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2015.11.09 Monday

いのちのことば社刊 『隠された恵み』を読んだ(3)

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     これまでの過去記事に引き続き、今回のヤンシー先輩の本『隠された恵み』からご紹介していきたい。まず、今回の話は、キリスト者がポスト・クリスチャンの社会の中で、どういう扱いを受ける存在になっているのか、をヤンシー先輩がお書きとめになった部分からである。

    壊れたスピーカーから流れる割れた音楽…
     以下の部分で、ヤンシー先輩は結構厳しいことをお書きである。
    (発展途上国などで非常な過酷な環境の中、人々に仕えている神の民、クリスチャンを訪問する ミーちゃんはーちゃんによる注記)旅から戻ると、自分の国の人々がクリスチャンの悪口を言っていることにショックを受ける。同じ音楽でも「ポスト・クリスチャン」の耳には、壊れたスピーカーから流れてくる割れた音のように聞こえている。(『隠された恵み』p.22)
     これ、あるんだなぁ。たとえば、クラッシック音楽でも、演奏者(あるいは指揮者)によって音楽の解釈が違うし、聞く手段(FMで聴くのか、AMで聴くのか、ネット放送で聴くのか、あるいは、ラウドスピーカーで聴くのか、・・・・)に拠っても印象が異なる。仮に、同じCDやレコードなどの音源でもスピーカーやヘッドフォンなどが変わると違う印象を持つ。それと同じように、聖書が伝えようとしているナザレのイエスが神であり、王であり、キリストである、そして、神はわれらとともに居ようとしておられる、という基本的なメッセージは同じつもりであっても、その表現の仕方によって受け取ってもらえるものも受け取られにくいのかもしれない。

     この部分は、N.T.ライト先輩の『クリスチャンであるとは』(原著 Simply Christian)の第2章の水道のたとえとパラレルであろう。もともと、清らかで人に喜ばれるような泉の新鮮な水を供給していた水道が、メンテナンスの不良やその後付いてしまった様々な不純物の結果、とても飲める水のようでないものになったという記述である。

     ところで、世の中は、パッケージいのちの社会である。パッケージングを間違えれば、売れるものも売れないのである。中身の質とは関係なく、パッケージがものを言うのである。まさに、国際的バイオリニストがNYの地下鉄で、無名の音楽家のふりをして演奏していたら、気がつくのは子供だけである、という事実もある。人間の認知と認識は、パッケージで安易に支配されるのであり、案外余分な知識がその支配を生みだすのである。個人的には、うまいもんはうまい、のであり、あんまりパッケージに惑わされたくはないと思っているが、そういう人は少ないのかもしれない。




    威圧的な人間と理解される福音派
     まぁ、福音派の人々はジョナサン・エドワーズ時代以来(ジョナサン・エドワーズに関してはこちら 福音派が生まれたころの世界むかし話(3))伝統的に罪の裁きを語る人々が多い。まぁ、罪の問題は神の目から見たら許されざることではあるが、それはあくまで神の目においてであって、それを人間が他人のことを云々するのはいかがなものか、とも思う。
     罪を語る福音派の人々は、口やかましい威圧的な人間という印象を与えている。(中略)だいたい何が真実であるかを、だれが断言できるというのか。豊かな国に暮らし、この世を楽しむことに熱中している人々は、死後の世界に無頓着だ。そして、宗教こそが狂信主義や戦争の主な原因であり、すべての宗教を悪い知らせとして非難する新たな無神論者も出てきた。その人たちは、人類がいつか宗教を必要としなくなる日を待ちこがれており、その中には、9.11の暴虐を”信仰に基づいた出来事”と呼ぶ人もいる。(同書 pp.22-23)
     しかし、ここで、ヤンシー先輩がお書きになられたように確かに威圧的な人々もいる。こういう人は、本当に確信犯的に下記の写真のような顔をして自分が好きにさばいていいと思っておられた方もおられるようだが、そのさばいた刀で自分もさばかれて、三枚におろされてしまった方もおられたようである。段平はあまり派手に振り回さぬほうがよいようである。


    確かに威圧的に他人の同性愛を哄笑的にさばいたテッド・ハガード君
    そして、後年、自身の同性愛が暴かれてしまって、困ってしまった模様

     とはいえ、死後の世界に無関心だ、というのは、確かの近代合理主義、観測主義、科学主義の背景にある唯物論がそういう性格を持つので、仕方がない。そもそも、自分自身で両手両足を縛っておいて、その中でしかものを考えないのが、近代合理主義、近代観測主義、近代科学主義であったし、であるがゆえに、クォークとか、量子力学みたいなものは、その概念が主張されたころには哄笑されたし、従来の概念でないものは哄笑された。とはいえ、それが間主観的に確認されれば、その存在を認めるというところは、科学の良さではあると思うが、大概の場合、地震の観測手段に縛られているという意味では、科学には限界があるが、それがその業界の標準なので、致し方のない部分ではある。

