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2015.02.21 Saturday

『富士山とシナイ山』に学ぶ、日本のキリスト教と歴史 (10)

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     本ブログ、最長連載記録を更新中となっているが、本日もしつこく小山晃佑 著『富士山とシナイ山』の「宇宙的生成論およびイデオロギー的中心」から引用しながら考えたい。過去記事をご覧になりたい方は、コチラ 『富士山とシナイ山』に学ぶ を参照されたい。本日からは、第11章 テクノロジーは能率性と意味との葛藤を引き起こすからご紹介いたしたい。

    テクノロジーと歴史性

     まず冒頭の小山先生のご発言が意味深い。
     
     貪欲と色欲に対する我々の戦いは熾烈でかつ骨の折れるわざである。テクノロジー的能率性を駆使して実行することはできない。だがこの戦いには、人間的意味の可能性が掛けられている。歴史的なものはテクノロジー的能率性のカテゴリーの下に包摂されえない。歴史的なものとテクノロジー的なものとの間には苛立ちの関係がある。(『富士山とシナイ山』 p.199)
     貪欲と色欲って、ダイレクトに言われてしまった感じだなぁ。いやぁ、テクノロジーってのは、結構貪欲系や色欲系のものと絡むことが多いのだなこれが。サイバー詐欺もそうだし、ネットが広がったのも、結構色欲系のサイトがあって、ということもあるし。だから、未だに、ネットは不謹慎な世界と、思われている。別にそう思われてもいいけど。

     バイクや車も、ある面、色欲系ではある。テクノロジーと色欲系がくっつくと「艦これ」とか、ろくでもないことが起きる。息子さんのお話だと、2014年のセンター試験にミッドウェー海戦が出題されたので、このゲームの参加者(通称提督)の受験生は「うぇ〜〜〜い」と、大喜びしたとかいないとか。



    DMMさんのサイトにあったキャラクター「赤城」

     しかし、本来苛立ちがあるはずの歴史的なもの(過去を志向)とテクノロジー的なるもの(未来を志向)を併せ呑むヲタクの力というものには、驚くべきものがある、とだけ論評しておこう。

    宗教とテクノロジー

     宗教とテクノロジーの関係について、小山先生は次のように書いておられる。

     最期に、宗教は救済を約束する。救済は未来と結ばれた概念である。来世の次元を示唆する概念である。宗教の未来と彼岸は過去の宗教的経験の視座からは十分に説明されえない。宗教的現在は未来に向かって傾斜する現在である。テクノロジーも同様未来に向かって傾斜している。後者は、その驚異的能率性によって我々が伝統的に宗教のうちに意味してきた意味にとって替わることを示唆している。(中略)回復する望みなき患者の命を救いうるのは宗教ではなく医療技術である。テクノロジーは驚愕的行動を通して宗教に挑戦しているのである。(同書 p.201)
     ここを読んだ時、素朴にオウム真理教のことを思い出した。彼らは、宗教とテクノロジーをある面、見事に融合したと思うのだ。先ほどの『艦これ』ではないが、彼らは救済を求めながら、ポアという方法論のために大量にサリンを作ろうとした。作り損ねたからよかったけど。そして、貧民の武器と呼ばれたAK-47 を作ろうとしたり、ヘリコプターを買ってみたりと、非常に特異な発想で自ら(あるいは松本智津夫被告か?)を救済者に据えようとしたのではないか。非常に日本的な宗教観というか宗教的コンテキストの中で。その意味で、オウム真理教は、非常に日本的な宗教的な何か、を持っているのである。あるところで、富士山信仰とくっついていたり、キリスト教的なハルマゲドンを持ち込んでみたりと。

     そして、テクノロジーに基づいたものを用いて、救済だと称して、伝統的な宗教に挑戦したといえよう。マハーポーシャという安いパソコンやがあったので、やばそうな名前だなぁ、と思っていたら、実はオウムの別働隊だったと後で気が付いたという残念なお知らせ。買わなくてよかったと思っている。

    コスモスとテクノロジーの微妙な関係
     宇宙飛行士が宗教に走ったり、数学だの物理学だのを極めていくと、だんだんおかしくなる(あっちの世界に行ってしまう)のは、それぞれの世界あるいはコスモスが持つ、イコン(アイコン)と論理がそうさせるのかもしれないと思う。

     コスモスという語は我々に自然の秩序的イメージを与える。いわば知恵のイメージである。コスモスには「イコン」(イメージ、川のように見ることができるもの)と「ロゴス」(言葉、「水の動き」の合理的説明のような一定のイコンの内部で生起していることについての合理的理解)との神秘的統一がある。(中略)コスモスが知覚されるときは常に、我々はイコンとロゴスに接触するであろう。コスモス的イメージは我々の想像力を目覚めさせる。コスモス的な言葉は我々に教え、理解と合理性を与えてくれる。(中略)コスモスは宗教的である。イコンとロゴスの神秘的統一性は世俗主義を退ける。(同書pp.202₋203)
     そういう意味でいうと、マッキントッシュは、非常に宗教的な世界なのである。もう、信仰といってもよいかもしれない。個人的には、アップルと言う会社は嫌いではないが、あまり好きでもないし、その会社の設計思想には、なるほど、と思うことはあるが、設計思想がよいからといって、それに追随することはしていない。

