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2015.03.25 Wednesday

森本あんり著 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体 を読んだ(11)

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    前回までの連載はこちら反知性主義をめぐるもろもろ から。

     今日は、ムーディ先生をご紹介したい。一世を風靡したムーディ勝山ではない。


     熱唱するムーディ勝山先生

     いや違う。この写真の方である。

    ムーディ先生の伝記の表紙

    19世紀末リバイバルとムーディ

     ムーディ先生は、経済社会的な変革期を迎えた混乱の最中のアメリカの中で、伝道された方である。その背景に関して、森本先生は次のようにお書きである。
    ドワイト・ムーディ(1837-1899)の活躍した19世紀末は、「第3次」の信仰復興運動に数えられる。それは、アメリカが農業社会から工業社会へ、農村中心から都市中心の国家へと姿を変えつつある時代だった。その変化を支えるために、さらに大量の移民が流入し、それと共に経済格差も広がってゆく。素朴な田舎の出身で、満足な教育も受けず、都会の喧騒の中で不安と孤独をかみしめている人々が、無名の「大衆」となって漂流し始めた時代である。リバイバルは、第一次、第2次の時と同じように、こうした人々の心に浸透して大きなうねりを生み出していった。(反知性主義 pp.185-186)
     この時期に原理主義(Fundamentalism)という語が生まれる。この経緯に関しては、こちらの記事 キリスト教Evangelicals と Fundamentalits が形成されるアメリカの社会背景を参考にしていただきたい。

     ところで、「都会の喧騒の中で不安と孤独をかみしめている人々が、無名の「大衆」となって漂流し始めた時代である。リバイバルは、第一次、大事にの時と同じように、こうした人々の心に浸透して大きなうねりを生み出していった」という部分を読んで思い出した本がある。それは、ロドニー・スターク著『キリスト教とローマ帝国』である。

     この『キリスト教とローマ帝国』中で、スタークは、ローマ帝国の中で災害や疾病で社会的混乱や不安が起きたときに、キリスト者が増え、その挙句の果てにキリスト教が国教化するまでになる。この背景を丹念な歴史的に入手可能なデータを入手できる調査結果に基づき、統計的手法を用いて示している。

     ある面、社会不安が急増した時に、宗教への関心が高まることは、ローマ帝国だけではなく、日本でも起きている。奈良期の初期、平安初期、鎌倉期、安土桃山期、江戸末期から明治初期、大正期、1945年から1950年ごろ、1980年代のバブル崩壊期と多様な新宗教、新宗派が勃興し、一種の宗教ブームの様相を呈している。その意味で、社会的混乱が起きた時期の前後には、宗教的な何かにひかれていて、関心を持つ人が増加する傾向にある模様である。

    貧困者への伝道
     キリスト教は、貧困者への伝道と援助をかなり昔から行ってきた。これは、Moodyとて、同様である。そこらに関しては、先日のフィニー先生に関するところでご紹介したとおりである。

     スラム街の子供や親にとり、既存の教会はとても敷居が高くて足を踏み入れることができない。ムーディは、そういう貧困階級のための「教会」を作り、その初代「牧師」としてふるまった。もちろん彼は神学の教育など受けたこともなく、どこかの教派で正式に牧師として認められたわけでもない。おそらく自分でも、牧師であるつもりはなく、あくまで困った人の面倒をみる世話役くらいの認識だったと思われる。(中略)会社勤めのサラリーマンがきるような、普通の背広姿で説教題に立ったのである。それがまた人々に親しみやすい信頼感を与えた。(同書 pp.187-186)

     当時のアメリカでも、貧しい人々、特に1840年代の後半のジャガイモ飢饉後のアイルランドからやってきた食うや食わずのアイルランド系移民や新たに到着し始めたイタリア系、北欧系及び東欧系移民、中国系を中心とするアジア系移民にとって、バプテストでも、ウェスレー派でも敷居が高くてアクセスへの障壁があったのかもしれない。また、アイルランド系移民はまだ問題(アイルランド英語は英語ではないといううわさもないわけではないが)がないにせよ、北欧系、東欧系移民にとって、説教が理解しにくかったことは想像に難くない。