     上記の文章で、

    宗教こそが狂信主義や戦争の主な原因であり、すべての宗教を悪い知らせとして非難する新たな無神論者も出てきた。

    という記述があるが、これは、昔からある非難の一つである。ところが、実際の紛争を仔細に見ていると、おおむね、何らかの不平等な扱い(それは、経済的、政治的な扱いの結果であることが多いが)があり、その不平等な扱いを実施するためのわかりやすい識別子として用いられるのが宗教というだけである。その意味で宗教が単に区別する要素として利用されているということだと思う。

     また、すべての狂信主義は宗教由来だということでもない。近代の例でいえば、ナチスドイツは宗教というよりは、自国中心主義が核であったし、明治維新も、神道による狂信というよりは、自国の伝統的思想や天皇中心主義は手段として、現状を変革するためのわかりやすい識別子ということだけであった。そのため、尊王は残すが上位は捨てている。その挙句の果てに、明治維新は、のちにそれは天皇崇拝と自国中心主義として結実する。一種の歪んだ中華思想であったと思う。政治的な主張でも、狂信主義は生まれるように思うのだ。アジア圏における一種の過激な反日思想も、経済的な不振のルサンチマンというか、はけ口としてものであり、宗教的な背景はかなり薄いと思う。

     アメリカに対する戦争状態を生み出した911事案は、アメリカに裏切られたアフガニスタンやその隣接諸国、とりわけ石油などの戦略的資源を産出しえないがゆえに、貧しさを抱えたイスラム諸国圏のなかでも、経済的利益あるいは権益の点で、その配分にあずかれなかった人々のやけっぱちの反動という側面もあるように思うのだ。それを単純に宗教的なものであるとするのは、あまりに短絡的であり、単純化し過ぎであると思う。むろん、宗教的な要素が皆無だとは言わないが、それに帰するのは、あまりに単純化された議論でしかない。

    ポスト・クリスチャン
    ポスト・クリステンドムの西欧

     たまたま、中東に近く、イスラム世界からは地理的な要因(地中海、アドリア海、アルプス、また東欧の地峡帯)で移動が阻まれていたイスラム世界からの移動が制約されていた西側のヨーロッパは確かにヤンシー先輩がお書きのように長らくキリスト教の中心地であることを歴史的には続けてきた。まぁ、クリステンドムが成立・継続していた地域である。

     歴史上長くキリスト教の中心地であったヨーロッパでは、信仰について考えもしない人が多い。フランスと英国で撮ったアンケートによると、神の存在を信じている人は3分の1もいるかどうかだ。フランスを訪れたとき、フロリダで伝道活動をしたことのあるキャンパス・クルセード(現在はCru)のワーカーと話した。クリップボードを片手に、見ず知らずの人に歩み寄ってはこう尋ねたという。「死んだときに神様に、お前はなぜ天国に入れてもらえるのかと聞かれたら、何と答えますか。」フロリダでは様々な答えが返ってきたが、フランスでは空虚なまなざしを向けられたという。フランス人に同様の質問をすることは、ウルドゥ語〔訳注:パキスタンの国語であり、インドのイスラム教徒のことば〕で話すようなものだった。(同書p.23)


     まぁ、ヨーロッパがキリスト教について、また、信仰について考えないで済んでいる背景には、これらの国では文化としてのキリスト教になっている場合と、また、国家を支配したキリスト教や文化の中に入り込んでしまったキリスト教をテロルさえ用いながら否定しようとした背景と、近代を支配した価値観が大きな価値を持った国家とか、さまざまなことがあるかもしれない。

     ここで挙げられているフランスとカトリックを中心としたキリスト教は、実に非常に複雑なのである。そもそも論として、教皇をアヴィニョン捕囚してみたり、政治的な枢機卿(三銃士では敵役)がいたり、フランス国内のみならず、当時のフランス領であったフロリダやルイジアナ(ルイ国王の土地、という意味)といったアメリカでもユグノー(改革派の皆さん)を殺戮しまくったりという黒歴史があるうえに、第1次、第2次世界大戦際の調停役を期待されながらも、うまく機能しないし、個別の例外的な事例はあるにせよ、政権支持に回る気骨のない教会の姿を見せられたら、そらぁ、文化として生き残ってくれるのは構わないけどなぁ、という雰囲気になるのは、わからなくはない。まぁ、これまでのキリスト教がフランスにもたらしたものを考えるとき、冷たい目を向けられても仕方がないところがある。この辺、歴史にしみついたキリスト教の汚点のネガティブさが身体や思想の伝統にしみついている部分があることはいなめないと思う。