     個人的には、何らかの形で、自分自身が抱えるタスクが解決すればよいのであって、そのために使えるのなら、何でもいいと思っている。その意味で、個人的にはコンピュータ技術について、帝国主義者ではない。確かに昔は、イラストレータやフォトショップといったデザイン系のソフトウェアが使えるのは、マッキントッシュだけであり、マッキントッシュの中に入っているモトローラ68000系のCPUだけであったから、というだけであったが今は、確かマックの中もインテル系のx86系統のCPUになっているはずである。

     また、現在、パクリといわれようがなんといわれようが、ほぼ多言語対応が可能になったMS-DOSの後継OSである、Windows系や、UNIX系のOSでも、使用上多言語対応上の問題が実用上ほぼないので、別に問題解決できたら、どれでもいいと思っている。要は使えればよい、と思っているのだ。



    The Simpsonsで揶揄されるApple の利用者の皆様

     上のアニメに示すように、基本的には、アップル自体も一種の宗教性が強い会社である。まぁ、それはアップルだけでなく、ソフトウェア会社が一種の開発思想や設計思想に基づいて開発するので、どうしてもそういう思想性に走りやすい傾向になりやすいのはよくわかるけれども。なお、上の動画を紹介しているからと言って、ミーちゃんはーちゃんはApple Userの皆様に敵意はない。


    テクノロジーとイコノグラフィー

     テクノロジーとイコノグラフィーの関係について小山先生はこのように書いておられる。 

    テクノロジーは自然の上に能率的かつ行政的なイメージを刻印すること(つまりイコノグラフィー、図像学的操作)から発生する。それは実験的冒険的、積極果敢な精神の表現である。(中略)こうした力強いイメージ書き込み(Image Writing)を行う能力は、元来テクノロジーが原子のコスモロジー的世界(世界生成論)イコン(図像)から受ける霊感に由来するのである。航空機、最も最新式の旅客機すら、鳥のイメージを維持している。北ボルネオの川をこぐシンプルな二人乗りカヌーも、核潜水艦もいずれも魚のスマートなイメージと合理性を暗示しているのである。テクノロジーはコスモス(自然的、調和的)のイメージと言葉に基づく計り知れぬ能率性を想像する啓蒙の一種である。(中略)能率性は啓蒙である。これが人類に対するテクノロジーの霊的及び宗教的メッセージである。この意味において、我々のテクノロジー的時代は啓蒙時代なのである。能率性は啓蒙であると告白するなら、テクノロジー的意味において我々は宗教的なのである。(p.203)
     こう書かれると難しいが、この文章を見ながら、実は宮崎駿アニメの「風立ちぬ」を思い出していたのだ。「風立ちぬ」の主人公の飛行機の設計者がサバの味噌煮を食べているときに、サバの骨を取り出し、そこにインスピレーション(霊感)を受け、飛行機の翼断面形状に同じ断面形状があることを言い出すシーンがあるが、これなどは、まさに、飛行機などがもう完全にイコノロジー由来であることを如実に示していたのである。

     飛行機ヲタクのミーちゃんはーちゃんは、飛行機の美しさを語らせたらまぁ、収拾がつかなくなるので、やめておくが、非常に美しい機体が世の中には存在する。3次元連立微分方程式体系を解くような流体力学をミーちゃんはーちゃんに教えてくださった大学時代の恩師が講義中に教えてくださった(今はもうその言葉位しか残ってない)ことのなかに、

    「合理的なものは人間の目から見て美しい。美しくないものは、逆にどこか不合理を含んでいて、非効率の原因を含んでいる」

    ということをおっしゃったが、なるほどなぁ、と思ったものである。

     しかし、飛行機の設計の世界も実はかなり宗教的なのだ。ボーイング社とエアバス社では、ここまで設計思想が違うかというほど設計思想が根本的に違う。第2次世界大戦中のドイツ系の戦闘機とイギリス系の戦闘機(特にスピットファイアー)との間ではここまで違うか、というほどの設計思想の違いがある。つまり、設計そのものが一種宗教性を帯びているようにも思うのだ。そのあたりのことは、風立ちぬの中盤以降を見るとよくわかる。

     なお、風立ちぬを見た直後の記事は、こちらから


    風立ちぬ の予告編

     テクノロジーも、実は非常に宗教的なのだ。宗教的というのがまずければ、ある独自の世界観を持った世界が並立しているといってもよいかもしれない。技術者の端くれとして、それは思う。ある世界観(技術体系)にはまってしまうと、別の世界観(技術体系)は理解しにくくなる(なぜならばそれだけ余分に考えないといけないし、根本的に違う思想であるから、それぞれの設計思想という技術体系ごとに用いる言語が違うからである)。まるで、バベルの塔の世界であるなぁ、と技術者の端くれとしては思う。

     旅客機というのは、翼にドンガラつけただけの機体が多いので、つまらんことが多いのであるが、最近空を飛んでいるBoeing 787の翼形状を後ろから見た画面には、ほれぼれとするほど美しいと思った。ただ、この機体の機首は、工作効率性のためか、雅趣がなくてちょっと残念であるけど。


    Boeing787

    次回もまた、この本からのご紹介の話題を続けたい。

     

    評価:
    ---
    ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
    ¥ 3,681
    コメント:好きな作品の一つ。飛行機ヲタにはたまらん。

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