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2015.12.05 Saturday

いのちのことば社刊 『隠された恵み』を読んだ(14)

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    今日も引き続き、フィリップ・ヤンシー先輩の『隠された恵み』から紹介しつつ、考えてみた事をご紹介してみたい。今日はキリスト教におけるダブルメッセージの問題についてである。

    言行不一致のキリスト教
     個人的には、自分自身もそうであるが、言行不一致と言われても仕方がない面があると思う。その意味で、ヤンシー先輩がご指摘の事がミーちゃんはーちゃんにはそのまま当てはまると思う。
     ダブルメッセージとは、言語によるメッセージと非言語によるメッセージが矛盾するコミュニケーションの事である。つまり、言っていることとやっていることがあまり一致してないように見えながら、言われたことをしないといけないという状況の事である。実は、キリスト教会はこれを発しているのではないか、ということである。つまり、パリサイ人と同じようになっているのではないか、という問題である。(隠された恵み p.123)
     他者を愛するのが、キリスト教である、といいながら、他者を愛していないミーちゃんはーちゃんがいる。その意味で、ダブルメッセージ(ミーちゃんはーちゃん注: ダブルバインドメッセージのこと)を発信し続けているというご批判は甘んじて受けたい。そして、それがどうにもならないことをも正直に告白したい。努力はしているけれども。

     しかし、それを含めて、個人的にはキリスト教ではないか、と思うように最近はなっている。この度毎に、ユダヤの民を思い起こすことにしている。彼らは神に愛された民であり、神と共に歩んだ民ではあるが、度々神を離れ、そして、そのたびごとに神に戻っていった民であったのである。出エジプトでは神がともにおられながらも、不平を口にし、エジプトにいた方が良かったといい、約束の地に入りながらも約束の地で神と共に生きることをせず、隣国のように王がほしいといい、挙句の果てに軍に頼り、他国と協定を結び、神が与え給うた約束の力捕囚され、それでも戻ってき、そして、なんとなく怪しげな王に頼り、本当の王を迎えることなく終わってしまった残念な人たちであったように思うが、しかし、神のイスラエルへの誠実さというのか、人格的関係は変わらないように思う。

    世界に対して影響力を持たなくなっているキリスト教
     善行をすることは、キリスト教の専売特許ではないし、善行することが、善行する人になることがキリスト教の目標でもない。それは、個人的には付随的なことだと思っている。しかし、善行の結果に関して言えば、有無を言わせない結果をかなりの人々にもたらすことも間違いではない事実である。そのあたりに関して、ヤンシー先輩は、またまた尊敬するハワーワス先輩の引用をしながら、次のようにお書きである。
     私たちの発するどんな言葉も無効にし、人々から「良き知らせ」を運ぶものとしてみられなくする落とし穴について、一言注意しておかなければならない。自らの人生で真理を証明しなければ、クリスチャンが信じているものを伝えようとしても、口先だけの営業トークのように聞こえてしまうだろう。『タイム』誌が”米国最高の神学者”と読んだスタンリー・ハワーワスはその問題を的確に表現している。「クリスチャンに突き付けられている課題は、自分の言っていることを自分自身が信じていないことではなく―もちろん、それも問題なのだが―、公言しているその”信じているもの”が、教会にとっても世界にとっても大した影響力をもたらしていないように見えることです。」(同書 p.124)
     なぜ、TVCMで「効果は個人の感想です」というクレジット付きで、健康食品や機能性食品のCMが流れるのだろうか。それは、もちろん薬事法という制限があるからではあるのだが、それ以上に、個人で聞いたといわれれば、ひょっとして自分にも、と人が思うからであるではないだろうか。お昼のテレビ番組で、サンプル数3の食品の機能実験でサンプルのうち2がダイエットに成功したと放送されれば、リンゴやチョコレートやきな粉がスーパーの棚から一挙に消えるのが現代という時代である。実際の効果を主張する人、現実を見せることほど説得力を持つことをマーケティング関係者や広告関係者が知っているからこそ、彼らはその手法を用いるのではないだろうか。

     あるいは、なぜユニクロのアルバイトはユニクロの服を着なければならんかといえば、彼らが生きているマネキンであり、彼らの口コミが有効であるからに他ならない。ちょっと、ミーちゃんはーちゃんの勤労者と企業の間の距離感覚には引っかかるけど。