     まぁ、アメリカ建国も、こういうめんどくさい過去の黒歴史を清算あるいは決別したくて始まった部分(とはいえ、現代的な観点からは完全に決別ともいえないので、時に問題が宗教的理解にかかわる政治問題として浮上したりもするが)もあり、フランスほど血まみれな歴史(イギリス人曰くBloody History)を経験してない分だけ、こういうことに関する議論が延々と続く部分もアメリカ合衆国ならではのような印象もある。


    非常に政治的でもいらしたリシュリューさま

    米国でのクリスチャン文化と一般社会
     前回の連載で、アメリカ人は、1セントコインから100ドル札まで1955年以降、法律でIn God We Trustと表記することが定まって以来、すべてのコインや通貨にこれが刻まれていたり、裁判所の壁には、In God We Trustはかかれているほどであり、キリスト教が影響を持ち続けている米国社会で、ヤン氏―先輩の次の一文『米国では、クリスチャンと一般社会の文化の隔たりは際立っており、そんな中でもクリスチャンは米国でそれなりの力を持ち続けている』にはちょっとびっくりした。

     米国では、クリスチャンと一般社会の文化の隔たりは際立っており、そんな中でもクリスチャンは米国でそれなりの力を持ち続けている。クリスチャンの中には、自分たちとは異なる人々に厳しい裁きを下すことで、その隔たりに対応している人々もいる―福音派の人々が好ましくない評判を得ている理由の一つである。そのような評判を聞くと私は縮こまり、自分の信仰について大概黙りこくってしまう。そのどちらの態度も健全とは言い難い。
     イエスは弟子たちに、乾いている世界に神の恵みを届けるという途方もない特権を与えた。私はその恵みにたっぷり漬かった一人として、さまよう世界に恵みを差し出したい。私たちはどうすれば背を向けている文化に、真の良き知らせを伝えることができるのだろうか。(同書pp. 23-24)

     たしかに、キリスト教文化は支配的(それなりの力をクリスチャンは持っている状態)であるものの、ユダヤ教徒も一定程度おり、また、キリスト教を意識しない一種無神論的な生き方が許容されているものの、日本よりはよほどメジャーであるからだ。教育から消費社会にいたるまで、よほど影響されているが、しかし、非キリスト教的な伝統もアメリカ社会に入り込んでいることも事実である。

     この部分を読みながら、ある面、あぁ、あるあるだなぁ、と思ったのは、自分たちとは異なる人々に厳しい裁きを下すことで、その隔たりに対応している人々もいる―福音派の人々が好ましくない評判を得ている理由の一つである という部分である。イエスは、ご自身に意見を求める人々に、だれがわたしをあなた方の裁判官や分配者に立てたのか(ルカ12章)でおっしゃって、このようなことを避けたにもかかわらず、異なる理解の人々をさばくことで、聖書と社会の間の隔たりに対応しようとされた方ではなかったようである。このあたりの指摘は極めて重要ではないか、と思った。こういうことを素直に認めることはかなりつらいがヤンシー先輩がしておられるように、個人としても過去から現在に至るまで、こういう好ましくない評判を得かねない言動があったことは、認めざるを得ないとは思う。

     ところで、ここで乾いている社会という記述を見ながら、ナザレのイエスが言った『いけるいのちの水」というメタファーやSimply Christian『クリスチャンであるとは』第2章の水道のたとえなどを思い起こしてしまった。ところが、この渇きが標準とされており、それに耐えることをよしとする近代社会という問題があるように思う。つまり、近代という社会においては、乾いていることを善とし、当然とし、乾いているという認識を持つことすら容認しなかった社会、日本社会も同様な部分があるが、そのことに興味すら、関心すら向けない現代人にどのようにこのいける水を提示するのか、というのは大きな問題かもしれない。


      次回へと続く。





    評価:
    フィリップ・ヤンシー
    いのちのことば社
    ¥ 2,592
    (2015-11-05)
    コメント:絶賛ご推薦いたしております。

    評価:
    ジェイムズ バード
    教文館
    ¥ 1,944
    (2011-03)
    コメント:めちゃめちゃ読みやすくて、面白い。

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