<< イスラム国と国際法のセミナーで考えた(1) | main | 木原活信 著 「弱さ」の向こうにあるもの その13 >>
2015.09.26 Saturday

木原活信 著 「弱さ」の向こうにあるもの その12

0



     
    Pocket

     今日も木原活信さんの『「弱さ」の向こうにあるもの』の第11章からご紹介したい。本日は無縁社会を扱った章である。

    所謂無縁での死亡者
     人知れずなくなる人々について、孤独死の問題としてとらえ、木原さんは次のようにお書きである。
     「行旅病人及び行旅死亡人」取扱法という用語(法制度)は、1899(明治33年)に、いわゆる「行き倒れ」の身元不明遺体の取り扱いを定めた社会福祉関連の専門用語であるが、最近では社会福祉会ですらあまり議論されることがなくなってきている。しかし実際には、右に掲げた京都市の例にあるように、多くの匿名の人々が誰からも看取られることもなく死に至り、またその遺体の引き取り手もないまま行政の手により火葬され、やむなく「無縁仏」として埋葬されているという現実を忘れてはならない(生活保護法上の葬祭扶助費)。これは決してまれな話ではなく、その数は年間で約千人に及ぶ。むしろこの用語があたかも死語のように見えることに、現代社会の反映を志向する陰で、無意識のうちに、そのような闇の部分に目を向けたくないとする時代意識すら感じる。
     そのような中で、近年、孤立死や孤独死をもとに「無縁社会」の深刻な状況がクローズアップされるようになた。この問題は避けることのできない重要なテーマであるべきであろう。(「弱さ」の向こうにあるもの p.146−147)
     実際にデータを見ても、この立会人のいない死者数は2000年に入り、非常に増えている。データえっせい http://tmaita77.blogspot.jp というオープンデータ時代の特性をうまく利用された、ありがたいブログでは、様々なデータを用いた記事が示されている。その中で、孤独死(立会人のない死亡)に関する記事
     http://tmaita77.blogspot.jp/2012/11/blog-post_13.html 
     http://tmaita77.blogspot.jp/2015/04/blog-post_11.html
    が大変印象深い。


    データえっせい(http://tmaita77.blogspot.jp/2012/11/blog-post_13.html)から転載

     このような立会人のいない死亡(孤独死)は、よほど悲惨な事例でないと、新聞報道にも表れず、一日に数名程度がなくなっているということらしい。今後もさらに増えるものではないかと思われる。

     そもそも、これは、日本社会が理想とした近代西洋社会の個人主義の結果行き着いたものでもあると思う。それまでの伝統社会が、地縁主義、門地主義、属地主義などで運営されてきたのであるが、それはある面、個人の自由を制約し、社会の活力の大きな妨げになってきた部分があると思っている。その意味で、個人的には、これらの地縁主義や属地主義、門地主義は社会の活性化のためには望ましくないと思っている。ある面、近代化した社会の副作用としての孤独死があるのではないか、と思っている。

    日本の歴史と孤独死と社会的資本
     とはいえ、これは、近代だけの事かといえば、そうではない。南北朝以降、流民化、漂泊する民がみられた社会の中では、家にいることすらできず、路上で孤独死するもの数知れず、という状況であったように思う。その中で、このような流民ないし漂泊する民が路上死(孤独死)した際の葬儀を手厚く行ったのが、戦国末期のキリシタンであり、それを遂行したのが、コンフラリア・ミゼリコルディアという、キリシタンの組織であった。このことは当時の社会において誰もする人がなかったので、驚きを持って受け止められ、そして、その事は当時の日本人に大きな影響を与えたように思う。

     社会は個人が一人で向かい合うには大きすぎる存在であることは間違いない。そのために、個人と社会の間に、それを緩和する装置としての組織(それが企業の事もあるし、それが団体の事もあるし、組合のような場合もある)を形成されるのだろうと思う。恐らく、個人として、社会に向き合うには大きすぎる負担を緩和する装置として、つまり、それをソーシャル・キャピタルを発生させる装置として、これまでは、教会や、地域や、企業があったのだと思う。最下部で紹介するロバート・パットナムの『孤独なボウリング』のソーシャル・キャピタルを生み出すものとしての教会が最初に取り上げられているのは、そのあたりの事があるのではないだろうか。

