひろ君」と呼ぶようになり、生き餌にすることをやめ、多くの人がまさひろ君を観にくるようになったという。アダムの裔にとっては、これも、固有名詞と普通名詞には、何か不思議な違いがあると感じさせるストーリーではある。
天王寺動物園の正面 https://icotto.jp/presses/766 より
元生き餌だった、まさひろくん のお姿https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Masahiro.jpg より
Wikiにまさひろ君のページがあることには驚いた。
まさひろ君とピカソのゲルニカ
この部分のお話を聞きながら、西洋近代が目指したもの、モダニズムの世界とそれを突き詰めようとしたアメリカ型社会、そして、西欧近代を坂の上の雲として追い続けてきた日本という国とそこで起きたことに思いを巡らせていた。例えば、日本での召集令状、兵士を郵送コストである一銭五厘の存在と呼ぶ感覚、現代の拘束問題、就職活動における服装の没個性化問題、教育において個性の重視が叫ばれつつも、一方で高速で縛り上げる初等中等教育の問題、マスプロ教育から抜け出せない現代の中等高等教育の姿、非戦闘員にも爆撃し殺害しようとしたナチスドイツや米軍、また、日本軍の対民間人攻撃や、ナチスドイツのホロコースト、これらに対する固有性の問題として美術という形で声を上げたパブロ・ピカソのゲルニカなどを考えると、現代もまだ、多くの人を縛り続けているモダンの呪縛などを考えていた。
ゲルニカ市にあるパブロピカソ作のゲルニカの原寸大のタピストリーhttps://en.wikipedia.org/wiki/Guernica_(Picasso)#/media/File:PicassoGuernica.jpg
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さて、これまで、人とは何か、固有名詞を持つということはどういうことか、アダマー>普通名詞のアダム>個人名としてのアダムという形で進んできたこと、人は何者なのかをかたちを示すヘブライ語、ツェレムとデムート、そして、ノアの洪水と全焼のいけにえ、そして、最後に若い土地の問題を触れてきた。今日は、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教でその信仰の起点となる共通項、あるいは共通する人物であるアブラハムとそれが遭遇しそうになるカタストロフの話の部分である。いわゆる、神の矢、滅びの火がソドムとゴモラに対して発揮されたその前後の部分の旧約聖書の記述についてのお話と、まとめの部分として手島さんのご発題の前半部分としてのアブラハムについて紹介しながら、考えたことを述べていきたい。
アブラハムの登場
アブラハムは、先にも述べたように今、世界絵幅を利かせている(お騒がせしているという方が近いかもしれないが)宗教集団、キリスト教徒、ムスリム・ムスリマ(いわゆるイスラーム教徒)、ユダヤ教徒であれば、基本知っているはず、知らなければ潜り扱いされても何も言えない、というような超有名人物でもある。しかし、その人物については、謎がいくつもあるし、細かのことを気にしなければ、なんとなくユーフラテスの源流部分の周辺から、今のイスラエルあたりまで、遊牧民として羊を飼いながら、流れていった人であり、その中で起きた様々な事件が生まれ、それが今に至る、世俗国家としてのアラブ諸国とイスラエル、イスラーム圏に属する諸民族やイスラーム関係者とユダヤ人やイスラエル人との間の関係をなんとなく気まずくしているその原因の一端を担う人物の一人でもある。アブラム、アブラハムだけに責任があるわけではない。
アメリカ合衆国では、アブラハムの名前を持つ有名人は結構多い。いかにその例を示す。
アブラハム・リンカーン
確率論や二項定理で超有名人 アブラーム・ド・モアブル
Grampa Simpsonとしても知られるAbe(Abraham) Simpson II
さて、上記でお示しした人物の名の由来となったアブラハムについて、次のように手島さんはご発題になった。
創世記12章からは、アブラハムという固有名詞の人生の物語について聖書は語る。ここから、トーラーの物語は、宇宙的なマクロの世界の歴史からミクロな世界の歴史に向かって突き進んでいく。一見、宇宙的な、グローバルな関心、マクロ的な視野を失ったかのようにも読めなくはないが、実際的には、そうではない。
アブラハムの登場そのものが、実は宇宙的な関心と使命を帯びているのである。しかしながら、それまでの節やノア、アダムといった固有名詞のどれよりも唐突な登場となっているといえよう。というのは、「ノアはその世代において完全な義人であった」というような人物の評価、あるいは権威付けする根拠がアブラハムには存在しないからである。むしろ、最後の方に、神の使いは、アブラハムが真に神を恐れる人であること、イサクを捧げるモリヤの山で初めて告げるという記述になっている。ラビの聖書解釈では、この部分を補足するため、アブラハムに神は10の試練を与えられて、それらをクリアして特別の「神の友」になった、という理解を保有している。
したがって、ノアのように義人であるという紹介はアブラハムに見られない。このアブラハムに特定の紹介がないことが何を意味するかを考えてみれば、トーラーが固有名詞、個人名を尊重する立場をより徹底し、固有名詞、ないし個人名は特別の立派な徳を持つ人たちのみが名乗る名前というわけではないと主張しているようにも見なくもない。むしろ、トーラーの物語が、その無名の個人には通常ありえないような使命と約束「大いなる国民となし、祝福しあなたの名をたからしめ・・「全地の全家族はあなたによって祝福される」を与えるという時点で、明らかな天地創造に関するマクロ的、グローバルな視座の方向性が伺えよう。
ーーーーーーー
汝ら「われらの父にアブラハムあり」と心のうちに言はんと思ふな。 我なんぢらに告ぐ、神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給ふなり。(文語訳聖書 マタイ傳 3章9節)
ということになる。
神は、この石ころからでも起こせる人物をとり、「全世界の全部族が」創世記12章の冒頭部において、次のように言うのである。
爰にヱホバ、アブラムに言たまひけるは汝の國を出で汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さん其地に至れ
我汝を大なる國民と成し汝を祝み汝の名を大ならしめん汝は祉福の基となるべし
我は汝を祝する者を祝し汝を詛ふ者を詛はん天下の諸の宗族汝によりて福?を獲と
(文語訳聖書 12章1-3節
となっている。
ミクロレベル・メソレベル・マクロレベルと人間
この話を見ながら、実は、人間というのは、基本メソレベルで生きながら、ミクロレベル、メソレベル、マクロレベルを行き来するしているのが人間なのではないか、ということを考えていた。ミクロは、ある地球上の何丁目何番地レベルで個人名が特定されて生きる人間としての生き方であり、いわゆる関西で言う顔指す関係の中での生き方である。ある面、マクロはこの地球上に生きるという非常に大きなスケールの中での無名の存在として生きる生き方である。渋谷のスクランブル交差点を歩いていても誰にも気づかれない、という状態と思ってもらってもよい。誰にも気づかれずにひっそりと、埋没したまま生きる生き方である。
その無名性、匿名性の問題と、個人名との問題について、わかりやすく描いた映画に、新海監督の「君の名は」がある。あの作品は、埋没して生きる生き方と、固有名が特定されて生きる生き方の世界を現代と過去を超越させ、行き来させながら、匿名性の社会と固有名世界にある個人の違いとその結果生まれうる人間の関係性をある面、非常にうまく切り取っている作品であるとは思う。
新海作品のように、大都会で生きるとき、人は無名性の存在となりうる(それでも固有名は存在するが、そのウェイトは相対的に軽い)ものの、村社会や町内会レベルで生きるとき、または歴史的な悲劇、歴史的な出来事に遭遇し、中でも、大都市の生活者であっても、悲惨な出来事の犠牲者となるとき、人は固有名詞の存在となるということを示している。
新海監督の『君の名は』の予告編
【坊主バンド】の皆さんによる、「君の宗派は。」の『禅禅禅世』
ミクロレベルとマクロレベルでの固有名詞を持つ個人
人々がこういうマクロレベルの世界で活躍する、活躍した人々のことをどう考えているかは、酔っぱらいのおじさんがいるところに行くか、ワイドショーや井戸端会議の様子を見るとすぐわかる。どことなくふがいない普通のおっさんたちが、英雄や有名人のことを居酒屋で話題にし、ワイドショーを見ているレデーたちは有名女優や有名人の話題を面白そうに見ているではないか。まぁ、個人が個別認識され、固有名で特定されるようなミクロレベルで、個人のことを何のかんのといいうと悪口と思われたり、意地悪な人と思われるので、話題にしにくいというのはあるかもしれないが。
https://www.researchgate.net/figure/From-macro-to-meso-and-micro_fig1_242154775より
ちっちゃいおっさんとアブラハム
次回へと続く
]]>前回は、アダムとその末、とそれらの人々に使われている形が、日本語ではわかりにくいもののヘブライ語では、別物、あるものに関しては、影のような虚しさを思わせる形という語がつかわれており、もう一方は神の設計のデザインそのものに関する印象を持つ形であることを思わせる語がつかわれている中で、人はどのようなものとして創造されたか、そして、洪水物語への入り口となる部分をご紹介した。なお、これまでの復習、振り返りは、最後の部分につけることにした。
本日は、いよいよ、アダムーセツー…ーノアの系統に関する議論の部分を紹介し、人あるいは人間とは何か、いかなるものであるのかについてのご発題をご紹介する。まさに、本発題のクライマックスに向かっていく部分である。
アダムと土 再考
さて、アダムという固有名としてのアダム、人間を指すアダムという一般名詞がアダマー(土)を基に生まれ、それが、
土を指す普通名詞アダマー
→ 人間一般としてのアダムの定冠詞つき普通名詞アダム(ハ・アダム)
→ 固有名としてのアダム
と転換していくことについてのご発題については、これまでご紹介してきたとおりである。それを振り返るように手島さんは、アダムと土地、または土についての理解を説明された。
普通名詞の人間アダムと固有名詞のアダムは、それらは違う存在なのか?それとも同じ存在の中の二つの意識なのか?その点について、ラッシーのトーラー解釈では、アダムが作られた「土」はどういう土なのかをめぐって、二つの異なる解釈が述べられている。一つの解釈としては、アダムは世界中の「土」を集めてきて人を作ったというものであり、別の解釈としては、「私のために土の祭壇を作れ」と言われている土から作ったというものである。この面白い論争から、ヨセフ・ソロベッチクというユダヤ哲学者は、人間の中には、二つの起源が同居しているのではないか、ということを提案している。一つは、世界のどこにでも出かけていって死んで土になることができる、開かれた性質であり、もう一つは、そのほかの場所では生きられない、一つの特定の場所や関係性にのみ属して生きる性質である、と指摘している。その二つが同居していて、その異なる二つの概念が裂け目として人間の中には存在しているので、人間は結果的に弁証法的に生きていかねばならないことになる。この二つの概念を持つ存在が人間存在であるという。つまりこの「土 アダマー」の二通りの解釈は、グローバルな存在でありローカルな存在である人間についてであるという風にも言い換えることができるであろう。生まれながらに自己の内側に《裂け目》を持つ自覚が存在するということとは、すなわち普通名詞と固有名詞の両方の意識を引き受けてこその自覚なのだろうと解釈している。
Glocalと人間について思うこと
ここで、手島さんは人間には、二つの性質、すなわち、神のツェレムとしての性質あるいは性格とデムートとしての性質あるいは性格を持つということになるのだろう。手島さんの表現を借りるならば、《裂け目》ということとも関係している概念のように思う。しかし、それはさておき、この人間の二つの性質について考えれば、よくある言い方をすれば、人の中に個別性を重視する思いということになるのかもしれない。先に引用した手島さんのご発題の表現を借りれば、人の普遍性を求めるということは、世界中の土(すなわち、アダマー)を用いた性格、つまり普遍を求めるという性質、世界に出ていき、世界をかたち作るもの(それがいかに僅かであっても))という性質、あるいはコスモポリタン的性質と、その人固有の背景に生きるという存在であるという性質、あるいは固有の文化背景、民族的背景(エスノシティ)を持つ性質の2つの側面を持っているということであろう、と思う。
近代という普遍性、ツェレムが幅を利かせた時代
このことについて、先日、2つのまったく別のFacebookのグループでの議論を見ていてこのことを思い出した。
一つは、非暴力的コミュニケイションに関するグループでの議論である。日本では、わが国では、人はあまりに標準であろうとするあまり、他者の異なる考え方を受け入れかねるという部分があること、そして、近代社会の文化的背景に支配されているあまり、正しいことはよいことで、本当に正しいことは一つしかないというお考えに縛られているあまり、教会の中でも正しさ競争をする傾向があるということを思ってしまった。まさに、多くの人々は、普遍性と共通性の重視いう概念に捕囚されており、逃げ道がない状態になっている、つまり、個別性を持つ存在として創造されたデムートとしての神のかたちではなく、ツェレムとしての普遍的な量産品型の世界観に縛られているということを思い出した。
もう一つは、キリスト教の現代の理解について議論するグループでの話題である。そこでは、ポストモダン的な聖書の読みが議論になっていたのだが、ポストモダンをどう理解するのか、という話になっていった。それを読みながら、ポストモダンが論争を挑んだモダニズムは、人やキリスト者についても、同質性を暗に想定していること、つまり、近代のホモジニアス重視志向をポストモダンは批判の対象にしたといえるようにと思うのである。つまり、キリスト者とはかくかくしかじかでしかありえない、正しい聖書の読みはこれ一つであるというようなモダンな世界観を、ポストモダンの世界のキリスト者は批判的に見ているということが話題になり、現在はポストモダンの個別志向、その背景を含めた考慮が重要になっているのではないか、という議論である。
このことは、在外研究や、英語で日本の制度についての研究発表をすることや、論文を書く時のことを考えるとよくわかる。物理や化学、気象学、生物学などの研究発表では、基本的な構造は同質的であるので、観測される現象や、考慮すべき対象は同質的であるため、文化的背景や各制度の個別的背景はあまり影響しない。しかし、社会や個人を扱うものについて考えたり、発表したりするとなると、この辺が非常に強く影響する。理論経済学や、数理経済学での数式展開するような研究では、ある面同質的な人間を想像できるが、そうでない分野もある。
具体的には、普遍性が幅を利かせるアメリカ合衆国で研究や教育する問ことを考えて見た。自分が学として参加者や受講生に何が貢献できるのか、と問われれば、個人の文化背景、個人が固有に持つ特性を背景にして語る方がやりやすいということはある。ちょうど、日本人で世界に通用する神学者のお一人の小山晃佑さんがアジアを背景にせねばならず、水牛神学という、アジアを背景とした神学的思惟を述べざるを得なかったように。それが、ある面、固有名詞の世界で生きるということなのだと思う。
その意味で、世界中の土(アダマー)を集めて作られたアダムという考え方は、近代の普遍性に生きる存在としてのアダムであり、出エジプト記 20章 24節で言われている土で作られたとするアダムのことであるということなのであろう。
二種類のアダムが存在?
アダムは930年生きていた、というアダムの系図に関する記述があり、また、創世記記述では、洪水前は、むちゃく長寿な人ばかり出てきており、これが割と古くから議論の的になってきていた。本当にそんなに長生きしたのだろうか、という議論もあるし、いやいや洪水前は、水が覆っていたとすると放射線の一種の宇宙線や太陽風から地球上の生物を保護していたからだとか言いう創造科学の論者までいるが、その部分について、手島さんは次のように言う。
ところで、アダムを創造する際の土(アダマー)とはどのようなものであったのかという理解から、二つの異なる種類のアダムがあるのか?という新たな問いが出てくる。この問いは、ハ・アダムの寿命について120年と定まるという記述があるのに、アダムの系図の中ではアダムは930歳まで生きて死んだとなっている、という矛盾の指摘に対して有効な解決にも思えるが、一つのアダムの子孫の話を、トーラーはしているという解釈を選びたい。
義人ノアとその固有名
義人ノアと、ノアと比較対象となる洪水で滅ぼされた一般の人々ハ・アダムの人々との対比について、手島さんは次のように発題の中で触れられた。
それは、義人ノアは、洪水を生き延びるアダムの子孫になるのであるが、ノアに対して、神は「あなたと、あなたのすべての家族は、方舟に入れ。なぜなら、わたしは、あなたを、この世代の中で義人であると見たからである」(創世記7章1節)と言っている。つまり、この記述から僕は、ノアも神が洪水で全部消し去ろうとするハ・アダム普通名詞「その人」のグループ、あるいは集合に属するものであったことを知ることになる。というのは、ノア家族が救われるのは、神の側にノアを区別する個人的な理由があったということを意味していることになる。つまり理由なしには彼も彼の家族も一緒に滅びるはずだったと理解することができよう(ノアはその世代の中で完全な義人であった)。
他方、ハ・アダムは、自主的で能動的で主体的な存在であることについては、創世記6章12節「神は地上を見た。するとそれは破壊されていた。なぜなら、全ての肉は、地上での自らの在り方を破壊していたからである」という文言から直ちに理解されよう。さらに、その主体性について象徴的なの記述が創世記6章5-8節の箇所である。
以下、手島氏の創世記6章5-8節部分の翻訳を以下引用する。
ハ・アダムの悪が地上に拡大するのを主は見られた、そして彼の心の思考、その全ての衝動(כל יצר מחשבת לבו)は、一日中、悪のみであった。地上にハ・アダムを作ったことを主は後悔した。そして彼の心で悲しんだ。そして主はいった、この大地の上から、私が創造したハ・アダムを消し去ろう、それもハ・アダムから獣まで、地を這うもの、天の鳥までも。なぜならそれらを作ったことを後悔しているから。だがノアだけは、主の目に美しかった
最後の一言の「主の目に美しかった」という表現は、まさに普通名詞ハ・アダム一般、すなわち、当時の一般の人々と固有名詞ノアのコントラストを見事に表現しているといえよう(つまり、一般の人間集団はある種の思考の衝動を抱え、その衝動について一日中考え続けているのに対して、神の命令に対して一言も口を開かず黙々と実行する個人ノアの姿が対比として浮上することになる。
神として間接的に描かれているアフリカンアメリカンの俳優モーガン・フリーマンのセリフが印象的。
洪水後のノアの行為
ノアの人物像について、手島さんは次のようにお話になった。
ノアは、多弁な神の語りに対して一言も口を開かない印象が強いので、神に命じられるままに従順に従う人物、ある意味主体性ゼロのイメージがノアにはないわけではない。しかし、方舟から出た時に、ノアは神に命じられていないことをすることに注意は必要であろう。
それは、祭壇を築いて、方舟の中で共に生き延びた生き物の中より選んで、その生き物の血を流し、殺して神への燔祭(全焼のいけにえ あるいは ホロコースト)としたことです。神は、その時、燔祭から立ち上る煙の香りを嗅いで、自らの心にこう言います「私は重ねてさらに大地を、ハ・アダムのゆえに呪うことはしない。なぜなら、ハ・アダムの心の衝動は、その若い時より、悪だからである」これは、ある意味、大きな神の心境の変化ともとれなくはない、のである。
なぜなら、洪水の前は、神は、人間の心の思考、その衝動の全てが、一日中、悪であるから、ハ・アダムを地上から消し去ると言っていたわけではあるが、ノアが自ら燔祭を捧げるのを見ることによって、一転、主は人間の心の現実「若い時から人の心の衝動は悪である」を受け入れたと見えなくもない。
この部分の話を聞きながら思ったのは、ある意味、洪水前はノアは神の言うとおり、マニュアル通り実行した、現代英語で言うDummy、愚かな間抜けな、言い方を変えれば愚直なマニュアル人間のような人物であるように思える。その意味では、現代の技術者が仕様書が来たら、仕様書通りに何か作り上げるような人物である。その意味で、先に挙げた動画、Evans Almightyの上側の動画の中に出てくるArk Building for Dummies (サルでもわかる箱舟の作り方)をそのままやるような人のようにも見える。
アメリカ版「サルでもわかる」シリーズ … for Dummies
ヘブライの伝統では、人間の血はもちろんのこと、動物の血でも流されることに禁忌があり、動物のさっ処分の仕方、つまり血が流される方法論についても厳密な規定があり、食物はすべからくそのような方法論で処理されていないと食肉として供されないということに一応なっている。しかしながら、一応なっているというのは、そうでなくても構わない、厳格派ウルトラコンサバティブ派のユダヤ人のようにうるさいことを言わないユダヤ人もいる、ということであり、ユダヤ人といっても様々なのであり、一人は二人くらいのユダヤ人の言うことをありがたがって聞くことには問題が多いのである。ユダヤ人だって、いろいろ、ヘブライ語聖書の解釈だって色々、それが討論しながら、考え続けるという習慣がヘブライの伝統であるとだけ、ここでは述べておこう。
血が流さることの重層性と和解
さて、ヘブライ聖書の世界では、血を流すことに関する忌避感があることはすでに述べたとおりであるし、諸書(トーラーと預言者の書以外)に含まれるダニエル書(ダニエル書はヘブライの伝統ではネイビーム、預言書に含まれず、諸書、すなわちケトビームに属する)では、ダニエルは菜食主義的な食事で何も問題がなかったと書かれているほどである。ヘブライの伝統では、神が与えらたもうたいのち、すなわち、息、あるいは息吹を奪い去ることを忌避し、とにかく流血を忌避するのである。ヘブライのラビたちは、善きサマリア人が救助した人、めったうちにされて息も絶え絶えな人ですら、忌避する人々なのであり、戦争している地域、流血事件が起きている地域の上空を飛行機やヘリコプターで通過することですら気にする人々なのである。
しかし、洪水の後、ノアは生き残った動物の中から、それを殺し(血を流し)、そして、全焼のいけにえとしてささげていく。このノアが捧げた全焼のいけにえについて、手島氏は次のようにご発題の中では話された。
確かに、ノアの行った燔祭の行為は、神が最初に考えていたアダムの菜食中心の食生活について、肉食の可能性を引き出すことになる。この肉食に対する、神の持っていた抵抗感は、生き物を殺す時に血が出る、その血が「生命・息」であるからである。想像するのであるが、これは、アベルの血が大地のなかから叫ぶという神のトラウマの記憶に由来するとも考えられるかもしれない。
神は、ハ・アダムの悪それは人間を創造する際の材料「大地」そのものに原因があると考え、大地を呪うのである。そして、一般名詞としてのアダムに対して、アダマーはお前の故に呪われたではないか、と創世記3章17節でいうわけである。しかし、これでは、一体、誰が呪うことになるのであろうか?呪う主体は誰かが明確ではないことになる。しかし創世記5章29節を見るならば、主が呪われた大地という記述となっている。これらの記述から、すぐで生起する素朴な疑問として、なぜ神はアダムを呪わなかったのかという疑問も生まれてくることになるが、この因果関係の考え方は、アダムはアダマーから、という普通名詞での想起に由来する、といえるかもしれない。
この話を聞きながら、聖書は、同じような出来事を重ねていくという傾向がみられる。例えば、イエスの十字架は、過ぎ越しの祭りと重なり合っている。イエスの軽視が起きたのは、仮庵の祭りでもなく、過ぎ越しの祭りで、イスラエルの出国にあたってエジプトで多くの血が流されたこと、出国にあたっては傷のない子羊が殺されたこと、イエスが、見よ神の子羊と呼ばれたこと、これらすべてが重なり合っているのであるし、また、アブラハムがイサクをささげようとしたこととも重なっているのである。こういう重複関係が聖書を読む醍醐味であり、単純に聖書に出てくる順序で呼んでいたのではわからないことがあるのである。ことに、今の日本語聖書はローマカトリック教会由来の聖書であり、ヘブライ語聖書の編成とは大きく違っているのであって、編成が違う以上、それから生まれる読みも違ってくる。
空手チョップで天使がアブラハムによるイサク殺害を阻止したという絵画ではない
それはさておき、神の呪いの問題は、結構重要なのであり、戦争であれ、殺人であれ、流血を神は望んでいないにもかかわらず、創世記では、流血の惨事が、殺人という惨事が、かなり早い段階で、アベル殺害事件として出てくるのである。
カインによるアベルの殺害事件は、人類史上初の殺人事件ということになっているが、そもそも、創世記自体、結構血なまぐさいし、人間のどろどろした部分が出てくるのである。これもまた、われらが、アダマーで作られたアダムの末に過ぎず、そもそもどろどろした土くれに過ぎないのかも、ということを示しているのかもしれない、とは拝聴しながら思った。
しかし、イエスの十字架といい、ノアの全焼のいけにえといい、全焼のいけにえといい、旧約聖書の世界では、和解のために血が流されるということを考えると、複雑な気持ちになる。それは、それを神が望んでいるというよりは、ひょっとすると流血が起きる以上、流血に関する和解、神との和解が必要になる、ということを示しているのかもしれない。
これまでの復習
これまでは、第1回
ということで、シンポジウムの概要と、手島さんの発題の位置づけ、関心の背景とカタストロフ、現代におけるコンピュータ利用の結果としてのカタストロフ預言としてのローマクラブの成長の限界、人口爆発などの概念があること、旧約聖書のヘブライ伝統の中での読みの基本について触れ、続く、第2回では
では、講演の概要とその構造、聖書の読みと聖書信仰という個人が聖書を読む故に発生したプロテスタント固有の聖書をどう考えるか問題について触れ、創世記の冒頭部の構造が、宇宙創造についての展示がある自然史博物館に行ったつもりが、いつの間にか、気が付いたらイスラエルの歴史民俗博物館状態になっていたことを手島さんのご発題に基づきながら述べた。
そして、第3回としては
では、ヘブライ語の定冠詞ありとなしの名詞の違い、それが神理解にどのように影響し、それが創世記の理解にどのような影響を及ぼすのか、特に「光あれ」と神が宣いしときの光と、その次の節に出てくる「その光を見て良しとされた」の時の光では、定冠詞の有無があることなどを説明し、ヘブライ語名詞と定冠詞を意識して読むことの重要性について、手島さんの発題をご紹介しつつ、思うことを述べた。
さらに第4回の
では、アダムの創造、そして、その呼ばれ方の違い、固有名で呼ばれること、固有名の意味、固有名を付けることの意味、それを数値表現すること、そして、人を知ること、神を知ることの重要性について、手島さんのご発題を基に、関連する情報を集め、思うところをご紹介してきた。
第5回では、
アダムとハ・アダムで、アダム理解の変容を述べ、また、聖書の多言語への翻訳の限界と翻訳聖書から導かれる聖書信仰限界について、日本語では訳出するのが困難な、神のかたち(ツェレムとデムート)の表現の問題をお話しし、現代のカイン系の人々とツェレム・量産型に関する問題をお話しし、セツ(セト)系の人々とデムートを考えたうえで、具体的人物例で考えるツェレムな人と、デムートの人の違いを述べた。
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これまでは、第1回
ということで、シンポジウムの概要と、手島さんの発題の位置づけ、関心の背景とカタストロフ、現代におけるコンピュータ利用の結果としてのカタストロフ預言としてのローマクラブの成長の限界、人口爆発などの概念があること、旧約聖書のヘブライ伝統の中での読みの基本について触れ、続く、第2回では
では、講演の概要とその構造、聖書の読みと聖書信仰という個人が聖書を読む故に発生したプロテスタント固有の聖書をどう考えるか問題について触れ、創世記の冒頭部の構造が、宇宙創造についての展示がある自然史博物館に行ったつもりが、いつの間にか、気が付いたらイスラエルの歴史民俗博物館状態になっていたことを手島さんのご発題に基づきながら述べた。
そして、第3回としては
では、ヘブライ語の定冠詞ありとなしの名詞の違い、それが神理解にどのように影響し、それが創世記の理解にどのような影響を及ぼすのか、特に「光あれ」と神が宣いしときの光と、その次の節に出てくる「その光を見て良しとされた」の時の光では、定冠詞の有無があることなどを説明し、ヘブライ語名詞と定冠詞を意識して読むことの重要性について、手島さんの発題をご紹介しつつ、思うことを述べた。
さらに第4回の
では、アダムの創造、そして、その呼ばれ方の違い、固有名で呼ばれること、固有名の意味、固有名を付けることの意味、それを数値表現すること、そして、人を知ること、神を知ることの重要性について、手島さんのご発題を基に、関連する情報を集め、思うところをご紹介してきた。
今日はアダムとその末、人はどのようなものとして創造されたか、そして、洪水物語への入り口となる部分で重要な部分であるので、参考になる本や雑誌の紹介多めである。
アダムとハ・アダム
創世記は同じ人間創造の話を2回しているわけではなく、第1章は普通名詞ハ・アダムの創造を語っており、2章から4章までの記述は、その普通名詞のアダムがどのように固有名詞アダムに徐々に展開しているのか、あるいは展開していったのかについてのそのプロセスを語ろうとしているように見える。
しかし、同時に、創世記1章と創世記2章から4章のテキストの記述の細部を比べると、普通名詞のハ・アダムと固有名詞のアダムは、同じ個体、個人、対象におきた意識の変化ではなく、そもそもハ・アダムとアダムは別々の種類ではないのか?と考えたくなる理由があること、すなわち、創世記1章26−27節のハ・アダムの創造の話は、「我々にかたどり、我々に似せて(בצלמנו כדמותנו)」つくろうと、一人称複数の形(ツェレム)と言う語と、似姿(デムート)の両方に言及しながら、実際に創造されたときのハ・アダム(=その人)は、三人称単数の神の形(ツェレム・エロヒムבצלמו בצלם אלהים)そのものとして造られた人間であって、そこには「私たち(神)の似姿(デムート)」という要素がないことを、手島さんは指摘された。
この神のかたち問題に関しては、何年か前に新教出版社の『福音と世界』で特集が組まれていた。その号は手に入れそびれたので中身を確認はしていないが、ミーちゃんハーちゃんとしては、この神の「かたち」、ツェレムなのかデムートなのかをきちんと分けて議論することの重要性があるように思うのである。日本語聖書では、一応、神のかたちと神の似姿と分けてはいるものの、通常の日本語翻訳を読む時にその差は余り明瞭ではない。このあたりが、聖書の字義通り解釈と言いながら、日本語版の翻訳聖書による字義通り解釈の限界である。翻訳者の方としては、明確にツェレムとデムートを意識して訳し分けても、その役を読む側の普通の日本人では、そのツェレムとデムートの言語における語義の差を日本語テキストからだけ読み取ることはかなり難しい。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00JU52AMC
この辺が、聖書信仰と聖書のテキスト解釈問題である以上、日本語による字義通り解釈には、自ずと限界があるという印象は拭えない。字義通り解釈を振り回したい方は、ぜひとも、ヘブライ語なり、ギリシア語なりによるテキストの字義通り解釈にお取り組みいただきたいが、それでも、使用する辞書と辞書の運用能力により制約を受けるということだけは、申し上げておきたい。
辞書とことばと他言語でのテキスト
ところで、創世記5章1節の記述によると、手島による個人訳であるが、「これはアダムの系図の書である。神がアダムを創造された日、神の似姿(デムート・エロヒーム)でこれを造られた」となっている。そこには創世記1章での記述である「神の形(ツェレム エロヒーム)」への言及はない。むしろセツの誕生についての記述で、セツはアダムの形の似姿「בדמותו כצלמו」で生まれてきたという表現となっており、創世記1章の表現「בצלמנו כדמותנו」(私たちに似せている、私たちの形で)とは語順が逆となっている。
さらに、創世記5章から始まるアダムの系図では、最初から神が固有名詞アダムとして命名していて、定冠詞を取らない。つまり、この5章に記載されている固有名詞アダムの系図は、神の「デムート」(似姿)の継承の系図であると言えよう。しかし、一方、創世記4章のカインの系図つまりハ・アダムの系図は、神の「ツェレム」(形)の継承の系図と言えるかもしれない。
なお、ヘブライ語においては「ツェレム」は、金属や木材などで作る偶像のことも意味する。そのニュアンスには物質的な形であり、また大量に生産できるものという含意もある。他方、「デムート」の意味は「何かが何かに似ている」相似的なニュアンスなので、目には見えない性質や印象などが似ているというイメージの話と言えよう。ですから、トーラーの考える「神に似せて作られた人間像、人間理解」には、2系統、すなわち形(ツェレム)とイメージ(デムート)の2種類があって、それぞれの意味に従い、それぞれの系図に特徴が出ているとも理解可能である。
上記のような手島さんのお話を、ミーちゃんハーちゃんが聞きながら何より面白いなぁ、と思ったのは、創世記4章のカイン系統の系図に属する人々、ここでは、一般名詞としてのアダムに、定冠詞のついた「ハ・アダム」系の人々で、ツェレムのイメージが付きまとう人々と、創世記5章に出てくる系図に属する人々、つまりノアの系譜につながる人々で、扱いが違うのかもしれない、という点である。
手島さんのお話にもあったように、ツェレムはイメージというか見た目、ぱっと見の印象、あるいは見かけ、そこはかとない空虚さという雰囲気が漂う語という印象があることに対し、デムートというヘブライ語の中には、等しいものとか、そのように計画されたもの、という本質的な部分があるような印象があり、と思ったのである。つまり、ツェレムとは、そこに息吹がないとする偶像、量産品というイメージがあるのが面白い。量産型ガンダムみたいなものなのかもしれない。要するに十羽一絡げされる存在、雑魚っぽい存在を示す語がツェレムのようである。この雑魚っぽいパリピのような人々の末裔は、洪水に飲まれていくという記述になっているのである。
まことに人は影のように、さまよいます。まことに彼らはむなしい事のために騒ぎまわるのです。彼は積みたくわえるけれども、だれがそれを収めるかを知りません。
トヨタ ノア
創世記理解に重要な名著
https://www.amazon.co.jp/dp/4264033403 より
その意味で、我々は、神のデムートとして造られたのであり、神のデムートとして、天において神のみ思いがなるように地においてその御思いを現実のものとするよう、それぞれ個別の性質を生かしつつ、神とともに、そして、人々とともに、生きるものとして招かれているように思うのである。それを、神の御座を簒奪し、手前勝手に神から離れて生きること(これが罪そのもの)を求め、影のようなもの(ツェレム)を求めて生きるようなものとしてではなく生きることを求められているのではないか、と思うのである。
具体的人物例で考えるツェレムな人と、デムートの人
さて、ミーちゃんはーちゃんが思ったこと、それと関連した本の紹介をしたところであるが、そのことを聖書のより具体な人物の例を取り上げながら、手島さんは次のように説明された。
例えば、神のツェレムとして創造されたハ・アダム(その人)には子供カインが生まれる。このカインは弟アベルを殺し、主の前から追放されるのである。そのカインに始まる系図に、文明都市を建てるもの、牧畜の父、音楽楽器の父、青銅器・鉄器の父らが生まれてくることが創世記4章においては記述されている。それに対して、創世記5章では、神のデムート(イメージ)として造られたと述べる創世記5章に始まる先程の固有名詞アダムの系図は、すぐにセツへと続き、カインとアベルの記憶は系図からは消えている。そして、この創世記5章のアダムからセツへと続く系図には、例えばエノシュの生まれた時から、主(Y H W H)の名前を呼ぶことが始まったという記述、またエノクという神と共に歩き、死を見ずに神の御許に挙げられた人、そして悲しみから私たちを慰める人と期待されて生まれたノアなどが含まれている。いわゆる神との関係が近い、精神的で信仰的な人たちの系図のように見える。
こういうお話をお伺いしながら、ここでも、技術志向的なミーちゃんはーちゃんのようなカイン系のツェレムな人は、早々に消えるべき、消えたほうが世のため、人の為となる人々の系図なのだろうなぁ、とは思った。
それはそうである。何か聞かれたらすぐに、「技術的には可能です(=倫理とか、悪影響とか、費用とか、法律とか全部無視していいのなら、技術の問題としては確実に実現できます)」とか「想定外のパラメータでした(=設計要件書で指定された、パラメータ指標値がむちゃくちゃなのはある程度わかっていましたが、それを決めるのは、私の責任ではなく、発注者側が悪いので、私は悪くありません。私は技術者として、やれ、と言われたことをやっただけで、その結果が悪かったのは発注者側の責任です)」とか、さも当然のようにして簡単に言えてしまい、挙句の果てに、ろくでもないことをしでかしかねないのが、このツェレムな人であることは、自分自身がそうなので、そのことは良く知っている。であるからこそ、毎週2回は教会に行って、聖餐にあずかる前に自らの罪を告白し、悔い改め、神との和解が必要であることは嫌というほど認識している。
『技術的には可能です』ということの技術者の真意 理解されないことが多い
これに対して、デムートな人たちは、神との関係を求め、神が本来人間に与えたもうた、ウェストミンスター寺院の西側の壁にかかっている現代の殉教者の皆さん、例えばマキシミリアノ・コルベやデートリッヒ・ボンフェファー、エリザヴェータ・フョードロヴナ、あるいは、オスカー・ロメロのような神が人間に与えようとし給う、その本質・神の子としての姿・天の国をこの地において実現する人の姿であるように設計されたものとしての姿を見せる人々のようである。
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前回までは、
ということで、シンポジウムの概要と、手島さんの発題の位置づけ、関心の背景とカタストロフ、現代におけるコンピュータ利用の結果としてのカタストロフ預言としてのローマクラブの成長の限界、人口爆発などの概念があること、旧約聖書のヘブライ伝統の中での読みの基本について触れ、続く、第2回では
では、講演の概要とその構造、聖書の読みと聖書信仰という個人が聖書を読む故に発生したプロテスタント固有の聖書をどう考えるか問題について触れ、創世記の冒頭部の構造が、宇宙創造についての展示がある自然史博物館に行ったつもりが、いつの間にか、気が付いたらイスラエルの歴史民俗博物館状態になっていたことを手島さんのご発題に基づきながら述べた。
そして、前回、
では、ヘブライ語の定冠詞ありとなしの名詞の違い、それが神理解にどのように影響し、それが創世記の理解にどのような影響を及ぼすのか、特に「光あれ」と神が宣いしときの光と、その次の節に出てくる「その光を見て良しとされた」の時の光では、定冠詞の有無があることなどを説明し、ヘブライ語名詞と定冠詞を意識して読むことの重要性について、手島さんの発題をご周回しつつ、思うことを述べた。
さて、今回は、人間の創造とグループとしてのアダマーから作られた人類を指す一般名詞としてのアダムと、固有の人格と存在を持つものとして認識された結果としての名前としてのアダム定着、創世記の記述の中での名前の位置づけについて、手島さんの発題を基に考えてみたい。
ミケランジェロ作天地創造 Credit : Wikimedia Commons
William Blake, Elohim Creating Adam, 1757–1827 Photo ©Tate
https://www.tate.org.uk/art/artworks/blake-elohim-creating-adam-n05055
以下の説明をお読みいただけるとご理解いただけようが、創世記のアダムの創造記述について、Tate美術館収蔵のWilliam Blakeの アダムの創造の画像表現のほうが、個人的にはヘブライの読みに近い気がする。
姿形の名前のアダム(人々、人の総称)と骨の名前のアダム(個人名としてのアダム)
これまでご紹介してきたような前置きを部分の説明をされた上で(実にヘブライ的というか、トーラー的というか)、手島さんはさらに、アダムの問題、アダムとはそもそも何者か、そもそもいかなるものであるのか、ということを創世記(ベラシート)から考えた結果を次のように手島さんは、ご提示になった。
ヘブライ語の文法学者の視点から、人間創造の物語も読み直すと、1章ではアダムは普通名詞(人間)として描かれていることがわかる。つまり、「さあ私たちは、アダムを作ろう、我々の形で、我々に似せて」と言ったのちに、「神はご自分にかたどってその人(ハ・アダム)を創造された」と特定する定冠詞を与えている。その定冠詞の有無についての事情は、第2章でも同じ構造を持っている。つまり、まだ人が存在しないと述べている創世記2章5節では、定冠詞付きの特定すべき存在の「アダム」ではなくて種類としてのアダムであるため、定冠詞はアダムの前についてはいないが、その後、創世記2章7節で神が土(アダマ)から人を作った描写になると、それは特定できるので定冠詞をとり「ハ・アダム(その人、そのアダム)」となっている。
この部分を聴きながら、ミーちゃんはーちゃんは、人間とは何者か、キリスト者とは何者なのか、ということを改めて考えた。所詮、人間は土であり、人間は地の塵に等しいものに過ぎないということがヘブライ語とその言語で語られれている創世記、あるいはベレシート、あるいはトーラー、さらに、トーラーがヘブライ語で読み上げられる朗読そのものの中にある、ということを思うと、このことは極めて重要であると思うのである。つまり、この創世記1章、2章の話は、アダマ ー アダム ー ハ・アダム という構造があるのである。朗読を聞き、その音を聞いて、聞かされて初めて分かる聖書の内容もあるのである。その意味で、日本語テキストをいくら上へ下へ、あるいはどうひっくり返して、日本語でテキストをどう切り貼りしたり、ぐるぐる日本語でテキスト回しても出てこないものがあるように思うのである。
元々、聖書は、旧約聖書であれ、新約聖書であれ、個々人が個人的に読まれるテキストでもなく、シナゴーグ、あるいは神殿で、声を出して朗々と大きな声で人々、民に向かって読み上げられるものであったのである。少なくともヘブライ語やギリシア語のテキストについては。以前も触れたが、イタリアのアルド社やアントワープの出版業者が書籍を大量印刷するまでは、聖書は当然のこと、他の書籍も個人が手にすることはなく、個人としての聖書の向き合い方は、聖書は教会ないし会堂で、聞かされるものであったのであり、個人が聖書やそのほかの書物を小金持ちのインテリゲンちゃんである個人が、かなり自由に読むようになったのは、少なくともこの300くらいの出来事であり、庶民が自由に聖書やそのほかの書物を読むに至るのは、富国強兵政策の一環として初等学校制度が整備され、文字が個人が読み書きできるようになってからである。
人類創造譚が二系統必要なわけ
この特定の人物として個別に認識される創世記の2章の「ハ・アダム」という語は、ラビの解釈の体系では、1章の「ハ・アダム」と結びつけ、この1章と2章のそのアダム(ヘブライ語で[ハ・アダム])が指し示されている存在あるいは対象を同じ個体と理解する。つまり創世記1章のハ・アダムとは男女が合体している種類の個体として認識しており、創世記2章では、その合体しているハ・アダムが「男」と「女」に分解されて認識されるという構造を持っていることを意味する。つまり創世記1章では普通名詞のエロヒム(一般名称の神)が、抽象概念としての一般的な人間というグループの存在に関する基本設計、すなわち青写真を創造(デザイン)し、創世記2章においては固有名詞の「主」(聖四文字、アドナイ・エロヒム)と呼ばれる存在が、土(アダマ)と呼ばれる物質で人間の個体を創造し、土塊から造った「ハ・アダム」の鼻に「生命の息ニシュマット・ハイム」を吹きこみ、地上を歩く生きる者にしたと理解される構造を持っていることになる。
この話を聞きながら、創世記の第1章は、「姿形の名前」の世界での創造が述べられ、あるいは、一般論、一般名詞の世界認識での創造が神(エロヒム)による一般的なオブジェクトをどう想像したのか、あるいは、その一般的なオブジェクトの設計論についての創造を語り、創世記の第2章では、それでは「骨の名前」の世界、すなわち具体論、個別論の世界では創造をどうようなものであったのか、という個別具体の世界の議論をしていることになる。なるほど、それなら、なぜ、二系統の世界創造譚、人類創造譚が並立して存在するのかに関して、長らくキリスト者をしてきたが、年長のキリスト者の解説から、えらい神学者の解説やら注解書を紐解いては着たもののの、一般名詞と固有名詞での議論と分けて考えるという手島さんのご発題を聞いて、なるほど、そうなのか、と実に明確になった。
創世記における固有名詞の登場の歴史的展開
ここで新共同訳聖書を注意深く読む人は、なぜ「人」と普通名詞で訳されていたものが創世記3章の途中から急に「アダム」という固有名詞に変わるのだろうか?疑問を持たれる方もあろう。しかし、翻訳者を責めてるには及ばず、事実、70人訳のギリシア語創世記でも「アンソロポス」(ギリシア語で「人間」の意)と訳していたものが、突然に創世記2章の半ばで固有名詞「アダム」に切り替わるのである。ヘブライ語の原文は創世記2章においても創世記3章においても実に固有名詞と普通名詞の区別は一貫しており、「ハ・アダム」=「その人」と訳すべきものではある。しかし、さらに注意深くヘブライ語原文を観察すると、神も徐々に、固有名詞のアダムを意識し、ハ・アダム(その人)も、徐々に固有名詞としての使用、固有名詞の世界観の必要性を示すような展開になっていることが想起することも可能である表記とも読める。
極め付けは、エデンの園を出るときの記述であり、「ハ・アダム=その人」は、彼の女(妻)をハヴァと呼んだとの記述がなされている。普通名詞「イシャー=女」とその対象を呼んだ、それを呼ぶための語を指定した張本人である「ハ・アダム」本人が、それでは満足しなくなっていることを示している。それから以降は、ハ・アダム(その人)に生まれてくる子供たちは、固有名詞(カイン・アベル)を付与されることになり、それが一般的な表記法になる、と手島さんは述べる。
サザエさんで考える固有名を付ける意味
さて、ミーちゃんはーちゃんが思うに、この固有名の認識、固有名の利用という概念は、きわめて重要なのである。なぜ、漫画サザエさんに出てくるネコは、「タマ」なのか。なぜ、タマと名付けたのかのか、誰が名付けたのかということに何らかの意味があるを考えるからである。サザエさんは、長谷川町子女史による被造物であるが、その被造物の中の人物のだれがまた、長谷川町子女史による磯野波平一家に居遇する白猫にタマという名前を付けたことになっているのか、ということを考える問題と等しい。現代に生きるサザエさんの物語の世界の外側にいるブラウン管の外でサザエさんというアニメを客観的に見ている人間の世界で論理の世界で考えれば、あの白猫に「タマ」と名付けたのは、長谷川町子女史ということになるが、アニメの中の人物、例えば、タラちゃんの視線から、あの白猫を最初に「タマ」と呼んだのが、舟さんなのか、カツオ君なのか、あるいはサザエさんなのか、ワカメちゃんなのかは、かなりの問題である。誰がなぜ「タマ」と呼んだかによって、タマと家族、そして自分の関係がかなり変わることを意味するからである(以下の動画では、ワカメちゃんが、もともと汚い捨て猫であった、あの白猫がふとって丸々とした猫になるようにタマと呼んだ、ことになっている)。
タマが磯野家の一員になる際のエピソードとタマの命名由来に関する動画
タマという固有名を付けられる前は、タマは波平さんが言うように、白い小汚いやせっぽちの野良猫のうちの、単なる一匹の猫に過ぎないが、ワカメちゃんが「タマ」となずけた瞬間に、ワカメちゃんには特別な存在となり、他の猫とは明らかに異なる別の次元や価値を持った特定の猫、すなわち、かけがえのない「タマ」になるのである。
であるからこそ、名前は多くの文化で特別の意味を持つ。ヘブライの文化の名前では、名前に意味がある。例えば、日本語では、イエス(ギリシア語読み)イエズス(ラテン語読み)と呼ばれたり、ヨシュア(ヘブライ語読み)と呼ばれる名前には、「聖四文字(アドナイと発音するY_H_W_Y)なる方は救い」という意味があるのである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Dog_tag
なぜ、サンリオピューロランドのアイドルはキティちゃんで、ケティちゃんでないのか、その違いとは何か、というあたりの問いは、この辺極めて重要な哲学的な問なのである。その意味で、以下の2012年前後に流れた中古車販売業者のユーポスのCMは、極めて重要な問いを我々に投げかけているのである。被造物である人間であるデザイナーやCMディレクターが創造した被造物である、サンリオキャラクターの偽物本物の判別に関する我々の理解を問うているのである。
ユーポスの2012年のキティちゃんを使ったCMについての動画
人を知るということと、固有名詞
続いて、手島さんは、さて、アダム以降の個人名、固有名について、このアベルという名前をつけたのは誰かについて、議論を進めていく。具体的にアベルの名前を付けたのかは誰であるのかに関する聖書の明白な記載はないが、ハヴァかもしれない。というのは、カインの命名はハヴァによるものであると記載されているからである。さらに言えば、創世記における出生記述を見てみるとカインとアベルの出生譚に関するその描写である創世記4章1節では普通名詞「ハ・アダム」が固有名詞のハヴァを知って(親密な関係になって、性的交渉を持ち)、カインとアベルが生まれてくるとされている。
さらにアベルが、カインによって殺害された後に、再び生まれてくる子供にセトと名付けるのもハヴァである。彼女はアベルの代わりを得た新しい生命を喜んで命名するのである(創世記4章25節)。さらに、このセツが生まれる描写では、アダムの定冠詞はなくなり、「ハ・アダム」(その人)とは記述されなくなっており、アダムと言っても、「アダム」いう固有名詞を持つ個別の存在が彼の妻と知り合って(親密な関係になって、性的交渉を持ち)セツが生まれたと書かれている(同上)。実に、カインとアベルが生まれるときの描写でのそれは一般名詞の人(アダム アダマーから作られしもの、人の一般名詞として)記述されていることとは対照的に、固有名詞で記載されているである。
この記述を見ながら、ある本、J.I.PackerのKnowing Godという本の記述を思い出してしまった。というのは、日本語で「知る」というのは、単に「知識として知っている」という意味でとらえることが多いが、聖書、旧約聖書で「知る」という語が出てくるときには、かなり性交渉、性行為に関する概念と密接に結びついているのである。英語のknow も人格、人物について使った場合、単にその人がいるということを知っていることにならず、より深く人格的に、あるいはその行動パターンをかなり深く知っている、深い関係にある、という意味を持つことがあり、簡単に、I know him. とは気軽にいえず、I know her achievements. とか、I know her life style.とか言わないと、誤解を生みかねないのである。
この辺りの事情は、その昔J.I.Packerの『Knowing God』は、『神について』というタイトルで出ていたが、何年か前、『神を知るということ』という形で大幅に改定されて出版されている。新版は持っていないので、英語版と旧版(翻訳があまりよくないところもあるのだが)この中で、聖書、とりわけ旧約聖書におけるKnow(知る)ということを様々な事例を取り上げながら、説明している。そのことから、神を『知る』、神と深い関係を持ち、人格的な交わりのうちにある種の人格として神の存在をどう受け止めるのか、ということを、かなりみっちり記述していると思われる。少なくとも、原著英文では記載があったように記憶している。
