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2016.01.20 Wednesday

いのちのことば社刊 『隠された恵み』を読んだ(33)

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     今日もフィリップ・ヤンシー先輩の御本『隠された恵み』から紹介していきたい。

    現代社会の風潮
     普通の人々は、日常生活で忙しいし、別に、その分野の専門家でない限り、最新の研究を追っているわけではない。ただ、何かそれが報道されれば、話題についていこうとして、それに便乗した本を読む位である。STAP細胞が流行れば、それに関する本を読み、芥川賞が出れば、一応その人の本を読んでみたりする位である。そのあたりのことに関して、ヤンシー先輩は次のように書いておられる。
     世間一般の人は、哲学的な問いや進化論科学の最近の動向など眼中にない。ほとんどの人が文化の流れに身を任せ、最新の電子機器を買い、流行りの映画やテレビを見、請求書の支払いをし、子供たちをサッカーの練習に連れていく。イエスのことばを借りれば、私たちは「広き道」に生きており、「私たちはなぜここにいるのか」という重要な問いなど、めったに考えない。代わりに、ニュース、ゲーム、スポーツの試合、芸能人たちのゴシップなど、この文化から絶え間なく提供されるどうでもよいもので、落ち着かない心を満たしている。
     私が思春期を過ごした1960年代は、若者の運動が大衆文化の浅薄さに反抗した時代だった。きれいに駆られた芝生に囲まれた郊外の家と、きちんとしつけられた子供たちのいる家庭という夢を、私たちはあからさまに嘲った。人種差別、貧困、戦争といった世界的な問題をどう考えるのか?人生の意味は?(pp.317-318)
     このあたりを皮肉った映画に、『幸せがおカネ買えるワケ』という映画がある。それに関して、別記事 幸せがおカネで買えるワケ アメリカの家族の形 で紹介しているので、詳細はそちらをご覧いただきたい。要するにマーケティングツールになった現実空間で生活を強いられる仮面家族の話ではある。


    幸せがおカネで買えるワケのプロモーションヴィデオ

     『幸せがおカネで買えるワケ』では、車、ゴルフセット、携帯電話、食事、美容機器などなど、様々な商品を郊外に住むある程度の所得のあるご近所の皆さん方に見せびらかせながら、商品をマーケティングしていく現代社会の状況を切り取っているが、そういうものを所有する欲望の中で現代社会でうずまいているということでもあるのだろう。

     ところで、このセレブ依存というのは、一般社会だけではない。キリスト教書業界も、どの社とは言わないが、セレブ依存し過ぎである。テレビの朝ドラ、大河ドラマで、昔のキリスト者が取り上げられれば、それを追っかけ、あたかも自分の仲間がテレビに取り上げられたようにいい、それで特別伝道集会を行ったりもするのである。普段は、その方たちが設立にご尽力をされた学校の現状をけちょんけちょんにけなしているにもかかわらず。そういうのを見ていると、非常につらいなぁ、と思うのである。

     ある方とFacebookでやり取りをしたのだが、1980年中葉くらいまでは、教会に来る若者は、真理を求めて教会に来ていたようだが、ということをおっしゃっておられた。確かに、現代でも若者のうちある部分は、真理を求めて教会に来るかもしれないが、それは案外少ないように思う。現在、こういう心理を求めて生きるみたいな生き方は、ある面、嘲笑の対象にはなりえても、一種の理想とは若者はしていない姿をとるからだ。その嘲笑が、自分たちの中にある真理追求欲求を隠すためであるとしても。

     それよりも、自分たちの小さなコミュニティで具体的に存在する人々とバーチャル空間で『つながりすぎ』といわれるほどでありながらも、つながっていることに喜びを見出しており、自己存在を確認しているということではないか、と思うのだ。

     人間には、何かで埋めたくなる領域があるのは確かだと思う。それは、人間が神のかたちであるからではなかろうか。ただ、現代は、その神のかたちの中にある神がいるべき領域を埋めるものが以前と比べて、たくさんあり、それが入手できやすくなっただけのことであろう。昔は、それを神話や、お話、吟遊詩人や旅の商人、牧師の教会での聞く話でうめていたのが、今はテレビ、ラジオ、CD、アイドルや政治家、スポーツ選手、セレブと呼ばれる有名人のゴシップで埋めたり、スポーツでどちらが勝ったかの結果で埋めていて、神の霊がその領域を満たすべきであるにもかかわらず、そこを別のもので埋めているのかもしれない。これについては本記事の最後で述べる。

