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2016.02.08 Monday

上智大学公開講座2016年1月30日に行ってきた(2)

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    今回も、上智大学の公開講座で川村先生のお話を聞いた記録をご紹介したい。前回 上智大学公開講座2016年1月30日に行ってきた(1) からの続きである。

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    16世紀 浄土真宗(一向宗)、日蓮宗、キリシタンがかなり人々の間に影響を与えた。こういう民間ネットワークの形成、領域を超えた政治介入を嫌う組織の存在を当時の支配者である織田信長・秀吉がきらった面があるだろう。高山右近を明石に転封したのは、このような民間ネットワークからの切断・分離を狙ってのことではないか。

    ところで、当時のメキシコ・フィリピンの太平洋航路は、スペイン海軍船で運用されたが、ポルトガル人は、スペイン王に戦争しても勝てないと、警告した記録があり、簡単に日本をスペインが南アメリカでやったような形で占領できると思うな、といっている。
    こう思った背景には、日本人をポルトガル人が怖れていた部分があるかもしれない。鉄砲伝来といっているが、彼らは現物の鉄砲を見せはしたが、渡したわけではなかった。ある面、鉄砲を見た日本人が独自に考え出した。19世紀の武器の輸入品とは違うのである。
    -----豆知識------
     実は、鉄砲の製造で難しいのは、爆発力に耐えうる銃身の構成と銃尾にあって黒色火薬の爆圧を受け止める部分である。銃身が爆発に耐えるように、鋳鉄に鋼鉄の帯を巻き付けるかたちで、強度を増すことができた。問題は銃尾である。銃尾を一体形成するためには、よほどまともに鋳造する(青銅砲はこのタイプ)必要がある。このために、西ヨーロッパでは教会の鐘を作る鋳造職人が青銅砲の製造にかかわっていく。ところで小銃の安全確保を確実にするためには、滑空銃内部の保守が必要である。この保守の容易性を考えた際には、銃身と銃尾が解体でき、銃身の内部(当時は銃身に螺旋が切られていない滑空銃であり、ライフル銃ではなかったために命中精度が悪かったことが知られている)を清掃できるようにするために、銃口から銃尾に向けて筒状になっていることが求められる。この時に問題になるのが、尾栓と呼ばれる銃尾のふたの部分である。黒色火薬といっても銃身内での爆圧はかなりなものになるので、この鼻尖をどうするのかが問題となったのである。当時の日本には、摩擦と組み合わせによって部品と本体を固着する「ねじ」という構造が一般に知られておらず、このねじに最初に出会ったのが、火縄銃でなかったか、といわれている。


    マンガに出てくる『日向ねじ』(本文と何の関係もありません)
    -----豆知識------

    文化邂逅のプランナー アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
     現代ヴァリニャーノという人物の存在がほとんど知られていない。マカオにあるセントポール教会の祭壇に葬られたとされている。

    この人物の出生地は Chietiであり、スペイン王国配下のナポリ王国の一部である。その意味で、他文化の中で生きた人であり、1539年 イタリア半島に生まれ、その後、パドバ大学で学び、1566年に、イエズス会に入会する。
    その後の略歴をまとめるとこんな感じである。

    1573年 東インドの巡察師に任命される
    1579年 最初の来日 巡察師として身に来ている。
    1590年 インド総督使節団として来日
    1598年〜1603年まで日本滞在

    ヴァリニャーノの出身地、ナポリ王国は、スペイン王国配下であり、公用語はスペイン語、イタリア語であった。その意味で多言語多文化世界の中で生育する過程を通して、国際人としての素養を身に着けたといえよう。ポルトガル植民帝国の意識とは別種のものがあった人物である。

    ところで、この時代イタリア出身者は、自分の帝国がない状態であり、イタリアという統一国家すらなく、多数の都市国家の集合体であり、その意味でも、この人物には、都市国家民としての出身意識があるのであり、その分だけ帝国で育った人物よりも、相手及び自己のの文化を相対化しやすい立場であったといえるのではないか。

