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2016.01.18 Monday

上智大学大阪キャンパスでの月本さんの公開講座に行ってきた(1)

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     今日は、ヤンシー先輩の連載は、一回お休みして、先日上智大学大阪キャンパスの本 昭男さんの公開講座に行ってきたので、その縁はん部分をご紹介しようかと。

     今回大阪では、2回目ということだそうで、今回は、アブラハムの物語と題し、アブラハムの生涯に学ぶ、ということでの講座であった。

     暴騰1枚ものの資料が配布され、創世記の12から25章のアブラハムに関する話題のお話があった。配布資料は、聖書に記述のある説、アブラハム、イサク、ヤコブが何歳の時に何があったかのイベントとその時の明示的にわかっている年齢をまとめたものが配布された。

    創世記の全体像

     創世記は、天地創造、アダム、アベルとカイン、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフへと続いていくことが記載されており、基本的にはそれぞれ個々の家族の物語(この場合、出来事としてのまとまりとして記述されている内容、という意味での物語という意味であることは講義終了後直接確認しました)を取り上げており、背景としては家族中心の社会がある。

    遊牧文化を背景とした聖書の世界

     ある面で、アブラハム、イサク、ヤコブも牧羊を生業としている。これは重要な側面である。イスラエルの民は、自分たちの先祖は羊飼いであったと理解したことが重要である。 

     ヨセフの物語(出来事)にしても、エジプトで宰相になり家族との再会を果たす。その時、ファラオに謁見した時に、先祖代々羊飼いであるといっており、自分たちの原点は、羊飼いだといっていることは案外重要である。
    【新改訳改訂第3版】創世記
     46:33 パロがあなたがたを呼び寄せて、『あなたがたの職業は何か』と聞くようなときには、
     46:34 あなたがたは答えなさい。『あなたのしもべどもは若い時から今まで、私たちも、また私たちの先祖も家畜を飼う者でございます』と。
     古代イスラエル人の偉大な人々は、羊飼いと直結している。モーセも羊飼い、ダビデも羊飼いであった。旧約聖書の世界の思想の根底に羊飼いの思想が生きているように思われる。詩篇23篇もそうであるし、100篇もそうである。 旧約の律法にも、羊飼いとしての経験が生きている。落穂ひろいの律法である、レビ記19章や、申命記24章なども、その事例といえるのではないか。


    現代の砂漠の遊牧民


    現代の都会の遊牧民

    遊牧民と土地所有

     この律法は、寡婦、寄留の外国人、孤児 無産者のために必ず残すというのが律法であった。 表面的には貧しい人々を支えようと考えられるが、それ以上に大地の産物は所有者のものではなくて、土地が神に属するものである以上、神のものという意識があるように思われる。神のものをすべての生物や人々が享受できるようにするための律法と考えられる。その結果、土地を勝手に売買してはならないということや、レビ記25章のヨベルの年の規定なども神のためのものということの反映ではなかろうか。土地は神に属するということは農民の発想ではなく、牧羊者の発想であると思われる。

     西アジアの遊牧民族にとって、土地は誰かのものではなく、神のものであり、それを使わせてもらうという思想であるといえよう。そして地の産物は、その地に住むものがすべて享受できるという思想へとつながる。

     申命記24章の落穂ひろいの規定に関しては、先にも述べたように、寡婦、孤児、寄留者のために残すとなっており、彼らに属し、彼らのものになる、とも原文からは読める。寡婦、孤児、寄留者を大切にせよということであるが、寡婦と孤児を守れは、楔形文字には存在する。2400BCくらいのウルカギナあるいは、ウルイニムギナの都市国家の王が社会改革をした記録に寡婦と孤児の保護規定を作ったという文言はある。法典の最も古い法典にも記録がある。その意味で、孤児と寡婦の保護は西アジア的伝統にはある。

     しかしながら、旧約聖書の寄留者を守るというのは、旧約聖書の特徴であるといえよう。では、この寄留者の保護規定は、いつごろ成立したのだろうか。預言者イザヤには、寄留者が出てこない。寡婦と孤児が出ている。ところが、エレミヤ書の7章では、孤児と寡婦と寄留者が出ている。正確なことはわからないが、紀元前7世紀ごろではないだろうか。

