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2015.05.23 Saturday

南長老派の歴史研究の講演会に行ってきた(1)

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     Smith先生という南長老教会の方の講演会に行ってきた記録である。この講演シリーズでは、アメリカのカルヴィニズムや改革派神学の歴史をふれる、ということであった。K学院長先生のたってのお願いもあり、ここで公開する。

    アメリカ南部における改革派の定着前史

     これを考える際に、フランス植民地とリフォームド信仰(ユグノー)の存在から考えたい。

     フランスにおける1562年の宗教戦争と弾圧があったが、この弾圧の2週間前にジャン・ルボーが新大陸に出版し、フロリダのSt John川の踏査など、ティミチュアインディアンの居住地域を調査した。このティミチュア族は、身体的にも整っていて、礼儀深い人々であったと記録されている。


    米国国会議事堂に描かれたティミチュアン族の姿とその村落


     現在のジャクソンビルのキャロライン砦が設置されたが、フランス統治は短期間で終了した。この砦などをスペイン軍が攻撃し、1560年には、踏査隊も捕獲された。同地を守るフランスの海軍軍船もハリケーンで難破して投降している。この際フランス人捕虜は、人間的に取り扱われるものと考えられていた。しかし、スペイン舞台は、プロテスタント信仰を棄てないものを虐殺した。ほぼ全員殺害。300人以上が虐殺された。

     St Augstineの南で、虐殺された、このことから、この地は、Fort Matanzasと呼ばれたが、スペイン語で虐殺砦とおいう意味である。この事件に端を発する、国際間問題が新大陸経営に関与をさせることとなる。フロリダの出来事は、ヨーロッパ諸国の争いでもなく、政府の存在意義の原則とも言えない。宗教的な背景があったことは看過されてはならないだろう。

    http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3d/Ft_Matanzas_2008.JPG
    Fort Matanzas

    北部での改革派植民地
     北アメリカでの真の宗教と反キリストの宗教の併存が継続した。フランスの改革派共同体の主要メンバーは、ルイ14世によるナント勅令で祖国を追われたプロテスタントたちであった。現在のニューヨークやチャールストンはユーグノーの受容地となった。同時代の改革長老派の移植者としては、ポール・ルベールや初代連邦裁判所長官 John Jayなどがいた。

     フロリダから50年以上経過し、改革長老派によるバージニア州のジェームスタウンに英国植民地ができる。この英国植民地は宗教的にはアングリカン的であった。Via Media 中道を維持した。特に、アングリカンにおける39か条は、改革派神学の痕跡を認めることが出来よう。合法的な宗教として、監督教会ではあったが、ノンコーフォミストはアメリカでは、国家による干渉(おそらく本国英国政府からの干渉)から守られることを期待した。最初の牧師とその後継者は、ケンブリッジ大の卒業生、ピューリタニズムのひとであり、ウィリアム・ウィティカー及びアレクザンダー・ウィテカー父子であり、1611年到着している。




    ウィリアム ウィテカー


    画面中央左の白い服着て立っている人がアレクサンダーウィテカー

    Forest Whitaker
    ウィテカーというとこの人が思い浮かんだ。名バイブレーヤー

     この2名は、バージニアにおける使徒としての高評価を得た。1620年にプリマス植民地が形成された。マサチューセッツに到着した、ピルグリムたちの人たちは、改革派信仰であった。この人たちは、分離主義者で、当時、英国国教会は、腐敗しきっていて、改革できない程であると考えており、英国国教会にとどまるのは、罪ですらあると思っていた。JamesI世にとっては、これらの分離主義者は頭痛の種であり、ピューリタンたちを圧迫したが、彼らの一部はオランダに逃れていた。JamesI世は植民地経営の道具として、これらのピューリタンを使うことにし、植民地建設を容認した。メイフラワー号盟約を締結した10週間後、ケープコッドに到着したが、この到着地は、当初の目的地より、北側に上陸することとなった。この1611年11月 11日に、新世界における政府の樹立の契機となった、メイフラワー盟約を締結している。

