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2014.07.26 Saturday

日ユ同祖論というトンデモ理論について その3

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      これまでの記事では、日ユ同祖論について、明治期のキリスト教とのかかわりをさらっとおさらいし、酒井勝軍というキリスト者を紹介し、そして、この理論がオウム真理教につながり、オウム真理教とキリスト教、そして現代日本に生きるキリスト教などについての与太話を申し上げた。

     これまでの記事

    日ユ同祖論というトンデモ理論について その1

    日ユ同祖論というトンデモ理論について その2


     今回の記事では、もう少しなぜ、キリスト者にこの奇説が受けたのか、この奇説が受容されて行ったのか、なぜ、この奇説に取りつかれやすいのか、というあたりの日本人の精神構造とその背景について、考えてみたい。

    日ユ同祖論にはまった
    明治期のキリスト教会人たち

     内田先生の本によると、この奇説にはかなりの明治期のキリスト教会人がはまっている。中田重治(ムーディ聖書学院)、佐伯好朗(トロント大学)、小谷部全一郎(イェール大学)、酒井勝軍(ムーディ聖書学院)と、結構外国行き組みの当時の新進の人士とも呼ぶべき人たちが引っ掛かっているのだ。

     その背景に関して、少し長くなるが、内田先生の私家版・ユダヤ文化論から引用したい。

     しかし、当時の日本青年としては例外的なアメリカ留学という特権的経験を通じて近代国家を実見したにもかかわらず(あるいは彼我の決定的な実力差を骨身にしみて味わったせいで)、彼らは「神州不敗」や「世界に冠絶する神国」というような夜郎自大な妄想を抱くようになった。その時彼らは「神国日本」の世界史的な卓越性を「ユダヤ人との同一化」という妄想的な理路によって論証しようとした。なぜ三人が三人とも、魅入られたように、かかる論理的アクロバシーを選択するようになったのか。そこのはある種の論理が働いているはずである。私はその「論理」に強い興味を覚える。
     同祖論者の「本音」を勝井勝軍(1870-1939)は次のようにはっきりと吐露している。「之は同時に、我日本も亦極東の一孤島否一異教国なる不名誉なる地位よりして、一躍世界の神州帝国たる地位に昇り来たり、基督教を奉ずる欧米諸国を眼下に見下すべき権威直ちに降り来たるべし、何となれば彼等は日本は神の秘蔵国にありしを発見すべければなり」(酒井勝軍『世界の正体と猶太人』)(ミーちゃんはーちゃん註 山形、富山、石川、奈良の四県を除くお近くの公立図書館でここから見られるらしいです。)
     酒井は日本の国際関係上のポジションが「極東の一孤島否一異教国なる不名誉なる地位」であることははっきり認めている。それを認めたうえで、その一異教国が「キリスト教を奉ずる欧米諸国を眼下に見下す」様な起死回生の理説を探し求めたのである。
     日同祖論のロジックとは、一言にして言えば、西欧において「罪なくして排斥せらるる」ユダヤ人とわが身を同一化することによって欧米諸国の犯罪性を告発する側に滑り込むというものである。(pp.69-70)
    ということで、どうも、一応日本は、神国であるという日本人(というよりはお武家さま出の人物としての)の自負と西欧と比肩するほどの国(になったはず)であるにもかかわらず、不平等条約を抱え、西洋列強からいいようにされている状態にありながらも、キリスト教国とそこから来た人々に対して見返したいという思いから、こういう理解が出てきたらしい。要するに「偏狭なるナショナリズム」というのか、自分自身と自分がしょって生まれた日本という国への自信を確保したくて、この理論に走ったというのである。

    厨二病患者もどきのご発言
     概ね、内田先生のご指摘は正しいとおもう。酒井勝軍の「一躍世界の神州帝国」とか、「欧米諸国を眼下に見下すべき権威」とか、重篤な厨二病患者もどきのご発言を見ると、どうも日本人としての誇りをもって、欧米人を見下したいという願望に駆られた結果、としか思えない。ネトウヨの皆さんと同じ精神構造なのかもしれない。そうそう、日清戦争終結の時の喜びは、朝献国(江戸期の日本)が実態としての宗主権を持っていると思っていたアジアの雄である国家(清朝中国)に勝利したという喜びをもたらしたという側面もあろうし、日露戦争終結の時の喜びは、いわゆる欧米の一角を占める国(いまだに、彼の国とヨーロッパの西側と文化が共有されてないことは最近のかの国の言動を見れば・・・・)に勝利した(というよりは、まぁ相手が一方的に戦意喪失ちゃった感が強いので、たなぼたで、まぐれでなんとなく判定勝ちしちゃった)ことの喜びは、当時の日本と日本人にとって大きかったのだろう、と思う。

    米国留学組のキリスト者が
    なぜ、走ったのか…
     よりにもよって、アメリカ・カナダに渡った当時新進の気風に富むはず人々が日ユ同祖論という奇説に走ったのかは、彼らが自信がなくなりかけていた以上に彼らがその中におかれた当時のキリスト教界の状況があったものと思われる。

     もちろん、彼らは不平等条約下の日本という国を嘆いたという側面もあるだろうが、しかし、そうであっても、海外に行った人たちが、こうなったということに関しては、おそらくアメリカ、あるいは北米での黄禍論(アジア人は迷惑な奴ら的な雰囲気の社会論調)的な背景が蔓延するなか、彼らは留学時代を過ごしたのであろう。

     アジア人といえば、当時のアメリカ人にとっては、クーリー(苦力)であり、社会の底辺、黒人以下の人間とみなされない動物扱いの中、在外生活を送るのだ。



    英語のみ、2分15秒あたりから、クーリーの話しが出てくる。

     今でもサムライジャック(というトンデモアニメ)ではないが、日本人は、ちょんまげという奇妙な習慣をもつ人間のような動物という認識であったであろう。実際、ネイティブアメリカンは、動物扱いであり、アメリカの国勢統計局(Census Bureau)では、人口統計調査、調査対象外とされていたのだ。それと同じと一般のアメリカ人のかなりの部分には認識されていた(もちろん、すべてがそうだとは言わない。例外はある)可能性はある。




    Samurai Jack

    在外学習組が背負う
    トラウマ
    とその影響
     15年戦争敗戦後、神に守られ、神に養われバイオラ大学で学ぶのだと希望に燃えて、アメリカに渡られたある牧師先生がアメリカ滞在中に差別的発言を受けてまいったことを書いておられた(現在そのサイト閉鎖中)が、それと似たような経験をこれらの明治のころの神学校への留学経験者たちは経験したのではなかろうか。

     彼らの多くは、多大なる漢籍の知識を持ち、陽明学的、あるいは朱子学的教養で育成された教養人の士族であるにもかかわらず、彼らから見たらちょっと前まで彼らが毛唐とか呼び、忌み嫌い(尊王攘夷だったですし、一応の国是は)、アジア以外の国から来た人々(夷人)としか見えなかったアメリカ人から、キリスト教を知らない、理解が十分でない、身にしみていないということで思いっ きり馬鹿にされた経験があるのだろうと思う。これは、現在の我らには理解不能なほど、彼らに深い精神的なトラウマを与えたものと思う。

     そのトラウマは、あまりに深く何とかして日本的なるものとキリスト教を融合させたいと思ったように思われる。そして、自分自身が持ってきた文化的背景に自信を持ちたい、それを正当化したいという思いにとらわれたのではないだろうか。そして、その背景の中で日ユ同祖論はアメリカ人のキリスト教よりも先にあり、御先祖様に当たるすごいユダヤ教と日本人はつながっている、だから、日本が優れているのだ、という理解につながっていったように思われる。


    次回【最終回予定】へと続く



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    コメント:文化史的な観点からみた日本人がキリスト教をどう見てきたかの俯瞰図を与えてくれる。

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    コメント:近代以降のユダヤ社会と日本とヨーロッパの俯瞰図。近代以降のおさらいをしたい方には、どうぞ。

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    コメント:近代の日本型のキリスト教、日本へのキリスト教の定着(西欧型からすれば異形のものが中心)を丹念に描いた学術書。

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