いのちのことば社の通販サイトより
ミーちゃんはーちゃんが持っている和書ヴァージョンとデザインと同じもの
上の画像の英文を試訳してみよう。
神を知ることとと神について知ることの間には違いがある。もし、あなたが神を知っているとすると、あなたは神を礼拝し仕えたい(英語のServeは「仕える」という意味と、「礼拝する」という意味を重複的に持つ語である)というエネルギーを持ち、神についてともに語り合う勇敢さを持ち、神のうちにいることについても、満足しているのである。
なかなか、J.I.Packerは、うまいことを言う。なお、Packerは2020年に亡くなっている。一度会って話を聞いてみたい人であった。
ところで、手島さんの表現に戻れば、他者を人格的に知る、他者との個人的に深く知る、深い人間関係を結ぶということのためには、人格の存在が必要であり、さらに、その人格との対応関係にある固有名詞が必要なのではないか、と思う。その意味で、固有名詞を持つことの意味は大きいのだなぁ、と改めて思ったのである。
次回へと続く。
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前回までは、
ということで、シンポジウムの概要と、手島さんの発題の位置づけ、関心の背景とカタストロフ、現代におけるコンピュータ利用の結果としてのカタストロフ預言としてのローマクラブの成長の限界、人口爆発などの概念があること、旧約聖書のヘブライ伝統の中での読みの基本について触れ、続く、第2回では
では、講演の概要とその構造、聖書の読みと聖書信仰という個人が聖書を読む故に発生したプロテスタント固有の聖書をどう考えるか問題について触れ、創世記の冒頭部の構造が、宇宙創造についての展示がある自然史博物館に行ったつもりが、いつの間にか、気が付いたらイスラエルの歴史民俗博物館状態になっていたことを手島さんのご発題に基づきながら述べた。
「ベレシート」という朗読単位のテーマ
さて、創世記の冒頭部分、会堂での朗読順序における念頭に読まれる最初の朗読区分「ベレシート」は、創世記の1章1節「初めに、神は天地を創造された」に始まり、6章8節「しかし、ノアは主の好意を得た」で終わる朗読単位となっていて、この朗読単位、あるいは、この文学ユニットの部分を貫いているテーマは、ある意味では「人間創造の祝福と神の悲しみ」と要約することができるのではないか、ということを手島さんは、ご指摘になった。
もう少しうと、創世記1章では、神は人間アダムを創造したときに祝福して「産めよ増えよ」と人類が増えることを望み、あるいはそうなる、といい、そして人間を含め、全ての被造物をみて「とても良い」と言ったにも関わらず、6章6節になると「主は、地上における人の悪が大きく、心の思想衝動の全てが一日中ただ悪いだけであるのをみて・・主は人間を創造したことを悔いて、主の心は痛かった」という展開になることについて、手島さんはご指摘になった。このベラシートという創世記の冒頭から6章の末までの朗読区分において、当初、神は人類の存在を含め、すべてのこの地上の世界の有様を見て喜んでおられたのに、6章の末尾部分の記述では神は悲しんでおられる、ことに人間のなす悪を悲しみ、また、怒りに似た思いを神が持たれるという状況に変わっていることを手島さんは指摘された。
この部分を聴きながら、ミーちゃんはーちゃんが思ったのは、人が善悪の知識の実を口にし、中途半端に善を知り、また、中途半端を悪を知り、善悪両者を部分的にしか扱いえず、自分が見る範囲の中で、適当に善悪を判断するようになり、他者を否定する論理として何らかのものを善と設定し、その善と自らがするものに自らに重ね、他者を否定し、挙句の果てに、他者を切り刻むというろくでもないことをするようになった。それは、キリストが来られてからも続いており、キリスト者を自称するもの、キリスト教の神学生と称するものが自らを正義とするあまり、他のキリスト者をさも当然かのように切り捨てる言動をする、という殺伐とした雰囲気を漂わせるようになる。実に残念なことである。まぁ、そのようなことがノアの時代にも起きていたのだろう。まさに
曩に有し者はまた後にあるべし
曩に成し事はまた後に成べし
日の下には新しき者あらざるなり
罪が入ることとその影響はおそらく神はご存じ(神ならぬミーちゃんハーちゃんにはわからない)のうえで、神はそれでも人間にこの地をゆだねられたし、その上で、悪をもたらすようにハバ(あるいはエバ)と語らった蛇の行動を黙認し、そして、最後には、蛇にお前を後の日に滅ぼすという預言を残し、ハバ(エバ)には「出産時にやたらめったら苦しむし、夫はまともに相手しないし、ウエメセで物を言うようになるよ」、という女性にとっては、ろくでもない預言というか予告を神は言い放つのである。
ミーちゃんはーちゃんが思うに、ある面、神の悲しみは、人が神になろういう思いがよぎった瞬間、善悪の知識の身をとった瞬間に始まったのだと思う。それでも、「我は爾等を愛し、庇護する」と宣うのが神の愛なのだろうなぁ、と思う。こういうことを書くと、またパスターオーズが喜んで説教ネタとして使いそうであるが。説教ネタとしてパクったら、いかんとは言わん。事実なのだから。
神の名について
まず、人間、そして、人、固有名で特定された個人と神の対応関係、固有名を持たないもの、固有名として特定されてないマスとしての人間と神との関係ということを考える前に、そもそも、べレシートにおける神とその名を考えることが重要である、ということを手島さんは述べておられた。
よく言われる創世記、特にべレシートと呼ばれる部分について、かなり解釈が困難な問題、すなわち解釈問題として、創世記1章と創世記2章がかなり類似した内容でありながら、微妙に違う人間の創造の記述が2回繰り返される、ということをどう考えるか問題という解釈上の問題が存在することを指摘された。
近代の資料説に立つなら、このべレシートという部分で語られる物語に出てくる神の名前の違い(エロヒムについては、日本語で「神」と訳され、アドナイ・エロヒムは「主なる神」ないし、「主」と翻訳語が当てられている)を根拠として、これらの創世記1章の記述体系と、創世記2章の記述の体系の、二つはそれぞれ違う時代の無関係の物語資料(PとJE)であるとみなし、その順序に特別の意味は求めない、と資料仮説に立つキリスト教の学者が多いことについて指摘された。
さて、イスラエル人なら、みんな言える申命記6章の「聞け、イスラエル(ヘブライ音を無理にカタカナ表記すれば、シェマー・イスラエル)」で知られる部分には、このアドナイ・エロヒムが出てくる。以下の動画の冒頭部分の発音を無理やりカタカナ表記にすると、
シェマー・イッスラエール
アドナーイ・エロォーエーヌゥアドナーイ・エハァーッド
シェマーという祈り (シェマー・イスラエルの後に、アドナイ・エロヒムに関する語が出てくる)
さらに、中世のヘブライ文法学者は、二つの神の名前(エロヒム(日本語聖書の多くでは「神」と翻訳)とY_H_W_H(日本語聖書の多くでは、「主」聖四文字は口にするのがはばかられるので、アドナイと発音する。アドナイ・イルエ「主の山に備えがある」創世記22章が典型的にその読みで表現している))の違いがあることを手島さんはご指摘になった。
そして、エロヒム(日本語聖書の多くでは「神」と訳されている)という名前はシェム/トアル(普通名詞または一般名詞)であるが、Y_H_W_H(日本語の聖書では「主」と訳される)は、恐れ多くて、そのことばすら口にできず、発音できない神の本名であるシェム/エツェム(固有名詞)であるという区別があることを示していることを、手島さんは指摘された。この神の名称における一般名詞と固有名としての神を指示する語に区別があることは、ト―ラーの順序(多分ベラシートのみではなく、モーセ5書全体での聖書の読みの順序)を考えるのにとても示唆的であるとも述べられた。
日本語の特徴と『アドナイ』をどう表現するか
ミーちゃんハーちゃんが思うのは、この辺の固有名と一般名の区別というのは大事だなぁ、と思うのだ。日本語話者の文化的背景というか環境ではあまり意識することはないのだが、固有名と一般名を日本語ではあまり区別せずに利用する。例えば、日本語ではumiと発音する『海』という一般名詞があるが、それを魚が泳いでいる海で使うこともあるし、琵琶湖のような大きな水たまり、
ひろびろと水をたたえた所も『うみ』ということがある。近江(おうみ)という滋賀県を指す古い地域の名称(語)があるが、もともとは、近淡海(ちかつあはうみ)、すなわち青丹よし奈良の都に近い淡水の大きな水たまり(海 うみ)という意味の転訛した地名である。このように日本語の場合、個別特定をする際に形容詞+一般名詞で特定する傾向があるのである。富士山にしたってそうである。あれは、他に2つないという意味の不二(ふたつあらず)の山だから「倭の国に2つとない「ふじ(不二)」のやま」であるから、もともとは「不二のお山」と呼称・表記されていたはずである。
こういう言語形態であるので、聖四文字(Y_H_W_H)を呼ぶ際には、日本語ではいきなり「その神(The God)」とか「その主(The Lord)」とはならず、「主なる神」と名詞を形容詞化したものを神という名詞の上に付けて特定の神であるという形で特定の対象であるということを規定、特定するしか方法がないのである。
このあたりの言語の基本構造における大きな隔たりがある、ということを念頭に置きながら、そういう隔たりを含んだ形で日本語翻訳聖書ができているのであり、そのことは、聖書が読める、日本語聖書で聖書が理解できる、とご主張になる皆さま方は、十二分にご承知の上で、聖書を読み、解釈しておられる、ということはもう少し理解されたほうが良いと、ミーちゃんハーちゃんのような平信徒風情が言うのはいかがなものかとは思うが、個人的には思う。
「骨の名前」と「姿形の名前」
シェム/エツェムというヘブライ語は「骨の名前」があり、その意味は、英文法で言うところの、いわゆるproper name固有名詞にあたるものであると言える。他方、シェム/トアルは、「姿形の名前」という意味で、いわゆるgeneral noun普通名詞または一般名詞にあたるものと考えてよいであろう。どちらも私たち人間の日常生活に欠かせない名前の種類であるが、それぞれが内包しているインプリケーションには違いがあり、そのため、文法ルール、語用法にも違いが生じる。
例えば、シェム・エツェム固有名詞とは、ノアやアブラハムやサラのような人間としての個別の存在についての名前で、固有名詞で一人一人、別の存在として互いを認識して呼び合う名である。親子や夫婦や友達同士などの特別の関係性では、それ以外の存在を排除して区別し特定する点で、固有名詞は二人の中では互いを唯一な存在とみなす不思議で神聖な名前でもある。従って、固有名詞には単数しかない。唯一の、つまり数えられない、あるいは数値化できない個別の尊き人格ある存在に対する名前ということになる。
それに対してシェム・トアル「姿形の名前」とは、「〜ように見える」、つまり同じ姿形を持つ類型的存在をひとまとめにグループ化して総称として呼ぶ名前であり、基本的にグループ概念である。したがって、当然のことながら単数と複数が必要であり、テキストの分脈次第では、そのままでは何を指しているのかわからなくなるため、グループの中の個体要素を特定する定冠詞「ハ(ヘブライ語)」「その」(英語でいうThe)が必要になる。例えば、創世記1章3節での「神は言われた「光(ヘブライ語ではオール)」あれと、すると光があった」ここでは特定されていませんが、その後に続く創世記1章4節、「神は、その光(ヘブライ語では、ハ・オール)を見て、よしとされた」と、定冠詞をつけることで特定の光であることを表記している。
さて、光の定冠詞の有無について創世記1章の2節と3節の違いについて、手島さんは述べておられたので気になったので、ちらっと調べてみたところ、新共同訳、聖書協会共同訳、新改訳聖書第2版以降、新改訳聖書2017のいずれも最近出版された日本語聖書では定冠詞を訳出していないが、口語訳聖書だけは「その」とつけていて文語訳聖書は、これがまた定冠詞を訳出していないという事実がある。
そもそも、日本語には定冠詞に当たることばがなく「その」という指示語を無理やり付与して表しているものの、それは本来定冠詞とは異なるものなのである。しかし、そうでもしないと日本語で特定した光であることを示せないので、「それ」という語を補うしかないのである。
英国教会(CoE)伝統のLet there be light
最近の若者向けのLet there be light
次回、創世記冒頭3章に見る人間についての理解と姿形の名前(一般名称)、骨の名前(固有名称)から読み取れることについて、触れる。
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さて、前回は手島さんのご発題の冒頭部分で、手島さんのカタストロフのイメージとローマクラブの成長の限界とその背景、その後ろで動いていた計算機システムとそのモデルの特徴などを簡単にご紹介した。今回は、いよいよ、旧約聖書とその読み方について、ヘブライ的な伝承の中で、どう読んでいくのか、というあたりの部分について手島さんのご発題の要約を取り上げながら、ミーちゃんはーちゃんが思うことを述べてみたい。
今日はやや短め。
伝統的なヘブライ語聖書の読みとソドムとゴモラのものがたり
この手島さんの発題の前半部では
(A)朗読単位「ベレシート」と朗読単位「ノア」の対比、「ベレシート」(創世記1章1節から6章8節までの天地創造から始まりとアダムとエバの堕落、さらにカインとアベルものがたりなど)と「ノア」(創世記6章9節から11章32節のノアの物語からバベルの塔のものがたリ)にフォーカスして、人間創造の光と闇の二重性が洪水カタストロフと深い関係があることを前半で考慮し、
さらに後半では、
(B)「レフ・レハー」(アブラハムに、カランから出て行け、という召命を与えた創世記の朗読単位 創世記12章1節から創世記17章28節まで)という部分と「ヴァイェラ」(創世記18章1節から22章24節まで イサクの出生前後譚からソドムとゴモラ滅亡事件、ハガルとイシュマエルの追放事件などなど)という部分の二つに分かれる朗読区分からはアブラハムの物語が始まるのだが、なぜ個人の歴史にトーラーの物語がシフトしていくのか、その意義を旧約聖書の中でもかなり印象的なカタストロフ、大変化に関するソドムとゴモラの滅亡をめぐるアブラハムと神の対話から考えてみる
として、ご発言になった。
ところで、ソドムとゴモラといえば、ジブリ好きならご存じのようにジブリの天空の城ラピュタの中で、ムスカ大佐が天の火として紹介しているあのカタストロフである。
天空の城ラピュタの予告編集
トーラー巻物版と現代日本語聖書
多くの皆さまはある程度御存じとは思うが、日本語で翻訳された現在の旧約聖書には章立てや、その章の中の文章を特定するための節が、読者の便利、聖書研究の際の手抜きのために付されている。しかし、そもそも、巻物時代の旧約聖書にはそんなものは存在しないし、古代の新約聖書のギリシア語写本にもそんなものはない。
ミーちゃんはーちゃんが思うのは、そういう章や節で分断されてしまっている現代聖書、現代の翻訳語聖書を利用するのに慣れきってしまうと、誤解することもあると思うのだ。聖書の章や節といった文章の分断については、ある程度の配慮はあるとは言うものの、実体的にはかなり恣意的に付与され、テキストを分断する形で付与された章や節番号が付されている。また、あるいはあるタイプの聖書には付されている小見出しが付されている。これらの小番号、拙番号、小見出しを他よりに聖書を読むことに慣れ切った現代人のキリスト者は、特定の聖書の章や小見出しが付与されている日本語訳旧約テキストの塊の部分について、ある特定のイメージや理解としてとらえておられるかもしれないが、シナゴーグでヘブライ語でヘブライの伝統に従って聖書が読み上げられるとき(ヘブライ語聖書、トーラー・ネビーム・ケトビームの先頭文字をとってタナッハとも呼ばれるテキストがヘブライの伝統に従ってヘブライ語の音、息吹、声を通して読み上げられるとき)、そこに立ち現れる理解の姿は、現在のわれわれが日本語で読んで受けているイメージあるいは理解といったものとは、かなり違うように思うのである。
さて、旧約聖書の読み方の体系があり、それからカタストロフを考えたいというご指摘があった後、手島さんは次のようなご趣旨の重要な内容を述べておられたのが実に印象的であった。
私たちも、自分の価値観を一旦横において、その聖書の隠れた論理的な一面を学べるかどうか、そこが今回の狙いである。その点で、テキストの順序また段落(パラシャー)の尊重、分けても文字と母音記号、そしてヘブライ語文法の尊重が大事になる。その点でテキストを文字通り読もうとした12世紀の文法学者アブラハム・イブン・エズラの聖書解釈はとても参考になる。
何気ない主張に見えるが、これが根本的に重要なのである。実は、ミーちゃんはーちゃんのお友達のパスターオーズが聖書信仰についてのリプライ本に対するリプライ本とその電子書籍を出す画策をし、クラウドファンディングでやろうとしているのだが、ある面、上の手島さんのご発言は、聖書を文字通り近代人としての自己の論理に従ってのみ解釈した結果が唯一絶対の聖書の読みであり、それ以外を認めないということとは、果たして根源的に意味があるのかどうなのかを問うているのであり、聖書信仰主義者の人々、特にプロテスタント派の人々にあなたの読みは現代的な読みなのではないか、それでよいのか、というかなり根源的な聖書の理解についての課題を突き付けているように思うのである。
『聖書信仰』とトーラーの読み
なお、聖書信仰問題とは、最下部の関連書籍で紹介している藤本満著『聖書信仰 その歴史と可能性』が出版され、その数か月後、それに対する反論というかそれに対する議論を行うために、聖書神学舎教師会 編著で『聖書信仰とその諸問題』という書籍が出版され、議論を始めたものの、その後、なんとなく盛り上がらず、まともな対論になってない状態に現在あることである。そのような状況にあるので、調子をくれたパスターオーズがいつものノリと勢いだけでこの話題を再燃させようとしておられるようである。個人的には、『勝手にしはったらよろしいんとちゃいますやろか』という気ではいる。
なぜかというと、聖書朗読を毎主日に読み聞かされ、聖書朗読者からのThis is the word of the Lordという呼びかけに対して、Amenと応答する人間になったからであり、聖書は黙想し、神と対話するものであり、自分の勝手な論理で真偽を定めるための基礎テキストとして、人間が好き勝手にテキストを切り刻み、切り刻んだテキストをフランケンシュタインのようにくっつけ、フランケンシュタインのような聖書の再編集物を基にして得られる理解を、深めたり、擁護したりするためにでたらめに読んでいいテキスト、という代物ではない、と思うようになったからである。
ところで、なぜ、上の手島さんのご発言は、聖書信仰をめぐる議論が実質的に無意味とする発言だなぁ、と思ったかというと、それは『聖書信仰』にしても、その反論本の『聖書信仰とその諸問題』にしても、要するに、現代人の感性と常識と知識と理論体系、哲学的、神学的風景、あるいは、高々齢が80年程度の人間が持つ個人的なランドスケープのなかで聖書を読むことについての議論であるからである。
手島さんの「私たちも、自分の価値観を一旦横において、その聖書の隠れた論理的な一面」という表現は、土くれに過ぎない、あるいは地の塵に過ぎない人間が神のことばと論理に口をはさみ、現代人に語るためとはいえ、畏れ多くも神のことばを適当に切り刻み、現代人受けがいいようにどこか現代風に解釈しなおす作業をどこかでやっていないか、ということを思い起こさせ、ミーちゃんはーちゃんに反省を迫った表現であった。
ただ、現代人が現代日本語で翻訳された聖書を現代の文化的論理的社会的コンテキストの中で培われた自らの価値観でのみ読み解いて満足していないか、というご指摘であるように思う。土くれに過ぎないアダムの末、土でしかないものが、たまたま神の息吹がごくまれに通り過ぎるがゆえに、そのテキストから何らかの示唆を受けているにもかかわらず、自らの聖書テキストの読み方の限界があることを忘れてはならないのではないか、というご指摘である。
古代ヘブライテキストの多様な解釈の可能性の一つであるという理解の大切さ
もちろん、現代的な価値観で聖書テキストに向き合うこと、それ自体が悪いことである、とは単純には言わない。現代人にわかるよう解釈することは可能であるし、ヘブライ聖書が書かれたテキストになった段階で、それは致し方ないことなのである。事実、聖書はテキストになった瞬間に様々な解釈の可能性にさらされているし、事実、歴史的にはさらされてきたのであり、歴史の一時代に生きている人間が、その自分自身が持っている解釈、自分自身がおそらくこの辺が神の論理、神のみ思いではないか、と思っていることは、案外、しょうもないことで、数多ある解釈の可能性のうちの一つに過ぎない、という理解を持つことのほうがよほど重要だと思う。なぜなら、自分が理解していることだけが正しいとするならば、自らを神のみ座に置くことになり、とんでもない自己中心野郎、天動説野郎でしかないことであることを自ら暴露することになるように思うのである。我らは、所詮、そのような能力も権能も持ちえない神の息吹を日々吹き込まれなければならない存在であり、我らは神の養子として認められただけの存在であり、神ではないことをよく認識すべきなのではないか、と思うのだ。
映画『ノア 約束の船』を巡るあれこれ
何年か前にNOAH(邦題は『ノア 約束の船』)という映画があったが、国内では派手にこけた。いのちのことば社も後援されていたようであるが、いのちのことば社には、同社の書籍を愛してやまない一部の熱心なキリスト教徒の皆さまから、同映画内に進化論的な記述があるからけしからんという苦情も来たらしい。実に残念なことである。
あれはあれで、ユダヤ的な外典、儀典と呼ばれるユダヤの伝承に基づく理解を含めた的なまさしくトーラーの読みの朗読単位のベレシートとノアの朗読単位部分(創世記の初めから、ノア一族の洪水経験の終了まで)の一つの解釈、ヘブライの伝統に基づきつつ、ヘブライ語聖書テキストとの対話した結果を映像表現してみた結果なのであって、それが、いのちのことば社に苦情をつけた熱心なキリスト教徒の皆さまが持っておられる日本語聖書をその表面の文字を文字通りの表記を額面通り受け取った結果と違うからと言って、それを批判したり、あまつさえ、それを後援したいのちのことば社がけしからんというのは、話が違うし、論理としての次元が違うのではないだろうか、と、あの映画が上映されたころ思った。
先に、NOAHの映画をめぐって起きた諸々の一つとして、自己の聖書理解がすべての人に共有されるべし、聖書の特定の翻訳の字義通り解釈は唯一であるべし、と思い込むことがいかに恐ろしいことかについて述べたが、特定の聖書理解や、神理解、キリスト理解、そして聖書解釈を個人的確信としてある理解を持っているうちはいいが、その個人的確信を根拠に他者を切りまくり、他者をディスりまくるようになるというのは、実に残念なことであり、まさにトバルカインの技の悪用をした人々のごとき所業というほかない。
トバルカイン Wikipedia 英語版から
https://en.wikipedia.org/wiki/Tubal-cain#/media/File:Giohargius_Tubalcain_(cropped).JPG
ベレシート、またの名を創世記
ご発題の中で、創世記の初めの天地創造記述の面白さについて、手島さんは、トーラーは歴史的に一神教(アブラハム宗教)の最初の聖典と言って良いのだと思いますが、律法と法律風の名前でいわれながらも、その最初の法令(人間への具体的指示)は出エジプト12章1節まで待たねばならないことを指摘された。
なぜトーラーは法律というか人間への具体的指示事項、特定の行為の制限を教えるのに天地創造から始めるのか?(お友達の旧約学者から言うと長い長い前文を創世記はあえて置くのか)という素朴な疑問が出てくるのは理の当然であることを指摘された。
なお、キリスト者的立場から言えば、そもそも、イエスは、律法(トーラー)と預言者(ネビーム)は、「神を愛せ」「隣人を愛せ」と要約できるといっているにもかかわらず、なぜ、かくも長い前文に当たるアダムとエヴァの失楽園、カインとアベル、ノアと洪水の話、バベルの塔の話があり、系図の記述があり、疲れてしまったころにやっと、12章で神はアブラム(のちにアブラハムに改名)に声をかけ、約束の地に向かって出ていくわけことになるのが創世記の物語となるわけである。
そして、手島さんは、ここでもトーラーの読者は、一体それら人類や世界一般の話とアブラハムの登場にはどのような思想的関係性があるのか?ということになるというお話をされた後、いわば、トーラーの順序は、いわゆるユヴァル・ハラリの『サピエンス全史』のテーマから、ハインリヒ・グレーツの『ユダヤ民族史』という書籍の内容に急展開、無理矢理に移行、なだれ込んでいくような展開となっている。そして、自然史的な視点とユダヤ民族史のという二つのストーリーラインは似て非なる印象を与えることを指摘され、一見結びつけるのは非常に困難だろう、という印象を多くの人々に与えることを指摘されたのである。
しかしながら、これらの両者の間の共通部分をあえて取り上げようとすれば、「人間」「ヒト」概念ではないか、そこに微妙な違いがあるのではないか、というご指摘をなされた。
サピエンス全史
ユダヤ民族史
ハインリヒ・グレーツ
もう少しわかりやすく、たとえて話すならば、化石とか、鉱物とか、植生についての展示を見に入った自然史博物館に入ったつもりが、人間が行った行為についての歴史的展示物が並んでいる考古館や歴史民俗資料館、あるいは判例が並んでいる裁判所の地下書庫に入った感じがするのである。もっと平たく言うとマチカネワニの化石のレプリカを見るつもりで大阪市立自然史博物館に入って、ずっと順路にしたがって廊下を進んでいったら、なんと大阪城の天守閣の最上階に連れていかれた感覚、と言えば多少はご理解いただけるかもしれない。
大阪市立自然史博物館の画像 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E8%87%AA%E7%84%B6%E5%8F%B2%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Osaka_Museum_of_Natural_History1.jpg より
なお、マチカネワニとは、豊中市(関西人にはおなじみの地名、大阪大学の一部のキャンパスがあるのがトヨナカという地域ではあるが、これまた、難読漢字かもしれない、写真の豊中にルビが負ってあるので気が付いた)出土した古代のワニ化石である。これにちなみ、豊中(とよなか)市のゆるキャラは、マチカネワニくんである。なお、マチカネワニが出土した大阪大学の公式ゆるキャラは、ワニ博士であるらしい。豊中にはワニ料理を出すレストランもあるらしい。なお、ニューオーリンズあたりのアメリカ最南部で提供されるケイジャン料理の一部レシピには、アリゲイター科のワニを使うらしい。爬虫類一般の肉と同様に鶏肉のような味らしいが、食べたことはない。
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このシンポジウムに参加したのは、環境問題をキリスト者として生きる中で、どう考えるのか、ということが個人的に大きな関心がある事柄になっているからである。以前の福音派と関連の深いキリスト者集団(キリスト集会)にいるときは、そんなことは考えなくても済んだのであるが、聖公会の英語部に移り、毎年のように秋になるとCreationtideと言って環境の問題を祈りのうちに考える中で、自分の生き方、キリスト者としての生き方を考えるようになると、やはりまじめに考えないといけないよなぁ、ということを思うようになったこともあるし、先日の阪神宗教者の会での講演や、キリスト教と公共性研究会での講演会などの準備の中でも、この問題を地球の管理者の中でどう考えていくのか、ということは重要な問いの一つでもあるなぁ、と思っていたこともあった。
シンポジウムの概要
シンポジウムの報告者とそのタイトルは、以下のとおりである。
小島 毅氏 「儒教と国家権力、そして災厄」
葛西康徳氏 「宗教のサステナビリティ
——E.R. Doddsとギリシア宗教研究」手島勲矢氏 「トーラーに学ぶカタストロフとサステイナビリティ
——ノアとアブラハムの場合
第1発題者の小島さんは、中国大陸での疫病の流行といった災厄の問題をどう儒教が支配する社会体制の中で、人々がとらえ、それが政治的支配体制(国家権力)や社と呼ばれる地域コミュニティ統治の問題とその地域コミュニティの支配制度に影響し、COVID-19のような疫病の大流行と地域コミュニティ、そして政治制度がどう関係したのかを漢籍に基づいてお話しされた。
第2発題者の葛西さんは、キリスト教とギリシア世界の世界観が並立する社会の中で、人々の疫病の流行や社会的困窮の問題や社会の持続的発展にたいして、宗教、特に一神教的なキリスト教世界観と多神教的なギリシア神話的世界観がどのような役割を果たしたのか、ということに関して、E.R.Doddsのギリシア宗教世界の世界観、多神教的地中海的な宗教世界観に基づく議論を紹介されながらお話になられた。
第3発題者の手島勲矢さんは、トーラー特にベレシート(創世記の最初の発音がベレシートなのでそう呼ばれる)とも呼ばれるヘブライ語創世記の記述における定冠詞付き名詞と一般名詞の問題、個人特定性の問題からノアの洪水やソドムとゴモラなどに訪れた危機をヘブライ語的な世界観からどう考えるかについて、お話しされていた。この話が非常に面白いし、聖書解釈、ことにヘブライ語聖書解釈における危機、カタストロフをどう考えればよいのか、ということに参考になるし、今巷で香ばしい話題となっている終末問題をどう考えるか、を考える際の参考になると思うので、手島さんのご発表内容の要約をもとに、少し対話してみたい。
創世記1章のヘブライ語読み(最初の部分に注目)
今は、シナゴーグに習いに行かなくても、ヘブライ語でトーラーをスマホやタブレット、PCがあれば、自宅で読み聞かせてもらえるようになったのである。実にありがたい時代になった。
手島氏の発題から 成長の限界というカタストロフ
さて、手島さんのご発表であるが、手島さんは、カタストロフ的現象(世界が大きく変容するような大変動を生む現象)について触れられた後、1970年代に流行したローマクラブの『成長の限界』という世界モデルの話をされた。この世界モデルは、かなり昔の計算機技術を応用した事例の一つであり、実際には1970年代の大型計算機である種の微分方程式体系を計量モデル的に計算機でシミュレーションを行った研究である。以下の動画がその背景を簡単に紹介している(英語のみ)。
ローマクラブと成長の限界のシミュレーションの背景についての動画
1970年代ごろ、オペレーションズリサーチの一部として、計算機を利用するタイプのシステムダイナミクスと呼ばれる手法が多数用いられたことがある。DYNAMOというシミュレータを使うと、この種の偏微分方程式体系で形成されるモデルについての数値シミュレーションができるので、このタイプの計算機を用いたシミュレーションで最適在庫モデルを解いてみたり、生態系モデルを作ってみるような課題を授業の一環でさせるようなコースとその教材を作ったりしたこともあるので、なんとなくわかる。今は、STELLAというシミュレータが市販されたりしており、この種の研究をされておられる方もおられるようであるが、個人的に連続微分方程式体系的なシステムダイナミクスは、パラメータ設定をちょっといじると、とんでもなく妙な結果が出るので、このパラメータ設定の微妙さ加減が性に合わないのと、将来予測にあまり関心が持てないので、20年くらい前に大型計算機がリプレースされ、UNIXベースのシステムに移行し、DYNAMOそのものがシステム上で利用できなくなったことをいいことに、このツールを使ったり、それを利用した教育に関与するのをやめてしまった。
成長の限界と人口爆発
似たような話として、Population Explosionという議論がある。ミーちゃんはーちゃんがアメリカのThe Evergreen State Collegeという地元民からはヒッピー大学と呼ばれていた高等教育機関で環境科学研究科で大学院生のお相手したころ、指定図書の一つであったので、読まされたのだが、要するにこのままいくと人間の数が増えすぎて、地球上で理論的に養える数以上の人類の数になるので、世界は破滅するかもしれないというカタストロフ的な世界観に関する人口学(Demography)というかエコロジスト的な発想からの議論であった。
https://www.amazon.co.jp/dp/0671732943/ より
オイルショックと成長の限界
さて、その昔、オイルショックが起きる前後、世界の石油が枯渇するかも、ということで世界中が大わらわの対応をとった。実際にイスラエルとアラブの産油国との軍事的対立と、アラブの産油国の原油産油量の制限から、オイルショックが起きたのである。日本では、1960年代くらいまでは、国内の北海道や九州で石炭が産出することもあり、エネルギーのかなりの部分は石炭で賄ってきたが、1970年代には、エネルギー源を石油に切り替えた。それまでは、日本国内では石炭を燃料とする蒸気機関車がかなり運行されており、学校や幼稚園などの冬の熱源も石炭ストーブであったと個人的にはうっすら記憶している。いつのころからか、石炭ストーブがなくなり、ガスストーブに切り替わっていった。そして、SLに代わり、電車が走り回るようになり、国鉄の各路線が電化と高速化に向けた取り組みを始めたり、電化できない地域はディーゼルエンジンの汽車が走るようになった。
このオイルショックを機に関西電力が、石炭火力、石油火力から原子力発電や天然ガスタービン発電に発電事業の主力とする方向に大きく舵を切り、東日本大震災前には、関西電力の総発電量の約50%は原子力発電によって賄われるまでになっていた。東日本大震災以降、原子力発電がそもそも内在的に持つ課題(原子力発電のごみ処理、核廃棄物の深刻さ、原子力発電に伴い発生する放射線汚染の問題などなど)が明らかになる中で、原子力発電所は運用を止められ、関西電力管内では電力需給を綱渡りすることになる。北海道電力では、泊原子力発電所が止まったために、電力需給に対する余裕がなくなっていたため、北海道胆振東部地震の際には、北海道電力は大規模な停電(ブラックアウト)を起こすことになる。
ヘブライ聖書と危機的状況(カタストロフ)
さて、余談はさておき、講演のほうに戻ると、『サピエンス全史』で有名になったユヴァル・ノア・ハラリの所論を紹介されながら
人類がここまで生き残った背景には、人類がストーリーを共有することで、多くの人々の協力による集団行動が可能となり、世界の総人口の半分を占める一神教(キリスト・イスラーム・ユダヤ)の信徒の共通の土台としてのベレシートがあるのではないか、新旧約聖書に先立つテキストとして、人類の価値観を左右してきた可能性について示唆された。
ユヴァル・ハラリの所論には、やや問題を感じない部分もないわけではないが、ここで手島さんが指摘しておられる多くの人々の間で共有されているグランドストーリーのような何かがあり、それが人類の危機意識に大きく影響しているということはないわけではないだろう。
ギルガメッシュ叙事詩にしても、割と初期の段階で世界を覆ったとする洪水譚を持っているわけであるし、また、多くの言語集団、国民において何らかの危機の経験に関するグランドストーリーは昔話、おとぎ話としてメタファーを変えながら、共有されているし、最近はディズニーアニメーションが世界を席巻しているので、この種の危機に関するグランドストーリーは世界中で共有されたりはしている。例え場、アナと雪の女王は、ある種のカタストロフィックな現象に関するグランドストーリーであり、それが二次創作のような形で変形されながら、人々の間に広まっている。例えば、アナ雪の高知県版では、カツオのタタキで高知が埋め尽くされている話として翻案されている。実に魚臭くてかなわんかもしれないカタストロフ譚になっている。
アナ雪 土佐弁バージョン
カレンダーにしたがって聖書を読むことの重要性
巻物のヘブライ聖書が読まれている場面
おそらく、キリスト教の伝統三教派、正教会、カトリック教会、聖公会やプロテスタントの一部の教派で教会暦にしたがって聖書を読むという習慣はヘブライの週にしたがって聖書を読む伝統から来ているのかもしれない、と思う。新約聖書もあるからなのか、伝統教派では、3年で一巡という形になっているが。
何より重要だなぁ、と思ったのは、このヘブライの伝統的な聖書の読み方、すなわち週ごとに読む旧約聖書の区切りを意識して読む習慣に従うと、旧約聖書の記述について、一見脈絡のないディーテールの羅列に見えるさまざまな創世記の言葉にも、ある種のテーマの一貫性があることが見えてくる可能性を指摘されたのである。
続きます。
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非暴力コミュニケイションのオンライン講座
さて、先日Non Violent Communication 、非暴力コミュニケイション、略称NVCのオンライン講座に参加してみた。このオンライン講座は、鹿児島のコメント王子
非暴力コミュニケイションは、ナチスドイツ政権下で、ろくでもな
アメリカ合衆国文化と非暴力コミュニケイション
この非暴力コミュニケイション論は、多民族国家で何かというとすぐ激し
『間違い』と『違い』の大きな違い
その中でいくつかのポイントがあるのだが、今回ご紹介したいのは
近代社会で、特にアメリカ合衆国の社会では、法廷論風の正義、正しいか、間違っているかが重要になり、正しいことは価値があり、間違っていることは価値がないこと、とされてきた。法廷的正義論、法定的真理観が支配する世界では、法の目において正しいことが何よりも求められた。その反面、法の許容範囲であれば、ずるいことだろうが、若干倫理的に問題があることであっても平気でやってしまえる文化ができてきたのである。それを現実世界においてここ4年ほど体現していたのが、前のアメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプその人である。
ドナルド・トランプ前大統領は立派なコミュニケイター(話をする人)かもしれないが、彼は暴力的という意味でも立派なコミュニケイターではある。それは下の動画を見れば一目瞭然ではあると思う。
正しさが重視されてきた日本の教育
さて、日本でも、正しいこと(正確であること、正しい答えを提示すること)は、重要であるとされてきた。特に、日本において近代の大量生産大量消費時代には、正しく何かを行うことが求められた。典型的には入学試験がそうであり、大学入学センター試験、今の大学入試共通試験等がそうである。いま、若干の変化の兆しのようなものは見られるが。
入試においては、とにかく正解を出すことが重要であるため、初等教育、中等教育では、いわゆる教科書的な所謂『真理』の丸暗記が重視されたのである。そして、解を導く力や、独自の解を出す才能、あるいは、別解を出す独創性や、オリジナリティある主張をすることよりも、教科書的な正しさ、教科書に書いてある通りを答えるような教育が行われてきた。これは、大量生産、大量消費時代における安定した日本社会を支えるためには一定の意味があったのではあるが、世の中が変化してしまい、大量生産大量消費時代のポストモダン社会では、従来型の教育は役に立たないことが判明し、最近になって、独創性や創造性を伸ばす教育に急速に舵を切りつつあるものの、長らく日本の初等中等教育の教員は、大量生産大量消費時代において必要とされる人材教育のためのスキルを中心に学んできたため、新たな時代の教育方法へのノウハウが十分でない方も、結構お見受けする。いまだに、根拠が薄弱な妙な校則の厳守主義などのような、いつの時代のお話です、というようなことが初等中等教育の場で行われているのである。
琉球新報より https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1288982.html
大学は、自分なりの真理を見つけるプロセスを楽しむ場のはずなのに
これは、大学教育の場にまで影響している。それは仕方のないことではある。所謂『教科書的な真理』観に初等教育から中等教育まで毒されており、それからなかなか抜け出せずにいる人々が多いのである。大学教育の場、学部はもちろん、大学院の学生ですら、教科書的な『真理』観の下での妙な『正しさ』や教員が考えているかもしれない『正解』であるかどうかにこだわり、正しくないこと、『政界ではないこと』については全く努力したくない、正しいやり方を教えてくれ、と言い出すのである。どうやって、自分なりの真理にたどり着くのか、というプロセスを楽しむなどということを求める学生は極めてわずかであり、そつなく、効率的に、効果的な方法で、学位を求める人々がなんと多いことか。学位は結果であって、目的ではないはず、と言ってもわからない学生のなんと多いことか。大学院生ですら、そのような状況であることは実に悲しいことである。
就職活動も正解のオンパレード
典型的には、リクルートスーツである。今年はすでに情報系では来年3月卒業者の30%ほどの学生が内々定を得ているという言説が流れているが、まぁ、それほど外れでもないかもしれない。
就職活動する際、みんなAokiとかHaruyamaなどで売っている吊りスーツを着て、自立かばん(床においても勝手に立ってくれるある程度の方さのあるブリーフケース風のかばん)を親に買ってもらっているような経済的に全く自立していない学生がこの種の自立かばんをもって「御社を志望する同機は…、御社で活躍することで、御社の一層の発展と日本経済の発展に資する人物として活躍したい」とか紋切り型のことを言うのである。エントリーシートも、似たり寄ったりと、大量生産品風の人材であることのアピール合戦。実につまらんではないか。でも、そのつまらないことを求める企業は案外多い。
キリスト教でもつまらぬ正しさのオンパレード
大学生や大学院生も変わった学生が減りつまらなくなったが、教会もまた、つまらない正しさ、小手先の正しさ、教派の枠内だけの正しさを求める信者さん、また、牧師さんも結構おられるようである。ミーちゃんはーちゃんの悪友で悪党(頭がいろいろなことに回り、いろんなことを取り組むという中世日本語風の意味での悪党)仲間のパスターオーズの口癖ではないが、世の中の牧師さんの中には「完璧であり、一点の破れもなく、論理の破綻もなく、めちゃくちゃ正しいけれども、死ぬほどつまらない」説教をされる牧師先生方がおられるようである。
信徒も信徒で正しさにこだわり、自分の信仰スタイルにイースターの次の主日(日曜日)に記念する聖トマスのようになんら疑問も持たず、根拠のない自信に満ち溢れて、戦闘民族よろしく他のキリスト教徒を斬りまくり、殺伐としたツィートしまくる切り捨て教徒なのかキリスト教徒なのかわからないような印象を与えるお方もおられるようである。まぁ、ご本人にとっては満足いくかもしれないし、麗しいことかもしれないが、実に傍迷惑な印象を与えるキリスト教徒の方も多い。
なまじどこかの説教で聞きかじった知識や中等教育程度の理科の教科書程度の知識を基に、他者に襲い掛かり、論争を仕掛け、さも自分がいっぱしの真理を扱える人間かのように言い放つ姿は、見ていて痛々しいとしか言えないように思う、とは申し上げたくなるが、そういう方は他者からの意見をあまり聞く気をお持ちでないようなので、スルーすることにしている。お互い、幸せに過ごすためには、スルーするのが一番であるとは思う。
創造論なのか、進化論なのかといったことについての暴力的な言論の主張が、一部のキリスト教関係者でなされることがあり、聖書の優位性を示すために、かなり論理的な無理をしてまで、議論が展開されることも多い。そもそも、次元の違う話を無理やり一つの次元に落とし込んで議論をすることがそもそも無謀な行為であるにもかかわらず、それをするのがさも当然かのような顔でしたり顔で主張する人々の姿は、ある面痛々しい感じするなぁ、とミーちゃんはーちゃんは思っている。
さて、先ほど、悪友のパスターオーズが「世の中には、死ぬほど退屈だけど全く誤りのない」説教があるとご発言しておられることをご紹介したが、そのパスターオーズは勝手にB級説教塾というのをZoomで始め、「完璧さを求めず、破れを恥とせず、困ったら「神は愛なんだ、神の愛はすごいんだ」と論理の破綻を神の愛という言葉でごまかしてしまうウルトCをやるけど、聞いてて普通の信徒はほぼ退屈はしないし、なんとなくわかった気になって、それなりにハッピーな気分で教会を後にできる」という説教がどうやったら生まれるのかを伝授しているらしい。正しさや、退屈さ、完璧さに疲れた人々に向けた、一つの試みではあると思う。成功するかどうかは良くは知らないが。
正邪論を超えるための非暴力コミュニケイション
非暴力コミュニケイションの基本的な構造は、アメリカ合衆国で見られ足り、朝まで生討論といった意味があまりないことで論争するような議論が起きる場での意見の対立や相違について、それを正誤、正邪という二元論的な議論の土俵、ないしは、政治的なアリーナでとらえるのでなく、相互の個人の意見や立場、理解の違いとしてとらえることで、より建設的に議論ができ、その建設的な議論を通して、より豊かな社会が作れるのではないか、という提案というか方法論であるように思う。
但し、先にも述べたように、日本では近代社会を支えてきた教科書的な『正しさ』、教科書的な『真理』観が異様に発達しており、自然科学でも、社会科学の世界でも一般的に共有されている科学の世界における『真理』とは、所詮観測誤差や前提条件の設定、人間の側の解析方法の限界などもあるため、暫定的な真理、あるいは、「当座、この辺がどうも真理としておいてよさそうかな、ということで、皆さん合意しておきましょう」程度の1次近似的な真理でしかないということは、広く認識されているところである。科学の世界では、もう絶対的な真理、ということは言わなくなって久しいのである。1970年代にもう、絶対的な真理というのをやめているのであり、その時代からすでに50年近く経過しているのである。
『真理』が扱えない存在である人間という理解の大切さ
人間は、聖書の言うとおり、鼻で息するものに過ぎない。アダムの末、土の塊の末に過ぎないのである。神ならぬものであり、神ならぬ人には、そもそも『真理』や『善悪』などというものは扱えないものであり、アダムやエバが中途半端に善悪を知る知識の木から身をとって食べたために、不幸になっているのである。
なんぢら鼻より息のいでいりする人に倚ることをやめよ斯るものは何ぞかぞふるに足らん
(文語訳聖書 イザヤ書2章22節)
そもそも、人は限られたものであり、健やかであってもその齢は80年の存在である。人は、思い上がってはならない、神の座を奪い取ってはならぬ、ということを神は何度もイスラエルの民を通して、また、イエスの口を通して、使徒たちを通して教えたもうておられるのではないだろうか。それをちょっと、イエスの側が近寄ってくださっているだけのことであるのにもかかわらず、神のようになり、聖書がわかった気になり、神になり替わって、神の被造物であり、神が愛しておられる他者を裁いたり、人を暴力的に問答無用で教えたり、真理とはかくなるものであるぞよと公言するなどということは、牧師であれ、平信徒であれ、論外であるようにミーちゃんはーちゃんには思えてならない。
非暴力コミュニケイションの出発点はおそらくそこにあるのだと思う。
『間』抜けであることはやはり大切かも
先に、『間違い(Wrong )』と『違いDiffeent )』ということが配布資料であったことを述べたが、平かなで書けば「まちがい」と「ちがい」であり、「ま」の文字が「ちがい」という文字の前についているか、ついてないかの違いであるが、このついていることとついていないことの違いは実は大きいと思うのである。「ま」が付いた方の単語である「まちがい」を主張するということは、自分が真理を扱える存在であることを主張することを意味する。それは、すなわち他人が間違いであり、自分が『真理』であることを主張することになり、自らを神とすることに等しいのである。つまり、間違いと指摘した他者と自分との間に垂直的な関係性を生み出すことになるのである。
しかし、「ちがい」というとき、それは、自分と他者の持つ意見が違うということを意味するのであり、あくまで関係性は水平的なものとなり、その分平和的な関係と、平和的なコミュニケイション(いわゆるハーバマスがコミュニケイション理論でいうところのシステム的に見歪められたコミュニケイションでないコミュニケイション、ハーバマスの言う公共圏でのコミュニケイション行為)が生み出されやすいとは思うのである。
そのいみで、われわれは『ま』ぬけの『違い』の議論を考え、その違いを知るべきなのかもしれない。
「違いが判ることは大事だ」と以下の動画で、狐狸庵先生もCFで述べておられたように。
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さて、これまでの連載記事は、COVID-19によって大学教育にどのような影響が出たのかについて2回、そして、前回は教会にどのような影響が出たのか、教会だけでなく同じ場所と時間を共有すること、そこで声を出していく中で何かが起きるのではないか、という音をお話してきた。本日は、もう一回、教会で何が起きたか、そしてその中で各教会が考えさせられることとなった、教会は何をするところなのか、何が教会のメインコンテンツなのかを、鼎談を拝聴しながら、考えたことを述べてみたい。本日が最終回である。
よろしければどうぞ
礼拝は日曜日の午前中に教会でという常識の崩壊
前回の記事では、COVID-19の大流行に伴い、多くの教会が集合型の礼拝を停止していったことに加え、それに対する対応をどのようにとったのか、そして、インターネットを利用せざるを得なくなり、Lineや、Youtubeないし、Facebookなどでの礼拝動画を流す、事前に録画した説教動画を流すなどこれまで、やればいい、と一部のキリスト者が言い続けてきたのだが、COVID-19が大流行するまで、そのような声を全く無視して、とにかく、何がなんでも日曜日だけに設定された決まりきった時間に教会に来させて、礼拝に参加させることだけにこだわり続けてきた。
しかし、これは、特定の曜日の特定の時間帯に特定の場所に移動可能であることが前提になる。信徒に、特定の曜日(日曜日)の特定の時間帯(大抵は朝10時とか11時の間)に特定の場所(教会)に信徒が自ら移動することを要請する。その意味で、熱心なキリスト教関係者のグループでは、就業する仕事や業務に制約を加える、あるいは、特定の仕事や業務への就業を推奨することが行われてきた。このような教会中心目線の場合、日本では、いわゆる警察官、消防士といった法執行機関関係者、法曹関係者、放送関係者、鉄道等輸送運輸業、情報通信産業の業務関係者のような社会のインフラを支える業務に携わってくださっている人々が信徒になる場合、転職を進められたりすることがあった。あるいは、そのような24時間365日運用される業態の関係者への伝道は、かなり無視されてきた。また、そのような分野への就業への召しがあっても、その分野への就業を推奨せず、そのくせ、教会への移動や日常生活を過ごす際には、公共交通機関を平気で利用する教会人のなんと多いことか。すべての人を歓迎しています、と教会の看板に書いておきながら、その趣旨は、教会が指定する時間に何ら問題なく教会に来られる人々、そして協会行事に参加できる方々のみを歓迎しています、ということでしかなかったのである。
その教会の常識や暗黙の前提そのものがこのCOVID-19で一気に崩壊し、今まで教会が言い続けてきたこと、教会が何も考えずに「さも当然」かのようにしてきた日曜日の礼拝への参加の絶対視や、教会堂での礼拝しか礼拝でないとか言った過去の理解がある面なし崩し的に一気にうやむやになり、教会側の事情で、それを崩していくということが起きたのである。事は、時間だけに限らない。聖餐式のスタイル、ぶどう酒を一つのカップから飲むことを重視している教派や、パンとぶどう酒をぐずぐずにしたものを一つのスプーンで口に入れることを前提としてきた教派まで、それを感染防止のために避けざるをえなくなり、礼拝を司祭だけにして、信徒の参加の形態による礼拝を中止し、そのための神学が生み出されたのではないか、と思う。それが、ある面での危機神学として生まれた神学的思惟と理解の一つであろう。
https://twitter.com/long_nigehaji/status/1350765052417114112より
説教サーファー爆誕!
