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2015.01.07 Wednesday

イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教(4)

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     これまで、ゲーム理論とそこで用いられる用語、どんな概念になっているのかについての基本概念についてご説明し、15年戦争期のキリスト教を例 にとりながら、ゲーム理論の応用やそれでなぜ、日本のキリスト教が皇宮遙拝に走ったのか、キリスト教との預言者的性質などについても少しふれました。そのうえで、3回目の連載では、閾値(限界を迎える値となるための要因が存在し、その値を超えた瞬間に、丁度斜面の上に静かにとどまっている雪がどっと落ちて雪崩になるように、社会の動きが変わることがあることをご説明しました。

     一応、本日でこの連載は終了ですが、過去記事は以下の通り。

    イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (1)

    イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (2)


    イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (3)

    共通化・互換化に伴う問題

     今回、何らかの共通性や相互共通関係ができたときに、どういうことが起きるのか、ということについて触れてみたい、と思います。

     のらくら者の日記の記事で、

    リスク支配戦略による「プラットフォーム競争」です。『プラットフォーム競争で勝つのは安くてよい商品とは限らない:技術競争は「標準化」ではなく進化的な生存競争だから、すぐれた規格が競争に勝つとは限らない。むしろ新しい「突然変異」を拡大する多数派工作が重要だ』

    という御指摘がありましたが、このあたりのことをキリスト教界を例にして、ご説明してみたいと思います。

    キリスト教界とプラットフォーム戦略

     キリスト教界にプラットフォーム競争があるか、というと、それにふさわしい例か、適切な例示かどうかは、あまり自信はないのですが、相互陪餐認証問題ということがそれに類似性が一番近いか、と思います。

     相互陪餐認証が微妙に教義が異なるキリスト教界の集団間で完全に進みますと、信徒にとっては、どこでも自分にとって、都合のよい、便利な地域にある教会の聖餐式に参加できるようになります。この時、次のような状況を考えます。

    相互陪餐の極端な事例

     一方は、ある地域(たとえば、日本全国)の中に2つしか教会がないキリスト教界の集団(これをキリスト教団Aとし、それぞれが、教会員が20人と30人)と、その地域の中に1000を超える教会(これをキリスト教団Bとし、それぞれの教会の教会員が100人平均)があるキリスト教界の集団を考えます。

     高齢化が進む中、どちらが厳しい状況の直面するか、ということを考えると、論を待たずに教団Aでしょう。しかし、この教団Aと教団Bには、聖書理解に関する大きな違いが従来あるとされ、教団Aの指導者は教団Bの教会に行くことも、教団Bの信徒の友人と話すことも、教団Bの信徒と通常の商法上の行為すらしてはならないと強硬に主張していたとしましょう。

     カトリック教会のプロテスタント教会に対する対応は、16世紀から17世紀ごろの西ヨーロッパでは、ほぼこれに近いようなものであったと言えるのではないか、と思います。現在ではかなり変わっておりますことだけは言及しておきます。

     しかし、教団Bの20人規模の教会の牧会者がなくなり、おまけにお年寄りの女性信徒しかおらず、一人欠け、二人欠けしていくことが発生し、ご年配のご婦人お一人だけの教会になったとしましょう。この教会を維持するかどうか、と考えたとき、教団Aでは、これまでの教団Bとの関係のあり方を改め、よくよく子細に検討した結果、教団Aの従来の指導者が言っていたほど、教団AとBの間に差がなく、教団Bに行ってもよい、聖餐も相互に認証する、と方針の変更がされ、同様に、少数側の教団Bの側が教壇Aとの相互倍さんが可能である、と態度を変えたとしましょう。この時、恐らく起きることは何か、というと、恐らく教団Bの消滅が待っていると言えると思います。

    相対的な数の多さの優位と
    相互陪餐がもたらす結果
     つまり、相対的な数の多さで、互換性、あるいは相互受け入れがある場合、より大きい方は、より大きくなり、より小さい方は消えていくことが多いようです。実際に18世紀の大帝国領内で、国教会分離派が多数生まれましたが、結果として、国教会分離派として残ったものは、ウェスレー派、クェーカー、ブラザレンなどごく一部であり、残ったものには残ったもの特有の背景があるようです。詳しくは、英国の教会史をご自身でお調べいただきたいと思います。このあたりの本は、Wipf & Stock の British Evangelical Identities Past and Present, Volume 1 などや Studies in Evangelical History and Thought のシリーズなどをまずお読みになることをお勧めします。

