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2015.03.16 Monday

森本あんり著 反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体 を読んだ(7)

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     これまでの、連載は、こちら 反知性主義をめぐるもろもろ  をご覧ください。

    リバー・ランズ・スルー・イットで描かれた
    America the Beautiful


     第4章の中で、「リバー・ランズ・スルー・イット」のご紹介と、アメリカのエマソンなんかの自然主義文学(これも立派なアメリカの文化的伝統の一部を形成している)をご紹介しておられる。この映画は、モンタナが舞台である。下記の予告編の50秒あたりに本文中でふれられてもいる In Montana there's three things we're never late for: church, work and fishing.という有名なせりふが出てくる。


     いや、モンタナはシアトルから車でYellow Stone National Parkに訪問する途中、8月の初旬に訪問したのだがいやぁ、実にきれいなところであった。まだ、当時3歳の長女が「金色の海だ」と風にたなびく延々と続く麦畑の麦穂を見ていった程であった。


    The River Runs Through it の予告編
     上記映像50秒あたりに本書本文でも取り上げられた、モンタナでの3つの遅れてはならないことがでてくる


    America The Beautiful


    エマソンの理性と反知性主義の微妙な関係

     エマソンの詩は、ハーバードでは卒業式や入学式でふれられたり、ちょっと学のある人々の中で、好まれている詩作であり、アメリカの詩歌文学の金字塔(ピラミッド)の一角を占める、という感じがする。ところが、このエマソンの思索には、アンチヨーロッパ、アンチ権力の部分があり、特にヨーロッパ、何するものぞ、という部分がありそうな気がする。まぁ、それだけ、手つかず(Pristine)の自然をうたった部分がある。その意味で、反知性的(というよりは反権力的)で少し乱暴なところがあるのだ。

    面白いことに、彼(引用者注 エマソン)の理性という言葉は、「信仰」という言葉で置き換えても全く同じように通用する。そこには、宗教改革の左派セクトと共通のラディカルな平等主義が流れているからである。どんなに権威ある制度も、神の前には一つの被造物的存在にすぎない。ヨーロッパの知的権威が彼の眼には何の権威を持たないように、長い歴史と伝統のある教会も何の権威も持たない。各人の生きた理性や信仰は、それらの古い権威と同じだけの重みを持つ。ここで、エマソン的な反知性主義の複流が表層にほとばしり出るのである。(反知性主義 p.140)

     乱暴といえば、まぁ、これまでの記事でふれたようなDunkersと呼ばれることもあるその昔のアナバプテスト派は確かに宗教改革左派セクトであり、極端な平等主義でもある。そして、宗教改革時代のラディカリストたちは、ちょっと前のタリバーンやISISないしISILよろしく、ヨーロッパの教会という教会の中の美術品、工芸品を壊しまわっていたのである。

     この種のラディカルさをもつアメリカ人の一種の乱暴さというか粗野な部分がアメリカ人気質を、表していると思えなくもない。例えば、テンギャロンハットをかぶり、Howdiと日に焼けた親しみのある顔を見せるアメリカ人は、ヨーロッパ人にはカウボーイと見えて仕方がないようである。ちなみに現代のアメリカ人は、普通の人でも歯列矯正をする人が多いので、ヨーロッパでも、あ、この人アメリカ人ね、ってすぐわかるらしい。



    テンギャロンハットをかぶったカウボーイ姿

     テキサス州でおきたWaco事件で、キリスト者集団が銃を連邦政府の法執行機関(警察等の部隊)にぶっ放しながら最期はおそらく自爆して集団自殺するという事件はアメリカならではの事件であると思う。


    Wacoでおきた状況を伝えるCNN 35秒あたりから


     ヨーロッパとアメリカという意味では、ヨーロッパ的知性の持ち主であったバルト先生には、神の使者としてのビリーグラハムではなく、ピストルをすぐにもぶっ放しそうな乱暴者として見えたのであろう。そのあたりのことは、「のらくら者の日記」のHさまが「カール・バルトのビリー・グラハム評」に書いておられるので、その一部を引用して紹介。

