<< 森本あんり著 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体 を読んだ(8) | main | 森本あんり著 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体 を読んだ(10) >>
2015.03.21 Saturday

森本あんり著 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体 を読んだ(9)

0


    Pocket

     これまでの記事は、こちら 反知性主義をめぐるもろもろ から。

    アメリカにおける反知性主義的な政治の伝統

     アメリカの反知性的な政治思想の代表例として、ジャクソン大統領の例が紹介されていた。このジャクソン大統領のことを思うと、どこぞで、ダボヤと呼ばれていた近年の大統領がこの語の関連で思い出される。彼の場合は反知性主義と呼んでいいのかすら、疑問であるかもしれないが。今度は、その弟のジェブ君が出るらしいが。ジェブ君は、まだまともなのかしらん。

     なぜ、他国の大統領のことを失礼にもそう思うか、というとこのダボヤと呼ばれる大統領には、迷言録があってBushismとアメリカ合衆国内でも言われるほどであったからである。


    NBCによるBushism(ブッシュ妄言録)

     この動画の中には、Misunderestimate っていうすごい単語が出てきたり、27秒前後からは、人間と魚が平和裏に共存できるといってみたり、とまぁ、すごい迷言の連続である。英語力の向上(かえって低下するかもしれないが)のために是非ご覧いただきたい。

     なお、このダボヤと呼ばれるブッシュ大統領に非常に批判的な動画は、MSNBCが自分たち自身で作った動画をもらってきてお示ししたまでであり、ミーちゃんはーちゃんはこの動画作成に一切タッチしていない。



    George H W Bush(パパ ブッシュ)


    George W Bush(兄 ブッシュ)


    John Ellis Bush(弟 ブッシュ)

     しかし、ここまで続くと、Bush Dynasty(ブッシュ王朝)と非難されても仕方ないだろう。ジェブ君(弟ブッシュは、現在フロリダ州知事)このことに関しては、後に別記事で触れる予定である。

    ジャクソン大統領によるアメリカの黒歴史
     ここで反知性的な大統領第1号として栄誉ある地位を獲得したのが、Jackson大統領である。この大統領には、結構黒歴史が付きまとっている。その代表的な例が、ネイティブアメリカンの土地の強制的な取り上げであり、Reservation(日本語では居留地)と呼ばれる狭苦しい土地への強制移住である。
    彼(ジャクソン大統領)の見た「アメリカ人民」には、黒人や先住民や女性は含まれていない。ジャクソンは、先住民の強制移住を勧めたが、必要な場合には容赦なく駆逐し殺戮するという方法をとった。広がりゆくフロンティアは、基本的には白人入植者が保有すべきものであって、原始的な生活を好む先住民とは共存できない。だから彼らをできるだけ遠くの居住区へ隔離して、直接の接触を避けるべきだ、というのが彼の考えだった。先住民が先祖代々受け継がれてきた土地を去らねばならないことを悲しむと、彼はピューリタンが新天地を目指して生まれ故郷を去ったことを引き合いに出した。政府が無償で土地を与え、移住のための秘奥まで負担するのだから、先住民はありがたく思え、とすら語っている。チェロキー族は、強制移住法により、1838年の冬にオクラホマまで移住を強いられて4千人を失ったため、その道程は「涙の道」と呼ばれている。(反知性主義 pp.165-166)
     案外と知られてはいないが、アメリカの統計局の定義するフロンティアというのは、1平方マイル当たり、いわゆる白人(ヨーロッパ系移民)が6人以下の土地であった。この中には、狩猟民族のため、定住しない種族も多かったネイティブアメリカン諸部族の人々は入っていないし、アフリカ系アメリカ人も、アジア系アメリカ人も含まれてはいない。基本的に農作物等の収穫のために季節移住をするような人々を人間としては認めなかったのだ(要するに家畜と定義上は同じ扱いであった)。

     以下の動画はモヒカン族の最後を扱った、The Last of the Mohicans の予告編であるが、この中にも彼らが非常にひどい目にあったことが描かれている。 
     