    消滅を防止するために

     相互陪餐による信徒集団として消滅することを防止するためには、より小さなものは大きいものに対立的な態度をとり、より大きなものに信徒が移るのを防止するのがドミナント戦略になります。そして、可能であれば、存続できそうなサイズのものを核となるものとして、いくつか残し、そこに資源を集中し、複数の核からなるシステムとして存続させるという方法論です。

     しかし、このドミナント戦略には副作用があります。どこか一つの大きな核がその正統性を持つかどうかは別として、偶然の結果として全体の代表的な立場を持ってしまい、本人たちの意図とは関係なく、中心性をもつ存在に祭り上げられてしまう可能性を含めて、中心と周辺という構造が生まれてしまいやすいという副作用があります。また、自派以外の集団である他者の意見を遮断し、他者の意見に耳を貸さないということは、その集団における自己正当化が進みやすく、指導者を本来の神の座につけるということが起こりやすくなるのです。指導者がなりたくてなる場合(それはかなり悪質な例ではあると思いますが)、悪質でなくても、周りが持ち上げてしまい、指導者や指導的な教会が神の座についてしまう場合もないわけではありません。こうなると、ある面、カルト化を生む素地を内包してしまうのです。

    プラットフォーム戦略とストロー効果
    地域の独自性の消滅

     このことは、地方と呼ばれる地域社会で確実に起きている話なのです。ストロー効果と呼ばれる現象です。どういうことかというと、地方と東京の間に新幹線や高速道路をつくることで、本来、地方の活性化、東京からの資本の進出や、新しく居住する住民の増加をもくろんでいたのに、東京から日帰りができるようになってしまえば、地理的空間で分断されていないたったのと同じ効果をもつために、わざわざ地方に支店を置く必要がなくなります。

     こうなると、地方での支店がなくなり、地方に東京からの資本が進出するどころか、すでに進出していた資本が消え去ってしまう、そして、それに伴って、地方経済はガタガタになるという非常に逆説的な問題が発生するのです。インターネットや電話の普及も似たような側面があると思います。

     現実に触る、触れる、身に着ける、という必要のあまりない、どこで買っても同じような製品は通信販売に伴うデータ処理と輸送の高速化、通信手段の普及と通信費用の低下によって、通信販売事業者での販売が最も望ましいという現象が生じます。これなどは、地域的な分断による発生した不労所得である地代が、通信手段の発達に伴って消滅するという事例と考えることができると思います。輸送費用問題(このあたりも、専門に近いので言いだすとうるさい)を除けば、どこかに一か所拠点を造成し、そこからすべての商品を配送するというのが日持ちのする均質的なモノに対するドミナント戦略になります。

    裁定取引と均一市場化と通信

     こういう地域的な市場の分断による不労所得というか地代の発生に基づき、価格差を使って利益を出すことを鞘取り、ないし裁定取引(Arbitrage)と言います。鞘取りに関してはこちら(Wikipedia)をご覧ください。

     この鞘取りの影響は非常に大きいので、これを防ぐ手段がどの国のどの時代の経済的活動でも試みられてきました。例えば、世界で初のコメの現物先物市場を生み出した大坂の堂島のコメ市場では、旗を振ってコメ市場の価格の上昇下落を伝える情報手段を作り出していたのです。そのための通信基地が西国(中国・四国地方)を中心に設置されていました。その一つが旗振り山です。

    旗振山(253m)山頂と旗振茶屋
    兵庫県神戸市須磨区にある旗振り山 旧摂津国と播磨国の境界にある





    埋め込み画像への固定リンク
    旗振山から神戸市中心部と大阪湾方面を望む (鎌野直人様 撮影)

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    旗振山から播州平野と淡路方面を望む (鎌野直人様 撮影)

     こういう通信手段の整備により、従来地域ごと(九州とか四国 あるいは現在の都道府県レベル程度)に存在した地方のコメ市場は堂島米市場での価格が参考市場以上の実質指標、実質価格、全国統一価格になってしまう状況を生み出しました。つまり、地域市場の分割ができなくなったのです。ある面、地理的に分断されている中で生じていた情報の非対称性が米のバイヤー間ではなくなったわけです。

     現在でも東京証券取引市場(第1部・第2部)もあり、大阪証券取引市場(第1部、第2部)もありますが、実質的には、両市場での特定の同一銘柄の株式の価格は同一になります。それは、もし漁師情感に価格差があれば、価格差がある限り裁定取引が発生して、結果的には同一価格になってしまうからです。個人的には、大証と東証が並立している意味は、通信手段が発達した現在においては、あまり意味がないんじゃないか、と思っています。

