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2014.12.27 Saturday

イノベーション・パラダイムシフト・ネットワーク外部性・聖書理解(その1)

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     いつも拝見している「のらくら者の日記」のブログ記事で、

    イノベーションとしての信仰義認

    という記事をあげておられた。池田信夫氏の書籍を引用しながら、

    「信仰義認」という「パラダイムシフト」
     ある視点(非キリスト者のパウロ主義)から見ると、「信仰義認」は「カトリック的な聖書理解」からのイノベーションというか、パラダイム・シフト(多分、Kuhnがオリジナルかも)に見える。

     ということをお書きであった。これはその通りと理解できるであろう。ある程度、行為性(たとえば聖地巡礼への参加)が重要だったものから、「信仰」が重要、「Sola fide」というパラダイムへ移動したのだから。ただ、案外誤解されているのは、「信仰のみ」と訳されることで、信仰だけがあればよい、と日本語の理解で誤解されておられる方が結構おられるが、実は、他にもSolaがある。「五つのソラ」をご覧いただきたい。ところで、NTライトは、Paul in Different Perspectivesの中では、それに、聖霊のみ を加えておられたが。
     ちなみに、信仰のみ、について、最近、少し見直しが入っていることを書かないといけないかもしれない。これは、現場の作業員みたいなことをしているミーちゃんはーちゃんの手に負えないので、こちらをどうぞ。

     ピスティス・クリストゥー


    イノベーションやパラダイムの受容

     また、イノベーションないしパラダイム・シフトが起きる背景として、特定のパラダイムに依拠する研究では不具合が出てきて、それに対する別のパラダイムが選択されるかどうかは、一種の人気投票のようなデファクト・スタンダード・ゲーム(ゲームは、ゲーム理論の意味でここで使っている)に対する人々の動き、すなわち、新しいパラダイムを採用するかどうか、旧来のパラダイムが採用されるか、ということで決まる、ということをご指摘であった。


     これを見ながら思ったことを少し書いてみたい。

    学問分野と最新分野への研究の集中の背景
     学問分野としては、こういうことはまま起こる。研究とはそういうものだと思っている。ある方向性をもった研究分野が学問分野では主流になる。たとえば、ある時期は、マルクス経済学がはやれば、みんなマルクスをやるし、ケインズ経済学がはやればケインズ経済学をやる。さらにマネタリスト派の経済学がはやれば、マネタリスト経済学をかなりの部分の人がやる。いいか悪いかは別として、カッティング・エッジ(最新)の研究をみんなで詰めるのが研究ということでもある。もちろん、学者の全てがはやりの研究に集まるか、というと必ずしもそうではない。

     しかし、最新の(と思われている)研究でないと、論文を書いたところで、評価の高い専門性の高い雑誌には載らないし、勘違いしたレフェリーなどが時に誤解したコメントを寄せてくる。例えば、そんな古臭い研究は意味がないとか。それだけならまだしも、学会の主流に一種の異論を申し立てるような論文を評価するレフェリーやエディター(編集委員)がいなければ、雑誌掲載はほぼ期待できない。

     そうなると、終身の職位を持っていないとアメリカの学校なんかでは冷や飯を食わされることがある。最近、日本でも、若手(いまの40歳以下)では、この手の終身の職位をもたない、教員や研究者が急増している。このタイプの身分だと、論文が掲載されないと、如何に重要な研究であることが後日分かっても、その段階では、下手をすると退職である。まぁ、下手をしなくても、研究補助金の大幅カットなんてことが待っている。

    オボちゃんの悲劇

     オボちゃん(あの、ST●P細胞は・・・の方)なんかのところでは、おそらく時限付研究員で、成果を求められ、何とか世界的雑誌に成果を出すことが求められ、世間の耳目を集めないと、研究プロジェクトがやばい、ということの中で、あの事件になったのではないか、と類推する。オボちゃんは、どうも多くの皆さんは誤解しておられるようだが、正規職員であるものの、いわゆる任期付きの研究者のようだ。



    ネットで拾ったオボちゃんの図


     いま、多くの大学で、この任期付きの研究者や教員が増えている。任期付きの雇用に関しては、いくつか問題があると思うが、それは、ここで述べたいの問題の本質ではない。

    技術標準とマジョリティルールズ

     「のらくら者の日記」でご指摘の点は、まさに、神学研究のはやりすたりの問題を取り上げておられるようだ。技術標準から始まって、このマジョリティ・ルールズ(Majority Rules)の問題は、一見全く関係のないような聖書理解や、信徒の生き方まで、ある標準を採用している人たちの数、ということが重要になってくる場面があるかもね、ということではないか、ということを思った。議論や理論の筋がよかろうが悪かろうが、大多数を握ったほうが結果的に勝ち、という世界である。

