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2015.06.06 Saturday

南長老派の歴史研究の講演会に行ってきた(6)礼拝論と賛美論 その2

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     この記事は、前回の記事 南長老派の歴史研究の講演会に行ってきた(5)礼拝論と賛美論 その1 (2015/05/30) からの続きである。今回もよろしければ、ご清覧いただけると幸甚である。


    http://commondatastorage.googleapis.com/prpbooks%2Fimages%2Fauthors%2Fweb%2FWilliamson_GI.jpg
    G.I.ウィリアムソン先輩

     G.I.ウィリアムソンは、合同長老教会の人物で、ニュージーランドの改革長老出身の人物であり、ウェストミンスター信仰告白の研究者。礼拝における規定的原理に大きな影響を与えた人物である。
     彼は、要求されている礼拝、要求されてない礼拝の違いについて述べているが、命じられていることのみされている礼拝が重要だと主張した。

     南長老教会は1940年代に長老教会からの分離し、南長老教会ジャーナル、長老教会ジャーナルへと移行した。

     ある面で、1958年という年がエポックメーキングな重要性を持つ年である。1960年代に、実験的な礼拝がもてはやされていく問題への対応が求められることになった。時代は、Weedと呼ばれるような麻薬によるサイケデリックが求められた時代であったのだ。

     モントリオールで、New Ways New Daysということが言われ始めた。(Political Backgroundとして、ベトナム戦争の影響があり、それに対する反対運動とヒッピー文化等のカウンターカルチャーの登場などが影響したものではないか、と思われる。)


    当時はやったヒッピーの皆さんの服装 これが当たり前だった

    「Psychedelic」の画像検索結果
    Counter Culture Movement)

     日曜日の朝礼拝、サイケデリックな集まりが行われ、教会でありながら、聖書的なものが見られない状態もあった。霊とまことによっての礼拝は消えてしまった感じであった。イエスが井戸のそばでサマリアの女と出会ったときに、霊とまことを以て父を礼拝する時代が来るといわれたのに、そうはなっていなかった。様々なイメージやメダルや、ろうそく、自由な表現での祈祷、むち打ちや薬物など非常に多様な人間的な要素が入ってきた。場所に教会は制約されないとはいうものの、ちょうど、ヒンズー教徒が針の上に乗り、巡礼の山に蛇を以て上がような行為ではなかったろうか。つまり、サイケデリックなディスコテーク音楽を礼拝堂に持ち込むことになる。これは、教会の世俗化ではないか。これは神礼拝と言えるのか。ということになる。


    ディスコテークといえば、ご存じ、サタデーナイトフィーバー

     1940年代に改革派グループの中での礼拝の再検証、北部の人たちで形成される主流派が自由主義的な傾向に走ったものの、南部は自由主義型の礼拝論に対抗しようとした。1950−60年代には、神学的下降を経験していったがそれを回復する動きがみられた。礼拝にかかわる教理の理解の整理が進められた。神の教会の豊かさを守るために 神学的リベラリズムへの戦いを行う中で、ピューリタニズムの再検討がなされた。

    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     しかし、ここまで戦闘的にしなくてもいいかなぁ、とは思った。戦いだの、という語を使うことは個人的にはいまいちだと思う。)


    混迷の1970年代

     1970年は、不明化と混乱の時代であった。 RPCNAでは、20世紀の様々な動きの中でもアカペラでの詩篇歌賛美が行われた。なぜこの教派が伝統的であったかの理由はあまり明確ではない。1974年には、礼拝の聖書的教理が出版された。この中で礼拝の規範原理が取り上げられることになった。教派内の中で多様な考えがあり、RPCNAとしても讃美歌への考え方が一貫していなかったことが示される。

