<< 聖書から −神の家族であるということ | main | 福音は宣言です。 >>
2009.06.29 Monday

詩篇19篇4-9節 から 神のことばと人間

0
     詩篇19篇4-9節 から 神のことばと人間

    前回は、詩篇19篇1-3節から、神と人間、人に語りたもう

    神というテーマでお話ししました。そして、科学と聖書と

    の関係をお話ししました。

    西洋で科学がどう始まったのか、それは、神の声を聞こう

    とした自然神学としての科学としてはじまったこと、そし

    て、聖書から神の声を聞こうとした科学としての神学があ

    ったということをお話ししました。


    詩篇19篇4-5節を見てみましょう。

    詩篇19篇4-5節は、

     「しかし、その呼び声は全地に響き渡り、
      そのことばは、地の果てまで届いた。
      神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
      太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。
      勇士のように、その走路を喜び走る。」

    と記されていますが、この詩篇の部分は、時に聖書の非

    科学性を示すとされる表現でもあります。

     地の果てに神は太陽の幕屋(テント・所在場所 聖なる

    聖所)を設けたという表現は、太陽を擬人化した表現で、

    非常に非科学的に見えます。

     しかし、聖書における地理を考えてみると、大変面白い

    ことがあります。詩篇103篇には、東西の方向性ほど離れ

    ているといった表現もあり、なかなか面白い地理的な理解

    が含まれています。旧約時代人の地理概念は、平板な地と

    しての理解です。もちろん、人間の見える能力や考える

    能力には限界がありますから、このような理解も当然の

    部分もあると思います。聖書の時代の人にとっては、

    西はエジプトかリビア、さらにいってもスペインが限界の

    ようですし、東は、ユーフラテス川(バビロン)くらいま

    でが旧約時代人の地理的な理解です。その限界がある時代

    の人たちの中のある詩人の詩であることを知っておくこ

    とは大切かもしれません。

     この聖書の場所は、天動説の根拠とも理解されかねない

    表現となっています。ちょうど、太陽が天空のルート状を

    走るイメージで表現となっています。天文学には、見かけ

    の関係という地球から見たときどう見えるか、という概念

    がありますが、太陽が天空を走るという表現は、見かけ

    (人間から見たとき)のイメージとしては正しいわけ

    です。古来、それで暦を作ってきたのです。

     この場所の理解について、どう理解するかですが、当時

    の普通の人の天文認識の方法として、そして、天文現象の

    詩的表現として、天文現象の表現の限界がある人たちの詩

    的表現として理解するのが、妥当であり、この詩篇で天文

    学を教えようとしていないように思うのですが。

     さて、この箇所で注目すべきは6節です。しかし、その

    呼び声は、という表現が見られますが、もともとの意味

    は、その測量用の線は、という意味で、それで理解する

    と、測量用の線は全地に渡り という意味となります。

    6節の後半が、声との対比なので、呼び声と翻訳してい

    ますが、『土地の所有の確定の測量用の線は全地に及び』

    とも読むことができるのです。これは、要するに地は神の

    所有物であることを示している様に思います。天が神の

    栄光を表し、地上は神の支配のうちにあることを示して

    いると思います。「そのことばは、地の果てまで届いた」

    という表現も重要なことを示しています。「ことばが地の

    果てまで届く」ということは、神の支配が地の全てに及

    ぶ、という預言でもあり、福音が世界中に伝わるという

    預言とも理解できるのではないでしょうか。

     この箇所で注目すべきは、地の果てとの関係で、太陽に

    言及されていることです。実際には地の果ては存在しない

    のですが、地の果てという表現で、太陽が全ての世界を照

    らすように、神が地に光を与える、と理解することができ

    るのではないでしょうか。

     花婿という比喩(5節)は面白いと思います。聖書の中

    の花婿という表現は、キリストとの関係で用いられてい

    ます。たとえば、ルカ5章34・35節もそうですし、マタイ

    25章1-13節(再臨との関係)でも述べられています。

    喜びの存在としての花婿があり、福音自体が喜びとして

    の存在することを花婿というメタファー(比喩)で表現

    しているように思うのです。

    19篇6節では、次のような表現が出てきます。

     「その上るのは、天の果てから、
      行き巡るのは、天の果て果てまで。
      その熱を、免れるものは何もない。」

    この表現は、地上をくまなく照らす存在としての太陽と

    の対比で、地上をあまねく見ている存在としての神を示

    していると思います。

     熱もしくは、陽光は、私たちのエネルギー源です。

    たとえば、植物の成長のエネルギーの源としての太陽

    があり、太陽があるからこそ、作物ができることは当時

    の時代の人にとっても、当たり前のことだったと思いま

    す。これは、太陽が植物を成長させる源泉であるように、

    霊的成長の源泉が神であることを対比を使って述べてい

    るように思います。

    19篇7節には次のような表現があります。

      「主のみおしえは完全で、
       たましいを生き返らせ、
       主のあかしは確かで、
