2014.08.02 Saturday
上智大学大阪サテライトキャンパス公開講座参加記 戦国期と近代のカトリックと社会 川村信三教授 その2
前回に引き続き、上智大学大阪サテライトキャンパスの公開講座川村教授後担当分の参加記の後半をご紹介いたします。今回は、カトリック学校での教育とコンフラリア・ミゼリコルディアとの関係についてでした。
19世紀初頭の横浜での活動
横浜開港150年ということで、昨年講演を頼まれたが、この横浜に来たのは、ジラール神父、プチジャン神父と5人のシスターたちで、マチルダたちを呼びよせている。そして、孤児院を建設始め、仁慈堂となずけて初等教育的なことをした。同様の仁慈堂という建物が、マカオに存在した。マカオの広場の隣に仁慈堂が存在している。実は、この仁慈堂そこ、ミゼリコルディアである
明治時代の教会のあり方のひとつとして、仁慈堂を考えてきた。最近、アジアのイエズス会系の大学が集まって、カトリック教会と教育を取り扱い、理解を討議する場があったが、それを機会に、教育面から宣教を再検討する作業を試みた。日本をロバート・オゴーマンという教育学者の教育と社会とのかかわりを考えるフレームワークを援用すると、カトリックと日本社会の関係は次の3期に分けられよう。
近代日本のカトリック教育にみる
伝道アプローチ
第1期 明治初期 個人の魂の救い
第2期 社会に近づく
第3期 社会の中で
カトリック教育の分岐点 1890年 明治30年 大日本帝国憲法制定の翌年が第1期と第2期の境界線とできよう。
第1期は邪宗教というものが日本社会に入っていく時代であろう。1873年に高札の撤廃がなされたが、これは、高札によるキリスト教邪教という布告をやめただけである。それが証拠に、五カ条のご誓文では、キリシタン禁制は続いている。
秀吉以降、為政者は民衆に対する影響力を恐れ、宗教は困るという立場を取り続けてきた。日本では希少性の高い、欧米の文物は欲しいけれども、キリスト教はいらない、ということになる。その結果、明治期は神道中心の宗教政策へとなり、廃仏毀釈運動なども見られる。明治の初期には、寺院が相当破壊されている。その意味で、皇道思想は、反キリスト教思想であり、キリスト教を受け入れない思想でもあった。
ところで、横浜の外国人墓地には、3種類の系統の人の墓があり、その一つはフリーメイソン(文化やビジネス・技術)であり、文化やビジネスを持ってくる西洋人のみ受け入れ
その中で、シスターマチルダたちは、国家に対抗できない、個人的な魂の救いと底辺層への浸透を目指して活動していく。
パリミッションとコンフラリア的特徴
第1バチカン公会議では、人間中心主義に反対し、その結果もあり、聖俗2元論的な考え方が強かったフランスの宣教師たちがやってきている。このタイプの聖族2元論的な立場の人々は、聖と俗とを分けたいという傾向をもつ人たちであり、非常に厳しい規律をもつと同時に、社会に対して閉鎖的な教会運営をした。
そのなかで、目の前にいる人たちの魂の救いを示そうとして、慈善事業に向かったのだろう。しかし、その教育は、初等教育レベルであり、パリミッションは学校を作らなかった。マリア会が最初に学校を造ったし、フランス系の神父たちは、魂の救いしか考えてない側面がある。慈悲のわざを中国インドで実践している。
オペラ・ミゼリコルディア(慈悲の心の実践)として、孤児やハンセン病者の世話をしている。しかし、その活動範囲は、居留地から40キロの範囲であり、その範囲内を黒服を着てを歩き回った。その意味で、パリミッションは、ミゼリコルディアと同じものを目指し、長崎や大分など九州で行われていたミゼリコルディアと同様の動きをした。そもそも修道会自体が、コンフラリアと同じ側面をもつ。
シスター山上カク(横浜)は日本のマザーテレサ友呼ばれるが、その活動により洗礼したものは568名であったし、シャルトルの聖パウロ会は函館で孤児院運営をしている。幼きイエズス会は、神戸で孤児院運営をしているし、男子トラピストは、一般教区をするか、観想修道会、孤児院するかでいろいろ議論があったものの、最初は孤児院していた。
その面で第1期の大日本帝国憲法、私立学校令が出るまでのカトリック学校は貧者や孤児のイメージと直結していた。
国粋主義化する日本の中で
第2期(1890年以降 教育勅語 訓令12号(私立学校令)の時期)
1887年条約改正がうまくいかなくなり社会としては国粋主義に向かう。
公立私立を問わず、宗教教育と宗教儀式を禁止している。多くの学校は社会への迎合しているが、明治学院と青山学院は抵抗したものの、それ以外は抵抗せしなかった。