     フランシス・シェーファーがいるが、1960₋70年ごろにおもに活躍した。ラブリの設立者である。彼は、真実の真実とはなにか、を追求し、相対化された真理への対抗概念を主張するとともに、クリスチャンライフスタイルの問題を取り上げた。このことは彼の主張であるラディカル・ホスピタリティに示されていると言えよう。西側の死に絶えつつある文明に文化の改革を目指しての運動であった。この中で、文化の再構築が目指されることになる。福音長老主義が形成され、福音長老教会、RPCESを経て、改革長老エバンジェリカルシノッドが形成される。彼らは、近代への京あきとしてのかかわりを考えたグループであった。20世紀の終わりに、近代の形式や自由を利用しつつ、絶対的な真理を保とうとした。

    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     いやぁ、シェーファー先生改革長老派系だったとは、不明にしてはじめて知りました。前期シェーファーと後期シェーファーはかなり味わいが違うことが、のらくら者の日記で以前指摘されておりましたが、後期シェーファーがアメリカのエヴァンジェリカル・ライトに与えた影響は多いのでねぇ)
    Francis Schaeffer.jpg
    フランシス・シェーファー先輩

     その中で、一定の柔軟性を容認したため。教会の権威に関する混乱が生じた。何が本質的で、状況依存的であるかを誤解したといえるであろう。シェーファーの様な有能な人でも、こういう過ちをやることがあることは留意すべきであろう。しかし、シェーファーたちの動きは、ある意味、時代の産物でもあった。この中で、礼拝の規範原理が再発見され始めたのである。その意味で、フランシス・シェーファーは原理主義的な人物としての礼拝理解の代表者であると言えよう。

    PCAの形成

     1973年、継続する長老教会運動がPCA内に組織された。その結果、南部の長老教会からからこのグループは離脱していくことになる。ミシシッピ州ジャクソンの改革神学校の教員であったモートン・スミス氏がいたが、彼は、元の教派からの離脱の擁護記事を書かせた。PCUSの礼拝論の下降に関して、彼は様々なものを書かせたが、その中で、礼拝は教会のしるしであり、大教理問答集と小教理問答集から規範原理を示した。リタージカルな暦や、教会歴は、安息日の重要性を下げるとして批判した。この教会歴というものは、その根拠もないものであった。リタジーにおける強調に関する不安感が高まっていた。

     1968年には、モントリートでサイケデリック礼拝が教派主導で行われた。実験的な礼拝を総会が批判しなかったことが批判され、サイケデリック礼拝が教派の黙認のもと行われることとなった。真の教会から、この礼拝の部分において離れたものとなった。
    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     割とミーちゃんはーちゃんは同じことを繰り返すのは、個人的に性格が飽きっぽいこともあって嫌なのだが、さすがにサイケデリック礼拝を挙行する気力も能力もない。同様に、ラップ礼拝とか、プログレッシブロック賛美とか、ヘビメタ礼拝もできない。そんな根性なしであることを想った。世の中には、ヘビメタ礼拝はあるらしいけど・・・)


    Heavy Metal Worshipで出てきた讃美歌 FYI

    礼拝の堕落

     礼拝の堕落は、画像やシンボルが用いられるうちに始まるのではないか。十字架やキリスト像などが教会堂や日曜学校で見られるようなイエスの画像が登場することとなった。継続する長老教会運動が起きると、純粋な礼拝を守るための希望になった。この純粋な礼拝を求めることは、教会の改革になった。教理における正統性と礼拝における正統性が一致しているものが目指されたと言えよう。これに反して、PCAでは、礼拝に関して一致していないことを示す結果となった。

    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     いや、これ言い始めたら、東方教会は堕落しきっていることになる。いやぁ、ピューリタンの皆さんの純粋性へのこだわりは尊敬を覚えるけど、しかし、ロシア正教やギリシア正教の皆さんは、聖書が読めない人々への対応をしてきたからこそ、伝統的に画像の利用やろうそくや様式性の理容をしてきたのであって、その歴史的営為の本質を顧みずに、このように切ってすつるに何がある、とやるのはどうかなぁ、と個人的にはおもう。)
     特に幅広い福音派と一緒に様々なことへの対応をする中で、改革主義や長老主義に立っていない人もいた。(あたりまえである)

    礼拝は何のためにあるのか?