    ヴァリニャーノは、パドヴァ大学、そして、ローマ学院 (当時のイエズス会の学校)で、天文学・数学を学んだイエズス会の人物であり、ザビエルから30年たった、第2世代の会員である。若くして、ローマでの役務につき、修練院の副院長をするなど、かなり出世頭であり今では考えられないほどの大抜擢であるといえるのではないか。彼は、順応 Accomodatioということを考えたが、このヴァリニャーノの順応は、統一化を図ろうとする16世紀の世界における常識ではない概念である。それは、現地民である日本人を現地の指導者とすることを考えたのは、ヴァリニャーノであり、現地人が指導者となるように取り組まれた事例は日本以外にはほとんどなく、本国スペインの征服概念とはずいぶん違う宣教方法である。

    他文化へのアプローチ
     他文化へのアプローチの仕方には、いくつかある。

    同化 Assimilation  
      本国と同じようにしろ。(これは日本帝国時代の朝鮮半島、台湾、南洋支配で取られた方策)
    順応 Accomodation
     相手に合わせて自分の形を変えながら、自己に関する本質的なものは変えない
    適合 Adaptation  
      ある文化体系があってそれに適合する形に相手も自分も変えていく
    文化的変容 Inculturation
     文化の中に含むような形にする

    ヴァリニャーノは、Inculturationをすると、そもそも別の文化になることになるので、これを避け、自己のものっている信仰自体は、変化はしない形をとることで対応しようとしていったと考えられるのではないか。

    この観点からすると、Accomodationの定義は、仮に合わせていく過程であり、妥協や調停などで個人や集団間の緊張を除去して適切で友好的な関係を作りだしていく過程でもある。

    ヴァリニャーノの著作に日本イエズス会士礼法指針という本があり、原題は日本の習俗と気質に関する注意と助言であるが、この書籍の中に、3つのポイントがあり、ヨーロッパからの宣教師が、日本社会のなかで尊敬を受けるか、威厳をいかに保てるか、そうでありながら、親密の情を如何に示せるか、ということが記されている。

    ヴァリニャーノがこの本を書いた過程で、大友宗麟らの宣教師たちがむちゃくちゃしてたことに対する助言が活かされているのではないか。助言としては、日本人のやり方を見ながら行動し、自分たちのやり方で無理やり通すな、ということが言われている。

    とくに、うちとけさせるためには、挨拶をしなさい、杯と魚のやり取り(宴会に出なさい)、Casa(かざ 教会の敷地内)に住む他人たちとの共存の仕方を覚えなさい、とかいている。宣教師の階級制度は、京都の大徳寺の制度に則って、相似的、比喩的理解を促すような制度後世にしている。

    また、茶室の効能を利用するため、教会敷地内には、茶の湯の間を設け、茶の湯について心得のあるものを置けとまでかいているし、日本人は清潔好きなので、教会敷地内を清潔にしろ、といっている。そして、いつでも使えるように、茶道具をイエズス会の家(かざ Casa)においておけ、と書いている。この本をヴァリニャーノは、来て2年目で書いており、恐らく2年で書いたということの裏側には、多くの人の助言を得て書いていると考えられる。

     ミサの所作と茶の湯の所作が似ていることから、千利休はSt. Lukeじゃないか、という方もおられるが、それは、違うだろう。もし、仮に、茶の湯とミサの類似性があるなら、記述があってもいいはずだが、ヴァリニャーノなどの記録には、その記述はなく、別のものとして書いている。共通しているところがあるにしても、同一のところから出発したという具体的証拠は今のところは見つかっていない。

     とはいえ、ヴァリニャーノは、Accomodationとして、日本の尺度に合わられるところは、合わせながら宣教していったといえる。

     ところで、カトリック教会では、中国宣教を1582年以降実施しているが、そこでは日本の宣教の失敗を活かしている。マテオ・リッチ(ヴァリニャーノの弟子) 1582年に伝道を開始しているが当初は、天文学と数学の知識を皇帝から信頼を獲得していった。

     そして、キリスト教徒でありながら、現地化するため、儒者服を着て活動し、中国宣教を孔子の儒学とのかかわりを考えながら、先祖崇拝への配慮しつつ、実施した。それは、中国典礼問題(完全ヨーロッパ式を排して、儒教の儀式にそってやった)ことと重なる。そして、儒者は被り物を被るので、普通の司祭も被り物を被って典礼を実施した(通常、ヨーロッパのカトリックでは高位司祭職のみ)。


    マテオ・リッチ(画像左 http://www.cathoshin.com/2013/05/17/ricci/)カトリック新聞から拝借
    儒者服を着ているマテオ・リッチ

