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2014.09.03 Wednesday

Meta思考ができる人、できない人 ジョン・ヨーダーから考える(4)

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     第1回目では、ヨーダーって人がいることを紹介し、第2回目では、教会におけるイエスが中心であること、教会と現代社会についてヨーダーがどう考えているのか、そして、第3回目では、ヨーダーが不戦論と終末論、神の民としてよとどうかかわっていくのか、の藤原論文を手掛かりに考えた。ヨーダーが教会をどう考えているかってことを述べて来た。
     これまでの過去記事は以下の通り。


    Meta思考ができる人、できない人 ジョン・ヨーダーから考える(1) (08/23)


    Meta思考ができる人、できない人 ジョン・ヨーダーから考える(2) (08/25)


    Meta思考ができる人、できない人 ジョン・ヨーダーから考える(3)(08/30)

     今日も長めで、ややこしいかなぁ。聞き慣れない言葉が多いと思うので、ご容赦賜りたく。
     
    ヨーダーが戦っている対象
    という節から

     ヨーダーさんが戦っているというのは、ちょっとねぇ、平和主義者にしては変なんで、意味としては、真剣に対話しようとしている人とはだれか、ってことかなぁ。この対象に関して、藤原論文では次のようにご指摘である。

     ヨーダーが戦っている相手は何か。それはコンスタンティヌス帝のキリスト教とし て象徴的に表現される国教的キリスト教とその倫理である。それは、(中略)キリスト者以外にも受け入れることが可能ないわば水増しされたキリスト教的香りのする倫理である。(中略)それは、教会がエスタブリッシュメントとしてのステータスを得、力によって世をコントロールすることを表している。これは、中世ヨーロッパの国教的キリスト教世界だけでなく、教会と国家の分離がなされているとされているアメリカにおいても見られるとヨーダーは考えている。アメリカにおいては、制度としてのエスタブリッシュメントではないが、社会の中心に位置するという教会のステータスと、キリスト教的に世界に影響を与えていくという教会のメンタリティー(引用者註: マニフェスト・ディスティニーのことかと思われる 詳細は下記の森本あんり氏の著書を参考)が、主流派教会にあるといってよいだろう。(p.83)

     しかし、第3章担当の藤原淳賀さん、すんげーことをさらっとお書きである。ミーちゃんはーちゃんも、この部分は、「うんうん、そうそう、体感的にそう感じますねぇ」と思ってしまった。なんか、繁栄の神学とか、もう、完璧に、「キリスト者以外にも受け入れることが可能ないわば水増しされたキリスト教的香りのする社会における成功法」ではないかと思うのだ。では、伝統的な教派のみならず、福音派だって、キリスト教的な香りのする哲学を説いてきた部分(だって、同時代ってだけで影響を受けるし)もあるし、あるいは、キリスト教的な香りのする何かを説いてこなかったか、と言われたら、ミーちゃんはーちゃんは、それをしてました、と正直に認めたい。


    コンスタンティヌス帝の彫像
    (↑この石膏像に高校時代の美術のデッサンで苦しめられた)

    社会のマイノリティとしての
    キリスト教の価値


      日本の教会は、マイノリティーとしての明確な独自性を創造的に示してくることができず、キリスト教が受け入れられている時代(国際主義の時代 【紹介者 註:おそらく、1860-1880年の明治初期の第1次ブーム、1900年―1925年までの大正期から昭和初期の第2次ブーム、947-1964年ごろにかけて の15年戦争後の第3次ブームが相当すると思われる)には、社会の中心から直接影響力を与えようとするコンスタンティヌス的なメンタリティーによって導かれてきた。そのような性質は、宣教師たちによってもたらされた主流派キリスト教の中にDNAとして入っていたものであろう。しかし、キリスト教に批判的な時代(国粋主義の時代 【紹介者註:おそらく、明治中期以降の内村不敬事件の時代、戦前期の大政翼賛会が形成され昭和維新とか言っていた時代、1970年代以降のベトナム戦以降の時代】)が来る。その時日本の教会は妥協と生き残りに向かった。(p.84)
     しーらない。ミーちゃんはーちゃんが言ってんじゃないんです。藤原先生がお書きになっておられるんですから、それもどうも古屋安雄先生の所論に乗っかってのご議論らしい。この前でそう明言されておられる。まぁ、おそらく、キリスト教のマイノリティ性、その実相は、カトリックでも同じで、そして、キリシタン時代の伝道もそうで、最初は弱い人々への援助から始まり、それじゃ、イメージ悪くなるんで、支配者側への伝道も、って事になり、武士階級への伝道となり、キリシタン大名が続出したらしい。この辺の事情は、以下の川村先生の公開講座の時の講義メモをご覧いただきたく。



