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2015.01.03 Saturday

イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (2)

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     前回の記事

    イノベーション・ゲーム理論・聖書理解・日本のキリスト教 (1)

    では、ゲーム理論について説明し、何かもめごととか、企業間や企業と政府、政府間での競争など、社会でおきていることをモデル化して、どういう状況が生まれるのか、ということについて考えるための手法であることを御説明しました。

    マジョリティ・ルールズとゲーム理論

     それで、本論の突然変異とゲーム理論のお話しに行く前に、マジョリティ・ルールズをゲーム理論で考えてみたいのです。これ、いくつかの表現の仕方(リーダーとフォロワー あるいは 対決型)がありますし、ゲーム理論の一つだけのフレームに納めるのはちょっと無理なのだけれども、それを承知の上でやってみたいと思います。多分対決型で考えるのが一番わかりやすいと思いますので、それで考えます。

    キリスト教界の15年戦争期の
    ゲーム論的表現の一例

     正月早々ちょっと香ばしい話題で申し訳ないのですが、15年戦争期のキリスト教徒と天皇遙拝問題で考えてみたいと思います。ゲーム理論のモデルにおける参加者として、まずキリスト教界を考えます。このキリスト教界にとっての選択肢(戦略)としては、戦争中、

    A)天皇遙拝するという選があります。

     この選択をすれば、政府をはじめ国民全体からの非国民扱いから外れ、キリスト教界も日本国民だと立派に言えるとしましょう。しかし、もう一方で、

    B)天皇遙拝しないという選択もあります。

    このBの選択をすれば、政府も国民も皆が口をそろえて、非国民扱いするとしましょう。キリスト教界にとっての選択肢は、おそらくこの二つしかなかったでしょうし、なかったと仮定します。なお、非国民扱いになれば、キリスト者への配給は激減し、非国民扱いでなければ、通常と同じような配給があると仮定します。これが利得(ペイオフ)です。

     もう一方の参加者として、当時の日本の国家というか、日本国民を考えます。当時の日本国民としての選択肢(戦略)は、キリスト教界の人々を

    a)非国民扱いする



    b)非国民扱いしない

    という選択肢のみであると仮定します。大正デモクラシーの反動で、明治初年と似たような、国粋化に向かってまっしぐらの状態です。なにせ、美濃ミッション排撃の歌まで歌われたそうですから。その意味で、ゲームの一方の参加者である日本国民の大半にとって、選択肢はキリスト者の宮城遙拝に関係なく、キリスト者を非国民扱いしないという選択もあったでしょう。ただし、この時、キリスト教徒を非国民扱いすれば、ごくわずかであっても、一人当たりの配給が増え、非国民扱い扱いしなければ、配給は同じと考えます。まぁ、妥当な過程だと思いますが。

     こういう問題設定の結果、キリスト者の側にとってみれば、配給や社会的な非難ということを考える時(もちろん単純化しすぎだ、ということは認めます。神以外のものを神とするという点での航海などがありませんから、現実は確かにそんなに簡単ではなかったでしょう)、天皇陛下は素晴らしいお方だ、現人神だといい、宮城遙拝をして、という選択が、信仰という面を除けば、キリスト教徒にとってもドミナント戦略です。物質的な面だけを考えれば、少しでも悲劇は回避できますから。国民にとってはキリスト者を非国民扱いにする、というのがドミナント戦略になります。つまり、日本のキリスト教とは、宮城遙拝をし、国民はキリスト教徒を非国民扱いするという状況で安定均衡となります。まぁ、これが、15年戦争の時に起きたことかもしれません。おそらく、マジョリティ・ルールズの社会が日本国民にも、日本のキリスト教徒の中でもできていたのではないかと思います。


    Wikipediaから借用した皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会 の写真

     なお、ゼロ戦は、後期2600年に帝国海軍に正式採用されたので、零式艦上戦闘機と呼ばれた。

    戦争当時のキリスト教指導者の葛藤も

     となると、キリスト教との指導者としては、多くの関係者に苦難の道を選ばせるか、あるいは、聖書の言うことに反しても、それは礼拝ではない、尊敬の念だといいながら、戦争中の苛烈な環境の中、まだましな生き方をキリスト者が与えられる可能性のある道を選ばせる方のどちらかを選べ、と言われたことになります。つまり、宮城遙拝をするというマジョリティと同じ行動をするという選択をすると、それなりのメリットというか、利得として通常の配給が得られる(配給が減らない)という地代が得られます。しかし、あえて宮城遙拝を拒否するというマイノリティを選択すると、メリットはないどころか、利得として、通常の配給から配給の量が減らされるというろくでもないこと、あるいは地代の消滅というか大幅な毀損が降りかかってくるので、デメリットしか存在しない、という状況が生まれるわけです。この中で、デメリットしかない道を選ぶのは、信仰者とはいえ、常識人には厳しいと思います。