     その意味で、社会との軋轢に対抗するための装置、ソーシャル・キャピタルを生み出すプラットフォームとして、一種の組織を形成することには合理性があるように思う。ところが、困ったことに、個人と社会との軋轢を緩和するための組織がまた、新たな制約を個人に課すというどうしようもない状況が生まれるのである。

    法制度から抜け落ちてしまう人の
    救済の困難さ

     結局、豊かなはず、一見豊かなはずの日本という国の中での悲惨な孤独死という事件は、ある面、個人主義という前提の上に乗っている個人を包括する法律制度の枠組みが完全でない、ということを如実に示すもので、現在でも、日本の法制度が暗黙の家族制度や地縁制度に大きく依拠しているという現実を示すものではないか、ということを想うのである。

     というのは、ある関西の地方自治体の委員をさせてもらっていた時に、社会福祉関係の学術経験者枠の委員さん(こういう枠がある)が、「社会福祉の分野でも、職員に聞くと、こういう場合には、こういう制度が・・・、と教えてくれるのだが、聞かないと教えてくれないのはいかがなものか」と不満げにお話しされていた時に、ミーちゃんはーちゃんは、「じゃあ、今の行政対応は、正しく聞かないと出てこないファーストフードレストランのバイト店員みたいなんですね。鮓屋のおやじみたいに相手の顔見て、これ、とか制度を示してくれ、とは言わないけれども、定食屋のおやじみたいにこの辺かな、ってセットメニュー作ってくれたらありがたいですよね」と言ったら、「うまいこと言う」とその社会福祉の専門家の先生はほめてくださった。この時に理解したことであるが、社会福祉も制度が実にたくさんあり、それぞれ様々な問題が起きるたびに法制度がつくられる(これは災害でもそうである。大事件化して法制度が初めてできるのは、ローマ時代からの伝統である)傾向にあるらしい。

     一応、制度は個別の事象に対応するために制度がつくられるらしいので、そもそも全体像を見て、それで社会制度を設計して、と理念系のようにはいかないので、どうしてもその制度枠から採りこぼれる人が出てしまう。制度枠で拾えない人は、制度的補償がないことになる。あるいは、制度は人々に知られなければ、制度があっても救済は可能にならないのである。

     西洋でも中世くらいまでは、いい悪いは別として、どうしても社会制度の枠を踏み外してきた人たち、社会制度の枠組みで扱いにくい人々に対しては、教会がそれらの人々への対応をしてきたのである。例えば、病人とか、行き倒れの人々とかを対応してきたのは、プロテスタント教会ではなくカトリック教会や東方正教会の人々であったのである。ソモソモ、ぷろてすたんとキョウカイハ、チュウセイニハソンザイシナカッタ(と、昔風に書いてみる)。プロテスタント教会は、そのカトリックや東方教会の伝統を案外と保持していない教会が多いように思う。もちろん、そうでない教会もないわけではないが、文字と説教を愛好してやまない教会では、案外とこのあたりの事は軽視されておるような印象があり、文字と説教をこよなく愛する皆さんのたくさんおられる教会で、こういう弱さを抱えた人々の現実世界における救済を言うと、ほぼ確実に「リベラル派」と悪魔の手先と同じ扱いを受けること、ほぼ確実である。そうでないグループの人々がコメントを残しておられるのが、最近刊行された、ラウシェンブッシュ先輩の『キリスト教と社会の危機』という本らしい。ミーちゃんはーちゃんが福音と世界に書いた書評を最近亡くなられた関西学院大学におられた栗林先輩は、随分ほめてくださっていたらしい。最近、栗林先輩のお弟子のお一人から聞いた。まぁ、どうでもいいんだけど。

    家族単位の孤独死

     家族単位の孤独死は、結局家族内で人柱になる人が倒れる、それに依存する人が倒れる、そして誰もいなくなった、という状態が生じているのだろうと思う。その意味で、一種のクローズドな社会が形成されて、それがオープンネスを失ったときにおこる問題が家族単位で現れた状態と言えるのではないか、と思うのだ。
     そのことに関して、木原さんは次のようにお書きである。
     独居老人の孤独死は今も急増しているが、無縁化の単位は、個人から家族へシフトして、家族全体そのものが地域の中で埋没し、孤立無援化して、家族丸ごと餓死して、死後しばらくして発見さえるなどの、家族単位の孤立死も顕在化し始めた。これは、社会福祉界として対応を迫られる喫緊の社会問題である。(同書 p.148)
     先述の地方自治体の委員をしていた時に、同席させていただいた社会福祉系の学術経験者枠の社会福祉の先生のお話をお伺いした時、非常によくわかったことが一つある。それは、社会福祉と言えども、強制力や、悲惨なことが起きていても、行政は公権力の執行にあたる強制介入がためらわれるということである。そして、福祉制度は、それ故に、原則申請主義(本人ないしその保護者による)であるということなのだ。特に、児童虐待の場面で、この申請主義による法制度の壁が立ちはだかることがある。本来救えるはずの子供のいのちを申請主義のゆえに救えないということはまま起きる。

