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2014.09.16 Tuesday

「カクレキリシタンの実像」から、現地化の問題を考えた

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     友人の勧めで、「カクレキリシタンの実像」を読んだ。読みにくい本ではない。学問的な内容を柔らかい、通常人に理解可能な表現でまとめた、著者の長年のキリシタン研究の精髄を集めたような本である。

    同書の主要な論点
     この本の主要な論点は、日本では、キリシタン自体のキリシタン、中でも、バテレン禁止令以降のキリシタン像(ある種理想化されたイメージ)が迫害の中でもパーデレたちから伝えられたカトリック的信仰を純粋にそれを守りながらも守り通した、というイメージが日本のマスコミや日本のキリスト教業界に幅広く定着しているのではないか、ということを指摘している本である。なお、カクレキリシタンとは、著者が独特に用いる用語で「キリシタンとして始まったもののキリシタン禁教後、その原点理解を失い、民衆宗教化し、土着化する過程の中で結果として、結局は日本の祖先信仰の影響を色濃く反映したキリスト教でなくなった民俗的信仰を持つ人々の総体」とでもいうことができるであろう。

    迫害のみがクローズアップされるが、
    その信仰の実像は
     15年戦争期の国民国家、国体(必ずしも天皇崇拝と対立するような形ではないが)との対立での迫害とキリシタンの迫害が重なるからか、必要以上に理想化されている隠れキシリタンの迫害面だけがクローズアップされ、その信仰の実態を深く問わず、特にオリエンタリズムに影響された、西洋人視点で誤解された理想化された「キリシタン」像をそのまま、明治期に移入してしまったのかもしれない。何を信じているかはさておいて、迫害の歴史の日本側、西洋側資料の整理に関して、この前の日本基督教学会で三輪さんという方が研究成果を発表しておられた。

     本論に戻すと、この本の著者による何度も現地に足を運ぶ(農漁村などに入り込むためには、顔見知りになって、冗談言い合えるような関係にならないとまずダメなので)貴重なフィールドワークとインタビュー調査、参与観察の結果、明治期以降まで生き延び、現在もカトリック教会に戻ることなく独自の信仰を持ち続けている「カクレキリシタン」は、もはやイエスがキリストである、というキリスト教の信仰の基礎を失っており、祖先から受け継いだものを守り通そうとして、幕藩体制、明治政府と対立的にキリシタンとしての習俗を守り続けたのではないか、少なくとも、本人たちは礼拝しているものは、「でうす様」であったり、自分たちに日本の神仏よりハイパワードな力を持つ存在として、現世利益を与えたり、害悪を与える存在としての「でうす様」として聖書の神をとらえている可能性を指摘しておられた。

    壮絶な漢字が充てられたオラショ
     同署内で紹介されている昭和初期にあてられたオラショの文字での筆記例で「壮絶!」と思った事例を紹介する。

     でうす(Deus 全能の神)   → 出臼
     ひぃりょう(Filio 子〔なる神〕) → 肥料
     ばうちずも(Bautismo バプテスマ) → 場移り島
     えすかりすちや(Eucharistia ユーカリスト) → 八日の七夜
     あにま(Anima 霊) → 兄魔・有魔・有馬  
         (同書 pp.94₋95)

    である。何より、イエス様がいつの間にか意味を失って肥料になっておられるところがねぇ。そして、信仰の順位を問うと、1番目は仏様、2番目はカクレの神様、3番目は氏神様(p.192)だそうである。そして、「信仰している対象とは何か?」と著者がカクレキリシタンの長老に問うた時の回答が秀逸である。

     「お魂の入ったものですたい」(p.194)

    ということで、かなりラテン語やスペイン語、ポルトガル語での信条や祈りを音としては保存されているとしても、呪術的な概念によりカクレキリシタンの儀式理解は支配されているらしい。

    信徒レベルの信仰
     まぁ、著者は日本の民衆レベルの仏教が果たして仏教と呼べるのか?ということも問題提起しておられる。現世利益を求める厳密な理解を突き詰めない民間宗教に信徒レベルでは、堕しているのではないか、というご指摘である。

     このこと(ミーちゃんはーちゃん注:教義的な意味が民衆的な信徒レベルで理解されていない)はカクレキリシタンのみならず、日本の諸宗教に共通する特色であるといっても過言ではありません。日本では、盆と彼岸が仏教における主要な行事となっていますが、実際は墓参りをして先祖供養を行っているだけです。その行事の持つ本来の意味が正しく理解されて営まれているとはいえません。お経にしても、有名な般若心経でさえ、唱えることはできても、その意味までしっかり理解できている人は多くはないでしょう。(p。174)
     ミーちゃんはーちゃんのお知り合いの仏教者の皆さんは、表面上は面白い取り組みをしている方は多いのだが、教学的には割とガチな人が多いので、こういうことはないのだが、割と普通に出会う日本型仏教徒の方は、上のご指摘に近い方が多いような気がする。

    西洋型のキリスト教も…
     西洋のキリスト教の世界は民衆レベルではこういうことはなかったか、というと、近世の文字の読み書きが普及した時代はいざ知らず、中世の時代は、ほとんど呪文扱いに近かったのであろうし、信徒が理解していなかったであろうことは、司祭ですら、イエズス会ができるまでは、きちんと理解されていなかったらしい(英司祭の講演参照)ことから、信徒レベルでの理解は、似たようなものだったかもしれない。  

    日本で独自化が進むキリスト教の可能性

     さて、実は、この問題、信徒中心で運営し、日本語の特定のバージョンの聖書のみを使うミーちゃんはーちゃんのようなキリスト者集団で、類似のことが発生する可能性があるのではないか、と思ったのだ。特に、他の幅広いキリスト教の諸集団と断絶し、自己の聖書理解を正当化し、特定ヴァージョンの聖書のみを参照し、訳者が伝えようとした本来の意図を理解せず、書かれた文字のみに拘泥し、日本語聖書で描かれた訳語と訳者の日本語と読み手の時代の日本語の間に齟齬やずれがあるにもかかわらず、自分たち読み手の時代の日本語と翻訳された時期の日本語が共通であるとしたうえで、そこから独自の解釈を繰り返していき、聖書本文のテキストとは無関係になっている聖書理解を生み出すことすらあるのではないか、ということを危惧するのである。生み出すだけなら、別に個人の信仰なので、それはそれでいいのだが、その理解を根拠に他人に言いがかりをつけたり、それは「正しくない(→自分たちが正しい)」とか「聖書的でない(→自分たちの理解が聖書的である)」、「真理を持ってない(→ 自分たちが真理を持っている)」とか言い出すからかなわないのだ。所詮ドングリの背比べであるにもかかわらず。

     事実、「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」に取り上げられたブラザレン派から派生したグループ(基督教カナン教団など)は、「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」によれば、ブラザレン派の宣教師が帰った後に独自路線を進んだと指摘されていた。宣教師が伝達しようとしたキリスト教が、「アメリカナイズされたキリスト教のようなもの」、あるいは「ヨーロッパ型のキリスト教のようなもの」である可能性はないわけでないような気もする。その意味で、ドングリの背比べという印象もなくもない。

     まぁ、時々ありがたいコメントをくださる「ひかる」様がご指摘のように、すでに日本のほかのキリスト教グループでも、信徒レベルでは、キリスト教とはいいがたいキリスト教が繰り広げられている事例にも多数起きているらしいし、そういう事例に結構行きかうことが多いので、まぁ、こういうことはどこでも起きているが、その上で、現地化をどう考えるのか、ということは、少し考えていいかもしれない。聖書が何を言っているのか、ということを言いながら、ではあるけれども。

    日本型キリスト教を目指した先が、
    非キリスト教だったという悲喜劇
     だからと言って、日本型のキリスト教のようなものを目指して突き進み、結果として、何を礼拝しているのかがよくわからない完全にキリスト教でないものになってしまわないか、ということを心配している。まぁ、日本語聖書はあるから、ラテン語やポルトガル語、スペイン語でのオラティオのみが残された場合と比べてまだ、多少ましであろうけれども。

     内向き、伝承、継承志向をすすめていき、自己批判的な視点を捨てていけば、日本人に理解可能な地獄と天国(極楽)と世間的な繁栄のみを語り、現世利益的な信仰と化していくことになり、結局、自分たちはキリストへの信仰を持っているとは思っても、キリスト教的な何か、あるいは、キリスト教的な日本で独自に発展を遂げた新宗教を生むだけになるののかもしれない。そのことを、日本において、極端な信徒主義に立ち、他のキリスト者集団と関係をあまり持ちたがらない、そして、海外からの宣教師が減少しつつあるキリスト者集団に属するものとして、このあたりのことを真面目に危惧しないとまずいかなぁ、そのために、聖書の表面的な表現にとらわれず、聖書の主張をくみ取っていくための努力を継続的にしないとまずいんだろうなぁ、と本書を読みながら思った。実に、考えさせられることの多い本であった。






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    コメント:日本宗教受容史を考えるうえでマイルストーンとして使える本の一つ。

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    コメント:良い。日本で独自に変化して言ったキリスト教の背景をフィールドスタディに基づいてまとめた名著。やや、無教会とキリストの幕屋の記述が多いのが…

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