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2015.10.05 Monday

若い人しかいない教会で気づいたこと

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     前回の記事 若い人しかいない教会参加記 で、若い人しかいない教会(3回ほど)に参加した時の現場での観測した記録と、その時の素朴な驚きをご紹介した。今日は、そこに参加して思ったことを記してみたい。

     前回も少し書いたのだが、今の教会のご老人となられた皆様方と、この教会の若者の姿は、ある面よく似ているのである。

     集まっている多くの人々は、貧乏な学生や働き始めて間がない人々、説教者が、外国人である。それも若い外国人(20代後半から30代前半)という構造は、明治維新のころの教会に若者が集まり、熊本バンド、札幌バンド、横浜バンドといったように若者が集まった1870〜1880年代、あるいは、戦後すぐの1950〜1960年代の若者が教会にあふれた時代の日本の教会と”構造としては”よく似ているのである。中身はだいぶん違う、とは思うが。

     そして、当時の時代背景の中で社会や教会では、なんとなく物足りない、なんとなく居心地が悪い人々が寄せ集まるようにしてできたのが、教会であったようにも思うのだ。仕事上の野暮用とは言いながら、この夏何度かお邪魔させていただいた教会も、ある面その様な人々がキリストの名の下に集まったのではないか、と思ったのだ。

    既存教会文化から弾き飛ばされた人々の教会
     この教会に集まっている若者(普段自分が相手している年齢層の人々)の何人かと話していると、あぁ、この人たちは既存の教会というよりは、既存の教会に付属している(こびりついている、あるいは、それに凝り固まっている)教会文化に、ある面、弾き飛ばされた教会なのだろうなぁ、と思った。

     自分たちが好きなように好きな讃美歌で賛美しようとしたら、眉をひそめられ、ひどい場合には校庭の裏(ではなくて)、教会のキッチンか給湯室に拉致されて、ちょっとおっかないおばさま方から、事情聴取、尋問されたり、「あなた方は何を考えているのですか」と御小言を頂戴したりして、暗に教会文化を乱さないように、と言われたりするのかもしれない。

     若者しかいない教会にお集まりの皆様は何も考えていなくて、現代に生きる若者らしく、若者であることのその姿を、自分自身の賛美で表現したいだけあるかもしれないのに、このように尋問されたり、御小言を有難くもご拝聴させていただけたりするのである。

     個人的には、アイドルのコンサートに通い詰め、同じCDを大量購入し、コンサートでノリノリでヲタ芸を披露しまくり、給与のほぼ全部をアイドルに突っ込む人生よりは、普通の伝統的でない教会であっても、教会に献金してくれる方がよほどキリスト教のためではないか、とは思ったのである。

     まぁ、時に極めて斬新で、神学的ウルトラジャンプのような聖書コンテキストからあるテキストを取り出して無理やりこじつけしたかのような、面白い聖書のお話をお聞かせくださるが、まぁ、似たようなことは、福音派の教会でも起きる。ある福音派の教会では、説教テキストとごくわずかに重なる家族との事柄を25分中15分ほどお聞かせくださった牧師先生もおられたので、それから考えると、福音派のその教会とは、あまり変わらない様な気もする。

     ぴょんこぴょんこウサギのように会衆が飛び跳ねる教会(その勢いに腰痛持ちでジジイであるミーちゃんはーちゃんはついていきかねたが)で出会ったある方は、牧師家庭のお子さんであった方もいた。まぁ、親御さんの牧師先生も、自分の教会でぴょんこぴょんこ飛び跳ねられたり、「イェス様、マジ最高!イェ〜〜〜〜イ。カモ〜〜〜〜〜ン」とやられた日には、吉本新喜劇の山田花子嬢のモノマネか、と思われた信徒代表からのご相談を牧師先生は受けざるを得ない様な気もする。この辺、カルチャーの違いとしてお子様が別な方向に行かれることを、ある面喜んでおられる、ということではないか、と思うのだ。


    右側の女性が山田花子嬢

     このことを記しながら、内村鑑三先輩が既存教会からすれば、内村鑑三先輩の行動があまりに奇矯に見えたため、教会にいずらくなって、結果として無教会派になってしまったころを思い出したのである。

     内村先輩は、別に無教会をわざわざ作りたくは無かったろうけれども、結局勝手に聖餐した、とか勝手に洗礼授けた、教会としてふさわしくないことをした、教会とは違うことを言っている、とか言って、既存教会から追い出されてしまい、個人で考え込んでいたら、まとまって内村先輩のところにご相談があり、なんとはなく無教会運動みたいな形になっちゃったのであろう。


