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2014.05.31 Saturday

コンサルタント必携 牧会相談の実際

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     今回も短め。読みやすいかな。多分。

     ここのところ、本の紹介が続いているが、まぁ、それはご容赦。今回紹介する本は、「牧会相談の実際」である。出版元の関係者によると結構売れているらしく、どんどん出ているらしい。その理由はわからなくもない。この本は、所謂ハウツーものではなく、どう現実のややこしい問題に向き合うかの本質的な部分をついているからだ。その意味で、カウンセリングのハウツーを期待してこの本を手にすると、大変残念な結果に終わるだろう。しかし、具体的な篇著者たちの経験智があちこちにちりばめられた非常に有益な本であり、書かれたことの一つ一つは重いし、重要であることは間違いない。

    カウンセラーとクライエントの関係性

     たとえば、面接の場所と時間をカウンセラーが決めるという原則について
     このような原則のお陰でカウンセラーも相談者も、面接時間内で特別な集中力を発揮できるし、何よりも相談者が、カウンセラーにすぐ会えないからこそ、面接の日を待つなかで、その日に向かって自分自身でいろいろと考え、洞察することが促される。(p.12)

    ということをのべておられる。これは、技術コンサルティングでも同様である。時間を設定することで、それまでにかなりの問題は解決していることが多い。同書でもご指摘のように、問題は、こういうカウンセリングやコンサルテーション求めない人たちなのだ。問題が放置され、深刻化していて、どうにもならない段階で持ち込まれた場合には、本当にどうにもならないことが多い。

    教会やその他の社会の現場で

     教会に持ち込まれやすい相談事として、
    (1)パーソナリティ障害
    (2)依存症
    (3)グリーフケア、ターミナルケア
    であることを指摘しておられるが、グリーフケアが教会に持ち込まれるようになった、それを課題化しなければならなくなった、ということはある面、日本社会に教会が曲がりなりにも定着し始めたこととして受け止めたい。宣教だけ、新規の来会者を相手にするだけでなくなったということは、宣教地型宣教方法からの脱出の機会であり、教会に成熟が求められていることのあかしだろう。
     ミーちゃんはーちゃんの本業の社会では、いまは、コミュニケーションが教員と取れない学生、つまり、パーソナリティ障害をお持ちの学生のみなさんへの対応が求められている。世間的にはあまり知られていないことではあるが、発達障害の高等教育機関(大学)での受け入れが現実に問題化しつつある(大学は、これまでこういうことを無視してきた(無視できた)ので、対応のノウハウが全くない、という意味で問題化し始めている)。その意味で、その当事者の一人として、この本の与える示唆は非常に重要であった。

    カウンセラー(コンサルタント)にとっての重要な心得

     特に、カウンセラーとしての自己吟味として、
     人からの相談にあずかるプロのカウンセラーは自分が相談する人でもある。助けを求めてくる人に対応する自分自身もまた、他の人に助けを請うていくのである。(p.28)


    のように、自己完結を目指すのではなく、共同体を構成する重要性をこの一文に見た。友すれば、日本では、徳治政治がよいとされるため、一人で全部抱えるスーパーマン型のカウンセラーが期待されるが、その非現実性を説いておられる。

    守秘義務の重要性

    あと、教会の中で気をつけるべきこととして、守秘義務のことについて
     守秘義務とは、カウンセリングの場で話されたことの秘密は守られ、決して他言されないという保証のことである。(中略)
     ところが、このことに対する態度が、教会ではあいまいになることがある。まず祈りの共同体として、(中略)本人の承諾を得ずに、相談を受けた人が祈祷課題として公表してしまうと、守秘義務を守らなかったことになる。(p.36)
    ということが書かれており、プロテスタント諸派でのカウンセリングをめぐる様々な問題を上げておられる。ヨーロッパでは、プロフェッションと呼ばれる職業として、3大学問体系の関係者がいる。まず法曹家(法学)、医師(医学)、そして司牧職(神学)である。この3職は、プロフェッションとして守秘義務が重要なのだが、法曹家と医師に関しては、日本での守秘義務はかなり守られているものの、日本の教会では神学が十分信徒レベルまで浸透していないためか、牧師や信徒においての守秘義務問題はかなりいい加減な印象がある。この辺、日本の神学校が、いまだに聖書読みだけを教えている聖書学校に近いことと関係しているのかもしれない。カトリックでは、告解という一種のカウンセリングの伝統があるので、この守秘義務はほぼ確実に守られると思ってよいとは思う。

    グリーフケアへの示唆

     グリーフケアに関しては、
     できるだけ短期間でそのダメージから回復したいと願い、時に過去のことを無理に忘れようとする。周囲も本人に向かって、過去はもう忘れようと、つい励ましてしまう。死に勝利する信仰をもつがゆえに、この傾向が強くなりやすい。
     しかし、それでは順番が逆で、先に進めない。本当に回復するために必生なことは、まず大切な人を失ったことを嘆き悲しむことである。(pp.40-41)
    と書かれている。ヨブも悲しんだし、ダビデも悲しんだ、イエスは泣いた、とさえ記載されている。これらのことを現代のあるプロテスタントの人々は忘れているのかもしれない。そして、挙句の果てに、嘆き悲しむ遺族に向かって万歳三唱を叫ぶのである。それのどこが悪いとおっしゃってくださった牧師先生もおられましたが、それってどうなんでしょうね。個人的にはいまだに納得できません。

    圧巻のインタビューとコメント

    この本の圧巻は、牧師が受けた相談事例のインタビューとそれについての臨床心理の専門家によるレビューとサジェッションである。不登校、ギャンブル依存、うつ、境界性パーソナリティ障害、自死等の問題が取り上げられている。現代は境界性パーソナリティ障害の問題がクローズアップされていることもあるのであろう。この教会性パーソナリティ障害の事例が、数多く取り上げられている。
     これらに対しても、「聖書を読め、祈れば解決される」という信仰根性論万能薬的な対応を取るのではなく、どのように司牧と信徒からなる教会側が向き合っていけばよいのかの具体的で重要な示唆が得られると思う。

    外部機関との関係づくりの重要性

     特に、第3章では、外部の専門機関の援助を求めること(教会人が抱え込まない)の重要性とその具体的方法について触れられている。特に外部機関との関係を求める際の3つの項目は重要だと思った。

    )椰佑感じている苦痛がとても強い
    学校生活や家庭生活に著しく支障がある
    社会とのかかわりがほとんどない

    こういう具体的な指針があり、聖書のことばのカッペ(Cut & Paste)による「くらえ、みことば攻撃」、加持祈祷まがいの「必殺、祈り攻撃」という極端に単純化されていない対応方法から学ぶところが多かった本でもある。

    次回の出版の参考のために

     いま、学生の就労支援や各種企業のコンサルタントを本業の関連業務としてすることもあるのであるが、最近、この中で痛感させられるのは、ミーちゃんはーちゃんのインタビュー技法の不足と確立の重要性なのである。ミーちゃんはーちゃんの場合、現場でコンサルタント兼計算機システム開発する中で、この技法を多少は身につけてきたが、世の中には、これができる人とできない人がいることわかってきた。しかし、コンサルタント(多分カウンセリング)においては、この技術というか能力というのは決定的に重要なのだ。この辺りのことも次回は期待したいかな。
     特に、学習障害をはじめとする境界性パーソナリティ障害の場合、コンサルタント(カウンセラー)は聞くつもりと聞く能力があっても、意外と相手の想いとか、相手の考えを相手が話さない、話したがらない、という側面があり、単に教会側が傾聴の姿勢をもつだけでは不十分で、聴きだすため、相手に話させるには、信頼という形のラポールだけでは、現在厳しくなっていると思う。

    境界性人格障害をお持ちの方の
    現代における生きにくさ

     以前、藤掛先生のブログかどこかで読んだと思ったのだが、境界人格性障害をもつ方々は、以前であれば、ちょっと変な人、変わったやつ、とされながら、社会においてそんなに重大な仕事を担わないまでも、社会で一定の役割を果たしてきたし、農業などの産業においても、変わりもん、頑固もんとか言われながらも、生き延びる方法があったはずなのだ。

     社会が冗長性をもち、社会に余裕がある、のんびりしていた時代には、その存在が許容されてきた部分がある。以下の動画で紹介する落語の代筆屋などに出てくるトメさんなんか(噺の中で、トメさんには奥さんがいることがわかる)は、おそらく、学習障害をお持ちの方であっただろうし、多少はバカにされながらも、愛されるべき存在、社会におけるピエロ的役割を担う存在として生きられたし、社会もその一員として受け止めてきたようだ。



    桂枝雀師匠による代書屋(3分30秒ごろから学習障害者との対話が出てくる)

    衛生概念に支配された近代

     しかし、この前、友人と焼き鳥屋で焼き鳥をつつきながら、この辺りのことを話していたのだが、1860年ごろ、英国での貧窮者対策として生まれたロンドン改造や、東京改造などに代表される、社会改造に伴って衛生概念(そして、それは優生学へとつながっていく)と一緒に近代のリジットな近代社会が生まれ、学校制度なんかにこの種のリジッドさ(堅さ)をもちこんでしまったがために、こういう方々が生きにくくなってしまったと思う。そして社会の隅に追いやってしまったのだ。養護学校や、社会的入院という隔離という方法論であったり、人目につかない職業にしか就けないなどの方法論であったりはしただろうけど。

     そして、意識しているかしてないかは別として、現代日本に生きる我々は、無意識にこの衛生概念や学校制度に支配されて生きており、その支配からはなかなか抜けにくい現実があるのだ。このメタ概念に抜けられない、それを抜ける勇気のある人は日本では少ないかもしれない。抜けられれば楽になるのだが。それは、ある面世捨て人になる、に近いことであり、それなりのコストも負担しなければならないこともまた事実だが。 

    効率性の蔭で

     ところで、トヨタシステムは、無駄を極限まで絞る究極の効率的な物流システムであるカンバンシステムを作り上げたが、その半面冗長さを失ってきたのだ。カンバンシステムは、災害などで重大な物流の障害が発生してしまえば息の根が止まるシステムなのだ。効率的ではあるが、ギスギスした社会を作り上げたといえる。

     ところで、実際に教会関係でこういう感じの方のお一人(軽度の方)とお付き合いがあるのだが、社会が効率化、効率化を目指すあまり、こういう人が生きにくい社会ってのはどうなんだろうとは思う。

    人間になる場所としての教会

     こういう人たちが神が造り給いし人間として生きことができる世界を説いたのが、ジャン・ヴァニエだったと思う。教会は、すべての人類が『神とともに生きる』という意味において本来の人間になる、人間の姿を回復するための場所であると思うが、それは私の勘違いなのかもしれない。







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    ¥ 3,024
    (2012-12-21)
    コメント:桂米朝の弟子、桂南光の師匠。ストイックさのゆえに自らを追い詰め、行き詰っていった早逝の天才。

    評価:
    ジャン・バニエ
    あめんどう
    ¥ 1,296
    コメント:お勧め

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