<< 南長老派の歴史研究の講演会に行ってきた(2) | main | NTライト本の出版のお知らせ >>
2015.05.30 Saturday

南長老派の歴史研究の講演会に行ってきた(3)聖書と科学1

0


    Pocket

     南長老派の歴史に関する講演会に行ってきたので、そこでの内容をおまとめしておこうか、と思う。よろしければ、御笑覧のほどを。今回はあまりに長いので、2回に分けます。

    科学について
    アメリカ改革長老派(カベナンター)と地質学及び創造論


     非常に幅の広い議論を含むが、広く共通する部分を考える。創世記1章の理解の基本性質について、特別啓示、自然啓示、認識論、聖書そのものから考える。聖書を解釈し、これまでの解釈者の系統の中で、その示唆を考える。とりわけ初期のプロテスタントの理解を考えてみたい。

    地質学とプロテスタントの対話


     特に、創世記1章から地質学と想像を考えたい。

     少なくともルターとカルバンは字義的な6日創造説をとっていた。アウグスティヌスのアレゴリカルな解釈の一部を批判し、Calvinは地球の年齢は、6000年だと思っていたようであり、創造に要した日数は、6日であったと思っていた。

    プロテスタント一般と科学

     プロテスタントとサイエンスの関係を考えてみた場合、世俗的歴史家、宗教的歴史家でもプロテスタンティズムが科学の根源であると指摘するものが多い。宗教改革は霊的な改革のみならず、革命的世界観の基礎となる。
    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     宗教改革はある意味で、既存権力であったカトリック教会への挑戦であり、その権威への疑念を呈することで、権威への挑戦を行い、その後の非常に多様なプロテスタントの原点となるし、そして、それがアメリカに入り、反知性主義の原点となる)
     宗教改革は実験科学に影響、聖書に求め、聖書解釈における帰納法的解釈に依拠している。スコラ主義における推論を拒絶し、聖書そのものに目を向けさせることになった。様々な解釈法がある中で、改革派的な聖書理解では、一つの意味しかないことを明らかにしている。つまり、文法的、歴史的釈義によるとともに、聖書テキストの証拠により、神が啓示しておられることを読み取ろうとした。アイセジーセスという語もあるが、テキストに向き合って理解をしようとした。プロテスタントの科学者たちは、聖書の啓示、自然啓示にもこのような理解の精神を当てはめようとした。

    科学と聖書をどう考えるか


     聖書というテキスト、自然というテキストのいずれも神の啓示であると考えた。推測ではなく、適切に解釈することを主張していったのである。自然啓示、あるいは科学の場面では、実験に依存しつつ、実証データから解釈し、結論を得るという態度が重要である。

    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     ただ、現在科学では、このデータの取得性、観測におけるバイアス、厳密に言うと、測定論あるいは測度論の問題が含まれており、そこの議論はあり、基本的なアイディアとしてはこの表現は間違いではないのではあるが、若干の問題があるのではないか、と思った。)

     科学の歴史は、真空の中にある様なものではない。歴史的、文化的、社会的な中にあり、これらの諸側面で混乱が発生した。マルクス主義に関する歴史家、クリストファー・ヒルは、「産業化時代の英国は上下さかさまだった世界」として揶揄した。

     フランシス・ベーコンが演繹的なアプローチを科学にもたらした。ベーコン的演繹法が生まれたが、それは、クリスチャンの世界観を受け入れていた文脈で発生した。16世紀心までの科学者は、名目的ではあったかもしれないが、聖書への一定の敬意を持っていたと言えよう。16世紀から17世紀にも聖書の規範性を否定する科学者、あるいは異教主義、無神論者が科学者の中にもいた。

    近代合理主義と聖書

     19世紀は、カントなどの合理主義的な聖書に対する批判が現れ、その他の考え方から聖書が批判される側面もあり、クリスチャンたちの科学に対する考え方にバイアスを与えた。

     教会は科学のことを、神学の下僕か婢女にしてきたが、しかし、この時代から宗教と科学の緊張関係が生まれた。科学者と聖書との緊張関係はあらゆる科学に影響し、天文学、生物学、化学、物理学など幅広い学問分野に影響した。