     礼拝は、礼拝自身のためにある。聖書により厳密に規定されている立場であるものの、多くの福音派のかなりの部分はや多数派は、礼拝は伝道の手段としての立場をとっている。

     Smith論文(この講演の著者なので、事実上のステマ)の主張がまとめられており、キリスト像とか画像が教会堂で示されることの否定をしたものである。1973年、ジョージア州アトランタでの歴史的ウェストミンスター長老教会でこの問題にかかわる討議が行われたが、この教会の教会堂には、キリスト像を描いたステンドグラスがあるその前でこれらのことが議論されることになった。

     1970年、ウェストミンスター神学校との関係の中で、ポイスレス教授は、排他的な詩篇利用(詩篇だけを賛美とする)に関する2つの論文を書いたが、礼拝の規範原理を支持しているように見えるものの、実態としてはそれを無形化しているものであった。礼拝の異なる区別性を否定する立場であった。同論文は、リダスカリアの立場のものであり、詩篇のみの賛美をいうものの、祈りや説教と同じような要素であるとし、賛美歌は、祈りや、説教、訓告の別手段だといっている。この立場には問題があり、公的礼拝における朗読と説教の区別が問題となってしまう。

     聖書を礼拝で読むことと、説教をすることの間に連続性が強調されてしまう。神の御言葉の特別性が失われるという面がある。適用される価値があるから特別であると主張されているが、それは完全に逆立ちした議論であり、聖書のみが神のことばであり、そう取り扱われる必要があるといえるだろう。

     この論文では、礼拝における諸要素を否定している。礼拝に諸側面があるといっている。礼拝規範原理が軽んじられると、礼拝の軸がなくなることになるといえるだろう。しかしながら、この議論は、割と広く受け入れられた。

     ウェストミンスターの神学校のジョン・フレームの影響は強くみられた。彼は、1980年以降カリフォルニアのエスコンディアに移って、そこで20年奉仕をした後、フロリダの改革神学校の教員になった。彼の礼拝に関する考え方は奇抜なものであり、異彩を放つようなものであり、いくつかの問題点を含むものであった。

    John Frame.jpg
    John M. Frame先輩

     礼拝の要素は御言葉として規定されているが、それをジョン・フレームは、諸側面であると換言し、定められたものとしてない天が問題である。このため、礼拝における様々な表現の可能性が出てくることになった。

     例えば、御言葉の朗読すら、礼拝の要素であるとは限らない。フレームの理論では、御言葉の説教は規定されてないことになる。説教を歌にしてもいい、となると、説教を謳いながらすることを禁じられないなど問題が出てくる。

    New Lifeの礼拝について
     C.John Millerというフィラデルフィアのペンシルヴァニア正統長老教会の人物がいるが、伝道熱心で知られ、恵み深い人ではあったが、非常に柔軟な礼拝形式を採用し、彼の理解は改革派神学の枠組みではかなり奇妙なものであった。1977年、神学生であったマイケル・ブッシェルは排他的詩篇主義を擁護する論文を書き、1980年に最初に出版され、その後、2011年の改定が最後となるまで3度書き換えられた論文がある。規範的原理が基礎である、と主張した論文である。カルビン主義の子孫は、礼拝の規範的原理を重視すべきであるが、それを軽視する場合、カルバン主義者と言えども実際は名目的なものになっているのではないかと主張している。


    Jack Miller AKA C. John Miller先輩

    Micheall Bushell先輩

     規範原理は、守るか守らないかではなく、礼拝の規範的原理それこそが改革主義の信仰であるといえるのではないだろうか。

    1970年代のまとめ

     教会の中で、PCAが組織されたが、何に対抗してかではなく、何のためにできたかを考えた組織であった。この結果、教派の中での亀裂が生まれた。保守的、伝統的な南長老主義の形式を守る敬虔主義であったが、伝道のための手段として礼拝と考えるグループが見られた。フィラデルフィアは、ウェストミンスター神学校でも実験主義的礼拝論が持ち込まれるなどのことが見られた。