     マテオ・リッチは、儒教は宗教ではなくて、中国人の習慣であり、キリスト教と両立可能とした。とはいえ、この後にやってきたドミニコ会士がこれを見てびっくりすることになる。そこで、中国のキリスト教は全くキリスト教と違うことをしていると、ダメだししたのである。そのうえに、迫害が発生し、その後信徒ががた減りしている。

     なお、中国典礼問題は靖国問題と同じであり、戦争中の上智大学の靖国神社参拝事件と同じ問題を生んでいる。この安く神社参拝問題と絡んで、戦争中、上智大学がお取り潰しになりかけた。そこで、シャンボン司教が文部省に行って、靖国敬礼が宗教ではないと認めたら、上智大学側として何も問題なしにできる。文部省が、靖国参拝が習慣であり、尊敬であるとされたので、解決を付けたことがある。

    ----靖国参拝問題に関して----
     この問題は、結構ギリギリの選択を迫られた結果としての上智大学の選択であったとはいえ、宗教と世俗の信仰や習俗との関係を考えるうえで、かなり微妙な構造を持っている。そして、習俗なのか礼拝なのか問題は、その人の信仰の在り様にかかわる問題であると思うが、個人的には、そのあたりの切り分けは、難しい。非キリスト教であるからといって、他者の理解を切って捨ててよいものであると一方的に自分たちの主張をすることには、慎重である方がよいのかもしれない。個人的には、神社参拝はする気もないし、したくもない。それは、ヒットラーに対しても敬礼する人々の中で、個人的には敬礼したくないのと同じである。
    ----靖国参拝問題に関して----

    日本最初のヨーロッパ式教育機関 セミナリオとコレジョ
    ヨーロッパの初等中等教育の伝統にそって、日本でも教育がされるようになり、
    リナシメントrinascimento・ウマニスタUmanista (ルネッサンスの人文学風)の教育が行われていた。ラテン語教育がおこなわれ、イエズス会の中等教育の始まりであり、スコラ学と人文学の教育規定に従って脅威ックされていたようであり、特に、ラテン語文法が重視された。イエズス会の学事規定に従い、ドリルと反復中心の教育がなされ、さらに、討議の技法に関しても配慮されていた。

     また、習熟度別教育を実施するために、試験をするという現在にも通じる教育方法がとられ、これは、パリ大学でとられた方式でもあった(パリ大学とは、イエズス会の創始者ロヨラとザビエルが学んだ学校でもある)。

    世界に2枚しか現存が知られていないグレゴリウス13世の功績という印刷物の中に、府内コレジョ、有馬セミナリヨ、安土セミナリヨ、臼杵のノヴィシアード などの画像が出てくる。それほど、注目されていた教育機関であると考えられるのではないか。

     ヴァリニャーノは、ラテン語は普遍語として手抜きを許さず、ラテン語を徹底して教育した。この後に、ギリシア語教育を持ってくるのがヨーロッパではふつうである。

    コレジョの教科書は、イエズス会講義要綱に従っており、このイエズス会の講義要綱は手書き版である。その中には、天球論(天文学)とアニマ論(霊の理解:人間論)が含まれている。そして、その後に神学綱要が置かれている。
     これの一部の日本語翻訳版がイギリスのオックスフォード大学のモードリンカレッジ所蔵であることが1996年に発見されている。

    このタイプの天球論はクリストファー・クラヴィウスのもので、マテオ・リッチがヴァリニャーノの弟子の一人であった。そして、このクラヴィウスの翻訳書が渾蓋通憲図説というk立で中国に伝わる。

    アニマ論(霊性論)
    当時の霊性理解に関して、次のように分解されて理解されていた。

    植物的アニマ Anima Vesetativa(生魂)、
    動物的アニマ Anima Sensitiva(覚魂)、
    理性的アニマ Anima Rationalisとして理解され、この理性的アニマが人間を人間たらしめるもの
    と分けて考えられたらしい。

    アニマというラテン語音を使って、ラテン語音を残すことにこだわっているが、その根源は Deus を大日と意訳して問題を起こしたザビエル時代の反省が生きているのであろう。なお、霊魂というと幽霊を想像するのが日本人であるので、魂と使わずアニマと呼んでいるものとかんがえられる。