    それに先立つ1960年8月、ヴァリス州で息子マルクース・バルトの紹介でビリー・グラハムと会った時の印象をバルトは次のように語っています。


    「彼はまったく楽しい男(jolly good fellow)です。彼とは、個人的にもよく、オープンに話すことができ、このような福音伝道のラッパ手たちにとっては必ずしも自明でないことにも、しっかり耳を傾けることができる人だという印象を受けます。」


    この2週間後、グラハムはバーゼルにあるバルトの自宅を訪問します。この時もよい印象を受けたそうです。しかしその日の夕方、ザンクト・ヤコブ競技場でのグラハムの伝道説教を聞いて「事態はまったく違ってしまった」ようです。バルトは語ります。

    「私はまったく驚いてしまいました。彼は荒れ狂う狂人のように働きかけましたが、その講演の内容は、まったく福音という ものではありませんでした。 ・・・ それはまるでピストル射撃のようなものでした。・・・それは律法の説教であり、喜びをもたらす使信ではありませんでした。彼は人々にショックを与えようとしたのです。脅迫 ーそれはいつも何らかの強烈な印象を与えるものです。人びとは喜びを与えられるよりも、むしろ ショックを与えられることを、はるかに願っているものです。人びとは、怖がらせれば怖がらすほど、ますます《走り出す》ものです。(しかし、この成功に よっても、この説教が正当化されるわけではない。福音を律法にしてしまうことも、) また商品か何かのように《売り歩く》ことも許されないのです。・・・ われわれは、神の業を遂行する自由を、神さまにゆだねなければなりません」

    (以上は E. ブッシュ著 『カール・バルトの生涯』 pp. 635-636 より引用)


    私(のらくら者の日記の方)が尊敬する神学者や牧師たち、例えばバルトもロイド・ジョンズも、ビリー・グラハムの伝道集会を拒絶しました。

     しかし、こののらくら者様が引用してくださったのを見て、このブログ記事がのらくら者の日記に掲載された当時、「バルト先生、大正解!」と思ったのである。一部のアメリカ型キリスト教の反知性主義を「また商品か何かのように《売り歩く》ことも許されないのです」と一部のアメリカ型キリスト教の問題の本質の一部をついて批判しておられる。

    幕末の志士に影響を与えた
    アメリカの反権力主義

     この記事を書いている2015年には、「花燃ゆ」が大河ドラマとして放送されているし、ちょっと前には「竜馬伝」、その後には「八重の桜」が放送された。そのたびに、キリスト教を日本の武士たちが知っていた、ということが高唱され、それにかかわる本がいのちのことば社から出されたりする。

     しかし、幕末の志士にとって「都合がよさげ」と思われた国家の思想は、アメリカであったようである。彼ら幕末の志士がアメリカをモデルにしたのは、幕末の志士にとって、アメリカのセクト型キリスト教のあり方が彼らの倒幕運動にとって非常に都合がよく、そのアメリカ型の思想の権威への反逆性というか、反権威性が倒幕運動にとって、都合がよかったに過ぎない。当然のことながら、明治維新が終わったら、討幕した彼らはキリスト教的思想そのものを思想的ツールとしてあっさり切り捨てている。

     そして、その後、日本でキリスト教を担いだのは、討幕諸藩(薩長土肥)軍に負けた佐幕藩(幕府側)の兵士として戦った敗軍の下級士官クラスのお侍ばかりである。彼らに立身出世の道が断たれ、教育者(デモシカ先生の祖先)か軍人か警察官か新興宗教であるキリスト者であった。唯一、討幕側で有数のキリスト者を出した熊本県(肥後)からは、同志社に移ってから、海老名弾正に代表される極めて特殊な日本型キリスト者等が排出される。