     寄留者を守れ、という規定は、羊飼いはあちこち移動するひとびとであり、常に寄留者である存在である。羊飼いとして描いているのは、牧歌的表現のためではなくて、羊飼い時代の思想が旧約聖書に生かされているためではないだろうか。

     文字化する段階では、イスラエル民族は農耕生活に入っていたと思われる。

     ところがこの遊牧者の生活感覚は、長らく農耕社会を形成してきた日本では、感覚的にわからない面があり、日本の伝統社会とは相当異質である。イサクの物語だけ、種をまいて収穫する例が1カ所だけある。創世記26章12節であり、この部分の記載がイエスの種まきのたとえにつながっているのではないだろうか。

    アブラハムの歴史性

     アブラハムは、歴史的人物でない可能性があるのと同時に、歴史的存在ではある。アブラハムは、聖書以外のその名前が他の歴史資料に出てこないという意味で、実在したかどうかの確証は今のところはない。歴史的存在であるというのは、古代イスラエルの人々の思いなどが重畳的に含まれている点で歴史的存在ではある。

     学者によれば、いつ存在したかといえば、人によって異なるが、紀元前2000年〜1300年という幅がある。

    215年・430年という時間間隔の再帰性
     なぜ、年齢が創世記に書いているのか、を考えてみると、アブラハムたちがカナンにいたのが、ここでの記録を合わせると、215年となる。また、出エジプト記の12章40節によれば、エジプト滞在期間430年にあたる。ソロモン神殿作った時の第1列王記6章の記述によれば、神殿建設期は、エジプトでてから480年目となっているが、ソロモンの支配期間が4年目であることを考えると、その前のダビデは40年であり、サウルの在位はサムエルには記載ないが、数年であることを考えると、出エジプトから王権が確立するまでが、概ね、430年前後であることになる。バビロン捕囚までが何年かを調べるのは、なかなか難しい。

     ここに示されるように、430年ないし215年という期間を基準にしたような時代区分の意識があるのではないか。しかし、なぜ430年にしたのか、ということがわかると面白いのではないかとは思うのだが、なぜ、430年なのか、なぜ、アブラハムからエジプト移住までは215年なのかは、よくわからない。

    家出(出家)あるいは自立文化と旧約聖書
     創世記12章 メソポタミアのウル、シリアのハランを出発しているが、テラの存命時に出発している。その意味で、アブラハムは父を捨て、家出をしたといえる。ある意味で、アブラハムの召命は家出だったといえるのではないか。年齢を表現する数字にこだわると、両親を捨てたことがわかるのではないか。父母の家を離れ、ということはある面家出であるといえる。聖書の思想がこういう部分に現われる。ある面、家出あるいは、出家ともいえなくはない。アダムとエバの創造の時にも、父母を離れ、ということが言われているが、本来的には、「このゆえに、人は父と母を見捨てて(恐らく岩波訳をみておられたようである)捨てては、非常に強い動詞であり、我が神和が神どうして私をお見捨てになるのか、の見捨ててとパラレルであり、この背景にある詩篇22篇と同じ動詞 アーザブ יַֽעֲזָב־ が出てくる。

     なお、父と母を目的とする語が出てくるのがルツ記 2:11 両親と生まれ故郷を捨てて と翻訳されているところのアーザブと同じ語である。

     ほぼ全部の日本語訳は「はなれて」という語を当てて訳している。ある面、旧約聖書は親不孝の書物になるから、避けているのではないか、と思われる。

    (このあたりの話を、西アジア語と中東文化を勉強している息子と話しをしていたのだが、「まぁ、遊牧文化に背景とする以上、親と同じところにいないのは、ある面で当たり前だ」と息子君。「そんなもん、親と一緒にくっついて居ったら、羊に食わせる牧草無くなって、親子ともども共倒れになるからやん」ということらしい。この種の相続の方法論は、モンゴルでもとられているらしく、それがモンゴルでは末子相続という、親との年齢間隔が大きくなるような相続方法がとられるらしいというのは、息子君談。)

