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2009.09.11 Friday

信仰告白とバプテスマの間

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    信仰告白とバプテスマの間

    いつも愛読している水谷潔さん(小さないのちを

    守る会代表)のブログ「命と性の日記〜日々是命、

    日々是性」に、高校生の本音として「バプテス

    マを受けたのだから、信者らしく○○して欲しい

    とか、○○してはいけない、とか言われるからバ

    プテスマを受けるのは・・・」といった内容が書かれ

    ていて、中高校生たちが信仰告白するものの、バ

    プテスマにつながっていかない問題を書いておら

    れた。

     詳細は、http://blog.chiisana.org/?eid=1255668

    を参照してください。

     使徒行伝の記事、あるいは福音書の記事を見る

    限り、本来、バプテスマと信仰告白ということは

    基本的に機を一にするはず。

     しかし、最近読んでいるキリスト教典礼史の本

    などによると、ローマ時代(使徒時代の直後の教父

    時代)には、キリスト者となるということが、一種

    の特権というか社会的ステータスというか(日本語

    に訳し難いが英語で言うとプリビリッジ)であった

    ことなどもあり、信仰告白とバプテスマの間に相当

    の期間がおかれたことが分かる。一種のテスト期間

    がおかれたようである。誰でも、彼でも信者にしな

    かった当時のキリスト教会の見識は見識としてあっ

    て良いとは思う。

     しかし、上で紹介した高校生のバプテスマに踏み

    切れない理由をみると、問題は教会側の審査がバプ

    テスマを受けさせなくしているではなくて、教会側

    の風紀委員的態度が高校生や中学生を教会から遠ざ

    けている点だと思う。

     隅谷三喜男氏は、卒業信者の問題を取り上げたが、

    これでは、入学辞退信者が量産されているのではな

    いかと私は思ってしまった。

     最近、福音書のイエスの言動をよく読んでみると、

    キリストは倫理的な行動基準についてはあまりうる

    さく言っていないことが分かる。もちろん、罪を犯

    さないように、避けるようにとはいっている。悔い

    改めよともいっている。神のもとに帰れ、といって

    いるが、それ以上のことは要求していない様に思う。

    イエスは、弟子たちが誰が偉いか、という議論をし

    ている時に、一人の子供をイエスの前に立たせ、こ

    の無力な子供を受け入れるものは、神を受け入れる

    ものだと話をしている。

     このとき、イエスは、この子供について、風紀

    委員のように髪型がどうの、行動がどうの、服装が

    どうの、とかいうようなことはいっていないような

    気がする。ありのままの子供を受け入れることがで

    きるかどうかが、あなた方の信仰を決定付けるので

    はないか、と弟子たちに問いかけている。

     教会が、19世紀的倫理観、日本に大量にキリスト

    教福音派の伝道が行われた時代の1960年代前半以

    前のアメリカ中産階級の倫理観を維持し続け、それ

    を、中学生・高校生に要求し続けるなら、キリスト

    教会の未来はないのではなかろうか。「老兵は死な

    ず、ただ消え行くのみ」といったマッカーサーのよ

    うに消え行くことをよしとするのも一つの見識かも

    しれない。

     この夏、賀川豊彦とその発言について考え続けて

    いる。



     「日本の神学は一体理屈が多くて六ヶし(難し)

     過ぎる」

     「今日の教会には一向に行きたい気がしない。

     感傷的(センチメンタル)な連中のみが徒に

     多くて、少しも心を引きつけられない」

     「信仰とは主知的に教条を鵜呑みにすること

     ではない」

        (以上:出典 太田出版 季刊 at 15号 )


    という賀川の批判にどう答えるのか、個人的に問わ

    れています。答えは見つかっていないけれども。

     賀川に関係するの本を読む中で、横浜バンドの関

    係者の植村正久が

     「我輩の教会に車夫、職工の類はいらない」

     (出典 太田出版 季刊 at 15号 )

    といったという記事があったが、キリスト教会が暗黙

    に漠然とした理念形として持っている都市中産階級の

    生活理念形というか理念形としての行動規範や倫理観

    が、中高生の救いを妨げているとしら、どうなのだろ

    う。

     現代のこのような教会の姿を見ると、イエスは鞭を

    持って大暴れし、机をひっくり返して、現代の教会で

    大激怒するのではないか、と思う。白く塗った壁、と

    批難されるかもしれない。この批判、この怒りが自分

    に向けられたものであるとも思う。

     今しばらく、この問題と取り組んでみよう。

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