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2015.06.20 Saturday

工藤信夫著 真実の福音を求めて を読んだ その2

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     本日も、また工藤信夫著 真実の福音を求めて から引き続きご紹介したい。本日は放蕩息子の兄と現代の教会についてである。

    教会と放蕩息子の兄
     教会の中に巣食う放蕩息子の兄は案外少なくない。そのことを工藤信夫さんは次のように表現し、そして、このような放蕩息子の兄の存在が若者がいなくなる原因になっているのではないか、ということをTim Keller先輩の本からご紹介である。

     この本(引用者註 Tim Kellerの『放蕩する神』)の中に、「なぜ人は、イエスには好感を持つが、教会を敬遠するのか」(p.24)という注目すべき指摘がある。そしてこの現象を生み出す要因の一つが、私がこれまで再三述べてきた私たちの持つ道徳主義であるという。(中略)
     著者(引用者註 Tim Keller)がニューヨークで牧会を始めて、その教会は1年で2〜300人となったが、その大半は「熱心なクリスチャン家庭で育てられ、そこからできるだけ遠く離れるために逃げ出した人」(『放蕩する神』p.76)だった。そしてこの現象の背景に、彼らの育った地元の教会には放蕩息子の兄タイプな信徒が多く、このために若者にはなじめなかったのではないかということがある。(『真実の福音を求めて』p.32)

     案外、このことは大事だと思う。日本でもこの種のことは多いのではないか、と思う。教会が熱心になればなるほど、内部での均質性が高まり、その中の固有の道徳が醸成され、さらに先鋭化されると、そういう道徳の親衛隊みたいな人が出てきて、さらに道徳を先鋭化させていく傾向は人間の社会の中で普遍的にみられるようである。

     このコミュニティの尖鋭化に関しては、本日紹介したN.T.ライト先輩の『クリスチャンであるとは』の紹介記事のNTライト著 上沼昌雄訳 『クリスチャンであるとは』 その7の中でコミュニティとしての暴走という部分で紹介したとおりである。教会でもこのコミュニティの暴走ということは起こりうるし、近代という均質化の仮定が広く普及した社会の中では、よりこの種の問題は起きやすい、と思われる。

    同質であることを強いる教会と放蕩息子の兄
     教会が持つ敷居の高さを生む同質化圧力とそれにかかわる放蕩息子の兄的存在に関して工藤さんは次のようにお書きである。
     その(引用者註 教会の持つ若者への)敷居の高さとは形式的な信仰、道徳的な価値観、社会的立場の高さで、それがそのまま教会に持ち込まれ、真面目で律儀、律法主義的な伝統的新興がもてはやされ、そのために既成の価値観から離れた若者にはなじめないというのである。(同書p.33)

    まぁ、これも「教会あるある」である。教会あるあるに関しては、こちらを。

     冗談はさておいても、案外この種の若者の馴染めなさは、既成の価値観から離れているかどうかにかかわらず、割と教会に集まっているメンバーの相が固定化しているがゆえに起こりやすいのではないか、と思う。明治のキリスト教業界の四村の一人、かの明治の横浜バンドの看板牧師、植村正久も、説教の中で、「吾輩の教会には車夫工員の類は要らぬ」に近いことを言っていたらしいから、かなり均質な社会的集団の信者からなる教会運営が明治のころからなされていたようである。

    https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/UemuraMasahisa.jpg/180px-UemuraMasahisa.jpg
    植村正久

     実は、プロテスタント派の教派別伝道地の比較検証の作業をしてみようかとも思っているのだが、どうも、地域特性がありそうなのである。まだ、直感のレベルの段階である。プロテスタントの教派ごとにかなり地域特性が似たところに立地しており、地域による住民特性が大きく異なるようなところには立地せず、一種のキリスト教会の地域的すみわけが起きているのではないか、という仮説がある。見検証であるが。

     植村正久の言う「車夫工員」タイプの方が多い教会には、そういうタイプの方に特徴的なプロテスタント派があり(どことは言えない)、いわゆるホワイトカラータイプが多い教会には、逆にブルーカラータイプの人がほとんど見られないという、一種の教会の社会的すみわけが起きている面というのはあるかもしれない。こういうことを言うと差別的だといわれるのだが、しかし教会が地域的存在である以上、この種のことは起きるのである。空間経済学でよく知られていることであるが、空間は差別的なのである。少なくとも距離という意味では。