     もちろん、ジョナサン・エドワーズ等を代表格とするピューリタンの場合、確かに高踏的であり、その中に放り込まれた場合、借りてきた猫状態になるのは当然ではないだろうか。英語が理解できない第1世代なら、一体何が起きているのやらになりそうである。

    ミーちゃんはーちゃんの集団とMoody

     しかし、ミーちゃんはーちゃんの教派的伝統でもある極端な平信徒主義に立つラディカルなセクト型教会にいるので、「もちろん彼は神学の教育など受けたこともなく、どこかの教派で正式に牧師として認められたわけでもない。おそらく自分でも、牧師であるつもりはなく、あくまで困った人の面倒をみる世話役くらいの認識だったと思われる」をみると、まるで、ミーちゃんはーちゃんの理解と同じようなものである。この類似性がミーちゃんはーちゃんがいる教派の19世紀の大英帝国内の当時の信徒たちがMoodyの英国での活動を支援することになる。これについては後述する。

     ミーちゃんはーちゃんの教会内の立ち位置であるが、まぁ、平信徒主義に立っているので、世話役というよりは、教会内の実務処理担当者兼信徒説教者兼伝道師という感じだろうか。まぁ、平信徒主義なので、他の人も聖書からの話も、その方の得意・不得意を見ながら順番にお願いしている。 

     まぁ、「会社勤めのサラリーマンが着るような、普通の背広姿で説教題に立ったのである。それがまた人々に親しみやすい信頼感を与えた」とあるが、「会社勤めのサラリーマンが休日に着るような、普通のカジュアルな姿で説教題に立ったのである。それがまた人々に親しみやすい世間話を説教の冒頭に持ってきた上で、聖書から話をする傾向にあった」という感じにすると、まぁ、大体私が今いる教会の説教者の雰囲気といえるだろう。

     ただ、服装はカジュアルな形で話していることの背景は、ネクタイに背広だと、かなり硬くなってしまうので、服装自体はカジュアルにしている。ただ、個人的には、世間話は途中に類例として混ぜることがあるが、私の説教スタイルは、ほぼ世間話が入らないので、「学校の授業見たいだ」と言われることがある。これまで出てきたアメリカのキリスト教会で言うと、ウェスレー派とピューリタンの間で、ウェスレー派寄りという感じではなかろうか、と思う。

    Moodyと単立系福音派教会

     ここで、森本アンリ先生は、独立系教会、単立系教会、超教派系教会に関して次のようにお書きである。
     ムーディの教会は、その後全世界で見られるようになる「独立系」教会の走りとなった。これは、伝統的な教派の枠組みとは無関係に、民衆の中から自生的に成立する集会のことである。読者の中には、そんな教会はいくらでもあるはずだ、と思われる方があるかもしれない。確かにその通りである。昨今なら、そういう教会は「単立」とか「超教派」を名乗ることなるのだろう。実情からすれば、取り立てて既存の教派を「超越」しようとしたわけでなく、ただみんなが自然に集まって出来ただけであるとしても。(同書 p.186)
     現在の福音派には、かなりの割合で「独立系、単立系」の教会が多い印象がある。伝統的な教派の枠組みの不自由さにつらさを覚えた人々で、特段教派にこだわりがないがゆえに、勝手に教会のようなものを作ってしまった感じだろうと思う。

     森本あんりさんは、「取り立てて既存の教派を「超越」しようとしたわけでなく」とお書きであるが、教会のようなものを作った段階の第1世代では、どこからも教会運営や方針に関して嘴入れられたくなくて、勝手連的に教会を作ったのであろうけれども、第2世代やそれ以降の世代では、それが「教派を超越する」という教会や「他の教派よりも優れている」とか「自分のところだけが正しいキリスト教である」という向きも出てくる。「ただみんなが自然に集まって出来ただけ」であるにもかかわらず、である。

     これは、反知性主義というよりも、過去のいきさつが忘れ去られていくことによるものだと思っている。まぁ、キリスト者では、聖書理解がかなり神とのかかわりのあり方を決めていくので、どうしても、