     聖書神学的なアプローチが流行り、組織神学な方法が影を潜め、組織神学なカテゴリカルな研究が困難になる そして、非公式な神学校で、New Life Worshipが入ってくる傾向が見られた。礼拝の中で、リタージカルダンスのような要素が組み込まれもした。
     マイケル・ブッシェルは、ウェストミンスターの信仰基準に立ち戻り、それに忠誠を果たすべきとしたといえるだろう。

    1980年代のまとめ
     ケビン・リードは、長老主義ヘリテージ出版という出版社が発足し、長老主義を擁護をする出版社を設立した。
     1984年にジェームス・ジョーダンへの批判を行った。高教会的な国教会への傾向をカンタベリー物語とまで批判した(胴もあまりにひどい、と言いうことをご主張したかったらしい)。ジェノバ神学校の補助を受けた新聞でタイラーの精神世界が入っている論文が出版されたことを強く批判した。それは、教会活動の堕落であり、見せかけだけでけのもの、腐敗であり堕落であることは、明らかであるとした。改革派の規範原理を否定、教会の中での迷信的不当な行為を導入し、告白に立った長老主義を否定している。(ここまで言わんでも、と正直思った。さすが戦闘○○の血が・・・やはり、ピューリたんは女子キャラがよいなぁ。)


    教派擬人化マンガ の ピューリたん

     1995年にケビン・リードは、聖書的礼拝という本の中で標準的な説明を行っている。聖書は、神が命じられたこと以外の要素を禁止している、とした礼拝における聖書的な定めを陳べている。
     人間的な革新的なものが流入することに抵抗している。1988年にカール・ボーグ(この人初出なんで詳しくは改革長老派の詳しい人に聞いてくれ)という人は、礼拝の聖書的規則という記事を書いた。これが、規範的原理の標準的な擁護論であった。規範的原理を批判することは、ローマカトリックへの魔術的批判力を失う。規範的原理を緩め教会にいろんなことを持ち込むことは、灰の水曜日などカトリックの教会の礼拝、ペテロの祈り、司祭への告解、教皇権の尊重など、教会の悪事があった時代に戻すことになる。(またまた戦闘的な…)

    「Carl W. Bogue」の画像検索結果
    Carl Bogue先輩

     16世紀以前の状態に戻すことになる。カール・ボーグは、PCAにおける伝統主義者の代表的人物であり、伝統主義者は広い意味を持つとした。

     改革長老はないでは、礼拝の規範原理を認める人から、そうでない人まであったことを認めるている。また、楽器を使ったり、賛美のあり方への多用な試みがなされた、しかしながら、改革長老派の伝統は、コンテンポラリーなもの、実験的なものを否定するというの点で一致していた。とはいえ、伝統主義者たち以外のものもあり、別方向への動きもあった。
     たとえば、マルチメディアを利用したものを、いわゆる「礼拝」の中で行うべきであるとした。1983年のインスピレーショナル礼拝という語を用いられ、マルチメディアを利用されたし、スライドショーの中ではイエスの画像が利用された。PCA総会で、マルチメディアプレゼンテーションが実際に行われた。(よほど、講演者のスミス氏にはショックだったのであろう)PCA以外の聖歌隊により、ロック風の賛美が行われた。このことに対して、50人の役員が抗議文に署名した。このようなプレゼンテーション手法によるものが主流になっており、改革派の礼拝理解に反するものであり、非改革派的な伝統の受容であり、聖書的原理とか、改革派の独自の神学を反映してない。