     確かに1960年代から70年代は、米国では公民権運動、ベトナム反戦運動、日本では安保をめぐる学生運動、水俣病支援運動など、さまざまな社会問題と対応する動きがあった。




    公民権運動のワンシーン ワシントン大行進の動画

     そういう運動は現在ではあまり見られない。昔、明治大学のお茶の水の校舎前や京都大学の道路際に掲げられていたタテカンはほぼ絶滅状態である。きれいになったと思う反面、もう、そういう時代でもなくなった、ということなのだろうと思う。道路際の見やすいところに、自分たちの主張を掲げたところで、見ることができる人は限られているし、市民への波及効果も少ないことになる。


    京都大学のタテ看板

     そうなった場合、より広い波及能力を持つネットでの拡散をするほうが、より効果的になり、現代はそちらに移っているのかもしれない。それもメディア論的には非常に面白い側面であるとは思う。

    ところで、「若者の運動が大衆文化の浅薄さに反抗した時代だった。きれいに駆られた芝生に囲まれた郊外の家と、きちんとしつけられた子供たちのいる家庭という夢を、私たちはあからさまに嘲っ」ているのが、The Simpsonsというテレビ番組であるが、それを放送しているテレビ局が、FOXという一種保守的なこういう価値観を持つ人々がよく見ていると思われているテレビ局であるというのが、一種の逆説になっている。


    The Simpsons の動画

     社会正義の問題とか、人種差別の問題などは、最近の共和党の大統領候補のある候補者の発言が話題になるものの、それでもその候補者が根強い人気を持っていることなどに現れるように、現代では自分たちの生活の現状をどう維持するか、という論点からしか議論がなされて居り、米国が911前後、というよりは、80年代後半のJapan As No.1の議論が出始めたころから、明らかに以前の余裕を失っているような気がしてならない。

    現代のアメリカ文化
     途上国との対比で、ヤンシー先輩は、アメリカ文化を現実味が欠けている社会になっているのではないか、と批判的にとらえ、以下のようにお書きになっておられる。
    発展途上国への旅を終え、現実味がどこかかけている「進歩した」文化に戻ってくるたびに、私はカルチャーショックを受ける。村の井戸端でおしゃべりしたり、大家族で食卓を囲んだりする代わりに、簡潔なメールや140文字以内のツィッターで「仮想現実上の友人」とやり取りする国に入る。そして、「私たちはなぜここにいるのか」という問いの答えをこの文化の中で見つけるとしたら、笑って、お金を稼ぎ、有名になり、見た目をよくするためらしい、ということだ。(同書 p.319)
     確かに、伝統的な対話のメディアは、その能力が限られているために、非常に狭い範囲の人々を対象にし、その面親密性があるように見える。しかし、その内実は理念的なことが語られる場、思想的なことが語られる場であるというよりは、噂話程度のことが多いことは、電車の中で、中高年のご婦人がたが声高にお話ししておられるお話が耳に入れてくださるので、そんなものではないだろうか、と思っている。そういうときには、電車の中で読書するのをあきらめないといけないのでつらいのだ。
     しかし、この部分を読みながら、思ったのは、仮想現実上の友人と話しているのかもしれないが、その仮想現実の向こう側には、リアルな人間がいるということなのではないか、と思うのだ。この部分を読みながら、仮想現実(AR,VR Artificial Realityあるいは Vertial Reality)の対話を人工知能間でやるとどうなるのか、はたして、炎上と言うものが起きるのか、それとも、一種の社会秩序が生まれるのか、それはどのような条件なのか、ということを実験してみたら、面白いかもしれない、と思ってしまった。まあ、その判定ということは大変めんどくさいことではないか、と思うのだが。まぁ、こういう研究は既にやられているようであるけれども。

     いや、そんなことよりも大事なのは、「私たちはなぜここにいるのか」という問いの答えをこの文化の中で見つけるとしたら、笑って、お金を稼ぎ、有名になり、見た目をよくするためらしい、ということというヤンシー先輩の表現である。まさに、先程、紹介したおカネでしあわせが変えるワケ、で批判的に描かれた世界を自分自身に実現するためだけに生きているのか、ということが問われているように思うのだ。この背景に関しては、次回のヤンシー先輩の本の紹介記事が非常に参考になるかもしれない。実は、目立つこと、称賛を浴びること、たくさん"いいね!"をFacebook上で押してもらうこと、ツィッターでのフォロワー数が大きいことが目的となってしまっている社会は、ある面見られるものになることが大事だという劇場型社会を形成してしまったように思うのだ。 