今回、関西学院大学の中道さんがお話になっていたことで、印象的であったのが、動画での礼拝に切り替えた教会では、日常の礼拝参加者以上に、教会が公開した動画の視聴者数があり、教会への参加者が増えたということである。それと同時に、礼拝堂がサーファーというのか、礼拝説教サーファーのような存在があるのではないか、という指摘があった。まさに、中道さんが指摘されておられるように、教会の礼拝説教をザッピングする(昔風の言い方で、テレビのチャンネルをガチャガチャする)ザッパー(チャンネルを頻繁に変える人を示す英語)みたいな方が結構いるのではないか、ということもおっしゃっておられた。まぁ、アメリカ社会だと、教会がたくさんあるので、いわゆる『恵まれた』体験をもとめて、日曜日に2−3教会に参加する(それはそれで大変な面倒ではあると思うが)教会ホッパーと呼ばれる人はいたわけである。それを考えると、今に始まったことではない、という気がする。
説教サーファーと教会の市場化
確かに、見ず知らずの教会に入っていくのは勇気がいる。お寺や神社の敷地(境内地という)は本殿以外林だったり、生垣だったり、墓地だったりし結構スカスカの寺社が多いのだが、教会はたいてい敷地いっぱいに建物が建っており、さらに煉瓦造や石造、コンクリート造なわけだし、窓はステンドグラスになっていたりして、結婚式場教会でもない限り、ドア一枚向こうが見えにくい構造になっていることが多く、その内部は想像しがたい建物であることが多い。確かに、これまでの宣教師やミッション系学校のご尽力もあり、教会の理解は多少は深まってきたが、それでもなお冷やかし半分でも教会へ行ってみようという人は少ないし、京都の料亭みたいに一見さんお断りしているわけではないものの、行きにくい雰囲気はある。また、日本の多くの組織がそうであるように、短期間の関係者を蔑視しているわけではないが、重視していないような側面もないわけでもない。いわゆる「にわかファン」のような人々が関係を持ちづらい組織文化が日本にはある。
一見(いちげん)向きのオンライン説教
その意味で、一回教会にきて、その後一切来なくなる人々(いわゆる一見さん)がたくさんおられた。そのような人々の出入りをこれまで日本の教会はたくさん経験してきた。そして、なぜ、人は定着しないのか、という素朴な疑問を多くの教会は持ってきたわけではあるが、それは、日本人にとって、信仰や組織というものに対して、ある種の一所懸命主義があって、気軽に何らかの組織に参加できない世界観があるからであり、一歩でも足を教会に踏み入れた瞬間に、そこから抜けにくくなる、ということを恐れてのことではないか、と思われる。むろん、徳川期のキリシタンと呼ばれた人々への苛烈な宗教弾圧が経験され、それが歴史的に日本人の精神構造に刻まれてきたことによるのかもしれない。明治期になっても、キリスト教徒は、耶蘇教徒と呼ばれ、蔑視されてきた。
プロテスタントに分類されるが、聖餐を重視する。もちろん、カトリックやコプト正教会、日本ハリストス正教会も聖餐を大事にしておられる。これらの教派では、聖餐があって初めて教会活動が成り立つのであり、説教だけ(御言葉の聖餐とかMorning Prayer)という制度や、霊的陪餐(司祭が諸事情でいないときに、司祭が聖餐を上げた、ミサを立てたときに聖餐にあずかっていることを覚えて、現実のパンにあずかっていなくても聖餐にあずかった気になる)とかウルトラCがないわけではないが、やはり聖餐があって初めて教会なのではないか、という意識なのである。参加者が一つのパンを食べ、そして、同じキリストを内に頂くものを認識することを大事にしてきたのである。以下の讃美歌は、日本聖公会の式文「わたしたちは多くいとも、私たちは一つです。なぜなら、パンが一つだから」に対応する式文にメロディをつけたものである。
Though we are many, we are one body,
we who come to share this living bread;
Cup of salvation, shared among all nations,
nourishing us now and evermore.
Though We Are Many - Theme Song for the International Eucharistic Congress- Dublin June 2012
聖餐という形を通してイエスを覚えることの重要性
個人的には、今、聖公会の英語部から動く気が全くないのは、この聖餐の重要性と式文を通して、教会暦を通して養われる体験をしているからである。たとえ、ヤマザキの食パンの7 mm角切りの食パンの角切りであろうが、あんぱんだろうが、クリームパンだろうが、チョコレートパンであろうが、カレーパンであろうが(できたら、この辺のは避けたいところであるが)、一つのパンを共に食する機会というのは、個人的に大事にしたいと思っている。聖公会では、主にホスティアを利用していることは付言しておく。
聖体礼儀(礼拝・聖餐式)についての正教会の理解の解説動画
人吉ハリストス正教会での聖体礼儀の模様
釧路ハリストス正教会での聖体礼儀の模様
聖公会のnorthumbria communityの灰の水曜日
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前回、前々回の2回は大学の講義についての変質の部分のお話をもとに少し考えたことなどを話してきたが、今回はいよいよ、このCOVID-19の感染拡大に伴って、教会がどのような変化を経験してきたのか、ということについて鼎談を参考にしつつ、考えてみたい。
COVID-19で教会の何が変わったのか
コロナウィルスの感染的爆発以降、日本の多くの教会では、教会が従来行っていたスタイルでの礼拝(賛美歌付き講演会のような礼拝を含む)、聖餐式を中止した教会が多い。ある面、極端な日曜礼拝、あるいは主日礼拝厳守派(たとえ風邪を引いていようとも、発熱していようとも、平日に行う世俗の業務で信徒がいくら疲労困憊していようとも、何がなんでも主日礼拝、日曜礼拝に参加することを信徒にかなり強く指摘してきたキリスト教のグループ)でも、信徒を集めての礼拝行為は中止されたと筆者は聞いている。
鼎談中、小原さんがおっしゃったように、この中止は、他者への愛の行為として、本来もっとも教会にとっての重要で神聖な活動であるはずの、集まって行う主日礼拝、日曜礼拝と呼ばれる、信徒が集まり、神への賛美と栄光を帰す行為を行うという形での神への礼拝をおこなうことをあえて中止した教会がかなりの部分を占める。もちろん、地方部で、感染者数が限られている地域では、礼拝が続けられてきた教会もあるし、民族的集団の特性や言語的事情などから礼拝を継続した結果、クラスターを発生させた地方部の教会もないわけではない。しかし、都市部の教会では、その殆どが信徒が教会の敷地と建物内に集まり礼拝を捧げる形での礼拝、ないし聖餐式を中止してきた。そこは大きく変わった点の一つであったといえるであろう。
礼拝の中止で起きたこと
そして、中止した教会では、信徒が数多く集合しての礼拝の中止と、それに対する対応策として、様々な対策が取られた。その代表的な取組事例をまとめると以下のようになるであろう。
1)説教の完全原稿を印刷し、毎週郵送
2)説教要旨の印刷物と教会通信など文書を毎週郵送
3)説教を録音したテープやCD、DVDなどと教会通信を郵送
4)Facebook,Lineなど、考えられるありとあらゆる方法での同時中継。
5)式文と祈祷文を含むPDFファイルを電子メールで送付6)事前録画した説教をYoutubeで送付7)人数制限した上での短縮した実施(とそれを複数回の実施)8)その他
スポーツ観戦や演劇、映画と教会の礼拝の類似性
教会でも起きることではあるのだが、他の場面でも、人が同じ時間に同じものを見て感動したり、何らかの感慨を得ることがあるのではないだろうか。例えば、なぜ、ある競技が行われているスタディアムでのスポーツ観戦にこだわる人々があるのだろうか。自分ではサッカーやラグビーのボールをめったに蹴りもしないのに、何万人と収容するスタディアムに多くの人々が集まるのだろうか。自分がバットやミットをもって野球の試合に関与するのでもないのに、高校野球やプロ野球を球場の外野席で見るために早朝や前夜から並んで現場で応援しに集まるのだろうか。
筆者の自宅の近くには、その昔はえらい人気でのちに太平洋を渡ってメジャーリーグで活躍した選手がいたころには、ものすごく観客動員ができ、大量の人々が集まったものの、現在では関西の球団の中でも最下位付近の順位で低迷している球団が時々試合をする球場があるのだが、試合があるときには、前日や前々日の夜から外野席券の券販売所の前にビニールシートが敷かれ、ご丁寧にガムテープで止められていることが多いのである。そこまでして人を集めるものは一体何なのか、と考え込むことがある。
中継と会場で経験されることは同じか?
個人的には、スポーツがそもそも趣味に合わないうえに、スポーツを観戦して楽しむ人々の気持ちがよくわからない。もちろん、ごひいきの選手を応援することで、球場の観客席で選手の一人になった気分が味わえ、ドキドキ感という興奮を味わったり、一喜一憂するというのがあるのかもしれないが、それをして何が面白いのか、その感性が個人的にはよくわからない。どう見ても野球をしているとは見えないおじ様たちがビール片手に野球を見て、草野球がうまくなるということでもあるのだろうか。家で、テレビを見ているほうが、よほど詳しく選手のプレーを見ることができるし、野球解説者とやら言う元選手たちの解説付きで見られるのに、何故、そんなサービスもない野球場に安からぬ入場料と、交通費と時間をかけて集まるのだろうか。また、野球場で応援したり、相手チームの選手のプレーをやじったところ(その昔、藤井寺球場では、ビールの缶くらいは投げ込まれたらしいが)で、試合の結果に大きな影響を及ぼすことはない。にもかかわらず、多くの人々、何万人もの人々がわざわざ足を運ぶのである。
あるいは、自分たちも歌ったり演奏したりするわけでもないのに、アイドルのコンサートやクラッシックのみならず多様な音楽のライブコンサートに、わざわざ電車やバスに乗ったり、タクシーや自家用車に乗ったりして、見に行くのだろうか。普通のスクリーンで見るのであれば、家でテレビで見るのとさして変わらないことが多いにもかかわらず、映画館に行くのだろうか。アイドルのコンサートでヲタ芸をして楽しむのなら意味が分からないではない。アイドルコンサートでのヲタ芸を一人家のテレビの前でやっている姿というのは、どう見てもおかしい、間抜けに見えるからである。
ヲタ芸
あるいは、男性アイドルグループの追っかけをする外国居住の人々は、わざわざ日本にまでやってきて追っかけをするのであろうか。もはや、意味が分からない。しかし、男性アイドルの追っかけをする人々は、それが意味があるからということで、墜落するかもしれない飛行機に乗り、安からぬ飛行機代を支払い、ホテル代を支払ってまで、日本にやってくるのである。今はコロナウィルスの爆発的感染後は、それもできなくなっているらしいが。あるいは、家で見るほうがよほど細かなことがわかるにもかかわらず、宝塚歌劇団の公演を身に宝塚まで見に行ったり、劇団四季の公演をわざわざ劇場などの演劇空間に足を運んでみるのだろうか。
野球中継やスポーツ中継・即時性・時間の共有
あるいは、なぜ、人は野球や相撲、サッカーやラグビー、オリンピック、マラソンや駅伝のテレビでの中継放送を視聴したり、ラジオ中継に耳傾けるのだろうか。まだ、試合会場に行ってみるのであれば、選手と一緒に競技している気分になるとか、同じチームを応援している人々とともに盛り上がるとか、一喜一憂するということはあるかもしれない。しかし、それもテレビのスクリーン越しである。何ら、中継対象とされる競技者に影響を及ぼすことはない。また、アイドルのコンサートにせよ、そのほかのコンサートにせよ、なぜ一人でそのようなものの中継や録画を人々は見るのであろうか。
このような事例などに見られるように、人々と共同で同じ場所(空間)と時間を共にし、興奮することに人間は何らかの意味を見出しているようである。以下のインドネシアのケチャなどは、ある主現在では芸能化しているものの、そのものの原型としては、ある種人々が集まることの中で起きる特殊な高揚感を示しているように思われるのである。
インドネシア バリ島でのケチャ
教会と劇場の類似性
たしか、『福音と世界』に掲載されていた論文に平田オリザ氏の論考だったと記憶しているが、教会と劇場との類似性を指摘している論文があったように思う。当時は、その論考との違いを考えていたが、今よく考えれば、慧眼である。キリスト教の礼拝は、教会という特定の空間において、礼拝という特定の時間において、一回こっきりの説教や礼拝行為を通して多数の人々に共有され、その礼拝に多くの人々が関与されて初めて何らかの共感なり、何らかの意味なりを生み出すという意味では、劇場ないしコンサートホールと同じ構造を持っているという側面がある。これは、昔の仏教寺院での説教とても同じであったように思われる。中国大陸伝来の新しい法要が多数もち込まれた奈良時代末期ないし平安期において、寺院とそこで読み上げられる仏典は、一種の高揚感を人々に与える存在であったようである。また、時代を下って、平安末期からの鎌倉時代の踊念仏にしても、一種の高揚感や興奮を参加者の間に与えるものであったがゆえに、集団的な行為として行われたのではないだろうか。諸説あるにしても、江戸末期の伊勢参りやええじゃないか、おかげ参りにも同様の側面があったのではないか、と想像する。
人が集まり、共に声を出すことで生まれる何か
ある種の宗教的な要素を含んだ集団的ヒステリーと言ったら言い過ぎの面があるが、多くの人間が多数集まり、同一の時空間を共有し、共通的に何らかの行動をすることに何か(それが何であるかは別として)があるように思われるのである。それは、オリンピックの開会式や閉会式から、小中学校の運動会の開会式、カラオケやママさんコーラスから、クラッシックのコンサートにいたるまで何らかの形での時空間の共有と共通行為への参与があるところある種の感情的共振のようなこととが起きるように思われる。それは音楽の存在は必須ではない。音楽を必ずしも伴わなくても発生することは、念仏を唱えるでも、ケチャ(あれは音楽であるという異論は認める)でも、コーランの一節を唱えるでも、詩篇交読を行うことでも発生するように思われる。そして、教会の成立を記念する祝祭日であるペンテコステまで教会での祝祭活動や礼拝活動を、司祭や牧師を含む教会員と社会全体への神の民としての価値あるものとしていることの表明行為として中止せざるを得ないという異常事態に直面したのである。そして、そのような状況や時代の中で、自分たちの礼拝行為とはどのようなものか、それをどう考えるのか、ということもキリスト教会は問われたわけである。
そもそも、祈るに一番近い表現が出てくるのは、割と早く
この時、人々は主の名を呼び始めた。(口語訳聖書 創世記4章26節)
世界中での神の名を呼ぶ姿が見られるように
さて、教会の礼拝などをライブで配信しておられる教会やその録画をYoutubeで公開される教会は、この1年で急速に増えた。そんなことをするとも思えないカンタベリー大聖堂でのEvening PrayerやカンタベリーのDean Robert WillisさんのMorning Prayerにほぼ一日遅れにはなると言いながら、それを毎日拝聴し、ぶたさんのお名前がクレミーさんやウィンストンさん、また、式文を声に出して読んだり、聖書朗読をしたり、その日の聖書箇所の解説をするDean Willisの隣で猫のLilyさんやTiger君がミルクを飲んでいる姿を動画の中で眺めたり、大変美しいお庭の様子を拝見するような日々がよもやくるとは思わなかった。
その意味で、これまで、内弁慶であった教会、すなわち内部の人へのサービス(礼拝の時間と場所と司式者と司式の提供)を中心としてきた教会が、外部に向けて発信を遅ればせながらはじめたのである。これは、教会にとって大きな変化であるし、あったようにも思う。
次回へと続く
前回の記事では、日本の大学教育とWith コロナ時代の教育の議論をご紹介し、インターネット時代の大学教育の事例の紹介をされたことと、通信とデータの保存と通信とのかかわり、そして、国立大学として始まった放送大学をどう位置づけるか、ということについて、少し触れた。今回は、近年こういう遠隔教育の動きと、昨年With コロナ時代で体験したもろもろを書いてみたい。
リベラルアーツの大学教育と遠隔教育
さて、現代の日本社会の一部の人々の間で、海外のオンラインだけでやる教育に特化したミネルヴァ大学のような学習の形態が、近ごろは人気であるようであるが、これまた、教員との対話を中心とした少人数教育、世界各地での寮生活といった形の特徴があるにせよ、基本的に外国語で対話能力(会話能力ではなく、対等に議論する能力)がある海外留学経験者を求めることに近い。それが、リアル環境で行われているのか、ヴァーチャル環境で行われているのか、の違いであり、日本型のマスプロ教育とは違う形での教育が行われている点に違いがあるだけである。
ところで、筆者はアメリカの大学院での交換教員の一人としてこの種の少人数型の対話型のリベラルアーツ型の教育に参加したことがあるが、この種の教育の場合だと、いわゆるフォーマルな基礎、応用、発展(経済学で言えば、基礎が経済原論、応用レベルでは、ミクロ経済学、マクロ経済学、発展レベルだと、公共経済学や産業組織論、ゲーム理論の応用)といったスタイルの積み上げ型教育がしにくいという側面と、単に英文で書かれた本を順次必要に応じて読んでおけば済む話ではなく、1週間に原著で数百ページの本を数冊十分に読み込んで、課題をこなした上で、議論に臨まなければいけないため、教えるほうも読むのに必死であるし、教わるほうも睡眠時間を削っての対話の土台となる文献を読みこなさなければならないという点である。教える方であった筆者も、週末に公園や買い物などに家族で出かけるときも、一人300ページから400ページの結構細かい字で書かれたボリュームのある本を読んでいたこととは言うまでもない。
実際の講義としては、指摘したテキストを教員も学生も全員読んでいることを前提に、45分から60分指定したテキストやテーマに関する講義を講義担当者が行い、それに対して45分から30分参加者全員で議論を行い、さらに15人程度の人数での小グループでかなり突っ込んだ議論を行うが、時に思いつきでしゃべる学生が結構いるので、それを受け止めながら流していき、議論を適切な方向に向けていくというある種のモデレーターというのかディレクターというのかとしての責任を果たしていく。ただ、この種の議論をしていて面白いのは、アメリカ人の学生は思い付きで結構活発にいろんなことを発現する(実際にはしゃべるという感覚に近い)のだが、基本、人の話を聞いていないということがある。そもそも、マニュアルを作っても、ろくすっぽ読まずに適当に操作するのがアメリカ人のかなりの部分である。
リベラルアーツの教育の大変さ
余談に行き過ぎたので、本題に戻るが、リベラルアーツ型教育の場合、基本、本を全員が批判的に読んできて、それを基に共通の土台を構築し、その上での議論をするという文化があるが、それができるからこそ、インターネットを活用した、自学自習型の教育に向いているし、ある面、リベラルアーツ型の教育は教員がきちんと対話で対応し、ディレクションなりモデレーターとしての役割を果たせれば、教育が成立するという側面はある。日本の大学教育では、文化的な側面から、案外これがむずかしい印象があるのである。まず、本というかテキストを読む、本やテキストを批判的に読むという習慣が日本の中等学校教育でなされておらず、テキストに書いてあることを丸暗記するタイプ、あるいは、書いてある文字の通りに受け止めてしまう傾向がある。その意味で、日本の福音派で、前世紀中葉から、今世紀初頭まで、主要な神学的な動向となっていた、逐語霊感説とか、聖書無誤説、聖書無謬説といった思惟は、つくづく、この種のテキストを無批判に受け入れる形の初等中等教育を受けてこられた日本人に向く神学であるのかもしれないと、それを基に自分で考えるという訓練ができていない、すなわち、批判的に議論することを主とするタイプの教育には日本は向かない形で初等・中等教育でカスタマイズされるので、日本ではこの種のリベラルアーツ、教養重視型の教育を実際にするのは、大学院で初めで実施可能となることが多いように思われる。とはいえ、大学院で教えていても、なかなか、最近の日本の大学卒業者の中でも、この主の批判的に論文を読んだり、テキストを読んだりする学生が少ないので、少し当惑している。
知識伝達型教育と遠隔教育
基本的な学問的理解に関する伝達(大教室で200人とか300人相手にする科目の講義内容)だけであれば、基本、本を読んでそれを理解し、できれば、他の知識体系を参照しつつ批判的に読んで理解すればよいのであるから、そもそも、遠隔講義すらする必然性がない科目ではある。ある面、本が読んで理解できれば、授業に出る必然性があるのかどうか怪しい科目でもある。実際、昔の大学では、出席をとるなどという野暮なことはほとんどしなかったので、大教室の200人クラスの講義でも、出席は、さすがに新年度の講義開始時には、150-180人程度あっても、ゴールデンウィークや学祭などのイベントが終わった直後は50-70人程度の時もあることが多いというのが常であった。そして、試験やレポートの提出前になると、また、150人から180人程度に戻るのであった。それだけ、学生の自主性を前提とした教育が行われてきたのである。今は、それを出席をとれだの、学生の自主性をかなり無視した教育が移行しつつある傾向は否めない。それは、大学ですることなのか、と思うこともある。
さて、このような知識伝達型教育の場合、たしかに、オンライン型教育と、教室型教育では情報化された知識の移転、伝達という意味においてはあまり差が無いようには思われるが、実はやり方によっては、かなりの違いが見られるのである。何が違うかというと、教室で一方的に講義する場合、米国でしか授業に参加したことも、講義したこともないので、それ以外の文化コンテキストの背景での大学教育の雰囲気はよくわからないが、日本の教室では、質問する学生はほぼ皆無であるが、オンラインの場合、チャット機能や並行して利用したスラックSlackを利用して、他の学生に知られないことを前提として質問を飛ばしてきたりする学生がかなり見られたことである。
遠隔教育で起きたこと
そこで、一方的に知識を伝達する部分に関しては、テキストを指定し、それについての15分から25分程度の解説動画を数本、事前にアップロードし、それを視聴してもらい、あと、どうしてもそれだけでは対応できない、質問だとか議論の部分だけを20−30分のZoomなりWebEXなりのセッションで応答する形にした。このスタイルに切り替えたとき、実は奇妙なことが起きたのである。それは、受講生の数よりはるかに多い(大体2-3倍)の視聴回数になった。教室型の講義では、筆者が個人的に繰り返しをやるのが面倒なので、どうしてもワンショットになり、同じことを繰り返すのは避けている。意外と、録画したものを見て再確認するという需要があるということは新しい発見であった。また、単なる講義録動画ではあったのだが、動画での提供メディアを指定するという要求が留学生から出てきたのである。単に、動画を見られればよいのではなくて、中国人留学生から、動画をYoutubeにアップロードしてくれろと言われたのである。
動画だから何度でも見られるから良いではないか、と言ったら、Youtubeだと、
1)画像の詳細度を利用者側で設定できること
2)速度をゆっくりにすることもできること(これは、筆者がかなりトークのスピードが早いから認めよう)
3)自動で日本語字幕に変換した上で、母語である中国語字幕が付けられるから
というメリットが有る、と言われてしまった。中国語で授業みたいのなら、中国の大学の大学院に行けばよいではないか、とは思ったが、アカハラになってはいかんので、黙していた。
あと、オンライン講義の場合、40人を超える大規模な人数のクラスの場合、所在確認するため学期当初は顔出しを前提としたが、主に女子学生に対する居住地やストーキング等のリスクを回避するために、全員画面オフにして音声だけを頼りにして講義対応を行ったが、顔の表情がつかめないため、顔の表情に現れる当惑や混乱、納得の情報が入ってこず、応答したことが理解されたのかどうか、教える側としては苦労したという面はある。
まぁ、講義が終わってもZoomなり、Webexなりのセッションから出ていかない学生がかなりいたので、そのままぶちっと切るのは、いかにもどうかいう気分でもあったので、最後には、これを大音量でお聞きいただくことにしていた。
ElgerのPomps and Circumstance
実技型技能教育と遠隔教育
後期からは、一応対面講義が始まったが、教室授業では入りきらない可能性があったので、
無論、理工系や語学系、あるいは芸術・体育系などの実技系のように、実際に学校の施設での実験をしたり、実習をしたりして初めて理解が深まる実技型の科目もないわけではない。この種の実際に手を動かして学ぶタイプの研究や講義というのは、ある面、遠隔講義に向かないことは確かである。実際に、プログラミング教育とまでは行かないものの、統計パッケージや塵情報処理システムを用いてデータ処理をすることで、理解を得ようとする教育なども科目の一部で試みているのだが、昨年度の講義(実際には演習付き)の場合、遠隔だと、相手のPC環境(Windowsなのか、Macなのか、そのOSが何なのか、どんなソフトがインストールされているのか、CPUやメモリ、インターネット環境・・・)が確認できないため、何が障害になって、うまく動作しないのかが読めないところがあり、大変苦労した。一番困ったのは、Apple社製のPCでZipファイルが利用できない、また、テキストエディタってなんですか?という苦情がついたことであった。(大学は、メーカーのコールセンターではありませんと思いながら対応はしたが・・・)
また、持参型PCによる講義の場合でも、機種と環境が多様すぎて、持ち込み型の機器による授業というのは案外難しいものなのだなぁ、ということを改めて思ったことはある。
インターネット時代に起きた3つの分断
さて、前回の記事でも紹介してきたし、今回の記事でも、大学教育に絞って話をしてきたが、インターネットや、さまざまなメディアは、時間や空間による分断をワープさせ、異なる時点、空間をつなぐ役割をするという側面がある。例えば、現代人に何のかかわりがあると思われるようなパウロの手紙を21世紀の時点の日本人が日本という地理上空間で、ギリシア語ではなく日本語で読む、ということの異常性を考えてみればよく分かる。
このような時空を超えた連接を可能するディジタル技術は20世紀前半にはほぼ無理であった。それ以前の社会においては不可能であった、時間と空間における障害や分断を超え、ブリッジするという側面が情報通信技術、IT技術にあることは論を待たない。しかしながら、技術へのアクセス可能性と、技術を介して何かについてアクセスする可能性についても分断を生んだことは確かである。その分断の種類は3つある。一つは、技術への慣れによる分断、もう一つは経済的な分断、そして、手法による分断である。
情報通信技術の利用レベルによる分断
当日、Zoomを介して広く公開された形での鼎談の場でも触れられていたが、世の中には、ライブでこの鼎談にアクセスしようとしてもできない人々もいたのである。二つの分断が起きるのである。第1は技術的な能力、情報技術を使いこなすという能力におけるデバイドである。Zoomの接続のためのリンクないしリンクボタンをどう扱えばよいかわからない人々もいるらしいのである。最近は、ユニバーサルデザインということで、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)の能力向上があり、スマートフォンの操作などは、昔の大型計算機でジョブコントローラーかませたうえで、パンチカードを使って作成し、記録したフォートランというプログラム言語で作成したプログラムを走らせて、出力結果は、大型ラインプリンターで、などという時代から比べれば、かなりわかりやすくなってはいる。
その昔のパンチカード
ある面で、メールなどで送られてきたリンク先の文字列をクリックすることで、ブラウザでアクセスしたり、送付されてきた番号やパスワードを入力するという比較的単純な操作だけが必要であるが、それでも、利用に難を覚えるため、Zoomで提供される各種サービスを利用できない、利用しないという一定数おられることも確かである。
こういう場合、だれか身近な人が支援するか、あるいは、だれか親切な人がその場に行って、やり方を理解するまで教え続けないと、結局使い慣れている側にとって便利だとはいえ、それに慣れないと、授業にすら参加しえない人々が一定数いたのである。
経済環境による分断
もう一つの分断は、経済的分断である。つまり、そもそも貧しくて、経済的に厳しくて、計算機を持っていない、あるいはスマホは持っていても、PCを利用できない、スマートフォンでしか講義課題をこなすことができない(フリック入力でレポートを出してきたと思しきレポートを見かけたのは、たぶん気のせいではないと思う)、にアクセスできない、スマートフォンがあっても、インターネット接続の通信料がかかるため、ネットに接続できない、ネット接続に課題があるという学生が一定数いた。個人的には、どうしても、困るというのであれば、時間限定で無料Wi-Fiを提供している組織や施設、コンビニ、スーパー、公共施設、図書館等があるから、それらを利用することを進めた。何でここまでせねばならんのか、とは思いつつ。もちろん、通信事業者の放電も一時的に無制限措置を取るなどの措置を講じたようだが、それでも不足である人々向けに、大学当局のほうでは、急遽学部生向けに学内の遊休PCをかき集め、さらに無線Wi-Fiを貸し出すなどの対応はとったらしい。
ある面、深刻なのは、こちらの経済環境による分断ほうかもしれない。近年、義務教育の対象者にタブレットとか、PCを配布する自治体が大半になると思うが、経済的な理由で、ネットに接続できない、ネット接続するために何等か別の施設にいかないといけない人々がある程度存在する、ということは、湯水のようにネット接続できる環境にいると、忘れがちなことではある。
特にこの問題は、高等教育よりは中学校高校などの中等教育、中等教育よりは小学校などの初等教育における分断、つまり、家庭内でのPCの利用(台数がないため、家庭内での兄弟間、親子間での利用時間の取り合いが発生する)や、インターネット接続環境などへのアクセスが困難な家庭、あるいは世帯があることを考えると、より厳しい状況を生み出す傾向があるものと思われる。
一部で、在宅勤務がかなり一般化したために、家庭内で一人一台環境などが整っているという奇特な家庭でない限り、この親子間のPCやタブレットの取り合いは起きたのではないだろうか。
教育手法における分断
さて、これまで触れてきた分断は、受講者側における分断であったが、最後の分断は、教員側における分断についてである。2020年9月ごろに、別の教育機関所属の知り合いのある教員から、連絡があり、その時少し雑談したのだが、そのお知り合いの方の学校では、オンライン講義もせず、オンデマンド講義コンテンツも作らず、指定した教科書についてのレポートのみで評価を下した教員がいたらしい。この話を聞いた時、オンライン講義もやり、オンデマンドコンテンツもやり、メーカーのユーザサポートもどきのようなこともやっていた筆者のミーちゃんはーちゃんは、メーデーの歌の
♪♪♪♪♪
汝の部署を放棄せよ、
汝の価値に目醒むべし♪♪♪♪♪♪
の部分を歌いたくなってしまった。
メーデーの歌
危機神学の累積結果としての神学
今回のCOVID-19ウィルスの大流行に伴う対応はある種の危機神学であるという指摘があったが、それはその通りだと思う。Facebookかどこかで、今の現状は危機神学だと言ったら、それはバルト的な危機神学があるので、とやんわり教えてくださったありがたい先生がおられたが、よく考えてみれば、現在の神学は、過去に生まれた危機神学の集大成でもあるように思う。バルト破るんな−の独占物でもないはず、といってよいのではないだろうか。
組織神学という語が普通になった現在では、今では神学といえば、なにか安定した体系があるように思われているし、事実そういう部分はあるであろう。しかし、組織神学で体系づけられている個別の聖書理解や個別の神学的思惟を歴史的に振り返ってみると、それまでに出会わなかった現象、理解や現実に対して当時のキリスト者が、そして教会がどのように考えるのか、ということが多いように思われる。教会という社会集団が、何らかの事情によりある種の変化、あるいは危機的な状況、あるいは時代の変化、聖餐や消費などを含む社会環境の変化に対応して何らかの論理だてと妥当な方法を成立させようとしてきた歴史があるように思われる。
多くのプロテスタント教会で聖餐式が月1回となったことや、年に数回となっている教会が結構あることも、その教会群が経験してきた過去の事象に対応するための神学的思惟に基づいた歴史的経緯である。もともと式文に節を付けて唱えていたものが変容し、音楽のメロディーに式文を載せた讃美歌は礼拝の中で残すものの、式文そのものを使った礼拝をやめ説教中心にするという行為とその背景にある神学的思惟もこれまた過去の神学的思惟の結果である。個人的には否定的な視線を向けている伝統的なディスペンセイション理解も、当時のアイルランドのジャガイモ基金やヨーロッパアメリカ大陸での社会的変動の結果でもあるのであり、その結果生まれてきた神学的理解ではある。
そのように、これまでも社会の変化(ある種の危機)に合わせて、教会は神学的理解を作り出し、作り替え、社会に住む人々への対応をしてきたわけであるので、2020年以降、教会として、どのような神学を境界が生み出したのかの歴史的検証はこれからの作業になるだろうが、それはそれで重要だと思うのである。まぁ、聖餐式を個別舗装したパンとぶどうジュースでやる神学くらいは、日本でも一般的になったかもしれない。
https://store.shopping.yahoo.co.jp/olives/53480.html#&gid=itemImage&pid=3 より
次回以降は、教会編についての部分を述べてみたい。
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さて、昨日の復活大祭を以て、公式に西側教会ではレント期間が終了したので、また、いつものように投稿を再開する。
With コロナ時代で本来の教会の目的の祝祭すらできなかった教会
2020年3月ごろから、1回目の緊急事態宣言が出て、人々の都市内、都市間移動を含めた移動が大きく制限される中で、普通の人々の生活も大きく制限されたし、当然のことながら、教会での礼拝、聖餐式も大きく制限された。特に、本来キリスト教にとって最も大きな祭事であるイースター(日本現代文化的には、クリスマスがキリスト教にとっての最大祝祭日であると誤解されていて、さらにろくでもないことに、男女がいちゃつく日として一般にはとらえられているが、その理解がおかしいことはここで強く指摘しておきたい)、そして、教会の成立を記念する祝祭日であるペンテコステまで教会での祝祭活動や礼拝活動を、司祭や牧師を含む教会員と社会全体への神の民としての価値あるものとしていることの表明行為として中止せざるを得ないという異常事態に直面したのである。そして、そのような状況や時代の中で、自分たちの礼拝行為とはどのようなものか、それをどう考えるのか、ということもキリスト教会は問われたわけである。
With コロナ時代の教育
また、同じく、小学校の初等教育から大学にいたる高等教育まで、社会全体の小学生から大学生にいたるまで、全学生が引きこもり状態、不登校状態であることを要請され、それを迫られる中で、当初は、とりあえずその動きを止めることしかできなかったが、何らかの対応をもまた、4月中旬には迫られることになった。その中で、これまでの初等教育から大学教育にいたるまで、これまでの方法論とは妥当であったのかどうかを見直しを迫られたのである。それをどう考えるのか。今回もの鼎談も、まさに、この社会的要請として、テレワークという形を伴ったとはいえ、引きこもりと不登校生徒になることが要請される時代の中での大学教育、特に神学教育をどう考えるのか、ということについての鼎談が行われた。
具体的な話題については、以下で紹介する動画をご清覧頂くことにして、ここで、当日、ライブで参加しながら、気になった点を述べてみたい。
コロナ時代に問う「神学+教育2.0」の鼎談 動画
大学教育と通信技術
まず、同志社大学、関西学院大学、立教大学というある種教会の現場ともつながりがある大手の大学機関の関係者(比較的余裕があり、教授方法については古い伝統を持つ、というよりは古い伝統に大きく依拠してきた大学機関)を中心とした議論が行われていた部分があるが、しかし、課題としては、日本国内にある、各派の神学校でも同じような課題を抱えていたように思う。
それはさておき、今回の視聴で面白かったと思ったのは、教会にせよ、大学にせよ、ある面、分断が起きたという指摘である。本来、電子通信技術は時間と空間がこれまでもたらしてきた障壁を大幅に下げる、ないしはそれを破壊し、普遍化・同質化・均質化させていく側面を持っていたにもかかわらず、である。それは、聖書にある手紙(使徒書簡)でも時空間を超えた普遍化、均質化が起きたという点においては、同様である。
時間的空間的同期化・同質化を目指した通信メディア
各地の教会に書簡を書き送るまでは、パウロ先輩にせよ、他の使徒にせよ、だれかが直接現地に赴き、現地教会での問題について個別に勧告していたものが、羊皮紙にペンで大文字だらけで手紙を書き、それが筆者生により手書きコピーされ、回覧されることによって、同種の問題を抱えた教会においての基本的に同質の課題に対する解決策のヒントがもたらされつづけたのである。だからこそ、古代文書でありながら、現代の現実の教会の問題に対応する際のヒントにはなるのである。
https://en.wikipedia.org/wiki/New_Testament#/media/File:P46.jpg
本来、メディアとその利用者という観点から考えてみるながら、粘土板にせよ、パピルス文書にせよ、石板にせよ、羊皮紙にインクによる手紙にせよ、書籍にせよ、新聞にせよ、雑誌にせよ、電報にせよ、ラジオにせよ、レコードにせよ、電話にせよ、磁気テープにせよ、CDにせよ、MDにせよ、FDにせよ、インターネットにせよ、時空間を超えて多くの人々との、通信あるいは交流・データ交換を可能にすることで、時空間の同質化、同期化ないし同機化をもたらすための手段ではあったことは間違いはない。その時間的なタイムラグがどの程度であるかにせよ。
アメリカ映画のStingというギャンブルを利用した大掛かりな詐欺を扱った映画に、意図的に電話局を占拠し、ラジオ放送のデータを入手し、放送を遅らせ、時間をずらしてあたかも同時放送しているかのような形での詐欺を働くシーンがあるが、あれなどは、ラジオが時間の同質性を担保しているという人間の思い込みを利用した詐欺のすがたが出てくる。それほど情報通信技術、放送技術というものは、空間的に離れた地点での同時性ないしは同期性(同機性)を可能にしたメディアであった。そして、堂島米相場の米価の先物取引価格にせよ、証券市場や農産物などの先物市場におけるタイムラグと情報格差を消滅させることで、空間的分断が実際に存在している市場間での、情報通信のタイムラグを利用した『さや取り:Arbiterage(2つの空間的に離れた市場での)取引価格の差を利用した利益創出法 より低い価格の市場で低価格で仕入れ、より高い価格の市場で売ることで、価格差益を狙う取引手法』の無効化を図ってきたのが、情報通信の世界の一つの側面ではあった。
時空間的同期化を無効にした保存メディア
しかし、このような情報格差に基づかない鞘取りが意味をなさない世界では、電子記録メディア(VHSビデオデッキ、βシステムのビデオデッキ、DVDディスク、ブルーレイディスク、ハードディスク、サーバー)が開発され、一般に普及したことにより、時間的同時性・同機性に関する社会構造が大きく変化していったように思う。時間が貴重な資源となった現代において、相撲やプロ野球、テニスのウィンブルドン、オリンピック、F1レースやパリダカールラリーなどのスポーツ中継は時々放送されているが、意外とそれを同時に視聴している人は減ってきているのではないか、と思うのである。多くの人々は、ハイライトシーンに圧縮されたニュース番組の一部として、その結果を知る人々のほうが多いのではないだろうか。あるいは、放送されたものをいったんビデオ画像として、DVDやハードディスク、ブルーレイディスク等に記録し、それを見ているのである。あるいは、映画にしてもそうだが、映画化噛んでみるのではなく、地上波放送で放送される作品(これは、CMがむやみやたらと入ることが多いので、見る気をなくすことが多い)やHULUやNetflixや様々のサービスを利用する人々も最近は増えてきたし、ディズニーにいたっては、ディズニーチャンネルで、映画館での公開と同時に放映を始めている。
データ取得・保存メディアと大学での教育
教育が、普遍的な知識や概念の体系の言葉や記号による伝達を目指す側面がある以上、現代のようにデータ保管技術が一般に普及した環境下では、それを一般の学生や一般の人々がそれを利用したいという部分は避けがたいとは思う。かつて、大学の教師は、テキストとなる書籍と、コーヒーカップ(場合によると、タバコやパイプ)とチョークのみを持って教室に登場し、講義をすることが普通であったし、学生は、その講義をノートと鉛筆、またはペンで記録を取ることでその場で伝達されることを個人のものにしようとした。
しかし、ガラケーと現在では呼ばれる携帯電話にカメラ機能が付与されることで、学生のかなりの部分は、チョークで黒板に書かれた文字や図形をノートに筆記したり、講義中に触れられたことを記録するのはやめ、完成した黒板を携帯電話のカメラで保存して満足するようになった。こうなった時、黒板に書いた図や文字を再利用しつつ講義をした場合、学生からシーケンシャルに記載するようクレームがつくようになった。なぜかというと、彼らの画像記録が無意味になるからである。さらに、黒板に筆記せずに重要なことを述べ、それが試験に出た暁には、クレームがつくようになった。スマートフォンが普及してからは、録音し、音声記録を学生がとるようになった。
そして、教育機関にプロジェクタが普及してくると、教員側も、チョークまみれになりながら、黒板を利用して板書しながら授業をするのではなく、パワーポイントなどの電子紙芝居を使って授業をするようになった(準備にはそれなりに準備時間がかかるが、数年間くらいは再利用可能なので、手抜きが始まる)。要望に応じて、そのスライドを画像化したファイルなどを渡した場合、もはや学生は講義時間中、ノートを取ろうとしなくなり、それさえ手に入ればいいとなるので、講義にも出てこなくなる。以前の大学教員なら、学習や学問への関与は自己責任の部分に属するので、このような学生を教員は放置したであろうが、この5年、そんなことをしていると、大学の事務当局や学生からいろいろ言われるので、これへの対応として、教員側は、当日のみ回答可能な小テストを講義時間中にしてみたり、当日講義に参加していないと答えられないような課題を出すことになる。まさに、盾と矛、ああ言えばこう言う、という印象を与えかねないような、いたちごっこが大学でも繰り広げられてきたのである。まさに、日の下になんの新しいものは何もない、というようなことを残念ながら続けてきた。
教育のオンライン化と大学の教育とその技術的与件
大学の教育が、事実性と、概念性の確実な伝達だけであれば、オンライン講義に移るのは理の当然であり、電機、電子情報通信環境が充実してきた米国や欧米では、多数の大学でこのような取り組みが行われてきた。実際筆者が知る限り、ワシントン州の普通の州立大学でもインターネットが一般に普及し始める以前の2000年ごろから、衛星通信の技術を使って、基礎的な科目(統計学など)の通信教育が行われてきた。この背景には、米国西部での人口密度が低い地域では、衛星通信が比較的普通に利用されてきたことがあるであろう。また、欧米の大学がインターネットを介したいわゆるオンライン化を実践で着た背景には、ADSLなどの普及以前の通信技術として、固定電話回線の市内通話が無料である特性を生かして、AOL等の電話回線による低速有線回線による通信基盤を流用したインターネット接続が普通であることに加え、ケーブルテレビ放送などの別有線通信技術がテレビ視聴において普通に利用されていることがあげられるであろう。なお日本では、市内通話であっても、情報通信後進国であり、日本社会に料金計算に関する意識がかなり特異であるという側面があるゆえの事象であるのであるが、米国の基準からすれば、かなり高額の料金が請求される(なお、市内交通について、日本みたいに距離依存型の従量制の費用計算する国は少なく、一律型の費用を請求する交通機関のほうが普通である)。
昔の計算期間通信手段の音響カプラ
2880bpsのモデム
上に紹介した動画でも、小原先生がお話になられていたと記憶するが、日本の高等教育におけるインターネット化への取り組みが米国などの大学機関との比較において周回遅れであることは間違いない。しかし、時間の関係で触れられなかったと思うのだが、日本の国内の大学において、学生が大学の現実的なキャンパスで実施されている授業に来るのが当たり前であるとする背景としては、もともと、そのように大学が明治のころから運営され続けてきたこと、文部省時代からの規則的制約で出席日数がどうのこうのとかという制約に加え、インターネット対応が遅れてきた背景には、そのあたりの通信費用の面での環境の差があること、通学定期を含め、交通手段の経費負担が相対的に軽く設定されてきたこと、学生の時間に関する機会費用がほぼゼロであるとみなされてきた結果ではないであろうか、と思われる。そうであるからこそ、この種の遠隔教育に日本において取り組んできた、放送大学が1983年に設立され、各種のかなり良質なコンテンツを提供しているにもかかわらず、そこで学習する人々はそれほど多くはなかった。
放送大学の教育と大学選択
遠隔教育と時空を共有を前提とする教育方法を考える際には、この放送大学が多く選択されてこなかったという事実を考えねばなるまい。当初、放送大学は国立大学として設立され(現在は私立大学扱い)、学費もウルトラやすく、そのコンテンツもかなり良質にもかかわらず、人々はこれを選択せず、いわゆるキャンパスがある大学に向かうのか、ということについての考慮なしに、日本の大学教育のオンライン化とそのもたらす問題を考えることは、かなり問題があるように思われる。
教育の質的内容を求めるのであれば、基本的に放送大学のような形が望ましいわけであるし、企業もそこの出身の学生を大量に、採用するが、そうはなっていないのは、企業が見ているのは、大学での教育内容とそこで学生が身につけた知識ではなく、高校から大学に進学する際にどの程度の耐力を示したかの結果である、大学入試が高校生段階で果たすスクリーニング機能であることは、これまで多くの人々によって、さまざまな場所とコンテキストにおいて指摘されているとおりである。
次回へと続く
Happy Easter!
式文では、
聖金曜日(Good Friday)の黙想から
さて、復帰一回目は、先日の4月2日に持たれた聖金曜日Good Fridayの黙想で用いられたテキストから、紹介してみたいと思います。
A Christian family propels us beyond boundaries. It turns us outwards to discover other brothers and sisters who are not relatives. ‘Behold your son’. Open your eyes. See. This stranger, this refugee, this person living in huge wealth or desperate poverty, this person we seem to have nothing in common with and struggle to understand. This person is your son. To be Christian is to recognize that at the foot of the cross is born our family, from which no one can be excluded. The cross is not just an instrument of torture. The outreach of its arms helps us to understand the breadth, length, height and depth of God’s love.
