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2016.02.13 Saturday

いのちのことば社刊 『隠された恵み』を読んだ(43)

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    今回も教会と国家とのかかわりをヤンシー先輩がお書きの内容から、少し考えてみたい。今日は米国の政治体制とキリスト教との関係についてである。

    米国憲法の前提条件
    ピーター・バーガーという方の宗教の持つ多元的な機能について触れながら、ヤンシー先輩は米国建国理念の前景にキリスト教というか宗教(より正確に言えばキリスト教)の存在があることを次のように書いている。


    Peter Bergerさん
     
    社会学者ピーター・バーガーは、宗教の持つ「世界を維持する」機能と「世界を揺さぶる」機能について書いた。合衆国の建国者たちは、民主主義はトップダウン式の支配より自由によって市民を導き、その土台には宗教が必要であることを認識していた。ジョン・アダムズによれば「合衆国憲法は、道徳的で宗教的な人々のためにだけ作られている。そうでない人々が構成する政府には、まったくもって不十分な憲法である」。国の指導者たちは、世界を維持するための役割を教会に期待した。責任感を持って行動できるよう市民を教育してほしい、と教会に期待したのである。(隠された恵み pp.386-387)

    このブログでも、くどく書いているが、現在の日本で広く誤解されている政教分離の概念と、米国憲法における政教分離はかなり違う。どう違うか、というと、日本では、国家や政府が宗教行事に玉ぐし料とかを支出しない、とか、国家や政府の代表的人物が靖国神社や伊勢神宮を公式に訪問あるいは参拝しない、とかいうことが政教分離かどうかの議論がわかれる点になっているが、アメリカの憲法修正第1条では、Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.となっているので、Congress shall make no law respecting an establishment of religionであって、法律で、議会が勝手に、宗教団体や組織を作っちゃだめよ、というたぐいの趣旨なのである。

    とはいえ、米国では、愛唱歌としてGod Bless Americaという歌が、野球の開会時に歌われたり、フットボールの試合の開会時に歌われる国ではある。それぐらい、神とアメリカという世俗国家が結びついている国家なのである。


    God Bless Americaという愛唱歌

    宗教には、世界を維持する機能は確かにある。一種重りのような存在であり、社会の暴走を防ぐ役割も無きにしも非ずであるし、一定の方向性を持たせる機能もあることは確かである。であるがゆえに、社会の保守化とキリスト教の関係は、多少ならずとも関係はしているようには思う。しかし、それと同時に、社会自身の価値観とぶつかる場合もあるのである。

    例えば、神のかたちである人間の尊厳が失われようとするとき、それに異議申し立てをする人々も出てくるし、恐れなく文句を言いに行く無謀さを持つ信仰者もいたのである。そいういう無謀さを持った信仰者はそうは多くなかったろうが。

    意外と面白かったのは、次の一文である。

    ジョン・アダムズによれば「合衆国憲法は、道徳的で宗教的な人々のためにだけ作られている。そうでない人々が構成する政府には、まったくもって不十分な憲法である」

    結局、100ドル札に出てくるアダムスおじさんだけでなく、建国の父たちと呼ばれる人々は、どうも、勝手にさせておくとリバイアサンで描かれたようなろくでもないことが起きるということを良く知っていたリアリストであるということだったのだろうと思う。だからこそ、それにブレーキをかける存在として、道徳や宗教的なものの必要を認めていたからこそ、In God We Trustという合言葉を一応でもいいから唱えることにしたのかもしれないとは思う。


    Adamsおじさんが出ている100ドル札
    https://uscurrency.gov/sites/default/files/download-materials/en/--new100--100_education.pdf から拝借