     最下部で、スタークという人の『キリスト教とローマ帝国』という本を紹介している。この本は、計量社会学的な手法(もう少しよい手法があるのではないか、という点で少し疑問があるけれども)を用いて、キリスト教が初期段階において、病者や乳幼児のケアをしたことがその後の成長にとって重要であったか、 ということを示した書籍である。

     しかし、ハワワース先輩も、ものすごく厳しいことを言っておられる。つまり、「(教会が)公言しているその”信じているもの”が、教会にとっても世界にとっても大した影響力をもたらしていないように見えること」とまで言っておらえる。



    同様の内容を講演するハウワワース先輩の動画(長い)

     例えば、キリストの復活とか、神の子であることとか、聖餐の問題とか、神の国(神の支配)が存在するとか、主の祈りの中で言われている「御国が来ますよ うに(神の支配がこの地に及びますように)」ということを本当に信じているのだろうか、まぁこういう根源的な問題にかかわることなどにまで自分自身に本当 に影響を持っているのか、ということは少し考えてみた方がいいかもしれない。そして、それが、世界にとっても影響力を持っているのか、ということに関して も。

     もちろん、商業化されたクリスマスや、商業化されたヴァレンタインデー、最近日本でも商業化されかけているイースターなどの商業科 的な影響がどうのこうのという表面的なことではなく、自分たちが信仰を持っていることが社会にどういう影響を持っているのか、ということを考えてみた方が いいとは思うのである。

     西洋諸国における人道主義はキリスト教由来である。しかし、ヨーダー先生によれば、コンスタンティヌス化したキリスト教になる中で、キリスト教も変容していった。個人的に思うのは、教会も変容していくと同時に、キリスト教の影響を受けて西洋社会が変容していったように思うし、その変容していくなかで、教会がしてきたことを国家や組織がその教会の機能の一部を代替していった(ある面、取り上げていった)ことも確かにそうなのではあるが、しかし、では、キリスト教は社会に何を提供しようとしているのか、ということを問うことは全く無意味ではないと思うのだ。単なる模範や”文明”と呼ばれるものが作り出したものを提供することではない、とは思うが。

     アフリカ人の伝道者が話してくれたことが、ある面参考になるかもしれない。日本では、考えがたいことではあったが、アフリカのザンビア付近ではキリスト者男性は、結婚相手の候補として、かなり人気が高いらしい。なぜかというと、暴力を妻に働かないから、という素朴な理由、家庭内暴力で妻が夫によって殺されないからという理由、であるらしい。キリスト者男性が結婚相手として望ましいとされる、この理由も壮絶であるが、ある面、アフリカでなぜキリスト教が伸びるのか、アフリカ社会の中でキリスト教が文化的な変容をもたらしつつある一面でもある(まぁ、明治のころは日本でもこれに近かった部分がないわけではない)。

     しかし、同時に、アフリカ人にしてみれば、野蛮な戦争や武器、重火器を持ち込んで戦争や虐殺を教えてくれたのも西洋のキリスト教国ではある。なぜ、民族紛争をするのか、と言われれば、植民地にしてもらったときに、そのやり方を教わったから、ということになろうし、ダーシュと呼ばれるISIS団の皆さんが、イスラムの法に反することを平気でやる手段を持ったのも、米軍の皆さんが持ち込んだ武器をお借りでき、その使い方が簡単だったからだ、ということになりかねない。

    ある社会調査の結果から
     まぁ、アメリカ社会、特に1960年代から70年代にかけて大きく変容したアメリカでは、こうなっているだろうなぁ、と思う。まぁ、Born Again体験にしたって、何度もBorn Againしてもらうのが、大衆伝道なので、それがどこまでBorn Againなのか、何を持ってBorn Againするのか、という問題もあるとは思うが。大体、キリスト教徒かその影響にある人が多数を占めるアメリカ的コンテキストにおいて、そういう人々を集めておいて、「今日、回心した人」って個人的にはどやさ、って思います。はい。
     アメリカ人のそのあたりの感性に関する調査をヤンシー先輩は次のように引用しておらえた。
     大学生対象の世論調査で、「『キリスト教』という言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶことを書いてみてください」という問いかけに対して一番多かった回答は、「説教で言っていることを実践していない人たち」だった。バーナグループによる調査は、警告するようにそのことを裏付けたのだ。
     過去1か月にどのような活動をしたかと尋ねられたら、新たに信仰をもち”生まれ変わった”人々も全く同じように、かけ事やギャンブルをし、(中略)
     宗教に距離を置く若者の84%が、熱心なクリスチャンを一人は知っているという。しかし、そうしたキリストの弟子たちのライフスタイルが世間一般のそれと大きく違うと考える人はそのうちの15%に過ぎなかった。(p.124)
     まぁ、日本でも似たようなものかもしれない。でも、ライフスタイルは世間一般のものとあまり変わらない、というのは、それはそれで健全なのかもしれないと思う。というのは、先日読んだ、シベリアで40年以上隠れて暮らした家族の話の記事のような生き方を普通、人間はできないように思うからだ。