     映画 The Last of the Mohicansの予告編

     また、この連載として紹介し続けている『反知性主義』の本の159₋160ページ当たりで、このジャクソンの時、現在の大統領選挙戦の原型が実は形成されたことをお示しである。つまり、ネガティブ・キャンペーンそのものや、テレビ演説の原型となった一般演説会、今や大統領選になぜか欠かせない野外ラリーと呼ばれる野外集会やバーベキュー大会などもこのジャックソンとその前職のアダムズとの一騎打ちが原型であることが同書では指摘されていた。



    アメリカの日常生活で結構お目にかかることの多いJackson大統領の乗った20ドル札


    Harkin 上院議員への応援演説をするヒラリー女史。美貌のおちがかなり激しい。

     1997年にテレビで選挙戦を見ていたときは、もうちょっとお美しかった気がする。多分、それは気のせいかもしれない。

     ところで、1990年代末、まだ、テロもなく鷹揚な時代に、The Evergreen State Collegeとうワシントン州の州都Olympiaにある大学で約半年教鞭をとったことがあるが、その時の同僚に、Martha Hendersonという女性地理学者がいる。彼女は、大学院時代の博士論文がジェロニモにみる西部フロンティア開発についての地理学的考察だったらしく、このあたりのことはやたらめったら詳しかったのを思い出した。本論とは関係のない話であるが、非常になつかしい思い出である。

     なお、このThe Evergreen State Collegeは、実はもともと、Native Americanの人たちの居留地だったところに、Native Americans との和解と協調的併存の象徴としてつくられた大学であって、全米でもリベラルアーツの分野では屈指の大学の一つである。キャンパス全体、ファカルティ全体に非常にネイティブ・アメリカン文化に対する尊敬が見られた。


    Prof. Martha Henderson
    ジェロニモとその子孫を追っかけた女性地理学者


     この大学(The Evergreen State College)の卒業生の一人が、アニメ シンプソンズを制作しているので、The Evergreen Terrace という地名が、The Simpsonsには、かなり出てくる。


    息子のBart君へあてられた手紙のEvergreen Terraceという文字


    The Evergreen State College

     ミーちゃんはーちゃんが教壇に立った(一応英語のようなもので講義した)こともあるThe Evergreen State Collegeは、もともとネイティブアメリカンの居留地であったために、まさにこんな感じの林の中に立っているような学校であった。非常にエコロジカルなことに関する意識の高いこの学校の環境科学研究科のようなところで教えていた。

     後ろにネイティブアメリカンアートの木の彫像が見える。

    Davy Crockett に代表される反知性主義

     1990年くらいまでに子供時代を経験したアメリカ人なら、Jackson大統領時代のアメリカ人で、割と有名な人物(日本では知られてないことが多いようだが)Davy Crockett というむちゃくちゃな人物がいる。その人物伝を森本先生の本から引用してみたい。

     のちに伝説的な英雄となるデイヴィー・クロケット(1786-1838)も、この時代の人物である。アメリカの子供たちが歌や逸話で知っている彼は、素手で 熊をやっつけ、トレードマークのアライグマ帽をかぶり、愉快なほら話をして人気を集め、荒物砦の戦いで勇敢な死を遂げた人物である。しかし、彼は同時にテ ネシー州の治安判事であり、州選出の連邦議員であった。一体どこでどうやって法律家になる勉強をしたのであろうか。実はクロケット自身も「法律の本など生 まれてから1頁も読んだことがない」と豪語している。書けた字は自分の名前だけだったという。それでも彼は州の法廷で、立派に判事としての職を遂行することができた時代であった。(同書 p.166)
     ヨーロッパ人からしたら、そして、近代人からしたら、実に無謀、実に粗野、実に荒くれ者的な生き方である。 だいたい法律書も読んだこともなくて、そして字が書けるのは自分の名前だけ、っていうことで社会の安寧を担保する社会の要職である裁判官が務まる、というのがこの時代であったようである。