    James I of England by Daniel Mytens.jpg
    James I世


    再現されたメイフラワー号

     自己契約による政府の樹立は他の植民地に広がる。ピルグリムたちの到達者の内、最初の冬を過ごした後、60名しか生き残らなかった。このような経験から、ピルグリムの勇気や忍耐がアメリカの精神性、やればできるという自信ということにつながっている。このピルグリムの人々は、実際的な人々であった。

     ピルグリムたちの礼拝論は、良心Concious、一種の理性に基づく礼拝であり、単純にして、聖書に基盤を置く礼拝であった。この無楽器での詩篇歌による賛美からなっていた。安息日だけを休日とサンクスギビングデーのみであった。


    The Simpsonsに描かれたThanks Giving

     イングランドを脱出し、アメリカに来ることの合法性の理由とその考察という論文がでており、アメリカを植民地化することの合法性が述べられている。Robert Cushmanの合理化の理由としては以下の点がある。

     異教徒の回心が期待できること、土地は、未利用で空地であること、インディアン〔ネイティブアメリカン〕は土地を所有してないし、インディアンの酋長は、土地の利用を許可した。James I世王の土地にいるということではない。
     
     Cushmanにしてみれば、荒れ地を開拓したり、主権を尊重するのは、福音の力と有効性を示すことになる。盲目の未信者たち〔ネイティブアメリカンのことらしい〕に示すことになる福音の力と有効性を示すことになるだろう。プリマスにおける礼拝の純粋性は、ピューリタンによるマサチューセッツデー植民地にも引き継がれていく。
    >>ミーちゃんはーチャン的突っ込み
    まぁ、当時にしてみれば、そういうことだろうが、個人的には、この論理は、どう見ても自己正当化としか思えない。そもそも、高密居住、集中的土地利用をしてきたヨーロッパ人、とりわけ英国で、ディセンター(分離派)と呼ばれ、信仰上の理由で冷や飯を食ってきた英国人にとってみれば、手つかずの土地が手を広げて、待っていたように見えていて、土地利用に関する文化的仮定の違いに悪乗りした、と今は批判されかねない部分もないわけではないが、当時の人々にそこまでの知識を求めるのは、無理ゲーというものだろうとミーちゃんはーちゃんは思う。

     ピルグリムたちは英国から出奔した人々であるが、ピューリタンたちは、教会の改革を求めていた人々であった。スチュワート朝英国では、その宗教改革は自体は進んでいなかった。1630年ピューリタンたちが、マサチューセツを目指した。11船からなる栴檀で、ジョン・ウィンスロップは、アラベラ号でクリスチャンチャリティを示す船の上での説教をした。そして、マサチューセッツは、丘の上の町となり、ニューイングランドは、古いイングランドの模範となるべきだと説教した。このことは政治家によって用いられることになる。教育への関与などと同様に、世俗化された解釈になって、オリジナルのものとは異なることになった。(このあたりは、森本あんりの反知性主義の冒頭参照)このことから、ピューリタニズムへの挑戦と凋落をみることができるのではないか。理想となる世界はこの地上には存在しないという経験をアメリカはする。

    http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7f/The_Arbella_--_Gov._Winthrop%27s_Flagship,_The_Pioneers%27_Village,_Salem,_Mass..jpg
    アラベラ号

     罪はすべての人々へ、その影響を与える。丘の上の町となるべきピューリタンの植民地建設を目指したニューイングランドでも、うまくいかなくなる。社会の中心部分から問題が発生する。ロジャー・ウィリアムス(ロードアイランド)などが現れ、ピューリタンの正統性、教会国家の関係、幼児洗礼の問題において挑戦するような行動を取った。アン・ハッチンソン(クェーカーではないが関連はあるもの)という異端。インナーライトを主張し、予定論の拒絶をした。なお、彼女と彼女の一族は、ニューヨークでインディアンによって殺害されることになる。