     聖書の家族関係に関する理解も、遊牧民族を前提とすると、親子ではなく、夫と妻の方が優先することになる。それを反映して、親を捨てると書いている。またこのあたりの概念が、イエスのことばの肉親を大事にするものは、神の国に相応しくない、ということあたりとも通じているのではないか。親を捨てるというと穏やかではないので、自立、出家、独立という語で言いかえた方がいいかもしれない。ある意味で、聖書は自立を教えている。アブラハムは典型的にそうであるといえるが、それも、若い時に出はなくて、75歳で、中年で家出している。ある面、新しい世界に挑戦することを語りかけているかもしれない。

    (この部分を聞きながら、思ったのは、人間そのものが神からの家出であり、また、その出たところである神の元に戻るという構造を持っているのかもしれないなぁ、と素朴な感想を持った。)

    アブラハムの記述とヤコブの記述の差

     アブラハム、イサク、ヤコブの記述を比べると、イサクが短い記述となっており、その分だけ、一番、安定している。イサクに比べて、ヤコブの記述は長い、ところで、ヤコブとアブラハムを比べると相当違う。ヤコブは生涯を辿るようなストーリーラインになっているが、アブラハムは、いくつかのエピソードとおいてつなげるかたちの構造になっている。アブラハムはいくつかの主要なエピソードをつなげる形となっている。

     17章では、割礼の実施が出てくる。この割礼は、ユダヤ教徒の律法の重要な基盤の一つであるが、モーセによる律法の外に、アブラハムに命じられていた。アブラハムに対する契約のしるしとして語られる。なお、ユダヤ教徒の律法はモーセが主であるが、モーセの律法以外もいくつかあるが、アブラハムの割礼はその一つである。

    神の一方的な約束としての記述を見る

     アブラハムの物語を一つの語であらわすとどういえるか、といえば、約束の物語ということになるのではないか。アブラハムに対する一方的な神の約束が何度も出てくる。
    例えば、創世記12章では、たとえば、祝福を受ける民族である約束があり、土地を与えるという約束がなされている。15章では、子孫の増加が約束されている。

     これまでの旧約聖書の解釈では、土地授与と子孫の増加の側面に重きが置かれたが、神の祝福があること、土地授与と子孫の増加の3点セットで考えるべきであり、この約束はイサク、ヤコブにも同じ約束が与えられている。
    創世記
    26:3 あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。
     26:4 わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。
    芥川龍之介のヤコブの梯子とキリスト教
     ここで、突然、芥川龍之介の話へと余談となった。

     芥川龍之介は初期にキリシタンものを書いているが、最後の作品に「西方の人」という作品と、「続西方の人」という作品がある。ある面、イエス・キリストが芥川は、気になっていたようである。芥川がどう理解したのかについて、す越す触れてみたい。その「西方の人」の中に「折れた梯子」という短文があるが、どうもヤコブの梯子ではないかと思われる。

     天から地上にかかる折れた梯子に関して、立教の佐藤先生は、薬物で頭がもうろうとしていたとしている説を唱えているが、恐らく、創世記28章の天と地を結ぶ梯子の事であろう。天から地に向かってかかっていた梯子という記述があるが、普通の梯子は逆であるが、どこかからヤコブの梯子の話を聞いたのではないかとは思うが、ソースは現状不明である。

     ただ、芥川は当時教文館にあった、米国聖書協会に通っている。そこに、室川文武という人物がいるが、米国聖書協会勤務で、内村鑑三の弟子がいたのだが、ひょっとして内村の中にあるのではないか、とは考えたが、現状、よくわかっていない。ところで、芥川が読んだ英文聖書だろうか?という話もあるが、どうもそうではないのではないか。

    アブラハムの約束はいつ実現したか

     アブラハムの約束は、いつ実現したのか、ということを考えてみたい。
    創世記
     28:13 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
     28:14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
     28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。
     この約束は、実現したのかを考えてみると、父祖たちはどの程度の土地を得たであろうか。唯一あったのは、妻がなくなった時に埋葬する土地ヘブロンの郊外のマクペラの洞穴を手に入れた程度である。  
    創世記
    23:8 彼らに告げて言った。「死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたのおこころであれば、私の言うことを聞いて、ツォハルの子エフロンに交渉して、
     23:9 彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴を私に譲ってくれるようにしてください。彼があなたがたの間でその畑地に十分な価をつけて、私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。」
     ある面で、ヨシュア記で父祖たちの約束が成就している。フォン・ラートという20世紀の旧約学者がいるが、創世記とヨシュア記は呼応関係にあり、モーセ5書とヨシュア記をひとまとめに考えたらよいのではないだろうか、ということを主張している。