     「自分のところが正しい」
     ⇒「自分のところだけが正しい」

    という思い込みが生じやすいと思う。

    繰り返されるイベントとリバイバル 

     現代のフ○ンク▼ン・グ○ハム(ウィ▼アム・フ○ンク▼ン・グ○ハム3世)等の伝道集会やら、リバイバル大会やらで、音楽と説教という劇仕立てのルーチン化したイベントがあちこちで多用される原型に関して、森本さんは次のようにお書きである。
     フィニーのところで前述したとおり、「リバイバル」という現象そのものは、寄せては返す波のようにこうして何度でも繰り返す。そして、そうであるからこそ、リバイバルは成長ビジネスとなる。一度の回心でだれもが聖人になってしまったら、この商売はやがて行き詰ってしまうだろう。しかし、リバイバルはいわば同じ客に同じ商品を何度でも売ることができる。(同書 p.191)
     リバイバルは何度も繰り返していることは、過去のリバイバルの歴史をみればかなり明らかである。このあたりのことは、D.M.ロイドジョンズのリバイバル をご覧いただくとわかるかもしれない。ただ、ロイドジョンズは、リバイバルをビジネスとしてとらえてはいない。純粋に霊性の範囲内でとらえており、祈りによるものと明らかに示している。

     しかし、グ○ハム一族も、本来的にはそういうあり方に反対していたはずの人たちだったはずなのに、Dynastyを構成しているとおかしげなことが起きていそうな気がする。


    グ○ハム2世(元祖)


    グ○ハム3世(総本家)


    グ○ハム4世 (本家)

    「なんか、右のひとさし指突出してしゃべる、ってのは遺伝ですか?」
    って聞いたら怒られそう

     ここまで書いて、お近くの国の指導者御一族のことを思い出してしまいました、とさ。




    イベントドリブン型福音伝道の原型

     しかし、アメリカ型のリバイバルは、割と同じ客に同じ商品を何度でも売る、そのために、場所を変えながらリバイバルのために何度でもイベントを起こす、そして、何度でも信仰者が起きるという経験をしているらしい。そして、アメリカの伝道団体は、このイベントドリブン(イベント志向)型の伝道方法をとりたがる。そして、人が集まらないときには、そのイベントに駆り出された奉仕者が叱責を受けたり、苦情を言われたりする。そういうとんでもない罰ゲームが待っている。そういう意味で、イベントドリブン型の伝道方法って、個人的には、どうなんかなぁ、と思っている。

     さて、このイベント・ドリブンな伝道方法というのは、森本先生ご指摘の通り、初期リバイバル以降アメリカの伝統であるが、音楽が導入されるのは、おそらくこのMoody先生以来ではないか、と思われる。そして、これは、現代の多くの福音派と呼ばれる新興プロテスタントでの特徴でもある福音派諸派で、音楽やPAが重視され、コンサートと見紛うばかりのキリスト教界もあるし(それはそれで悪いとは言わない)、中には、イベントの音響屋をやった方がいいのではないですか?といいたくなるほど、PA関係の機器に詳しい牧師先生もおられる。まぁ、PAは説教が届くためには重要なのだが、そこで真空管アンプが、と言われてもなぁ、と思う。

     周到な準備の後、彼はゴスペル歌手のアイラ・サンキー(1840-1908)を伴って二年間のイギリス伝道旅行に乗り出す。付いた時には無名であったが、説教と音楽という二人の名コンビは、スコットランドとアイルランドの大都市を皮切りにリバイバル集会を繰り返し、どこでも大歓迎されて、二年後にはイギリス中の有名人となっていた。ロンドンだけで、250万人が彼の説教を聞いたと言われる。(同書 pp.192-193)
     ところで、このイギリスでの伝道旅行に、プリマス・ブラザレン(プリマス・ブレズレン)の平信徒の皆さんが、宿泊環境を提供したり、イベントのお手伝いをしたりしたことが、CoadのA History of Brethren MovementやGrassのGathering to His Nameに記載されていた。

     


     なお、このブラザレン派というグループは、その数十年後に英国で行われるビ▼ー・グ○ハム(ウィ▼アム・フ○ンク▼ン・グ○ハム2世)伝道大会でも、かなり積極的に支援したことが、上で紹介した2冊には書かれていた。



    評価:
    D.M. ロイドジョンズ
    いのちのことば社
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    (2004-10)
    コメント:よい。この本の200ページにブラザレン派のことが出てくる。

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