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2014.09.17 Wednesday

続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その5

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     これまで、ソーシャルネットワークや、人間関係ネットワークの基礎を見て、伝道とネットワークとのかかわりを触れ、キリシタン時代の伝道とネッ トワークを触れ、子供のソーシャル・ネットワーク構築の場所としての公園、塾、学童保育とその整備状況、その時系列的変化と空間的整備状況等に触れ、前回は、日本のお小さい方々の中での、キリスト者家庭のお小さい方々のソーシャルネットワークの脆弱性についても触れた。


    続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その1

    続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その2

    続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その3

    続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その4



    アメリカ社会における教会と
    ソーシャル・ネットワーク

     欧米社会では、いい悪いは別として、教会はジョン・ヨーダーのいうコンスタンティヌス的教会という存在でつい数十年前まではあったし、社会における共通基盤として存在しているた。現在でも、社会の中で一定の役割を果たしたし、日曜日に教会に出席するだけで、ソーシャル・ネットワークが自然に発生するし、一定程度のソーシャル・キャピタルを享受できる。

     西洋型社会で社会の基盤ともなっていた教会、コンスタンティヌス的教会も、時代の変遷、とりわけ、近代社会の国民国家への移行に伴って、行政体による教会からの事務の移行が進んでいったこともあり、ソーシャルキャピタルの形成の土台も大きく毀損されて行くことになる。ソーシャル・ネットワークとソーシャル・キャピタルを初期のころから研究しており、それを一気に広めた、下部リンクで紹介しているパットナムの「孤独なボウリング」によれば、綿密な調査と統計データへの裏付けを用いて、近年のアメリカ社会における教会の弱体化と教会が提供していた、あるいは提供しているソーシャル・キャピタルが脆弱化しつつあることを述べている。


    日本社会における教会と
    ソーシャル・ネットワーク

     しかし、残念ながら、日本の社会におけるキリスト教世界は、キリスト者数が少なく、極めて小さいがために、教会にいることで発生するソーシャル・ネットワークは、一般社会のソーシャル・ネットワークに比べて優位性をもっている、とは言い難い側面を持っていると思う。

     さらに、教派における聖書理解の統一性を保持するために、これまで、人間関係の縛りが教派内にとどまることが求められる側面、教派内ではかなりの密度の濃いネットワークが形成される半面、福音派を中心として、教会内部、教派内部でのソーシャル・ネットワークが極めて強い半面、教派内の教会間でのソーシャル・ネットワークは存在しえても、一般信徒レベルでは、教派をこえるようなソーシャル・ネットワークや水垣渉氏のいう越境性をもったキリスト教的なソーシャル・ネットワークは、わが国では極めて弱かったのではないだろうか。

     ただ、明治初年頃の第2次キリスト教ブーム(第1次キリスト教ブームのキリシタン時代もそういう側面はあるが)においては、江戸末期から明治維新ごろにかけて、社会制度の激変の中でその存在理由を問われた下級武士、ある程度の実力者でありながら、社会から冷遇されたインテリのソーシャル・ネットワークの中で広がっていったという側面があるため、その中でのソーシャル・キャピタルを提供した、ということは言えるかもしれない。そして、もともと存在した、学校(農学校とか、英学校とかの、いまの大学の前身)に存在した元下級武士の指定間の人間ネットワークに乗って広がっていったという側面もあるのではないか。


    現代日本社会における
    お小さい皆さんとソーシャル・ネットワーク

     ところが、前回の記事の最後でも少しふれたように、熱心なキリスト教徒の家庭に育てられる子供の場合、往々にして、その子供の良心が持つ教会内でのソーシャル・ネットワークの志向性が強い、あるいは、その教会内ネットワークへの評価が高いために、教会外でのソーシャル・ネットワークを軽視する、あるいは、評価が低いものとして、往往にして親から示されることもあるのではないだろうか。


    ドラえもんにおけるソーシャル・ネットワーク

     そのため、キリスト教徒家庭の子弟の教会外ソーシャル・ネットワークは、教会内ソーシャル・ネットワーク、あるいはそれぞれのネットワークにおけるリンク数(平たく表現すると友人数)は小さいものにならざるを得ない。その意味で、教会外でのソーシャル・ネットワークの中では、社会の構成員への影響力の大きいウェイトの大きいノード(ジャイアン型ノードや花沢さん型ノード)ではなく、ウェイトの小さいノード(出来杉型ノード)、すなわち、子供社会の中で遊離したノードになっている可能性はないだろうか。

    出来杉君型ノードに伝道を強いることの無理

     そういう(出来杉型ノード)状態に置かれている子供に、教会学校や日曜学校に親や、日曜学校、教会学校の教師から、お友達を誘っておいで、といったところで、社会の中での影響力は限られている出来杉ノードであることを強いられているため、子供社会の他の構成員への影響は小さい。

     それでもなお、誘おうとした場合、自分以外の社会の構成員から冷淡な反応に繰り返し直面することになり、その子供の自己評価や尊厳にかかわる価値観自身を大きく毀損することも起こるのではないか、と思うのである。

    ある論理を現実無視で
    個人に要求すること
     それを大人の論理だけで、要求することは、果たして適切なのであろうか、あるいは、子供のノードとしての特性を無視し、子供たちを子供たちの社会から切り離しながら、それと同時に、その社会の中から、関係者を教会に呼び寄せようということは、一種のダブル・バインド状態ではないか。ダブル・バインドがカルトのツールであることを考えるとね。

     もちろん、個人属性があり、人懐こく、何でも人と話し、お付き合いの得意な人や子供もあろうが、そういう人はすべてではない。そういう個人の性質を無視し、また、個人が持つ人間ネットワークの特性やノードとしてのリンク数などを無視して、子供たちを教会学校につれてくることを求めることは、どこか無理があるように思うのだが、どうだろうか。

    次回 ラポール形成とキリスト者家庭でのダブル・バインドについて




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    コメント:良い。特に最初の2章で、アメリカ社会における教会の地位の低下とソーシャルネットワークでの役割の低下がふらられている。

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