日本語私訳キリストの仲間である人々(ファミリー)は、境界を超えさせるよう私たちを力づけるものです。そして、その仲間は、親戚ではない私たちの兄弟姉妹たちを見つけるように私たちが外に目を向けさせます。「あなたの息子を見なさい」(マリアに対して十字架上でイエスが言った言葉の一つ)。あなたの目を開いて、見なさい。この見知らぬこの方、この困っている方を、富が有り余っているようなこの方、また絶望的な貧しさにあるこの方、何も共通点がないと見えるこの方、そして、理解しようとして必死になっているこの方。この方はあなたの息子なのです。キリスト者であることは、私たちの仲間がイエスの十字架の根元で生まれたことを理解することでもあります。そして、それは誰も排除されないのです。十字架は単なる残虐な刑罰の道具ではありません。十字架の上で延ばされた(イエスの)手は、私たちに神の愛の広さ、長さ、高さ、深さを私たちが理解できるようにするものなのです。
わたしたちが見逃している、あるいは気が付かないでいる人々も、本来神の子となるべくして存在していること、新たな仲間、ファミリーを生み出させる出発点となったイエスの十字架上での死と復活、全ての人々を含むべく完成されたイエスの復活の聖に我々が招かれていることを日々覚え、これからの日々を進んでまいりたいと思います。そもそも、我らも、神の子となるべくして存在していたのですが、神に見いだされ、神のファミリー入りさせてもらえただけの存在なのですし。
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さて、これまで、日本にあるいくつかの教会モデルを大幅に捨象して、その特性を考えてきた(第1回)。次に、ヨーロッパ社会やアメリカ社会における移動とその原因、移動と教会の関係を考えてきた(第2回)。さらに、日本における近代の人余り社会、人余り社会での地域間移動、特に戦後期における経済の変容と都市部への若者の集中(第3回)、日本とアメリカの関係、日本の教会とアメリカ教会との関係、戦後の若者が入れ食い状態であった教会(第4回)、そして、戦後の若者とバブル経済を経て、変化した日本社会と現代の若者の違い、現代の若者の生活環境を境界は認識した方がよいし、それが伝道の出発点ではないだろうか(第5回)ということを連載し述べてきた。
本日は、いよいよ本丸。この連載で準備してきたことを基に、もっとも言いたいことを述べてみたいと思う。
大体このブログ、ブログにあるまじき内容と長さなのであるが、今回はその中でもウルトラ長い。実に申し訳ないが、お付き合いいただけたら、幸甚である。事前に予防線はっておく。
それは、日本の教会と信徒とCOVID-19がもたらしたことについて述べたいのである。
個人、コミュニティ、教会
日本のプロテスタント系の教会は、日本基督教団系、福音派系の教会のいずれも、アメリカ型の教会の影響を強く受けてきたことは、これまで第2回、第3回、第4回でお話してきたとおりである。個人の居住地選択の自由があり、さらに地域内、地域間の移動が自由になり、交通技術等により技術的に個人の移動が制約を受けなくなり、社会における移動が頻繁に起き、それに伴う転居と教会の移動がかなり頻繁に起きる米国型の教会をモデルをしている割に、日本の教会では、会衆の移動が起きず、ヨーロッパ型のコミュニティベースのようなその教会に長年通い続ける人々が多く、ある種檀家寺、氏神様の神社の氏子社中ような構成員の関係がみられる教会になっている(第4回)こともお話した。
しかし、日本の信仰者同士の関係をよく見ていると、教会に内在するバーチャルな人間関係のコミュニティも依存している部分があり、それが教会の移転を阻んでいる可能性がある(第4回)ものの、個人の信仰の内実を見ると、神と個人の関係が強すぎ、信仰者同士の相互関係が、強いというわけではない。それはそれで、尊いことではあると思う。神と人がともに時間を共有するというのが、キリストがこの地に来た目的でもあるからである。
しかし、もう少し子細に検討して見ると、教会という組織あるいは法人(あるいはその一部)と信徒との関係が、必要以上に強いような気がする。牧師さんでも、教派またぎ(メソディストから聖公会とか、バプティストからメノナイトとか、メソディストから改革派とかいった形のキリスト教のサブグループの壁を越えて)の移動をされる方はごくまれであり、信徒レベルでは、教会で何かにけつまずいたとか、ミーちゃんはーちゃん同様に、ある教会でうまくいかなくなって初めて、教派またぎが発生することが一般的なように思われる。
チャーチホッパーと教会
アメリカだと、チャーチホッパーと呼ばれる、キリスト教的な祝福とか、(説教によって)恵まれるという経験を求めて、マタギの猟師か漁場を転々とする漁師のように、一日に複数の教派の教会を巡る人々もおられない訳ではない。それだけ、街中に教会が多いこと(5分から10分歩けば、教派教団を問わなければ、教会がある)もあるから、可能であるスタイルではあるというのはあるであろう。そして、教会の側でも、多少は気にするが、特に問題を起こさない限り基本はスルーしていて、よく来たなぁ、程度の対応である。そもそも、教会籍という概念がかなり薄い部分があるからであろう。
ところで、祝福と呼ばれるものを求めて、一日に複数の教会を渡り歩く信仰スタイルが、よいかというと、議論はある。ミーちゃんはーちゃんのように、フィールドワーク(実地の教会巡り)をすることにより、一人日本基督教学会(キリスト教に関する伝統のすべてを研究する日本の学会、ちなみに日本基督教学会の学会員ではない)のようなことをして、研究対象としての教会とその中での出来事を分類して、その様子を知りたいといっためちゃくちゃ変な人(特に祝福されるという体験を求めているわけではなく、調査対象としての単なる興味だけから回っている)は別として、複数のキリスト教の伝統を安易に混ぜると、知的な面でも、霊性の面でも、聖書理解の面でも混乱を起こし、キリスト教理解がキメイラ(複数の動物が合体した複合体の怪物)のようになりかねないので、あまり勧められない。
キメイラ(キマイラ) https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/57/P1250493_Paris_IV_hotel_de_Chenizot_chimere_bis_rwk.jpg/800px-P1250493_Paris_IV_hotel_de_Chenizot_chimere_bis_rwk.jpg
人生の成熟と他の教会への移動の可能性
チャーチホッパーは極端に頻繁に移動を繰り返す、非常に特異な例であるが、しかしながら、日本のように各個教会と信徒がかなりの長期間において対応関係をある面求められる、あるいは、各個教会や各個別のキリスト教の教派にキリスト者が対応付けられる、あるいは縛り付けられる形での関係であることを求められるのは、本当に望ましいのだろうか、と時に思うことがある。同じキリスト教を信じ、イエスの十字架の死と復活を心から信じているのに、人生の様々な状況の中で、それぞれの教会が合わなくなるということはあると思う。
キリスト教とは、最初にある人が出合った特定のタイプのキリスト教のことだろうか。これだけ、多様な教派が存在し、多様な教派がその独自性を持って存在するときに、何が何でも、最初に信じた教会にとどまり続けなければならないのだろうか。もちろん、同じ教会にとどまり続けることは、良い面もある。実際、前回の記事でお話ししたようにソーシャル・キャピタルの保全のコストの低さから言えば、とどまり続けることのメリットも大きい。
また、あえてソーシャルキャピタルの維持費の低さや、現在の教会でのソーシャルキャピタルの価値を無視して、移籍することもできるが、行った先でもまた別の問題に直面することは避けがたい。なぜならば、キリスト教会とはいえ、所詮鼻で息するものがなしていることであるし、そこには、キリスト者とはいえ、鼻で息するものが集まるものだからである。
信徒は無論のこと、牧師や司祭、司教とはいえ、灰から灰に、塵から塵に帰るものであるし、信徒もまた、灰から灰に、塵から塵に帰るものである。われらはアダム、土の人の子らであるからである。それを全員額に灰で十字が描かれることで、同じような存在であること、つまりわれらは、すべからく灰から灰に、塵から塵に帰るものであることを覚えるのが灰の水曜日である(おでこをどこかにぶつけて額に傷をつけたりする日ではない)。
アメリカ聖公会での2016年の灰の水曜日の様子
https://www.newsweek.com/ash-wednesday-when-lent-what-watch-start-1352778 より
米国では、若い時は福音派で熱心な信徒として過ごした人々が、中年期以降に、カトリック教会、聖公会、正教会などの伝統教派に近年は、一部流出し始めている傾向があるらしい。たとえば、こんな記事A, 記事B、記事Cなどが典型的である。
若い時には、福音派のキラキラした雰囲気や、ノリノリの音楽、仕事・家族そっちのけでの伝道とかっていうのは、若い間は何とか持っても、中年も後半に差し掛かると、しんどくなる部分もある。実際に、教会放浪したときに、バンドで縦ノリの賛美という教会にも行ったが、腰痛持ちになると、実際にしんどいこともある。それよりは、荘重さを持つ伝統教派の落ち着いた礼拝や、司祭の所作の美しさ、教養が付いたからこそ、その意味が十分に理解できる象徴に満ち満ちた教会建築、マンネリズムと呼ばれようがなんと呼ばれようが、安定した教会暦に従った礼拝、リタージカルな美しさというものの方がしっくりくる場合もある。ミーちゃんはーちゃんは、福音派の教会から流れ流れて、そういう信仰の経緯をたどった。
下の動画は、アメリカのクラブシーンと同じように、自分の教会にあう人だけを入り口の担当者が排除しまくっているのではないか、ということを揶揄した米国のUnited Church of ChristのTVCMである。キリスト教会は、全ての人を歓迎しますと言いながらも、実際には、このTVCMのように、こわもてのお兄さん(Bouncerと呼ばれるバーの用心棒 現在のパパ様 教皇フランシスコ猊下の元のお仕事の一つである。今は、用心棒として人を教会から排除するのではなく、すべての人を神の子として教会に迎え入れようとして、時に物議を醸しておられる)のような人がいて、ふさわしい人のみを案内しているということはよもやないだろうが、どなたさまもお越しくださいとかウェブサイトや印刷物、チラシで言いつつも、実際行ってみると、様々な形で特定の来場者のみを受け入れている一部のキリスト教会が、日本にはないだろうか。
アメリカの教会United church of Christ のTVCM
伝統教派の共同体性
個人として、実際に、幾つかの伝統教派を回ってみた。日本コプト正教会、日本ハリストス正教会、カトリック教会、聖公会である。これらを回って礼拝に参加(見学)させてもらって思うのは、象徴性の重視であるとともに、聖餐、Holy Communionを介しての共同体性の強さである。そもそも、英語の聖餐をあらわす語のCommunionという語は、ラテン語のcommunisからの派生語で、Com(ともに) Unus(ひとつ)という語からのラテン語の合成語communisに由来するようである。つまり、我々は一つのものとして、イエスの十字架の死と復活にあずかっていくというサクラメント(聖なる儀式)が聖餐なのである。
最初に伝統教派の聖餐式に触れた最初の機会が、いまほぼ常時参加の聖公会の英語部の聖餐式であったが、最初に、聖餐式で以下の式文に触れたとき、あぁ、聖餐とはかくなるものか、すなわち、多くの人々が神のもとに呼び寄せられ、共に一つのパンであったものであるイエスという実存を象徴する具体的なパンという実存を受け取り、そしてともに神を礼拝することを示すものだ、ということを思い知らされた。プロテスタント系の福音派に類似するグループにいたときには十分理解していなかったことが、突如わかり始めたのである。もう目が開かれた感じである。聖餐が象徴する神秘を改めて、体験的に受け止めたといってもよい。
(司祭)We break this breadto share in the body of Christ.(会衆)Though we are many, We are one body,Because we share in one bread.
それに対応する日本語の式文は以下のとおりである。
日本語の式文(聖公会祈祷書から)
(司祭)わたしたちがパンを割くとき
(会衆)キリストの体にあずかります(司祭)パンがひとつであるから(会衆)わたしたちは多くいても、一つの体です。
Though we are many (式文を基にした賛美歌)
過去のメンバー、離れた地方の教会、別グループの教会を含め一つであることを覚える礼拝
この式文だけでははっきりはしないが、伝統教派の式文に触れる中で、教会とは、単に、今いる教会のメンバーが一つという意識ではないという印象をもったのだ。時々、仕事の関係で神戸教区の聖ミカエル大聖堂の朝7時からの聖餐式に参加させてもらっている(今は、COVID-19の緊急事態宣言中なので、遠慮中)のだが、参加するとその週に過去亡くなった、聞いたこともない人々の名前がかなりの時間にわたって読み上げられるのである。ここまでしてくれるなら、教会籍にこだわる意味はあるが、年に1回程度物故者の記念日だけに読み上げられるためだけの教会籍、ってどうなんだろうと、いつも、あの長い今週の物故者リストを聞くたびに思う。
ところで、伝統教派の礼拝のコア(多くのプロテスタントは、説教が礼拝のコアであるタイプの教会が多いが)である聖餐の前には、アングリカンコミュニオンでは、Prayer of the Intersessionの(代祷)という部分で、その教会で亡くなった人々を覚えることに加え、世界中の聖公会の教区、学校、教区の他の教会、学校、病院、福祉施設などの教会付帯施設や、働き、主教や司祭の特定の教区、教会、組織や働きを覚えるとともに、他の地域のキリスト教会のためなどのために祈る。これらを通し、我々もこれらの人々と同じ仲間である、コミュニティ、われわれは一つなる教会を形成しているものであるということを覚える。
これは、とても大事なことであると思う。なぜ、大事かというと、このような代祷と呼ばれる場で、彼らも我々も、キリストにあってつながっていること、そしてその人々や、教区の内外の教会の働きを覚えていくのである。つまり、この代祷を通して、空間を超え、時間を超え、時代を超えて、キリストにあって一つであることを覚えるのである。こういう式文と礼拝に触れるたび、教会という存在は、そもそも共同体性の強いものであったことを改めて感じる。
それと同時に、ヨーロッパでは、教会は地域社会の中心であり、教会を中心に村や町が形成されていったのである。教会というよりはローマ軍団の施設の土台(これが仮設建築であったとしても、結構しっかりしていて、2000年くらいの風雪ではびくともしないほど頑丈)を再利用しながら、教会建築が作られていくのだ。そして、ヨーロッパの多くの都市の場合、教会は、それぞれの都市の出発点となったローマ軍の駐屯地司令部の跡地に建てられていることが多い(ケルン大聖堂は、当時のローマ軍司令部の跡地に建造されている)。
フランスのある村の地図 村の奥の中心部に教会が見える
https://www.vintage-maps.com/en/antique-maps/europe/france/de-belleforest-france-provence-aix-en-provence-1575::11669
近代化に伴った地域と教会の対応関係の崩壊
地縁といったネットワークと教会との対応関係が崩れた信教の自由が共通の社会的理念となった近代型社会の中では、個人が教会を選ぶということが始まる。さらに、カトリック教会がフランスでは大きな力を持って人々の生活を縛ってきたことへの反感から、非宗教的(世俗的)な国家概念を提示・実践することを通し、国家と国民と個人と特定の教会(フランスの場合はカトリック)との分断が図られる。
さらに、アメリカ合衆国憲法修正第1条を成立させることにより、アメリカ合衆国としては、特定教派の国教会を持たないし、国家(State)や連邦(Federal)が特定教派のキリスト教や宗教を国民に強要してはならないという形で、国家と地域と教会と個人との関係を解体したと言える。ただし、国家と地域は、政府の政策をどのように国民国家と呼ばれる政体における地域をどう管理運営していくか、という点においては完全に分断されたわけではないが、教会と地域社会の中の住民との対応関係を以前に比べてかなり弱体化させたように思う。特に、共産国では、非常に強い態度でキリスト教の文化基盤とキリスト者の信仰そのものを破壊しようとしたため、地域と教会との関係は極めて弱体化する。
そのことをドイツの例で見てみよう。以下の図は、2011年の統計を使用したドイツにおけるキリスト教の信徒数の分布である。オレンジ色は、カトリックであり、南部から西部にかけてカトリックが多いことがわかるし、紫色は、プロテスタントであり、ドイツ中央部から北部にかけて多く、黄緑色は、特定の教派職を持たないNon Demominationalとその他となっているので、おそらく福音派一般をさすものと思われる。
この黄緑色のかなりの部分の地域は、東ドイツと呼ばれた地域で、かつて共産党が支配したため、宗教的な空白であったドイツ連邦共和国(東西ドイツ合併後の存続国家)の東部と中央部に複数黄緑の濃い部分がある。ある面、地域とキリスト教の特定教派との対応関係が共産党政権の支配で完全に崩れたところに、今度は、共産党政権そのものが崩壊したため、これを機にNon Demominationalと呼ばれるおそらく福音派を中心とした宣教団体が伝道した結果、これらのキリスト教が旧東ドイツ領域に黄緑の地域が多いようである。逆に、旧西ドイツ領であった地域でもあるドイツ中部と北部の都市部の領域でルター派やカルヴァン派といったプロテスタントが多く、ドイツ南部ではカトリックが多いという構造になっているのであろう。
2011年のドイツのキリスト教分布
https://www.researchgate.net/figure/Spatial-distribution-of-denominational-affiliations-of-residents-in-Germany-in-2016_fig1_346676739
ところで、領域の共同体に対応する教会や教派(この地域はルター派、この地域はカトリック)といった形や、ある村のような領域が先にあり、その村の中心に教会があり、その村に対応する形で教会が存在するという形が崩れてから、現在、おおむね200年近く経過したわけである。教会と地縁社会との対応関係が弱まって以降の近代の教会と信徒の関係は、どうしても、個人が特定の教派を選択し、その選択した教派群との関係において自己の信仰理解を深めていくという部分があるように思われる。それは、それでメリットがあることは、これまでも述べたとおりである。信教の自由は、人を自由にもしたという点で評価できる面もあるが、その結果失われたものと、新たに派生した問題もある。それが何かを次に考えてみたい。
信教の自由がもたらした公共性の希薄化、信仰の私事化
それは、フランス革命やアメリカ合衆国憲法に定めた、信仰の自由の理解が一般への広がり、広く普遍的な価値として認識される中で、本来公共的なものであった共同体としての信仰の崩壊の危機をも、もたらした点である。地域社会と地域住民と教会との対応関係が崩れるとともに、ある面、信仰の個人化が始まったのではないか、と思う。その結果、ある種、どのような信仰スタイルを選ぶのかはあくまで個人の問題になり、ある種の信仰の私事化ということが起き、公共性とのかかわり、地域社会とのかかわり、共同体との関連性が希薄化したばかりではなく、個人と地域共同体との間における分断と都市での人々の孤独という新たな問題を発生させた部分もあるのではないか、と思われる。
そして、地域社会の風景として教会は存在しても、地域社会の登場人物として登場しない、見えない空気のようなキリスト教、前回ご紹介した文化としてのキリスト教の存在となっていった部分があるように思う。特に、日本のプロテスタント系の教会派と呼ばれる教会群や、いわゆる福音派と呼ばれる米系のキリスト教にはその側面が強いように思う。まぁ、文化であれ何であれ、ある面ここまで広くかつて日本において「耶蘇」と呼ばれ、かなり否定的な目を向けられるだけであったキリスト教が、曲がりなりにも定着したという意味では、宣教論的には一定の成功があったとは言えるようには思う。
参加型教会の一つとして受け取られるユニバーサルモデル、地域モデルの教会
信仰の自由という概念の普遍的理解としての定着は、その意味で、本連載の第1回で述べたような、1)のユニバーサルモデルの教会(カトリック教会)であれ、2)の地域モデルの教会(正教会や古プロテスタント教会、聖公会など)であれ、かつて教会が持っていたような、問答無用という形での教会と信仰者(地域住民)との対応関係ということを大きく崩壊させたのである。その意味で、グローバルモデルや地域モデルの教会モデルであっても、人々が選ぶことができる教会の一種類、参加するかどうかは個人の主権の問題(未成年者の場合は、家族の問題)として定義される多くの教会のうちの一つとなってしまった。
その意味で、地域の人々の信仰を定義し、地域の人々の霊性をある面問答無用で定義する教会から、個人ないしは世帯として、参加することを選ぶ教会の選択肢のうちの一つとなったという意味で、これらも、また、3)の参加型教会の一つとみなされることになる。
ある意味で、信仰の自由の普遍的な原則としての理解の一般化は、教会内部の議論や論理(神学的な理解に立った教会と信徒の関係)を別として、教会の外側というか、かなり離れた場所から教会を見るようなメタ概念の立場から観察すれば、あるいは、最近はやりの言葉でいえば俯瞰的な立場から観察すれば、現代のほとんどの国家において、全ての教会は参加型教会となっているはずなのである。それが、国教会を持たないということにより、われわれにもたらされたものであるはずなのだ。
信教の自由と信徒の教会間の移動
以上の諸側面を考えると、信徒が他のキリスト教の教会に行ってはならん、教会を移籍してはならん、移籍することをさまたげるいかなる内部論理も行為も、普遍的価値であるとされている信教の自由に反することになる。つまり、憲法裁判をやられれば、世俗の法律論から言えば、敗訴はほぼ確定である。
しかしながら、教会移籍に関する内部論理(教理)を明確に保有する教会は、サクラメントをあまり重視しないプロテスタント派においてどの程度あるだろうか。もし、信教の自由の理解を普遍的価値として認める、そのうえで他のキリスト教会への移籍や転籍を望まない、あるいは抑制的にしようとするのであれば、この教会移籍に関する内部論理としての教理を、何らかの神学論、神学理解、あるいは聖書理解において持たねばならないはずである。
カトリック教会と正教会の場合は、サクラメント論、とりわけ洗礼論と聖餐論の論理で教会間移籍に対する内部論理を担保している模様であり、そのような確固たる論理がある場合には、それをカテキズム教理問答などを通して、本人も十分納得したうえで信仰者となるので問題はない。
しかし、多くのプロテスタント系、特に日本の福音派の教会では、これらの厳密な神学的理解を経ずに、そして、このあたりのサクラメント論をいい加減にしたまま、なんとなく「救われた教会に長く集うことが理想的である」とか、「洗礼を受けたキリスト教会ないし、その教派で、一生過ごすのが望ましい」、「いや、一生過ごすべきだ」という個別教会ないし個別教派に信徒を縛るという謎設定、あるいは、『囲い込み』が行われているようである。
あなたのためだから…はぁ?
まぁ、信仰が未成熟で、聖書知識や教派理解、思考能力や判断力が不十分な未成年のような状態で、変なところによっていくと、ろくでもないことが起きることは確かである。自動車免許を持たない幼稚園児に30トントレーラーのキーを渡すようなものであるからである。キリスト教系カルト団体による被害にあうことも生じるであろうし、被害者となるばかりでなく、加害者ともなる可能性もあるからである。それは抑止するのが、親切と言うものではあるとは思う。
しかし、明確な神学的議論もなく、教理もなく、カテキズムの理解やサクラメントの議論をいい加減にしておいて、「うちの教会でないとだめ」、「移籍するにしてもうちの教派だけでないとダメ」とか、あまりに謎設定すぎないだろうか、と思う。実は、このことが言いたいために、この連載をしてきた部分がある。大変申し訳ないことであるが、これまでは、その前哨戦なのである。でも、前哨戦(出城、外堀、内堀、曲輪、大手門など)がないと、この問題の背景がわかってもらえないからこそ、延々と前哨戦をやり続けてきたのである。
この謎設定を扱う本記事が、この連載の本丸の一層部分なのである。教理による一定の裏付けなく、「あなたのためだから」ということだけで、教会の転籍ができないとか、あまりに謎設定すぎるように思えてしまう。昔の外為オンラインのCM同様、その裏に何かあるのではないか、と思いたくはなる。
昔の外為オンラインのCM同様
「自分のところの教会の礼拝でないとダメである」とか、「自分の教会の所属するグループの教会でないと認められない」と散々信者を囲い込んで、さらにその人が他の教会に移動することを希望しているにもかかわらず、移動させない、あるいは転居先からでも元の居住地で通っていた教会に通え、となるのであれば、その人の信仰の内実を育てるために、キリスト者としての成長に必要な栄養分、必須栄養素である「礼拝と共同体」を提供しているかもしれない他の教会にいけなくしてしまい、結果として、他の教会に行くのをためらう人も多いようである。
そして、挙句の果てに、教会からひっそりと姿を消す人々については、最初の数カ月は配慮があったり、気にはされるが、世の常として、去る者は日々に疎しであるので、数十年単位で記憶されるということなどはめったにない。忘れられる権利がきっちり確保されているのである。
教派内移動が比較的容易な制度となっているカトリック教会
カトリック教会では、さすがに日本でも最大の信徒数と教会数を擁しておられるだけに、割と小さな町に行っても、カトリックの教会はあるし、司祭はおられなくても、一応聖書と典礼という聖書付週報と祈祷文はきっちりとあるから、何とかなるところはある。おまけに世界どこのカトリック教会に行っても、読まれる言語と司祭の方の所作が微妙に違いがあるくらいで、基本ユニバーサルサービスを実現しておられる。礼拝と祈祷へのアクセスポイント数は世界的に圧倒的なのである。
しかし、プロテスタントにおいてはアクセスポイント数自体は各派を合わせれば、カトリック並みかもしれないが、その内容たるや余りに多様過ぎ、ある軸をとった時の端っこ(古プロテスタント系の静謐なリタジー重視のルター派)ともう一方の端っこ(バンドの大音量の音楽をかき鳴らし、飛び跳ね異言を語るペンテコステ系)では、これを同じプロテスタントの分類に入れてよいものかどうか、迷うものも実際多い。非常に難しいものなのである。
確かに、カトリックの司祭もさまざまであるが(もちろん、現在のパパ様、教皇フランシスコ猊下を大激怒させ、落ち込ませた小児性愛者や性犯罪者であることが明らかになった司祭と、その司祭に人生を狂わされた人々もアメリカや南米、日本を含め少なくはない)、一応、司祭としての適性があるかどうかを、最低でも7年程度かけた訓練と共同生活でカトリック教会としては判断しておられるようなので、完全ではないとはいえ、一応のスクリーニングは効いているが、プロテスタント系の場合、必ずしもそうとも言い難い。
プロテスタントの一部では、2年から3年程度の訓練で牧師にするところもあるし、「導かれた」、「示された」ということをミーちゃんはーちゃんは、必ずしも否定するものではないが、十分な祈りと洞察もなく、「導かれた」、「示された」と言いつのり、まともな訓練を受けないまま牧師を名乗る不心得者もいない訳では無い。残念なことであるが。
どうも、まともな訓練を受けてない形跡のある牧師先生が沖縄で起こした事件と教会の顛末の一部は、どうぶつ舎の池上 良正(1991)の『悪霊と聖霊の舞台―沖縄の民衆キリスト教に見る救済世界』を参照してもらいたい。この本で紹介されているような、いろいろ課題を抱えていて、かなりややこしく思える教会に残念ながら引っかかり、人生も、身体も、預金通帳もボロボロにされ、人生を狂わされることも、ごくまれにではあるが、実際に存在するのだ。
また、仕事でしくじったから、もう一回キリスト教業界で再チャレンジとか、適性関係なく牧師を目指す不心得者もいない訳では無い。それを揶揄した『宇宙戦艦ニートならぬ宇宙戦艦 KNSHNSHをうたってみた』という替え歌のざれ歌はこのブログですでにお示ししたところである。
教会によって向き、不向き、合う、合わない、合わなくなるはあるかも
その意味では、教会だから、同じキリストの体であるから、といって安易に勧められないし、教会を薦めた結果、残念な結果に終わることも少なくない。腰痛持ちの中高年に、飛んだり跳ねたり元気いっぱいのキラキラ教会は必ずしも向かない。だからと言って、無理にあわないサウルの鎧や剣を少年ダビデに無理やり縛り付けたり、持たせるのも、いかがなものかと思う。ダビデは、羊飼いのなりで行動し、5つの小石と石投げスリングが一番当時のダビデ君にとっては良かったのである。それと同じことである。
また、ダビデも年齢に合わせて、なりを変えているはずである。いつまでも、以下のイタリアの画家Turchiが描いたような、絵にかいたようなイケメソではなくなり、胴回りには脂肪もつき、体が冷え、夜も眠れなくなっていったのである。人間は灰から灰、塵から塵に戻っていく生き物であるので、変化する生き物である。であるとすれば、そんな鼻で息するものに、高々この500年の間に成立したキリスト教に対する一貫性を求めたり、それに殉じたり、それに縛り付けるというのは、個人的には土台無理のように思えてならない。
ゴリアテの頭部を持つダビデ 17世紀イタリアの画家 Alessandro Turchi
https://www.pinterest.jp/pin/331085010081381411/
善意で始まって最悪の結果で終わるこの世界
教派間でも、教会の移転は難しいが、どうもプロテスタント教会の一部では、同じ教派内でも、意外と別の教会に参加するのは難しいようである。それも、上の外為オンラインの「あなたの為だから…」的な発想から、信仰者として落ち着いた環境の中で、安定した環境の中で育つのが良いから、という善意で始まっているのであろう。確かに善意で始まっているのは、麗しそうに見える。結果もよいものであるはずだと思いたいお気持ちもわからなくはない。そして、善意で始まったプロセスの結果もよいものだと思いたい。しかし、善意で始まっているからと言って、結果が善であるとは限らないのが、残念ながら、鼻で息するもの、アダムの末、灰から灰に、塵から塵に帰らざるを得ない者どもの世界である。
義務教育での善意と不幸な結末
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。(日本国憲法 第26条第2項部分)
また
国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
(教育基本法 第5条)
とある。
教会間の事例
カトリック教会や正教会さんのように、聖餐論なり、洗礼論なり、サクラメント論でガチガチに固めている(さすが、中世のスコラ哲学や古代教父は違うと妙に感心)なら、それなりに理由もわかるが、サクラメント理解とその体系がそこまでガチガチでなく、ゆるゆるなことが多い(ミーちゃんはーちゃんが管見する限りであり、実際にはサクラメント論をきっちり積み上げてガチガチの教会群もあるあもしれないが、その節はどうぞご容赦を)プロテスタント教会での教派内(自グループのキリスト教会間)、教派間(他グループのキリスト教会群との間)での教会の移籍の抑制も、他の教会との平和を願う善意で始まって、その結果として信徒の行動を制限するという不幸しか生み出していないように思える。実に救いがない世界が繰り広げられていそうである。
どうもプロテスタント教会では、同じ教団や教派に属する教会同士の間でも、特定の教会の正式メンバーと、他の教会のメンバーであるものの、遊びに来る同じ教派グループの教会メンバーのある人に来るな、という教会もあるようである。若者が多い教会には、若者が多く群れるのは当然である。JPOP好きな若者に、謡曲や歌舞伎の好きな老人との共通点と言えば、同じ時間を生きていて、同じ建物にいるキリスト者、同じ教会の教会員というくらいしか共通性はない。接点が限られる人同士で、無理に接点を見出そうとすると、かつてのアンジャッシュのコントのようになってしまう。
それは若い衆だけでなく、高齢者でも同じことである。ハイソな文化がお好きな高齢者がたくさんいる教会には、ハイソな文化がお好きな高齢者がたくさん集まるものである。それはハイソな文化で話が弾むからである。
同世代の人たちで、傾向性が似ている人と一緒にいる方が過ごす時間も楽しいし、話も弾む。そうなると、集積の経済効果と同様の効果や、ある種のシナジー効果が働くので、若い人がさらに若い人を呼ぶ。こうなると、ある教会が提供していた若い人の向けの時間だけでなく、若い人向けの時間を提供する朝の礼拝の時間まで、より多くの時間を仲間と共に過ごそうとして若い人が他の教会からくる人々も多くなるであろう。そうすると、若い人が集まった側の教会に、若い人が流出した教会から苦情も入ることもあるらしい。逆に、高齢者が集まると高齢者を呼ぶわけであるが、高齢者が流出した教会から、高齢者が流入した教会にクレームも入るのかもしれない(でも、多分ないとは思う)。
こんなお話を聞くとなんか、もう、さすが日本の教会、ほぼ『仁義なき戦い』の世界をキリスト教界隈でやるんだなぁ、と思いたくもなる。教会の移籍問題は、時に以下の仁義なき戦いのようにしか見えることがあるのは、多分ミーちゃんはーちゃんの気のせいなのだろう、ということにしておこう。さすが、仁義なき戦いも鼻で息するものの世界、キリスト教会も鼻で息するものの世界である。
仁義なき戦い 頂上作戦 故人となった梅宮たっちゃんや松方弘樹が若い若い
「広島極道は、芋かもしれんが、旅の風下にたったことはいっぺんもないんで」
ではないが
「この教会の極道は、芋かもしれんが、お宅の教会の風下にたったことはいっぺんもないんで」
と言っているように聞こえてならない。ご自分の所属する組織に愛着を持ったり、誇りを持ったりすることは悪いことではないが、行き過ぎには注意が必要と思えてならない。
まぁ、なんと、鼻で息するものの世界は不条理と悲しみと苦悩とに満ち満ちている。まさにコヘレトの言う如くである。何も本質的に新しきこともなく、全ては過ぎ去っていくのである。(ここまでが、第3層部分である)
最後に(いよいよ天守閣の最上階)
ところで、現在のCOVID-19の急速な感染者の拡大とそれに伴う政府の緊急事態宣言と不要不急の外出の自粛のお願いは、信徒を境界から引きはがし、自宅に軟禁した。『おうち時間』が増えたのである。説教中心のプロテスタント教会の信徒場合、礼拝に参加することは説教を聞くことであるから(それだけではないとは思うのだが)、YoutubeやFacebookや、WebEXやZoomなどで配信される流される説教を視聴することがCOVIS-19 の感染者拡大中の地域では、礼拝に参加するとなっている場合も少なくない。
このため、各教会は今までしたこともなかったYoutube配信や、Zoom配信、Facebookによる礼拝のオンライン配信を始める。伝統教派では式文による礼拝の儀式そのものを含め流す教会もある。あるいは、プロテスタントでは説教を流す教会もある。かくして各派の説教動画が乱立し、世界中の説教や礼拝の動画をいとも簡単に視聴できる環境が出現する。
この結果、スマホやタブレットでのタップを何回か、あるいは検索エンジンで検索し、スクリーン上でタップを何回かすることで、あるいは、PCの画面操作を何回かすることで、信徒は、その信徒が所属する教会の礼拝や説教を自由に見、また説教に触れることを可能にした。しかし、それは同時に、信徒が他の幅広いキリストの体をなす教会の礼拝や説教を見ることも可能にしたのである。
そして、所属の問題はさておいて、教会員であれ、司祭であれ、牧師であれ、大司教であれ、他の教会の説教や礼拝、あるいはYoutube牧師の聖書理解を自由に見ることができるようになったのである。教会籍や教会所属の意味は、葬儀と地表上の位置座標を持つ教会という建物を介した人間関係や教会に据え付けられているかもしれないメンバーリストのデータとしての存在を除くと、もはや何もなくなったに近い状態である。
COVID-19が人を自宅に縛り付けた結果、これまで人々の教派間の移動と交流を抑止してきたあの高い教派の壁が、個別教会による壁が、教会籍による壁が、人々を寄せ付けなくしていた物理的、地理的、心理的、障壁が、いとももろくも崩壊したのである。エリコの壁の崩壊どころの話ではない。神様とは時に妙なことをなさる方かもしれない。
今回のCOVID-19は、地上において、人々が大事にしている方や、愛する方々が失われるという、とてもとても悲しいことも非常に多く起こしてしもうたかもしれないが、「案外キリスト者ってのは一つであるかもよ」、「地上では教会籍だ、うちの教会だ、よその教会だ、なんだかんだ言っているけど、案外わしの国は一つかもよ」ということを、「ほら、やはりそうだろ」とも言わずに、キリスト者がともに主を愛し、賛美している状況を見せ合い出来るある種の公共的な状況を作り出されて、我々に見せる機会を与えてくださっているのかもしれない。また、これまで、愛する子たちが、自分たちの教会という建物や自分たちの教会の伝統をあまりに大事なものとしすぎていたために、気が付かなかった、あえて見なかった神の国を改めてみる機会を与えてくださってるのかもしれない。
エキュメニカル運動というと、ついなんか「一つになろう」「無理してでも一つになろう」「妥協してでも、一つになることが大事だ」とか言うバベルの塔を建てる話と思い込みたがるせっかちな人々がおられることも十分承知しているが、たぶんそうじゃないんじゃないだろうか。多様なものが、同じ一つのキリストという命のパンを共有し、その違いがあるまま一つであることなのではないか、と思う。このキリスト教徒公共の問題は、イースター以降に少し考えてみたい。
礼拝、説教動画集
今回、あちこちの教会の礼拝や説教、伝道目的で語られている動画をいくつか拾ってみた。もしよければ、この多様な表現により一つのお方、神を礼拝するキリストの体の姿の多様性を味わっていただきたい。実に味わい深いのである。どこが正しい、どこが間違っているとかの判断をいったん保留して。すべての動画で紹介されている教会や個人が、言語や空間、時間を超えて、神を愛しているということ、キリストはこのように人々によって真剣に礼拝され、愛されているということを味わっていただければ、何よりである。そうすれば、上の動画で紹介した仁義なき戦いのようにお互いの正しさを振り回すことがいかに無益なことであるのかがお分かりいただけるであろう。なお、動画の紹介順に特に意味はない。
カトリック武庫之荘教会のデンニ司祭による聖金曜日の礼拝
日本ハリストス正教会 熊本人吉教会の水野司祭による主の降誕祭の礼拝の模様
ルター派のAsh Wednesdayの模様
Washington National Cathedral, The Episcopal Church(米国聖公会)の礼拝の様子 43分あたりから元英国王子Prince Harry, Duke of Sussexの結婚式で印象的な説教をしたMichael Curry主教が出てくる
ケルト風の式文によるnorthumbria communityの灰の水曜日の模様
日本イエス・キリスト教団 明野教会の大頭牧師による礼拝説教の模様
京都西京極キリスト集会(西京極バイブルハウス)の中原道夫さんによる聖書のお話
カンタベリー大聖堂の灰の水曜日の聖餐式
以上で、本連載は終了である。お楽しみいただけたのなら、幸甚である。
レント期間中なので、「He is Risen」「ハリストース復活」「主のご復活、おめでとうございます」「アレルヤ」「アレルイヤ」「ハレルヤ」と言える日まで、当面鎮まりたい。
それでは、レント明けに再会いたしましょう。
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前回の記事では、明治期以降の日米関係と、日米の教会間のかなり強い紐帯があることをご説明した。そして、1950-1970年代までは、外国から開いた小窓、外国とつながる細い道として教会があり、そこに人々が群がったこと、そして、日本人の真面目で一所懸命な精神世界があること、さらに、教会での人間サポートネットワークと教会が提供するソーシャル・キャピタル、人間関係ネットワークの存在と移転に伴う毀損が、人々を同じ教会に長らく止めおく原因ではないかという仮説を提唱した。
プラザ合意とバブル経済とキリスト教
しかしながら、高度経済成長期末期のオイルショックで長期不況に苦しみながらも、日本は、1970年代から1980年代までは世界の家電工場、小型自動車工場であり続け、家電製品や自動車輸出の代金としての外貨が国内に大量に流入し続けた。貿易黒字大国であったのである。そして、企業の労働者やその候補生となる大学生としての若者が、都市部にブラックホールのように吸い寄せられ、その一部の若者が当時のプチ外国経験とやや高尚な楽しみを提供していた教会にも吸い寄せられた。
日本の経済発展に伴って、1980年代のプラザ合意以降、円高傾向が急速に進展していったため、国内のドル資産が製造業を中心とする企業や間接金融を担う金融機関に大量に蓄積し、行き先を失った資金は、日本国内の土地という限られた資源を投資先とすることとなった。そして日本の不動産市場には資金が大量に流れ込み、不動産バブルが起きた。日本の不動産バブルは1990年代に急速な金融引締政策を取るまでは続くのである。こうなれば、日本の金余りと円高傾向を背景として、海外旅行が相対的に低価格なものとなり、パリやローマでブランド品のバッグを買いあさり、日本企業は、ニューヨークなどの土地やビル、映画会社などを買いあさるというまさに絵にかいたような成金そのものの行動を行い、現地の住民や企業に顰蹙を売りつけたのである。そして、ハワイや、カリフォルニア、そして、アメリカ西部の国立公園などでは、日本人の姿を見ない日がないほどに押し寄せたのである。こうなると、プチ海外体験としての教会が日本人に提供してきたキラキラ感は、本物の外国の前にはいとも容易に破壊される。
パリのルイ・ヴィトンの前に列成す日本人 http://francefrancais.com/2017/02/16/bubble-boom/
そして、バブリーな時代、若者は冬はスキー、夏はサーフィンないしテニスにうち興じ、男女7人夏物語を見、東京の生活に憧れ、そして、あるものは、ジュリアナ東京で踊りまくるなど、金余り日本の中で、軽井沢だの長野だの、北海道のリゾートで人生を謳歌することが一般的であったのである。当時のヤングエグゼクティブと呼ばれ、ヤンエグと略称された人々のなかには、かつてのローマ人、かつてのブルボン王朝時代のフランス貴族かのような廃退した生活を理想とする人々もおられた。そして、バブル到来とともに、教会から若者が消え、教会での受洗者は激減した。
若いころの明石家さんまが登場する男女7人夏物語
バブルへGoの地上波での放送の予告編
バブル経済崩壊後のの若者の生活と教会
その後、NintendoやPlaybox、Xboxなどのゲームマシンの普及、インターネットの一般への普及などが起き、F1層やM1層とマーケティング業界関係者の間で呼ばれる強い購買性向を持つ若年世代の人々は、もはやあまりテレビ番組を見なくなる。そして、放送局は視聴者数の激減に伴う視聴率の低迷にともない、CM広告単価の低下と経営不振に直面していくことになる。なぜならば、テレビ番組は、放送時間に合わせて、人々に視聴を迫る部分がるので、人々の行動について、ある種時間制約をかけ、また、自由時間の特定時間の一部を拘束するという意味で、時間拘束的なメディアであるからである。とはいえ、視聴者数の急減に対応しようとして、TverやParaviなど、様々なそれを外す試みもされている。かつて人々の間で好まれたテレビ番組ですら、その時間拘束的な側面が嫌われ、視聴者の減少に直面しているのである。その意味で、現代の若者にとっての価値ある希少資源は、資金でも、空間でもなく、時間なのである。その時間を巡って、インターネット運営会社、書籍出版社、テレビ局を中心とする放送局が奪い合いを繰り広げているのが現代なのではなかろうか。
このような社会情勢にもかかわらず、キリスト教会群では、各個教会あるいは司教区や教派の『聖なる』伝統に基づき、教会は日曜日の午前10時30分から12時頃まで、または長いところだと、修養会などを含めると、午後15時か16時位まで、信徒の時間を拘束し続ける。また、遅い場合は、夕拝と称する集会もあるので、そこまで付き合うと午後7時か7時30分から9時頃まで再度拘束する。非常に大きな時間拘束的な取り組みであると思う。しかも、その曜日のその時間でないと教会での礼拝への出席ができない教会も多い。毎週日曜日の特定の信徒の時間を拘束し続けてきたのである。
個人的に、カトリック教会さんと聖公会の一部の教会がいいなぁ、と思うのは、通常の日曜日の礼拝時間帯に参加できない人のために、朝6時30分とか朝7時から礼拝の時間を開放してくださる一部の教会があるとういところである。朝少し早起きすれば、カトリックや聖公会の信徒は聖餐に預かれる教会もあるのである。これは、ウルトラ忙しくなった現代人にとって、何よりありがたい制度である。以前時々お邪魔していた神戸昇天教会は、日曜日の朝7時からの聖餐式(賛美歌と説教は省略)だったので、概ね30分程度で礼拝と聖餐に預かれた。実にありがたかった。また、神戸教区の聖ミカエル大聖堂では、コロナ前までは、朝7時からの聖餐式があり、日曜出勤の途中、業務の前に聖餐にあずかることができた。カトリック教会でも、毎朝7時頃からミサを立てておられる教会があり、その場合だと、毎朝聖餐に預かれるという実にありがたい環境を提示しておられる。
バブル崩壊後の若者の姿と教会
バブル崩壊後の景気後退環境下の小泉政権下の聖域なき構造改革(この一部として三位一体の改革とかアホなネーミングがされた地方行財政に関する改革もあるが、それはまた別の話)の結果、日本の雇用慣行は大きく変化する。その影響は、従来の労働法制に保護され、いわゆる終身雇用に近い雇用環境が維持された現在の概ね50歳代以上(1970年以前生まれ)の世代には、あまり強く影響せず、ロストジェネレーション、略してロスジェネ世代と呼ばれる現在50歳未満(1970年以降生まれ)の世代以降の世代により強く影響が出る。
特に、バブル崩壊時期以降の就職氷河期には、国公立大学をかなり優秀な成績で卒業した学生でも、地方銀行の採用はおろか、信用金庫信用組合ですら採用がないと言う状況が生まれたのである。そして、バブル崩壊以降、リーマンショックだの、ITバブル崩壊だの、ろくでもない経済環境が続き、正社員として採用されていることだけでも、感謝すべきことになり、この時期、国公立大学の卒業者であっても、自ら短期雇用契約に基づく派遣労働者となるものや、派遣会社での採用で良しとする人々もかなり出たのである。
そして、企業内には、バブル入社組と呼ばれるあまり能力的には高いとは言えない人々が大量に在籍し、そのバブル入社組が優秀な派遣労働者に偉そうに指示を出すというどこかおかしな労働環境が、日本の中小企業や大企業で発生したのである。その意味で、人生は、個人ではいかんともしがたい景気の状態を含め、時の運に差配されることが多いのであるが、1970年以降生まれの人々はろくでもない目にしかあっておらず、個人的には深甚たる同情の念を禁じえない。
しかしながら、このような雇用環境の大変革に現代の若者が巻き込まれ、厳しい経済環境、弱体化した労働者保護法制、柔軟な勤務スタイルとは名ばかりの残業代なしの自由裁量労働制への移行、長期雇用慣行を期待できない形での雇用慣行の変化、それに加えての消費税増税、年金財政の崩壊の危機、介護保険の導入に起因する実質的負担増、高齢者の健康保険の国保連合の負担力の増強のための共済及び健康保険組合の負担金(保険料)の増額と、もう、若者は泣きっ面に蜂であるが、選挙にも行かないし、人口数も高齢者に比べ少ないので、与党などからは見向きもされないため、法制度への反対運動もいまいち盛り上がらない。その意味で、数は力なのである。
地元志向の大学の受験生たちと教会
ところで、世俗社会(特に政治環境)でも人数が多く数は力であることによる受益をしておられ、教会でも数が多いため、そのご意向がある程度重視され、配慮ある待遇にある高齢者の信徒の方々の一部には、教会のイメージが若者が立錐の余地なしというほど集まった、若者の入れ食い状態であったあの1950年代や1960年代のままの時代理解であるためか、それらのイメージを懐かしく語り、「今なぜ、教会に人が増えないのか」と嘆かれる方々が多いということをかなりの頻度でお聞きする。そして、挙句の果てに、牧師の努力が足りぬとか、牧師婦人の努力が足りぬとか、もっと聖書研究が不足しているとかおっしゃられる信徒の方も、案外多いようである。
しかし、今の若者は、そもそも数が少ないし、人口移動もなく、都市部であっても若者があまり多いわけではない。東北大学や名古屋大学、九州大学の先生方とお話していると、東北大学は、全国区の大学というよりは、宮城、福島、岩手、青森あたりの出身者で30%強占められているそうである。また、名古屋大学でも、愛知県出身者を中心とした東海地方出身者がかなり多く、九州大学も、福岡県及び佐賀県の出身者が学生のかなりの部分を占めているという印象をお持ちであるとのことである。肌感覚としては納得的であり、印象である。
駅弁大学と揶揄された戦後各地に設立された国立大学群だけでなく、かつての旧帝国大学の系譜をひく大学でも、他の地域から若者を奪ってこれる感じではないと思われる。前回のブログで紹介した住民基本台帳ベースの人口移動のグラフが如実に示すように、そもそも、最近は、府県をまたいでの移動も起きてはいるが、高度経済成長期のような大量の移動ではないのである。
つまり、現代の都市部の若者のかなりの部分は都市部の出身者であるか、地方部の大学に通学する人々のかなりの部分が地元出身で、なおかつ地元の大学を選んでいる人が結構多いのである。都会で一旗揚げてやるというタイプの方々は少なく、むしろ、地元大学や地元の勤務先を選んでいる人が多いようである。その場合、もちろん地元の友人関係などのサポートネットワークは頑健なまま残るし、よしんば、遠方に行ったとしても、今はスマートフォンやタブレット、PCなどがあれば、情報交換や、支援をお願いするなどは、昔と比べれば比較にならないほど容易であるし、地元と物理的、地理的空間上では切れたとしても、様々な支援のネットワークを構築するのも、かなり便利なのである。
ところで、現代では、高度経済成長期前期頃の以前の時代のように、キリスト教を「耶蘇(やそ)」と呼称し、否定的な視線、差別的な視線を向ける人は激減した。ほぼ皆無であるといってよいであろう。さらに、現代の若者を対象にすれば、20歳前後までの人生でキリスト教に全く触れたことがないひとが大半を占めている、という時代ではないのである。
それは、ギデオン聖書協会さんのご尽力みならず、今の教会員の皆様の伝道の成果であり、教会が地域の中で多数存続することは、世の中にはキリスト教が存在するということと、キリスト者と呼ばれる人々がいるということを伝えてきた、という意味での地域空間での教会と、地域社会におけるキリスト者は、一定の意義を持ったということなのである。実際、社会の中での教会のイメージもそうひどいものではない。
キリスト教は、むしろ、好意的に受け取られているように思うのである。本来呪われた存在としてのイメージが付きまとうはずの、荊冠と十字架というウルトラ負のイメージの象徴で飾られまくった教会や、それを真似した教会もどきのホテルの結婚式場や、結婚式場教会までが建設されるほど、キリスト教風の光景の中で執り行われる結婚式が世の中に受け入れられているばかりか、それが主流となるほど大流行しているのである。
つまり、文化としてのキリスト教であるかぎり、もう少しいえば、消費対象としての文化としてのキリスト教である限り、キリスト教はかなり肯定されており、むしろ好感をもって世間からは見られているという部分があるように思うのである。それが、仮にヨーロッパ型文化あるいはアメリカ文化の劣化コピーとしての行為であったとしても、世間の人がキリスト教の結婚式の様式だけにせよ、それが真似されるということは、そこに何らか価値を人々が見出しているということを意味する。
その意味でも、従来の福音派の一部がこれまで行ってきたような(今でもそのような体制でお取組みの教会があることはよく存じ上げているが)世俗の世界への対立軸を打ち出して、対決的な態度や、上から目線で伝道をすることには、かなり限界が来つつあるようにも思うのである。
現代の若者の現状を教会人はもう少し知るべきかも
その意味で、もはや、文化としてのキリスト教がある程度一般社会において定着している以上、かつての教会に立錐の余地なく若者が集まったような若者の入れ食い状態は、再現もされないし、もはやその再現も非現実的なのである。これからの教会人は、自分たちがおかれた位置とその環境が、高度経済成長期のような過去とは大きく違うことを認識すべきであろう。とりわけ、教会が若者を対象として伝道しようというのであれば、現在の若者が置かれた環境は、以前のような状況にない、ということをもう少し正確に理解をすることが重要なのではないであろうか。
さて、同じ教会に長らくおられる高齢者の方々が、若い頃、自分の青春の頃を支えてもらった人間関係ネットワークから離れられないから、また、その恩返しをしたいから、これまで構築してきた人間ネットワークが重要であるから、現状に十分満足しておられるからなどの様々な理由から、今いる教会から離れる必要がないし、離れたくないということなのであろう。大変結構なことである。そして、そういう満足感は豊かな人生、とりわけ教会生活を過ごすうえでは、非常に重要な側面であることは間違いない。
ただ、このようなご高齢の皆皆さま方に、今後の若者への伝道に向けて、若者が置かれた環境などの理解をしていただいたうえで、何卒、お力添えを、あ、隅から隅まで、ずずずい〜〜〜〜と、この若造が乞い願い上げ奉りたいことがございまする。
歌舞伎の口上(海老蔵バージョン)
それは、昔(高度経済成長期)と今の様々な生活環境の違いである。その生活環境の違いであるが、具体例を挙げながら少しだけ示すと以下のようなものがあろう。
日本育英会の奨学金には、金利が発生するタイプの奨学金が大半であること、
国公立大学の年間授業料は、私立大学とあまり変わらないこと、
今や風呂無しトイレなしのアパートや下宿は絶滅危惧種であること、
スマートフォンとWi-Fiなしでは、授業に参加することも、就職活動に参加することもできないこと、
旧帝大の系譜を引くいわゆる国立大学でも、就職が困難なことも少なくないこと、
工学部理学部では、名門と呼ばれる大学の学部卒業者であっても兵隊扱いであること、
新入社員がなかなか配属にならないので、万年新入社員、雑用係、兵隊扱いであること、
ドイツ語やフランス語より、中国語やスペイン語のほうが就職に有利に働くこともあること、
哲学研究ですら、英語文献の方が質量共に凌駕し始めていること、
ドイツ語でカルテ書く医者とか絶滅危惧種であること
企業が所謂文系の大学教育に何も期待してないこと、
文庫本や新書がコーヒー2杯分以上するのは、普通であること、
アルバイトと授業で首都圏の大学生は追いまくらる傾向にあること、
まぁ言えばキリがないが、今の70〜80代の皆様には想像を絶する世界で、今の大学生や勤労者の20代の若者は生きている、ということはもう少し認識されても良いとは思うのだ。確かに、人間という非常に大きなくくりとしては同じかもしれないが、日本経済が高度成長経済が過ぎ、バブル経済が過ぎ、人々を取り巻く経済環境と産業構造が変わったとともに、また人々の生活パターンも変わったように、若年層の人々の生活環境も変わっているのである。特に伝道を考えるときには、この視点をあまりに軽視するのはまずいように思う。
前回、日本社会は戦後のある時期、相当な人余り社会であリ、つい40-50年前までは、少子高齢化と無縁の社会であったこと、そして、高度経済成長期とバブル頃までは、若者が大量に都市部、太平洋ベルトコンベア地帯に集中したこと、そして、教会は、若者に無料での交流の機会と知的刺激と娯楽を提供していたこと、そして、そのころ教会でキリスト教に触れ、キリスト者となった人々が今の教会での最大人口層である高齢者を形成していることを触れた。
今回は、もう少し、その時代とその前後の時代のキリスト教について触れていきたい。今日は三の丸部分。
日本と米国の密接な関係
また、明治期から昭和初期まで、そして、太平洋戦争の終結後についても、かなりの数の教会がアメリカ人宣教師や、アメリカの教会からの支援によって建設されていったように思う。また、特に太平洋戦争後は、一部のキリスト教会には、アメリカ人の宣教師が実際おられた教会もかなりあったということもあるであろう。
ところで、日本は、戦前からもそうであったが、かなり米国に強く依存している。
ペリー提督の江戸湾の入り口への侵入(海上封鎖行動)後の徳川幕府の日米修好条約以来、太平洋を超えてやってくる当時の新興国の米国に、文化的、かつ、政治的、経済的にもかなり依存してきた。そのあたりについては、「日米修好条約以来、150年間の長きに渡り日本と米国は良好な関係を続けてきた」という第43代米国大統領George W Bushの発言にも現れてもいるように思う。ただし、この発言には課題があって、日本海軍がハワイ島を攻撃したり、逆に、米陸軍航空隊のルメイ配下のB29が本州島と都市部に焼夷弾や1トン爆弾を雨あられと投下し、さらに広島と長崎に原子力爆弾を投下したり、米海軍の艦載機が、時には民間人を対象とした機銃掃射を行ったという先の戦争のことをすっかり忘れているかのような発言ではある。そういう不幸な関係と出来事を時に忘れてしまうほど、日本とアメリカの関係は密接であったのである。なお、以下は、そのGeorge W Bushの発言の抜粋である。
Nearly 150 years have passed since the United States and Japan opened up diplomatic relations. Since then, we have gone from strangers to adversaries, to the very best of friends. I look forward to building on our strong relationship to meet the challenge of our times.