    教会と政治への関与とその背景
    教会が政治に積極的にかかわろうとして、世界を揺さぶる仕事の仕方が、これまで適切であったかどうか、ということに関して次のような過去のアメリカの黒歴史であるKnow Nothing運動や、ケネディー選挙の前のアメリカの福音派の動きをご紹介しておられる。
    しかし、教会が世界を「揺さぶる」仕事をしようとする時は、賢く慎重に行わなければならない。悲しいかな、政治にかかわったクリスチャンは道を踏み外しがちであった。1840年代から50年代に、「ノウ・ナッシング」(訳注:外国人排斥を書掲げたアメリカ合衆国の政治的会派による運動団体)が、カトリック教徒を悪魔よばわりし、人々の間に恐怖を先導した。カトリックの学校では英欽定訳聖書でなく、自分たち(カトリック)の訳の聖書を読ませてほしいといった司祭の要求がきっかけで起こった、1844年の騒動について、歴史家マーク・ノルが書いている。フィラデルフィアの暴徒達は、いくつかのカトリック教会を燃やして10人以上の信徒を殺害した。1960年代後半には、全米福音同盟(NAE)がすべての福音派の教職者に、カトリック教徒の大統領が誕生する危険性を宗教改革記念日に語るように要請した。それは、ジョン・F・ケネディ(カトリック教徒)が出馬する選挙直前のことだった。(同書 p.387)

    確かに、これまで教会が社会を揺すぶろうとするとき、その戦略は非常に過激で、思慮に欠いたといわれても仕方がないようなものが少なくはなかった。一種、Hate Speach(ヘイト・スピーチ)と呼ばれても仕方がないような発言が教会から出てくることも現在でも少なくない。今はそんなことはないはずだ、とおっしゃる方はおられるかもしれないが、ついぞ最近も、クォーラーンを燃やした牧師さん(自称なのか、公認なのかは定かならず)がアメリカにはおられなかったろうか。

    コーランを国際的に焚書する日というトラックの前での牧師さん (なぜに、クォラーンを国際的に燃やすのかよくわからんがInternational Burn a Koran Dayとトラックの荷台部分に赤字で大書してある)
    http://www.dailymail.co.uk/news/article-1310602/Koran-burning-pastor-Terry-Jones-expelled-German-church.htmlさんから


    Know Nothingに関するマンガ http://history1800s.about.com/od/immigration/a/knownothing01.htm から


    反ケネディ・キャンペーインの時に制作されたマンガ(スクリーントーンの使い方が素敵)
    http://www.shaggytexas.com/board/showthread.php/163271-!-storm-has-ignited...Ben-Carson-on-Sharia-law-and-the-Constitution から借用

    これらの話、Know Nothingのカトリック批判にしても、J.F. ケネディのネガティブ・キャンペーンの時の漫画も、コーランを焚書してしまった牧師さんでもそうであるが、表面は、宗教の顔をしているものの、実質的には、自分たちの既得権益や自分たちの優位性を守るため、という気がする。なぜ、宗教が担ぎ出されるかというと、正義の味方ぶりっ子しやすいから、あるいは、自分以外の権威性を振り回すことがやりやすいからではなかろうか。
     
    Know Nothingが出てきた時期というのが面白い。1840-1850年代という時代である。アイルランド系(南アイルランド系)や南欧中央系のカトリック系の人々がアメリカに到達しはじめた時期と重なっているような気がする。つまり、アングロサクソン系の英国本土からの移民がいったん落ち着き、次にジャガイモ飢饉で困窮するアイルランドからの移住民が急増したという環境とパラレルであって、この人口急増に慌てふためいた先着の移住民たちが自分たちの既得権益を守ろうとして、とりあえずわかりやすいラベルとして宗教を持ちだしたのではないか、と思うのである。
     
    ところで、J.F.ケネディの問題にしてもそうであるが、基本的にはアイルランド系を2級市民とするアメリカ人の一部の人々の精神性が反映されているのである。ケネディは、アイルランド系であったし、棚ぼたで大統領になったフォードは別として、そのあとを継いだニクソンもアイルランド系なのである。アメリカ社会におけるアイルランド系というのは、ほぼ、軍人、警察官というイメージがダブっている人々なのである。以下のハリソン・フォードとブラッド・ピットが出演した、The Devil's Own(日本語名 デビル)という映画などにも、それは現われる。確かに、消防士、警察官、軍人にアイルランド系は多い。要するに体力勝負の危険な職場が彼らの父祖たちの職場だった事を意味している。なお、Law & Orderの後半の検事補ADA、検事DA役として設定されているJack McCoyは親父さんが警察官、それに嫌気がさした息子のJack McCoyが、反警察的なリベラルな検事補、検事となったという設定でドラマ化されている。


