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2014.06.14 Saturday

上智大学公開講座 「カインはなぜアベルを殺すのか」参加記 前半

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     先日上智大学大阪キャンパスで開催された公開講座、佐久間勤さんの「カインはなぜアベルを殺すのか」の参加記を残しておこう。非常によい講演会であった。 

    現代社会と暴力
     現代社会の様々な面においても、理性で話しあうよりは、世界のあちこちで力で自分の主張を通そうとすることがよくみられる。「力には力を」という悪循環が生まれているのではないだろうか。 そのうえで、旧約聖書の物語は、人間を考えるうえで役に立つのではないだろうか。一般的な理解として、旧約聖書の神は暴力やねたみの神であるといわれるが、必ずしも、旧約聖書は暴力の神を描いているわけでもないし、赦しを言ってないわけではないことは案外触れられていないように思う。
     イエスは、旧約聖書のうえで語っており、それを理解するともっと深いことがわかるのではないか。

    ミーちゃんはーちゃん的感想
     NTライトは、完全にこの線で書いているように思う。そして、このご指摘は大事なことだと思う。


    カインという人物とその子孫

    創世記4章を読み、暴力の解決の可能性を旧約から考えてみたい。

    Cain&AbelTiziano
    ツィツィアーノ作、カインとアベル

     スライドで上記のツィツィアーノの絵画をお示しになり、カインの顔が影に覆われよく見えないが、アベルの視線をみると、画面右端の天に昇っていく煙を見ているアベルなのではないか。これに対し、煙が斜めに上がっていきカインの捧げものは受け入れられていないことを示しているようだ。そして、アベル自体を殴り殺し、蹴り落とそうとするカインがいる。

     佐久間先生によると、カインの罪の本質は、「私は弟の番人でしょうか。」という表現にあるらしい。自らの発言で、自分の罪をばらしてしまっている。
     この殺害事件の結果、カインは、さすらうものとなり、カインの子孫は、街をつくり、家畜を飼うものの先祖になり、芸術家と技術屋の先祖となったのがカインであることを考えると、文明の先祖はカインであるといえるだろう。

     神から追放される時に人は恐れを感じたのではないか。旧約聖書は、リアリズムはあまり考えていないように思われる。カインは、「人を殺したものは、自分もその目にあう」という暴力の連鎖とそして神からの守りがないことを恐れたのではないだろうか。
     カインを傷つけるものは7倍が言われているが、カインの子孫レメクは、77倍に拡大している。

    旧約聖書創世記(口語訳聖書)
    4:23 レメクはその妻たちに言った、
     「アダとチラよ、わたしの声を聞け、
      レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしは受ける傷のために、人を殺し、
      受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。
    4:24 カインのための復讐が七倍ならば、
      レメクのための復讐は七十七倍」

    この表現に見られるように、暴力が次第に大きくなっている。時代を経て、文明は栄えるものの、暴力を抑えることができない状況がある。カイン自体は、自分の家をもたない根なし草であり、自分の本来の場所をもたない人々となっている。

    アベルとその後継としてのセト

     アベルの子孫は、子孫としての記述はないが、セト(シャト)が後を継いでいるようだ。セトの子がエノシュであるが、ヘブライ語でエノシュは、「人」という意味である。彼ははじめて祈っている人物であるが、その意味で、神との結びつきを求めようとするという意味で、本来の神と人間との間の関係をもったという言う意味で人間らしい人物であったのであろう。
     もちろん、アダァムも人間 (追放されていない) 本来、その段階では、神と人とは結びついており、人間らしい存在として、創世記では描かれている。

    アベル殺害事件とその結果
    創世記4章を見れば、
    1-16 カインの弟殺しとその結果が描かれている。
      アダムから7代、レメクまでが描かれており、都市居住の始まりが記載されている。
    17-25 カインの子孫
    26 アベルの子孫 アダムから数えて3代目のエノシュが記載されている。

     おそらくは人数的にも、小さなグループだったのだろう。経済力と言った力はエノシュに関しては、でてこない。少数者のグループだったのだろう。

     現在の世界では、あまりに暴力が当たり前すぎて、考えていないが、人間が暴力を使うその原因を考えたい。
     兄と弟で違いがあるとしがちだが、実は、年長、年少と言った縦方向の関係性をあまり意識していない聖書があるのではないだろうか。

    カインとアベルの名と系図表現
      
     カインの名は、神によって得た(カーニーティー)にちなんでつけられたと系図のフォーマットに従って描かれているものの、アベルの名には説明がない。アベル=ヘベル(空しい)と同じヘブライ語の語根をもつ言葉である。兄、弟は、生まれた時から、差がついているようである。

     聖書では名前は重要な情報源であり、その人の人物紹介友なっている。カインに関しては、名前の説明がついていて、系図としての定型句がついている。正式の系図の形式に則って記載されている。
     ところで、名前には説明がある。重要な人物は説明がきちんとなされている。「○○は○○を生んだ。」12部族の基礎になったのが名前の説明がついているように、重要人物にはその名の由来の説明があるのが旧約聖書のせかいである。

