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2014.12.13 Saturday

キリスト教界を巡る第1種から第5種の過誤 (その1)

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     これまで、このブログでも日ユ同祖論やら、それを契機にした日本伝道とか、天皇家はダビデの子孫として尊敬すべきとか、神道は基本ユダヤ教だから、神道をキリスト者はもっと学ぶべきとか、再臨(というか地球消滅)を契機としたリバイバルを目指してきた人々とそれに対する個人的な違和感がある旨を陳べてきた。なぜ、これらのことに関する違和感があるかということについて、今日は、それをまとめて、もう少し書いてみたい。

    統計学での過誤概念

     統計学の検定論の中で有名な議論に第1種の過誤Type I errorや第2種の過誤Type II errorがある。詳しくは、統計学の基本的な教科書を読んでほしい。

     Wikipediaの統計的検定にまつわる過誤の記事でもある程度概要がつかめるであろう。そもそも、統計学的検証がなじむのか?という問題もあるが、少し考えてみたい。

    キリスト教界の第1種の過誤Type I Error

     第1種の過誤(本当はある仮説が正しいのに正しくないとする場合)の例を考えてみる。

     「あるリベラル派の神学者は聖書を真剣に重視している」

    という仮説に関して、一部の福音派の皆さんの理解は第1種の過誤状態になっているっぽい。なぜならば、一部の福音派の皆さんは、

     「すべてのリベラル派の神学者は、聖書を真剣に重視してない」

    と思いこんでおられるようであるからである。

     つまり、「あるリベラル派の神学者は聖書を真剣に読んでいる」という事実が存在するのに、自分の無理解や思い込み(リベラル派の神学者は聖書を真剣に読まない)から、現実を無視し、特定のリベラル派の神学者のありようを、すべてのリベラル派の神学者全般に対して、一般化し、誤った結論を出しているように思えてならない。

    キリスト教界の第2の過誤 Type II Error

     第2種の過誤(本当はある仮説が間違っているのに、正しいとする場合)の例を考えてみる。

     日本人とユダヤ人は同祖である

    という仮説が無理っぽいことはすでに以下のリンクでお示ししたとおりである。


    日ユ同祖論というトンデモ理論について その1

    日ユ同祖論というトンデモ理論について その2

    日ユ同祖論というトンデモ理論について その3

    日ユ同祖論というトンデモ理論について その4(最終回)



     つまり、日ユ同祖論が妥当性は著しく疑問であるのに、普遍的に日ユ同祖論が成立するという結果を出すという点において、日ユ同祖論は第2種の過誤に近いと思えるのである。

    第3種の過誤 Type III Error とキリスト教界

     現在キリスト教会近辺では、これは第2種の過誤も発生していることに加えて、第3種の過誤(Type III Error 正しい問題を解くべき時に、誤った問題を一生懸命解決しようとした結果、誤った結論を得る)という状況が生まれているのではないか、と思うのだ。なお、第3種の過誤等の過誤概念の拡張に関しては、こちらの過誤種別拡張の提案からまずはご覧うじられたい。

     個人的にこの第3種の過誤の概念を知ったのが、最下部で示すMitroffの本だったので、個人的には、Kimballの「間違った問題に正しい答を与えることによる過誤」の路線に乗っており、Mitoroff and Fotheringhamの第3種の過誤の路線「正しい問題を解くべきときに間違った問題を解く過誤」に則っている。

     実は、今回の「日本を●するキリスト者の会」の広告問題にしても、また、終末預言問題を起点にした伝道熱心さにしても、この第3種の過誤「正しい問題を解くべきときに間違った問題を解く過誤」に陥っているように思えてならない。それは、ミーちゃんはーちゃんが第2種の過誤を起こしているからかもしれないが。

     ところで、「日本を●するキリスト者の会」の皆様のご主張は、戦後の伝道体制、日本的なるものに批判的であったキリスト教の一部の皆様のあり方について、否定的なご意見を申されようとしておられ、伝統的(いつからか、ということは別として)とされてきている日本の道徳や行儀作法などの好意的な問題に対する美意識などの再回復や復興というか復古が想定されているようである。

    何をもって理想の日本とするのか

     ところで、何をもって、日本的あるいは、日本の伝統、文化、歴史とするのか、という問題がまず問われなければならないのではないか。日本を●するキリスト者の会の伝統的な日本的な美意識とは、このようなものであろうか。以下のリンク先 http://d.hatena.ne.jp/naoshi11/20101020 でみられる画像は、日本の伝統絵画の日本画の作品の一つである。若冲ほどの名人ではなさそうだが、江戸期の日本画である。
    20101021094415
     なお、元画像は、福島県会津美里町が権利を保有しておられる。なお以下の文章は、上記画像を掲示しているhttp://d.hatena.ne.jp/naoshi11/20101020 から転載している。

     岩手県胆沢町史によれば、「…牛馬の肉を食するのはふつうで、人肉を食する者さえあり、老母の死体を五百文で売買し、嬰児を食う母親もあり…」や「…幼き者の手を取り、老いたる親か母かとおぼしき者連れ立ち、さまよい行く姿、哀れなり。道具、身のまといの物一つ一つを売りて次第に食い果たし、ついには、ここかしこに倒れ伏し、飢えて死するこそ哀れなり。…」

    という惨状であったらしい。こんな日本は果たして美しいのだろうか。極端な例を持ち出しているという意見もあるのがわかるが、しかし、これとて、過去の江戸期の日本の歴史というか現実なのである。例外であるといわれるかもしれないが、東北では、この種の惨状が、過去から現在まで繰り返されてきたのである。

     こういう日本が美しいか、というのは、戦後のマッカーサー体制で生まれてきて、日本教職員組合盛んなりしころ教育を受けた自虐主観主義者のたわごとといいたければおっしゃればよい。

     しかし、上記の天保の飢饉の絵画は、江戸期の日本画家が書いたものであり、その悲惨さを後世に残し、後世の教訓とするために描いたものではないだろうか。自虐史観主義者の江戸期の日本画をご存じであれば、ご教示、ご紹介願いたい。また、胆沢町史に記載されている記載内容も、自虐史観主義者のねつ造だろうか。恐らく江戸期の古文書を現代文に書き直したものであろうと思われるが。

     他人の論文の恣意的なカットアンドペーストは、おぼちゃんと呼ばれる。

     聖書の恣意的なカットアンドペーストはカルトにつながる。

     歴史の恣意的なカットアンドペーストは、何になるかは知らないが、バランスを欠く行為ではないだろうか。いいものも悪いものを含めて総合的に理解しないとまずいのではないかなぁ、と思う。


     ところで、ずいぶん以前読んだ、山本夏彦の随筆のどこか(たぶん「笑わぬでもなし」)に、大正期と戦後の違いは何か、という東北人のタクシー運転手との会話のなかで、戦前は、ちょっと不況になると、売春宿など(当時は合法の産業であった)に娘を売る家庭がいたけど、戦後はそれがなくなった、ということを山本夏彦氏にタクシー運転手がしみじみといっている文章があって、非常に印象的であった。まぁ、そういえば、永井荷風の廓通いは有名な話である。その雰囲気は、里の今昔という青空文庫所収の永井荷風の文章からもしられる。

    http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49642_39418.html


    明治初年頃の花魁
    http://matome.naver.jp/odai/2135092862262301701 より


    女性の人身売買を防止しようとする秋田県のポスター


     昭和初年頃の公文書で、この状況である。「日本を●するキリスト者の会」の皆様からすれば、戦前の秋田縣の行政官は、マッカーサー将軍支配が発生する前でありながらも自虐史観主義者や反動主義者であったのかもしれない。

     現在、京都の鴨川といえば、デートスポットで有名であったり、夏の川床で有名であるが、もともと、鴨川は、飢饉や戦役の時は遺体放棄スポットであったのであり、不吉、不浄な場所であった。三条大橋(まるで惨状大橋であるが)はさらし首をさらす場所だったし。京都に轆轤町という六波羅付近の古い町名があるが、それが、髑髏町が転訛した結果というのはわりと有名な話。

     まぁ、昔話はこれくらいにして。閑話休題

    今回の騒動と第3種の過誤

     今回の某「日本を●するキリスト者の会」の皆様のご主張は、いろんな意味で、第3種の過誤を含んでいるのではないか、と思うのだ。

     Kimball先生の定義による第3種の過誤「間違った問題に正しい方法でアプローチすることによる過誤」で言えば、日本の歴史や文化、伝統(それがどこまで含むか、それが何かであるのかが、全く定かでないので、議論の前提条件とする日本の歴史や文化伝統が指し示すものや対象が人によって違うことになるので、また、これがまた面倒なのだが)の中に神が隠されている(この定義も明確でない)、という御主張らしいのだが、議論するにも、何が、日本の歴史や文化、伝統なのかで合意できるのか、ということがそもそも定義されていない以上、水掛け論に終わりそうだ。そこでいくら正しい答えである、日本人を愛する、あるいは、日本宣教を言ったところで、議論の前提がいい加減すぎて、結局何も言っていないことになる。これでは、泥仕合確実である。それでは得るものが何もないので、やめておいた方がよいと思う。

     某「日本を●するキリスト者の会」の皆様いわく、「所謂犲虐史観瓩妨納垢靴茲Δ箸垢觧兩は、日本のキリスト教界全体を覆っている誤てる常識」が同会の皆様が正しく取り除かれたところで、そこで過誤を生じると思う。だって、誤てる常識を除いた後に入れるのがYHWH以外の日本精神や神道賛美だったら、それは、もはやキリスト教ではない。日本教とでもいうべき存在ではないだろうか。日本教については 以下の二つの過去記事を参照。

     「わかりやすさ」がもたらすもの

     日本という国と信仰について考えた

     まぁ、リベラル派とののしられ、左傾化傾向が若干(前衛やあかはた新聞の愛読者ではないし、自分ところの日教組系の教員組合を大きく変質させてしまった経験がある)あるミーちゃんはーちゃんなどは、某「日本を●するキリスト者の会」の皆さんからは、日本人の内にも入れてもらえてないのだろうし、彼らにとってはミーちゃんはーちゃんはまっとうな日本国民ではないのであろう。なんか戦争中にも非国民という言葉を行った人が結構いたらしい。

     でも、レビ記では、上帝は斯く宣べ給っておられるようにおもうのだが。これは、古代の日本に来られたユダヤ人の方は、どこかで強奪されてしまって、ご持参になりそびれたのかもしれない。

     あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。(口語訳聖書 レビ  19:10)

     また、「日本を●するキリスト者の会」の皆さんは、

    「私達クリスチャンが日本と日本人を高みから批判し、告発するのではなく」

    とお書きであるが、なんか、ミーちゃんはーちゃんにしてみれば、

    「私達日本を●するキリスト者の会」の皆さんから「自虐史観に毒された」ミーちゃんはーちゃんを高みから批判し、告発していただいた」
    ような気分なんですけど。もうちょっと、丁寧なことばというか、論理を使ってほしいなぁ。プロテスタントの牧師先生方や学者の先生方もおられるなら。

    第3種の過誤と「日本と日本人を愛する」の不明確さ

     冗談はさておき、第3種の過誤に戻ろう。Mitroff and Fotheringhamは「正しい問題を解くべきときに間違った問題を解く過誤」を第3種の過誤と呼んでいるが、某「日本を●するキリスト者の会」の皆さんは、どうも、日本のキリスト者として、第3種の過誤におちいっていない確率は0ではないと思うのだが。統計的検定はできないけど。

     設立趣意書を読む限り、

    日本人の心を福音に向かわしめる

    とか結構ウエメセ表現だと思うが、まぁ、それはよいとしよう(本当はあまりよくないと思うけど)。しかし、あたかも日本人で福音に心を向ける人がちっとは増えるためには、

    日本と日本人を愛し、いとおしむ心を持つこと、そしてそのために執り成し祈ること
    って、おっしゃっておられるが、「日本と日本人を愛し、いとおしむ心を持つこと」を示す手段としての神社参拝とかっていう手段が取られるとしたら、日本文化大絶賛、他国の文化否定だとかだとしたら、目があてられない。だって、あなたの隣人を愛せ、というイエスの言明に反することであるから。ここらの定義が明確でないと、それはまずいことになるようなきがするなぁ。

     リベラル崩れと既に一部で批判されているミーちゃんはーちゃんは、日本の米作農家さんや最近いろいろとうわさが絶えないJAさんとも御昵懇の関係であり、ご支援の形でお付き合いしているし、なんせ、白い炊きたてのお米は大好きであり、日本はうまし国だと思う。まぁ、アメリカ米も、田牧というブランド米だと結構おいしいけどね。

     日本はすごい国だとも思っている。なんせ、数分間隔で時速200キロメートル超の列車を同時に十数編成、1編成にピーク時2000人弱載せて、それもこれだけ曲線部分が多い日本の国土で、それも、線路を人が歩こうとしましたというたぐいの事故・事件以外の要因で年間の遅延時間がほぼ0に近い形で走らせられる国というのはそんじょそこらの国には絶対にない。

     今、新幹線を海外輸出する計画があるが、清掃メンテナンスや車両メンテにおける職人芸、乗客が無茶しない文化など含めて、どこまで輸出できるかが重要になるだろう。単に新幹線システムを海外に販売したとしても、うまくいかない。細かな運行保守・保線システムを含め、日本の職人芸が詰まったのが、新幹線なような気がしてならない。計算機だけでは、新幹線がうまく動かないことは計算機屋であるだけによくわかる。

     図面とマニュアルだけでは、新幹線はそのうちに動かなくなると思う。その意味で、日本というのは、大した国なのである。他国にまねのできないことができるという意味では。

    日本文化を「愛」するのと聖書の神を「愛」するは
    おなじ「愛」の字が使われているけど違うかも


     今回、日本を●するキリスト者の会のご発言で、一番危機感を抱いているのは、ご発言の趣旨や一部が、聖書を通して語ろうとする神と人との本来の関係である「愛」や「義」に関する錯誤を生み出すように思えてならないからである。そして、日本人の心情のみに訴えて、本来の求めるべき神との関係である「愛」や「義」であらわされる神と共に歩むことを別もの(たとえば、日本的な礼儀や礼節、文化、神社への尊敬とか)と取り換えてしまってしまうという可能性がある。

     そもそも、日本語の「愛」と聖書の「愛」とは完全に別物と考えたほうがよさそうである。このあたりは、鈴木範久先生の「聖書の日本語」を読んでお考えていただくのがよいと思う。

     あと、日本書紀などの神々の物語を見ても、どこに創造主やナザレのイエスの言う神の義と愛の究極的(テレイオス)な完成の直接的な言及があるのかがよくわからないので、この浅学菲才の徒にもわかるようにご教示願えると嬉しいのだが。参考文献特にその原点となる日本の古事記、日本書紀、続日本紀などの場所などを明示しつつ。

    日本とコンスタンティヌス的キリスト教

     確かに、日本人に対して、これまで特にアメリカを中心とする海外の伝道単体の支援を得て伝道してきたが、それがうまくいかなかったことも確かである。西洋のキリスト教世界が曲がりなりにも体験した全員キリスト教みたいな世界は、これまで日本では実現していない。

     ただ、個人的には、そういうコンスタンティヌス的なキリスト教はまともでなくなることが多いことを思うし、ジョン・ヨーダーを読んでいる限り、何となくコンスタンティヌス的なキリスト教にまつわるの問題は想像がつくので、そんなものはいらないのではないか、と思っている。まぁ、もちろん全国民が結果としてキリスト教徒になってくれたら、楽でいいけど。それは、結果であって、目標にしてはならんもんだと思う。我々の力ではどうやったって、実現できないから。それができるのは神お一人だろう。


    Master Yoda
    これはヨーダ Master Jedi Yoda


    これがヨーダー John H. Yoder

     しかし、どうしても、何でもいいから、どんな形でもいいから、キリスト教に目を向けさせよう、コンスタンティヌス的なキリスト教を日本で実現しようとするのは、どうも、これまで、一生懸命努力してきても、キリスト教がガン無視された、日本社会に対する一種、伝道熱心さの故のやけくそのものいひにしか思えないんだけどなぁ。それこそ、やけくそゆえに、何でもよいから伝道する、何でもよいから、やってみる、という、第3種の過誤を起こしているとしか思えない。

     本来、神の国が地上に来ていることをキリスト教徒と集合体としてのキリスト教徒(教会)は示すものである、ということをナザレのイエスはおっしゃったのであり(ルカ17等)、「無理からにキリスト教徒にしなさい」とか、「何でもいいからキリスト教徒にしましょう」とかおっしゃったのではないのだと思う。つまり、キリスト者が神の国が地上にその一部が来ていることを示すべき時に、別の「神国日本」を指そうとしているのではないか、と思うのだが、違うだろうか。

     この馬鹿なミーちゃんはーちゃんが分かるように丁寧にだれか教えてほしい。


     キリスト教界における第3種の過誤について、キリスト教書籍業界を例に考える。






    評価:
    Ian I. Mitroff
    Berrett-Koehler Pub
    ¥ 11,092
    (1998-01-15)
    コメント:1997年にUWで買って衝撃を受けた本。

    価格: ¥637
    ショップ: オンライン書店 BOOKFAN
    コメント:キリスト教の正義感って、茶の間の正義ではないか、と思う。

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