     そして、弁護士や検察官(いずれも、法律家、Attorneyとも呼ばれる)が繰り出したであろう、法律的なマニューバー(法廷戦術)への対応ができた時代である。実は、アメリカの陪審員制度というのは、かなり、この時代の反知性的な雰囲気と密接な関係にある制度だと思っている。つまり、証言の真実性や有罪の認定を専門家がするのではなく、ど素人集団の陪審員団がやってしまうということがあり、実は差別などと結びつくと被差別者に対して不当に不利な判決が、特に南部諸州で頻発したことが知られている。なお、このCrockettという人物は、南部テネシー州を中心に活躍したらしい。



    DisneyのDavy Crockett の人生に関する歌

     なお、うえのDisneyのBallad of Davy Crockett ではJacksonの名前も出てくるしCrockett自身はThe King of Wild Frontier とうたわれている。しかし、王制を持ったことのないアメリカでKing 王ってどやさ、って感じではあるけれども。



    映画になった時のDavy Crockettのポスター


    薄っぺらで新しいアメリカという国家
    まるでディズニーランド

     ジャクソン時代(今もだ、という噂はあるが)が非常にやすっぽっく薄っぺらだったことに関して、上記のDavy Crockettとのかかわりで、森本先生は次のように書いておられる。 

    それは(ジャクソン時代の新しい平等意識と民主的な精神)は、薄っぺらで安っぽいが、新しいものを生み出そうとする活力にあふれている。他の人が何を言おうと、有無を言わさぬ自信に満ちた時代であった。(p.167)
     ところで、薄っぺらで安っぽいけど、幸せなアメリカを体現しているのが、実は、ディズニーランドだと思うのだ。世界で最も幸せな場所、The Most Happiest place on earthとも宣伝文句にあるが、しかし、ディズニーランドはよく考えてみたら、非常にアメリカ的なのだ。以下の話は、10年ほど前のカリフォルニアのディズニーランドの記憶からである。

    Disneyland に示されたアメリカの歴史

     まず、入って最初が自分たちの現在の消費文化を示す、Main Street USAであり、そして、Disneyland Railroad 西部開拓時代の蒸気機関車を模したもの 多分重油で動いているっぽい)そして、ディズニーランドを一周すると、現在から順次過去に戻っていく展示でできており、特にビッグサンダーマウンテンや一周して回ってきた最後にある古代生物などのセットは、かなりベニア板多用の薄っぺら感があって痛々しかった。

     そして、Country BearsたちがいたCritter Countryやスプラッシュマウンテン、ビッグサンダーマウンテンのあるフロンティアランドは西部開拓時代を表象し、そして、トゥモローランドでは、スペースマウンテンやスターツアーズで将来の宇宙開発へのあけすけな夢が語られているし、オートピアでは、アメリカ社会の自動車依存体質をゴーカートという形で体感できる。

     そして、カリブの海賊では、アメリカ合衆国開発前史ともいうべき、コロンブスが間違えてインドだ、と思ってしまったために始まったカリブ海での植民地開発の一端に触れることができる。The Pirates of Caribbeanは今では、映画を先に見ている人が多いので、あれが、ディズニーのアトラクションが先であったことだけは触れておく。

     なぜ詳しいかというと、カリフォルニア在住当時、何度も子供と一緒に行ったからである。

    明治維新の志士に影響した反知性主義
     反知性主義の革命思想性に関して、森本先生は次のようにお書きである。

     反知性主義は単なる知性への軽蔑と同義ではない。それは知性が権威と結びつくことに対する反発であり、何事も自分自身で判断し直すことを求める態度である。そのためには、自分の知性を磨き、論理や構造を導く力を高め、そして何よりも、精神の胆力を鍛え上げなければならない。この世で一般的に「権威」とされるものに、たとえ一人でも相対して立つ、という覚悟が必要だからである。だからこそ、反知性主義は宗教的な確信を背景にして育つのである。(同書 p.177)
     この部分を読みながら、日本が明治維新後1940-1945年の時期を除き、なぜアメリカを一種の国家モデルとしてきた部分があるのか、そして、アメリカ型のキリスト教を輸入し、それが定着する可能性があったのかの背景となったのかにかんしてピンときた、というか、「あっ、察し…」となったのである。なお、明治維新後は、学問や学制、刑法はドイツ系のものを利用し、民法はフランス、海軍は大英帝国、国際政治や国際関係はアメリカという感じで理解すれば、まぁ、かなりの部分はカバーしているといえよう。なぜ、国際政治や国際関係でアメリカとの連携が模索されたか、といえば、アメリカが当時の日本と同様に乞う発の新興国家であり、付き合いやすかったし、また、太平洋を挟んで向かいにあるので地の利の関係で近かったというのはあるだろう。