    The Devil's Own(日本語 Devil)の予告編

    今回もヤンシー先輩の本を読んで思ったのだが、この辺の政治的や経済的、社会環境にはほとんど触れず、キリスト教や宗教の枠内問題としてのみ考える傾向は少し問題ではないか、と思うのである。実は、宗教的なことが持ちだされる背景には、必ず政治的な動きがあるのである。まぁ、アメリカという国は、選挙が終わってしまうと、そんなことで騒いだことをすっかり忘れて、Our Presidentってやっちゃうところが、アメリカのいいところではある。まぁ、そら、三軍の長であり、まぁ、現代に生きるローマ皇帝のようなところはアメリカ合衆国にはある。

    文化との対決とキリスト教 禁酒法を例に
    どうも、アメリカ人だけではないのだが、動機がよければ結果もよいはず、というイデアリストあるいは理想主義者の考え方が世にはびこっているらしい。いいことだからやりましょう、でもそれが数年後にはろくでもないことを引き起こすという人間の世界の理解は案外薄いらしい。

    似たようなことは、最近の例で言えば、運動会の組体操である。学校の社会的な窓口としての運動会の花として、組体操は全員参加だから適切ではないか、ということで組体操が始まったのだろうが(全員参加とかもそもそも、良い動機とかいうけど、個人にとってはエジプトでの苦役もどきであった)、それを一層見栄えがあるものにしたい、日ごろの教育成果(それを教育の成果というかは別として)を見せびらかせたいということで、意味のない高さにしてみたりとかで、骨折する生徒続出であるにもかかわらず、「先輩方から引き継いだ伝統だ」とかわからないことを言って、継続している事例も少なくないらしい。まるで、先任将校が立てた計画だからとそれ通りやって失敗したインパール作戦等の南方戦線事案と大して変わらない。帝国陸軍は、日本人が帝国陸軍を生む素養を持っていたからこその帝国陸軍的体質を持ったように思うのだ。
     
    ところで、本論に戻すと、これはキリスト教会でも例外ではなく、ある価値基準を善とし、それがよいから結果もよいとすることがいかにおかし気なことを生み出すのか、という例としてのキリスト教の黒歴史についてヤンシー先輩は次のように語るのである。
    合衆国のほとんどの州が、5年間にわたり禁酒法を順守した。やがて酒を飲む人が増え、組織犯罪や腐敗も生じた。この法制化はあまりにも厳しく、適度な飲酒を容認していたユダヤ人やカトリック教徒などの宗教グループを阻害した。歴史家ポール・ジョンソンは最終的な分析でこう判断している。「はじめは米国福音派最大の勝利と見えたものが、最大の敗北に転じた。」この道徳改革運動の失敗により、プロテスタントは政治の世界から追い出され、20世紀に終わりにようやく多数派として返り咲くのである。(同書 p.388)
    禁酒法は、国家が個人の生活に介入するとろくでもないことが起きることの一つの例を示しているように思う。家庭からの酔ったうえでのDV被害を避け、健全な家庭生活を保障することが目的の一部として、始まった面があるとはいえ、飲酒を全面的に国家(この場合は連邦政府)が禁じたために、酒類販売が地下に潜り、地下経済が生まれることになる。なお、これは婦人参政権運動ともつながっていたと記憶している。そこに目を付けたのが信仰移民のイタリア系などの市民であり、その代表的人物が、歴史的マフィアのボス、アル・カポーネである。イタリア系マフィアは、禁酒法の背景の中で、アルコール飲料を非公式に販売する中で、非合法化された取引を行うことによって発生するリスクをカバーするということとその販売を独占的に行うことで、高値で取引することができ、一種の経済的地代(不労所得)がマフィア側に生まれることになった。そして、その経済的基盤を極めて強力なものにしていったのである。これに対して、FBIは当時は、組織犯罪法Rico法といった法律がない時代であるので、アル・カポーネたちを脱税容疑で立件することになる。

    こうやって振り返ってみれば、マフィアを大きくし、現在にまで続くアメリカのマフィアの根が生まれたのは、実は禁酒法であった、という一面があるのである。まさに、善意に基づく政策が、巨悪を生んだ一例であると思う。