    キリスト教と徳治政治

     なお、ミーちゃんはーちゃんは、現時点では、教会で「テレビに映されている天皇陛下が人格者のご様子であるから素晴らしい」というご発言を聞くたびに鼻白む思いを持ち(キリスト教会人が言わない限りは、関係ないので、あぁ、そうなんですか。よかったですね、と思います)、そういうご発言をする方のお話しを当面聞く気がなくなることだけは申し上げておきます。

     それは、もちろん、ミーちゃんはーちゃんは一部の論者からは、リベラル扱いされているほどに、左巻きだからかもしれません。しかし、それ以上に、教会で「人格的に優れているように見える天皇陛下は素晴らしい」というのであれば、人格的によければ、キリスト教徒としてのあり方とは無関係に教会で評価されるということを意味するからです。それなら儒教的な世界観、陽明学的な世界観、あるいは徳治主義ではないか、と思うからです。それはキリスト教と似ていますが似て非なるものではないか、と思います。日本では、この種の人格と信仰が区別されない、あるいは意図的に混同される事例が少なくないように思います。

     その点、英国人は、Rowan Atkinson氏を含め、王室に一定の愛着を示しつつも、きわどいことをして見せます。そのあたりの付き合い方は、我が国においても見習ってほしいものだと思います。


    Mr. Beanから
     4分30秒から4分42秒あたりがイギリス人の王室意識が表れていて面白い。


     話を元に戻しますが、15年戦争当時のキリスト教界の指導者は相当悩んだと思います。その判断の当否については、何も言うことはできません。自分がその立場だったら、当時のキリスト教界の指導者と同じことをしなかったとは言い切れないからです。

    ミーちゃんはーちゃんと
    15年戦争時代の関係者

     とは言いますが、まぁ、うちのキリスト者グループでも、アイルランド人宣教師の一人は、まともに日本語も話せない中、逮捕投獄され、都立松沢病院(当時から精神科が有名)に強制的に収容され、松沢病院での赤痢による死亡が確認されています。アイルランドの赤いユリにその辺のことは乗っています。

     また、私も直接お世話になったちょっと変わった方だった石濱義則という方は、まぁ、そもそも不適切発言が原因とはいえ、逮捕投獄され、広島刑務所に収監中、広島で被爆し、それでも生き残り、戦後しばらくして、名誉回復措置を受けています。『あの戦争の中にぼくもいた』をご参照ください。

     同じグループのキリスト者の中にも、必ずしもそのような被害を受けなかったかたも、我がキリスト者グループにはおられます。ほぼ全員の責任者が神の国理解に関して思想犯の可能性を含め事情聴取を受けていますが、逮捕投獄はなかった集団もあります。だからと言って、当時の社会風潮に対し、徹底抗戦して、逮捕投獄となるべきだった、とも思いません。それはその当時のそれぞれのご判断はご判断として、尊重されるべきだと思います。教義は個別の教会(集会)ことに異なるというのが我がキリスト者集団の伝統ですから。こういう個別教会の独自性の追求が必ずしも良い、とも思いませんが。

    マジョリティ・ルールズと
    預言者的性質

     ところで、マジョリティ・ルールズの世界の中で、一人、預言者的に荒野で叫ぶことは、精神病院へGo!になるか、非国民として社会から排除されるかです。要するにつぶされる運命が待っているのです。これは、マジョリティが数量的にも内実的にも安定している場合に発生します。内村鑑三の不敬事件も、マジョリティが数量的にも内実的にも安定的に存在した状況で、起きた事件であったと言えるのではないでしょうか。

     まぁ、個人的には、内村鑑三の不敬事件とその余波は、戊辰戦役で、それぞれのキリスト者の所属する藩が討幕側(政府側)についていたか、佐幕側(幕府側)についていたかの背景があるように思えてなりません。明治期に活躍したキリスト者にとっては、基本、明治維新は自らの精神構造に大きな影響を与えていたことは想像に難くありません。

     次回へと続きます。なぜ、手のひらを返すようなことが起こるのか、また起ききたのか、ということをゲーム理論を念頭に置きながらご紹介したいと思います。




    評価:
    井上浩
    伝道出版社
    ---
    (2006-09)
    コメント:歴史の一資料としてご参照ください。

    評価:
    価格: ¥0
    ショップ: ---
    コメント:少年向け小説にしてありますが、石濱義則さんの御親族がお書きになられた歴史小説。

    評価:
    価格: ¥0
    ショップ: ---
    コメント:入門書としてはお勧めではないかと。

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