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2015.11.04 Wednesday

いのちのことば社刊 『隠された恵み』を読んだ(1)

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     この本、めちゃくちゃよい。そして、おそらくであるが、N.T.ライト先輩がなぜ、アメリカの福音派にこだわり、なぜ、”Simply Christian”(日本語版『クリスチャンであるとは』)を書いたのかの背景がよくわかる本である。あるいはスコットマクナイト先輩が”King Jesus Gospel” 日本版『福音の再発見』を書いたのかの背景がわかる非常に重要な本だと思うので、読みさしながら、ジワリジワリと紹介していきたい。一通り目を通してから、紹介する、というのが当ブログのポリシーであるが、そのポリシーをガン無視しても紹介したいと思ったので、例外的であるが、ご紹介する。尚、紹介冒頭から、もはや、長期戦になることを覚悟したので、シリーズ化を決定しておいた。

    本書が描かれた背景

     ところで、本書は4部構成になっているが、その構成を紹介しつつ、冒頭の『はじめに』(たぶん英語では、Preface)からこの調子である。現在、第3部に入ったあたりである。
     教会は、恵に乾いている世界に恵みを伝えるという使命を与えられているが、その仕事に失敗しているのではないか。そうした思うから本書を書く決心をした。世論調査によるとクリスチャンは良き知らせを運ぶ人々として見られる傾向がますます強まっている。(第1部)
     恵みを上手に伝えるには、どうすればいいのか。その手本を探りながら、信仰の旅人、活動家、芸術家という三つのモデルに行き着いた。彼らの生き方から、信仰に背を向けている文化に恵みを伝えるすべが見えてくる。(第2部)
     それから一歩引いて、クリスチャンにとって当り前の問い、すなわち「福音は本当に良き知らせなのか」という問いを取り上げる必要を感じた。そして、福音が本当に良き知らせであるなら、科学、ニューエイジ、その他の宗教が提供するものとの違いは何なのだろうか。(第3部)
     最後に、クリスチャンは多様な世界で混乱を招く役も演じており、それが信仰の大きな躓きになっていることに短く振れる。政治に関与しているせいで、クリスチャンはすべての人に向けられた良き知らせのメッセージをかき消してしまった、と多くの人は思っている(以下略)(第4部)
    (『隠された恵み』 いのちのことば社刊 pp.9-10)
     つまり、ポストモダン社会に一足先に突入したことを認識しているアメリカ社会(モダニスムの根源地のひとつであり、モダニズムの中で、国家を大きくし、そして、日本はこの国との関係を明治維新以来続けてきたので、カッコだけはモダニズムを経験した)でのキリスト教に関して、どのような現象が起きているのか、とそれがどこから来たのか、をアメリカという福音派の最大土壌の現場に立ちながら、その問題を紹介している。

     その意味で、本書が指摘することは、現代の日本社会で直面しているはず(そのことをとらえきれていないキリスト者は多いかもしれないが)のことであり、あるいは、これからそれに直面することが求められていくときに、日本のキリスト者(特に福音派のキリスト者)がどのように考えるべきかの、示唆を与える本であるといえよう。

     こういう本やTim Keller本を出すいのちのことば社は、個人的に好きである。その意味で、基本的に変な本もいっぱい出すけど、ときどき、こういうきちんとものを見ている本を日本語で出してくれるのはありがたい。

    アメリカでも嫌われる福音派
     本書執筆の動機として、ヤンシー先輩は次のように書く。

     本書をかこうと思ったのは、宗教専門の世論調査機関ジョージ・バーナグループを見たときに、見過ごし難い統計の数字が目に飛び込んできたからだ。1996年、特定の宗教を持たない米国人のうち、85パーセントがキリスト教を好意的に見ていた。ところが、13年後の2009年になると、キリスト教に供を好印象を持っているのは、16%の若い”アウトサイダー”(宗教に距離を置く人)だけであり、その中で福音派の人々に良い印象を持っているのは、3パーセントにすぎなかった。キリスト教を好ましく思う人の数が、比較的短期間に激減した理由を私は知りたくなった。クリスチャンはなぜ人々の敵意を書きたててしまうのか。そして、それに対して、私たちはどうするべきなのだろうか。(同書 pp.14−15) 
     1996年といえば、エリツィンが大統領選挙に再選され、ビルクリントンが大統領選挙に再選され、モニカ・ルィンスキーと不適切な関係が現大統領候補の一人、ヒラリー・クリントンにばれる前で、イチローががんばろう神戸を掲げ、オリックスブルーウェーブスが優勝し、グリーンスタディアム神戸が満席になったころである。なお、今年は、後半戦グリーンスタディアム神戸は、ガラガラであった。