    内村鑑三先輩

     内村先輩は自分自身の人生を『失敗者の人生』とお書きであるが(新政府の役人として、学者として、教育者として、新聞記者として全部途中辞めさせられている)、まぁ、自分から辞めたというよりは、追い出された、という感じが強いのである。その意味で、内村先生も、既存文化から弾き飛ばされたし、また、既存文化から圧力かけられて本田司祭のことばを借りれば、「小さくされた人々」のお一人であり、おまけに、教会からも「小さくされた人々」の仲間入りをされてしまったのである。その挙句の果ての無教会であったのではないだろうか。

    腰痛持ちや老人にはつらい教会
     このぴょんこぴょんこ跳ねまわる若者だらけの教会で、初老の仲間入りをしてからだいぶん経過し、散髪屋に行くとシルバー割引を提供しましょうかと言われるほどの爺のなりをしたミーちゃんはーちゃんは、自慢するほどの事ではないが、自転車から落車して以来の腰痛持ち(といっても経験値は1年ほどでしかないが)であり、ホーマー・シンプソンと見まごうばかりの身体的特性をもつ身には、飛んだり跳ねたりは実に厳しいものがある。息が上がってしまうのである。

     ある面、お若いのが飛んだり跳ねたりしていると、「あぁ、青春よ再び」となるよりは、「若いなぁ」とブランコに乗る幼稚園児を見ながら小学校高学年男子がつぶやくような印象を持ってしまったのである。はっきり言って、「無理ゲー」であったのである。

     初回や、第2回目くらいは、声をかけてくれる人はいたが、3回目になると、さすがにこの教会自体に興味がない、とわかるのか、と放置していただいた。技術的な打ち合わせの事前作業が進んだから、ありがたいことではあったのだが。そういうあしらいを受けながら、ある面、初老に達したミーちゃんはーちゃんには「排除され観」が強い教会でもあった。まぁ、そらしょうがない。趣味が違うんだから。また、目的がこの教会そのものにはないのだから。だからと言って、この教会の取り組みを軽々しく考えているわけでもない。

     とはいいつつも、あまりにある特定の文化的サブグループ、あるいはサブカル層のなかでも、ヒップホップ文化やアイドルオッカケ文化とはちがった、ストイックなボディービルダー系の皆さんや、いわゆる2次元アニメをこよなく愛するヲタク、その中でもキモヲタにはつらい教会でもあるだろう。



    まぁ、この教会の半数以上が占めるうら若いお姉さんたちからすれば、上の漫画ではないが、ムリムリ ということになるのだろう。なお、お姉さんたち、と言っても下の画像のようなお姉さん方ではない。

    よくある食堂の「お姉さん」方

     まぁ、若い人に老人ははじかれ、老人は若い方々からはじかれるとすれば、もう、これは水と油なのだから、仕方がないか、とも思う。

     お互いにいらいらしながら、必死になって「愛さねば〜〜〜」とねばーる君のように「ねばねばよぉ〜〜」と言い続けながら、本心をひた隠しにしながらも猫被って一緒に集うよりは、若者らしい自然なエネルギーの発露がみられて、「実に天然」と実に清々しい気持ちになれたのは非常に印象的であった。

     この教会をご訪問した目的である、去年まで学生であったこの教会の元留学生の信徒さんと、技術的なサーバーサイドの設定と環境情報をご提供していただいた後、「なんか、僕みたいなじいさんにはようついていけなくて、なんかはみ出し者のように感じるわ」といったら、元学生の彼「そうかもしれませんねぇ」としみじみ言ってくれたので、彼らも分かっていても、こうならざるを得なかったのかなぁ、ということを感じた。

    頻発するレベルという語
     このお若い方しかおられない教会に参加させていただいて、一つ気がついた語がある。それは、レベルという語である。レベルが上がるとか、より高いレベルへ、とかいう語が「シェアリング」なのか「お証の時間」なのかは知らないが、個人の信仰生活の体験談で語られる話の中で頻発するのである。

     おそらく、「レベル」とは「霊的状態」の事を示し、「レベルアップ」とか「レベルが上がる」は「霊的成熟」位の意味であろう。そういうキリスト者としての変容が、ウェスレー先輩のアルダスゲート事案ように一気に起きるのか、じわじわと起きるのかは分からない。それは属人的なものも多いとは思うからである。
     
     ただ、彼らに「幸あれかし」と思いながら、老爺心から思ったことは、結構、このレベルとかステージとかいう語は、霊的な世界を語る際に安易に語られ過ぎで、カルト化した宗教団体(たとえば、オウ△真理教の皆さん、とか、〒一協会の皆さん、紅ホバたんとか)でよくみられる構造なので、そっち側行かなきゃいいけどなぁ、ということであった。またまた、目が離せない人たちに出会ってしまった。
     なお、レベルという語やステージという語が頻繁に出るからと言って、カルトと即断しないほうがよく、その語が持つ意味を深く思いめぐらす方がよろしかろうか、と思う。


