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2015.04.01 Wednesday

森本あんり著 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体 を読んだ(14) 最終回直前スペシャル

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     これまでの、連載は、こちら 反知性主義をめぐるもろもろ  をご覧ください。

    延々と15回にわたり、関連情報を含め、お送りしてきた森本あんり先生の「反知性主義」アメリカが生んだ「熱病」の正体 であるが、本日が最終回直前の記事である。今日も関連情報満載でお送りしたい。

    知性とは何か
     まず、「反知性」の反対にある「知性」とは何か、ということに関して、森本先生は以下のようにお書きである。
     
    「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。知性は、その能力を行使する行為者、つまり人間という自我の存在を示唆する。知能が高くても知性が低い人はいる。それは知的能力は高いが、その能力が自分という存在のあり方へと振り向けられない人のことである。(反知性主義 p.260)
    「ふりかえり」や「反省」の有無というのが、知性の働きとして極めて重要であるということをご指摘になっておられる。個人的には大学時代の哲学の基礎教養をつけていただいたのが、パスカルの研究者でもあった故湯川佳一郎先生であったので、哲学とは何かを教わった。一言で言うなら、「哲学的反省」のことであり、「自分自身が何者であり、自分自身がどのように生きるべきかを考えること」であるということになろうか、と思う。その意味で、「反省」みずからの「ふりかえり」が哲学の出発点であろう。

    反知性主義と歴史観のなさ

     以前にも触れたが、現在と将来だけがあって、過去のない社会というのは、実はかなり「反知性的」である疑いが強いような気がする。ある面で言うと、現在と将来だけに関心が深く、新約聖書を中心として(中でも、黙示録を中心として)読むキリスト教というのは、「反知性的」である可能性が濃厚である。

     以前、尊敬してやまないアメリカ在住のU先生が「戦後生まれのプロテスタントの信仰」について、新約聖書詩篇付きの信仰と自嘲気味におっしゃったが、それは、ある面で言うと、この反知性的なアメリカ型のキリスト教を直輸入した結果であるがゆえに起きた現象かもしれない。
     しばしばいわれるように、アメリカは中世なき近代であり、宗教改革なきプロテスタンティズムであり、王や貴族の時代を飛び越えていきなり共和制になった国である。こうした伝統的な権威構造が欠如した社会では、知識人の果たす役割も突出していたに違いない。それが本書で辿ったアメリカの歴史であるが、反知性主義はそれと同時に生まれた双子の片割れのような存在である。(中略)他の国で知識人が果たしてきた役割を、アメリカでは反知性主義が果たしてきた、ということだろう。
     本書は最初から最後まで、キリスト教がアメリカにおいて土着化したこと、文脈化したこと、そしてその結果が宗教と道徳の単純なまでの同一視であること、の二点を強調してきた。(pp.262-263)

     要するに、アメリカは、キリスト教の顔をした道徳だった可能性があるような気がする。ごくごく荒っぽくいってしまえば、市民宗教としてのキリスト教だったような気がするのだ。

    Law and OrderのあるEpisodeから
     このことを思い起こさせる話として、Law and OrderのSeason 17 Episode 14で、同性愛者をバッシングする新興キリスト教団体New Promise Churchと自称するキリスト教的な宗教集団の牧師のようなの関係者が同性愛者で男娼の成年男性に対する殺人事件を起こすエピソードがあるのだが、この終わり方がすごいのである。

     この年間に数十億円の献金とグッズの売り上げを誇るキリスト教会のような宗教集団の牧師の関係者が、教会にとって不都合なことが広まらないようにするために黙らせるためにある男娼の成年男性を殺したのだが(同性愛よりも殺人の方が罪が軽いと思うところがそもそもどうかと思うが)、捜査の過程の中で、この殺人を行った牧師の関係者が、過去に性犯罪にかかわっていたことが判明する。