     カインについては、この子は神からの贈り物である。主によって得たカインということが物語られている。反面、アベルについては、説明もないし、系図としての定型表現もなしである。まるで、おまけみたいな子供だったかもしれない。アベル=ハベル(←ハベル 「空しい」と日本語聖書中のコヘレトで描かれていることを参照)であり、ある面、カインの蔭に隠れたアベルだっただろう。

    名前の必要性

     生まれた時から差がある。違うからこそ、個性がある。違うからこそ、名前がある。同じだったら、名前入らないですよね(言われて初めて気付いた。遅い)。違いがあることは、即、優劣に結びつきやすい。
     しかし、この創世記4章には巧妙なトリックがあり、カインとアベル間で差があるけれども、差を意図的に感じないような表現(同じだということへの強調)を名前を交互に記載する文章表現で示している。
     一見すると、カインもアベルも平等に扱われるような印象があるのだが、アベルの捧げものは受け入れられ、カインの捧げものは受け入れられない。意図的に神に怒るように仕向けているかのようにも思えなくもない。

    カイン事件をどう解釈するか
     様々な解釈の可能性があるだろう。もちろん、カインは悪人だからという解釈もあろうが、これは多分解釈としては、NGだろう。犯した罪に反応し過ぎている。
     神は遊牧民を偏愛した、という解釈もありうる。とりわけ、古代社会は農民、土地持ちが重要であり、遊牧民は弱い民(預言者も言っている)であり、そこへの神の愛があったというのも、解釈としては弱い。農民かどうかはあまり重要なポイントではないのではないか。
     弟を偏愛する神だからという説もあり、ダビデは末っ子であり、親からも忘れられたに近い存在であるだろう。これは多少関係するかもしれない。
     物語から示唆されることとしては、供え物の問題と理解すべきではないか。労働の成果の封建方法と関係しているだろう、収穫の祭りの際の供え物 (申命記12:5-6)では、初穂と指定されている。おそらく、一番いいもの、初穂をささげることを求められているにもかかわらずカインはよく選ばなかったのではないか。捧げものに下院には詳細な記述がない。
     アベルは律法の規定に従って捧げものをしている。古代人にとって、生命の最初のもの、最初のものは充実しているという古代人の思想があり、それをささげている。カインは、初穂をささげるべきであった。アベルは小さいもの、弱弱しい者でありながら、神の規定を守っている。

    カインはなぜ、怒ったか
     神は警告を与えておられる。しかし、怒りにまかせて弟殺しをしているのだが、その背景を考えておきたい。

    カインの役割
     アダムの長子として生まれる。そして、アダムと同じく土地を耕すものとなった。
      人は土から生まれ、土を耕し、土地(地球)守るためにおかれたアダムであった。その意味で、カインは、アダムの跡継ぎ息子であり、家の長となるはずの人間 であった。一族を代表して神とかかわる王、祭司(これが油注がれたもの、メシア(へブライ語)キリスト(ギリシア語)へとつながっていく)としての特権を もったものであった。当時の世界にあっては、家という共同体が神との関係を示すものであった。おそらく当時は、村単位の人口サイズが、70-80人で、家 の人口サイズは60-100人であったであろう。村と家はほぼ同じと考えてよいのではないか。

    神様からの祭司失格宣言
     神への捧げものが受け入れられないことは、神から祭司失格、家長失格と言われたと等しいのだろう。そして、アベルに祭司(家長)の権利が移ったことを意味する(まるで、エソウとヤコブの話見たいとミーちゃんはーちゃんは思ったのだった)。

     カインの怒りは、本来自分のものであるはずのもの、長子の役割を資格のない弟が持っていることにあったのではないか、当時の方法論としては、奪われたと感じたなら、奪い返すのが「正義」であった。そして、それが怒りへとつながっていったのだろう。
     ところで、殺人=完全な支配、奴隷化の方法ではないだろうか。

    祭司失格の背景
     ところで、カインはカインからアベルに祭司の役割が移った背景を考えていないように見える。自分が正しいから、と思っていたのではないか。この正義観から人を殺したりする攻撃性が生まれ、人は攻撃的になっていくのではないか。正義を求めて、結果暴力に訴えるという
    歪 んだ正義観になっていくのだろう。自分と自分の主張にとって都合のよい正義感が問題だ、ということを示すのではないか。これがアベルとカイン物語の中核で はないだろうか。その意味で、人間は、割と自らを反省せずに他人を悪にしやすい。その意味で、正義を振りかざさないと悪が行えないという性質をもっている と思う。


    次回へと続く。


    評価:
    N. T. Wright
    HarperOne
    ¥ 2,208
    (2008-02-05)
    コメント:おもしろい。英文も多少読みにくいかもしれないが、こなせなくはないレベルだった。

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