     とはいえ、申請主義、それは大事なことだと思うのだ。悲惨な事件が起きるたび、テレビでは「政府は何をしているのだ」「行政は何をしているのだ」と騒ぐキャスターがおられる。それは個人的におかしいと思うのだ。個人の生き方や死に方に他者の介入を安易に許してよいのだろうか、と思うのだ。個人の主権を失うということは、国家からの財産権はじめとする人間の諸権利と思われていることへの介入の口を開くということであり、悪くすると国のために命を捨てよということを認めさせる口を開くことでもある。「戦争反対」や「徴兵制批判」を叫ぶその口が、どうして「行政は何をしているのだ」とどうして、口にできるのか、とは思うが、思い付きでしゃべっておられる方々のようなので、致し方ないと思っている。テレビ番組はあまり見ないし、きちんと考えていない人々のためのメディアだと思っている。ただ、速報性は新聞より早いので、大体の事を知れればそれで良いと思っている。

    孤独死の正体
     孤独死の正体として、木原さんはもともと、労働経済学がご専門の橘木先生の文章を引用しながら、次のようにお書きである。
    橘木俊詔(『無縁社会の正体』)によると、家族を中心とする血縁、地域を中心とする地縁、企業を中心とする社縁、という3つの「縁」から排除・除外された社会構造とその縮図の事である。それは、高齢者の孤独死の急増、自殺者年間3万人前後の恒常化、結婚しない若者(未婚率の急増)、離婚率の増加などの諸種のデータでも裏付けられる。
     ここで、地縁、血縁、社縁という3つの語が触れられているが、縁というと、仏縁という語を思い出すので、個人的には、社会的紐帯とか社会的ネットワークと呼びたい語である。つまり、人間は、一人では生きられない存在であり、それを個人のみでの対応を求めた近代日本社会には、そもそも無理があったし、これまで、近代日本で問題化しなかったのは、陰のシステムとしての、地縁だの、血縁だの、社縁だのと称される故人を包含するネットワークが機能していた、あるいはそれらが弱体化しつつも存在していた、その余韻でわざわざ政策や法律制度を作らなくても、たまたま問題が顕在化しなかっただけなのかもしれない、ということを考えた。

     ところで、先に紹介した今年4月のデータえっせいの記事 http://tmaita77.blogspot.jp/2015/04/blog-post_11.html が実に印象深い。一番たくさん孤独死しているのは、高齢者ではなく、後期高齢者予備軍の60代の年齢層なのである。無論、この背景には、この年代層での自死者が多いというのもあるだろうが。一応、データえっせいのブログの運営者、舞田さんがおつくりになったグラフの画像を転載しておく。



    年齢層別の孤独死の死者数

     上でも触れたが、社会的ネットワークに関しては、ソーシャルキャピタルとの関連について、世俗の仕事の関係で以前勉強したことがあるので、なんとなくはわかるのであるが、どうも人間が生きる生活の質(QOL)を考える上では、この種の社会的ネットワークは、極めて重要な概念だと思っている。

     ところが、めんどくさいのは、この社会的ネットワークは、いわゆるゴータマ・ブッダの言う、輪廻であり、渇愛だのがうごめく世界でもあり、その結果、四苦が生まれる土壌なのでもある。涅槃(ニルヴァーナ)に行くためには、この世界から切り離されないと、いけない社会なのである。そのあたりの事を考えると、実に印象深い。

     ブッダは、大いなる諦念の境地、涅槃を理解され、悟りをお開きになられたらしい、とはいえ、孤独死、無縁死したわけでなく、弟子たちに囲まれて死亡したというところが、これまた何とも味わい深い。