     そして、検事(実際には検事補)が殺人を行った牧師の関係者に、次のように持ちかけるのだ。

    「あなたが過去に売春にかかわった結果の逮捕歴があり、そのため改名(アメリカでは割と簡単に名前を変えられる)したことが裁判になったらその議論の過程の中で明らかになる。しかし、裁判になるとその過去はばれるが、もちろん裁判であるから、無罪となる可能性がある。しかし、もし殺人を認め、司法取引して、刑に服すなら、検察としては裁判の継続は断念し、この不都合な事実は明らかにならないが、どうする?」

    このように聞くシーンがある。すると、この教会関係者は司法取引し、過去が明らかにならないことを選ぶのである。

     これが、市民宗教と化したアメリカの『キリスト教』の一断面を非常にうまく描いているように思うのだ。この場合、自分自身の信仰のありようであるはずの、自分の罪の回心よりも自分の不道徳の過去を葬り去ること、即ち殺人への有罪を告白することで自分が売春婦であることがばれない道を選び、教会のようなところが継続するように図ろうとするのだ。もう、ミーちゃんはちゃんからすれば、「???MJSK」であるけれども。

     しかし、こういう例に近いキリスト教会ってのはアメリカで結構ありそうな気がするだけに怖い。

    進化論との対決の裏側
     反知性的な行動が顕著に表れた例として、反進化論の論調が取り上げられる。アメリカでは、進化論は、アメリカとアメリカ系のキリスト教関係者の間で、ポリティカル・イッシュー(政治的な論点)として炎上しやすいネタであるが、その背後に反知性主義というか、反権威主義が潜んでいることを森本先生は次のようにお書きである。

     ここに言う「政府」とは連邦政府のことであり、それに反対する人々はおもに南部諸州を中心とした「バイブルベルト」の地域の人々である。彼らは、自分の子供たちに何かを教えるべきかということで連邦政府から指令を受けるのを好まない。つまり、家庭における価値観や教育というプライベートな部分に連邦の権力が踏み込んでくることに対して、怒りに満ちた異議を表明しているのである。ムーディやサンデーの時代とは異なり、今日の反対は、科学そのものよりも、科学が権力と結びついていることに向けられている。(同書 p.265)

     森本先生の論旨は非常に明快で、反進化論闘争は表面的には信仰上、神学上の議論の顔をしているが、実態的には、政府と個人の権力闘争であることを非常に明快に指摘しておられる。日本の福音派と呼ばれる人々の一部では、この辺の権力闘争の側面を見落とし、神学的な護教論としてあるいは弁証論として反進化論闘争を日本にも持ち込んで、キリスト者がキリスト者を切ると言ったようなことをしている人々がおられるが、それは無益であろう。

     本来進化論への反対者が向かうべきは、文部科学省と教科書用図書検定審議会だろう。そして、米国では、本来、Establishmentへの反権力志向を持つ、割と反知性主義者と親和性の高い民主党政権に火を吹いて行くことが多い。なんか、こういうのを見ていると、近親憎悪って言葉が浮かんできそうである。

    南部と反知性主義との不幸な出会い

     南部諸州を中心としたバイブルベルトは、東部Establishmentを中心とした、Federal Systemに対抗し、Confederate(南部同盟)を作ってCivil War南北戦争を戦い、敗北する。基本的に連邦政府=Federal System=北軍=東部Establishmentであるような思いを抱いているため、負け惜しみ的にも、連邦政府にFedsと言って嫌う傾向がある。


    南軍The Confederate Statesの旗

     以下に紹介する動画は、上側がCSAという、もし、北軍が勝っていなくて、南軍が勝っていたらどうなったか、という非常に込み入ったドキュメンタリー映画の予告編である。なお、調べたら、それの全編が公開されていたので、予告編の下に貼っておきました。

     まさにバイブルベルトは、敬虔なキリスト者の地でもありますが、反権力、反連邦、反知性の地でもあり、日本人には住む際に細心の注意が求められる場所の一つです。特に、都会地で、南軍のステッカーが貼ってあるピックアップトラックを見たら要注意です。

     

