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2014.06.27 Friday

教会と家庭内暴力または家庭内の虐待について

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     家庭内虐待と男性が家庭のかしらであることなどに関する面白いSojournersの記事があったので、日本語のようなものにしてご紹介。以下は翻訳とは言いません。ざっとした意味が取れる、日本語変換と思ってください。見出しは適当にミーちゃんはーちゃんがつけたものです。

     
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    教会とDVを考える
      最初はね、以下紹介するこの話って、今の教会がDV(家庭内暴力)に向き合うためのいくつかの問題を考えるための作り話、と思ってたんです。犠牲、許し、婚姻の誓約、そして性役割とを考えるための架空の状況と思ってたんです。

     以下の文章は、ウィスコンシンのマディソン(ウィスコンシン州の州都、ミーちゃんはーちゃんのお友達がお住まい)のキャピタルタイムスに書いて、日曜版に載ったものです。

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    DVを受けた人への牧師のアドバイス

     夫からの身体的な暴力に苦しめられ続けた女性がいました。彼女は、ついに、牧師にこのことを話すために決心したのでした。

    しかし牧師のアドバイスはこんなものでした。

     まず、あなたはあなたの苦しみがイエスの苦しみのようなものであることを理解しなければなりません。さらに、あなたはイエスの許しのように許すことが必要です。そして、あなたは、一生涯この男性と結婚するよう制約したことを思い出すべきです。また、ご主人はあなたの家族の「かしら」なのですから、彼の怒りを引き起こさないよう、彼が望むことをいつもし続けているように気を付けるべきなのです。

    (ミーちゃんはーちゃんの感想:いかん、なんかこの辺で吐き気してきた)


     そして、そこで提案ですが、あなた方お二人とお会いして、結婚生活がうまくいくようにお助けしましょう。

    (ミーちゃんはーちゃんの感想:はきたい。トイレ〜〜〜)

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    架空ではなかった牧師のアドバイス
     私はこの話を架空のシナリオとして表現したのだが、その直後、ある友人から次のようなことを聞いたのだ。

     「これねぇ、私の牧師が、私の夫について30年以上前言ったのと同じ話なんですよ。」

     DV被害にあっている方に対応すべく、我々は、神学的にも実際的にも今日(30年前よりは)もう少しましになっていると思いたい。
     
     もう少しましになっていることは、ソジャーナーズが『サミット 信仰と公義によって世界を変える』で先週報告した草分け的な報告を考えてみれば、そうかもしれない。

    牧師への意識調査の結果から

     1,000人のプロテスタントの牧師を対象とした調査の中で、70%の牧師がDV案件の被害者に公的な保護施設を紹介したとしている。しかし、12%のが結婚したカップルにうまくいくよう励ましたと回答しているし、62%の牧師がカップルにお互いよく相談するように勧めたと回答している。ところが、おたがいによく相談するということは、暴力が絡んでいる場合、非常にリスキーな方法なのだ。

    現在もなお続く同様の対応
     Madison周辺のコミュニティの中で、、クリスチャンや、ユダヤ系、イスラム系、またほかの伝統に基づくコミュニティでも、DVに対応し、それを防止するより良い方法を求め用とする多くの信仰のコミュニティが増加している。しかし、冒頭部で紹介した架空の牧師の対応や、私の友人が30年前に実在の牧師から与えられた信仰に基づく反応が現在も見られるのだ。

    犠牲の聖書理解はこのままで?

     一つの理念は犠牲である。あるキリスト者グループの中では、あなた方が経験する苦悩はどんなものでも神へのものであるということについての強調がある。もしほかの人に殴られる時には、それに耐えることが霊的であるとするグループがいる。しかしながら、苦しみを神の前にささげるということは、DV への対応ではないことを明らかであるという確信について、我々は、話し合うべき状況にあるのではないだろうか。

    単純でない赦し
     そして、もう一つの理念は、赦しの倫理性である。思うに、イエスの人生そのものとイエスのメッセージは赦しそのものであった。私自身、イエスが赦しについて話されたことと行動はイエスの死と復活の力を理解する方法の一つであることにかなりの時間を割いて、牧会の中で思いめぐらしてきたことではある。