    (ミーちゃんはーちゃん的感想 
     神学に優位性を言いたいのはわかるが、婢女と書いて”はしため”と呼ぶのは、結構きついなぁ、と思う。とは言いながら、18世紀くらいのイングランドでは、神学者や牧師が”余暇”であるいは”余技”で、あるいは神学の”派生研究”として科学に関する研究をするのは結構当たり前であったので、そういう主張をしたくなるのはわからないではない。例えば、グリニッジ天文台の初代天文台長は、英国国教会の司祭でもあったジョン・フラムスティードであるし、そのあとの2代目天文台長は、ハレーすい星で有名になったエドモンド・ハレーであるが、彼もまた同じく英国国教会司祭でもあった。ニコラウス・コペルニクスは暦の関係(当時はカトリック教会等がカレンダーに大きな影響を持っていたので、こういう研究は教会化教会付属のセミナリオでやっていた。セミナリオは、いまのセミナーとがゼミの語源となっている)で天文学をしていたのである
     ミーちゃんはーちゃんの世俗の仕事の関連分野の一つでもある地理学の基本のキである、緯度経度の測定に天文学は欠かせなかったし、それを司祭がやっていたというのが面白い。
     なお、この部分に関して知りたければ、深井智朗著 神学の起源をお読みになられることをお奨めする)
    地質学的理解をどう考えるか?
     とりわけ、地質学に関して、この問題と深い関係がある。プロテスタントの教会は、科学に敬意を持っていたが、そのうち、地質学との妥協へとつながっていく。多くのクリスチャンは、聖書を再解釈し、創造の具体的な日数を考えるとき、この地質学の理解の影響を受けることになる。2つの地質学的問題と聖書理解の問題を取り上げて考えてみよう。

    1)    地球の年齢
    2)    地球規模の洪水

    の二つである。1820年代までは、古い地球説。ノアの大洪水の実在を主張してきたし、激変理解(カタストロフィズム)に立ってきた。

     1830−33年のチャールズ・ライエルの地質学の原理が信仰と地質学理解との関係を大きく変えることになる。ライエルの議論によれば、全ての地質学的な構造は長期プロセスで実現するとされている。ラッセルという長老主義者は聖書の教えと一致させうるか、ということに取り組んだ。しかしながら、ライエルの著作の前においても、地質学的な関心は長老派でも高いものであった。


    チャールズ・ライエル先輩

     サミュエル・ミュラー(19世紀のアメリカの長老主義者)はニューヨークで牧師をしていたが、プリストン神学校が1812年の設立後に2番目に採用された教授である。1803に彼の書いた論文集が「18世紀の概観的回顧」というタイトルで出版され、18世紀アメリカにおける科学芸術、文学における革命と発展の描写をしている。 

    http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/SamuelMiller.jpg
    Samuel Miller先輩

     同書の中にも地質学に関するミラーの議論を所収されており、地球の自然科学の歴史を振り返ると1800年前にはわかっていないことがかなりあった。ミラーは地質学上の発見における発展をとらえる中で、土壌組成学は基礎であるとしている。

     地質学は、人間の作った空想的なものであり、知的好奇心を満たすもの、それ以外の何物でもないとした。これらの理論は、思想的な夢のようなものであり、理性的な判断というよりも空想で結果を生み出しているようなものではないか。仮説を導くための理論であり、真の歴史から導いているのではない。
    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     基本科学はまず仮説を立て、その仮説の真偽性を間主観的に検証するものなので、仮説を導き出すため、とか言われると、そもそも、仮説を立てるような科学研究ができなくなり、科学的研究の進展や、既存理念の追従以外の研究はできなくなりかねないなぁ、と思った)
     ミラーは、地質学は神の啓示に反していると結論した。現代において、数多くの理論がなされたが、一部には有益なものもあったが、その大半は空想的であり有益なものではない、とミラーは批判した。

     ミラーにとっては、神と聖書の優先は明らかであった。すべての理論は、神の誤りなき御ことばに依存すると主張している。本当の科学になればなるほど、自然科学が聖書の記述にあっている、と主張した。

    (ミーちゃんはーちゃん的見解
    本当の科学になればなるほど、聖書の記述にあっている、という主張は創造科学の関係者でよくみられる表現であるが、そもそも「文字通りの聖書の表現」が古代語で表明された神の思いにおける、という意味での聖書の文字通りの表現であるというならいざ知らず、近代言語である他の言語系、それが英語であっても、フランス語であっても、日本語であっても、スペイン語であっても、その翻訳言語の聖書での文字通りとは限らないと思う。これは一種測度論における問題でもあり、言語において科学的な測度がどの程度保障されるか、という問題をまず議論せずに、このご主張をするのは、信仰的態度あるいは信仰的告白と呼ぶべきものであり、科学的態度ではないと思う。まぁ、このようにご主張される自由はお認めしたいし、信仰的態度は尊重したい。)


    改革派での再検討
     この創造論に絡み、トーマス・チャルマースがスコットランドで、大分裂を生み出し、スコットランド自由教会が生まれた。このチャルマースは、ギャップ説を唱えた。1833年には、チャルマースは地質学の正統性を批判している。ただし、チャルマースは、クリスチャンが思っているよりは地球は古いと考えていた。チャルマースは創世記における創造の記述は無からの創造以外の何かではないかと言い出している。このため、創世記1章と1節と2節の間にギャップがあると主張している。