     ピューリタンの子供の問題。2世、3世は信仰上の問題を示した。信仰を持たないものの子供や孫はどうなのか?半信会員制度がスタダードによって始まる。

     聖餐式が、回心させるための手続きとみなされたHalf way Covenantはプロテンタティスティズム上の問題。大覚醒は、この半信会員の反動ではなかったか。それはピューリタンのやり方の再発見とみなされた。セイラムの魔女事件、ピューリタンたちは、大学などで批判された。アーサーミラーの戯曲のクルーシブル。オカルト的な動きがあったし、法的な方法論で問題はあったが、悪魔がこれらのことを用いて、ピューリタン社会を破壊した。1世紀後に19世紀初頭になれば、ピューリタンの子孫は、ユニテリアン化していく。

    http://collegian.morton.edu/wp-content/uploads/2014/03/lisa.jpg
    セイラムの魔女事件を揶揄したThe Simpsonsからのワンシーン。

     中西部のコロニーに目を移していくと、オランダ系改革派、ニューネダーランドとしての植民地に居住することになる。デルマーバ半島からコッド岬の領域であり、代表的な都市としては、ニューアムステルダムであり、現ニューヨーク市である。

    植民地の宗教的風景
     
     英国がオランダ植民地を抑えてから変わる。1664年の降伏文書の中で、オランダ改革派の存在も認められることになる。ドルト会議、カルビニズムの5特質、TULIP 恵の教理とともに、伝統的な改革派教会の秩序を維持した。長老主義による教会政治がおこなわれた。
     Marylandのスノウヒルのフランシスマッカニー(アイルランド長老教会)がせっちされ、改革長老教会としては、1706年に最初のカンファレンスが開かれ、1717にシノッドが経営された。

     当時の長老教会の問題は、説教免許なしに説教することであった。1693年ニューヨークでエピスコバル教会のマカミン(?)が逮捕される。この裁判で無罪となり、First Amendment とは直接は関係しないものの、宗教上の自由の根拠となる判例がでる。

     その後、スコットランドとスコットアイリッシュの移民が大量に押しかける時期を迎え、貧しい膨大な移民による問題が発生し、植民地に点在する形で展開していく。貧しさの中での、物質主義への逃避が起き、牧師が少なく、人格的にも学識的にも問題がある人々を、牧師として受け入れないといけなかった。改革長老派は、それを防止しようとした。

     1710年ウェールズ人の開拓地で説教していた人物がいたが、この人物には説教免許がないため、罷免され、結果として、按手されたのは1715年であった。また、実際に懲戒ケースとなった事例も多くあり、懲戒案件は、牧師も信徒にもあった。結婚の問題でも、相手が少ない孤立した植民地での問題もあった。生みの苦しみのようなものであった。

    大覚醒(リバイバル)について

     第1次覚醒運動、第2次覚醒運動にふれたい。このようなリバイバルのパターンは教会史に繰り返し見られる。信徒であっても異端化は見られる場合がある。これは、人間の罪の結果であろう。エレミヤが書いたように、回復の道へと導かれる。リバイバルは18世紀初頭にニューイングランドのMiddleコロニーで見られた。ドイツ改革派のアムステルダム中会で按手を受けた牧師のフリーハウゼン牧師が嚆矢である。

     聴衆に真摯な信仰よりも、正当な信仰告白にのみ依存している人々にそれでよいのか、と挑戦した。この系譜にある人々は、長老教会では、ギルバート・テナント 英国系では、ジョージ・ホィットフィールド、 会衆派ではジョナサン・エドワーズである。

    ざっと当時のアメリカの雰囲気もよくわかるのでお勧め

     ホィットフィールドは、英国での宣教で知られていて、野外説教で高名である。アメリカに来て、アメリカとしての一体性、統一性をもたらそうとした。アメリカ人とは何かをということの形成に一定の役割を果たした。ジョナサン・エドワーズの「怒れる神の手の中にある罪びとたち」という説教は、非常に詳細な描写による譬えは忘れられないものである。

     改革派の中にも偽善者的人物がいたし、第1次大覚醒は神からのリバイバルであったろう。とはいえ、感情的な行き過ぎや例外的な問題もあった(この辺は 森本あんり氏の『反知性主義』(最下部) が参考になろう)。礼拝、教会政治。教会人と信徒の間での分裂した。