    The UntouchableのTrailer


    Once upon a time in Americaの予告編

    日本では、禁酒法を生み出した、アメリカ系の福音派の信者さんが多いせいか、クリスチャンは禁酒であると思いこまれている側面が多いが、実は、これは、イングランド、北米大陸だからこそ、の現象でもあるように思う。もともと、水道水の質の悪いヨーロッパ大陸では、ビールや葡萄酒などが大量に消費されており、日常的に利用されていることもあるし、生活文化の中に食事のときのアルコール摂取が一般的であるし、子供用のアルコール度数の低いワインなども販売されている。

    こういう文化をもったまま、19世紀中葉以降、アメリカに新たに到着した移民の出身者が、これら飲酒文化を水道水の質の悪い地域にお住いであった大陸の人々であり、さらに、それらの人々の宗教的背景がカトリックであったことや、この時期前後に到着した東欧系ユダヤ系の人々がそもそも適度な飲酒の習慣を持っていたこともあり、これらの人々の排除のためのツールとして禁酒法を設けた結果、これらの人々の一部が、マフィア化(ギャングというと、映画の中では、イタリア、アイルランド、ユダヤ系、今では中国系)していったというのは、何とも皮肉なことであったと思う。
     
    世の中に無関心だった福音派の人々
    旧約聖書の中の預言の中でもミーちゃんはーちゃんが最も好きな預言は次の預言であるし、その聖書箇所をもとにしたヘンデルのメサイアは美しいと思う。
    口語訳聖書 イザヤ書52:7
    よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と
    言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。

    ヘンデルのメサイアからHow Beautiful are the feet

    しかし、ヤンシー先輩は、以下に引用した部分で、上のイザヤ書預言を念頭に置きながらなのであろうが、今の米国福音派のクリスチャンは、
    悪しきおとずれを伝え、戦闘を告げ、悪しきおとずれを伝え、裁きを告げ、全世界にむかって「私の神だけが私にとっての実王なる方となられた」と
    言う者の顔は世界にあって、なんと醜いことだろう。
    とでも言いたそうである。
     
    クリスチャンがキリスト教信仰とあまり関係のない問題に焦点を当てれば当てるほど、道徳に関する本当に重要な事柄について意見を求められなくなる。福音派の人たちから、銃の拡散が犯罪に与えている影響を聞くことはほとんどない。ましてや核軍縮のような問題は、さらに聞くことがない。貧しい人々への健康管理や未亡人や孤児の保護、聖書の命令している多くのことがらについても聞くことがない。福音派の人々は最近になって、やっと地球環境について考え始めた。(pp.388-389)
    ところで、本論に入る前に、『隠された恵み』の編集者の方に憚り乍ら少し苦言を申し上げたい。この部分で健康管理と訳されている語は、Health Careとういのがオリジナルの語だと思うが、これは、米国における高齢者、貧困層に対する無料の医療保険制度のことである。Medi Careともいう。実は、2012年の大統領選挙の時期に、ヒラリー・クリントンはこのHealth Care改革、ないしMedi Care改革を訴えていたのである。今年は、これが焦点化しているという話がアメリカからはいまだ聞こえてこないが、実は、これは非常に深刻なのである。そのことを批判したSickoというマイケル・ムーア監督の映画がある。
     
    日本では、救急車は無料だが、アメリカで救急車は有料であり、おちおち救急車に乗ってられないのである。


    Micheal Moore監督作品 Sicko


    日本のマイケルムーアと呼ばれるお笑い芸人の方

    また、Sickoというマイケル・ムーア監督のドキュメンタリーではないが、このHealth Careないし、Medi−Careとよばれる医療保健は、基本民営企業による営利事業として行われており、その中には、実際に結構ろくでもない医療保健を運用した保険会社もあって、Claimという保険請求書をたらいまわしにして、いい加減なことをする会社も時々ある。こういうのは、結構アメリカのドラマなんかで出てくる。それと法廷闘争と家庭内DVについて批判したフランシス・コッポラのレインメーカーという作品もあるくらいである。

    アメリカでは、本当に病気になれないなぁ、と思う。


    フランシス・コッポラ監督作 The Rainmaker

    「こういうことは、政治的なことだから」ということで、80年代後半から90年代くらいまでクリスチャンは口をつぐんできた。ディスペンセイション説由来の2つの世界にアメリカ福音派の皆様は住んできたのである。そして、前回紹介したように、もうすぐやってくる終末を期待し、天国に行くことだけを願っていたのが、1980年代的な福音派のクリスチャンの姿であったし、それは日本にも影響した。