    法隆寺五重塔の1回にある粘土像(ブッダ、死亡の際の状態を表す塑像群)


    まだまだ続く


    評価:
    木原 活信
    いのちのことば社
    ¥ 1,728
    (2015-07-08)
    コメント:お勧めしています。

    評価:
    ロバート・D. パットナム
    柏書房
    ¥ 7,344
    (2006-04)
    コメント:お勧めする。図書館で読むのでよいと思うが。

    評価:
    ウォルター ラウシェンブッシュ
    新教出版社
    ¥ 6,588
    (2013-01-07)
    コメント:高いけれどもよい。

    コメント
    >法制度から抜け落ちてしまう人の救済の困難さ

     (~ヘ~;)ウーン 言葉遊びかもしれませんが(それこそ定義の問題)そもそも対象外なのですから、抜け落ちたと言われますと、法制定者側からは「そんな、ご無体な」と言われそうですが・・・

     この対象外には二種類ありまして、いわゆる対象外として枠の外扱いの場合と、「エッ、そんなん、存在するの?」と、いわゆる思いの外の場合があります。まあ結果的(対象外者)には似たようなお話ですが・・・
    • ひかる
    • 2015.09.27 Sunday 23:24
    ひかるさま

    コメントありがとうございます。案外現場に出ておりまして、現実の悲惨さは、救済対象となった方とあまりに変わらない、あるいは、悲惨さは救済対象となった方以上なのに「もうちょっだけ条件が違ったら、法的救済の対象になるのに…」という事例でギリギリ法的救済の対象にならないという事例などにも出会います。現実としては、法制度でしばられるので、如何ともしがたいのですが。

    >いわゆる対象外として枠の外扱い

    現場にいると、こっちの方が、扱いが大変のように思います。とりわけ、結構窓口業務をされているお近くで作業しながら、ご対応しておられる職員さんの姿を拝見させていただいていると、職員の方が「かわいそう」と思われるほどのご発言を割と大きな声で窓口でなさる方や、地方議員さんをお連れにになってステレオで職員さんにお話になられるような場合もあって・・・。

    制度は制度でございますしそれは勝手にいじれませんし。機関委任事務などの場合は特に。

    コメントありがとうございました。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2015.09.28 Monday 06:06
    >制度は制度でございますしそれは勝手にいじれません

     そのようにおっしゃいますが「いわゆる対象外として枠の外扱い」は、ある意味制度上の問題に過ぎませんから、変更は(縄張り争いによる管轄権さえ絡まねば)、物理的にも、思考的にも対応可能ですが、後者のエッはよほど多量に発生して誰かがその悲惨さを声にしない限り気づかれることすらままならない場合が多いようです。

     想像力がないからだ、などと後知恵でいわれましても、制定側にもそれなりの事情がございますようで・・・

     だいたいにおいて。人の知恵がそれほど行き届くようでしたら、それこそ宗教などと呼ばれるものなど存在価値がなくなってしまうと申すものではないかなと・・・
    • ひかる
    • 2015.09.29 Tuesday 01:25
    ひかる様

    コメントありがとうございました。

    >後者のエッはよほど多量に発生して誰かがその悲惨さを声にしない限り気づかれることすらままならない場合が多い

    あぁ本当の意味での想定外なほどの悪辣なことを人はしでかす場合がある、ということですね。
    それはありますね。

    個人的に網羅的にすべての状況に対する制度があるべきだ、とは思っておりません。そもそも、状況というか社会環境、理想とされるべき理念や理想そのものも変化してまいりますし。であるからこそ、制度は増えていき、混乱するほど、ものすごい複雑な体系になってきがちであると思います。米国の反例法体系などは、この種のせめぎ合いが、現実の裁判の場で行われ、裁判での反例が成文法と同様の意味を持つという部分があるか、と思います。

    >人の知恵がそれほど行き届くようでしたら、それこそ宗教などと呼ばれるものなど存在価値がなくなってしまうと申すものではないかなと

    ご指摘の通りか、と思います。人は所詮鼻で息するものにすぎないものではなかろうか、と存じますし、であるからこそ、神がこの地に来られたもうた意味があろうか、と思います。

    コメントありがとうございました。
    • ミーちゃんはーちゃん AKA かわむかい
    • 2015.09.29 Tuesday 07:53
    コメントする








     
    Calendar
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << April 2020 >>
    ブクログ
    G
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM