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2014.09.14 Sunday

続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その3

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     これまで、おちいさい皆さんが教会学校に来るか来ないかにおいてかなりの要因となる人間関係について、一般的な形として、ソーシャル・キャピタルと、ソーシャル・ネットワーク、そして、カトリックのキリシタン時代の日本宣教状況について触れながら、ソーシャル・ネットワークと宣教とのかかわり、お小さい皆さん方のソーシャルキャピタルの醸成の場について触れてきた。今日は、その歴史的変遷について、もう少し触れていきたい。


    続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その1

    続 教会学校におちいさい皆さんが減った理由(人間関係編) その2

    キリシタンについての補足

    なお、前回のところでも、少し触れたが、下記リンクで紹介する「カクレキリシタンの実像」では、川村先生のご講演を一歩超えて御説明になっておられる。要するに、「カクレキリシタン」集団は、日本型地域集団の亜種で、一応、非仏教、非神道型の信仰を持った集団であり、現在想定される敬虔で熱心なキリスト教ではなく、国際貿易や出世などの実利を目指したキリシタン(なんちゃってキリシタン)だった可能性があることを指摘しておられた。個人的には、そう思う、だって、5000人に一人の司祭で、おまけに領主さまに取り入るためにキリシタンになった層は、お武家層や領民層で多かったはずだから、宮崎先生ご指摘の通り、深い理解をもったキリスト者というわけではないと思う。

    1970年代以降のお小さい方々にとっての
    ソーシャルネットワーク育成の場の変遷

     1970年代から、当時の住宅公団(現都市機構 あるいは UR)や自治体出資による住宅供給公社、民間不動産開発業者(デベロッパー)の開発がおこなわれ、多くの新興住宅地(団地)に人々が住むこととなった。そして、千葉の光ヶ丘団地開発時点に見られるように団地に住むことが、理想の生活と映画などでも喧伝された。(以下の動画参照)


     団地が理想の生活とされた時代のニュース映画の動画


     都市の郊外への進展や、その過程の中で、自治体における開発規制や自治体と民間デベロッパーが締結した開発協定により、公園や公民館、児童館、集会施設などが整備されていくこと になり、これらの整備が進んで行き、これらの整備により子供たちの『ソーシャル・キャピタル』の育成の場も多様化していった。


    学習塾の急拡大と
    お小さい方の公共圏の空間的拡大

     さらに、1980年代ごろから、公教育の補完教育機関、とりわけ名門高校、名門私立高校受験のための準備教育を行う学習塾のプレゼンスが子供たちの生活で増していく(図1)。

    図1 事業所企業統計を利用した全国の学習塾の事業所数


     それまでは、習いごとといえば、ピアノ、習字、そろばんが主力であったが、1970年代以降において、小中学生においては、いわゆる受験志向型、(学校の 授業内容のキャッチアップを目指す)補習修型の両方を含め学習塾のプレゼンスが高まっていく。そして、そこでの週1回から2回程度の塾施設での学習のために集合することで、また、塾などが提供する夏期学習機会などの機会を通して、一つの学校内に留まらない、やや広域の人々との交流が生まれ、『ソーシャル・キャピタル』が構成されていくことになる。その意味で、従来は地方公共在的性質を持つ公園、寺社、教会の境内地などで従来は行わ れてきた公共圏の形成の場の一部(あるいは相当部分)が私的空間である塾という空間へと移っていくこととなる。また、世帯では、共働き世帯の増加に伴う、 学童保育が学校でなされることになっていく。図2に学童保育について、全国学童保育連絡協議会による調べの結果を図示する。


    図2 全国の学童保育所数(全国学童保育連絡協議会調べ)


    異界への窓口としての
    公園・空地・寺社・教会・塾

     ところで、公園や、寺社、あるいは教会等の境内地、道路上や、商店などの店先やその付近の空地、都市内の未開発地である都市内空地などに集まる子供たちにとって、これらは一種の地域社会における人間ネットワークの枠やその縛りを抜け出すための異界、または、異界への窓口ともなっていたのであり、いわゆる公教育施設や制度という枠組みとらわれない形で、地域的により広い範囲の子供たち(児童・生徒)の間の人間ネットワークあるいは、『ソーシャル・ネットワーク』を構築する機会や出会いの場を与えていたが、1970年代以降は、塾によってそれらの『ソーシャル・ネットワーク』を構築する『場』であった、パブリックアクセス可能な地方公共財的性質をも持つ公園、空き地、寺社、あるいは教会の境内地がもっていた機能が、塾というより広い空間的領域とを切り結ぶことを可能とする場としての機能代替が起きたように思われる。なお、この議論は、統計的データに裏付けられているわけではないし、今、そのことを1960-80年代までにさかのぼって調査することは現実的ではないし、よしんば現時点でその調査をしたとしても、バイアスが生じるだけであり、その有効性は限界があるものとなるであろう。
     
     なお、以下の図3は1955年以降の東京都における都市公園の整備状況を図としてまとめたものである。なお、この作図に当たっては、国土交通省国土政策局国土情報課(2013)  国土数値情報 ダウンロードサービスからダウンロードしたデータをもとに、供用開始時にお応じて表示をすることで、GIFアニメーションとして作成した。


     図3 東京都を例にした、都市公園の時系列的整備状況


     この図を見る限り、1970年ごろに急速に都市公園が整備されて行き、この時期に開発が進められていったことが分かる。その意味で、本来必要だった時期になかった公園が、それを必要とする子どもたちが減ってから、急増しているというのは、何とも皮肉であり、今後、公園はとっても大きくなられた皆さん(高齢者)のソーシャル・ネットワーク造成の場になっていくのかも入れない。

    次回へと続く




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    コメント:江戸中期、後期のキリシタンについて一般化したイメージの危険性がわかる。

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