    上智大学大阪サテライトキャンパス公開講座参加記 戦国期と近代のカトリックと社会 川村信三教授 その1


    上智大学大阪サテライトキャンパス公開講座参加記 戦国期と近代のカトリックと社会 川村信三教授 その2



     そして、「殿がキリシタンなら、お仕えする我らも」ってことになり、挙句の果てに、下々のものも「御領主さまがキリシタンなら、われらも」ってことになる。これを危ぶんだ秀吉君は、このコンスタンティヌス的なメンタリティ、ってまずいじゃん、って伴天連追放令をだす。なお、バテレン追放令は、その通り読めば、バテレンに帰ってくれ、って言ってるのと、パワハラまがい(スケートの聖子おばさんは、どう見てもセクハラ)で改宗迫るな、ってことを言っているようだ。ローラ語ウルトラ訳はこちらから。

    バテレン追放令とキリシタンの講演会に参加して(2)



    コンスタンティヌス的キリスト教の影響

     コンスタンティヌス的キリスト教がもたらしたものについて、藤原論文では、さらにこのようにまとめておられる。

     (1)教会が社会的ステータスのみならず、その意識においても「エスタブリッシュメント」となった
     (2)クリスチャンの意味するところが変わった。以前はキリスト者となることを自らの意思で選びとられなければならなかった(Believers' Church)が、すべての人がクリスチャンとされるようになった。
     (3)神の民でなく、政府が歴史の主たる担い手と考えられるようになった。そして「教会」は軍や郵便局と同様に、宗教・道徳を担う国家の一つの行政部門となった。
     (4)キリスト教倫理が二重構造になった。国家の「クリスチャン」に当てはまる最低限のキリスト教的倫理と、高い動機をもち世俗を離れる自覚的キリスト者(修道院)の倫理に分かれた。
     (5)倫理学が実用主義になった。教会が支配者側に立つ時、「新約聖書が教会に求めていることよりも、『全体の善にとって』もっとも望ましいこと」を求め、社会を動かそうとするようになる。(中略)ヨーダーは、それを「倫理の工学的アプローチ」と呼ぶ。
     (6)教会は社会をコントロールするために自然道徳を自らに適用した。(中略)新約聖書のイエスと生き方よりも、結果によって手段を正当化するために、より自然に近いと考えた旧約聖書の教えや異邦人の知恵(ギリシア哲学)に重きを置いた。(p.85 改行はミーちゃんはーちゃんによる)
    とお書きである。

    アメリカ中西部での
    社会の主流派としてのキリスト教
     まず、(1)に関しては、確かに、米国では、『キリスト教』と呼ばれる、キリスト教の香りのする何かは、エスタブリッシュメント、主流派であった、と思う。どのキリスト教が主流はなのかは、地域によっては違うけれども。

     まぁ、キリスト者でないものは人間扱いされなかったことは、東部や太平洋岸(ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州)のような地域ではいざ知らず、南部や中西部では、ちょっと前までそんな感じだったと思う。そして、中西部や南部では、今でも、という説はあるが、20年くらい前まで、圧倒的にキリスト教と呼ばれるキリスト教の香りのする何かを大量に含むキリスト教にかかわる人たちは、社会の主流派であった。東部では、メインラインと呼ばれるリベラル派のプレゼンスが高く、中西部では、一般に福音派と呼ばれるキリスト者のプレゼンスが高かったように思う。

     そのため、南部とか中西部とかいうところ出身で宣教師とかというかたちで、海外に伝道しに行った人は、自分の存在意義や信念体系を全く疑問に思わず現地の状況もガン無視して、現地の人々に語った、と思う。そして、自分の持つキリスト教以外の、現地の人々の思想、行動、言語を貫く、思想とか理念とか、論理は理解ができない部分があったと思う。

     そして、日本に特にアメリカ経由で入ってきたキリスト教の日本人関係者(牧師も信徒)も、この主流派の人たちの思考法や思想をそのまま維持する部分もあったと思う。その結果、キリスト教を教える側が自分たちこそ正義であり心理の保持者、というコンスタンティヌス的キリスト教を思想性とシンクロし、社会に対するウエメセの構造を教会とその関係者が持つ原因の一つとなったと思う。