    反知性主義の革命性と志士

     しかし、それと同時に、明治維新は、実は非常に革新的な思想の結果であり、革命的な思想であったからではないか、と思う。つまり、従来の権威性を否定しようとしたのだ。江戸幕府、お上というその権威に対して、薩長土肥の下級武士が反逆したのが明治維新ではないだろうか。幕末の志士たちは、各藩にあっては、上士という藩の代々続くお歴々の家老や年寄りクラスに反逆する手近な類例というか根拠として、このアメリカの反知性主義とその根拠になったアメリカ型の平等主義、そしてその根拠になったキリスト教に対する関心が深かったのだと思う。理念としての人権思想ではなく、討幕運動に手直にあった思想として、アメリカの反知性的な思想を持ち込んだように思うのだ。

     つまり、彼らは反逆思想、四民平等の思想としての根拠への関心をもって聖書を読んだのであり、キリスト者になるつもりも、キリスト教国にするつもりもさらさらなかったと思うのだ。つまり、討幕の思想的根拠として、聖書を読んだだけであり、それで神やキリストに対する信仰を持つつもりも、その重要性を理解するつもりも、恐らくはなかったと思われる。もし、聖書を読んで幕末の志士が信仰を持ったなら、維新後すぐにキリスト教禁教の高札を外したはずであるし、全国への指令としてキリスト教を国教化すべしと命令したであろうが、そうは問屋がおろさなかった。もちろん、一部にはキリスト者になった人々もいたが。

     某いのち○ことば社の「聖書を読んだサムライたち」という本やDVDがあるらしいが、きっとここらのことに関して、それらのものの中では、実に懇切丁寧に解説しておられることと期待したい。個人的には、なんだか龍馬伝に便乗した残念なキリスト教書のようなもの、としか思えなかったので、手に取ることすらしていない。恥ずかしいではないか。便乗なんて。そして、それに便乗して、伝道に用いるなんて、もっと恥ずかしいことではないか、と思っている。

     それより、昔の聖書図書刊行会の貴重な図書の復刻版を刊行する方が先だと思う。某いのち○ことば社が、「私たちは伝道団体であり、営利団体ではございません」とご主張になるなら、それが先ではないか、と思う。

     余談に行き過ぎた。

     実は、明治期前後(江戸末期を含む)のキリスト教への対応の研究をしていて思うことは、実は儒学の陽明学の原型として、キリスト教にアプローチしようとしたような気がする。陽明学は、大塩平八郎の乱に見られるように、かなり過激な革命思想なのであり、キリスト教とよく似ている。

     聖書はご禁制物資だった、とご主張の向きもあろうが、そこはそれ、琉球をかました密貿易は薩摩の得意技であり、それで莫大な利益を薩摩藩は上げていたし、辺境にあって幕府の目が届かないことをいいことに、上海あたりから漢訳聖書位は簡単に沖縄経由で輸入されたのではないかと想像して、ニタニタと楽しんでいる。

     よく日本やアジア的な思想は平和主義というようなことをおっしゃる向きがあるが、中国や我が国の超安定期でもあったはずの江戸期にも、このような暴力的革命思想があったことは忘れてはならないと思う。





    コメント
    コメントする








     
    Calendar
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << November 2017 >>
    ブクログ
    G
    Selected Entries
    Categories
    Archives
    Recent Comment
    Links
    Profile
    Search this site.
    Others
    Mobile
    qrcode
    Powered by
    30days Album
    無料ブログ作成サービス JUGEM