     この事案をめぐり、改革長老派の多数派は、ニューブランズウィック州の改革長老派の代議員の参加を拒否した。シノッドの権威を助言機関としてシノッドの権威を貶めた、と批判したのである。より具体的には、他の教会への干渉、ニューブランズウィック州の動きと同意しない人々を問題死したと批判し、さらに、神のことばにないことを説教、自分の感情中心であったと批判した。

     この分裂を旧体制派Old Sideと新体制派New Sideの分裂となった。17年間の分離後和解し、再び一つの共同体となった。新派では、牧師の適切さは宗教的な経験による判断によって行われ、それは、学問的や正統的なものではなかった。なお、分離状態にあった時期、両方とも成長した。しかし、New Sideでの成長は著しかった。新規到着をしてきた移民を中心として増加したと考える。

     改革派は、教会における影響力を増した。テナントは学校を設立し、それは後のプリンストン神学校であり、プリンストン大学の全身でもある。

     このリバイバルが、アメリカ人であるという意識を醸成することになった。1770年に独立宣言のキーファクトの一つがこのリバイバルである。このリバイバルにおいては、牧師が意識醸成に大きな役割を果たした。革命への支持は、教会でも行われ、英国政府から一方的に与えられた概念への反抗を正当化することになる(まさに、この辺が森本あんり氏の「反知性主義」で見事に描写されている)。暴政への反逆は許されることを示したのである。

     ジョン・ウィザースプーンはアメリカは一つの長老主義者であり、ニュージャージ大学の学長でもあり、愛国的な教育を行った人物である。彼は、独立宣言の署名人の一人であり、独立宣言署名者のうち、唯一の教職者であった。



    ジョン・ウィザースプーン

    http://img.cinemacafe.net/imgs/articlemain/79200.jpg
    ウィザースプーン先生の子孫の一人、リース(個人的にファンなので)

    南北戦争時代を背景にした彼女の出演作

     ジョージ・ワシントン時代のの90%は長老主義者であった。アメリカ独立に長老主義は非常に大きな寄与をした。特に、社会的な地位は重要であった時代であり、そこで一定の社会的地位を持っていた(この辺、森本あんり氏の反知性主義の本の中でのリバー・ランズ・スルーイットのエピソードが面白い)。オハイオ、インディアナなど中西部のフロンティア開発でも一定の役割を果たした。スコッツアイルランド的の長老主義が広がり、訓練された牧師が少なく、講壇に説教者を供給できなかったために、なかなか広がらなかった。

     メソジストやバプティストは、説教者として平信徒をどんどん採用した(この結果、森本あんり氏の本にもあるように、「メソジスト派は、字の読めるバプティスト、バプティスト派は、靴を履かないメソジスト」と揶揄されるほどであったらしい)。その結果、これらの両教派の指数的拡大に比べ、長老教会は大きく数の上での後れを取った。この結果、牧師の要請面での問題に直結する形で、アメリカの神学的特性は、もともとのカルヴァン主義から、アルミニアンへの移行することになる。神中心なものから、人間中心なものへの移行をしていくのではないか。
    >>ミーちゃんはーチャン的突っ込み
    個人的には、アルミニアンの関係者に知り合いが多いので、「神中心のものから、人間中心なものへ」のくだりは言い過ぎだと思うが、信徒レベルではこういわれても多少仕方がない部分もあるかもしれないとは思う。言うなれば、神のみに重点を置いたカルヴィニズム的なものから、人間側にも多少ウェイトがかかったアルミニアン的な聖書理解、神と人間という料側面を考える神学理解の移行と言った方が正確かもしれない。
     この結果、王権を前提とした社会から民主主義社会への移行があり、そして、第1次大覚醒があって、アメリカの社会構成が変質してきた。19世紀のある歴史家は、メソジズムがアメリカに与えた影響について、キリスト教が内的なもの、心理的や感情的なものになってきた、と指摘している。内側に向かうことは、霊的な暗がりが発生し、クリスチャン世界での神の国がこの世で実現することは考えられない。神権政治的な背景における改革主義的な生活要素から、内生的な敬虔主義的なものになり、ローマの修道院主義的なものへキリスト教が変質していく。