     このアブラハムの物語を考える際に重要なところは、イスラエルがその王国を失って、流浪の民となる時に重ね合わせたのはアブラハムの姿ではなかったろうか。ある面、その流浪の民の時に、約束が成就してないことに価値を見出したのではないのか。

      アブラハムは約束としての土地を得るという約束は実現したか? 実は得られていない。キリスト教徒たちは、へブル書にあるように天のふるさとを目指した、と読み替えていく

      子孫増加は実現したか。子孫はイサク一人であり、実際にはかなり怪しいなかその生を終えた。

      氏族によって祝福されたか。地上のすべての民の基礎となる。これこそ、最も重要な約束ではないだろうか。しかし、これを見ることはアブラハムはなかった。

     12章の最初に出てくる全ての民の祝福の基礎となるということは重要である。

    古代オリエント史全体とイスラエル民族
     
     ドイツ留学にあたって楔型文字の研究をはじめ、その後、古代西アジアの文化史研究と旧約聖書の思想への影響をしてきた。

     その中で分かったことは、古代のイスラエル民族は、西アジア全体から見たら弱小民族であり、エジプト碑文の中で、イスラエルは一カ所に出てくるが、それは、メルエンプタファ王の戦勝碑文の中であるが、パレスティナ・アジアの支配の7民族の一つとして最後に出てくる。イスラエルに関する気嬢は限られており、エジプトからすれば、イスラエルは眼中にはない存在であった。

     アッシリア、バビロニアにとっては、アッシリアはエジプトを何とかしたい存在であった。 アッシリアの資料にはイスラエルの記述はたくさん出てくるが、アッシリア帝国が征服していく中の一つとしてしか出てこない。零細民族の一つでしかない。

     バビロニアはイスラエルを支配したがあまり記録はない。文書が発掘されれば、出てくる可能性が大きいだろう。

     ところで、古代の支配者の記述の中に、自分たちは世界の支配者だと主張するものは多く、例えば世界四方の王だといったものは極めて多く、その際の被征服民族名を残したものが多く、征服者の姿としての自己像を描くが、祝福の根源となるといっているものは一つもないといっている。それも、現在の発掘されたものを前提とする限り、ではあるが。

     ところが、そのような大言壮語形の王たちと比べ、弱小のイスラエル民族であるものの、自分たちの存在が世界の祝福の根源となると理解したのは非常に興味深い。自分の歴史を語る時に、人類史を語る際に神に選ばれた民族として何者であるか、ということを考えたといえるだろう。その意味で、別の意味で誇大妄想に近いイスラエル人であったともいえるかもしれない。

     弱小のイスラエル民族ではあったものの、人類史の中での役割を自覚したところが面白いといえるだろう。唯一神を信じるということよりも、神がすべてを支配する神だ、と信じたということが重要であったのであり。全民族の祝福の根源であることを認知していることは印象深い。

     自分たちの世界誌的な役割や位置づけを考えるということは重要ではないか。このようなことを明治の中頃にこのことを考えたのが内村鑑三先輩である。そういうことを考えたときは、教育勅語問題で1891年から7年間、転々としているときである。この7年間に代表的日本人など名著を表している。その意味で、現代に生きる日本人として、神が個人としてのどのようなことをさせようとしているのかを考え、また、日本人全体としてどのように生きようとすることの意義を考えることは重要ではないだろうか。
     ギリシア人は、自己はギリシア人であり、他はバルバロイとして、非常に差別的な目を向けていた。このような考え方が一般的な中で、民族の役割を考えるという観点において、唯一神信仰は大きな役割を果たしたのではないだろうか。


    ということで前半終了

     まぁ、幅広い視点からご教示いただきました。特に、「父と母を見捨てて」結婚して家族を形成する、という観点は、大事だし、また、旧約聖書を遊牧民族の視点から検証してみると面白いことがあるように思うのですが。





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