     ところで、大英帝国は、良くも悪くも植民地支配を割と早くからしてきた。当初から、これらの植民地で異文化をもつ人々と、うまく付き合い続けたとは、とても言えないが、インドやパキスタンなどのアジアやアフリカでキリスト教以外の信仰体系と付き合わざるを得ず、多少は考える部分はあったような気もしないでもない。

    政治制度や西洋の制度に影響したキリスト教

     (3)については、ドイツや大英帝国史、イタリア史なんかを見ていると、そうだろうなぁ、と思わざるを得ない。ドイツは教会に代わって国家が徴収する教会税がちょっと前まではあったって聞いている。今はどうか知らないけど。役所が住民を世話するという意識がないので、近代国家(というよりは、国家総動員体制で戦争し始める18世紀)に入るまで、ヨーロッパでの人口統計は、教会によるしかない。国管理の戦争をするようになって初めて、国民皆兵、血税(本来、血税というのは税金のことではなく、血を流すために戦争に行く義務のことを指したが今は、それはどっかに行っている)という名の戦争に生かされる義務を国民が勝手に国家から負わされてしまったために、国家が管理せざるを得なかったのだ。つまり、近代国家の事務の代わりを教会がしていた形である。ちなみに、日本ではパスポートは、都道府県ごとに発行しているが、それは、法定受託事務である。まぁ、あれも、一種の通行証やら、援助要請状であるので、中世カトリックの巡礼の皆さんが、教会に巡礼の最中にこの人キリスト教徒なんで、教会に宿泊させてくださいね、っていう証明書みたいなところもある。実は、ヨーロッパのホテルの出発点は、割とこの巡礼宿から影響を受けてるって話も聞いたことがあるようなないような。ホテル学や観光学が専門じゃないので、ご関心のある方は、英文とかヨーロッパ語の文献で調べてね。

     (4)については、未だにあると思う。最低限のキリスト教というか、国家(というよりは国家で広くいきわたっている文化や習俗)とキリスト教の結びつき強すぎて、個人の信仰の確立とは関係なく、最低限のキリスト教ですらないキリスト教徒が欧米には、掃いて捨てるほどいることは確か。アメリカいるとき、「僕はアメリカ人だからキリスト教徒だ、君は日本人なのにどうしてキリスト教徒なのだ」と聞いて来た若者が居られたことを記載して終わっておく。今思い出しても、腹立つから。

     (5)は、教会でもあるんじゃないかなぁ。聖書そのものよりも、会衆とか、一部の声のでかい会衆とか、教会的伝統への配慮という、一種の訳のわからない、全体善と称される、根拠のないものが優先されて、聖書の主張が度っか飛んじゃうこと。この辺、現実の教会運営上ではかなりうっとうしい問題をもっていると思う。

    コンスタンティヌス的キリスト教が行き着いた先の
    自己愛としてのキリスト教
     (6)については、上沼昌雄先生も、そのように指摘しておられるようである。先生のブログ記事の一部を転載しておく。

     イギリスの聖書学者で歴史家であるN.T.ライトは、信仰義認が最終的な(まさに)目的であるとすると、それは結局 me and my salvation だけを求めていることになると指摘しています。同じことをニーチェも言っています。『「霊魂の救い」−−わかりやすく言えば「世界は私を中心としてめぐる」--キリスト教がこのうえなく徹底的にこれを蒔きちらしてしまった。』(反キリスト43)ライトもニーチェもそれがどこから来ているのかを見抜いています。ギリシャ哲学の霊肉・善悪二元論であって、肉の世界を離脱して霊の世界に救いを求める世界観です。プラトニズム化されたキリスト教です。

     N.T.ライトは歴史家として聖書学者として、目的設定は、もっ
    と大きなことにあると言って、旧約聖書からの神の民に対する神の目的が、神の御子であるキリストによって成就したことに視点をあわせています。聖書全体の流れの中で、最終的に神の国の実現のために救いに預かり、召されている責任を語ります。キリストによる救いは、私たちがそれに預かることで、神の国の実現ために働くためなのです。信仰義認だけであれば、それは自己愛の信仰になってしまいます。

    ということだそうで。

     今日も長くなったので、このへんで。次回は、コンスタンティヌス的なキリスト教(つまりキリスト教的な何かのほうが大きいキリスト教)との対抗関係などを内村先生を参考にしている部分のご紹介いたしたく。




    評価:
    価格: ¥1,836
    ショップ: オンライン書店 BOOKFAN
    コメント:アメリカの国家と教会の歴史を簡単に知るには最適の本だと思う。わかりやすいし。

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