     工藤さんは、「既成の価値観から離れた若者にはなじめない」と表現しておられるが、近代の規制の価値観からのはずれよりも、現代の若者の分衆化されたポストモダン社会における文化というか価値観こそ、既成の価値観からの外れっぷりったらありゃしないのである。

     1970年代までは、大衆として若者文化があり、若い男性であれば、「週刊プレイボーイ」「マガジン」「サンデー」「ジャンプ」などを読み、若い女性であれば、「セブンティーン」を読むものと通り相場が決まっていた。大体、それしかなかったのである。

     現状で、「サンデー」も「マガジン」もかろうじて最大発行部数を誇っているが、その発行部数自体は落ち続けており、「モーニング」や「ビッグコミック」「メンズノンノ」「ターザン」など結構男性誌の新興勢力も増えているのである。女性誌では、ポップティーンだの、二コラだのが出ている。そんなポストモダンな若者にとって、みんな同じ人民服(あるいは背広など)のようなスタイルをお仕着せできなければならない教会に魅力を感じる人はごくわずかではないだろうか。


    人民服(緑色の服  文革時代 これもコミュニティの暴走であった)
     現代のキリスト教界では、この種の軋轢は非常に大きいのではないだろうか。

    教会の均質化圧力
     先にも触れたことであるが、NTライト著 上沼昌雄訳 『クリスチャンであるとは』 その7の中でコミュニティとしての暴走という部分でも触れたように、ある特定の理解に支配された教会は出現しうるし、そのような人々が案外多いのではないか、と明石でのヘンリー・ナウエン研究会での参加者からのご発言にもそれは感じられる。

     いくら教会はすべての人に開かれたところといっても、こうした断層的な偏りはどこにでも存在するのである。(中略)教会に真面目で熱心な人々が集まると、その集団を支配する精神がいつの間にか人間的努力、道徳主義、律法主義になりやすいからである。(同書 p.36)

     これで苦しまなければいいのであるが、逆に真面目な人だけにこれで苦しむのである。自分が十分できていない、自分はダメだと、同じことの繰り返しが表明されるのである。いくら「それは自己中心であり、神の恵みとはそんなに安易なものですかねぇ」とお話ししても、結果的には、結局自分は努力が足らない、祈りが足らない、聖書の読みが足らないとご自身のことを責められる方が多い。

     まぁ、文字数たくさん読んだから聖書に詳しくなるというお百度を踏む感覚で聖書の文字を追う人は別として(これは読んだうちに入らない、と思う)、そもそも、庶民が聖書を読むようになったのは先進諸国ですら、つい170年ほど前であり、それまでは司祭や牧師、現在の大学に相当する修道院内の人など学のある人たちしか読めなかったし、触ることすらできなかったのである。それでも、200年以上前の人々はクリスチャンであり続けた、というあたりのことはもう少し理解されてもよいのではないか、と思う。それをよしとしているわけではないが。

    サリエリ型の信仰

     そして、工藤さんは映画アマデウスの中に登場してくるサリエリに関するTim Keller先輩の表現を借りながら、そのタイプの信仰の問題を語る。

     サリエリは神に祈り、神を賛美しているかのように見えていて、その実、自分自身を称賛していたのである。そしてケラーは(引用者挿入 放蕩息子の)兄タイプの問題点を次のようにまとめる。
     「注目すべきなのは兄タイプの持っていた優越感です。…兄タイプは、勤勉に働くこと、道徳的で、エリートであり、知的で経験豊富になることに自分のイメージを置こうとします。結果、そのようなイメージを持たない人たちに対する優越感を生みます。実際、他者との競争、比較ことが、彼ら兄タイプの達成感をうる主な手段なのです」(放蕩する神 p.64)
     ケラーは、人間の本当の罪とはこのようなものではないかという。つまり、目には見えない敵意、優越感、攻撃心、さばき、見下し、競争、比較、争い、ねたみ、そねみなどなど。そして困ったことに、通常それは私たちが容易に気づかない代物であり、それはモーツアルトのような人物が現れないと”あぶりだされない”隠れた、神に対する反逆なのである。(真実の福音を求めて p.42)
     参考のために、映画アマデウスの予告編を紹介しておこう。