    優勝した時のイチロー

    ヒラリーたんににらまれるビル・クリンたん

     2009年といえば、バラク・オバマが大統領就任式をし、マイケル・ジャクソンが死去し、新型インフルエンザが大流行した年でもあり、学校や企業ではこの新型インフルエンザで大騒ぎが起きた年でもある。まさか、バラク・オバマが大統領に就任したから、福音派に好意を持つ人が減ったわけでもあるまい。おそらく逆で、ダボヤと呼ばれたG.W.ブッシュ大統領のころに活躍された福音派の皆さんと、オバマが大統領選挙で勝利した選挙で、共和党候補であった、サッカーマム(サッカーを応援に行くような子育てに熱心な母親)と自称した、当時アラスカ州知事サラ・ペイリン(現ティー・パーティの活動家)が選挙戦で大活躍したのが2007年から2008年であったということはあるのかもしれない。


    2008 年の大統領選挙に関するシンプソンズのワンシーン



     また、この間、アメリカで公開された福音派に関する映画も影響しているかもしれない。2006年に公開されたJesus Campという作品や2002年に公開されたReverend Billy & The Church of Stop Shopping、また2007年のWhat Would Jesus Buy?なども多少は影響しているかもしれない。


    Jesus Campの予告編


    What would Jesus buy?の予告編



    本家アメリカでも凋落の危機に瀕する福音派
     いやぁ、以下の記述のような米国で凋落する福音派を描いた本を福音派に読者が多いいのちのことば社が出版したところが、意味がある。いわゆるリベラル層の読者層の多いとされる(あくまでされる、という話であるキリスト新聞社、新教出版社や教文館が出したのなら単なる自分とは違う派の批判と福音派の皆さんから見られてもしょうがないのだが、福音派に読者層の多い出版社がこの本を出したところに意義があると、ミーちゃんはーちゃんとしては思うのだ。なぜかといえば、自己批判であり、自己に正直であるからである。こういう正直な態度は非常に潔いし、とっても良心的、と思う。
    合衆国では、宗教に対する考え方に顕著な変化がみられつつある。クリスチャンは新たな試練に直面している。マーク・ヨーデルというブロガーが、テキサス州(比較的信心深い州)で行った取材に基づいて、「わが子が教会を離れるべき10の理由」を自身のウェブサイトに書いたところ、記事は瞬く間に拡散した。サイトには100やそこらではなく、百万以上のアクセスが集中した。ヨデールのことばは痛いところを突いていた。

     「言いにくいことだが、米国福音派の教会が若者たちを失ったこと、現在も失いつつあり、そしてこれからも失い続けることはほぼ確実だ。」(バーナグループの世論調査によると、若者の61%は重大の一時期教会に通っていたが、今は離れている。)何か手を打たない限り、福音派の数は減り続けるであろう。(同書 pp.18-19)

     マーク・ヨーデルは、まさに、ミーちゃんはーちゃんのブログでも上位常連のような2012年の以下の記事のような記事

    現代の日本の若いキリスト者が教会に行きたくなくなる5つの理由

    日本で非キリスト者の若者が教会に行かない6つの理由

    を書いていたころに、同様の記事をお書きになっておられたのだなぁ。さすがにミーちゃんはーちゃんのアクセス数は百万以上はいかないが、過去のを合わせれば、数千アクセス位はあると思う。

     なお、本書に取り上げられているオリジナルの記事10 surprising reasons our kids leave church.htmという2013年2月8日の記事は、オリジナルでは読めないですが、現在こちらで読めます。

     では、失ったクリスチャンの若者たちはどこに行っているのか、ということであるが、当面、クリスチャンであることをやめている場合、自分たちで、ホームチャーチを作っていたり、伝統教派(米国アングリカンコミュニオン、ギリシア正教、カトリック)に戻っている例は多いと思う。

     まぁ、これらのキリスト教の伝統教派の特徴は、個人の生活にああしろ、こうしろ、とは言わず、礼拝だけをさせてくれる、というところがあり、ある面、個人のプライバシーは確実に守られるというところがあるのだろうと思う。あっさりしているというありがたみはある。あと、これらでは聖書の説明というか説教が、5分から長くても10分程度であり、コンパクトであるし、本筋とあまり関係のない、家族の話とか、先週あったことの話とか、世の中の出来事とか、そういうもので増量(上げ底ともいう)されていない聖書の話そのものが提示されるという部分もあると思うし、また、何より、会堂に一種独特の聖なる雰囲気があり、きれいだというのはあると思う(個人的には、古い聖堂にはリズム感があるので、個人的には、お気に入り)。


    ダラム大聖堂の内部


     このことは、N.T.ライト先輩のSurprised by Hopeにも、これまで全く教会に行ったこともない信徒でもないライト先輩の娘さんの友人の若いビジネスウーマンが、会堂の説明を聞きながら泣きだすという話が”Surprised by Hope”の中で、ちらっと出てくるが、こういう美しさ、建物全体が醸し出す雰囲気というものは、確かに東方正教会、カトリック教会、アングリカンコミュニオンのような伝統教派の教会のほうが多いと思う。