    トーマス・チャルマース先輩

     19世紀中葉、地質学上の発見が受け入れられた後、聖書における地球創造の扱いに対して批判的な考え方が出てきており、牧師や、教会関係の敬虔な学者、教育者にも、この傾向は認められる。

     何故カルバン主義者たちがなぜ、従来の古典的な聖書理解を棄て、こういう理解の再検討をしていったのか。それは、化石の発見が相次ぎ、このことに関する理解が生まれてきた。この中で、画一主義的な原則が追及され、創造理解において徐々にな変化が生まれていった。サミー・モルテンソンは産業革命の影響が教会に影響したとしている。

     聖書解釈の問題として、創世記11章を字義的に理解するかの問題として、古い地球説をとられていったが、聖書の霊感説をとり、世間から非科学的な頑固者とみられないように、合理性を主張したいと思う人々もおり、それがこのような理解につながったのではないだろうか。

     一般啓示(自然科学と良心による啓示)と特別啓示(聖書における啓示)との関係を考える中で、聖書を科学の発見の光の下で解釈し始めた。
    (ミーちゃんはーちゃん的感想
     まぁ、もともと、科学一般の前身である自然神学自体、そもそも神学的思惟であったことは間違いない。この辺りはA.E.マクグラス先生の自然と神学をめぐる議論をお書きになったいくつかの本があるので、そちらをご覧いただくとして、まぁ、南長老教会の講演者の方からすると、もともと神学から派生した科学、また地質学という、子孫からその母体となった神学がその派生したもののいきついた先で再解釈されるという一種いわば逆縁的な関係は耐えられない、という感じでもおありになったのであろうが、それでも、キチンと対話するというのが科学的態度というものであり、それを改革長老派の科学関係者はされてきたと思うのだが、先に神学優先があるようなことが言葉の端はし(英語で聴いても)からあふれ出てたのは、残念だなぁ、と思った。二重の意味で)
    感想
     今回の部分を再度おまとめしながら思ったのは、科学的アプローチというか、学問的アプローチである対話ということの重要性である。頭ごなしにガンガンやるのは科学的な対話の態度ではない。正邪を決めることも科学的な対話の態度ではない。科学的な対話の態度は、お互いが思索能力及び観測能力において限界があることを素直に認めながら、お互い共通の素材、共通の対象について、相互に観測された結果から得られた理解と構造を検証していくことであって、相互に関する深い尊敬と敬意に基づくものであると、個人的には思っている。どこぞの番組で以前はやった「朝まで生○○」でやっていたようなあのような下品な怒鳴り合いは、対話でもなければ、ことばによる殴り合いだろうと思う。未だに、あの手の議論を議論だとか、対話だとか思っている御仁が多いのが、この国の残念なところだと思う。国会論戦と呼ばれるものを見ても、言葉尻をとらえるような言葉による殴り合いばかりで、本格的な思想と思想との対論がほとんど見られないのが残念である。党首討論でもそうである。討論というのか対話には、テクニックというよりは、その人の中身が問われるので、まぁ、選良と呼ばれる人々がしていることが斯くの如くであるということの意味はどういうことか、推して知るべしではあるなぁ、と思っている。

     そうそう、地質学といえば、『世界を変えた地図』という本が非常によろしい。地質学の発展史がわかるし、古生物学(化石)関係者や地質学関係者に司牧関係者が多いことがよくわかる。なぜ、地質学が英国でかなり早期に発展したかもわかる。それは、英国が石炭が各地でとれたこと、また、石炭層があちこちで発見された際に、その石炭層の上下両面の地層的特性が各地でほぼ均一であるという現象や、石炭運搬のために運河が建設されたのだが、そこでみられる地層の並びが数10キロ離れていてもほぼ同じ並びをしていることから、地質学や地層学は進んでいく。

     英国が石炭による産業革命を果たさなければ、ミーちゃんはーちゃんの世俗の仕事の一部である地理学Geographyのお隣さんの地質学Geologyは発展しなかったのかもしれないと考えると、何となく複雑な気持ちがする。

     次回へ続く



    評価:
    サイモン・ウィンチェスター
    早川書房
    ---
    (2004-07-21)
    コメント:地質学の英国伝発展史がわかる。

    評価:
    森本 あんり
    新潮社
    ¥ 1,404
    (2015-02-20)
    コメント:お勧めしている。

    コメント
    コメントする








     
    Calendar
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    3031     
    << December 2018 >>
    ブクログ
    G
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM