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2014.12.20 Saturday

キリスト教界を巡る第1種から第5種の過誤 (その3)

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     さて、これまで、第1種の過誤(正しい可能性が高いものを、間違っていると判定したり、正しい可能性があるものを間違っているというために必死になること)や第2種の過誤(正しくない可能性が正しいと判定したり、正しくない可能性があるものを正しいというために必死になること)があり、第3種の過誤(間違った問題を正しく解くために必死のパッチで解くこと)の問題があり、結構この手の過誤は、キリスト教界で多いのではないか、ということについて触れてきた。

    キリスト教界を巡る第1種から第5種の過誤 (その1)

    キリスト教界を巡る第1種から第5種の過誤 (その2)

    第4種の過誤とは

     今日は、お約束通り第4種の過誤をお話ししたい。

     第四種の過誤は、一言でいうと、「遅きに失する」という過誤であり、これは、下記の書籍の著者 H. Raiffaという先生がお話になっているらしい。なお、最下部のNegotiation Analysisの本は、どこぞの大学で、ずいぶん前に学部の授業で輪講した本である。内容的にはなかなか良かったと記憶している。1/4くらいしか半期で行かなかったが。

    第4種の過誤の具体例


     具体例で話そう。

    民間航空機の搭乗券の例

     例えば、この前、ずいぶん久しぶりに国内線の飛行機に乗って思ったのだが(ちょっと忘れ物をしたのでそれを取りに行ったら、結構チェックインがギリギリになってちょっと焦った)、格安券での飛行機の搭乗なんて、まさしくこれである。乗客の都合で搭乗時間に遅れていってしまうと、もう飛行機はのせてくれない。新幹線なら、自由席で変えるという方法があるが、飛行機は最悪、もう一回飛行機の搭乗券を買わないといけない。

     まさに、これなどは第4種の過誤の結果、飛行機代の2度払いという罰ゲームが待っている例である。

    キリスト教などの業界の例

     キリスト教業界でも、似たようなことが起きている。いつも、ミーちゃんはーちゃんをやさしくかつ厳しく応援してくださる中京地区の牧師先生と同じく中京地区の神学校でご勤務の先生とFacebookでPost Modernを聖書理解の観点からどう考えるか、という結構高尚なお話の仲間に門前の小僧として混ぜていただいている。つい最近、そこで、40年位前に定義された問題を今頃になって「こういうことです」って出されてもなぁ、というのに近い話をしておられるのを拝見させてもらった。これなども典型的に、第4種の過誤のように思える。40年位前に定義された問題は、40年前には意味があったが、今では、社会や状況が変わっていて、いくら素晴らしいお考えでも、なんかかびが生えたようなものになっていて使いようがない、というケースもありそうな気がしている。

    キリスト教書業界の例
     これから従来本を読んでいた層が、大量にこの地上からいなくなることが目に見えている。この地上におられれても、高齢に伴う視力の問題など、そもそも本というものが必要なくなる時期がやってくる。そうなると従来型のキリスト教書というメディア(インクと紙が必要になるメディア)は、そもそも市場規模として縮小するのが見えている。

     もし、それに十分対応できないとすれば、それこそ第4種の過誤である。あるいは、その末路は悲惨というしかない。一世を風靡したKODAKというフィルムメーカーは、フィルムにこだわりすぎ、経営が厳しくなったと聞く。

    キリスト者個人の例

     これは個人としてのキリスト者も同じだと思っている。いろんなところで、ご老人の方相手の自主的学習会のようなことをしていて思うのだが、聖書を読め、聖書を読めと言われるが、聖書を読むのがつらい、といわれるご老人の方に出会うことが多い。その時、次のように言ったことがある。

     たくさんのものを一気に読む必要はないと思います。それよりも、1節か2節くらいをじっくりと味わうように読まれ、暗唱されるように読まれたらいかがですか。あるいは、それもおつらいなら、暗唱聖句の一つを思い出してください。それで十分だと思いますけど。


     これって案外大事じゃないか、と思う。聖書暗唱とは、子供の時のものや青年の時のためだけではなく、老年になっての備えではないか、と思う。
     

    教会に若い人がいない問題の例

     同じように、教会の若い人がいない問題も、典型的に第4種の過誤のような気がする。これまた、西の方のお付き合いのある牧師さんが、「教会に若者が・・・」とおっしゃっておられるのだが、これまで、そこの教会が、昔からその教会に来ている人に都合のよいように教会運営してきた結果、「教会に若者が・・・」の状態になっているように思う。もちろん、教会を取り巻く社会環境自体、若者がいない社会になっていることが一番の原因であるが。もし、そうおっしゃるなら、ここまで放置しなければよかったのである。

     現在の教会のあり方は、これまで長きにわたって教会に集ってこられた方にとっては常識であったり、居心地のいいありかたであったりするかもしれないが、新しく来られた方にとって必ずしも常識ではないし、居心地のいいありかたではない。教会の将来を考えたいというのであれば、「このありようのみが正しい在り方である」ということに関する検証されえない仮定を少し外された方がよいかもしれない。


     狂言界も非常に古い日本の古典芸能の一つであるが、いい悪いは別として、NHKの子供番組「にほんごであそぼう」にご出演になられて、その懐の広さをお示しのようである。それくらいの懐の広さをキリスト教界も示していいのではないか。ガラテヤ3章にも、別々のもんじゃないぞ、ってパウロさんお話であるし。


    「にほんごであそぼう」から ややこしや


     そういえば、似たようなことをこの間、水谷さんも書いておられた。

    パ・リーグの営業努力から受けた子ども伝道の励まし

     また、現在活躍中の若い仏教のお坊様も、「現在のお寺は地域との関係をあまりに失っていて、地域の人々と関係を結ばないと、度し難い衆生の皆様を量産するのではないか」ということを真剣にお考えのご様子である。その危機感がないとすれば、そのこと自体、もう第4種の過誤ここに極まれり、という感じではないかと思う。

     なお、ミーちゃんはーちゃんは、日本からどんどん教会がなくなることに関して、あまり心配していない。減少するのは、残念なことだと思ってはいるが。なぜなら、教会がなくなったところで、神ご自身がおられなくなるわけではないからである。
     
    年金問題も第4種の過誤かも

     年金問題も第4種の過誤かもしれない。なぜならば、一生懸命延命策を考えているうちに、どんどん年金が支給するのがきつくなっているからである。

     この問題に入る前に、明らかにしておきたいことがある。世間では、収めた年金を受給できないのはおかしいと声高に叫ばれる方がおられる。庶民感覚からすればそうなのかもしれないが、それは年金という制度とその理念を理解していないことを自ら明らかにしている。

     江戸時代人は、年金を納めていなかったし、受給もしてなかった。明治期に生まれた人は、年金をほぼ収めてないはずであるが、年金は受給した。年金を納めてないのに受給したのである。

     つまり、年金制度というのは、個人の預貯金ではなく、世代間の所得移転なのだ。つまり現役世代から、高齢者世帯への所得移転をすることで、経済のパイを大きくしましょうという政策なのである。もし、預金として考えければ、生命保険会社でも、証券会社でも、銀行でもよいから、年金積み立てをしておけばよい。それをせずして、年金を国営の預金かの如くいうのは、「私は年金制度を理解もしてないし、その理念というか背景も理解していません」ということを自ら明らかにするに等しい。大体、預金資産であれば、預入した分だけ死亡した時に国が返金しないことを怒るべきなのだ。それすらしないで、預金のような顔することはおかしいのである。

     たちが悪いのは政治家の一部に、こういう自らの無理解をテレビで晒す方々おられたり、テレビのコメンテーターとか、テレビのキャスターとか自称する人々に、この手の無理解な発言を放送で垂れ流しにする人々がいることである。専門家としてのコメンテーターならば、もう少し勉強して発言してほしい。まぁ、まともなことを言う人がテレビに出てないのは、そういう人では言うことがまっとうすぎて、視聴者から嫌われるので、視聴率が稼げないからではあるけれども。

     年金制度は、プレゼントなのである。丁度今は全人類へのプレゼントであるお方、神の御子(ヒーリヨ 隠れキリシタンのある方はこの音に肥料という字を当てたらしい)がこの地上に来られたことを待つアドベントの日であるし、12月24日等特定の日には来られなかったであろう。しかし、地上において神の剥き出しの壮絶な愛を覚える日がクリスマスなのだが、その点からも、年金制度がプレゼントであるということの意味を考えてほしい。

    年金減額を訴える●世代老人の党ってのは、どう?

     子や孫のことを心配するご老人の方には、ぜひお願いしたい。年金財政健全化のために自ら受給しておられる年金額を減額する。将来にわたって、減額を続けるという政策を公約として掲げて、結党して選挙に出ていただきたい。そうしたら、そういう老人の方がたを若者はありがたいと思うし、「ご老公様、なかなかやるでござるなぁ」と思うのではないだろうか。それは、尊敬に値する高齢者としてのノブレス・オブリージュの一つの姿と思う。まぁ、それと当時に就業規則から、年齢規定の撤廃を含めた給与体系の前提の改変に関する合意なども必要であろうが。

     まぁ、ほっといても、いずれ国民人口が確実に減少するし、企業の海外進出が続く結果、GDPベースでの国民所得は確実に減少するので、現行の年金額が支払えなくなるのは時間の問題ではあるのだけれども。まぁ、インフレ起こして、支払額は同じでも、実質価値を減らすという裏技はないわけではないが、そんなことしたら、国家財政どころか、日本の通貨と国家への信用度は地に落ちる。目標インフレ論の怖さはそこだと思う。

     某公党さんも、将来の世代をまじめに考える政党です、次世代の●(その割に前世代の方がちょっと多かったような気がするが)って言うならさ、そういうことをきちんといってほしいかなぁ。

     別の公党も、痛車に乗って話題づくりしたり、秋葉原で街頭演説会開催したりばっかりしないでさ。まぁ、「日本を取り戻す」とおっしゃっておられるのだから、「年金(恩給 雀の涙ほどだったらしい)を公務員の退職者以外もらえなかった日本を取り戻す」ということを含めた、「日本を、取り戻す」なのかもしれないが。そうだとしたら、財務官僚は大喜びだと思うが。


    某公党様の話題になった痛車仕様の街宣車

     次回最終回は、第5種の過誤(ミーちゃんはーちゃんによる提案)について触れる。
     
     
     
    評価:
    Howard Raiffa
    Belknap Press
    ¥ 4,570
    (2007-03-31)
    コメント:いい本だったけど、確率論の知識とゲーム理論の知識がないと、しんどいかもしれない。

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