    鎖国するしか…

     つまり、鎖国をし、外部からの情報の流入を阻止しない限り、似たような相互参入可能なものの間では共通化が進んでしまい、より大きな方に吸収されてしまうという結論になるからこそ、この互換性、プラットフォームの共通化戦略を避け、自分自身のプラットフォームと同じグループに属するものを最大化し、実質的に他のものが存在しない、あるいは、それを採用することが意味のない結果となるように技術的な鎖国化政策を実現することが、現代の組織なり、ある概念なりの存続にとって重要なものになっている、と思うのです。

     つまり、鎖国をして情報の非対称性を生み出してしまえば、情報の発信源の言うことを人は聞かざるを得ない、ということになるのです。これが、革命政府が樹立した時に革命政府側がするべきことなのです。つまり、放送局と新聞の占拠と、そこからの情報の独占的発信により、情報の非対称性を生み出すことです。

    徳川幕府による政策運営の
    デファクトスタンダードの確立
     徳川幕府は、鎖国することで、統治に関する事実上のデファクト・スタンダードを実現し、大規模なサブグループの形成の傾向がみられそうなグループのところでは、天領を配置する、譜代大名など徳川親藩の小藩を配置し、スパイのように情報収集し、少しでも怪しい雰囲気があれば、改易(領土の変更)をすることで、別の地域の領主にして通信を困難にさせ討幕連合を作らせなくする、領土を細かく細分化する(現在でもやたらと飛び地の多いのは、その結果でもあります)、討幕連合を作りそうな大名は、口実をつけてお取り潰しをする、徳川御三家であっても、攻めてこないように天然の要害(大河川など)での交通を阻害するということで、敵を排除する戦略をとり、支配のプラットフォームにおける徳川家への忠誠という形でのデファクトスタンダード化を行ったといえようかと思います。それは、幕府にとって、実は最適化戦略であったといえようかと思います。

     いまだに茨城県が関東近県でありながら、工業化・住宅などでの開発が気持ち(かなり)遅れているのは、水戸徳川対策を含め、利根川が付け替えられた結果(もともと、利根川は現在の隅田川・大川であった)が影響しているようですし、尾張徳川、紀州徳川対策には、大井川、富士川に架橋をしないことで対応したのです。

     しかし、こういう地域分断化の結果として、現在の地域ごとのご当地野菜(下仁田ネギや泉州水ナス)やご当地食、ご当地の言語(方言)が生まれ、それがまた、日本の文化的多様性と複雑性を生み出し、文化の豊かさを生み出したわけでもあるわけですから、なかなか面白いものだと思っています。



    国土交通省のサイトから拝借した江戸期と現在の河川変遷図

    まとめ

     この連載の最期はプラットフォーム戦略としての分断化戦略の結果生まれた藩や天領などの配置による地域分断政策と鎖国政策が、方言や小渕恵三さんの娘さんの政治資金問題で最近脚光を浴びた下仁田ネギ(下仁田ネギは、鍋物にするとおいしいです)の話を生み出した話になってしまいましたが、このことは政権の安定のためには、分断して統治せよということを誰が発言したかはよく知りませんが、ローマ時代の属州統治もこの分断統治が原則でしたし、マキャベリも君主論の中で似たようなことを言っていたと思います。

     ところで、同質的なものが大量にそれも隣接して存在するというのは、実は効率的なようでいて、ある面、滅びるときも効率的に滅びてしまうので、システムの存続を図るためには、同質的なものは分割して隣接させない、そして、イノベーションの発生を防ぐ、というのが、システム安定化のための要件かもしれません。

     個人的に、信仰者として、信仰の内容とか教義とか、聖霊の働きを大胆にかつ極端に無視ししてモデル化して、ここまでゲーム論的というか、意思決定論的に分析していいのかなぁ、という気もしましたが、まぁ、こういう意思決定論的なものの見方をすれば、過去の歴史的な動きは割とあっさりと考えることができて、表現できるかも、と思いましたので、おまとめしてみました。まぁ、限界あるけどね、と御笑覧いただいていただければ、なにより幸甚でございます。

     もちろん、個人的にはモデル化とそれに伴う省略の問題は熟知しておりますので、全能感に浸って、ふなっしーのようにヒャッハーってやっているわけではございません。御安心を。


    ロックなふなっしー


     ということで、一応、この連載は終わりでございます。お付き合いいただきまして、ありがとうございました。


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