     プロテスタント派が、文字依存になり、こういう美しいものを異教的や贅沢だとして否定することで失ってきたものをこれらの伝統教派が保持していることで、文字や音声以外の方法で神を伝えることをしているのかもしれないなぁ、と思うのである。だからといって、プロテスタント諸派の装飾を一切排除した教会堂も、それなりの美しさはあるのだが、醸し出される雰囲気は人がいて初めて、わかるということはある。まぁ、テント伝道大会(それはカトリック教徒の皆さんが永続性のある石造教会に入れるのが、カトリック教会の建物としての教会堂のみであったことへの配慮)をやってきた教派で育ったものが言うことではないかもしれないが。


    次回へと続く







    評価:
    フィリップ・ヤンシー
    いのちのことば社
    ¥ 2,592
    (2015-11-05)
    コメント:超お勧め。特に福音派で傷ついた人々に

    評価:
    N・T・ライト
    あめんどう
    ¥ 2,700
    (2015-05-30)
    コメント:めちゃお勧め

    評価:
    スコット・マクナイト
    キリスト新聞社
    ¥ 2,160
    (2013-06-25)
    コメント:めちゃお勧めしてます。

    コメント
    米国の教会で "Evangelicals Free"をうたっている教会の情報がしばらく前にFace Bookでシェアされていました。
     福音派に対する拒否感が(カフェインに比するぐらいは、笑)ある程度強くあることの一例だと思います。伝道のみの強調、社会=悪、教会=善といった二分法など、見直さなければいけない点が多々あるように思いますが、それで走ってきた世代の先生方は中々変わるのは困難だろうなとも思います。
    • 怪物くん
    • 2015.11.04 Wednesday 13:37
    怪物くん様

    わざわざのコメント、ありがとうございました。
    Evangelical FreeをEvangelicals Freeと理解していた例は、今年出版された、Rachael Held Evansの本でもでておりました。

    個人的には、福音派の片隅でふらふらしながら、福音派に対してよい思いと、頭が痛くなる思いをしながら、どうしたもんだかと思っておりますところに、こちらでしたので、なんとかならんか、と思っております。

    福音派の拒否感っていうのは、地域差もあるのですが、合衆国東部諸州では相当だと思います。カフェインで済めばいいですが、ほとんどエスニック・ギャング・グループか、麻薬患者かアルコール依存症の方か、って感じのほうが近いかも。

    >伝道のみの強調、社会=悪、教会=善といった二分法 

    週明けのあたりの記事ではそのあたりのことがるる述べられております。

    >それで走ってきた世代の先生方は中々変わるのは困難だろうなとも思います。

    これ、信徒もなんですよ。たぶん。だって、自分自身の青春がそれNGになっちゃいましたってことなんで。

    その意味で、それを信徒の方に、突き付けるのは教会内ではある面、かわいそうなことなのですが、だからと言ってポストモダンに生きる若者に、もはやモダンを支配したキリスト教的に生きろ、世間から浮きまくリングで生きよ、とも言えず、悩ましいところですねぇ。

    モダンで走ってきたご老人の中には、2分法的なモダンの概念で生きるのがキリスト教って、言ってはばからない方々も中におられますので。

    コメントありがとうございました。

    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2015.11.05 Thursday 20:13
    応答いただけていたのを気づかずにいました、ありがとうございました。

    僕も福音派の片隅を漂っていますので、喜びや残念な思いが入り混じった感情を持っています。


    西洋近代の前提をもった聖書理解の構成に正しさを見出して走ってきた人には、違う見方を受け入れることは確かに難しいことだと思います。

    しかし、それでもイエスに従っていくのであれば、何らかの形で(このブログもそうであると思いますが)提示をしていきたいなあと思っています。

    現在読んでいる本(God Our Savior)に面白い一文がありました。

    To have faith in Jesus means we must repent (change our minds )of our old rationalistic and legalistic misconceptions of God and the nature of his righteousness (Kraus 94).

    ここまで強くは中々言えないですけどね(笑
    怪物くん様

    わざわざのコメントありがとうございました。

    >それでもイエスに従っていくのであれば、何らかの形で(このブログもそうであると思いますが)提示をしていきたいなあと思っています。

    多分、従来型伝道方法の最大の問題は、方法論を含め、個別性とかが欠落していることで、いったんある方向で走りはじめたら、みんなその方向に行ってしまって・・・それ以外のAlternativesを思いもしないし、考えもしない、ということなんじゃないか、と。

    低銃器に移行する前後のイスラエルの民も情けない姿をさらしながらも、多民族は神を見た、認知したわけで、こうじゃなきゃ、とか人間の側に重きを置かない伝道ってないものか、と思っております。

    >To have faith in Jesus means we must repent (change our minds )of our old rationalistic and legalistic misconceptions of God and the nature of his righteousness (Kraus 94).

    そうですね。基本、Rachael Held Evansも、ヤンシー先輩のこの本も、基本、自分たちの勘違い、神理解のずれ、その中の神の不在をきちんと認めて、そこに戻っていくことなんだろうなぁ、と思います。

    また、貴ブログもご紹介いただき、ありがとうございました。改めて、拝読させていただきます。

    怪物くんさんの上に、平和と神の豊かさが御座いますように。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2015.11.15 Sunday 21:58
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