ブッシュ大統領と小泉首相(当時)の会談の際の演説から(太字はミーちゃんハーちゃんによる)
https://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2003/05/20030523-4.html
第43代 米国大統領 ジョージ・E・ブッシュと第89代 大日本国総理大臣 小泉純一郎
第43代ブッシュ米国大統領の物言いではないが、日本は、開戦前も敗戦後もかなり米国に依存してきた。江戸後期から明治初年期の銀や絹糸や浮世絵、陶器の輸出、1960年代以降の自動車や家電製品の輸出先やコンピュータや電子デバイス設計における技術導入についての支援者として、金融政策や経済政策、行政制度、家族の考え方、教育、テレビ番組から、生活スタイルまで、ありとあらゆる面でアメリカの制度や文化とは無縁ではなかったのである。
明治期からのアメリカの教会と日本の教会との深い関係
先にも少し述べたが、日本の教会にしても、ほぼアメリカ系教会の影響を強く受けた教会が多い。明治期の横浜バンドにしても、米国系であるし、同志社系の人物を多数排出した熊本バンドもまた米国系であり、同志社の創立者の新島襄にしても、米国系教会の支援を受けている。また、無教会の内村も米国で学ぶなど米国系である要素が強いし、東洋のムーデーとよばれたホーリネスの有名人の中田重治も米国系のメソディストの影響を強く受けているし、何よりアメリカ人の世界的伝道者、ムーディーの影響を受けた人物である。
関西学院大学に関しても米国系のメソディスト系のウォルター・ラッセル・ランバスという人物による設立であるし、聖路加病院に関しても北米系のEpiscopal Churchの支援を受けるなど、日本国内のかなりのキリスト教会とその関連組織は、かなり米国系の教会との関係が深い。英国系の人々と関連が深いのは、バクストンを中心とする松江バンドと、聖公会の関西系のいくつかの教区などに限られるのではないだろうか。
このように、戦前からも日本の教会は米国の教会とかなり密接な関係にあった。実際、太平洋戦争の直前には、和平工作の一環ではあろうが、賀川豊彦先生たちも、アメリカの教会を訪問して、平和的関係をなんとか維持しようとする試みをするほどではあった。
太平洋での戦闘と不幸な爆撃を含む国家間の武力闘争が終結し、日本が敗戦国となった。そして、GHQの占領下においては、占領下の人心の安定を狙った宗教政策の一環として、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、米国の教会に対して宣教師を送ることを要請する書簡を送付し、受け取った側の米国の教会も戦争に破れ焦土と化した日本を哀れと思ったのであろう、大量の宣教師を善意から派遣する。そして、ノミやシラミが人々に寄生しているような、可愛そうな日本人のために派遣されてくる宣教師に対して、連合軍参謀本部は、その宣教師の荷物などの輸送や鉄道利用の便宜を図ることによって支援する。
なお、カトリック教会は、明治期以降パリ宣教会の影響が強いので、フランス系の司祭など、フランス系のカトリック教会関係者が多く居られる印象があることも確かではある。ただし、カトリック教会は、グローバルモデルであるので、特定の地域からの司祭が多いとは必ずしも言い難い部分はある。
プチ海外旅行であった教会
別の記事でも書いたが、当時の若い世代の日本人にとって、キリスト教会に行くことは、プチ海外旅行、Zoomなどで行く海外旅行みたいな経験でもあった。外国人が吹き替えなしに、教会では、聞いたこともないようなお話をやや母国語のアクセントが交じる日本語で喋ってくれるのである。教会によっては、英会話を教えたり、ダンスパーティなども開いた教会(聖公会の神戸ミカエル大聖堂の地下でそれをやっていたと聞いたこともある)もあったようである。
前回の記事でも少し触れたが、暇と孤独を持て余していた当時の若者にとって、やや高尚と思えるような文化としてのキリスト教という文化的な接触の機会を与えた教会は、当時、実にキラキラした存在であったのである。このキラキラした存在とその教会の関係者になることを求め、当時の若者達が教会に殺到したことは想像に難くないであろう。夢の外国としての印象がある米国から伝道目的で日本に滞在しているリアルな米国人が、片言の日本語で喋り、米国の世界観の風景のかなりの部分を規定しているキリスト教について喋るのである。歌声喫茶ではないため、賛美歌限定とはいえ、無料で参加者全員でコーラスにより賛美歌を歌うという理想の環境を当時の若者に提示していたのである。今の若者の大半からしたら、「なにゆえ、それで教会がキラキラなのだろうか」と言う印象をお持ちになるのは当然とは思うが。貧しいということは、このような小さなことでも幸せを感じられるという意味で、貧しいことに良い面もある。
その辺の事情を、現在は千葉県で農家さんのようなことをしているキリスト教福音派やその英語圏の書籍とに、やたらとに詳しい、とんちゃんさん(Gさまご本人とは直接の面識がないが、どのような方かはおぼろげながらは存じ上げている)は、ご自身のブログ『どこかに泉が湧くように』で、ご自身の青春を振り返りながら、次のように書いておられる。
私は高校生の時代に、アメリカ人と知り合いになりたくて宣教師の集会に行ってクリスチャンになりました。アメリカは遠い遠い夢の国でした。私たち団塊の世代にとって、新しく格好のいいものはすべてアメリカから来ました。テレビ番組や映画も、雑誌も、「コーク」も「マック」も、カレッジフォークやジャズやロックのような音楽も、アパレル(そんな言葉はありませんでしたが)や車や生活様式も、みんなひっくるめてメイド・イン・USAのファッションでした(そのすべてが私の青春です)。
キリスト教の世界もあまり変わらないかもしれません。私が上京した1967年に2度目の「ビリー・グラハム国際大会」が行われ、英国の歌手クリフ・リチャードが歌い、引退したNYヤンキースの野球選手が証しをしました。戦後民主主義のように、福音派においては神学の世界もアメリカでの学びによって導かれて来たように思います(どちらも決して軽視したり否定したりして言うのではありません。私たちのその子です)。宣教や教会形成に関わる分野では、新しい波は、私が牧師になった70年代から80年代にかけて西海岸の神学校から来ました。
まさに当時の教会が、かくもキラキラ空間として、とんちゃん様の目に映ったかということを素朴に述べておられる。そして、現在は農業者をしておられるけれども、やたらと福音派の内実に詳しいとんちゃんさんご自身の体験として如実に語られている。このキラキラ度合いは、おそらく日本基督教団の教会でもさほど変わらないものであったであろう。その後、前の東京オリンピック(次のオリンピックが去年東京でやる予定だったらしいが、今年に延期になり、更に、2020年改め、2021年東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の会長のトンデモ発言で、2021年の開催直前での会長交代になったわけであるが)のときにも、海外から宣教師や、宣教師の補助者、世界中から集まる人々への伝道を目的に大量の宣教師や伝道者が日本国内に流れ込み、既存の国内教会につながるよう伝道支援を行った。また、1970年の大阪万博のときも、そうであったし、長野オリンピックのときもそうであった。
余談になるが、長野オリンピックのときには、長野オリンピックで伝道活動をするので、ついては、日本の教会と適切な宿泊先を紹介せよ、というちょっと失礼な電子メールまで、ミーちゃんハーちゃん個人宛にアメリカから飛んできた。2021東京オリンピック・パラリンピックでは、まだそのような依頼はない。まぁ、それはどうでも良い話であるが、こういうアメリカのキラキラしたものが満載であったのが、1980年代ころまで続いたのである。
入れ食い状態であった当時の教会
このような時代に教会はキラキラしたものが満載であったこともあり、マトフェイに因る聖福音にあるイエスの言葉同様、多くの人が我れ先に教会に集まったのである。もう牧師さんびっくり仰天の時代が本当に存在したのである.
8章 11節
我又爾等(なんじら)に語(つ)ぐ、衆(おお)くの者東より西より来たりて、アウラアム、イサアク、イアコフと偕に天国に席座し(正教会訳)
以上のような天の国についての預言がなされているような事態がまさにキリスト教会において発生し、釣りの業界用語のメタファーを使えば、入れ食い状態に近い状態であったのである。イオアンに因る聖福音においての記載にある、復活のあとにガリラヤ湖で湖に網を投げたら引き上げるのに苦労するほどの魚が取れたときのペテロのような情景が、まさに当時の教会では毎週のように繰り広げられていたのである。
イオアンに因る聖福音 21章 11節(正教会訳)
シモン ペトル往きて、網を地に曳き上げたり、一百五十三匹盈(み)てり、斯く多しと雖(いえども)、網は裂けざりし。
特別なことを何もしなくても、若者が集ったのである。単に、牧師が教会で説教する、あるいは教会で講演会をすると、われも我もわれもと人が集まり教会堂に入りきれないほど、立錐の余地もないほどに人が集まったのである。また、白黒テレビなどがようやく普及期に達するか達しないかの時期までは、何もしなくても日曜学校に子供が集まり、会堂が子供の鳴き声、笑い声、ときに子供同士が喧嘩する声で満ち満ちていた時代が続いた。
「これを、いれぐい状態と呼ばず、なんと呼ぶ」という時代が過去にあったのである。今では想像することすらも難しい、そんな時代もあったねと、というような時代が本当にあったのである。こんな時代がまた、巡ってくれば良いが、多分、人口構造とその変化と社会構造から言っても、そういう事は起きないと思うけれども。
中島みゆき嬢の『時代』
入れ食い状態の教会、その後
さて、実際、現在日本基督教団系の教会や、伝統がある所謂日本基督教団以外のプロテスタント系教会に行ってみると、現在70-80歳くらいの年齢層の人々がやたらと多い教会が結構ある。これらのご高齢の皆さんのかなりの部分は、高度成長期に地方から都会に、工業地帯に移動して来られた入れ食い状態だった時代に信仰を持たれた方々であろう。1950年代に15歳前後だと、現在85歳前後、1960年代に20歳前後だと、現在80歳前後、1970年代に20歳前後だと現在70歳前後であるから、ほぼ計算はあっていると思う。
そのような若者が教会に溢れんばかりにいた当時、様々な動機でキリスト教会に来た若者が、信者になり、洗礼を受け、そのままずっとその教会に(神に忠実なのか、教会に忠実なのか、牧師に忠実なのか、宣教師とその教えに忠実なのか、その有り様は別として)、日本人特有の真面目さと一所懸命さから忠実に集い続けるという状態が続いたのだと思う。ここでも、能の鉢木同様の精神が息づいているのかもしれない。
能や謡曲の鉢木野場面を描いた絵画 http://www.shiryodo.jp/shiryo_story2.html より
もちろん、個人の転居に伴い、あるいは、キリスト教会へのつまづきによって、あるいは、キリスト教への関心を失ったりして、教会から離れていった方々もいたであろう。また、理由も告げず、静かに教会から去った少なからぬ人々もおられたとは思う。しかしながら、あちこちの教会を放浪した印象として、高齢者が多い教会に行ってみて思うのは、ある程度の教会員の皆様方が、信仰を持たれてからかなりの時間が経過してとしても、また、かなりの遠方に転居していたとしても、同じ教会、すなわち、信仰を持った教会、ないしキリストに初めて触れた教会群の教会ないし、自身が洗礼を受けた教会群に、ひたすら真面目に通っておられる方が多いのではないか、と言う印象を持った。事実、前回、前々回の記事を読まれた方から、そのようなことをご指摘をしてくださった方もあった。そして、地価高騰にともなう人々の郊外移転で地元民が少なくなった都心地域の教会にひたすら、忠実に通い続けられておられる方もあるというご教示も受けた。
時間が経過してもあまりメンバーが変わらない教会
ところで、本日の記事でお話したように、日本の多くの教会は米国モデルの影響を受けているはずである。移動がかなり自由であり、転居とともに、近い教会の中から新たに定着する教会を選ぶようなキリスト教会文化の影響を受けているにもかかわらず、日本の教会では、なぜ人々が同じ教会に通うのか、という素朴な疑問がある。
高速大量交通を可能にした技術的な観点から、人々の移動がかなり自由になっても、ヨーロッパの村の小さき教会のように、同じメンバーが、時代の経過とある種無縁と思えるほど、大きく交代することもなく集まっておられるのであろう、という印象を持っている。信徒さんが転居しようが何が起ころうが、かなり遠方からでも、同じ教会に集い続けるという傾向が見られるように思うのだ。そして、そういう方々が、ある種個別教会にとっての終身会員、あるいは永世会員のような存在となっておられる方も少なくないと言う印象がある。
言い方は悪いが、キリスト教会が檀那寺、氏子社中にとっての氏神様の神社、あるいは領域定義型教会にとっての教区民という感じになっている教会と教会員の関係も少なくないように思われる。本来これらに否定的な視線を向けていたキリスト教の福音派の教会でも、そのような傾向が強いように思う。
その結果、長年その教会に通い続けられた方々のなかには、その教会にとっての大御所、あるいは、江戸期の牢名主のような位置づけとなっている信徒さんも少なくないものと思われる。長く同じ教会にとどまることが悪いのではない。長く同じ教会で奉仕し、そこでの重責を矍鑠として担っておられることが悪いわけではない。それはある面では、実にありがたいことである。
なぜ、転居し続けても同じ教会に行くのだろうか
では、同じ教団の教会に所属しながら同じ教団の別の教会にあまり移動しないのか、という本シリーズの三の丸御殿に当たる部分をご紹介したい。
第2回の記事に関連してTwitterで遊んでもらっている先生とちょっとTweetをかわすことになったが、遠隔地に移転しても、元居た教会に居続けるのはなぜか、という話になった。いくつかの理由が考えられたのだが、一つは、教会の神学的系譜(東京キリスト教大学系、立教大学、上智大学、青山学院大系、東京神学大系、ルーテル神学大学、国際キリスト教大学、同志社系、関西学院系 西南学院大系 …東から順番、そのほかもあるが、書ききれないので大変失礼)や改革派系の神学や、組合系の神学、メソディスト系の神学による教会の雰囲気やテイストによるとか、もう一つは、愛餐会の食事メニュー(味覚と胃袋重視の教会の聖なる伝統 個人的にはこれが大きいかもと思う部分はある)によるとか、まぁいろいろあるだろうが、一番大きいのは、「継続的な信仰の交わりを重視する」というTwitterで遊んでもらっている方からご指摘を受けた部分かもしれない。結局、教会という場を介して形成される個人の人間ネットワーク、信仰者としての共通部分を形成してきた人たちとのネットワークの存在が大きいのかもしれない、と思い至った。
前回の記事でも少し触れたが、1950年代から1970年代までにいわゆる地方部から太平洋ベルトコンベア地帯のような都市部に移動した人々は、生まれ育った地方やその地域でそもそも持っていた人間関係のネットワークから切断されていることになる。つまり、都会に地方から出てきた瞬間に孤立無援、The Lastman Standing状態、荒野のローンレンジャー状態になるのである。ローンレンジャーにはお付きのネイティブアメリカンがいるが(なぜ彼が英語が話せるのかは、聞かないでほしい)、地方出身者には、当初そういうお仲間がいない。
Lone Rangerの静画に出てくるRangerとネィティブアメリカン役のJohny Depp
教会とソーシャル・キャピタル
大学等だとサークル活動やクラブ活動などに入らない限り、お友達というか、ローンレンジャーに出てくるインディアンのような、の個人の生活を支えるサポーターというか、気軽に物をたずねたり、物を頼めたりするようなサポーターさんというか、知り合いというか、お友達といった、自分自身の関係者からなるサポートネットワーク(あるいはソーシャル・キャピタル)は持ち得ない。特に、アルバイトの場合だと、原則、短期雇用契約なので(それをかなり繰り返して、場合によると正社員の店長より長くいるアルバイトの方がおられる職場もあるだろうが)基本的には、ソーシャル・キャピタルやサポートネットワークはできにくい。だからこそ、ブラックバイトと呼ばれる、人を人とも思わないような、人使いの荒い、違法な事業者も出てくるわけである。
余談はさておき、高度成長期の金の卵と呼ばれた向上心と向学心に燃えた多くの若年層の人々が就職した先が比較的大きな企業の場合では、会社の寮の寮母さんとかがいる場合もあったであろうし、会社の場合で言えば、労働組合とか、職場会とかといった互助組織が昔はあって、それがサポートネットワークを提供した。教会は、そういう社会的な所属先での、そのようなサポートネットワークを持たない人々に対して、相手が大学生であろうが、勤労学生であろうが、勤労者であろうが身分に関係なく、一見さんにも割とこの種類のサポートネットワークというか、ソーシャル・キャピタルを提供してきた部分がある。
役所に駆け込むほどではないが、当てになり、頼りになりそうなご近所さんのような相談相手をされる人々の代わりとして、教会員や牧師さんたちが、より都会に長く住んでいるだけや、少しだけであるが実社会で生きてきた先駆者として、都会に出てきた若者たちのサポートネットワークを提供した部分はかなりあったと思われる。これは非常に大事な側面である。
また、読書会だの、青年会などである程度教会での時間を長く過ごすと、そこでの友人もできるから、その人間関係のソーシャルネットワークというか、サポートネットワークというかソーシャル・キャピタルは一層充実するようになる。男性であれば、配偶者も見つかったりはする(この点、日本の教会は男女比がχ二乗(カイ二乗)検定と呼ばれる統計的検定を持ち出すまでもなく、明らかに日本人全体という母集団とは違う比率である)事もあったであろう。国防婦人会とか、地域の婦人会、女子修道会やPTAを覗いては、教会の参加者における女性比率は男性比率を圧倒的に凌駕しており、日本社会においてはかなり特殊な男女比の社会集団となっている。ある教会で信徒同士として結婚式でもあげようものなら、もう、その教会から離れるのは、かなり難しくなる。
移動とソーシャル・キャピタルの毀損
ある意味で、表面上は、「継続的な信仰の交わりを重視する」ということになるであろうが、実態だけから考えれば、教会が提供するソーシャルネットワークとそれが派生させているソーシャル・キャピタル、つまりその人にとっての生活の質を一定以上に保つためのソーシャル・キャピタルを提示し続けてきたのが、教会であり、教会を移籍するとそのソーシャル・キャピタルが急激かつ壊滅的に毀損されることと、教会の移籍や変更に伴って発生する人間関係の再構築にまつわるコストが大きくなるため、多くの信仰者は他の教会に、技術的、金銭的、神学的に可能であっても、移動を躊躇するという側面もあるであろう。
前回の記事で紹介した住宅団地の長期居住者問題などについても、住宅団地における人間関係があまりできておらず、さらに言えばコミュニティが十分形成されなかったことは、過去の調査結果から明らかになっている。その結果として、貧弱なソーシャル・キャピタルしか形成されていないとはいえ、転居した場合、それを一から構築し直すことになり、かなり面倒が増えるし、そのコストも大きい。いかに弱いソーシャル・キャピタルとはいえ、それを作り変えるコストを考えると、転居というのは、かなりの負担になる。そのような側面もあり、一度住み着いた住宅団地や一度定着した教会から、移動しないということがあるのかもしれない。
なお、ソーシャル・キャピタルと教会との関わりに関しては、ソーシャル・キャピタルという概念を広く一般に広めることに成功した書籍であるロバート・D・パットナムの『孤独なボウリング』の第4章、第6章が上の議論を考える上で、大変参考になる。
次回は、日本型終身雇用制度と教会員の長期所属の関係と現代至る時代の変化との関係を述べていきたい。今丁度、二の丸御殿付近である。本丸に達するまでには、二の丸御殿を抜けていただいて、その後、いよいよ本丸へと続く。今回も長い連載になりそうである。
掛川城の二の丸御殿 http://tosyokan-bicycle.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-6044.html
評価:
価格: ¥ 7,480 ショップ: 楽天ブックス コメント:ソーシャル・キャピタルが人々の生活の質に如何に大きく影響するか、そして、それが重要な概念であるかを体系的に論じた書。高いけれども、読む価値はある。 |
前回は、西洋や日本国内での教会と信徒の関係を地域内移動交通手段との関係で考えてきた。今回は、もう少し、昭和期以降の日本における人口構造の分布の変化と、教会との関係を考えてみたい。
ベビーブーマーズの人口移動
日本では、人々の社会的移動人口移動は、1950年代から1960年代までは、金の卵と呼ばれた中卒、高卒の若年労働者の皆さんが東京や大阪、あるいは太平洋ベルトコンベア地帯での就職先に向かって府県を超えた大量に移動が見られたものの、その後の不景気の結果、1973年ごろに、一旦人口の大量流動は、急速に鎮静化及び安定化し、1980年代後半のバブル期のころまでは、高い水準で推移しているが、その後次第に都道府県間移動、都道府県内移動についてもさらに緩やかに鎮静化に向かい、リーマンショックに向かうまではかなり安定的であった。しかしながら、リーマンショック期には、都道府県間移動および都道府県内移動ともにさらに減少した。その後、アベノミクス政策や2013年以降のいわゆる訪日外国人観光客の急増などに伴い、再度移動数が増加し、再び人口移動が増加している。
https://www.stat.go.jp/data/idou/2020np/jissu/youyaku/index.html より転載
住民基本台帳移動数の推移
さて、これまでの日本では、上記のグラフに示すような地域間人口移動が起きてきたわけであるが、1950年代から1970年代前半にかけて、東京、大阪、名古屋、福岡といった太平洋ベルトコンベア地域における大都市部の若年労働者として都市部に集中的に移動した。その様子が以下の2つの動画から、容易に理解されよう。
金の卵と呼ばれた当時の岩手県の中学生高校生の集団就職の模様
岡山県への集団就職の模様
これらの大都市部に工場等が立地している日本の大企業を中心とした企業群で長らく終身雇用制が続いたことなどもあり、都市部に流入した人々については居住地が大きく変わるということがないこと、特に都市部では、交通手段が異様に発達していることなどから、もともとは地方で幼少期を過ごした多くの人々が都市周辺部に定住していくことになる。
都会に出てきた多くの若者とそれを受け止めた団地と教会の類似性
1945年に終戦を迎え、都市部を中心とした日本の各地が焦土と化し、そして、人々は、間借りという形や掘立小屋同様の劣悪な住宅環境に住むしかなく、その生活を耐え忍んでいたのである。そして、都市部とその近郊では、1950年代から各地で理想の住宅としてもてはやされた団地が建設されていく。1955年に日本住宅公団が成立し、今でいえば、とても近代的で、理想的とはいえないような、以下の動画で撮影されているようなおおむね、45〜50?程度の広さの公団住宅が、人々の間で、特に地方部から都市部に出てきて、家庭を形成しようとしていた若い世帯にとっての理想の住宅としてもてはやされていたのである。
1956年、日本住宅公団ができたころの団地の事情(途中、1分45秒付近に飛行機の地下援覆壕を住居にしている部分が見られる)
ところで、この1950年代から1960年代ごろまで人々の間でもてはやされた団地は、主に、日本住宅公団(現都市機構、UR)の賃貸住宅や、都道府県営や市区町村営の賃貸住宅や、公社の賃貸住宅を中心とする住宅であった。とにかく当時の押入れを間借りして住むような劣悪な住環境を改善し、年に流入する人口に対応して住宅を提供するため、都市とその近郊に大量にコンクリート造の急増の住宅団地を猛スピードで建設されていった。
昭和30年代後半のある段階から、当初民営のアパートや間借りしていた人々が、この公団や公営の賃貸住宅に移り、その後、分譲の集合住宅に移転し、最後は戸建ての分譲住宅や、不動産を手に入れ、自分で戸建て住宅を建設し、そこに順次移住していくことを想定しながら各地に団地が作られていったのであるが、必ずしもこのような経緯をたどらず、昭和30年代から40年代に建設された公団賃貸や公営賃貸住宅に住み続けている方々が案外多いようである。
関西圏で国勢調査等の統計調査データを利用した結果からは、昭和30年代から40年代に建設された住宅団地では、どうも長期間同じ団地に居住されている方が多いようで、かなり高齢化が進んでいることが明らかになった。かなりの割合の人々は住み替えをするのではなく、一旦居住を始めた団地に住み続ける人が多いようで、経済的環境も無論影響するが、最初に入居した団地から移動した人や、別のより良好な住宅に移動できた人は案外少なかったようなのである。
このような地域では、平均年齢が確実に毎年1歳以上、上昇する状況が生まれていく。前回の記事の最後の部分で述べた現在日本の教会で起きているような状況が、現在これらの団地では起きているのである。つまり、ご高齢者が居住者の大半であるような住宅団地ができている。
のちに詳述するが、教会にも、若者が大挙して都市部に移動していた時期である1950年代から70年代の時期に大学の入学や、企業の労働者として採用されることにより大挙して都市圏や工業地域に流入してきた人々のうちから、多く人が訪れることになる。
金の卵の皆様方の都市部への呼び寄せが起きた経済的背景
先にも述べたように、1950年、昭和天皇の御世で言えば、昭和25年ごろから、朝鮮半島で、当時の共産主義国家の中華人民共和国とソヴィエト連邦の支援を受けた金日成率いる朝鮮人民共和国と、マッカーサー隷下の国連軍の支援を受けた李承晩率いる大韓民国を表面上の対立構造とした戦争が行われた。実態的には、共産党系の国家群と自由主義諸国と総称される非共産党系の国家群が朝鮮半島で戦う代理戦争が勃発する。これは、朝鮮動乱、或いは朝鮮戦争と呼ばれた。両方の国家経済運営システムが、朝鮮半島を舞台に一進一退の攻防戦を繰り返したのである。日本はまだGHQの支配下のOccupied Japan の状態であり、今よりもずっと多くの米軍基地が本州島内部や北部九州に存在していたこともあり、最前線に至近の後方支援拠点として日本に駐留する国連軍(連合国軍)という名前の米軍主体の軍隊に物資の納入、軍事用品、食糧、医療サービスなどを提供していく。朝鮮戦争時には、それらの提供のみならず、海上機雷、海中機雷などの掃海業務に海上保安庁を含め、国連軍に協力してゆく。
占領下の日本で制作された陶器(好事家の間では珍品とされ、高値で取引されることもある)
https://www.reddit.com/r/mildlyinteresting/comments/6f8bxl/this_mini_plate_was_made_in_occupied_japan/
こういう近代の戦争は、第二次世界大戦以降物量作戦が主軸であるので、物量が大量に消費される。つまり、米軍基地が国内にあったおかげで、米軍とその軍人家族の需要により、敗戦で消費マインドが冷え切っていた日本であったが、国内需要が一気に倍以上になった感覚で物が売れ、経済が急拡大する。未曾有の好景気のチャンス到来である。
米軍からのドル払いでの機器の修理や新規の発注が見込めるとなると、企業は工場の建設、機器の導入などの投資をし、労働者を雇い、生産活動を活発化させる。労働者の雇用が増えれば、賃金の支払いが増え、人々は日本円でモノを買うので、さらにそれに対応して企業は投資をし、というケインズの乗数理論を絵に描いたような状況が期せずして、生まれたのである。こうなると日本経済はウハウハである。これが人呼んで神武景気というウルトラ好景気の背景である。
人余りで貧しかった戦後の日本
神武景気と呼ばれた時代の日本には、復員将兵が大量にいた。朝ドラ『エール』で出てきた、古関裕而と思しき人物の義兄にあたる陸軍関係者のような元陸軍復員軍人のような人々や、同じく朝ドラ『ゲゲゲの女房』で登場した、水木しげる先生のように片手を失いながらもニューギニアの戦地から復員した復員兵や、フィリピン、マレーシアなど、南方や大陸、南洋諸島からの身体の一部に大きな損傷を受けた復員兵が大量にいたのである。これらの皆様方は、ほぼ失業者であった。また、そればかりでなく、都市での戦災孤児、地方の農山村、漁村部では、将来の戦争継続の備えとしての未来の軍人要員として、産めよ増えよ政策がとられた結果、兄弟が6〜7人という家庭も多く、やたらと将来の都市労働者の予備軍となる子供だけは大量にいた時代が日本にはあったのである。今の高齢化した日本の人口構造を形成されるうえでの割と大きな要因の一つである。当時は、少子化と人口減少がよもや日本での政策課題になるとは誰も思っていなかった時代である。
また、満州国やパラオなどの南洋諸島を始めとする旧大日本帝国時代の植民地から命からがら帰還した人々も、失業状態で大量に日本の国内に滞留していたのである。その一部は、上九一色村や、福島県や北海道の国内開拓地とは名ばかりの山間地などの荒れ地の開拓地で開拓事業に重視していくことになる。
ところで、地方部での農業生産も、米軍需要による神武景気があり、食糧事情の悪さゆえの農産物価格の高騰があったとはいえ、当時の国内の稲、麦、大豆を中心とした主食系の農産物についての生産技術の課題もあり、それほど生産力が高いというわけではないため、地方部での生活が楽であったか、というと楽ではなかった。都市部よりまし、という程度である。農産物の肥料としては、人糞や農耕用の牛や馬の牛糞・馬糞を主成分とする堆肥が用いられたため、野菜には、ぎょう虫、サナダムシと言った寄生虫が大抵は寄生していた時代であった。今みたいに、窒素、リン酸、カリウムを合成した化学肥料などは高価で利用したくても利用できない時代であった。
南米で棄民された日本人
当時の日本の農村での厳しい現実の結果として、江戸期や、明治期から大正期のような形での期限付き奴隷としての丁稚奉公、女中奉公、あるいは遊郭などでの飯盛女、舞妓としての実質的な期限付き人身売買は、公式には戦後なくなった。それでも、都市部に人口が集中し始めた1950年代から1970という時代における日本の農村部では「南米に新天地がある」と喧伝され、食いっぱぐれそうな農家のみなさんがブラジルやパラグアイ、チリと言った地域に移民として神戸港から送られたのである。いま、日本の経済力が増したため、その新天地に夢を託し、現地で大抵の場合ろくでもない奴隷同然の生活、今でいえば、日本国内における技能実習生のような生活を過ごされた方のお子さんやお孫さんの日系2世さんや3世さんが、日本人関係者ということで、工場労働者などとして、入国管理法の特例措置として、大量に日本に入国しておられ、工場労働者、建設労働者、パチンコ店などの安価な労働力として日本に向かって、再び移動することになる。
南米日系人の1世は、南米で大変な目に会い、今度その子孫の方々は日本で、奴隷よりちょっとマシな労働環境に甘んじておられるのを見ると、よくよく、悲惨な目にあい続けられた方々だなぁ、と心から同情を禁じえない。なお、パラグアイの移民関係者が経験した辛酸に関しては、以下で紹介しておく北杜夫の『輝ける碧き空の下で』という小説が参考になる。
南米移民の運行の大阪商船(現在の商船三井)のポスター http://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam15/select1529.htmlより
移住を呼びかけるポスター https://community.coop-kobe.net/odekake/2016/03/post-295.html?went=1より
戦後の孤独な若者と娯楽と教会
地方部から都会に集中した時代、それでも農家さんの一部が南米での一躍雄飛を夢見た時代は、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争の継続により日本での需要が急速に膨らんだ結果、今の世界の工場としての中国のような生産拠点としての機能を果たすことで、未曾有の好景気にわき、高度経済成長を遂げていく時代であった。そのような社会的背景の中、1950年前後から1970年代にかけて、あるものは大学生として、あるものは、企業の労働者としていわゆる工業地帯や都市部と呼ばれる地域に掃除機で吸い取られるように集積し始める。
当時は、今のような一人一台携帯電話を持つ時代ではなく、集落に一つの電話を全員で共有するような時代であり、ご近所筋に頼んで、電話を使わせてもらえるような時代であった(この辺は朝ドラ『ひよっこ』がうまく描いている)ため、彼らは、地方で持っていた人間関係のネットワークとは断絶され、工場の寮や下宿などで暮らしながらも、かなり孤独な生活を当初は過ごすことになる。また、今ほど娯楽へのアクセスがあったわけでなく、ラジオドラマが唯一の娯楽、あるいは、みんなで歌声喫茶に言ってアコーディオン伴奏で歌う(これはNHKの素人のど自慢にその文化が残っている)のが唯一の娯楽の手段であったような時代である。
大量の若者が、共同生活をしつつも、故郷の濃密な人間ネットワークから切り離され、かなり孤独な生活を都市部で始めるわけであるが、そんなところに、賛美歌には限られるとはいえ、ピアノやオルガンを使った、当時の日本人にはまだ珍しかった西洋音楽を背景とする賛美歌に接しつつ、当時の娯楽の一つの歌声喫茶と同様のコーラスとして同世代の人々と共に歌うという楽しみを無料で体験できたのが、教会であった。要するに、教会はおしゃれな空間であったといえよう。
また、これまでの地域社会や伝統社会では「耶蘇」と呼ばれて忌避され続けてはいたものの、日本が先の大戦(といっても京都のように応仁の乱というわけではない)で破れた相手であり、戦後の教育に一定の影響を与え、人権思想の基礎となったキリスト教、戦後日本の政治体制、日本文化に大きな影響を与えたキリスト教とアメリカの社会のその基盤ともなっていたのキリスト教というものが何たるかの一端について、説教という形で触れることができる機会を教会は提供したのである。つまり、暇を持て余して、孤独であった当時の若者(現在の70歳から80歳前後の人々)にある種の知的な刺激と娯楽の機会を与えたのが、教会であったともいえよう。
そればかりでなく、教会は教会で、このような孤独な若者を受け止めたし、世話をしたし、また、地方での人間関係のネットワークが切れた人々に、教会を介した人間のつながりというものを提供したのである。これは、重要なポイントである。無縁者であった若者を教会という舞台を介する信徒ネットワークに組み込むことで、その人を支えるネットワークを提供し、人間によって生み出される共同体における関係性を持つ存在へと変えたのである。
次回は、日本の教会と戦後の若者の関係についてもう少し突っ込ん論考を行い、そして日本とアメリカの教会との関係について、少し述べてみたい。
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さて、前回の記事では、ヨーロッパの古代から近世に至る発展過程と、地理空間と教会の関係、さらに個別教会が管轄する領域とコミュニティ、教会の信徒が集まる地理的空間(小教区)とその地理的空間の住民と教会員がほぼ等しい時代が近代に至るまで長く続いたことを記述してきた。
政治と経済
ところで、カール・マルクス先生ではないが、社会の主要な生産モードというか、社会の経済的生産能力の主体が農業であった農業社会(米国の中西部はいまだに農業中心の領域がかなりある)から経済的生産能力の主体が、取引を中心とした商業や、物の加工や機器類などの生産を中心とした工業が中心となる商工業社会へ地域の経済構造が変質する。それに伴い封建制度は弱体化し、崩壊せざるを得なかったのである。これが今年の大河ドラマの登場人物、渋沢栄一君が、徳川慶喜君に当時としては大変失礼ながら、ぶつけた内容である。「もう、徳川はほぼ死に体である」、昔風の言い方をすれば、「徳川はヲワコンである」と。ある意味それは正しい言明ではあった。
封建制度の崩壊
実際、徳川幕政末期には、地域の産物による商品経済化が進み、大阪ではコメの先物取引がなされ、金融取引が盛んに行われ、大名貸しといったかなりの高額の資金取引が平気で行われる時代でもあった。お侍が威張っていられるのは、物理的な殺傷能力である武器を保有し使用することを許されていたからに過ぎない時代になっていたのではある。つまり、商業者を中心として、時すでに金融資本を持っている人が実質的には偉い時代になっていたのである。また、江戸期には、農家の次男坊や三男坊は、本当は地元に残って農業生産活動に従事することが期待されたのだが、それでは食えない(一人当たりの食糧なり、利益の割り当てが減る)ので、江戸や大阪などの商家などへの丁稚奉公、女中奉公、場合によっては遊郭などの飯盛り女や舞妓などとして期限付きの奴隷として売られていった部分もある。それを奴隷といわれると、違和感があるかもしれないが。どちらかというと、新約時代のギリシアやローマの奴隷制度(借金のかたを返すまでの期限付き、年季明けには自由になるし、そこに残って労働の対価に賃金を得る自由奴隷になるのもありであったようであるが)に、丁稚奉公や女中奉公は近いのである。
さて、封建制度が限界を迎えていくのは、徳川幕府が支配した日本だけではなく、ヨーロッパでもそうであった。だからこそ、金融資本を持っているユダヤ人は嫌われたし、都市の商工業者は実力をつけ、貴族と比肩するほどになったり、実際にめっちゃ金持ちの商工業者は、いろいろ手段を使って貴族に化けていくのである。ヴェネツィア共和国では、商船の運用が成功裏に終わらず膨大な借金を抱えて市の議員という公務を務める貴族でありながらも、経済的には、借金を抱えて没落し、ある場合は、乞食や船員に身をやつすことにはなったりしたものの、再起の道はそれなりに用意されていたらしい。
不満がたまると人々は移動するか反乱を起こす
フランスやドイツでも、これまでの農業中心の社会から、商工業者が経済的な主力になっていく中で、封建領主や、ブルボン王朝が収入源としてきた領主たちがピンはねしていた領土からの農業収入からの上りのピンハネなどがうまくいかなくなり、領主もブルボン王朝の国庫も空っぽになる。また、高位聖職者についても経済的基盤が次第に弱体化し、収入源が細くなり、いろんな形で社会が回らなくなり始めたときに、あっちこっちで放漫財政やった結果、国庫が空っぽになる。国庫が空になれば、どの国も考えることは同じである。大増税をやるのである。税金を取りやすいところにかけて、税金をむしり取るのである。それに、当然のことながら取られるほうは反発する。
西欧人は、日本人みたいにおとなしく唯々諾々と税金を取られたりはしないから、そんなこれ以上税金取られたらやってられない、ということで国民の不満はうなぎのぼり、そして、とうとう庶民はバスティーユ監獄を目指すのだ。その意味で、バスティーユ監獄を目指した人々と、自分たちが食いっぱぐれたという思いや、自分たちが経済的に不遇の状態にあるという不満がたまりまくったトランプ支持者がバイデン候補は自分たちが嫌いないくつかの要素を持った候補であることをいいことに、またぞろ、自分たちの食い扶持が細くなることを恐れ、連邦議会(The National Mall)を目指したのと、あんまり変わらない。フランス革命は成功したから、褒められているが、失敗したら、情けなくなるだけのことである。革命とはそのようなものである。
フランス革命は、怒りが人々の間に高まっていたため、きわめて乱暴な行為(乱暴狼藉)が行われ、とうとう国王や王妃をギロチンにかけたり、その処刑シーンを見世物にしたりということをした。革命というのは、いずれの世においても、いずれの地域においてもまた、大体はそういうもののようである。基本、乱暴なものである。
食いっぱぐれることによる社会流動
さて、旧約聖書にあるロトとアブラハムの移動にしても、ヤコブ一族の大移動や、ルツとそのしゅうとの移動にしても、あるいは世界史的なことで言えば、ゲルマン民族の大移動や、フン族の大移動、あるいはモンゴル民族の大移動にしても、毛沢東率いる八路軍の大移動にしても、あるいは大恐慌時代の人々の流動にしても、食いっぱぐれそうだから、移動をしたのである。
大恐慌時代の解説動画
飢えてない限り、ご飯がちゃんと食べられていたり、幸せに生きていられる限り、あまり人々は移動はしない。生存の危機に瀕するからこそ、人は移動を始めるのである。前回の記事でも、ちょっと書いておいたが、イギリスや大陸で宗教的迫害(キリスト教のタイプが違うからということで、殺されかけたり、村八分状態におかれたり、水につけて迫害者のおもちゃにされたりとか、大学に入れてもらえなかったりとか、うまい汁を吸いやすい官職につけてもらえなかったりとか、まぁ、いろいろ)を受けた人々は、そういうヨーロッパに残るよりは、迫害は軽いかなぁ、もっとアメリカの方が暮らしやすいかなぁと思って、人口密度がウルトラ希薄なアメリカ合衆国に行って、自分たちだけの宗教と生活が一体化したコミュニティを西部開拓という形で、実現しようとする。
しかし、行った先には、延々と広がる荒涼とした大地がドーンとあるだけであり、移動の自由はあるけれども、下手に移動してしまうと野獣はいるわ、峠越えに失敗して一族郎党だけでなく、そのグループの全滅が待っていたし、実際に開拓ルートの選択に失敗し、全滅したグループは少なくない。西部開発も楽ではなかった。そして、今みたいに電車やバイク、自動車があるわけでなく、運が良ければ馬や牛、ロバに乗れたかは知れないが、基本の移動手段としては徒歩であるから、移動が自由だといえども、移動能力にはおのずと限界があった。
アメリカという植民地の独立と信仰
植民地としてのアメリカは、フランス革命1789年のちょっと前の1775年、宗主国であるイギリスのこれまた課税に反発して植民地として独立を画策する。1776年に東部13州が独立を宣言し、東部13州の農民主体の住民が、銃だの鎌だの、鋤だの、鍬だの、弓矢やこん棒などにより武装蜂起し、支配国であった英国陸軍に戦闘を挑む。これが独立戦争である。この時に民兵が活躍したので、アメリカでは、憲法上武装した民兵を組織することが憲法上の権利として保障されており、それを根拠として、権利章典での憲法修正第2条で市民による銃の保有が認められている。
そして、とりあえず、1783年にイギリス軍を戦闘で破り、イギリスとの間で和平交渉が成立し、アメリカ合衆国が成立する。1788年、アメリカ合衆国憲法が制定される。なお、それまでの期間、州法においては、各州が独自に州の教会(領域定義型の領域に対応する教会である国教会)を持つことが定められていた州もある。しかし、権利章典での憲法修正第1条で国教会を持たない、何人たりとも、国家やほかの人々によって信仰を強制されないということが明文化された。明治維新の高々約70年位前の話でしかない。その意味で、明治近代と西洋近代は、ある意味そんなにかけ離れてないし、同時代的な動きであったといってよいように思う。西洋史と日本史、アメリカ史と日本史とを分けて考えるから、関係性をかんたんに見失うのであって、割といろんなところで社会や歴史、思想は連動しているのである。
地域内移動技術
1900年に近づく時期の英国を背景にした、これまた英国の世紀末ごろの神秘主義者のコナン・ドイルが書いた探偵小説のシャーロック・ホームズシリーズには、ホームズが麻薬のアヘンを吸ったりするシーンが出てくるが、当時の都市内部での標準的な移動技術でもあった乗合馬車の記述も時々出てくる。ちょっと小金がある人の場合は、下の図のような乗合馬車が利用されたシーンがいくつかの作品で出てくる。
ロンドンの乗合馬車(今のバスやタクシー、Uberの原型 1902年ごろ https://en.wikipedia.org/wiki/Horsebus#/media/File:First_vehicle_to_cross_Holborn_Viaduct.png)より
1870年歌川芳虎による乗り物図
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%97%E5%90%88%E9%A6%AC%E8%BB%8A より
この図を見ると、当時のハイテクマシンの蒸気機関で動く車、人力舎、自転車、二人乗り自転車、大八車など様々な輸送にまつわる当時の技術が描かれていて面白い
ロンドンの地下鉄は、1860年代に地面に穴を掘って蒸気機関車を走らせる(煙たくてしょうがなかったであろうが)ために、現代のシールド工法の前身のような技術で地下空間を開削している区間もあったりする。また、かつての都市内交通の代表格の路面電車は、1880年代にかつての乗合馬車に代わって、登場する。この登場により、都市内の輸送能力が一気に増した。都市の内部を移動するのに、いちいち歩く必要が減ったのである。
しかし、乗合馬車にしても、地下鉄にしても路面電車にしても、一定の居住者が稠密に居住している地域でないと、運営側としては大赤字になるので、地方部では、運営はされない。その意味で、19世紀においては、基本農村部では、徒歩、ないし、ロバないし、乗馬ないし、運河での蒸気船が移動手段であり、最速は乗馬ないし蒸気船であった。そして、いよいよ1900年代に近づくと、アメリカではT型フォード、イタリアではフィアット、ドイツではメルセデスベンツ、フランスではルノーがガソリンエンジン車をようやく発明する。
PCでも、スマートフォンでもそんなものだが、出始め、商品の初物買いの人々につられて、多くの人々が買い始めるマーケティングでいう離陸時期においては、その価格は異様に高い。自動車も典型的にそうであった。これがようやく一般に普及するのは、第2次世界対戦後である。
そういえば、ワシントン州のタコマという港町にあるプリマスブラザレンの教会(集会)に通っていた頃、そこの最古参のスカンディナビア系の老夫婦の信徒さんとお話したことが何度もあるが、1950年代には、まだ、教会に馬車で通っていたということを聞いた。それくらいの時代感覚である。今みたいに、ネットもなければ、電話すらなく、携帯電話やスマートフォンに至っては問答無用になかった時代である。たしかに昭和30年代初期をほぼ限界とすると思われるが、日本の大都市内でも荷車を引く馬が都心あたりをフラフラしていたらしい。
神戸市内の馬車(白鹿酒造の日本酒の樽酒を運んでいる)
https://www.hakushika.co.jp/museum/sakagura.php
自動車の登場によって伸びたキリスト教のグループ
いずれにしても、こういう個人や世帯にとって自由に動ける移動手段ができて初めて、人そしてキリスト者、あるいはクリスチャンが、地面からやっとこさのことで、ちょっとだけ引き剥がされ自分の地域外の教会へのアクセスが可能になり、自分の聖書理解に近い教会を選択的に選んで参加できたり、教会を自由に変わることができるようになるのである。そのためには、地域内の移動手段が必須であったし、その動力源としてのガソリンエンジンであるか、ディーゼルエンジンであるかは別として、エンジン付きの自家用車の普及が待たれるのである。
実際、ペンテコステ系の教会が米国の中西部で増えたのは、第2次世界対戦後、ガソリンエンジン付きの自動車が普及してからである。それ以前は、それぞれの地域にある教会に日常は参加し、ラジオの宗教番組(アメリカでは、結構な数の中波AMのローカル局が宗教放送番組を、さも当然の如く放送している。日本では、放送法と電波法の関係から、なかなか難しいようであるが)なり、文書などを基礎に普通の教会に集いながら信仰生活を過ごしていたものと思われる。そうでないと、ペンテコステ系教会の太平洋戦争終結後の中西部での急成長は到底理解し難い。
人々が、都市内、ないし地域空間において移動できるようになって初めて、人々が自由に教会を選べるようになったのである。地域と密接に定義された教区(小教区 パリッシュ)や教会がある村や町などの生活圏でくくられる領域に対応するような形での教会と信徒との関係が崩れたのである。その意味で、1960年代ごろから、自動車交通や都市内交通、地域交通手段が多様化し、多様な交通手段が提供され、それぞれが安価に広く一般に利用可能になることで、自由に教会を選択する傾向が急速に進んだのではないか、と思う。
そもそも、以前の記事でも書いたが、アメリカの一般の人々は、割と短期間(3-10年、平均7年程度)で不動産売買を繰り返し、引っ越すと同時に高く転売(売りぬけ)して、小金を稼ぐ不動産転売事業者のような部分がある。高く売るためには、メンテナンス(芝生の整備や外壁塗装、エアコン等の装置の導入、壁紙の交換、フローリングの張替えなど)を自分でする人たちが多い。もちろん、金持ちは業者を入れるが、アメリカの住宅は2バイ4工法などになどにより、部材の規格化が割と進んでいるので、結構自分たちで日曜大工で趣味と実益を兼ねながら、元建て売りの住宅に手を入れる人々も多いし、日本でいうDIYセンターやホームセンターのような店も、日本とは比較にならんほど大きいし、数もたくさんある。また、地下室や車庫などの作業スペースも、大概の家にはついているので、そこでの作業も可能である家が多い。
フローリングを素人が張替えするための解説動画
こんな風に、家に手を入れては、高く売り抜けし、自分のライフパターン(独身時代、DINK時代、子育て中、子育て終わり夫婦世帯だけ)に合わせて家をどんどん住み替えていくし、自分の住むコミュニティを変えていくというのが、この40-50年間の都市近郊や、都市部の住民の普通の行動パターンである。もちろん、地方部や農業地帯のように先祖伝来の土地(と言っても、高々100〜200年前後が多い、カリフォルニアあたりの地元系のワイン農家でせいぜい300〜400年程度)で農業をしている人々もいないわけではないが、一般にアメリカのかなりの部分の人たちは、10年くらいでライフスタイルの変化に合わせておおむね、10キロから20キロの範囲で家を売買して、転居することが多い。それだけ、流動性がある社会なのである。
教会を自由に選択できる時代と教会