    >>ミーちゃんはーチャン的突っ込み
     まぁ、メソジスト的なものに変質した以上、そもそもの出発点のジョン・ウェスレー先輩のおっしゃったことが独り歩きしたメソジスト的な世界が繰り広げられやすい以上、この傾向はいたしかたないもの、と思われる。しかし、ローマの修道院主義とは、ちょっとひどいなぁ、と思った。修道院ってひとくくりにできないほど多様だし、霊性が、修道会ごとに違うんのでねぇ。
     また、アルミニアンが増えたから、アメリカで民主制へ移行というのも、ちょっと違うかなぁ、と思う。そこまで言うなら、独立運動にかかわった長老主義者のことは問題にされることになりそうだし。
     第2次覚醒運動は、19世紀初期におきた。Camp Meetingを中心に起き、バーティンストーンによる長老教会でのキャンプでおきたものである。このキャンプミーティング自体、スコッティッシュコミュニオンに由来を持つものである。この時には、犬のような鳴き声、大きな笑い声、身体的な表現がみられた。バプティストやメソジストのようなところで、このリバイバルは、さらに進展する。長老派の中では、贖罪の神学に影響した。チャールズ・フィニー(この方については『森本あんり著 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体 を読んだ(10)』や『福音派が生まれたころの世界むかし話(4)』を参照)のような牧師がカルバン主義を否定することになった。人間の意思による信仰ということが強まってきたのではないか。時代的には1820-1830年に相当する。


    第2次大覚醒当時のキャンプミーティング
    犬が手前にいるのは犬のような鳴き声のメタファー、下着姿で祈る女性が描かれている。

    まとめ 改革派の歴史に学ぶこと


     本日の改革長老派の歴史に学ぶこととしては、3つのテーマがあるだろう。 
    1)    殉教と迫害
    2)    摂理の神秘
    3)    宣教的な宣言

    殉教と迫害
     この代表例は、ユグノーたちの犠牲である。改革主義に対する憎しみ(個人的には、カトリックに対する憎しみをかなりご講演中時折感じましたが)は、北米だけでなく大陸でもあった。北米では、改革長老派の寛容が逆に働いていたし、伝統的モラルに対する反対もあったし、罰金を科せられる例もある。将来投獄されるような状況もそれほど先でない将来にあるかもしれない(再臨論にはまっている人からしたら、艱難後再臨説か、と思ってしまった)。

    摂理の神秘
     ピューリタンで始まったが、下降線をたどるばかりでしかなかったように見える。丘の上の町の光がなぜ消えたのだろうか。なぜ、信仰を表明できないのか。なぜかはわかない。神の神秘の中で、神の怒りが落ちるものへと変わってしまった。
     しかし、神は、信仰者を天にふさわしいもに作り替えられる。ヘブル人への手紙11章で示された殉教者は、神の究極の約束や勝利を受けてない。新約的なキリスト者には、反対は常にあるものだし、困難な道であることはそもそも言われていることである。
     アメリカの長老派は(そして日本の長老派も)、パウロのように、言わなければならない。失望すべきではないし、われわれは責められており、踏みつぶされられており、見捨てられているが、滅ぼされない、と。神の手の中にある栄光にあるのではないか、長老派が神の栄光を作り出すのではない(これやったら、神になっちゃいますもんね)。

    宣教的な働き
     Calvinがなくなった翌年フランスのシャーロット砦事件が起きている。熱心さとやさしさのゆえに正統的な教えを維持できなくなる場合がある。Old Schoolと New Schoolの分裂で見られる。また、後年リベラリズムが南北の長老派の主流に影響したことを見ることができよう。
    >>ミーちゃんはーチャン的突っ込み
     この講師のSmith先生にとっては、リベラリズムは天敵のようでした。ここまで嫌わんでもいいじゃないか、とは正直思いました。