    将来どうされるんですかねぇ
     残念ながら、若者はいつまでも若者ではない。紅顔の美少年もいずれ土気色の老人となる。アイドルで一世を風靡したフックンこと布川君もいい感じにじいさんに向かって突進中である。あれほどかわいらしかった斎藤こずえ嬢も、残念、というほどではないが、だいぶんご変容になっておられる。まさに、
    少年易老學難成
    一寸光陰不可輕
    である。



    上下2枚は同一人物とは思えないが同一人物である。

    バラ色の人生をお過ごしでいらしたのなら、よかったですね、と申し上げたい

     ここ数年はいいかもしれない。しかし、15年後、25年後のこの外資系教会はどうなるかを少し見てみたい気がする。頭の髪の毛がホーマー・シンプソン状態に残念な状態になり、顔が今のジャック・ニコルソンのようになり、体型がハーレー・ダビッドソンを乗り回す、一種のお祀り騒ぎに集まるプロレスラーまがいのオジサンたちのようにスキニージーンズが似合わなくなった時の彼らの所謂外資系教会の姿を見てみたい気持ちがある。

    アメリカンアイドル ホーマー・シンプソンズ氏

    ジャック・ニコルソン氏

    巨人ファン関係者と使用される色味がよく似ている
    ハーレー・ダビッドソンファンの皆さま
    (この人たちを見ると、なぜかプロレスを思い出してしまう)

     まぁ、いつまでたっても松田聖子のファンやキャンディーズファンがいなくならないように、彼らは集まりつづけるのであろうし、その中で、教会運営も変容していくと思っている。いつまでも今のままのノリを彼らの身体的な変化(充実ともいう)が、現在の在り方を容認できなくなるだろう。中で、それを続けることに、疑問に持つ人々も出てくるだろう。

     そうなったとき、受け止めてくれる教会や、彼らお若い方々自身が「自分たちこそがキリスト教だ」と思い込んでいることからの呪縛が解けることを今は願わずにはおられないし、そういう人たちを受け止められるミーちゃんはーちゃんでありたい、と思っている。まぁ、日本の福音派の一部の皆さんも、福音派が「これがキリスト教です、自派以外はキリスト教ではありません」と思い込んでいる、いや、思い込まされてきたキリスト教概念からも、ちょっこしでもいいから解放されるといいですね。そうはならないような気もすることが多いとは思っているけど。





    コメント
    みーちゃんはーちゃんさんが行かれた教会ほど極端なところではないですが、平均年齢が割りと低い
    教会いくつかに昔から通っている者としては、たまに日本の伝統的な教会に行くと居心地が悪いような
    気がしますね。
    でもこれは良し悪しではなくて、好みの問題だと思います。
    本当は老若男女みんな居心地がいい教会が一番いんでしょうけど、
    なかなか難しいですよね。
    私は賛美歌はメロディは綺麗だなと思いますが
    言葉が難しくて苦手で、ワーシップのほうが好きですし、歌ってて楽しいです。

    あと私は伝統的なメッセージ(聖書の解き明かしとか)も苦手で、
    「じゃあ明日から私はどうすればいいのかどう考えればいいのか」
    って教えてほしい、励ましてほしいタイプなんです。
    若者向けの教会は、解き明かしより適用に力入ってるところも
    多いですよね。
    もっと年上の人から見れば「自分で考えてない」って言われるかもしれませんが、
    聖書を一句ずつ解説していくタイプのメッセージは、
    「家で読むんだけどなぁ・・・」という気分になってしまいます。
    あと牧師さんの話し方が原稿そのまま読んでるだけみたいな感じで
    盛り上がりがなかったり・・・。
    たまにそういうメッセージを聞くと、「いつ始まるのかな」
    って思ってる間に終わってしまったりしますw
    だから、聞き終わったあとに月曜への元気をもらえるような
    メッセージを聞きたいです。
    確かに、聖書だけでそれは十分なのかもしれません。
    もちろん私もみことばをよりどころにしています。
    けれども、やっぱり学校で勉強してるような気分になってしまって
    退屈です。

    若者ばかりの教会は将来どうなってしまうのか、ですが
    個人的には中の人は入れ替わると思いますが
    どんどん帰国者クリスチャンとか別の若者が来て
    続いていくような気がしますね。
    残念ながら、若い教会に関われば関わるほど
    ある日ふっと疲れてしまう人が多くて
    もっとおだやかな楽な教会に行ってしまう人が
    多いような気がします。私もその一人です。
    かといって私は伝統的な教会の雰囲気が苦手なので、
    若い雰囲気を残しつつ、ウェーイ!!なところではない教会を
    探して回ってるのですが・・・。
    • ぽん
    • 2015.10.06 Tuesday 14:43
    ぽんさま