その意味で、アメリカでは住民の流動性がかなり高く、期間限定での住宅の転売を繰り返すような住宅の利用習慣があること、また移動に伴い、コミュニティがかなり変化すること、そして、転居した先から元居た教会に通うのではなく、転居した先で、自分にとって聖書理解が近い、あるいは居心地が良い教会探しをする。民族性、自分が使う言語、知り合いの有無、信徒の年齢層など、情報収集し、移動先を決めることが多いようである。ありとあらゆる種類のキリスト教の教会からより取り見取りで好きに選べるのが、アメリカの教会とキリスト者にとっての世界であるように思う。とはいえ、アメリカ合衆国でも教会を自由に選択できるようになったのは、都市部で、1920年代、郊外部や地方部では1950年代以降とみてよいであろう。
アメリカ合衆国のかなりの人々は、教会との付き合いもかなりドライで、所属する期間はかなり真剣に付き合う人もかなりおられるようではあるけど、サンデークリスチャンはおろか、クリスマスとイースターの年二回という人も結構おられる印象がある。また、転居したら、それっきり、ということも多いようである。この辺が、日本とかなり違う。日本の場合は、最初に出会った教会にかなり従順で、教派をまたいであちこちの教会を動き回る人などはかなり少ないように思う。教会があるから転居しないとか、教会があるから、それに合わせて転職するというアメリカ人はおそらくほとんどいないのではないのではないか、とも思う。もちろん、時々、自分はアメリカ人だからクリスチャンだ、と真顔で主張する人にはであうことは結構な確率である、とは思うが。
近くの教会に行かず、元居た教会に通い続ける日本人信徒
ところがである。日本人は、ほとんど転居しないし、また、転居したとしても、公共交通手段がかなり発達していて、また、それが中央線特快や、関西の新快速、中部の近鉄特急といったように、鉄道なのにやたら高速で正確な時刻表通り、ダイアグラム通り運行をする(5分遅れたくらいでいちいち車掌が謝罪のアナウンスをする鉄道運行事業者がいるような国は、日本以外では韓国とドイツ位であると思う)ので、かなり遠距離からでも元の教会に通う人もいるし、また、教会のほうでも信仰熱心と評されることも少なくないであろう。個人的には、昔はそういう人々を信仰熱心だとは思っていたが、10年位前から、ナンセンスだと思っている。どうせなら、家から近いほうがよほど地域と分断されず、地域での自己の日常的な存在を通して神の国を告げることも、できるのではないかと思っている。
こういう熱心で一つの教派の教会に一途な人たちがかなりおられるように思う。その結果として、日本の教会では、期せずして、前回の教会モデルでいうモデル2)に相当する地域定義型教会における教区民のような形で、一つの教会に長く通うことが多く、その信徒の安定性が日本の教会の今の姿をしているように思う。かなり遠方に居住していても、その遠隔地からでも同じ教会に来てくれる特定の教会だけでの信徒歴が異様に長い信徒が中心であり、教会員の流動がほぼなく、若年層の信者が増えでもしない限り、毎年確実に平均年齢が、1歳は確実に上がりつつける教会、安定で不動の教会員がずらっと並ぶ教会という構造ができてしまっているように思うのある。
信徒が他の近くの教会に行かない理由については、日本の近代の歴史を踏まえつつ、次回少し考えてみたい。
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ここのところ、教会とは何なのか、教会と地域と信徒との基本的モデルとは何なのか、ということを考えている。これをきちんと整理しないと、現在の日本の教会で起きている、教会と信徒との関係で起きているいくつかの悲喜劇や誤解を十分理解できないのではないか、と思うのである。
領域と住民と教会の関係についてのモデルと歴史的展開
現状だけから説明してもよいのであるが、教会は歴史的存在であり、そこから説明した方がよいように思う。特にヨーロッパ史とヨーロッパの地域とそこで暮らしていた人々の暮らしとの関係である。日本の教会は、このヨーロッパが近代化していく歴史的プロセスを経由し、変化していった結果としてのキリスト教の世界をモデルとして、現代の日本においても教会運営をしている。それを踏まえた図に議論すると、なぜ、日本の教会と信徒の関係が狂うのかがわかりにくいように思うのである。
日本には、過去のヨーロッパ付近で展開されてきた教会と地域あるいは地域住民を主体とする教会員との関係についての三つのモデルがあるように思われる。教会がどのように運営されてきたかについては、教会が存在した地域空間とその中の住民と教会の信徒との関係で考えると、きわめて整理がしやすいようにおもう。そして、現在の教会をめぐる問題の混乱を整理するためには、この種の整理が必要ではないか、と思うのである。
この辺、地図屋の地図屋たるゆえんであり、教会という概念系を考える際にも、それが空間的な出来事であるという認識が現在の議論において欠落しているように思えてしまい、地球上の空間抜きの議論にはやたらと敏感に反応したくなるのである。
さて、個人的に境界と地域住民とのかかわりを考えるためのモデル化として以下の3つのモデルから説明してみたい。
1)世界モデル・ユニバーサルモデル(カトリック教会)
2)地域モデル(正教会・聖公会・ヨーロッパ型のプロテスタント系教会の一部)
3)参加型組織モデル(日本における多くの福音派・日本型のプロテスタント教会)
以下、その考察を進めていきたい。
1)世界モデル・ユニバーサルモデルとしての教会(カトリック教会)
このモデルは、世界中、どの教会行っても、基本的な礼拝のパターンは同一であり、また、その日に読む聖書も、どの教会に行っても同じである。多くの場合、旧約聖書、詩篇(ないし詩篇賛美歌)、使徒書簡を中心とした使徒書、福音書が必ず読まれ、中でも、福音書は必ず読まれる。ある面でいうと、キリスト教業界においてマクドナルドや、ケンタッキー・フライド・チキンやクリスピー・ドーナツや、セブンイレブンといった世界的チェーン店展開するような教会であるといってよい。多少、存在する地域による言語や讃美歌、賛美歌の節回しなどでの多様性はあるが、ある信者が別の教会に行っても、ほぼ同等の礼拝に参加できる。ただ、通常の場合、教会がある地域の住民と信徒はほぼ一致している。そして、礼拝は式文と呼ばれた定型祈祷が中心であり、そこの礼拝行為をつかさどるのは司祭である。また、教会暦がきちんとしているので、季節ごとに何をするかが決まっており、教会の伝統(聖伝:教会暦や聖人)も聖書と同様に重視される。
信者の住む空間と個別教会の対応関係
昔は、教会が役所のようなことをしていたので、出生、結婚、死亡の記録なども教会において記録がのこされていたし、今でも残している。その意味で、人々の個人情報を大量に抱えている教会群であるといえ、墓地管理などもしているし、そもそも、教会自体が墓地であるという性質を持つ。
ヨーロッパで定着してかなりの期間が経過しているため、ラテン諸国を中心としてその地域の住民はすべて近所のカトリックの信徒という地域も多い。日本の寺院の檀家や神社の氏子と教会と信徒の関係はかなり良く似ている。地域の社会集団とその生活圏である地域領域(小教区)にある各個別教会の教会員はほぼ同一という地域が多い。また、移動が容易でない時代から存続するため、小教区の住民と信徒はほぼ等しい。
前近代からの継続性を持つという意味で、近代性への対応はある程度行われているものの、かなり保守性が強い人々が多くみられるという印象がある。
基本的に、ローマ帝国における国教会となったがために、地域住民がすべてそこの教会員になるという、個人の信仰の選択の余地が全くないある意味問答無用の構造を持っているという意味で、そもそも教派選択の自由などは、なかった時代の教会なのであり、住民組織と教会組織がほぼ一致しているタイプの教会であった。この結果、自分はメキシコ系だから、カトリックである、というような物言いが生まれることもある。
2)地域モデルとしての教会
この地域モデルには、正教会、聖公会、そして、西洋型の古プロテスタントの一部(ルター派及びカルヴァン派)が含まれる。正教会、聖公会には地域主教がおり、それらの相互認証と相互対話がなされている。ただし、どの程度の相互対話がなされているかに関しては、正教会系は民族性の影響が強く出るため、そのグループ内部の地域主教同士の対話と相互認証は一定程度なされているものの、やや民族で分断されている傾向がある模様である。また、民族群ごとにスタイルがかなり異なるという側面はある。その意味で地域性がかなり強くみられる教会群である。これらの多くは、前近代の伝統的社会の中から継続していることがあり、地理的空間領域(小教区等)に対して教会が配置され、その地理的空間の信徒は歴史的にそこの教会の教会員、家系として特定の教会の信徒であることが多い。この点でも、カトリック教会における地域空間と地域住民と地域教会との関係と相似形に近い関係、教会のある村落や地域の住民が特定の教会の教会員という関係が維持されてきた。
出生、結婚、死亡というライフイベントの教会による記録という点においても、これらの教会群とカトリック教会は、かなり類似性が高い。教会付属の墓所が敷地内(境内地内)にあることにおいても類似性が高い。
ただし、一部の古プロテスタントと書いたことの背景には、ルーター派(ルーテル派)やカルヴァン派において変容が激しく、日本において同じルター派ないしカルヴァン派であるということを掲げていたとしても、かなり状況が異なることがあるので、留意が必要であるようにおもう。
信者の住む空間と個別教会の対応関係
ただし、ドイツの場合は、地域領主のキリスト教信仰グループの教会が、その地域の教会群となった経緯があるため、地域における教会は実質的にその領域における都市国家にとっての国教会になっているという側面がある。その意味で、このグループの多くは、ある種国教会的側面をも持つように思う。
その意味で、このタイプの教会に関しては、民族であるのか、領主であるのか、その国であるのかは別としてなんらかの領域との対応関係を持つ教会群であり、このグループの特定の一教会を取った場合、その位置教会が担当する範囲が定義されており、その定義された領域内の住民全部が、そこの教会員というタイプの教会である。
その意味で、宗教の選択肢ということそのものが、皆無ではないが、このタイプにおいては非常に薄い。
さて、ユニバーサルモデルの教会にせよ、地域モデルの教会にせよ、これらの教会では、教会員と地域共同体の成員はほぼ等しいため、お交わりとか、礼拝後の交流などは実質的に意味がなく、教会がコミュニティセンターのような役割を果たすような教会である。まさに村の小さき教会のノリである。ただ、村の小さき教会の場合、だれがどこにいて何をやっているのか住民の大半に共有されすぎていて、息が詰まる傾向があるのは、言うまでもない。
日本の農村部や山村部、漁村部でのコミュニティが閉鎖的で息が詰まるのと、同じ構造を持っているといえる。
村の小さき教会の英語版 Little brown church in the vale
これらのユニバーサルモデルの教会群でも、地域型モデルの教会群でも、地域社会と地域空間と地域教会との関係は密接に結びついていて、分離不可能な状態にあったし、分離することすら考えていないし、教会の側も、融合しているのが標準であると思っていたものと思われる。そもそも、ユニバーサルモデルであれ、地域型モデルであれ、これらのタイプの教会形成が起きたのは、移動が不自由な時代であり、通常の庶民にとって御者や馬丁として馬に乗る、あるいは馬車に乗る以外には、馬を利用するなどというようなことは経済的にも身分的にも許されず、移動が大きく制限された時代の教会モデルであった。
3)参加型組織モデルとしての教会
地域空間とそこの住民との教会が分離を可能とするためには、中世期以降のヨーロッパでの都市への人口集中と都市文化を考慮することが必要になる。特にドイツを中心とした領域において、帝国都市が誕生し、帝国都市で一定の期間過ごした農民や農奴は地域を支配する封建領主からの支配からの解放を受けることになった。宗教改革後のドイツでは、ルター派やカルヴァン派、あるいは再洗礼派などが乱立し、その乱立したキリスト教のサブグループである教会群に対して、封建領主がパトロンというか庇護者となっている。であるからこそ、ルター先輩は、ローマから追われたが、ある封建領主の庇護を受けたため、生存可能となった部分がある。
それはさておき、ドイツでは、地域の封建領主が庇護し、パトロンとなっている教会が、住民の教会であったのであり、信徒はその封建領主が庇護している教会の信徒としての支配を受けるという構造があった。その意味で、キリスト教の教会グループを替わるためには、自分との親和性の高い教会を庇護している領主のものに逃げ込むか、それらが複数ある帝国都市に逃げ込んで、一定期間過ごすしかなかったのである。
職業選択の自由というのは中世人にはなかったし、居住地選択の自由などは、そもそもなかったのである。農業社会の封建領主にとってみれば、農業からの上前を税という形でピンハネして暮らしているので、住民というか農民及び農奴の逃散や流出は許しがたいことなのであり、都市にでも逃げ込んで、逃げ出した農民や農奴が逃げ込んだ都市の自治政府から治外法権である旨を宣言されない限り、追っ手を放って、農業者を地元に連れ戻す必要があったのである。
ヨーロッパでの市民国家の原型としての都市国家、都市自治政府の成立と、多様な教会の乱立の存在が現在の福音派と呼ばれる多様なキリスト教の伝統の流れに至るためのインキュベーター保育器という役割を果たしたのが、当時のヨーロッパの自治都市であった。そこでは、農業中心時代から脱却し、都市での商工業による収益が経済活動で一定の地位を取り始めた時代に入りかけた都市とそこでの教会のかたちが現在の個人が信仰のタイプを選択していく原型を形作ったものと思われる。
その意味で、多様な教会群という選択肢からの選択を可能にしたのは、ヨーロッパでの領域領主や国王から自由に判断する自治型都市国家の成立を待たねばならない。
なお、同時代のフランスは、ヴァチカンの長女と呼ばれるほどのカトリック国であり、ヴァチカンの長女であろうとするからこそ、カルヴァン先生のフランスでのカトリックの切り崩しとその活動に対する迫害は猖獗を極めた。また、当時のルイ王朝の支配の結果悲惨な目にあった人たちは、当時の政治犯などが収容されていたバスティーユ監獄を旧体制、王朝支配の象徴として包囲し、そして革命を起こしていく。それを背景にした演劇がレ・ミゼラブルである。
おふざけレ・ミゼラブル
英国では、英国国教会がVia Mediaを主張するものの、それは国家と教会は一体であることを前提としたものであり、それを自らの選択において離脱することには大きな抵抗とそこから分離することには大きな不利益を伴った。例えば、英国では、大学教育を受けられなくなったり、官職に就職する機会を失うと言ったデメリットを伴ったのである。とはいえ、メソディストやバプティスト、長老派、クェーカーやシェイカー、ほかにも多様な国教会の分離派が17世紀ごろから多数発生した。その一部は迫害され、経済的不利益に直面したため、英国支配の影響が比較的弱いこともあり、植民地としてのアメリカに移住したのである。当時人口が極めて少なく、とりわけ労働力が圧倒的に不足していたため、当時の植民地の開発を目的として移民を多数受け入れていたアメリカに人々が流入したのである。これが、アメリカが自らを自由の地 Land of Freedomを自称する背景である。ところで、当時の植民地アメリカでは、人口密度が極めて希薄であることもあり、お互いに衝突しあうことを回避する目的もあったのだろうが、相互に距離がある程度離れた地域に入植していき、様々な怪リスト饗のグループが、それぞれ独自の信仰スタイルの教会とその信仰スタイルを持つ教会員からなる地域社会を構成していく。
信者の住む空間と個別教会の対応関係
ヨーロッパ諸国の場合、居住空間が限られる(特に城壁で囲まれた都市内部空間において)こともあり、地域社会と教会の成員はあまり大きく乖離することはなかったし、欧州では、地域における教会は、地域社会の中心であり、地域社会の住民は地域の教会の教会員であった。またアメリカでは、居住密度がヨーロッパからすれば、東部の都市部ですら大きく下がり、中西部以西や南部の地方部に行ってしまえば、もう人口密度は実質ゼロになる。そんな中で、宗教グループ単位で入植していった宗教的入植者でも、宗教集団と地域住民はほぼ1対1対応していたといえよう。
ところで、アメリカの西部開発におけるフロンティアの定義は、1平方マイル(約2.6平方キロメートル)にヨーロッパ系入植者(アジア人やアフリカ系住民、ネィティブアメリカンは含まれない)が6人以下(人口密度でいえば、約2人/㎢)の地域のことである。なお、US Census Bureauによれば1890年のアメリカ合衆国の国勢調査において消滅したことになっている。アメリカ合衆国のフロンティアの消滅は、南北戦争後、それも明治維新から約10年以上もたった時期以降なのである。
アメリカ開拓民は、西部への移動や、定住後の移動手段として、騎乗ないし馬車が中心であったが、それでも困難が伴っていた。しかし、T型フォードの製造と普及までは。
次回へと続く
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Eテレ(NHK教育テレビジョン放送)において先日放送された、ハートネットTV「“神様の子”と呼ばれて〜宗教2世 迷いながら生きる〜」 を拝見した。
宗教2世を巡る拙ブログ記事
このブログでも、キリスト者2世、クリスチャン2世に関することについては、いくつか既に記事で述べてきた。詳しくは以下を参照されたい。
かつて
2011.06.16 Thursday 「親子別教会という選択肢」(1)
ということで始まる小さないのちを守る会のヤンキー牧師こと水谷先生のご発言から始まり、
2011.06.17 Friday 「親子別教会」という選択肢(2)
牧師さんや、ある牧師夫人さんからのコメントを受けて深められた論考である
2011.06.20 Monday 「親子別教会」という選択肢(3)
さらに、南の島のコメント王子の久保木先生の記事を受けて、さらに深化し、
2011.06.21 Tuesday 「親子別教会」という選択肢(4)
と広がりを持っていったシリーズがある。
そして、かつて2011年11月ごろに、
あるクリスチャン2世のコメントからたらたらと考えた。 (11/30)
いただいたコメントから、キリスト者2世問題をまたまた再考してみた (12/07)
についてすでに書いており、教会と個人のかかわりについては、
教会をやめたいで当ブログに来られる方が多いこと(第1回)、
でも、教会はやめても、
キリストと共に生きること、キリストを信じる人々ともに生きることが大事なこと(第2回)
教会は休ませてくれないかもしれないこと、休ませてくれるのは神との関係であること(第3回)
一種の教会内迫害が起こっているとしか思えないほどの流出ぶりであること(第4回)
私も、別の人も、誰一人として義ではないこと(第5回)、
やめたくても、教会をやめさせてくれない教会(第6回)
伝統についてのマクグラス先生の所論(第7回)
守りながらも、変えていくべきところは変えていく、という伝統の守り方(第8回)
ということをなどを、当ブログでは既に書き散らしているところである。
今回のテレビ番組を見て、あぁ、ここまでキリスト教やその派生形のキリスト教系新宗教系の問題が割と正面から取り上げられるようになったのかという感慨を持った。
NHKの「こころの時代」を除くと、これまでの民放各局のテレビ番組としては、キリスト教や仏教などの宗教について、面白おかしく、奇矯なものとして扱われることも少なくはなかったが、ようやく市井の社会に普通の生きる人々の一部の問題として認識されるようになってきたのだなぁ、とも思った。一般の問題として、キリスト教系の新宗教であれ、キリスト教関係の一部の人々が持つ違和感が、ある面、特殊な社会のマイノリティに関する事象として無視や放置されるのではなく、社会においてともに生きる人々の問題として取り上げられるようになった、ということを見ながら、それだけ、キリスト者とその周辺の人口が、じわじわと日本で広がってきたということなのだろう、という感想をも持った。
それはさておき、この番組に登場した関係者は、キリスト教の派生系というか、キリスト教系の新宗教(なぜかというと、イエスの神性を否定するかとも取られる表現をされていることや、広く一般にキリスト教の信仰告白として最低限の内容を含んでいる使徒信条の内容を共有していないことにより、新宗教であると判断可能であると思われる)であると考えられる人々、おそらくエ○バたんの関係者だと思われた。
教義や信心行が問題ではないかも
問題なのは、今回話題となった特殊な教義そのものではないだろう。それが、いかに特殊なものであり、生命身体に危惧を及ぼそうともそれを本人が選択している以上は信教の自由の範囲内にある。じっさい、修験道などでの荒行と呼ばれる行の実施であろうが、旧正月に恵方巻を特定の方向に向いて無言で食することや、イワシの頭を信心することであろうが、イワシのまるかぶりをすることや、真冬の氷点下の寒い早朝に心臓麻痺を覚悟で池や川、滝で水をかぶり禊をすることや、脱水症状になることを覚悟で真夏の炎天下に褞袍を纏い、こたつにあたりながら暑さに耐えることであろうが、大福餅を死ぬほど食べる荒行であろうが、それが信心行である以上、他人がとやかく言うべきではないように思うのである。信心行とは言え意味があるものもあれば、意味があまりない行動や行為もあるように、個人としては思うが。
問題は、他者への行為の強制
他者を捕囚し奴隷状態に置くこと
ハートネットTVの番組を見ながら思ったことは、本人の信心そのものの発露としての行為ではなく、本人の意志を無視して、親が誰かから言われるまま、教義の名のもとにおいて本人の信心とは関係なく、布教行為や何らかの信心行を強いることではないか、また、その行為の自由を奪い、特定の信仰上の教義に親や牧師が、信仰に基づく善意や思いやりからとはいえ、他者を捕囚し、その自由を奪い、奴隷状態に置くことにあるように思う。
親が子を大事にする、子が親のことを思いやることは一般的であるが、中には、思いやりと称し、子に過剰なまで関与し、子の自由な選択を束縛したり、操作したりする人々もいることは確かである。子に判断力の制約がある場合には、当然のことではある。しかし、家族とは不思議なもので、親が子を操作することもあれば、子が親を操作したり、その自由な選択を制限することもある。
そのような他者の自由な選択の恣意的な制限が無期限に、延々と行われ続け、個人の意志と人権が無視され、特定の宗教的行為を強要されることが問題なのである。
聖書の出エジプト記20章12節に、
あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。(口語訳聖書)
という言葉があるが、この父と母を敬えという言葉から派生させて、親に子供は問答無用で絶対服従であるべし、と主張するキリスト教関係者が一部おられることは、よく存じ上げている。実際にそういうことを主張される方が内部におられたグループにかなり長期間いた。しかしそのことの問題があるように感じたので、いろいろとご説明申し上げたのだが、意図を十分にご理解される方は少なく、そのグループの一部の方は、私の理解が間違っており、異端的解釈であると思われたようである。
ところで、口語訳聖書で「敬え」と訳されている語は、כָּבֵדという語であり、その語義としては、重きを置く、重視する、尊いものとする、重くする、固くする、ほめたたえる、讃える、という意味であって、必ずしも従え、とか、絶対服従すべし、という意味ではない。それなりに尊重することであり、服従せずとも、重視する、重きを置く、尊重するということはできるのである。日本には、位打ちをするという秘技がある。位打ちして、丁重に敬意を表しながらも、独自の意思決定をするということもできるのである。それすらも重きを置いている、ということにはなる。
なお、モーセ5書に出てくるアブラハムにしても家出するし、あまつさえ親からお宝を家出のついでに黙って借用しているし、イサクにしても家出組である。さらにモーセ5書を死ぬほど大事にするユダヤの民は、そもそも神の指示に関して耳を傾けないどころか、そのみ旨に逆らい続けた、かなりわがまま勝手な人々であることは、十分留意する必要がある。だから申命記の6章で、神は、聞け、イスラエルよ。(シェマー・イスラエル)と言わねばならなかったのである。
教育という他者を支配する暴力について
もう一つ、同番組を見ながら思ったのは、子供が自由に選択する権利ということである。もう少しいうと、親の支配はどこまで、子に及ばしうるのか、親の支配は、どの時点まで及ばすべきなのか、ということである。
親のしつけにしても、親の教育にしても、学校教育にしても、子供の生き方や考え方に、ある種の方向性を半ば強制的に与えるという意味で、ある種の暴力的な行為である。その暴力的な行為は、万人の万人に対する闘争(the war of all against all あるいは bellum omnium contra omnes)というような暴力的に生き方を回避するための知識とスキルを取得させるために、ある程度時間付きの学校や子育てとかいう特定の時間限定の期間において容認されていることのように思うのである。
それは、自らの手を離れても、生き延びられるように、また、人々とともに生きる中で、より生存可能性を拡大するために、あるいはより被害を軽微なものとするための生きる知恵を、生存に関する知恵を与えるための行為であり、時間限定・期間限定の暴力行為であるべきではないか、と思うのである。アメリカなどの懲役2000年とかいう懲罰は別として、日本の無期刑は問題の多い制度であるとされるが、それでも、犯罪行為の実行者の反省と社会的更生を目指したある種の教育制度であることから、本人の反省の状況にもよるが、15年から20年で保釈されることが多いようである。
期間限定の暴力の終わりに
さて、間もなく卒業式という教育というある種の暴力行為をおこなう、学校という名のある種の暴力装置からの解放、ないしそこからの世界への派遣、新しいその人の人生の始まりを告げる卒業式が行われる。英語で大学や高校などの卒業式は、Graduationを使わずにCommencementという語を用いる。少し調べてもらうとわかることだが、Commencementは、com ともに initiatare 始める というラテン語の語根を持つ語である。人々とともに生きることを始められるようにするのが、卒業の意味である。他の人々とともに新たな人生を始めるのが、卒業の意味であり、そのともに生きる日々が始められるように期間限定で暴力行為が認められているのが、教育ということなのだろうと思うのだ。親のしつけにしても、教育にしても、本来期間限定付きのものであり、ともに他者と生きるために容認されている行為であるように思うのである。
さて、アメリカのペンシルベニア州から中西部、カナダ中西部付近に、一般にアーミッシュと呼ばれる人々がいる。この人々の大半は、18世紀ごろから、ペンシルヴァニア周辺に定着した頃の生活スタイルのまま、平和主義者として世俗の変化とかなりかけ離れた電力などもほぼ利用しない素朴な生活しておられるメノナイト系のキリスト教の関係者のグループがおられる。彼らは、現在の文明社会からかなりの距離を置いた生活をしているのだが、その子弟たちが16歳から18歳になった時、つまり彼らの期間限定のぼ応力を終わらせ、ルームスプリンガと呼ばれる機会が与えられる。広い世界に期間限定で一度出てみて、自分たちのコミュニティのライフスタイルにしたがって、伝統的で保守的な生き方に従うのか、それから外れて、自分たちの生き方を追求するのかの選択肢を考える時間を過ごすのである。
アーミッシュの人々 https://en.wikipedia.org/wiki/Amish#/media/File:Lancaster_County_Amish_03.jpg
そして、このアーミッシュの青年たちは、18歳になり、成人したとき、どのような生き方をするのかを、自分以外の人々とともにどのように生きるのかについての選択させられるし、選択するのである。保守的な生き方で他者と歩むのか、そうでない生き方で、他者と歩むのかを選択することになるのである。
まさに、Commencement、すなわち、新たにともに生きることを始める機会があの伝統的な生活を維持しているアーミッシュの人々の間には存在するのである。
生き方選択の自由、あはは〜〜ん
1989年のバブル経済真っ盛りのころ、そして、男女雇用機会均等法成立直後の時代のサリダという女性転職雑誌か女性向け就職関係雑誌のCMに「憲法22条の歌」というのがある。その動画は以下に示すとおりである。
憲法22条の歌
日本国憲法の改変の動きがあるにせよ、現在も現行憲法は改変されておらず、改変しないことが必ずしも良いとは思わないが、現行憲法は諸法にとっての基本法としていまだに有効であり、職業選択の自由もあれば、信教の自由も保証されている。その信教の自由に関する日本国憲法20条の条文は、以下のとおりである。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
信教の自由は、先にも述べた褞袍を夏に来てこたつにあたり我慢大会をするでも、大福餅を腹いっぱい食べるでも、あるいはベーコンを死ぬほど食べる荒行でも、それがいかにおかしげで不条理な教義と信心行であっても、本人がそれを信じるというその自由は保障されているのである。よほど反社会的な行為でない限り、その自由と教義に対しては国による政治的な権利の行使としての警察権の行使などの法執行行為は発生させないよう国に制限を加えていると考えることができるのである。オウム真理教の強制捜査事案は、その点が問題にされ、オウム真理教の人々の行為が社会の安寧と繁栄と公共の福祉に反すると判断されたからこそ、強制捜査が実行されたのであり、それはいくつかの副作用を生んだことは記憶しておくべきかとは思う。
そして、この憲法20条とアメリカ合衆国憲法上で規定された、アメリカ合衆国は国教会を持たないということと深い関係にある。アメリカ合衆国憲法での国教会を持たない規定とは、国教会を持たないことで、国が国教会として設定した特定集団の保有する特定の信仰を、アメリカ合衆国国民たるアメリカ合衆国の市民権保持者に強制しないということを規定している。つまり、信教における選択の自由の権利を保障した制度である。その意味で、20条第2項の
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
という言明は重い。これには主語が明白にされていない言明であるように思う。つまり、親であれ、国家であれ、地方公共団体であれ、自治会であれ、被害者の会であれ、遺族の会であれ、他人から宗教上の行為への参加を強制されない、断る自由があることが言明されているのである。
宗教2世と日本国憲法第20条第2項
ところで、おそらく、上で紹介したハートネットテレビで取り上げられた、宗教2世の問題にとっての最大の問題は、ある生き方をする選択肢がそもそもないこと、その自由が束縛され、ある教義と呼ばれる内容から派生した特定の行為(信心行)を強制させられること、宗教上の行為に参加させられることが、憲法20条第2項の規定に明白に抵触するのでないかということがおそらく番組制作者が言いたかったことだろうと思う。
宗教2世には、成人してからも特定の生き方やライフスタイル以外の生き方を選択するという選択肢を用意されておらず、自己の意志とは関係なく無期限に、あるいは親が死去するまで、奴隷状態、捕囚状態に置かれ、選択の自由を奪われることにあるのだ、とおもう。それが、憲法で保障されている基本的人権に抵触しかねない範囲のものであることを問題にしておられるのだろうなぁ、と思った。そして、親の善意や愛情からとはいえ、親により支配され続ける中で過ぎてしまった期間の間に、本来多様な経験が可能であったり、その経験を通して成長するための様々な行為や思索を行う時間と機会を二度と取り戻せないという経験が、クリスチャン2世を含む宗教2世には、多かれ少なかれあるのだと思う。
キリスト教界隈でいえば、いわゆる二世クリスチャンの行為や状態にせよ、牧師夫人の行為や状態にせよ、PK(Pasters’ Kid)と呼ばれる牧師家庭の子弟の行為や状態にせよ、女性牧師の行為や状態にせよ、あるいは牧師の行為や状態にせよ、信者の行為や状態にせよ、その根拠も十分に考えず、単なる「こんな感じ〜〜〜(どんな感じ?)」や「昔からそうだから(いつからなんですか、昔って?)」「外国から来た宣教師先生がそう教えたから(なぜ、そう教えたのか、その理由は?)」ということで「」内に付した()内の強調体の文字部分の質問事項を無視しつつ、そのグループで歴史的に(と言ってもせいぜい70年程度)共有されてきた特定の方法での信心行や、現行そのグループの中の人々によって共有されている信仰スタイル、行動パターンや態度や状況しか容認しない、それ以外のものを受け止めよう、受け入れようとしない人々が相当数おられるように思う。
しかし、よく考えなければいけないのは、そのように特定のスタイルや信心行、信仰スタイルや個人の状態しか認めない、ということは、憲法20条の信教の自由に関する第2項に抵触しかねないということは、もう少し認識されるべきかと思う。
そんな現行憲法がお嫌い?ならば、ご自身で憲法改変運動を始められるなり、日本国国籍をとっとと放棄されて、ご自身の理念が実現できる国の国籍をご取得なさればよいのではないだろうか。
神の国の憲法とは?
なに、我らの国籍は天にある?それは結構。だから、日本国憲法に従う必要はない?まるでイスラエルのウルトラ保守派のような物言いである。彼らは、世俗国家のイスラエル法制度、税金から軍役までも無視する人々である。しかし、それを見習うことでよいのだろうか。
ところで、キリスト者の皆さまが所属しておられるはずの国籍の国(神の支配)による憲法は、ナザレのイエスによるとたった2か条である。ただ、
神を愛せ
あなたのとなりびとを自分自身のように愛せ
以上である。あの分厚い旧約聖書(トーラー(律法)とネビーム(預言者))をイエスはそのように要約していないだろうか。憲法が、その国家の個別法、個別判決とその判例を規定するように、キリスト者の行動としたがうべき法理という大原則は、神を愛すること、そして、自分と同じようにとなりびとを愛せ、であるように思う。個別の神の愛し方の方法や隣人の愛し方については、ほぼ特定していないように思えるのだが。ちがうかなぁ。
それにもかかわらず、神の愛し方や隣人の愛し方を厳密かつ具体的に詳細に特定化しようとして、イエス時代のイスラエルの人々を縛ったのがパリサイ人であり、その人々に向かってイエスが述べられたことに、現代を生きるキリスト者はもう少し思い起こしたほうが良いように思うが、ちがうだろうか。
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本日の聖書箇所は、
旧約聖書 イザヤ書 40章 21-31節
使徒書 1 コリント 9章 16-23節
福音書 マルコによる福音書 1章 29-39節
さて、このような説教から何を黙想したのか、をちょっと紹介してみたい。
そこで、その手にさわられると、熱が引いた。
との記載がある。ここで、イエスは、COVID19のような濃厚接触により感染する伝染性の病気の可能性があってもペテロの姑を触り癒やしておられるのだ。そこに、触る(Touch)すること、触れられること、ぬくもりを感じること、それを通じて我々鼻で息するものは感じるのかもしれない。触れてぬくもりが感じられて他者に初めて伝わるもの(焚き火ぼくし 兼 ピーちゃん牧師(Qちゃんではない) 兼 オレオレ詐欺受け子逮捕協力牧師 である大頭眞一さんによると、イエスの体臭を感じるほどの近さ、それはいかにもまずいので、イエスの体温を感じるとか、イエスのぬくもりを感じるほどの近さとか、最近は言い直しておられるようだが)があるように思うのである。そのことを説教の中でも触れられていたが、我々は、このペテロの姑にイエスが触ったように、日常的に神と我々との関係の回復のために、我々は触ること、いや、イエスに触れられること、イエスを触れることが必要なのかもしれない。神の息吹を与えられているとはいえ、鼻で息するものに過ぎない人間は弱いので、イエスに触れられる体験、イエスに直接触れる体験ということは大きいと思う。
聖書ですら、神の実物ではないという意味では人間に与えられた縁に過ぎない。説教もまた、縁の一つである。画像に語らせようが、イコンに語らせようが、説教に語らせようが、聖餐に語らせようが、それらのものは、神そのものに我ら鼻で息するものが接近するための何か、つまり、スクリーンあるいは薄い膜を介して垣間見、感じるための現実空間におけるモノものでしかない。しかし、概念よりモノのほうが、饒舌に語ることも時にはある。
イエスに触る、触られることという縁(よすが)
先に聖餐は縁であると言った。パンとぶどう酒という近東では普通に口にされ食べたり飲んだりされていたもの(日本では明治まで、こういうことはなかったから特殊に見えるだけ)を、イエスはこれを裂き、我を覚えよ、我が地に在りて生きたること、汝らとともに歩きたることを記念して、これの食卓を再現し、そしてその縁により、我を覚えよと言われ、また、普通に飲んでいたぶどう酒の入った盃(コップ)を取り、また、常にこれを飲むたび(近東では、カルシウム含有量が多いなど水質が悪いので、当時の近東人は安いぶどう酒を水代わりに飲んでいたであろう)、我を覚えよと、おっしゃったはずだと思うのだ。ぶどう酒を飲んだのは、教会での聖餐式だけでなく、食事の度、仕事の休憩のたびにワインを飲むとき、イエスがいのちの水として、人々に喜びを与え、その喉の渇きをいやすように義に対する渇きをいやし、回復に対する飢えをいやす存在として、地上に来たことを覚えるということを勧めたように思えてならない。妄想がすぎるかもしれないが。教会で飲むぶどう酒だけが、イエスを覚えるための縁ではなかったように思う。ぶどう酒を常時飲用する社会では、イエスが日常生活を通じて、覚えやすく、日常生活の中に染み渡っていきやすい社会であったということも意味するようには思う。
さて、イエスに触った人物と触ってもらう事を避けた人物が福音書にはでてくる。イエスが触られる前に、イエスに触った人物として有名なのは、長血を患う女として知られている、マタイ9章に出てくる女性である。彼女は、イエスに触った。そして、イエスから力が出ていくのを感じた、とイエスが言ったことを福音書記者(これが本当のエヴァンジェリスト)は記録している。彼女も彼女の信仰が、彼女を癒やした、とイエスは宣っておられたように思う。
イエスに触れられるのを回避した人物
ペテロの姑の直前に記されたセンチュリオン(百人隊長)の話は非常に印象的な聖書箇所である。このセンチュリオンは、イエスから、「その病人のところに行って、癒やしてやろう」と言われたにもかかわらず、「あなたの言葉の権威だけで十分です。お言葉だけで十分です」といった人物である。彼は、イエスがその下僕に触るのを回避している。それは、ある意味で、このセンチュリオンが、賢威という縁、権威あるものが発する言葉の持つ意味とそれを縁とすることに、通暁していたからではないだろうか。ある面で、近代人の走りである。言葉を介して発せられる権威性、ことばと命令、権威という概念という操作に慣れていたからこそ、その信仰の発露として、言葉によって伝わるものを受け取ることができたのかもしれない。
今行っているチャペルのある式文で、聖餐を受け取る前に会衆全員で告白する次の式文による祈りの表現を、思い出す。
Lord, I am not worthy to receive you, but only say the word and I shall be healed.主よ、私はあなたを受け取る価値のないものですが、お言葉だけで私は癒やされるのです。
とはいえ、ミーちゃんハーちゃんは、弱いし、縁が大好きな人間であることもあり、聖餐式でパンをもらえるのが嬉しくて仕方ない人物である。今のところ、ぶどう酒(これがまた、甘くてうまいThe Twelve ApostlesというAltar Wine)は感染防止対策として預かれないけど、そして、Draw near with faithと呼ばれても、三密回避のために恵の座にもいけないけれども、多くの人がその縁を受け取ることができないことを考えると、パンという縁だけでももらえていることで良しとするしかないと思っている。
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まだ、ディスペン制ション理解について、記事を書いた中で、近頃都鄙の話題につきて思うことなど(5) 再噴火した危機神学としてのディスペンセイション理解 という記事の一部として、そもそもヘブライ語や、ギリシア語聖書の底本問題と意味論の問題など、さらに翻訳聖書の利用を含めて、聖書理解に関する限界があることについて思うところを述べたところである。
ただ、誤解していただきたくないのは、解析的な読み方が劣るとか、ダメだとかWholisticな読み方が良いとか、優れているということを言いたいわけではない。解析的な読みには価値があるし、重要であるとは思っている。ただ、いろんな聖書の読み方があるし、いろいろなアプローチはあってよいと思っている。
This is the Word of the Lord
Thanks be to God
主のことばに対する畏怖
旧約聖書(使徒書)を終わります。
神に感謝。
Christ has died, キリストは死に
Christ is risen, キリストはよみがえりChrist will come again. キリストはもう一度地上に来る
司祭)This is the mystery of faith that we proclaim これこそがわれらが主張している信仰についての神秘なのである
基本式文に曲つけただけのパターン(こっちのほうが好み)
世俗の時代がもたらしたもの
下で紹介した『世俗の時代』という本は、めっちゃ高いが、大変面白い本であった。近代に向かう社会の中で、いかに神秘が引きはがされ、世俗の時代の中で本来わからないものを分かったかのような顔を人間が歴史的にしていったのかについての論考である。世俗の時代とは、科学や合理性が必要以上にでかい顔をした時代でもあったのだなぁ、という印象を持ったことだけは述べておきたい。
さて、「再臨問題になぜ多くの人が惹かれていくのか」については、なぜ、陰謀論や終末理解が流行るのか考えてみたで、すでに触れたところであるが、本来、再臨問題は、我らが告白する信仰の神秘なのであり、勝手に解釈したらいかんかった問題だったのかもしれない。
それを人間が解釈できるとか、聖書を人間が適当に読み込んで、理解できるとか思ってしまう、あるいは、理解できると思いこんでしまうところに落とし穴があるように思う。どのような優れた牧師や説教者、信仰者であっても、キリストは再臨するということは信仰の告白として、将来発生する事項として個人が信じていることであるという告白や主張はできるとしても、御子イエスですら知らないその終末や再臨の詳細についてとやかくいうべきではない、ということなのではないだろうか、と最近改めて思う。
**あくまで、上の記述は個人の感想・意見であり、全ての人がそう感じるわけではないことを申し上げておきます。**
次回の記事では、伝統教派の中で、どのように聖書が読まれており、それによってミーちゃんはーちゃんの聖書理解がどう変わったのかをご紹介したい。
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ことの発端
久々の連載、それもまた、長い記事を連発したのには、訳がある。キリスト教風時事評論というか、聖書に基づいている体での時事解説をしておられるYoutuber牧師さんはじめとする皆さんなどが、終末論や再臨がどうのこうのということを、黙示録という黙示文学で、そもそもわざわざその記述に断定がしにくい形で書かれている文章の部分、部分をちょっと取り、現実の政治的・経済的・社会的状況から文脈をかなり大雑把に、あたかもなたで切ったかのような断面のような部分的事実に過ぎないと思われるものを黙示文学や預言と組み合わせて提示した方もおられるようである。部分的に切り取りした社会の出来事と黙示録や預言書の一部の象徴的記述との関係をかなり無理筋で組み合わせているとミーちゃんはーちゃんには見えるものを、よく状況を知らない人々(ここが大事)でさらに、普段からこういうことについて情報収集したり、あまり深く考える習慣がない普通の人々(ここも大事、大体、政治部記者や証券会社、コンサルタントでない限り、こんなものを普通は情報収集したりはしない)に語り、そのご意見に触れた普通の人々やちょっと意識高い系の人々が、「こんな話は聞いたことがない」「偉大なる預言者現る」「偉大なる神の現代における使徒が現れた」(ヱヴァンゲリヲンか?)「21世紀日本に与えられた牧師」とかと思われたのかもしれない。発言者やご意見を述べておられる方は、さらさら左様に思ってなくても、そのお話に触れた方々がそう思ってしまったのである。なんでも勝手に思う人は、そう思ってしまうので、発話者の側ではどうもこうも仕方がない部分はあるのであるが。ただ、かなり無理筋な関係づけがなされたとミーちゃんはーちゃんには思える(だってそう思えるんだからしょうがない)その新奇な説に引きずられる人がある程度出たように思う。なに、昔なら、「ほうほう、なるほど、自分はそんなことも知らなかったのに、この先生に教えていただいてありがたや、ありがたや」と思い、知り合いにちょっと口コミで教える程度ですんだ。
口コミの恐ろしさ
なに、口コミとバカにするなかれ。口コミはものすごい破壊力を持っているのだ。社会学とか、社会情報学とか、マスコミ論とか、金融論を少しかじると、知ることになることが多い事件であるが、豊川信用金庫事件がある。皆様ご存じだろうか。愛知県豊川市にあった信用金庫一般に関する何気ない他愛もない女子高生の雑談を発火点として、「あわや豊川信用金庫が取り付けか」という騒ぎとなり、日銀の考査課長(この役職、市中の銀行マンと支店長クラスには恐れられているが、市中銀行の経営調査をする黒子に近い役割の日銀の部署の人で、日銀の中でもかなり偉い人)や全信連の理事までご登場させ、その取り付け騒ぎに対応することになった事件である。最初の女子高生の雑談は悪意も何もないものであったし、その周りの人々もその噂を悪意で広めたわけでなく(これも大事)、取り付けで預金を失わないようにと、完全の善意で(これも大事)、知人や知り合い、親族に伝えていったため、あわや取り付け騒ぎになったのである
銀行つぶすにゃ、刃物はいらぬ。たった一言噂でよい。
と端唄なのか、小唄なのか、都都逸なのか、よくわしらないが、ざれ歌の一つも歌いたくなるような事態が昭和のころの愛知県で起きたのである。
豊川信金取り付け騒ぎ事件は、昭和の口コミの時代に起きたが、現代では、口コミネットワークがSNS上にできているのである。ツイッターや、Facebook、インスタグラムなどの各種SNS(Social Network Service)は、その名にネットワークという語が含まれるように、口コミを含め、ネットワーク上でのコミュニケーション及び情報の伝播拡散活動を電気通信手段を提供している。その意味で、巨大なうわさ、雑談の拡散装置という側面が、TwitterやFacebookにはある。
元々、こういう人々に情報を届けるプッシュ型の広報の手段としては、古くは粘土板とスタイラス、もう少しこちらに来ると紙とインクで行われてきた。手紙類から始まって、機械印刷されたチラシ、壁新聞、同人誌(ミニコミ誌)、雑誌、新聞、そして電気通信技術ができて以降は、無線通信、ラジオ、テレビ、そして、インターネットいう形で様々な方法が開発され、利用されてきた。
印刷物を遠隔地に運ぶためには、かつては騎手(伝令)による文書通信、もうちょっと早い方法としての伝書鳩なども使われてきた。電気通信ができてからは、伝書鳩の代わりに電波が使われ、有線通信、無線通信と発達し、その後、インターネットが普及してからは、ウェブサイト、そして、実際の人間関係のネットワークを電子通信的なトポロジー構造に置き換え、親密関係者という範囲とその隣接する関係者に対して、ある程度閉じた情報手段としてSNSが利用され、友人知人関係という人間関係のネットワーク関与者間で情報共有される仕組みが確立されていった。こうなると、口コミは、電気的に一気に加速度的にCOVID19ウィルスのように複数のクラスタを通じて拡散し、様々な人に情報は受け取られることになる。
SNSは悪いのか?
パウロが現代に生きていれば、きっとブログを書き、ツィッターを書きまくっていたに違いない。そして、初期キリスト者もそうしていたであろう。初期キリスト者は口コミで、日常生活の中で、神の国が来たといいまくり、トーラー(律法)とネビーム(預言者)、すなわち旧約聖書に預言されていたキリスト(救い主)がきた、という意味で、キリスト、キリストと事あるごとに云うので、クリスティアノス(キリスト、キリストというやかましいやつら、キリスト基地外程度の意味)と蔑称で呼ばれたのであり、このクリスティアノスが、今に至るクリスチャンの語源となる。
包丁の使い方を間違えると銃刀法違反で検挙、逮捕、起訴されることになるが、野菜を切ったり、マグロを三枚におろしたり、さばいたりしている分には問題がないし、手でマグロを三枚にさばける人はいないだろう。新聞やテレビ、ブログや、TwitterやFacebookが悪いわけではない。その使い方が問題を生むかどうか、だけである。
今回の記事の背景
さて、今回キリスト者の人々の中で、プチ炎上騒ぎを起こしかけた事件があった。その事件は、Youtuber牧師先生の「トランプ大統領が正統な大統領であり、トランプ氏が大統領でなくなると大変なことが起きるかもしれない」のようなご発言を巡って陰謀論まがいのことが発言者本人とはあまり関係なく言われたり、それを真に受けた人が、「Joe Bidenが大統領になると世も終わり、そのためクリスチャンたるものトランプが大統領にとどまれるよう祈るべし」のようなことと誤解されかねないご発言(ツィート)をなさったため、それをあまり深くも考えずに、拡散してしまった人たちがたくさんいたという出来事が起きただけのことである。それはそれで、傍目に見ている分には、「日の下に何一つ新しいものなし」というコヘレトの様にぬるく世界を見ているものからすれば、その拡散ツイートをしておられる皆さんの動転ぶりがかわいらしくもいとしくもあったが。
なぜ、陰謀論モドキや終末論にはまるのか?