    C.S.A.(南軍が勝っていたらのフェイクテレビ番組として作られた映画、CMまでフェイク)の予告編



    C.S.A 本編 無駄に長いかもしれないのでお好きな方だけ

     以下の動画は、Jesus Campという非常に反知性的傾向を持つアメリカの宗教団体の若者向けキャンプとその周辺を取り上げたドキュメンタリー映画の予告編である。最初、この映画を見た時、私もこのJesus Camp中にいた登場人物のひとりであった、ということを思ったのであった。

     もちろん、18歳からこの方、Fortran 77で異言を語ったり、Visual BasicやJCLやJavaやPythonやC++で異言を語ったことはしょっちゅうあるが(私とコンピュータはその意味がわかるが、他の人がわからないという意味では異言であるし、きちんと解き明かしもできて、聞いた人の徳を高めることもできいる。また、このコンピュータ言語のときあかしも私の生業の一つであるが)、このJesus Camp中に出てくるような異言は語れたためしがない。だからと言って、異言を語る人々をキリスト者でないとは言わないし、異言を語られるという語るグループにおられる方の中にも、尊敬する信仰者の方はおられる。その方の異言をお聞きしたことはないが。言いたいのは、私はそれらの方々と違う形態の信仰者である、というだけのことである。



    Jesus Campの予告編

    マッカーシズムと世界のあちこちでの反知性主義

     リバイバル大会のスタッフが、非常に優れていて、そしてそのままビジネス界で成功して行った経緯が示された後、森本先生は次のようにお書きである。

    かくして、宗教的訓練はビジネスの手段の一つとなる。ビジネスで成功したければ、しっかりとした信仰を持ちなさい。それがあなたを道徳的に氏、人格的に氏、そして金持ちにしてくれるーこれが、20世紀以降のリバイバルで繰り返されるレトリックである。信仰はこの世の成功を保証してくれるのである。第2次世界大戦後には、ノーマン・ヴィンセント・ピールの「ポジティブ思考」がアメリカを席巻した。マッカーシー上院議員が知識人や連邦職員を次々に共産党員として告発して血祭りにあげていたまさにそのと同じ頃、ピール牧師の出版した『積極的考え方の力』は、3年続きのベストセラーとなり、多くの言語にも翻訳されて世界中にアメリカ精神の明るさと楽天性を印象づけていたのである。実に奇妙な取り合わせだが、これがまさに反知性主義のアメリカである。(同書 p.267)
     マッカーシズムの問題は、これまでもこのブログで何度となく取り上げてきたが、実にろくでもないことが、70年ほど前のアメリカでおきたのであった。そして、この一端に触れ、チャールズ・チャップリンは、アメリカから追われるようにいなくなる。

     日本では、1940年ごろから1945年ごろキリスト者が非国民と非難され、石を投げられ、社会の隅に追いやられたし、ドイツでは、1930年代後半からナチズムが席巻し非アーリア的という言葉で人々を隅に追いやる状況が世間を席巻し、アメリカでは、一部の知識人が1948年ごろから冷戦の対立構造が激化の中で、非アメリカ人と非難され、石を投げられ、社会から追放されたのであり、それの背景が、実はキリスト教的な背景による反知性主義ということは覚えておいてよかろうかと思う。似たようなことは、クメール・ルージュ支配下の民主カンボジア(その昔、民主カンボヂアの声というラジオ放送があった)でも起きたし、お隣の国中国でも紅小兵の時代に起きた。

     要は集団ヒステリーだと、個人的には思っている。


    時代を感じる紅小兵のポスター


    友人に連れ込まれて中学生ころ聞いていた海外放送を受信していた日立Padisco
     ちゃんとVoice of Americaなぞも聴いていた。

    集団ヒステリーはおっかない

     しかし、巻き込まれていない限り集団ヒステリーを冷静に見ていられるが、その渦の中に巻き込まれたら、ろくでもない運命が待っている。日本とアメリカが戦争している間中、敵性外国人は、日本でも生きにくかったし、アメリカの日系人が多かったカリフォルニア州では、マンザーラ収容所に日系人を収容した黒歴史がある。