    乾燥した現代人の心
     ヤンシー先輩は、現代のアメリカ社会(そして、日本社会は、その変形バージョンの一つ)の文化的なひずみについて、次のように触れる。
    現代人は、セックス、富、成功を崇めるセレブ文化の中に生きている。歌手たちは声の質だけでなく、その体型によって人気を手に入れる。(中略)2009年、タイム誌が「世界で最も影響力のある100人」の特集号の表紙に、ビル・クリントンとサッカー選手とレディー・ガガを並べた。そんな浅薄な文化に、私は冷たい目を向ける。しかし今一度見下すような態度をこらえて、その根底にある渇きに注意を向けてみる。そうすることで明らかになるものは何だろう。(同書 p.319)
     アメリカ文化は、ある面、若さをよしとしてきた文化であり、年相応ということを求めるよりは、力とか、若さとか、エネルギーをよしとしてきたように思う。そのため、若さの象徴やエネルギーの象徴的に語られるのがセレブ文化であった。それに乗ってしまってろくでもない虚偽で人生を飾っていった一人の人物の物語として、Catch Me If you canという面白い映画がある。1950年代から70年代的な背景で、以下にアメリカ文化がFake(エセ)文化であり、Goldではなくて、Goldに見える(Golden)で良しとしたかということが分かる映画でもある。


    Catch Me, If You Canの予告編

     ここで、ヤンシー先輩は、「その根底にある渇きに注意を向けてみる。そうすることで明らかになるものは何だろう」と問うておられるが、それは、人間が神のかたちであり、そこ神のかたちの中にある神(あるいは神の霊)が臨在する領域をガラクタで埋めているということなのだと思う。本来、神のかたちが持つ神の霊が満ち満ちるべき領域を他人の意志や、他人が期待する姿になろうとして、自分自身に自信が持てないものの、しかし、そこが満たされていないという焦りや気付きから、それを別のもので埋めているのが現代人なのかもしれない。

     ライト先輩は、「クリスチャンであるとは」という本の最初の部分で、それを泉とその水、ということでお示しになられた。このメタファーは大事だと思うのだ。そして、神から与えられた泉とその水で埋めることで、初めて、人間は、神が造られし神のかたちとしての生き方を回復するというのがライト先輩のあの本でのご主張である。翻訳者の上沼昌雄先輩のお話をどこかでお伺いしたときに、この本は、ある面「人間であるとは」ということに関して、クリスチャンの視点からN.T.ライトが描いた本だとおっしゃっておられたことを記憶している。それがどこでのご発言だったのかは思い出せないのであるが。

     まぁ、そもそも、「人間とは何者か」という問いは極めて哲学的な問いであり、そう簡単に答えが出るものではないし、だからこそ、ギリシア以来数千年の長きにわたり、洋の東西で、宗教者も、信仰者も、哲学者(必ずしも本を出す人々だけが哲学者だとは思っていない)も考えてきたのである。また、「神のかたちとは何か」という問いもそう簡単に答えは出ない。福音と世界2014年6月号は、それに関する論考がなされていた特集号でもあったが、まぁ簡単に答えの出る問題でもない。こういう簡単に答えの出ない問題を、だらだらと考えるのが好きなので、いまだに考えて続けてはいるが。なお、福音と世界2014年6月号は、非常に良かったと思っている。

     それが何かがわからなくても、人間自身が、若さを追及したり、永続もしない権力を追及したり、無駄な努力を古今東西してきたことからわかることは、人間は何か自分の内にある空虚さを埋めずにいられない、ということなのだと思う。だからこそ、依存症に走るのではないだろうか。


    映画 お買い物中毒な私 の予告編

     今日は、なんかお買いもの映画特集みたいになってしまったが、それが現代アメリカ社会でもあり、そして、それが日本社会においても反映しているのだと思う。もうすぐバレンタイン先輩記念日ではあるが(一応バレンタイン先輩は、カトリックの聖人リストからは排除された模様)、この時はある面、人間の心の渇きが一気にチョコレートにより表現されるのが、日本社会だと思うし、その辺、ヨーロッパのお菓子職人の皆さんもきっちり心得ていらっしゃって、大挙して日本で荒稼ぎをされるご予定の様であるが、なんだかなぁ。


    古代のバレンタイン先輩


    バレンタイン先輩(上下両方とも)

    まだまだ続く



     
    評価:
    N・T・ライト
    あめんどう
    ¥ 2,700
    (2015-05-30)
    コメント:大絶賛中

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