    (ミーちゃんはーちゃん的ツッコミ
     いや、改革派を守ることは大事か知らんけどぉ、しかし、それに汲々としておられるんじゃあ~~~りませんかぁ。何のための礼拝か、何を礼拝はするものか、を忘れて、改革長老派の伝統を守れ、ということしか行ってなくて、非改革派的なものを何が何でも絶対排除、改革長老派のスタイル死守ってことになってないかなぁ、と思いました。まぁ、お立場からのご発言とは受け止めたので特にコメントは申し上げませんでしたが。)


    吉本新喜劇 チャーリー浜による「じゃあ〜〜〜りませんか」

     総会では、好意的にリタージカルダンスとかバンゴの採用とかを好意的に受け止めた。そのような行為は、礼拝は、まずもって神への感謝を示すために行われるべきものであるべきではないか。夕方の集会が礼拝を含む限り、聖書的であり、規範的礼拝の原則に沿うべきであろう。伝道中心の集会あれば、これらの方法がとられてもかまわないとは考える。

     しかし、礼拝を大きく変容させることに関しては、本質的な理解に立って和解を得ようとしているという以上の困難性を感じるし、教会員の中の考え方に混乱を生み出すものではないだろうか。

     そういう多様な概念や方法論、音楽携帯の導入という行為の正当化に関して、夕方の集会と礼拝(要するに伝道のための集会を指すらしい)とその他のプログラムとの融合が目的であり、その他のプログラムは宣教命令の実現手段の一つと理解したことが問題であった。

     しかしこのようなものの導入により混乱が生じるのである。礼拝の規範原理が意味を持つなら、礼拝の中にいろいろな人間的なものを含むべきではないだろう。
     1980年代には、ピューリタニズムの再覚醒があったが、それと同時に、カトリック的なハイチャーチ的なものへと向かっていった人もいた。PCAは表面上ウェストミンスター信仰基準を堅持しているとみられたが、歴史的な長老派理解から外れていたようである。過去の歴史を振り返れば、PCAの将来には、わずかな希望しかないのではないか。

     終わってから質問したことの中に、詩篇歌というが、地域や教会によって当てているメロディーは同じか、というと、違うことがある、ということと、メロディはかなり自由に採用されるのか、とお聞きしたら、採用されうる。南部のフォークソング等も讃美歌のメロディとして採用されうる、という話であったので、あぁ、なるほど、そういう世界で、多少はメソジストの巡回伝道師がしたようになじみのある楽曲の利用もないわけではないのだなぁ、だから、なんとなく慣れ親しんだ曲の上に詩篇を載せて詩篇歌として歌っておられるのだ、ということはわかった。

    感想

     個人的に改革長老派の信者じゃないので、別に改革長老派の中で、バトルを繰り広げていただこうが、大激論を繰り広げていただこうが、実に結構なのだけれども(基本関係ないので)、まぁ、実に戦闘民族という言葉がふさわしい、とは思った。その激しさが、アメリカを作り上げたともいえるが。

     上記の紹介文中でも時に触れたが、時間がなかったということもあるのだろうが(それに合わせて、原稿をきれいにまずは整えておいてほしいとは思ったが)、結構いきなり初出でそれまで説明がない人が、ポッポと出てくるのには正直参った。

     あと、改革長老派の伝統を清く正しく美しく守りたい、という講師のSmith氏の情熱はよくよく伝わったが、情熱のあまり、他の人の礼拝形態を過去の因縁も関係性も文脈もなくぶった切るようなご発言がかなりあり、それはどうかなぁ、と思った。

     まぁ、この後、この講演会に誘ってくださったありがたい改革長老派のE先生とFacebookでやり取りしたのだが、恐らく、この詩篇歌をどう維持するか、とりわけ、アメリカにおける多様な民族性の霊性の中で、どのように維持されていくのか問題になりそうだ、ということのやり取りをさせてもらった。

     しかし、ミーちゃんはーちゃんは、ふざけたところのある人間なので、ジブリ音楽のいくつかのメロディに乗せて、詩篇歌を謳う時代がそのうち来るのではないか、と思いながら、一人でニタニタしていた。


    さんぽ


    ポニョ

     この連載も、あと2回で終わり。




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