     下記の映画は、Julie and Juliaの一部である。この映画は料理研究家で、アメリカの草創期のテレビで料理を紹介しまくったJulia Childさんという方の追っかけをやってブログに料理をのせまくるというおっかけをしたJulieという若い女性の顛末を描いた映画であるが、これ単純なお料理映画としてみてはいけない。このフランス在中中のJuliaのご主人がマッカーシズムの波に巻き込まれ公職追放の憂き目にあうことが物語の隠し味になっている。

     それを理解しなくとも、この映画は楽しむことができるが、大人の隠し味部分はほぼ落ちてしまって、なんかおなかいっぱい、それで終わり、って映画となってしまう。しかし、以下の動画ではJulia役のメリル・ストリープの見事なアメリカ人風のテーブルマナーが炸裂している。


    Julie and Julia

    反知性的な一部のアップルユーザー

     アップルコンピュータの製品のユーザーに喧嘩を売りたいわけではないが、アップルユーザーの一部、とりわけショップ店員にカルトじみたちょっとポジティブ思考に近い反知性的な人々がおられることは確かのようである。以下の動画はシンプソンズでそのことを揶揄した動画である。

     Think DifferentlyをThink Positivelyとすれば、反知性的であることがすぐに御理解いただけよう。
     

    The Simpsonsに取り上げられたアップルへの批判 Think Differently


    Positive志向のおかしさ

     以下の動画は、バーン・アフター・リーディングの予告編動画であるが、実にアメリカ風に問題には解決策、解決策が生み出した問題には、さらに解決策という形で問題を次々複雑化させていくそのアメリカ的なポジティブ思考のナンセンスさを非常にうまく示している。


    Positive Thinkingが行きついた先のこっけいさを描いたBurn after Readingの予告編

     この種の能天気さに関して、森本先生は次のように書いておられる。
     こうした楽観主義的思考は、戦後間もないピール牧師の時代には美徳だったとしても、今日ではもはや一種の病であり、産業破綻が目前にせまっているような経済状況にも目を向けようとしない危険な精神態度である。この面では、「はじめに」でふれた昨今の日本の「反知性主義」理解とも相通づるところがありそうである。(同書 p.268)
     ある面、原発推進派のキリスト教徒は、終末が来てこの地がどうせ滅びるから、原発汚染だろうが環境汚染だろうが、「おれたち関係ねぇ、おれたち関係ねぇ、オパピ〜〜〜」と言っているかどうかは定かではないが、基本、終末で全部清算されるはずであるので関係ない、気にしなくてよい、という極めて無責任で楽観的な生き方に走りがちな方もおられる。しかし、キリスト教徒の中には、神から預かったこの地を大切に生きるべきとする方々もおられる。ミーちゃんはーちゃんはどちらかというと、この地での生活を大切に生きたい方である。

    終末論とPositive 思考

     この辺りで終末理解が、人生の生き方に影響を与え、終末理解がキリスト者としての生き方をどう考えるか問題に深い影響を及ぼすことは、記憶しておいてよいかもしれない。そして、その終末理解とpositive志向というのか強行突破型の生き方がつながった時の恐ろしさは、ハンパないような気がする。

     そして、神様が何とかしてくださるという思い込みで生きる生き方(それはまた反知性的な生き方だと思うが)は、藤掛明氏のおっしゃる強行突破型のキリスト者の人生へとつながっているように思う。この辺りに関心の深い方は、藤掛明氏のおふぃす・ふじかけのなかでも、牧師のストレスとセクハラ問題 (http://fujikake.jugem.jp/?cid=42)という連載の強行突破型の人生とこのポジティブ思考とのかかわりをお考えいただきたい。

     なお、ミーちゃんはーちゃんは、この種のPositive Thinkingや、キリスト教集団の中でも、この現世志向の強い、▽|Pとか○BM○とかの方々は尊敬するが、それらの方々とお付き合いはかなり苦手である。とはいっても、まぁ、お付き合いくらいはしている。先方からのご要望があればではあるが。最近は、御要望がないので、放置している。

     次回最終回、個人的なまとめ。
     


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    コメント:反知性主義の実情が描かれていたような気がする。何より、反知性主義の逆側の立場でソジャーナーズの創始者ジム・ウォリスが喋るシーンがちらっと出てくる。

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