    ラテン語版と日本語翻訳版は、ほぼ1対1対応しているが、少しだけ日本語版が長く、ラテン語のオリジナルテキストにない部分が付与されている。その付与されている17ページに関しては、書き込みが多い。特に付加がある部分は、アニマの不滅のテーマに関してである。この背景には、日本人の魂論と、キリスト教の魂論が違う事を説明するためであったと思われる。

    人間は、体とアニマからなり、アニマは不滅であるとする。アニマはこの世のすべてを来世に持ち込むことになり、善をなすものはパライソの至福状態へと移され、悪をなすものはインヘルノの永遠の苦しみへとつながる。そこで、アニマの不滅を強調することはすなわち、来世賞罰の強調につながりかねなかったからである。

    なぜこのようなことを日本人に力説するのか、ということは、当時の日本人から、この理解への抵抗感が恐らくあったことではないかと思われる。輪廻転生的な世界観での敗者復活の機械が存在しないことに関する抵抗があったのではないか。魂の不滅論と法華宗の僧侶と対話し、かなり真面目に対論している。ところで、必ず上りがある法華宗的な仏教や六道の考えにどう対応するのか、ということが求められるのだろう。

     その意味で、この追記部分は、日本人の宗教観倫理観に触れる一側面を語っていて、来世の賞罰が現世における勧善懲悪の教えにつながることを説明し、理性的アニマの知性を自由に用いて、善悪を判断し、それを実行する、また、その努力をなすことを教えたのではないか。その意味で、修徳の概念を示そうとしたものと思われる。

     この時代のカトリックの人間理解は、ペラギウス主義(性善説的)ではなく、日本に多く存在したアニミズム的、汎神論的本覚思想(もともと仏である)でいうような、草木国土悉皆成仏との対立があったのではないか。しかし、宣教師たちの修徳的生き方の勧めは、悪そのものが善ともなりかねないような、日本の宗教的理解への反対論として展開された。ある面で、当時のカトリックの理解が、一種の倫理主義だった面があったようにも思われる。その意味で、当時のカトリックの司祭団に日本人から寄せられたの質問の集大成としての講義要綱であり、それに回答してから、キリスト教の教えを伝えようとしたヴァリニャーノがいたようである。

     ところで、どこまで既存の文化や習俗に妥協するか。抵抗がある時にどう対応するのか、の問題であるが、ヴァリニャーノは、既存習俗や宗教の教義自体は取り入れず、融合するつもりは日本への16世紀の宣教師がなかった。

    人間の自発的行為を大事にした宣教師がいたが、主に仏教徒と論争している。しかしながら、神官とか、神道の教義との対話の記録はない。

    学問と合理性の上にのってキリスト教を説明しようとしたのがイエズス会であったが、このような態度をフランシスコ会は、生ぬるいとした。その代わり、単刀直入に殉教して見せることで布教することを試みた、苦行を重視する人たちがメキシコから来た。それに比べると、イエズス会は順応型であったといえるだろう。

    なお、長崎で殉教した26聖人のうち、3聖人はイエズス会関係者であるが、その一部には、イエズス会に直前に入会したものもいた。実際、石田三成は、イエズス会はあえてスルーをしようと考えていた、という記録が残っている。伝道に関する、方法論の違いがあり、フランシスコ会は貧民の場所で、十字架の苦しみの説教をして確信犯で捕まるために来ているので、あのような殉教のかたちをとることになったのではないか。
    後、質疑応答の場面になったが、あるご妙齢(正確にはご高齢)の信徒さんが、延々とキリスト教はどのようにあるべきかということに関する自説をご主張になり、実りある質疑応答にならなかったのが、実に残念であった。

    ----個人的感想----
    宣教論を巡る現地文化の対応ということを考えると、現地化をどう進めていくのか、というのは非常に大きな問題を個々のキリスト者に迫る。強硬に自分の信仰を言い募る方法論もあれば、完全に現地化して、現地の信仰と習合する方法論もあるだろう。あるいは、そのバリエーションはかなり多数あって、どれか一つが絶対に成功する方法論ではないと思うからである。それはなぜかといえば、伝道は、機械が機械に対してするものではなく、人間が生身の人間にするものだからであり、人と人の組み合わせによるので、そのあたりは、それぞれの人で考えながら、適切に対応するしかないのではないか、と思っている。
    ----個人的感想----

    以上、この連載終わり
     
    A.ヴァリニャーノ
    キリシタン文化研究会
    ---
    (1970)
    コメント:参考文献として。図書館で見るので十分かと。

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