    コメントありがとうございました。大事なお話が含まれているので、別記事でコメントのお返事としたいと思います。

    コメントありがとうございました。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2015.10.07 Wednesday 07:18
    ミーたゃんはーちゃん様

    いつもブログを楽しく拝見させていただいております。
    この記事をきっかけとした自分の回想を拙ブログに書き、この記事のURLを記載させて頂きましたが、事前に許可を頂くべきだったでしょうか?
    もし不都合などありましたら教えていただければ幸いです。

    http://bluebelle.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/220650

    よろしくお願い致します。
    • Bluebelle
    • 2015.10.12 Monday 01:39
    Bluebell様

    先週は、めずらしく出張続きで、落ち着かない時間を過ごしておりましたので、コメントに気づくのが遅れてしまいました。大変失礼いたしました。

    実は、友人が貴ブログの当該記事を紹介してくれており、大変面白い内容をお書きなので、お返事をブログ記事でしようか、と思っていたところでした。拙ブログ記事をお取り上げキタ抱き、ありがとうございます。

    基本、どなたがどのような形でお取り上げいただいてもいいように、Web上で公開の対話のスタイルをとっております(本来の言論のスタイルかと思っておりますが、日本の雑誌がこれをしないのが実に残念ですが)ので、許可などご心配なく、どうぞお書きくださいますように。

    先週は過去書きためた記事を中心に上げましたが、社会文化と教会論の記事が月曜日に終わりますので、その後、わたくしからの応答を本ブログ記事で致したく思っております。

    これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2015.10.18 Sunday 07:18
    ミーちゃんはーちゃん様

    お返事を有難うございます。
    私のブログのほうはコメント欄を閉じてあるため、かえって催促のようになっていたらすみません。

    お手すきの時にでも読んでいただければ幸いです。
    こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。
    • Bluebelle
    • 2015.10.19 Monday 23:59
    Blue Belle様

    コメント、ありがとうございました。
    本日記事を公開しました。

    若い人しかいなかった教会その後(ケーススタディ)
    http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=902

    大変インスパイアリングな記事をありがとうございました。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2015.10.21 Wednesday 08:01
    はじめまして。
    とても面白いです。
    読んでいて自分も教会から弾かれたタイプだったのだなぁと実感しました。か
    歳は初老過ぎだし一応教会から派遣式されて出ていますが…

    ちょうど始めたばかりの教会の成長を祈っていて「女性だけの教会」もいいんじゃない?と思い検索ワードにしたらここに来ました。

    今は教会文化から自由に!もっと輝け!なノリをメインに恵まれて来たが、将来的なことを考える事が出来ました。
    そして、弾かれた者がやってくる事への心構えにもなりました。
    まぁ、全ては主に委ねて期待したいところですが、教会のヴィジョンとして10年、20年後のお婆ちゃんになった自分を考えていかないといけない…
    現実を考えると信じて4年、レポート出せずに神学校卒業出来てない。そんな自分が選ばれ教会を始めてるいるが存続出来たら奇跡だと思う。
    • じゅん
    • 2018.11.17 Saturday 11:34
    じゅんさま 
    コメントありがとうございました。
    けっこう、Facebookのコメントとか見ていると、はじかれたお仲間は多いようで…

    ご同慶の至り、とは言えませんが、はじかれた当初の痛みの経験を覚えると、ご同情申し上げます。はじかれることは悪いことでもなくて、いがみ合って同じ教会にいるよりは、離れて、平和に生きられることもまた、これも神の配剤か、と思うように最近はなりました。

    おばあちゃんたちの教会、って、今でもそういう教会もありますしね。実際、最初はそうじゃな買ったけど、結果としてそうなっちゃった、という。

    >レポート出せずに神学校卒業出来てない。そんな自分が選ばれ教会を始めてるいるが存続出来たら奇跡だと思う。
    まぁ、イエス様はお弟子にレポート出せだの、神学校卒業せよとも言わなかったですしねぇ。中田重治総裁が感化を受けたムーディさんは、神学校出てない模様ですし。いいんじゃないですか。そういうタイプのキリスト教の教会があっても。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC

    もし、厳密に使徒継承権をいうならば、正教会か、カトリックに行って、そこの信徒からでしょうし。
    ご清覧、コメント、ありがとうございました。

    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかいミーちゃんはーちゃん
    • 2018.11.19 Monday 09:09
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