ところで、本日の本題に入りたい。なぜ、人が陰謀論にはまるのか、キリスト者でも、陰謀論にはまるのか、という問題である。
一つには、旧約預言の問題がある。新約の黙示録等や福音書のイエスによる預言記録も影響はする。将来のことがあまり明確に語られずに預言されているからである。そもそも、イエスだって知らないことになっているのである。
其日其時は、之を知る物なし、天の使等も知らず、唯わが父のみ之を知る。
正教会訳 マトフェイに依る聖福音 第24章36節
我らが夫子イエスでも、知らないものは知らないでよいではないか、とは思う。それを鼻で息するものの分際で知ろうとしたり、わかった顔をしたりするから、問題が起きるのではある。とはいっても、なぜ、鼻で息するものがこのようなものを人々の間で話すのか、ということの説明にはならない。
本日は、それを少し論考してみたい。
Twitterでこの問題が話題に出てたので、何人かの方々と、少しツィートをかわしてみたが、ある方が
マウントを取りたくなると、終末論に行く模様な、気がしています。
と実に鋭いツイートで問題の根幹部分をご指摘をしておられた。このツィートにある『マウント』という概念が預言解釈の問題や再臨、携挙を考える際には、かなり重要なのである。つまり、他のキリスト者より自分が優れたものであると思いたい(もう少しいうと、他者から、自分が優れたものと思われたい)、というあたりの機微が、この終末論を巡る預言理解の香ばしい話題には、付きまとっているように思う。
他人への説得の方法と人が行動を起こす構造
人が説得され行動するためには、いくつかの条件みたいなものがあるが、最近の研究では以下のようなものであるとされている。
1)互酬性 (心理的な貸しがあると感じた場合、それを返そうとする)
2)希少性 (そのものへの利用や接近が限られる)
3)権威性 (権威ある人、警察官や学者、牧師がそう言っている)
4)他者からの事前紹介 (他者から、この人は、信用できるという言葉・紹介の存在)
5)行為の初期負担の軽さ (最初の一歩がそれほど負担にならなければ、あとはより大胆に行動可能)
6)他者の類似行為の存在 (赤信号、みんなで渡れば怖くない)
この中で、今回のYoutuber牧師先生のご発言を機に流れた「トランプ大統領でないとろくでもないことが起きるので、トランプ政権のために祈るべき」という言説や、「まともなキリスト者はトランプ支持者たるべし」的発言の流行に関連する問題は、この中の2)希少性、3)権威性、5)行為の初期負担の軽さ、6)他者の類似行動の存在が関与していると思われる。
簡単なものから先に紹介しておく。
5)行為の初期負担の軽さ
これは、脱法行為を第3者がある人にさせるときによく利用する手である。最初に簡単なものに手を出させておくと、だんだん深刻な影響をもたらしかねないものも、平気になって利用するという手である。よく知られた例で行くと、強めのアルコール飲料とか、タバコという違法とは言えないまでも、やや常習性のある薬物に手を出させ、次第に大麻、そのうちに、覚せい剤などの薬物に手を出させ、人を薬物依存にさせるという手がある。であるからこそ、20歳以下の判断力がまだ十分ない者には、アルコール飲料も、タバコも日本では禁止されているのである。
3)権威性
まず、Youtuber牧師先生がお話になっていて、このYoutuber牧師先生の一部は、ご自身のお働きとして紙媒体たる雑誌メディアを刊行しておられるので、まずもって権威性が高い。それと同様の発言をすることで、虎の威を借りる何とかではないが、自分を他の人々より高らしめることができるのである。雑誌という権威性とその先生のご発言ということで、あたかも自分が他の人々よりも権威性を帯びている、つまり、マウントを他者に対してとれるということを思い込んでいるからこそ、他の信仰者に「トランプ大統領がその座にとどまり続けられるよう祈ることこそがキリスト者の取るべき行動である」かのごとく偉そうにものを申されることを可能にしているものと思われる。
また、話す人のしゃべる言葉やその発音にも人間は影響を受ける。自信ありありでしゃべっていると人は信じてしまうものなのである。それを揶揄した、実は何も言ってないにもかかわらず、実に重要な内容をしゃべっていると思わせるウィル・スティーブンのおもしろ動画がTEDにある。人は、自信をもって主張する人の話を信じてしまうものなのである。それも、牧師の肩書とかあれば、牧師は聖職者だと思われていて、その社会的信用はまだあるので、だまされてしまうものなのである。
TEDxで賢そうにプレゼンする秘訣 | ウィル・スティーブン
他者の知らないことを知っているということは、それだけで希少な存在であることを意味し、自分の存在を他者に対して、相対的に高らしめることができることになるのである。つまり、他者に対し、上位に立ち、マウントをとれることになるのである。その意味で、このような特殊な知識(その実態がいかにいい加減なもので精度がないものであれ)を持ってない人たちからすれば、そのような特殊な知識がほしいとなり、その話に飛びつくのである。
おまけに、陰謀論とか終末理解とかは言っている側が証明する必要がないと来ている。科学論文や、学術論文などのように、データや、過去の研究やその他の知識を総動員して、論文を書いて証明する、ないし説明して、その世界の業界人の間で、ようやく納得してもらって、おそらくそうなんだろうねぇ、と確認してもらう必要があるのだが、陰謀論とか終末理解は、まだそれが現実に発生していないし、確認の仕様は所詮ないので、好きなことを言っても、陰謀があるだの、終末が近いだの蓋然性(もっともらしさ)を言い、それを聞き手に思い込ませれば、勝ちなのである。そもそも、この立証の義務がないというのは、実に語る方にすればありがたい性質であるし、その話で迷惑する方にすれば、実に迷惑千万、言いっぱなしの世界なのである。
知らないということがもたらすもの
情報の非対称性というものがコミュニケーション論やゲーム論で議論されることがある。自分と相手が知っていることに差があるときに、単に何かを知っているという言説(それが事実であるかどうかの確認は必要とされない)を基に相手に対し、有利に立つことができるのである。有名な例でいえば、見かけきれいな中古車があるとして、売り手は、その車は実際には事故車で、車台(シャーシ)部分に大きな損傷があることを知っていても、たいてい買い手は、そんなことは調べようがない。事故車であるから、本来は安い価格でしか売れない事故車であるにもかかわらず、少し化粧をすれば、高価格で大抵の買い手には売りつけることができるのだ。であるからこそ、アメリカで中古車屋は天国に行けないビジネスマンの代表格だといわれる。
あと、相手が知らない、ということに立てば、近代社会の特徴、進んだ近代人が、未開人や無知蒙昧の人々に教えるという啓蒙主義の構造がうまれ、自分は無知蒙昧な人々に特殊な能力や知識(それがいかにいい加減でも)をもって、教えることができ、より有利に立てるという側面があるのだ。そして、メサイアコンプレックス(相手に対して救世主になれるというコンプレックス)を満足させるのである。つまり、知らない、批判力がない、ということは、それだけ弱い立場、救われるべき対象としての立場に立つことになる。そうなると、人は弱い立場でとどまるよりは、強い立場の方(マウントをとる方)が有利なので、そうなるように、いかにいい加減な知識でも、いい加減な能力でも、それを得ようとして必死になる。
そもそもマウントをとることがいかに無意味であるか、ということについて、我らが夫子、かくのごとく教えたもうておられるのだ。
爾等のうちに大ならんと欲するものは、爾等の役者となるべし。爾等の中に首たらんと欲するものは、衆人の僕となるべし。
マルコに依る聖福音 第10章43-44節(正教会訳)
キリスト者同士で、マウント(大なるものたらんとすること)を取り合ったり、他のキリスト者に対して有利に立とうとして「かくかくしかじかのごとく為すべし」というよりさきに、すべきことがあると、我らが夫子は、今なお我らに教えておられないであろうか。
繰り返すが、このタイプの議論では、知っているという側に証明義務がなく、真正性も問題にされることはなく、相手が額面通り受け取るかどうかだけが重要なのである。このあたりは、ゲーム理論の入門書や、産業組織論の入門書を参考にされたい。
陰謀論とオウムのインテリゲンちゃん
マウントをとる、という意味では、ある種のコンプレックスの裏返しの部分があると想定するのは、当然のことである。ルサンチマンというか、満たされない思い、ノンエリートがエリートへの反逆としてこういう世界に入るというのは、非常に分かりやすい話であるし、かなりの部分、それで説明できる部分がないわけではない。コンプレックスを抱えるからこそ、相手にマウントをとろうとして、相手の知らないこと、より優位に立とうとする対象となる人々に対して、自分だけがひそかな秘密を知っている、というのは、そのコンプレックスをある程度埋め合わせてくれる部分がある。
ところで、この種の陰謀論にオウム真理教の人々は、見事に引っかかったのである。世間的に見れば、いい大学を出て、いい勤務先を得て、何ら不自由なく暮らしているかに見えるインテリゲンチャン(正確には、インテリゲンチャ)が、なぜ、この種の陰謀論というか終末論に引っかかったのかである。それは、彼らは、頭ではわかっていても、実行力と実力に不満を抱え、ある種のインテリ特有のコンプレックスを抱えていた人たちだったからだと、個人的には考える。
ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。
口語訳聖書 ヨハネによる福音書 1章 46-51節
特に、オウムのグループには、医師がいた。おそらく彼は、自分の最新の医学では治せない患者を何人も見てきたことであろう。しかし、目の前の小汚いなりをした尊師と呼ばれるおっさんが、額に手を置いて何やらいうと、症状が軽快するのを何人も見てしまったのであろうと思う。こうなると、自分の限界を感じ、ここに何か本物があるのでは、と思うのが、インテリゲンちゃんの弱さである。なまじ、日常の経験がなく、人間には理解できないことがあり、人間にはできないことがあるということを経験せず、人間努力して勉強すると、何でもできる気になってしまうし、学校はあたかもそういう虚構を小中高大学まで、教育と称して教え込む。日常での理解ができないことや納得のできないことや、どうしようもないことと出会うという経験がなく、勉強ばっかりしていると、実際に治癒してなくても、症状が軽くなったり、状態がよくなったりする現代人に理解できないことが目の前で起きると、ころっと騙されてしまうのである。実証主義者の聖トマス(聖トマ)も「なんなら指入れてみる?」と言われたら、コロッと引き下がっている。
インテリゲンちゃんも人間である。弱い存在であるのだ。それを近代社会では、教育として、努力すれば強くなれる、努力すれば、力が付く。努力すれば、他人より秀でられる、とかおよそ現実的でないことを吹き込むから、それを真に受けた人が努力して弱くなくなろうと、ついしてしまうのではないか。たとえいい加減な立証不可能な陰謀論に頼ったり、終末論に依拠したりして。
弱さを認めないところに、そもそも、問題があるような気がする。普通の人は、どんなに頑張っても、ウサイン・ボルトにはなれないのである。また、ウサイン・ボルトはどんなに頑張っても、マラソン選手にはなれないのであり、全ての人には、どこかに欠けがある存在なのである。そこを間違えたらいかんのではないか、と思う。
ウサイン・ボルトさん
追記:水谷潔氏を通じて誤字の修正のご連絡を頂いたアノニマスリーダー(匿名の読者 Annonymous Reader)に深く感謝をすると同時に、語時部分を修正したことを注記し、ここに御礼申し上げる。ありがとうございました。
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本日、最終回。大団円の予定。
これまでの概要
さて、これまでのアイルランドという大英帝国の片田舎にいたJNダービーがその構想に大きな影響を与えたディスペンセイション理解が、DLムーディ・ナイアガラカンファレンス、スコフィールド版注釈付き聖書、マニフェスト・ディステニーの行き先としてのアジアの橋頭保としての日本、そして、中西部人を中心とする中西部出身の福音派の宣教師、元アメリカ軍人の伝道者により日本に流入したことをお話してきた。
キリスト看板と伝道とファンダメンタリズム
ところで、退役軍人が日本で始めた伝道団体として、皆さんが日常生活でよく見る黒字に白と黄色で文字を書くという独特のスタイルの看板を製作しておられるキリスト看板の集団の皆さんの団体がある。内部の情報を過去そこにいた方からかなり収集しているので、多少知るところはあるがそれはここでは述べない。昔、文化オリエントというデータベースシステム関係の情報システム会社があり、そこがこのキリスト看板の関係団体であったことを後で知る。文化オリエントの製品は、なかなか、便利な製品であった。しかし、そこの製品がキリスト看板の関係会社だとも知らずに使っていたことがある。懐かしい思い出である。
キリスト看板のパロディ(こういうのが好きなのも過激派の過激派たるゆえんではある)
イオアン答へて曰へり、夫子よ、我らは爾の名を以て魔鬼逐い出す人を見て、之を禁じたり、其我等に従わざる故なり。
イイスス之に謂へり、禁ずる勿れ、蓋爾等に敵せざる者は、蓋爾等のみかたなり。
正教会訳聖書 ルカに因る聖福音 9章 49-50節
とも言っておられるからである。
さて、これまでの経緯の説明で、日本の福音派の皆さん方(特に牧師)から平信徒まで、JNダービー風の古典的ディスペンセイション理解が戦後すぐ頃からかなり流入した。また、いのちのことば社という宣教団体(通常の出版社ではなく、あれは宣教団体である)の出版物として、日本の信徒教育のために有益な書籍として進められた書籍の中にも、宣教師たちも大きく影響を受けたディスペンセイションのDNAを受けついた人々の著作が大量に含まれることになった。日本基督教団の一部は、Fundamentalistから目の敵にされた人々のグループの神学において、伝道された協会や、理知的、合理的な信仰者のグループが形成した神学の影響が強いため、これらのDNAが薄い部分がある。それはそれで幸せなことだと思っている。
時事解説は聖書のメインテーマなのか?
今回のこの連載を始めた背景には、そもそも、Youtuber牧師先生がある時期、時事問題に絡めて『グレートリセット』やトランプ大統領は、本来当選しているはずとかいう言説をふりまいておられて、いくつかのご発言の根拠づけに、ご自身の立場からのキリスト教風の解説を付けた時事解説番組を流しておられることに対して、ご懸念を抱かられた牧師先生方がFacebookでご議論されておられるのを拝見したことがある。それこそが、直接の出発点ではある。また、ツィッターで陰謀論風のことを事実化のように発言するキリスト者のツィートがちらほらしているのも、かなり気にはなっていた。また、牧会の現場をお持ちの牧師先生方が、Youber牧師先生の集まりに信徒が流出したり、「牧師先生方の話がつまらん、社会問題と聖書について話してほしい」とか信徒の一部がわがままを言い出したりして少し閉口しているということについての、昨年末のオンライン会議の最初の部分に参加していたことも影響している。
全てのキリスト者は、別のどこかの教会群から見たら異端じゃないかな
無教会主義と大正期の日本のキリスト教会
ところで、大正期に無教会主義のグループを主導し、紙の上の教会と呼ばれたグループを日本で構築された内村先輩が、ある時期再臨運動に熱心に関与したこと、それに間接の影響を東亜のムーデー、日本のムーデーと呼ばれた中田重治先輩が与えた可能性を述べた。そのあたりの詳細は黒田の『内村鑑三と再臨運動』を参照されたい。
当時のキリスト教会群の中でも、内村の「紙の上の教会」ともいうべき無教会運動に信徒が流出し、日本のキリスト教会内では内村の動きに反発し、論陣なども張られたこともあったようである。現在のYoutuber牧師の流出とそっくりである。内村は、雑誌による教会づくりを目指し、Youtuber牧師先生のうちには、もともと「電波の上の教会」であるテレヴァンジェリストをしておられた方もおられる。インターネット上の教会であれ、電波の上の教会であれ、冊子や書籍など紙の上の教会のお働きをしておられたわけで、明治末から大正期の内村の無教会の存在と技術はだいぶん違うが、基本的な構造としては大して変わらない。
教会Churchとはいったい何だろうか?
そう考えてみると、このイラストのように、教会とは、キリストを信仰する普通の生活を送る人々の間に、あるいはその人々の日常生活の歩みそのものが教会なのではないだろうか。主の祈りにある如く、御思いをこの地にならせる存在の集合が、目に見えない聖なる普遍の教会、聖なる公同の教会というものではないだろうか。ついこないだまで、教会一致祈祷週間 Week of Prayer for Christian Unityであったからそう思うのかもしれないが。
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスはお答えになった。「神の国は、観察できるようなしかたでは来ない。
『ここにある』とか、『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの中にあるからだ。」
新共同訳聖書 ルカによる福音書 17章 19−20節
教会も、物理空間上の地球上においては、神の国の不完全な一部でしかない。そもそも、特定の教派のみの特定の地域にある教会のみが教会ではないし、神の国でもない。我らが夫子宣いし如く、我々の間にあるのではないだろうか。電波の上の教会であろうと、ネット上の教会であろうと、紙の上の教会であろうと、それは我々の間にある神の国としての不完全な実現とは考えられないだろうか。こういう過激発言がキリスト教過激派の一つであるプリマスブラザレン運動の集団内で目立ったため、実質上の一時破門措置を受け、こういう過激発言が英語ではできにくいので、聖公会の英語部で、静かな過激派となって生きている。実にありがたいことである。
なお、今の聖公会の英語部を離れたくないのは、その教会の週報がめちゃくちゃいいからでもある。その日の聖書個所に関係する表紙のキリスト教絵画が所謂西洋の名画だけでなく、アフリカ系のアーティストの作品から、現代メキシコのフォルクアーティスト、中国人アーテイストによる実に多様な絵画が乗っている。また、その日の聖書箇所に、賛美歌の楽譜、パズルや印象的なキリスト教メディアの記事等や、印象的な霊性を養うためのQuotes(短い名文句の引用)が付いているのである。実に優れものである。毎週、この週報をもらうためだけでも、あのチャペルに行きたいというような週報である。
危機の時代とディスペンセイション理解
これまで話してきたように、19世紀初頭のヨーロッパ大陸とアメリカ独立に伴う政情不安、19世紀中葉のアイルランドでのジャガイモ飢饉に伴う政情不安、南北戦争後のアメリカでの政情不安、日清・日露戦役の悲惨や第1次世界大戦に伴う日本国内での政情不安、共産主義の拡大への不安とその反動としての米国でのマッカーシズムなどの政情不安、イスラエル建国とその後のアラブとの対立によりもたらされた政情不安、2000年問題での政情不安(この時期にプレッパーズと呼ばれる人々が出てきた)、その時々にこの再臨待望が生まれ、ディスペンセイション理解がちらちらと顔を出してきた歴史がある。
プレッパーズに関するナショナルジオグラフィックの番組の予告編
大きなうねりになったものとして、イスラエル建国とオイルショック、ニクソンショックで大きな不況を経験した1970年代がある。今を去ること50年ほど前の時代である。そして、コロナウィルスの大流行による経済的大停滞の背景の中で行われた、2020年大統領選挙を巡り、カリスマのあるトランプ大統領とお世辞にも品のいいお爺さんにしか見えないOrdinary Joeとの間での大統領選挙を巡る問題、特にトランプ大統領が、中東和平を彼が呼ぶところのイスラエルとサウディアラビアの国交樹立(というよりは、正確にはシーア派のイスラーム指導者が国家元首であるために、サウディアラビアと相性の悪いイラン包囲網を構築したに過ぎない)を成し遂げたことがアラブとイスラエルの歴史的話題と拡大解釈されてアメリカのイスラエル支援が大好きなキリスト教徒の中でもてはやされ、いよいよ、終末に突入するか、と思い込んだ人が出たに過ぎない。
長い連続記事になってしまい申し訳なかったが、この連載で何が言いたかったか、というと、ディスペンセイション理解は、普通の時代に生まれた普通の理解ではなく、危機の時代に生まれた、ある種の危機神学であるという側面を忘れてはならないということである。そして、冬場にになると、昔の骨折の跡が痛むように、危機が起きるとこれが、ディスペンセイション理解が「こんにちは、まいど」とキリスト教会に顔を出すということである。それだけ、現代の福音派と呼ばれるキリスト教関係者のDNAにこのディスペンセイション理解とユダヤ人理解と終末の関係は、間接直接を問わず、深く刻み込まれているように思うのである。
1945年以降の再臨ブーム
過去50年位の日本の福音派の歴史をたどってみると、この種のディスペンセイション理解が隆盛した時期が、今回の直前では、イスラエルの件故国とその後の中東危機と、ほぼ時期を同時とするニクソンショック、オイルショック期におきている。こういう経済危機の段階では、この種のディスペンセイション理解が極めてもてはやされ、ティム・ラヘイの本や、聖書パノラマのような本が何点か、いのちのことば社から出版された事実は確認されたほうがよろしいか、と思う。
このことについて、ある時期、当時定年退職に近い形で、いのちのことば社から退職された出版関係者の人に「なぜ、聖書パノラマとか類似のディスペンセイション説の影響の強い本を出したのですか?」とお尋ねしたら、宣教師の勧めがあったかのようなご趣旨の内容を承ったことがある。今はディスペンセイション理解関係の影響の強い本の出版は、やめておられるということらしいが、近頃、また、『聖書パノラマ』は復刊本として再印刷されているようである。まぁ、社員の生活を確保するためにある程度の利益を確保しなければいけない出版事業を営む伝道団体であるとはいえ、個人的に『節操』という言葉ってどういうことなのかしら、と割と最近思ったことがある。
オイルショックのその後と再臨ブームの沈静化
ところで、オイルショック後、日本経済は奇跡の復活を遂げ、バブル経済期に突入する。日本の景気が良くなり、多くの人に金が回り、金融機関は運用先がなくヤバい証券を買いあさる、不動産を買いあさる、海外不動産に手を出すという、金余り現象が、庶民レベルまで(あの頃はいい時代だった。郵貯の定額預金の利率が6%を超えていたのである)広がる中で、ディスペンセイション理解は各種の教会では、あまり大っぴらに語られることはなくなる。
その後、2010年ころのリーマンショックの頃から少しディスペンセイション理解とそれに伴う終末理解に関心がもたれ始め、今回、Youtube配信などをしておられるテレヴァンジェリストの方やそのほかの方がその終末理解をコロナ危機と、それに伴い発生している経済的低迷の中で、トランプ政権支持との関係で、ディスペンセイション理解と再臨理解が主張されるようになった、という理解が、今回の背景にある、とみるのが適切であろう、と思います。
ミーちゃんはーちゃんが個人的に地域の教会の皆様にお願いしたいこと
平信徒風情のくせに、過激派のミーちゃんはーちゃんが言うのはいかがなものか、とも思うが、プリマスブラザレン運動に一時的にかぶれたり(ミーちゃんはーちゃんは、40年近くかぶれていたけど)、終末理解や再臨に一時的にかぶれたり(これは70年代の中高生のころ5年くらいかぶれた)、ファンダメンタリズム(これは、30年近くかぶれた)にかぶれたり、することはある。また、そうでなくても、教会や教会の誰かとトラブル起こして、無教会にかぶれたり、一時的に教会から縁遠くなったり、何かのブームにかぶれて、一時的に迷い道に迷い出て、周辺の探索をするようなことは起きるものである。そして、こういう迷いや教会探しは若気の至りではよくあることなので、そういう信仰者を放蕩息子の父のように温かく迎えるのは無理にせよ、放蕩息子の兄のように冷たく見下すのではなく、「なんかにかぶれたのね」とぬるく見守ってあげていただきたいのである。
レンブラントの放蕩息子の兄の部分の拡大図
また、人の救いを決めるのは、鼻で息する信徒や、牧師といった人間ではないと聖書は言っているのでないだろうか。もちろん、教会内秩序(こういうのはあまり尊重してない癖にアングリカンにいるという意味でも変な人ではあることは認める)の点で、どう対応するかの問題は、信仰の問題や個人の救いの問題とは別次元の問題のように思われる。それを神による回復の問題と混同するから、おかしげなことが起きるように思う。
そもそも、神は、一度でも自分のところに来たものが、ちょっとやそっとおかしいことをしたとしても、その過ちを悔いるならば、迎え入れ給うのではないだろうか。あれだけ、項のこわい民(神のいうことをまともに聞かない奴ら)と神ご自身をして言わしめたイスラエルの民に、わが子らよ、帰って来いと呼びかけたもうたのではないであろうか。
その意味で、どこで信仰を持ったのか、どこで信仰をはぐくんでいくのかということにより、その信仰者としてのその人の歩みに確かに影響する。しかし何より大切なのは、イエスキリストと出会っているか、父、イエスキリスト、聖霊のおられるところにその人が戻ろうとするかどうか、そこにとどまり続けようとするかではなかろうか。
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これまでの復習
前回までは、JNダービーの神学のディスペンセイション理解の成立とアイルランドの国内事情、当時の終末待望論、それが、カナダと米国にJNダービーが渡ることで、当時シカゴにいたDLムーディとの交流が始まったこと、そこで学んだ中田錠治先輩の聖書理解に影響し、そして、内村間頭にも影響したこと、そして、当初ニューヨークで開かれていたナイアガラカンファレンスの前身の聖書研究大会から、ナイアガラカンファレンスに代わっていく中で、そのカンファレンスの主要テーマが預言理解と携挙であったことを概説してきた。そして、当時の福音派の主要人物がこのカンファレンスに参加していたこと、そして、巡回説教者と中西部のバイブルベルトでディスペンセイション理解をたっぷりと含んだスコフィールド版注解付き聖書で中西部に広がっていったことも説明した。
ナイアガラカンファレンスからChristian Fundamentalism
キリスト教原理主義と日本への伝播
さて、JNダービーの影響を受けた週末理解などが話題となったナイアガラカンファレンスから流れ出るキリスト教のもう一つの潮流に、Chrisitian Fundamentarism ないし、Fundamentalismがある。今では、原理主義として翻訳されることの多い語であり、イスラム原理主義運動とかと軽々しく使われるが、そもそもは、聖書に基礎をおいて物事を考える、聖書を源泉として人生を生きる人々を指そうとして生まれた用語である。本来、キリスト教徒が生きるということは、聖典である聖書(66巻のみか、外典付きか聖書のいずれを基礎とするかは別として)から、直接間接のインスピレーションを受けて生きているわけなので、本来は、全員が全員キリスト教ファンダメンタリストという意味では、そのとおりであり、聖書原理主義者であるはずなのである。ただ、以下で説明していくこのような用語が生まれざるをえなかった時代背景があるのである。
その背景のあたりは、上に写真を載せておいた、PHP新書の『原理主義から世界の動きが見える』という新書が入門としてはわかりやすい。新薬学、キリスト教学の立場からは小原が、ムスリムの立場(イスラム研究者としてはやや主張に偏りがあるが、その偏りを含め容認するのがイスラム的ではあるとはいえ)からは中田が、ヘブライ学の立場からは、手島が論述している。彼らは、同書出版時期には、同志社の一神教センター在籍中であった研究者である。同署は、入門書として、適切なある理解が手に入る名著であると思う。特に、キリスト教原理主義の背景について、読みやすく、コンパクトでありつつも学術の味わいがある程度ある小原の論考が大変参考になる。
前回の記事の最後で触れたが、CIスコフィールドの簡易注解付き聖書や、ナイアガラカンファレンスで、ディスペンセイション理解や携挙、終末論に強く影響を受けたアメリカ中西部型の素朴な聖書読みを好むファンダメンタリズムタイプのキリスト教関係者が、GHQの後援のもと、1945年以降日本各地で伝道活動(宣教)を繰り広げ、各地に多数の教会を建設していき、多くの人々を集めたし、天幕伝道や、大衆伝統の系譜も引く、ウィリアム・フランクリン・グラハム2世(ビリー・グラハムと呼ばれることが多い)の伝道大会や、ウィリアム・フランクリン・グラハム3世(フランクリン・グラハムと呼ばれることが多い)の伝道大会などが、福音派と呼ばれるキリスト教会の牧師先生方や関係団体の協力支援の下、東京、大阪などで開催されるなどの活動が行われ、日本に各地に広がっていく。
科学万能時代とキリスト教
「然らばケサリ(カエサル、皇帝)の物をケサリに納め、神の物を神に納めよ」(正教会訳 マトフェイ福音 第22章より)
この科学的分析手法は、自然科学の分野のみならず、今度は聖書の世界にもアプローチする。このシリーズの3回目で、近東(Near Eastたまたまイギリスから見て近かったためそう呼ばれたアジアの一部)とブリテン諸島との関係を少し紹介したが、ヨーロッパから見て近東と呼ばれたパレスティナに、フランスの探検隊やらイギリスの探検隊やらが到着しては、あちこち、それらしいところを適当にアマチュア同然の人々が発掘し、また、発掘したものを母国に勝手に持ち帰ってルーブル美術館に飾ったり、大英博物館に飾ったりした時代である。考古学的資料を指摘発掘し、国外に勝手に持ち出してもよいという、今の学問的基準から言えば、「やめてくれ〜〜〜〜」「おやめくだされ、ご無体な」と言いたくなるような発掘が行われた、非常にのんびりとした時代でもあった。
2021年1月上旬、トランプ大統領がぎりぎりになって冷静な行動を呼びかけたにもかかわらず、連邦上下院のある議事堂に力づくで侵入するのみならず、トランプ大統領が副大統領として2015年の共和党(GOP)の党大会で認めたペンス副大統領を、絞首刑にしろ(”Hang Pence”)と安物の西部劇のように叫んだ人たちとある意味かなり関係のある地域と、かなり重なるように思われる。この暴徒化した方々は、通常は素朴な生活を中西部や南部の地域で素朴な農業者や、香業者としての生業をお営みでおり、聖書もまともに信じない東部のエリートに自分たちは苦しめられている、搾取されていると思い込んでいるようである。このような人々は、2016年の大統領選挙でトランプ大統領を熱心に支持した人々の姿とかなりの部分で重なる。
なお、先にも触れたが、トランプは東部出身者でありながら、エスタブリッシュメント出身者ではなかった。そして、東海岸人特有の早口の英語ではなく、中西部風の割とゆっくりとした英語で、なおかつ、日本の中学生程度レベルの英語でもわかるフレーズを繰り返すことで、2016年の大統領選挙では、アフリカ系アメリカ人でこれまた東部人であったオバマ大統領の科学重視的な政策傾向に不満をくすぶらせていた南部人、中西部人の心と票を自分のものにしたように思われる。その意味で、これらの東部人が経済利益を押下する一方で、相も変わらず自分たちは貧しい状態にあるという不満から、忘れられた人々、特に南部人や中西部の元ヨーロッパ移民の子孫の人々とも人種的にも近く、テレビ番組でも名を知られ、怒りっぽい性格を含め共通点が多いように見えたトランプの熱烈な支持者になっていったという印象を持っている。
San Luis Obispoのカトリック教会 Mission San Luis Obispo de Tolosa
次回へと続く
評価:
価格: ¥ 383 ショップ: もったいない本舗 楽天市場店 コメント:キリスト教原理主義の発展経緯を手軽に読める本でありながら、イスラム学者、ヘブライ学者が共著した、聖典に基礎おいて生きようとする人々のそれぞれの内部論理をわかりやすく解説した本、 |
評価:
価格: ¥ 8,800 ショップ: bookfan 1号店 楽天市場店 コメント:18世紀から21世紀の人々の生き方を考えるための手掛かりになる名著。高いけど、その価値はあると思うが、もて余る人も多いと思うので、図書館で見てから買う方がよいであろう。 |
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アメリカ全土への福音派の教職へのディスペンセイション理解の浸透
今回は、どのように文書を通じて、より広く人々の間に広まったのかについて、所謂福音派と呼ばれるキリスト教の教職者(牧師)や主要な人物における浸透に貢献したナイアガラ・カンファレンス(Niagara Bible Conference)と、ディスペンセイション理解をアメリカの素朴な信徒クラスの人々(のちに宣教師となるものもあらわれる)の間で広めることに大きく貢献したScofield Bibleについて述べていきたい。
ナイアガラ・カンファレンスについて
ナイアガラ・カンファレンスの前身として、1868年に非公式な預言に関する集会が開催され、そこではInglisというプリマスブラザレンの著作物を発行していた出版社から刊行されたダービーの著わしたパンフレットを読み、預言に関心を持った人々がニューヨークであつまっている。その後、しばらく代表的人物であるイギリスのプリマスブラザレン関係書籍の出版社の社主Inglisの逝去に伴い、暫時活動を停止していたが、1876年にマサチューセッツ州のSwampscottで再開され、1879年の間に3度Believers' Meeting for Bible Studyという大会(会合)が開催された。そこでは、JNダービーのディスペンセイション理解が幅広く語られ、参加者に広がっていった。その後もこの会議はメイン州やミシガン州など場所を変えながら開催され、1883-1897年の期間には、オンタリオ州のNiagara on the Lakeで開催されている。この開催地から、後にナイアガラ・カンファレンスと呼ばれることになる。
このナイアガラカンファレンスの概要に関しては、日本語で読める文献として青木保憲の『アメリカ福音派の歴史』がある。同書は、青木の同志社大学の博士論文を基礎としたアメリカ福音派の歴史に関する書籍である。なお、青木がホーリネス系から米国ロサンゼルスで分離したペンテコステ系教会の牧師であるため、ややペンテコステと親和性のあるホーリネス派の視点に引き付けられての記述が散見されるものの、日本語で読めるごく初期から1980年代までの近代の米国福音派内部に関する学術関連書籍である。また、米国福音派に関して、ある程度の学術書として耐えうる詳細さを持ったものとしては、管見する限り類書はないように思われる。なお、同書のプリマスブラザレンに関する記述には、若干の課題があることは注意喚起をしておきたい。青木が米国内の文献という二次資料だけでプリマスブラザレンを追っているため、また英国のCoadのHistory of the Brethren MovementやTim Grassなどの文献を参照しなかったためと思われるが、プリマスブラザレンを国教会内の運動として理解しているかのような記述がみられ、同署でのプリマスブラザレンの記述に若干の課題を感じる部分を、プリマスブラザレン史のアマチュア研究者のミーちゃんはーちゃんとしては持った。そもそも、プリマスブラザレンの人々があまり文章も残さず、他のキリスト教会関係者と交流しないのがその原因であることはよく認識しているが。
さて、ナイアガラカンファレンスの概要は、青木の好著を参照してもらうことにしたい。
このナイアガラカンファレンスでは、ディスペンセイション理解と前千年王国説と携挙などの理解が数多く語られた。ナイアガラカンファレンスには、ハドソン・テイラー、CIスコフィールドといった人物が出席している。その意味で、このナイアガラカンファレンスを通しても、米国の代表的な伝道主義的な牧会者を中心とした教会の指導的な立場の人々の間に、JNダービーのディスペンセイション理解がそこで発出された文書や発表論文などを介して広がっていく。今のコロナ時代風の表現をするならば、DLムーディにしても、ナイアガラカンファレンスにしても、ディスペンセイション理解の伝播拡散のための、クラスターを形成したのである。
C.I.スコフィールドとスコフィールド版注解付き聖書
アメリカの農村部の素朴な信徒の間で普及した聖書にスコフィールド版聖書がある。この聖書は、現在でいえば、チェーン式聖書やバイブルナビのような注釈付き聖書である。もう少しこの聖書について述べると、CIスコフィールドという人物が、JNダービーなどの著作を参照しながら独自に付与した注釈を欽定訳、ないしキングジェームズ訳と呼ばれる聖書に付した聖書である。なお、欽定訳聖書・キングジェームズ訳聖書は英語圏で権威性(伝統があるという意味での権威性)がある英訳聖書に付した聖書である。そして、このスコフィールド版聖書は、オックスフォード大学出版局から刊行される。
CIスコフィールドという人物は、南軍側の元兵士であり、一時期セントルイスに居住していた。なお、このセントルイスは、JNダービーにとっての南部諸州の活動の拠点となった南部の代表的な都市であった。このセントルイスで、CIスコフィールドは、JNダービーの著作から強く影響を受け、JNダービーと密接な交流関係にあった人物でもある長老派の牧師であり教師であるJames Hall Brookeからの薫陶を受ける。さらに、このセントルイスでスコフィールドはDLムーディに邂逅している。なお、スコフィールドは、マサチューセッツのEast Northfieldにあったムーディが牧会していた教会を引き受け、ムーディの後任として牧会することになる。
南軍の軍旗を持つ兵士 https://hu.pinterest.com/pin/484277766178553636/
南軍の軍旗を持ち議会に突入した暴徒のお一人
スコフィールドは、スコフィールド注解付き聖書の作成作業を行った2年間の準備期間の大半を英国のオックスフォードで過ごす。このオックスフォード滞在中には、オックスフォードのプリマスブラザレン関係者の人々と深い交流をもっている。また、彼がその出版にあたって、聖書と同時に出版する注釈を書いている際には、主に、JNダービーの著書Synopsis of Books of Bible(聖書各書の概要)とFWグラントのNumerical Bible(詳訳聖書)を参照していたことを証言する秘書の記録がある。
スコフィールド版注解付き聖書は、付記情報としての聖書注解付き聖書であり、その付記簡易注解の内容のある程度の部分は、ディスペンセイション神学にかなり影響を受けた預言理解の注解である。ミーちゃんはーちゃんは、そのリプリント版を個人的に所有しているが、それを見ても、エゼキエル書やダニエル書、黙示録などでの注解についてはディスペンセイション理解の色彩が強い。
いわゆる日本のきよめ派あるいは聖霊派と呼ばれる福音派の一部で、その著書が1960-1980年代ごろまでは、かなり読まれたオズワルド・Jスミスという巡回説教者がいる。このOJスミスのような巡回説教者などによってスコフィールド版簡易注解付き聖書は重用されている。以下のOJスミスの『神に用いられる人』の中に、スコフィールドバイブルがあればよい、とした記述も見られるほどである。スコフィールド版注解付き聖書は、オズワルド・Jスミスのような教役者ばかりではなく、教会までの通所のために要する物理的距離が遠く、なかなか教会に通うことができなかった中西部の農業者たちの間での家庭礼拝用の聖書として重用されることになる。
キリスト者としての信仰生活を維持するためには、聖書を中心とする家庭礼拝によってその信仰を維持することになる。しかし、聖書は難解な部分を多数含む。そうなると、自分自身で聖書を理解することよりは、スコフィールド版簡易注解付き聖書の簡易注解の理解をそのまま受け取るほうが、よいと思う人々は一定数存在したであろう。なぜならば、簡易注解とはいえ、権威性を帯びた聖書という文書に付された注解は聖書本文に思いめぐらす際の重要な手がかりになるからである。また、聖書を家庭礼拝で家人に対し聖書を読み聞かせるだけでなく、その説き明かしとも呼ばれる説教代わりの聖書解説をする際には、聖書の本文の周辺に付された注解は、極めて有益であったからである。このようにして、簡易釈義、簡易解説付きのスコフィールド注解付き聖書は重用された。
注釈付き、簡易注釈付き聖書のもたらす諸問題
スコフィールド版注解付き聖書のような、注解付き聖書とその重用についてはかなり疑問に思っている。確かに現代では、ありがたいことに日本語聖書は日本語に翻訳されていて、通常の基礎教育(初等教育)を終えた一般人であれば、確かに聖書は読める。それは論を待たない。確かに、文字を追うだけであれば、聖書を読むことは読める。それである程度分かることもあり、そこから何らかの理解を得ることが可能であることも確かである。とはいえ、聖書とは言えども、翻訳聖書でしかなく、翻訳で日本語化する際にある程度の解釈がなされたうえで日本語として翻訳されているのである。その意味で、翻訳聖書は、日本語などの各国語に翻訳する際に、ある種の解釈のバイアス(ひずみ)が内在された聖書ではある。
なお、一部の方は驚かれるかもしれないが、新約聖書にしても、旧約聖書にしても、古代語の文献でも一般的であるように、その筆写生による手書きのコピーは存在するものの、著者自筆の真正性が担保されたオリジナルのテキストは存在しない。確かに、オリジナルのテキストに近いとみなされているヘブライ語スクロールも存在する。なお、ヘブライ語系の聖書研究で用いられる聖書としては、原則スクロールのテキストである。また、冊子体(コデックス版と呼ばれる)のヘブライ語聖書も確かに存在するが、それは、聖書と呼んでよいのかという疑念もヘブライ語を使用する人々から言えば存在する。
ヘブライ語聖書のスクロールと正しい読み方(巻物のテキスト部分を3列表記し、先端に指の形のついたさし棒のようなものを使って読み違えないように読むのが標準)
また、新約聖書の福音書にしても、書簡類にしても、ある程度古い写本も確かに存在するし、過去に引用された諸記録から、おそらく成立時点の福音書にしても手紙にしても、そのギリシア語のオリジナルのテキストもある程度の精度をもって復元は可能である。しかし、それは、あくまで復元されたテキストであって、決定的根拠となる福音書の原本や書簡の原本そのものは存在しないことは、もう少し広く知られてよい。
日本で旧約聖書と呼ばれている部分のヘブライ語テキストにしても、新約聖書と呼ばれている部分のギリシア語テキストにしても、ある意味、どこまでも推定で、おそらくこのようなものであったであろう、というテキストでしかないのである。さらに、時代を下る中で、ヘブライ語テキストにしても、ギリシア語テキストにしても、ヒエロニムス先輩を中心とする人々によるラテン語に翻訳されたし、また、ドイツではルター先輩の大活躍により、各国語翻訳の嚆矢(はじめのもの)としてとして始まったドイツ語翻訳聖書、英語系ではティンダル先輩により英訳がなされ、ルター先輩と同時期には、日本では、キリスト教関係文書がキリシタン版として知られる各種教義書などが日本語版として出版されている。そして、日本では、それからはるかに遅れた19世紀中庸にベッテルハイムの沖縄語への翻訳が行われ、明治期に入ってから、日本語への翻訳が取り組まれる。このあたりは、鈴木範久の『聖書の日本語』が大変参考になる。
いずれにしても、通常のキリスト者が利用するのは、翻訳というある視点からの解釈が施されたテキストを読むことになるわけであるが、聖書の中には難解な個所も少なくない。そもそも、オリジナルのギリシア語であれ、ヘブライ語であれ、聖書のテキストは理解しにくい部分もある。ギリシア語テキストにせよ、ヘブライ語テキストでも、そもそも意味が通じにくいものを無理やり翻訳する部分もあるわけであるから、翻訳聖書にも、そのオリジナルに近いテキストが含む意味の分かりにくさは翻訳聖書にも継承される。その意味で、文字通り、字義通りの解釈という議論がなされる場合、それは、ギリシア語あるいはヘブライ語テキストからの解釈なのか、翻訳聖書からの文字通りの解釈なのかという点は、解釈論としては問われてよいと思う。まぁ、普通に宣教師や牧師、あるいは信仰者している分には、必要のない議論ではあるかもしれないが。
さらに言うと、こういうオリジナルのギリシア語テキストやヘブライ語テキストでも、解釈が分かれる、多様な理解が導きうる聖書テキストについての現代語に翻訳された聖書テキストからの解釈(釈義)では、さらに、問題は複雑になる。オリジナルのギリシア語でも、ヘブライ語でも解釈がしにくい翻訳聖書のテキストを解釈、理解、釈義しようとなると、ある程度広範な知識があった方が良い場合もある。
その意味で、スコフィールド版の注釈付き聖書のような(日本ではバイブルナビのような)注釈付き、解釈付き聖書はそれらの一定の補助線を与えてくれるという意味においては、便利ではある。しかし、聖書テキストに付記された注釈は、聖書テキストそのものではなく、その付記された注釈には、注釈者の考えが大きく反映されていることを読み手は留意すべきであり、ほかにも多様な解釈の可能性が存在するかもしれない、という慎みをもって、このような注釈を批判的に読むことが重要であろう。時に、こういう注釈付き、解釈付き聖書を読み、テキスト周辺に付記された注釈を何度も無批判に読むことを繰り返すうちに、その注釈が聖書の唯一絶対の適切な理解であると思い込む人々が誕生することもある。そして、それらの思い込みが激しい方々が無益な争いを起こすことを、これまで何度も見てきた。もう、コヘレトのいう如くである。
そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。
口語訳聖書 伝道の書 2章11節
アメリカ中西部に広がるスコフィールド版注釈付き聖書と日本
スコフィールド版注解付き聖書を介して、米国中西部の敬虔な農業者であり開拓民である人々の聖書理解が深く形成されていくことになる。19世紀末から18世紀の主要交通手段が馬車や徒歩であるため、隣の家まで10kmが通常という低密度で農民が居住している地域当時の中西部の農民にとって、教会に通うことなどは、かなり限られたといえよう。大草原の小さな家で描かれたウォルナットグローブは鉄道が割と早い段階で近所に通るほどの恵まれた地であり、中西部でもまだ、人口密度が高い地域であったものと思われる。
大草原の小さな家の予告編(キャリーちゃんがある程度大きいから、シーズン4程度の動画かもしれない)
また、その時代より少し後の第1次世界大戦期前後の中西部(ただし、ある程度上流層の人々)の生活環境に関しては、The River runs through it という映画で垣間見ることができる。このころには、T型フォードの後継型風の自動車なども見られるため、かなり豊かな人々であるように思われる。これは、森本あんりの『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』という書籍でも取り上げられている非常に印象的な映画である。なお、福音派の概略と精神性については、やや批判的な視線が向けられてはいるものの、ある程度客観性が担保された書籍として、森本あんりの『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』が参考になる。
The River Runs Through Itの予告編
スコフィールド版の聖書を読み聞かされ、それに基づく聖書理解を聞いて育った子供たちは、その理解が正しい聖書理解だと理解していったものと思われる。特に、初等教育すらおぼつかない中西部の中で、農業者の子弟では、大草原の小さな家のシーズン5以降で時々語らられるように、大学に行くなどという高等教育の機会はかなり限られた。その意味で、父親の教えと巡回説教者を中心と知る説教で彼らの精神世界が形成されていったことであろう。
現在でも、ワイオミング、モンタナなどの中西部の旧開拓地であった地域を旅行されると、理解されると思うが、これらの地域では高速道路(インターステート I90など)の出入り口付近にたいていはあるガソリンスタンドとその付帯施設のコンビニエンスストアですらない地域である。なぜかというと、そもそも人があまりにまばらに住んでいるために、交通量が多い高速道路の出口付近ですら、ビジネスとして成立しないからである。このような孤立して自給自足的でDo it yourself型の生活をせざるを得ない農業地域の環境の中で農業者を継続している場合、自分の農場の周辺30マイル(50キロ圏)四方の領域がその人にとってのすべての世界という感覚で生きておられる方も多い。こうなると、自分が住んでいる世界と同様なルールが、世界のすべで通用するという感覚の世界観をお持ちの開拓農民の子孫の方たちもかなりおられる。これらの方々は、シンプルで素朴な生き方をしておられ、また、一種のアメリカ人のおおらかさ(2001年の同時多発テロまでのおおらかさ)を持った人々が大半を占めており、ある面アメリカの良心のような人々の一部の基盤をなしているといってよいと思われる。
Montana を走るInterstate
第二世界大戦期には、こういう中西部でスコフィールド版注釈付き聖書により、父親から聖書教育と信仰の薫陶を受けた農民の子孫も、欧州戦線、太平洋戦線に大半のものは兵士として、その一部は、下士官、あるいは将校として投入される。そして、戦後には、駐留軍、進駐軍の兵士、下士官、将校として日本やヨーロッパに駐留する。また、中西部でスコフィールド版簡易注解付き聖書で育った人々が、太平洋戦争の敗戦後の日本に、軍人として日本に駐屯したり、退役して日本で伝道活動始めたり、あるいは、宣教して派遣された人々の間に一定数含まれていた。
第2次世界大戦後の日本と米系宣教師
アメリカの良心的人々ともいうべき素朴さと朴訥さを持った開拓農民の子孫たちも、また、ニューヨークなど東部の居住者の人々も、第2次世界大戦の太平洋戦線という対大日本帝国陸海軍と対峙した戦闘行為にも駆り出され、大日本帝国の敗戦後も、東アジアでの戦乱である朝鮮動乱、ヴィエトナム戦争においても派兵され、20世紀末には湾岸戦争などの戦闘行為にも駆り出されてゆく。特に、一家が6-7人でも少ない方という感じの大家族でも会った素朴な中西部の農業関係者の子弟が、第2次世界大戦後、日本に進駐した米軍関係者や、朝鮮動乱で北朝鮮軍および中国共産党政権下の中華人民共和国義勇軍と戦った戦闘員などにも、かなり含まれていたようである。
なお、アメリカでは所得はそれほど多くなくても、牧師の社会的地位は高い。それ以上にアメリカでは軍人の社会的地位は、非常に高く、その中でも退役軍人は一種の尊敬をもって遇されることが多い。特に軍役につくことは、アメリカ社会では名誉あることとされ、おらが街、おらが小学校、おらがハイスクールから軍人が出て、その軍人がパープルハートと呼ばれる勲章でも貰おうものなら、もうヒーローである。地方部では、この傾向はさらに強い。
アイオワ州での退役軍人の日のパレードの模様
マッカーサーが米国に日本でのキリスト教の伝道のために宣教師を依頼する書簡を送っている。米国の教会に送られたマッカーサー書簡に呼応してアジアの小国であった敗戦国日本の人々に希望と光を与えるため、ということで大量に宣教師が流入する。これらの宣教師に対して、GHQは輸送面や伝道計画の立案で支援している。また、日本に進駐した軍関係者の一部は、退役後(名誉除隊後)、伝道を日本国内で開始していくことになる。Send国際線教団という宣教団体は、もともとは、退役軍人(軍人恩給が支給され経済的な支援の必要が薄い)であった宣教師たちがその原型を形成した団体である。この団体関係者の宣教師であれば、軍人が当然受給できる退役軍人恩給を前提とできたこと、さらに、当時の国際基軸通貨であったドルは、まだ、金との兌換紙幣(ニクソンショック時に金本位制と米ドルは、金との兌換券であることを米国はやめる)であったことから、ドルを日本円に交換する際に、きわめて交換レートの良い通貨であった。この経済基盤を前提とすることで、ANグローブス型の自給伝道が可能であったという側面もあろう。
そして、中西部のメソディスト、バプティスト、ペンテコステ系などを中心とする福音派の教会が多い地域では、スコフィールド簡易注解付き聖書がよく読まれていたこともあり、スコフィールド聖書の注解の理解で薫陶を受けた人々が、宣教師として日本の福音派の教会を設立していくことになる。その意味で、現在の日本の福音派と呼ばれる教会にも、影響の強弱はあるにせよ、JNダービーのディスペンセイション理解のDNAが刻まれており、そして継承されていることになるのである。