     幕末の志士たちに影響を与えた部分だろうと思われるものを森本先生の本から少し引用してみる。
    知性にせよ信仰にせよ、旧来の権威と結びついた形態は、すべて批判され打破されねばならない。なぜなら、そうすることでのみ、新しい時代にふさわしい信仰や知性が生まれるからである。その相手は、ヨーロッパであったり、既成教会であったり、大学や神学部や政府であったりする。反知性主義の本質は、このような宗教的使命に裏打ちされた反権威主義である。(同書 p.141)

     基本的に、先に、幕末の志士たちは、この時代のアメリカの哲学者や思想と非常に深い関係があることは説明した。彼らは討幕するための根拠地して、ご禁制物資であったこのアメリカの思想を上海から長崎へと運ばれた漢籍として読んでいたのであろうと推測される。おそらく、儒学の中の陽明学として読んだものと思われる。

     ところで、この明治維新、長州にしても土佐にしても、薩摩にしても、肥後にしても、比較的身分の低い軽輩者と呼ばれる下級武士たちという、武家社会の中で辛酸舐め男であった人々が中心になって起こした運動である。このあたりの身分制度の圧迫とその脱出とリンクしているからこそ、彼らはヨーロッパではなく、アメリカをモデルとしたのであろうと思われる。なお、薩摩藩の琉球王国を介しての密貿易は公然の秘密であったらしい。

    究極の自然児

     この人物の後輩にあたるソローって博物学者に関して、エマソンの言葉を引きながら次のように紹介しておられる。
    エマソンによると、ソローは説教社だが説教壇を持たない。学者でありながら学問を糾弾する。厳粛な両親を以てのんきなアナーキーを推奨する。いわば、「ハーバード卒のハックルベリー・フィン」みたいな存在である。ちょっと矛盾した滑稽な人物でだが、反知性主義にはどちらの側面も重要である。ハーバードを卒業するようなインテリだからこそ、既存のインテリ集団を批判する能力もある、ということなのだろう。後に見るような矛盾は、現代の反知性主義者にも共通するところがある。(同書 p.143)
     ところでこのソローは、カエルの気持ちを理解できるか、ということを想ったのかどうかは知らないが、池の中に一日浸かっていた、っていうエピソードがある。まぁ、ハーバード卒の野生児といえばかっこいいが、「頭良すぎて、頭おかしい」という人物であったかもしれない。

    Henry David Thoreau once spent a whole day in Walden Pond up to his neck in the water. He wanted to experience the world as a frog sees it. He shared the experience, but not the reality. Thoreau did not become a frog!

    http://www.housetohouse.com/HTHPubPage.aspx?cid=433

     しかし、ソローまで行けば、まさに病膏肓という感じもするが、これがアメリカ人の自然主義への系統の典型ような気がする。まぁ、わからなくもない。なぜならば、アメリカ、特にニューイングランドの秋は全体に美しいが、メイン州などの秋などは非常に美しいからである。
     
     その美しさは、いくつかの映画などに非常によく表れている。以下は、ニューイングランドの風景にBGMとしてカントリーポップスを用いたものである。


    ニューイングランド地方の秋の風物

    「この森で、彼女はバスを降りた」(The Spitfire Grill) のTrailer


    ヒロインが歌っていた「ギルアデの油」と呼ばれる讃美歌(2分40秒くらいから)

     上記の讃美歌の原案となったと考えられる【口語訳】エレミヤ書
     8:18 わが嘆きはいやしがたく、わが心はうちに悩む。
     8:19 聞け、地の全面から、わが民の娘の声があがるのを。「主はシオンにおられないのか、シオンの王はそのうちにおられないのか」。「なぜ彼らはその彫像と、異邦の偶像とをもって、わたしを怒らせたのか」。
     8:20 「刈入れの時は過ぎ、夏もはや終った、しかしわれわれはまだ救われない」。
     8:21 わが民の娘の傷によって、わが心は痛む。わたしは嘆き、うろたえる。
     8:22 ギレアデに乳香があるではないか。その所に医者がいるではないか。それにどうしてわが民の娘は
    いやされることがないのか。
     
    まだまだ、続く。



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