カトリックを見れば、第1バチカン公会議でローマ教会の中央集権化の徹底が図られ、その結果としてヒエラルキーの重視が進められていく。ヨーロッパ式の教会を日本に造るということで、社会に出ていくというよりは、復古的、教会に立てこもる傾向があった。
長崎の教会群は、1890年以降の建物で、ちゃんとした教会建築に乗っ取った教会を作れ、ということになってできたものであり、それ以前は民家で実施し、民家の共同体をつくっていった。洗礼志願時期を希望者には求め、儀式が重視されて行くことになる。
1889年以降、カトリック系の学校の生徒の総数が伸び悩む。カトリック学校の生徒の出身家庭の中上流化が進んで行き、学生層が変わっていく(伸び悩むから)。ある面、キリスト教のイメージをどうするか、ということで、後期キリシタン期に、大名や有力者への伝道が行われて行く16世紀と同じことの繰り返しが起きているのではないか。
高等教育機関を中心とした動きへ
カトリックのインテリ中心の運動、思想的な運動は、この後、上智大学とイエズス会、聖心会が高等教育機関を造る気で日本に来て以来であり、そもそも、貧しい人たちのために来たわけではない。その面でこの時期はコンフラリア・ミゼリコルディアの精神は失われていたといえよう。
正攻法(弱者への伝道)をしつつ、現実社会における影響力を持つということは両立が難しい。16世紀、20世紀でも弱者から社会の上層へという伝道のブレを繰り返した。そうならざるを得ないものがあった。その意味で、キリシタン時代と同じような歴史が繰り返されている。要はバランスかもしれない。現代のミッション学校の中にも貧者救済をもたないといけないのではないか。そういうのを歴史が教えてくれるのではないか。
カトリック信仰としては、最も小さいものに何かすることが最大のこと。それを往々に放棄しないといけないことがあり、それは、ある面、質的拡大なのか、量的拡大なのか問題とも関係している。
第3期(太平洋戦争以降)
高等教育を中心に社会の中に入っていくことを模索している。ミッションが大衆の中に入っていく一つの方法としての教育があるだろう。(時間不足なので、また別の機会にということでした)
質疑応答の時間
Q 周辺の社会的なところに入って行って伝道するというのは、賀川豊彦的な大衆伝道との相似性や類似性はあるのだろうか。
A. 精神としては共通性はある程度あるだろう。
Q.現在の行き詰まりがあるとおかんがえでしょうか。
A. 行き詰まりがあるとしても、貧しい人への伝道と、社会に影響力のある人への伝道と両方やってないとだめだろう。そうでないという人たちもいてその辺のバランスが難しい。両方あるなど、社会の中に出ていく方法として、是かあれかではなく、いろんなものがあっていいのではないだろうか。
Q. 教会の高齢化があるが、そのなかでなにをすればいいのだろうか。
A. まず、自分たちで何ができるかを考える。必ずしも司祭にべったりでなく、グループでなにかできればいいかなぁ。と思う。そもそもコンフラリアには司祭は入っていなかった。コンフラリアとして、葬儀屋を手伝うグループ等もできているところもある。そこでは、自由になる時間で、手伝いをする発想的にはミゼリコルディアに近いものがあるようだ。
コンフラリアから17世紀18世紀になると、敬虔な女性たちがコンフラリアのまねしたっくなって、修道会を造っている。フランスの女子修道会等で多いのだが、そもそもは信徒の共同体なので、シスターたちから取り戻してみればいいのではないのだろうか。フランスで修道会がやたらとできているのは、もともと信徒がやってたものが、修道会を造る格好になっている。シスターも高齢化しているのでいまがチャンスかもしれない。信徒ができる範囲でやっていくことでいいのではないだろうか。東日本大震災のボランティア、あれは信徒運動で現代のコンフラリアなのではないか。こういうあたりのことを忘れないでほしい。
戦後のイエズス会の特徴として、エリート養成をしないといけないので、優秀な人を入れましょうというノリで教育していた。そもそも、宗教学校を造るとも思ってないいなかったようである。信者でなくてもいい。キリスト者を増やすのが学校の目的ではない、それでよしとしていた。一流の学校にはなるけど、信者が一人もでないという学校になっている学校も多い。その面で、教育という面では成功した、とは言えるかもしれない。
ミーちゃんはーちゃん的感想
いやぁ、カトリックはカトリックで、お悩みが深いというのが受け取れたように思います。貧者・困窮者への伝道なのか、社会的エリートへの伝道なのか。この種の路線対立、カトリックの中でもあるんだ、ふーん。とは思った。
ミーちゃんはーちゃんは福音派の片隅で、それもこれまで、特に15年戦争後は、貧者・困窮者への伝道を中心としてきて、植村正久先生からは、来るなと言われた人たちが中心になって、そういう人たちを中心に伝道してきたため、ちっと学のある人たちは、居心地が悪くなっていつのまにかいなくなったことの多い(多分、学歴へのやっかみやら、信仰は学問と違うとか、学のないのが信仰的だとか、言って、否定的なことなどをいろいろと言われたりすることが多かったのではないかと思う)集団にいるので、そもそも、社会的エリートと呼ばれる皆さんへの伝道はあまり考えることなくきた。少数派だったしね。そういう人が。その結果、某旧約聖書学者で、うちの関係者だった人(今は別のグループでご活躍中)はいる。
イギリスだと、F.F.Bruceは、珍しく最後まで、うちのキリスト者グループに残った珍しい人物である。
その辺、学術というものを以て、社会のいわゆるエリート層への伝道が構想できたのは、カトリックならではなんだろうなぁ。とは思った。うちなんか、構想すら無理に近い。ちなみに、アメリカのハーバードにしても、イェールにしても、もともと牧師養成学校がその運営母体でもあるのだなぁ。
それでも、上智大学を作り、様々の高等教育機関や進学校を運営しても信徒はあまり増えない。上智大学やら○○学園からを運営して宗教教育は一応はするけど、学校卒業や大学卒業とともに、宗教教育の影響は極めて薄くなっていく。それでも運営し続けるのか、という意見も浴びながらだから、まぁ、これらの学校も大変だわね。
今回で、重要だなぁ、って思ったのは、貧者への伝道、社会的エリートへの伝道、どっちが大事か、ということではなくて、両方とも、バランスを取りながら進めていくことが大事、カトリックもこの両方の間を振り子のように触れてきたという側面、そして、これから、貧者・困窮者、そして社会の指導者層ともに、という両にらみ大作戦の重要性が日本のカトリック教会の歴史学者としての川村先生からお聞きできたことは何よりであった。ま、イエスは、すべての人の隔たりをはずすために地上に来られたんだしね。
19世紀初頭の横浜での活動
横浜開港150年ということで、昨年講演を頼まれたが、この横浜に来たのは、ジラール神父、プチジャン神父と5人のシスターたちで、マチルダたちを呼びよせている。そして、孤児院を建設始め、仁慈堂となずけて初等教育的なことをした。同様の仁慈堂という建物が、マカオに存在した。マカオの広場の隣に仁慈堂が存在している。実は、この仁慈堂そこ、ミゼリコルディアである
明治時代の教会のあり方のひとつとして、仁慈堂を考えてきた。最近、アジアのイエズス会系の大学が集まって、カトリック教会と教育を取り扱い、理解を討議する場があったが、それを機会に、教育面から宣教を再検討する作業を試みた。日本をロバート・オゴーマンという教育学者の教育と社会とのかかわりを考えるフレームワークを援用すると、カトリックと日本社会の関係は次の3期に分けられよう。
近代日本のカトリック教育にみる
伝道アプローチ
第1期 明治初期 個人の魂の救い
第2期 社会に近づく
第3期 社会の中で
カトリック教育の分岐点 1890年 明治30年 大日本帝国憲法制定の翌年が第1期と第2期の境界線とできよう。
第1期は邪宗教というものが日本社会に入っていく時代であろう。1873年に高札の撤廃がなされたが、これは、高札によるキリスト教邪教という布告をやめただけである。それが証拠に、五カ条のご誓文では、キリシタン禁制は続いている。
秀吉以降、為政者は民衆に対する影響力を恐れ、宗教は困るという立場を取り続けてきた。日本では希少性の高い、欧米の文物は欲しいけれども、キリスト教はいらない、ということになる。その結果、明治期は神道中心の宗教政策へとなり、廃仏毀釈運動なども見られる。明治の初期には、寺院が相当破壊されている。その意味で、皇道思想は、反キリスト教思想であり、キリスト教を受け入れない思想でもあった。
ところで、横浜の外国人墓地には、3種類の系統の人の墓があり、その一つはフリーメイソン(文化やビジネス・技術)であり、文化やビジネスを持ってくる西洋人のみ受け入れ
その中で、シスターマチルダたちは、国家に対抗できない、個人的な魂の救いと底辺層への浸透を目指して活動していく。
パリミッションとコンフラリア的特徴
第1バチカン公会議では、人間中心主義に反対し、その結果もあり、聖俗2元論的な考え方が強かったフランスの宣教師たちがやってきている。このタイプの聖族2元論的な立場の人々は、聖と俗とを分けたいという傾向をもつ人たちであり、非常に厳しい規律をもつと同時に、社会に対して閉鎖的な教会運営をした。
そのなかで、目の前にいる人たちの魂の救いを示そうとして、慈善事業に向かったのだろう。しかし、その教育は、初等教育レベルであり、パリミッションは学校を作らなかった。マリア会が最初に学校を造ったし、フランス系の神父たちは、魂の救いしか考えてない側面がある。慈悲のわざを中国インドで実践している。
オペラ・ミゼリコルディア(慈悲の心の実践)として、孤児やハンセン病者の世話をしている。しかし、その活動範囲は、居留地から40キロの範囲であり、その範囲内を黒服を着てを歩き回った。その意味で、パリミッションは、ミゼリコルディアと同じものを目指し、長崎や大分など九州で行われていたミゼリコルディアと同様の動きをした。そもそも修道会自体が、コンフラリアと同じ側面をもつ。
シスター山上カク(横浜)は日本のマザーテレサ友呼ばれるが、その活動により洗礼したものは568名であったし、シャルトルの聖パウロ会は函館で孤児院運営をしている。幼きイエズス会は、神戸で孤児院運営をしているし、男子トラピストは、一般教区をするか、観想修道会、孤児院するかでいろいろ議論があったものの、最初は孤児院していた。
その面で第1期の大日本帝国憲法、私立学校令が出るまでのカトリック学校は貧者や孤児のイメージと直結していた。
国粋主義化する日本の中で
第2期(1890年以降 教育勅語 訓令12号(私立学校令)の時期)
1887年条約改正がうまくいかなくなり社会としては国粋主義に向かう。
公立私立を問わず、宗教教育と宗教儀式を禁止している。多くの学校は社会への迎合しているが、明治学院と青山学院は抵抗したものの、それ以外は抵抗せしなかった。
カトリックを見れば、第1バチカン公会議でローマ教会の中央集権化の徹底が図られ、その結果としてヒエラルキーの重視が進められていく。ヨーロッパ式の教会を日本に造るということで、社会に出ていくというよりは、復古的、教会に立てこもる傾向があった。
長崎の教会群は、1890年以降の建物で、ちゃんとした教会建築に乗っ取った教会を作れ、ということになってできたものであり、それ以前は民家で実施し、民家の共同体をつくっていった。洗礼志願時期を希望者には求め、儀式が重視されて行くことになる。
1889年以降、カトリック系の学校の生徒の総数が伸び悩む。カトリック学校の生徒の出身家庭の中上流化が進んで行き、学生層が変わっていく(伸び悩むから)。ある面、キリスト教のイメージをどうするか、ということで、後期キリシタン期に、大名や有力者への伝道が行われて行く16世紀と同じことの繰り返しが起きているのではないか。
高等教育機関を中心とした動きへ
カトリックのインテリ中心の運動、思想的な運動は、この後、上智大学とイエズス会、聖心会が高等教育機関を造る気で日本に来て以来であり、そもそも、貧しい人たちのために来たわけではない。その面でこの時期はコンフラリア・ミゼリコルディアの精神は失われていたといえよう。
正攻法(弱者への伝道)をしつつ、現実社会における影響力を持つということは両立が難しい。16世紀、20世紀でも弱者から社会の上層へという伝道のブレを繰り返した。そうならざるを得ないものがあった。その意味で、キリシタン時代と同じような歴史が繰り返されている。要はバランスかもしれない。現代のミッション学校の中にも貧者救済をもたないといけないのではないか。そういうのを歴史が教えてくれるのではないか。
カトリック信仰としては、最も小さいものに何かすることが最大のこと。それを往々に放棄しないといけないことがあり、それは、ある面、質的拡大なのか、量的拡大なのか問題とも関係している。
第3期(太平洋戦争以降)
高等教育を中心に社会の中に入っていくことを模索している。ミッションが大衆の中に入っていく一つの方法としての教育があるだろう。(時間不足なので、また別の機会にということでした)
質疑応答の時間
Q 周辺の社会的なところに入って行って伝道するというのは、賀川豊彦的な大衆伝道との相似性や類似性はあるのだろうか。
A. 精神としては共通性はある程度あるだろう。
Q.現在の行き詰まりがあるとおかんがえでしょうか。
A. 行き詰まりがあるとしても、貧しい人への伝道と、社会に影響力のある人への伝道と両方やってないとだめだろう。そうでないという人たちもいてその辺のバランスが難しい。両方あるなど、社会の中に出ていく方法として、是かあれかではなく、いろんなものがあっていいのではないだろうか。
Q. 教会の高齢化があるが、そのなかでなにをすればいいのだろうか。
A. まず、自分たちで何ができるかを考える。必ずしも司祭にべったりでなく、グループでなにかできればいいかなぁ。と思う。そもそもコンフラリアには司祭は入っていなかった。コンフラリアとして、葬儀屋を手伝うグループ等もできているところもある。そこでは、自由になる時間で、手伝いをする発想的にはミゼリコルディアに近いものがあるようだ。
コンフラリアから17世紀18世紀になると、敬虔な女性たちがコンフラリアのまねしたっくなって、修道会を造っている。フランスの女子修道会等で多いのだが、そもそもは信徒の共同体なので、シスターたちから取り戻してみればいいのではないのだろうか。フランスで修道会がやたらとできているのは、もともと信徒がやってたものが、修道会を造る格好になっている。シスターも高齢化しているのでいまがチャンスかもしれない。信徒ができる範囲でやっていくことでいいのではないだろうか。東日本大震災のボランティア、あれは信徒運動で現代のコンフラリアなのではないか。こういうあたりのことを忘れないでほしい。
戦後のイエズス会の特徴として、エリート養成をしないといけないので、優秀な人を入れましょうというノリで教育していた。そもそも、宗教学校を造るとも思ってないいなかったようである。信者でなくてもいい。キリスト者を増やすのが学校の目的ではない、それでよしとしていた。一流の学校にはなるけど、信者が一人もでないという学校になっている学校も多い。その面で、教育という面では成功した、とは言えるかもしれない。
ミーちゃんはーちゃん的感想
いやぁ、カトリックはカトリックで、お悩みが深いというのが受け取れたように思います。貧者・困窮者への伝道なのか、社会的エリートへの伝道なのか。この種の路線対立、カトリックの中でもあるんだ、ふーん。とは思った。
ミーちゃんはーちゃんは福音派の片隅で、それもこれまで、特に15年戦争後は、貧者・困窮者への伝道を中心としてきて、植村正久先生からは、来るなと言われた人たちが中心になって、そういう人たちを中心に伝道してきたため、ちっと学のある人たちは、居心地が悪くなっていつのまにかいなくなったことの多い(多分、学歴へのやっかみやら、信仰は学問と違うとか、学のないのが信仰的だとか、言って、否定的なことなどをいろいろと言われたりすることが多かったのではないかと思う)集団にいるので、そもそも、社会的エリートと呼ばれる皆さんへの伝道はあまり考えることなくきた。少数派だったしね。そういう人が。その結果、某旧約聖書学者で、うちの関係者だった人(今は別のグループでご活躍中)はいる。
イギリスだと、F.F.Bruceは、珍しく最後まで、うちのキリスト者グループに残った珍しい人物である。
その辺、学術というものを以て、社会のいわゆるエリート層への伝道が構想できたのは、カトリックならではなんだろうなぁ。とは思った。うちなんか、構想すら無理に近い。ちなみに、アメリカのハーバードにしても、イェールにしても、もともと牧師養成学校がその運営母体でもあるのだなぁ。
それでも、上智大学を作り、様々の高等教育機関や進学校を運営しても信徒はあまり増えない。上智大学やら○○学園からを運営して宗教教育は一応はするけど、学校卒業や大学卒業とともに、宗教教育の影響は極めて薄くなっていく。それでも運営し続けるのか、という意見も浴びながらだから、まぁ、これらの学校も大変だわね。
今回で、重要だなぁ、って思ったのは、貧者への伝道、社会的エリートへの伝道、どっちが大事か、ということではなくて、両方とも、バランスを取りながら進めていくことが大事、カトリックもこの両方の間を振り子のように触れてきたという側面、そして、これから、貧者・困窮者、そして社会の指導者層ともに、という両にらみ大作戦の重要性が日本のカトリック教会の歴史学者としての川村先生からお聞きできたことは何よりであった。ま、イエスは、すべての人の隔たりをはずすために地上に来られたんだしね。
川村 信三
教文館 --- (2003-11) コメント:一応ご紹介 |
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