次回の記事では、米国でのディスペンセイション理解に基づく聖書根本主義ないし、キリスト教的原理主義についての考察を試みたい。
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前回までの復習
前回は、JNダービーが活動をはじめとしたころに、イギリスの海軍のプレゼンスの向上とそれに伴う地中海商船隊の活動、それに伴う世界各地の情報の入手に伴うイギリスにとっての海外への関心と非常な伝道への関心の高まりがあったこと、特に英国内のユダヤ人伝道の関心があり、ロンドンユダヤ人伝道協会の存在と、それとJNダービーの関係、ANグローブスとその海外伝道、また、ジョージ・ミュラーとプリマスブラザレンとJNダービーとの関連についての概説を行った。
いよいよ米国へ
アメリカは、対英国軍としての1775-1783年の期間の独立戦争という形での内戦(これが、アメリカでの市民の銃器等による武装を可能とする背景となる憲法修正第2条の背景)があり、そのあと約100年後の1861年から1865
南北戦争前後から、社会不安があったものと思われ、前千年王国説に立ついくつかの書籍がアメリカでは広く読まれていた。その意味で、きな臭い社会不安と社会背景の中で、終末理解に関する社会の関心が高まっていたものと思われる。
その米国が南北戦争開戦中の1862年にはカナダにわたり、その後の1863年にJNダービーはアメリカ合衆国内での伝道旅行(というよりはフランスやスイスから米国に移民として渡ったJNダービーが欧州大陸で伝道した際にプリマスブラザレンの信徒となった人々の支援と交流を目的とした旅行)を行っている。その際に拠点とした都市として、ボストン、シカゴ、そしてセントルイスがある。こういう姿を思うと、ボストンからシカゴに行き、ミシシッピ川を蒸気船でセントルイスへと旅するダービーの姿が目に浮かぶようである。このボストン、シカゴ、セントルイスは、19世紀におけるディスペンセイション理解の中核都市となる。
中でも、シカゴは重要な役割を果たす都市である。シカゴには、後に、世界の伝道者と呼ばれることになったDLムーディがいたのである。JNダービーがシカゴ滞在中に、このDLムーディはJNダービーをはじめとするプリマスブラザレンの信徒を彼の教会に招き、説教を頼むなど、かなり濃厚に交流している。なお、DLムーディは屋外伝道集会(天幕伝道大会)や巡回説教者の系譜をひく人物ともいえ、ビリー・フランクリン・グラハム2世(ビリー・グラハムと呼ばれることが多い)やビリー・フランクリン・グラハム3世(フランクリン・グラハムと呼ばれることが一般的)や、テレヴァンジェリスト(テレビ伝道者やラジオ伝道者)などといった、空間的に疎に分布する農業地域での伝道活動や信徒支援をした人々の原型を成していると考えるのがよいであろう。
余談としての天幕伝道
ところで、ムーディやそのほかの旅する巡回説教者が天幕伝道したか、という背景であるが、この背景には、17世紀から18世紀のローマ・カトリックの信徒が、キリスト教の他の教義を、石造の建物の中で聞くことに対する拒否感があったということがあるものと思われる。
テントや屋外の場合であれば、それは石造の建物(市民会館や劇場のようなコンクリートや石造の建物)ではない、という言い逃れ(論点のすり替え)が可能であるため、当時のプロテスタント教会の巡回伝道者や大衆伝道家は、屋外で大人数を集めることで、自分たちの聖書理解を述べ、人々の改宗を促していったものと思われる。大衆伝道では、伝道大会の最後に、イエスキリストを受け入れた人は前に出てきてください、皆さんのために説教者が祈ります、ということをするのが伝道大会のテンプレート(お約束)となっているのだが、ある伝道大会の記録の中には、ローマン・カトリックの信徒さんが手を挙げて前に出てきたという記録があるらしい。当時の司祭が聞けば、苦情の一つも言いそうな気もするが、その辺はおおらかなカトリック教会さんなので、片目をつぶって見逃したのかもしれない。
天幕伝道の様子がわかるエルマー・ガントリーの予告編
この予告編の冒頭に出てくるアメリア人が好きなものとして、Money Sex Religionというのは、今と変わってないので、もはや苦笑しかない。
ある天幕伝道の様子
天幕伝道の様子 Blues Brothers 2020
ところで、DLムーディをはじめとする大衆伝道者は、転々として伝道をするのが生業であるので、牧会という概念はない。現地の教会を紹介するだけである。おそらく、現地の教会にすれば有難迷惑の部分もあったであろうが、それでも、キリストがいて、神が人を愛しているという重要なことを伝えようとしているということで、その活動を否定も拒否もできなかったであろうし、彼らが活動(いわゆるテント伝道集会)した直後の何週間か数か月は信徒が増え、多少なりとも献金も増えたであろうから、あまり苦情も言わなかったのかもしれない。
アメリカ社会の特徴は、多民族国家である点にもあるが、住民の頻繁な居住地移動による、社会的流動が激しい社会であるという側面はある。日本で長らく暮らす人からすれば、にわかに信じがたいことかもしれないが、移動距離は大きくないものの、おおむね、10〜15?の範囲で、7〜10年ほどで住み替えをし続ける人々なのである。特に、持ち家を売り抜けしながら、住み替えをしていく人々が多い。
このような流動型の社会であるからこそ、教会と個人との関係は国教会のように、出生、結婚、死亡までの記録を管理してきたような国教会型教会、領域定義型と比べ、かなりルーズであり、その点で、教会の市場化とも呼ぶことが可能な個人が好きな教会を選ぶ、というスタイルの信仰生活が可能になった部分があるであろう。もともと、メソディストの伝統では、馬に乗って新規開拓値の農場を回るのが巡回牧師の常ではあり、民謡や流行歌などのメロディに歌詞をつけて賛美歌として歌いながら、神を伝えようとしていた背景もある。
メソディスト派の巡回説教者
https://lithub.com/the-itinerant-evangelical-preachers-of-the-american-frontier/
ところで、上のブルースブラザースの映画に出てくる天幕伝道にせよ、現代の天幕伝道にせよ、賛美歌がつきものなのは、メソディスト系の巡回牧師が、民謡なども自由に取り込みながら巡回伝道したこと、また、天幕伝道大会でも讃美歌が歌われたことに加え、DLムーディと一緒に伝道しまわったSankyという讃美歌歌手の存在がいまだに大きく影響していると思う。
ミーちゃんハーちゃんのお友達のパスターOoduが、最近、ご自身をDLムーディに比定し、石川ヨナさんをサンキー扱いしたかのような発言をされたことがあるが、それは、行き過ぎというものであろうし、そもそもDLムーディに対して失礼である。それ以上に、石川ヨナ嬢に失礼というものであろう。サンキーはおっさんである。
ISHIKAWA Jonah Band ならぬ ISHIKAWA Yona Band
ライブを来月、神戸のチキンジョージというライブハウスでやるらしい。そこには、先に話題に出した現代日本の自称”DLMoody"のパスターOoduも信徒の葬儀とか身内の不幸とかがない限り行く気オンラインで参加する気満々(なんだ、つまらん。オンステージでムーデーよろしく、現代の関西のムーデーやるのかと思ってた)のようである。かなり気合が入ってらしいので、良ければどうぞ。詳しくはこちら https://ishikawayona.bitfan.id/ から
プリマス・ブラザレンの文献の米国への流入
今はなきプリマスブラザレン関係者の出版物を出版した、今は廃業している出版社Pickering & Inglisの前身となるInglisが経営する書店で出版されたJNDarbyの書籍をふくめ、かなりの出版点数の書籍がアメリカに輸入されていたようである。かなり、これらの書籍が当時の米国で広く読まれていたようである。
ついでに言っておくと、「キリスト者の標準」で知られているウォッチマン・ニーは、JNダービーの書籍を読んで感動し、わざわざプリマスまで集会に出席するために訪れているが、まともに相手にされず残念な印象を持ちながら、中国に戻ったようである。ウォッチマン・二ーの書籍にJNダービーの影響はあまり見られないが、その後継者には、預言理解や教会論の点でJNダービーの影響を受けている面があるように思われる。
ダービーとムーディの交流
次に、本来、アイルランドという大英帝国の周縁部で生まれた、このディスペンセイション理解が、米国にどのように影響していったのかについて、まずこの概念が広がろうとした当時の米国の状況から考えていきたい。
先にも触れたが、米国の南北戦争は、アメリカ人に非常に悲惨な印象を残した。それこそ、父に向かって子供が銃を放ち、子供たちがいる部隊に向かって父親が銃剣で突撃する、兄と弟が相争う、親族同士で戦い合うという、まさに聖書の
兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
(口語訳聖書 マタイ10章)
という状態が当時のアメリカ人にとって、現実になってしまったのである。
南北戦争当時のアメリカでは、アメリカ合衆国(United States of America)とアメリカ連合国(Confedelate States of America)に別れ、内戦の戦闘行為が繰り広げられた。まさに、United States という文字自体が全く意味をなさず、空文化した時代を過ごたのである。人々のいのちが軽んじられ、多くの死傷者が出たろくでもない時代であり、そしてその悲惨な時代環境は人々の心に影を落とす。まさに、当時のアメリカ人にとっては、聖書の預言が実現されていた終末が間もなく来るのではないか、終末とはこのようなものであるのか、という印象を持ったに違いない。この時期と戦後に活躍し南北戦争で疲弊した米国民に伝道活動を行い多くの人々に影響を与えたのが、先にも少し紹介したDLムーディ(ムーデー)である。
彼は、もともと小学校程度の教育しか受けておらず、その後も高等教育機関での教育は受けないまま、おじの靴屋で、靴の売り子を始めている。そして、その後日曜学校の伝道団体を始め、ドイツ系やスカンジナヴィア系の移民の子供に英語なども教え、その生活を支援する活動を始めるが、結局、彼は神学校等の神学教育機関での基本的な神学教育を受けないままその活動を始める。このあたりは、ANグローブスと同様の精神性であったかもしれない。
次回詳細に触れるが、当時の北米では、プリマスブラザレンの雑誌や書籍がかなり大量に読まれていた。おそらく、ムーディも読んでいたものと思われる。プリマスブラザレンの中でも様々な文書を書いていたのが、JNダービーである。そして、そんな中、南北戦争中に、JNダービーがヨーロッパ大陸で伝道した信徒がカナダや米国に移住した信徒を訪問して交流するためにカナダにわたり、そして、シカゴにもまだ南北戦争中に訪問する。シカゴで、熱心に日曜学校を運営していたムーディとJNダービーは出会い、交流を深める。JNダービーは、もともと国教会の司祭であり、Trinity Collegeで高等教育を受けていた人物であり、多言語話者でもあり、ヨーロッパ各地で伝道してきた人物である。これに対するムーディは小学校卒である。おそらく、JNダービーが繰り出す話題、いまだ見たことのないヨーロッパ各地の姿を神秘的に語るJNダービーに魅了されたのかもしれない。
DLムーディ https://www.christianitytoday.com/history/people/evangelistsandapologists/dwight-l-moody.html より
その後、DLムーディは、南北戦争後の全米各地で伝道集会を開いて回る。のみならず、プリマスブラザレンのキリスト者集団からの招聘を受け、大英帝国内のプリマスブラザレンを中心に説教をして回るが、何度目かのブリテン諸島での伝道の際に、ケンブリッジ大学で説教を行った際には、彼の説教を受けて、彼らのうちからハドソン・テイラーが始めたチャイナ・インランド・ミッションの宣教師として中国に伝道に出る学生が出ている。なお、ムーディーはハドソン・テイラーの活動も支援している。
このDLムーディの下で学んだ日本人が、後の中田重治である。彼は、メソヂストの伝道師時代に、ムーディに憧れ、ムーディ聖書学院に留学する。そこで、ムーディからディスペンセイション理解の影響を受けた聖書理解の影響を受ける。そして、これまた、ANグローブス同様、資金も持たずに世界伝道旅行に出かける。
かくして、南北戦争前の終末論の関心の高まり、さらに、プリマスブラザレン関係の書籍等のアメリカへの流入、そして、JNダービーの幾次にもわたる北米訪問の結果、アイルランドの片隅で生まれたJNダービーのディスペンセイション理解は、世界の伝道者と呼ばれたDLムーディという人物に、たっぷりと彼の理解を伝えてくれる人物の中に定着していく。
肩書としてエヴァンジェリストの記述が見える https://diamond.jp/articles/-/78325 から
次回、彼のディスペンセイション理解を文書で広めることになるスコフィールドバイブルについて触れる。
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連合王国内の若者を中心としたロマン主義の隆盛に伴うキリスト教回帰運動が発生したことをお話した。より具体的には、連合御王国国教会群内でのカトリック回帰運動(その代表的人物は、カトリックに改宗し、後のニューマン枢機卿である)としてのオックスフォード運動が発生したこと、時期を同じくして、教派の枠に縛られない初代教会成立以前の使徒時代をモデルとした聖餐共同体を目指した原点回帰運動としてプリマスブラザレン派が成立したことをおはなしした。そして、アイルランドで生まれたプリマスブラザレン内においてJNダービーにより形成された現在のディスペンセイション理解の基本構造に、アメリカの喪失や大陸での革命騒ぎという社会背景と既存の階層社会の権威構造の崩壊とその中での預言研究の隆盛があったこと、さらにアイルランドでのジャガイモ飢饉がディスペンセイション説に影を起こしていることを提示した。
プリマスブラザレンの主要な人物
そういう時代背景の中で、アングリカンコミュニオン(連合王国教会群)の中での庶民派と説明するのがわかりやすいとは思うのだが、キリスト教と人々の間の視点における立ち位置についていえば、どちらかというと連合王国教会内部の福音派に近いグループのローチャーチ派の人々、現代の日本で比較的よく知られている人物だとジョン・ストットやCSルイス、マクグラスなど)に近いグループであったプリマスブラザレンの初期指導者の人々は、アングリカンコミュニオン(連合王国教会群)のローマカトリック的世界観への回帰運動としてのオックスフォード運動への反動を強め、最終的にアイルランド国教会やイングランド国教会から分離していく。特に、アイルランド系の貧しい庶民の中でローマカトリック教会からのアイルランド国教会への転会運動に熱心に関与していたJNダービーは、当時のハイチャーチ化し、英国政府の言いなりを押し付け始めたアイルランド国教会首脳部(主教クラス)と対立する。教会は、神の権威に従うべきで世俗国家の大英帝国政府のいうことに従うべきではない、と。
当時の英国の社会事情
今でも、英国社会は、身分制の影が色濃く残っている。次第に薄れ行っていたとはいえ。その薄れゆく身分制は、Kazuo Ishiguroの『日の名残り』やCBSのドラマ『ダウントンアビー』で描かれているところである。
映画『日の名残り』
ドラマ『ダウントンアビー』
ところで、かつての英国では、英国国教会が現在の日本での自治体の事務の一翼を担っていた。司祭は、現在は役所が管理している出生・婚姻・死亡の記録を残し、住民の日常の困りごと相談、墓地(教会付帯施設)の管理などをしていた。また、医者が少ない農村地域では、ほぼ唯一の文字が読めるインテリとして司祭による住民(教区民)に対する医療相談、婚姻や葬儀の実施場所の提供、地域の集会場所機能、聖歌隊の練習などを介してのコミュニティーセンターとしての機能、様々な住民生活の基盤を提供していたのが国教会の教会であり、それらの具体的な管理者、記録者としての役割を担っていたのが司祭であった。
また、オックスフォードにせよ、ケンブリッジにせよ、これらの大学での大学教育を受けたり、公職に就くためためには、19世紀初期までは国教会の信徒でなければならいという制約があった。この辺の事情は、野呂先生の『ウェスレーの生涯と神学』にその旨の記載がある。その意味で、今の地方政府や地域管理において、アングリカンコミュニオン(連合王国教会群)の果たした役割は大きなものがあったといえよう。
こういう時代に、メソディスト、バプティストというグループやプリマスブラザレンといったタイプの国教会分離派と呼ばれる教会の信仰者となることを選ぶことは、ある面社会的には冷遇されることを意味したわけで、それはそれでなかなか困難な道をたどることを意味した。
JNダービー(John Nelson Darby)とディスペンセイション理解の原型の形成
ところで、JNダービーは、その母親がクェーカーの関係者であったこともあるためか、神秘主義的な理解に親和性が高い人物であったようである。ダービーは、おそらくヨーロッパ語族の10か国語程度(こういう語学お化けが時々いるのは知っている)はできたようで、英語以外にも聖書翻訳があるし、スイスやイタリアをはじめヨーロッパ大陸にも、北米大陸、オーストラリアやニュージーランドなどにも伝道旅行に何度も赴いている。
John Nelson Darby
https://www.christianitytoday.com/history/people/pastorsandpreachers/john-nelson-darby.html
しかし、ダービーという人物は、彼が英語で説教を語ったとしても、理解をすることが困難であるほどの神秘主義的な説教をするような人物であり、彼の英国内での英語での説教などの際にも、ダービーが言っていることは、かくかくしかじかであると、より平易な英語で解説するKellyという解説者がいたほどである。実際に、難解というか、わかりにくいものであったことが記録に残っているし、彼が書いたものも、わかりにくいものが多い。ある評者によると、彼は、どうもパウロに心酔するあまり、パウロの一部の書簡のテキストに見られるほど、難解な表現を好んだと指摘している文献もある(かなり重篤な厨二病、という印象はある)。
さて、JNダービーが生きた時代は、英国ではジブラルタルでの海軍基地の確保、マルタ島の海軍基地の確保されたことなどに伴う地中海での商船隊と大英帝国地中海艦隊の活発な活動などもあり、中近東としてのアジア、アフリカ、とりわけパレスティナなどの地理的情報の流入もあったと思われる。実際1830年に世界各地の地理的情報を集める目的で王立地理協会も設立されている。その意味で、世界各国からの情報が大英帝国に大量に流入するとともに、その世界各国での伝道をどう考えるか、ということを当時のキリスト者は問われた時代でもあり、商船隊などを利用してアクセス可能になった世界各国に熱心な宣教師が派遣されていくことになる。また、このような雰囲気の中で、アングリカン人物の中でも伝道に関心が深く、大学生による宣教団体Undergraduates' Missionary Associationの指導的人物でもあったCharles Simeonも、病床にとどまることの多かった最晩年にはユダヤ人のキリスト教への改宗とユダヤ人国家の回復に関心を払うようになったとされている。このような背景から、より英国国民にとって、より身近になってきたパレスティナをどう考えるのか、ということが目前に迫ってきていた部分もあろう。
伝道活動とプリマスブラザレン
先に、ダービーが活躍をはじめとした時期は、宣教熱、伝道熱が若い人々の間で、きわめて高まっていた。初期のプリマスブラザレンの指導者のひとりに、ANグローブスというあまり知られていないが重要な人物がいる。彼は、彼の患者の間でかなり人気があり、そしてイングランド南部のプリマスで開業していた裕福な歯科医であった。彼は、今のイラクでの開拓伝道を目指していたのであるが、司祭資格がないと、当時のアングリカンコミュニオンの宣教団体から経済的支援が得られない、という制約のため、ダービーと同じTrinity Collegeで司祭の資格取得を目指すものの、最終的には、司祭の資格と支援団体からの支援を持たないまま個人として渡航し、自己資金でバクダッドでの宣教活動を始める。彼の冒険的な海外伝道の試みを支援する人々とプリマスブラザレンの初期の主要な人物がかなり重なっている。なお、この宣教活動は成功したとは言えず、失意のうちにANグローブスは英国に帰国する。彼の生涯についてはいくつか書籍が出ており、それらを参考にされたい。
ところで、ヨーロッパ大陸に渡り、米国や南半球での伝道のために往来したJNダービーにしても、ANグローブスにしても、非常に伝道熱心であるなど、このプリマスブラザレンは伝道熱心なスピリットを持っているグループでもあり、この伝道熱心さは今のプリマスブラザレンの集団にもキリスト者グループの根幹をなす遺伝子として継承されており、これは、適切に評価されるべきと思われる。
日本でのこの伝道熱心な遺伝子を受け継ぐグループには複数が存在するが、割と大きなグループにプリマスブラザレンの一翼を成すエクスクルーシブブラザレンと呼ばれるグループのブラントという英国人自給宣教師の活動により始まった、同信会を構成する中野パークサイドチャーチとその関連するグループがあり、そのグループからは、日本の最初の海外宣教師である乗松雅休という人物が出ている。彼の活動の概要とその影響については、中村敏氏の「日本プロテスタント海外宣教史 乗松雅休から現在まで」に詳しい。なお、同書には、プリマスブラザレンからの関係が薄くなっているもともとプリマスブラザレンの大阪にあった集会の一つの代表的な活動をした山岸登が始めた津久野恵みキリスト教会の海外での伝道活動も紹介されている。
なお、戦前の英国系のプリマスブラザレンの宣教師が関与し、第2次世界大戦中日本から不在となった後、大阪近辺活動していた関係者の一部が、かなり独自なキリスト教を形成していること、また京都での同グループと一時交流があった関係者が、沖縄で独自に活動を始め、かなり独特の信仰者のグループを形成していることなどについての言及が、マーク・マリンズの『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』や池上 良正の『聖霊と悪霊の舞台』の書籍中において一部言及されている。
改宗ユダヤ人(キリスト教への改宗ユダヤ系市民)とディスペンセイション理解との関係
ジョージ・ミュラーとJNダービー
ところで、プリマスブラザレンの当時の指導者のひとりで、キリスト教界隈で名前が知られた人物の一人に、ジョージ・ミュラーがいる。その名前が示すように、彼は元々はドイツ人であるが、JNダービーの関連で紹介した英国ユダヤ人伝道協会から、英国のユダヤ人をキリスト教に導くための伝道者として英国に渡航する。
しかし、到着した英国では、産業革命の最盛期でもあり、農民が土地を囲い込みで追われ、都市に流入し、劣悪な都市環境での生活、炭鉱労働者としての過酷で悲惨な生活をすごし、特に劣悪な住環境の都市に流入した貧民の姿、とりわけ、イングランドの産業都市に流入した元農民であった貧民夫婦や様々な事情から女性が宿した子供の生命の問題、町にあふれる孤児・捨て子たちの悲惨な姿(このあたりは、ディケンズのオリバー・ツィストが参考になる)を目にし、先に紹介したANグローブスがバグダッドでの伝道で取ったフェイスミッションの原型(ANグローブスの妻の病死後、Gミュラーの姉妹がANグローブスと結婚している)に従い、Gミュラーは孤児院経営を始める。なお、Gミュラーは日本でも同志社大学で講演している記録があると聞き及んでいる。
ジョージ・ミュラー
そして、このGミューラーの活動は、のちに、ハドソン・テイラーによるチャイナ・インランド・ミッションという形で継承されていく。そして、日本にも影響を与える。このチャイナ・インランド・ミッション(後継組織はOMF)を技術的に可能にしたのは、海洋国家としての連合王国海軍と商船隊の存在である。もう少しいうと、当時の英国の三角貿易と中国へのアヘンの販売、それによってもたらされたアヘン戦争の賠償金の一部としての香港割譲とそれに伴う連合王国海軍艦隊のアジアでの海軍基地の確保にある程度とはいえ、チャイナ・インランド・ミッションは影響を受けているといえよう。
なお、ここ数年の香港の混乱は、中華人民共和国の対応の問題もさることながら、それ以前に19世紀の大英帝国の通商政策の影響という側面があることは、現代人としても視野の一部に置いた方がよいとは思う。
余談に行き過ぎたので、戻る。
ところで、JNダービーは、ユダヤ人伝道協会関係者の影響、週末理解の構築のための預言研究を深める中、このユダヤ人改宗のための元宣教師であったプリマスブラザレンの初期リーダーの一人のジョージ・ミュラーとの邂逅(のちに詩篇注解をめぐる教会間関係の混乱での立場の違いから、両者の交流は希薄になる)の中で、ユダヤ人伝道と、キリスト教へのユダヤ人改宗問題、それと終末預言をどう考えるかも構想の中に取り込んでいったものと思われる。
なお、シオニスト運動や、JNダービーとユダヤ人問題の理解のためについては、以下のFor Zion's Sakeという書籍が参考になる。
For Zion's Sake: Christian Zionism and the Role of John Nelson Darby (Studies in Evangelical History and Thought) December 1, 2008
by Paul R. Wilkinson (Author)
現在話題になっているトランプ政権とユダヤ人問題との関係などについて、あまり適切でないと思える内容をYoutube等でご発言になっておられる、古典的ディスペンセイション的理解に立った印象を与えるキリスト教風時事解説をなしておられる複数のYoutuberの方々のご発言とその背景についての、Facebook上などでのキリスト教関係者の方々のご議論のご様子を散見する限りにおいては、このあたりについての理解について相当程度欠落があるのでは、と思われた。このため、このシリーズを書いている。
米国政治等についてあまり適切ではないと思われる発言をしておられるキリスト教関係者のYoutuberの複数の関係者の方が、そのご発言の一つの比較的大きな柱として、改宗ユダヤ問題をどう考えるか問題、キリスト教系シオニズム的発言が含まれている背景としては、上記に紹介した、For Zion's Sakeなどで論考されている部分がある。
現在、これらの方々のご発言を巡る議論においてディスペンセイションがどうのこうの、プリマスブラザレンがどうのこうのという語議論をされておられる方々のご議論を拝見していると、このディスペンセイションの形成の背景、また、プリマスブラザレンという情報がない組織についてのその成立の背景をあまりご存じないため、現在の段階においては、建設的で適切な議論が進められていないように思われる。きちんと議論するためには、対象についてのある程度の理解が必要であると思われる。
基本、旧約聖書での預言の存在は旧約聖書全体からすれば、ごくわずかの部分の記載に限られ(旧約の中ではモーセ5書のほうがヘブライ語聖書においては位置づけとしては尊重されているはず)、また、新約聖書の預言記述もごくわずかであるにもかかわらず、古典的ディスペンセイション理解において、ユダヤ人問題、改宗ユダヤ人問題が重要となる背景としては、ディスペンセイション理解が形成される段階でのユダヤ人問題、とりわけ改宗ユダヤ人問題との深い関係が生まれた背景に、上記のような当時の歴史的背景と様々な人物の交流の結果であることは、多少はご承知おき頂きたい、と思う次第である。
ある面、JNダービーの終末理解を起点として、改宗ユダヤ人問題が聖書理解とのかかわり、とりわけ旧約預言理解等との関係からディスペンセイション理解に取り込まれている改宗ユダヤ人(キリスト教への改宗したユダヤ人)問題が、現在もYoutuberで時事解説をしておられる方々の預言理解や聖書理解一つとしての遺伝子として継承されているものと思われる。また、それらのキリスト教風時事解説を熱心にご視聴になっておられる一部の方々の間では、フルクテンバウムというお名前の改宗ユダヤ人を自称しておられる方の特定のご発言の重視や、その方のご発言への強い依存も、古典的ディスペンセイション理解の中に内在するクリスチャンシオニズムの問題による影響と考えられよう。
一枚岩とは言えないイスラエルのユダヤ社会
ところで、ユダヤ社会と言っても、一枚岩ではなく、イスラエルに住んでいるユダヤ社会を見ても、洋式トイレの使い方も当初はよくわからなかったアフリカ系のユダヤ人もいれば、律法の規定故に血を流すことを忌避するために、皆兵制度をとるイスラエルでの兵役にもつかず、モーセ五書の理念から、そもそも世俗国家に過ぎないイスラエルの納税をはじめとする兵役と納税という世俗国家の制度をガン無視し、律法に基づく国家としてのイスラエルをひたすら求めるウルトラコンサヴァティブなユダヤ人まで、イスラエルでは共生している。日本人をひとくくりにして議論するのが乱暴であるように、イスラエルのユダヤ人をひとくくりにしてユダヤ人、イスラエルとして議論したりするのは、個人的には、実に乱暴な議論ではないだろうか、と思う。
エチオピア系イスラエル軍兵士 https://www.timesofisrael.com/battling-to-integrate-the-idfs-misunderstood-ethiopian-recruits/ より
イスラエルの女性兵士 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Flickr_-_Israel_Defense_Forces_-_Female_Soldiers_Take_a_Break_in_the_Desert_Sun.jpg より 右から2人目はおそらくエチオピア系イスラエル人
余談になるが、イスラエルの男性はマッチョだし、女性も写真のイスラエル軍の女性兵士のように、マッチョなタイプの人が結構多いらしいので、ジャニーズアイドル風の、かまってあげたくなるようなひ弱な草食系の日本人男性は、イスラエル人女性にもてるといううわさがないわけでもない。よくは知らないが。
ところで、トランプの娘婿イヴァンカさんの配偶者のクシュナーという人物の姿をテレビで見ていると、髪の毛のビンを伸ばして、くるくるとカールもさせていない。そのお姿を拝見する限り、安息日にはシナゴーグに行くぐらいはする穏健な近代派とか改革派と呼ばれる中道よりの現代的なユダヤ系の人であり、あまり保守的ではない層のユダヤ人のように思われる。下の写真でいうと、左からクシュナー、イヴァンカさん、近代派のユダヤ人、やや保守的なユダヤ人という感じである。その意味で、クシュナーという方は、ゴリゴリのウルトラ保守派のユダヤ人ではなさそうである。
次回予告
これらの理解に立った上で、なぜ、アイルランドという連合王国の片田舎の地域で形成されていったディスペンセイション理解、JNダービーという神秘主義的な人物がその形成に大きな働きを果たした古典的ディスペンセイション理解が、かくも19世紀以降の米国キリスト教界隈、及びその影響を受けた20世紀の日本の福音主義神学と、21世紀のキリスト教会の信徒の一部に影響を与えるようになった背景について、今週末から議論を進めたい。
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前回は、これまでどうしていたのか、そして3年ぶりくらいにFacebookを開けたら、とっても香ばしい世界が広がっていた、ということをお話した。そこで、前に所属させてもらっていたキリスト集会の背景となった、国教会分離派のプリマスブラザレンや、そのころの初期のリーダーでディスペンセイション理解を世界に広めることになったJNダービーとかの名前が出てきて、まぁ、何と炎上しそうな面白そうな話が展開していたのである。
いよいよ、本論に入っていきたい。
不正確な地図では目的地にたどり着けないですよね
何年か前、Appleの端末での地図アプリが変更になったら、その地図情報がおかしくて、けが人が出たので、一時期アップルの端末で標準となったアプリを利用しないよう、注意喚起が出た。いま、FacebookのYoutuber牧師先生の主張する聖書理解について起きている議論の中で起きている現象も同じだなぁ、と思った。
どういうことかというと、大変失礼な物言いで申し訳ないのだが、不正確な情報に基づく議論や、そのグループが形成されていった背景をあまりご存じないままで、プリマスブラザレンとそのグループが生み出したディスペンセイション理解について、かなり精度が低い、あるいは解像度の悪い理解のまま、かなり多くの議論がなされているということである。
探検や山岳登攀、作戦行動、捕虜が脱出するためには、きちんとした地図が必要なように、議論をするためには、対象の固定とその対象についての制度ある共通理解を事前に確立することが必要なのである。
いま、Facebookで起きていることは、ディスペンセイション理解成立の背景とそのディスペンセイション理解を確立させる人々がいたグループにはられたラベルとしてのプリマスブラザレンという用語、そのグループのキリスト者の精神性、なぜ、そのグループがディスペンセイション理解を必要としたかの理解が不十分なまま議論が進んでいると感じたからである。ディスペンセイション説とかとして、それらが生まれた背景など抜きに、現実に現代において観察される理解やそれがもたらす現象やそれらに対する印象のみに基づいた議論がなされているため、建設的な議論とはなっていないという印象を持った。
もし、対象をきちんと理解し、そして適切で建設的な議論をしようとするならば、まず、それらの対象の認識の確定(位置の比定)をすることが必要である。そうでないと、ムー大陸のような、存在が不確かな場所を探すようなもの、あるいは徳川埋蔵金を求めてあちこち無手勝流に掘り返すようなもののような気がする。まさに、とらえどころのない風を捕まえ、追うかのような状況が繰り返されてしまう。それは、せっかくの議論が有益なものにならないように思うのである。
基本、地図屋なもんで…
世俗の仕事が半分地図屋なもので、どうしても、測量の不動点となる何らかの基準点を一時的とはいえ定めないことには、まともな測量にならないような気がしてしょうがないのである。今のFacebook上の議論を拝見していると、地図がない世界の中で世界旅行や、海図を持たずに風まかせに島影とカンだけを頼りに大洋を航海しているようなもの、あるいは、山岳用のマップも持たず、ヒマラヤ登頂をこころみているように思えてならない。
国土地理院の2,500分の1の都市計画図ほどの詳細な精度(大縮尺)で記述すると、いくら時間があっても足らないので、今回は、100万分の1の日本図くらいの精度(したがって、詳細な部分は除く)で記述してみようと思う。
もちろん、これは、個人的経験と資料収集による記述(地理的表記)であるので、不正確な部分がある。ちょうど、徒歩で踏査して地図を当時の技術で作成した伊能図のように、海岸部はある程度の正確さはあるものの、内部に関するデータ表記がない、概形図といった感じの表現でしかない。その点はご容赦いただきたい。
伊能図部分(国土地理院古地図コレクション https://kochizu.gsi.go.jp/inouzu から)
ディスペンセイション理解を生み出したアイルランドとプリマスブラザレンについて
プリマスブラザレン派は、1820年代にブリテン諸島群のアイルランド島において、その動きが始まったグループである。のちに、イングランドの英国海軍の錨地港のプリマスで表立った活動を始めため、そう呼ばれるのであって、アメリカのプリマス植民地のプリマス由来ではない。
ところで、プリマスブラザレンの原型が生まれたころの当時のブリテン諸島の宗教風土の中では、アイルランドでのカトリック的キリスト教の体系を持つ人々、スコットランドでの改革派的なキリスト教の体系をも持つ人々、ウェスレー系のメソディスト系理解に立つキリスト教の体系を持つ人々、バプティスト系理解に立つキリスト教の体系を持つ人々が乱立していて、それぞれが日曜日に礼拝(ミサや礼拝)などの教会活動がほぼ同時に行われていることもあり、同じキリスト者でありながら、日曜日に他の教会の礼拝に参加したりすることを通しての自由な交流がかなり妨げられる状態にあった。Facebookも、Twitterどころか、WebexもZoomもない時代である。当たり前である。
教会ごとに分断され、自由に交流できないことを悲しんだ各派の牧師たちやアイルランド国教会の20代から30代の若い司祭たちが聖餐式を行いながら、相互に交流するために週日の夜に個人宅で集まったのである。週日の夜に聖餐とキリスト者の交流の共同体の形成を行ったの運動体が、プリマスブラザレン運動の母体となった運動体であったといえよう。その意味で、プリマスブラザレン運動のごく初期にその運動体を形成した第1世代の指導者の大半は、20代から30代のアイルランド国教会の司祭といくつかのキリスト教の牧師の出身者からなっている。
アイルランドの民族社会構造と信仰形態
特に、アイルランドでは、南部において、当時からカトリックの関係者が多い地域であった。支配階層を占めた人々は、イギリスからアイルランドに渡来してきている人々とその子孫たちであり、その大半は、英国国教会系(アングリカン・コミュニオン)のアイルランド国教会の関係者が多くという状況にあった。これに対し、元からアイルランドにいた人々とその子孫の中ではカトリック教会の関係者が多い、という特殊な社会構造があった。その意味で、社会階層で分断され、宗教構造がその分断に輪をかけるという社会的構造があったのである。
最近はあまり表立った問題が起きなくなっているが、アイルランドでのイースター蜂起などもあり、1970年代までは、アイルランド独立闘争でIRAと英国とその統治機構、軍への爆弾事件がおきるほど、正常が安定していなかったのも確かである。
プリマスブラザレン分離期の英国国教会とアイルランド国教会
ところで、このプリマスブラザレンが、ある種個人的に闇の聖餐式のような活動を始めた頃、彼らのかなりの人々が所属していた英国国教会内では全く別のベクトルを持つ運動体が活動を開始している。それは、英国国教会のカトリック回帰の運動である。この動きは、後の英国カトリック教会でジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿となる人々を中心としたグループ(オックスフォード運動、あるいは、トラクタリアン運動と呼ばれる)が英国国教会の司祭養成機関の一つであるオックスフォード大学で生まれる。
どうもこの当時、社会全体でのロマン主義の動きもあり、若い人々を中心として、ルネッサンスと同様のある種の原点回帰運動の精神性が社会全体共有されていたようである。この原点回帰の精神性は、プリマスブラザレン運動では、司祭や教派などがなく、信徒がかなり自由に教派の枠などなく、純粋に神を礼拝し、自由に交流していたと思われる時代、新約聖書の福音書や使徒言行録時代の初代教会の精神に戻れ、となったのである。これに対し、秩序を重視するような人々を中心とする思想色の強い人々が多い国教会内のオックスフォード運動あるいは、トラクタリアン運動などと呼ばれるグループでは、権威と秩序の観点からローマンカトリックに戻れ、となったようである。
イギリスの海外植民地の原型としてのアイルランド
ウェールズ併合がイングランドによる植民地経営の原初基本形であるが、アイルランド支配は、海外植民地支配の原型を形成したようである。プリマスブラザレン運動とそれが生み出した現在につながるディスペンセイション理解の原型については、イングランドによる最初強烈な植民地支配を受けたアイルランドで生まれた、ということは、十分認識しておく必要があると思われる。
現在のディスペン聖書理解の原初形として、明白に後付け可能なディスペンセイション理解は、1830年代のPowerscourt城でのサロン活動の一環として預言研究のリトリートの交流の中で生まれる。このPowerscout CastleでのConferenceが開かれた時代の1830年代という時代背景が重要である。この時期の直前の時期には、1775年から1785年にかけてのアメリカ独立戦争と海外植民地である米国での英軍の大敗、ブルボン王朝が崩壊し、マリーアントワネットがギロチン台の露と消えた1789-1795年のフランス革命、ドイツでの政情不安があり、英国はいまだに身分制の色がかなり強く残る国家であるが、それ以上に強固であった当時の身分制の崩壊とアメリカ植民地の経営からの収益を失った上流階級の凋落、それに伴う既存の社会的構造の大変動などを英国は経験するのである。まさに当たり前としてきた、これまでの常識が崩れる時代であるがゆえに、預言に関心が集まり、これからどうなるだろうか、ということを真剣に考えたのだろう。そして、預言理解は時代の環境な中で、より恐ろしげなる現実に直面する中で終末理解と密接につながってゆく。
フランス革命時代を舞台とした昔懐かしいラセーヌの星
(個人的にはこういうのがものすごい大好き パロディとしての完成度が高い)
1830年代に預言に関するPowerscout Conferenceが開催されたPowerscout Castle
悲惨だったアイルランドのジャガイモ飢饉
ディスペンセイション理解と終末理解についての抜き差しならぬ関係が形成されていく背景には、先に述べたアメリカという巨大な植民地の喪失、フランス革命に伴う既存の権威構造の崩壊、民衆の蜂起ばかりでなく、ジャガイモ飢饉の存在がある。ジャガイモ飢饉とは、アイルランドから北米、オーストラリア、ニュージーランドへの大量に移民を発生させた1845-1850年ごろまでの大規模な飢饉、食料危機である。
アイルランドは、もともと表土が氷河で削られている関係もあり、そもそも土壌が肥沃でなく、せいぜい羊の放牧で生計を立てられるのが精いっぱいくらいの土壌で、あまり肥沃な土地ではない。土地の肥沃度が極めて限られ、かなり肥沃な土壌でなくても生育するジャガイモくらいしか取れない土地であった。ドイツも似たようなもので、ドイツも表土がかなり氷河で削られているので、あまり肥沃な土地がないので、ジャガイモが貧しい人々の主食になっている。なお、アイルランド人の苗字には、Murphy(じゃがいもの別名)という名字がある。
そもそも、水稲以外は、土壌中の病害虫や細菌などの原因により、連作障害が発生するので一つの同一の圃場で同じ農産物を成育させる連作は可能ではあるものの、収量が限られるので通常は適切に輪作をするなどの方法をとり連作を避けるのが通常であるが、そもそもジャガイモ程度しか取れないアイルランドで、貧しいアイルランド人にとっての主食であるジャガイモにウィルスなどによる病害が発生した。この結果、アイルランドでは餓死者が大量に発生するなど国土も社会全体としても大きく疲弊した。下の銅版画のような状況が街のあちこちで見られ、幽霊のような人々が行くあてもなく町や村にあふれる状態であったようである。ある種、世も末状態(終末状態、もうキリストの再臨を待つしかないと人々が感じるような悲惨な社会状況)が生まれ、再臨への期待も高まったように思われる。
これらの悲惨な飢えと苦しみ、極貧状況を抱えた時代の中で、現代につながるディスペンセイション理解が形成され、変容していく。そのなかで、現実社会の悲惨さの中にあっての最後の希望としての再臨による救済を反映させたような終末に関する理解が形成されていったと考えるのが適切であろう。上で述べたように、植民地の創出、フランスでの王政の崩壊とその後の混乱、社会変動などの権威性の変化、特に権威への民衆からの挑戦、権威性の否定の事情が発生し、これから、多くの人々により困難なな時代がいやおうなくやってくるであろう、という理解の基本形が生まれたといえよう。
Wikipediaより
Encyclopædia Britannica より https://www.britannica.com/event/Great-Famine-Irish-history
その意味で、ディスペンセイション神学は、一種の社会構造の変化を伴う社会の危機に際した環境の中で生まれた、ある種の危機に対応する、という意味での危機神学の一種という理解を持つことが極めて重要か、と思われる。
次回へ続く。
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この5年くらいの動きを振り返って
Racheal Evans女史のSearching for Sundayの表示
米朝師匠による「厄払い」
ツイッターで拾った歌詞のカタカナ読みがあまりに酷いので…。
大統領就任演説のレディ・ガガ様バージョンのアメリカ国歌‘The Star Spangled Banner’
昨日はエピファニーでした。、昨日の礼拝では、聖書を読む前には、式文の合間に以下の二曲を歌いました。
We three kings of Orient are
Gradual: Brightest and best
そして、
Old Testament Isaiah 60:1-6 (信徒が読む)
Epistle Ephesians 3:1-12 (信徒が読む)
Gospel Mathew 2:1-12 (司祭が読む)
の部分が読まれ、説教となりました。
3人は何だったのか…
昨日は、エピファニー(クリスマスの最後の日)で、東方の3博士なのか、3人の王なのか、3人の魔法使い(Magi ギリシア語では、magoiと書いてあるはず)なのか、3人の天文学者なのか、3人の占星術師なのか、3人の占い師と呼ぶのかは、いろいろあるのだけれども、その辺は習慣というか伝統が入り込んでいて、なんというべきかいろいろあるのだが、その三人の少なくとも星を見た人がイエスのもとに来たことを記念する日、ということで、それに即する讃美歌などを歌い、それにかかわる以下のような聖書記事を読みました。冒頭の讃美歌(We three kings of Orient are)で歌ったように、なんとなく私たちは、東方から来たのは、王だと思っているけれども実はそうではないかもしれなくて、といった理解や、羊飼いとこれらの三人の博士があたかも同席しているような絵画が描かれたりと、クリスマスやイエスが生まれたときの理解については、いろいろ聖書が成立して以降に持ち込まれた絵画とか、理解とかから持ち込まれた後世の文化的な蓄積があり、その結果から多くの誤解に近い思い込みをしている部分があるよねぇ、というお話になりました。
3人が持ってきたプレゼントについて
福音書の解説として、3人の王としてが、黄金、没薬(myrrh)、乳香( frankincense)を持ってきたことになっていて、それは、神の子の誕生の際のプレゼントだけれども、普通子供が生まれたら、何を持っていくだろうか、という話になりました。このことの問いかけがあったので、何人かの参加者から、紙おむつとか、粉ミルクとか、バスタオルとか、というアイディアが出ました。それを受けて、司祭は、いろいろ普通は実用的なものを持っていくけど、この3人のMagiのみなさんは、よりにもよって、あまりにも実用的じゃないものと思えるものを持ってきているよねぇ、という話がありました。
https://www.pinterest.jp/pin/284993482647636368/
この3人のMagiの皆さんが持ってきたものに対して、ある聖書学者は、黄金は、イエスが王であること、没薬は、イエスの死と復活、乳香は神への礼拝、と対応っセルことで、これらの贈り物がイエスの生涯を象徴しているという解釈をする人もいて、表しているという解釈ができるとか、言っている場合もあるし、別の神学者によれば、いやいや、これは、高価に転売できるので、のちにイエスがヘロデの手を逃れるために、エジプトに逃れるための資金として、すぐに高価格で転売できたので、問題なかった、というような解釈をしている人たちもいますが・・・という紹介がされました。
神からの全ての人間へのプレゼント
ところで、この時期は、プレゼントをする時期で、特に日本では、クリスマスにお正月、誕生日プレゼントに時々はお土産も、ある種のプレゼントでもある、ということを考えると、日本というのはプレゼントが多い文化を持っているよねぇ。特にプレゼントということで考えてみると、クリスマスがなぜよろこばしいのか、という意味を考えると、人間への最大のプレゼントは、実は、神の御子が、神であるにもかかわらず、この地に自分自身をプレゼントとしてやってきたことなのではないでしょうか。それを、キリスト者として、この東方からこの三人がわざわざやってきて、神に対して捧げるもの、あるいは、神の御子、王へのプレゼントを持ってきたことを覚えるエピファニーに際して、どう考えたらよいのでしょうか、という問いかけがなされました。
人間が神に捧げることができるもの
神がご自身を人間に与えたもうたことに対して、私たちは、何をしたらよいのか、ということを考えてみると、我々は、すべてのものを神から受けているにすぎないものである以上、人間が神に何か返すことはできないですし…ということはあるのではないでしょうか、という問いかけがさらにありました。
そうはいっても、この時期は、年初なので、これからの一年を考えるというのを、日本でもよく行うようであるし、多くの文化でするけど、その時に去年と何がどう違うか、去年より生き方を少しちょっと変えてみる、を考えてみるのはいいかもしれない、ということを考えるときに、エピファニーでもあるので、東方のMagiが何かをささげたように、人間がどのように神に何かをささげうるとしたら、何か、ということを考えてほしいのですし、そして、おそらく、人間が唯一神に差し出すことができるものがあるとすれば、神の愛にこたえて、神を愛することがまず第一義的にあるでしょう、そして、これから1年の間に出会う人々、それはとりもなおさず、私たちの隣人である存在である人々に自分自身の存在を差し出すことしかないんじゃないでしょうか、という問いかけで、説教がまとめられました。
説教を聞きながらの黙想
説教を聞きながら、思っていたのは、次のようなローマ人への手紙の箇所でした。ローマ人の手紙には、確かに次のようにあります。
【口語訳聖書】ローマ人への手紙 12章 1節
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
それとともに、また、
【口語訳聖書】コリント人への第一の手紙 13章 2節から3節
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
ということも、思い出していました。これを思う時、キリスト者として生きるということは、とりもなおさず、神に対する愛に動機づけられて生きる古都であるということを思いめぐらせていました。つまり、他者から評価を受けるようなことをなすことでもなく、神を愛すること、神とともに生きることが神に対する礼拝であると同時に、旧約聖書の律法と預言者が(旧約聖書の全体)この二つにかかっていると、イエスが言ったことも思い出していました。
【口語訳聖書】マタイによる福音書 22章 35節
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
これらの言葉を、説教を聞きながら思い巡らし、この一年、どんな場面で神の愛をみることになるのだろうか、そして、どんな人々と出会い、どんな人々の隣人になり、その中で、神の愛をどのように示すことになるように導かれていくのだろうか、そして、それが、旧約聖書全体をかけて、神が私たちに示そうとしたことだし、そのことが神がこの地に命がけで来て、人類にとってこれ異常ないプレゼントであることを示し、神がこの地での命をいきるなかで、その神の愛を、神の愛の全体がこの地に突き抜けて神の御座、すなわち神が支配をなしておられる場所からこの地にやってきた、ということについて、その極みまでを示したことについて、個人的には、エピファニーの礼拝と聖餐式が終わって、帰る道すがら、思いをめぐらしていました。
余談
アメリカの映画などを見ていると、この3人の王を明らかに題材にしたと思えるタイトルの映画なんかもあります。それと、クリスマス、キャロルで出てくる3つのクリスマスのゴースト(過去のゴースト、将来のゴースト、現在のゴーストも、おそらくは、この3人の東方の博士なのか、王なのかのパロディになっているのかも知れないかもなぁ、それぞれが、エベネザー・スクルージにもたらしたものがなんだったかと対応しているのかも、とか礼拝からの帰り道、色々妄想しておりました。
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