     伝道的なエンジンとして、改革派の信仰があった。改革長老派は、伝道的でないとされるが、常に最前線にあって働いてきた。
    >>ミーちゃんはーチャン的突っ込み
     最前線にあって働いてきたけども、結局やり方が悪くて失敗しました、ということのように聞こえました。まぁ、この辺、米国社会における社会的階級や人種的な関係もあるので、一概には言いにくいが、基本、改革長老派、コーカシア系アメリカ人のキリスト教であったという側面はあろう。しかし、この講師のSmith先生は、Deep SouthのCity Centreの、コーカシア系の「やさしい、柔和な女、すなわち柔和で、やさしく、足の裏を土に付けようともしない者」(申命記 28:56)なら、入って行かないような地域で伝道活動されている方としての矜持からのご発言と理解した。
     改革長老主義は民族的な多様性とユニティをつなぐ要因となりうる。21世紀において、エスニシティを言う文化歴史学は、気候要件と地理的要因が歴史の要因となるであろうと主張しているが、民族的気候的地理的要因であるかもしれないが、それとともに、知的や宗教的要因が歴史のカギではないだろうか。
     現在まで、改革長老派は、イタリア人やユダヤ人への伝道、ヒスパニック、フィリピン人、スーダン人、韓国人、中国人、日本人、開拓地とは違った形であるが、御子の犠牲を中心として語っている。これが、改革派信仰の物語を作っているのではないだろうか。

     なお、以上の速記録は、当日参加した際の現場でのノートのみに基づいているので、ありうべき過誤は、ミーちゃんはーちゃんにあることは、付言しておく。

    感想
     これ、ある神学校の神学教育の一環として行われたのであるが、参加者でこの講義をどこまで楽しめたか、というとかなり疑問ではないか、と思う。この記事の以下の部分で紹介する様な日本語で読める基礎的文献を読んでいないと、かなり消化不良を起こしたのではないか、と思う。
     
     アメリカ政治史、アメリカ文化史、アメリカ文学などの講義が大学の文学部系統で実施されているが(ミーちゃんはーちゃんも、明石先生という方のアメリカ史概説を大学時代に受講したことがある)、基本、この種のキリスト教史についてはほとんど触れられないので、キリスト教史的な要素が多大に影響しているにもかかわらず、そこが抜け落ちていることが多く、高等教育機関で学習したものでも、アメリカの実情、アメリカ人の感覚の実層に近いところの理解はできていないのではないか、という思いがある。それは、最近、アメリカ政治史の研究者の会合で発表させてもらった時にも、それは強く感じた。第二次世界大戦は、アメリカという神政国家’Theocracy)と、日本型天皇制神政国家の戦いであったのではないか、とお話しした時、日本人の研究者はきょとんとしてたが、Maine大学とフィリピンのDe La Salle大学の教員には、大受けであった。

    アメリカが亜種のセオクラシーの一種の影響階にあることを示すGod Bless Ameria.


    セリーヌ・ディオンによるUSS Harry S Truman艦上でのGod Bless America

    US Navy 030117-N-9851B-027 The Military Sealift Command ship USNS Spica (T-AFS 9).jpg
    上の歌が歌われたUSS Harry S Truman(ミニッツ級空母)

    Battle flag with red background with the number 75, crossed canon barrels and phrase "Give 'em Hell"
    USS Harry S Trumanの戦闘旗(地獄を食らわせろ、ですって)


     個人的には、講師のSmith氏の主張に全部同意するものではないが、アメリカを理解するために、このような宗教史に関しては、アメリカ史、アメリカ政治、アメリカ文学等アメリカ学関係をする高等教育機関では触れられるべし、と思っている。





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    コメント:絶賛お勧めしています。

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    コメント:初期植民地の宗教事情を知るために重要。

    評価:
    森本 あんり
    ¥ 1,836
    (2006-05)
    コメント:良い。アメリカ史とアメリカキリスト教史を概観できる薄いけれども重要な本。入門としては最適

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