    ある時期まで、神戸にあるキリスト者の集まりと称しておられるところお伺いして、一度はそこで頼まれてお話をしたことがある。その時に「人間には、この地をケアすることが神から 与えられている役割としてあるのではないか」と創世記からきちんと準備してお話したところ、年上の方から、「どうせこの世は滅びて無くなるんだか ら、何をしてもいいんでしょ」と、まるで「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記」という本の中に出てくるようなご発言をお聞きした。

    このご発言になられた方は、ある福音派として知られるグループで、そのキリスト者グループの代表の方がミーちゃんはーちゃんとときどき遊んでくださるのであるが、「どうせこの世は滅びて…」と反論を頂戴した方に対して、「あなたがどういうお考えをお持ちなのかは存じ上げませんが、個人的にはそう考えません」と申し上げたところ、それ以降は2度と呼ばれなくなった。お呼びでないところに行くほど、脳天気ではないので、 ちょうどよかったのだが。

    そして、アメリカの福音派の一部の人々は、銃がもたらす悲劇に目をつぶり、銃を持ち続けることにこだわり続けてきた。これはアメリカ憲法修正第2条で認められたミリシアを形成する権利で保障されている自分たちの権利であると。銃を握りしめてきたのだ。まぁ、もちろん、野獣が多かった西部開発時代ならいざ知らず、自分と自分の仲間以外の人間を野獣として扱い続けているようである。

    アメリカで、Health Careと呼ばれる医療保険制度(ここでは健康管理と訳されている)は貧しい人々への最低限の医療制度をどう保障するか問題であるのにもかかわらず、個人の医療選択の権利の問題に話がすり替えられ、それで「受ける医療が、一律の規制により一律のものとなるという制約を受けかねないから」と自費で高額な医療費を支払える人々の声高な主張がこだまし、本来の貧しい人が最低限医療をどのように享受されるべきかの議論が別のものにすり替えられてしまい、貧しい人々が医療を受けられないという、そして人間としての尊厳が失われることに口をつぐんできた、のではないか、と思う。MediCareあるいはHealth Careは大統領選挙の度に話題に上るものの、この20年、ほとんどその改革は進んでいない感じがする。

     アメリカ人のある種の価値観は、映画のセリフなどにも時に表れる。以下のA Few Goodmenの画像の1分過ぎのあたりから、アメリカ海兵隊員が、自分が従うべき順序について、次のように言っている。海兵隊員としての自分の命令の重要度の基準は、

    Unit(小隊) >> Corp(海兵隊) >> God(神) >> Country(国家)

    の順で従うべきであり、それが基準であるといっている。In God We Trustという言葉を紙幣に書き込む国家の兵士が、こういうのである。


    A Few Goodmenでのワンシーン

    ちょうど、この若い海兵隊員のように、ある一部のアメリカの福音派のキリスト教徒の価値基準は、

    アメリカ市民 >> 福音派のキリスト教徒 >> 神の国民 >> 公同の教会の構成員 

    という立場であると頭の中ではなっているのではないか、とも思いたくなるような表現である。

    なお、日本でも、このタイプのキリスト者の皆さん方が案外おられるのが、非常にかなわないなぁ、と思っているが、残念ながら、このタイプの方はおられる。

    日本人 >> 日本人福音派キリスト者 >> キリスト者 >> 神の国の国民

    と思っておられる方も中にはおられるのかもしれない。まぁ、信仰は人それぞれなんで、いいと思っているけど、個人的には、

    神の支配の内にあるもの >> キリスト者 >> 日本人福音派のキリスト者 >> 日本人

    という形での価値を大事にしたいと思っている。

     無論、違う価値観も否定はしないが、ミーちゃんはーちゃんとはその価値観が違う、というだけのことである。いろいろなキリスト者がいる、ということは、多様な聖書的伝統の世界がキリスト教の世界であるとすれば、まぁ、そういう多様な人々が集まったものがキリスト教である、ということなのだろうとは思うが。
     
    もう少し続く







     
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