     なお、ところで、技術標準には、小はネジの規格(ネジの規格の標準系として、インチネジとメートルネジがある)から始まって、大は発電所の規格まで似たようなことが起きている。この辺りは異なる製造品種の複数の製造企業に御勤めであった「のらくら者の日記」の先生には「イエスに説教、釈迦に説法」であろうけど。なお、ペテロは、イエスに説教している。イエス様からお小言を頂戴しているが。

    本題に戻そう。

    ネットワーク外部性とマジョリティ・ルールズ

     これは、経済学の用語で言うと、ネットワーク外部性(Network Externality)ということなのだろうと思う。つまり、市場において、ある技術標準と別の技術標準のどちらが市場を席巻できるかは技術的な優劣によらず、市場規模によるという話である。より大きな仕様車のネットワークに乗っている方が、規格が同一であることによって自ら何も努力しなくても利益(メリット これを経済学では地代という。なぜならば不在地主で土地を貸している場合、土地を持っているだけで、何も努力しなくても不労所得としての地代が入ってくるからであり、それと似た構造があるからである)が転がり込んでくるという、おいしい世界が待っているからだ。より大きな利用者を獲得することが大事であり、当初無料でサービスを提供しても全くOKなのである。

    PCのOSの例

     情報技術系の昔話で恐縮であるが、その昔1980年代初頭ごろには、CP/M-86 というインテルの8086(いまのパソコンの中央演算装置の原型)で動くOSがあった。もうひとつはMS-DOSである。お若い方はご存知ないだろうが、いまのWindowsの基本的原型というかベースの一つである。なお、個人的には、MS-DOSの上に仮想WindowsをのせたMS-Windows 1.0というのを触ったことがある。日本市場ではリリースはされなかったと記憶している。

     結果は皆さんご存じのとおりである。CP-M/86を知るのは、昔このOSを触った人か好事家だけである。ソフトウェア産業など、初期の開発投資に資金がかかり、利用者が増えれば増えるほど、開発会社がウハウハになるソフトウェア産業でも似たようなことが起きる。NintendoさんとSonyさんがそれぞれコンテンツ(所謂ゲーム・ソフトウェア)を必死で抱え込もうとする背景には、このような構造があるとされている。

    LINEやFacebookがただの訳

     LINEは同種の無料通話の中で、ユーザー間無償ということで、サービスを提供し、いち早く市場を席巻し、利用者を増やすことで、このネットワーク外部性を利用者に提供し、膨大な地代を利用者に発生させた。ソリャ、携帯端末をもった大学生高校生ガンガン使うから、それは巨大インフラになる。ほっといてもそこそこ便利であれば、ご新規さんを自分からあまり広告打たなくても、利用者や既存メディアが取り上げるので、ほぼ努力なしにご新規さんを獲得できる。あとは顧客が逃げないように、新規の機能を追加しておけばよい。
     Facebookもそういう構造だと思う。ただ利用者層は、年齢的にFacebookの方がはるかに高いが。


    携帯電話とネットワーク外部性

      携帯電話会社も似たようなものである。同じ機種での回線利用者が増えれば増えるほど、請求書の発行システムや施設や販売マニュアル、通信マニュアルなどを含めた共有化ができるので、一人の顧客当たりの費用は小さくなる。つまり、固定費が高い産業であればある程、どれだけの利用者を確保するかが問題になるの である。その面で、KDDIauさん、NTTドコモさんがiPhoneを端末として欲しがったのには、ドコモさんやauさんではiPhoneを当初販売し てなかったので、特定端末(iPhone)が利用できないことによるネットワーク利用者の減少に伴う利益の損出が、おそらく看過できないほどの状態を生み出した のであろう。

    通信よもやま話

     一応書いておくが、固定電話回線であれ、無線電話回線(携帯電話の回線)であれ、集中局以上の通信網では、その回線数(帯域の量)は全員が全員通話するフル通話には絶対に耐えられないほどの回線量というか帯域量しか用意されていない。だから、災害時とか新年の明けオメ・コールや明けオメ・メールが集中的に発生する場合、通話や送信が集中するために相手につながりにくくなる。

     これを業界用語で、輻輳(フクソウ)による呼損(コソン)が発生した、という。

     今年も、通信会社の技術者は、この「呼損が出ている、つながらない、つながりにくい」という現象の防止と発生した時の対応に頭を悩ませそうである。別に2014年12月31日の24時ちょうどに送信しなくてもいいのではないか。サーバーやと、エンジニアにいじわるするのをやめてやってほしい。ハッカーじゃないんだからさ。バルス祭りみたいなことしていじわるしたくないんなら。

     
    バルス祭りの瞬間(バルト祭りではない)



     なお、緑電話は優先的発信が可能であるように指定されているので、災害時には、まず、緑電話へGo!である。


    NTTの緑電話(輻輳時にもこの端末からの通話は、優先される)

     余談で、記事が長くなったので、次回へと続く。


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