     完全に社会と異なる立場をとってしまえば、孤立国のように、一種の社会との遊離が生じてしまい、社会との間に壁を作ってしまいかねないからだ。

    アメリカのキリスト教周辺の若者と一般との違いは・・・
     以下で、ギャラップ社の創業者でもある初代George Gallupの息子さんのGeorge Gallup Jr.(2011没)という御仁がいて、若者の行動と宗教にかかわる内容の意識調査をした方の調査結果と思われる結果を引用し、その後福音派の左派のSider(リンゴから作る発泡酒Ciderではない)の発言を拾って、ヤンシー先輩は、結局キリスト教である意味が現代社会において問われているのではないか、というご意見を述べておられる。
     クリスチャンの離婚率は、一般社会の離婚率をそのまま反映している。身体的・性的虐待の発生率についても同様だ。十代のクリスチャンの不特定多数との性交渉率は、わずかに低いだけである。(中略)ジョージ・ギャラップの調査によると、カトリック教徒の妊娠中絶件数は国の平均を上回っている。ある取材に対し、サイダー(引用者註 The Scandal of the Evangelical Conscienceの著者 福音派左派の人だと思う)はこう述べている。「初期教会の時代、クリスチャンの生き方の高尚さに驚嘆した人々がキリストへと導かれました。それなのに、現代の私たちクリスチャンは偽善によって未信者を遠ざけています。」(同書 p.125)
     まぁ、アメリカ人学生を間近に見た経験や彼らから聞いた話から言ってもそんな感じだと思う。とはいえ、主に相手をしたのが、脳天気な西海岸の大学生であり、彼ら自身はある面で真面目であったとは思ったが、日常生活ではかなりお気楽でカジュアルな学生しか見ていないので、何とも言えないが。中西部だともうちょっと保守的な気もする。西海岸(ワシントン州とカリフォルニア州)では、割と開放的というのか、リベラルなところも文化的にはあるので、保守的な人々は奇異に見えてしまうというのはあると思う。

     アメリカでは子連れのヤングママがそのまま居られる教室などが高校に配備されている高校も割と普通にあるらしい。ただ、こういう高校生は、基本的に高校から中退Drop Outするのが通例であるといわれている。高校から中退すると、就職先があまりないので、貧困のスパイラルに直結していくことになる。


    George Gallup Jr.さん

     福音派左派のサイダー先輩の引用「初期教会の時代、クリスチャンの生き方の高尚さに驚嘆した人々がキリストへと導かれました。それなのに、現代の私たちクリスチャンは偽善によって未信者を遠ざけています」は実に痛かった。
     
     以下の動画では、その事とほぼ同内容の事がサイダー先輩の肉声で聞ける。ありがたい時代になったものだ。動画は、Interversity Press提供である。


    Ron Sider先輩 InterVersity Pressの本Letters to a Future ChurchのプロモVideo(短い)

     なお、初代教会時代の事についてお知りになりたければ、下記に紹介する『キリスト教とローマ帝国』をご覧いただくと同時に、古代教会の時代の生き方と信仰そのものを保存しようとした、ギリ シャ正教についての書籍『ギリシャ正教』もご覧いただきたい。この本で、個人的に、「西方(日本で多く知られている西洋諸国の)キリスト教は宗教だが、正教会のキリスト教は、生活の事である(大意)」には、非常に驚きを覚えるとともに、自らの無知と無自覚を深く感じた。

     ある面で、生活にまでなったキリスト信仰の姿ということとそれがもたらすものという意味とその強さ、ということとその意味を最近は少し考えている。

     まだまだ続く。


     

    評価:
    フィリップ・ヤンシー
    いのちのことば社
    ¥ 2,592
    (2015-11-05)
    コメント:お勧めしております

    評価:
    ロドニー・スターク
    新教出版社
    ¥ 3,456
    (2014-09-19)
    コメント:是非、お勧めしたい。

    評価:
    高橋 保行
    講談社
    ¥ 1,080
    (1980-07-08)
    コメント:古い本だが、非常に良いと思う。

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