       わきまえのない者を賢くする。」

     みおしえという言葉は、トォラァア(要するに律法 

    モーセ5書)のことであり、たましいと訳されている

    のは、ネフェッシュということばです。これは、いの

    ち、生活、自己、望みといったその個人そのものを表

    す語です。これを考えるとき、神のみおしえ(生ける

    神のことば ヨハネ1章)こそ、人間の霊的回復・復

    活、神との関係回復の根源であるといえましょう。そ

    の意味で、イエスに関する預言とも読めると思うので

    す。

     あかしとは、神が神であることの証拠とか証言とい

    う意味です。その意味で、あかしとは、神の証言であ

    り、神が神であることの理解です。神の存在を認めな

    ければ、秩序や道徳は不要となるわけですが、道徳や

    秩序の根源である方としての神を理解することができ

    るのではないでしょうか。

     ここで言っているのは、(理性を神とする)理神論

    的や汎神論的な解釈ではないことにご注意ください。

    19篇8節には、

    「主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ」という表現

    が出てきていますが、この戒めと訳されている語は

    (ピクゥード)という語で、もともとは、法令とか、

    勧告、行動のガイドラインという意味の語です。とす

    ると、ここは、神が私たちに与えたガイドラインは正

    しいということとなります。

     すなわち、神の義なる性質について触れていると思

    われます。心と訳されている語は、先にも触れました

    が、もともとは、内なる人・その人をその人たらせる

    ものですから、神にあるものとしては、神の行動の

    ガイドラインに沿うことは、神と共に生きること、神

    にある喜びを感じる人間の一つの生き方であることを

    示しています。

    19篇8節には、

     「主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」

    とありますが、仰せとは、ミツバァという語で神の命令

    という意味です。目を明るくするというオゥアァという

    語は、内から出る光を持たせる、輝かせる、きらきらと

    輝くという意味です。これは、内面の喜び、希望の存在

    の外形的な表現でもあるわけです。それでは、主の仰せ

    とは何でしょうか。それは、神の国の存在、神の子とし

    ての回復だと思います。

     神の子供としての回復があるとき、私たちは、内なる

    喜びを持つものとなることを示しているように思います。

     旧約聖書を読む際のポイントを最後にお話しして終わ

    りましょう。

     旧約聖書は、心と目の対応関係でとらえている部分が

    あります。こころと目が対応し、内なる人と人の外見と

    は対応しているという理解のようです。外形的な状態と

    心の状態がリンクしているという旧約時代人(ヘブル人)

    の人間理解があります。この関係に注意すると理解が進

    む部分がかなりあると思います。たとえば、創世記での

    アダムとイブの目が開かれた表現などは、理解が進むよ

    うに思います。

     最後は余談となりましたが、詩篇のこの部分は、神に

    ある人間の喜びと神の栄光について、重要なヒントを与

    えてくれるように思います。次回は、この続きで、19篇

    の最後までを対象にお話ししていきたいと思います。

    コメント
    お仕事だったのですか ^^ お仕事であってもなくても、He is risen !
    • Foce
    • 2008.03.23 Sunday 18:41
    そうだ!そうだ!       ところでrisenって歌にもあったけど・・・意味は復活? ↑ 実はちょっと言ってみた♪
    • さと☆ひつじ
    • 2008.03.23 Sunday 20:07
    はい、今日は、面接官をしていました。 よみがえったとか、起き上がったとか、墓から出てきた、ことをあらわします。
    • 芦屋めぐみ
    • 2008.03.23 Sunday 23:10
    では、Indeed は?と、さとちゃんに代わってききまちゅ(笑
    • Foce
    • 2008.03.23 Sunday 23:12
    おめでとうでぇすww お仕事お疲れさまですm(__)m
    • 美優音
    • 2008.03.24 Monday 01:00
    もともと、この呼びかけと応答は、ルカの復活のシーンの聖書の場所(ルカ24章34節)を引いているようです。 Indeedは 本当に、本当に、って意味だったりします。 美優音さん、ごあいさつどうも。 美優音さん。コメントありがとうね。
    • 芦屋めぐみ
    • 2008.03.25 Tuesday 07:33
    ふむふむふむ〜☆ 代わりの質問、ありがとでちゅ♪
    • さと☆ひつじ
    • 2008.03.28 Friday 12:15
    ご訪問、Thanks !
    • 芦屋めぐみ
    • 2008.03.29 Saturday 08:58
    でちゅ -----
    • Foce
    • 2008.03.29 Saturday 17:03
    コメントする








     
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    Calendar
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930     
    << September 2019 >>
    ブクログ
    G
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM