みんなが、本当にほしいもの
昨日の日曜日、みんなが、本当にほしいもの、というテーマでお話
しました。
ある牧師さんのがブログに書いておられるお話を面白く読んでい
ることが多いのですが、その牧師さんは、九州の延岡で、牧師をし
ておられる田崎さんという方です。この牧師さんが以前公開してお
られたブログに書いておられた記事に面白い記事がありました。
この田崎さんは、ある結婚式場で、キリスト教式の司式もする
牧師さんで、もともと結婚式の偽牧師の話を検索している途中で
みつけたのです。牧師は、日本では国家資格ではないので、誰
でも『自称牧師』、で結婚式場の牧師ができたりします。外国人
でアングロサクソン系の方であればだれでもいいようなところが
結婚式場の側であって、結構、偽牧師がしている式場もあるよ
うなお話も聞きます。
田崎さんが、司式したある結婚式での話をブログに書いておられ
ました。その結婚式には、明らかに服装から、特殊な雰囲気を持
った非常に美しく着飾った女性の一団が友人として参加しておられ
たそうです。多分新婦がキャバレーだったかな、女性の見た目の美
しさを売り物にしたサービスの業界の方々だったようで、新婦の友
人達がそろった結婚式だったそうです。
いわゆるキリスト教式の結婚式では、聖書の言う永遠の愛を誓い、
その後、聖書からお話があるのが普通なのですが、その時、聖書
からどんなお話をされたのかはあまり詳しく書いていなかったので、
分からないのですが、確か、永遠になくならない愛について話した
ようです。そうしたら、参加者のきれいにお化粧をした新婦の友人の
キャバレーで働いておられる若い女性達が一斉に泣き始めたそうで
す。田崎さんは普通に、聖書の神が示そうとした愛の話をした見た
いですが、何事がおきたのか、と一瞬思われたそうで、・・・
田崎さんは、その状況を見ながら、擬似恋愛感情を売り物にして、
お金儲けをしている人たちも、本当は、本物の愛が欲しいだ、なくな
らない愛が欲しいんだ・・・と思われたそうです。
この結婚式の新郎・新婦は、元々、あるキャバレーかな、そこに通っ
ていたお客さんと、そこで働いていた女性とお客さんが本当の愛に変
わって、結婚されたそうです。何より、残念なのは、この記事がすでに
見られないこと(田崎さんが、この記事書いていたブログ閉鎖しちゃっ
たんで・・・)
ある聖書の記事を思い出していました。それはヨハネ4章4-30節の
スカルの井戸の女の話です。
このスカルの井戸のところに出てくる女性は、幸せな結婚を目指した
みたいですが、うまく行かなくてどんどん相手を変えていった女性です。
原因はよく分からないが、本当の愛を求めて、色々やってみたのかも
しれません。今度こそ、今度こそうまく行く、と思って失敗した結婚の
連続だったのかもしれません。女性に問題があったのか、男性に問題
があったのかは、聖書は何も言わないのでよくわからないのです。
ただ、このような結婚のあり方は、当時の社会からは適切な行動と思
われていなかったことは確かです。この女性は、肩身の狭い女性だっ
たようです。というのは、通常、井戸の水汲みは、早朝または夕方なの
です。なぜかというと、暑いからというのもありますが、素焼きのつぼに
朝水を入れておくと、お昼ごろには、水が冷えるんです。
素焼きのつぼに入れておくと、水が冷えるのは、地中海地方やサマ
リアは、砂漠がすぐそばで、空気が乾燥しているので、水を素焼きのつ
ぼに入れておくと、蒸発熱(気化熱)でつぼの中の水の温度がかなり下
がります。まさに、冷蔵庫がない時代の智恵です。
ちなみに、カナの結婚式で使った水がめは、石なので水が冷えません。
イエスと女性は、対話していますが、最初はサマリアの女にイエスは水
を求める、お願いしているのです。聖書には、こう書いてあって、あなたの
していることは、間違っている、とは言わなかったのです。
このヨハネ4章の記事の中には、サマリア人とユダヤ人は付き合いをしな
いと書いてありますが、なぜ、ユダヤ人はサマリア人を軽蔑したのかという
とユダヤ人は、バビロン捕囚から帰ってきた・元貴族や金持ち達を中心とし
た人々だったことと、ユダヤ人の血統を守ったという自負があるからです。
ところが、サマリア人はバビロン捕囚されなかったやや貧しい人々で、現
地の人々との婚姻関係(現地の人々との結婚はよくないとされている)の
ため、混血だったこともあり、ユダヤ人に引け目をもっていたようです。
細かな話は省略しますが、イエスは女性と対話して彼女が自分から自
分自身の問題に気が付かせたように思います。聖書からいきなり、あなた
は間違っているとは言わなかったのです。その対話の中で、彼女が大変な
思いをしている水を例にとりながら、なくならない水、満たすだけでなく、あ
ふれる水ということからお話を始めています。
ところが、女性のイエスが話した水の理解は、水がどんどん出てくるつぼ
のようなものだった可能性があります。その理解では十分でないので、イエ
スはこの女性に彼女の夫を呼んでくるように言います。このように言うことで、
彼女の本当の問題に自分から気付くように直面させているようにおもいます。
その中で、彼女が本当に欲しかったもの、なくならない愛の大切さに
気付かせているようです。
聖書の言う愛は、その人のうちからでてきてなくならない愛で、その人を
より豊かになる愛であり、人を愛し、自分を大切にする気持ちなのです。
聖書の中に、こんな表現があります。第2コリント5章14節には、キリストの
愛が私たちを取り囲んでいる、といっていますし、第1コリント13章8節では
愛(神の愛)は決して絶えることがありません。人々が欲しいものは、多分、
本当の愛が欲しいということは、このジョ聖も私達も変わらないと思います。
でも、普通に世の中で言われている愛には、限界があるのも確かです。
特に、現代では、恋愛=愛とするという誤解があるように思います。
愛と恋愛は別ものだと思います。それをごっちゃにして、本当の愛が見え
なくなっている人々もいらっしゃるようです。擬似恋愛がビジネスになって
いてそれにお金が介在してしているわけです。そんなビジネス化した愛は、
fake(まがい物、パチ物)あいです。もちろん、田崎さんが司式したご夫婦の
ように、本物に変わる可能性もないわけではありません。だからこそ、まが
い物と分かっていてもかすかな期待を人々は持つわけですし、それがビジ
ネスとなっていってしまうようです。
ところで、神が与えようとするものは、実は、人々が本当に欲しがってい
る愛だというのが聖書の主張の一つです。神は人々を愛していますし、愛
を人々に与えようとしているのです。そのことを聖書は次のように要約して
います。有名な聖書のことばなので、ご存知の方も多いでしょう。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは
御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためで
ある。』(ヨハネ3章16節)
もう、ご存知だと思いますが、この神の愛が、キリストの愛が、私達を取り
囲んでいるのです。私達をくるむように。私達が気付いていないだけかも
しれません。
イエスは、サマリアの女と対話するように、直接的な形ではありませんが、
聖書を通して、私達と私たちのペースにあわせて対話しようとしている、と
私は思います。是非、このイエスとゆったりと対話してみてくださいますよう、
お勧め申し上げます。
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