    映画アマデウス 予告編

     歴史家的側面から見れば、まぁ、ちょっと困った事実とは即さない部分も多々ある作品ではあるが、個人的にお話として面白い映画とは思った映画である。

     ある面で、一見下品で、色欲魔的な罪人されやすいモーツアルト(彼のミドルネーム、アマデウスは神に愛されたものという意味を持つ)と優等生タイプで、品行方正なサリエリとを比較対照させながら、どちらが本当に罪深いのか、という問題を投げかけた作品である。まぁ、この種の比較は、結局どこに行くかというと、アベル(モーツアルト型)とカイン(サリエリ型)に行きついてしまうのである。そのことに関しては、拙ブログの 上智大学公開講座 「カインはなぜアベルを殺すのか」参加記 前半 と 上智大学公開講座 「カインはなぜアベルを殺すのか」参加記 後半  とをご覧いただきたい。


    Cain&AbelW.Blake
    ウィリアム・ブレイク画 アベルとカイン

     カインは歴史上初の殺人者として、非難されることが多いが、そのカインですら神に愛されたものであることは、カインへの神の庇護を見れば明らかである。
    口語訳 創世記
     4:15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
     4:16 カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
     確かに、彼は罪あるもの(主の前を去る者)の存在として生きたが、その存在にすら庇護を与え給うのが神なのではないだろうか。この創世記の4章の記述はそのことに我々を招くのではないだろうか。


    サリエリの交響曲 ヴェネツィア

    宗教的熱心さと”福音の本質”

     工藤さんは、この種の熱心さにとそれが案外福音そものの対極にあるかもしれないことに関して、次のようにお書きである。

     ここで私が注目したいのは、彼らの熱心さがイエスの攻撃の的となっただけでなく、宗教を唱えていながら素朴な人々をもっとひどい地獄に陥れていると糾弾されていることである。藤木牧師によれば、宗教的な熱心さは比較の論理で起こり、そこには選民思想、エリート意識(特権意識)という”おごり”が伴うゆえに、それはいつしか福音の本質を見誤らせるというのである。換言すれば、これらの考え方、生き方が”信仰による人間疎外”という現象をもたらしはしないかということである。というのも”福音の本質”とは一言で言えば、パウロが肉の努力によらず、血筋によらず、神の恵みと記した”神の恩寵”であり、その対極が”自己努力”におる”自己義認”、つまり人と比較し、競争する世界だからである。(同書 p.46)

     しかし、なんですなぁ。本人たちは一生懸命”福音だ”と思ってやっていることが、その対極である自己義認であるとは。これこそコメディというか、悲喜劇である。そして、どちらが正しいか、どちらが聖いか論争あるいは競争をはじめてしまい、非常に近視眼的な視点でしか物事がみられなくなる。所詮、人間的努力でやる義や正しさ、信仰深さなど、神の目から見たら、芥子粒以下、埃以下の微々たるものに過ぎないのであるが、それを針小棒大よろしく、そのごくわずかな糸ぼこり一本以下のような誇りをエベレストのように思いこみ、それを競い合うなど、ちょっと引いてみてみれば、実にナンセンスなことだと思う。

     まぁ、ミーちゃんはーちゃんとて、このような特権意識、エリート意識を持ったことはあるので、人様のことを言えた義理ではないが、しかし、なんか、そんなことはどうでもよくなり、神の憐みの中に身を浸したいと思っているミーちゃんはーちゃんがいる。



    評価:
    工藤 信夫
    いのちのことば社
    ¥ 1,296
    (2015-06-05)
    コメント:大絶賛紹介中である

    評価:
    ティモシー ケラー
    いのちのことば社
    ¥ 1,404
    (2011-01)
    コメント:この本も大絶賛である。

    評価:
    ピーター・シェーファー
    ワーナー・ホーム・ビデオ
    ¥ 2,549
    (2003-02-07)
    コメント:レンタルでもいいかも

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