     しかし、赦しは、決して単純な話ではない。それはスイッチをパッと切り替えるというものでもなく、それは、あなたに対する加害行為を見ないということでもない。それは、無法者を自由にするものでも何でもないのだ。また、犠牲者があたかも神の目の前に尊いものとするために牧師が犠牲者にかぶせるもの、でもないのだ。そして、犠牲者は心理的かつ身体的な回復のためにものすごい長い時間を要するのだ。その時間をかけた回復ののちに、赦しを語る時が来るのであろう。

    婚姻の誓約が壊れるとき

     聖なる婚姻という婚姻の誓約の概念はキリスト教(そしてほかの宗教)に深く根ざしている。ニューヨークのウニオン神学校の校長であるSerene JonesはSojourners主催のサミットでの「教会とDV」に関する討論のなかで、神ご自身は、すべての人が安全であるということを願っておられる、ということを重要な概念とすべきだ、と話した。つまり、あなたの生命が脅かされ、身体的虐待があるときに婚姻状態にとどまることは、その誓約がすでに木端微塵になったことを無視することになるのだ。

     ローマカトリックの司教(結婚自体の神聖性となると譲らない人たちではあるが)であっても2002年の通達に明白に書かれていること、すなわち、『我々は、女性に対しての暴力は、家庭内であれ、家庭外であれ、それを決して正当化しないことを、強く明らかに言明する。そして何人たりとも、虐待の婚姻の中にとどまることを期待されないことを強く言明する。離婚ではなく、暴力と虐待が婚姻を無効にするのだ』ということについての態度は明白である。

    家庭における男性の役割

     最後に、男性と女性の関係について触れたい。男性が家族のかしらであるという聖書テキストを引用するあるキリスト者集団の伝統がある。私はこの解釈には同意しないと同時に、このテキストは、男性がその意思を女性に押し付けたり、虐待する権利を与えるものではない、と思う。

     ArizonaのPhoenix神学校の倫理学および神学の教授であるSteven Tracyは2007年に「女性への暴力の説明として、父権制は唯一の説明ではなく、むしろ、安定していない不健康な男性が彼らによる支配の正当化と女性への虐待の正当化のために、この男性がかしらであることが捻じ曲げられて用いられているのではないか」という小論を著している。

     その意味で、コロサイ人への手紙のパウロの言葉を思い出すことが有効かもしれなさい。『夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。』(3:19)

    教会がDVに対応するために

     これらのことを考えてみると、そして、私が知っている人の個人的な経験から牧師たちのソジャーナーズの調査の詳細なデータに至るまでのことを考えてみると、教会はまだましなければならないことが覆うあるのではないだろうか。虐待を潜り抜けた人を安全と自由に導くための神学を一層充実することや、虐待関係にある人が助けを求めてきたときに対応する役割にとって複雑ではあるが必要不可欠な日々の知識を増やしていくことが必章なのではないか。

     もし、我々が神の愛と関心をわずかでも反映しようと思うなら、それは最低限すべきことではないだろうか。
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    ミーちゃんはーちゃん的感想

     日本では、今セクハラヤジなのかセクハラオヤジなのかはよく知らないが、それの話題が盛んであるが、それ以前に、まずもって教会とは何なのか、ってこと、それは教会員のDVやらAddiction依存症などを含めた問題も、教会外のDVや依存症を含めた問題も、対応が求められる時代がやってきているということのような気がするなぁ。

     教会におけるDVなどを起こすセクハラオヤジの頭の中には、多分、なんかひずんだ聖書理解というのか、都合よく切り貼りされた聖書のことばの体系から作り上げられた男性優位思想ってあるような気がするなぁ。聖書は聖書全体で読むべきものであって、自分に都合よく切り貼りして読んではならんもののような気がする。そのためにも、毎日自分にとって受け入れにくくて、痛い部分を含めてその言葉の奥で神が何をおっしゃりたいのかを考えながら、読むべきもんなんだろうなぁ。


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    I thought at first that it was a fictional scene, conflating in one example some of the problems those of us in Christianity face when confronted with issues of domestic violence. The scene was set up as a call to rethink how we articulate our theology in areas like sacrifice and forgiveness and commitment and gender roles.



    Here’s what I wrote in The Capital Times in Madison, Wis., that was posted on Sunday:

    “A woman has been suffering physical abuse at the hands of her husband. She finally summons up the courage to talk to her pastor about it.

    “His advice: First, you need to recognize that your suffering is like Jesus’ suffering. Next, you need to forgive like Jesus forgave. Then remember that you made a commitment to marry this man for life. He is the head of your family, so you need to make sure you are doing what he wants so as not to trigger his anger.

    “And then an offer: Let me meet with the two of you and help you patch up your marriage.”

    I described it as a fictional scenario. And then I heard this from a friend: “that was the response from my minster regarding my first husband 30 years ago ...”

    I’d like to think that many pastors these days are a least a bit wiser both theologically and practically in how they deal with someone facing domestic violence. That’s reflected in a groundbreaking survey released last week by Sojourners at The Summit: World Change Through Faith & Justice.

    In that survey of 1,000 Protestant pastors, 70 percent said they provide referrals to social service agencies when someone facing abuse contacts them. But about 12 percent said they would encourage the couple to “work it out” and 62 percent said they tried to do couples’ counseling themselves ― a risky enterprise when violence is involved.

    In my home community around Madison, a growing number of faith communities ― Christian, Jewish, Muslim, and other traditions ― are looking at how to do better at both preventing and responding to domestic violence. Among the things we are looking at are the faith-based responses that my fictional pastor gave in that opening scenario ― and that the real pastor offered to my friend three decades ago.

    One is the idea of sacrifice. Within some strains of Christianity, there is emphasis on offering up whatever suffering you experience to God. When you are being beaten by another who is part of your family, there is nothing spiritual about just putting up with it. Those of us in positions to talk about beliefs need to be very clear that “offering up suffering” is not a response to domestic violence.

    Then there is the ethic of forgiveness. I think the notion of forgiveness is central to Jesus’ life and message. I have spent a lot of time in my ministry exploring how Jesus’ talk and actions around forgiveness are one way to understand the power of his death and resurrection.

    But forgiveness is anything but a simple concept. It's not like flipping a switch. It’s not ignoring the harm that is being done to you. It is not a free ticket for an abuser. Nor is it something pastors ought to be imposing on victims as if somehow that will make them worthy in God’s eyes. First, the victim needs to be free of the abuse. Then the victim needs time ― lots of time ― for emotional as well as physical healing, Later, there may be a time for talking about forgiveness.

    The idea of the marriage commitment being a sacred bond is deeply embedded in Christianity (and other religions). But as Serene Jones, the president of Union Theological Seminary in New York City put it at The Summit during the discussion of churches and domestic violence, the core idea ought to be “God wants everyone to be safe.” Staying in a marriage when your life is threatened or your body abused ignores the reality of a commitment that is already shattered.

    Even the Roman Catholic bishops ― no slouches when it comes to defending the sacredness of the marriage bond ― were very clear in a pastoral letter back in 2002: “We state as clearly and strongly as we can that violence against women, inside or outside the home, is never justified … We emphasize that no person is expected to stay in an abusive marriage … Violence and abuse, not divorce, break up a marriage.”

    Finally, there is the role of men and women in relationships. Some Christian traditions cite biblical texts about the man being the head of the family. While I don't agree with that interpretation, nowhere do those texts give a man the right to physically impose his will on or to abuse his wife.

    Steven Tracy, a professor of theology and ethics at Phoenix Seminary in Arizona, wrote in an essay in 2007 that “while patriarchy is not the sole explanation for violence against women, we would expect that male headship would be distorted by insecure, unhealthy men to justify their domination and abuse of women."

    In that context, it’s good to remember the words of Paul in the Letter to the Colossians: “Husbands, love your wives, and do not be harsh with them.” (Col 3:19)

    What all this suggests ― from the personal examples of people I know to the detailed data in the Sojourners survey of pastors ― is that the work of the church has a long way to go. We need both to develop a theology that can lead survivors of abuse to freedom and safety and to increase the day-to-day knowledge of pastors in the complicated but essential role they have when someone in an abusive relationship seeks their help.

    If we are to reflect God’s love and care, we can do nothing less.

    Phil Haslanger is pastor at Memorial United Church of Christ in Fitchburg, Wis.




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    コメント:よい。さまざまな虐待を含む教会に持ち込まれる相談に関するカウンセリングを行った牧師に対するインタビューに基づく深い考察がある。

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    コメント:多分、日本語の本の中で教会とDVの関係を描いた中では最初ではないか。雑誌だったら、Ministryで関谷さんがふれていたように思うが。

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